とある母親の追憶

  • 1二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:52:43

     ――ねぇお母さま! 見て! キングこんなにはやく走れるようになったんだよ!
     
     ――ねぇお母さま、今日もどこかへお出かけ? ……そう、お気をつけて……。

     ――ねぇお母さま。私決めたわ。才能を認めさせる。キングの名を世界に轟かせるの。

     ――私は私の王道を行くわ。だからどうぞ、ご勝手に

     「行かないで!」

     汗みずくだった。布団が皮膚に張り付いて気持ちが悪い。
     荒ぶる心臓をなだめるため彼女は水差しを探す。白磁のそれを乱暴につかむと、コップに並々と注いだ。

     隣で衣擦れの音があった。起こしたのね。彼女は眉を落として振り返る。
     果たして彼は、彼女の狂態を表情をうかがわせぬ目で見つめていた。
     「悪い夢か」
     「そうね……ええ、悪かったはずよ」
     「なぁ」重い沈黙を割るように、彼は話し出す。腹の奥深くまで響きそうなバリトン。
     「知っているか。キングがURAファイナルズへの出走権をつかみ取ったこと」
     「……」
     「あの子は強い子だよ。誰よりも優しい。もう、俺たちも、現実と向き合うときなんじゃないか」
     年の暮れも近い乾燥した唇が、彼女の名を紡いだ。

     ――グッバイヘイロー。

  • 2二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:53:12

    「敗者に価値はないわ。勝ち続け、すべてを手に入れることこそが一流の定義。負けは無様。違う?」

     それが彼女の価値観であり、端的にこれまでのグッバイヘイローというウマ娘を意味した言葉であった。
     URA本拠を構える日本へ移住する以前より、USAのセミジュニア級では負け知らず。ひときわ輝くその逃げ脚に追いつけるウマ娘は、少なくとも彼女が生活する世界には一人たりとも存在しなかった。
     
     だから彼女がトレセン学園という環境で最初に感じたのは失望だった。
     東北から出てきた、地元では一番の追い込みを誇るというウマ娘とレースしたところ、5バ身以上の大差をつけて完勝。休みを入れないまま他の足自慢とも競ったが、誰一人としてグッバイヘイローに肉薄することすら叶わない。
     これがウマ娘の育成に心血を注ぐ機関なのか。拍子抜けもいいところだわ。このグッバイを期待させておいて、この程度の三流しかいないとはどういう了見か。

     「――おー! オマエ、すっげぇ速いんだな!」
     その声は春風よりも鮮明に、グッバイの耳に届く。
     「じゃあ次はアタシとも競ってくれよ! ウイニングカラーズっていうんだ!」

  • 3二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:53:52

     「……珍しい。もう勝負服があるの?」
     「ああ! なんかよくわかんねーけど、走ってるうちにトレーナーがスカウトしてくれて! んでその人めっちゃスムーズに動いて、昨日届いていま袖通したとこ!」
     「そこまで聞いてないわ」
     グッバイは半眼のまま、そのウマ娘――ウイニングカラーズを眺める。
     浅黒い肌とボサボサの頭髪からは蓮っ葉な印象を受ける。しかし何よりも、その青い勝負服が目を引いた。

     現在、中等部一年で勝負服を所持しているのは、海外で戦ってきたグッバイただ一人だ。
     URAお抱えのトレーナーたちがスカウトにやってくる選抜レースまで、まだひと月の時間がある。おおよそ勝負服はその段階で作成されることが多い。だが、それに先んじてトレーナーと勝負服を持つことは、つまり。

     「そこまで期待されているのなら少しは楽しめそうじゃない。いいわ、グッバイを落胆させないで頂戴ね」
     「あっはは! オマエ性格悪いってよく言われんだろ!」

     確かに耳に染み付いた批評だが、しょせん負けウマの遠吠えだ。
     いいだろう。この見当違いの自信家を二度と立ち上がれないほどに叩き潰せば、思い切ってトレセンに見切りをつけることができる。
     軽い柔軟を済ませたグッバイは、ゴールを睨みつけたままゲートへ入った。

  • 4二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:54:16

     強者ゆえにすべてを見下していた幼くて単純なグッバイの世界。
     それはつまり、自分より強い相手が現れると簡単に壊れるイミテーションなのだ。

     「~~~~~!?」

     肺ごと吐き出しかねないほどの呼吸をするが、ウイニングカラーズとの差が一向に縮まらない。
     第二コーナーに差し掛かった。蹄鉄が芝を抉り、効率的なコーナーを描くが、しかしながらカラーズは既に立ち直ろうとしている。
     「っ――」
     そこでグッバイは見た。カラーズの表情。
     先ほどまでの人の好さそうな笑みとは打って変わった悪魔の形相だ。唇は完全に吊り上がって犬歯がむき出しになっている。走ることを楽しむというより、貪ると表現したほうが適切だろう。
     
     ――なによあれ。単なる先行なのに、なぜグッバイの逃げが追い付けないの。

     技術的な観点で見れば、軍配が上がるのは実戦経験豊富なグッバイだ。コーナリングの正確さ、掛からない精神力。アメリカでたたき上げられた数々は、いずれもカラーズを歯牙にもかけない精度である。
     つまり二人の差を作るのは、暴力的なまでの能力の差だった。

     最終コーナー。既に息が上がり始めていたグッバイの目の前で、カラーズは更なる加速をしてみせる。意識が遠のく。あのスタミナはなんだ。あの速さはなんだ。輪切りにしても「楽しい」しか詰まってなさそうな、あの生物はなんだ。
     ぐんぐん離れていく背中に、グッバイの視界は一瞬だけ真っ暗になった。

  • 5二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:54:37

     一着が確定した瞬間、グッバイは膝から崩れ落ちた。
     頭の内側が羽虫の群れに覆われているようだ。ぐわんぐわん揺れる視界に吐き気さえ覚える。
     「あの娘……さんざん大口叩いたわりに」
     「ねぇ見た? 3バ身差。ダッサ……」
     うるさい、黙れ。
     「よう。スッゲェ逃げだったな! 追いつくのにちょっとビビった! オマエ性格悪いけど気抜いたら追いつけなくなると思った! これからも頑張ろうぜ!」
     爽やかな風をまとわせて、カラーズは手を差し出してくる。
     屈託のない呑気な顔を見ていると無性にイライラする。現実をたたきつけてやりたくなる。そういう衝動を、グッバイは抑えることができなかった。
     「うるさい!」

     グッバイにその手をつかむ余裕などなかった。
     親の仇を射殺す眼光で、カラーズを睨みつける。噛みしめ過ぎた奥歯が軋むような音を立てた。
     「あなた……許さないから。絶対叩き潰す。完膚なきまで」
     「ん? おう、望むところだ!」
     「いい? 一流の称号は……このグッバイ以外が授かることなどあってはならないの。あなたは私の栄光に泥を塗った。私の一流を汚した!!」
     呪詛を吐き散らしながらグッバイは立ち上がる。暗い気迫に気圧され、野次ウマは自然、彼女に道を譲る形となる。

     「おーーーい!! オマエそんなにツンツンしてたら!!! ホントに辛いとき一人ぼっちで立ち上がれなくなるぞー!!!!!」
     ウイニングカラーズの声は届かない。既に駆け出していたからだ。
     
     「……」
     情緒不安定と呼んでも差し支えないウマ娘グッバイヘイロー。
     肩を苛立たせる後ろ姿を見つめる、一つの人影があった。

  • 6二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:54:55

     「君がグッバイヘイローか。アメリカからやってきたと噂の」
     「あら? ……どなたかしら」
     その男は物陰から現れた。ひょろりと背の高い若い男だ。管楽器のように低い声は、鼓膜から臓腑まで震わすよう。
     「君は、そうやって」男の目がグッバイの蹄鉄へ向けられた。「ムカつくことがある度に、虫を踏みつぶしているのか?」
     グッバイは足を退ける。瀕死のカナブンがぴくぴくと震えていた。体液がジャージのステッチまで飛んでいてグッバイは舌打ちを禁じえない。
     「嫌味を言いに来たのかしら。なら他所でやって頂戴。グッバイに止まっている時間なんてないの」
     「そうだな。君はウイニングカラーズにひどくプライドを傷つけられた」
     「――私を侮辱してるの?」
     「逆だ。俺は君の中に輝きを見出した。あれほどの大言壮語を吐いた直後の完敗……普通なら、立ち直るまでしばらく時間がかかる。だが君は、もう思考の方向をどうやってカラーズを倒すか、へシフトしていた」

  • 7二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:55:36

    グッバイにとってそれは当然のことだった。
     実力主義の極北であるアメリカでは、弱肉強食の理が社会の枠組みに落とし込まれている。
     敗北の悔しさに打ちひしがれている者がいれば、誰もが笑いながらその背を蹴り上げる。
     倒れ伏して口の中に入り込んだ泥を噛み潰した屈辱。グッバイはいまだ忘れることができない。
     
     「けれど君の負けん気……うーん、根性の方が柔らかいな。それが同世代どころか、これまで見てきたウマ娘たちの中でも突き抜けている。一流と言っていい」
     「え――?」
     
     その形容詞はグッバイが自分を支えるためによく用いるものだった。
     彼とは初対面で、また親戚筋にトレーナーがいるという話もない。

  • 8二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:55:55

     「そしてその逃げ脚。連戦の上に掛かり気味だったから真価を発揮できなかったが……うん、いいものだ」
     「……あなた、なに言ってるのよ」
     少なくともこれまで投げかけられた言葉のどれとも、彼の放つ言葉は違っていた。失望でも嫉妬でも押し付けでもない、純粋に自分を見て、期待してくれている言葉。
     グッバイの心臓が奇妙な鼓動を打ち始める。

     「俺が君をGⅠへ連れて行ってやる。ウイニングカラーズもきっと来るだろう。だからそこで叩き潰してやれ」
     男は白い歯を覗かせると、グッバイに手を差し出した。アクティブな成人男性特有の、豆で固くなった手のひら。グッバイはこの感触を初めて味わった。

     「いいわ」グッバイはつぶしかねないほど強く握り返す。暗い反骨心が詰まった瞳を彼に向ける。

     「これから、グッバイは他の追随を許さぬ一流になる。そこでグッバイ以外の全てを――」

     「そうだ。グッバイヘイロー、君こそキングなのだと証明してやれ」トレーナーは早口で遮った。キングという単語をよほど言いたかったのかもしれない。

     昭和末期のトレセン学園の片隅。足元に踏みつぶされた虫の死骸が転がる中、このような経緯で二人が生まれた。

  • 9二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:56:16

     まず待ち受けたるはメイクデビュー。日本での出走経験がないグッバイは、日本レギュレーションでのトゥインクルシリーズへ挑戦することができる。
     ゆえに登竜門ともいえるメイクデビューと、そのウィニングライブを避けることはできなかった。
     しかしながら実力差は歴然だ。恐らく今から本戦まで自堕落な生活を送っても、グッバイはメイクデビューで一着をつかみ取ることができるだろう。
     
     けれども。

     「いい機会じゃない。グッバイがどれだけ畏敬するに値する存在なのかを知らしめてやるわ」
     「引退に追い込むつもりか?」

     トレーナー室で二人は紅茶を飲んでいる。トレーナーはインスタントコーヒーを買ってきたのだが、グッバイは頑なに受け入れなかった。
     木造ドアの向こう、廊下では板張りが軋む音が響いている。向かいには医務室。 
     ウマ娘の練習はハードだ。レースでの勝ち星なしは言うまでもなく、トレーニングの事故で走ることを止める少女も後を絶たない。

     「はっ……」グッバイは鼻で笑うと「真剣に戦うだけよ。私の走りに恐懼してアスリートを止めるような器なら、どうせ勝手に絶望して辞めるわ。知らないわよそんな三流の気持ちなんて」
     「不適格者が必要以上に傷つく前に、ここで諦めてもらうってことだな。存外優しいところもあるじゃないか」
     「拡大解釈は気持ち悪いからやめて。さっきの言葉が額面通りの意味しか持たないわ」
     「どうかな……」 

  • 10二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:56:36

     グッバイは舌打ちだけ返すと立ち上がった。

     「練習始めるわよ。この私が見込んだ相手なの。一流のグッバイの素養を引き出す権利をあげる。期待を裏切らないで頂戴」
     「もちろんだ。俺も不適格だとみなしたのなら、傷つく前にとっとと切って欲しい。お優しいグッバイさん」
     「あなた殺すわよ」
     「警察沙汰だな。安心しろ、いくらでも期待してくれ」

     彼は手元から数冊のノートを取り出した。グッバイが一冊を広げると、まだほんのりとインクの香りが残っている。

     「USA支部から君の出走データを取り寄せて、これまでの著名トレーナーが行ったトレーニングをリストアップした。
     俺から見て君の弱点、ならびに長所を伸ばせる種類のものばかりだ。意見があるなら言え」

     トレーナーの目の下はわずかだが充血しているのがわかった。つまりこれを一夜で。
     グッバイは口元を抑えた。クスクスと笑い声を漏らす。
     「……及第点と言ったところね。じゃあ、お望みの通り期待させてもらうわ」

  • 11二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:56:59

     かくしてメイクデビューはなるべくして終わった。
     Make Debutを歌い終えたグッバイは控室へ戻ろうと踵を返す。
     一人のウマ娘が立ちはだかった。

     「……あら。どなたかと思えばいつかの地元一の追い込みちゃんじゃない」
     「っ~~~!!!!」
     前触れなく迫る拳もグッバイは軽くいなせる。本場で散々殴られた記憶から、回避の反射を身に着けていた。
     
     「今日はどうだった? 現実を思い知った?」
     「う、や、なんで、そんな、こと言うの」
     「あなた座学の成績が良かったわね。特に分析系が。パーソナルコンピューターの普及が始まるそうよ。よかったわね、食いっぱぐれることがなくて」
     「ばかに」
     「してないわよ」

     グッバイの脳裏にある光景がよみがえる。一着を取った日の夜だった。胃液を吐き出しながらうずくまるグッバイの背中は、足跡がたくさん残っていた。
     翌日の模擬レースが開催され、先輩たちを抜き去った。また殴られた。次週に催されたジュニアステークスで先輩たちは最後方へ消えていった。
     向こうのトレセンへ進学したのかは定かではないが、潰し続けるうちに彼女らが熱意を失っていく姿にグッバイは快哉を叫んだ。
     
     けれど、グッバイヘイローは一度たりとも、彼女らの悲惨な結末を妄想したことはない。

  • 12二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:57:16

     「まあ待て。そこまでだ」

     割って入る低い声があった。
     階段を登ってくるトレーナーの姿。
     
     「すまなかった。うちのグッバイは口が悪いんだ」
     勝手に所有物扱いするなと小突くが、鍛えているのかびくともしない。

     「……いえ、こちらこそ、悔しくて」
     「泣かないで欲しい」
     「……わたし、おとうさんに、にほんいちになるって……どんなあいてでも、さいしゅう、こー、なー、で」
     「まだpreOPが残っている。メイクデビューで負けたからと言って挑戦が終わるわけじゃないよ」

     そのウマ娘はとうとう泣き崩れた。しきりに家族らしき名前を呼びながら、大粒の涙をこぼし続けている。
     グッバイはそっぽを向いて舌打ちした。苦虫をかみつぶしたようなその顔はトレーナーの記憶に引っ掛かった。

  • 13二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:57:34

     「グッバイは優しさを表現するのが苦手だな」
     「はぁ?」
     「さっきのウマ娘だ。正直なところ逆恨みにしか感じられなかったが、君はそれとなく未来を提示した。
     あの子が落ちぶれていくところを想像したくなかったんじゃないか?」

     運転席の方へ目をやった。トレーナーが運転する車の中でグッバイは外を睨んでいた。レース場周辺には家族連れが多く見られた。
     男性にしてはやはり細めの鼻筋を見つめながら、グッバイは言う。 

     「あなたは本当に拡大解釈が好きなようね。私が実は善人だなんていう、お決まりのストーリーにしたいのかしら?」
     「大衆から好かれるのはいつだって王道さ。君のような才能あるウマ娘ならなおのことね」
     「……っ! うるさいのよ、クズ」
     
     目を逸らしたグッバイだが、視線の先から家族連れは途絶えることがない。コンソールボックスから円柱のガムを引っ張り出してぼりぼりと噛む。
     キシリトールの人工的な爽快感が口の中を満たすと、ちょっと落ち着いた。

  • 14二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:57:48

    「家族と折り合いが悪いのか」
     「……ウマ娘は社会に秩序の崩壊をもたらすって主張する人たち、知ってるかしら。その人たちの娘がたまたま偶然ウマ娘だったら、どうなるのかしらね」

     トレーナーは慣れた手つきでボックスからガムを取り出す。カフェイン入りの黒いタイプだ。
     ややあって、彼は眉尻を寄せながら言った。
     「すまなかった。もう聞かないでおこう」
     「いいわよ。調べても出てこないのは当たり前だもの。グッバイは寛大なのよ」
     「……ああ。ほら、優しいじゃないか」
     「っ。もう、いいわよ。それで」

     恐らくだが。トレーナーは思う。グッバイは、見捨てられた末路というものに潜在的な恐怖を抱いているのだろう。
     社会から見捨てられたヒトが、ウマ娘が、どのような末路を辿るのか。陰惨な事実を記した書籍こそ存在するが、好き好んで読もうとする者は少ない。

     「……」

     トレーナーは味のなくなったガムを、ポケットティッシュに吐き捨てた。

  • 15二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:58:21

     枝だけがうらぶれたように残されていたソメイヨシノの木々に、再び薄桃色の花々が萌えた。
     ウマ娘としては重要なクラシックの一年が始まる。 
     
     昨年度は札幌記念、セントライト、アルゼンチン共和国杯と一着を勝ち取ったグッバイヘイローだったが、宿命の相手とはいずれもあいまみえることはなかった。
     その相手、ウイニングカラーズは来年のシニア級に向けて桜花賞の受賞を狙っていると公式に発表。短距離こそカラーズの適正距離ではあるが、しかしアイビーステークス、赤松賞などでも結果を残していることから、中距離までなら対応できるのは明白だった。

     トラックを駆けていく浅黒い肌が注目を集めている。
     理事長じきじきに練習の様子を見に来ていたからだ。トレセン学園としても、注目株として彼女を推薦することに決めたらしい。

     グッバイはテーブルを叩いて立ち上がった。
     「ならグッバイも桜花賞よ。トレーナー、あなた言ったわよね、GⅠでじきじきに叩き潰せって」
     「やるのか」
     「やってみせる。連続で一着を取り続けたグッバイの才能は疑うべくもないはずよ。トレーナー、あなたは自分のやるべきことを心得ているわね」
     「……」

     トレーナーはグッバイの目を見やる。その奥に燃え盛る憎しみの炎。一年前、プライドを傷つけられた事件はグッバイの中に色濃く焼き付いている。
     そして記憶はある光景を映し出した。メイクデビューの後、失意のどん底にいた追い込みの少女を見下ろす、同情心に溢れた目つき。しんそこ気の毒に感じている目つき。
     どちらが本物のグッバイなのだろうと考え、トレーナーは結論した。
     どちらも彼女だ。俺は彼女を一流にすると誓った以上、そして彼女の脚に惚れた以上、この王道を突き進ませる。

     「もちろんだ。ウイニングカラーズの情報は常にチェックしている」
     「いいじゃない。このグッバイに相応しくなってきたわね。褒めてあげるわ」

  • 16二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:59:00

     阪神競バ場の選手通用路。会場に押し掛けたトゥインクルファンの声援が、地響きを伴ってここまで伝わってくる。
     「おー! グッバイヘイロー! なんか久しぶりな気がするなー!」
     「人の名前を大声で呼ばないでくれないかしら。私あなたのこと嫌いなの」
     「あっはは嫌われてんなー! でもアタシはオマエのこと好きだぜー!」
     「気持ちが悪い。くっつかないで」

     カラーズはグッバイから離れるが、いたずらっぽい笑みはそのままだ。グッバイは舌打ちと共に触れられた場所を露骨に払った。

     「いい」黄金色の瞳が天才を見つめる。「グッバイヘイローは今日のレースでウイニングカラーズへの雪辱を果たす。せいぜい首を洗って待っているがいいわ」
     「せつじょく? なんかオマエの言葉遣い無駄に仰々しくてよくわかんねーよ」
     「あらそう。ならいい学習の機会じゃない、身をもって味わえるのだから」
     
     去り行く背中を見てカラーズの中に沸いたのは興奮だった。明らかに去年のグッバイヘイローとは違うとわかる。陰影の濃くなった脚もさることながら、目つきの鋭さは刃の如く研ぎ澄まされている。逃げ脚のキレも恐らく。
     
     あの春。彼女が万全なら危なかったとカラーズは評したが、それは本当だ。スパートがほんの僅かでも遅れていたのなら、追い抜かれていた可能性だって十分あり得る。

     「アタシのこと嫌いならぶっ潰しにこいよー! 返り討ちにしてやっから!」
     「そう? なら私も宣言するわ。あなたはグッバイを引き立てて無様に負けるの。将来のために高等部のお勉強でも始めることね」

  • 17二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:59:33

     出走まで十分を切った。らしくなく、グッバイは落ち着かない様子だ。しきりに屈伸をしたり、深呼吸をしたかと思えば目を閉じて自分を高めようとしている。
     だが緊張に抗うのは無意味だと判断したのか、彼女はトレーナーに一歩だけ近寄った。

     「ねえ、トレーナー」
     「なんだ」
     「言って。グッバイには才能があるって。一流のウマ娘は、この世にグッバイただ一人だって」
     「ジュニア級の華々しい戦績を思い出せ。君の脚には誰も追いつけない」
     「違うわ。それは私が求めていた答えじゃない。それがわからないあなたじゃないはずよ」

     パドック前の薄く赤い通用路。トレーナーは余裕なんて欠片もない瞳に見つめられている。常に迫る恐怖からの逃亡。それこそがこの少女の本質なのだと彼はとうに理解していた。
     けれど彼は勝利のために尽くしてきた。ひとえに、グッバイヘイローという少女のため。
     トレーナーは肩を力強く叩く。そこに自分の期待を託すかのように。

     「俺は……君こそが一流だと信じている。君の才能を思うまま見せつけてくるんだ」
     グッバイはわずかに頬を染めて笑った。
     「――ええ、見ていなさい。新たなG1ウマ娘が誕生する姿を」

  • 18二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:59:56

     ある意味気の毒なレースだった。最初からこの場は、二人のために用意されたものだったのだから。
     先頭集団――否、火花散らす二人は第二コーナーをほぼ同じタイミングで曲がり切った。
     ハナを駆けるグッバイヘイローならびにウイニングカラーズから三位までの距離は9バ身以上。絶望的な差が、上り坂も相まって拡大しつつある。その他に成り下がったウマ娘たちは、大気を唸らせながら走る背中を前に呆然とする他ない。

     両雄は併走したまま猛然とした勢いで第一コーナーを曲がった。
     マエストロのような華麗なコーナリング。

     (まだ本気じゃない……)グッバイは横目でうかがう。(最後の坂道を前に溜めているのね)
     阪神競バ場直線の急勾配。その長さもさることながら、最後の気力を容赦なく殺しにくる難所だ。ただ歩くだけなら何の変哲もないが、1km以上を疾走した肉体には垂直の壁に等しい。
     
     ふいにカラーズが表情を変えた。
     来るわよ。
     グッバイが予感した瞬間。身震いするような空白が生じ、それを置き去りにカラーズが走り出す。

     『ウイニングカラーズ! ここでスパート! 速い速い! 阪神の坂をものともしない!』

     「追い抜く」
     足に力を込めた。スタミナを一気に噴出させる。酸素の欠乏によって視界の端が白く染まっていくがまだ脚が動くので問題はない。
     距離がみるみるうちに詰まっていく。呼吸さえ置き去りにする急加速は、もはや差しや追い込みのそれと近しかった。少なくとも逃げに適正のある彼女がとる戦法ではなく、ガス欠はほどなくして訪れるものとされる。
     
     だがグッバイの中では一流という単語が何度も繰り返されていた。
     かつて自分を肯定してくれた単語が何度も思い起こされていた。

     「きたなぁ! 本気のオマエ!」
     「抜かす……! 抜かす……!」
     
     『追いすがるグッバイヘイロー! 両者一歩も譲らない角逐!』

  • 19二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:00:18

     意識が戻ってきて最初に感じたのは、喉ごと転がり出てきそうな呼吸だった。どうやら自分の呼吸らしい、グッバイはももうろうとした頭で考える。
     次に聞こえたのはけたたましい歓声だった。鼓膜が割れそうな音圧はグッバイに奇妙な、こみ上げるような感情をもたらす。

     「「グッバイ! グッバイ! グッバイ! グッバイ!」」

     『驚異的な大逃げ! 時代の優駿ウイニングカラーズを追い抜いて! いま! 日本にグッバイヘイローというG1ウマ娘が誕生しました!』
     
     グッバイは震えたまま電光掲示板に目をやる。
     一着――グッバイヘイロー。
     二着――ウイニングカラーズ。

  • 20二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:00:35

     「あー……クッソ、負けた。速いな、オマエ」
     振り返るとカラーズは芝に身を横たえていた。玉のような汗を春の残滓を引きずる風が乾かしていく。よっこらせっと。カラーズは起き上がると、グッバイに手を差し出した。口元には、あの日と何ら変わらない爽やかな笑み。

     「まんまと叩き潰されたけど……次はこっちの番だ。またやろうぜ」
     「あ……」

     グッバイは戸惑う。彼女にとって勝利とは敗者の嫉妬と憎しみを背負い続けるものだから。
     セミジュニア級の凱旋門賞を獲得したグッバイを迎えたのは、薄っぺらい賞賛と心無い罵声の数々だった。味蕾を満たしたのは泥と虫の死骸の味だった。
     
     置き去りにされた子供のように周囲を振り返ると、客席のほう、ハンカチで目元を抑えるトレーナーの姿があった。

     私が勝ったから、あの人は感動のあまり涙しているというの?
     グッバイの勝利が、大勢の観客にドラマを与えたというの?

     そうか。グッバイは一度だけ目頭をぬぐった。

     つまり、私は一流であれたんだ。
     
     生まれて初めて走ることが楽しかった。

     「……」
     「アタシのこと嫌いならいーけどさ」
     「いいえ」グッバイは、自然にその手を握ることができた。
     「あなたをこの私のライバルと認めてあげる。また走る権利をあげるわ」
     「……ぷ、あっは、ははは! 何で上からなんだよオマエ!」

     グッバイが空を仰ぐと、ちょうど雲間から光が差し込むところだった。

  • 21二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:00:53

     「最近は景気が好調と聞いていたが……まさか大阪でファッションショーなんて」
     「あなた、こういう方面には疎いの? ダメね。私のトレーナーとしては落第よ。今日で学習なさい」
     「君は人に学習を勧めるのが好きだな。やさしさの表れだ」
     グッバイは何も言わないままトレーナーのすねを軽く蹴った。
     うめき声が聞こえるが抑え気味。それもそのはず、会場となるホールには開催前の厳粛な沈黙で包まれている。
     
     ホテルを引き払って東京へ戻る前、グッバイの提案でファッションショーを見るために足を向けた。トレーナーはどことなくご機嫌だった。ひょっとしたら、グッバイが自分に趣味を打ち明けてくれたのが嬉しかったのかもしれない。

     程なくしてショーが始まる。パリコレ系の衣服をまとったモデルたちがランウェイを歩いては戻っていく。その悠然とした足取りにグッバイは少女らしい憧れを抱いている。

     「服が好きなのか」
     ショーの閉幕も近づいた頃、トレーナーは小さな声で言った。
     「ええ。でも、あれはダメね。私ならもっと黒と緑を入れる。サイケかつデジタルなイメージこそ重要だと思うわ」
     「一家言あるんだな」
     「ええ」
     「そうか。じゃあいつか君をパリにも連れて行こう。一緒に凱旋門で写真でも撮ろうか」

     グッバイはすねを強めに蹴ったが、トレーナーは面白そうに笑うばかりだった。

  • 22二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:01:17

     いつしか二大巨頭と呼ばれるようになっていた。
     G1に限らずマイルコースでウイニングカラーズとグッバイヘイローが並走する様は、多くの観客を沸かせる。
     
     夏合宿も終わり、トレセン学園敷地内の葉も次第に赤みがかってきていた。
     高等部三年は進学か、このままレースを続けるかの選択に迫られるウマ娘も多い。

     「ようグッバイ」
     昇降口で上履きを脱いでいると、物陰からカラーズが現れた。
     「何かしら。G1ウマ娘ともあろう者が暇を持て余しているの? そんな時間があるなら、秋の天皇賞は私の勝ちね」
     天皇賞秋。その単語でカラーズの目は一瞬鋭くなる。うちに潜む悪魔の笑みだ。グッバイはその眼差しに好意を抱いていた。好敵手としての資格であると捉えていた。

     だが次の瞬間には平時のカラーズに戻っている。二面性の激しさには未だ慣れそうにない。

     「トレーナーから休んでこいって言われてさー、めっっちゃヒマだったわけ。そこに通りかかったのがオマエだった」
     「……お生憎様ね。いいわ、あなたにグッバイを楽しませる権利をあげる」
     「オマエ素直じゃねーなー。トレーナーのすね蹴るのやめろよなー」
     「えっ!? なんで知ってるのよ! 答えなさい!」
     「いやカマかけただけだけど……ホントに蹴ってるなら下手したら骨折だしやめろよな?」
     
     二人は日常でも行動を共にする機会が増えた。
     グッバイヘイローにしてみれば、生まれて初めてできた友達と言える。
     もちろんこれは誰にも口にしていないが。

  • 23二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:01:25

    このレスは削除されています

  • 24二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:01:35

     「……本当に辞めるの?」
     「うん、ごめんね。菊花賞でも皐月賞でも8着だった。あはは、ダメだよね。地元じゃ負け知らずだって言っても、ここは中央なんだから。来られただけでもありがたく思うよ、うん」
     「まだ! まだ一年ある!」パーソナルエンスンは身を乗り出す。「シニア級で起死回生を!」
     「ごめんね。グッバイさんに勝てる気がしないんだ。あの人、本当に強いの。夜遅くまでずっと走ってるし、最近はそこにカラーズさんも加わった。
     知ってる? 世代の二天って呼ばれてるの」

     「だからって……! あんな風に言われたままでいいわけない!」
     「パーソナルちゃんには、パーソナルちゃんは……」かつて地元一の追い込むと謳われたウマ娘は、小さく目を落とした。
     「足の怪我、春には治るんでしょ? 来年で、三冠とってね。私の代わりに」
     「ヘイズン、待って……」
     「……」
     「友達でしょ……私」
     ドアノブに手をかけ、ヘイズンフォローは苦々しく笑った。

  • 25二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:01:53

     「パーソナルエンスンに勝利あれってことで!」

     ばたん。
     勢いよく閉じられた寮の扉を、パーソナルエンスンは空虚なまなざしで見つめる。
     駅で、店で、町でよく見かけたポスターを思い出した。
     ブラウン管を点灯すると、今でも辛うじて一着をつかんだグッバイヘイローの姿が放映されている。天皇賞・秋決着の光景だ。
     去年の春の、余裕が一かけらもなかった顔を思い出した。

     ヘイズンは無力感に打ちひしがれたまま、故郷へ帰った。
     確かに中央でやっていけるだけの才能は彼女にない。
     だが、右も左もわからないパーソナルを学園に馴染ませてくれたのは、ヘイズンだ。
     「……グッバイ、ヘイロー」

     パーソナルエンスンの黒すぎる目が、画面に映る顔を睨みつけた。

  • 26二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:02:07

     シニア級。トゥインクルシリーズ挑戦最後の年が始まった。
     ウイニングカラーズは高松宮記念で堂々たる一着をつかみ取り、相対するグッバイヘイローも大阪杯でまた多くの観客を沸かせた。
     期待の膨れ上がる両者の激突の場はヴィクトリアマイルとまことしやかにささやかれ、そして今日、URA主催の会見によりカラーズ、グッバイ両名が出走を表明。かつての天皇賞秋の再現とされ、ウマ娘業界は大きな盛り上がりを見せた。

     出走当日。簡素なビジネスホテルの一室で、グッバイは割り当てられた出バ表に目を通している。
     「パーソナルエンスン?」
     「どうかしたのか」
     「いえ……記憶違いかしら。どこかで見たような名前なのよね」
     「俺にも見せてくれ」

     トレーナーはノートを開いた。あれ以来、日本支部USA支部を中心に有力なウマ娘を調べてはまとめている。
     「……すまない、載っていない」
     「ということは、今回がG1初挑戦のウマ娘ということなの?」
     「そうかもしれない。しかし、君が食いつくとは珍しいな」
     「……警戒しておいた方がいいかしら」
     「俺は君の中の一流を信じる」
     
     差し脚。適正距離はマイルとの申告。

     「カラーズさんの適正もマイルなのよね。それに最終コーナーからの急加速は差し脚と近しいものを感じたわ」
     「カラーズの対策と同時にこなせれば」
     「理論上は……平気なはずよ」

  • 27二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:02:22

     『さあやって参りましたヴィクトリアマイル! 涼やかな春疾風がターフの緑を撫でる中、ウマ娘たちが次々ゲートインしていきます!
     一番人気、二天の片割れ、不動のウイニングカラーズ! 驚異の逃げ脚を発揮できるか、二番人気グッバイヘイロー! この評価は少し不満か? 三番人気オシリステンクウ!』

     (パーソナルエンスンは注目されていないの……? 私の杞憂……?)
     
     グッバイヘイローは横目でカラーズと、そしてパーソナルエンスンをうかがった。
     口元は半開き、目は据わっている。うつろな眼差しは蜂のホバリングのように揺れていた。手指はだらりと垂らされたままで、細くて長い背丈は見事なまでの猫背だ。
     なによ、あれ。不気味にも程があるわ……。

     『ゲートイン完了!』
     
     グッバイは意識を引き戻した。目の前の芝を見据え、ただ出遅れないように聴覚を研ぎ澄ます。
     視界をさまよわせ、客席にトレーナーの姿を見つけた。

     そうね。私は一流。ただ全力で挑むだけよ。

     『今ゲートが開かれました!』

  • 28二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:02:45

     ハナに立ったのはグッバイヘイロー。背後にぴったりオシリステンクウが付き、その後ろ、集団の中央からウイニングカラーズが抜け出すタイミングをうかがっている。
     
     坂道を超えたところでオシリステンクウが掛かった。数秒間だけ一位を独走するが、やがてスタミナ切れで後ろの方へ消えていく。その間隙を縫ってカラーズが一歩踏み出た。歓声が大きくなる。求めていた二天の争いだ。
      
     無我夢中で最終直線に差し掛かった。カラーズの笑みが変貌し、グッバイが神経を研ぎ澄ます。
     グッバイの思考から既にパーソナルエンスンの存在は抜け落ちていた。一瞬でもペースを乱すと蹴落とされる。前のめりになりながらカラーズの健脚を置き去りにせんと走っている。
     その黄金比を崩したのは突風だった。

     『なっ、えっ!? あ……なんでしょうこの急加速! ありえません、いや、現実に起こっています! パーソナルエンスン、最終直線で尋常じゃない勢いでスパートをかけました! 夢を見ているのでしょうか、10バ身以上の差が瞬く間に縮められていきます!』

     グッバイの背後から、とてつもなく、黒いものが迫り寄ってくる。
     グッバイヘイローはかつて、過去や後悔や自己肯定感の低さ、それらにまつわる暗い過去から逃げるように走っていた。
     常に迫る恐怖からの逃亡。

  • 29二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:03:02

     「――グッバイヘイロー。君は言ったよね。ジュニアが始まったあの年、春に。ヘイズンを見下しながら」
     「……あ」
     「敗者は無価値だって」

     ささやきを受けたグッバイのペースが壊れる。世界から一切の音が消え去り、残ったのはパーソナルの弾劾だけだった。
     その内容を捉えていなかったトレーナーだが、彼女らの間で何があったのかを超感覚的に理解した。

     「グッバイ! 耳を貸すなぁ!」
     「自分がこれまで何人踏みにじってきたのか」
     「グッバイ!!」
     「自分がこれまで何と言ってウマ娘を傷つけてきたのか」
     「グッバイ!! 聞かないでくれ! 君は一流だ! 誰よりも一流だ! 前を向け! 俺がいる!」
     「自分の安心のため他人を嘲笑っておいて何が一流だ」

  • 30二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:03:22

     敗者に価値はないわ。勝ち続け、すべてを手に入れることこそが一流の定義。負けは無様。違う?
     これがウマ娘の育成に心血を注ぐ機関なのか。拍子抜けもいいところだわ。このグッバイを期待させておいて、この程度の三流しかいないとはどういう了見か。
     「ああ」
     ……あら。どなたかと思えばいつかの地元一の追い込みちゃんじゃない。
     今日はどうだった? 現実を思い知った?
     「あああ」
     あなた座学の成績が良かったわね。特に分析系が。パーソナルコンピューターの普及が始まるそうよ。よかったわね、食いっぱぐれることがなくて。 
     散々馬鹿にしていたグッバイに追いつけないで、やることが陰口と嫌がらせ?
     ハッ、天下のUSA支部といえどもこれじゃあお里が知れるわね。所詮移民でごった返した国なのよ。
     グッバイのことを無能と呼ぶのなら、それに負けたあなた達はまさに無価値ね。自己紹介ご苦労様。
     「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」



     『ご……ゴールイン。なんということでしょう! 余りにも予想外のどんでん返し!
     一着にパーソナルエンスン! 二着、ウイニングカラーズ! そしてグッバイヘイローは、途中からペースが乱れに乱れ……9着、です』

  • 31二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:03:37

     新たなG1ウマ娘の誕生に、会場は大いに盛り上がっている。
     控室まで伸びる廊下。そこに立っているグッバイヘイローには、何の表情も浮かんでいなかった。
     「グッバイ……」
     「トレーナー、トレーナートレーナートレーナートレーナートレーナートレーナートレーナぁ!
     どうしよう! グッバイ無価値だった! グッバイに生きる意味なかった! 生まれてきた意味なかった! あそこで死ぬべきだった! 笑いものになっちゃった! 一流じゃなかった! 一流なんて蜃気楼の搭だった! みんなを傷つけちゃった! 仲良くしたかったのに! グッバイみんなが怖かったから! だから、あ……」
     「もういいんだ」

     グッバイヘイローはこれまで抱きしめられた経験がなかった。
     不慣れが極まった感触にすべての衝動が打ち砕かれて、自己嫌悪も、自己否定もできなくなる。

     「俺が君の傍にいるから。俺が君を認め続けるから。
     泥に塗れたらシャワーを浴びよう。笑いものになったら遠いところへ行こう」
     
     「……トレーナー」

     「君は優しいよ、グッバイ。もっとそれをわかりやすくできるように、頑張っていこう」

     俺にとっては、ただひとり、君こそが一流のウマ娘だから。

  • 32二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:03:52

     模擬レース。
     選抜レースに次ぐ、URAより派遣されたトレーナーたちが、トゥインクルシリーズを踏破するために担当するウマ娘を選別する儀式だ。ここでトレーナーを見つけられなければ、頂点をつかめる可能性は限りなく薄くなる。

     つまり負ければ望みは薄いということ。

     「はあ……はあ……。………………っ!」

     キングヘイローは聡い少女だ。自分が周囲からどんな目を向けられているのか察せないはずはない。
     だが彼女は顔を下げなかった。母親を見返すため、自分の才能を証明するため、どんなに泥に塗れても、笑いものにされても、前へ進み続けることこそ一流たると信じているから。

     「そうよ、私に注目なさい! そして、しっかり覚えておくといいわ!
     私はキングヘイロー、一流のウマ娘よ!」

     トレーナーたちの間に苦笑が走る。いや、嘲笑と呼んでも差し支えないものもあった。
     キングは目頭に力を込めながらも毅然とした態度を崩さない。たとえそれがやせ我慢であったとしても、キングの才能は本物なのだから、きっといつか私は一流になれるのだから――

     『∩ そして―こそ、一流トレーナー!』

     「へ?」その人物を前にして、キングは呆気にとられた。

     「君、大丈夫? その子はグラスワンダーじゃなくて、キングヘイロー……」同僚と思しきトレーナーがそれとなくたしなめるが、その人物は怯まない。

    『∩ いいえ、彼女であってます! 彼女こそが一流です!』

     「……!」
     
     キングの胸に、ひとつの熱いものが灯った。

     「――お母さま、一流の私『たち』を見ていなさい!」

  • 33二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:04:08

     「……荷物はまとめ終わったか?」
     「ええ。三回確認してもらったから平気よ」
     トレセン学園の寮の一室。基本二人で一部屋が宛がわれるようになっているが、その片方だけ奇麗に空っぽになっていた。
     外には満開の桜が舞っている。春の雨と表現する詩人もいるが、視界を埋め尽くすピンク色を見る限りそう考えるのも間違いないだろう。グッバイはキャリーバッグに軽く寄りかかりながら、中等部を過ごした部屋を見渡した。

     「……いいのか」トレーナーが尋ねる。
     「いいのよ。それに」グッバイはトレーナーへ目線を送り、少し柔らかく微笑んだ。
     「一緒にパリへ行こうと言ったのはあなたよ?」
     「そうだな」
     「ねえ、あなた。フランス語は喋れるかしら。私は日常会話くらいならできるけど」
     「一か月教室に通ってみっちり仕込んだ。任せておけ」
     「なら安心ね。さすが私の……元・トレーナー」
     「向こうについたら、俺も仕事を探さないとな」
     「いいえ、当座の生活資金自体はレースの賞金があるもの。あなたは型紙の勉強をしなさい」
     「……服飾は詳しくないんだ。お手柔らかに頼む」
     「あなたはグッバイが立ち上げるブランドのパタンナーになるの。私のデザインを形に起こせる世界で唯一の栄誉を手にするのよ? 光栄に思いなさい」
     「そうだな。俺が君を必要とする。君も俺を求めてくれ」

     トレセン学園のターフでは、今日もそれぞれのチームやウマ娘たちが栄光を求めて鍛錬に励んでいる。
     校門を出る際、浅黒い肌のウマ娘がグッバイの後ろ姿を捉えたが、
     グッバイは、かけられる呼び声は聞こえなかったことにした。

  • 34二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:04:23

     ――ねぇ、お母さま。
     「どうしたの?」
     ――あの人、ムカつく。キングの足が遅いって笑うのよ。
     「ダメよキング。ムカつく、なんて言葉を使っちゃ。頭に来る時があったらね、こう言うの」
     ――?
     「おばか、へっぽこって」
     ――でも、それじゃ言い返したことにならないわ。
     「いいの。いい、キング。誰かに優しくできる人が、世界で一番強い人なのよ。
     だから、誰かに優しくできる大人になりなさい」
     ――うん、わかった。キング、誰かに優しくできるようになるわ!
     「……ええ、本当にいい子ね、キングは」

  • 35>>121/09/12(日) 21:04:47

    終わりです。長すぎて草

  • 36二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:05:40

    いやすげぇわ…ほんと凄いわ

  • 37二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:06:04

    良かった

  • 38二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:06:24

    とてもよかったです

  • 39二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:08:16

    救われねぇ…

  • 40二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:09:47

    >>39

    これまでのことを考えたら救われちゃ駄目だと思うんだけどな…

  • 41二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:12:02

    最初に見てたのトレーナーじゃなくてパーソナルか

  • 42二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:16:28

    凄い文章力で面白かった、こんなの書けるようになりたいわ…

  • 43二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:19:17

    カラーズが一番かわいそうじゃねえか・・・・G1逃してライバルも喪って

  • 44二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:23:18

    あにまん掲示板に不法投棄していいのか?ってレベルの凄いSSだったわ…地の文も含めて文章力が凄い

  • 45二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:28:58

    Kalafina「to the beginning」PV HD 1080p

    途中からずっとこれ流れてた

  • 46二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:30:20

    頼むからpixivかハーメルンにも投稿してくれ

  • 47二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:31:54

    重たいディナーだった
    ごちそうさまでした

  • 48二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:36:20

    こういう叩き上げで才能ある他人との接し方が生まれや幼少の頃の経験のせいで上手くない天才が、喜びや挫折や後悔の中で成長していくの良いよね…

  • 49二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 21:41:05

    おつらい
    でもだからこそキングがあんな優しい子になれたんだって思うともっとおつらい

  • 50二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 22:23:03

    この苦味走った文章が俺に喝を入れ、生きる活力を与えてくれる…
    ありがとう

  • 51二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 22:26:33

    纏めてハーメルン辺りにぶん投げろ

  • 52二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 22:28:28

    ウイニングカラーズすき

  • 53二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 23:24:02

    これあにまんじゃなくて渋に投稿した方がいいと思うぞ

  • 54二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 23:25:23

    >>23

    無産が調子乗るなよ

  • 55二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 23:51:24

    これトレーナーがキングパパってことでいいん?

  • 56二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 23:54:29

    とりあえず本家あにまんにも拾われてほしい

  • 57二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 00:15:40

    泣いてしまった…最高か?

  • 58二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 00:47:06

    このレスは削除されています

  • 59二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 00:57:59

    いやぁ素晴らしい
    レベル高いわ

  • 60二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 04:20:09

    良かった、周りを傷付ける痛みがわかったから、娘は優しくなれたんだ
    犠牲はでたし、それは許されることじゃないけど、せめてキングヘイローが周りを気遣ういい子に育ってくれたのが幸いなんだ

  • 61二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 07:10:20

    >>41

    肩を苛立たせる後ろ姿を見つめる、一つの人影があった。


    二次元好きの匿名さん21/09/12(日) 20:54:55

     「君がグッバイヘイローか。アメリカからやってきたと噂の」


    ここのことならトレーナーじゃない?

  • 62二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 09:43:17

    なんであにまんに投稿したのこれ

  • 63二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 09:45:16

    ハーメルンか渋に投げろ
    投げてくださいお願いします

  • 64二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 13:01:59

    とても、とても良いものを読ませていただいた
    ……それはそれとして、スレ主はここにいていい人じゃあない
    こんなところで腐ってないで、さっさとハーメルンかpixivに行くんだな

  • 65二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 13:06:34

    パーソナルエンスン調べたけど13戦13勝って化け物だな…

  • 66二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 13:20:35

    一流のssだった

  • 67二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 13:41:50

    お、重い…

  • 68二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 14:30:35

    キングと一流とママとパパがどこまでも対比になってんの残酷すぎるわ

  • 69二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 20:25:49

    >>45

    まあラストでこれ思い出すのはわかる

  • 70二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 20:27:29

    トキノミノルの人?

  • 71二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 20:50:29

    ミス・パーフェクトか…

  • 72二次元好きの匿名さん21/09/13(月) 20:52:56

    このレスは削除されています

オススメ

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