- 1122/02/19(土) 02:23:18
- 2122/02/19(土) 02:23:55
「そろそろ起きないと遅刻するぞー?」
肩をユサユサと揺さぶられて目が覚める。頭がぼんやりとして重い。
「寝坊するなんて珍しいな。具合でも悪いのか?」
たしかそんなことを言っていたように思う。アタシはもぞもぞと身体を動かして、枕元の時計を見る。時計の針はいつも起きている時間より1時間は遅い時間をさしていた。焦りから頭は一気に目が覚めた。
「俺が朝のランニングから戻ってきてもまだ寝てるからさ、起こしてやったんだ。優しいだろ?」
ウオッカはそんなことを言っている。よく見るとすっかり身支度を終えていて、今から部屋を出るところのようだ。
もっと早く起こしなさいよ、と言いたかったが、それはできなかった。
ウオッカがアタシにキスをしてきたからだ。 - 3122/02/19(土) 02:24:23
コチ、コチ、コチ――、と時計の針の進む音がする。
アタシが今されていることを理解するのに、数秒かかった。
キスといっても色々な種類がある。
短いやつ、長いやつ、頬にするやつ、おでこにするやつ、唇にするやつ、母親が寝る前に子どもにするやつ、恋人同士がするやつ……。
アタシがされているのは、舌を使うやつだった。
ウオッカが?アタシにキスをしている?大人の恋人同士がするようなやつを?少女マンガだって顔を真っ赤にしながら読むアイツが?
混乱して、頭がぐるぐるしているうちにウオッカは唇を話して言った。
「じゃ、俺は先に行ってっから。遅刻すんなよ。」
ウオッカは手をヒラヒラさせながら踵を返して、呼び止める間もなく部屋を出ていった。 - 4122/02/19(土) 02:25:31
習慣というものはおそろしいもので、頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていても支度を終えることができた。時間がなくて髪のセットはきちんとできなかったけれど、朝のチャイムが鳴るまでには数分の猶予がある。
校門に小走りで向かっていると、シチー先輩とバンブー先輩が見えた。
バンブー先輩は毎朝校門の前に立って挨拶運動をしているので、よく見かける。アタシは早めに登校するから、シチー先輩と朝に会うのははじめてだったかもしれない。
「シチー、今日は時間に余裕があるっスね。偉いっスよ!」
バンブー先輩は声が大きいから、少し離れていてもよく聞こえる。
「今日も一日、頑張るっス!」
そう言うと二人は――キスをした。 - 5122/02/19(土) 02:26:19
アタシは目を疑った。
「スカーレット、遅刻ギリギリっスよ!時間の乱れは風紀の乱れっス!」
いや、先輩の方こそたったいま風紀が乱れることしてましたよね?
そう思ったけど、先輩の言うことにいちいち反論するのは優等生のやることではない。それにもう時間がなかった。遅刻も優等生のすることではない。 - 6122/02/19(土) 02:26:34
---
その日は散々だった。
あっちこっちのウマ娘が、そこら中でキスをしているのだ。まるで挨拶代わりのように。気が散って授業どころではない。
ウマ娘同士がキスをするのを見たことがないわけではない。
トレセン学園には外国生まれ外国育ちのウマ娘も多い。彼女たちがスキンシップの一環でハグとかキスをしているのを見かけるのはぜんぜん珍しくない。
そういう文化的な違いによるものじゃない、もっと別の意味のこもったキスだって見たことがある。人目につかない校舎裏とか、木陰とかでするようなやつだ。トレセン学園の生徒は授業にトレーニングにレースに忙しくて、学園の外で恋人を作る時間があまりない。だから学園の生徒同士でそういう関係になることも、割とあるって聞いたことがある。夜中、寮長の目をかいくぐってもっと凄いことをしているカップルもいるって噂もあるくらいだ。 - 7122/02/19(土) 02:27:04
「だからといって、昼日中から皆が公然とキスをするのはおかしいじゃない!」
昼休みになると、真っ先にアタシはトレーナーの部屋に駆け込んだ。この異常事態を、信頼できる大人に相談しようと思ったからだ。この時のアタシは、みんな何か恋愛ドラマとかの影響を受けて浮ついた気分になっているんじゃないかとか、バレンタインデーを終えてカップルが激増したんじゃないかとか、そんなことを考えていた。でも、それは間違いだった。
「どうしたスカーレット、血相を変えて。」
アタシは状況を手短に説明した。起き抜けにウオッカからキスをされたことは、さすがに恥ずかしかったので言わなかったが。
話を聞き終えたトレーナーは――ポカンとしている。
「話をまとめると、ウマ娘が挨拶代わりにキスをするのがおかしいって言いたいってこと?」
「そうよ!おかしいじゃない。アンタは見なかったの!?公衆の面前であんな……!」
トレーナーは、まるでおかしいのはこちらだと言いたげに首をかしげている。
「まあ、ヒト同士は挨拶代わりにキスしたりしないから、そういう意味では変わってるかもしれないけど。そういうものだろ?」
「アンタ、何を言っているの?昨日までみんな普通だったのに――!」
要領を得ない回答が続く。トレーナーがアタシをからかっているのかと思って腹が立ったが、顔を見るとそうではないことが分かった。
トレーナーがアタシの専属になってもう長い。嘘をついているのかそうでないかは、顔を見れば分かる。だからこの時も、トレーナーがアタシをからかっているわけではないことが分かってしまった。
「もういい。午後のトレーニングの準備をしておいて!」
アタシはそう乱暴に言い捨てて、トレーナー室を後にした。
この時からアタシは、自分の周りに何か大変なことが起きたんじゃないかと考えはじめていた。 - 8122/02/19(土) 02:27:27
午後のトレーニングはもっとひどかった。
その日はタキオンさんと併走トレーニングをすることになっていた。子どもの頃から抱えていた脚の不安は解消されたとはいえ、相変わらず実験で忙しい。今回は特別に併走トレーニングを承諾してくれた。普段から懇意にしてくれている、頼りになる先輩だ。
もちろんタキオンさんとの併走も楽しみだったけど、その日だけは別の期待の方が大きかった。
タキオンさんなら何かこの事態の解決策を知っているんじゃないか?
そうでなくとも、博識なタキオンさんならみんなこうなった理由を知っているのではないか? - 9122/02/19(土) 02:27:43
待ちわびたトレーニングの時間になり、アタシはそこら中でキスをする他のウマ娘をなるべく見ないようにしながらタキオンさんを待った。
しばらくするとジャージ姿のタキオンさんがこちらに向かってきた。
「今日はよろしく頼むよ、スカーレット君。」
そう言ってタキオンさんは右手をこちらに差し出してきた。
アタシは握手をするのかと思って(いま思えば間抜けな動作だった)右手を差し出そうとした。
スッとタキオンさんの手がアタシの後頭部に触れたのが分かった。
顔がタキオンさんに近づく。唇のあたりに吐息がかかる。
タキオンさんが何をしようとしているのか分かった。
今日、幾度となく見てきた、キスだ。 - 10122/02/19(土) 02:28:03
「――やめてください!!」
唇と唇が触れ合う直前、アタシはタキオンさんを思い切り突き飛ばしてしまった。言い訳だけど、咄嗟のことだったので力の加減ができなかったのだ。
尻もちをついたタキオンさんは、唖然としながらこちらを見ている。
タキオンさんまでおかしくなってしまったの?なんで?どうして?おかしいのはアタシの方?
そんな思考は、周りのざわざわとした声にかき消された。
スカーレットちゃんがタキオンさんを突き飛ばしたんだって。
タキオンさんが怪しい薬でも飲ませようとしたの?
いや、”挨拶”しようとしたらいきなり、だって。
そんな声が聞こえてくる。 - 11122/02/19(土) 02:28:25
いつの間にかすぐそばまで来ていたトレーナーが言う。
「スカーレット……、今日は様子が変だぞ?何かあったのか?」
こちらを攻めるような口調ではない。むしろ心配するような感じだった。それがアタシにはたまらなく怖く感じられた。
「ごめんなさい、タキオンさん。お怪我はないですか?今日は体調が悪いので、失礼します。本当にごめんなさい。」
アタシは泣きそうになるのをどうにか堪えながら、トレーニング場から走り去った。 - 12122/02/19(土) 02:29:16
すまないけど書き溜めはここまでです。
- 13122/02/19(土) 02:52:01
描写が分かりにかったらごめんなさい
はじめてなんですSS投稿するの - 14二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 02:53:11
続き気になるから頑張ってね
- 15122/02/19(土) 03:30:05
ありがとう……続き書けたらあげます
- 16122/02/19(土) 04:11:40
部屋に戻ったアタシは、ベッドの上布団にくるまりながらでぼろぼろと泣いていた。
みんながおかしくなってしまったこと、尊敬するタキオンさんを突き飛ばしてしまったこと、トレーニングを抜けて明るいうちから横になっていること……。
色々なことに腹が立って、それ以上に悲しくて、気持ちの整理がつかなくて、ごちゃまぜになった感情が涙という形で出力されていた。 - 17122/02/19(土) 04:12:45
泣き疲れて、いつの間にか眠っていたらしい。
部屋の明かりがついて目が覚める。
「スカーレット、部屋に戻ってたのか。」
トレーニングを終えて帰ってきたらしきウオッカが声をかけてくる。
今は顔を見たくない。アタシは寝返りをうって壁の方に身体を向けた。
しばらくの間、沈黙が流れた。 - 18122/02/19(土) 04:13:44
沈黙を破ったのはウオッカの方だった。
「他の奴から、今日は様子がおかしかったって聞いたぜ。本当に具合悪いのか?大丈夫か?」
アタシを慈しむような、優しい口調だった。
コイツはいつもそうだ。普段は喧嘩ばかりしているけど、アタシが弱っているときは優しい言葉をかけてくれる。だからアタシはウオッカのことが嫌いじゃなかった。
いや――正直に言おう。好きだったのだ。 - 19二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 04:13:56
期待
- 20122/02/19(土) 04:16:13
「なあ、さっきから返事しないけど、起きてんだろ?」
アタシは相変わらず壁に身体を向けているけど、こちらに近寄ってくるのが足音で分かる。
ギシ、と音がした。ウオッカがアタシのベッドに座る音だ。
「何があったのか分からねぇけどよ、一人で抱え込まないで相談しろよな。」
このときアタシは朝にウオッカがしたことを忘れていた。
ウオッカになら――唯一無二の親友になら、アタシがいま思っていることを打ち明けたら分かってもらえるかもしれない。
そう思いながら、身体をウオッカの方に向けた。 - 21122/02/19(土) 04:17:10
ウオッカの顔がすぐそばにあった。
間違いなく、”挨拶”をアタシにしようとしていた。
ウオッカと目と目が合う。 - 22122/02/19(土) 04:17:55
”これがウオッカ?”
刹那の瞬間、そんな考えがアタシの脳裏をかすめた。
”このウオッカは、アタシが好きだったウオッカとは違う。”
”硬派を気取って、飲めもしないブラックのコーヒーを頼んだり、よく分からないバイクの雑誌とかヴィンテージの革ジャンを買い集めたりするウオッカなの?” - 23122/02/19(土) 04:18:21
「やめて……。」
アタシはウオッカの肩をつかんでやっとそれだけ絞り出した。
どうしようもない孤独。この宇宙で一人ぼっちになったかのような孤独をアタシは感じた。
このときのウオッカの悲しそうな顔を、アタシは忘れようとしても忘れることができない。 - 24二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 04:24:06
ああ良いね、とても素晴らしい。ありがとう。
- 25122/02/19(土) 05:17:44
次の日、アタシははじめて学校をズル休みした。
どうしても登校する気力が沸かなかったのだ。
尊敬する先輩が、アタシの友だちが、可愛い後輩たちがあっちこっちでキスをしている。そんな光景を2日続けて見る気にはどうしてもならなかった。
ウオッカがアタシの見ていないところで、アタシの知らないウマ娘とキスをしている?昨日の朝、アタシにしたようなキスを?
考えただけで目の奥がチカチカして、胸が締め付けられて、指先が冷たくなった。 - 26122/02/19(土) 05:18:33
太陽が傾くころ、コンコンとドアを叩く音がした。
「アグネスタキオンだ。入ってもよろしいかな?」
アタシは昨日のことを思って返事ができないでいたけど、タキオンさんは沈黙を肯定と受け取ったようだ。
ガチャリ、とドアが開く音がする。
「これはこれはスカーレット君……。具合は大丈夫かな?滋養強壮にいい薬を持ってきたと普段の私なら言うところだけど……今の君に必要なのは薬ではないようだね。」
タキオンさんはそう言いながら、ちょっと離れた位置に腰掛けた。
「昨日のことは気にしないでくれたまえよ?私はなんともないからね。」
タキオンさんは滔々と喋る。”とある君の親友のウマ娘”に相談されて部屋を訪れたこと、昨日のトレーニング場での一件はタキオンさんが変な薬を飲ませようとしたことに対する、咄嗟の反応だったとしてカタがついたこと、またいつでも併走トレーニングを申し込んでほしいこと……。
タキオンさんは、いつものタキオンさんだった。 - 27122/02/19(土) 05:18:50
頼りになる、アタシの知っている、優しいタキオンさんだった。
相槌をうちながら、また涙がこぼれた。
昨日とは違う、温かい涙だった。 - 28122/02/19(土) 05:19:12
それから、アタシは”挨拶”を徐々に受け入れることにした。
元からそうで、アタシだけがおかしくなったのか、それとも世界がおかしくなったのかは分からない。
分からないし、アタシにはあまり関係のないことだった。
変化が起きた最初の朝から半年が過ぎる頃には、アタシは”挨拶”が一番上手だと学園中で評判になった。レースとも勉強とも関係ないことだけど、何でも”一番”というのは気分がいい。 - 29122/02/19(土) 05:19:30
ウオッカとも依然より素直に話せるようになった。顔を合わせるたびにキス――もとい”挨拶”をしているのだから、当たり前といえば当たり前かもしれない。部屋で二人きりのときは肩を寄せ合って映画を見たり、手をつなぎながら一緒の布団で寝たりした。
幸せな時間だった。 - 30122/02/19(土) 05:19:47
ある朝。
目覚まし時計の音で目が覚めると、すぐ隣でウオッカはまだ寝ていた。
大きなレースがあったから、疲れているのかもしれない――。
アタシはそう思って、起こさないように静かにジャージに着替えて、朝のランニングに向かった。 - 31122/02/19(土) 05:20:33
メニューを終えて部屋に戻っても、ウオッカはまだ寝ていた。
このまま放っておいたら遅刻してしまう。
ウオッカの肩を揺さぶって起こしてみる。
「そろそろ起きたら?遅刻するわよ。」
ちょっと前のアタシなら、もっとキツい言葉をかけていたのかな?そんなことを思いながら声をかける。
もぞもぞとウオッカが起きる。
「その様子じゃまだ時間がかかりそうね。アタシは先に行ってるわ。」
アタシはおはようの”挨拶”をして、踵を返してドアへと向かう。
――今朝のウオッカは寝起きにしてもノリが悪かったわね。顔が赤かった気がするから、もしかしたら熱発したのかも。学校に着いたら連絡してみよう。
――今日も優等生として、たくさんの人に”挨拶”しなきゃ。
そんなことを頭に浮かべながら、アタシは部屋を出た。
眩しいくらいに朝日が輝いていた。 - 32122/02/19(土) 05:21:29
おわりです。お目汚し失礼しました。
忌憚のないご感想をいただければ幸いです。 - 33122/02/19(土) 05:40:14
スカーレット→アグネスタキオンの三人称は「タキオンさん」ではなくて「タキオン先輩」だったかもしれない……。
間違えてたらごめんなさい。 - 34二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 05:50:36
- 35二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 06:04:21
あぁ正常な世界でキス魔スカーレットが誕生してしまう…良かった…
- 36二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 06:13:34
良かったのかな?
良かったのかも
デジたんはどう思う? - 37二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 06:14:04
し、死んでる…
- 38二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 06:17:30
とてもよい(小並感
- 39二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 08:51:36
これはダスカが元の世界に戻ったのかウオッカが来たのかどっちなんだろうか
- 40二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 08:55:31
若干ホラーみがある…面白かった
- 41122/02/19(土) 09:29:50
スカーレットが元の世界に戻ったのを想定してたけど、相対的にキス魔だらけの環境で腰砕けになるウオッカも見たいのでどちらでもアリです。
- 42二次元好きの匿名さん22/02/19(土) 11:00:25
こ、これはウオッカがスカーレットとの仲を進展させてしまう!
- 43122/02/19(土) 13:22:53
元ネタは藤子・F・不二雄のSF短編「気楽に殺ろうよ」です
常識改変っていいよね…… - 44122/02/19(土) 19:23:55
近いうちに「食欲が隠すもので性欲がオープンな世界に迷い混んだスペシャルウィーク」で書こうかな
↑の作品の設定まんまだけど - 45二次元好きの匿名さん22/02/20(日) 04:23:40
乙
非常に面白かった。こういう想像力を引き立たせる文、とても好きよ。 - 46122/02/20(日) 05:44:15
大感謝です