- 1二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:31:13
「ワン、ツー、スリー、フォー。ターンして、ステップ」
放課後のレッスン室。他に誰もいない静かなこの部屋で、私は一人ダンスの自主練に励んでいる。
授業が終わってすぐにここに足を運び、時間が経っても抑えきれない感情のままにステップを刻み始めたのはいつからだっただろう。
曖昧な時間感覚、ターンの度に髪先から汗を散らしながら、一連の定められた振り付けの最後のパートを演じ切る。
「ワン、ツー、ステップして、ターン。ここでキメ!」
呼吸を荒らげながらも指先まで意識を集中して動かし、私は国民的アイドルなんだという自信をもった決めポーズをキメる。
全周から沸き起こる観客達のスタンディングオベーションを幻視しながら、残心を解いて肩で息をする。
額に流れる汗を服の裾で拭きながら、壁際に荷物と一緒に置いておいた水筒を取って喉を潤す。
激しい運動後にいきなり動きを止めると心肺機能に悪いから、呼吸を整えながらレッスン室を壁沿いに歩いてクールダウンを行う。
一歩一歩体幹を意識しながら歩きつつ、私は先日行われたN.I.A--『NEXT IDOL AUDITION』での出来事を思い返す。 - 2二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:32:03
それは、いつの間にか私になんの相談もなく極月学園に転入していた燐羽との、互いに本音をさらけだした大喧嘩。そして、いつも私の前を歩いて導いてくれていたと思っていた美鈴から言われた、「次のH.I.Fで『一番星』になって、秦谷美鈴こそが月村手毬のライバルであることを認めさせる」という対等な目線に立った宣戦布告。
あの短くも長い開催期間の中で起こった事は、中等部でSyngUp!が解散し、一人でトップアイドルを目指そうとしていた過去の自分が聞いたら驚くであろうことの連続だった。
私が憧れた人との仲直りも、幼なじみとの約束も、ここまで来れたのはきっと、私の目標のために一緒になって頑張ってくれたプロデューサーが居たからなんだと思う。多分私一人では、何も言わずに極月学園に行った燐羽と喧嘩することも、歩みを止めてまぶたを閉じた美鈴を起こすことも出来なかったかもしれない。
そんなことを考えていると、いつの間にかレッスン室を一周して荷物の場所まで戻ってきていた。 - 3二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:33:06
壁に掛けられた時計で時間を確認すると、寮の門限まではまだ時間はある。もうワンセットやろうかなとも思ったけど、今日はこれで切り上げようと考え荷物をまとめる。
プロデューサーから『今日は完全休養日にしましょう』と言われていたし、あまり遅くなるのもダメだろう。イソイソと制服に着替えて荷物をまとめてレッスン室を後にする。
校門に向かう途中、2組の落ちこぼれ組が揃ってランニングしていた。元気に爆走する咲季の妹とは対照的に、顔を真っ青にして今にも死にそうな倉本と篠澤が息を切らせてヘロヘロになってついて行くような状態だったから、「いい加減無駄なことしてないで家に帰って寝たら?」と助言しておいた。
ぐぅ〜〜〜……
校門から出て、寮へと帰ろうとしたところで私のお腹の虫が空腹を訴える。授業が終わってからほぼ休みなく踊り続けていたからエネルギーが枯渇しているんだろう。
(早く帰ってご飯食べたいな…うん?)
夕食のメニューはなんだろうと考えながら歩いていると、不意に濃厚で芳醇な香りが私の鼻腔を刺激する。 - 4二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:34:03
(これは…)
周囲を見回すと、私が今いる場所から道路を挟んで向こう側の広い歩道で、よくドラマやアニメで見るような移動式の屋台がのれんを出していた。
(この匂い、ラーメン!しかも、豚骨!)
鼻腔を通り抜けるこってりとした香りが口の中に届き、口の中に脂と塩気の混ざりあった芳香が私の舌を誘惑する。
(うう…豚骨ラーメン。食べたいなぁ。い、いや、ダメダメ。我慢しないと…でもぉ…うぅ…)
いつもの私なら、この誘惑にも耐えられた。けど、この時だけはいくつかの免罪符(という名のいいわけ)があった。
1つは、N.I.Aを優勝した自分へのご褒美に、一杯だけならいいんじゃない?という悪魔の囁き。
1つは、放課後からほぼノンストップでいつも以上に自主練を頑張ったことによる極度の空腹感。
1つは、普段見た事のない移動式屋台という目新しいものを体験したいという好奇心。
これらの要因があった上で、悶々と悩む私の口の中で、ヨダレと共に香りが喉を通り胃に抜ける頃には、私は自分の欲望に屈していた。 - 5二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:34:43
(…………一杯だけ。一杯だけなら、普段の運動量を少し増やせば、リカバリー出来る。筈。)
少し離れた場所にある横断歩道で向こう側へと渡り、早歩きで屋台に向かうとはやる気持ちを抑えながらのれんをくぐる。
屋台は程よい間隔をあけて丸椅子が3席ほど並び、木製の質感のいいカウンターにはボトル胡椒と箸置きだけが置かれていた。
お客は私だけで、調理スペースには頭に手ぬぐいを巻いた強面の店主がスポーツ新聞を広げて座っていた。
「いらっしゃい。適当に座ってくんな」
私に気づいた店主が新聞を畳んで着席を促してくる。私は真ん中の席に座って、荷物を足元に置こうとしたら、店主から声をかけられる。
「荷物入れ、あるよ」
「あ、いただきます」
店主の足元から取り出された大きめの黒いカゴを受け取り、そこに荷物を纏めて入れる。サービスもいいな。
「えっと、メニューは何がありますか?」
「うちは豚骨だけでね」
「なら、それで。麺は固めで」
「あいよ」 - 6二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:35:13
そういうと店主は手際よく麺を茹で始める。麺を湯切りする取っ手付きのザル(確か、てぼって名前だったっけ)に入れて茹でている間、カウンター下から麺の具材を取りだし、カウンター裏に用意していると思われる調理台に乗せている。調理スペースはこちら側より一段高くなっていて、こちらを向いて調理する店主の手元はカウンターに隠れてよく見えない。
店主が鳴らすカチャカチャという調理音と、時折道路を走る車の走行音、そしてぬるまったい夕風が揺らす草木の擦れる音だけが耳に届く。
(はぁ〜。いい匂い)
調理スペースから漂ってくる豚骨スープの薫りに期待に胸を高鳴らせていると、ピピピッとタイマーの音が鳴った。店主がお湯からザルを取り出す。どうやら茹で具合をタイマーできっちり測るタイプらしい。 - 7二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:35:47
チャッ!チャッ!
店主が湯切りをする音で高まった期待が最高潮を迎える。ワクワクとしながら湯切りする姿を見ていると、店主は無駄のない動作で湯切りした麺を器に入れ、コンロに乗っている寸胴鍋からおたまでスープを掬って器に注ぐ。チラリと見えたスープの色はまるで塩ラーメンのスープのように透き通って見えた。
麺とスープが入った器をカウンター裏に置き、あらかじめ用意していた具材をトッピングしているその姿はまるで、熟練の陶芸家のような佇まいだった。
「へい、豚骨麺固めお待ち」
そうして出されたラーメンは、白濁としたスープに赤身多めのチャーシューと長方形にカットされたメンマ、青々しい刻みネギが散らされ、器の縁には2枚の味のりが添えられていた。
(うわぁ〜、凄く美味しそう)
ぐぅ〜〜〜!!!
空腹と期待の中待ちに待った豚骨ラーメンを目で楽しんでいると、せっかちな胃袋が『早く寄越せぇ!』と抗議の音を鳴らす。
仕方ないなぁとご立腹の胃袋をなだめつつ、箸置きから割り箸を取りだして、パキッと左右に割る。 - 8二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:36:19
(あ、ちょっと汚くなっちゃった)
綺麗に箸を割れなかったことに内心しょげる。しかしそんな落ち込んだ気持ちも、コレの前には一瞬で跳ね上がる。
「いただきます」
合掌。そして、挿入。
まずは麺とチャーシューの位置を入れ替えるように、器の下からひっくり返すように麺を持ち上げる。
こうすることで、麺が伸びるまでの時間を延ばしつつチャーシューの温度を冷ますことなく最後に食すことが出来るのだ。
そうして露出した麺は、所謂細ストレート麺と言われるもので、とろっとした豚骨スープが絡んだそれは見ているだけで口の中にヨダレが溢れてくる。
事前準備を整えて、いざ、と思った矢先に、ふと違和感を覚える。
なんだろう、と逡巡すると、答えは直ぐに出た。 - 9二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:36:54
「あ、レンゲ」
レンゲ。それは、ラーメンにおける万能の食器。
スープを呑むため使用することはもちろん、麺とスープを取り分けて1口ラーメンを作る器としたり、スープの中に沈んだ具材を漁る網にもなる。
その用途は百人十色だが、ラーメンを食べる上で箸に次いで絶対に必須と言えるもの。これが無いのは、無しだ。
「あの、すみません」
「レンゲ、あるよ」
「えっ。あ…ありがとう、ございます」
そう言って店主が、カウンター裏から新品のようにツヤのあるレンゲを取り出して渡してくる。いや、何故私がレンゲを求めたのが分かったんだろう。レンゲが欲しいと言おうとはしたけど、言う前に渡してきたよね。
(……たまたま、だよね。うん)
そう解釈して思考を切り替え、渡されたレンゲを使いって箸で持ち上げた麺をレンゲの中にクルクルと円を描くように乗せていく。そして麺をある程度乗せたあと、麺が崩れないようレンゲをスープに潜らせすくい取り、ふーっ、と息を吹きかけ程よく冷ます。
そうして食べやすくなったラーメンを、万感の思いを込めてーー - 10二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:37:37
ズルズルッ
瞬間、舌の上に楽園が広がった。
濃厚な豚骨スープの絡んだ麺が口の中でほどけて混ざり、ひと噛みごとにその香りが喉から鼻に抜け、暴力的な油分が胃へと落ちていく感覚に自主練で疲労の溜まった全身を幸福感が駆け巡る。
(んんぅ〜〜〜っ♡美味し〜〜〜い♡)
ズルズルッ、ズルズルズルッ、と麺を口に運ぶ手が止まらない。スープに絡み、麺に付いて来るシャキシャキの刻みネギ。麺をすする途中で塩っけのあるコリコリのメンマ、スープを吸ってふわっとふやけた味のりで味覚の変化を楽しみつつ、気付けば器の中から全ての麺が消えていた。
(あれ、もう終わり?)
軽く下から箸ですくってみるが、細々した麺はチョロっと浮かんでくるものの、箸でつまんで食べられるほどの長さの麺はパッと見で見当たらなかった。
(はぁ、美味しかった。じゃあ、最後のお楽しみ〜♪) - 11二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:38:35
麺が無くなったことを残念に思いながらも確かな満足感を得て、私は意図して最後までスープの底に沈めておいたとっておきを引き揚げる。
それは、最初に器の底に沈めて、濃厚でこってりとしたスープをこれでもかと吸わせておいた至高の具。
その名は、チャーシュー。
(やっぱり、〆はコレに限るよね)
スープが染みてホロホロになったチャーシューを、できるだけ崩れないように慎重に箸で持ち上げる。
チャーシューからしたたる水滴が、白濁としたスープにひとつ、ふたつと波紋を作る。
(では……いただきます)
形を崩さず持ち上げたチャーシューに、顔を近づけ迎えに行く。したたるスープを一滴たりとも零すものかと口の中に収めていく。
ひと噛み。ジュワァ。
ふた噛み。ホロォ。
(あぁ……食べちゃったなぁ……)
これが罪の味か、と全てが終わってから唐突にやってくるこの感情。これまでの全てが現実逃避だったんだと、嫌でも気付かされるこの感覚。
口一杯に溜めた自らの罪科を、ごくんと喉を鳴らして嚥下する。
ふと、頬に水滴が流れるのを感じた。
そっと指を這わせると、それは何故か眦から出ているようだった。
(うぅ。明日からのランニングの距離、絶対追加する)
なんならレッスンも増やしてもらうようプロデューサーにお願いしようと決意する。
後悔先に立たずとはこの事だ。私は後悔の味を噛み締めつつ、両手を合わせて目を閉じた。
「ごちそうさまでした。」 - 12二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 05:39:50
終わりです。書きたくなったから書いた。
内心描写が甘いとは思うけど本職じゃ無いので許して欲しい。
後悔はしていない。担当はことねぇです。 - 13二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 06:31:10
朝っぱらから良作見せてくれっちゃてさぁ...どうしてくれるの?この俺の外食でラーメン食べたくなった感情...
もう腹鳴らすしかなくなっちゃったよ - 14二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 11:31:04
他スレで手毬は家派か二郎派かという論争が起きて、豚骨好きだし博多ラーメン派じゃね?ってなって書きました
- 15二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 13:42:13
ハーメルンにも上げてる?
- 16二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 13:53:51
滅茶苦茶良かった
豚骨ラーメンたべたい - 17二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 14:03:48
上げてますよー
- 18二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 18:43:42
このレスは削除されています
- 19二次元好きの匿名さん25/01/07(火) 19:56:34
アイマスカテだとSSはあんまり見かけないから助かる
さっき晩御飯食べたのにお腹空いてきちゃった…