- 1◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:09:15
【割れたガラスは永遠を咲かせる】
5月29日。東京レース場。
ウマ娘であるならば、トレーナーであるならば。誰もが憧れる日本ダービーという特別なレース。
その最後の直線に差し掛かり、スタンドから伝わってくるのは地響きのような歓声だ。
『サクラチヨノオー来る! サクラチヨノオーが来る!』
一度は交わし、先頭に立ったはずの私をチヨノオーさんが猛然と突き放しにかかる。
少なくとも私が仕掛けどころを間違えたとは思えない。自身の限界すら越えているような、そんな走り。
(私だって……!)
だからと言って、私だってこのまま負ける訳にはいかない。まだ勝負は続いている。
だから、私のありったけを、この刹那に。一期の夢に羽ばたいてみせる!
今持てる力、全てを使って! 大地を強く蹴り上げる!
──刹那。ガラスが割れる、音がした。 - 2◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:09:43
~ガラスのPromise~
「お疲れ様、アルダン」
レースが終わり、ターフを去るとすぐに地下バ道で出迎えられた。
「……すみません、トレーナーさん。ダービートレーナーの称号を、貴方に届ける事は出来ませんでした」
人生に一度きりのダービーは……チヨノオーさんの二着に終わった。
「俺の名誉なんて気にしなくていいよ。……君の、それだけ晴れやかな顔を見れたなら、それで十分だ」
悔しくないと言えば嘘になる。けれどチヨノオーさんがダービーに懸けていた思いが並々ならないものだった事は、よく知っていて。
今日までにどれだけ努力を重ねてきたのかも間近で見てきた。
それに私だって今出せる全力は出し尽くしたのだから。その上で敗れたのだから、後悔はない。
「さ、控室に戻ろうか。ウイニングライブの準備だってあるんだから」
「はい」
出走を終えた後の身体は心地いい熱を帯びていて、死力を尽くした後の興奮は未だ冷めやらない。
控室までの帰りはちょうどいいクールダウンにもなった。
「改めて。いいレースだったよ、アルダン」
「ありがとうございます。敗れてはしまいましたが、力は出し切れたと思います」
「ああ、俺もそう思う。今日のレースは勝ったチヨノオーが見事だったよ」
今日反省すべき点はない。勝負にたらればは禁物だけれど、今日のレースはそんなモノすらつけ入る隙はなかった。 - 3◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:10:00
「それに、チャンスはまだ残ってる」
ダービーは終わった。けれどクラシック三冠レース最後の一冠、菊花賞。
私の距離適性も踏まえて、そちらを選択するかは定かではないけれど、私の意思次第ではその冠を目指す事が出来るのだと。
私の競争人生はまだ始まったばかりだと、輝きに満ちたトレーナーさんの表情は、暗にそう伝えてきていた。
「そうですね。ですが、その話はまた後ほど。今は、この後」
「そうだね、その通りだ。この話は色々落ち着いてからするとしよう」
けれど今は今日応援してくださった方々の事を考えよう。今後の事は明日また考えればいい。
大事な舞台で失態を演じるわけにはいかない。歌詞、振り付けの確認などを行っていたらあっという間にライブの時間がやって来た。
「ライブ、観客席で見てるよ」
「はい」
トレーナーさんと別れた後、私は舞台の方へ。5月の夜はまだまだ涼しく、肌をひやりと撫で付ける。
けれど観客席から伝わる熱気は、芯から熱く鼓動を揺さぶる。
ライブのセットリストは順調に進み、いよいよ私たちの出番がやって来る。
クラシック三冠レースのあと歌われる歌唱曲、『Winning the Soul』。私たちウマ娘がライブで披露出来る機会は、人生に三度だけ。
そして歌う事はおろか、踊る事すらも許されるのは、その世代の中で一握りしかいない。
……応援してくださった方々の為にも、最後まで手は抜けない。
「……1年前までは、この日のライブに立てるとは思ってもいませんでした」
日本ダービーへの出走はおろか、メイクデビューすら危うかった私が今、ここに居る。
トレーナーさんとの出会いで大きく変わった運命が、ここに導いてくれた。
(……いいえ、これで終わりじゃありません。私たちの輝きは、まだ潰えてはいないのだから)
ふー、と大きく息を吐き、気持ちを切り替えていると。ウマという文字を手のひらに書いて、それを飲み込むチヨノオーさんが目に入った。 - 4◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:10:17
「ふふっ、チヨノオーさん。センターを務める方がその調子では困ってしまいますよ?」
「わわっ! アルダンさん……ど、どうしましょう……もうすぐ始まっちゃいますよ……!」
チヨノオーさんはG1レースのウイニングライブ、そのセンターを務めるのはこれで2回目のはずなのに。
この場の誰よりも緊張していそうな様子が可愛らしい。
「チヨノオーさん、何度かダンスの練習をご一緒した事がありましたね」
「はい。でもその時もアルダンさんに教えてもらってばかりで……」
「ではこうしましょう。一緒に練習した私の目から見ても、チヨノオーさんの振り付けは完璧でした」
自分に自信がないのなら他者からの評価を。不安に靡いていた表情はぱぁっと、桜のように華やぐ。
「アルダンさんがそう言ってくれるなら『ウマ娘に人参、桜に目白』ですね!」
「ええ、その通りです」
そのことわざは聞いたことがないけれど、自信を持ってくれたようでひと安心。
そしてタイミングよく、直前の曲が終わったのかすぐにスタッフの方からスタンバイを促された。
「行きましょう」
「はい!」 - 5◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:11:14
ライトの落ちた舞台で、自分のポジションにつく。正面に広がるのはサイリウムの星の海。……トレーナーさんはどの星でしょう。
やがて前奏が始まり、眩しいくらいの光が舞台を包む。日本ダービー、そのウイニングライブの始まりだ。
『光の速さで──』
センターを務めるチヨノオーさんの歌唱に合わせ、ステップを踏み、腕を振るい。
『何を犠牲にしても──』
気づいてしまう。
『一度きりの──』
レース後には感じていなかった、違和感に。 - 6◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:11:33
『この瞬間に──』
響く。
『時には運だって必要というのなら──』
歌が。
『宿命の旋律を──』
心臓に。
『引き寄せてみせろ──』
そして、脚に。
『走れ、今を──』
勝者の凱歌は、残酷にも己の身に降り掛かる宿命を突き付けてくる。
(まだ、終われないのにっ──) - 7◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:11:51
ライブが終わり、会場の熱気は夜風に乗せて散り散りになっていく。そして私のもとには、冷ややかな空気を連れてきた。
「アルダン!」
「如何でしたか? ちゃんと踊れて──」
「アルダン」
控室に戻るとすぐさま血相を変えたトレーナーさんに詰め寄られる。
ライブ中に右脚に生じた違和感。だけどライブを見に来てくれたファンの方々を心配させるわけにはいかない。
だから、最後まで完璧に務めた。普通の人なら脚の痛みを我慢して踊っていただなんて気づけるはずがない。
だけど……やはりトレーナーさんの目は誤魔化せなかったみたい。
「率直に聞くよ。脚は……大丈夫なの?」
ライブが終われば、トレーナーさんにはちゃんと報告するつもりだった。
少なくとも踊ることが出来ないほどの重症じゃないのは確かだから。
「……レースが終わった時は、大丈夫だったんです」 - 8◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:12:01
嘘じゃない。……無理はしない。そうトレーナーさんにだって約束してるんだから、そんな事を誤魔化したりはしない。
どのタイミングで脚を痛めたのか。恐らくはレースの途中なのだけれど、それすらも曖昧で。
ただ気づいたのがライブの途中だっただけ。そうとしか言いようがなかった。
「……分かった。今は? 痛む?」
「……はい。歩くのに支障はありませんが、少々」
「そっ、か。ちょっと脚を見させてもらうよ」
靴下を脱がされ、差し出した右脚を難しい顔で見つめられる。てっきり腫れ上がったりしていると思っていたけれど、そこまでの重症ではないらしく。正直安堵した。
「主治医さんに診てもらおう」
「──っ、はい」
だけど、脚を痛めたのは事実。どうかこのまま何事もないように、と。そんな淡い期待は翌日、簡単に消し去られた。 - 9◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:12:16
「疲労骨折ですね。今シーズンの復帰は絶望的かと」
レントゲン検査の結果は、主治医から淡々と告げられた。
覚悟は、していた。あまりにも脆いこの脚で、勝利を目指すというのならば。
常に薄氷の上を走り続けるような、そんなギリギリの綱渡りをしなければいけない。
私も、トレーナーさんも。その事を覚悟して、勝つ為の最善を尽くしてきたつもりだ。
ただ……私たちの立っていた薄氷は想像以上に脆く、駆ける衝撃には耐えられなかった。
完全に割れなかっただけマシとも言えるかもしれない。
「そう、ですか……」
「ですが不思議です。私もトレーナーさんのトレーニングプランは把握させてもらっていますが、こうして疲労骨折を起こす程の負荷はかかっていないはず」
「いえ、俺が至らないばかりに……」
「ウマ娘の身体は未だ謎に満ちた部分も多いです。……気休めにしかならないと思いますが、どなたが担当しても防ぎようがなかった、としか言いようがありません」
トレーナーさんのプランは私から見ても問題がなかった。
日々の状態から柔軟に変更が出来るトレーニングに加え、レースのローテーションも徹底的に脚に負担が掛からぬよう間隔を空けて。
その上でダービーへの出走権利を得たのだから、文句の付け所はないはず。
ひとえに原因があるとすれば、それすらも耐えられない私の脆さ、という事になる。
「レントゲンで見る限りは幸い軽症で済んでいます。処置をして、今日は帰っていただいても構いません……と言いたいところですが。念の為隅々まで検査しましょう」
検査入院が言い渡された後、宛がわれた病室へと移動して。私にとってはよく見慣れた、白色の景色で身を休める。 - 10◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:12:34
「久し振りですね、この景色も」
「……アルダン」
病室へと移動する間、会話はなかった。
このような結果になった事について、きっとトレーナーさんは負い目を感じている。ならば私から話すべきでしょう。
「まだ復帰が出来ないと決まった訳じゃありません。そうでしょう?」
「ああ、それは、そうだけど……」
「あの日の事、ですか?」
過ぎた事を悔いても仕方がない。今は前を向くべき。暗にそう訴える私の言葉に、彼の表情は晴れない。
何故それでも浮かない顔をしているのか、その理由は私もよく知っている。
メイクデビューの後、私に道筋を示してくれた場所で言ってくれた言葉。『絶対に壊したりしない』。
「……確かに、私の脚はこうしてひび割れてしまいました。けれどこれは、貴方が壊したものではないでしょう?」
分かってる。貴方がこんな、子供騙しにすらならない言葉遊びを求めていないのは。
慰めのような言葉を望んでいないのは。そんな生半可な覚悟を、私は向けられた覚えはない。
だからこそ、貴方に責任を感じて欲しくない。ガラスのような運命まで背負って欲しくない。割れるなら、一人でいい。 - 11◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:12:49
「そんな事を言われても、それじゃあ俺自身が──」
「許してあげてください」
だからそんな、割れそうな顔を見たくなんかない。ダービーを終えて、私が見たかったのはそんな顔じゃない。
「貴方は……最善を尽くしてくれました。主治医だって言っていたではありませんか。誰が担当していようとも、防ぎようがなかった、と」
それに、貴方は約束通り壊したりなんかしていない。だって私の心は、未だ壊れてなどいないのだから。
「大丈夫です。必ず、私はターフに戻ります。ですので、今日はもう帰って休まれてはいかがでしょう? ……昨夜、あまり眠られていないのでしょう?」
だから。
「……分かった。また明日、検査が終わった頃に来るよ」
「はい」
どうか、自らを傷つけないで。 - 12◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:13:03
~Trainer's View~
「また明日、検査が終わった頃に来るよ」
「はい」
少し弱々しく、俺に心配させまいと笑う彼女に胸を締め付けられながら病室を後にする。
が、すぐさま隣に人影がある事に気付いた。
「……立ち聞きとは趣味が悪いな」
「あら、入った方がよろしかったのかしら?」
「……いや、助かったよ。すまなかった」
アルダンの姉、メジロラモーヌだった。大方妹であるアルダンへの見舞いなのだろう。
ならば俺がここにいても邪魔だろう。足早に去ろうとすると、サッと腕を掴まれ引き留められる。
「トレーナーさん。今、お時間よろしくて?」
「いや、戻って仕事が」
「アルダンが怪我をした今、やれる事がおありで?」
理由なんて何でもいい。とにかく一人で考える時間が欲しかったのに、無神経にも突き付けられた事実がささくれだった心を逆撫でる。
ああ、このまま話し続ければ当たってしまいそうだ。
「離してくれないか?」
「私は貴方に用がありますもの」
にも関わらず、そんな俺の心中にはお構いなしに離してくれる気配はない。
無理やり引き剥がそうとするものの、びくともしない事で苛立ちは更に募る。 - 13◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:13:21
「逃げるのかしら」
「逃げる? 何から──」
煽るような物言いに、病院の廊下ということもお構いなしに煮え滾るような怒声が──。
「ばあやから聞いておりましてよ。アルダンを必ず守る、と。そう言ったそうね」
出て、来ない。喉笛を握りつぶされたように、浴びせそうになった怒声は霧散して消える。
先程までグツグツと煮えていた感情も急速に冷やされてしまった。
「着いて来てちょうだい」
もう抵抗する気がないと悟ったのだろう。掴んでいた腕は離され、こちらが着いて来ることすら確認せずに前を歩き始める。
どの道ウマ娘から逃げる事など出来はしない。諦めてラモーヌに従い、着いていった先にあったのはばあやさんのお車だった。
広々とした後部座席に座り、どこへ向かうのか知らないが車が動き始める。
そして最初の信号で止まったであろうタイミングで、隣りに座るラモーヌが話し始めた。
「別に申し開きを聞きたいわけではありませんのよ。あの子が自分で選んだ道。その責任が全てトレーナーさんにあるとは思いませんわ」
問い詰められた時点で、可愛い妹に怪我をさせて、その責任を詰る意図もあると思っていた。
しかしながらそういう事ではないらしい。それならば、俺に一体何を求めているのだろう。
「貴方、まだアルダンのトレーナーを続けるつもりかしら」
単刀直入と言う他ない。アルダンに怪我をさせて、その上で彼女のトレーナーを続けるのか。その答えを問われている。 - 14◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:13:35
「彼女が、望んでくれるのなら」
「つまらない答え」
退屈そうに、脚が組み替えられるのが目に入る。
しかし他にどんな答えがあるというのか。彼女が望まなければ、俺はトレーナーではいられない。
骨折だけならまだ復帰出来るそうだが、他の怪我も見つかれば引退だって考えられる。そんな状況で、何を答えればいいのか。
「私は貴方の意思を聞いたつもりなのだけれど?」
ああ、そういう事か。だったら答えは簡単だ。
「続けたいさ。続けたいに決まってる」
選抜レースの後、絶対に手放したくないと思った。他のトレーナーには任せたくない。
俺が、一番間近で彼女の走りを見届けるのだと。繊細な輝きを抱えた彼女の走りを、途絶えさせたりはしないと。
尽くしたかった、彼女に。いや、今でも尽くしたい。この身の全てを捧げる価値が、アルダンの走りにはある。
「……約束していたんだ、アルダンに。絶対に壊したりしない、って」
だけど今、それを自らの手で失おうとしている。
「最善は……尽くして来たと思ってた」
昨夜、一睡も出来ない中考え続けていたのは、一体俺に何が足りなかったのか。最善で足りていないのなら。
どんなに足掻いても怪我をする運命だったのだとしたら。それすらぶち壊して、彼女を守りたかった。 - 15◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:13:51
「足りないんだ……彼女の想いに報いるには、今の俺では」
「そう……」
ラモーヌなら俺の首を飛ばすことなんて簡単に出来るだろう。
例えラモーヌがそうせずとも、彼女たちのご両親がそうする事だって考えられる。
「ひとつ、聞かせてくれるかしら」
「ああ……」
「貴方は……あの子に触れた時に、傷ついたのかしら?」
「なにを……」
俺なんかよりも、大事な時期を怪我で失ってしまうアルダンの方が傷は大きいだろう。俺の傷なんて、大したことは──。
「ガラス細工は、割れてしまえば触れる者を傷つける。貴方が今傷ついているのは、あの子のせいかしら?」
アルダンのせいな訳がない。ショックを受けた事は隠しきれていなかったが、その瞳には諦めなど微塵も宿っていなかった。
今もなお、彼女の瞳は前を見続けている。
「本当に割れたのは、誰の心なのでしょうね」
ああ……確かにそうだ。
だがそれでも、彼女の脚を壊してしまった事実に変わりはない。到底納得など出来るはずがなかった。
「……だけど、俺はアルダンとの約束を守れなかった」
「あの子は約束事に関してはあまり頓着しなくてよ」
……何を言っているんだ、この人は? - 16◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:14:11
「私、あの子から約束を守らなくて怒られたことがありませんもの」
「いや、それは呆れられているんじゃ……」
いや、あり得ないだろう。普通約束を破られたら不快になる。大体彼女は義理人情は大事にするような──。
「それ以上に、あの子は約束を守れない事が多かったわ」
思わず、息を呑んだ。
「誕生日は家でパーティーをする。夏休みには一緒に旅行に行く。トゥインクルシリーズに出るからには無理をしない。自ら交わした約束を、幾度となく反故にせざるを得なかった。自分で出来もしないことを、他人に強制は出来ないでしょうね」
「だけど……俺の約束は、俺がもっとしっかりしてれば」
「アルダンも、そう思っていたのでしょうね」
「──っ」
「約束を破りたくてする人なんて、どこにもいませんわ」
アルダンから直接聞けたわけじゃない。約束を守れなかった事、本当に気にしていないのかどうか。
きっと気にしていたとしても、彼女は俺を気遣って隠し通すだろう。
だからかもしれない。姉であるラモーヌのその言葉で、無性に心が救われた。
「ねぇトレーナーさん。貴方は今でも、アルダンの事を守りたいと思っているのかしら」
「そんな事、聞かれるまでもないよ」
きっと、ラモーヌが発破を掛けてくれなかったら自信を持って言えなかっただろう。
だけどもう大丈夫だ。これだけは迷うはずがない。彼女のトレーナーになりたいと思ったその時から、揺るぎない信念なのだから。 - 17◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:14:26
「人生を捧げてでも、絶対に」
彼女を守れるのなら。俺はどうなっても惜しくない。
「そう。愛しているのね、アルダンを」
「へっ? あ、愛?」
「あら、違うのかしら」
全く愛していないと言えば嘘になるだろうが、ラモーヌがターフに捧げるようなものと比べるのは烏滸がましいだろう。
真意を知るべく、今日初めてまともに見たラモーヌの顔は至って真剣だった。少なくともからかっている様子は見られない。
「まあいいでしょう。お父様とお母様には良いように伝えておきます」
「あ、ありがとう……」
話の流れ的には縁談にしか聞こえないが、流石にアルダンのトレーナーを続けられるかどうかの進退の話だろう。
最終的にどうなるかは分からないが、悪いようにはならなさそうだ。
「今更なんだけど、今はどこに向かってるんだ? 出来ればアルダンともう一度話が」
「そんな顔で、伝えられることがあるとお思いで?」
そんな顔? 今俺は一体どんな顔を? と聞き返す前にどうやら目的地に着いたようだ。
外から車のドアが開けられる。そして目の前に広がっていたのは見慣れた──トレーナー宿舎の前だった。
ドアを開けてもらったんだからと深く考えもせず降りると、ラモーヌは降りずにドアが閉められる。
そして窓ガラスが降りてラモーヌの顔が見えたかと思うと、一方的に告げてきた。
「アルダンには明日、お昼頃に来ると伝えておきます」
「は? え?」 - 18◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:14:42
いや、検査が終わった頃に行くとは既に伝えてるんだけど。というか本当に立ち聞きしてた訳じゃないのか。
そんな困惑してるこちらもお構いなしに、有無を言わせず少し微笑んで。
「それでは、ごきげんよう」
そう言い残して、ばあやさんのお車は来た道を戻っていった。
……まあ、状況から察するに。
「今日は休め、ってことか……」
実際、今俺に出来ることは特にない。大人しく宿舎の階段を登っていき、自分の部屋まで辿り着いて手を洗いに洗面所へ向かう。
そして何気なく鏡に映った自分の顔は、それはもう酷いものだった。
『気休めにしかならないと思いますが──』
『昨夜、あまり眠られていないのでしょう?』
『そんな顔で、伝えられる事があるとお思いで?』
思えば、今日は怪我をしたアルダンよりも俺の方が心配されていた気がする。
「ははっ……酷い顔だな……」
思わず乾いた笑いが出てしまう。確かに、こんな顔でアルダンに伝えられる事なんて何もない。しまいにはぐぅ~、とお腹が低い音を立てた。
「そういえば昨日から何も食べてないか」
自分が思っている以上に精神的に参っていたらしい。
明日はちゃんとアルダンと話をしよう。約束も守れなかった男だが、それでも。彼女がまだ、俺をトレーナーでいさせてくれるのなら。 - 19◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:14:56
~Ardan's view~
トレーナーさんが病室から出て1時間ほど。
「思っていたよりも元気そうね」
恐らくトレーナーさんと入れ違いで入ってくるはずだった姉様が病室を訪れて来た。
「姉様、先程トレーナーさんとどちらに?」
「あら、気づいていたの」
「はい。外で話し声が聞こえましたから」
もっとも、何か話してる程度しか分からなかったのだけれど。
「今にも死にそうな顔だったから、家まで送り届けただけよ」
姉様から見ても今日のトレーナーさんは顔色が悪かったそうで。
私の目から見ても、もしかしたら入院が必要なのは私じゃなくてトレーナーさんなのでは、と思うくらいに。
「トレーナーさんとはなにか?」
「風雨に負けそうな止まり木に、添え木を。折れてしまえば止まることも出来ないでしょう?」
「姉様……」
珍しい。自身のトレーナーさんはともかく、私のトレーナーさんの事まで気に掛けていただいているのは。
興味がない事柄に関しては、とことん興味のないお人だから。
「それと明日、お昼頃に来るよう伝えておいたわ」
「お昼頃? 検査の後でしたら確かにそうなると思いますけど」
「あら、添え木は必要なかったかしらね」 - 20◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:15:24
いえ、きっとそれは必要だったと思う。今の私が何を話しても、彼には気休めにしか聞こえない。
自身を許してあげられる、何かしらの理由を誰かがあげなくてはいけなかったのだと思う。
「貴方、レースは続けるつもりなのかしら」
「はい。検査の結果次第になりますが、まだ私は何もなし得ていませんから」
歴史に一筋、私の輝きを、生きた証を。それを刻むにはまだ至っていない。
……いえ、もしかしたら今後も成すことは出来ないのかもしれない。それでもまだ、諦めるわけにはいかなかった。
「そう。貴方も私と同じだと思っていたのだけれど」
「私は姉様とは違いますから。完璧を目指す事は到底叶いませんし、尽くすからには見返りが欲しい。……愛とは程遠いです」
「そうね。貴方の愛は、レースには向けられていないわ」
私のレースへの向き合い方に理解を示すでもなく、軽蔑するでもなく。ただ淡々と流される。
「そういえばアルダン。貴方にあげるわ」
「こちらは?」
「主催の方から私たち姉妹に、ということでいただいたのだけれど。生憎私、その日はレースの予定があるもの」 - 21◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:15:39
手渡されたのは演劇のペアチケット。
「骨は折れていても、観劇くらいなら出来るでしょう?」
公演日を見るに検査次第では私も行けるかどうか怪しい。それなのに行く前提で渡してくるという事は。
「アルダン。ターフの上で会えること、楽しみにしているわ」
「姉様……! はいっ!」
……ああ。姉様は私がターフに戻る事を露ほども疑っていない。
かつての病室でお見舞いに来てくれた時のように、柔らかく微笑んで部屋を後にする姉様を見送る。
「……本当に、まだ終われませんね」
一戦一戦が最後のつもりで挑んでいたけれど、また次のレースを、と。
望ませてくれるようになったあの人が、どうか明日、笑顔を見せてくれますように。 - 22◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:16:03
翌日。一通りの検査が終わった頃、約束通りトレーナーさんが病室へと訪れた。
「脚の具合はどう?」
「はい。痛みも特にありませんし、あまり心配なさらずとも大丈夫だと思います」
骨折と言ってもヒビが入っている程度なので、負担を掛けなければ痛むということはない。
その他に身体に異常があるかは検査の結果を待たなければいけないけど、私自身の体調を鑑みるとその点も心配はなさそうだと思う。
「そっか、良かった……」
私の言葉に心底ホッとしたような表情を浮かべた後、トレーナーさんの顔が引き締まる。
「アルダン。今後の事を話す前に一つ、君に謝らせて欲しい」
昨日の憔悴しきったトレーナーさんには、今にも壊れてしまいそうな危うさがあったけれど。
……きっと姉様がそうしてくれたのでしょう。確かな覚悟を再び宿して、私の瞳を真っ直ぐ見据えてくる。
「君の事を絶対に壊したりしないと言っておきながら、俺は君に怪我をさせてしまった……本当に、すまなかった」
「ですから、その事はお気になさらないでください。防ぎようがなかった、謂わば事故のようなものですから」
「いや、これは俺のトレーナーとしてのケジメだ。どんな理由があろうとも、怪我をさせたことに変わりはない。……今回の事でよく分かった。俺に、君は壊せない。だけど絶対に壊したくない。君を守る為なら、この身はどうなってもいい。その気持ちだけは……決して揺らがないよ」 - 23◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:16:19
どんなに私が、私の怪我を貴方のせいにしたくないと思っていたとしても。
ガラスのような運命に巻き込みたくなくても、寄り添ってくれる。あの日、メイクデビューの後突き放そうとした時から分かっていたのに。
「俺はまだ、君のトレーナーでいたいと思っている。だからこれからも、共に歩ませてくれないか?」
運命がひび割れてなお、共に寄り添い歩もうとしてくれる。守りたいのは、私も同じ。だって約束は、守りたいからするものでしょう?
「貴方は私を壊してなどいませんよ。だから、答えなんて決まっています」
当然、返すべき言葉など決まっている。
「これからも、よろしくお願いいたしますね、トレーナーさん」
貴方からすれば、約束は破られたのかもしれない。けれど私からすれば、貴方との約束は生きている。
「ああ、よろしく。アルダン」
笑顔と共に差し出された右手を握り、新たにひとつ、約束を交わす。私はまだ、貴方と共に歩みたいのだから。 - 24◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:16:34
みたいな話が読みたいので誰か書いてください。
- 25二次元好きの匿名さん24/12/26(木) 23:16:57
そこにありますね
- 26◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:17:11
全3話構成の1話部分にあたります。
続きはまた来週……。 - 27二次元好きの匿名さん24/12/26(木) 23:17:49
もう書いとるやないか!
それはそうと書きおつ - 28二次元好きの匿名さん24/12/26(木) 23:19:47
続きはこのスレに書き込まれるってことでおk?
- 29二次元好きの匿名さん24/12/26(木) 23:19:50
一週間もお預けとは相当なサディストだな?
- 30◆y6O8WzjYAE24/12/26(木) 23:22:16
- 31二次元好きの匿名さん24/12/26(木) 23:30:55
ラモーヌ相手に尻込みしないアルトレ好き
- 32二次元好きの匿名さん24/12/26(木) 23:43:04
これぐらいがんぎまりじゃないとやっていけないよなアルトレ
- 33◆y6O8WzjYAE24/12/27(金) 00:08:07
覚えている方はお久しぶりです。
そうでない方ははじめまして。
もしもアルダンがダービー後、アルトレが就いていても骨折が避けられなかったとしたらというif展開のお話です。
そこを起点にアルダンって結局どういう子なんだろうという部分についてアプローチしていく感じのお話になっております。
その辺りの解釈を書いてる部分はバランスが悪い事に最後のお話に集約されちゃってるのでもしよろしければ残り2週間ほどお付き合いいただければ……
一応既に完結部分までは書いているのでエタる心配に関しては大丈夫です。
ひとまずここまで読んでいただきありがとうございました。
よろしければ、来週もよろしくお願いいたします。 - 34二次元好きの匿名さん24/12/27(金) 09:15:48
楽しみにしてます
- 35二次元好きの匿名さん24/12/27(金) 09:41:41
前も勝ち切れなかったアルダンとアルトレペアのエンドロール書いてなさった方ですかね
前のもとても良かったので今回も楽しみにしてます - 36◆y6O8WzjYAE24/12/27(金) 12:15:27
あげあ~げ
- 37◆y6O8WzjYAE24/12/27(金) 12:17:54