【トレウマSS】ヤエノムテキと昼餉

  • 1◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:51:20

     ある日の正午過ぎ、一人きりのトレーナー室で昼食の準備をする。まあ準備と言っても、レンジで弁当を温めるだけなのだが。

    「いただきます……」

     少々行儀が悪いかもしれないが、PCの電源を点けたままキーボードをずらし、そこに弁当を置いて手を合わせる。
     今日のメニューは、学園に来る前にコンビニで買った、最近お世話になっている値段の割にボリュームのある唐揚げ弁当と、偏った食生活を送る自分への免罪符として買ったパックの野菜ジュース。

    (今日"の"と言ったが、今日"も"が正しいか……)

     担当ウマ娘であるヤエノムテキのレースが近づいており、今は大事な追い込みの時期でとにかく忙しいのだ。自炊をしている暇が無く、せめて昼くらいは食堂で……と考えていたが、今は食堂とトレーナー室を行き来する時間すら惜しいと思ってしまっている。その結果、三食全てコンビニ弁当……という日も珍しくなくなってしまった。毎日朝昼晩、部屋で一人、油ぎった弁当を野菜ジュースで流し込む……。

  • 2◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:51:39

     もし人が生きていくうえで、食事を必要としなくなったとしたら、今の自分なら喜んでそれを止めるだろう。そんな馬鹿げた事を考えてしまう程、最近食事が楽しくないのだ。

     とはいえ腹は減る。蓋を取ると、少し嗅ぎ飽きてきた香りが、鼻に侵入してくる。

    (今度から違うのにしよう……。でも揚げ物か、量が少ないのしか無いんだよな……)

     溜め息を吐きながら割り箸を手にした時、ノックの音が聞こえた。誰だろうか……。

    「はーい。どうぞ」
    「失礼します。トレーナー殿」

     ノックの音の主はヤエノムテキだった。肩に手提げ鞄を掛けた彼女は、背筋を伸ばし、キビキビとした所作で部屋に入りこちらへ向き直った。

  • 3◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:51:57

    「ヤエノか、どうしたんだ?」
    「トレーナー殿に所用があり、参った次第なのですが……昼食を摂っておいででしたか」
    「ああ。用があるなら、後回しにするけど……」
    「いえ、構いません。というのも、トレーナー殿の食事について用がありまして……」
    「俺の……?」
    「はい。トレーナー殿……最近は、そのようなお弁当ばかり召し上がってはおられませんか?」
    「え……」
    「……実は先日、ミーティングの最中にトレーナー殿が席を外された際、くずかごに同じような容器が沢山捨ててあるのを目にしまして……。決して盗み見るつもりはなかったのですが……申し訳ありません」

    (ヤエノに見られてたのか……)

     彼女は、とんだ不躾な行いを……と謝っていたが、そんな必要はない。
     ヤエノはとても心配そうな顔をしている。俺の食生活をみて、健康状態を安じているのだろう。本来ならば、トレーナーが担当の健康に気を配らなければならないのに、彼女に余計な心配をさせてしまった。

  • 4二次元好きの匿名さん24/10/14(月) 22:52:15

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  • 5◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:52:25

    「いや、俺の方こそごめん。君に心配かけさせて……。けど大丈夫だぞ?唐揚げ好きだからさ。ついこればっかり買っちゃうんだよな~……」

     これ以上ヤエノに心配させないようにと、強がってみせる。唐揚げが好きなのは本当だが、正直飽き始めているの悟られないように。しかしそれに気が付いたのか、ヤエノは考え事をするように顎に手を当ててこちらを見ていた。全てを見透かしてしまいそうな眼差しに、思わず背筋を伸ばす。
     
    「しかし……トレーナー殿は今、食事をあまり楽しんでいないように見受けられますが……」
    「……全く、敵わないなぁヤエノには……」

     ヤエノの憂えた様子に俺はとうとう観念し、白状した。最近忙しくて同じ物ばかり食べており、食事が楽しくないという事を。教え子にこんな事を言うなんて、なんて情けない……。

  • 6◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:52:48

    「成る程……。然らば、まずは場所を変えましょう」

    「私のレースの事で忙しくしているのは重々承知しております。しかしながら、やはり仕事は仕事、食事は食事でしっかり分ける必要があるかと思います。せめてパソコンの前ではなく、こちらでお召し上がりください」

     そう言うとヤエノは応接スペースのテーブルに鞄を置き、手のひらでソファーを指した。確かに、ヤエノの言う通りだな……と弁当を持ってソファーに向かった。


    「実はトレーナー殿の為に、用意した物がありまして……」

     テーブルを挟み、向かい合って座っていたヤエノがそう言いながら、鞄から水筒のような物を取り出した。普通の水筒にしては背が低く太めなそれには、見覚えがあった。

  • 7◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:53:19

    「それは……スープジャー?」
    「流石、ご存知でしたか。こちらに今朝私が作った味噌汁を入れてきたのです。せめて汁物を追加してみては……と思いましたので」

     ヤエノが蓋を取ると、湯気と共に芳醇な味噌の香りが立ち昇った。柔らかく食欲を刺激してくる香りに、思わず腹が鳴る。どうやら聞こえていたらしく、ヤエノはくすりと笑った。

    「どうぞ、お召し上がりください。お椀も用意しておりますので」

     ヤエノは鞄から新聞紙に包まれたお椀を取り出した。味わい深い木目のお椀に、味噌汁が注がれる。きのこがたっぷりと入った、食べごたえのありそうな味噌汁だ。

    「具材は今が旬の、しめじと舞茸となっております。どちらも食物繊維やビタミンB、ビタミンDなどの栄養が満点。疲労回復や免疫力の向上に良いと言われているのです」
    「へぇー……。随分詳しいな」
    「武道もレースも、まず体から。体を作る食物については、幼少の頃より教え込まれておりますゆえ少々心得がございます。それはそうと、召し上がってみてください」

     ヤエノに促されるまま、いただきますと手を合わせて、お椀を持ち上げる。手の平にじんわりと伝わる熱が心地良い。顔に近づけると、より一層香りが強くなった。二種類のきのこと味噌、出汁は……鰹だろうか?とても良い香りだ。
     何度か息を吹き掛けて、一口啜る。すると鰹だしの利いた味噌汁にきのこの出汁も加わった、旨味たっぷりの優しい味が口いっぱいに広がった。
     今度は具も口に運ぶ。繊維に沿ってさっくりと噛み切れる舞茸と、ぷりぷりとした歯応えのしめじ。噛めば噛むほど味がでて、そこにもう一口味噌汁を啜り、流し込む。味の濃い物や、油物ばかり受け止めていた胃がポカポカと温まっていくのを感じた。

    「はぁ~……旨ぁ……」

     身も心も温まる味わいに、思わず溜め息が出る。そんな俺を見てヤエノは安心したように微笑んでいた。

  • 8◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:54:03

    「お口に合ったようで何よりです。まだまだ御座いますゆえ、沢山召し上がってください」
    「ああ、ありがとう。そういえば、ヤエノは昼ご飯食べたのか?」

     昼休みが始まって間も無く、ヤエノはトレーナー室に来た。雑にがっついて食べる様なタイプでは無い為、もう食べ終わっているとは考えにくい。するとヤエノは、少し俯いてポツリポツリと話し始めた。

    「……いえ、まだ済んでおりません……」
    「そうなのか、なら……」

     早く食べておいで、と言おうとしたその時。ヤエノは顔を上げて、俺の目を真っ直ぐ見据えた。

    「あ、あの!実は味噌汁だけではなく、お弁当も作っていたのです。トレーナー殿の……分を……」
    「えっ?そうだったのか……」
    「はい……。ですが、当然ながらトレーナー殿はご自身でお弁当を用意していて……予め連絡しておけば、このような事にはならなかったのですが……」

  • 9◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:54:52

    「ですが、折角ならばその……わ、私も……昼食はまだですし……その……」

     そう言いながらヤエノは、手提げ鞄から弁当箱を取り出して、手に持ったそれに視線を落とした。逡巡しているかのように弁当箱を撫でていた手をグッと握った彼女は、再び顔を上げた。

    「よ、よければ!私も共に、食事をしてもよろしいでしょうか……!」

     頬を赤らめ、緊張した様子でこちらを見つめるヤエノ。その瞳は不安気に揺れていた。断られるかも知れないと心配なのだろうが、そんな必要はない。断る理由なんてあるはずか無いからだ。

    「勿論!一緒に食べよう!」
    「……!ありがとうございます、トレーナー殿……」

     ヤエノは ホッとした笑みを浮かべ、弁当を広げた。焼き魚に具沢山な煮物、きんぴらごぼうに卵焼きに……と様々な料理がぎっしり詰まった弁当。煮物、美味そうだな……なんて見惚れていたが、ハッと我に帰る。ヤエノにも味噌汁を飲んでもらおう。何か有ったかなと給湯スペースを探すが、マグカップか湯呑みくらいしか見つからなかった。

  • 10◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:55:16

    「ごめんな、ロクな食器が無くて……」
    「いえ、構いません。確かに……少々見慣れませんが、味は変わらぬ筈です」

     そう言ってヤエノは、マグカップに注がれた味噌汁を啜る。……箸とマグカップって珍しい組み合わせだな……。

    「ん……はぁ……。我ながら良く出来ていますね。美味しいです」
    「うん、本当に美味しいよ。ヤエノは料理も得意なんだな」
    「いえ、それほどでもありません……」

     ヤエノは照れた様子ではにかんだ。
     その後は二人で、他愛のない話をしながら食事を楽しんだ。そう、久々に食事が楽しかった。ヤエノと話して、気になっていた煮物を少し貰って。これも美味かったなぁ……醤油とみりんのバランスが絶妙で、優しくて、俺の好きな味だった。
     誰かと……いや、ヤエノと会話をしながら美味しいものを食べる。たったそれだけなのに、まるで……モノクロだった景色に、鮮やかな色が着いたようだった。

  • 11◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:55:39

    「ごちそうさまでした!」
    「お粗末様でした」

     昼食を終えて手を合わせる。久々に充実した食事だった。弁当は勿論、スープジャーも空にして、心もお腹も大いに満たされた。

    「は~……食べた食べた……。本当に美味かったなぁ……」
    「そんなに喜んでいただけるとは……。満足していただけたようで、何よりです」

     ヤエノは「食後にどうぞ」と淹れてくれたお茶を俺の前に置きながら、安心した様に微笑んだ。
     彼女にお礼を言ってお茶を啜り、正面に視線を向ける。両手を使い、湯呑みを傾けるヤエノを眺めていると、その言葉は口をついて出てしまった。

    「将来……ヤエノと結婚する人は、幸せだろうなぁ……」
    「んっ!?けほっ!ごほっ……!」

     俺が突然変な事を言ったせいで、ヤエノはむせて咳き込んでしまった。

  • 12◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:56:02

    「だ、大丈夫かヤエノ!?」
    「いえ、ご心配なく……。して、その……け、結婚?幸せ……とは、何故……?」

     ヤエノは目を潤ませながらハンカチで口元を隠して訊ねた。

    「だって、こんなに美味しい料理を毎日食べられるって事だからさ。幸せだろうなぁって思って。けど、ごめんな?変な事言っちゃって……。こんな事、年頃の女の子に言うべきじゃなかったな……」
    「いえ……」

     ヤエノは「気にしていない」と言っていたが、やはり不適切な発言だったと思う。
     彼女の頬は赤く染まり、口元を隠しているハンカチをシワが出来るほど握り締め、何か呟いていた。

    「ト、トレーナー殿が望むのならば……私は……私で良ければ……」
    「……ヤエノ?何か言った?」
    「い、いえっ……!それほど私の料理を褒めてくださるのはとても嬉しいです、と……」

     うまく聞き取れなかったが、怒らせてしまったわけでは無いらしい。
     ヤエノは照れ笑いしながら、火照った顔を冷ますように、手でパタパタと仰いでいた。

  • 13◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:56:27

    「……トレーナー殿。差し支えなければ、今後も何かお作りしましょうか?」
    「本当に?でも、ヤエノが大変だろう?」
    「ご心配なく。味噌汁くらいであれば、すぐに作れますゆえ。何か好きな具材などはありますか?」
    「そうだなぁ……。大根とか好きだな……」
    「良いですね、大根。菜っ葉も入れれば食感の違いを楽しめて、彩りにもなりますし……」

     何だかんだヤエノに味噌汁を作ってもらう約束で話が進み、結局、予鈴ギリギリまで話し込んでしまったのだった。

     ヤエノが教室に戻った後、俺は軽くストレッチをしていた。彼女の料理のお陰で、心も体も気力満々。早速、疲労回復の効果が表れたのか、体が軽く感じる。
     ストレッチを終えてパソコンに向かう。飲み忘れていた野菜ジュースにストローを挿して側に置き、準備完了。
    さて、お昼からも頑張りますか!

  • 14◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 22:58:07

    おしまいです
    きのこだと舞茸が一番好き

  • 15二次元好きの匿名さん24/10/14(月) 22:59:21

    このレスは削除されています

  • 16二次元好きの匿名さん24/10/14(月) 23:00:28

    味噌汁ってあると食事の質が上がる気がする
    味噌汁を作ってくれが告白になるのも分かるヤエノは分かってなさそうだけど

  • 17二次元好きの匿名さん24/10/14(月) 23:00:29

    言ええええ!!!
    毎朝ヤエノの味噌汁が飲みたいって言ええええええ!!!!!

  • 18二次元好きの匿名さん24/10/14(月) 23:06:03

    俺なめこの味噌汁好きなんだ
    食べることを楽しめなくなるって結構辛いしヤエノのおかげで救われたねこのトレーナー
    ほんとに汁物があるだけで結構変わるから身近な話題のSSな上でヤエノの可愛さも味わえたのでよかった
    ちょっと掛かって嫁入り考えてますよねこの子?

  • 19二次元好きの匿名さん24/10/14(月) 23:17:51

    食べ物の描写がすごく美味しそう…!
    良いものを読ませていただきました

  • 20◆q.2J2dQVmm2K24/10/14(月) 23:23:41

    >>16

    大人になってから食事の度に(汁物欲しいな……)って思うようになりましたね

    >>17

    今はまだ言いませんよ、今はね

    >>18

    なめこも良いですよね。赤だしなら尚良し

    食事はやっぱり楽しくないとですよね

    嫁入りに関しては、とりあえず胃袋は掴めましたね

    >>19

    ありがとうございます。実際に食べて、思い出しながら書きました。結構こだわった箇所なので嬉しいです

  • 21二次元好きの匿名さん24/10/15(火) 10:00:19

    トレーナーは変な事言っちゃった責任取ってヤエノを嫁に貰うべきだな
    良いもの読んだ。ありがとう

  • 22◆q.2J2dQVmm2K24/10/15(火) 17:55:00

    >>21

    こちらこそ読んで頂きありがとうございます

    胃袋は掴まれましたからね。これからどうなる事か……

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