『補習の補習土産』 作・ままなら哲郎

  • 1ままなら哲郎24/10/03(木) 13:00:08

    原作:盆土産 作・三浦哲郎

     ままならないね、とつぶやいてみた。
     どこかでチワワが鳴いている。初星学園の校舎の陰にでもいるのだろうが、張りのあるいい声が床につけたサンダルの靴底を伝って、ひざの裏をくすぐってくる。つぶやくにしても声にはならぬように気をつけないと、人声には敏感なチワワを驚かせることになる。
     ままならない。手先がおぼつかない。腕が上がらない。普通の人には造作もないことかもしれないが、こちらはとんと身体能力が低いから、うっかりすると手にした包丁で指先を切りそうになる。野菜を切るのは良いとして、包丁を持ち上げるのが、存外むつかしい。

  • 2二次元好きの匿名さん24/10/03(木) 13:02:01

    久々に初星文学スレ見たな、楽しみ

  • 3二次元好きの匿名さん24/10/03(木) 13:07:12

    初星文学スレだ!

  • 4ままなら哲郎24/10/03(木) 13:08:06

     ままらないね。さっき教室を出てくるときも、つい、唐突にそうつぶやいて、千奈に、
    「ままらならないではありませんわ~! 篠澤さんはどうしてそんなにうれしそうにしていますの!? 次の実習で合格できなければわたくしたちは落第ですのに~~!」
    と指摘された。自分では、ままならないのは良いことなのだが、千奈にはそうではない。それが何度繰り返しても直らない。
     けれども、そういう千奈にしても、これからやろうとしていることは、人一倍楽しみにしていていて、「いやなんじゃ、ないの?」と聞いてみても、「それは、皆さまと一緒にまた実習ができるのですもの!」とひまわりのような笑顔を浮かべている。

  • 5ままなら哲郎24/10/03(木) 13:15:30

     そう言っていながら、先ほども実習教室に向かう際、
    「それでも、調理実習の補習の補習は前代未聞ですわー!」
    と千奈は言った。
     調理実習の補習の補習とは、調理実習の補習の補習のことで、前回の失敗の原因の一つである佑芽は、実習の途中にどこかに行ってしまった。

     どこかに行くならば、もっと早くに動き始めてくれればいいものを、実習が始まってすぐ、いきなり大声で、お姉ちゃん! と叫ぶものだから面食らってしまう。もう数十分すれば実習の制限時間で、それまでに未完成ではいけないから、作るものはいまのうちにつくっておかなければならない。切った野菜は千奈に炒めてもらって、あらかじめ冷ましておく。わたしたちの手際では実習の制限時間いっぱい使ってどうにか間に合うくらいだから、何か問題が起こったらと気が気ではなかった。

  • 6ままなら哲郎24/10/03(木) 13:24:56

     ままらないね。どうもそう思える。
     さきほど、といっても、まだ数分前のことだが、冷蔵庫からいちごをつまみぐいしていた佑芽が大声を上げた時は、教室じゅうでひやりとさせられた。てっきりなにか体に害のあるものでも口にしたのかと思ったのだ。普段から、大声などには縁のない身体をしているから、急な大声にはわけもなく不吉なものを感じてしまう。
     ところが、大声の中には、濃淡の著しい声色でこう書いてあった。
    『やっぱり、お姉ちゃんのレシピのほうが美味しくできるんじゃないかな!』
     千奈と、大声で目を覚ました美鈴と、三人で、しばらく顔を見合わせていた。佑芽は、数十分前の休み時間に話していたとき、前回の失敗を踏まえてアレンジはやめようと言っていたから、みんなはすっかりその気でいたのだ。

  • 7ままなら哲郎24/10/03(木) 13:30:17

    もちろん、佑芽がトラブルを運んでくるはうれしかったが、正直いってレシピが心もとなかった。佑芽のお姉ちゃんの料理は普通の人には、正直なところ苦行である。千奈にどうだったか尋ねてみると、
    「どうと言いましても……すごく……独創的でしたわ……」
     千奈は、にこりともせずにそう言って、あとは黙って自分の鼻の頭でも眺めるような目つきをしていた。
     佑芽のお姉ちゃんのレシピは栄養価も高いし、味のことも良く考えられている。けれども、調理実習で作って合格を貰えるかと言われると、急になんだかわからなくなる。あんな料理を家庭科の先生が合格というだろうか。それとも、その効率の良さを褒めるのだろうか。そう言って目を閉じている美鈴に尋ねてみると、美鈴はそうだともそうではないとも言わずに、ただ、
    「……まりちゃん。」
     とだけ言った。

  • 8ままなら哲郎24/10/03(木) 13:37:41

     それは、佑芽がわざわざ調理実習を抜け出して土産に持って来るくらいだから、とびきり佑芽のお姉ちゃんらしいレシピにはちがいない。だからこそ、心配になって、つい、
    「ままならないね……。」
     と、つぶやいてみないではいられないのだ。

  • 9ままなら哲郎24/10/03(木) 13:55:47

    ――――――
     佑芽は、普段から、息苦しいからと制服の前ボタンを閉めない癖があったが、今度も真新しいセーターボタン開けて、押し上げられたシャツをまる出しにして帰ってきた。
     その広いシャツの胸元の頂点から下のほうは、そこだけ病んででもいるかのように引っ張りあげられていた。だが、調理実習のエプロンばかりは自分の流儀で気ままに着るというわけにもいかないらしい。淡い空色のエプロンは、まだ胸元になじんでいなくて、窓風にちょっとあおられただけで慌てて上から押さえつけなければならなかった。

  • 10ままなら哲郎24/10/03(木) 14:00:32

     実習教室の上がり框で、土産の紙袋の口を開けてみて、まず、盛んに文字の詰められた紙にびっくりさせられた。レシピにしては文字が細かすぎる、なにやら資料のような用紙が大小合わせて数十枚ほどもバインダーに入っているので、これも土産の一つかと思ってバインダーを開けてみると、とたんに中から、もうもうと情報が噴き出てきたのだ。びっくりして袋を取り落としたはずみに、中の紙が一枚飛び出した。

  • 11ままなら哲郎24/10/03(木) 14:02:10

    「あら、もったいないですわ。」
     と千奈が言うので、急いで拾おうとすると、急に動かしたせいで腕がつった。
    「あっ、それは気にしなくて良いよ! 成分表だから!」
     と佑芽が振り向いて言った。
     佑芽の話によれば、成分表というのは二位の人が毎度レシピと併せて渡してくるものだという。使用する材料の栄養価が事細かに記されているから、アイドルの食事に都合が良い。
     袋の底から薄っぺらな紙一枚のレシピ取り出してみて、初めてわかった。大量の紙束なだけに数キロはあるそれを抱えて、佑芽は校舎の反対にある一年一組の教室から数分で駆け抜けてきたのだ。

  • 12ままなら哲郎24/10/03(木) 14:13:04

     それにしても、レシピの工程の多さには、千奈と二人で目を見張った。こんなにも複雑な工程の料理があるとは知らなかった。
     さきほどまでやっていた作業の一番複雑な工程よりもずっと難しいし、力が要る。
    「凄いでしょ! これでも私向けに簡単にしてくれてるんだよ!」
     佑芽は、満足そうに胸をどんと叩いて言った。
    「これは初心者向けだけど、お姉ちゃんのレシピはもっと難しいのもあるからね!」
     佑芽が珍しくそんな冗談を言うので、思わず首をすくめて笑ってしまった。

  • 13ままなら哲郎24/10/03(木) 14:23:33

     実習の制限時間が迫るころ、戸棚からお皿を取り出そうとして重くて諦めて佑芽に頼もうとしたところ、隣のクラスの手毬が一人で廊下をふらついていた。
     隣のクラスではハロウィンか夏祭りか何かがあったと見えて、派手な色の衣装を着て、腰には何連発かの細長い花火の筒を二本、刀のように差していた。

  • 14ままなら哲郎24/10/03(木) 14:26:03

    「咲季の妹、凄い勢いで来て帰って行ったけど、なんだったの?」
     手毬は同級生だが、偉そうに腕組みをしてこちらの実習教室の惨状をじろじろ見ながらそう言うので、
    「うん。」とうなずいてから、
    「ままならないね。」と言った。
     手毬は気勢をそがれたように、口を開けたままきょとんとしていた。
    「……は、なに?」
    「ままらないね。」
    「……ままらないって、なにが?」
     それが知りたければ教室に入ってみろ。そう言いたかったが、見せるだけでもなんだかんだ面倒くさそうなので、
    「ふふ、なんでもない。」と通り過ぎた。

  • 15ままなら哲郎24/10/03(木) 14:34:07

     普段、実習の失敗はだいたい千奈がしているが、今回はフライパンを焦がすだけにして、大きな失敗は佑芽が自分でやらかした。煮えた油の中でパン粉の焦げる凄惨においが、教室の中にこもった。

  • 16ままなら哲郎24/10/03(木) 14:38:47

    翌日、目を覚ましたときも、まだ鼻孔の根に凄惨な匂いが残っていた。あんなに良いレシピを貰ったのだから、次こそは実習教室へ出かけて、補習の補習の補習に合格せねばならないと思っていたが、その必要はなかった。
     佑芽が、授業中の一組の教室に乱入したために、職員室に呼び出されているのだ。どうりで、昨日は帰りの速さが尋常ではないと思ったのだ。

     午後から、みんなで、真っ黒な炭の塊になった実習の食材たちが好きだったコスモスとききょうの花を摘みながら、校庭の隅に墓参りに出かけた。盛り土の上に、ただ丸い石を載せただけの小さすぎる墓を、せいぜい色とりどりの花で埋めて、供え物をし、細く裂いた松の根で供養した。

  • 17ままなら哲郎24/10/03(木) 14:41:59

     美鈴は、校庭へ登る坂道の途中から絶え間なく寝言を唱えていたが、美鈴の寝言は、いつも『まり、ちゃん』というふうに聞こえる。ところが、墓の前にしゃがんで迎え火に松の根をくべ足していたとき、美鈴の『まり、ちゃん』の合間に、ふと、
    「まま、なら……」
     美鈴は寝ていて意識がないから、言葉はたいがい不明瞭だが、そのときは確かに、まりちゃんではなくままならないという言葉をもらしたのだ。
     美鈴は昨日の楽しげな教室の様子を(大惨事だったことは抜きにして)SyngUp!のメンバーに報告しているのだろうかと思った。

  • 18ままなら哲郎24/10/03(木) 14:51:23

     佑芽が放課後に改めて職員室に呼ばれているので、独りで校舎まで送っていった。谷間はすでに日がかげって、丸焦げの炭を作った実習教室では早くもチワワが鳴き始めていた。校舎の外れのつり橋を渡り終えると、佑芽はとって付けたように、
    「次は実習、成功させようね!」
    と言った。すると、なぜだか不意にしゃくり上げそうになって、とっさに、
    「今度は、レシピは要らない、かも」
    と言った。

  • 19二次元好きの匿名さん24/10/03(木) 15:20:22

    一体食材に何を使ったんですかね…

  • 20ままなら哲郎24/10/03(木) 15:22:14

    「いや、そうでもないかもよ!」と、佑芽は首を横に振りながら言った。「お姉ちゃんが頑張って超簡単レシピを作ってるから、次こそは成功するはず!」
     それからまた、校舎まで黙って歩いた。
     迎えのプロデューサーが来ると、佑芽は右手でこちらの頭をわしづかみにして、
    「それじゃあ、また明日ね!」
    と揺さぶった。それが、シンプルに力が強くて、それで頭が混乱した。じゃあ、またね、と言うつもりで、うっかり、
    「ままならないね。」
    と言ってしまった。
     佑芽は、まだ何か言いたげだったが、
    プロデューサーが道端にフレッシュビネガーを捨ててから、
    「はい、お早くぅ。」
    と言った。

  • 21ままなら哲郎24/10/03(木) 15:26:59

     佑芽は、何も言わずに、片手で制服のセーターを上から押さえてプロデューサーの元へ駆け込んでいった。
    「はい、連行ぅ。」
    と、野太い声でプロデューサーが言った。

    ――完――

  • 22二次元好きの匿名さん24/10/03(木) 15:44:29

    あの……原作通りエビが出てきた瞬間に「えんび揉め」とかふざけてレスしようと思ってたんですよ
    この暗黒物質は…?

  • 23二次元好きの匿名さん24/10/03(木) 16:12:38

    佑芽のおっぱいがおっきくてすごいなあと思いました(小並感)

  • 24二次元好きの匿名さん24/10/03(木) 16:48:37

       ┏━┓
       ┃食┃
       ┃材┃
       ┃の┃
       ┃墓┃
      ┏┻━┻┓
     ┏┻━━━┻┓

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