- 1二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 19:53:49
- 2二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 19:54:36
でたな隠れ最強候補
- 3二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 19:54:52
まさかお前ウメノチカラか?
- 4二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 19:54:53
タニノチカラ?
- 5二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 19:55:26
これウマ娘だと有馬記念勝ったあとにウイニングライブでさらばハイセイコー歌わされるんか?
- 6二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 19:58:29
- 7二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 19:59:51
めっちゃ首の下がった走り方する奴きたな…
- 8二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 20:00:34
エキシビションライブでさらばハイセイコーならまあ
- 9二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 20:00:38
ウワーッ!タニノチカラさん!
- 10二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 20:01:53
そういやウオッカと馬主さん同じでしたね…
- 11二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 20:02:14
タニノチカラ(72世代・24戦13勝・天皇賞秋、有馬記念)
死の淵から這い上がり、史上最強の一頭と称されるまでの強さを見せつけた名馬。
デビュー前から名馬タニノムーティエの半弟として注目を集めた(なお脚質は違い、ムーティエは追い込み型でチカラは逃げ切り型)。だがデビュー4戦目の旧3歳秋に故障し戦線離脱、更に翌年には療養中に重度の骨折をしてしまう。安楽死も病むを得ない程の怪我だったが関係者の尽力により辛くも一命を取り留める。翌年春には復帰の見込みが出るまでに快復した。
タニノチカラがターフに戻ったのは旧5歳の7月、実に1年8ヶ月ぶりの復帰だった。条件戦を3連勝し、秋には朝日チャレンジCで重賞初制覇。更に次の重賞戦では2頭の天皇賞馬を相手に完勝、一気にスターダムへ駆け上がる。一戦挟んで迎えた天皇賞・秋では先行策で危なげなく逃げ切り優勝。遂に栄光を掴む。
旧6歳となった翌年は、春こそ冴えなかったが秋になると再び本領発揮。京都大賞典では後輩のスーパーアイドルホースであるハイセイコー以下を4馬身でぶっちぎり、年末の有馬記念へ。この有馬記念はハイセイコーとライバルのタケホープの引退レースだった。
結果は、最後のライバル対決を繰り広げる2頭を尻目に5馬身差の圧勝。王座の地位を確固たるものにした。
翌年の京都記念では63㎏の斤量を背負いながら2着以下に11馬身差という訳の分からない強さを見せつけ、史上最強馬の呼び声すら上がった。その春、故障の為引退した。
通算24戦13勝で、負けたレースも全て4着以内と非常に安定していた。制した大レースは天皇賞と有馬記念だけだが、その強さがいかに印象深かったことは、後に有識者の間で行われた「最強馬部門」のアンケートでシンボリルドルフ・シンザン・タケシバオーに次ぐ4位に入ったことからも窺える。
多分、あの有馬記念の影響が大きいだろう。あのレースは最後までハイセイコーとタケホープに注目が集まっており、優勝馬のタニノチカラはやや肩身の狭い思い(レース後に“さらばハイセイコー”が流れたり)をした。だけど、ハイセイコーとタケホープしか見てなかった人達も、その2頭をぶっちぎったタニノチカラの圧倒的な強さは、やはり脳裏に強く刻み込まれていたのだと思う。彼を史上最強に推す声が多いのもそれが理由ではないか。 - 12二次元好きの匿名さん22/02/26(土) 20:17:15
タニノの冠名で有名な谷水雄三オーナーは当時競馬事業を引き継いだけど続けるつもりはなくて撤退も考えていたけどタニノチカラの活躍で続ける事を決めたらしい
この馬がいなければタニノギムレットもウオッカも存在しなかった可能性がある