- 1二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 12:38:50
彼女の細い肢体が、ふわりと宙へと舞った。
力強く、というよりはしなやかにという表現の方が適切だろうか。
空高く跳躍した彼女の身体は、後ろ向きに、頭からくるりと一回転する。
そしてそのまま、脚全体をクッションにするように、静かに着地を決めてみせた。
少しだけ遅れて、美しい青毛の艶やかな長髪が、ぱさりと追い付いて来る。
大技を見せたはずなのに、余裕を持った、澄ました表情を浮かべている彼女。
見慣れている彼女の姿に────俺は思わず、見惚れてしまう。
俺が呆然と言葉を失っている間に、彼女の近くにいた一人のウマ娘が、歓喜の声を上げる。
「やっぱりお姉ちゃんのバク宙ちょーカッコいい~~っ! もっと見せて欲しいなあ♡」
二色のリボンを絡めた青毛のツインテール、人懐っこい愛らしい瞳、猫を思わせる口元。
ヴィブロスは目をきらきらと輝かせながら、バク宙を披露した人物へと近づき、甘えた声を出す。
そして、『お姉ちゃん』と呼ばれた人物は、嬉しそうにしながらも、少し困った表情を浮かべた。
青毛のロングヘアー、前髪の少し垂れた菱形の流星、育ちの良さを感じさせる上品な佇まい。
俺の担当ウマ娘であるヴィルシーナは、自らの妹に対して、優しげな声色で言う。
「もうヴィブロスったら……トレーニング前だからこれでおしまい、また今度見せてあげるからね?」
「あっ、そっかあ、私も早く行かないと……お姉ちゃんありがとっ! トレーニング頑張ってねー!」
そう言って、ヴィブロスは名残惜しそうにしながらも、大きく手を振りながら立ち去っていく。
ヴィルシーナは、それを少しだけ寂しげな表情で、小さく手を振りつつ、見送っていた。
……そろそろ、良いかな。
俺は、軽く拍手をしながら物陰から身を晒し、彼女へと声をかける。 - 2二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 12:39:06
「軽やかな身のこなしだったね、あんなことが出来るだなんて、驚いたよ」
「……あら、トレーナーさん見ていたのね? 声をかけてくれれば良かったのに」
「姉妹の語らいを邪魔するのもどうかと思って、でも見事なバク宙だったよ、とても綺麗だった」
「…………そっ、そうかしら?」
ヴィルシーナは微かに頬を染めつつ、毛先をいじりながら目を逸らす。
表情そのものは落ち着いた様子であったが、尻尾や耳がはぴこぴこと動き回っていた。
そんな彼女に微笑ましいものを感じながら、彼女へと近づいて、話を続ける。
「でも意外だったな、運動神経については疑わないけど、ああいうアクロバットが出来るなんて」
「一時期、体操をやっていたのよ、その時の杵柄といったところね」
「……ということは、今はやっていないのか?」
「今は、たまに気分転換ついでにやるくらい、ちゃんとした練習とかは流石にね」
その話を聞いて、俺は、勿体ないなと思ってしまう。
たまにやるくらいなのにあれだけ見事なバク宙を披露出来るのだ、本格的にやれば────。
「言っておくけど、あのくらいのことが出来る子は、ごまんといるわよ?」
鼓膜を震わせる言葉に、ハッとさせられる。
気が付けば、ヴィルシーナは少しだけ呆れた表情で、こちらを覗き込んでいた。 - 3二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 12:39:25
「少なくとも、私が二足の草鞋で頂点を目指せるような世界ではないわ」
「つまり、辞めた理由は」
「体操よりもレースを選んだ、ということね、勿論、どちらも同じくらい好きだったのだけれど」
ヴィルシーナというウマ娘は、気高く、誇り高い精神を持っている。
どんなに高い壁を前にしようとも、決して諦めることなく、決して屈することなく。
背筋を伸ばして、凛とした姿勢のまま、ただ頂点を目指し続けている。
そんな彼女のことだ────どちらかを中途半端にする、なんてことが許せなかったのだろう。
この決断がなければ、俺は彼女と契約することはおろか、出会うことすらなかったかもしれない。
そうは思っていても、やはり、どうしても、残念だと感じてしまう自分がいた。
「もう、そんな顔をしないでちょうだい……あの子達の顔と、そっくりよ?」
そっと、暖かで柔らかな感触が、頬に触れる。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、ヴィルシーナが優しい手つきで、俺の頬を撫でていた。
彼女は柔和に目を細めながら、どこか懐かしむような表情で、俺のことを見つめている。
「私が体操教室を辞めると話した時、シュヴァルもヴィブロスも、そんな表情をしていたわ」
「……そんな、表情?」
「あの子達は聡いから、私の決断に反対はしなかった……けど、残念そうな気持ちが、顔に出ているのよね」
透き通る爽やかな青空のような、麗しい彼女の双眸。
そこには、何か言いたげな、でも何も言えないという、複雑な表情を浮かべる俺がいた。
慌てて飛びのいて、彼女の手のひらから離れて、顔を引き締めるものの、時すでに遅し。
ヴィルシーナは自ら頬に触れていた手を当てながら、くすくすと肩を震わせる。 - 4二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 12:39:51
「ふふっ、もう少しだけ、慰めてあげても良かったのよ?」
「大丈夫だから……それと、ごめん、当時の君のことも知らずに、簡単に考えるべきではなかった」
俺は、体操をするヴィルシーナのことを知らない。
けれど、今もなおヴィブロスがその姿を求め、シュヴァルグランが惜しむ気持ちを隠せないほどだ。
きっとその姿は、ターフを駆ける彼女のように、美しく煌めいていて、格好良いものだったのだろう。
同時に、そんな道に見切りをつけた彼女の決断は────きっと、想像以上に、重いものだったはずだ。
今現在の彼女しか見ていない俺が、知ったようなことを言って良い話ではない。
そう考えて、謝罪を言葉にして頭を下げると、彼女はきょとんとした顔になった。
「別に怒ってはいないけど…………うん、それなら、そうね」
にやりと、ヴィルシーナは悪戯っぽい笑みを見せる。
普段は妹達の規範として、大人びている彼女の、歳相応の幼気な表情。
「知らないというのなから、知ってもらいましょうか?」
「えっ」
「パパもママも、私達のことが大好きだから、実家に当時の映像はたくさん残っているのよ」
「……いいのか?」
「……正直に言えばちょっと恥ずかしいし、少し複雑な気持ちもあるわ、でもね」
ヴィルシーナは俺に近づいて、少しだけ背伸びをする。
ふわりと漂う、上品で、爽やかな、甘い花の香り。
そして、内緒話でもするように、手で口元を隠して、そっと俺の耳へと言葉を紡いだ。 - 5二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 12:40:10
「貴方に────私のことを、知って欲しいから」
一言、そう囁くと、ヴィルシーナは一歩離れる。
そして身体ごと顔を逸らして、恥ずかしげに尻尾をゆらりと揺らめかせた。
俺は一瞬呆気に取られてしまったが、すぐに我に返って、彼女の背中へ笑顔を向ける。
「……俺も、昔の君を見たいし、もっと君のことを知りたいな」
「……そう、それじゃあ、パパやママに連絡しておくわ」
「それと、今の君の体操も、見てみたいかな」
「あら、意外と欲張りなのね、それならせっかくだし、トレーナーさんも────」
ヴィルシーナは、ちらりとはにかんだ笑みを向けて、直後、微かに口元を引きつらせる。
そして、ジトっとした視線を俺のお腹の辺りに向ける。
大きめの服を着て隠してはいたのだが、服の下、ぽっこり膨らんでしまったお腹へと。
彼女は、呆れたように大きなため息をついた。 - 6二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 12:40:26
「……体操の前に、貴方の場合はもう少し痩せるべきかもしれないわね」
「……最近、実家から食べ物がいっぱい送られてきて、つい」
「なるべく野菜から食べるようにしなさい、それとオリーブオイルを積極的に摂」
「さートレーニングをはじめるぞー」
「あっ、こら…………もう」
厳格お姉ちゃんモードに入ったヴィルシーナから逃げるように、俺は歩調を早める。
昔の彼女のこと、今の彼女のこと、これからの彼女のこと、そしてダイエットのこと。
様々なことに想いを馳せながら、俺は小さく、笑みを零してしまうのだった。 - 7二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 12:41:51
お わ り
運動音痴なのであの手の動きが出来る人は無条件で尊敬してしまいます - 8二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 13:00:26
日常の一コマって感じですき
- 9124/09/17(火) 14:54:40
そういう空気が出せていれば良かったです
- 10二次元好きの匿名さん24/09/17(火) 15:52:43
強い鞍上ソウルを感じる・・・
- 11124/09/17(火) 20:51:31