【最古の鐙】三国志の時代から鐙があったことが確認される

  • 1二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:14:24
  • 2二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:15:47

    カテゴリー間違ってない?

  • 3二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:16:42

    >>2

    鐙の話だから間違ってないのでは

  • 4二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:19:49

    >>2

    鐙は馬具なので合ってる

  • 5二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:20:29

    >>2

    このスレタイでなんでそう思った?

  • 6二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:23:28

    >>5

    よろいと読み間違えの可能性

  • 7二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:24:00

    興味ない人からしたらピンとこないだろうけどかなりの大発見だぞこれ

  • 8二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:26:09

    競馬も元を辿ればより強い馬を育てるイコール強い軍馬を育てるに繋がるし軍馬の負担軽減ための馬具と見ると文句は無いな
    でもコーエーの無双とか三国志見てると当時の武将が当たり前のように馬具フル装備してると思ってたけど確かにこんなフル装備なわきゃねえよな

  • 9二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:34:19

    無理矢理ウマ娘の話に繋げると赤兎馬とか的盧もウマ娘だったんだろうなあの世界だと

  • 10二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:34:39

    >>8

    と思ったらよく見たら無双は鐙ないねぇ!今後の作品には描かれるかもね

    ついでにリンク先の鐙も

  • 11二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:35:47

    >>8

    そもあの時代の製鉄技術でこんな装飾出来るの?

  • 12二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:38:22

    >>11

    金は展延性が高いから加工しやすいんで古代エジプトとかでも装飾品として使われてたぞ

  • 13二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:42:17

    >>11

    三国志時代の鎧でこんなんだぞ

    明光鎧は身分の高い人用だったそうだけど

  • 14二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:46:28

    鐙がなくても騎射できる遊牧民族に対抗しての発明なのか
    馬に精通した遊牧民族の発明なのか
    どっちなんだろうなあ

  • 15二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:52:24

    創作の話だがヒストリアとかでも軽く描かれてたが
    古代史の鐙がない時代の騎兵ってのは後世思う以上に特殊技能で、馬に乗って武器を使えるってだけで戦場を一変させるような戦力だったって分析する人も多いよね、だからチャリオットが主力だった
    鐙の発明で近接騎兵の敷居は下がってまとまった騎兵部隊が全世界に広まったのは革命的
    弓騎兵は後世でも相変わらず特殊技能だったから遊牧民族が猛威を奮ったんだが

  • 16二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:56:08

    >>14

    今回鐙(の痕跡)が見つかったのが呉の将軍の丁奉の墓なんだけど呉って地理的に遊牧民よりは湖族(海賊の湖版)とか相手にしたり赤壁の戦いみたいに海戦の方が多い場所なんだよね

    そこにも浸透してたならもっと早くからこの地図でいう魏と蜀の地域では使われてた可能性がある

  • 17二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 09:57:09

    呉の南京で見つかったのをどう捉えるかだな、南船北馬と昔から言うし
    騎馬に不慣れな江南の人が使ってるくらい見つかってないだけで既に普及してたのか
    あるいは北方の人は異民族含めて裸馬に乗れるのが多かったからそんなもの考えもせず、南方の人が頑張って発明したのか

  • 18二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 10:19:02

    じゃあなんですか
    古代欧州は歩兵脳筋蛮族プレイ文化だとでも言うんですか

  • 19二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 10:33:00

    >>18

    ローマのエクイテスとかいたけどもまあ歩兵が圧倒的主力だったのは間違いない、とはいえ地形の問題もあるからな

    中国北部~西アジアと違って当時の欧州は狭い中に森と山が詰め込まれた地域だったし騎兵は使いにくい

    中世ヨーロッパに騎兵が花形になるのは森をあらかた切り開いて平地が大半になってからだしね

  • 20二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 10:41:13

    3000年以上前に馬と戦車を駆使して
    古代エジプト王朝滅ぼしたヒクソスって
    実はとんでもない化け物集団だったのかな…

  • 21二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 10:52:22

    これで三国志の話する時
    「三国志の時代にはまだ鐙もなかったんだぜ〜ッ」ってドヤ顔で話せなくなるな

  • 22二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 10:55:12

    蒼天航路だと「足プランプランして馬乗ってたらどうにも絵にならん」と史実をあえて無視して鐙を描いたのに(達人伝だと鐙がない)、ここにきて鐙あったこと判明するとか胸熱

  • 23二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 10:57:23

    >>20

    あれはそもそも鐙とか騎兵以前に馬自体を地中海世界に広めた先駆者だからね…

  • 24二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:09:18

    >>12

    >>13

    サンクス

  • 25二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:09:34

    >>22

    でもこれ馬に乗るための補助具であって

    今でいう鐙の使い方はまだされてなかったって見られてるみたいだぞ

  • 26二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:09:37

    >>11

    話題的にはちょいずれるけど漢以降の中国は質量ともに鉄の先進国ではある

  • 27二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:13:33

    >>22

    達人伝見返したけど確かに鎧なかった

  • 28二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:14:11

    >>25

    なーんだ

  • 29二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:22:30

    センゴクも「馬はサラブレットのデカさに描かないと迫力出ない…」と苦心したそうだし歴史漫画家は馬に苦戦しがち

  • 30二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:22:38

    これまでは鐙がまだないから演技のような馬上一騎討ちは無理じゃね?ってのがワンチャンありになった。正史でも多少は記載あるしな(正史=史実でもないけど)

  • 31二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:26:21

    >>30

    武将同士の一騎討ちは盛られまくってるとは思うけど、当時でも騎兵同士の近接戦闘自体は間違いなくあったからやろうと思えば斬り合い自体はできるはず

    まず馬上で武器を振れる時点で互いに武術の達人レベルではあるが

  • 32二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:29:26

    蒼天航路でも烏丸族は鐙使ってないんだよね

  • 33二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:35:13

    >>15

    自分もそれ思い出したな

    騎馬民族のスキタイも使っていたが、ローマには鞍も無かったんだっけ?

  • 34二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:36:29

    >>33

    鞍はマケドニア王国にも有ったので有る

    鐙はフランク王国時代でようやく

  • 35二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:37:05

    鎧は弓の歴史にも関わるんだよね
    戦車を用いていた時代は人相手に、さらに足場が悪いから小型化が進むんだけど
    鎧があると止まった時に足で踏んで立ち上がり固定して矢を狙える様になった

  • 36二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:40:55

    遊牧民族が乗ってた馬ってサラブレッドみたいな軽種馬だっけ?

  • 37二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:53:47

    >>36

    モウコノウマちゃうんか?

  • 38二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 11:57:47

    >>36

    モウコノウマとか御崎馬みたいな体高の低い所謂「ポニー」だぞ

  • 39二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:01:09

    >>36

    馬格も走法もこれがかなり近いらしい

  • 40二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:01:31

    >>13

    ゲームとかの誇張じゃないんだな

    それにしてもこんなに綺麗に残ってるとは

  • 41二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:04:00

    >>40

    これは復元だよー

    見つかったのは色抜けてて、かなりサビサビ

  • 42二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:05:16

    >>36

    昔の本だと、馬高140あるのが名馬の条件になってるから

    ポニーってほど小さくはないが、サラブレッドには見劣りする

  • 43二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:07:54

    >>39

    去年スレ立ってたな

    その時も言われてたけど、見比べると乗ってる人が全然上下に揺れてない

  • 44二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:13:39

    >>25

    >>1のリンク先の文章だけど

    >>左側の馬腹には三角形の鐙が垂れ下がっており、欠けている騎手の左足は鐙を踏んでいません。右側の馬腹と騎手の右足は完全に残っていますが、右側には鐙はありません。そのため、片側にしかないこの鐙は馬に乗るための補助具で、騎手が馬に乗っているときには足をはめたり、体のバランスを保つために使ったりするものではないとみられています。


    あくまで馬の背に乗る時の補助のためのものと推定されていて、馬上で踏ん張ったりするためのものではないってことなのか

  • 45二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:16:20

    >>21にまあまあハートがついてるってことは

    同じことを言ってた奴がそこそこいるってことだな?

    かく言う私もその口でね

  • 46二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:17:46

    さすがに近接戦闘メインの中国や欧州の騎馬は遊牧民の馬よりは大きかったはずだけど、
    品種改良が進んだ近代の軍馬ですらサラブレッドよりは一回り小さいから前近代の騎兵は二回り小さかっただろうね

  • 47二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:20:36

    >>17

    おそらく北方の遊牧民からの輸入じゃないかな?

    中華王朝は長らく北方や西域から技術を取り入れてきた歴史があるし

    あとこの時期だとまだ長江流域はまだ、黄河流域の華北に比べて人口文化技術の面で後進地域だったし(これが解消されるのは大運河が出来て経済発展が進んだ唐代以降)

  • 48二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:22:36

    >>15

    キングダムでも騎兵は一騎当千という話を、主人公が騎兵に指切られた地元のおっちゃんに聞いてた回想あったな

  • 49二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:23:27

    必要以上に軍馬は体高大きくしなかった面もあるからそこら辺の進化考えるのは難しいけどな
    サラブレッドの中でガチムチみたいに言われる馬でも軍馬や在来種に比べたら身長だけ高いヒョロガリみたいなもんだし、戦場じゃ使い物にならんからね
    背は低くても足が太くて身体厚い馬の方が求められる

  • 50二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:28:18

    >>17

    古代インドで鐙っぽいものが使われていたらしいからもしかしたら南方から鐙のアイディアが伝わったのかもしれない

  • 51二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:29:33

    >>50

    その時のヒッタイトやスキタイあたりかどうだかも知りたい

  • 52二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:29:53

    古墳時代に馬や馬具伝来したときってマジで時代の最先端技術だったんだなあ

  • 53二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:29:56

    >>15書いたの自分だけど、レス付くまでヒストリエとヒストリア誤字してたの気付かなくて草

  • 54二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:36:51

    >>52

    今ならEV搭載最先端外車かな

    豪族も遠乗りしてブイブイ言わせたくなるわ

  • 55二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:41:40

    >>47

    まあ普通に考えて北方からだわなあ

    むしろ今まで三国時代の墳墓は発掘されてるだろうに呉でしか見つかってないことを考えると

    この時代に北方ではすでに特別なモノでもなくてわざわざ副葬品に入れなかった可能性もあるんじゃないか

  • 56二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:42:33

    >>15

    よく騎兵隊って戦車(チャリオットじゃなくてタンク)に例えられるけど、鐙の無い時代は戦車どころか爆撃機レベルの威力だったんだろうなと

    まず遊牧民以外はとんでもない資金と訓練が無ければ編成できないし

    突撃されれば高度な訓練積んだ兵が陣を崩さず槍衾する以外効果的な対処法もないし、それすらパルティアンショットされれば対抗法がない

  • 57二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:44:39

    >>55

    上でも書かれてるけど、インドが原型の発明した説が有力みたいだから東南アジアとの交易と仏教の伝播が盛んだった南方から広まった可能性も結構あるよ

  • 58二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:47:21

    あぶみって漢字は知ってたけど、具体的な部位は知らんかった
    はぇー、アレって途中から増えた部位やったんやね

  • 59二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:52:05

    >>51

    時代が下った前9世紀のアッシリアでも二輪戦車と鐙なし騎兵だからヒッタイトの頃にもまだ無いんじゃないか

    スキタイも出土品から考えると二輪戦車と鐙なし騎兵

  • 60二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:53:58

    >>8

    >>10

    とはいえ無双には鐙が普通にアイテムで出てたりするのでまあそこら辺はご愛嬌

    まあ無双に限らず演義の影響で三国志で描かれる武具ってほとんど明代以降の物なんだけども

  • 61二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 12:59:28

    >>44

    馬に「登」る為の「金」具だから「鐙」なのか

    「トウ」の発音は「登」から取ったんだろうな

  • 62二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 14:25:41

    >>54

    その後何をどうして重装弓騎兵(遠近両用)とかいうユニットを爆誕させるに至ったんだよ我が国は……

  • 63二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 14:52:00

    >>50

    >>57

    あくまでそう見えるものってだけで確定でもないし、その後のつながりが完全に断絶してる(後世につながる発見がない)から、南由来は厳しいぞ


    ちなみに両足で踏ん張るタイプの鐙は北燕の馮跋の弟、馮素弗の墓から現物見つかってる

    415年には少なくとも踏ん張るタイプの鐙になってるね

    兵馬俑から遡れば、前燕にはあったので、ここから100年後には踏ん張る鐙が出来上がる

  • 64二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 14:53:13

    >>62

    そこら辺はかなり特殊な条件下の過渡期だからかな

    日本は地理的に山林が多数を占めるから騎兵での集団突撃には向いてなく、伝統的にシンプルに地形を活かした射撃戦からの白兵戦って展開になりやすかった


    制度的には平安時代の律令制(徴兵制)が崩壊して鎌倉末期に足軽が普及するまでの、少数の上級武士と御家人が軍の主力の時代だから

    そういう社会制度的に雑兵が少ない時代に日本の地形に適した戦い方で少しでも戦力を上げるためには、射撃白兵どちらもできるように個人の戦闘力を上げるのが一番なので重装甲で弓も刀も槍もマスターするのがベストになった

  • 65二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 14:55:25

    >>63

    前燕とか北燕てことは鮮卑系だから、少なくとも両足鐙は騎馬民族からっぽいね

  • 66二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 14:58:23

    >>62

    山岳重装弓騎兵っていう、もっとキワモノだぞ

    フル装備でも後ろに撃てる様にしてあったりする等、なかなか極まってる

    馬上鎧にしては重いから平原とかには不向きだが

  • 67二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 14:59:47

    有識者によると唐代の兵馬俑にも鐙付いてないらしいから中国内での普及過程わかんねえんだよなあ
    面倒くさくて省略したのかもしれんけど

  • 68二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:14:44

    >>64

    戦場の事情もそうなんだけど、武士のルーツになった健児制下の騎兵がごく少数で治安維持を行うエリート騎兵だったから、というのもあると思う。規模に応じて一国30~200人ほどの兵で警備やら治安維持の主力をやらせようってんだからまあ、騎射はもちろん武器はだいたい使える奴を選りに選ったはず。

  • 69二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:20:45

    このレスは削除されています

  • 70二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:21:14

    >>68

    武士が次第に文官化したり名誉称号化したのは上に上がってる古代ローマのエクイテスと被るな

  • 71二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:22:24

    >>63

    言うても遊牧民支配地域含めた北方で>>1の記事以前の鐙関連の発見が無い以上断言はできないんじゃない?

    むしろ今回発見されたのが南方の呉だったことで南方由来の可能性がほんのわずかだけど出てきたようにも思える

  • 72二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:35:18

    丁奉ってのが凄いな…
    赤壁辺りから270年くらいまでバリバリの現役だからもっと前からあったかもしれないのか(今までは五胡十六国時代辺りからとされてたらしい)
    11月には張昭の爺さんの墓が見つかってそれに付随してと聞いてほへーってなった

  • 73二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:38:30

    >>72

    曹操とか遺伝子検査が出来る(サイアーラインの遺伝子型は日本も含めた長江文明の末裔のもの)状態の遺体が見つかってるし、三国志の時代は時々案外近くにやってくる

  • 74二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:40:37

    >>71

    自レスだけど今後北方でより古い時代の発見があるかもしれないし、インドと中国南部をつなぐ地域でそういった発見があるかもしれない

    鐙の件に限らず興味深い新発見をしてくれている考古学に携わる方々には感謝しかない

  • 75二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:42:31

    >>64

    高度なメンテナンス技術(とそれを担当する技術者)と手間が要る弩が普及しなかったのもそうだけど、国による一元管理の常備軍じゃなくて在地の金持ちの抗争用の私兵だからな

    大半の軍隊とは構造が違う

  • 76二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:42:48

    >>68

    >>70

    これは中世盛期までのヨーロッパや中東でも細かい部分は違えど同じだね

    統治者・統治機構=警察・司法・役人≒軍隊だからとにかく政治も武術もなんでもできるエリートである必要があった(実際は司教区など宗教勢力が担っていた部分も多いが)

    上級武士と御家人のグループが主力ってのも、騎士と従者数人のランスが基本単位だったのとほぼ同じ


    古代から官僚制・徴兵制が敷かれて世襲武家貴族が発達しなかった中国はかなりの例外だよなあ

  • 77二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 15:47:03

    >>76

    古代中国に関しては本格的に出てくるのはそれこそこの墓が出来た晋を南に追いやった五胡やその後の北朝の遊牧民の末裔達が武家貴族に当たるんじゃない?

  • 78二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:01:38

    >>77

    そのあたりは確かに兆候はあったかな

    五胡みたいな非漢民族王朝だと特にそうだし、三国時代の呉とかも国内に半封建的な世襲軍閥抱えてた

    あと唐の節度使やその後の五代十国とかもそうなり得たと思う


    とはいえ基本的に秦以降ほぼ全ての国で官僚制と徴兵制は日本の平安時代みたいに完全に崩壊することなく常にベースとして存在してたし、宋代以後は科挙が絶対規範になったから社会の枠組みの中で世襲で軍権持てるような仕組みはほぼ消えちゃったからね

    近代以前の国家制度ではかなり珍しいことなのは確か

  • 79二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:05:47

    >>73

    説明不要な魏志倭人伝もあるし

    呉は東夷(台湾か琉球か日本)に人狩りに来ようとしてたからな

    隋唐以前だとかなり縁ある時代よな

  • 80二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:07:49

    >>67

    1番なのは本物が見つかることなんだけど、金属って腐食するし、昔からリサイクルの対象だからなぁ

    それこそ日本の銅鏡とかは殷代の青銅器が煮溶かされて再生産されたものらしい

  • 81二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:11:51

    >>73

    良好な人体サンプルが残るの羨ましいよね

    多雨の日本はどうしても土が酸性になって骨が溶けてなくなってしまうって考古学の先生が言ってた

  • 82二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:28:39

    >>67

    >>80

    どこの有識者だ

    隋唐代になってくると、銅製の現物が普通に見つかってて、珍しくもないことが分かってるから、本当に省略してるだけだぞ

    大体、その時代ならすでに、日本の埴輪とかでも鐙が見つかってる

    北魏末期には普及してるのは間違いない


    見つかってないのは北魏前期頃

    絵だと、靴だか装飾品だか鐙だか分かんないから言われてたりするけど

    前身の北燕では見つかってるので、北燕から北魏にかけて爆発的に普及したくさい

  • 83二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:33:06

    こうなると、三国志呂岱伝に出てくる
    又知上馬輒自超乘,不由跨躡
    の意味も、少し変わってくるかも
    一足飛び出びで馬に乗れることを褒めてる文章だが、一足飛び出ない=補助器具があったって読み方もできる
    230〜240年頃の話だから、丁奉から遡って、呂岱が爺さんだった頃にはもうあったのかもな

  • 84二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:49:22

    北ルートだとあの時代の飢饉での南への移動、もしくは曹操の虐殺による知識層の移動とかが考えられる
    南ルートだと呉のベトナム進出や士氏との貿易での繋がりで持ってきた可能性もある

    大穴は蜀から伝わったルート、諸葛亮の時代に南蛮行からインドへの貿易を始めてる説あるし
    鉄産地で鉄製武具の装備は蜀が一番進んでた

  • 85二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 16:58:16

    あっつまりこれ昔の三国志系二次創作憤死する案件じゃん

    いやまあ馬乗る文化があったら鐙ができるのはむしろ当然だよね。馬具つけずに乗るくらい馴染んでる古代騎馬民族

  • 86二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:01:31

    三国志系の創作で鐙が無いとやっぱ馬上でのポーズが決まらないからこれから大手を振って鐙描けるのは朗報

  • 87二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:04:21

    >>84

    確かに人の移動考えたら三国期〜西晋東晋期に普及したらルートがわからないのも当然なんだよな

    主に北から南に大量に知識人も軍人も移動した時代だし、当時の基準なら相当な早さで広まったはず

    北から広まったとしても二十年三十年程度で南で普及したら考古学的レベルではどちらから来たのか非常に判別しにくい

  • 88二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:04:35

    最初、その他か、小説のカテゴリで立てろと思ったが、ウマ娘競馬カテゴリで良かったのか

  • 89二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:07:47

    >>83

    呂岱伝のよくわかんなかったコイツ(跨躡=跨って踏む、台座の可能性があった)が、まじでこの鐙の事指してる可能性が出てきたってのがな

  • 90二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:07:53

    有識者が鐙だけで死ぬほど熱く語ってるの震える
    お…お前らウマ娘と競馬だけ詳しいんじゃ…(戦慄)

  • 91二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:09:34

    >>87

    とにかく死ぬほど技術流出しまくった時代だからな

    蚕も日本と海外には、この時代になって持ち出されてるし

  • 92二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:13:50

    >>79

    夷州は多分台湾だぞ

    日本だと大陸から見えないから、条件に合わない

  • 93二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:15:47

    >>85

    か、改良って道があるから…

    輪っかからスリッパ型になることで、落馬や踏ん張りに対応できるから、それだけでもチートになるし……

  • 94二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:31:58

    >>79

    ちなみに馬関係の話だと魏志倭人伝に、

    その地に牛・馬・虎・豹・羊・鵲なしって記述があるから当時の日本、少なくとも邪馬台国周辺にはまだ牛馬の家畜文化が無かったことを示す貴重な資料になってる

  • 95二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:37:44

    >>90

    普段のウマカテ知ってると最高に味変でよろしいかと

  • 96二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:38:17

    >>90

    「日本人はギャン中」と同じくらいの感覚で「日本人は三国志オタク」って言えるレベルだからさもありなん

  • 97二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 17:57:16

    >>96

    三国志が中国からしたらグレンダイザーやボルテスほどじゃないにしろ、キャプ翼くらいのポジションなんだよな

    国内人気はあるにはあるけど、国外での人気が図抜けてるという意味で

  • 98二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 18:09:12

    >>97

    毛沢のお気に入りのおかげで他から頭抜き出た扱い受けだしたからとっくにキャプ翼よりも上

    というか時代が進むに従い他が落ち目になっている中で日本という太い後援者がいたからどんどん伸びているのが三国演義

  • 99二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 18:19:41

    >>98

    国内人気の話じゃなく

    海外で異常に人気があるって話

    ボルテスなんかは国内人気控えめだから、国内人気あってさらに海外でものすごく人気のあるキャプ翼に例えてる

  • 100二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 18:28:22

    横山光輝、三国志では普通に鎧描いてるけど項羽と劉邦は描いてなかったりするんだろうか

  • 101二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 18:37:39

    >>78

    中国は春秋戦国が終わって以降郡県制と易姓革命の思想が根付いたからか、土地と軍権を世襲する勢力が一瞬現れてもそれが長い間継続することは無いんだよな


    それこそ三国志に出てくる群雄達がまさにそうだが、そういう勢力や軍閥が多数現れても討伐されるか一番強い勢力が皇帝に成り代わって改めて郡県制を敷くから、例えば日本のように土地と兵を持った大名家ががそのまま続いたりすることはほぼ無い

    さらに言えばそういう独立した群雄の領内の統治にも封建制でなく官僚直接統治を用いることがほとんどだから、二重に武家貴族制度が主流にはならない

  • 102二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 18:49:04

    >>100

    あの人は偉人だけど時代考証とかはあまり正確にはしてないので…一応史記や殷周伝説みたいな古い時代は騎兵じゃなくて戦車が出てくるとか、鎧が簡素になってたりはあるけどそれくらい

  • 103二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 18:50:39

    董卓の馬上で右でも左でも弓が引けるって逸話が器用なんだなって思ってたのが
    鐙がなかったって知ってから天才というかフィジカルエリートじゃないかって思い直したな

  • 104二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 18:59:33

    >>103

    馬超とかもそうだが、北方騎馬民族を従えるには卓越した武力がないと難しいからな

    漢人で認められたとするなら相当並外れてたんだろう

  • 105二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 19:21:03

    >>94

    断定こそされてないけど、馬の導入もヤマト朝廷時代の朝鮮半島攻め込んでた頃の反省から始めたから古墳時代初期それも当時馬が日本にいたかあやしいとまであるから朝鮮半島から輸入だったとか

  • 106二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 20:14:42

    iOSであぶみを変換しようとしたら鎧が出てくるのクソ過ぎる
    この辺に関してはMicrosoftに完敗してるな

  • 107二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 21:13:57

    >>102

    時代考証が正確でないというより出来なかったのもデカイだな

    三国志書き出したの1971年で日中国交正常化前年で正確な資料を確かめるのもままならない頃だからな

  • 108二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 21:14:11

    >>102

    連載始まった時は日中国交正常化もしてなかったからしゃーない

  • 109二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 21:53:07

    >>18

    古代の軍と言うのは、基本、武器や防具とかは「自前」で用意しないといけないから、馬を複数備えないといけない(行軍中に乗り換えないといけないから、複数所持は必須)騎兵は、維持するだけできついのよ。

    更に言えば、騎兵は「馬を御しながら武器を操る」という特殊技能持ちなので、運用コストが更に高くなって、結果的に歩兵主体となって戦うしかないという状態。


    例外なのがゲルマンとかヌミディアとかで、ここはまあ領土内で馬が大量に供給されていたので、馬の騎乗能力とかそういったコストがローマやギリシャの都市国家と比べるとまだ低く、優秀な騎兵の供給地となっている。まあそれでも、ゲルマンやヌミディアでも主力は歩兵だったんだが。

  • 110二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 22:45:14

    >>109

    ローマ帝国軍

    ・軍団兵

    ローマ市民(平民は自前で武装&歩兵担当、貴族は騎兵担当)

    ・補助兵

    属州民(自前で武装&特殊歩兵担当)

    ・同盟軍

    同盟国&部族(自前で武装&騎兵担当)

    ※軍団兵・補助兵除いて戦時招集。

    ※軍団兵は基本工兵技能も習得している。

    ※余程の事態を除いて輜重関係において、現地調達は行っていないはず。


    律令制以前の大和朝廷(ヤマト王権)軍

    ・豪族軍(もしくは国造軍とも)

    大王家(後の天皇家)に分野ごと&担当ごとに仕えていた首長が率いる。基本的に歩兵だが、高句麗との激戦の際に騎兵に蹂躙されたことを受けて、紀氏や物部氏などを中心に騎兵が育成された?

    ※補給の概念があったかが怪しい。最低限の輜重を担いで遠征、足りなければ現地調達か?


    中原王朝軍

    ・律令制の軍

    騎兵に関しては、秦帝国時代まで鐙無しかつ馬の鬣を掴んで疾走する騎乗方法が秦帝国の故地や旧王国軍では存在していたらしい。どうも西方の騎馬民族の騎乗方法の影響があったのか?

    時代は違うものの、府兵制や募兵制、兵戸などの徴兵・募兵制を採用して歩兵を安定供給していた。

    北方騎馬民族に関しては、漢帝国の武帝時代に衛青&霍去病、李広などの将軍が騎兵を育成して痛撃を与えたが、晋帝国成立後は中原王朝の政治的・軍事的な弱体化に乗じて度々侵攻するようになり、唐帝国時代になるまで鎮めることが出来なかった。

  • 111二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 22:53:27

    横山さんの作品は三国志では鐙を描いてたのが項羽と劉邦、史記では描いてないし竹簡と紙の描写も分けてるし鎧もそれっぽくなってはいるので時代考証はある程度してる、とはいえ全然時代通りじゃない部分もある
    ただ元々史記を除くと原作自体が三国演義・水滸伝・封神演義みたいな元々大きなフィクションと時代錯誤が最初から加わっている講談作品だからしゃーない
    むしろ下手に史実重視にしたら原作崩壊や、水滸伝の時代に大砲ドカドカ撃つとか有り得んしな

  • 112二次元好きの匿名さん25/01/14(火) 23:38:08

    >>53

    まあギリシャ語の同じ単語だからセーフ

    ヒストリア(アッティカ方言)とヒストリエ(イオニア方言)で方言の違いに過ぎない

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