- 11♡antiromanov24/12/18(水) 08:59:44
- 21♡antiromanov24/12/18(水) 09:00:21
ということで、今回はかの悪名高きラインハルト・ハイドリヒについてである。
彼は1904年、ハレ(ザールの方)でオペラ(テノール)歌手のリヒャルトとその妻エリザベートの下に産まれた裕福な家の子であった。
因みに一家は現地では少数派のカトリックである。
そんなラインハルトだが、幼少期は普通に音楽家としての教育を受けていたようであり、特にバイオリンは大人になっても趣味として続けていたようである。
また、当初は病弱だったことを親が気にしてか、弟(後にSSに入ったものの、兄のやったことを知ってかユダヤ人の逃亡を助けた後1944年に自殺)とフェンシングさせたり(ぷりっぷりっ♡金玉と金玉の熾烈な争い♡)、水泳(俺は魅惑のマーメイド♡岩の上の金玉がセクシー♡どうする?)をさせたりして、体力をつけさせていたらしい。そのお陰かどちらもかなり上手かったとかなんとか。
余談だが父のリヒャルトはどうも汎ゲルマン主義者であったとの話もあり、恐らくラインハルトの思想の源流もここではないかと考えられる。まあナチ党員になった明確な理由は別の人のようだが。
ということでラインハルトは1914年にギムナジウムに入り、そこで理科で極めて優秀な成績を納めるも、どうも性格と高い声、そして父親のユダヤ人疑惑のせいでいじめられていたようである。
ただ、断っておくと一家は汎ゲルマン主義者ではあったが反ユダヤではなく、そして父リヒャルトがユダヤ人であったとする証拠はない。むしろ積極的に(金になるからかは知らないが)ユダヤ系の学生を受け入れていたようである。
そして、1919年。第一次世界大戦が終戦するとドイツは大きな混乱に襲われ、当然ながら音楽に金を使う余裕はなくなる。故にハイドリヒ一家は経済的にジワジワと苦しめられていくようになる。
それと同時期にラインハルトは反共産主義者の準軍事組織に加入し、彼等はハレの町で戦闘を繰り広げた……ようだが、15歳の少年を戦わせる趣味はなかったようでラインハルトは財産保護に回されていたらしい。
その後は反ユダヤ的なドイツ民族保護同盟(Deutschvölkischer Schutz- und Trutzbund)に加入したという。 - 31♡antiromanov24/12/18(水) 09:00:40
ということで1922年、18歳となったラインハルトはドイツ海軍に入隊、キールで海軍士官候補となる。そこでもやはりユダヤ人であると噂されたらしく、Deutschvölkischer Schutz- und Trutzbund(これまた反ユダヤ的な国家主義組織)に入っている等と周囲に告げ、噂を払拭しようとしていたとかなんとか。
1924年には上級士官候補生、26年には少尉に昇進。どうもこのあたりでヴィルヘルム・カナリス(後のアプヴェーアトップ)とも仲良くなってたらしく、よくバイオリンを弾きに行っていたらしい。
また軍人として優秀であったようで、上官から評価されていた。因みに通信将校である。
1928年には中尉に昇進……したはいいものの、ラインハルトには困った部分があった。
シモである。(ぷりんっ♡ぷりんっ♡)
どうも自分もケツがデカくて声が高い雌ヤギな癖に女遊びが好きだったようで、結構色々な女を取っ替え引っ替えしていたようである。
そんなことをやってた1930年12月、彼は運命の出会いをすることとなる。
後の妻、彼をナチ党員に誘った女、リナである。
軽く来歴を説明するが、リナはラインハルトと出会う前の1929年に既にナチ党員となっているような女である。
だが後の結婚生活は結構熱々であったようで、子供は男女2人ずつの合わせて4人も作っていたし、リナは夫の死後に(ヒトラーの厚意で)ボヘミアに屋敷を手に入れ、そこで囚人を虐待して幸せにやってたりと結構楽しくやってたとかなんとか。この夫にしてこの妻ありを体現したような夫婦仲である。
さて本題に戻るが、ラインハルトとリナは出会ったその月に婚約を発表。
発表したが、ラインハルトは実は既に別の女性と婚約していた。
ということでエーリヒ・レーダー提督にまで話が入り、ラインハルトは1931年4月に海軍を辞めさせられ、5月末に法的効力を持った。(多分引き継ぎとかしてたのではなかろうか)
そしてその月のうちにナチ党員となり、六週間後には妻のリナの薦めで親衛隊に入った。もう一度言おう、妻の薦めである。
そして、ここからがラインハルトの(敵対する全ての人にとって悪夢の)シンデレラストーリーの始まりである。 - 41♡antiromanov24/12/18(水) 09:01:04
1931年、ハインリヒ・ヒムラー(オカルトクソメガネ)(ほらっお野菜さん♡俺のホカホカ肥料をどうぞ♡(金玉をそっと野菜に添えて大地に俺のエナジー供給♡))は親衛隊内に防諜組織を作ることを考えており、その長官を探していた。
ということでラインハルトとリナ、双方の友人であったフリードリヒ・カール・フォン・エーベルシュタイン(後の親衛隊大将、武装親衛隊大将にして警察大将のこれまた大物)はラインハルトとヒムラーを会わせることを考える。
が、ラインハルトはドタキャンを試みる……も、リナがスーツケースに荷物を全部詰めて送り出した結果、渋々ヒムラーと会うことになる。
そして、オカルトクソメガネはラインハルトを気に入り、親衛隊保安部の前身となるICサービスの事実上のトップに任命。そこで精力的に敵対組織の情報を集めまくったラインハルトは更に気に入られ、1932年に親衛隊保安部の長官となる。
そして、1933年にヒンデンブルクがくたばった結果ヒトラーが総統になり、プロイセン州首相だったゲーリングがこれまた悪名高いゲシュタポを設立。親衛隊にこれを移管すると、ラインハルトはこちらの長にもなる。
1934年、長いナイフの夜においては事前の粛清リストを作成し実働指揮も行った結果、主導者の一人となる。
36年にはドイツ全土の警察が正式に統合され、組織再編を行うことによってラインハルトの権力は更に強まる。
1938年、アンシュルスと呼ばれるオーストリアへの進駐と併合により、ICPOの前身であるICPC(国際刑事警察委員会)の本部もベルリンに移される。
1939年にポーランド進攻によって第二次世界大戦が開幕、ポーランドが二つに引き裂かれる頃。(やめてっ♡俺の金玉が真っ二つ♡右の玉はスターリンが、左の玉はヒトラーがレロレロちゅっちゅっ♡二人の独裁者に愛されて金玉もふくら艶々唾液でぬらぬら♡)
またもドイツの警察組織は再編され、国家保安本部が設立される。当然ながらトップはラインハルトである。
また、それに前後してポーランド全域にゲットー(隔離地区)を設立。ユダヤ人をどんどんと餓死させていくこととなる。 - 5二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:01:49
病院だよぅッッッ
- 61♡antiromanov24/12/18(水) 09:02:05
また、1940年までに6万人以上のポーランドの知識層を殺す等と無法を続けていくなど、ナチスとラインハルト・ハイドリヒは順調に悪行を重ねていく。
因みにこの頃、しれっとラインハルトはICPC総裁となってICPCをナチスの出先機関にしている。(なので厳密にはスレタイのICPO総裁は嘘である。この場を借りて深く謝罪をさせていただく。)(ごめんなしゃい♡金玉にとろろ痒気持ちいいです♡おしりふりっふりっ♡プリケツも金玉も真っ赤にぷっくり……♡)
1941年9月27日、ラインハルトは遂に自分の命を取ることとなるベーメン・メーレン保護領副総督になる。
到着後即座に彼は戒厳令を布告、レジスタンスのメンバーを直ちに142人処刑するなど恐怖で統制を始める。
彼が死ぬまでにチェコでは4000人から5000人が逮捕され、その1割が処刑されたという。
また、残りの大半も収容所で餓死し、4%しか生き残れなかったという……
ラインハルト・ハイドリヒはホロコーストの主要な実行者である。移動虐殺部隊(アインザッツグルッペン)を設立し、ヴァンゼー会議(ユダヤ人問題の「最終的解決」のための会議)の議長となり、200万人ものユダヤ人が移動虐殺部隊とその関連政策によって殺された。
このことを諸兄はたつとろ抜きで覚えておいてほしい。
さて、ベーメン・メーレン総督となったラインハルトはプラハ城で派手にパーティーをやるなどしていた。このプラハ城には、ボヘミア王の冠である聖ヴァーツラフの王冠というものが安置されている。
この王冠には伝説があり、「真のボヘミア王でなければ、被ってから一年以内に死ぬ」というものである。まあ、ラインハルト・ハイドリヒが本当に被っていたかは不明であるが、1941年9月27日から一年持たなかったのは事実である。
1942年5月27日、ラインハルトはイギリスで訓練を受けたレジスタンス二人の襲撃を受けた。
襲撃地点は曲がりくねっており、どうしても減速せねばならない区間だった。
レジスタンスは最初サブマシンガンで攻撃したが弾詰まりを起こし不発、慌ててもう一人が対戦車地雷を投げつけてこれが炸裂。ラインハルトは重傷を負う。急いで病院に運ばれて緊急手術を受けるものの容態は回復せず、6月2日には死を受け入れていたという。
そのまま3日には昏睡、4日に死亡した。享年38歳。 - 71♡antiromanov24/12/18(水) 09:05:42
尚、ナチスは彼の暗殺の報復としてチェコの村を二つばかり滅ぼし、14歳以上の男全員を虐殺、女子供は収容所送りにしている。
また襲撃者もその後ゲシュタポと親衛隊保安部によって包囲され、自決している。
因みに妻のリナは前述の通り、夫のおかげで屋敷を貰ったりした後、しれっと戦後に無罪となり、訴訟を起こして夫の遺族年金も受け取った挙げ句、回顧録で夫のためのプロパガンダを垂れ流していた。
因みにスレタイとスレ本文はまんま彼の暗殺決行当日が元ネタである。
またラインハルト・ハイドリヒ当人は本当にケツと腰がデカくて「雌ヤギ」呼ばわりされていたらしく、たつとろ史学的にはケツ振りさせない理由がなかったのでさせた。後悔はしていない。
次があったら上官のオカルトクソメガネの方もやりたいと思う。
以下、ナチスとロマノフ朝が如何にクソかについて語ってほしい。 - 8二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:07:29
これはYouTube出禁勢のヤベー奴
- 9二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:09:09
- 10二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:11:27
忘れたようにちょいちょい挟まるヒムラーの誹謗中傷よ
ってかお前トリップ(ではない)のわりにロマノフ以外にもアンチ範囲広すぎるだろ - 11二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:11:39
モルヒネデブなんとかしろ
- 12二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:12:29
何? この…何?
- 13二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:13:44
- 14二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:21:40
どうする?って言われてもな…
- 15二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:27:32
- 16二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:29:59
ロマノフアンチとかその辺の名前より歴とろのがマトモな呼び方だからしゃーない
- 17二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:30:32
- 18二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:31:06
磔刑とろろの略やぞ
- 19二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:33:40
そりゃヘスも逃げるわ…
- 20二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 09:58:32
なんか声も高めだったんだっけ?何で知ったかは忘れちゃった
- 21二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 12:56:10
この人の雑学本読んだ記憶おぼろげだけどお尻フリフリはしてたかな…
- 22二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 13:10:55
なんかちょいちょい挟まってくる金玉のおかげで妻がとんでもねぇ奴なのと移動虐殺部隊200万人殺しとプリケツ雌ヤギしか頭に残らないんだが
- 23二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 13:22:56
- 24二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 13:32:26
やったことがエグ過ぎてたつとろ語でも緩和されないんだが
- 25二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 13:38:29
ナチ高官なんてどいつもこいつもそんなもんだし……
ぶっちゃけマトモにここの規約で紹介できるのあとオカルトクソメガネことヒムラーとヒトラーとボルマンくらいじゃね?とは(第二次世界大戦以降禁止ルールにひっかかるので)
と思ったがゲッベルスもいけるのか……思ったよりナチ党概説行けそうな面々で困惑してる
- 26二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 13:58:12
モルヒネデブは最後の見せ場が終戦後だから駄目ってこと?
- 27二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 14:07:35
- 28二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 14:08:14
メフォおじさんことシャハトもNG側か
- 29二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 14:31:28
オススメの参考文献を教えて下さい
- 301♡antiromanov24/12/18(水) 14:39:37
ナチス全体の批判なら角川の「第三帝国」や岩波の「ナチスは「良いこと」もしたのか?」あたり……♡(ぷりんぷりんっ)
ラインハルト・ハイドリヒ当人については「ヒトラーの絞首人 ハイドリヒ」あたりがいいかも……?どちらかといえば通説寄りの人間だから専門的な部分はちょっと弱くて申し訳ない……♡