- 1二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:54:11
「日直のお仕事おしまーいっ! さあ、今日も精いっぱいトレーニングするぞーっ!」
「お疲れ様でした、でもツルちゃん、無理は禁物ですよ~?」
職員室に日誌を届けて、更衣室へと向かう途中。
日直の仕事を終えた私は、廊下で今日のトレーニングに向けて気合を入れていた。
直後、隣から聞こえて来る、穏やかで優しい、労いの言葉と────心配の言葉。
腰まで伸びた栗毛のロングヘアー、白い流星の入った短めの前髪、垂れ目がちの青色の瞳。
見るからにおっとりとした雰囲気だけれど、私は、私達は、彼女の内に秘めた鋭さを良く知っている。
この日、ともに日直の仕事をこなしたグラスちゃんは言葉を紡いだ直後、慌てて手で口を押さえた。
しまった、と言わんばかりに、少しバツの悪そうな表情を浮かべながら。
「……すいません、今のツルちゃんには『おせせの蒲焼き』でしたね」
「今はトレーナーさんもいてくれるからね、でも心配してくれてありがとう、グラスちゃんっ!」
ちょっと前まで休みがちだった私を知っているグラスちゃんからすれば、当然の心配だ。
お節介だなんてまるで思わないし、むしろその心遣いが、とても嬉しかった。
私のお礼を聞いて、グラスちゃんは少し安堵した様子で、頬を緩めてくれる。
────私の体質は、ゆっくりとした足取りではあるものの、少しずつ改善されていた。
もちろん、普通のウマ娘のそれと比べれば、未だに少し虚弱といえるかもしれない。
けれど、入院することもなくなり、倒れてしまうことも最近は滅多になかった。
負荷の強いトレーニングもちょっとずるこなせるようになって、大きなレースも狙えるようになった。
それは、友人達やファンの人達の応援、そしてトレーナーさん達の尽力に寄るもの。
これからは、めいっぱい、恩返しをしないと。
私は更衣室で体操服に着替えて、ジャージを羽織りながら、改めて気合を入れる。 - 2二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:54:34
「よぉし、やるぞーっ! あっ、グラスちゃんも着替え終わった……ってあれ?」
「……ふぅ」
隣で着替えているグラスちゃんは、困ったように、小さなため息をついていた。
彼女は体操服には着替えていたものの、ジャージは下だけで、上は指定の半袖シャツだけ。
季節はまだ秋とはいえ、このところは冬の訪れを感じさせる気温。
私はつい気になって、問いかけてしまった。
「えっと、グラスちゃん、ジャージなしだと寒くない?」
「……ええ、正直心細いのですが、ジャージの持ち合わせがなくて」
「グラスちゃんが忘れ物なんて、珍しいね?」
「…………少々、色々と、ありまして」
色々と、という部分に万感の思いを込めながら、グラスちゃんは笑みを浮かべて言う。
その笑みからは。冬の雪景色以上に、寒気を感じさせる何かがあった。
…………多分、エルちゃんが、なにかやらかしたんだろうなあ。
今、思えば、スペちゃんと並んでクラスのムードメーカーである彼女が妙に大人しかった気がする。
私は苦笑いを浮かべながら、そのことについては深く聞かないことにした。
────あっ、そういえば。
「もし良かったら、私のジャージを使って!」
「……でも、そうしたらツルちゃんの使う分が」
「心配御無用っ! 今日の朝、トレーナーさんから新しいジャージを貰ったばかりだからっ!」
そう言って、鞄の中からビニールに包まれた真新しいジャージを取り出す。
新しいジャージが欲しいとき、私はトレーナーさんを介して注文をしていた。
どうやらこのやり取りは珍しいらしいけど、私はあまり気にしていなかった。
グラスちゃんと比べると私の方が若干大柄だから、少しブカブカかもしれない。
でも、上着の方だったら、そこまで問題にはならないよね。
ジャージを見たグラスちゃんは、頬に手を当てて、悩ましげな顔をする。 - 3二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:54:49
「……ですが、卸したばかりのものを使わせてもらうなんて」
「グラスちゃんには入院中のノートとか、今までいっぱいお世話になってるから、ね?」
入院していて、出れなかった分の授業のノートを借りるのは、もっぱらグラスちゃんだった。
キングちゃんは他の人からの需要が大きすぎて、借りようとしても彼女の手元にない場合が多い。
セイちゃんは基本的にノートはあまりとっていない、それで勉強はそれなりに出来るのだから不思議だ。
エルちゃんとスペちゃんは……………………まあ、はい。
そんなわけで、少しでもグラスちゃんに恩返しがしたいと、常々思っていたのである。
グラスちゃんはそれでも躊躇した様子だったが、やがて小さく微笑み、遠慮がちにジャージへと手を伸ばした。
「ふふっ、それでは、お言葉に甘えさせていただきますね」
「うん、どうぞ!」
そう言って、私はグラスちゃんにジャージを手渡す。
彼女は丁寧な手つきで袋を開けて、そっと羽織ってみせる。
……うん、やっぱりちょっと大きいみたいだけど、問題はなさそうだ。
私がそう考えていると────グラスちゃんは一瞬、不思議そうな顔で、首を傾げた。
「……あら?」
「どうかしたの?」
「その、少しだけ……いえ、気のせいだと思います、ツルちゃん、有難く使わせてもらいますね」
そう言って、グラスちゃんは律儀に頭を下げて、お礼を告げる。
私は気にしなくて良いよ、と返事をしながら、彼女とともにグラウンドに向かうのであった。
────その道中でも、グラスちゃんはジャージが少し気になっているようだった。 - 4二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:55:15
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- 5二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:55:30
「ツルちゃん、先日はありがとうございました、こちら、お返ししますね?」
「あっ、どういたしまして」
数日後、教室にて。
私の席にやってきたグラスちゃんは、ビニールに包まれたジャージを手渡して来た。
どうやらクリーニングに出してくれたらしい。
これじゃあ私の方が遠慮しちゃうな、と心の中で思いつつも、伏して素直に受け取る。
「……ところでツルちゃん、少しお時間良いですか?」
「えっ、うん、それは大丈夫だけど」
「では失礼して、こちらを、そのジャージと片手ずつで持ってみてくれませんか?」
少し真面目な雰囲気になったグラスちゃんに、私は思わず背筋を伸ばしてしまう。
そして、彼女がおもむろに取り出したのは────もう一着のジャージであった。
恐らくは、彼女のジャージ。
それは理解出来るのだけれど、彼女の言葉の意図は理解出来ない。
けれど、真剣な表情で私を見つめる青い瞳からは、冗談などの雰囲気は感じ取れない。
私は不思議に思いながらも、言われるがまま、右手で私のジャージを、左手で彼女のジャージを持った。
直後、違和感に気づく。
「…………あれ?」
「どう、ですか?」
「グラスちゃんのジャージが、重い?」
本当に、僅かな差ではあるけれど。
少しだけ、グラスちゃんのジャージの方が、ずっしりと重かったのだ。
サイズ的にはそちらの方が小さいので、普通に考えれば、私のジャージの方が重くなるはずなのに。
重りを仕込んでいるのかも、と考えて調べてみるものの、そんな様子もない。
困惑した様子の私を見て、グラスちゃんは悩ましげに息を吐く。 - 6二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:55:43
「それはですね、ツルちゃんのジャージが軽いみたいなんですよ」
「……私のジャージが?」
「ええ、エルのものとかとも比較してみましたが、明らかな差がありました」
「そっ、そうなの?」
「軽いせいなのか妙に走りやすい気もして────それで、なんですが」
グラスちゃんの視線が、私を射抜く。
その瞳に映るのは、期待の色と、好奇心の輝きと、闘志に燃える青い炎。
彼女はお淑やかで、控えめな物腰を持つ、日本生まれの私達以上の、大和撫子らしいウマ娘。
しかし、そんな彼女にも、『遠慮』という二文字が消え失せる瞬間がある。
「このジャージについて、詳しく教えていただけませんか?」
それは、自らの『走り』にかかわる時であった。
本気の意志を感じるグラスちゃんの目に、思わずごくりと息を呑んでしまう。
気圧されてしまいそうになりながらも、私は喉から小さな声を、絞り出した。
「…………ごめんなさい、ツヨシ、何にもわかりません」
そもそも、今この時まで、気づいてすらいなかったのだから。
しっかりしなさい、と心の中の自分が、そう言った気がした。 - 7二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:55:50
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- 8二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:56:05
「ああ、そのジャージ、特注品……というか、実家で作ってるんだよ」
「そっ、そうだったんですか!?」
トレーニング後の、トレーナー室。
私は、授業が終わった後、すぐにトレーナーさんにジャージについて問いかけた。
するとトレーナーさんは、あっさりと、なんてこともないように、衝撃の内容を伝えてきた。
「ウチの実家はそういう仕事で……ってごめん、ちゃんと話していなかったか」
「あっ、いえいえ! 特に問題はなかったので、そこは別に良いんですけど!」
申し訳なさそうな表情で深々と頭を下げるトレーナーさんを、慌てて止めた。
……今思うと、ジャージの着心地について、良く聞かれた気がする。
相変わらず心配性だなあ、と思っていたけれど、フィードバックの意図もあったのかもしれない。
改めて、身に纏っているジャージを見やる。
一見すると、何の変哲もない、普通のジャージにしか見えないんだけどな。
「えっと、このジャージには何か、特別だったり?」
「ああ、まず負担を少しでも軽減するため、普通のジャージよりも少し軽くなっている」
「なるほど」
「とはいえウマ娘の走りに耐えられないのは論外だから、材質や製法なんかも色々と工夫をしている感じだね、後、着ている時に少しだけぴっちりとしている感じがしなかった?」
「えっ? あっ、いや、そうだったような、そうじゃなかったような……?」
「それも工夫の一環でね、ジャージの構造自体に手を加えて、あっ、これは海外で主に研究されている技術なんだけど、空気抵抗を可能な限り減らすことによって走りの効率を上げられるらしいんだ、勝負服の場合はデザインの問題もあって難しいけど、ジャージだったら取り入れやすいから、それを実験的に導入しているんだ」
「…………ぷしゅう」
「って、ごっ、ごめん! 一気に話し過ぎた!」
「とっ、とりあえず、私のために色々と考えてくれたことは、わかりました」 - 9二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:56:20
トレーナーさんの言葉の羅列に、私の処理能力がオーバーヒートしそうになる。
普段から何気なく着ているジャージがそのような代物だったとは、思いもしなかった。
思わず、身嗜みを正しながら、私はグラスちゃんのことを思い出す。
「……先日、このジャージをグラスちゃんに貸してあげたら、工夫に気が付いたみたいで」
「へえ、さすがというか、なんというか」
「一回着ただけで、すごいですよね……それで、このジャージについて、ですね、その……」
私は、徐々に声を小さくしながら、言葉を濁してしまう。
本当は、グラスちゃんのために、トレーナーさんにお願いしようとしたことがあった。
でも、私はこのジャージに込められたトレーナーさんの想いを、知ってしまった。
だから、そのお願いが、ひどく厚かましいものだと、感じられるようになってしまったのである。
もごもごとしている私を見て、トレーナーさんは不思議そうな顔をして────そして、何かを察した。
「もしかして、グラスワンダー用に作って欲しい、みたいな?」
「……あっ」
トレーナーさんは、契約してから長い間、私のことを良く見てくれた人だ。
だから、私の迷いや悩みなんか、隠していても、すぐに気づいてしまう。
そのことがちょっとだけ嬉しくて、この時ばかりは、少し困りものだった。
そしてトレーナーさんは、少し複雑そうな顔をして、考え込むように腕を組む。 - 10二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:56:35
「うーん、あのジャージは、君専用に調整されているからなあ」
「私専用、ですか?」
「ああ、さっき言った空気抵抗を減らす云々ってのは、服を体型にしっかり合わせる必要があって」
「……体型」
「走り方を含めて、細かいデータを採らないと効果が……って、熱っぽいけど大丈夫?」
「…………だいじょうぶです」
……うん、そうだよね。
トレーナーさんは、私の身体のことを、隅から隅まで良く知っている。
それは私がレースに出るため、そしてレースで勝つために、必要だったこと。
そのことが、妙に気恥ずかしく感じてしまう。
私は熱くなった頬を押さえて、隠しながら、再び、トレーナーさんの言葉に耳を傾けた。
ひっそりと、一つの仄暗い決意を、秘めながら。 - 11二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:56:52
「────と、いうわけなんだって、グラスちゃん!」
「なるほど、そのような匠の技が……これは少し、私も甘く見ていたようです」
後日、教室にて。
私はトレーナーさんから聞いた話を、グラスちゃんに伝えた。
ところどころあやふやだったけど、グラスちゃんは納得し、感心したような表情を見せる。
そして、少しだけ残念そうに、眉をハの字に歪めた。
「そこまで手間がかかっているならば、他の子用に作れないのは、仕方ありませんね」
「……うん、ごめんね」
「いえ、私の方が無理を言ったのですから、ツルちゃんは気にしないでください」
私が謝罪の言葉を告げると、グラスちゃんは微笑みを浮かべて、そう言ってくれた。
その言葉に────私の胸の奥が、ちくりと痛む。
刹那、始業を告げるチャイムが鳴り響いて、グラスちゃんの耳がピンと立ち上がった。
「もうこんな時間でしたか……ではツルちゃん、また後で」
「うっ、うんっ! またねっ!」
軽く手を振りながら自分の席に戻っていくグラスちゃんを見送って、ほっと息をつく。
そして私は、彼女への説明のため、机の上に出しておいたジャージをちらりと見た。
『彼女のトレーナーと相談した上でなら、作ることも出来るけど』
実のところ、トレーナーさんは、そう言ってくれた。
そういうデータを教えてくれるかは微妙だろうけど、と苦笑いを浮かべながら。
私とグラスちゃんはクラスメートで友人だけれど、同時にライバルでもある。
だから、走りに何かしらの関係のあるデータを教えてくれるかは、かなり微妙な線であった。 - 12二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:57:12
────でも私は、グラスちゃんにそれを話してみることすら、しなかった。
心の底から、思ってしまったのだ。
トレーナーさんの、このジャージに込めた私への想いを、知った時に。
トレーナーさんが、どこまでも私のことを考えていることを、知った時に。
トレーナーさんに、私の身体のことをしっかりと知られてしまっていることを、知った時に。
これは、私専用のままがいいな────そう、思ってしまったのだ。
私は、こっそりと、ジャージを抱きしめる。
家から持ってきて、また着てもいないそれからは、匂いも何も、感じ取ることは出来ない。
その、はずなのだけれど。
「…………えへへ」
でも何故か、私は優しい温もりを感じてしまって。
ついつい、一人で微笑みを浮かべてしまうのであった。 - 13二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:57:17
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- 14二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:57:42
お わ り
ちょっと気になるエピソードを拾ったので - 15二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:58:42
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- 16二次元好きの匿名さん24/08/23(金) 23:59:31
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- 17二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 00:01:33
SS感謝
ジャージって思い入れが沢山できるよね - 18二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 00:02:30
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- 19二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 00:03:33
ちょっとでも担当の負担を減らす為に工夫するトレーナーさんは良いトレーナーだね
あと、独り占めしたいの他にグラスより先に気遣いに気づかなかったのもちょっと悔しいというのもあってトレーナーの申し出を伝えられなかったのかなと思ったり - 20二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 00:15:35
未実装キャラのSS供給助かる
- 21二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 01:33:17
乙です。スポーツ科学進んでんなぁ…
グラスが豹変するとこすき - 22124/08/24(土) 06:53:29
- 23二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 07:50:06
好き〜!!!!!ツルちゃんss喉から手が出る程欲しかったから助かる!!!!!
- 24二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 10:31:39
これは独占力発動してますね…
間違いない - 25124/08/24(土) 19:59:55
- 26二次元好きの匿名さん24/08/24(土) 20:00:48
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