巡り合う日を遠くに望んで

  • 1二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 21:55:58

     昼食会を終えて、隊長の運転で地方視察へと向かう移動中。車窓に見える牧場の柵と、草を食む羊の群れを置き去りにして、車は道路を進んでゆく。
     この島が『エメラルドの島』と呼ばれるゆえんは、一面に広がる大地と木々が宝石のように光っているから。豊かな自然に磨かれた島は、絶えず輝きを放っている。

     本当は次の訪問先の情報をまとめた資料に目を通し、再確認しておくべき移動時間。しかし、そのファイルは隣の席に座ったままになっている。
     ぼうっと、幼い頃から慣れ親しんだ景色を眺めること十数分。馴染み深い風景の中に、どこか浮き足立ったような感覚を覚えた。胸の内に隙間風が入り込んで、ひとりでに目線が落ちてゆく。

     手元のスマートフォンが示す時刻は、もうすぐ15時になるところだった。ロックを解除し、ホーム画面で立ち止まる。
     ランダム設定にしてある壁紙は、奇しくもかつての学び舎で撮った一枚だった。

     カツカツと爪で液晶を叩く。吸い込まれるようにメッセージアプリを開いて、さらに画面を下にスクロールすること数度。ある宛先を探していると、ひとつのアイコンが目に留まった。
     設定されているのは、思い出深いラーメンの画像。以前と変わらず同じアイコンのままなことに、なんだか安心したような心持ちの自分がいる。

     指先を迷わせ、躊躇いながらもトークを開いた。現れたのはおよそ半年前、留学生活最後の時間を収めた写真たちだった。まさに劇的な――決して忘れることのできない別れを遂げた後、帰国の機内から送ったことを覚えている。
     この画面を開くのも、当時以来のことだった。数年にわたり国を離れていた分、多くのものを取り返さなければならないのは当然のこと。祖国に帰ってからは学業と公務の両立で、日々のスケジュールはほとんど埋め尽くされている。
     だから、ゆっくりと感傷に浸っている余裕はなかったのだ。

  • 2二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 21:56:40

     再び外に目を向ける。見渡す限りの草原が揺れている。祖国が私を見つめている。

     キーボードを開き、これまた久しぶりに日本語入力を選んだ。指を滑らせると、動きに沿った平仮名が現れる。よかった、まだ文字の打ち込み方は覚えている。
     短い文章を打ち込んで、それを眺める。『ごきげんよう、お元気ですか』は他人行儀すぎるだろうか。
     送信ボタンを押そうとして、全ての文字を消してしまう。思いを巡らせてからもう一度、けれど再び消してしまう。

    「……殿下も臆病になられましたね」

     ルームミラー越しに運転席と目が合った。穏やかな声色は、私の行動を見透かしているようだった。

    「何をしてるか、わかっちゃった?」
    「ええ。そろそろだろうとは思っていましたが」
    「……やっぱり隊長にはお見通しだね」

     思えば、日本留学が始まってから半年くらいの頃にも、ふと寂しさを覚えたものだった。サングラス裏の視線に促されるように、言葉を続ける。

    「……少し、懐かしくなっちゃったみたい」

     懐かしい、という言葉選びが最適ではないと、自分でもわかっていた。
     確かに学園での日々は懐かしい。全力で駆けたレースに、初めてが目白押しだった毎日。友人たちと語ったあれこれも。
     けれど、それだけではなくて。胸の中に灯り続けているものがひとつ。あの人との思い出は“懐かしい”ではなく、きっと恋しいと言うのだろう。

  • 3二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 21:57:10

    「最近はハードなスケジュールが続いていたようにお見受けします」
    「お気遣いありがとう。でも、疲れちゃったとかではないのよ?」
    「疲れていなくとも休息は必要です。明日の予定はキャンセルにいたしましょうか」
    「とんでもない! そのようなことは絶対にできません」

     私のためを思っての言葉だろうけど、そのとおりにはしたくない。自らが果たしたいと願う責務のため、毎日身を尽くせることがなんと幸せなことか。

    「隊長だって、ほとんどお休みを取らないじゃない」
    「それは、少しでも長く殿下のお傍にお仕えすることが私の望みだからです」
    「私も、民のために働くことを望み、そうしていることを誇りに思っているの」

     わかるでしょう、と語りかける。彼女も私をよく知っているのだから、それだけで言いたいことは伝わっていた。

  • 4二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 21:57:44

    「……また逢えるとしたら、いつ頃のことになるのかな」

     数年単位で立てられるスケジュールの中に、アジアへの外遊は予定されていない。ましてや、海外に遊びに行けるほどの休暇を取れるあてもない。

    「顔を合わせられずとも、あの方に連絡は取れるのではないですか」

     彼女の言うとおり、すぐに連絡することはできる。日本の時差は9時間。アイルランドが昼下がりを迎えているいま、日本では翌日に日付が変わる寸前になる。

    「彼の部屋の電気は深夜まで点いていることがほとんどでしたから、いま送ればまだ起きているはずです」
    「お詳しいのね?」
    「殿下のトレーナーになられてからは監視もありましたので」

     彼を監視するというよりは、彼に近づく人物を監視するというほうが近かった。もっとも、隊員たちの間では私の近くに居られないからと、彼の見張りはいささか不人気な当番だったようだが。

     手中にあるトーク画面は、メッセージが入力されるのを待ち構えている。指先を少し操るだけで、遠く離れた場所まで一瞬で言葉を伝えることができる。送れば、きっとすぐに確認してくれるだろう。

  • 5二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 21:58:21

     目を瞑り、開く。小さく息を吐く。

     点滅するカーソルを今一度見つめてから、メッセージアプリを終了させた。スマートフォンを伏せ、改めてルームミラーを見据える。

    「よろしいのですか」
    「思い出は大切だけれど、そればかりを見返していたら前に進めないもの」

     過去に学ぶことは大切だが、固執するのとは違う。経験を糧に、この国の未来のために何を成せるかを考えることが、最も重要なこと。

    「“思い出”だけではないと思いますが」
    「……そうね。そうだけれど」

     胸に手を当てる。想いは確かに灯っている。
     そしてなにより、彼はいつでも心の傍にいる。

  • 6二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 21:59:11

    「声をかけるとしても、きっと今じゃない」

     あの人と街中で出会ったことを運命と呼び、遠く離れたことも運命と呼ぶのなら。
     再び巡り合う日は、いずれ星のように降ってくるのだろう。

    「……私ならすぐに電話をかけてしまいそうです」
    「あら、隊長も乙女だものね」
    「人並みにそのような経験はありますので」
    「よかったら今度、そのお話も聞かせてくださる?」
    「国や立場を越えて、というものではございませんが、それでもよろしければ」

     隣のファイルを手に取った。今日と明日のタイムテーブルと、これからご対応してくださる方々のプロフィールや背景情報が記されている。ひとつひとつ、頭の中の記録を確かめるように読み進めていく。

    「あとどのくらいで到着かな」
    「もう少々ございますので、今からご確認されても間に合います」
    「ありがとう。安全運転でよろしくね」

     私の愛する運命が微笑む日を遠くに望み、いま成すべきことに向き直る。
     窓の外、地面を埋め尽くしたエメラルドがきらめいた。
     

  • 7二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 22:08:38

    前作

    どんな高価なものよりも|あにまん掲示板「誕生日プレゼントはいりません!」 ファインがそう宣言したのは数週間ほど前のこと。カレンダーを眺めながら、二十七日にマークを書き入れたときだった。 前々から何を用意しようか考えてはいたものの、彼女は一…bbs.animanch.com

    自分への誕生日プレゼントに書いてたお話が誕生日ネタじゃないほうがいい話が書けそうだったので書き直しました(一週間くらい遅刻)


    最近はファイン作品も以前より見ないなあと思ったけど自分で書くのが大事よね

    前作から間隔は空いたけど、もともと自分が書き始めたのは地産地消のためだったので初心に帰った気分がしました

  • 8二次元好きの匿名さん24/11/05(火) 23:15:48

    しっとりしてて好きだよ

  • 9二次元好きの匿名さん24/11/06(水) 00:38:37

    すき

オススメ

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