(SS トレウマ) 0.1秒のスポットライト

  • 1◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:14:28

    「──よし、今日はここまで。お疲れさまでした」
    「お疲れさまでした!」

     日が沈みきって、トレーナー室。
     練習後のミーティングを終えて今日は解散というところで、ソファから立ち上がったウインバリアシオンがぐんと伸びをした。

    「んん〜っ…………よっ」

     そのまま片脚を後方へ挙げ、ピタリとアチチュード・デリエール。
     嬉しいことがあった時、身体をのびのびと動かした時。走りと同じくらい、染み付いたバレエの動き。
     トレーナーの気の抜けた感心の声と控えめな拍手に、シオンが照れ笑いを浮かべた。

     既に挫折しレースの道を選んだ身で見せびらかす事に幾許かの抵抗もあったが、培ったバランス感覚がレースに活かされていると言われてからは遠慮はしなくなっていた。

     真っ暗な窓に映るシオンは、かつての自分より少し誇らしげだった。


    「……あ、そういえば今晩って降るんでしたっけ」
    「まだ大丈夫だろうけど……俺も降る前に片付けるか」

     
     そうトレーナーが腰を浮かせると、微かに遠雷の音が聞こえて。

    「あ、雷……わっ」
    「停電か……?」
     

     突然の暗闇。
     部屋のほぼ全域が黒く塗りつぶされ、デスク上のノートパソコンだけが頼りなく壁を真四角に照らした。
     窓の奥遠くでは、辛うじてトレセン構内の街灯が存在を主張している。

  • 2◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:14:39

    「大規模な停電じゃないみたいだ。棟のブレーカーが落ちたかな」
    「さっきの雷っすかねー? んー……やっぱダメっすね、スイッチ効きません」

     いつの間にか出入り口に辿り着いていたシオンがぱちぱち、と電灯のスイッチを往復させるが、天井はウンともスンとも言わない。

    「シオンいつのまに……真っ暗だけど、もしかして見えてる?」
    「いえ、特別夜目が効く訳じゃなくて。慣れてる場所なら目を瞑ってても歩けるんすよ」

     シオンとの専属契約から3年以上。
     毎日のように通ったトレーナー室は、定位置までの距離も家具の配置もいつでも頭に浮かぶようになっていた。

    「言われてみれば……見えなくてもデスクや本棚の位置はなんとなくわかる気がする、かも?」

     もちろんそれはこの部屋の主も同じ様で。
     暗闇を見渡すとぼんやりと見慣れた風景の輪郭が浮かび上がり、その中で漫然と光を壁へ投げ続けるノートパソコンが視界に入った。

    「……そうだノーパソ!充電切れる前に今日のぶん保存しないと」

     徐に立ち上がってデスクへと確信をもって歩を進め、デスクへ到着。
     無事保存作業を完了すると、ちょうど画面端のバッテリー残量を示すゲージが限界寸前を訴えていた。
     
    「うわ、外で使ってたから充電ギリギリ……先に落としておくか」
    「おぉ〜、完全に真っ暗っすね。ここ、窓から電灯の明かり入りませんし」
    「いつ復旧するかわからないし、スマホの明かりを頼りに外に出る?」
    「うーん……いえ、危ないですしじっとしてます。門限まではまだ時間ありますし」

     そっか、と手にしたスマホをポケットにしまい、すべての明かりが消えた。

  • 3◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:15:18

     窓枠の淡い輪郭を残して全てが黒く沈んだ中、トレーナーが記憶を頼りにソファへの数歩歩いたところで──

    「うわっ、と!」
    「トレーナーさんっ!?」

     その道半ばでばすん、と乾いた音に阻まれた。

     躓いて転倒、というより意識に全くなかった要害驚いてしゃがみ込むようにトレーナーは尻もちをついた。

    「だ、大丈夫……。ビックリしただけ」
    「今の音、床の段ボール箱っすね……たしか今日届いたって」
    「筋膜リリースのやつの箱かこれ……またそろそろ掃除と片付けしないとなぁ」
    「っす。トレーナーさん、危ないですからそこ動かないでくださいね」

     このまま歩き回ると危ないと踏んでか、シオンが立ち上がってトレーナーの下へ足を進め始めた。
     そのままでも走れるトレセン指定のローファーが床を固く鳴らして近づいていく……が。
     途中で足を止め、考え込んでしまった。
     
    「……えっと、トレーナーさん。ちょっとあたしを呼んでてほしいっす」
    「シオンを?」
    「物の場所はわかるんすけど、トレーナーさんの位置はわかりませんので……声を、頼りにできたらって」
    「あ、そっか。なんだかスイカ割りみたいだな……」

     そういえば得意だったな、と夏合宿を思い出す。
     シオンといえばりんごだが、スイカもよく似合う。

    「シオン、こっちだ」
    「はいっす〜」
    「シオン」
    「はーい」

  • 4◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:15:45

    「……シオン」
    「……トレーナーさん」
    「………………」

     ふと、トレーナーは思った。
     『今これけっこう恥ずかしいことやってない?』

     その場で座り込み、傍に来てもらうまで名前を呼び続ける。これでは迷子の子犬の様ではないか。
     いくらウマ娘に腕力で敵わないとはいえ、彼女を教え導くべきトレーナーの身でこれはどうなのか。

     が。

    「トレーナーさん……?」
    「こっちだよシオン」

     呼び声が途切れて不安そうにする声を聞いて、トレーナーは即座に観念した。
     専属トレーナーは担当ウマ娘に敵わないのだ。

     そして仕方ないやら情けないやらで肩を落とした彼の背に、細く優しい手が乗せられた。

    「トレーナーさん、見つけたっす」
    「すごいな、シオン。本当に声だけでわかるんだ」
    「たくさん……たくさん、聞いた声っすから」

     真っ暗闇の中、彼の隣にシオンが膝を立てて寄り添って座った。

    「ごめん、固い床に座らせちゃって」
    「いえいえ!離れてるのも寂しいっす」

     シオンはむしろご機嫌なくらいで、足を投げ出して床を踵で小突いている。

  • 5◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:16:20

     とん、とん、ととん、とん──知らない、しかし聞き心地のいいリズム。
     漠然と、冬の末──3月終わり頃の曲だと感じた。


    「しかしまぁ、我ながらカッコ悪かったなぁ今の……」
    「え?」

     真っ暗でも見える気がする!と勇んで歩き回った末に見事にすっ転んだ上、助けを求めて声を上げたのだ。
     要約するとなかなか情けないザマである。

    「す、すみませんっ!そんなつもりじゃ!」
    「大丈夫大丈夫……。実際危なかったしね」

    「こ、こうなったら!あたしもカッコ悪いとこ見せます!
    トレーナーさん、バレエやってた頃のあたし見たかったって妹に言ったっすよね!?」
    「それは秘密って約束だったよ妹さん……!シオンも無理しなくていいから、ね?」

     それに、と一際穏やかな声で続けた。
     思い起こされるのは、日経賞──シオンの引退レースになるはずだった、あの時の地下バ場。


    「一番カッコ悪くて情けないところは、日経賞の時にもう見られちゃってるからなぁ」

    『……ごめん、でも、頼む』
    『俺はどうしても、君が諦めきれないんだ』

     専属トレーナーでありながら担当ウマ娘の心の限界に気づけもせず、追い詰めてしまったこと。
     結局諦められずに、約束を反故にして縋ったこと。
     彼にとってはこれまでの人生で最も情けない姿だった。

  • 6◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:16:44

    「──そんなこと、ないっすよ」
     
     シオンが身を寄せ、トレーナーの肩に身を預けた。

    「あの時、トレーナーさんがあたしを諦めなかったから……あたしも、自分を諦めずに済んだんですから」

     あの時カッコ悪かったのはあたしもですしねー、とシオンも並んで懐かしむ。

    「カッコいい姿もカッコ悪い姿も、お互い知り合っちゃったな」
    「姿だけじゃないっすよ?
    ほら、リラックスの方法を探してた時。トレーナーさんには、あたしの脈拍まで知られちゃってます」

     彼の肩から腕を伝い、手探りで見つけた指先を細い手首に乗せた。
     
     触れる橈骨動脈の拍動は、平時より少し早い。

    「……うん、いつものシオンだ」

     彼はその僅かな早さを指摘しなかった。
     誤差の範囲だと思ったのか、あえて触れることもないと思ったのか。

  • 7◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:17:03

    「トレーナーさんの脈はどうっすかね──あ、あれ?」
    「……難しいなら頸動脈でやってみる?」

     今度はトレーナーが、拍動を捉えたままシオンの手を首元へ導いた。
     少し固い皮膚の下、太い血管から確かな脈動。
     シオンは手首から伝える自分のより少しゆっくりだな、と感じ取った。

    「…………ん。貴方の鼓動、確かに聞こえました」

     言葉は途切れて、目を閉じてお互いの拍動に集中してゆく。
     相手の拍を指で聞き、心臓がそれを返す。
     伝わる拍が、相手の心臓を打つ。

     しだいに2人の拍は並び、等しくなった。


     それはまるで、2つの心臓で1つの命を共有しているような。
     指でのみ触れ合いながら、抱き合うよりも強くお互いを感じていた。

  • 8◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:17:24

     ゆっくり、トレーナーが閉じていた目を開いた。
     シオンをより近くに感じて、今ならこの暗闇の中でも彼女の輪郭が見られる気がして。

     
     ──瞬間、窓から雷光が差し込んだ。
     

     0.1秒にも満たない一瞬の閃光。
     鋭い蒼光の中、シオンの姿が浮かんで消えて、瞼の奥に焼きついた。

     愛らしい緑の瞳を隠した淑やかな瞑目、ぴんと立てた耳。力まず弛まず、水平に揃う眉。心閑かに神経を張り詰めたその姿。

     幕が上がり、スポットライトを浴びて。始まりを待つ視線を独り占めにするような。


    「トレーナーさん……?」

    「雷で、君が見えて。
    照らされた、シオンが……すごく、綺麗で」


    「……プリンシパル、だった」

     ただ、彼女がそう見えた。

  • 9◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:17:56

     雷鳴に紛れて、呑んだ息が漏れる音。緊張する首の筋。加速する脈拍。
     感じる全てが、それが紛れもない本心だと告げていた。

    「え、あ……えっと。 嬉しい……っす」

     指先から伝わる鼓動に当てられ、シオンの拍も合わせて早鐘を打ち始める。
     共有したままの拍動が、彼と同じになろうと心を急かす。

    「あ、あたし目瞑ってて……!貴方の顔見てませんでした、から。

    ……もう一回だけ。雷、落ちませんかね……?」
    「…………待ってみようか」


     次は見逃さないように。
     次も見逃さないように。

     激しい鼓動を触れ合わせたままもう一度スポットライトを待ち続ける。

     互いの息遣いがひどく近く聞こえて、息すら止めて、暗闇の先を見つめ続けて。

     そして。
     

  • 10◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:18:15

     

    「「…………あ」」

     ついに降ろされた光。

     顕になる待ち望んだ容貌。
     飾り気のない穏やかな色の瞳。

     他を圧倒し続けた時代の主役の黄金の光に惑わず、ウインバリアシオンだけを写し続けた瞳。

    (ずっと、あたしを見ていたトレーナーさんの)

     決して見逃すまいと、食い入る様に視線を注ぎ続けた。

    「──シオン」

     その一瞬は長く、長く感じられて。
     
    「停電、戻ったみたい……だけど」
    「…………えっ?」


     それが一瞬ではないことに気づけなかった。

  • 11◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:18:52

     互いを照らすのは天井から降るいつもの蛍光灯。
     まっさらな白色光が、暗闇を押しのけて無遠慮に全てを晒していた。

     そして彼女が、お互いの鼻先が触れそうな距離を視認した途端。

    「──────っ!!!?!?」

     彼女の頬が真っ赤に火照り上がった。

     結局落ちては来なかった雷に撃たれたように身体は伸び上がり、崩れそうになる。

    「シオン!」

     その後方へ倒れる背中を大きな手が支えた。

    「ひゃぁん……!」
    「大丈夫……?」

     激しく脈打つ心臓を背中から鷲掴みにされ、その鼓動を、胸の高鳴りを読み取られている。

  • 12◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:19:10

     羞恥と混乱の限界。
     取り乱すこともできずに、頭の中が真っ白のままぴたり、と一旦動きが止まり。
     背を支えるトレーナーの手の力が緩んだ隙を逃さず跳び退いた。

    「トレーナーさん」
    「はい」
    「掃除、とか片付けとか、バレエ見せるとか」

     短く区切りながら、なんとか言葉を探しながら。
     視線を交わしたまま、ぎくしゃくと後ろ歩きで扉に向かって歩いてゆく。

    「やっぱ明日でいいすか」
    「あ、ああ……いや、掃除は午前で先に済ませておく、から」

     とん、と扉に背中がつくと、

    「っす。

    ……ごめんなさいお疲れさぁっしたぁー!!!」

    「シオン!?」

     返事を聞くより早く。脱兎の如くトレーナー室からダッシュで飛び出していった。
     背後から投げかける「気をつけて帰ってね!?」の声が余計に加速を与えていた。

  • 13◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:19:52

    「あ、あぁぁぁ……!なにしてるんだあたし!!!」

     とてもではないが、あのままトレーナー室の片付けをしようとはならなかった。
     ましてバレエ時代の姿をみせるなど。

    (明日、早めに行って片付け手伝おう……

    ……明日?会うの?あんなぴったりくっついて、じーっと見てたの見られたのに?どんな顔して???)

     脳裏に焼きついた至近距離の彼の姿。目を閉じても瞼の裏に勝手に投影された上、勝手に微笑んですら来るのだ。

     「一番カッコ悪いのも、一番情けないのも、もう見せてしまったから」 、なんて彼のようにはいかなかった。
     食い入る様な眼差し、息を呑む音、高鳴る鼓動。
     全て晒してしまったのだ。

    (む、無理だ。顔なんて合わせられない!絶対さっきのこと思い出す……!)

     寮まで走って走って。
     寒風にどれだけ晒しても、頬の火照りは冷えるどころか熱くなるばかり。


    「……っ、ば」


     冷気を求めて胸いっぱいに冬の夜を溜めても、吐き出す頃には焦がれる様な熱気に満ちていた。


    「ばっっっかやろぉぉぉ…………!」

  • 14◆a6nENK6ygzyC25/01/29(水) 19:21:14

    以上になります(小声)

    トレバリの良いところはお互いに弱音を曝け出してる所と、シオンの平時の脈拍数を知られている所だと思いましたので対戦よろしくお願いします。

  • 15二次元好きの匿名さん25/01/29(水) 19:22:29

    特殊なシチュに流されちゃうの好き

  • 16二次元好きの匿名さん25/01/29(水) 19:27:26

    自分用にトレバリ、バリトレ書くことあるけど、目茶苦茶に良すぎる……。
    勉強になります。ご馳走様でした……。

  • 17二次元好きの匿名さん25/01/30(木) 00:31:36

    脈拍が同じになるのすき
    二心同体なんて僕のデータにないぞ…

  • 18二次元好きの匿名さん25/01/30(木) 00:47:24

    トレバリたすかるたすかる……マジで嬉しい

  • 19二次元好きの匿名さん25/01/30(木) 00:51:07

    日経賞を超えた二人を描いた作品の供給貴重すぎる……

  • 20二次元好きの匿名さん25/01/30(木) 08:13:15

    貴重なトレバリたすかる
    停電シチュはいいものだ…

  • 21二次元好きの匿名さん25/01/30(木) 10:12:14

    >>17

    一心同体の進化系っす…♡

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