- 1124/12/27(金) 19:03:24
- 2124/12/27(金) 19:05:09
綿飴のような、白く筋の通った丸い雲が浮かぶ、群青の空模様。
その雲をじっと眺めていると、隣から聞き慣れた声がする。
「どうしたのよ、急に止まって」
どうやら、思わず足を止めていたらしい。ふんわりとしたトーンの声質で、惚けた表情のまま答える。
「…あの雲を手に掴んで食べられるとしたら、どんな味がするだろうね」
「いや、無理でしょ…そもそも、雲は目には見えるけど、実際にはそこには何もない訳だし」
声をかけた金髪の子とは別に、黒髪で猫耳のある女の子が呆れながら目を細める。
「だが、いつか時代が進めば、食べられる雲ができてもおかしくはないだろう…!それはまさしく、ロマンだとは思わないかね?」
「ふふ、それはちょっと興味あるかも」
ロマンという言葉に惹かれたのか、前を歩いていた”私”が振り返って笑いかけてくる。
「見たまえ、ヨシミ、カズサ。アイリはロマンのことをよく分かっている。流石は放課後スイーツ部の部長だね」
「うっざ!なんか腹立つ!」
「はぁ…すぐ調子に乗るんだから」
その態度が癪に触ったのか、ヨシミと呼ばれた金髪っ子は彼女にムキになる。反対に猫耳の子ことカズサは、やれやれといった感じで肩をすくめた。
その光景を、終始困り笑いを浮かべながらも、”私”は楽しそうに眺めていた。
「あはは…部長じゃないんだけどな…でもやっぱり──
ちゃんがいると面白いね」
- 3124/12/27(金) 19:06:47
────────────────────────────────────────────────────
「────────」
冷や汗と共に、栗村アイリは目を見開いた。今自分が見ていた光景が、現実には存在し得ない夢だったのだと、彼女は自室のベッドの上で思い知った。
「…夢…」
じっとりとした不快感の原因を左手の甲で拭いながら、その左手で耳障りな目覚まし時計のタイマーを止める。本来なら煩いだけのその雑音が、今のアイリにとってはある意味救いでもあった。
「また、こんな記憶かぁ…もしかして、前とは違う症状なのかな…」
どこか断片的な誰かの日常の記憶。夢の中で違う誰かになっているという話は、時たま耳に挟むこともなくはない。
アイリが気にしているのは、その夢の中に自分と二人の友人がいて、記憶の中の主はどうやら自分達と密接な関係を築いていることだ。
なのに──アイリには、その主の心当たりがない。
- 4124/12/27(金) 19:07:22
もっと言えば、その会話をしたという記憶すらもない。
そんな、知らない誰かが自分達と過ごしている様々な記憶を、アイリはここ最近の夢の中で何回か見ることがあった。
「本当にいたりするのかな…でも、誰かわからないし…」
更に言えば、夢の中の記憶にはある共通点があった。
記憶の主である“彼女”の名前が呼ばれる度に、その名前がまるで虫に食われた穴のように途絶えてしまうのだ。
”ある“はずのものが”ない”というもどかしさを感じ、アイリは無くし物が何か分からない時みたいな焦ったさに頭を捻った。
「う〜ん…まぁ、仕方がないかな…」
とはいえ、どこまでいっても結局は夢の中の出来事。
割り切って今日のことに集中しようと、アイリはカーテンを開けて陽の光を浴びた。
「さ、切り替えて頑張ろうっと!」
- 5124/12/27(金) 19:20:06
その後、トリニティ総合学園に登校し、授業を終えたアイリは、放課後に二人の友人との待ち合わせ場所である駅のホーム近くで待機していた。
「おーい、アイリ」
ふと声をかけられて、眺めていたスマホから視線をそちらへと向ける。
黒い猫のような耳が頭から出ている生徒が一人と、ウェーブがかった金髪をツインテールにした生徒が一人。待ち合わせをしていた二人が登場し、アイリは思わず微笑んでしまう。
「あっ、カズサちゃん、ヨシミちゃん」
「ごめん、少し遅れちゃったけど大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。私もさっき着いたところだから」
猫耳の生徒ことカズサが軽く謝ると、隣の金髪の生徒──ヨシミがカズサの方をジロッと見る。
「全く…カズサが今日買うマカロンを迷わなきゃ、こんなに遅くならなかったのに」
「いやそういうヨシミだって、最初に提案したのはそっちじゃない」
「う、うるさいわね!?私はすぐに買って出る予定だったのに、何であんなに長く迷ってたのよ!?」
「いやぁ…限定新作をどっちかだけ選べって書かれてたらそりゃ仕方ないでしょ」
気がつけば目の前で口喧嘩を始めてしまった所を、慌ててアイリが止めに入る。
「あはは…二人とも、本当にそんな待ってないから、そこまでにしよっ。ねっ」
「そ、そう…?まぁそれなら…ごめんヨシミ」
「いや…こっちこそごめん」
彼女が言葉をかけると、二人ともすんなり謝った。言ってしまえばこの光景も、割といつも通りのことだ。
ちょっとしたことでぶつかったりはしてしまうが、すぐにお互い元の関係性に戻る。良い意味で後腐れがない関係でもあり、距離感の近いところがこの放課後スイーツ部の特徴とも言えるだろう。
「それじゃ、早速行こっか。今日はどこの予定?」
「えっと、確かヨシミちゃんが気になってるところがあるんだっけ?」
「ふふーん、そうよ。今日行くのは…」
- 6124/12/27(金) 19:23:15
ヨシミが二人に、スマートフォンに映したマップを見せる。赤いピンが立った所を、アイリとカズサが読み上げた。
「…ここって」
「ドーナツ屋さん?」
「そ。リピート率が高いらしくてね。結構評判が良いのよ?」
「ふーん…実際口コミを見た感じ、繰り返し行ってる人が多いのは事実みたいだね」
「うん、載ってる写真も見たけど、美味しそう!」
「でしょ?ほら、私が案内するから二人はついてきて」
「分かった、じゃ行こ、アイリ」
「うん。楽しみだなぁ、ドーナツ…」
期待に胸を躍らせながら、ヨシミの後ろをカズサと共にアイリはついていく。
「……?」
ところが──アイリが頭をかしげたと思うと立ち止まってしまい、隣にいたカズサと前にいたヨシミが、その違和感にふと声をかける。
「どしたの、アイリ?」
「どっか痛い?」
「う、ううん…えっと、何か忘れてる気がして…」
「え?もしかして、また”例の”症状?」
「どうだろう…ものじゃなくて、誰か人だった気がするような…」
- 7二次元好きの匿名さん24/12/27(金) 19:25:19
これは期待
この三人…もしやナーツゥを御存じでない? - 8124/12/27(金) 19:34:04
誰かを忘れているのではということに心当たりも特になく、ヨシミとカズサもまた首を傾げた。
「でもアイリ、私達以外に誰か誘ってたりとかしてたっけ?」
「えっと…それはしてないと思う」
「なら大丈夫よ。そんな不安がらなくても、私たちがいるから。ね!」
「また何かあったらサポートするから。アイリはいつも通りでいいんだよ」
「う、うん…ありがとう、二人とも…」
二人の言葉にアイリはこくりと頷き、自身を奮い立たせる。彼女が不安がっていたのには、ある一つの事情があった。
それは三ヶ月前ぐらいの事。
ある日を境にして、アイリは深刻な記憶障害に見舞われていた時期があった。
その日以前のことは覚えているのだが、それ以降の記憶が一日経つごとにリセットされてしまうというものだった。
原因の特定もできず、直前の記憶も曖昧──何がきっかけで起きたのかさえも不明。
当初のアイリは酷く狼狽し、削られていく精神力と共に徐々に衰弱しかけていたのだが、カズサやヨシミを始めとした様々な人の助力の元に何とかやりくりをし、どうにか立ち直っていった。
更に、ここ最近ではその記憶障害も殆ど鳴りを潜め、元通りの生活へと戻りつつあった。
これで大丈夫──そう思った矢先に来た先ほどの突然の感覚は、アイリにとっては久しいものでもあった。
それでも、自分の隣には頼もしい二人の友人がいる。今では、シャーレの先生という頼れる大人もいるのだ。
弱きになるまいとアイリは息を大きく吸い込み、そして吐き出す。
「…よし!じゃ、二人とも。早速行こっ!」
- 9124/12/27(金) 19:36:15
ドーナツ屋さんに到着した一行がカランコロンというベルの音と共に入店すると、そこにはすでに二名の先客がいた。
「あれ、ヴァルキューレ警察学校の生徒じゃない?」
「あ、本当だ…!」
中務キリノと合歓垣フブキの二人が、既に店内でトングを片手にドーナツを選んでいるところだった。
「あの、フブキ…私達まだ巡回中のはずなのに、どうしてドーナツを選んでいるんでしょうか?」
「仕事の傍の糖分確保は大事でしょ?効率よく巡回する為にも、休憩を挟むのも必要なことだよ」
「そ、そうですか…?それなら、大丈夫ですね!」
「いやダメでしょ!?何言いくるめられてんの!?」
呆気なく言いくるめられたキリノを見て、思わずヨシミが突っ込んでしまう。
後ろから大声を出されて、二人はビクリと肩を震わせた。
「き、聞こえてたんですか!?」
「もろ聞こえよ!思いっきり職務怠慢してるじゃない!?」
「まぁまぁ…ほら、君たちの分も買うからさ。ここは穏便にしない?」
「えっ?まぁそれなら…いっか!」
「なんでアンタもチョロいのよ」
フブキに懐柔されたヨシミにチョップを食らわせながら、カズサが二人に質問する。
「ま、今回は見なかったことにしとくとして…でも、この辺りでヴァルキューレの生徒ってあんまり見なかったのでつい気になって。お二人はここによく来るんですか?」
- 10二次元好きの匿名さん24/12/27(金) 19:36:21
ああそっか、ドー「ナツ」が欠けてるのか…
- 11124/12/27(金) 19:39:57
「そうだよ〜。私としてはドーナツに目がなくてね。トリニティの中とはいえ、名店だから時々寄るんだよね」
(さっき巡回中って言ってなかったっけ…?)
側で聞いていたアイリが疑問符を浮かべていると、キリノがその理由を話しだした。
「それはそれとして…実は、トリニティ近郊とシラトリ区の間の辺りで、ある変な噂が囁かれているんです。不審者の説もあるので、一応ということで私たちも確認しにきた訳です!」
「え、何?噂って?」
「あっ…い、今言ったことはなんでもないです!ただの機密事項です!」
「バラした時点で機密もへったくれもないでしょ」
時既に遅しというカズサの隣で、ヨシミがどこかにやついた顔をしながら、興味深そうに耳を傾けていた。
「ふーん…ね、その話もう少し詳しく聞けたりしない?」
「そ、そういうわけにはいきません…!」
「ん?うーん、そうだねぇ…これ次第かな」
「フ、フブキ!?」
口を閉じたキリノの隣で、フブキが手でお金のサインを作ると、ヨシミはその手のひらに硬貨を3枚置いた。フブキはそれを握ると、もう片方の手でヨシミと握手した。
「交渉成立って所ね」
「こうして警察の賄賂は増える訳と」
「あの…フブキ…もうちょっとこう警察官としての自覚をですね…」
「でも、最初に話しちゃったのはキリノだし。それに言うほど重大な事態とも思えないし、別にいいんじゃない?」
「…ヨシミちゃん、結局お金払ってないかな…?」
あまりよろしくない取引をしたフブキとヨシミを約三名が困ったように見ていると、フブキは対価分の情報をこっそりと話してくれた。
- 12124/12/27(金) 19:44:16
「トリニティとシラトリ区の間に、ちょっと大きめの公園があってね。その中に円形の広場があるんだ。真ん中には噴水があったりして結構良いスポットなんだけど…最近、そこで不思議なことが起きるんだってさ」
「不思議なこと?」
「まるで大きな錘をつけられたかのように、”体が重くなる”感覚に襲われた人がいるらしいんだ。で、暫くしたら元に戻るんだけど、徹頭徹尾近くには誰もいないんだって」
「随分とオカルトに傾倒した噂ね…」
「実は先程本官たちも行ってきたのですが、その時には特には何もなかったんですよ」
キリノはそう言いながら人差し指と親指を顎に当て、考えるような仕草をしてみせた。
「ま、そういった不可思議なことが起きるのも世の仕組みって所でしょ。そういうわけで、何も異常はなかったから、私たちはこれを買って巡回に戻ろうかなって思ってたんだ〜」
「成る程。だが、お前たちが戻る先はこれから変更されるんだがな」
「そうそう…ってエッ!?」
「カンナ局長!?」
振り返ると、そこには別のヴァルキューレの生徒が、ギザ歯を見せた不機嫌そうな顔でキリノとフブキを見ていた。一方の二人はといえば、カンナというらしいその生徒に気づかれたのが運の尽きと言わんばかりに、空いた口が塞がらずにいた。
「連絡がつかないと思ったらこんな所でサボタージュに賄賂の受け取りとは…フブキ、こってり絞られるという覚悟を持った上でやったんだろうな?」
「あはは〜…こりゃ終わったねぇ。じゃキリノ、一緒に逝こうか」
「フブキィ!?」
「キリノ、お前も一緒にいたなら止めるぐらいはできただろうが!というわけで、言い分なら本部で聞かせてもらう!では、失礼いたしました」
そうしてカンナに引き摺られていくキリノとフブキを唖然とした表情で見送った三人は、やがて我に帰って顔を見合わせた。
「…で、どうしよっか」
「行ってみる?」
「う、うん…気には、なるかも…?」
- 13124/12/27(金) 19:52:18
フブキの言っていた特徴をもとに探すと、お目当てのスポットはすぐに見つかった。特徴的な噴水があったのが決め手となり、そこに着くまでそう時間はかからなかった。
「ここか…確かに、これをバックに写真を撮るのも悪くないわね」
聞いていたよりもずっと広い円形の広場は白いタイルが敷き詰められており、非常に綺麗に整えられている。中心にある巨大な噴水は、真ん中にある穴を取り囲むように水が輪に沿って吹き出したり止まったりを繰り返していた。
「丁度ベンチもあるね。あそこで食べよっか」
近くにある木製のベンチに三人で腰掛ける。そこでヨシミが、先程の収穫の入った紙袋を取り出して二人にその中身を一つずつ手渡す。
「はい、これ」
「ん、サンキュ」
「ありがとう!」
真ん中に穴の空いたプレーンのドーナツを、いっせーのせで全員一口頬張る。聞いていた評判通り見事な出来栄えだったドーナツからは、出来立ての仄かな暖かさと一緒に砂糖の絶妙な甘さが舌鼓を打つ。
外はカリッと、中はフワッと。王道ながら満足感が非常に高い絶品だ。
「こりゃ堪んないわ…」
「ふふ、リピーターが多いのも頷けるね」
「はぁ〜…幸せ…」
そうして三人でその味を噛み締めていると、ヨシミとカズサのスマートフォンが鳴る。
「ん?」
「…あっ」
「どうしたの、二人とも?」
見ると二人の表情からは、どこからか木魚の音が聞こえそうなレベルで、魂が抜け落ちかけていた。その後徐々に青ざめていった後、二人はアイリに対して申し訳なさそうに頭を下げてきた。
- 14124/12/27(金) 19:53:52
「ごめん…今日、追試だったの忘れてた…今、連絡が入ってきたわ」
「私も…なんで二人して忘れてんだか…」
「あー…えっと、今行けば間に合いそう?」
「一応はね。だけど、せっかく待ち合わせして集まったっていうのに…ごめんアイリ」
「ううん、大丈夫。二人は急いで行った方がいいと思うから、気にしないで」
「ありがとう、ホントにごめん!お詫びにそのドーナツはアイリに全部あげるから!じゃ、また今度ね!」
「えっ!?あっ、ちょっと!?」
アイリがそこまでしなくてもと言う前に、二人は慌ただしく追試に間に合わせんと猛ダッシュで消えていった。暫く言い合いのようなものも聞こえていたのは、多分二人して気づかなかったのを悔やんだ故だったのかもしれない。
「…どうしよっかなぁ」
一人取り残されたアイリは、これからの予定を思いつくこともなく、ベンチの上で紙袋に入ったドーナツに手を伸ばす。
一口一口齧りながら、それにしてもと空を眺める。
今日は一段と風が心地よく、差し込む陽だまりも丁度良い塩梅の暖かさをくれる。太陽の光も、真上からやや西側に傾き、もう少ししたら夕日になる頃合いだ。
「…何だか、眠くなってきたかも…」
時には、こういう場所でお昼寝するのも悪くはないのではないだろうか。そんな風にうとうとと睡魔に誘われかけた頃には、ここであったらしい噂のことなど、アイリの頭の中からは殆ど消えかけていた。
暫くして、噴水がある広場のベンチで一人の女子生徒が気持ちよさそうに寝ている光景を、通りがかった何人かが目撃していったのだった。
- 15124/12/27(金) 20:25:17
────────────────────────────────────────────────────
「ん…?」
手放した意識を再びアイリが自分のものにした頃には、辺りは暗くなりかけていた。
日はすっかり落ちかけていて、今すぐにでも月が顔を出してしまいそうだ。
「もしかして、ずっと寝ちゃってた?」
慌てて周囲の自分の荷物を見る。見た感じ、何か物を取られたような痕跡は見られない。
つい無防備な状態で長時間眠ってしまっていたことを、アイリは恥じていた。
「良かった…次から気をつけないと」
取り敢えずホッと一息つき、心の平安を保つためにも紙袋からドーナツを一つ取り出す。
それを一口頬張ろうとして、アイリはふとそのドーナツをじっと見つめる。
「…そういえば、この穴は何なんだろう?」
何の変哲もないことがアイリは気になり、ウインクした状態で開いた方の目を近づける。
普通に考えるなら、作る上での製法的な意味があるのではないかというのが一番最初に来る解だかもしれない。
しかしアイリは、何となく穴の向こうを見つめながら、更にもう一つ突拍子もない疑問が浮かんだ。
- 16124/12/27(金) 20:26:59
穴を通してでしか見えなくなった世界は、一見はさっきまで見ていた風景と同じかもしれない。
でも、もしこの穴がただの穴じゃなくて、どこか違う所に通じているとしたら──この先にあるのは一体何なのだろう。
もし──その先にあるのが、自分の知らない違う世界なのだとしたら?
「…なんて、穴の向こうが違う世界なわけないよね」
そうアイリが一人呟いた時だった。
「随分と面白いことを言うんだね」
──その穴の輪郭の外から、ひょっこりと一人の女子が現れたのだ。
「わあぁぁぁぁ!?」
突然の来訪者の登場に、アイリは驚きのあまり飛び退いてしまった。
手に持ったままのドーナツが目元から離れても、アイリの目の前にその子はいたままだった。
- 17124/12/27(金) 20:29:07
淡いピンク色の髪を後ろで束ね、トリニティのセーラー服を着用している。
とろんとしたような目つきと、先程聞いた独特でゆったりとした声。
一言で言えば、”ゆるふわ”という印象を抱かせてくる子だった。
ドーナツで狭まった視界の端から現れた未知との遭遇は、アイリを驚かせるには充分だった。
「だ、誰…?」
ところがその子も、アイリが自分に気づいたのが予想外と言わんばかりに、目をぱちくりとさせた。
「…君には、私が見えるのかい?」
「え?」
その意味深な発言をしたかと思えば──徐々に女の子の瞼に涙が滲み始め、ポロポロと地面に溢れていく。
目の前の少女が、自分と会うや否や泣き始めた光景に、アイリは困惑せざるを得なかった。
「え、えっと…どうしたの?大丈夫?」
一先ず話を聞こうと、アイリはその子に話しかける。
すると、泣いていた少女は目元を腕で拭うと、仄かに笑った。
「大丈夫…嬉しかっただけ。気にしないで」
「そ、そうなの…?よく分からないけど…」
- 18124/12/27(金) 20:47:58
今だに状況が掴めないアイリの隣に、ピンク色の髪の子はストンと座り込む。
「何でもないよ。私はただの寂しがり屋さんみたいなものさ。
ここ最近ずっと、一人ぼっちだったからねぇ」
そう語る少女は、どこか虚空を見つめながら両手の指を組む。
微かに彼女が浮かべたその笑みが、アイリにとってはどこか寂しさを秘めたものに見えていた。
「…あ、あの」
「?」
「…私でよければ話を聞くけど…どうかな?」
それを聞くと、彼女の表情が次第に明るくなる。
「本当?」
「う、うん。うまく聞いてあげられるかは分からないけど」
「…ありがとう。君はきっと、とても優しい人なんだね」
「そ、そうなのかな?」
「きっとそうだよ。ねぇ、名前を聞かせてもらってもいい?」
「名前?…アイリ。栗村アイリだよ」
「アイリ…うん。よろしく、アイリ」
「よ、よろしく…あなたの名前は?」
自己紹介をしたアイリが、今度は彼女に聞き返す。
すると、彼女は困ったように腕を組んだ。
- 19124/12/27(金) 20:49:51
「名前?んー…どうだったかなぁ。実は、覚えてないんだよね」
「え、覚えてない…?」
「そう。まぁこの際、どうとでも呼んでもらって構わない。
あ、”ドー”とでも呼んでもらっても構わない」
「て、適当すぎないかな…?じゃあ、ドーちゃんって呼べばいいの…?」
「うむ。ドーぞよろしく」
あまりにその場で決めたとしか思えない名前を口にしながら、そのピンク髪の少女は両手でダブルピースを作ってアイリに見せつける。いまいちテンションがよく分からない子だ。
「う、うん…それにしても、名前を覚えていないってどうして?」
「実を言うと、名前を含めて記憶そのものが無くてね~。自分が何者かすらも分からないって感じなんだ」
「そうなの!?」
「そーなのだ」
直近で記憶障害を患っていたアイリとしては、自分と同じく記憶を失った子に会うとは思わなかっただろう。
どこかシンパシーを感じた故なのか、アイリはふと自分のことについて話し出していた。
「…私も、少し前に記憶を失っていた時期があって」
「ほう?それはまた奇妙な巡り合わせだね」
- 20124/12/27(金) 20:51:38
「うん、何だか不思議な縁があるのかな。
その時は、一日経つと昨日あったことがさっぱり頭から抜け落ちてたりしてて…でも、色んな人に助けてもらって、何とか乗り越えていったんだ」
「…ふむ。それは人望の賜物と言うべきか──よほど君は、周囲の人に愛されていたのだろうね」
「前の私なら、きっとそう思えなかったと思う。でも今は──そう思えるし、それが嬉しい」
「…ふふ」
「あっ、ごめん…つい自分のことを話しちゃって」
「気にしなくていいよ。アイリのそういう顔、何だか私は好きだな~」
「えっ?」
ドーが自分の方を見ながら優しく微笑んできた為、アイリは火照るように顔に熱がこもっていくのがわかった。
正面切って人から肯定されるのは、案外恥ずかしいものなのである。
「まぁ何はともあれ、我々は仲良く”記憶喪失連合協会”の同士というわけだ。パチパチ〜」
「あんまり嬉しくない協会名だね…」
「それはそれとして。アイリ、君はさっき興味深いことを言っていたじゃないか」
「え?何のこと?」
「ドーナツを目に当てながら、”穴の向こうが違う世界な訳”とか言っていたと思うがね」
「あぁ~…あはは、単に変な思いつきみたいなもので…何であんなよく分かんないこと考えてたのか…」
そうアイリが、自分の言動が小っ恥ずかしいと言わんばかりに顔と手を振って否定した時。
「…いや、寧ろ素晴らしい」
- 21124/12/27(金) 20:54:18
ドーは椎茸のようになった目を輝かせてアイリを見つめ、右手でグッジョブのサインを作っていた。
「…え?」
「いやー、まさか私以外にそんな風に考える子がいたなんて…これは感動。まさしくロマンが叶った瞬間だ」
「ロ、ロマン?」
「うむ。ロマン。私はね、こういう事を語り合える友をずっと探していたのだよ。
そしてその運命の瞬間にこうして立ち会えた。これを感動と言わずして何という!」
「お、大袈裟じゃないかな…?それに、私の言った事なんてただの絵空事というか、空想というか…実際にはないものだと思うし」
「ふむ…では逆に聞こう」
「アイリは、何故それが”ない”と言いきれるのかい?」
「え?」
「確かに、普通に考えれば空想に過ぎないだろうね。”ただの時間の無駄遣い、現実じゃ有り得ない、科学的に不可能”…まぁ、大半の人はそう言うだろう」
「そ、そうだね…」
「しかし──世界とは不思議なものだ。この世の中には、理解が及ばない現象や存在に満ちている。
そして人々は、それを完全には否定できない」
「…?」
「幽霊なんてありえないと言いながら、心霊スポットを怖がってしまうように。
神様なんていないと言いながら、死にそうな時に縋り付いてしまうように。
運勢なんて信じないと言いながら、おみくじの結果を覚えてしまうように。
そして或いは──」
そこでドーは指をパチンと弾きながら、アイリが手に持っていたドーナツを指差した。
「その”ドーナツの穴”のように」
- 22124/12/27(金) 21:11:36
「…???」
あまりにも抽象的で、掴み所がない。
辿り着く先が全くもって不明瞭なその話し方に、アイリは混乱して目を回しかけていた。
「おっと、これは失礼。もう少し噛み砕いて説明しよう。
さながら硬いビスケットを食べるようにね」
ドーはそこで、ドーナツの真ん中にある穴を指差した。
「もっとシンプルに行こう。アイリに一つ質問するなら──
アイリから見て、そのドーナツの”穴”はあるように見える?」
そう問いかけられたアイリは、一旦思考をゼロに戻す。言われたことにより単純に答えを返す。
「うん…あるように見えるけど…」
「なるほど。だけどアイリ、”穴がある”って言葉、変だと思わない?」
「えっ?」
「だってさ、穴の所って見えないし触れないし、穴そのものはただの空っぽな何もない空洞じゃん。
なのに、みんなそれを”ある”って言うんだよ?」
「…たし、かに?」
「人間ってのは面白いことに、目に見えるものに飽き足らず、見えないものまで概念化して呼称するんだ。
”ない”ってことそのものが”ある”って感じにね。
まるで、それで自分がその”ない”を理解したのだと、認識の範囲内に収めて支配したのだと言わんばかりに」
- 23124/12/27(金) 21:33:40
「…でも、そうしないと説明ができないし、分からないままになっちゃうと思うけど」
「そう。だけど、私はそれが真理だと思ったりもしてる。
結局のところ、その”ない”が一体何であるのか、誰も本当の所は詳細には把握していない。
人は自分が思っている程に、目に見えているはずのものをきちんと見てはいないんじゃないかってね」
「成る程…」
「逆に言えば、目に見えないものの中には、それが実在するなんてこともあるかもしれない。
アイリが言った、穴の先の別の世界なんてないっていうのも、実は見えていないだけで本当はあるのかもしれない。
私はそれを──”ロマン”と呼んでもおかしくはないと思っている」
「ロマン…」
「ロマンとは”空想”。ロマンとは”夢”。ロマンとは”心”。
大人に近づくになるにつれ、徐々に考えなくなっていくその理想たちを、私は追い求めるのが好きなんだ」
「そっか、ロマンかぁ…」
- 24124/12/27(金) 21:34:42
そのワードに、なんとなく惹かれるものがある。
自分にとってはあまり浮かばないものかもしれないが──ドーの言うそれを考えるのは、どこか楽しいのかもしれないとアイリはふと思った。
「ふふ、ちょっと面白そうだね」
「おぉ、アイリもそう思ってくれるのか。やはり私の慧眼に狂いはなかったね。
しかし…そういったロマンを語り合うには今日はもう遅い。残念だが、君はもう帰った方が良いだろう…」
そう語るドーの顔は、これでもう永遠に会えなくなってしまいそうな程、哀しい表情をしていた。
どうやら、もうここにアイリは来ないのだと思っているのかもしれない。
「そ、そんなに哀しそうな顔しなくても大丈夫だよ!また明日、ここに来るから!」
「…本当に?」
「本当。じゃ、それを約束するために…ドーちゃん」
アイリはそこで、ドーの方に向き直りながら元気よく宣言する。
「私と友達になろうよ。そしたら、私が来るって信じられるんじゃないかな」
- 25124/12/27(金) 21:35:14
- 26124/12/27(金) 22:01:42
翌日。
ホームルームが終わって放課後になった所で、アイリは早速例の場所へと向かうことにした。
すると、廊下に出た直後に、カズサとヨシミが待っていた。
「あ、お疲れアイリ」
「お疲れ様、二人とも。どうしたの?」
「いや、その…昨日途中で私たちだけ離脱しちゃったじゃない。
それのやり直しってことで、アイリの行きたい場所に一緒に行こうかなって思ってね」
「な、成る程…」
そこでふとアイリは、今日行こうとしていた場所にいる彼女のことを思い出す。
友達というのは多ければいいって訳じゃないかもしれないけれど、私が彼女に紹介するくらいなら大丈夫ではないだろうか。
そう考えたアイリは、せっかくなのでと二人に提案する。
「それなら、丁度行く場所があるから、二人も一緒に来てほしいんだ」
「もちろんいいけど、どこに行くの?」
「昨日行った噴水の広場は覚えてる?二人と別れた後にその場所である子と出会って、仲良くなったんだ。
今日も会う予定をしてたんだけど、もし来てくれたら二人とも仲良くなれないかなって…」
- 27124/12/27(金) 22:02:52
「へぇ…どんな子なの?」
「えっと…結構不思議な子って感じ?時々難しいことを言うけど、優しくて面白い子だよ」
「ふーん、ちょっと興味あるかも。じゃ、行ってみよっか」
「うん!」
カズサとヨシミから了承を得たアイリは、噴水の広場へ向けて足を進めていった。
噴水の広場に到着したアイリを、例のベンチの近くでドーは快く迎えてくれた。
「やあやあアイリ、待ってたよ。…ん?そっちの二人は?」
首を傾げたドーに、アイリは自分の友達であることを説明する。
「えっと、私の友達。こっちの金髪の子がヨシミちゃんで、こっちの黒髪の子がカズサちゃん。
良ければ、私を通して友達になれないかなって…」
アイリが二人を紹介しようとした矢先──
彼女以外の全員が、複雑そうな顔を浮かべていた。
- 28124/12/27(金) 22:03:29
- 29二次元好きの匿名さん24/12/27(金) 22:04:49
ナツが無いからドーの穴なんだろうか…
- 30二次元好きの匿名さん24/12/28(土) 08:08:59
ナツだけ別次元にいる?
- 31124/12/28(土) 08:31:42
静寂が、全員の間に流れた。
アイリにとって、その言葉が脳内で理解するまでになるには、少しばかり時間が必要だった。
それでも最終的に呑み込んだ内容から、彼女の中で最初に起きたのは感情の錯乱だった。
「…誰も、いない?」
「うん…アイリ。私にもそう見えてる。そこには、誰も居ないんだ」
側にいたカズサもヨシミの言葉に同意する。それが意味するのは、本来であればありえないはずの現象だった。
「…そんな…じゃあ」
アイリの視界には三人。カズサとヨシミの視界には二人。
瞳に映る人数の差が埋まらないまま、アイリは愕然とした。
二人が嘘をついているとは思えない。恐らく、二人にとってはそれが真実だ。
では、アイリの真実は。彼女の瞳に映っている光景は一体何なのか。
「…私にしか、ドーちゃんは見えていない…?」
視線が泳ぎ、安定しなくなっていくアイリに、ドーが躊躇い気味に答える。
「ごめんね、アイリ。昨日、もし君に話したら逃げられちゃうんじゃないかと怖くなって、話さなかったことがあるんだ」
- 32124/12/28(土) 08:33:47
「どういう、こと?」
ドーは、口にするのも憚られるとばかりに内に秘めていたその事実を、恐々としながらもアイリに告白した。
「私は人間じゃない。本当なら誰にも見えないはずの、実体のない意識だけの概念みたいなものなんだと思う。
分かりやすく言えば──幽霊みたいなものだ」
それはまさしく──昨日彼女と話した内容そのもの。
ドーは──”ある”のに”ない”、認識のしようがないはずの存在だったということだった。
そういえば昨日、彼女は泣き出す直前に微かだがこう言っていた。
────「君には、私が見えるのかい?」と。
「…嘘」
アイリが肩から下げていたバッグが、音を立てて地面に転がる。
「じゃあ、どうして──なんで私にだけ、ドーちゃんが見えているの」
震える唇から零れた疑問に対して、ドーもまた困ったように目線をそらす。
「それは…私にも分からない。私のことを認識したのは、アイリが初めてだったんだ。
正直、私も誰にも気づいてもらえないんだってずっと思ってたから。
だから──私は嬉しくて。自分が人間じゃないって、気づかれたくなくて黙っていたんだ」
- 33124/12/28(土) 08:35:30
「……ッ」
今の現状を否定したくなる。疑って、本当は違うと叫びたくなる。
アイリは奥底の本能が働きかけたのか、ドーに恐る恐る手を伸ばしていく。
彼女たちの手が、触れ合うように重なる瞬間。
アイリの手は、彼女の手をするりとすり抜けた。
実体があるはずと証明したかったはずのその行動が──皮肉にも、実体がないことを証明してしまった。
「……!?」
アイリは──呆然としてしまった。
昨日話したばかりの人が、実は自分以外の誰にも見えないということ。
二人で話していた、空想を肯定しても良いんじゃないかという話を何故彼女がしたかったのか、そこでようやく理解した。
彼女自身が──一種の空想であり、肯定されることを望んでいたのだ。
気まずい雰囲気に包まれた広場の中、その沈黙を最初に破ったのはカズサだった。
「…取り合えず、まずは落ち着こう。そこにベンチもあるし、一旦状況を整理しよっか」
「…うん」
「そうね…」
- 34124/12/28(土) 09:04:52
席に三人で座ると、ドーはその近くでベンチに寄りかかる感じで立っていた。
アイリとしては彼女の分のスペースを確保してあげたかったのだが、ドーの方からそれを断られた。
「無理にしなくていい、アイリ。元々、そのスペースは実体を持つ君らの為のものだ」
そう返事をして立ったままの彼女に、アイリは歯痒さを感じてしまう。
「…さて。じゃ、一先ず整理しよう」
そんなアイリを横目で見ながら、カズサが話を進めてくれる。
「昨日私たちがいなくなった後、アイリはここでそのドーっていう子と会った。それで仲良くなるまでに至って、今日また会う約束をしていた。
そして、その子と私たちが仲良くなれると思って、約束の場所に私たちも誘った。
…だけど、実際に来て分かったことは、アイリにしかその子が見えないし、声もアイリにしか聞こえないってこと。
あと、さっきのアイリの動きを見た感じ、多分触ることもできなかったんだよね?」
「そう、だね…」
「アイリから見て、その子はまだ近くにいるのよね?」
「うん、近くにまだ立ってる」
「うーん…何というか意味不明な状態ね…」
両腕を組んで頭を捻るヨシミの側で、カズサは更にアイリに質問する。
- 35124/12/28(土) 09:06:36
「他に何かその子から聞いてる?住所とか、どこの学校とか」
「それが…実は”ドー”っていう名前もその時適当に決めたようなものみたいで…本当は、何も覚えてないみたいなの」
「え、それって記憶喪失じゃないの?アイリもちょっと前にそんな風になってたけど」
「うん、そうなんだ。だから、妙に親近感があったのかも」
「そうなると、ますますもって誰か分からないじゃない…」
「あ、でもトリニティの制服を着てるから、私たちと同じ学校に来てたのは確かだと思う。
見た目は…ピンク色の髪をしてて、ふわっとした雰囲気をしてる」
「そっか…分かった。一先ずありがとう、アイリ。
じゃ、話を進める前に──」
そうして一つ息を吐き、目を閉じたカズサは──座っていたベンチに余白を作ろうと、ヨシミの方へと寄っていく。
「え、ちょ、カズサ!?」
「ヨシミ、もう少し寄せないと。じゃないと──
そのドーって子が座れないでしょ」
- 36124/12/28(土) 09:08:17
「「え?」」
アイリとドーが、その言葉に同時にあっけにとられる。
ヨシミはと言えば、最初こそ寄ってきたカズサに何事かと動揺していたが、その言葉を聞くと大した事なさそうに受け止めた。
「…あ、そういうことね」
そして、二人してベンチに一人分の余白を作り出した。
見たり聞いたり、果てには触ることもできない認識外の子のために。
彼女達は、さも当然のように席を空けたのだ。
「あの、カズサちゃん、ヨシミちゃん…」
「ん?」
「どしたのアイリ」
「その子がいるってこと…信じてくれるの?」
アイリのその問いかけに、二人はキョトンとした顔をした後、当たり前のように答える。
「そりゃ…まぁ」
「そうだけど?」
「…………」
正直、今二人がやっている事は異常に見えても可笑しくない。
そこに本当にいるかも分からない存在を、いとも容易く彼女達は受け止め、それを前提として動いたのだから。
「ど、どうして?私が嘘をついてるとか、からかってるとか…」
- 37124/12/28(土) 09:10:14
そこまで言いかけたアイリに、二人は同時に大きな溜息をついた。
「あのね、アイリ…あんたがそういう事を言う子じゃないって分からないほど、私達バカじゃないわよ」
「そっ。アイリがいるって言うなら、そこにいるんでしょ?まぁ、ヨシミだったら疑ったけど」
「は!?」
「アイリが私達に嘘を言ったり、からかったりしたことはなかったし。
だとすれば…きっと何かしらの原因があるのかも。
前にも空が赤くなって大騒ぎになったことがあるから、存外何が起きても否定できないんだよね」
そんな二人の返答が予想外だったのか、アイリとドーは二人して暫く固まっていたが、次第に顔を見合わせ、思わず笑みを零した。
「ふふっ…」
「ちょっ、アイリ!そこで笑うのは酷いわよ!?」
「あ、ごめん…正直信じてもらえるとは思ってなかったから、嬉しくてつい…」
「当然でしょ、友達だもの。
さて──ドー、だっけ?取り敢えず座りなよ。
まぁ、私とヨシミにはあんたがいるのが見えないんだけど…」
そうぶっきらぼうに言いながら、カズサが空いたスペースを手で軽くトントンと叩く。
ドーはカズサの仕草に微笑みつつ、そのスペースに腰を掛けた。
「──アイリ。君はやはり愛されているんだろうね。良き友を得ているようだ。
それにしても、本当の意味で”幽霊部員”になってしまうとは…これには私も予想外だ」
「”幽霊部員”って…自分から言っちゃうんだね…」
「え、ドーがそう言ってるの?自虐ネタじゃないそれ?」
「…なんか思った以上にユーモラスだね、そいつ」
- 38124/12/28(土) 09:11:38
かくして放課後スイーツ部には、幻の4人目である”幽霊部員”が新たに加入した。
アイリを通してドーの発言を聞けば聞くほど、カズサとヨシミにはよりこの事態の信憑性が増していくのがわかった。
というのもこのドーという子なのだが、口調や考え方、態度がとにかくクセが強いのだ。
空想やロマンを語る哲学的な一面があるかと思えば、あからさまにこちらをからかってくるお調子者のような時もある。
そのからかいをアイリから聞く度に二人は苛ついて「こいつぶん殴ったろうかな…」とできもしないことでキレるものだから、騒がしいことこの上なかった。
しかし面白いことに、アイリからするとこの四人の時、全体のバランスが絶妙に噛み合っているようにも感じた。
いつもなら事あるごとにカズサとヨシミは口喧嘩が始まるのだが、なんだか彼女がいるとその喧嘩の矛先が上手いこと彼女に向き、そしてギスギスとした空気にならないように逃させているように見える。
まるで苦味辛味をうまく中和し、穏やかにしてくれるミルクみたいに。
「ふぅ…聞けば聞くほど変なやつね…正直どつけないのが腹立つわ」
「全く。いつか実体で出てきたら覚えてなよ、多分そこにいるあんた…」
「おぉ〜、怖い怖い。いやはや、概念でいるのも悪いことばかりじゃないね」
「あはは…あんまり言うとあとが怖いよ、ドーちゃん…」
- 39124/12/28(土) 09:45:03
そうして気がつけば、持ち寄ったスイーツ入りの紙袋は底をつき、夕日も見え始めた頃になっていた。
「さすがにそろそろ帰ろっか…そういえば、アイリは昨日もドーとここで会ったんだよね。普段はどこにいるの?」
「そういえば…ドーちゃんは帰る場所ってどこなの?」
しかし彼女は、首を横に振ってその質問を否定する。
「私はどうやら、ここから出られないらしい」
「出られない?」
「無理にここから出ようとすれば、私の体は透け始めるんだ。
おそらく、この広場から出れば──私はきっと消えてなくなる。そんな予感がある」
残念ながらと肩をすくめたドーの浮かべた笑みは、アイリから見るとどこか作り笑いのようにも見えた。
「そう、なんだ…カズサちゃん。ここからは出られないんだって」
「…そっか」
自分の行きたい場所に自由に行けず、広場の中で誰にも見つけて貰えないまま一人ぼっち──どれだけ寂しくて辛いものだろうかとアイリはふと想像し、胸の奥が縮むような恐怖を覚えた。
- 40124/12/28(土) 09:46:53
それを察したのか──ドーはアイリを気遣ってか、ふっとため息をつく。
「やれやれ、アイリ。君はどこにもいないであろう”私”の為に哀しんでくれるのかい?
”悲観主義者は穴を見る”なんて誰かが言ったみたいだけど…君は本当に心のそこから優しいんだね」
「だって…私にとってあなたはいるって思えるから。もし自分がそうだったらって考えたらとても怖くなる。
二人はどうかな…?」
側にいる二人にそのことを話すと、先ほどとは打って変わってバツの悪い顔になった。
「そうね…もし自分がそうなったら流石に辛いと思うわ。カズサ、あんたなら耐えられる?」
「無理だと思う。最初はなんとかできてても、そのうち人肌が恋しくなってアウト」
「だよね…」
四人の間に、どこか陰鬱とした雰囲気が漂い始める。それでもアイリはなんとか元気を出そうと呼びかけようとした。
「でも、ここに私達が来ればまた会えるよ。だから、また待ってて──」
- 41124/12/28(土) 09:47:37
- 42124/12/28(土) 09:48:48
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「 、常々思うけど、あんたのその発想力ってどっから出てくるの?
ま、聞いてて飽きないから別にいいんだけど」
「ふっふっふ…ヨシミ。大事なのは何を見るかじゃない。
どう見るかなのだよ。視点一つで、全てのものはあり方を大きく変える」
彼女はヨシミに半ば教師のごとく講釈を垂れる。側で聞いていたカズサが、それをジト目で眺めている。
「んー…でもあんたの持つその視点ってやつが、私達には難しいんだけど…」
「まぁそうかもしれない。私も言ってみただけだしね」
「思った以上に適当だったわ」
するとそこで、隣で”私”がその視点について提案する。
「それなら、 ちゃんが何かお題を出して、それを皆で考えるのはどう?」
「へぇ、それはちょっとありなんじゃない。ちょうど暇だし。 、なんかないの?」
「うーむ…急に言われると出てこないよ」
そうして暫く考えていた彼女は、やがてひとつ思いついたワードを口にする。
「じゃあそうだね…ホットチョコレートの如く、熱くて甘〜いもの…
“友情”なんてどう?」
- 43124/12/28(土) 09:50:38
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「アイリ、大丈夫!?聞こえる!?」
「ちょっと、これまずいんじゃないの!?」
意識が再び覚醒する。僅かな時間、アイリは自分が強い睡魔に襲われていたのだと自覚する。
カズサとヨシミに抱きかかえられている状態から、彼女は淀んだ意識の中からなんとか立ち上がる。
そこで、アイリはドーを──”私”は”彼女”を見ていた。
「……ドーちゃん」
「…どうしたの、アイリ」
自分のことを不安げに見つめていたドーに対し、アイリは乾いて掠れ切った口をなんとか湿らせ、言葉を紡ぐ。
「私達──前に会ったこと、ある…?」
「…?」
「アイリ?」
「どうしたのよ、急に…」
側の二人に手を借りながら、アイリは自分が見ていた夢について想起する。
夢の中にあった記憶の持ち主──その正体について、彼女は大方確信がついていた。
「私、今さっき見たんだ──ドーちゃんの記憶を。
”本当の名前”で呼ばれてた、あなたと私達が一緒にいる記憶を」
- 44二次元好きの匿名さん24/12/28(土) 18:13:53
(愉しく読ませていただいてます…)
- 45124/12/28(土) 19:10:54
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「「夢の中の記憶で、知らない誰かが私達と一緒に話してたァ!?」」
アイリが最近見ている夢の出来事を話した途端、二人は素っ頓狂な声を上げる。
それもそうだろう。カズサもヨシミも、そんな過去の記憶を微塵たりとも経験した覚えはないのだから。
「それで、その知らない誰かの口調や振る舞いが、今アイリの見ているドーっていう子と酷似していると…つまり、夢の中でアイリが見た記憶の持ち主がドーだってアイリは考えてるってこと?」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!他人の記憶を夢の中で見るなんてことが起きるの!?
そもそも、私はそんな風に話してたっていう心当たりがないし…」
「ましてや、こっちはその持ち主を認識すらできていないというね。
まるで、夢と現実の合間が無くなっているような感覚を覚えるんだけど」
こうなると、どうにも偶然とは思えない。一方で、この現象を簡単に否定する気にもなれない。
「でも、アイリが見てる幻にしては…ちょっとドーのキャラが濃すぎるよね。いやまぁ、疑うつもりは無いんだけど…」
「ってことは、──記憶を無くしているのは、アイリやドーだけじゃなくて…」
「…ドーちゃんに関わってる全ての人から、関連する記憶が無くなっている…?」
- 46124/12/28(土) 19:12:18
「──そして私は、自分自身の記憶も名前も失い、人ではない名もなき概念となり果てている」
そこで全員が、姿なき彼女も含めて顔を見合わせていた。
この不可思議な全ての事柄は──きっと一つに繋がるものであると。
そういう予感が全員の中に芽生えていた。
もし──ドーは元々は人間で。
三人に本当の名前で呼ばれていた友達で。
それが何かのきっかけで──彼女だけが記憶から消し去られたのだとしたら。
アイリだけが見えている状況は、そのきっかけの時に同時に起きた異常事態からなのではないかと。
「・・・こんなことってあるの?」
「アイリの言うことを信じるなら、目の前にあるんだと思う」
「…本当なら、私の見間違いって言われてもおかしくないけど…」
- 47124/12/28(土) 19:14:49
アイリは、側にいたドーを見る。自分の存在が何であるのか見失いつつあり、怯えた表情になりつつあるドーにアイリは安心させるようににこりと笑う。
「アイリ、私は…」
「大丈夫。私は私の友達を──否定したくない」
「分からないことばかりだけど…私は、ドーちゃんが本当は私たちの友達だったことを信じる。
きっと本当の名前があって、私たちにその名前で呼ばれていたことも。
だって…誰にも見えない概念だなんて思えないほど、ドーちゃんは生きているように見えるもの」
「アイリ…」
「それに──
“ない”ように見えるだけで、”ある”ものだって存在する。
ドーちゃん自身が言っていたそれは──きっと嘘じゃない」
「──こういう時、うちの部長はカッコイイんだから」
「本当。惚れ惚れしちゃうわよね~」
「ふ、二人とも、私は部長じゃないって…」
カズサとヨシミが後方理解者面をしながら頷くのに慌てるアイリだったが、実際アイリの存在はそこにいるはずであろう誰かにとって、何よりも心強かったのかもしれない。
- 48二次元好きの匿名さん24/12/28(土) 19:16:13
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- 49124/12/28(土) 19:19:14
「…もし、アイリの言う通りだというのなら。私はみんなと友達だった時の本当の名前を持つ私になりたい。
本当の名前で私のことを呼んでほしい。
それが──今一番ほしいロマンだ」
「…わかった」
ドーのその願望を聞き届けたアイリが、それを断るはずもなかった。
「見つけるよ、ドーちゃんの本当の名前。そしてあなたを人間へと戻して見せる。
それが、友達である私にできることだから」
「…そこは”私達”って呼んでほしいかな、アイリ」
「そうよ、二人だけで話進めないでよね」
「あはは…ごめん。それじゃ、カズサちゃん、ヨシミちゃん。
正直方法も当てもないことだけど…手伝ってもらっていいかな?」
「もちろん」
「仰せのままに、ってね」
「…ありがとね、三人とも」
それが、放課後スイーツ部が交わした、彼女たちの無謀ともいえる挑戦の合図。
手がかりは、きっかけとなった噴水の広場。アイリから見える彼女の特徴。
そして、ドー自身が持っていたと思わしき記憶。
数多の謎を抱えながらも、”ない”を”ある”へと変えるために彼女たちは動き始めた。
- 50124/12/28(土) 19:41:36
一先ず、ドーの姿と本人の記憶が分かるアイリはそれを元に聞き込みを、カズサとヨシミは例の噴水の広場やトリニティ総合学園の生徒名簿などを調べることにした。
アイリが見た記憶の中には、自分たち”四人”が入った店や会った人物などがいる。その中に、アイリと同じくドーを知っている例外がいないかと考えたのだ。
噴水の広場に関しては、彼女が滞在せざるを得ない場所という関連からであり、生徒名簿に関しては制服からトリニティの生徒ということが分かっているため、照らし合わせることが可能だ。
しかしながら、その結果は──
「聞き込みに関しては空振り、かぁ…」
「まぁ、誰にも見えない幽霊みたいな子って言って知ってる方が逆におかしいわよね…」
約束をしてから三日後。アイリ、ヨシミ、カズサが集まったカフェの一画。
情報交換の場では、アイリがやるせなくテーブルに突っ伏していた。
特に大した収穫が無かったのは一目瞭然だろう。
- 51124/12/28(土) 19:43:58
「噴水の広場に関してはどうだったの?」
「前に聞いてた、”体が重くなる”っていう噂以外は特に変なことは無かったわ。
生憎、監視カメラとかもついてなかった場所だったから」
「……ちょっと待って」
その噂をヨシミが口にした段階で、カズサはケーキを刺すために持っていたフォークの手を止める。
「その”体が重くなる”っていう噂だけど…私たち、それって遇ったっけ?」
「…そういえば遇ってないわね…」
記憶を振り返ってみると、確かに最初にそこにやってきたのはその噂がきっかけだった。
にもかかわらず、全員そこに来る際に噂の現象に見舞われた事は未だ無い。
「もしかして、原因がドーだったからとか?そのことって聞いたりした?」
「えっとね、聞いてみたけど『私は特に関与してないよ』って…」
「じゃあ、噂の現象が私たちに起きなかった理由は、ドーじゃない別の要因ってことになるわね」
- 52124/12/28(土) 19:45:38
「でも、完全に無関係ってこともないかもしれないし、一応追ってみてもいいかも」
「そうね…カズサの方はどう?生徒名簿のチェックしてみて何か分かった?」
ヨシミがカズサの方に促すと、そちらも頭を横に振る。
「こっちもダメ。学校の生徒名簿を見せて貰ったけど、そのドーっていう子の姿や特徴を持った子はいなかったよ。
名前が違うから照合もできなかったし」
「うーん…難しいね」
「写真とかあればなぁ…せめて顔とか立ち絵が分かると人にも聞きやすくなりそうだけどね」
「アイリ、ちょっと似顔絵とか描けたりしない?」
「え?そ、そんなにうまく描けるかな…」
「やらないよりはましじゃない?ほら、今度広場に行ったときにでもモデルを頼んでさ」
「…分かった、できる限りやってみるね」
するとそこで、カフェの入り口のドアが開く。
入ってきた二人の生徒の片割れを見て、カズサが意外そうな反応を示した。
「あれ、宇沢じゃん」
- 53124/12/28(土) 20:00:55
入ってきた生徒達の正体は、トリニティ自警団の宇沢レイサと守月スズミだった。
カフェの中の一席に座っていたカズサを見ると、レイサはびっくり仰天といった感じに声を張り上げてしまった。
「きょ、杏山カズサ!?どうしてここに!?」
「レイサさん、店内ではお静かにお願いします」
「す、すみません…」
側にいたスズミがレイサを注意しつつ、座っていた放課後スイーツ部の面々に気兼ねなく話しかけてきた。
「こんにちは、皆さん。今は休憩中ですか?」
「どうも、スズミさん。ちょっとした会議って所ですね」
「会議?何か、お悩み事でもあったんですか?」
レイサが興味津々の様子になっていることを、ヨシミがなんとなく察する。
そこで何かを思いついたらしく、アイリの方をちらっと見た。
- 54124/12/28(土) 20:02:05
「ま、そんなところ。アイリ、せっかくだし話してみたら?この際人手は多いに越したことはないでしょ?
自警団の二人なら私たちのことも知ってるし、思い切りも時には必要って感じで」
「そ、そうかな?じゃあ…大分不思議な話だと思うかもだけど…」
「アイリさんにしか姿が見えない、幽霊みたいな子がいる!?」
「しかも、その人の本当の名前と人間への戻し方を探していると…」
当然の如く、二人とも最初に聞いたときには意味をすぐには理解できず、なんとも微妙な顔つきになった。
「そ、それっていわゆる怪奇現象ってやつじゃないですか…!?」
「そんな感じ。ま、その本人が自分のことをうちの部の『幽霊部員』って言ったりするらしいけど」
「自分から言うんですね、それ…」
「アイリも同じこと言ってたわよ」
「はは…二人から見ても、やっぱりおかしい話に聞こえるよね」
「それはまぁ、そうですが…私から見ても、皆さんがからかっているようには見えません」
「もしかして、何か理由があるのでしょうか?」
- 55124/12/28(土) 20:03:55
レイサとスズミが重ねて聞いてきたので、アイリは自身の夢のことを打ち明けた。
「うん。実は…私たち、本当はその子とずっと一緒にいたんじゃないかって。
最近、その子の持っていたらしい記憶を夢の中で見るんだ」
「夢の中でですか!?」
「しかもアイリが言うには、私もカズサもその子を本当の名前で呼んでいたらしいのよね」
「まぁ、その名前のところだけ空白になっているらしいんだけど。おまけに、そんなことをした覚えはないし」
「──待ってください。それはつまり、夢の中のその記憶が本物と仮定したうえで、皆さんは動いていて──」
「杏山カズサやヨシミさん──私たちさえも含めて、その子のことをみんなが忘れているってことですか!?」
「うん。今の私たちは、そう考えているのかも」
「あ、頭が痛くなってきました…」
話のスケールが一段階上のレベルだったこともあり、レイサの脳は情報量のパンクに耐え切れず若干ショートしかけている。
- 56二次元好きの匿名さん24/12/28(土) 20:19:12
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- 57124/12/28(土) 20:21:06
- 58124/12/28(土) 20:26:17
アイリが二人に問いかけると、スズミとレイサは少し間をおいた後にそれに答えてくれる。
「人々の悩みに寄り添い、助けになるのが自警団の務めだと思いますから。それに──」
「他ならない友達のアイリさんのお悩みですからね!なら、動かない理由なんてありません!
お、お化けはちょっと怖いですけど…」
「だってさ、アイリ」
「ほらね、話して正解だったでしょ?」
「…そっか」
アイリはそこで改めて自覚する。自分はきっと、自分自身が思っている以上に周囲から信頼されているのかもしれないのだと。
例えどんなに信じがたい話であろうと、彼女たちは疑わずに信じて動いてくれるのだと。
それは──彼女自身が気づかずとも、普段から積み上げてきた”人望”が齎した結果の一つだった。
「…そうだね。ありがとう、二人とも!」
「いえ、お気になさらず。私たちにも力にならせてください」
そこでスズミは、スマートフォンでトリニティ自治区とシラトリ区内にある、その噴水近くのマップを拡大表示する。
- 59124/12/28(土) 20:27:44
「とりあえず、アイリさんと同じく彼女を見たことがある人がいないか探してみます。
自警団として各地を回った関係で、知り合った人に当たることは可能でしょう。
足を使うことならばお任せください」
「となれば、分担して回った方が効率的かもしれませんね!」
「そうですね。では、レイサさんは西の地区を。私は東の地区に行ってみます」
「はい、お任せください!」
「そしたら、北と南は、私とカズサでそれぞれ別れてやる感じ?」
「うん、それでいけると思う。アイリはどうする?」
「私は、カズサちゃんの見ていた生徒名簿を見てみるね。
実際の姿を知ってる私だと、はっきり確かめられると思うから」
「じゃ、そこは私と立ち位置の交代か。一応ってこともあるから、入念にやっておいていいと思う」
「分かった。よし…それじゃみんな」
「どうか、よろしくお願いします!」
アイリのお願いに全員が頷いた後、カフェから出て解散した一行は、各々の担当する役目を果たそうと動き始めた。
- 60124/12/28(土) 20:50:17
─────────────────────────────────────────────────────
それから一週間が経った頃。
「やぁ、アイリ、お疲れ様」
「こんばんは、ドーちゃん」
もうすぐ夜になる日暮れの景色の中、アイリはその日も噴水の広場へとやってきていた。
ここ一週間、アイリはずっとこの噴水へと通い詰め、少しでもドーが寂しくないようにとアイリなりに会い続けていた。
「すっかり暗くなっちゃったけど…大丈夫かい?」
「大丈夫、この時間までなら平気だよ」
「そっか、それならいいけど」
広場に立てられていた街灯が、徐々に瞼を開いていく。
灯されたその視界に晒されて、アイリは眩みそうな目を思わず手で遮った。
「今日はどうだったの?」
「…ごめん、今日も特には」
「まぁ、そう簡単にはいかないだろうね~」
- 61124/12/28(土) 20:51:05
レイサやスズミも含めた協力体制の元、ドーの名前や正体などを突き止めようと動き続けていた放課後スイーツ部一向だが、一週間くまなく探しても効果は無かった。
ちなみに、アイリが描いてみた似顔絵に関しては四人とも心当たりはなく、アイリは半分は自分の絵が下手だったからではないかと内心がっくりしていた。
「アイリの似顔絵は上手かったと思うけど。私の個性的な見た目をよく捉えていたし」
「そ、そうだったかなぁ…」
「うむ。あまり気に病むと体に毒だよ」
被写体であったはずの本人にフォローをされてしまい、これにはアイリも思わず苦笑いをしてしまう。
一方の彼女は、暗に支配されていく夜の傍に浮かぶ月を、ぼんやりと眺めていた。
「とはいえ、思った通り厄介だね。アイリは疲れてない?
せっかちにならず、ゆとりを持ってやってね。休憩のご褒美タイムは大事だよ〜?」
- 62124/12/28(土) 20:52:42
「あ、ありがとう。でも大丈夫だよ。まだまだこれからだと思うしね!」
ドーの気遣いに応えるかの如く、アイリはグッと両手の拳を握ってみせた。
それをみて、ドーは思わず「おぉ〜」と感嘆の声を漏らす。
「アイリは強い子だねぇ。よしよし、本当に休みたくなったらいつでもここに来たまえ。
例え私が君に触れられなくとも、確かな温もりを与えてみせよう」
「ふふ、その時は頼らせて貰っちゃおうかな!」
「にへへ」
どこか大胆不敵に胸を張ったドーに、アイリはほんの少しだけ勇気を貰った気がした。
やはり、こんなにも感情豊かで気配りが利く子がいないだなんて到底思えないし、思いたくもない。
「因みに、今の所は他に何か策はあるの?」
「実は明日、シャーレの先生に相談してみようと思うんだ」
- 63124/12/28(土) 21:09:52
「シャーレ?先生?」
その二つのワードに、ドーは心当たりが無いようだ。以前の彼女であれば、どこかで彼とは顔を合わせていてもおかしくはないのだが、その記憶も失われてしまったのだろうか。
「えっとね、いろんな学校の生徒からの要望に応えて助けてくれる、大人の先生がいるの。
あの人ならきっと、この問題を解決する糸口を見つけてくれるかもって」
「ほう…そんな人が。でも、最初からその人に頼らなかったのには訳があるのかね?」
「あはは…先生はいつも忙しそうにしててね。
言った通り、あちこちの生徒さんのところに行くから、この話をしに行くにも流石に気が引けちゃって。
もし頼むなら、私たちのできる限りのことをしてからにしたかったんだ」
「あくまで最後の頼みの綱として、か。律儀だねぇ」
最も、先生に話せばきっとこの話を真剣に聞いてくれるという確証が、アイリにはあった。
その上で、彼女は彼女なりに、ただ頼りきりになるのは嫌だったのだろう。
- 64124/12/28(土) 21:12:54
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失った左腕の残った部分を、反射的にアイリは爪が食い込むほどに握りしめる。
絶え間なく襲いくる神経からの信号が、脳にその危険性をこれでもかと訴えかけてくる。
「う──ッ──あぁ──あああ───」
「アイリッ!!!」
顔面を蒼白にしたドーが、慌てて駆け寄ってくる。
しかし彼女は──失われた左腕を見た瞬間、ピタリと動きを止めてしまう。
「アイ、リ…?」
「…ッ…ドーちゃん、どう、したの───」
同じく左腕に視線を向け──アイリは絶句する。
「───え」
左腕は、まるで鋭利な刃物に削ぎ落とされたかのように、綺麗さっぱりなくなっていた。
だが、命を繋ぎ止める役割を果たしてくれる、貴重な血液が流れ出すことはなく。
代わりにそこには──白く光る”穴”がぽっかりと虚を晒していた。
- 68124/12/28(土) 21:32:56
「血が、でない…?それにこの穴は…?」
自身が受けた傷の不可解な点を確かめようと、アイリは元凶が通り過ぎた先を垣間見た。
「──何か、いる──」
そこにいたのは───一言で言うならば”管”だった。
光さえも吸い込んでしまいそうな程に黒く、人の身長をゆうに超える大きさの深い穴。
その穴を先端に侍らせた、ガラスのように透明で蛇の如く長く巨大な管。
反射する光によって、その輪郭が微かに追えている状態だった。
そんな得体の知れないチューブのような奇妙な存在は、全身を蛇行してくねらせながら、広場の中を這いずり回っていた。
脳が理解を拒んでいる。あれは理解してはいけない、知ってはいけない。
そういう類のものではないのかと──理性が必死になって本能に叫んでいた。
「────走るんだ!!!」
「!!!」
その命令が足に伝わるや否や──ほぼ同時に二人は走り出した。
- 69124/12/28(土) 21:34:19
広場の外に向けて、一目散に、がむしゃらに。
肺はいつもより多く酸素を求め、怯えて竦んだ爪先を無理やりに前へと押し進める。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!!!」
後ろに目を配る余裕はない。ただ今は、この身に降りかかった危機から逃れる事だけが頭にあった。
しかし、並走して広場の外へと逃れようとした二人には──やがて、徐々に差がつき始めていた。
「!?」
変化が現れたのは──ドーの方だった。
「ドーちゃん!?」
「ハァッ、ハァッ…やっぱり、こうなる、か──」
彼女の足の歩幅が、数センチずつ狭まっていく。
その体は不透明度を失っていき、アイリはドーが本当に幽霊になっていく様を見せつけられている気がした。
やがて二人は──広場の外と中を分ける、円形状の広場の外周で区切られたように隔たれていた。
- 70124/12/28(土) 21:35:24
「早く──ドーちゃん、こっちへ!!!」
円周の外から、アイリは残った右手でドーを掴もうとする。
しかしその右手は彼女に触れる事なく、そこでドーは力なく膝を折って前かがみになっていた。
「無理だ、アイリ──私はここから出られない」
「そんな、駄目だよ──このままじゃ!」
ふと、ドーをみるために振り返ったアイリが顔を正面へと向けた瞬間、すぐそこに”それ”が迫っていた。
「後少し、ほら、すぐそこだから──ねぇ、お願い──お願いだよ……早く…」
大きく空いた穴が、コチラを覗き込むようにゆっくりと迫る。その先は、誰にも見えないはずのドーを定めていた。
そして上から捕食するかの如く、大きく空いた先端の穴を彼女の上空へと置いた。
アイリはそれを自らの手で邪魔する事などできはしないのだと悟ってしまった。
- 71124/12/28(土) 21:36:28
- 72124/12/28(土) 21:38:05
「約、束…?」
「うん。もしできるなら──私とアイリのロマンを、忘れないであげて。
それがきっと、いつかアイリを助けてくれるから」
「ドー、ちゃん…」
「…ここでお別れだ。私を見つけてくれてありがとう。本当に…嬉しかった。
それじゃ──バイバイ、アイリ」
その言葉を最後に──彼女とアイリの右手を、”それ”が呑み込んだ。
「あ、あぁ────────────」
透明な管の怪物は、目的を果たすとそのまま地面から地中へとすり抜けながら進んでいき──最後には、どこにもいなくなった。
「…………」
伽藍堂になった暗い噴水の広場の端で、虚ろな瞳のままに揺蕩っていたアイリは──
そのままあっけなく、意識を手放してしまった。
- 73124/12/28(土) 21:54:10
─────────────────────────────────────────────────────
「どうして、こんなことになったの──」
「分からない…そもそもアイリはなんであそこで倒れて──」
ぼんやりと、聞きなじんだ声が鼓膜に響く。だが、その声が誰のものだったかすぐに思い至らない。
(この声…誰だっけ…そもそも、私はどうしたんだろう…?)
「カズサ、アイリから何か聞いてた?」
「特には…でも、ここの所よくそこに通っていたのは知ってるけど」
徐々に意識が覚醒していく。と同時に、自身に起こった出来事が脳内で鮮明に蘇っていく。
(確か──広場で何かに襲われて── ちゃんがそれに飲み込まれて──)
「…ッ!!!」
途端に、意識が急激に引き戻される。
反射的に上体が起き上がり、アイリは自身がどこかで横たわっていたことに気づいた。
空いた瞼に天井の照明の光が突き刺さり、眩しさに目を細める。
その細めた視界の中に、近くで会話をしていた二人が瞬く間に映りこんできた。
- 74124/12/28(土) 21:55:55
「ア、アイリ!?」
「大丈夫、聞こえる!?」
「…カズサちゃん、ヨシミちゃん」
「よ、良かった。一先ずは無事みたいね」
そこで初めて、自分が今病院の一室にいることが分かった。
窓から入ってくる外の日差しから、今はもう朝になっていることが見て取れる。
「私、どうしてたの…?」
「覚えてないの、アイリ?噴水の広場のところで、ぐったりして倒れてたんだよ。
病院の先生が言うには、精神的に大きな負荷が掛かってしまったのが原因って言ってた」
「全く…電話にも出なくて、思わず不安になって必死に探してたんだから…」
「…そうだ、腕が…!!!」
「腕?腕がどうかしたの?」
「どうかしたって、それは──」
削り取られた手のことを思い出し、思わず寒気を覚えながら咄嗟にアイリは両腕を上げる。
そこには──
無くなった筈の腕の部分が、何事もなかったかのように戻っていた。
- 75124/12/28(土) 21:56:59
「──どう、して──」
「アイリ?どうしたの?」
「な、なんか顔色が悪くない…?本当に大丈夫?」
カズサとヨシミが心配しても、耳にうまく入ってこない。
目の前で起きることが次々と更新されては、不可解な事実に上書きされていく。
今や、何が正しくて何が間違っているのか、その区別さえもつかなくなっている。
そして、そこに追い打ちをかけるようにもう一つの変化が訪れてきた。
「わ、分からない…私、噴水の広場で ちゃんと話してたら、何かよく分からないものが出てきて…それで…」
「ご、ごめん、アイリ。ちょっと待ってくれる?うまく聞き取れなくて…」
「え?」
「その子の名前が、聞こえなかったのよ。もう一回言ってみてくれる?」
「う、うん。 ちゃんって子だけど──」
──あれ。
- 76124/12/28(土) 21:58:07
アイリは、自分の出した声を疑った。
その生徒の名前を口にしようとしても、まるで形容しがたい靄のように名前だけが出力されないのだ。
ぶつ切りされて途絶えた音波は空気を伝わっていくことはなく、どこかへと消え去っていく。
(出ない…出てこない。名前が…口に出せない…!?)
「アイリ…?」
「え、えっと…そ、そうだ!一週間くらい前に、噴水の広場で私が会った子だよ!
前に二人に話したから、覚えてるはず…」
ならばと、名前ではなく出来事として、アイリはカズサとヨシミに切羽詰まりながらも問う。
現に二人には、姿こそ見えなくとも紹介はしていたし、その子の為に動こうと決起してくれていたはずだ。
あの事であれば、すぐに二人ともピンときて──
「…ごめん、アイリ。あまり覚えがなくて…ヨシミ、覚えてる?」
「…私にも心当たりがないわ。アイリの紹介なら、覚えてるはずだけど」
- 77124/12/28(土) 21:59:30
- 78124/12/28(土) 22:02:46
- 79二次元好きの匿名さん24/12/28(土) 22:22:03
このレスは削除されています
- 80124/12/28(土) 22:24:53
その後、カズサやヨシミと連絡を取っていたシャーレの先生は駆けつけてくれたものの、その時にはアイリの状態は芳しくなく、とても話せる状態ではなかった。
時々うわ言のように「どうして…なんで、私だけしか…」と繰り返していたのを聞いていたヨシミとカズサも困惑の色を隠せずにいた為、先生はひとまずの状況把握も兼ねて彼女たちのメンタルケアに努めるしかなかった。
しかしながら、二人もこの件に関して心当たりなどなく、もしかして自分たちがどこかで彼女を追いこんでしまったのではないかと意気消沈していたのは言うまでもない。
アイリが倒れてるところを第三者が発見し、救急車で搬送されてから現在に至るまで、つきっきりで側にいたカズサとヨシミの疲労も鑑みて、先生が後を引き継ぐという形で彼女たちは一先ず帰宅する流れとなった。
次の日、昼の正午を過ぎた頃。
休んだこともあって多少ながら回復したアイリは、病室にやってきていた先生にここまで起きていた事柄について話すことにした。
”…そうか”
そこには、アイリにとって唯一といっても差し支えない、ただ一つの可能性に賭けた必死の思いがあった。
「これは、もしかしたらと思ってて…本当は今日シャーレに行って先生と話す予定だったことなのですが…先生は、その子に心当たりはありますか…?」
しかし、その一縷の望みは──叶うことはなかった。
”ごめんね、アイリ。残念だけど──私にも、心当たりはないんだ”
- 81124/12/28(土) 22:26:22
- 82124/12/28(土) 22:27:11
- 83124/12/28(土) 22:57:29
- 84124/12/28(土) 22:58:37
- 85124/12/28(土) 22:59:45
”やっぱりか──プラナ、その子の名前は?”
「はい、その生徒の名前は です」
”…ごめん、うまく聞き取れなかった。もう一回言ってもらっていい?”
「…? という生徒です」
「プ、プラナちゃん…私にも聞こえません!隣で話してるのは分かるのに、何も聞こえません!」
「!?」
”…書くことはできる?”
「…やってみましょう」
アロナがプラナにペンを渡し、彼女がそれを使って文字を書き出す。
その輪郭、動作も含めて判別はできる。なのに──
何と書かれているかが、まるでぼやけてしまうかのように二人には認識できずにいた。
「こ、これは一体どういうことなのでしょうか!?」
「…異常です。この世界にその名前として出力しようとすると、まるで空白ができるかのように認識ができなくなるように変わっています」
- 86124/12/28(土) 23:00:48
まるで、その名前自体が、この世界において認識されることを阻害されているかのように。
別次元にいた”彼女”を知っているプラナ以外、その名前について把握することを許されずにいたのだ。
「せ、先生…彼女は、その生徒さんは一体誰なのでしょうか!?」
”分からない。どうやら、この世界にいる私たちにとって、その子は”ない”ものとして扱われるようになっているみたいだ。
だが──あまりに不自然だ”
「はい。そもそも、”ない”ということが”ある”時点で、それは認識の対象内に含まれる存在の筈です。
その時点で、この現象はそういった認識に関する理から外れているとも言えます」
”…二人とも、もう少しよく調べてくれるかな。この件、どうにも思ったより立て込んでるみたいだ”
- 87124/12/28(土) 23:01:58
「はい!」
「分かりました」
”だけど…なぜアイリだけがその子のことを知っていたんだ…?”
そこで、先生のポケットに入っていたスマートフォンに着信が入る。
開いてみれば、ヨシミからの連絡だった。
”もしもし、ヨシミ?どうしたの?”
「せ、先生!?大変なの、今病院から連絡があって!!!」
”病院から…!?何かあったの!?”
「それが、アイリが──
アイリが病室からいなくなったの!!!」