- 1二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:14:27
「七歳までは神のうち」という言葉だ
この言葉から生徒に関するモヤモヤをほんの少しだけ解消できる気がしたので書いていきます
これはまだ子供の死亡率が高かった時代に、子供はいつ神様の元に帰ってしまってもおかしくないという思いから言われるようになった言葉だ。現代日本に生きる我々より死から遠い存在であるキヴォトスの生徒たちにはこれは当てはまらないが、昔の日本の子供もキヴォトスの生徒もどちらも神秘的な存在と無理やり結びつけることができる...できてるかな。
実は中世のヨーロッパには子供がいなかった。なぜなら中世のヨーロッパでは大人と子供は区別されていなかったからだ...とフィリップ・アリエスは〈子供〉の誕生で語られているらしい(ちゃんと読んだことない)。一方日本には元服という儀式がある。これのおかげで子供と大人を明確に区分することができる。
キヴォトスの生徒につきまとう謎は「大人との明確な区別」と「神秘性」がある。「神秘性」については置いておいて「大人との明確な区別」は元服のような儀式があり、儀式の内容が神秘的な存在から一人前の大人になるものであると考えると「先生のような大人」と「生徒」を我々が思うような「大人」と「子供」のように成長という延長線上に存在すると解釈できるのではないかと思う。
もはや考察などとは到底呼べない妄想の類でしかない考えですが、ブルーアーカイブの壮大な世界観を楽しむ一助になればと思います。恥ずかしくなったら消す。 - 2二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:16:18
消すな―――――――!!!!!
以下キヴォトスの世界観考察スレ
考察?そんなもの俺には無理だ、スレ民の足元にも及ばない
せいぜいスレ主に消さないでくれとお願いすることしかできない - 3二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:20:34
まあ子供の概念が成立したのは近世で大衆に膾炙したのは近現代だからな
- 4二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:21:07
「大人の責任」と「強制的に大人にさせられている子供」
- 5二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:21:51
ブルアカ考えるとアダルトチルドレンという言葉が思い浮かぶ
- 6二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:36:23
ちゃんと大人になる為の区切り確かにありそうだよね
消さないで!? - 7二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:38:14
区切られた先に行ったらヘイロー消えてまうん?
- 8二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:40:11
- 9二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:46:56
むき出しの神性、神格は大なり小なりそれぞれに我が強く、放っておけば互いに争い滅しあう
そこで未熟な学生という概念を被し、力を弱め、荒ぶる神性を鎮め、互いの衝突を和らげたのだ
なぜ学生なのかというと相争いあう神性たちが傷つけ合わず手を取り合う関係となるように促すための
いわばモラトリアムをもたらすためである
キヴォトスとは方舟であり方舟のうちに住まうものたちが相争い滅しあうをよしとしないがためである - 10二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:49:02
このレスは削除されています
- 11二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:50:33
(スレ主の意図とズレてたらごめんなさい)
「子供である」「大人である」「責任を負う」というのはどういうことかってのがブルアカの大きな要素なのを考えると、各校生徒会陣をはじめとする権力者や労働者勢こそがブルアカの世界観を考える上で最も大事な存在なのかも
それと青春について京大准教授が書いてるコラムを見つけたのでブルアカのキャラ達を思い浮かべながら見てみたら結構興味深かった(初回と最後の2回分しか見られなくなってるのが残念だけど・・・)
ブルアカの世界では今のところ「大人になったかつての生徒」的な存在は出てきてないけど、このコラムを見ると大人になったかつての生徒が出てきた時、あるいは先生の青春時代が語られた時(こっちはゲーム的に無さそうだけど)にこそブルアカの青春観、大人観がはっきりするのかもって思ったり
石岡学 「みんなの〈青春〉」 第1回 謎を抱きしめて | 生きのびるブックスイントロダクション この連載では、高度経済成長期以降の日本社会において、「青春」がどのように語られ、どのようikinobirubooks.jp - 12二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:51:35
子供…神
- 13二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:52:20
子供という概念は大人の庇護によってのみ成立するんでその大人がおらんならそいつは大人っすね
- 14二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:56:24
ちなみにこれ>>1は生徒の成長の延長線上に大人が存在していてほしいなという願望を持ってる人物が考えたものなのでそんな感じのバイアスががっつりかかった意見なのでご了承ください
- 15二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 17:56:40
- 16二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 18:00:11
このレスは削除されています
- 17二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 18:00:56
- 18二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 18:04:21
- 19二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 18:06:09
どうせ何をどう言ったって正解するこたないから適当に妄言しろ
妄想力を鍛えよう - 20二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 18:13:35
子供は神秘性を秘めている、ということは子供は成長の過程で自らの神秘性を捨て去ることで大人への昇華を果たすともとれる。
ブルアカ世界において、子供である生徒たちは「神秘」を有している一方、シャーレの先生は「神秘」「恐怖」「崇高」いずれも持ち合わせていない大人である(無名の司祭による言及。加えてそのような存在は本来色彩にとっては無価値らしい)。
色彩の影響から逃れる際のセイア、テラー状態から元に戻ったホシノに関しては「自らの本質の一部を手放した」と言及あり(セイアはエデン最後の本人談、ホシノはアビドス3章最後にクロコによる推測)
→二人に関してはストーリーの進行、事件解決の果てにそうなった。すなわち苦痛を伴う難題を乗り越えた結果として自らの本質を手放したということは、やはり子供から大人へと成長する様を神秘性の喪失という形で表している?
そもそも神秘性とは何か?子供が秘めている将来に対する無限の可能性?それが失われるということは大人としての生き方を定める代わりに可能性を捨て去ること?責任を果たす大人としての道を選んだ先生もかつて神秘性を秘めていたのか???
うーむ改めて情報をまとめて考えて…ってやってると楽しいけど頭がパンクしそうになる
>>1はじめ色んな捉え方を発信してくれる人は実にありがたいんだぜ
- 21二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 18:52:56
「自由と責任はつきものだ」というように、自由意志のもと行われたあらゆる行為は行為者が一切の責任を負うことを前提に社会において許容される。
現代社会において保護者によって子供の自由が制限されるのは「子供が自らの行為に責任を負う能力が十分に備わっていないため」であり、公的教育制度の一律実施に加えて年齢を十分に重ねたことをもって、はじめて成人として自由の権利を行使できるようになる。
一方でキヴォトスにおいては「大人と子供」という対比的な区分・価値観が存在するにもかかわらず、当の子供本人が社会に参画し、(特に各学校生徒会に属する生徒は)それぞれの職責を負っている。
これはきわめて歪な状態で、それゆえ時に「責任を負いきれなくなった生徒」が生じ、本来保護者に求められる役割が果たされる=「大人である先生が責任を肩代わりする、あるいは共に受け持つ」ことで事態は収束する。
ということは「大人であらざるを得ない状況」から「子供であることの許容・自覚」を経て「改めて大人への成長」へと踏み出すお話と言えるのかな?
改めて考えると面白いなァ! - 22二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 18:53:44
エデンでミカとサオリに言った「君たちには無限の可能性がある」とかパヴァーヌでアリスに言った「君がなりたい存在は君自身が決めていい」に代表されるように子供を「何者でもないが故に何者にでもなれる可能性がある」未分化の存在と見ると、「自分の生き方を決める」つまり自らの本質を自分で決めることは大人になると同時に子供という存在の本質を手放すことでもある、とは言えるかも
ただ、セイアとかホシノのそれは「無限の可能性を捨て去る」というよりも「自らを縛っていたものからの解放」という側面があるように思う
セイアの予知夢やホシノの(おそらく)ユメ先輩関連の出来事はどちらかといえばミカに対する「魔女」、アリスに対する「魔王」のような自らを(自分の意思に反して)縛り付ける言葉と似ていて、それらからの解放はつまり彼女たちを未分化の、子供の状態に戻すことでもあるんじゃないか
「実存は本質に先立つ」の言葉でいうと、彼女たちは意思に反して与えられた(あるいは自分に無理やり言い聞かせた)「本質」から開放されることで、自らの本質を自分で決めて大人になるまで子供という何者でもない存在でいられる様になるのかなと考えた
・・・言葉にするのが難しいな、自分の言ってることが自分でも理解できてるか怪しい
- 23二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 19:03:56
- 24二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 19:09:37
- 25二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 21:58:07
- 26二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:01:17
- 27二次元好きの匿名さん24/12/03(火) 22:24:19
そうそう黒服とかベアトリーチェとかは生徒に害を及ぼす「悪い大人」として対峙してるけど、地下生活者は「大人のなりそこない」みたいな扱い
いやそもそも「責任を持つ大人」という先生の在り方がキヴォトスにおいて結構イレギュラーな存在なのか…?
- 28二次元好きの匿名さん24/12/04(水) 09:49:27
「想像界で表象され、現実界へと至る——象徴界の記号であり隠喩なのだ!!!」
これは無名の司祭が言った言葉なんだけど、ジャック・ラカンが元ネタだと思うんだよね。ざっくりと説明すると
・想像界
自分が感じている世界。具体的に言うと、金銭に対する自分の感覚みたいなもので、心の中の感覚をそのまま他者に共有することが不可能である。
・象徴界
他者とある程度共有できる世界。例えば、日本が使う「円」のような言語を用いて作り出している社会のこと。ここでの言語は文字や手話、記号など伝達手段全てを含んでいる。
・現実界
ありのままの世界。つまり、自分たちが「お金」と名付けているモノが存在する世界。現実界の事物は感じることも言葉にすることもできない。何故なら、そもそも説明しようとする段階でモノに対する言語化はモノの一側面しか表せていないことを指している。