- 1二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:10:44
冬の星がよく見える理由は、大気中の水蒸気が少なく透過率が高いからだ。加えて日が落ちるのも早くなることから、観察にはうってつけの季節だと言える。
星を追いかけるようにアスファルトを蹴る。
トレーナーと考えたこの自主トレコースは、脚への負担はもちろんだけど、門限内に星のよく見える場所を通過できるようにと作られている。
その最たるものが、中間地点にある高台の公園。日が落ちる頃に辿り着くそこは、トレーナーが調べたという天体観察の隠れスポットだった。
街の灯りに弱った星々が、息を吹き返したかのように瞬いく。条件が良ければ、都会ではなかなか見られない三等星や四等星まで見えると言う。
けれど、最近はその手前に少しだけ楽しみにしている場所があった。 - 2二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:11:01
公園の手前、日が落ちきらない夕暮れ時に横を通るマンション。
夕焼け空を四角く切り取るのっぺりとしたコンクリート。その直方体の壁面をくり抜いたようにベランダが並ぶ。そこからは窓の明かり、プランター、洗濯物等……人の営みが、透けて見える。
そのベランダのひとつに、いつも外を見る影があった。長い髪をたなびかせながら夕焼け空を見つめている彼女に、淡い親近感からの興味を覚えるのは不思議なことではなかったように思う。
ペースを落とさないよう公園まで走りきり、息を整えながら降るような星空を見上げる。
天に掲げられた狩人を指でなぞり。
──今、彼女もこの星を見上げているのだろうか、と。
そんなことを、思った。 - 3二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:11:15
最近、気づけば空を見上げている。
それを指摘したのはトップロードさんだっただろうか。確かに、と屋上の手すりを掴みながら内心頷く。
昼に空を見上げたとて、星のひとつも見えはしない。
しかし、見てしまうのだ。顎を上げ、髪を垂らし、視線を上へと向ける。可視化した視線は何にぶつかることも無く、空の果てまで伸びていく。
何を見る訳でなく。
ただ、空を見ている。 - 4二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:11:32
委員会活動が少し伸びたが、そう遅くはならないだろう。自主トレに赴こうと校門の外で軽くストレッチをしていると、声をかけてきたのはマンハッタンカフェだった。
「邪魔はしませんので……着いていっても、よろしいでしょうか」
断る理由はなかった。理由が気になりはしたが、追求したところで却下するようなことをこのウマ娘がすることもないだろうという信用はある。
「いいけど、緩めたりはしないわ」
「……ええ、大丈夫です」
ストレッチは終わらせていたらしいマンハッタンカフェの走りに、準備がいいものだと呆れる。
出遅れたせいか、いつもより日の傾きが深い。 - 5二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:11:56
走り始めはまだ寒かったが、肺の中の空気と外気が全て入れ替わってしまう頃には体が外気と一体化していた。
後ろを走るマンハッタンカフェは何とか食らいついているといった様子だった。無理もない、彼女は内外ともに認めるステイヤーである。中距離をメインの目標として鍛えてきた自分のペースは微妙に合わないのだろう。
しかし、緩めはしないと言った。──まあ、中間地点での休憩を少し長めにとるくらいは、ペースを緩めたうちに入らないと思う。
そんなことをつらつら考えながら走っていると、急に目の前にあのマンションが現れた。いや、思考が逸れていたせいで急に視界に入ってきたように見えただけであるのだが。
今日も彼女は星を見るのだろうか。
ベランダを舐めるように視線を上げていく。
「──え」
いる。ベランダに。空を見上げてはいない。いつもより遅い時間、日が地平線にかけた指を離そうとするその刹那。影の輪郭をとらえられるか、とらえられないか、その狭間。影だけが、身を乗り出して───
「アヤべさん」
低く落ち着いた彼女の声が響く。
マンハッタンカフェが、自分の腕を掴んでいた。
浮遊感から解き放たれ、急に地に足をつけたような衝撃が全身を震わせている。足がもつれかける。
「ペースが、落ちています」
「え……」
「……いつもはここで、止まりますか」
「いいえ……」
「なら、走り抜け、ましょ、う……」
マンハッタンカフェは荒い息をしながらも、己の手を引いて走っている。
少し呆気にとられたが、そんななりの後輩に引っぱってもらうほど酷い状態ではない。ペースを戻して彼女の手を引きながら、公園へと向かう。 - 6二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:12:18
帰りのことは諦めて、トレーナーに連絡を入れた。すぐに車で迎えに行くと返信があって、事故だけはしないよう落ち着いて、とだけ返して画面を落とす。
「はい」
「……すみま、せん……」
ベンチでへたりこんだマンハッタンカフェに自動販売機で買った温かいお茶を渡す。
その隣に腰を下ろし、ペットボトルの蓋を開けてお茶を二度三度流し込む。胃に温かなものが落ち、指先までじんわりと血が巡っていく。
「あれは」「……あれは」
声が被る。
口を閉じてマンハッタンカフェの横顔を見つめる。何の遠慮もない催促に彼女は臆する様子もなく、手の中のペットボトルをこねながら言葉を選んでいるように見えた。ようやく糸口が見つかったのか、薄い唇が開く。
「……アヤべさんは、何故空を見ていたのか、覚えていますか」
「……いいえ」
応えながら、空を見上げる。砂子を振りまいたような星空に、それを繋ぐ線を見てしまうのはもう癖だった。
「……なら、いいです。誰そ彼時の見せた幻想でしょう。……あなたが見る必要のあるものではありません」
柔らかく、しかし有無を言わせない語調で話を打ち切って、隣で空を見上げる気配がした。
──あの影に、何も重ねていなかったと言えば嘘になる。姿の見えない何かに見たいものを重ねるうちに、何も見えなくなっていたのかもしれない。
その全てが間違いだったと思いながら、一抹の寂寥を押し流す。もう持っていてはいけないものだ。
星空を見上げながら、私は、もう彼女を見ることはないのだろうと悟った。 - 7二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:12:36
「聞いたよ、昨日の話! どうして連れて行ってくれなかったんだいカフェ〜!」
部屋に入るなり絡みついてくる声に、カフェは目を細め耳を絞った。
「……事態の解決は急を要すると判断したので。あなたがいては、まとまる話もまとまらない」
「君は話をまとめる気はないだろうに。どうせ今回も、説明は諦めて煙に撒いてきたのだろう?」
──人聞きは悪いが、取り方によってはそうも見える。それだけに言い返す気にもなれず、ソファに鞄を下ろしてコーヒーの準備をする。
「機嫌を損ねないでくれたまえよ、私は情報提供者だよ?」
「……調べれば分かったことです」
そう返しながらも、今回の事件では一応この厄介な友人、アグネスタキオンも功労者だと言えると内心息を吐いて、今回の一部始終を説明する。 - 8二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:12:54
ひと世代下の後輩、テイエムオペラオーがこの実験準備室を訪れたのは数日前のことであった。
自分の同期とはまた違う意味での賑やかさで乗り込んできた彼女の言いたいことを汲み取るのは骨が折れたが。
『カヴァラドッシを追わんとする歌姫を引き留めて欲しい』
その真意を読み解いたのはタキオンだった。
『オペラ史におけるあまりにも有名な作品であるから、状況に添うだけでなくこのオペラを隠喩に使うということは事態の重要性、また急を要する可能性を示していると思われる。ところでカフェ、墜落死に心当たりはあるかい?』
そうして辿り着いたのが今回の事件だった。 - 9二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:13:13
「それにしても、納得がいかないことがあるんだが」
一連の話を聞き終えたタキオンは紅茶に入れた角砂糖をスプーンで回しながら溶かしている。
もう一生分喋ったかもしれないと思うくらいの疲労感を覚えながら、カフェはコーヒーを含んだ。
「何故、''それ''は上を見ていたんだい? 落ちるなら、下を見るのが筋だろうに」
タキオンはこれに合理的な解釈を求めていなかった。
無論知りたくはあるが、その答えを彼女に求めても詮無いことだとは分かっていた。しかし。
「……飛び降りるようとする人は、下ばかり見ることはできません」
思ったよりもしゃんとした声が聞こえてきて、眉を上げる。
「……古来より、高所というのはそれだけで命を落としかねない危険な場所であり、本能的な恐怖から人はそこから目を逸らします。
……だから、空を見るんです。
空の違いが、分かりますか?
地上から見上げても、屋上から見上げても。あまりに高い空は、その遠さのため、見える景色がほぼ変わりません。そこに命に関わる数十メートルの差があろうと、その違いを知覚することはできない。
……だから、飛び降りようとする人は、恐怖心を消すために空を見上げるのです」 - 10二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:13:30
「そういうものかい」
言いながらタキオンは窓枠に手をかけて身を乗り出していた。
必要とあらばそのまま落ちていきそうな好奇心の塊には分からない話だったかもしれない。コーヒーのカップを片付けて鞄を肩にかけ、その背に声をかける。
「……今日は後始末だけですが──」
「行く行く行くいく」
バタバタと追いかけてくるらしく、後ろから「『お友だち』と説得でもするのかーい?」と声が響く。
カフェはその言葉に立ち止まる。
キュッと上履きの底が擦れ、音を立てた。
長い髪は翻ることなく、彼女は前を向いたまま。
「……背中を押すだけです」
そう言って、また歩き出した。 - 11二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:13:41
おわり
- 12二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:21:25
雰囲気すき
- 13二次元好きの匿名さん24/12/18(水) 23:36:19
よかった
- 14124/12/19(木) 09:27:14
- 15124/12/19(木) 20:35:48
- 16124/12/19(木) 20:48:26
- 17二次元好きの匿名さん24/12/19(木) 22:23:58
自分で描くのもすごい
SSも絵も良き - 18二次元好きの匿名さん24/12/20(金) 00:24:16
いいね……なんとも言えない雰囲気がある。
『可視化した視線は何にぶつかることも無く、空の果てまで伸びていく』って表現良いね - 19124/12/20(金) 00:59:42