- 1◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:52:56
※もしもアルダンがダービー後、アルトレが就いていたとしても骨折が避けられなかったとしたら、というif展開のお話です。
こちらの作品は下記作品の続き物となっておりますので、事前にそちらを読まれる事を強く推奨いたします。
今回で完結です。よろしければお付き合いください。
1話目
これからも。よろしくお願いいたしますね、トレーナーさん|あにまん掲示板【割れたガラスは永遠を咲かせる】 5月29日。東京レース場。 ウマ娘であるならば、トレーナーであるならば。誰もが憧れる日本ダービーという特別なレース。 その最後の直線に差し掛かり、スタンドから伝わって…bbs.animanch.com2話目
出来ることは全てやって。その上でこの脚はひび割れてしまうのなら。私はこれ以上何を差し出せばいいんですかっ……|あにまん掲示板※もしもアルダンがダービー後、アルトレが就いていても骨折が避けられなかったとしたらというif展開のお話です。 こちらの作品は下記作品の続きとなっております。事前にそちらを読まれる事を強く推奨いたします…bbs.animanch.com - 2◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:53:15
【光彩のProof】
~Trainer's View~
重い。怠い。熱い。
浅い呼吸では十分な酸素を確保出来ず、息苦しさに身体は冷や汗を流す。
端的に言ってしまえば酷く不快だ。取り敢えずはこのじっとりと纏わりつく汗を拭いたい。
そう思い、重い瞼を開けると……見慣れない、高い天井が目に映った。
「はぁっ、はぁっ……」
ひとまず上体を起こすと、額に置いてあったであろう氷のうが手元に落ちてくる。
周りを見渡すと既に夜なのだろう。
部屋はサイドボードのテーブルランプで軽く照らされてるだけで薄暗く、光の行き届いている範囲から考えてもかなり広い部屋だ。
「どこだ、ここは……」
そんな俺の疑問に答えるように、部屋の扉が開いた。
「トレーナーさん、目を覚まされたのですね」
「……アルダン?」
担当ウマ娘のメジロアルダンが、片手に湯桶とタオルを携えて。
「はい。……覚えておられませんか?」
「いや、アルダンの事は覚えてるけど」
「いえ、そうではなく……」
ああ、ダメだ。寝起きか、身体の怠さからなのさ。頭の回転が異様に鈍い。
アルダンの聞きたい意図を探る前に、先んじて問いを投げ掛けてくれた。 - 3◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:53:26
「ここに運ばれてくるまでの事です。トレーナーさん、トレーナー室で倒れられていたんですよ」
「倒れてた……」
質問に答えてくれながらもタオルをお湯で絞り、身体を拭く準備を整えてくれている。
自分でやろうと思えば出来るだろうが、今はその活力を奪う程度には身体が怠い。
変に強がらずに優しさに甘えることにした。上着を軽く脱ぐと、暖かいタオルが肌を優しく撫で、不快な感触が洗い流されていく。
「はい。それで、一度保健室に運ばせてもらって。主治医に連絡してみたら慌てて来てくださったものですから。診て貰った結果、過労との事でした」
……なるほど。つまり俺は働き過ぎでトレーナー室で倒れていたという事か。なんという間抜けだ。
「熱自体は一時的なものだそうなので、しばらく休めば治るそうです」
「それで、ここは……?」
「メジロのお屋敷のゲストルームです。ここでなら、休養に専念出来るでしょうから」
「別に休むだけなら──」
「また、倒れてしまわれるでしょう?」 - 4◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:53:38
……休むだけなら俺の部屋に帰してくれれば良かったのに。
そう伝えようとしたものの、いつもより圧を感じる言葉で遮られる。
まあここ最近の普段通りの生活をしていればいずれまたこうなる事は自明の理なので、アルダンの言う事はご尤もではあるが。
今の状況を説明してくれている内に身体を拭き終えてくれたらしく、タオルと湯桶を持って立ち上がる。
「何か口にする事は出来そうですか? 夕食の時間は過ぎておりますので、お夜食のようになってしまいますが」
「た、多分。吐き気とか、そういうのはないから」
「はい、分かりました。後ほど持って参りますね。……ああ、それと着替えも。汗を吸った服のまま寝るのは、あまり気分の良いものではないでしょう?」
「ああ。お願い出来るかな……?」
「はい。では、後ほど」
部屋から出るアルダンをボーッと見送り、未だ漫然とした思考が不安をもたらす。
「余計な心配をかけてしまうな……」
心優しい彼女に、要らぬ負担を与えてしまう事に。 - 5◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:54:03
ああ、まただ。また、この夢だ。
(違う、壊したかった訳じゃない……!)
顔の見えない誰かが、ずっと俺を責め立てる。
ばあやさんか、主治医さんか。あるいは彼女のご両親か。もしかしたらメジロ家の子達かもしれない。
お前のせいだ。お前がアルダンの未来を壊した。お前が、担当じゃなければ。
(じゃあどうすれば良かったんだ……!)
指差し詰る彼ら彼女らに、俺は答えを持たない。
(アルダン……俺はただ、君の走りが……)
俺が持っているものは、彼女の担当になりたいと思った時の、純粋な気持ちのみ。
この息苦しさから解放されたい。
ただその一心で、近くで佇んでいた空色の髪をした彼女の元へと這いずり向かい、手を伸ばす。
だがこの夢はいつもここで何者かに手を踏み付けられる。
何も掴めず、そのまま全身を何かに押し潰され、息苦しさで目が覚めるだけだ。
だけど今日は掴めるはずのない、暖かな手のひらを掴んだ。 - 6◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:54:13
~Ardan's View~
トレーナーさんがトレーナー室で倒れているのを発見した時、気が気ではなかった。
すぐに過労による一時的なものと安心して……いえ、あまり安心していいものでもないけれど。
ひとまずは誰かが看病出来る場所に移動出来た事に関してはホッとした。
……ただ。疲れているだけなら休んでもらえばいい。
けれどそうじゃない、別の何かが、今のトレーナーさんにはある気がして。
ちゃんと眠れているかどうか心配で、深夜、少し様子を伺ってみると中から呻くような寝言が聞こえた。
「──っ……、はぁっ……はぁッ……」
悪い夢にうなされているのかもしれない。たまらず近くに駆け寄ると、縋るように手が伸びてきた。
せめて少しでも、夢が安らかなものになれば。その手を包み込み、伝わるかどうかは分からないけれど夢の中の貴方へと声を届ける。
「大丈夫です、トレーナーさん。私は、ここにおりますから」
「──アル、ダン……?」
薄っすらと目が開き、どうやら夢からは醒めたよう。
手元のランタンで少しだけ照らされる顔には冷や汗が浮かび、呼吸も浅く、酷く憔悴して見える。
「……タオルをお持ちしましょうか?」
「しばらく、こうしてもらっていてもいいかな……」
弱々しく。いえ、力いっぱい握っているつもりなのかもしれない。
私を引き留めるように握り返すその手は、私の手を包むには至らない。
呼吸が少し落ち着いたところを見計らって、疑問を投げかける。 - 7◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:54:31
「トレーナーさん……最近はずっと、あのようにうなされて?」
「毎日、ではないよ。でも……月の半分くらいはそうかもしれない」
たまらず、言葉を失った。
「眠れない時に眠ろうとしても仕方ないからね。だからそういう時は仕事をしてたんだけど……このザマだ」
体調管理を疎かにしていたという話ならば、まだいくらか簡単だった。
トレーナーさんには仕事量をセーブしていただく。
不摂生になるなら、しばらくはここで生活をしてもらってもいい。外的要因ならいくらでも取り除ける。
だけど、倒れた原因が内にあるというのなら。私はあまりにも無力だ。
「……怖いんだ。君の脚を、もう一度壊してしまうのが」
怖い。貴方の心が、壊れてしまうのが。
「だけど君が走ることを望んでいるのは、俺が誰よりも知っているから。だからその為には最善を尽くしたい」
けれど貴方が私のトレーナーである事を望んでいるのは、私が一番よく知っている。だからこそ最高の結果を持ち帰りたい。
「……そのはずなのにね。心の何処かで送り出したくない自分もいるんだ。また怪我をさせてしまうかもしれない。次怪我をしてしまえば今後の日常生活にも影響を及ぼしてしまうかもしれない」
そのはずなのに。貴方を傷つけるくらいなら、いっそ走ることを諦めるべきなのかとさえ思ってしまう。
私一人が、分相応な望みで妥協すれば。何も走るだけが、人生の全てではないのだから。
「……君には言うべきじゃなかったのにな。ごめん、忘れて?」 - 8◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:54:43
返す言葉は出せない。忘れる事は、きっと出来ないだろうから。
「ありがとう。少し楽になった。もう夜も遅いでしょ? ごめん、引き留めちゃって」
「いえ。……おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
自室に戻り、ベッドで横になるも寝付くことなんて到底出来ない。
走りたい。この気持ちだけは今まで揺らいだことがなかった。
例えお母様に泣かれたとしても。この脚で駆け抜けて、輝きを残す事は私に許されたただ一つの権利だから。
けれど今、初めて揺らぐ。
私一人が傷つくのなら、それで良かった。
砕けて、嘆いて、折れたとしても。誰にもそれを背負わせない。
私一人が抱えて生きていけばいい。そのはずだったのに、私は彼に半分預けてしまった。
もう、この脚が折れる事は許されない。
全てを懸けてでも、歴史に生きた証を、光跡を。今まで目的としていたものは、諦める他ない。
私には、貴方の心までは懸けられないから。 - 9◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:54:56
幸いにもあの後トレーナーさんの体調は順調に回復して、1週間もする頃には宿舎に戻っていった。
顔付きも憔悴まではしておらず、きっと倒れる前のように無理はしていない……と思いたい。
そして着々と時は過ぎていき、トレセン学園にももう時期新入生が入学してくる季節がやってきた。
しかし私の中に未だ残っている、このままレースを続けるべきなのかという疑念。
トレーナーさんが私が走り続ける事を望まれているのは分かっている。
けれどもう、以前のように砕ける事を厭わず走ることは出来ない。
当然のように、その迷いは練習にも如実に表れていた。
「伸び悩んでるね……次のレースはOPクラスだし、怪我明けな事を加味しても君の実力なら勝利は固いと思う。だけど今後の事も考えると……」
「芳しくはない、ですか……」
「正直に言ってしまうと。勿論以前の練習より強度は落として、負担の少ないトレーニングに変えてる部分は大きいと思う」
去年の今頃よりも練習量は控えめに。現在は力を伸ばしていくというよりも、怪我で衰えた部分を取り戻すようなメニューをこなしている。それだけならまだいい。
問題なのは……。
「ひとまず今日はこれで終わりにしよう。クールダウンはしっかりして、明日……は休みだから、週明けからまた頑張ろう。こっちも色々考えておくよ」
「はい。ありがとうございました」
私だけは既に気づいている心因的な要因に、トレーナーさんも必ずいずれ気付かれる。
その前に解決できるのが一番だけれど、現状その気配はない。
それどころか日を追うごとに霧は深く、出口はどんどんと見えなくなっていく。 - 10◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:55:08
「……ダン。アルダン」
クールダウンの途中、私を呼ぶ声にしばらく気づいていなかったらしい。
声をした方を向くと、この場には似つかわしくない私服姿の姉様がいた。
「はいっ、ね、姉様?」
「いつもは一度呼べばすぐにこちらを向くのに、今日は随分と遠い場所にいたようね」
「す、すみません。少々、考え事をしていて……」
「そう」
私がすぐに気付かなかったことが面白くないのか、考え事の内容にはさして興味を示されない。
実際、姉様に話したとしても一笑に付されるような内容ではある。
「アルダン。貴方、明日時間はあるのかしら」
「はい。特に予定はありませんが」
「そう。なら、夕食の時間は空けておいて頂戴」
「何か招待状でもいただいたのですか?」
「まあ、そんなところよ」
実の姉という贔屓目を抜きにしても見目麗しい容姿と、トリプルティアラという華々しい戦績。
気分屋な姉様は必ずしも出席するとは限らないのに、それでも熱心に招待状の類を送ってきてくださる方が多いのは、ひとえに姉様の魅力が成せる技でしょう。
「承知しました。では、本日はお屋敷の方に戻った方が良さそうですね」
「ええ、お願いね」
一人で過ごしていても解決する問題じゃない。ひとまずは気を紛らわす事も必要なのかもしれないと。
クールダウンを終えた後、お屋敷の方へと帰るのだった。 - 11◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:55:22
翌日。姉様が用意されていたドレスを着て。ばあやの車で会場に向かう。
「中々進みませんね」
しかしながら道中で渋滞に巻き込まれてしまった。
交通量が多くなる時間帯とは言え、それだけの理由にしては不自然な程進みが遅い。
そんな疑問に答えるかのように、反対側の車線を緊急車両が通り抜けていった。
進む速度とは裏腹に、刻一刻と時間だけが過ぎていく。
「間に合うでしょうか?」
「このままだと駄目でしょうね」
事情が事情とは言え、遅れていくのは招待された身として心苦しい。
焦りで拍動が早まる私とは裏腹に、姉様はあっけらかんとしていた。
「どうしましょう……主催の方に連絡を入れましょうか?」
「ばあや、降ろしてくれる?」
「はい、お嬢様」
言うやいなやするすると車両の合間を縫い、ばあやが車をウマ娘専用レーンの横まで移動させる。
そのまま何の躊躇いもなく、姉様が車から降りた。 - 12◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:55:33
「姉様?」
「このままばあやに送られていれば、間に合わないでしょうね。けれど──」
姉様に続いて私もレーンに降りたと同時、タン、と軽やかな音が響いた。
「私達には、脚があるでしょう?」
「待ってください姉様!」
そう言うなりレーンを駆けていく姉様に置いていかれぬよう、慌てて私と姉様の荷物を取り出しドアを閉め──。
「ばあや! 迎えはお願いしますね!」
「はい、お任せを。いってらっしゃいませ、お嬢様」
たまらず私も駆け出した。
姉様より出遅れた分はすぐに取り戻し、二人並んで会場へと向かっていく。
「速くなったのね、アルダン」
追いついた私に対して発せられたのは、純粋に妹の成長を喜ぶ、そんな声音。
「それは……勿論です。私にも成しえたい目標がありますから」
「そう。それは、誰の為?」
誰? そんな事決まっている。私自身の為。私自身の輝きを刻み、歴史に一筋の光跡を。 - 13◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:55:44
「私自身の……」
「嘘ね。貴方は昔からそうだったわ。体が弱いというのに、人一倍気を遣って……いえ、体が弱かったからかしら」
じゃあ一体誰の為だと言うのか。姉様のようにターフに捧げる訳でもない。
メジロの家名の為でもない。それならば、己の掲げた目標に向かって突き進むのが道理というものだと。
「証明、したいのでしょう? 他でもない、貴方を愛している者達に」
そう、思っていたはずなのに。
一番共に過ごしてきた時間の長い姉から、まるで初めから知っていたと言わんばかりに告げられ。
その答えは、優しく胸に落ちた。
「愛に報いる。いいのではないかしら」
……ああ、なんでずっと勘違いしていたのだろう。
初めて姉様が走れるようになったあの日、純粋に思った。私も走りたい。
皆の姉様を見る瞳は、キラキラと輝いていたから。だから私もあんな風に走れるようになれたら。
皆喜んでくれるのかな、と。身体が弱くて、心配ばかりかけていたから。
それがいつしか姉様はトリプルティアラを達成して。私はいつだって姉様の妹として扱われ。
憧れだったはずの走りを、振り払ってしまいたいと思ってしまっていた。
だから姉様の妹としてではなく、メジロアルダンとしての光跡を。
私が本来抱いていた願いは、いつの間にか違うものに変わってしまっていた。
(私が走りたかった、本当の理由)
私の名を刻みたいだなんて。そんなものは、ただの手段で。
私が本当に成したいと思ったこと。それを今、明確に思い出す。 - 14◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:55:57
「……姉様。私、今まで姉様のように走りたかったんです」
「貴方は私の妹。私ではないでしょうに」
「はい。姉様のように、レースに至上の愛を捧げることは出来ません」
「以前に言ったはずだけれど。貴方の愛は、レースには向けられていない」
その通りだ。私の走りは、常に誰かの為にある。
それゆえに酷く脆く、その対象を失ってしまえば簡単に崩れ去ってしまう。
けれど、だからこそ。光を届けたい誰かを見つけられた時、きっと何よりも輝くから。
そして今、私にはいる。光を届けたい相手。彼にはきっと、私の走りが必要なはず。
「あら、随分早い時間からいるのね」
「えっ」
気付けば会場のあるビルへと到着していたみたいで。
入り口には、トレーナーさんが誰かを待っているように佇んでいた。
「届けに来たわよ、トレーナーさん」
「え? あ、ああ。ありが、とう? いやラモーヌ、なんでわざわざ君まで?」
大方姉様に呼び出されたのだろうけど、それでも不可解だ。
メジロ家として招待されている私達姉妹と違って、トレーナーさんが招待される理由はない。一体どうしてここに。
「では、私はこれで」
「ね、姉様? これはどういう」
「もう、折れる心配はなさそうね。貴方達がどんな軌跡を描くか、期待しているわ」 - 15◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:56:09
何故かトレーナーさんの表情を見て満足気にした後、姉様からスマホを手渡された。
画面には会場とは違う階にあるフレンチの予約画面。
ここに行け、という事なのでしょうけれど、スマホを私に預けてしまうと姉様が帰る時に困るのでは……。
いえ、そもそも私は出席しなくても良いのでしょうか……。
「本来なら貴方を紹介して欲しかったようだけれど、必要なさそうだもの。気が変わったわ」
湧いて出る疑問に答えて貰う前に、そう言って1人ビルの中へと入っていってしまった。
「その様子だと何も聞かされていないみたいだね……」
「は、はい。こちらで祝賀会があるようで、主催の方から招待状を戴いていたもので。そちらに出席する予定だったのですが」
ひとまずトレーナーさんと状況を共有すべく、姉様のスマホに映し出された予約画面を見せた。
「ああ。ここに行け、と」
「はい、そのようです。トレーナーさんは、姉様からなんと?」
「いや、昨日トレーナー室に来るなり明日話があるからここに来い、とだけ」
つまりはトレーナーさんも何も知らないに等しい、と。
けれど話があるから、と伝えているという事はその内容に間違いはないのだと思う。
「キャンセルする訳にもいかないし、取り敢えず中に入ろうか」
「はい」
だとすると話をする相手は私であり、私が今日連れてこられたのは……。
「それにいい機会だから今後の事、ちゃんと話し合いたい」
不調に陥っている原因も、姉様にはお見通しだったという事でしょう。 - 16◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:56:22
席に通された後、続々とコース料理が運ばれてくる。
その間特に世間話をするでもなく、どのタイミングで切り出すべきかを互いに探る奇妙な時間が流れていく。
そうしてメインディッシュであるポワソンが提供されたタイミングで、トレーナーさんから切り出してきた。
「率直に聞くよ。アルダン、最近の不調は……俺が原因……かな?」
「……はい」
「やっぱり……か」
この質問をされる、という事はきっともう誤魔化しきれない。不調の原因、全て話そう。
「今まで、自らの脚すら砕けてもいい。そう思って走ってきておりました」
以前までの私にあった、ある種の躊躇いのなさ。
「けれどトレーナーさんが心労で倒れられて。その時に初めて知ったんです。私の脚が壊れてしまった時、砕けてしまうのは私だけではないと」
私自身を犠牲にするのはいい。だけどそれに誰かを巻き込んでしまうとなると、話は別で。
「それに気づいてしまった瞬間、私はこの身が砕け散ってでも輝く覚悟は持てなくなりました。私には、貴方まで壊す覚悟は持てません」
私の中から輝きが失われたのかは分からない。
けれど確実に、トレーナーさんが倒れたことにより、大きな変革をもたらしたのは確かだった。
「そう、だね。その通りだと思う。もう一度君の脚が壊れてしまった時、俺にもう一度立ち上がる自信はない」
私だってそうだ。もう一度トレーナーさんが倒れられるような事があれば。
きっともう、走りたいだなんて思うことはないかもしれない。 - 17◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:56:35
「それでもいい。君の望みが叶うなら、そんなリスクまとめて背負う。……本気でそう思ってるよ」
間違いなく今、私達は同じ方を向いている。その先にあるのが、行き止まりなだけで。
「相手の望みが叶うなら、この身はどうなったっていい。だけどその望みを叶えた時、その相手は壊れてしまう……同じものを共有しているはずなのに、どうしてこうもままならないんだろうな……」
互いが互いの為に。全てを捧げようとした先に待っているのは破滅だ。
どれだけ抗おうが、何かに導かれ辿り着いてしまう運命。
──だけどそれは、私の望みが今までと同じだった場合の話。
「トレーナーさん。それでも私は、私の光跡を刻む為にも走りたいです」
「勿論だ。その為に俺は居るんだから。例え俺が倒れようと、俺が理由で君が走る事をやめるのなら、その方が俺は後悔する。だから──」
「ですが、決して貴方を壊したりしません」
「アルダン?」
もう迷わない。私は見つけた。己が、成すべきことを。
「トレーナーさん。次のレースで必ず、証明してみせます」
捧げてみせる。貴方に、報いる為に。 - 18◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:56:46
出走前の控室、ジャスミンの香りが漂う。
「緊張する?」
「そうですね。メイクデビューした頃の気持ちを、少しだけ」
こうして出走前にジャスミンティーをいただくのも随分と久し振りだ。
練習を重ね、ようやく漕ぎ着けた復帰レース。当日の人気は2番人気。
去年の日本ダービーで3着だった子が1番人気を背負っているあたり、怪我明けな事が重く見られているのでしょう。
けれどまだ怪我で衰えているかもしれない、という憶測の評価。
逆に言ってしまえば今日負けてしまうと、その評価は正しいものとなってしまう。
「大丈夫、ダービーの時と同じくらい……とは言えないけど。復帰初戦は必ず勝てるように仕上げて来たんだから。今の君なら絶対に勝てる」
走る目的を思い出した後、私は急速に以前の力を取り戻し始めていた。
まるで今までの不調が嘘かのように。あまりの違いに、トレーナーさんには逆に心配をされてしまったけど。
出走時刻も迫り、そろそろ控室を後にしてターフへと赴こうと席を立つと、部屋を出る前にトレーナーさんに呼び止められた。
「アルダン。……ああ、いや……なんて言えばいいのかな」
復帰レース。その地へ赴く私にトレーナーさんが伝えたい事。
きっと迷っておられるのでしょう。今、本当に伝えるべきか。
一度は自身の漏らした弱音で、私の不調を招いたと思っておられるから。
けれど大丈夫。今の私には決して揺るがない、確固たるものがある。
……逡巡の後、私を真っ直ぐ見据えて言葉が紡がれる。 - 19◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:56:58
「無事に、帰ってきてほしい。俺から出来るお願いは、それだけだ」
伝えられたのは今までされたこともなかった、トレーナーさんからのお願い。
「勿論です」
それを大切に、私は受け取る。
「トレーナーさん。今日のレース、貴方に、貴方だけに捧げます。だからどうか、見ていてください」
期待と、不安。両方が入り混じった視線を受けながら、願いを背負う。
「それでは、行ってきます」
地下バ道には出走するウマ娘達の蹄鉄の音が反響して、今から戦いの地へと赴くのだと訴えかけてくる。
日差しの入り込む本バ場への入り口が近づき、そのまま足を踏み入れた。
今日のバ場状態は稍重。春の空はよく晴れており、心地良い風がターフを吹き抜けていく。
(ああ、ここを全力で駆け抜けられたら──)
どんなに気持ちのいいことだろう。
少しだけ重い大地の感触を脚で確かめると、もうすぐここを駆け抜けられるのだと心が躍った。
その後各ウマ娘がゲート入りを終え、全員の出走態勢が整った。
ゲートが開く瞬間を待つ、独特の緊張感。
神経を研ぎ澄まし、今か今かと脚に力を込め──ガコンッ! と音がした瞬間、皆一斉に飛び出していく。
私も先団に取り付くべく、前へ前へと位置取りに行く。
(身体が軽い。背負うものは増えたはずなのに) - 20◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:57:25
生きた証を残したい。例え、刹那で消えるような輝きだとしても。
そう思ってた頃は、ずっと息苦しかった。
何も成せないまま終わるのではないかと。誰も、私の事など見てくれないのではないかと。
(きっと、それこそが私の誤り)
そうじゃなかった。私が成したいと思ったこと。
極光の如き姉様の輝きに魅せられて、そして歪んでしまった願い。
砕けてでも。砕けてもいいからこの瞬間に全てを。ずっとそう思って走ってきた。だけど違った。
誰も、そんな事を望んではいなかった。他ならぬ、私自身さえも。
(そうでなければ、怪我をしない為の方法を必死で探さないもの)
足りないのだから、何かを犠牲にしなくてはいけない。そんな固定観念に囚われ続け、一番大切なものを失いかけた。
……砕けてしまえば、きっと私の大好きな彼までも砕けてしまう。
それだと意味がない。私が貴方に刻みたいのは傷跡じゃなくて、精一杯輝いた光跡なのだから。
欠け一つなく、貴方に捧げたいモノ。
(私は──砕けてはいけない)
私に足りなかったもの。それは、欠けることなく駆け抜ける覚悟だ。
気付けば既に最終コーナーに差し掛かり、バ群が大きく動き始める。
休養に入る前に走った日本ダービーと同じ2400mの距離。それがもう、終わりに近づくのが名残惜しい。
けれど今日走り終えたとしても、これからも私の光跡は続いていく。
トレーナーさんが……貴方が、望んでくれる限り。
だから今日は、その証明を。
あの日私が姉様を見た時のように、貴方に輝きを刻めるように、ゴール板を全力で駆け抜けて──。
──トレーナーさん。この走り、貴方に捧げます。 - 21◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:57:41
復帰レースから数年経ち。
「では、よろしくお願いいたしますね、トレーナーさん」
「確かに受け取ったよ。でも本当に……と聞くのも野暮だね。今の君は、清々しい顔をしているから」
「はい。私の成すべき事……いえ、成したい事は、全て出来ましたから」
「そっか」
年も暮れそうな時期、私は一枚の書類をトレーナーさんに提出した。
「この書類を理事長に提出すれば、正式に君はトゥインクルシリーズの登録から抹消される。……お疲れ様、アルダン」
ウマ娘として避けては通れぬ本格化の衰え。
今年に入り私にもその兆候が顕著に表れ、今シーズン限りでの引退というのはトレーナーさんと話し合って決めていた。
トレーナーさんとしては私が望むなら引退撤回も視野に入れていたのだろうけど、衰えを誤魔化すとなると当然練習の負荷もそれ相応のものになってくる。
ただでさえ怪我と隣り合わせだった今日までの日々。私の答えは決まっていた。
「君が引退するとなると、この部屋も寂しくなるな……」
「私の後に担当される方はもう決めておられるのですか?」
「ああ〜……いや。まだ、だね」
「そうですか……トレーナーさんのスカウトなら、受けられる方も多いでしょうけれど」
当たり前の話ではあるけれど、私が競技者として引退したとしてもトレーナーさんの道は続いていく。
だから当然私が引退する前に担当を増やされると思っていたのだけれどそうはせず。有り難いことにずっと私の専属でいてくださった。
ただ来年から担当ウマ娘が不在になるのは、少しばかり心配だった。 - 22◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:57:54
「まあその件は追々なんとかするから」
しかしながらあまり詮索するのもお節介かもしれない。
気にならないと言えば嘘になるけれど、ひとまずは横に置いておきましょう。
「最初にこの部屋を貰った時の事を思うと、随分とモノも増えたね」
「はい。普段使うマグカップや見本品で戴いたぱかプチや雑誌。それに……重賞のトロフィーも」
「ああ。どれも大切な思い出だよ」
トレーナーさんと私で歩んで来た、確かな証。引退という節目を迎えて振り返っても、未だ鮮明に思い出せる。
……そんな思い出たちを眺めていると、ひとつ、ある事を思いついた。
「トレーナーさん。一ついいですか?」
「なにかな? ああ、無事引退を迎えた事だし、2人だけでささやかな慰労会でもしようか?」
「いえ、それも確かに魅力的ではあるのですけど……」
断る理由もない事だし、その件は後々決めよう。けれどそうじゃない、過去を振り返るのではなく、未来に向けて。
「卒業するまでに、貴方とやりたいことがあるんです」 - 23◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:58:05
卒業式も無事に終わり。
寮を引き払った私はいよいよトレセン学園のあるこの地から離れる事になる。
けれどその前に。こちらにあるメジロのお屋敷で、トレーナーさんと約束を交わすことにした。
「その為のタイムカプセル、か」
「はい。いつの日かの未来に、貴方と二人で思い出を語らえる日が来れば、と」
引退の為の書類を提出したあの日。私がトレーナーさんに提案したのはタイムカプセルを作ること。
二人で歩んだ道のりを、未来の私たちが思い出せるように。
トロフィーは流石に無理だけれど、雑誌やぱかプチ。
それにトレセン学園での日々をまとめたアルバムを、今日までに二人で作った。
「トレーナーさん? 泣いておられるのですか?」
「い、いや。ちょっとね。君はあまり未来について話をしなかったものだから……じんと来ちゃって」
「……ああ。そうですね。以前の私は、目の前の事に必死で。未来の事を考える余裕なんてありませんでしたから」
「……いいや、きっと君は誰よりも未来の事が見えていた、見え過ぎていたんだ。だから先のない未来より、今を生きていた。だけどもう……ちゃんと見えるようになったんだね」
……そうなのかもしれない。考えていなかったのではなくて、考え過ぎていて。
色々なものに塗り潰されてしまっていた未来が、今では鮮明に見える。
「トレーナーさんのおかげですよ」
「俺は何も。君が、君自身の輝きで照らしたんだ」
だとしたらそれはやはりトレーナーさんのおかげだ。私は、一人では輝けないのだから。 - 24◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:58:16
「掘り出すのはいつにするんだい? 何かしらの節目がいいだろうけど」
「そうですね。20年後はどうでしょう?」
「その頃には俺はおじさんだな」
「あら? それでしたら私はおばさんですよ?」
20年後の私達はどんな風になっているのだろう。
期待と……そして、一つの想いを抱き締め。タイムカプセルに思い出を詰めて、蓋をする。
後は埋める為の穴を掘って、そこに埋めてしまえば2人だけの約束が交わされる。けれど、その前に。
「この箱を開ける時……」
私が思い描いている未来、その隣には貴方がいて。
その未来を現に変えるには、今、伝えなくてはいけない事がある。
隠してきたつもりはない。だからきっと、トレーナーさんにとってもただの確認作業でしょう。
それだけの事なのに、どうしようもなく声が上擦り、震える。 - 25◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:58:28
「この箱を開ける時、私の隣にいてくださいませんか」
今しがた詰め込んだ思い出たちを抱きしめ、出会った時の事を思い出す。
「貴方なんです……」
私の体質を憐れんで。スカウトされた時、そんな理由が真っ先に思い浮かんだ。
当然選抜レースを見てからにして欲しいと断ったけれど、約束通りスカウトに来てくださった貴方は、他の方とは明確に違っていた。
「貴方なんです。はじめて、私が走ることを求めてくれたのは」
貴方だけだった。私自身の、輝きを望んでくれたのは。
「貴方が、私に走る意味をくれた。誰に対して遺せばいいのかも分からない輝きを、貴方は拾ってくれたんです」
両親からは走る事を求められず、ばあやや主治医もサポートこそしてくれど、本心では止めたい事など十分に理解出来ていた。
姉様だって、私が妹である以上の事を求めはしなかった。
だけどトレーナーさんは。トレーナーさんだけは、私がウマ娘として走る事を求めてくれた。
「だから、捧げたくて。せめて貴方に、走る意味をくれた貴方にだけでもいいから、私が駆け抜けた光跡を。確かな記憶として刻みたかった」
それが、私の成したかった事。
例え人々から忘れ去られようともたった一人、私の走りを求めてくれた貴方にだけ伝わればいい。
精一杯駆け抜けたあの瞬間、確かに私は輝きを放っていたのだと。貴方だけは覚えていてくれたら。 - 26◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:58:39
「そして、これからも。未来を、貴方に捧げたいんです」
いいえ、駆け抜けてきた過去だけじゃない。
生涯を懸けて、そんな瞬間を刻み続けられたら。輝きを纏った、記憶になれたのなら。
「私は、貴方のことを愛しています」
それが、私の望む未来。
「……返事を、聞かせてくださいませんか」
トレーナーさんの様子からも、やはり私の気持ちにはとうの昔に気付いていたのでしょう。
その証明のように、まるで告白をされるのが分かっていたかのように穏やかで。
「約束を守れなかった俺に遺されるのは、色褪せない鮮烈な痛みだと思ってた」
知っている。日本ダービーの後、私の骨折が判明して。
とても気に病まれているのは主治医や姉様の言葉、それにトレーナーさん自身の様子からも痛い程に伝わってきた。
「君を担当する時点で、怪我と隣り合わせで、その上で絶対に怪我をさせないつもりだった。結果は……君の知っての通りだけど」
今にして思えばあの時、骨折をしたのは運命だとしか思えない。
私の競走生活に骨折をしないという歴史は存在しなくて、私はそれをなぞった。
けれど例え脚が壊れそうになろうとも、私自身の覚悟と、トレーナーさんの心だけは壊させなかった。
「だけど君はそれすら乗り越えて。刻まれるはずだった傷跡を、輝きに変えてくれたんだ」 - 27◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:58:50
元から打ち砕けない運命ならば、乗り越えてしまえばいい。
一人では不可能でも貴方と一緒なら。どんな場所にだって辿り着ける気がしたから。
「きっと、永遠に忘れられないと思う」
そして辿り着いたこの場所で、私は貴方に輝きを残せた。
永遠に忘れられないだなんて、私にとっては最大限の賛辞だ。
「だからこの言葉は返事としてじゃない。純粋な気持ちとして、受け取って欲しい」
先程は穏やかに見えていたけれど。内に秘めた感情が溢れるかのように、そっと胸元に抱き寄せられた。
「アルダン。俺は君のことを愛している」
ああ……私は貴方から受け取っていたものを、ちゃんと返せていたんだ。貴方の愛に、報いることが出来ていた。
「俺が君から受け取ったものは……一生をかけても、きっと返しきれない。だからどうか、これからもそばに居させてもらえないだろうか?」
そしてこれからも。受け取った愛の分だけ……いいえ、それ以上に。貴方に捧げるのだと思う。
「……もちろんです。私も、貴方から受け取ったもの。きっと一生を懸けても返しきれません。……生涯を懸けて、貴方に捧げたいと思います」
愛という名の輝きを。 - 28◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:59:05
【Epilogue】
振り返ってみればあっという間だったのかもしれない。
私の卒業から間もなくして、トレーナーさんはメジロ家専属のトレーナーになった。
実のところ、私が卒業する前の時点でメジロ家の方から打診があったらしい。
私は極端な例だとしても、体質が弱く産まれてしまうウマ娘は多い。
私と近い世代のメジロのウマ娘でも姉様やマックイーンも幼少の頃は体が弱かった。
そんな子達を導いて欲しい、と。
その後はレースに身を投じている頃に大きな壁があった反動か、流れていく日々は驚くほどに順風満帆で。
彼からプロポーズを受け、挙式を挙げ。大きな休日には二人で史跡を巡る。
もうこれ以上なんてない程に幸せだった。
そして──。
「お父様、お母様! ありました!」
「まあ、ありがとう」
子宝にも恵まれて、無事健康に育ってくれて。
なんと今春からはトレセン学園に入学して中等部に通う。
今日はその準備の為に、トレセン学園近くにあるメジロのお屋敷に訪れているのと……。
「本当に埋められていたのですね……」
「そんなに信用ならないかな、俺は」
「い、いえ。お父様の話を疑う訳ではありませんが、まるで物語のようだったので……」
今がちょうど、タイムカプセルを埋めてから20年目で。二人で掘り出そうと決めたいつかの未来、約束の年だった。
娘にとっての輝きは、両親である私と夫で。
昔はトゥインクルシリーズを走るウマ娘と、そしてそのトレーナーであったと知ってからは、自身もレースの世界に身を投じる事を切望していた。
そんな私たちが残したタイムカプセルの中身が余程気になるのか、意気揚々と中庭のテーブルまで運んでいく。 - 29◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:59:17
「中身、無事だといいんだけどね」
「埋める際に細心の注意は払いましたから。それに中身がダメになっていてもそれはそれで一興、でしょう?」
「それもそうだね」
私たちが開けてくれるのを今か今かと待つ娘の姿に二人で笑い、テーブルに移動していざ20年ぶりに中身と対面する。
「……かなりいい状態で残ってくれたんだね」
「……はい」
タイムカプセルに詰め込んだアルバムや雑誌は、多少の痛みはあれど中身は確認出来るレベルで残っていて。
ぱかプチも洗濯をすれば飾れる程度に綺麗に残っていた。
そのうちのアルバムを手にとって、数ページ程めくる。
「これが若い頃のお母! ……様、今とあまり変わりませんね」
「そんな事はないと思うけれど……」
私たちが作ったアルバムには二人以外にもばあや、主治医や他のメジロの子達。
学園時代の友人も写っている。特に娘からするとおばさまに当たるメジロの子達には興味津々と言った様子で。
若かりし頃の姿は新鮮に写っているのでしょう。
「いや、アルダンは今も昔も綺麗なままだよ」
「お父様? 夫婦仲が良いことは結構ですが、私の前でお母様を口説くのはやめてくださいますか? 少々気恥ずかしさを覚えますので……」
「……ご、ごめん」
娘からすると夫の言葉遣いは本やドラマでしか見ないような気障な台詞に聞こえるらしく、どうもむず痒いらしい。
夫は反抗期? と疑っているみたいだけど恐らく違うでしょう……。
夢中でページをめくる娘と写真達を見ていると、タイムカプセルを埋める前に交わした言葉が思い出された。 - 30◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:59:41
「……私たち、お父さんとお母さんになっていましたね」
「え? ああ……そうだね」
20年前では想像もつかなかった、鮮やかな今。
「……懐かしいね」
「ええ、とっても。写真は少し、色褪せてしまっていますけれど」
「俺は今でも鮮明に思い出せるよ。あの頃のことを」
「……はい、私も」
けれど積み重ねてきた道のりも、色鮮やかなものだった事を私は……私たちは覚えている。
「お父様、こちらの写真では何故泣いておられるのですか? お母様は重賞を勝った経験もあるそうですし、OPクラスでの勝利で泣くほどの実力ではないと思うのですけれど……」
「えっ!? いや、あ~……その時はね……ちょっと色々あって」
「ふふっ、ジャスミンティーを淹れてきましょうか。少しだけ長くなるけれど、聞いてくれる?」
「はい!」
そしてこれからも。刻み続ける刹那を重ね、愛を捧げて描く未来は光り、彩り溢れ。きっと、咲き続けるだろうから。
【割れたガラスは永遠を咲かせる】~fin~ - 31◆y6O8WzjYAE25/01/05(日) 22:59:54
みたいな話が読みたいので誰か書いてください。
- 32二次元好きの匿名さん25/01/05(日) 23:13:29
書いとるやないかーい!!!!!!!
いやでも年末から始まった三部作に及ぶ超大編、しっかりと見届けさせてもらいました
アルダン、ラモーヌ、そしてアルトレ…これらのキャラクターの解像度が本当にしっかりと掘り下げをしていて、その考察の中での育成シナリオではないルートのアルダンの作者様のの答えをぶつけられた気分です
スッと読めましたし、心の動きを丁寧に書き連ねておられてとても素敵な物語でした
…参考になりますほんと、この熱意 - 33◆y6O8WzjYAE25/01/06(月) 00:44:17
まずはじめに約4万字という文字数にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
ここからはどういう解釈を元にしたのかというお話となりますので興味がある方はお付き合いください。
書き始めのきっかけは『新時代の扉』を見てフジさんとナベさんの関係を見て
「もしもアルダンとアルトレの2人が史実通りに怪我をしたりした時、どういう関係になるんだろう」というところからスタートしました。
そこから話の軸にしようと思ったのがアルダンの言う『輝きを刻みたい』って目的ではなくない?という疑問です。
この部分を強烈に感じたのがアルダン登場時のドロワイベスト。
恐らくこのイベストを書いた担当ライターの方は目的として解釈したんでしょうけれど私はどうも腑に落ちず。
というのもアルダンの育成ストーリーにおいて、意外と自分の為に走ってる瞬間は少なかったりします。
ダービーの時には真っ先に出てくる言葉が「ダービートレーナーの称号を」。
そこから大阪杯あたりまでは「チヨちゃんを再びレースの道に復帰させるために」。
と、自分じゃない誰かのために、という部分が強く出てたりします。
他にも勝負服イベントでは病院に居る子供の為にトレーナーの許可も取らずガラスの靴で踊り始めたり、メジロ家の年長者としての役割を受け持ってたり。
そして最たる要因としてキャラストーリーの4話、色褪せた絵画です。
何故他に誰も見ていないような、見る影もなく色褪せた絵画を見たがったのか。
輝きを刻みたいのが目的という解釈で取るならば、他の華々しい作品でいいはずです。
なのでその後のアルダンの独白である「生涯隣で支え続けてくれたパートナーへ宛てた作品」。
多くの人の記憶には残らなくてもいいけれどたった一人、輝きを受け取って貰えたらいい。
そしてそれがその人を照らす輝きであってほしい。
これがアルダンの言う輝きを刻む、という言葉の真意だと解釈しました。
幼い頃から多くの愛情や心配、そしてサポートを受けてきたからこそ、それを返したい、報いたいと思ったのではないでしょうか。 - 34◆y6O8WzjYAE25/01/06(月) 00:44:30
しかしながら何故アルトレと出会った時に「歴史に生きた光跡を」と言っていたのか。
そこに関しては輝きを残したい対象が不在だったため、不特定多数に対しての「歴史として刻みたい」に変化していた、と捉えています。
なのでアルトレと出会っていこうは輝きを刻む相手が現れてくれた、健全な状態へとなったのかと。
正直この辺り、ご両親に走る事を望まれていたら悩んでなかったんだろうなぁ……という気もしますね。
真面目にアルダンに関しては生死が関わってくるレベルの話っぽいのでご両親が応援出来ないのはごもっとも、という感じではありますが。
ついでにもうひとつ、輝きを刻むが目的ではないんじゃない?と思った点があります。
それが『姉様が初めて走った日、その極光に惹かれた』という事。
単純にトリプルティアラを達成してない状態の姉様とアルダンの姉妹ならば、アルダンは別に偉大な姉の妹という評価にはならないんじゃない?という疑問です。
アルトレがスカウトする時こそ既にトリプルティアラを達成しているので、アルダンの評価の一部にトリプルティアラを達成したウマ娘の妹、が入っていますが。
その状態で自分自身、”メジロアルダン”としての輝きを刻みたいという思考になるのは分かるにせよ、
初めて姉様の走りを見て走りたいと思ったのなら、もっと別の、純粋な何かがアルダンにはあったんじゃないかと思いました。
なのでこの子の根幹とも言えそうな部分、誰かの為に何かがしたい、受けた恩を返したいが絡んでいたのでは?と解釈して、2話部分や3話部分の流れとなっています。
このお話は今開催されているイベントストーリー前に書き終わっていたのですが、なんと偶然たまたまサポカイベントもそんな感じでしたね。
かなりびっくりしました。
2話部分に関してはイベストの流れともそこそこ被ってしまってしまいましたね。
泣いちゃいました、ネタ被りで。 - 35◆y6O8WzjYAE25/01/06(月) 00:44:43
ウマ娘のキャラを解釈する上で難しいのが皆本能的に走りたいという欲求を抱えていて。
ただただ純粋に走るのが好きな娘や、栄誉を求めてる子、家名の為に走ってる子など。
走るという行為がその子にとってのなんなのか、本能とそれとは別の目的や目標なのかを精査しなくてはいけない点です。
アルダンの場合は誰かのためになりたい、が本能である走りたいに乗っかったのではないかなと思っております。
兎にも角にも今回私がした解釈が全てではないと思っております。
現にドロワのイベストで提示された解釈に真っ向から逆らう形の話ではあるので。
それにその子の本当の真意など、その子自身しか知る由がないのできっと一生を懸けてもアルダンを完全に理解する事は出来ないでしょう。
けれど知らないからこそ、もっと知りたい、理解したいと思うのだと思っております。
今回の話がそんな手助けになれば幸いですね。
あとがきすら長々と失礼しました。
改めて、3話に渡る短いとは言いづらい話を読んでいただき、本当にありがとうございました。
また何かしら投稿する機会があるかもしれないので、その時はよろしくお願いいたします。 - 36◆y6O8WzjYAE25/01/06(月) 00:46:59
いやぁ本当にありがとうございました……4万文字もお付き合いいただいて……
史実通り怪我をした時この2人はどうなるのかという部分について、決して揺るがない確固たるものを持たせられて本当に良かったです
- 37二次元好きの匿名さん25/01/06(月) 01:58:32
いつもながらこの2人ならこう言うだろうなというお話
お疲れさまです、大作
内心が結構複雑な子なので解釈の余地が難しいのはありますが、姉様相手にも拗らせてる部分はあれど仲は良いし憧れもありますし向ける相手がいないから歴史にって解釈は面白かったです
アルトレ自身も無理をするところがあるのでその辺似た者夫婦だったりするんですよね、なんだかんだでアルトレにとってもアルダンとの出会いは分岐点だったと思います - 38二次元好きの匿名さん25/01/06(月) 09:47:36
- 39◆y6O8WzjYAE25/01/06(月) 12:22:29
一旦上げ
- 40二次元好きの匿名さん25/01/06(月) 22:55:44
こちらの世界では大陸には渡らなかったんですね
周囲から見ればそこまでの栄光は掴めなかったかもしれないけど、幸せを手に入れられて良かった… - 41二次元好きの匿名さん25/01/06(月) 23:39:14
長編、お疲れ様でした。
キャラの解像度、考察がとても参考になりましたし、文章構成も美しく読みやすかったです。
ありがとうございました。