決起から統一まで早すぎない?

  • 1二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 22:09:36

    忠誠心MAXな最初の仲間が全員存命なうちに統一ってあまりにも早すぎない?

  • 2二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 22:14:38

    無数の雑魚と項羽が相手だったからかな?
    そんで項羽がひたすら虐殺する奴だから民衆はこっちを支持したとか

  • 3二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 22:23:26

    統一出来る奴は、大概早いからな
    止まったら統一まで行けない

  • 4二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 22:27:40

    なんで左遷されてそっから勝てるんです????

  • 5二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 22:29:32

    三国志が長すぎやねん

  • 6二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 22:32:19

    >>5

    更にそこから延長線で続く魏晋南北朝時代がね

    長いよね

  • 7二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 23:01:57

    前漢の高祖――秦と項羽を滅ぼすのに約7年
    後漢の光武帝――新と他の群雄を滅ぼすのに約14年
    唐の高祖――隋と他の群雄を滅ぼすのに約10年
    明の洪武帝――元を追い出し他の群雄を滅ぼすのに約17年


    一から旗揚げして国内の騒乱を統一した初代皇帝はこんな感じかな?

  • 8二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 23:06:36

    >>7

    唐の高祖は違うなあ

    挙兵の時点で隋の北部方面総司令官的なポジだった

  • 9二次元好きの匿名さん24/12/01(日) 23:09:23

    >>6

    三国志って身も蓋もない言い方したら、魏晋南北朝、五胡十六国の前座だからね

  • 10二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 00:53:36

    >>9

    本編がクソ過ぎて、前座で満足した方がいいと言う

  • 11二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 00:57:32

    >>10

    それはそう


    個別で面白い人間もたくさんいるけど、他の時代に比べても圧倒的にクソな時代だから深く知ったところで……

  • 12二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 00:58:55

    始皇帝が亡くなってからの崩壊がはやすぎる

  • 13二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 01:05:48

    このレスは削除されています

  • 14二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 01:54:28

    >>13

    南はまだしも華北の殺戮天国っぷりがなあ…

    まあ面白い人多いのは分かる

    劉淵の選手宣誓すき

    「漢は凄かったマジリスペクト。でも悪い董卓に踏みにじられ、さらに悪い曹操に牛耳られ、凄く悪い曹丕に簒奪された最悪。献帝の無念を劉備様が晴らそうとしたけど失敗、劉禅様の時代に司馬昭の野郎に捕まっちゃった悲しい。けどそのことを天が後悔したみたいで、ついには司馬氏を相争わせることに成功したやったね。というわけでこの機会にぼくが漢の恨みを晴らしますんでよろしく」

  • 15二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 07:14:58

    >>4

    ライバルが悪手打ち過ぎたからか?

  • 16二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 07:45:33

    >>1

    初期デッキで中国史上上位に入る内政家の蕭何、将才に優れた曹参、豪傑の樊噲がいるのがおかしい

    旗揚げしてまもなく知謀湧くが如し言われる張良まで加わるし

  • 17二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 08:40:42

    それぐらいツキと実力を持ち合わせた英傑でないと大陸統一なんてできんという

  • 18二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 09:37:56

    古今東西、英傑って有能な家臣抱えてるのが基本だからね

  • 19二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 11:39:11

    >>11

    五代十国と比べたら可愛いもんよ

  • 20二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 11:51:30

    >>19

    当たり前のように人肉食ってる人達

    死骸で堰きとめられる黄河…

  • 21二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 11:55:01

    >>13

    五胡十六国時代最高の名将慕容恪VS五胡十六国時代最強の冉閔の廉臺の戦い好き

  • 22二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 18:44:07

    >>4

    負けても何度も立ち上がる御方ですし

  • 23二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 18:52:25

    >>19

    成人男性の1割を宦官にした南漢の劉鋹…

  • 24二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 19:07:15

    >>4

    韓信、陳平、叔孫通、英布、項伯とみんな項羽から劉邦のところにいちゃったからなぁ

  • 25二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 22:03:20

    反乱失敗した場合の生贄にするために蕭何と曹参が劉邦をトップにしたの笑う

  • 26二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 23:32:27

    >>21

    ネットで笑いのネタ扱いされる「包囲殲滅陣」をものの見事に成功させてるし慕容恪凄いよね

    包囲され絶体絶命なのに300人殺して脱出した(なお逃げきれず捕まった)冉閔もやべえけど

  • 27二次元好きの匿名さん24/12/02(月) 23:56:55

    >>25

    韓信が独立考えた理由の何割かは曹参にあるのではと疑ってる

    いらんこと吹き込んだんじゃないかと

    配下になった経緯が経緯だからな

    いざとなったら躊躇なく自分の欲を優先させそうで

  • 28二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 00:34:33

    >>22

    だって蜀を貰ってから三秦落としたから統一前の秦と一緒だもの。前線は本拠地と遠いからいくらでも立て直せるし

  • 29二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 00:51:22

    >>13

    戦乱の時代だから軍人にスポット当たりがちだけど宗教関連でも面白い人多いもんね

    個人的に筆頭は鳩摩羅什(くまらじゅう)

    中国仏教界の金字塔、中国の仏教経典のベースを作ったのはこの人と呼んでもいいくらいの翻訳を果たした人

    インドと中国、言語性質のあまりの違いに翻訳に難渋していた中国仏教界に彗星のごとく現れた人間翻訳マシーン

    ただ女運は悪く西涼の呂光に誘拐され踊り子に逆レされ、そのあと後秦の姚興に誘拐され踊り子に逆レされてる

    ちなみにお父さんも高僧で西域の王様に誘拐されそこの王女様に逆レされてる

  • 30二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 11:37:26

    >>24

    逃げたのを追いかけて連れ戻し劉邦に韓信を重用するよう言った蕭何

  • 31二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 19:50:10

    >>30

    けど韓信さんは統一後は謀叛企んだり色々と厄介な存在となった所為か、

    それとも蕭何にしてみればもう用済みだったのか、保身上手の面目躍如とばかりに、

    呂后と組んで処刑しちゃいました

  • 32二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 21:30:55

    >>1

    天下が再統一されたってことは、秦の統一がもたらした効用が大きかったということでもあるんだよな

    そもそも秦末の混乱期は、統一の反動で「昔の七雄の体制に戻そう」という空気が強かったっぽい

    「秦に滅ぼされた六国の王の子孫を立てましょう」という主張が、「史記」の複数の箇所に見られる点から考えても、統一はこりごりという人間は少なくなかったと思う

    だから項羽が自分を含む十七王を封建した体制を打ち立てたのは、統一したくてもできなかったのではなく、統一を望む空気がそもそも存在しなかったからじゃないかな

    ただし、それだけバラバラだと摩擦や衝突も起きやすくなって、項羽の転落はそこから始まっていたりする

    劉邦による三秦攻撃とか、三斉における田氏(元王族)同士の角逐とか

    項羽の破滅の経緯を単純化すると、この二つの衝突への対処の失敗が全てだからね

    結局、七雄時代の群立状態を復活させても混乱がより大きくなるだけだったわけで、「統一されてる方がずっとマシだ」という雰囲気が、楚漢戦争の中で醸成されていったんじゃないだろうか?

  • 33二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 21:35:17

    >>32

    楚漢戦争途上で既に王家への支持は薄れていたように思える

    どの王家も無能晒しまくってたからな

    だからこそ項羽があのポジに立てた

  • 34二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:06:32

    >>29

    鳩摩羅什は仏教的偉人っていう理由で美化された感じで史実的には自分の意志で破戒還俗したらしいよ

    呂光将軍にも捕虜になった後は進軍のアドバイスとかしてるっぽい

    ちなみに翻訳の才能はガチだが意訳しまくるせいで、後に三蔵法師が天竺に行った理由だったりする

  • 35二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:09:49

    >>32

    張良も韓復興を目指した割に結局は劉邦下で旧王家復活反対派にまわってるからなぁ

  • 36二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:14:48

    >>31

    韓信は処されても当然としか言えないようなムーブやらかしまくってるのがね…

  • 37二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:20:53

    旧族といえば王族ではないが楚の昭・屈・景の三氏
    劉敬がいうには田氏とともに反秦闘争に大貢献したらしいが
    史記・漢書では空気だよね

  • 38二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:45:06

    >>37

    項梁と対立して殺された景駒がそうじゃなかったっけ?

  • 39二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:54:39

    >>38

    景氏説はあるけど確定ではない

  • 40二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 23:14:22

    >>21

    慕容恪「冉閔はバチクソ強いですが敢えて調子づかせるため十戦十敗してなんとか持ち堪えます」

  • 41二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 23:29:26

    >>35

    まあ1代限りの地盤が緩い軍である劉邦が王位を報酬にしたら誰も従わないからね

    ただ劉邦の部下の進言ではあるんでそういう封建制の考えは劉邦側にもあった

  • 42二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 23:44:50

    張良は韓復興でめっちゃ苦戦してる
    その時に思い知ったんじゃないかな
    「旧王家なんてお呼びじゃない」って

  • 43二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 01:11:32

    このレスは削除されています

  • 44二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 01:16:10

    >>42

    張良って劉邦と旧韓の地で再会した後は明らかに韓の為じゃなくて劉邦の為に働いてるからな

    血筋だけの男より劉邦の方が遥かに魅力的だったのかなーと思ってる

  • 45二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 01:16:24

    唐太宗って魏武で中華統一をし損ねた神様がどうあっても中華統一するため、政戦両略に優れた君主に能臣猛将を配備してさらに主君以上にも見える名将を二人も揃えた最強英雄だと思う
    例えルなら、崩壊しかけたTRPGのシナリオを修正するためにPLを雑に強化するGMみたいな

  • 46二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 01:21:54

    五胡十六国時代の慕容恪の凄い所は、戦争に強いという以上に戦後の処置の確かさだと思う
    占領行政がまずいと即反乱を起こされて領土を失うけれど、そういうミスは犯してなかったはず
    軍事と行政の総合力は、弟の慕容垂より上だよなって

  • 47二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 03:12:02

    >>46

    軍才十倍は兄バカ入ってるけどヤツもヤツで棺桶に蓋されかかってるような身で未開拓コースの山突っ切って敵国首都に殴り込んで潰す化け物だからな…

  • 48二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 03:25:35

    張良はたぶん、戦国七雄みたいな中華の分割統治時代に戻ると思ってたんだろうね
    始皇帝程の傲慢な大器は混乱を生むことが解ってたし、天下万民もそれを望むだろうと
    そう思ってたら民は言うほど帰属意識高くないし、上が韓だろうが秦だろうがどーでもいいと
    じゃあとっとと統一させてしまった方が楽だろって考えそうだなと

  • 49二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 09:09:33

    >>13

    劉琨&祖逖とか…(例によって鬱展開マシマシ)

  • 50二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 10:18:55

    >>32

    摩擦が生じたのは項羽の封建のマズさも少なからずあったと思うけどね


    ・張耳を趙王に封じる時に臣下の多くから「張耳を王にするなら(元)友人の陳余も王にするべき」という進言を中途半端に採用し陳余を王ではなく侯に封じる

    ・斉を三つに分割する際に実力者だが項羽と仲が悪かった田栄を放置して別の王族三人を王に封じる

    ・反秦戦争で功績のあった彭越に恩賞を与えなかった

    不満をもった陳余が田栄と手を組んで反乱を起こし彭越も田栄配下として反旗を翻す



    この田栄の反乱を聞いて劉邦も項羽に反乱を起こすことを決意したり

    項羽も斉鎮圧に手間取ったせいで劉邦を早期に潰せなかったり

    田栄敗死後も彭越がゲリラ戦を続けて項羽陣営の補給を滅茶苦茶にしたり

    ……と項羽滅亡の遠因になってる

  • 51二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 18:23:18

    >>44

    韓王成には忠誠心を持っていた感じ感じがするけど、韓王信にはほとんど関心がない感じなんだよね

  • 52二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 19:34:22

    >>51

    まあいくら旧主の血筋とは言え、人間である以上相性はあるしね

  • 53二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 19:35:53

    >>51

    創作物とかだと韓王成を殺されたことが張良が項羽絶対殺すマンになる理由として描かれることが多いような

  • 54二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 19:41:04

    張良「始皇帝…絶対に殺す…!」

    張良「秦…絶対に滅ぼす…!」

    張良「項羽…絶対に殺す…!」

    張良「仙人になりてぇ」

  • 55二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 20:54:37

    >>54

    燃え尽き症候群なのかな…

    統一後の張良の行動って身を全うするための処世術とは思えないんだよなぁ

  • 56二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 20:56:40

    >>47

    才能十倍は「ここまで言わないと慕容暐は慕容垂の真価を分かってくれない」という意味合いがあったと思う

    慕容恪には、自分の死後に慕容暐が慕容垂を排除する未来が見えてたんだろうなあ

    つくづく、慕容恪は「時代に冠絶する才徳を一身に集めたが、ただ天寿のみに恵まれなかった」人物だったなと

    慕容恪にあと十年の寿命が与えられていたなら、前秦は苻柳の乱に乗じた前燕に滅ぼされていたはず

  • 57二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 20:58:26

    韓王成の粛清って留侯世家の記述だと

    劉邦が張良の献策に従って桟道を焼く
    張良が劉邦に従ってたから韓王は領国に行けなかった
    張良が劉邦は桟道を焼いたから東に帰ってくる気はないと項羽に報告
    項羽が韓王成を列侯に格下げした後に処刑

    明らかに張良のせいで死んだとしか思えない展開だから、張良を復讐マシーンにしておいた方が物語的には良いんだよね

  • 58二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 21:13:34

    >>57

    劉邦の反攻のスピード的に準備してなかったは無理があるレベルだからな

    張良はまあ韓王成の粛清されても構わないぐらいの劉邦の協力者だよねっていう

  • 59二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 21:27:19

    劉邦と朱元璋とヌルハチはマジで天命思想を信じたくなる人生送ってるよな

  • 60二次元好きの匿名さん24/12/05(木) 02:10:21

    >>59

    チンギスも加えて良いと思う

    チンギスが中国史に入るかは知らんけども

  • 61二次元好きの匿名さん24/12/05(木) 03:05:59

    このレスは削除されています

  • 62二次元好きの匿名さん24/12/05(木) 12:38:40

    >>56

    あの化け物以外にも何人もそんなの抱えてた前秦の陣容がSLGの終盤で見る奴だこれ!ってなる

  • 63二次元好きの匿名さん24/12/05(木) 13:09:11

    >>56

    慕容垂の力量自体は実績から誰も疑ってないと思うけど、その動向を不安視されるのは仕方ないように思う

    あまりに高性能で将兵からの人気も抜群、慕容垂自身の忠誠心云々はこの際関係なくて自分らに反する勢力の旗頭にされてもおかしくない立ち位置

    兄、甥、伯父(+皇太后)から疑われ警戒されるだけじゃなく出奔後に身を置いた前秦でも王猛から「殺すべきだ」って言われるくらい危険視されてるし

  • 64二次元好きの匿名さん24/12/05(木) 22:25:43

    >>54

    こんな人生じゃ心が摩耗するのは当然というか

    そこに黄老思想がスーッと効いて…

  • 65二次元好きの匿名さん24/12/05(木) 22:37:15

    降伏を受け入れておいて再攻撃
    婦女子を囮にして逃亡
    子捨て
    約定破り
    etc…

    よくもこんな人物を大徳ある存在に仕立て上げられたなと…

  • 66二次元好きの匿名さん24/12/06(金) 02:15:09

    >>65

    史記も漢王朝の歴史書なので高祖である劉邦は聖君として祭り上げないといけないのでね

    周りの人間に劉邦には徳があるって露骨なヨイショと数々の曲筆を持ってしても無礼さと傲慢さが隠せてないのが逆に凄い

  • 67二次元好きの匿名さん24/12/06(金) 08:45:32

    >>66

    むしろ司馬遷兄貴だからこそきっちり書いて匂わせられたんじゃないかな

    凡百ならヨイショだけでその辺のエピソードは削除しそう

  • 68二次元好きの匿名さん24/12/06(金) 13:06:03

    >>56

    慕容恪(垂)に足りてないのは母親の家柄かと

    漢人?の母親から生まれてるから漢人が集まって史書でも好意的に書かれている部分はあるけど

    必然として鮮卑族中の鮮卑族である側からは距離を取られる。慕容評との対立はそういう側面が強いと思われ


    皇帝からすると自分の権威を脅かす可能性が低いから便利だし、鮮卑派と漢人派でバランス取れるから良いんだけどね

    代替わりした時に手綱は取りづらくなるので、結局は慕容恪一人が長生きしても慕容暐になった時点で駄目かなって

  • 69二次元好きの匿名さん24/12/06(金) 22:32:26

    勝者ゆえの記録の多さもあって、劉邦サイドの部下は多士済々という印象
    でも項羽の部下はどの程度いたんだろう
    秦を滅ぼした後、六国の王族と功労者を国に封じる政策一つ取っても、文官系の部下が切り回さないと難しいよね?
    まさか項羽と范増と少数の側近で決定したとも思えないし、その辺の史料って発見されてないのかなあ

  • 70二次元好きの匿名さん24/12/06(金) 22:48:02

    >>69

    大臣の名前は残ってるよ

    左令尹項纏(項氏。通称項伯)

    左令尹呂青

    令尹霊常

    司徒呂臣(呂青の子。元軍閥。陳勝軍残党の指導者)

    柱国陳嬰(元軍閥)

    柱国項佗(項氏。彭城の留守。項羽軍の蕭何ポジ)

  • 71二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 00:00:26

    >>67

    史家ってキャラ濃い人多いよね

    裴松之 

    納得できないと噛みつきまくる狂犬史家、「註を附す(と書かれているが果たしてそれは正しいのだろうか?)」という形であれこれ反論するがまあ割と妥当な事いってる(場合もある)

    陸機が残した「呉が滅んだ理由」については先生的に納得するものだったのか珍しくツッコミ入れてない


    司馬光 

    それまでに史書が書き手である史家、儒者で官僚で文官で豪族の主観(なので軍人の功績は軽視され文官の功績が過大に評価されるとこがあった)で書かれがちだったのに対し野史(軍や庶民の残した記録)を取り入れる事で客観性を持たせ史書の信憑性を高める一石投じた人

    ここまでなら偉人と評していいのだが個人の好き嫌いがかなり激しい人で、好きな人は絶賛、嫌いな奴は悪し様に書きすぎて後年色んな人にその人物評を但書されてたりする

  • 72二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 00:24:15

    ちなみに文官を集めること自体は難しくない
    当時の行政制度は中央政府→郡→県の三層制
    郡と県は長官と副長官と警察長官のみが中央からの派遣、部局長以下は地元採用の属吏(地方公務員)
    彼らは試験によって資格を獲得した人間で一定の能力を担保されており成績次第で中央政府に登用されることもある
    つまり郡県の職員をかき集めたら相応の組織は作れる
    劉邦軍の場合は、曹参は沛県の掾(部局長級)、蕭何、周昌、周苛らは泗水郡の卒史(部局長級)
    この他、夏侯嬰などの一般職員も加わってる
    項羽軍の場合は陳嬰が東陽県の令史(部局長級)、曹咎が蘄県の掾(部局長級)
    他にも反乱軍に参加した郡県属吏は山ほどいただろうし行政機構を作るだけならなんとかなったと思う

  • 73二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 01:01:39

    >>72

    コレはわかりやすいね

    集められる人数はある、ただしココからより大きな組織を運用できるかは、才能と努力と運次第ってことなのかな

  • 74二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 01:10:39

    >>73

    そういうことになる

    これは完全な推測だけれど項羽の行政機構はそれなりに優秀だったと思われる

    諸侯はコロコロ寝返るけど旧魏以外の直轄領は堅固に掌握してるんだよね

    項羽が死んだ後も江南諸郡は抵抗を続けてる

    江北も劉邦軍に平定されたはずなのになぜか攻められていて項羽派に奪還された形跡がある

  • 75二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 10:26:35

    >>16

    反乱の首謀者初期メン

    始皇帝暗殺未遂の張良

    逃亡兵の韓信

    前職でミスして逃げてきた陳平

    おじいちゃん狂生酈食其

    親戚の呂氏

    これが劉邦軍の英雄たちです…

  • 76二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 10:29:43

    >>67

    漢書もそこまで君子的に描かれてたっけ?

  • 77二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 11:54:50

    >>13

    パラドックス社が五胡十六国のゲーム出してくれないかなと思ってる。

    Crusader KingsやStellarisみたいなシステムで

  • 78二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 12:02:06

    >>72

    劉邦自身も亭長という「秦王朝の郡県職員」として勤務経験があるわけだしね

    蕭何などだけではなく、劉邦自身も秦の法や行政の知識を持っていたことが、漢の王朝運営に結構役立っていたのではと思う

  • 79二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 13:08:56

    >>67

    せやから後漢では叩かれた

    明帝は史記を誹謗の書と断定

    章帝は史記の「五経の義に反する(国家儒教的に正しくない)」部分10万字をを書き換えさせている

  • 80二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 17:02:31

    >>74

    そういう話を見ると、「義帝弑殺が旧楚においてどれほどの反感を買ったのか?」と考えちゃうなあ

    勿論、楚人以外の支配を受けたくない気持ちの強さが、項羽への反感を上回ったという可能性もあるけど

  • 81二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 23:29:27

    >>68

    慕容恪は母の身分は関係なく、その実績によって地位と人望を高めた人物なんだ

    だから慕容恪は、生涯で二度帝位に即くよう求められている


    一度目は兄の慕容儁が死んだとき、群臣から即位を要請された

    このとき慕容恪は、正式な太子がいるのに国の制度を歪めるべきではない、と断っている

    帝位を脅かす可能性が低いどころか、その気になれば帝位に登れたという逸話でもある


    二度目は密訪してきた重臣の慕輿根に即位するべきだと言われた

    ちなみに慕輿根は、慕容恪が最初に活躍した西暦338年の棘城攻防戦で、逃げだそうとした慕容皝の馬の手綱を掴み、「ここで逃げてどうなさるおつもりですか」と諫めた人物

    のちに石虎の死後、慕容垂が乱れる中原への南征を主張した際には、渋る皇帝の慕容儁ではなく慕容垂を支持して前燕の中原制覇に貢献している

    慕輿氏は慕容氏と同源と言われているから、まさに「鮮卑中の鮮卑」、宿老的な人物が慕容恪に即位を求めたことになる

    そして慕輿根がかつて肩入れした慕容垂ではなく、慕容恪を選んだ意味は非常に重い

    血筋ではなく人望・実績、あるいは「徳」を重視したということでもあるから

  • 82二次元好きの匿名さん24/12/07(土) 23:29:49

    >>81の続き

    なお、慕容恪は「公(あなた)は酔っておられるのだろうか」と取り合わず、不問に付そうとした

    すると慕輿根は皇帝の慕容暐と太后の可足渾氏に「慕容恪に謀反の心あり」と奏上するんだが、慕容暐は「叔父上がそんなことを企むだろうか? きちんと確認すべきでは?」と信じなかった

    結局慕輿根は誅殺されて、慕容恪を疑う者は誰もいなかった

    慕容恪がうわべを取り繕うのが巧いだけの小悪党だったら、まとめて殺されていたと思う


    ちなみに前燕が滅亡するのは、慕容恪の死後に東晋の桓温が北伐を開始し、それを破った慕容垂がかえって危険視されて前秦に亡命した結果、前燕内部で起きた動揺が収まらなかったのが大きい

    もし慕容恪が生きていれば慕容垂の亡命はなかったし、前燕の滅亡も避けられたはず

    慕容恪・慕容垂兄弟の揃った国に、当時の中華で勝てる軍はなかっただろうしね


    長文になってしまったけど、慕容恪は載記の本伝だけではその事績の凄さが分かりにくい人物だよね

    史料の色々な箇所に現れるその言行を繋ぎ合わせて、初めて輪郭の大きさが見えてくる人物だとも思う

    >>68氏を攻撃しようというレスでもないので、スレ違い気味の点も合わせてお詫びします

  • 83二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 01:31:45

    オリエント世界の史書の記念すべき一発目が史記だからハードルがとんでもなく高い
    ヘロドトスぐらい良くも悪くも雑(もともと酒場で喋ってお金貰う用)だと後世の史家も楽だったかも知れない
    とにかく本記と列伝でなるべく取りこぼさないようにしつつ、市井の人々の風俗や社会生活まで書ききるのは生半じゃない
    当然「歴史は勝者によって記される」から、なるべく正確に、神格化や好悪の判断を除こうとすると敵を作りがちだしね
    現代のような自由が保証されてない世界で批判(語義通り長短を併記する)的な論調で書くのはすごいことだと思う

  • 84二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 02:17:31

    >>80

    大して反感を買ってない可能性がある

    >>70で名前をあげた楚の大臣

    このうち呂青・霊常は漢王5年、つまり垓下の戦いがあった年に降伏

    陳嬰は項羽の死後に降伏

    呂臣は他所の記載から呂青と一緒に降伏した可能性が高い


    陳嬰と呂臣は懐王を項梁とともに擁立した将軍の1人

    懐王の臣ではあっても項氏の臣ではなく項羽に付き従う筋はない

    大軍を持ってるから離反しようと思えばできた

    劉邦に降伏しても厚遇されるだけの立場と兵力があった

    そんな2人が懐王弑逆後も項羽配下に留まり最末期まで従った

    この事実が傍証になるのでは

  • 85二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 03:41:25

    >>9

    でも天皇の名前の由来とかほぼ間違いなくあそこの時代だし日本人としては重要な時代だと思う

  • 86二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 03:59:46

    このレスは削除されています

  • 87二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 04:26:25

    >>77

    面白い時代なんだけどこれだって作品ないよね

    まあゲーム化や漫画化や小説化の難しさってまず対立軸が多いからかと思う

    三国志なんかは分かりやすいけど五胡時代だと「なんで君まで?」なバトロア状態

    漢人ライン トップはもちろん俺だで内輪もめ

    胡族ライン 俺らを奴隷扱いしやがって許せねえで漢人の内輪もめに参戦

    鮮卑ライン 仲間外れいくない、ぼくらも混ぜてと参戦


    あと国号被り多すぎ問題

    劉漢で後継者争い勃発した結果、趙と趙に分裂し、趙と趙が争い、趙が勝って趙が滅亡…

    まぎわらしい事この上ない

  • 88二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 08:26:44

    チハたんまで現役の弱小のはずなのにいつのまにか勝った天才
    なおその後

  • 89二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 18:08:24

    韓信が劉邦から独立して三国鼎立を実現した場合、上手くやって行けただろうか?
    斉は田氏の影響力が強すぎて、よそ者の韓信が統治できる気がしないんだが
    その点、旧秦の領域を策源地にできた劉邦って凄いんだなって

  • 90二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 20:01:46

    >>89

    趙攻略時は李左車取り込んだりとかは結構できるんだよな

  • 91二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 22:28:02

    >>89

    まあその後楚に転封されて地盤リセットされてるから無理よ

  • 92二次元好きの匿名さん24/12/08(日) 22:41:31

    >>89

    田氏への支持は落ちてたっぽいけどなあ

    田栄は逃走中に民によって殺される

    田横は一旦は復帰したが二度目は逃亡したまま戻れず

    韓信・劉肥の治下では田氏時代のゴタゴタが嘘のように静謐を保ってる

    斉の領域は中国史を通じて動揺しやすい地域なのにね

    いつの時代も反乱の温床なのに漢初は嘘のように静か

    民が静かな分王族が騒いだわけだが

  • 93二次元好きの匿名さん24/12/09(月) 00:59:13

    秦の統一は崩れた!と各地で六国復興、王の復活で盛り上がっていたときに
    誰も復活させようとしなかった周王朝という悲しい存在

  • 94二次元好きの匿名さん24/12/09(月) 01:35:55

    五胡十六国の拓跋猗盧って、なんで息子の六脩と争っちゃったんだ
    この内戦がなかったら、拓跋部は安定期を迎えただろうに

  • 95二次元好きの匿名さん24/12/09(月) 01:46:45

    復興って「復興させる価値がある」ってみんなが思わないとしないもんだし、そう考えると周はすでにその価値が無いと思われてたんだろうね
    そう考えると現代まで続く中国の領域、その範囲を確定された(と思わせた)始皇帝は偉大だし、さらにそこに漢というブランド的価値観を付与した劉邦や光武帝は凄いよなあと
    ただその漢という価値観も後漢崩壊から続く戦乱で周と同じように復興する価値の無いものへと変化してしまったと思う
    後漢崩壊から隋(もしくは唐)までのぐだぐだっぷりは漢という価値観崩壊後に新しい価値観生み出す準備期間
    武力だけじゃどうしようもないと分かっていても武力しかなかった人たちの悪戦苦闘と考えると面白いかもなあ

  • 96二次元好きの匿名さん24/12/09(月) 13:26:59

    >>85

    天皇号や源姓の起源、仏像の類似性や都の条坊制といい、隋唐以前から、北魏や南北朝が古代の日本に与えた影響って大きいよね

    北魏孝武帝の息子・善正が日本に仏教を伝えたという言い伝えもあってびっくりした


    北魏や北朝というとついつい「中華文明の正統を保つ南朝に対し、鮮卑の遊牧非中華王朝」「政争や族滅、暴君が相次ぐ血なまぐさく野蛮な王朝」みたいなイメージを持ってたけど、古代日本からみれば北魏は普通に「中華文明の先進国」だったんだろうなと思った

  • 97二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 00:14:38

    >>93

    周王朝は部族とか都市国家連合の盟主みたいなものだしね

    鉄製農具が主流になって開墾が進み、有力な国の領域国家化が進んでしまえば、

    周王朝を過剰に尊重する意味も消えてしまうし

    領域国家化の進展が進んだ春秋末期、周公旦を始祖とする魯に生まれた孔子でさえ、

    「四海全て周王朝の物、諸侯は全て周王に領土を捧げ臣従すべし」

    的なことは言っていないものなぁ

  • 98二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 07:56:09

    衛「うちだって一番最後に滅ぼされたのに誰も復興させようとしてくれなかったんですよ!!!」
    ※陳勝・呉広の乱の発生した同年に最後の君主が廃されている

  • 99二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 08:28:42

    歴代中華帝国の復興アレコレ

    夏――特になし
    殷――紂王の息子の武庚が反乱を起こす(三監の乱)を起こすも鎮圧される
    周――西周滅亡後に幽王の息子の平王により東周として復興
    秦――特になし
    漢――後漢・蜀漢などの傍系皇族による復興や前趙・南漢など後裔を称して成立した王朝も有り
    晋――西晋が滅んだ後に傍系皇族の元帝により東晋として復興
    隋――特になし
    唐――武周滅亡後に中宗が復位し復興 また後唐が後継を自認
    宋――北宋滅亡後に皇族の高宗により復興 また南宋の事実上の滅亡後も残党が元に抵抗
    元――特になし ※北元は皇帝健在のまま根拠地を移しただけなので除外
    明――皇族の安宗により南明として一時的に復興
    清――最後の皇帝だった溥儀により満州国として一時的に復興

  • 100二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 09:15:03

    殷周の話で「殷を滅ぼした周は殷の民(王家かも?)を某所に移し、そこで祖霊を祀らせた」って昔読んで割と印象深かった
    滅ぼすけど滅ぼした相手の先祖やら功績やら全否定せず、そういうアフターケアーするんだなあって
    徳を示すって意味合いも強いんだろうけど

  • 101二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 09:20:46

    >>100

    まぁその殷の遺民をまとめさせていた武庚(殷の最後の王である紂王の息子)が後に反乱を起こすんだけどなガハハ


    ……ただその反乱の後も残った殷の民は二分して片方は周の武王の弟が治めて「衛」となり

    もう片方は殷の紂王の兄が治めて「宋」になったからアフターフォローはやっぱりしっかりしてるんだけど

  • 102二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 10:57:49

    このレスは削除されています

  • 103二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 11:13:43

    >>102

    漢を支持したからじゃないかな?

    厳密には秦の皇族を皆殺しにして都を焼いた項羽がめちゃくちゃ嫌われてたから劉邦側に着いたって感じだけど

  • 104二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 11:18:20

    >>102

    秦の労役とかで中華中から人間が集まる中で民族的自覚が出てきたみたいな話がある

    秦の人間じゃない、でも楚の人間でもない。だから確かに自分たちと同じだけど地方色が強すぎない奴が皇帝になってほしかったみたいな

  • 105二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 13:57:30

    >>102

    秦人からみれば、劉邦と漢王朝が実質的に秦王朝の復興と思われたのかなあ

  • 106二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 15:38:18

    >>3

    光武帝が例外なくらい?🤔

  • 107二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 15:40:37

    >>6

    小氷期による気候変動と民族大移動が重なったからね

    ヨーロッパでも同時期にゲルマン大移動が起きてる

  • 108二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 15:45:02

    劉邦が名乗ったのが、周の王や、項羽が名乗った覇王とかではなく、始皇帝が始めたばっかりでまだ浅い歴史しか持っていない「皇帝」だったのが、
    漢王朝や劉邦の「我は周という旧時代ではなく、秦と始皇帝が築いた新時代を継ぐもの」という宣言だったりするのかな?

  • 109二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 21:11:22

    >>101

    後周から禅譲されて宋を建てた趙匡胤が後周皇室を貴族として遇するよう子孫に命じて、恩を感じた後周皇室が最後の最後まで宋に尽くして亡くなった話は好きだなあ

    情けは人の為ならずってこういうのだよなあって思う

  • 110二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 21:35:08

    劉邦が皇帝の称号を選んだのは、長安に都を置いたのが大きいんじゃない?
    旧秦の領域に首都を置いて即位したわけだから、皇帝と称した方がやりやすかったとか
    王は戦国時代に諸侯が君主号として採用してる分、希少価値を減じた印象が否めないしな

  • 111二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 21:37:03

    >>108

    「覇王」は皇帝より歴史が浅いやん…

  • 112二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 22:21:19

    >>111

    覇王の歴史は短いけど覇者の歴史は長い

    項羽の「西楚覇王」は覇者たる王という意味だと思われる

    春秋五覇は公だったが戦国時代に誰も彼もが王を名乗った

    その実情に合わせて覇者たる王を称したのでは

    担ぐべき天子を早々に殺したせいで覇者としての実態は消失したわけだが

  • 113二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 23:12:32

    後漢中期からの異常気象はハンパじゃなかったらしいね
    それプラス黄巾の乱であの時代は中国史でも最低と言っていいマンパワーだった
    そのせいで当たり前のように年単位でやってた籠城戦なんか出来なくなったし野戦も半年も対陣してたら両軍フラフラになるくらいだった
    要するにそこまで戦争に費やす食糧を生み出す環境になかったわけだ
    よく三国が中華を統一出来なかったのは人材が小粒だったからと言われてるけど実際には単純にマンパワーが足りなすぎただけだと思う
    事実中原の人口が回復しだした250年以降は一気に国境が激変したし

  • 114二次元好きの匿名さん24/12/10(火) 23:24:59

    >>99

    苻堅とか有名な前秦はダメ?

  • 115二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 00:09:15

    >>113

    後漢書を一度通読してみるといいよ

    天災と飢饉の多さ、そして反乱規模のでかさがやべえ

    安帝以降の本紀はほぼ「天災飢饉反乱天災飢饉反乱天災飢饉反乱天災飢饉反乱天災飢饉反乱天災飢饉反乱」って感じ

  • 116二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 00:19:57

    >>114

    前秦は地名由来の国号であって始皇帝の秦とは関係ないからじゃない?

  • 117二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 00:27:38

    >>115

    当時は天災があると三公が辞任してたけど毎年のように顔ぶれが変わったらしいね

    黄巾の乱も演義だとプロローグみたいな扱いだけど実際には数十年にわたり残党が跳梁してるもんね

    戦国時代には数十万規模の戦役が結構あったのに後漢末期は中原を制した曹操ですら赤壁で十万にも達しなかったというんだから当時の中国の疲弊は相当だったんだろうな

  • 118二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 00:43:05

    >>117

    110年代から170年代の間に「戦費で国庫が空になりました」と書かれる規模の戦争が3度起きてるからね

    むろん戦災の規模も半端ない

  • 119二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 00:59:33

    後漢は西で羌族の乱、北で鮮卑の侵攻、東北で烏丸の盤踞に苦しんだもんな
    さらにオルドス地域には南匈奴もいて、実は2世紀の段階で華北に異民族がかなり入りこんでる
    後漢書の地理志にはオルドス方面に上郡が置かれているけど、晋書の地理志だと上郡の名前がない
    後漢末期の大乱が原因で、上郡が魏のに曹丕の時代に放棄・廃止されてるためなんだよね

  • 120二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 01:18:25

    >>119

    霊帝末期からの并州情勢考えるとね

    188年に南匈奴の一部が発生して西河太守を殺す

    同じ頃に西河郡の白波谷で蜂起した黄巾残党が太原・河東に侵攻

    南匈奴は并州刺史張懿と単于羌渠を殺す

    逃げ延びた王子於夫羅は単于を自称すると白波賊と連合して河東を攻撃

    張懿の後任の刺史と思われる丁原は霊帝が死ぬと并州の兵を率いて河内に進軍

    新たに并州牧となった董卓は上洛して政権掌握

    反乱根拠地の西河は太守崔鈞が反董卓連合軍に参加

    北辺の五原郡に鎮守していた度遼将軍はなぜか冀州南端で於夫羅・張楊と戦って敗北

    たぶんこいつも反董卓連合軍参加組

    白波と匈奴が大暴れしてるのに責任者はみんな仕事ほっぽりだして中央政治に介入というクソみてえな状況

    そら朔北諸郡を放棄するしかなくなるわな

  • 121二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 02:02:48

    >>117

    責任者がころころ変わると一貫した政策取れないからむしろ悪手よね

    前任者の政策そのままやってもなあ…成功しても前任者の功績になりそうだ

    よしここは俺要素をひとつまみ…で失敗、あると思います

  • 122二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 02:15:15

    >>99

    秦も隋も大帝国で中国という枠組みを作った北と南を結ぶ大運河を作ったと後世への影響も大なのに復興する人いないのは、性急かつ強権的な政治体制だったからなのかね

    「功績は偉大だけど、あーいう政治はうんざり」みたいな感じで受けが悪いというか

  • 123二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 02:16:37

    >>121

    三公はそこまで影響力大きくないからなあ

    権限も職務もほぼ同じ人間が3人

    違いは行政考課の担当分野のみ

    力はあるんだけど牽制し合って主導権を握れない仕組みになってる

    実際に主導権を握るのは録尚書事を帯びた人間

    こっちは滅多に変わらないから政策一貫性が保たれる

    胡広が死んだ後の霊帝のように録尚書事を置かないで皇帝が自ら政治を主導する場合もある

  • 124二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 02:27:29

    >>123

    思ってたよりずっと早くに権限無かったんだね

    魏で三省六部が整ってそれ以降、名誉職になったってのは記憶にあるんだけどってググったら

    後漢の時代ですでに権限移ってたんだね

  • 125二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 02:38:50

    >>124

    丞相の最大の権限は行政考課

    それを3分したんだ

    軍事は大尉、民政は司徒、水利土木は司空という具合に

    そしてその3人にほぼ同規模の府を持たせた

    内閣官房が3つに増えたわけだ

    しかも尚書が皇帝官房としての実質を備えた

    そういうわけで尚書が政策運営の中心になった

    光武帝と明帝は自ら尚書を運営して強力な独裁を行ったわけだが労働量が半端なかった

    そういうわけで三代章帝からは大臣に録尚書事として尚書を統括させて事実上の首相とした

    これが後漢の初期に起きたこと

  • 126二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 07:23:40

    後漢自体が貧乏臭いというかしみったれたエピソードばかりの不景気国家なのよね
    大陸型専制国家らしい景気のいい破茶滅茶エピソードがあんまない

  • 127二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 07:49:08

    >>122

    ちなみに唐の時代に煬帝の玄孫が隋復興を図ったとして自害させられている(冤罪)


    楊慎矜 - Wikipediaja.wikipedia.org
  • 128二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 07:54:28

    前漢から新末の混乱で、戸籍の人口激減して
    戻ったのが宋の時代ってくらいだからな
    実際の人口減&戸籍管理出来ないほどの統治側の脆弱性

  • 129二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 08:21:33

    >>122

    あと秦の場合は趙高と項羽のせいで皇族が全滅してたのも痛い

    おまけに力のある人物も大半は趙高がぶっ殺してて残った章邯は人気が底辺だったし…

    再興したくても旗頭になる人物がいなかったってのも大きかったのかもしれない

  • 130二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 12:16:57

    >>128

    三国志だと住民の強制移住とかよくあるけど他の時代でもある事なの?奴隷目的とかは無しで純粋に人手として

  • 131二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 12:23:54

    後漢末期の人口なんて黄河周辺しか栄えてなかった夏か殷くらいの規模しかなかったんじゃないの
    とても中国全土を治められる数とは思えないけど

  • 132二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 12:35:15

    >>130

    前漢の高祖期と武帝期に関中への大規模強制移住が実施されてる

    どっちも地方の有力者が対象

    前漢武帝期に中原の水害難民70万人を河西四郡へ強制移住

    後漢は光武帝以来異民族の内地強制移住を継続的に実施

  • 133二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 13:04:50

    >>131

    そんな規模しかなかったら三国鼎立できてない定期

    それ以前に群雄争覇の状況も生まれてない定期

  • 134二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 13:29:37

    >>130

    五胡十六国時代の国が頻繁に行っているね>住民の強制移住

    「徙民」と呼ばれている

    国力を増やすという目的があったので、首都周辺や大都市周辺など重要地点に強制移住させるのが特徴

  • 135二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 16:14:10

    >>133

    割拠をするのに必要な絶対数なんて決まってないだろ…

    先進地域を抑えた魏が地方の軍閥をひとのみに出来なかったのは絶え間ない波状攻撃とそれを支える国力と人口の無さで上で言われてるように人口が回復しだしたらきっちり呑み込んだ

    俺たちが思ってる以上にあの時代の中国はスカスカだと思うよ

  • 136二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 16:45:23

    >>135

    合肥が呉との重要な前線地帯な筈なのに毎回寡兵で苦戦しましたという話が出てくるのは

    魏には地方の城にまで十分な兵士を置いておく事が出来なかったからだっけ

  • 137二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 16:52:24

    曹真対諸葛亮も諸葛亮対司馬懿もどちらも長雨による士気低下と兵糧不足が原因で攻め手が負けたけど、昔は飯はともかく雨くらい頑張れよと思っていたが何年か前の三峡ダム危機レベルの雨ならしょうがないかと反省した
    後漢期の異常気象はまだ終わってなかったのかね

  • 138二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 17:09:41

    >>136

    三国志は結構な頻度で人手不足と兵糧不足の描写が出てくるな

    袁紹も冀州を掠め取るまで渤海であっぷあっぷだったし曹操も別に戦争してる訳でもないのに兵糧不足に悩んでるし

    冀州豫州兗州といった人口密集地域で盛んだった黄巾の乱と洪水と長雨のダブルパンチを何十年にも渡ってコンボしてたから中原は誇張抜きで地獄だったらしい

    ここを安定させた曹操は混じりっけ無しの英雄よ

  • 139二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 18:22:37

    定期的に立つあにまん中国史スレすこ

  • 140二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 18:23:26

    正直中国史がいっちゃんおもろい

  • 141二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 18:27:16

    >>138

    安定させたとはいっても中心部だけでそれ以外は全然だったから制圧も維持も出来る力が無いと判断して

    益州に対して漢中までで引いたり揚州も名目上の臣従で諦めたりしたんだろうね

  • 142二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 20:30:33

    >>135

    >>131がツッコまれてるのは「夏か殷くらいの規模」って所でしょ

    さすがに黄河流域しか抑えられない程度の人口だったら、前倒しで十六国時代が到来してるよ

    荊州とか益州、江北諸郡の存在がすっぽり抜け落ちてないかな

    まぁ、割拠をするのに必要な絶対数以前に、「夏か殷くらいの規模」は言い過ぎだよねって

  • 143二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 20:46:23

    >>142

    流石に河南流域だけの支配地域だった夏と同規模はありえん話だったな

    都市によっては後漢初期から80%減なんて所があるけど後漢は夏の百倍以上に人口がいそうだし

  • 144二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 20:56:03

    >>141

    近代化した現代日本でも過疎化した地方はマンパワーの減少に苦しんでるのに当時の中国でやっていける訳ないよねって

    民草の命なんて屁とも思ってない奴等が殺さずに移住させるくらいなんだから深刻さを伺わさせる

  • 145二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 21:08:32

    魏晋時代の人口減少は、当時の人間にとっても事実なんだよな
    「今の時代、州の人口は前漢の一郡の人口と同じくらいしかない」
    という上奏文が残ってるくらいだから

  • 146二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:11:00

    忘れられがちな事実
    140年時点で益州の人口は総人口の15.1%
    荊州は13.1%、揚州は9.1%、交州は2.3%
    一般に中原とされる司・兗・豫・青・徐の5州の合計は41.4%
    黄河以北3州と涼州を足すと60.4%
    戦乱前ですら中原の人口は圧倒的ではなかった

  • 147二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:16:46

    >>146

    意外というか荊、益、揚の南の三州で一番人口多いの益州なんだね

    イメージ(イメージの元はもちろん光栄)で荊>益=揚(揚州が少しだけ多目)って思ってたけど

  • 148二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:23:42

    >>147

    ネットの人は中原の人口を過剰評価しがちで揚州益州の人口を過小評価しがちだと思ってる

  • 149二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:27:21

    後漢代の江南は、疫病はびこる瘴癘の地と呼ばれてたから、人口の少ないイメージが強いのはしょうがない
    これが唐代に入ると、広州以南がそう呼ばれて左遷の地にもされるんだが

  • 150二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:35:48

    >>149

    瘴癘の地であると同時に銅工と製塩で栄えた土地でもある

    後漢になってから豫章の人口が激増してる

  • 151二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:36:00

    >>149

    瘴癘、マラリヤだね

    後代に南に移ってるってのは蚊が発生しにくいよう水利を整えたからってのもあるのかね

  • 152二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:43:20

    揚州の過疎イメージは大体孫権のせいだわ
    国内ならまだしも国外まで強制移住させてたらね

  • 153二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:48:35

    実際には流民として戸籍に載らない人達がかなりいたんだろうけど税金も取れない徴兵も出来ないじゃ国家からしてみれば居ないも同然だしなあ
    山越なんて中原の戦乱から逃げてきて現地で徒党を組んで好き勝手やってたような奴等なんじゃない?

  • 154二次元好きの匿名さん24/12/11(水) 22:52:58

    >>152

    呉は220年代初め230年代までずっと戦争しっぱなし

    前半は防衛で後半は侵攻

    これだけ戦争続けてたら人口減るのもやむなしだわ

  • 155二次元好きの匿名さん24/12/12(木) 10:49:49

    人口があってもそれを有効に利用出来るかという問題がある
    当時の揚州は土地が川で寸断されてるから住むだけならともかく
    大規模動員する為の余剰人口があるかどうかとなるとね

  • 156二次元好きの匿名さん24/12/12(木) 15:28:04

    実際江南が北に負けないくらいの人口になったのはいつくらいなんだろう
    南宋あたりか?

  • 157二次元好きの匿名さん24/12/12(木) 15:49:10

    このレスは削除されています

  • 158二次元好きの匿名さん24/12/12(木) 16:05:15

    >>157

    うろ覚えだけど南宋じゃなくて北宋ってのは聞いたことがある

  • 159二次元好きの匿名さん24/12/12(木) 23:29:14

    なんでこんな初回ガチャ強いんです?????

  • 160二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 00:48:34

    劉邦の旗揚げからの部下は、蕭何以外は「状況が人を育てた」としか思えない
    他の群雄の臣下が、曹参とか夏侯嬰より才能が劣ってたとも考えにくいし
    史書に描かれないところでは、才気に溢れてたけど道半ばにして倒れた人間は結構いただろうなあ

  • 161二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 00:54:31

    >>160

    >「状況が人を育てた」としか思えない

    個人的にこの最たる者が呂后なのではと思ってる

    いくら地方の有力者の娘だったとはいえ、地方の一主婦が大帝国を運営するまでに成長したわけで

  • 162二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 09:59:46

    夫の死後に実権を握って、要職を一族で固める
    文章にすると簡単に要約できることを、反乱を起こされることもなく実現する
    正直、呂后はヤバイと思う
    人豚の逸話はどこまで本当かは分からんが、そのくらい苛烈じゃないと天下は差配できないんだろうな

  • 163二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 10:31:07

    >>162

    要職を呂氏一族で固めるというのは張辟疆の提案を陳平が呂后に吹き込んだもの

    呂后は恵帝が死んでも涙を流さなかった

    張辟疆は陳平に「先帝は年長の遺児がおらず、太后はあなた達功臣を恐れている。あなたが太后に一族を取り立てるよう勧めれば、太后は安心し、あなたたちは災禍を免れるだろう」と述べた

    陳平が張辟疆の言う通りにすると、呂后はようやく安心して涙を流した

    呂后は不安になるとバグってフリーズするか暴走しだすタイプ

    一人では何もできないので誰かが支えてないといけない

  • 164二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 13:57:26

    審食其「だから儂の下半身が天下静謐には必要だったのじゃよ。
        どこかの太后と密通して子供まで作った偽宦官とは違うのじゃよ。
        車輪どころか巨大帝国を吊り下げ安定させた、儂のたくましい根性棒!
        凡骨どもはひれ伏して存分に崇め奉るのじゃ!」

    なお淮南王

  • 165二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 14:25:21

    >>160

    家臣達が成長しすぎた所為か、宮城谷先生の小説だと家臣を育てる達人設定が付いた劉邦さん

  • 166二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 17:21:23

    >>164

    劉長「はいっクズ確定 ブッ殺します」(画像略)

  • 167二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 18:59:48

    >>165

    劉邦の他の楚漢時代の作品となると楚漢名臣列伝、長城のかげ、香乱記、張良か

  • 168二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 21:21:43

    >>164

    まあ呂后が項羽の捕虜になったときも付き従っていたのが審食其さんなんで、呂后が心細さのあまり審食其と親しくなったとしても、それはしょうがないかなと思う

    恵帝が審食其に激怒して殺そうとしたときに、呂后は恥じてかばえなかったって逸話がまた生々しいというか、

    ん?息子に面と向かって言えない何かがあったんですか呂后さんといいたくなる

  • 169二次元好きの匿名さん24/12/13(金) 21:30:23

    >>168

    呂后は基本的に盈には強く出れない

    如意を殺した時は盈がかばえない時を狙った

    劉肥を衝動的に殺そうとした時は盈がかばったので諦めた

    だまらっしゃいと息子を怒鳴りつけて殺しを決行するほどの強さはなかった

  • 170二次元好きの匿名さん24/12/14(土) 00:40:05

    >>167

    「長城のかげ」は叔孫通の話が好きだったな

    無頼漢のようでそうでない劉邦が良かった

  • 171二次元好きの匿名さん24/12/14(土) 02:46:08

    劉邦みたいに元々の身分が低すぎると、建国の元勲も場数を踏みまくった中で頭角を表した叩き上げの軍人ばっかになるからバグっぽく見えるんだろうな
    中央への推薦もあったのに辞退した蕭何とかリアル百人斬りをしてみせた樊噲みたいに最初からおかしいのもいたり、近所にいる大軍閥に土下座しに行く途中で張良を拾ったりと訳のわからない幸運もあるけど

  • 172二次元好きの匿名さん24/12/14(土) 02:59:24

    (特に理由なく生命力がヤバい元牢番)

  • 173二次元好きの匿名さん24/12/14(土) 04:50:24

    周勃と陳平という、性格的に絶対合わなさそうなのに、なぜか共に行動するエピが多くて、なぜか漢王朝の救世主となってしまうコンビ好き

  • 174二次元好きの匿名さん24/12/14(土) 15:15:17

    周昌が参上したら劉邦が戚姫を抱いていたので逃げだしたら、劉邦が周昌に馬乗りになって「私をどんな君主と思うか」と問うたという、個人的に劉邦屈指の激ヤバエピソード

    周昌は「陛下は桀紂のような暴君でございます」と返したけど、本音では「桀紂でさえ政務中に女を抱いたりしなかったし、臣下の顔面に股間突きつけたりなんかもしなかったぞ」ぐらい思っていたんじゃないかな

  • 175二次元好きの匿名さん24/12/14(土) 20:34:04

    >>174

    桀紂と同列と言われて笑って許した劉邦はまあマシな方だな

    従兄の周苛は項羽罵倒して煮殺されちゃったけど

  • 176二次元好きの匿名さん24/12/14(土) 23:26:19

    関中で戦時行政と兵站を担当していた蕭何が、劉邦からの使者が頻繁に来て自分が疑われていたことを知る逸話、
    個人的には違う解釈もできるんじゃないかと思ってる
    前線で戦う将軍達が、蕭何への猜疑を劉邦に言い続けたため、その不満を和らげるために劉邦が使者を出したという解釈
    正直、劉邦って蕭何とか曹参とか沛県以来の旗揚げ組は、あんまり疑ってないイメージがあるんだよね
    一族を前線に出さない蕭何を悪く思うとしたら、むしろ劉邦の下で戦う将軍達の方じゃないかなって

  • 177二次元好きの匿名さん24/12/15(日) 10:29:48

    秦が統一戦争を進めていた頃、青年期~壮年期の劉邦って何をしてたんだろう
    魏のあたりで俠者やってたのは分かるけど

  • 178二次元好きの匿名さん24/12/15(日) 17:06:07

    >>167

    張良を購入しようか迷ってるんだが、どんな感じ?

  • 179二次元好きの匿名さん24/12/15(日) 17:12:51

    >>174

    言われて傷つく横山劉邦がかわいい

  • 180二次元好きの匿名さん24/12/15(日) 18:03:21

    >>176

    疑われてると思った蕭何のとった行動を皇帝即位後、むしろ蕭何の功績に挙げてるくらいだからね

  • 181二次元好きの匿名さん24/12/15(日) 20:33:58

    >>177

    当時魏で県令をやってた張耳の食客になってるんだよな

    張耳が陳余に国を追われた時に項羽じゃなくて劉邦を頼ってる=張耳の方も劉邦を覚えていたってことだから食客時代も割と役に立ってたのかもな

  • 182二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 00:14:30

    10年以上前に、季布を主人公にしたネットマンガ「カンニング・スタンツ」ってのがあったんだけど、あれ好きだったな。季布から見た楚漢戦争という異色のマンガだった

  • 183二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 00:18:50

    >>176

    灌嬰とか周勃とか本当に陰険だからなあ

  • 184二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 10:32:24

    「項羽と劉邦 若き獅子たち」

    …劉邦って若いか?

  • 185二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 10:59:20

    >>184

    諸説あるけど楚漢戦争の時はだいたい40〜50代くらいッスね

  • 186二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 11:53:36

    成人済みの息子持ちだからなあ劉邦は

  • 187二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 12:31:08

    『史記』佞幸列伝に劉邦は籍孺(籍という名の男の子)を寵愛していたとあってちょっと驚いた
    項羽と同じ名の少年を寵愛とはなんとも意味深な

  • 188二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 12:46:56

    >>187

    息子も同性愛で有名だった

    閎孺(閎少年)という美少年を溺愛

    臣下と皇帝の取次は閎少年に一任されていた

    皇帝近臣たちは閎少年のように寵愛されたいと望み白粉や口紅をつけて羽根付き帽子や貝殻付きベルトを着けるなど女のような格好をした

  • 189二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 14:46:02

    上のスレでもいろいろ作品が挙げられているし、高橋のぼる『劉邦』や、張良を描く川原正敏『龍帥の翼』も話題になったけど、近年の項羽と劉邦の創作ってどんなのがあるのかね。
    名前だけ知ってるのをまとめてみたけど、他にもおススメとかあったら教えてほしい

    ・古寺谷雉『項羽と劉邦、あと田中』
    現代日本人の田中が楚漢戦争時にタイムスリップ。斉の田氏一族に間違われて歴史に関わることに。コミック版もあり。

    ・秦和生『楚漢列伝α METEO 』
    楚漢戦争を再現したVRゲームに参加する男子高校生が主人公。

    ・ヒョン・ミヌ『楚漢志』
    韓国のマンガ家が描いた楚漢戦争。アメコミチックなタッチ。ヒーローチックな項羽と騅と、ピカレスクタッチの劉邦。

    ・『項羽と劉邦 King's War』
    中国のテレビドラマ。『三国志Three Kingdoms』の監督が制作。

    ・『楚漢女子』
    歴史ノベルゲーム。不幸な過去を持つ二人の少女・項羽と劉邦が戦いに身を投じていく

    ・『双天†恋姫 -至源の王-』
    アダルトゲーム『恋姫†無双』の新シリーズ。楚漢戦争が舞台。

  • 190二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 21:36:23

    楚漢戦争における蕭何の功績は絶大だよね
    ほとんど縁もゆかりもない、気心の知れた現地人もいない関中で兵站を維持して、
    しかも反乱を起こさせなかった
    蕭何の善政がなかったら、劉邦が戦後に長安を拠点にして即位できなかったかもしれない
    劉邦が長安で「俺が俺が」と功績の大小で言い争う諸将を見たとき、
    「蕭何がいなかったら、元は秦だったこの土地で呑気に言い争いなんてできねえわ。
     お前ら全員、自分の功を誇らない蕭何の爪の垢でも煎じて飲めよ」
    ぐらいのことを、内心で吐き捨ててたんじゃないかと思う

  • 191二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 21:47:56

    そんな蕭何の謀反を怪しむ晩年劉邦
    まぁ頂点に立つとあとは失うしかないししゃーないところあるけども

  • 192二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 21:58:44

    漢書高祖本紀読んでると楚漢戦争中の関中って末期状態だぞ
    凄まじい飢饉が発生して食料価格が暴騰し人肉食が横行したため民を食糧事情の良い巴蜀に行かせる
    徴兵年齡を拡大して少年や老人を根こそぎ前線投入
    これで関中の人心を掴んでいたっていうから謎

  • 193二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 22:59:08

    >>187

    劉邦が攻めだと、いつから錯覚していた?

  • 194二次元好きの匿名さん24/12/17(火) 01:40:41

    >>192

    「人肉を食らおうが少年老人も兵に動員されようが、とにかく項羽には勝ってほしくない!」ぐらい項羽が関中(旧秦)の人達の恨みをかっていたのかな?と思ってしまう…

  • 195二次元好きの匿名さん24/12/17(火) 12:39:14

    一定程度の誇張はあるでしょ>関中の状況

    でないと戦後に関中を根拠地にした説明が付かないし

  • 196二次元好きの匿名さん24/12/17(火) 12:49:01

    >>195

    関中を根拠にするのはまずいという考えは持ってたよ

    統一後にどこに都を置くかという話になった時に部下はみんな洛陽を推した

    劉敬が関中を根拠にするべき理由を解いたため長安が都になった

    この辺の経緯は史記や漢書に詳しく書かれてる

  • 197二次元好きの匿名さん24/12/17(火) 12:53:39

    歴史スレはほんと平和に完走するなあ…

  • 198二次元好きの匿名さん24/12/17(火) 12:56:41

    >>196

    そういう所を問題にしてるんじゃないのよ

    「そこまで荒れ果てたなら、復興に相当の資源と人力が必要じゃないの?」

    という点を問題にしてるんであって、もし本当に荒廃が記載されてるほどひどかったら、

    関中に都を置こうという意見はさすがに通らないんじゃないのってこと

    婁敬の話なら知った上で書いてるよ?

    でも荒廃のひどさについては問題視されてないよねって

  • 199二次元好きの匿名さん24/12/17(火) 13:02:32

    >>198

    荒廃度合いなら洛陽周辺も似たようなもんだと思うぞ

    楚漢戦争の主な戦場ってあの辺だからな

    滎陽も広武山も成皐も敖倉も

    そこより東はすべて諸侯の封土

    つまり劉邦は荒廃した土地しか選択肢がない

  • 200二次元好きの匿名さん24/12/17(火) 13:06:19

    >>199

    こちらは関中の荒廃について誇張があるんじゃないのと書いてるのに、

    なんで洛陽の荒廃具合が云々と書いてくるのか理解できないんだが…

    そういうのは「都合が悪いので論点ずらしですか?」と返されるから止めた方がいいよ?

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています