[ss]ツムギのトリニティ見聞録

  • 1124/09/16(月) 20:28:57
  • 2124/09/16(月) 20:29:19

    ──ヒロイン達は、常に何かを待っている。

    「数奇な運命ですね。一所に留まらない私が、こうしてまた、彼女に会いにやって来る。フィナーレを見届けるのは、私の役目ではないというのに」

    時刻は現在午前6時。開催は8時からであるようだが、そんなことは些事だ。トリニティの警備体制は、胸躍る再開の前に無力というだけである。
    『謝肉祭』。話には聞いていたが、キヴォトス三大校の一つだけあって、流石というか、スケールが違う。壁のデコレーションは、花壇が地面を間違えたようだし、浮かんでいる風船達は、テーマパークですら見たことのない数で埋め尽くしている。
    この広大な敷地を一杯に使って、それでもなお足りないとばかりに活気づくヒロイン達からは、高揚の香りが漂う。レシーバー片手に疾走している彼女も、ステージに寝転んで、橙に染まっていく様を見上げる彼女も、どこか祭りの雰囲気に踊り狂っている。盆踊りだけが祭りの踊りではない。不安や葛藤、期待や焦燥を纏いながら、ヒロイン達はその時を待っている。
    草木の陰から見渡す私は、えもいえぬ
    ──『フィードバックエモーション』
    ……に、五線譜を書き殴られていた。

  • 3124/09/16(月) 20:29:54

    「……折角ですし、見てまわりましょう。前日譚だって立派な物語です。革命前夜のヒロイン達は、王子様の夢を見るんでしょうか」

    ヒロイン達にとって、今日は数少ない自己表現の舞台。未来への期待、過去への憧憬、今の鬱屈した気持ち。その全てが許される日。
    私は立ち上がって呟く。校舎の窓にちらちらと反射する朝焼け色は、今の気分にぴったりだった。

    ──そう、私は立ち上がった。
    目の前に誰がいるかも知らず。

    「あ!お客さんですね!私が案内しま……」
    「……お客さ……」
    「……まだお客さんは入っちゃダメですよ!!!」

    目の前には、青い髪に星屑を振りかけたヒロインが、心底驚いた表情で叫んでいる……ううん、まだ立ち上がらない方が良かったかもしれませんね。

  • 4124/09/16(月) 20:30:26

    「さ、さては!この祭りに乗じて生徒を襲おうと……!」

    さて、どうしたものでしょう。面倒ごとは避けたいですが。

    「……いえ、私はここの生徒ですよ。制服こそ着ていませんが。今日は……そう、コスプレみたいなものです」
    「で、でも……今草むらから……」
    「困りましたね。ええと、栗村アイリという方を知っていますか?放課後スイーツ部という部活に所属していて、本日バンドをするらしいのですが……」
    「あ!知ってます!」
    「それはよかった。彼女に会わせてくれれば、嫌疑は晴れる筈です。実は彼女に曲を提供していましてね」

    いかにも関係者然としながら、私は髪についた木の葉を払う。純朴そうなヒロインは、すっかり警戒の色を解き、代わりに何かに怯えているようだった。

  • 5124/09/16(月) 20:30:47

    「そ、その……ご、ごめんなさい。不審者なんて決めつけてしまい……」
    「いえいえ、むしろ警備の万全さに安心しました。私は眠れる森の姫、椎名ツムギです。もっとも、ここは草むらで、そこから私は出てきた訳ですから……ええ、眠れる森の姫ですね。よろしければ、そちらのお名前を伺っても?」
    「あ……えと、宇沢レイサっていいます」

    ヒロインは遠慮がちに答える。最初の大声とは打って変わって、まるで虎を前にした狐のようだ。

    「ふむ、可憐な良いお名前です」
    「そこで、レイサさん。あなたに頼みがあるのですが……」

  • 6124/09/16(月) 20:31:11

    「病弱であまり学校には来れなかったんですね……」
    「ええ。ですので今年の出し物がよくわからず、こうして案内してもらっている訳です。業務もあるでしょうに、申し訳ありません」
    「全然!大丈夫です!困っている人を助けるのが、自警団の仕事なので!」

    明朗快活な返事を聞いて、私はふっと安心する。ヒロイン達に涙は似合わない。
    ──『ハッピーエンド』
    ……が、私は好きなのだ。

    そんなヒロインを騙す魔女がここにはいるらしいが、その物語はまた今度語るとしよう。私が私にそういう役回りを与えたからには、幕引きまで演じきるのが良い演者というものだ。

  • 7124/09/16(月) 20:31:34

    「それにしても、十人十色、屋台の内容も様々ですね。あそこの屋台はなんですか?」
    「学園文化部のイワシパイ屋さんですね!」
    「イワシパイ……ですか」
    「最近はあんまり人気のない料理ですけど、あそこの部活は毎年完売ですから!すごいですよねー!」

    見れば、イワシパイの歴史など、事細かに説明されたポスターを貼り出しているところ。最後の一文には、『原初の味を残しながら、モダナイズされていくイワシパイをご賞味あれ!』と、少々荒めに書かれていた。歴史を背負って次に進む、彼女達の想いが分かる気がした。

  • 8124/09/16(月) 20:32:04

    「おやあれは……」
    「あれは……ええと、あ、補習授業部ですね!出し物は……」
    「もしもし、失礼します」
    「え!?ちょ、ちょっとツムギさん!」
    「あ、はい……なんでしょうか」

    裏の方から出てきたのは、幼い顔立ちの、いかにも普通そうな少女。どこかで……ブラックマーケットかどこかで見たことあるような気がする少女。
    そんなヒロインに、私はのぼりに描かれた絵の訳を聞いた。

    「これは……ペロロジラではないですか?」
    「……!知ってるんですか!?」
    「ええ勿論ですとも。モモフレンズは私も大好きで。つい声をかけてしまいました。ここの『モモフレンズ倶楽部』、並んでいるのは自作グッズですね?よくできています」
    「わぁ……!ありがとうございます!実は、こういう場を通して他のファンの方と交流できないかなぁと思っていたんです!」
    「……あれ?すごいスピードで仲良くなってます……?」

  • 9124/09/16(月) 20:32:28

    ヒロインは満面の笑みを浮かべて、後ろにいた友達を呼んできた。どうやら白い髪の二人を筆頭に、他二人も今では少し可愛いかもくらいには思っているらしい。特に何故か水着で柔らかい笑みを浮かべる彼女は、『新しい趣味を見つけられるかもしれない』と、どこか物憂げで、それ以上に嬉しそうだった。

    「この調子だとお客さんもちゃんと来そうだ。ヒフミの案にして正解だったな」
    「私の秘蔵コレクションも並べたかったのですが……残念です」
    「ダメに決まってるでしょ!」
    「あら、別になんのコレクションとも言っていないですよ?コハルちゃんはどんなコレクションだと思ったんです?」

    ヒロイン達は騒々しく声をあげる。それは戦争映画のエピローグに似ていて、一度完結した物語のようだった。第二幕があるのなら、その時は私達も、関係することがあるかもしれない。
    そんな期待も妄想でしかなく、一通り語り合った後、彼女から渡された自作ペロロ人形を持って、私は次のヒロインを探しにゆく。
    祭りの始まりが、楽しみになってきた。

  • 10124/09/16(月) 20:33:05

    「しょ、初対面だったんですよね、あの人達と……」
    「ええ。行先で味わう邂逅もまた、
    ──『エモーション』
    ……ですからね」
    「す、すごいです。私はそういうのが上手くできないので……」

    そう言ってヒロインは俯いてしまう。
    ──ああ、だから、何度も言うように、
    あなたに涙は似合わないのですよ。

    「……一期一会という言葉がありますね。巡り合いというのは美しく、かつ残酷なもので、二度と同じ出会いはなく、似たような出会いすら、必ずあるとは限りません」
    「だから、あなたにも感じてほしいのです」

    「──『エモーション』

    「……というものを」
    「私はあなたに、感じているのですから」

    ぱあっと、弾けるような表情。
    わかりにくいと言われる、私の気持ち。
    伝わったようで、私は嬉しい。

    「はい……はい!わかります!『えもーしょん』!」

    ああ、頭の中に響く、この高音が気持ちいい。
    五線譜は繰り返し記号ばかりで、終止線に至る気がなさそうだった。

  • 11124/09/16(月) 20:33:43

    「ああ、そういえば、私の知り合いはいるんでしょうか」
    「知り合いですか?」
    「学園の外で知り合った方がいるんです。確かトリニティ総合学園と……あぁ、『同じ学校』と言っていた筈……」

    そう、確かふわふわの耳が生えていて、身長は低め。刺激的な服を着て、肩にいつも鳥が……

    「あ、見つけました。ちょっと行ってみましょう」
    「え?どなたですか?」
    「ほら、あの人です。きつね耳の彼女」

    私はそう言って指を指す。先を見たヒロインは、あの甲高い声をあげて、押さえつける勢いで私のことを引き留めた。

    「あ、あ、あそこはティーパーティーの出し物ですよ!?人違いじゃないんですか!?」
    「む、心外ですね。言ったでしょう?人の出会いは一期一会なのですから、私が見間違える訳ありません」
    「しかもあなたが言ってるの百合園セイアさんじゃないですかー!?あの人のプライベートは一切謎に包まれているんですよ!」
    「行きましょうレイサさん。運命的な再開です」
    「うわーん!この人思ったより力が強いですー!」

    そんな風に店前で騒いでいると、ようやく彼女もこっちを向いた。すごく驚いていたから、ひらひらと手を振ってみた。

    「お久しぶりですセイアさん」

    すると彼女は私の耳のそばに来て、

    「お久しぶりじゃない!まだ開催時間前だぞ!なんで君がここにいる!?」

    なんて言うのだけど、私はそんなことより、肌を撫でる耳の感触にうっとり。

    「聞いてるのか!?」
    「いやぁ、実はですね……」

  • 12124/09/16(月) 20:34:34

    彼女にかくかくしかじか説明しているうちに、なんだなんだと、奥の方からまた違うヒロイン達が出てきた。一人はお姫様で、一人はお嬢様。レイサさんは五歩くらい後ろの方で、心配そうに私をみている。

    「あー!トリニティの制服じゃないじゃん!」
    「この方は誰なのですか?セイアさん」
    「……腐れ縁だよ」
    「申し遅れました、私、椎名ツムギという者です。姫でも魔王でもスパイでも、はたまたモブでもライバルでも敵役でも、好きなようにお呼び下さい」
    「なんか言ってることわっかんないや☆」
    「椎名ツムギ……そんな生徒いましたかね……」
    「……無理もない。彼女も同じように病弱でね。顔を見たことのある生徒の方が少ないだろう」

    彼女はなんだか不機嫌そうな顔で、ティーパーティーホストと呼ばれる二人に弁解する。
    ……えぇ、はい。そんな顔をしなくても、感謝していますとも。

    「セイアさんは私の、
    ──『パトロン』
    ……なのです。嬉しいことに、私の作る曲が好きなんだそうで」
    「えー!ほんとー!?セイアちゃん私達以外に交流あったんだー☆」
    「ミカ、君はもう少しオブラートに包むということを覚えないか?」

    お姫様は、明け透けな口調で笑う。
    ……隠しているつもりかもしれないが、笑みの底、心のずっと奥の方には、寂しさが見える。目を凝らす必要すらない。なんてったって透けているのだから。
    問題はそれに、他の二人が全く気づいていないこと。プリンスなら気づいてしかるべきである、些細なゆらぎ。彼女達は見逃している。

    「……鈍感なヒロイン」
    「何か言ったかい?ツムギ」
    「いえ、何も」

  • 13124/09/16(月) 20:35:00

    「それよりセイアさん、こちらでは何を取り扱っているのでしょう。セイアさんは勘がいいですから、占いなどかと思ったのですが」

    見たところ、それらしい物もない。まぁ、水晶玉とかベールとか、きっと彼女にはいらないのだろうが。なにせ彼女の勘の良さは、偶然や嘘っぱちではないのだから。

    「あぁ、ここは所謂休憩所だよ。まだ春とはいえ、昼時にはそこそこ暑くなるからね。日陰とドリンクの提供をしてるのさ」
    「私達、組織の名前が『ティーパーティー』ですので……もうそれでいいじゃないかとミカさんが……」
    「ナギちゃんそれずるくなーい?一番ノリノリだったじゃん。ドリンクも紅茶で何種類あるのさー」
    「そ、それは……その……」

    お姫様が桜餅のような頬を膨らませたかと思えば、お嬢様は白い陶器を色付ける。小さい春は、こんなところにも見つかるものだ。

  • 14124/09/16(月) 20:35:38

    「折角だ。何か飲んでいくかい?」
    「そうですね、頂きましょう。お勧めはありますか?」
    「バーボンだね」
    「なるほど、ではそれを一つ」
    「……冗談さ。生憎お勧めできるほどの知識がなくてね。こっちの彼女にでも聞いてくれ」

    彼女はそう言って、隣のお嬢様を指指す。指名を受けた彼女は、なんでか口をぽかんと開けて、

    「セイアさん……冗談なんて言うんですね……」

    心底驚いた顔だった。

    「──君達は私のことをなんだと思ってるんだい?」

    目を向けてみれば、今度はお姫様が笑い転げている。憂い寂しさなんかを通り越して、なんだかとってもハッピーなご様子。

    「はぁ……あの馬鹿は放っておいてくれ。とにかく、メニューを考えたのは彼女だから、そっちに聞いた方がいい。私はメニュー表を持ってくるよ」

    彼女は立ち上がって、転がり続けているお姫様に一発蹴りを入れて、奥の方に消えていった。

  • 15124/09/16(月) 20:36:19

    「騒がしくてすみません……」
    「構いませんよ。セイアさん、あなた方との関係を随分と悩んでいたみたいですが……過ぎた心配だったようですね」
    「……えぇ、そうですね。最近は派閥同士の軋轢も緩和され、私達もこうして、一緒に店舗を構えるくらいには行動を共にできますから」

    満足そうに微笑む彼女の顔は、まさしくお嬢様。朝焼けの逆光からか、顔の半分は影に染まっていて、数多あった筈の苦労を、容易に私に想起させた。

    「私が今飲んでいる紅茶も、少し前までは二人共、銘柄さえ知らなかったのですよ」
    「それが今では、私が紅茶を飲みたいと言えば、なんだかんだと罵りながら、迷わずこの銘柄を選んできてくれる」

    そう言って彼女は、コップの縁をさする。柔らかな手つきは、シルクの布を撫でているかのよう。

    レディやプリンセスの、境遇による断絶。実に様々な物語を産んできた、王道のパターンだ。
    では、何故王道は王道足り得るのかと言えば、万人にとって共感できるからに他ならない。冒険譚なら興奮を、ロマンスなら情愛を、喜劇ならば笑みを。
    ……悲劇ならば涙を。
    古今東西誰からでも誘うことができる。それが王道というものだ。
    それは物語の世界で、自分でない誰かであっても、である。

    「……すいません、少し話し過ぎましたね。お勧めのドリンクですが……」
    「いえ、申し訳ありませんが、もうその必要はなくなったみたいです」

    私は、彼女のコップのすぐそばに手を置いて、こう告げた。

  • 16124/09/16(月) 20:37:16

    「──あなたが手に抱えている、空のカップ。そこにあった銘柄はありますか?」
    「私も、あなた方の物語を体験してみたいのです。それがたとえ、1ページに満たないとしても」

    彼女はその柔らかな微笑を崩さぬまま、目をゆっくりとつむる。空間を、少しだけ、スモーキーな香りが支配する。
    かのお嬢様は、透き通るような声でつぶやいた。

    「ええ、お勧めですよ。間違いなく」

  • 17124/09/16(月) 20:37:44

    青い柄の入ったティーポットを傾ける、彼女の姿。その洗練された仕草に思わずため息が漏れそうになったその時。
    後ろの桜餅二つが、先程よりも色づいているのに気がついた。

    「ナギちゃんナギちゃん☆中々照れること言ってくれるじゃんね☆」
    「ミカさん!?いつの間に!?」
    「おーいセイアちゃーん!ナギちゃんがねー!」
    「ま、待ちなさいミカさん!は、恥ずかしいです!」

    お姫様に、すっかり翳りは消え去っていた。 それと引き換え、色は耳まで侵食し、禁断の果実もかくやという濃淡に到達した。お嬢様は、それにも気づかない。

    ……私としたことが、すっかり忘れていました。
    鈍感な王子様というのもまた、
    ──『クラシック』
    ……でしたね。

  • 18124/09/16(月) 20:38:21

    「……エンディングを邪魔するようで悪いのですが、あの青髪のヒロインにも紅茶を貰えますか?彼女にも味わってほしいので」
    「えぇ!?ええと……わかりました。し、少々お待ちください……」

    焦りながらも、彼女の所作は乱れることがない。立派なことだが、そんなことをしているうちに、もうお姫様の目的は達成されたようだ。

    「で、では私はこれで!」

    急いで裏の方に引っ込んでいくが、もう遅い。大きく、小さく笑う二つの声と、取り繕うような声が、奥から漏れてくる。
    私はそんな演奏に、思わず笑みが溢れてしまう。

    お嬢様も、お姫様も、もふもふ……賢者も今は関係がなく、

    ヒロイン達は、全く普通の『青春』を楽しんでいた。

  • 19124/09/16(月) 20:38:52

    「レイサさん、お待たせしました。物語は一気に読むのも良いですが、こうやって紅茶を嗜みながらというのも、中々乙なものですよ」
    「い、いいんでしょうか……私まで……」
    「二人分の紅茶代くらいは私が……おや?」

    ふと机の上を見ると、雑に盛り付けられたロールケーキが二つ、追加で乗っている。
    側に置いてあるメッセージカードには一言、
    『さんきゅ☆』
    とだけ、書かれていた。

    「……ええ、ロールケーキもあるようですから、二人で、一つずつ食べましょうか」


    紅茶は少々苦味があったけれど、強い風味はそれを打ち消していて、ロールケーキのせいなのか、少し甘すぎるくらいだった。
    私はメッセージカードの裏に、
    『素敵な結末を、ありがとうございます』
    と書き残して、嬉しそうにロールケーキを頬張るヒロインと、次の出会いを探して、立ち上がった。

  • 20124/09/16(月) 20:39:55

    「それにしても、本当にセイアさんと友達だったんですね……!ビックリしました!」
    「驚くほどのことではないですよ。友達というのは立場やら何やらで左右されるものではありません。実際に、その苦労や軋轢に思い悩んだヒロイン達が、しがらみの一切を断ち切って『再会』する様を、あなたも見た筈です」
    「──『エモーション』」
    「……ただそれだけの為に、私達は友を求めるのではないですか?」

    とは言うものの、正直私には、ティーパーティーホストがどれほど偉いのかはわからない。だからやっぱり、彼女との友達関係は、それ以上の価値を持ち合わせない。

  • 21124/09/16(月) 20:40:28

    彼女は私を見上げながら、羨望の眼差しを向けている。『憧れは理解から一番遠い感情である』、そんなことを私は思い出している。

    「……ツムギさんは、本当にすごいです。私は、友達と付き合うにも臆病で、空回りしちゃったりするので……ツムギさんみたいには……」

    ふむ。どうやらヒロインは、私をすごいと思ってくれているらしい。私がコミュニケーション上手などと、そう思っているのだろうか。
    ……あらぬ誤解だ。

    「ええ、私はあなたと違う。私はきっと、ヒロイン達の感情の機微に、人よりも敏感なのでしょう。それは確かに、あなたよりもすごい所かもしれません」
    「そうです!ツムギさんはすごいんです!……だから!」

    興奮気味に語るヒロインを制して、私は話を続ける。
    私のコミュニケーションには、『それ』がないのだと。
    そういう話をする。

  • 22124/09/16(月) 20:41:05

    「でも私は、溢れかえるこのエモーションを、真っ直ぐに伝えることができない。心で感じた本当が、頭へ行くまでに捻じ曲がり、口から出るまでに焼き切れる。こうして出てくるのは、婉曲に歪曲を重ねた言葉だけ」
    「それならばやっぱり、私はあなたと違うのです。私はあなたのように、素直な言葉で伝えることができない」

    出てくる言葉は確かに、私の気持ちを反映している。間違いなく、私の言いたいことではあるのだけど、伝わらなければ意味がない。それはコミュニケーションではない。

    「なので私、あまり交友関係は広くありません。バンドメンバーと、先程のセイアさんくらいしか、友達と言い切れる人はいないのです」
    「だから私はあなたにこそ……」

    ──そこまで言いかけて、彼女の方を向いた時、さながら意趣返しのように、ヒロインは話に割り込んだ。
    大きな声で、あの高い声で、はっきりと。

  • 23二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 20:41:35

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  • 24124/09/16(月) 20:41:57

    「知りませんそんなの!ツムギさんはすごいです!」

    「だって、こんな私の『友達』です!!」

    その一言は、衝撃というほどではなかった。褒められただけで、友達と言われただけで堕ちるほど、私も簡単な人ではない。
    けれどそれは、私が失くした大切な部分をゆっくりと埋めていくようで、その感覚が、少しこそばゆい。

  • 25124/09/16(月) 20:42:46

    まるで主人公のように言い切ったヒロイン。我に返ったかのように、はたと目を見開いたあと、口をもごもご、慌てている。

    「ふふっ……」

    思わず笑ってしまったのは、可笑しかったのか、照れ隠しか。私にもよくわからなかった。

    「……ええ、そういえば、好きなようにお呼び下さいとは、あなたには言っていませんでしたね」
    「いくらでも憧れて下さい。それがあなたの
    ──『エモーション』
    だとしたら、それを止められる道理はありませんね」

    友情に同じ物は一つとして現れない。時にそれは羨望、安楽、嫉妬など、カタチを変えて様々な人々と存在する。
    それなら私達のこの関係も、友情といえばそうなのだろう。

    ──『ともだち』
    ……手が届かないからこそ美しいのだと思っていましたが、
    いつ聞いても、いい言葉です。

    ヒロインは、恥ずかしいのかなんなのか、私の腕にくっついたまま離れない。腕を挙げれば付いてきそうだが、肩に埋まった口角の歪みを見ていると、私も力が抜けてきたので、しばらくこのままでいることにした。

  • 26124/09/16(月) 20:43:34

    そろそろ、低血圧な太陽も元気が出てくる時間。開催時刻も迫り、会場には正体不明のざわざわが、我が物顔で闊歩している。ライブ直前の、誰が発しているのかもわからないようなあの感じ。話しかけているわけでもないのに、徐々に熱気は増していく。
    そんな、私の好きな喧騒を感じていた。

    ──後ろから、気配もないのに、話しかけてくる人がいた。

    「ちょっといいっすか〜?」

    これは不味いと、なんらかの器官が警告していた。

    「……はい、なんでしょう。私になにか?」

    振り返って、予感は確信へ変わる。
    あぁ、見たことがある。

    「……ええと、やっぱり、そうっすよね」
    「どーして『二度』も、不法侵入するんすかねー。こう短期間に」

  • 27124/09/16(月) 20:44:11

    二度。確かに彼女はそう言った。
    夜目は利かないと思っていたけれど、その細い目で、よく見ているものだ。
    隣のヒロインは困惑顔で、どういう事だか、状況をまるで理解していない。

    「……私の物語もここまでという訳ですね」
    「あれ、あっけないっすね。なんかもっとこう……バレてしまったらー、みたいな展開も考えてたんすけど」
    「いえ。もうこうなったら全て打ち明けた方が早いかと思いまして。手錠でもなんでも掛けてもらっていいので、少しお話しませんか?」
    「……何か事情がありそうっすね。手錠は掛けないんで、ちょっと端の方行くっすよ」

    「ちょちょ、ちょっと待って下さーい!!ど、どういうことですか!?不法侵入って、誰が……」
    「……あー、ジブン、もしかしてタイミング最悪でした?」

    放心していたヒロインは、意識を取り戻して開口一番、素晴らしい声量だ。
    まぁ確かに、折角仲良くなったところ、タイミングは悪いと言えば悪い。最も悪い。でも悪いと言えば、一番は私であるのに異論ある人はいないだろう。それに、いつかは話さなければいけないことだったのだ。
    嫌だとすれば、それは嫌われることじゃなくて、ヒロインの心を傷つけること。純粋で、白無垢のような彼女に、小さな穴を開けること。

    「すいませんレイサさん。一緒に来てもらえますか?」
    「あなたにも、聞いていてほしいのです」

    だからせめて、もう嘘がないように。

  • 28124/09/16(月) 20:44:43

    人手の少ない、校舎の端。そこは私がヒロインに見つかった場所を目視できるほど、なんだか馴染みのある場所だった。
    私は洗いざらい白状した。トリニティの生徒ではないことから、ヒロイン達との交流まで全て。
    私が話終えたあと、聞き上手な彼女は、満を持してこう言った。

    「え、じゃあなんすか。時間前に侵入してたのに理由はないってことすか」
    「ええ、まあ」
    「まあと言われても」

    敢えて言えば、楽しそうなヒロイン達がそうさせたと言うべきだろうか。何かに少しでも興味が向けば、私の身体は全自動で動くようになっているのだ。
    大きなため息を吐く彼女。その一連の仕草はどこか手慣れていて、苦難の相が見てとれた。

  • 29124/09/16(月) 20:45:38

    「……もう今捕まえたところで開催時間まで少しですし、見逃してあげるっすよ。もしセイアさんのお友達っていうのが本当だったら、また一悶着ありそうっすからね。もう政治絡みはゴメンっす」
    「……よ、よかったぁ〜……よかったですね!ツムギさん!」

    ヒロインはまるで、自分のことのように反応する。当事者の私が安堵のため息をするより早く、深く、まるで逆転勝訴を勝ち取ったかのような勢いで。弁護人が私の説明を補足してくれたおかげで、幾らか心象もよくなったのだろう。

    私はヒロインに笑い返す。感謝の意味も込めて、できる精一杯の笑顔で返す。自分の口角の上がり具合を感じるに、私の精一杯は世で言うところの微笑程度らしいけれど。
    ヒロインは、何故か徐々に機嫌が悪そうになっていく。ぶんぶんと私の腕を振りまわしていた手も少しずつ勢いを弱めて、最後には止まってしまった。
    一体どうしたのかと顔を見れば、ヒロインは頬をふぐのように膨らませて、こう言った。

    「私だけ喜んでるのおかしくないですかー!ツムギさん、本当はダメなんですよ、こんなことしちゃ!反省!してますかー!」

    取り敢えず、私の精一杯の笑顔は伝わっていないようだ。表情筋を鍛え直すところから始めないといけないが、なかなか今日中には難しい。
    思い返せば、ヒロインは自警団に所属していた。本来ならば、罪を咎めるべき立場にいるのだろう。そんな彼女が、それを二の次にして、私のことを祝ってくれていたと言う事実に、また笑みが綻んだ。

    「もう!本当に反省してるんですかー!?」
    「仲いいっすねー」

    ぷりぷりと怒るヒロインを横目に、にやにや笑う彼女。糸目が更に細く、側から見れば最早、夢遊病患者と変わりない。
    私も彼女に自慢するように、口元を歪める。今日一番の笑顔だった。

  • 30124/09/16(月) 20:46:20

    「いやあ、それにしても羨ましいっすよ。趣味にそこまで熱心になれるのは。や、皮肉とかじゃなくてっすよ?」
    「まあ、趣味ですから。ケーキより宿題を望むヒロインがどこにいるでしょう」
    「肝心のケーキ屋さんが見つからないんすよねー。教えてほしいくらいっすよ」

    彼女は至って平然として、なんでもないことのように語る。だが、私にはわかってしまう。どんな少女にもある『現実との軋轢』を、彼女も感じている。それも、虚ろに。
    そんな私達の会話を聞いていたヒロインは、おずおずと、けれど甘い匂いを漂わせながら、こう言った。

    「わ、私のお気に入りのお店、紹介しましょうか!?」

    ……それを聞いた、糸目の彼女は一言。

    「この子いい子っすねー」
    「そうでしょう。私の友人ですから」
    「な、なんなんですかー!」

    彼女はさらさらとヒロインの髪を撫でる。梳かすようなその仕草も手慣れていて、幾人のヒロイン達がその手に堕ちたのか、私には見当もつかなかった。

  • 31124/09/16(月) 20:46:54

    「ふむ、糸目でクールなヒロインはその実、行き先も持たない漂流者だった……というところでしょうか。なるほど、難儀で、そして魅力的なヒロインです」
    「──なんだか、心を読まれてるみたいっすね。モヤモヤした、形を持たない感情に名前を付けられたというか……流石芸術家っす」

    驚いた顔を隠しもしないのに、彼女の目は一縷のまま動かない。一方ヒロインは首を傾げて。

    「……どういうことですか?」
    「ええと……要するに、趣味がないんすよ、私。探している最中なんすけど、中々難しくて……」
    「ぬぬぬ……イチカ先輩が好きそうなもの……」

    趣味がない。私には全く理解できないことだ。私の世界への興味は止まらず、身体も時間も足りていない。時間のある限り音楽を作っていたいし、聴いていたい。趣味を通じて、こうして友人もできて、音楽のない世界なんて考えられないくらいには、私は趣味に依存している。
    だから、そんな私だからこそ、彼女に言えることがある。

    「趣味がない。素晴らしいことではないですか」
    「──色々言いたいことはあるんすけど、まず、それをあなたが言うんすか?」
    「ええ、私が言うのです。私は趣味に生かされてきた人間なので」

    二人揃って、話が見えないとでも言いたげな顔をしている。気づいてないふりのままに、私は続ける。

  • 32124/09/16(月) 20:47:26

    「二つ以上のモノが存在する時、そこには必ず、『関係』が発生します。それは光と影に留まらず、季節外れな蝉の抜け殻と部活帰りのヒロインに至るまで、全てのモノは関係せざるを得ない」
    「人は、そんな沢山の関係の中で生きています。逆説的に、関係がなければ人は生きていけません。捕食関係が良い例でしょうか」
    「だというのに、往々にして、関係は脆く儚いものです。大半の人はその軋轢に耐えられない。不安や恐怖を感じてしまう。紛らわそうと必死になって、新たな関係を結ぼうとする」
    「そのうちの一つが
    ──『パスタイム』
    ……所謂『趣味』なわけです」
    「生きていることを、意味を、自己のアイデンティティを、新たな関係によって証明しようとすること。それは一種の、酩酊状態と言ってもいいでしょう」

    そう、酔っ払っている。きっと私も、誰も彼もが、不安の拠り所を探している。
    けれど、それは普通のことだ。イワシパイだとか、モモフレンズだとか、紅茶だとか、音楽だとか、或いは友人関係だとか。そう言ったものに夢中になるのは普通のことで、だからこそ、その酩酊が弾劾されることはない。

  • 33124/09/16(月) 20:48:07

    「ですがイチカさん、あなたはどうでしょう。今の関係に不安はありますか?」
    「……ないっすね。正義実現委員会の仕事も、性に合ってるというか……後輩達も頑張ってくれてるっすから」

    彼女はごく普通に、皆がそうであるかのように言う。それがどれだけ珍しいのか、素晴らしいのか、彼女は多分知らない。
    ある人の言葉を思い出す。
    "周囲の存在とは、彼女自身の姿を映す鏡でもある"と。
    『彼』は言った。

    「それはきっと、あなたがこれまで積んできた徳や信頼が、あなた自身を安心させるほど、強固であるからなのでしょう。あなたに、多少のトラブルを呑み込める器量があるからでしょう」
    「私には、できないことです」

    彼女は、困惑した顔で首を傾げる。自己否定という怪物が、彼女の中ではずっと、首をもたげている。

    「待ってほしいっすよ。その、そんなに褒めてもらって悪いんすけど、私、趣味を探してるんすよ?」
    「ええ、言いたいことはわかります。イチカさんの場合、趣味がないことが、不安に繋がっているのではないでしょうか?」
    「……あー、まぁ、敢えて不安があるとすれば、そうっすね」
    「だからこそ、話はここでおしまいなんです」

    趣味がないことの不安を趣味に求める。それはあまりに破綻したシステム。不安な内には趣味も捗るだろうが、習熟すればするほど、趣味への心持ちは薄れていく。
    だから、『趣味がないこと』そのものに不安がなければ、狂ったシステムの主電源は落とされる。素晴らしいと思えたならば、向かうところは敵なしだろう。

  • 34124/09/16(月) 20:48:39

    「胸を張って、誇って下さい。あなたはヒロインでありながら、ドイツの偉大なニヒリストが言うところの、まさしく『超人』であるのですから」

    糸目のまま、頭を掻いて、恥ずかしそうに笑う。
    そんな彼女は、40%ぐらいは納得しているのだろうか。少しだけ、ほんの少しだけ救われたような顔をして、言った。

    「なんだか、哲学者みたいっすね」
    「ええ。ミュージシャンは大体、
    ──『フィロソファー』
    ですから」

    その時見た笑顔は、
    確かに、神をも殺せそうなものだった。

    私だって、ただの傍観者ではありません。
    なんてったって、『つむぎ』ですので。

  • 35124/09/16(月) 20:50:02

    「──なんでもできるイチカ先輩に、そんな悩みがあったんですね……あの、スイーツ作りとか、やったことありますか?」
    「やったことあるっすよー。多分今でも、カップケーキくらいは作れるんじゃないっすかね。食べたかったら作るっすよー」
    「え、いいんですか!?嬉しいです!!」
    「いやあ、いい子っすね〜……」

    彼女は、今度は右手でヒロインの頭を撫でる。さっきとは違って、手のひらで優しく、慈しむような手つきで。そこに私は、若干の違和感を感じていた。
    よくよく見れば、右手の爪は少しだけ伸びていて、そこには年頃のヒロインらしく、控えめなデコレーションがしてあった。それもきっと、彼女の数ある趣味の一つで、
    ──『コンテクスト』
    ……を想像しながら、私には一つの仮説が思い浮かんでいた。

    「イチカさん、少し手を見せてもらってもよろしいですか?」
    「いいっすよ。……あ、そうなんすよ。実はちょっとだけネイルもかじっててー……」

    右手が名残惜しそうにヒロインの頭を離れる。寂しそうなレイサさんを、今度は私が、満足するまで撫でる。まるでわんちゃんみたい。

  • 36124/09/16(月) 20:51:39

    「さて、少し触りますよ」
    「や、ちょっと、くすぐったいっすよー」

    片手をヒロインの頭の上に置きながら、彼女の手をとる。
    綺麗な手だ。細い指、艶のある肌。ネイルは門外漢だけれど、主張しない淡いグラデーションは、彼女のイメージにぴったりだった。
    だけどやっぱり、私としては、『専門分野』に目がいってしまう。

    「……ああ、あるじゃないですか。打ち込んでいること」

    指先をさすりながら、私は言う。
    能ある鷹は爪を隠す。何処かの諺にあるけれど、私に言わせれば、能ある鷹は爪を切るのだ。

    「イチカさん、あなたも私と同じだったんですね」
    「ツムギさんと同じ……あ、ギター!」

    ヒロインは目をぱっちりと開けて、笑顔で言う。けれど、撫で続けていると、その目も少しずつ細くなっていって、かろうじて片目だけが開いているだけになった。
    左手の指先を触れば、ギターをやっているかどうかはわかる。エレキかアコースティックかさえわかる。彼女は多分、アコースティックギター。

  • 37124/09/16(月) 20:51:51

    「あ、やっぱりわかるんすか。ギターやってる人は指先でわかるってホントなんすね」
    「そうなんすよ、実はアコースティックギターやってて……や、始めたのは半年前くらいなんすけど、結構続いてるんすよね。珍しいことに」
    「──ふふ、わくわくしますね。未来のスターというのは、どこにでもいるものです」
    「いやいや、そんなんじゃないっすけど……照れちゃうっすよー」

    世辞なんかじゃない。
    指先が硬いのに、ぼろぼろになっていない。もちろん個人差はあるとはいえ、彼女の才能、練習量まで、指先は語ってくれる。

    「どうでしょう。一度あなたの相棒を、私に見せて頂けませんか?」
    「……実はちょうど今、正義実現委員会に置いてあるんすよ。ちょっと持ってくるっすけど……いやホント、期待しないでくださいよ」

    彼女は私に見張りもつけず、もちろん手錠もかけず、足早に校舎の方へと引き返していった。
    手錠ってどんな感触なんでしょうと思いながら、小型犬を撫で続けていたのは私だった。

  • 38124/09/16(月) 20:52:40

    「これっす。何の変哲もないギターっすよ」
    「少しいいですか?……ふむふむ、これはどこで?」
    「どこかのモールで衝動的に……どこだったっすかねー」
    「……なるほど」

    衝動買いをするような値段ではないだろう、というのが所見。見るからなハイエンドモデルで、羨ましいというか、正直嫉妬がある。
    私だって、新しい楽器を買う時は熟慮を重ねるというのに。流石お嬢様学校と言うべきかと、一つ唸ってみたくなる。
    けれど、値段だとかそういう数字は、私と少し相性が悪い。

    「……ええ、いいギターです」
    「まあ、結構しましたからね。これ」
    「いえいえ、値段の話だけではなく。良く手入れされたギターだなと思いまして」

    1フレットの輝きには、彼女の優しさが滲み出ていて、ピックガードの細かな傷は、彼女の努力の証左だった。
    『これだけ大事にしてもらえるなんて、あなたは幸せ者ですね』なんて思いながら、私も同じくらいには、幸せな気持ちだった。
    ギターの胴体にぽっかり空いた深淵を、見たり見られたり、魅入ったり魅入られたりする、そんなヒロインの目。何かを期待するような目付きと、私の好奇心の高まりは、しがないギター弾きを動かすには十分だった。

    「少し、弾いてみても?」
    「もちろん。本業のギタリストなんすよね?そんなの是非聴いてみたいっすよ」
    「はいはい!私も聴いてみたいです!」

    思ったよりな反応に、少し気合いが入る。

  • 39124/09/16(月) 20:53:32

    「では」

    ゆっくりと始める。
    最初はアルペジオ。
    少しブレイクを入れつつ、なにかいい感じのリフを探して、何となく、話し始める。
    それは、所謂ブルースロックというやつで、今日の私の心象が、口から漏れ出すかのようだった。

    例えば、ヒロイン達の甘やかな身体。例えば、度重なる邂逅。見えざる軋轢と、コミュニケーション。青く春めく何か。目の前にちょこんと座る、可愛らしい友人。
    それらが前後不覚に陥りながら、まるで不思議の国の生産ラインのように、少しへんな形で出力される。
    セブンスコードのアルペジオ。捻くれが大好きな、あのコード。

    それでもやっぱり最後には、荒々しく、メジャーコードを掻き鳴らす私がいる。
    畳み掛けるアレグロと、繰り返されるクリシェがある。

    「Feedback emotion」
    「Feedback emotion!」
    「『フィードバックエモーション』状態はもう」
    「『アンコントローラブルコミュニケーション』‼︎」

    それは私ができる、精一杯。心からのメジャーコード。

    音楽にしかアイデンティティを見出せない、そんな哀れなヒロインが、
    それでも誰かと『関係』したいと願った、ガールズブルース。

    誰にも刺さるはずのない、独りよがりな禅問答は、時間にして90秒にも満たない。

    しかし今私は、確かに『関係』していた。

  • 40124/09/16(月) 20:53:57

    全ての指が弦から離れても、誰も口を開くことはない。不思議に思った私が、ギターを彼女に返して、どうでしたかと問いかけるまで、その沈黙は続いていた。

    「……楽しそうに、弾くんすね」
    「ええ、楽しいですから。心底」

    私は笑顔でもって返す。『楽しそう』という言葉が出てきたことを誇りに思う。アーティスト冥利に尽きるというものだ。

    少し目線を下に向ければ、まるで夜空の星のようなヒロインは、ぽかんと口を開けたまんま、とらわれている。ある共鳴に、とりさらわれている。
    少し音が大きすぎたのかもしれない。エフェクターなんてないけれど、言葉が歪みすぎて、音が歪みすぎて、伝わらなかったのかもしれない。
    何でもいいから声をかけようと、口を開いたその時、

    「あ……」

    私は、一筋の流れ星を見た。

  • 41124/09/16(月) 20:54:29

    「……す、すいません!泣くつもりなんてなかったんですけど……」

    一生懸命に取り繕うヒロインからは、もはやその軌道を推察させるものはなく、後に残ったのは、湿り気を帯びた丸っこい水晶体二つ。『あふれた』やら、『こぼれた』やらの表現が適切なようだった。
    涙の意味がわからない私ではない。心配事は一切消え去って、私はただ、次の言葉を待っていた。

    「……なんか、こめかみの所があつーくなって、頭がぽわぽわして……なんでかはわからないんですけど……」

    並べられた言葉は、感覚的だったり、抽象的だったり、散文的だったり、する。
    その行動が、痛いほど理解できる。
    感じた思いをそのまま、生きているままに、他の誰かに伝えたい、あの感じ。
    まるで意味のない衝動だとしても、やめることのできないあの感じ。

    ヒロインは最後にこう言った。
    瞳の中に星を宿して。

    「……ギター!やりたくなりました!」


    私は思う。

    ──あぁ、だから。
    これだから、やめられない。

  • 42124/09/16(月) 20:55:05

    「……こんなの見せられたら、私もやりたくなっちゃうっすよー……すいません、私も弾かせてもらっていいっすか?」
    「おおー!イチカさんのギターですか!楽しみです!」
    「ええ。やはり、ギターは持ち主の手にあるのが一番映えますから」

    ギターを彼女に返すと、今までの不思議な気分も吹っ飛んで、私はただの少女に戻る。次は観客として、ふつふつと高揚が高まってくる。

  • 43124/09/16(月) 20:55:29

    彼女が最初の一音を鳴らしたとき、私はふと、さっき聞いた言葉を思い出していた。

    『珍しく続いてるんですよ』

    なんとなーく聞き流した言葉の意味を知る。
    彼女が弦を弾く時の表情、仕草、何より音。

    想い人がいるんだなぁと、直感的に思った。

    彼女の運指の滑らかさは、天性のものと言って差し支えない。しかし、右手の不自然さが、隠しきれない努力の跡を伝えていた。

    『いつかこの歌を聴いてほしい』と歌った彼女の歌詞には、『あなた』も『彼』もいなかったけれど、
    私は確かに、
    ──『フィードバックエモーション』
    を、感じていた。

  • 44124/09/16(月) 20:55:59

    『実行委員会よりお知らせです。
     午前8時になりました。ただいまより、第──回、謝肉祭を開催いたします。
     みなさん、一日頑張りましょう!』

    演奏はノイズによって止まる。そこら中から声が聞こえてきて、ヒロイン達は、何か思い出したかのように顔をあげる。

    「……あ、仕事」
    「え……あー!」

    時を忘れるという形容がぴったり。知らぬ存ぜぬを決め込んで、ぷかぷか浮かんでいたヒロイン達は、やっと地に足がついたようだった。首を伸ばして周囲を見回すその仕草は、なんだかカラスとオコジョみたい。

    「……急いで戻らないとダメっすね。この子も送っていきますけど……大丈夫っすよね?」

    黒い大きな翼を開いて、飛行体勢を整える彼女。艶のあるそれは、あまりに魅力的で、私は手が出そうになるのを抑え込むのに必死だった。
    これ以上、主役たるヒロイン達の物語を邪魔するのも、分不相応というものだ。端役はそろそろ、退場の時間。

  • 45124/09/16(月) 20:56:36

    「ええ、ありがとうございますイチカさん。そしてさようなら。いつかまた、その音色をお聞かせ下さい」
    「はい。いつかまた、っすね」

    『また』なんて来ないだろうと思いつつ、私達は別れの言葉を述べる。けれど、奇縁はとっくに結ばれているようにも思えて、『二度あることは三度ある』なんて格言をつい、信じてしまいそうになる。
    抱きかかえられたヒロインは、何が何だかわからないまま、憧れの先輩にお礼を言ったり、「あの」「えっと」って、突然の別れに何か挨拶を言いかけてみたり、色々と大変そうだ。
    翼を広げたままの彼女は、私達の別れを気にしてくれているようで、律儀なことだと私は思った。

    ──声の掛け方を知らないヒロインに代わって、別れなんていうのは簡単なことだと、教えてあげましょう。
    私は、そう思って口を開く。

    「レイサさん」
    「……は、はい!」

  • 46124/09/16(月) 20:57:19

    ふと、放課後のスイーツに頬を落とす、ヒロインの姿を幻視する。周りには沢山の友達がいて、普段は楽器なんて持つことのないヒロイン達が、きらきら笑っている。
    そう、金平糖。パステルカラーな髪色と、星屑みたいなあの感じ。ヒロインはなんとなく、金平糖みたい。
    甘い青春を過ごす中で、きっと今日のことなんて、忘れなくとも、遠い記憶の果てに押し込まれていくのでしょう。

    思いがけず深い関係になってしまったけれど、私は初対面で、部外者で、端役。行きずりの関係。半透明な関係。
    きっとこの一度で終わってしまう、刹那色の関係。

  • 47124/09/16(月) 20:58:44

    ──そして、その全ては、ドラマチックな邂逅、ロマンチックな結末の前で、何の意味を持つのでしょうか?
    『ともだち』という関係の前で、何の障害になり得るのでしょうか?

    だから、そう。
    別れなんて、簡単なんです。

  • 48124/09/16(月) 20:59:44

    「あなたの物語が、花と、甘味と、それから……」

    「──『ミュージック』
    ……で、彩られますよう」

    「私、遠いところから、歌いかけています」

  • 49124/09/16(月) 21:00:18

    初夏の風が吹き抜ける。
    きっと今日は快晴だろう。
    私はそんな天気が愛おしく、羨ましい。
    逆光のヒロイン達に背を向ければ、羽ばたき一つの轟音と、吹き飛ばされそうな程の、風。
    残ったのは私と、義理人情に厚い砂埃だけ。

    『放課後スイーツ部のオープニングライブは、南6号館の屋上にて、8時30分から──』

    スピーカーから流れるアナウンスと、鋭角的急勾配日光が、私の眼前を切り裂いていく。
    あくまでポーカーフェイスに振る舞う私が、最後に見た景色。
    それは、朝方に凜々と瞬く、笑顔の織姫。

    それを思い出しては、貼り付けた微笑のまま、
    また、風が吹き抜ける。
    次のヒロインに、会いに行く。

  • 50124/09/16(月) 21:01:02

    ──屋上は、ひじょーにまぶしい。
    水を張ったかのように磨かれた床は、色んな光を乱反射して、私の爪先から頭頂までをまるきり再現した。影と像と私で、この場にドッペルゲンガーが揃い踏みだ。
    そうでなくたって、この場にいるヒロイン達のまぶしさたるや!
    一つの建物にしては大きすぎる屋上を、一杯に埋め尽くす彼女達は、それぞれがまるでプリズムみたいで、てんかんと自家中毒の最高潮。
    夢見た光景に浮かされながら、狂騒に紛れて、私は一人立っている。

  • 51124/09/16(月) 21:01:22

    ステージには既に見知った顔が並んでいて、歓声を浴びて手を振ったり、楽器の点検をしたりしている。十分スペースがあるのに、ぶつかりそうなくらい固まった配置は、練習風景すら想像できて、どうしようもなく分かり合える気がした。
    キーボードの前のヒロインは、緊張しているのか、伏し目がち。黒目をきょろきょろさせて、何か後悔することを探している。
    想いがそのまま、重い。よくわかる。信じてきたものを信じていいのか、信じ切れるのか、きっと疑念が止むことはない。
    思わず手を振ろうとするのを、ぐっと堪える。出しゃばっちゃいけない。その役目をするのは、私じゃない。

  • 52124/09/16(月) 21:02:04

    「……アイリ、大丈夫。ほら、顔あげて」

    奏者の声が聞けるのも、前列の特権だ。いや、私の特権なのかもしれない。私、耳がいいから。
    黒猫で野良猫な彼女は、まるでプリンスのように、青い空を指さした。

    「アイリちゃーーん!頑張ってー!」
    「きゃあああ‼︎こっち向いた‼︎」
    「楽しんだもの勝ちでしょー!しゃきっとしなよアイリー!」

    歓声の大きさは、それ程変わっていない。ずぅーっと、こんな声はずっと、この場所にあった。
    別に、観客は敵ではない。そんな、死地に臨むような顔をしなくたっていい。クラシックでも、フォークでも、ポップスでも、ロックでも、音楽というのは──

  • 53124/09/16(月) 21:02:28

    「……『音楽とは、人の心に寄り添うもの』」
    「──って、曲作ってくれた人も言ってたんでしょ?アイリ」

    「──うん!」


    ……なんと。

    ええ、少し恥ずかしいですけども。
    何だか、過ぎた役割を貰ってしまいましたね。

  • 54124/09/16(月) 21:03:02

    ヒロインは前を向く。手元は、依然震えている。
    そんなことを気にもせず、弾けんばかりに笑う。焦り、恐れ、強がって、それでも笑う。
    それでも、そのまま、ただの少女のままで、音楽と向き合っている。
    なんでもかんでも笑い飛ばすヒロインは、今確かに、ロックンローラーだった。

  • 55124/09/16(月) 21:03:29

    ふと時計を見れば、長針は真下を指している。
    焦がれそうな程の熱狂、おかしくなりそうな狂騒の中、彼女達の時間が始まる。

    MCもなく、ギターの音がする。
    ドラムも、ベースも、キーボードも、静かに入って、ヒロイン達の『コミュニケーション』が始まる。

    一瞬のブレイクの後、
    私には、確かに聞こえた。

    『1.2!』

    叫んだヒロインの声が。
    私には確かに、聴こえたのです。

  • 56124/09/16(月) 21:04:10

    ──午後1時35分。トランシーバーを持って、この年から忙殺されそうなヒロイン達を横目に、私はというと、件のイワシパイに夢中。現在三個目。四個目も射程圏。
    暦上は初夏とのことだが、月と絶交した彼は、少女達の宴に大興奮のご様子。じりじりと照りつける熱気の中で、この季節以外で話題にあがることのない、温暖化について考えてた。
    四個目を買ったところで、私は出口に向かうことにした。

    通り過ぎていく景色は、いつか見れなくなってしまうもの。
    それは元気よく声をあげるドリンクの売り子だったり、
    ステージの腕相撲の勝敗で、賭けに興じるシスターだったり、
    持ってきた水鉄砲と間違えて発砲したおばかさんだったり、
    熱中症対策として、手当たり次第全員に水をかける少女だったりする。
    まだ透明な彼女達にしか、それはできない。
    ヒロイン達は、常に何かを探している。

  • 57124/09/16(月) 21:04:46

    この景色は、ヒロイン達が歌っていたことと、本質的には変わらない。

    青い空、白い雲。
    まだ何者でもない自分達にできることを、精一杯、やる。
    そういうなんでもないシニフィアンを私達は、

    『青春』という言葉で、表すのだ。

  • 58124/09/16(月) 21:06:04

    ──あぁ、そうそう。なんだか次の晩餐会で、ゲヘナの風紀委員長がピアノを弾くのだとか。

    今度は、それを見に行きましょう。


    私の、
    ──『センチメンタルジャーニー』
    ……は続いていくのです。

  • 59124/09/16(月) 21:12:27

    完結です。
    あのスレで待ってくださったみなさん、申し訳ありません……スレ内で依頼された作品を完成させることができず、こうして別スレでの完成となりました。
    スレの残りはどう使ってもらっても大丈夫です!

  • 60二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 21:14:29

    いやほんと素晴らしい文章でした…表現の一つ一つが芸術的で……

  • 61二次元好きの匿名さん24/09/16(月) 22:58:18

    待っていた、待った甲斐があった
    最後まで書いてくれてありがとう。それしか言う言葉が見つからない

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