歴史人物の『実は後世の創作』と聞いてビックリした逸話などを教えてほしい

  • 1二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:04:58

    できればどの作品かも添えて
    スレ画の伊達政宗の黒い眼帯は1942年の映画『獨眼竜政宗』が初出らしいよ

  • 2二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:10:13

    政宗といえば独眼竜っていう呼称も江戸時代後期くらいから言われはじめたらしいね

  • 3二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:12:29

    異名だと斎藤道三の蝮は坂口安吾の小説が初出らしいね

  • 4二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:13:37

    尊氏が躁鬱なのも後世の創作らしいね

  • 5二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:14:07

    色んなマンガでネタにされてる家康の脱糞は山岡荘八の創作だっけ?

  • 6二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:14:59

    有名どころなら新撰組の青い羽織からな?実際に使ってたけど人気なくてほぼ使われてない

  • 7二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:23:23

    >>6

    実際に存在したなら創作じゃなくね

  • 8二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:24:40

    新選組だと土方は本当は人を斬った事無いんだっけか
    というか鬼の副長のイメージが創作だとか

  • 9二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:25:20

    義経の漕ぎ手射殺
    偉い歴史の大学教授の与太話が元ネタの可能性があるらしい

  • 10二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:26:18

    スーパー軍師孔明もかな、実際に軍を指揮する様になるのは劉備の死後からだっけ?

  • 11二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:27:14

    >>9

    そもそも不安定な船の上で漕ぎ手だけを狙えって当てれるわけないし漕ぎ手だけを狙って外せるわけない

  • 12二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:28:55

    >>8

    鬼の副長の呼称は司馬遼太郎の燃えよ剣からだと思う


    人を斬ったことが無いはどうなんだろ?芹沢鴨暗殺とかに参加してたはずだから創作とは言い切れないんじゃ?

  • 13二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:30:36

    >>8

    前線出てた軍人が人を斬ってないってどうやったら断定できるんだよ

  • 14二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:32:04

    >>9

    太平記で矢の撃ち合いをしていたが平家方の矢が尽きて一方的になり(鎧を着ていない)水夫達からばたばたと倒れていった、という描写から作られた逸話で結構古くからあるもので大学教授の与太話じゃないぞ

  • 15二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:34:14

    龍虎相博の感覚で付けられた謙信と信玄の異名
    龍虎ときたら獅子じゃねってなり北条氏康は相模の獅子になった

    使ってた朱印は信玄が龍、謙信が獅子、氏康が虎なの笑う

  • 16二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:38:16

    >>8

    知人や隊士の残した記録における土方の印象は「気さくで愉快な人だった」「優しくてお母さんみたいだった」

  • 17二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:38:33

    軍記物由来のやつも含めていいのかな?
    当然のように面白おかしくエピソード盛られてたり作者の主観マシマシだったりするから史実エピソードのように語られるとだいぶ怪しいよね

  • 18二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:41:30

    関ヶ原の小早川に向けた問鉄砲とかは軍記物由来らしいね
    ただ関ヶ原から50年くらいしか経ってない頃のもので案外早い

  • 19二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:48:05

    エリオット・ネスとその部下はギャング相手に銃撃戦とかやってたと思ってた

  • 20二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:48:59

    >>12

    新選組時代に人を斬った記録がない

    ただし新撰組の出動記録はほとんど残っていない

    記録外の出動で人を斬っていた可能性はある

    戊辰戦争以降の土方は前線で白兵戦をするような立場ではない

    ただし似たような立場の大鳥圭介が自ら銃砲をぶっ放して戦った例もある

    記録されていないが実は自ら人を斬っていた可能性もなくはない

  • 21二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 21:52:06

    大塩平八郎が起こした乱の標的にされてた跡部良弼は困窮する大坂を顧みず江戸に廻米して私腹を肥やしたとか言われてるけど実際は大坂の米不足に対して打てる手をしっかり打っていた

  • 22二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 22:49:22

    織田信長の若い頃の逸話は全部信憑性薄いって聞いた
    抹香ぶん投げなんか実際にやってたら大事件だし

  • 23二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 22:51:09

    お江「忠長は天才!家光はアホ!次期将軍は忠長!」

  • 24二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 23:10:08

    >>21

    跡部は政治生命がめちゃくちゃ長くてビビる

    江戸開城直前まで幕閣中枢に居座ってる

    控えめに言って化け物

  • 25二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 23:25:23

    >>1

    佐竹氏の記録によれば白い布を巻いてたらしいね



    足利義昭が京都を出ていったとき、べつに室町幕府は滅亡してない事

  • 26二次元好きの匿名さん24/09/14(土) 23:41:09

    大友宗麟が割とバカ殿ではなかった件

    てか従来の神道を信仰してる重臣の意見を聞かずに寺社仏閣をぶち壊しまくったのは息子・義統って説が強いみたい

  • 27二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 00:02:13

    黒田官兵衛「その時、おまえ(長政)の左手は何をしていたのか」

    ↑明治時代の福本日南の「黒田如水」初出

    官兵衛の有岡城幽閉時に狭い土牢から見えた藤の花によって勇気づけられ、生きる望みをつないだという藤を家紋にした。

    ↑大正時代の金子堅太郎「黒田如水伝」初出

  • 28二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 00:03:25

    >>26

    九州の三分の二を併呑とか普通に強豪

  • 29二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 00:09:47

    >>5

    家康の脱糞は三河後風土記の創作

    憎まれ役の家臣に脱糞を揶揄わせ

    周りがそれほど恐ろしい戦場からそれでも生きて帰ってきた

    それこそ主君の果たすべき役目と言って諌めるという

    神君家康公の威光を高めるためのお話

  • 30二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 00:12:35

    >>27

    偉人中の偉人でもこんな変なことをするんだな

  • 31二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 00:29:01

    >>26

    キリスト教に入信したのも耳川の戦い直前くらいらしいし

    入信したと言っても旧来の信仰も捨てなかった

    細川ガラシャなんかも別にキリスト信仰一本槍だった訳じゃないとか

  • 32二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 02:41:24

    前線で逃亡兵を切ってた的な記録なかった?

    ちなみに一人でも逃亡兵がいると前線崩壊するから当時の指揮官は当たり前にやってた行い

    >>8

  • 33二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 04:39:24

    >>26

    毛利元就と張り合えてたんだから無能ではないよな

  • 34二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 04:48:36

    真田幸村という名前も実際に名乗っていた形跡はなくて江戸時代の創作由来の可能性が高いらしいね

  • 35二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 04:59:01

    >>34

    気になって調べたら寛文年間(1661〜1673)に作成された軍記物『難波戦記』が初出?らしい


    名前を変えたのは流石に徳川に刃向かった武将の名前をそのまま使うのは憚られたのでは?って言われてるみたいだね

  • 36二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 06:26:54

    マリーアントワネット「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」
    チャーチル「二十歳までに共産主義にかぶれない奴は情熱が足りない。二十歳になっても共産主義にかぶれている奴は脳みそが足りない」

    言ってそうなイメージがあるけど言ってない台詞

  • 37二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 06:45:00

    >>27

    その辺はいかにも創作って感じがするな

    上なんかそんな危険な話を誰が聞いて記録に残してたんだよって話だし

  • 38二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 06:51:57

    政宗の場合は父親撃ちと味方撃ちが強すぎるから創作も史実もなあ

  • 39二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 07:09:16

    >>31

    初期の頃は信仰割が合ったはずだしな

  • 40二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 07:50:05

    >>37

    元々は義弟の黒田一成の書いた「黒田長政記」の関ヶ原後長政の「内府殿はそれがしの右手を取って感謝してくれましたよ」という逸話から後世如水の反応がないから勝手にボケさせられたみたいな感じかもしれん

  • 41二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 17:06:17

    ガリレオの言葉「それでも地球は動く」は1757年の『ザ・イタリアン・ライブラリ』が初出らしい

  • 42二次元好きの匿名さん24/09/15(日) 18:44:39

    >>1

    真田丸で史料に則って眼帯無しにする案があったけど「誰だかわからない」という理由で布を巻くことになったって話めちゃくちゃ好き

    分かり易いもんな……w

  • 43二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 00:12:02

    >>27

    その福本日南の1911年『英雄論』で大谷吉継と豊臣秀吉の茶会エピソードがあるんだよね(今は大谷吉継と石田三成の話として広まっている)

  • 44二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 00:22:51

    >>43

    大谷吉継が飲んだ茶に顔から膿が落ちたのを、秀吉なり石田三成なりが構わずその茶碗を受けて飲んだという有名な逸話、これは本当に出典不明の謎の逸話なんだけど黒田長政の家臣菅正利の逸話としてほぼ同内容のもの(如水と長政が菅正利の顔から膿が落ちた茶を構わず飲んだ)があり、またその逸話が収録された菅氏家譜が明和七年(1770)の成立であることと日南自体が元々黒田藩士なんでこの逸話知ってて秀吉と大谷のエピソードにした可能性が高いという

  • 45二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 00:24:12

    釣り野伏せにしろ捨てがまりにしろ、島津の戦術って大抵は後世の創作
    釣り野伏せは当時から作戦としていた可能性がある、て程度。捨てがまりは完全に創作。示現流も成立は江戸以降

  • 46二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 08:40:05

    >>44

    大谷吉継ですらない可能性が高いのか…

  • 47二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 08:43:08

    >>40

    長政「右手を取って感謝されました」

    如水【????】

    なんかそういうboketeありそう

  • 48二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 08:57:30

    >>6

    もしかしたらそもそも青じゃなかったかも、ってのをどっかでみた

    (資料に「アサギイロ」の「ギイロ」が「黄色」と書かれていたから黄色だった可能性もある)

  • 49二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 10:41:44

    >>47

    長政主役の小説だと

    長政「右手ry」

    如水「左手ry」


    長政「〇〇○」


    の定番大喜利になってるイメージある

    「父上の夢にトドメを刺してました」とか「父上をお守りしていたのです」とか

  • 50二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 10:57:42

    「それでも地球は回っている」は後世の創作
    なんなら、科学と宗教の対立もかなり眉唾な部分が多い

  • 51二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 21:56:55

    ラインハルト・ハイドリヒが二重スパイのニコライ・スコブリンと協力、トゥハチェフスキーの文書を捏造してソ連に流しスターリンに大粛清を起こさせた
    スターリン批判の頃に作られた話らしい

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