【SS】我が道を往く【架空ウマ娘注意】

  • 1二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:35:25

    レース場は、すっかり静かになってしまいました。
    日本で一番盛り上がるであろう日本ダービーでさえ、今年は走者たちの足音と呼吸が聞こえるくらい、静まり返りました。
    中央でそれだけ静かなのであれば、地方の状況は推して知るべし、というものです。
    各地方レース場の運営さんや学園の方々も、インターネットでレースを配信できるようにあれやこれやと設備の更新に力を注いでおられました。
    それでも、レース自体が中止になるということが無かったのは、私たちにとっても僥倖であったと思います。
    毎週私たちが全力を振り絞ることができ、勝利の喜びも、敗北の悔しさも、これらだけはいつもと変わりなく感じることができました。
    しかし、去年や今年からデビューをした子たちは、少しばかり静けさが漂うレース場の風景に、やはり戸惑いを覚えていらっしゃいます。
    ウイニングライブも、まるで格式高いオペラを見るような、そんな空気が流れている。
    所によっては、完全無観客でライブをすることもあるようです。
    この風景は、やっぱりどうしても、寂しさを感じずにはいられません。
    私が初めて勝ったレースのあと、ステージのセンターから見た景色。
    願わくば、あの時の熱がまた、一日でも早く戻ってきますように。

  • 2二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:36:04

    「出バ表が来ましたよ、姫。1枠1番です。」
    トレーナー様が、「確定」の判が押された出走表を手にして、難しそうな顔をしています。
    「ありがとうございます、トレーナー様。」
    出バ表を受け取って、私も目を落とします。
    一人が取り消しをされ、全部で16名。
    1番人気の方は、経験値こそ浅いけど、短距離路線で5戦中4戦入着の若いエースのお方。
    2番人気の方は、経験値も豊富で、過去のこのレースで勝利したこともあるベテランさん。
    何より、『直線王者』なんて呼ばれておられます。
    私の人気は……人気を表す順位の桁数が他の子より多い、とだけ覚えておきます。
    それでも、トレーナー様が掴んでくださった重賞レースの好機。
    強い方相手でも、なんとしても、勝たねばなりません。

  • 3二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:36:20

    窓の外から響く、セミのけたたましい声。
    コウコウと風を送り出すクーラーの音。
    それらの音が聞こえるくらい、トレーナー室は静まり返っていました。
    出バ表を見つめながら悔しそうな顔を浮かべているトレーナー様が、静寂を破ります。
    「すみません、できれば外枠を引きたかったのですが、自分の運が無く……」
    恐縮するような、苦々しい声でした。
    「そんな顔をなさらないで下さい。こればっかりは、くじ引きなのですから。」
    「しかし、姫の大きなチャンスですよ。有利な条件を手に入れたかった。」
    書類から顔を上げ、真剣な目をこちらに向けています。
    その目を真っすぐ見返しながら、言葉を返します。
    「トレーナー様のおっしゃる通りです。ですが、あとは私が全力を出すのみです。そう、お気に病まないでくださいませ。」
    しかし、とトレーナー様が言いかけましたが、首を振って制止します。
    「過ぎてしまったことを悔やむより、今はトレーナー様のお知恵をお借りしたいです。作戦を立てましょう?」
    そういうと、トレーナー様は軽く頷いて立ち上がり、黒板の前まで向かいました。
    チョークを手に取り、二本の白線を大きく幅を取って引き、左端に1から16の数字を書き入れます。

  • 4二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:36:58

    「新潟、1000mの直線。」
    独り言のように、トレーナー様が口を開いています。
    「姫は、最内枠の1番。」
    そう言って、「1」の数字を紫色のチョークの線で丸く囲みます。
    「目下1番人気と2番人気の子は、外枠の14番、12番。」
    同じように、それぞれ黄色と緑色のチョークの線を引いています。
    それから一歩後ろに歩き、顎に手を当てて黒板全体をじっ、と見つめています。
    すこし考え込むように時間を置いたあと、私に振り向きました。
    「姫は、これを見てどう思いますか。」
    私は率直に、思うことを口にしました。

  • 5二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:37:21

    「私がやや不利、だと思います。」
    私の言葉に、トレーナー様が軽く頷きます。
    「今回走るコースは、内側よりも外側のほうが場バが荒れにくく有利と言われていて、何より、お二人の脚質にも合っています。」
    「その通り、今言ったことがそのまま当てはまると思います。」
    手についたチョークの粉をパン、パンと払うように手を鳴らしながら、机の上の資料を手に取られました。
    「お二人との実力差を見ても、私たちに不利があるのは明白です。他のメンバーも強い。」
    その言葉に、私たちは同じようにぐっ、と握りこぶしを作ります。
    私はお世辞にも良い成績とはいえず、親族や地元の根強いファンの方に支えられて、今日まで走ってまいりました。
    しかし、私の脚も時間も、いささか後がなくなってまいりました。
    このレースが私の、最初で最後の重賞レースになるでしょう。
    そのことを、私たちは分かっていたのです。

  • 6二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:38:03

    どうすればよいのでしょう。
    どうすれば、勝つことができるのでしょうか。
    これまでも、格上の方と走ることはたくさんありました。
    私は何度走っても、そんな方たちに勝ち越す方法を見つけることができませんでした。
    悔しさに、思わず唇を嚙み締めます。
    ちらりとトレーナー様を見ると、やはり資料を睨みつけるように見つめながら、考え込んでいます。
    私たちの間を、重苦しい静寂がまた支配します。
    とにかく、全力で走ればいいのでしょうか。
    答えの出ない思考に嵌まりかけたその時、カツカツ、という軽い音がトレーナー室に響きました。
    思わず顔を上げると、トレーナー様が、白いチョークを手に黒板にたくさん矢印を引いています。
    16番の数字に向かって伸びる、たくさんの矢印が黒板に書き込まれていきます。
    何本か引いて手を止めた後、こちらを振り向きました。

  • 7二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:38:35

    「姫、思いつきました。」
    そう言いながらこちらを向いたトレーナー様の顔は、やはり険しいものでした。
    「幸い、姫はスタートが得意です。」
    私はトレーナー様の言葉にうなずきます。
    「必ず勝ちましょう。ウイニングライブのステージの上で、踊りましょう。」
    絶対に、勝利したい。
    その思いが、私たち二人の間にありました。
    トロフィーを頂いて、たとえ以前より静かなライブであっても、舞台の上に立ちたい。
    そのために、私はトレーナー様の作戦に耳を傾け、意見を交換し合いました。
    胸の奥に、熱い気持ちがこみ上がってくるのを感じます。
    言うなれば「腹をくくる」というような覚悟も、同じく脳裏に刻み込まれていきます。
    全ては、1分に満たない瞬間のために。
    それから、私はこれから取り組むトレーニングや勉強に、これまで以上の気持ちが向いていくのを感じていました。

  • 8二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:39:22

    レース当日は、それはそれはもう暑い好天で、絶好のレース日和となりました。
    パドックでそれぞれの番号を付けていた選手の皆様――私も含めて――は、走る前から汗が止まらないくらいの気温でした。
    来場された方々も、皆さまマスクをつけておられていて、大変に暑そうでした。
    それでも来てくださった皆様に感謝を込めて、心から礼を致しました。
    それからつつがなく準備は進み、ゲート入りの時間。
    『本日の新潟レース場メインレースは――』と、実況の方の声がレース場に響きます。
    全員がゲートに入り、私たちの間に、レース場全体を包み込むように、一瞬の静寂が流れます。
    レース場は以前よりも静かに、寂しくなってしまったと思っておりましたが、この瞬間だけは世界が凍り付くような、以前と変わらない『静寂』がありました。

  • 9二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:47:59

    私の気持ちも、それに促されるようにレースへ集中していきます。
    1分に満たない、日本で一番短い重賞レース。
    1000mのコーナー無し、直線をただひたすらに駆け抜ける、ここでしか見られない唯一の重賞レース。
    トレーナー様は『もしもうまくいかなかったら、すべて私のせいだと言ってください』とおっしゃっていました。
    そんなことには、決して致しません。
    過去、このレースで、1枠1番に入った方がウイニングライブを踊れたのは、たったの1回しかありませんでした。
    私が今日、この場で、2回目に。
    そうトレーナー様にお約束して、今日まで頑張って参りました。
    人々の記憶に、そして記録にも残すように。
    固定観念なんて、吹き飛ばしてしまえるような、そんなレースに。
    気温に負けないくらい、身体に熱が溜るのを感じます。
    さあ、早く。
    皆々様、どうかご照覧くださいませ。
    トレーナー様と私で作り出した作戦、とくとご覧に入れて差し上げます。

  • 10二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:48:21

    『お静かに』と注意されていても、思わず、そのルールを破ってしまうような。
    目にした光景に思わず、おお、と驚きの声をあげて、静寂を破ってしまうような。
    一瞬に全てをかける私の青春が、ガコン、と音を立てて開かれた。
    さあ、参ります!

  • 11二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 00:52:37

    すっかり寒いですが、昨年のレースで印象的だったものをウマ娘化したらどうなっていただろう、と思いつきました。
    このレースを見るまで名前も知らないお馬さんでしたが、今はゆっくり過ごされていることを祈ります。

    読んでいただいた方、ありがとうございました。

  • 12二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 01:00:57

    バカラクイーンかな?あのレースめちゃくちゃ好きなので楽しく読ませて頂きました!

  • 13二次元好きの匿名さん22/03/07(月) 09:40:49

    これはもっと伸びて欲しい良作

  • 14SS筆者22/03/07(月) 20:25:05

    すぐ落ちるだろうと思っていたら、2つもコメントを貰っていて驚いています。嬉しい。

    せっかくなので、SS内の原作リスペクト要素をだらりと書いていきます。


    >>12の言う通り、主人公はバカラクイーン号の妄想ウマ娘です。

    彼女の口調は完全に名前のクイーンから連想した安易なもの。

    ・1番人気はオールアットワンス号、2番人気はライオンボス号が元ネタです。

    たくさん走ったが勝てていない、というバカラクイーン号と比較したとき、期待の短距離ニューカマー&ベテランスプリンターといった風に、上手く対比できる成績だったのでとても書きやすかった。

    ・タイトルの「我が道を往く」であったり、本文中の「直線王者」や「腹をくくる」、「うまくいかなかったら~」などの言葉は、本SSの元ネタになった2021年アイビスサマーダッシュの取材記事や写真のタイトルなど、多くの所から引用しています。

    ・意図していなかったのですが、ある意味で「静寂」がテーマっぽくなっていて驚いています。コロナ禍による静寂、弱小ペアの間に流れる重苦しい静寂、レース直前の静寂……

    ・チョークの色は、それぞれ元ネタ競走馬の馬主さんたちの勝負服から目立つ色をチョイスしました。紫色のチョークってなんだよ。


    他にもありますが、このあたりで終わりたいと思います。

    改めて、読んでくださってありがとうございました。

  • 15二次元好きの匿名さん22/03/08(火) 01:44:17

    情景描写がしっかりしてて没入感があり、テンポもいい。レース展開を予想し切って勝利を匂わせながらその後の描写が無いのもわくわくする。かなり好き。

  • 16二次元好きの匿名さん22/03/08(火) 01:54:16

    深夜に胸を熱くさせる、モデル馬に興味を持たせる良ss 

オススメ

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