【SS】彼女はすごく、いい匂いがする【マルゼン、ネイチャ、カフェ、オグリ】

  • 1図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 15:57:19

    ※「匂い」をテーマとした掌編連作です。
    ※性的描写なし。若干の匂いフェチ要素あり……か?

  • 2図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 15:59:22

    ※トレ×ウマ。
    ※オリトレあり。
    ※オグリ関連は『シンデレラグレイ』準拠で北原、六平、ベルノライト等あり。

  • 3図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:00:10

     彼女はすごく、いい匂いがする。僕の担当するマルゼンスキーは。そのことに今日、初めて気づいた。

     オーバーワークを避けて軽めの練習を終えた後。彼女の行きたがっていたイタリアン――マルゼンスキー言うところのイタ飯――へ向かうため、学園の駐車場で待ち合わせていたとき。

    「メンゴメンゴ、待った~?」

    「いや、僕も今――」
     来たところ、そう言いかけて僕の動きは止まった。

     緩やかに吹いた風が彼女の髪と私服のスカートを揺らし。僕の方へと運んだ、彼女の匂いを。
     香り、ではない。練習後に浴びたであろうシャワー、その時に使ったシャンプー――僕が使うようなものとは比べものにならない、上質なものであろうそれ――は、もちろん香ったが。
    絹のように滑らかなその香気の流れとは別、その奥から立ち昇っていた。彼女自身の匂いが。

  • 4図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:00:45

    香水ではない、汗の残り香でもない。彼女のにおい。髪から肌からにじみ出る匂い。
    体温分のぬくもりと湿度を帯びたそれが、彼女の肌の感触を僕の鼻孔に残しながら、嗅覚の先、僕の脳へと触れていた。頭の奥、まさにその脳が痺れるような感覚と共に。

    「? どうしたのトレーナー君、急に固まっちゃって」
     首をかしげるマルゼンスキー。波打つ髪が肩の向こうで揺れ、いっそうそれが匂い立つ。

     慌ててかぶりを振り、何でもない、とごまかしながら車の方へ向かう。彼女の愛車たるスーパーカー。思えば、乗せてもらうのは初めてだった。

     やたらと車高の低いその中へと、かがんで身を滑り込ませる。戦闘機のコックピットに入るみたいだと、そのときは無邪気に思ったが。
     違った、ドアを閉めた直後に分かった。

  • 5図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:01:21

     密閉されたその中には、彼女の匂いが満ちていた。間近にいるマルゼンスキーの、その匂いが。
     居住性を考慮していないその狭い空間は、コックピットなんかじゃなかった。まるで巣穴だった、マルゼンスキーと二人きり、潜り込むのがやっとの巣穴。あるいは棺桶にも思えた、肩を寄せ合って入るダブルサイズの棺桶。
     その中に、彼女の匂いが満ちている。僕へ染み込ませようとするかのように、僕を芯まで染め上げようとするかのように。

     そのにおいは、たとえるにしても花の香りではない、清楚に香る花びらのそれではない。あるいは、その奥で粘《ねば》つくものの匂い。花びらの奥で花粉を待つものの匂い。
     また、あるいは。きっと食虫植物の中は、こんな匂いがするのかも知れない。酔わせるように虫を誘い、捕らえて二度と離さない粘膜。奥の奥まで引きずり込んで、命ごと溶ろかす甘い毒。

  • 6図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:01:56

     マルゼンスキーは、そっと微笑む。
    「緊張してるの? 初めてだから? 初めてのデートだから、それとも、初めての――」

     そして、僕の手を取った。
    「ね、こんなに狭いと。お互い、心臓の音まで聞こえそうね」

     息を呑む僕に、彼女は身を寄せる。
    甘やかな匂いの源は、生温かい体温と吐息と共に、耳元でささやいた。
    「リラックスして……ね? 私に、まかせて」

     それから。僕は彼女に全てをまかせて。とにかく、大変なことになった。

  • 7図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:03:01

    「――っていうことがあったんだけど」
     酔いにまかせてそうこぼした直後。
    叩きつけるように、周りのトレーナーたちから非難の声を浴びせられた。

    「はああ!? お前それ何言ってそれお前……いやいやダメだろお前それ!」
    「トレーナーとして……いや大人としてやっちゃいかんだろ何考えてんだこのエロ助エロ野郎、エロ山エロ田エロ一郎が」
    「とりあえず通報しますねこの匂いフェチの変態」

     ジョッキ片手に罵声を上げ続ける同僚らに向かい、僕は抑えるように両手を向けた。
    「ちょっ、ちょっと待って!? そんな話してないだろ、『初めてマルゼンスキーの車に乗るんで緊張してたけど噂どおり運転がヤバかった、彼女に運転をまかせるんじゃなかった』『車酔い全開で青ざめながら笑顔でイタ飯完食、帰って彼女の視界から外れた直後全部吐いた……っていう大変なことになった』って話だろ!」

     同僚らは一瞬無言になった後、口々にため息と舌打ちを漏らした。
    「それだけかよ……つっまんねー野郎だなお前はオイ」
    「このトレンディ畜生が……それ以上誤解を招く表現したらお前の肩にかけてるカーディガンの袖引っ張って絞め落とすぞ」
    「存在そのものがセクハラですこの匂いフェチのド変態」

    「どういう非難!? いったいどういう扱いなんだよ僕!?」
     多くのトレーナーらが集まった飲み会、居酒屋の一フロアを借り切ったその席上で。僕は一人、そんな悲鳴を上げていた。

  • 8図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:03:45

     そんな中。ナイスネイチャの担当トレーナーだけは笑って肩を叩いてくれた。
    「いや~、でもいいっスねそういうの! か~っ青春っスねお熱いっスね、ひゅーひゅー!」
     ひゅーひゅー、の部分を口笛でなく声に出し、彼は親指を立てていた。

     顔を半ば引きつらせつつ僕は笑う。
    「べ、別にそういうんじゃないんだけどね……君んとこはどう、うまくコミュニケーションできてるって聞いたけど」

    「いやあ! ナイスネイチャは先輩のとこみたいな、お色気的な雰囲気は無いんスよ全然、残念ながら!」
     待っていたかのように再び強く親指を立て、彼は片目をつむってみせた。
    「無いっス! |無《ね》―っちゃ! ってね!」

     彼の担当――もしくはシンボリルドルフ――なら爆笑したであろう渾身のネタを聞いて。辺り一帯が静まりかえる。

  • 9図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:04:13

     しばしの沈黙の後、アグネスタキオンの担当が咳払いした。
    「そ、それはそうと……興味深いお話でしたうかがいますにまるでそれはフェロモンつまり性的誘引物質であるかのような働き、ヒトにフェロモンがあるかは諸説ありましてウマ娘にそれがあるかとなると実に興味深い、あるいはタキオンも注目するかもしれませんいやしかしフェロモンは匂いを伴うわけではないと聞きますし断定は避けるべきか――」
     ぶつぶつとつぶやきながら、しきりに彼はメモを取る――今日は光ってはいないようだ――。

    「そんなのおかしいであります!」
     だん! と音を立ててジョッキを――その中には彼特選のプロテインを混ぜた牛乳が満たされている――テーブルに叩きつけていた、メジロライアンの担当は。

  • 10図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:04:35

     悔しげにつむった目の端から涙さえこぼし、彼は叫んだ。
    「いくらマルゼンスキーさんがいい匂いだからって! 自分の担当する、ライアンの方がいい匂いのはずであります! 青春の……かけがえのないその一瞬にこぼした、汗の香りが! パワーーー!!」
     彼は叫んでポージングを決め、身につけたタンクトップを破かんばかりに筋肉を張り詰めさせてみせる。

     横でウイニングチケットの担当がひざを叩く。
    「あー! でも分かる分かる! うちのチケットもねー! 汗の香りとねー! 干し草の香りがすんのね! なんていうかこう、お日様と? 風のにおいがねー!」

    「そうですか、分かるでありますか!」
    「うん!」
     二人は手を固く握り合い、声を上げた。
    「「パワァァーーー!!」」

  • 11図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:05:18

    「うるせぇ……若ぇのは元気だなオイ」
     不精ひげの残る頬を歪め、マンハッタンカフェ担当は苦笑していた。口の端で禁煙パイプが――今年何度目かの禁煙に挑戦しているそうだ――揺れる。
    「俺らは指導者だし、そもそもいいオトナなんだ。もうちょい落ち着きってモンがねぇとな……老婆心ながら心配じゃありやせんか、先輩方?」
     彼が視線を向けた先では、ベテラントレーナー――永世三強世代――たちが静かに杯を手にしていた。

     オグリキャップの担当、北原氏は辺りに視線をやりつつ、あいまいにうなずいた。
    「ま、まあでも、元気があって結構スよね、ねえ、ろっぺいさん?」

     叔父である六平《むさか》トレーナーに笑いかけるも、六平氏は無言でジントニックのグラスを傾けた。

     隣でヤエノムテキのトレーナー――通称・師範代――が、ひげをたくわえた口元を歪めて笑う。
    「ふ……若い、甘い、渋味が足らぬわ。が、それもまた若さ故の特権か……酸いも甘いも噛み分けた、我々には真似のできぬことよ。のう?」
     乳成分がどろりと渦を巻くカルーアミルクを片手に、生クリームたっぷりのデカ盛りパフェを口に運ぶ師範代。テーブルには追加注文したプチケーキが並んでいる。

     六平氏は無言で、そちらから視線をそらせた。

  • 12図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:06:35

     一方、若手トレーナーらは未だ騒いでいた。各々がジョッキを片手に。
    「ですからー! 自分のライアンが、りゃいあんの方が絶対! ぜぇぇったい、いい匂いするんでありますぅぅ! パワーー!」

    「は? あんまり|騒ぐ《ほたえ》なよお|前《まん》……それウララさんの前でも言えるんか? あの高知の救世主ハルウララさんより、ええ匂いがするとか本気で言うとるがか?」

     顔をしかめたハルウララ担当の横で、オルフェーヴル担当は失笑した。
    「おいおい冗談も休み休み言えよ、我が君オルフェーヴルよりいい匂いがする者などいるはずがないだろう。知らんけど」

     隣でオペラオー担当が肩をすくめた。
    「やれやれ無知とは恐ろしいものだ……我が王テイエムオペラオーほど芳しく香り立つ者などいるわけがないだろう。知らんけど」

    「何だと貴様……! オルフェーヴルの香りを侮辱するのか! 知らんけど!」
    「そちらこそ何だ……! オペラオーの匂いを愚弄するのか! 知らんけど!」

  • 13図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:07:16

     にらみ合った二人は一瞬後、同時にため息をついていた。
    「いや、悪かった。君のオペラオーの方が素晴らしい香りに違いない。知らんけど」
    「こちらこそすまなかった、貴方のオルフェーヴルの方が薫り高いに決まってる。知らんけど」

     二人の表情が同時に険しくなる。
    「は? 貴様のオペラオーの方が我が君よりいい匂いだと言ってるだろうこの分からず屋! 知らんけど!」
    「はぁ? 貴方のオルフェーヴルの方が我が王よりいい香りだということも分からんのかこのどてかぼちゃ! 知らんけど!」

    「いや……知ってから言えやお前《まん》ら!」
     思わずツッコんだハルウララ担当。

     その横でライアン担当がポーズを決める。
    「パワー!!」

    「それはもうええんじゃ!」
     いい音を立てて。ウララ担当は、その頭を思い切りしばいていた。

  • 14図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:07:50

    「平和だな」
     ゴールドシップ担当は静かにグラスを傾け、ビールをちびり、と口に含んだ。その頭で巨大なアフロヘアーが揺れる。

     隣でキングヘイロー担当が、同じく、ちびり、と唇を湿した。
    「ところで前から聞きたかったけど……その頭はやっぱりゴールドシップが?」

     ゴルシ担当はサングラスを指で押し上げる。
    「地毛」

    「そ、そうなんだ……ところでなんか皆、匂いの話してるけど……やっぱりゴルシはハジケた匂いがするの?」

    「ああ、とびきりハジケた匂いがな。ポップコーンとコーラみたいに」

    「そうなんだ……映画館みたいな子だね」

     ゴルシ担当は口の端を上げて笑う。
    「まさにそうだな、歩くシネマコンプレックスだよアイツは。アンタのとこのキングは、やっぱり一流の匂いがするのかい」

  • 15図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:11:54

     ぐ、とグラスの中身を飲み干し、キング担当は重くつぶやいた。
    「一流でなくていい」

    「え?」

     さらにグラスを――横に置かれていた別の人のグラスを――一気にあおり、空にした。
    「私は……一流だ一流だと、彼女をあおり過ぎたのかも知れない……何もかも一流でなくていい、気を抜くところがあったっていい……」
     何杯目かの他人のグラスを干し、真っ赤な顔を天井に向けた。
    「キング! 君の匂いはぁぁ! 三流でいい! 三流でいいんだああ! それでも私の……一流なんだあああ!」
     倒れ込むようにテーブルへ突っ伏し、肩を震わせて号泣し出した。

    「哲学的に、ハジケた野郎だぜ」
     ゴルシ担当は、隣で静かにグラスを傾ける。

  • 16図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:14:57

     百家争鳴の喧騒の中。腕時計に目をやった後、六平氏が手を打ち鳴らした。
    「あー、お前ら! 我らが学園が誇る優秀なトレーナー諸君、時間だ。店のつごうもある、とっとと出るぞ。幹事、よろしく頼む」


     支払いの後、それぞれ店を出てゆくトレーナーたち。
     あるいは駅やタクシー乗り場へと向かい、あるいは気の合う者と肩を組んで二次会へ繰り出す彼らの胸中には。
     もしかしたら、同じ思いがくすぶっていた。



    「(そんないい匂いがするのか、マルゼンスキー……いや)」
    「(自分の担当はもっとい匂いがするって言ってた奴もいるし、まさか)」
    「(もしかしていい匂いがするのか、ウマ娘は――?)」
    「(つまり……うちの担当も――)」

    「((((すごくいい匂いがする……ってコト?!))))」

     そんな思いが、多くのトレーナーにくすぶっていた。
    ……かもしれない。

  • 17図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:20:20

     びし、とナイスネイチャを指差した。
    「肉じゃがの匂いがする」
     そう言った、彼女の担当トレーナーは。練習前、トレーナー室で。

    「へっ? お、おう」
     ナイスネイチャは目を見開き、困惑したように後ずさった。両手を腰の後ろに回したまま。

     昨日の飲み会での話題について説明した後、トレーナーはまた彼女を指差した。
    「で、ネイチャは肉じゃがの匂いがする、今! だからウマ娘からいい匂いがする、っていうのはホントなんだね! さすがマルゼンスキー担当、先輩の感覚は鋭さヤバいなあ!」

  • 18図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:20:49

     曇りなく笑うトレーナーを前に、ネイチャの頬がわずかに引きつる。
    「変態ですか皆さん、揃いも揃って話題がそれって」

     トレーナーは腕を組み、何度も深くうなずく。
    「変態でもいい……たくましく育ってほしい」

    「いやダメでしょ、変態の時点で」
     ネイチャは右手をツッコミに繰り出したが、左手は腰の後ろに回したままだった。

     トレーナーは首をかしげる。
    「でも考えてみなよ。変態だけど優秀なトレーナーと、変態でしかも優秀じゃないトレーナー……どっちに指導してほしい?」

    「いや、変態じゃないトレーナー呼んできてよ!?」
     今度は左手をツッコミに繰り出したが。右手はその前に背後へ回されていた。まるで左手に持っていたものを受け取るみたいに。

  • 19図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:21:18

    「さっきから思ってたけどそれ、後ろに何持ってんの?」
     トレーナーが背後に回る。

    「へやっ!?」
     尻尾を逆立ててネイチャが身をよじらせ、背後に持っていたものを隠そうとするが。結局トレーナーはそれを目にする。巾着袋に入った、大き目の弁当箱くらいの何か。

    「あ~、これは、その……」
     ネイチャは視線をそらしながら、おずおずと袋から中身を取り出す。
    大振りなタッパーにいっぱいのそれは、肉じゃが。

     彼女は視線を泳がせつつ、引きつった顔で無理に笑った。
    「その~……家で? アタシが、作ったんだけど……作りすぎちゃったの☆ てへ☆  みたい、な……? だから、良かったら――」

     ぱ、と花が咲くようにトレーナーは笑う。
    「え! いいの!? ありがとう、いただきます!」
     いそいそと棚から紙皿と割りばしを持ち出し、タッパーからいくらかを取った。
     大きく開けた口にそれを運び、ゆっくりと噛み締める。

    「う……美味い! 美味いなこれ、スゴいなネイチャは!」

  • 20図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:21:46

     ネイチャは目を見開き、トレーナーの顔を見たが。すぐに視線をそらせ、緩みかけた表情を引き締めた。無表情を装うかのように。
    「そ、そう? あ~そりゃ良かった、変なもの食べさせなくてネイチャさんも一安心だわ~」
     片手をうちわのようにうごかし、若干赤らんだ顔に風を送る。

     トレーナーはなおも皿からかき込む。
    「美味いなあ! いや~男子はなんだかんだ言って好きだもんな肉じゃが! 恋人に作ってほしい手料理と言えば肉じゃが! このしっかりとしたダシと、ほどよい甘味が染み込んだほくほくのじゃがいも……これなら毎日でも食べたいなあ!」

    「な……っ」
     絶句するナイスネイチャの、顔がたちまち――それまでよりも、いっそう――赤らむ。
    「そ……それってあのっ、やだなーまるでアレじゃん、『君の作ったみそ汁を毎日飲みたい』とかいう|古《いにしえ》の時代の|常套句《じょうとうく》、プっ、プププ、プロポーズみたいな――」

  • 21図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:22:54

    「こうしちゃいられない!」
     タッパーを手に、トレーナーは突如駆け出す。
    「こんな美味い肉じゃが初めてだよ、料理上手なマルゼンスキーもビックリするよ!  おれ一人食べたんじゃもったいない、先輩とマルゼンスキーにも食べてもらおう!」

    「え? なっ、えっ、ちょっ待」

     目を見開いて固まるネイチャをよそに、トレーナーは廊下を走ってゆく。
    「せんぱあああい! マルゼンスキー! 皆あああ! 聞いて聞いて、スゴいからあああ! うちの学園に家庭料理の革命児が誕生しましたああああ!」

    「ちょっあっなっ、え、え? ま……待てええぇぇぇ!!」
     最高に引きつった顔で、追って駆けるナイスネイチャ。

    「この……クソボケがあぁぁ!」
     思い切りはたく音が、廊下で盛大にこだました。



    (ナイスネイチャ編  了)

  • 22図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 16:59:12

    (>>1です)

    (カフェ編、オグリ編は後ほど~)

  • 23図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:52:42

    (マンハッタンカフェ編)


     トレーナー室に、こぽこぽと湯の沸く音だけが響く。

     マンハッタンカフェがケトルを手に取り、注ぎ口の細いドリップ用ポットに湯を移す。そうして湯温を調整した後、コーヒーポットに載せたドリッパーへわずかに湯を落とす。細引きのコーヒー豆に湯が染み渡るのを待って、渦を巻くようにまた湯を注ぐ。
     音もなく膨らんでいく細引きの粉を、静かに彼女は見ていた。

     そんな彼女の背を、オレ――彼女のトレーナー――は静かに見ていた。いつもの位置で椅子に腰かけて。

    「どんなにおいですか」
     あまりに不意に、カフェがそう口を開き。

    オレは、びく、と背を震わせた。
    「……何?」

  • 24図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:53:06

     日の差し込む流し台に向かい、こちらに背を向けたまま彼女は言った。
    「いいにおいがする、って、ウマ娘は。そんな話題があったそうですね、昨日は」

     なぜ君がそんなこと知ってる、そう言いかけたとき。

     オレの座る傍ら、別の椅子が音を立てた。乱暴に踏みつけるような騒音と共に、載せていたクッションが目に見えぬ何者かに踏みにじられる――足の形、蹄鉄の形を残して沈み込む――。

    「その子が教えてくれましたから」

     なるほど、昨日の飲み会、カフェのお友達も来ていたというわけだ。物言わぬ亡霊のお|相伴《しょうばん》にあずかった、ということか。
     オレは肩をすくめた。
    「なんだ、来てると言ってくれればお酌をして差し上げたのに。ところで、代金はちゃんと払ったのかい?」

  • 25図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:53:56

     湯の滴るコーヒーポットを放ったまま、カフェはこちらに向き直る。わずかに寄った眉に険があった。
    「どんなにおいですか」

    「え?」

     じ、と真っ直ぐに視線を向けた。
    「どんなのですか、と聞いているんです。私の、においは」

     オレはさすがに眉根を寄せた。
     浮世離れした子とは言え、お年頃だ。体臭が変じゃないか気になるということだろうか? 
     笑顔を作って答えた。
    「決まってるさ、コーヒーの匂いだよ。挽き立ての香り高い――」

     カフェはこちらに歩み寄り、座っているオレを見下ろす。視線は全く揺るがない。
    「それは当たり前です、今コーヒーを淹れてるんですから。私は、私のにおいを聞いてるんです」
     そして身をかがめ。ずい、と頭を鼻先に突きつけた。

  • 26図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:54:22

     隣では急かすように、見えない足が何度もクッションを踏む。

     カフェはなおも頭を、ぐい、と近づける。
    ひどく濃いコーヒーのような純黒の髪。その下から、澄んだ目がオレを、貫くように見つめている。

     しばし、無言でその目を見つめた。
     カフェは目をそらさなかった。
     椅子の上ではいら立ったように足音が鳴り、さらに鳴り、椅子が震える。めぎめぎと軋む音さえした。

     オレは鼻をひくつかせることなく身を引いた。
    「コーヒーベース」

  • 27図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:54:45

    「え?」

     目を瞬かせる彼女を横目に、続けた。
    「コーヒーベース、カフェオレベースとも言うが。水や牛乳で割るとすぐアイスコーヒーができるあれだ。ひどく濃縮されたコーヒー」
     息をついて続けた。
    「わざわざ嗅いでみるまでもないさ、君の匂いはそれだ。ひどく、強《こわ》い」においだよ」

    「……怖い?」

     オレは首を横に振る。
    「多分思ってる漢字が違うな。強い、と書いて、こわい、だ。す、と飲み下せるアイスコーヒーなんかじゃない、そのままではとても口にできないほど濃く、重く、混じりけがない。夜そのものよりいっそう暗い、どろり、と濃縮された黒。そんな、においだ」

  • 28図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:55:14

     未だ目を瞬かせる彼女に、オレは無言で肩をすくめた。
     きっと、君に愛される奴は世界一の幸せ者だ。揺るがないその視線で一生見つめられる、一生分濃縮された君の想いを受け取る。濃く、重く、混じりけのない想いを。
     その|強《こわ》い匂いを、胸一杯嗅ぐことになる。

     そしてきっと――蹄鉄の跡が残るクッションを見ながら思う――、君を裏切る奴は世界一の不幸者だ。何しろ血に飢えた地獄の猟犬を二頭、いっぺんに敵に回す羽目になる。揺るぎないその視線で睨まれ、一生分濃縮された君らの想いを受け取る。濃く、重く、混じりけのない想いを。
     その怖いにおいを、嫌というほど嗅ぐことになる。

  • 29図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:55:56

     カフェが無表情にまた目を瞬かせ、首をかしげるのが横目で見えた。
     そして。彼女は無言のまま、オレの背に顔を埋めた。
     すう、と息を吸う音の後、言った。
    「乾いた冷房のにおい。氷と水道水のにおい。――トレーナーさんからは、喫茶店のにおいがします。日の当たるカフェじゃない、古い喫茶店のにおい」

     それからまた息を吸い込み。わずかに、声の響きを低めた。
    「……濃縮された甘苦い香り。鼻に引っかかる蒸気のような、ニコチンのエスプレッソ。……電子煙草の匂い」

     前へ来ると腰に手を当て、オレを真っ直ぐに見下ろした。
    「煙草。やめるって言ってましたよね」

     オレは肩をすくめてみせた。
    「何、根気はある方でね。今年四度目の禁煙に再挑戦し始めたところさ、ついさっきから」

     真似るようにカフェは肩をすくめた。
    「期待はしないでおきます」
     そうしてまた、こちらに身を寄せ。すん、と、鼻を動かした。
    「……トレーナーさんは、いいにおいがします」

    「……どうも」
     オレはまた肩をすくめた。

     ――世界一の幸せ者と、世界一の不幸者。
     ――前者はどうか知らんが、後者にはならないと誓いたいね。

     そう胸の内でつぶやいて、彼女から、そっ、と身を離した。


    (マンハッタンカフェ編  了)

  • 30図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:58:52

    (オグリキャップ編)

     別に昨日の飲み会の話題を、気にしたつもりはないけれど。
     北原は無意識にか、鼻を動かしていた。練習中、ジャージ姿のオグリキャップのそばで。

     ――土と、しょうゆの匂いがする。

    「? どうかしたか、キタハラ?」
     オグリキャップは澄んだ目を瞬かせる。

    「へ!? いやあ別に、なんでも!」
     分かりやすく顔を引きつらせ、北原は身を引いたが。

     オグリは――表情の少ない彼女にしては珍しく――ほほ笑んだ。
    「聞いてるぞ、ウマ娘の匂いがどうとかって、昨日話題になったんだろう」
     小さく頭を下げる。
    「すまない、私は多分いい匂いはしないな。匂ったとして、土と汗のすえたにおいだろうな」

    「へ……」
     視線をそらして、北原は帽子のつばに手をかける。

     ――何言ってるんだオグリ、いい匂いだよお前は。努力する奴の匂いと、皆大好きな匂いがするさ。土と、しょうゆの匂いが――

     そう言ってやりたかったが。口は上手く動かず、もたもとと声を発するに留まった。
    「あー……オグリ? そんなお前、卑下することはなくてだな……あぁ卑下するって分かるか、つまり自分を変に下に――」

  • 31図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:59:20

     言葉が終わらぬ間に、ベルノライトが資料の束を手に駆けてきた。
    「オグリちゃん! 聞いて聞いて、今度のレースの参考になりそうな資料がこんなに――」

     ぱくぱくと口を空振りさせた北原を目にして、ベルノが言う。
    「あっ、ごめんなさい横から急に、お話の途中でしたら――」

     その言葉の正に途中で、オグリはベルノに覆いかぶさった。

    「ひゃっ!?」
     身を震わせるベルノをよそに、オグリは鼻をうごめかせた。
    「なるほど……ウマ娘はいい匂いがする、っていうのは本当だな。ベルノは、たんぽぽの匂いがする」

     辛抱強く地中深くに根を伸ばし、小さな小さな花を咲かす。それでも、春を象徴するような明るい花を。
     なるほど、たんぽぽなら。ずっとオグリに寄り添った、その活躍を支えたベルノにふさわしい。
     そんな風に思い、北原は笑顔でうなずいたが。

  • 32図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 19:59:46

     オグリはなおも貪欲に鼻を動かす。
    「匂いがする……たんぽぽの匂い。刺身の上に乗ってるあの匂い」

    「それ食用菊だよ!?」
     身を震わせて、ベルノはオグリを振るい落とす。

     オグリが悲しげに眉の端を下げた。
    「そう、なのか? でも私は好きだぞこの匂い、ご飯何杯でもこれでいける」
     お腹を鳴らすと、きびすを返した。
    「小腹がすいたな……ちょっと白ご飯のパック買ってくる、丼五杯分ほど」

    「正直嫌だよ私の匂いでご飯かき込む親友とか!?」

  • 33図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 20:00:06

     ベルノの声を気にした風もなく、オグリは言う。
    「本当にいい匂いがするんだ、あのたんぽぽの香りと。脂の乗ったブリ……中トロ……サーモン……いい……」
     じゅるり、と唾の音を立てる。

    「それ、生魚のにおいがするってこと私!? 殴っていいかなあ!? ねえ殴っていいかなあグーで!?」
     購買部の方へ走るオグリと、顔を引きつらせて追うベルノ。

  • 34図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 20:00:27

     北原は肩を落とし、息をついた。
    「何だかなあ……オレ」

    「よ」
     その傍らへ。|六平《むさか》が杖を片手に姿を見せた。

    「ろっぺいさん。何だか……上手くやれてませんよね、オレ」

     六平は口の端を持ち上げて笑う。
    「そう思えるんなら上々よ。ソクラテス言うところの無知の知、ってやつだな」

    「いや、何なんですそれ」

  • 35図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 20:00:55

     そうこうするうち、温めた白米パックを大量に抱えたオグリと、その背をぶつベルノが戻った。
    「ろっぺいも来てくれたのか。……ん?」

     不意にオグリが眉根を寄せ、北原と六平に顔を近づける。鼻を動かし、息を吸った。
    「おんなじにおいがする、キタハラとろっぺい。やっぱり叔父と甥なんだな」

     そう言ってほほ笑み、座り込んでご飯をかき込み出す。

    「同じ、におい? それって――」

     つぶやく北原の肩を、六平は静かに叩いた。
    「加齢臭」

    「……え?」

     大きく口を開ける北原へ、六平は静かに告げた。
    「年取ると誰でも出るにおいだ、男はな。何、やりようもなくはねえ。後頭部、特に耳の後ろをよく洗ってだな、シャンプーは炭成分入りのやつを薦める。ボディソープは柿渋入りのもいいな、特にオススメは――」

  • 36図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 20:01:21

    「え? 加齢臭……え? いや、オレ……そんな、歳……?」
     呆然と目を瞬かせる北原。

     オグリは六平の横でまた鼻を動かす。
    「でも、六平のにおいは何か違うな……なんていうか、深い匂いがする。もっと嗅いでいたい匂いだ」

     六平は胸ポケットから香水の瓶を出してみせた。
    「紳士だからな。今日はムスクの香りで決めてみた」

     北原はその肩をつかんだ。
    「ちょ! それ、それオレにも教えて下さいよ!」

     六平はそっぽを向いてみせた。
    「嫌だね。叔父と甥で同じ香水とかどうだよ」

    「えーー!?」

  • 37図書委員◆1NwnY0XjPs24/12/15(日) 20:01:59

     声を上げる北原の横で、オグリはご飯をかき込んだ。
    「うまい! うまいぞ!」

     ベルノが悲鳴のような声を上げる。
    「だから! 私の匂いきっかけに白ご飯かき込むのやめてーー!?」

     ふ、とオグリは笑った。
    「安心してくれ」
     ポケットからしょうゆを取り出し、ご飯へと垂らした。
    「こんなこともあろうかと持ち歩いているんだ。これで白ご飯じゃあなくなるんだ、味わいが深まるんだ」

    「そういう問題じゃないからー!!?」

     ベルノの悲鳴をよそに、オグリはひたすらしょうゆご飯をかき込む。


    (オグリキャップ編  了)

  • 38二次元好きの匿名さん24/12/16(月) 00:48:17

    これコメントしていいやつ?
    とぅてもすき

スレッドは12/16 12:48頃に落ちます

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