- 1二次元好きの匿名さん24/11/24(日) 15:41:37
- 2124/11/24(日) 15:44:47
”自由な者は不自由であり、不自由な者は自由である”
こんな矛盾に包まれた言葉がもしあったとして、それに同意してくれる人はどれくらいいるだろうか。
少なくとも、彼女にとっては──今回の件は、まさしくそれだったのかもしれない。
そんな出来事の話だ。
「やぁ、ミネ。おはよう」
「おはようございます、先生。本日はお越しくださり、ありがとうございます」
ある日、シャーレの先生である私は、救護騎士団の団長であるミネから、相談事があると持ちかけられてトリニティ総合学園を訪れていた。
通された待合室の中で、ミネから差し出されたティーカップに角砂糖を少し入れて混ぜながら話を聞く。
「それで、一体どうしたんだい?」
「そうですね…単刀直入に言えば、セリナのことについてなのです」
「セリナの?」 - 3124/11/24(日) 15:46:27
そこで私は、ピンク色の髪をした救護騎士団の一人を想起する。
鷲見セリナ。非常に温和で心優しい生徒で、様々な人の元に駆けつけては何かしらの助けになろうと邁進している生徒だ。
怪我の手当から健康管理まで含めて優秀な医療従事者な反面、どこからともなく現れる神出鬼没な所もある。
幾度となく、シャーレの中で過労のあまり倒れた際に助けて貰ったのだが、その際何故かシャーレに敷かれていたセキュリティを難なく突破して到着していたと知った際には、頭にはてなが浮かんだものだ。
「彼女に何かあったのかい?」
「単刀直入にいえば…様子がおかしいのです」
「様子が?」
「えぇ。以前に比べて機敏さや正確さが損なわれ、少しずつ彼女のミスが増えています。うまく集中できていないというか、呆けてしまっている時も見受けられたことも。つまり、本人が思っている以上に疲労が蓄積している可能性が高いと思われます」
「…セリナがそんな状態に?」
- 4124/11/24(日) 15:48:11
「あの子自身、健康管理に厳しい所があるのは先生も承知だと思うので、どういうわけかと最初は思ったのですが…原因は別のところにあると今は考えています」
聞いた話は、確かにセリナとしては珍しい状況だった。
特に自己管理に関しては、普段から自分がしつこく注意される身だ。
そんな彼女自身が、自分の体を疎かにしてしまうというのは、本末転倒というかあまり想像できないのはミネと同意見だった。
「私の方からも、彼女に休息を取ってはどうかと提案したのですが…『私は大丈夫です』の一点張りで断られてしまいました。それで、無理にでも休ませる為に引き留めようとも考えましたが、いつもその前に彼女は姿を消してしまうのです」
「それで私に声をかけたということかな」
「はい。お恥ずかしい話ながら…」
「何か心当たりとかはある?そうなったきっかけというか…」
ティーカップを手に取って紅茶を一口飲んだミネは、やや雑な仕草ながらそれを小皿へと置いた。
「…恐らくは、あの一件でしょう」
- 5124/11/24(日) 15:50:16
すると、ミネが語り出したのは、少し前にあったある事故のことだった。
「トリニティ内のとある建物で、ガス爆発の事故があったのを覚えていますか?」
「あぁ、ニュースにもなってたからね。確か、元栓の締め忘れが原因だったとか…」
「その際、我々救護騎士団も駆けつけたのですが、救護対象だった患者の一人が、手当てをしていたセリナに暴言を吐いていたようです」
「…どういうこと?」
「私も詳しくは聞き取れずじまいでした。ですが、どうやら我々の到着が遅かったことに文句を言っていた様です。本人達の不始末が元の原因でありながら、他責に走るという思考回路には思う所があり、その場で私が『救護』しました」
「そっか…ミネの考えでは、その時のことが関係してると思う?」
「現状は。実際、セリナの様子が変わり始めたのは、その一件以来でした。
しかし、あの子は強い子です。言葉一つで、そこまで動揺するとは考えにくいのですが…」
「多分、セリナ自身になんて言われたか聞いてみたりもしてる感じだよね?」
- 6124/11/24(日) 15:53:01
「はい。ただ、『大したことではありません』と取り繕われてしまい…
どういうわけか、まるで私たちに迷惑をかけまいと一人で解決しようとしている様にも見えます。
私としては、第三者である先生にその悩みを聞いて欲しいのです。
できるならば、多少強引にでも彼女を止めるべきかもしれません」
つまるところ、生徒のカウンセリングに近いことをしてほしいとのことだ。悩みに乗り、相談口になるのは、先生としての得意分野だ。ここはぜひ力にならせてもらおう。
「事情は把握した。そういうことなら、一先ずセリナと話してみるよ」
「ありがとうございます。今は外で救護活動を行っていると思いますので、こちらに帰ってき次第、先生が話したがっていたと伝えておきます」
「分かった。私は仕事があるから一旦シャーレに戻るよ。セリナが戻ってきたらまた教えて」
「畏まりました。それでは」
一旦はそうして席を立つ。そうしてトリニティ総合学園の敷地を出た時には、この件に関して私は正直な所、重大な事態にはならないだろうと考えていた。
生徒の相談に乗るのはいつもすることだし、今回の相手はしっかり者で優等生なセリナだ。
きっと、ちゃんと話し合えばその原因も分かるし、解決もできるはずだろうと。
- 7124/11/24(日) 16:00:22
「…変だな」
しかし──夜中の20時を過ぎても、セリナは来なかった。
外を見れば、すっかり日が落ちており、更には土砂降りの雨が降っている。この状況で、向こうに彼女が戻っていないとは考えにくい。
ミネからは、18時ごろに「話をした所、後ほどシャーレに行くそうです。そこまで時間はかからないと思います」とモモトークで伝えられていた。
しかし、それにしてもかかり過ぎだ。すれ違いの可能性を考慮して待機してはいたのだが、既に2時間立っている。おまけに彼女は、駆けつけようと思えばすぐに来ることが可能な印象があった。
「…途中で何かに巻き込まれた…?」
そんな嫌な予感が頭をよぎり、私が彼女を探そうと席を立った瞬間だった。
コン、コンとか弱い音でシャーレのオフィスのドアがノックされた。
「──もしかして」
確かめる為にも、私はドアをゆっくりと開ける。そこにいたのは、やはりセリナだった。
しかし──想像だにしない姿で、彼女はそこに立っていた。
- 8124/11/24(日) 16:03:54
- 9124/11/24(日) 16:05:29
「セリナ…!?どうしたの、そんな風になって…」
思わず聞いた私の前で、セリナは──まるで堪えきれなくなったように、大粒の涙をこぼし始めた。
「ごめん、なさい…」
その謝罪の言葉を一つ呟くと同時に、彼女はその場で嗚咽混じりに泣き始めてしまった。
私はそれを見て、どうにか彼女をゆっくりと部屋の中へ入れてあげることしかできなかった。
もしかしたら──私が思っていた以上に、彼女は大きな何かをずっと抱え込んでいたのだろうか。
そう思うと、気づけなかった自分が不甲斐なくて堪らなく嫌になった。
取り敢えず、まずは体の傷の手当てをさせてもらった。
医療従事者である彼女からしたら不出来なものかもしれないが、そこはアロナやプラナに知恵を貸してもらうことで何とかなった。
その後、雨で濡れた体を拭く為にバスタオルを出し、ヤカンで湯を沸かす。念の為に、こういう時のために取ってある生徒用の予備の着替えも出しておく。
- 10124/11/24(日) 16:08:09
しかし、すっかり意気消沈してしまっているセリナに、タオルを渡して終わりなのも違うと思い、私は彼女に聞くことにした。
「…一先ず、そのままじゃ寒いと思うから、タオルで拭かせて貰っても良いかな」
無言のまま、セリナはコクリと頷いた。それを了承のサインと判断し、優しくタオルでセリナの髪についた雨粒を取り除く。
それが終わったら、次は体の水滴をちょっとずつ拭いていく。ある程度終わった所で、お湯が沸いたことを知らせるようにヤカンが音を立てた。
「ごめん、ちょっと待ってね」
一旦その場を離れ、コンロの火を止める。既においたマグカップにココアの粉末と少々の牛乳を入れ、そこにお湯を注ぎ込む。牛乳のおかげで、温度も丁度良い具合だろうか。
それをセリナの元へと持っていき、彼女に勧める。
「まずは、冷めた体をあっためないとね」
「…ありがとう、ございます…」
少し躊躇った後、そのマグカップをセリナは手に取って中身を少し口に含む。
一つ小さく息を吐くと、多少ではあったが落ち着いたようだった。
- 11124/11/24(日) 16:11:05
「あとでシャワー室を使っても大丈夫だよ。着替えも一応用意してある」
「…すみません、何から何まで…」
「気にしないで、これだって先生の役目だと思うしね。外は酷い雨だし、今日は無理しないでここに泊まっていってかまわないよ」
「…では、お言葉に甘えさせて頂きます」
そう口にしながらも、彼女の表情にはずっと虚な影が浮かび上がっていた。すぐにそこに切り出すのは酷だろうと、私は一先ず様子を見ることにした。
暫くした頃、セリナは私に断りを入れてシャワー室を借りに行った。
その後、替えのパジャマに着替えた彼女が出てきたのを確認した私は、デスクの上の書類から目を離す。
「服は大丈夫そう?」
「はい、ちょうどいい感じかと…」
そこで私は、改めて彼女と話すためにセリナに向き直る。
「…セリナ。君が良ければ、私に話を聞かせてくれないかな。無理にとは言わないし、君が嫌なら断ってくれてもかまわない」
すると彼女は、目線を逸らして迷っていたが、最後には頷いた。
「…そう、ですね。ここまでして貰った以上、先生には、お話しするべきかもしれません」
「ありがとう、セリナ」
小さなテーブルを挟み、私とセリナは向かい合うように置かれた二つのソファにそれぞれ座る。
その間には、二つの湯気がたったマグカップが置かれていた。
「さて、そうだね…ここにくる前に、何があったんだい?」
- 12124/11/24(日) 16:13:39
「…実は、シャーレに向かう最中にある生徒達の抗争に巻き込まれてしまって…いえ、どちらかと言えば巻き込まれに行ってしまったんだと思います」
「抗争…」
「トリニティの現体制に対して不満を述べていた生徒達に、別の生徒達が苦言を申している場面を目撃したんです。大事になってしまわないようにと仲裁に入ったのですが…最終的には銃撃戦にまで発展しかけたんです」
「発展しかけた…つまり、セリナの体の傷は…」
「はい…彼女達が互いに撃ち合った際、私は間に入ってその銃弾を受け止めました。双方が第三者を撃ってしまったという事実に戸惑っている間に説得して、なんとかその場は抑えられたのですが…この様になってしまいました。
その後、シャーレに向かう最中に雨に降られてしまい、通りかかった車が跳ねた泥を受けてしまって…気がついたらこんな風に…」
「そっか…それは、大変だったね」
…争いごとを嫌う彼女のことだ。恐らく、身を挺してでもその状況を避けたかったのだろう。
- 13124/11/24(日) 16:15:52
ただ、心意気こそ献身的とはいえ、銃の射線上に立って止めようとしたことはあまり褒められたものではない。
やっていることは、自己犠牲からくる自分を顧みない行為そのものだ。
本当なら叱らないといけないものではあるのだが──ここまでボロボロになっている所に畳み掛けるのはあまりにも心が無い。
とてもそんなことはできないと、今はその言葉を胸の奥にしまった。
しかし、普段の彼女であればここまでに至ることは想像しにくい。
治療する者が真っ先に倒れるべきでは無く、ましてや自分を大事にするべきことは、彼女自身がよく知っているはずだ。
やはり──何か彼女の中で起きている。ミネから聞いた様子がおかしいという話が、現実味を増してきた。
「…セリナ。もしかしてだけど…この件が起きる前から、君の中で何か変わった事はあったかな?
特にそうだね──心境の変化とか」
「…それが、よく分からないんです」
セリナは持っていたマグカップの中のココアに映る、彼女自身の顔を見つめる。
「なんと言えば良いでしょうか…ずっと、自分は何かをしてないといけないっていう、焦りが生まれてしまっているんです」
「焦り…」
- 14124/11/24(日) 16:18:23
「…私は、誰かの元にすぐ駆けつけられるようにしたいと、ずっと思ってきました。
そのために、私自身の“その力”も使っていることは、先生もきっとご存知の筈です」
「そうだね。過労で倒れた際に、シャーレのオフィスに突然現れてたのには流石に驚いたよ。
それに、何だか私のこともお見通しというか…一言で言えば、『千里眼』や『瞬間移動』を彷彿とさせたかな」
「…はい。ですが…」
甘いココアに浮かんだのは、どこか苦い色の彼女の表情。
その表情に見えるのは、疲労と諦観──それと、一種の恐れだった。
「エデン条約の騒動の時のことを覚えていますか。セナさんの車両に乗せられて、先生が運ばれた時のことを」
「…あぁ。覚えてるよ」
腹部に受けた銃弾のことを思い出す。そういえばあの時、セナが運んでくれた私を引き取ったのが、トリニティ総合学園にいたセリナを含めた救護騎士団だった。
- 15124/11/24(日) 16:22:28
「その時の私は、騒動によって起きた突然の変化に対応するのが精一杯でした。
いつものように“その力”を使えないほどに、状況は切羽詰まっていましたし、目の前の患者さんを放っておけなかったんです。
…それでもその中で、先生が運ばれてきたと知った時は、正直不甲斐なくて仕方が無かったんです。
『肝心な時に、私はそれを見なかった。側に駆け付けることすらしなかった』って。
”その力“をほんの一瞬でも使えば、もっと早く、先生の元に駆けつけることができたんじゃないかと」
そう語るセリナに、私はゆっくりと言葉を紡いだ。
「…だけど、君がそこにいたことで助けられた人がいるのは事実だ。
それに、私にはその時セナがいてくれて君たちの元へと運んでくれた。そして結果的に、私は今ここにいる事ができている。
君がそこで目の前の人の為に尽くしていた事は、間違いじゃないと私は思うよ」
「…そう、ですね…先生はきっと、そう仰って下さるんだろうなと思っていました。
私自身も、その時の判断を後悔こそしても、間違いではなかったと信じたいんです。個人にできることには、どうしても限界がある。
だからこそ、一人一人が、自分にできる限りのことをするべきなのだと」
- 16124/11/24(日) 16:23:18
- 17124/11/24(日) 16:25:47
一ヶ月前くらいのこと。
「ここです!早く!」
ガス爆発が起きた飲食店の中では、様々な人が外に運び出されていた。
「中にまだ人はいますか!?」
「奥に二人!まだガスが漏れている危険な状態です!」
「私が行きます。セリナとハナエは急患の手当てを!」
「はい!」
まだ火の手が立ち込めている店内に、盾を構えながら団長のミネが颯爽と突撃していく。
危険な状況でも恐れず飛び込む姿勢は、流石と言うべきだろう。最短ルートで行く為に、道中の壁を壊していくであろうことには緊急事態として目を瞑っておく。
「ハナエちゃんは向こうを!私はこちらの患者の方を手当てします!」
「了解です!」
それぞれ分担し、患者の手当てをしていく。その時セリナが担当していたのは、火傷による損傷が酷い患者だった。
「うぅ…い、痛い…腕が」
「無理に喋らないで!今手当てをしますから、安静にしていてください!」
- 18二次元好きの匿名さん24/11/24(日) 16:26:55
当店セルフサービスとなっておr...
何ィ?!仕事が早いぞ?!しかも良質!! - 19124/11/24(日) 16:28:00
- 20124/11/24(日) 16:29:27
- 21124/11/24(日) 16:31:44
「セリナ!」
そこで急に、凛とした声が聞こえてきて、セリナははっと我に帰った。
声の方を見た瞬間、既に屋内の救助を完了させていたミネ団長が、セリナに向けて凄まじい剣幕で叱りつけてきた。
「なぜ手を止めているのですか!考えるのは後回しです、今はあなたのやるべき事を全うしなさい!」
見ると、隣でセリナに暴言を吐いていた患者がのびていた。死なない程度に、一時的にミネが気絶させたのだろう。このままでは治療に支障が出ると、その場で判断しての即断即決の対応だった。
「す、すみません…すぐに再開します!」
慌ててセリナは、手に持った包帯を目の前の患者の腕に巻き付ける。しかし、いつもより手が震え、上手くいかない。
どうしても、先ほどの言葉が頭の中で巡ってしまう。
ここに来るとき、セリナは既に別の場所の救護に向かう際に“その力”を使っており、その後に連絡が入ったこの事故についてはハナエやミネ団長と共にやってきていたのだ。
- 22124/11/24(日) 16:37:38
全体で動くことには、統一した動きが取れることや情報の伝達の早さもあり、メリットも充分にある。
そのことを分かっていた上で、セリナの頭の中にはどうしてもある可能性が拭えなくなっていた。
もし自分が“その力”を使えば救えたかもしれない人が、この先出てくるとしたら。
いや──過去に自分が関わった事柄は運が良かっただけで。先生の時も、セナがその場にかけつけてくれたから間に合っただけで。
もしかしたら──自分は、上手くいっているのをいいことに。
"自分にできる限りのことを、本当は怠っているんじゃないか"と。
結局、事故が終わった後にハナエとミネと合流してからも、セリナは動揺を隠せずにいた。
それを見かねた二人が、声をかけてくれる。
「セリナ先輩、どうしたんですか?なんだか顔色が…もしかして、さっき聞こえてきたあの人の言葉を?」
「セリナ、さっきの言葉を気にしてはいけません。あなたはできる事を確かにしている。それは私とハナエがよく知っています」
「…はい。大丈夫、です」
そう答える彼女だったが──心の中には、異様な燻りが残り続けていた。
- 23124/11/24(日) 16:39:54
──話は、現在のシャーレのオフィス内に戻る。
「なるほど…それが事の顛末だったんだね」
「はい…救護する際、患者の方から苦情や文句があるのは時々あるのは事実です。誰もがみんな、お礼を言ってくれる人ばかりではありません。私も、それは幾度となく経験してきたので」
「ですが──エデン条約の騒動の時のこと、今回のあの人が言っていたこと。それらが繋がった上で、どうしてもあることが頭から離れないんです」
それは、彼女だからこそ想起した可能性からくる考えであり──彼女のみが持つ自由が故に起きた心の不自由さだった。
「私は自分にできることを疎かにしている──どこにでも駆けつけられる自由を持っていながら、それを使わずに誰かを助けていないんじゃないかって」
- 24124/11/24(日) 16:41:11
マグカップを握る彼女の手の力が強くなる。
閉じた瞼から溢れた涙がセリナ自身の膝へと溢れ落ち、パジャマのズボンの上に滲んでいく。
それを見た瞬間──私は自分が至らなかった一つの事実に対して、深く悔やむ。
そう──目の前にいる彼女も、まだ育ち盛りの一人の生徒にすぎない。
そして同時に、医療従事者という人を支える立場であるが故に、誰かに常日頃頼られている存在だ。
そんな子が抱えているものがあったとして──誰かに頼るという選択肢を、すぐに思いつくことが簡単にできるだろうか。
いや──まずその抱え込んだ重さの正体に気づけるだろうか。
気づかぬうちに燻り続けた不安という火の種が、長い時間をかけて育っていき、やがて自身を蝕む大きな火の粉となる。
それがおそらく──今の彼女の状態だった。
- 25124/11/24(日) 16:44:19
- 26124/11/24(日) 16:46:18
「…分かってます。先生は、私を止めたいんですよね。
このまま、私が無理をし続けることが分かっているから。
でも──ごめんなさい。
私は動けるから──誰かの為に動かないと」
やはり彼女はこちらを見通している。その目は不安の中なれど健在だ。
それが自分の方へと向いてくれればとどれだけ思うか。
止めるならば──生半可なことではダメだ。見通された上での想定外でなければ、彼女は止まれない。
であるならば──一か八か。
普段であればしないであろうその行為をもって、私はある賭けに出た。
「待って、セリナ」
「…ごめんなさい、先生。団長からきっと、頼まれていたのですよね?無理矢理にでも休ませてほしいって。それでも、私は──」
「そうだね。私は君をここに無理やり留めておく事はできない。
だからこそ──」
- 27124/11/24(日) 16:48:52
チャリンと音が鳴る。
近くの鍵付きの棚から、それを私は取り出した。
「自分のことを大事にできない悪い子には──君が自分からここに留まって休めるようにしてもらう。
そしてそれができるように、私は君に”まじない“をかける」
「まじない…?」
私が取り出したのは──手錠と足枷だった。
無論、これは相手の動きを封じる事が目的として使われるが、自分が手に持っているものにその抑止力は少ない。
外そうと思えば外せる類のもので、どちらかといえば遊びとしての側面が強いものだ。
どうしてこのタイミングでこれを持っておけたのだろうと、つくづくゲヘナの風紀委員にいる行政官の彼女を思い出す。
彼女とのある一件の時、首輪と一緒にこれを見つけてしまった際、ついでに持って帰ってきてしまったのは果たして幸いというべきか、或いは不幸か。
とはいえ、この話を彼女にすることは恐らくないだろうけど。
「あ、あの…先生、それは…!?」
これにはセリナも、流石に想定外らしく、無理やり作っていた笑顔が戸惑いの顔色へと変わった。
「ど、どうしてそれを…それに、私じゃ意味を為さないかと」
「そうだね、君はこんなものでは縛れないし、簡単に抜け出せる。
でも──私がこれを出した本質はそこじゃない」
- 28124/11/24(日) 16:50:13
- 29124/11/24(日) 16:52:31
──────────────────────────────────
私は──鷲見セリナは、迷っていた。
既に今日はもう、いろんな場所に行っていた。
ここ最近はずっと前よりさまざまな場所に行くようになっており、足元も正直覚束ない。
それが自分の心身に過剰な負荷をかけていたことも、分かってはいた。分かっていて尚、止まれなかった。
“その力”を持っているのは私だけで、私にしか分からないもの。
それを持つという自由も、その選択肢からくる葛藤も。
だから、誰にも打ち明けられない。打ち明けても、きっとどうにもならない。
一度その選択をすれば、それは今後もずっと選択肢の中に残り続けるのだから。
それはずっと私の「自由」であり、私にとっての「できること」であり続ける。
だからこそ──先生が提示したその選択肢に。自分が踏み入るべきかどうか、限界に近い体を引きずりながら考えていた。
その手にある「不自由」で、彼は私の「自由」をどうするというのだろう。
その答えが──今は知りたくなっていた。そして心はそれを拒む力を失い、目の前の覚悟と歪な形の思いやりに飲まれることを望んでいた。
それが果たして正しいかは──きっとこの後、彼が教えてくれるだろうと願って。
- 30124/11/24(日) 16:54:50
私が先生に近づくと、彼は部屋の電気を消し、小さく仄かなランプをつける。
ソファに座った私の背に、暖かいブランケットを一枚かけてくれた。
「…ありがとうございます」
「寝たくなったら、寝てもいいからね。それまでは、少しだけ話そう」
彼はそういうと、さっき取り出した手錠と足枷を私に見せる。改めて見ると、少し心臓の鼓動が速くなるのを感じる。
「あの…“まじない”というのは?」
「あぁ、そうだね…セリナ、さっき君が言った通り、これをつけることで君を拘束することはできない。
その上で、私は今から君にこれをつけようと思っている。君が嫌だったら、勿論断ってもいい」
暫しの逡巡。その後に──私はそれを受け入れた。
「…分かりました、大丈夫です」
「…本当にいいんだね?」
「はい」
私が両手をそこで差し出すと、彼は片方ずつそこに手錠をかけていく。それが終わると、私の足にも同様に足枷をかけていった。
「痛かったり、きつかったりはしない?」
「はい…大丈夫です」
不思議と重さは感じない。ただこれで、一定以上に腕や足を広げることはできなくなった。
「それで…”まじない“とは一体なんでしょうか…?」
- 31124/11/24(日) 16:56:48
「…そうだね。分かりやすく言うとすれば──
それは、君に自分が『不自由』であることを自覚させるためのもの。
一言で言えば、ストッパーのようなものの象徴としてみてほしい」
「ストッパー…?」
「そう。無理矢理つけるものではない、外そうと思えば外せるけど、意図的に外さないもの。
自分自身でかける、自分を止める制御装置。そんな風に考えてみて」
「意図的に、自分からかけるもの?」
「一種の思い込みみたいなものに近いのかな。
自分のできることはどこかで限られているのだと。他人の力をどうしても借りなければならない程に、本来はとても弱い存在なのだと再確認する。…決して自分を過小評価するとか、そういう意味じゃない上でね」
「それは本来──人が生きる上で必要で、無意識にみんな心の中にかけている枷なんだ」
- 32124/11/24(日) 16:58:53
「その心の枷をつけている時、人は無理をしない。無理をせず、周囲に任せて頼ることを覚える。
外そうと思えば外せるけど、あえて外さないストッパーがあるから、人は壊れない程度に動き続けられる。
恐らく今の君は、その心の中のストッパーが外れた状態に近いんだと思う。
今の君は──君自身が分からなくなっている『できる限り』のラインを、きっと超えてしまっているんだ」
「ですが…できることがあると知った上で、それを敢えてしないというのは…」
そう答える彼女は、それは医療従事者として救える患者を見捨てろと言われてる気がしてるのかもしれない。しかし、決してそうではないと繰り返す。
「無理をするなとは言わないさ。助けたい人がいるなら、助けていいんだ。
でも、忘れないでほしい。
人は本来、自分が思っている以上に『不自由』で、できることは非常に限られている。
その枠から外れて尚何かを無理矢理にでもしようとすると、反動が自分に襲いかかる。
…普段から無理ばかりしてる、私なりの見解だ」
- 33124/11/24(日) 17:02:27
「その説得力のある言葉は、正直あまり聞きたくはなかったのですが…」
「…ごめん、善処するよ。いつも無理して、心配をかけちゃってごめん。
とはいえ、私は大人だ。そうしなければならない場面が多いのは許してほしい。
でも、壊れるほど無理をするつもりはないし、セリナにもそうはなって欲しくないからね」
「誰かのためになりたいのなら、まず自分自身をよく見て大事にすること。
自分を傷つけかねない無茶に気づき、止める為のストッパーを作っておくこと。
もしかしたら、セリナ自身が、そのことに逆に気づきにくくなっていたのかもしれない。
それが分かりやすくなるかなって出してみたんだけど…やっぱりなんか違ったかな…」
そうして困り気味に頭を掻いた先生を横目に、私はかけられた手錠を見る。
これと足枷を取り外してここから去り、「自由」になることは容易いだろう。
しかし、今の私にとってその「自由」は、心を掻き乱して道を狭める「不自由」になっている。
動けるかどうか、動くかどうか。
それをわかっていて、最終的に決める決定権は自分にあった筈なのに。
気づけばその決定権を、放棄しかけていたのだ。
「…そうですね。もしかしたら、この方法じゃなくても、その意味は分かったかもしれません」
「それはそうだよね…ごめん」
「──ですが…」
- 34124/11/24(日) 17:04:01
そこで、私は自分にかけられた“まじない”のもう一つの意味を知った。
もし自分にとってどこまでが自由なのか分からず、不自由の中に苛まれた時──それを思い出させてくれる存在がいるのだと。
それはある意味別の不自由でありながら──自分を本当の意味で自由にさせてくれるのだと。
「先生が私を仮の形とは言えどこうして捕まえてくれたおかげで──私は、まだここにいます。
留まることを自分で選び続けています」
「……そっか」
「…私自身、“その力”のことを未だよく分かっていません。
なぜ自分が使えるのか、どうやって使うのが最善なのか。どこまで使うべきなのか。
それは、きっと今後も考え続けなければいけません。
それでも…探したいです。私が助けたい人の為に。私を大事に思っていてくれる人の為に」
- 35124/11/24(日) 17:06:20
「…そうだね。君のことを思ってくれている人は確かにいる。その人たちの為にも、君は君自身をちゃんと見てあげて」
「はい……あの、先生」
「ん?」
そこで私は、先生の方に向き直る。枷についた鎖が僅かに擦れ、微かな金属音を鳴らした。
「…いつかまた、今日のように自分を見失ってしまうかもしれません。
こんな風に、疲れ切っていることがわかっていても、立ち止まれなくなるかもしれません。
団長やハナエちゃんにも助けを呼べるように頑張りますが、それでもという時には──」
「こうして、私のことを捕まえて、見てくれますか?」
自分でも、何を言っているのだろうと思いたくなる。この状況を見た人にとっては、束縛を望んでいるという半ば常軌を逸した言動かもしれない。
それでも、不安だったのだ。
どこにでも行ける自分が、いつか誰にも見えない場所に行ってしまいそうで。
その時には、誰にも見つけて貰えなくなりそうで。
その時、自分を見つけて捕まえてくれるのは──きっとこの人だろうと。そう思ってしまった。
- 36124/11/24(日) 17:07:56
- 37124/11/24(日) 17:09:05
- 38124/11/24(日) 17:10:49
次の日の朝には、枷は既に外れていた。夜のうちに、こっそり先生が外してくれたのだろう。
昨日の事を先生は改めて謝罪してきたのだが、私はそれは必要ないんですと優しめに断った。その代わり、昨日の出来事は二人だけの内緒として、誰にも話さないことにした。
そして、夜の話のお礼を言ったあとは、先生が洗濯と乾燥機の手入れを済ませてくれていた制服を着て、私はシャーレを出て救護騎士団の本部へと戻った。
私を見たハナエちゃんは心配して声をかけてくれたが、私はそれに大丈夫と答えた。
ミネ団長は最初こそ私の様子を伺っていたようだが、先生が私と話をしてくれたということを話すと、彼女も胸を撫で下ろした。
最も、全てを話したわけではないけれど。
そうして、今。
私は以前と変わらず、救護騎士団で救護活動を続けている。
ただし、前より色んな人を頼るように心がけるようになった。
団長やハナエちゃんを初めとして、私と親しくしてくれる人たちに手を貸して欲しいと助けを求めた時は、それを喜んで引き受けてくれたので、これでいいんだと私はちゃんと思えたのだった。
できるならば、先生に頼るのは、本当に止まれなくなったその時にしたいから。
- 39124/11/24(日) 17:14:00
誰も知らないであろう、たった一夜の二人だけが知るお話。
私と彼を繋ぐ、誰にも見えない透明な鎖。
それは私の心に未だ課せられた枷へと繋がり──私の心に残り続ける不自由の象徴。
そして──私を本当の意味で自由にしてくれるもの。
先生の鍵付きの引き出しに入っているであろうあの枷が、再び日の目を浴びるかは分からずとも。
私のこの話は──ここで一先ずお終いと致しましょう。
あの日私が感じた安心感は、未だ彼と繋がる、絆の鎖として残っているのだから。
終わり
- 40二次元好きの匿名さん24/11/24(日) 17:22:50
自由な者ほど実のところはその自由に縛られていたって言うことに気づいていないってのは結構ある話よね
ちゃんと先生が先生しているのも頼もしい
非常に良いSSでした - 41124/11/24(日) 17:48:06