[歴史好きお嬢様スレ]わたくし、昔の王族や貴族等について興味持ちましたわ

  • 1二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 12:47:57

    興味深い話がありましたら教えてほしいですわ
    スウェーデン王室はナポレオン時代に出来た比較的新しい王朝でフランス人だと最近知りましたわ
    ナポレオンの部下だったのにナポレオン撃破したのは世界史詳しくないわたくしからしたら衝撃的でしたわ

    規約違反にならないように、WWⅡ以前の話+お嬢様言葉でお願いしますわ

  • 2二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 12:58:35

    王様と皇帝は何が違うのかしら

  • 3二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:02:51

    わたくしの好みですけれどマリア・テレジアとフリードリヒ大王の好敵手関係は見ていて楽しいですわよ

  • 4二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:10:36

    ごきげんようお嬢様

    正確に言いますと現スウェーデン王室の祖がナポレオンの部下様ですけれどその前からスウェーデン王朝はありましたの

    そしてスウェーデンの歴史を語るとなるとデンマーク王朝の歴史にも繋がりますわ

    話が長くなりますので割愛しますけれど現スウェーデン王室の血筋を辿りますと過去のスウェーデン王室の血筋も王妃様方を通してちゃんと入っていますので言うほどフランス人ではありませんわ

    ちなみにノルウェーはデンマークから王様を迎え入れてまして北欧の王室はかなりの親戚同士ですわ


    スウェーデン君主一覧 - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 5二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:14:42

    昔のスウェーデンの王様は個性的な方がわりと多くて「北方の流星王」と日本で人気な方もおられましたわ

  • 6二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:17:31

    スウェーデン王朝自体は古い歴史がありますのよ!

    とスレ主様に反論しようとしましたら>>4の方が詳しく書いてくれて何よりですわ



    >>5

    カール12世、激動の人生を歩まれた王様でしたわね

    でも「北方の流星王」という二つ名は日本でしか使われていないというのを読んだ気がしますわ、本当かしら

  • 7二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:19:20

    >>6

    私も日本でしか使われていないと聞き驚きましたわ

    でもカッコいいですわよね

  • 8執事のセバスチャンです25/02/01(土) 13:23:33

    >>2

    お嬢様お答えします

    王は一つの民族によって構成された国を支配するのに対し、皇帝は複数の国(≒民族)を支配する事

    王は国の一部を支配するのに対し、皇帝は国の全域を支配する事が主な違いですな


    "主な"と付けたのは皇帝の定義自体、東洋、西洋、中東で其々違うからです

  • 9二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:45:50

    スパルタ教育で有名なスパルタには王様が常に二人おりましたわ
    伝説によりますとスパルタの始祖が双子だったのでそれぞれの子孫がアギス王家とエウリュポン王家として一人ずつ王様を出していたとのことですわね
    有名なレオニダス1世はアギス家の出身ですわ

  • 10二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:55:53

    始皇帝の統一以前の中国には晋という国がありましたわ
    昔の周王の弟が建てた国で覇者の一人である文公を排出した強国でしたわ!
    ……でも時代が下るに連れて六卿という名門貴族に力を奪われて君主はお飾りになっていきましたわ

    その六卿たちもお互いに潰し合って最後に残った三家が晋の領土を三分割して独立してしまい晋の君主は首都周辺だけを治める小領主になってしまったそうですわ
    末期の晋の君主はかつての臣下だった三王国にペコペコする存在にされた挙げ句に最後は滅ぼされたというのですから物悲しい話ですわね

    余談ですけどその独立した三家の名前はそれぞれ魏氏・趙氏・韓氏と言いますの
    漫画キングダムにも出てる戦国七雄の魏・趙・韓の始祖たちですわね

  • 11二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 13:59:57

    >>6

    スウェーデンは、フランスやイギリスとは違う教科書には乗らない民主化の歴史があるのが好きですわ

    自由の時代 - Wikipediaja.wikipedia.org
  • 12二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 14:40:12

    wikipediaの歴代ローマ皇帝の記事を見ましたわ⋯もしかして皇帝になるのは罰ゲームでして?

  • 13二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 14:54:18

    >>12

    ビザンツ(東ローマ帝国)史家の渡辺金一はとある王朝の治世約200年のうちに79件のクーデター計画があったと言っていますわ

    2.5年に1回命を狙われる立場、それが「ローマ人の皇帝」ですの

    まごう事なき罰ゲームですわ

  • 14二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 15:39:19

    中国の昔の皇帝陛下には「生まれ変わっても王家にだけは生まれたくありませんわ!」と叫んだ方もいらっしゃいますの
    その方はお兄さんが殺された後に8歳で即位させられて10歳で帝位を奪われてその1ヶ月後に殺されてしまってますわ
    どこの国でもトップに立つのはある意味罰ゲームなんですわ

  • 15二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 16:06:32

    ヴィクトリア女王のwikiが面白くってよ

  • 16二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 17:25:53

    >>3

    テレジア様の婚約者候補として、後の夫のほかに名前が挙がったのが後の宿敵フリードリヒ様なんて

    運命って不思議でございますわね

    フリードリヒ様を婚約者に推したのが、彼の有名なプリンツ・オイゲン閣下なことも面白いですわ

  • 17二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 19:11:24

    王族について調べたことがありますわ 欧州の王族同士は繋がり深すぎません事?

  • 18二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 19:35:17

    >>2

    ローマ式の皇帝についてお話しますわ。少し長くなりますけれど、ごめんあそばせ


    古代ローマは元々は王政であったのが、王の圧政に反発した貴族達の反乱により共和政になりましたわ

    なのでローマでは王政がとても嫌われていて、独裁的な権力を握る者が現れると排除されてきた歴史がありますの

    彼の有名なユリウス・カエサルの暗殺も、そうした理由からでしたわ

    こうした背景から、カエサルの養子で後に初代ローマ皇帝になるオクタヴィアヌスは、決して王にはなろうとしませんでしたの

    その代わりに彼は名目上は議員の一人に過ぎないまま、主要な公職を独占することで、実質は王であるかのような権限を行使する道を選んだのですわ


    オクタヴィアヌスはこうしてローマのトップに立ち、長きに渡って見事にローマを治めて見せたので

    彼が死ぬ頃には、すっかりオクタヴィアヌスなしのローマは考えられなくなってしまいましたわ

    だからローマ市民達は、オクタヴィアヌスの後継者にも彼と同じように見事にローマを治めることを望みましたの


    こうして、オクタヴィアヌスの後継者達が引き継いだ、王でありながら、王ではない、事実上の君首位という特別な法廷地位こそがローマ皇帝ですわ

    当初、この地位に名前はなかったのですが、オクタヴィアヌスの後継者達が引き継いだオクタヴィアヌスの尊称である「アウグストゥス」、

    家名である「カエサル」(カイザーの語源)、主要な公職である「インペラトール」(エンペラーの語源)などが次第に皇帝を意味する言葉となっていきましたの


    続きますわ

  • 19二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 19:37:13

    続きですわ

    古代ローマ帝国は皆様もご承知のとおり、何十ヶ国にも渡るような広大な領域を治めていましたし
    その領域の中や外に服属する王国を持っていたこともありまして、ローマ皇帝は自然と王より上の地位ということになりましたわ

    またキリスト教が広がるとローマ皇帝は神から地上の支配権を授けられた神の代理人であるという理念が広まり
    ローマ皇帝=「キリスト教徒の庇護者にして全キリスト教世界の支配者」というイメージが形作られていって
    ローマ皇帝とは最上位の君主位であるというイメージが固まりましたわ

    ヨーロッパの国々における「皇帝」とは、基本的にこの「ローマ皇帝」もしくは「理念上のローマ皇帝の後継者」を自称する者になりますわ

    例えば、ナポレオンの「フランス人民の皇帝」なんかもローマ皇帝を意識した戴冠式をやったり、そもそもの名称が中世のローマ皇帝の正式な名称の一つである「ローマ人の皇帝」を意識している感じですわ

    終わりますわ

  • 20二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 22:58:22

    >>12

    ローマ皇帝ではないけど最初のフランス王、ユーグの父はそう考えていたからずっとNo.2の地位のままでいらしたわ

    結局息子が周りに押されて即位してしまわれましたわ

    フランス王といえばルイ14世のイメージがあるけど権力の強かった時代ってほんの少しですの

  • 21二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 23:49:50

    このレスは削除されています

  • 22二次元好きの匿名さん25/02/01(土) 23:50:55

    皇帝「お気に入りの役人を新しいお嬢様(貴族)にしますわ!」

    貴族「そんなの許されませんわ!」

    皇帝「……諦めますわ」


    こんな逸話が残るくらい南北朝時代の中国の貴族の力は強かったのですわ

    ちなみにこの逸話の皇帝のお孫さんが>>14の「王家に生まれたくない」とおっしゃられた子ですわね

  • 23二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 00:02:51

    北欧の王室と言いますと全てのお嬢様の憧れである女傑マルグレーテ様のお話は欠かせませんわよね
    自身が女王になる事はなくカルマル同盟を牛耳った彼女の政治手腕はさすがとしか言いようがありませんし、クセの強い北欧三国をまとめあげるなど並の精神性では出来ませんわ
    わたくしもあのお方のような淑女になりたいものですわ

  • 24二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 00:48:39

    >>22

    これだけ強かった中国貴族も唐の滅亡と同時に消滅してしまいますの

    原因は色々あるのですけれど直接の引き金を引いたのは李振という人でしたわ

    彼は貴族に恨みを持っていまして主君に


    「かつて自分のことを清流と称していたお嬢様(貴族)たちを黄河に沈めて濁流に致しましょう!」


    と進言したそうですわ

    主君の許可を得た李振は名門貴族たちを皆殺しにしてその遺体を黄河に破棄したそうですの


    怖いですわねぇ

  • 25二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 04:18:01

    スウェーデン王室の開祖はナポレオンの元部下でしかも妃がナポレオンの元婚約者ですのよ
    元婚約者の姉がナポレオンの兄と結婚しておりましたから情報が筒抜けだったそうですの
    そして息子の嫁はナポレオンの皇后ジョセフィーヌの連れ子の娘で名前も同じジョセフィーヌと言いましたの

  • 26二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 08:20:32

    令和に新たな王朝できそうなところあるのかしら

  • 27二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 09:14:24

    オスマン帝国では皇帝陛下が即位したらその兄弟を皆殺しにする習慣がありましたわ
    皇位争いを避けるためですわね
    でも万が一皇帝陛下にお子様が生まれないまま死んでしまうと後継者がいなくなるということで今度は生かす代わりに死ぬまで部屋に閉じ込めることになりましたわ
    これが功を成してオスマン皇帝が途絶えるような事態はなくなった……のですけど長期間幽閉されていた皇族の方々はほとんどの人が精神を病んでしまっていてとても政務を行える状態ではなかったそうですわ
    皇族と言えども楽ではありませんわね……

  • 28二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 10:10:58

    >>22

    中国史にはなかなかおハーブな皇帝も大勢いらっしゃいますからね

  • 29二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 11:08:39

    >>2

    西洋の皇帝については>>18お嬢様が説明して下さったので、わたくしは東洋(中華)の皇帝について解説しますわ。長くなりますけどお許しになって


    中華の支配者の称号は元々は『王』でありましたわ

    (史料の確認できる)最初の中華王朝である殷の王様は、「わたくしは天帝の子供であり、天より地上の支配権を認められた『天子』でありますの! おーっほっほっほ!」と周辺の中小国を支配していましたわ

    その殷を滅ぼした周の王様は、「天子である殷の王様は天帝から見捨てられ、わたくしども周が代わりに地上を治めるように言われましたわ!」と自分たちの正当性をアピールしましたの


    このことから中華においては、『地上の支配者(王)=天帝の息子(天子)』という図式と『天帝の命令によって支配者は替わる可能性がある(革命)』という図式が成立しましたわ


    というわけで周が強かった頃は、蛮ぞk……異民族の楚や呉など以外の中小国は、周王の臣下である貴族を名乗って自身の領土を支配していましたわ

    ですが、1000年に渡る時代の流れの中で周はだんだんと力を弱めていき、やがて一中小国にまで没落していきましたわ

    こうなると強くなった他の国は「「「「「「「わたくしこそ真の天子である王ですわ!!!!」」」」」」」と王様を名乗るようになりましたの。まるで王のバーゲンセールですわね


    こうして、唯一無二の地上の支配者であるはずの『王』の称号は大暴落

    戦国時代後期には戦国七雄と呼ばれた強国どころか小国の支配者まで『王』を名乗るようになってしまいましたの

  • 30二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 11:09:26

    >>29

    (続きですわ)

    そして戦国時代を終わらせて初めて中華を統一した秦王の嬴政はこう思いましたの


    「わたくしのような偉大な存在がただの王であるはずありませんわ! もっと格上の称号をつくりましょう!」


    嬴政は家来たちと話し合って伝説の支配者である三人の『皇』と五人の『帝』に匹敵するとして新しい称号――『皇帝』を名乗りましたの。歴史に名高い秦の始皇帝の誕生ですわ

    この時の皇帝の称号はまだ秦による独自称号でしたので、秦末期にかつて秦に滅ぼされた国が復活した時にはほとんどの国は王の称号をそのまま使っていましたわ

    ですが一度ブランド力の落ちた『王』の称号はやはり魅力に欠けたのは項羽は自分の(名目上の)主である楚の王に『帝』の称号を使わせて、自分自身は覇者と王を組み合わせた『覇王』を名乗っておりましたの

    もはや中華における『王=支配者』の図式を取り戻すことはできませんでしたわ


    そして項羽を滅ぼして天下を再統一した漢王である劉邦は、韓信ら他の王から『皇帝』を名乗るように勧められて、漢の皇帝として即位しましたわ。同時に劉邦は半独立勢力である韓信ら王の称号も認めることになりましたの

    この時の王たちはやがて劉邦に潰されていきますけど、劉邦は空いた土地を自分の親族を『王』として支配させましたの


    ここに至って『地上全ての支配者=天子=皇帝』と『皇帝の下で自分の領地のみを支配する者=王』の図式が成立することになり、以降の東洋世界のスタンダードになりましたわ



    これが中華式の『皇帝』と『王』の関係ですわね

  • 31二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 11:10:02

    >>30

    (余談ですわ)

    漢の成立後に「漢の皇帝が格下である周王と同じ天子を名乗るのはおかしくはなくって?」とツッコミが入った時には「わたくしは地上では皇帝ですけれど、目上である天に対しては格下である天子(=王)を名乗っておりますの!」という理屈で通しておりましたわ


    この理屈付けは実際の政治でも活用されまして、「あの蛮族(外国)は自国では不遜にも皇帝を名乗ってるそうですけれど、わたくし(中華)に対してはへりくだって王を名乗ってるから許してあげますわぁ!」と諸外国と無駄に衝突しないようにしておりましたの

    建前上、皇帝は全地上の支配者ですから、こういう屁理屈を認めないと大変なことになるんですの


    ……ですので、有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや(東方の皇帝が、西方の皇帝に手紙を送ります。お元気でしょうか)」に隋の煬帝がブチギレたのは日没する云々の文言ではなく、日本側が正式な外交文章で堂々と『天子=皇帝』の称号を使ったからですわね

    以降は日本側も中国側に配慮して、例えば足利義満が明と国交を開くときも『日本国王の家来』とか『日本国王』とか、皇帝や天皇の称号は使わずにしていましたわ


    政治の世界は面倒くさいですわねぇ

  • 32二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 12:03:48

    古代エジプトのファラオは外国のお姫様をお嫁さんに迎えることが多々ありましたわ
    でも逆にファラオの娘を外国の王様に嫁がせることは記録上ほとんどなかったんですのよ
    あくまでエジプトの方が上位という姿勢を保っていたんですわね

  • 33二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 16:13:10

    日本には蔭位という制度がありましたわ
    これは貴族の子供が21歳になった時に親の地位と比例した地位を与えられるという制度ですわ
    例えば親が最上級貴族の従一位なら子供は従五位下、親が最下級貴族の従五位なら子供が従八位上、というようになっていましたわ
    つまり貴族を再生産するための仕組みですわね

    ちなみに官僚育成機関である大学寮を主席で卒業した方が最初に就くのが正八位下でしたわ
    大学寮で必死に勉強して優秀な成績で卒業した方と、お馬鹿さんでも親が下級貴族だった方で最初に就く地位が同じというわけですわね
    世知辛ですわ

  • 34二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 16:31:43

    戦国時代の貴族の見ましたら藤原という名全然出てこなくて滅んだのかと思いましたわ
    よく見たら藤原一族がそれぞれ別の名を名乗ってるだけでしたわ

  • 35二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 16:56:45

    >>34

    上位貴族のほとんどが『藤原』になってしまったので区別のために家ごとに『名字』を名乗るようになったのですわ

    下のwikiのページを見てもらえれば上級貴族のほとんどが藤原や源氏の方々になっているのがよく分かりますわよ


    堂上家 - Wikipediaja.wikipedia.org
  • 36二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 17:07:25

    有名なお話ですけど三国志の三国時代ってかなり後のお話って伺いましたわ
    有名な桃園の三兄弟の方々が頑張ってた時代はまだ後漢時代

  • 37二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 18:08:28

    >>36

    その三国志や後漢時代で活躍した人から>>22のような中国貴族が育ってくるのだから歴史は面白いですわ

  • 38二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 18:27:03

    >>35

    西洋でも領地名を家名として名乗るからA家とB家が実は同じ家だったということがよくありますわね

    あちらも元々身分関係なく苗字がなかったから区別のため領地名を名乗り

    それが家名になり勢力を拡大するにつれ、それぞれが実際統治している地名を名乗ったそうですわ

  • 39二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 18:46:34

    >>38

    日本の武家の名字も自領から取られてますし古今東西変わりませんわね

    そういえばフランスの王家は王朝名こそ変わっておりますが実はみんな初代カぺー王の子孫と聞いたことがありますが本当なのでしょうか?

  • 40二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 22:04:52

    いつの時代も王様と貴族はお互いに肘鉄し合う仲なんですわ

  • 41二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 22:05:57

    底辺貴族から出世したいですわー

  • 42二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 22:13:06

    このレスは削除されています

  • 43二次元好きの匿名さん25/02/02(日) 22:16:12

    >>41

    時代と国によりますけど決して不可能ではないですわよ!

    まずはその国の王様に気に入られて権力を握って他の邪魔者を粛清するのですわ!

    日本でも下級貴族が白河上皇とか後白河上皇とかに気に入られて出世してますもの!

    え? 王様が亡くなった後?

  • 44二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 00:20:37

    >>39

    お嬢様、それは本当よ

    現代の話で申し訳ないけどスペイン=ブルボンとルクセンブルク(ブルボン=パルマ)は彼の男系子孫

    それ以外も仏本家のオルレアン家、ポルトガルのブラガンサ家、ポルトガルから派生した

    ブラジルのブラガンサ=オルレアン家と全て男系で繋がっているわ

  • 45二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 09:24:08

    特に仕事せずに親の遺産受け継いで遊んで暮らせる貴族になりたかったですわ

  • 46二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 14:16:24

    >>45

    最近の貴族様は遺産で儲けより税金の方が高くて城の維持とか大変そうですわよ

    事業を起こしますわ!

  • 47二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 15:32:18

    スウェーデンの王様で熊殺しの方おりましたわよね

    と思い出しまして調べましたら

    >>5>>6の北方の流星王カール12世でしたわ

    他にも面白い王様おりますけどこの方は話題が豊富ですわ


    カール12世 (スウェーデン王) - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 48二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 15:38:14

    >>17

    歴代欧州の王家は婚姻を通じて大体親戚ですわ

    ですのでなぜか他国の王位継承権を持つこともあり、なかには英国王位継承権を持つ方もおられますわ

    現デンマーク国王、現ノルウェー国王、現スウェーデン国王、現オランダ国王辺りがそうですわ

    ただ、現イギリス王室とはかなりの遠縁のため、彼らがイギリス国王を継承する可能性は非常に低いですわ


    前はその方のwikiで実際の英国王位継承権順位を見られましたけれど今は詳しい順位は見られませんわ

    ただ↓のwikiの下の方にある「有名な英王位継承権者」のところに名前が書かれていますわ


    イギリス王位継承順位 - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 49二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 15:40:38

    風の噂でリチャード3世の遺体のDNA鑑定の結果現在のイギリス王室の正当性に疑問符がつくようになったというのは本当ですの?
    それとも噂に尾ひれがついただけなのかしら?

  • 50二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 15:42:41
  • 51二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 15:49:28

    あと同じ方の作品でカール12世のご両親の話も面白いですわ

    #歴史創作 或る仮面夫婦の話 - 零のマンガ - pixivノークッションで死別ネタが入るのでご注意ください。これが史実ってどういうこと?www.pixiv.net

    フランスのルイ9世にも似たようなエピソードがありますから母親が面倒なのは多かったのでしょうね

    ルイ9世 (フランス王) - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 52二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 20:33:22

    >>50

    >>51

    この方のマンガは面白いですわよね

    私もお気に入りですわ

  • 53二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 20:40:51

    わたくしはなろう?小説に飽きたら光武帝の伝記を読ませていただいてますわ
    雲台二十八将とかワクワクしてしまいますわ。特に粛清を受けなかったという点において不思議な気持ちになります
    兎死して走狗煮らる
    という歴史しかない中国において異質?とも思えますわ

  • 54二次元好きの匿名さん25/02/03(月) 23:20:31

    今は後宮モノがジャンル化なってると聞きましたわ
    中国だと3千人や1万人近くいたと書いてましたが規模大きすぎですわ

  • 55二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 00:47:34

    >>14

    隋の最後の皇帝の一人である楊侗も同じような言葉を残していますわ

    祖父の煬帝が殺された後に皇帝になるもたった1年で帝位を奪われて毒を飲んで死ぬように強要されてしまいましたの

    観念した楊侗は「死ぬ前にお母様に会わせて下さいまし」と魂願するも許されずに「二度と皇帝の家には生まれ変わらないことを願いますわ」と言って毒を仰ぎましたの

    ……でも毒の効き目が悪くて苦しんだまま死,ねなかったので最期は縊り殺されたそうですわ

    可哀想ですわね……



    ちなみに最初に最後の一人と書いたのは理由がありまして煬帝の死後に有力者によって楊侗を含めて三人の皇帝が擁立されたからですわ

    全員皇帝になって一年以内に帝位を奪われて殺されておりますわ

  • 56二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 09:17:50

    日本の三種の神器やイギリスの聖エドワード王冠のように歴代の君主の方々が引き継いでいくレガリアは世界各国にありますわ
    レガリアには王冠や剣など色々の物がありますけれど珍しい物だとアフリカのアシャンティ王は玉座である「黄金の床几」をレガリアとして受け継いでいますわ
    この黄金の床几には過去から未来までの全てのアシャンティ人の魂が眠っていると伝わる大変重要な物ですの

    ……この玉座をとあるイギリス人総督が奪おうとして黄金の床几戦争と呼ばれる戦争が勃発したのですがまた別の話ですわね

  • 57二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 09:19:21

    方や王位を継ぎたくて身内で争い、方や継ぎたくなくて泣く ママなりませんわ

  • 58二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 09:29:34

    ちなみに今残っているロマノフ家のお歴々方の血筋はこのお嬢様が帝位に着いた時から明確にドイツ人としての血の方が濃くなっていましてよ

    18世紀に赤ちゃんポスト的な制度を作ったり女学院を始めたりなど滅茶苦茶先進的なお方ですわ〜


    ロシアの耄碌保守派貴族の妨害でやる気を無くしても『大帝』と呼ばれる程の功績を残せたなら、仮に本来やろうとしていた啓蒙専制君主としての改革をぜんぶやれてたらロシアの歴史はどうなっていたのか気になりますわね……

    エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝) - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 59二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 09:36:49

    立場上こういう事を考えるのは駄目なのですが……

    貴族の起源はどの程度まで正確なのでしょうか?系譜上は繋がっていても途中で若いツバメが相当入って居ないのでしょうか……?

  • 60二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 09:43:24

    >>3

    男女間対立が行き過ぎると大戦争になるという前例がすでに18世紀の時点で示されているのが面白いですわね


    やっぱり男女間対立は程々にするべきでしてよ

  • 61二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 16:27:34

    >>32

    一度だけ他国の王子をファラオにしようとした試みがありましたわ

    有名なツタンカーメンの王妃が夫の死後に宰相であるアイとの再婚を嫌いましてヒッタイト帝国の王子と先に結婚しようとしましたの

    結局アイの手によってヒッタイト王子はエジプトに向かう途中で暗殺されてしまったのですけどね

  • 62二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 17:21:33

    >>49

    >>59

    リチャード3世のY染色体と一致しなかったご子孫がいらっしゃって、まあそういう疑惑も…だそうですわ

  • 63二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 18:54:56

    >>58

    エカチェリーナ2世や武則天など若い男性を侍らせた女帝を見ていると

    男性も女性も結局は変わらないと思えてきますわ

    前者はここでは語れないような最高級の卑猥な椅子を作らせたり

    様々な逸話が重なり孫に玉座の上の娼婦と揶揄されたそうよ

  • 64二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 19:14:12

    >>57

    簡単ですわ、滅びかけの傀儡王朝の王権なんて誰も欲しくはありませんし逆に絶頂期の王朝の王権なら大半の人なら欲しがりますもの

    ただ珠に権力に興味を示さず去る人も居ます。珍しいからお話の題材にはなりますわね

  • 65二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 21:21:34

    >>61

    なお大事な息子をころころされたヒッタイト王はブチギレましたわ

    残当ですわね

  • 66二次元好きの匿名さん25/02/04(火) 23:30:35

    日本の五摂家やサーサーン朝の七大貴族・晋の六卿のように複数の有力貴族をまとめた通称があるとアニメや漫画みたいで興奮しますわね!
    他にもあったら教えてもらいたいですわ!

  • 67二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 08:41:04

    復活した周王朝こと東周では王位争いが頻発してたのですわ
    大半は王が後継者以外の息子を溺愛したため死後に兄弟間での争いになったのが原因でしたわ
    第三代目の荘王などは父に愛された弟と争った経験があるにも関わらず自分も太子以外の息子を寵愛して騒乱の原因を作りやがったのですわ
    学習してないのですわー!

  • 68二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 09:39:47

    王位や貴族の当主争いは国や家が弱くなるほど頻発するものですわ
    監視する目が弱くなるから当然のこととも言えますわね

  • 69二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 15:44:21

    >>67

    東周は後期にも王様が弟に殺されて王位を奪われる事件がありましたわ

    しかも1年間に2回も!

  • 70二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 16:05:47

    王朝が新しくできたり王様の親類以外で平民から貴族になる方法知りたいですわ

  • 71二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 16:22:40

    >>70

    英国や日本(明治維新後から太平洋戦争まで)は叙爵というものがありましてよ


    これらによって日英では社会的に成功して政治的影響力を持ったりすれば貴族の仲間入りが出来ましたの

    日本であれば原敬のエピソードですとか……

    イギリスであればクレメント・アトリーやジョン・メイナード・ケインズあたりがパッと出ますわね


    ただこれらの国々では時の与党が貴族院を掌握するために貴族を増やしたりするのが常であるからこそ貴族院の改革がよく叫ばれますの

    英国の場合一代貴族という非世襲貴族の制度があったのも大きいですわね

  • 72二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 16:30:00

    >>71

    ただまあ原敬のエピソードは美談でもなんでもなくて「確実に自党が勝てる衆議院の議席を手離してまで貴族院の議席を一つ欲しいか」みたいな話でもありますの

    なんであれ理屈上はあり得る国もあるとしか言えませんの


    王族?何処かの馬鹿な独裁者ウォッチかアフリカの部族王でも見ていれば飽きませんことよ

    ……ネパールはオススメしませんわ

  • 73二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 19:48:37

    >>70

    平安時代前期までの日本でしたら>>33にある大学寮を出て官僚になれればワンチャンありますわ!

    下記の勇山文継などは庶民から大学寮と官僚を経てその優秀さを認められて中級貴族である従四位下にまで立身しておりますもの!


    勇山文継 - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 74二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 20:04:08

    王位も父も母も妻子も国民も国も捨てた王様と言えばわたくしは仏陀さんを思い浮かべますわね
    全てを捨てて得た教えも地元ではすっかり寂れ何故か極東の島国で残っている

    不思議なものですわね

  • 75二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 20:17:24

    帝政ドイツ最後の皇帝陛下よ。

    カイゼル(皇帝)ひげを広めた元ネタの方でもありますの。

    ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝) - Wikipediaja.m.wikipedia.org

    帝政の維持と権力争いに振り回されるあまりドミノ倒しのように外交などで悪手ばかりを踏み、


    総統の誕生を図らずも後押しなさった、ある意味悲劇の方ですわ…


    あの独ソ戦や忌々しいホロコーストを見る前に世をお隠れになったのが救いかしら…

  • 76二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 20:22:39

    >>66


    肩書きの名前でしたら「武家伝奏(ぶけてんそう)」が和風ファンタジー感もあって好きですわね…


    任命されている方々のお名前も創作感あって素敵



    お貴族?とは言いがたいけれど

    大いなる河の元ネタにもなった「十三人の合議制」もシンプルかつ渋めで好きよ

  • 77二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 20:25:51

    >>75

    イッチ様ではありませんが空回りっぷりと言い織田信雄さまに似た臭いがしますわね

  • 78二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 21:27:25

    >>70

    >>71のお嬢様の仰る通り軍人や官僚や政治家、学者や芸術家が功績を称えられて世襲貴族になることがありますわ

    面白いのはオーストリア皇帝フランツヨーゼフ1世の襲撃犯を

    素手で殴り倒した肉屋の主人が無爵位世襲貴族(Ritter)になった例が例がありますわ

    でも現代法治国家では無理ですわね

  • 79二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 22:01:18

    このレスは削除されています

  • 80二次元好きの匿名さん25/02/05(水) 23:50:24

    世界初の軍事帝国と言われるアッシリア帝国は伝統的に国家神であるアッシュール神が真の統治者でありアッシリア王は地上での代官に過ぎないとされてましたわ
    なにせ初期においてはアッシリアの統治者の称号が「アッシリア“副”王」とされてたくらいですから折紙付ですわね

    流石に帝国と呼ばれるまでになった新アッシリア時代には統治者たちも堂々とアッシリア王と名乗ったようですがそれでも真の支配者は神であるという意識は滅亡まで変わらなかったそうよ
    なにせアッシリア帝国最盛期の王であるアッシュルバニパルでさえ戴冠式の時には王宮から神殿に向かいながらこう繰り返したそうだから


    「アッシュール神は王ですわ! アッシュール神は王ですわ!」

  • 81二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 00:05:08

    >>75

    腹立たしい!あの状況でビスマルクお爺様を何故お見限りに…!

  • 827525/02/06(木) 00:17:50

    >>81


    ヒゲ「おBの付く3箇所を下僕にして中東に攻め入りましょう!」


    ビス「待てやですわ。海路にいるイギリスとおっぱじめるつもりか?」


    ヒゲ「海軍を増やせば問題ナッシングですわ!それにバルカン経由でアジアに鉄道を繋げば一気に攻め入……」


    ビス「バルカンはロシアが狙っとるやろがい!

    落ち着けってば。今のところは様子見しとこうですわぞ!おめー列強の恐ろしさ舐めすぎですわぞよ!」


    ヒゲ「うーんクビwww」

  • 83二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 03:38:27

    >>47

    カール12世の父カール11世も熊狩りが趣味でしたわ

    ワイルドな親子ですわ

    スウェーデンってトナカイや鹿のイメージですけど熊もいたのですね

  • 84二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 04:00:31

    >>51

    このカール11世とデンマーク王女ウルリカ・エレオノーラ・アヴ・ダンマルク夫婦には成人した子供は3人おりましたわ

    美貌の長女ヘドヴィグ・ソフィア(1681年 - 1708年)

    北方の流星王カール12世(1682年 - 1718年)

    そして独身のまま亡くなった流星王のあとを継ぐ末っ子で母親と同じ名前のウルリカ・エレオノーラ


    この3きょうだいは母を亡くしたあと強烈なデンマーク嫌いの祖母ヘートヴィヒに育てられますわ

    このお婆様は4歳で即位した一人息子のカール11世や戦で不在の孫カール12 世や孫娘のウルリカの摂政をしていましたけれど特に政治的な野心もなく政府の守護的存在、王室の象徴の位置づけだったそうですわ


    美貌の長女ソフィアの夫フレデリク4世 は母親同士が姉妹の従兄妹同士で、ソフィアの祖母ヘートヴィヒの甥にもあたりましたわ

    夫を早く亡くしたソフィアはスウェーデンで暮らし自身も一人息子を残して27才の若さで亡くなりましたわ

    姉と仲が良かった弟のカール12世は姉の死を悲しみ、姉ソフィアの遺骸は1718年にカール12世が死ぬまで埋葬されていなかったといいますわ

    スウェーデンにはクリスティーナ女王の母親マリアが夫グスタフ二世アドルフの埋葬を許さずずっとそばにいた話もありますからわりと慣れていたかもしれませんわね

  • 85二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 06:35:02

    このレスは削除されています

  • 86二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 06:42:46

    >>84

    カール12世の死後、姉ソフィアの息子でカール12 世から見れば甥のカール・フリードリヒがスウェーデン王に擁立されるはずでしたけど、大北方戦争のロシアとの終戦締結の講和交渉を中心的に動いていた甥っ子一派の親ロシア派と、いやまだ戦うのカール12世の妹ウルリカの夫フリードリヒ一派で親西欧派(事実上、親プロイセン派)のフリードリヒ一派が勝ち、妹のウルリカ・エレオノーラが甥っ子押しのけ早々に王位を継承しましたわ(兄不在の国の摂政をしていたのも大きかったかもしれませんわね)

    けれどその後、王権は著しく弱体化しますわ


    スウェーデン王になれなかった甥カール・フリードリヒはロシア帝国に移住し、ロシア皇帝ピョートル1世とその妻の女帝エカチェリーナ1世の娘アンナ・ペトロヴナと結婚し、生まれた一人息子がフリードリヒ大王大好きなピョートル3世ですわ

    そしてカール・フリードリヒは叔母ウルリカより早く亡くなりますわ



    ちなみにウルリカとその夫のあとを継いだ王太子にフリードリヒ大王の妹がスウェーデンに嫁いで来ますわ

    王妃になったあと弱体化した王権を取り戻そうと一波乱おこしますから歴史は面白いですわ

  • 87二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 06:55:49

    このレスは削除されています

  • 88二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 10:00:56

    滅んだ国の王族の方々が必死になって復興を目指すのは見ててドラマチックですわね
    ペーローズ…アブド・アッラフマーン1世…耶律大石…ジャラールッディーン…
    部分的に成功した方もいらっしゃれば無念の内に亡くなった人もいて栄枯様々ですわ

  • 89二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 12:18:08

    >>59

    貴族ではありませんが一本で繋がっていると思われていた王朝が実は簒奪されていた…ってことが後世になって判明するケースもありますわね


    有名な例ですとアケメネス朝ペルシア帝国ですわね

    この王朝は建国者であるキュロス2世の息子が偽の王族に王位を乗っ取られたそうだったのを、傍系の王族だったダレイオス1世によって防がれた

    ……とされておりましたが、実際はダレイオスとキュロスの間に血縁関係はなかったというのが現在の研究者たちの見解ですわ

    ダレイオス1世のプロパガンダを古代ギリシアの人が(地理的に無理も有りませんが)信じてしまい、それを歴史書に残したので千年以上アケメネス朝は一つの家系による支配だったと信じられておりましたの

    ちなみに最近ではアレクサンドロス大王にボコボコにされた最後の王のダレイオス3世もダレイオス1世たちとは血がつながっていない疑惑ができてるそうでして……


    歴史というのは知れば知るほど新発見の連続ですわね!

  • 90二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 14:18:00

    >>86で出てきたピョートル3世の妻が>>58の女帝エカチェリーナ2世ですわ

    歴史は繋がっていますわね

    無能扱いされていましたけど最近は評価も上がっていますわね

    浮気は妻エカチェリーナもお互い様ですので愛人ラブなところはわりと一途で好きですわ


    ピョートル3世 (ロシア皇帝) - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 91二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 15:11:50

    世界史を勉強していますと王族や貴族の方の名前、同じ名前や似た名前が多くて混乱しますわ!
    二つ名万歳ですわ
    もっとお付けになっても構いませんわ

  • 92二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 15:58:57

    >>91

    畏まりましたわ!

    つ『ジョン失地王』『カール肥満王』『シャルル禿頭王』

  • 93二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 16:07:50

    >>92

    キャ~!覚えやすいですわ~

  • 94二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 16:32:35

    いつの世も後継者争いは悩みの種ですわ……
    歴史を見ているといつもそう思いますもの

  • 95二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 20:30:41

    >>94

    娯楽としてみるのなら本邦の壬申の乱や保元の乱など継承権争いは興味深いですわ

  • 96二次元好きの匿名さん25/02/06(木) 21:33:40

    継承者の決め方があやふやだと血で血を洗う政争や抗争になることもよくありますわ
    平安時代までの日本やローマ帝国などが当てはまりますわね
    ちなみに下の系図で×になっている方は政争に敗れて散った方、△なのは暗殺された疑惑のある方々ですわ

  • 97二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 00:13:04

    春秋時代の晋は後継者争いを防ぐために太子以外の君主の子供は国外に留学させていましたの
    頭良いですわね!

    ――と思ったら国内に君主の一族がいなくなったせいで貴族の力が大幅に増してしまいましたわ…
    おまけに前君主が子供がいないまま亡くなったら即位するのはずっと外国にいた弟たち
    当然ながら晋国内に基盤がないので有力貴族の助けがないと何もできないお飾りになってしまいましたの…

    こうして晋は分裂の道を辿ることになってしまったのですわ
    王族の扱いは本当に難しいですわね…

  • 98二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 07:51:59

    >>92

    改めて見ても酷いあだ名ですわー!

  • 99二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 12:54:22

    清「後継者指名問題を解決する方法閃きましたわ!」


    太子密建 - Wikipediaja.wikipedia.org
  • 100二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 13:20:01

    >>99

    実際に後継者選びの方法としてはかなり有用な方法だと思いますわ!

    それでもいきなり皇帝に任命された皇子とそれ以外の兄弟との間に溝ができやすくなるという欠点はあったようですが……

  • 101二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 13:24:35
  • 102二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 18:11:24

    日本の南北朝のように海外でも共同統治じゃない皇帝や王が二人名乗って争ってる時期がございまして?

  • 103二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 18:15:23

    >>101

    宿敵の息子からは神のごとく尊崇されているの堪りませんわね

  • 104二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 18:20:32

    >>102

    北魏は有力臣下の争いが絡んで東魏と西魏に分裂してそれぞれ魏の皇帝を名乗って争っていましたわ

    ただどちらの皇帝も有力臣下の傀儡でしかありませんでしたの

    最終的にはどちらも下剋上により帝位を奪われて一族皆殺しにされて滅んでおりますわ

  • 105二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 19:48:30

    >>96

    本朝も元々は軍事指導者だったから経験深い年長者の男性が即位するべきという考えだったらしいですわね

    平安時代になって長幼の序の概念が強くなると皇位は安定する

    ただし君主が飾りになって貴族たちが事実上の支配者になる

    安定と実権どちらを取るか悩ましいですわね

  • 106二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 22:50:39

    >>105

    摂関政治は逆に言えば幼少の天皇が即位しても問題ないくらい皇室の権威も朝廷の政治機構も安定したとも言えますから評価が難しいところですわ

  • 107二次元好きの匿名さん25/02/07(金) 23:20:51

    スレの最初の方で王様って貧乏くじなのでは?というお話をされていましたけど
    王というシステムの起源が生贄であるという説もありますので最初から貧乏くじだったのかもしれないですわね

  • 108二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 00:06:14

    >>80

    伝統的にアッシリア王は聖地アッシュールで即位するのが習わしだったのですわ

    ですが最後のアッシリア王アッシュル・ウバリト2世は即位時にはすでにアッシュールを失っていたため即位できずに公的には「アッシリア王太子」の称号のままアッシリア帝国の残党を率いていましたの


    即位した時にはすでに父親も首都も聖地も世界帝国としての力も失っていた彼は同盟国エジプトに援軍を依頼して必死に巻き返しを図っていましたわ

    しかしそんな彼の努力も空しく新バビロニア王国の猛攻の前についにアッシリア最後の拠点であるハッラーンすら敵の手に落ちましたの

    アッシュル・ウバリト2世は同盟国エジプトと共にハッラーン奪還のための最後の攻勢に出ましたが……この攻撃は悲惨な失敗に終わりましわ


    アッシュル・ウバリト2世の最期ははっきりといたしません

    殺されたのか…病死したのか…それともかつての偉大なる帝国の無残な姿に絶望して自ら命を絶ったのか…

    いずれにせよ残党たちの抵抗もその数年後に完全に鎮圧されアッシリア帝国は名実ともに滅亡しましたわ


    1000年以上続いたアッシリアの最後の支配者であったアッシュール・ウバリト2世

    死に様さえはっきりしない……正式にはアッシリアの王にもなれなかった男

    そんな彼の名前はアッカド語でこんな意味がありましたの



    『アッシュール神は生き続ける』

  • 109二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 04:13:05

    このレスは削除されています

  • 110二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 04:33:10

    >>103

    あそこら辺は微妙な縁があるのも複雑で面白いですわ


    ピョートル3世→フリードリヒ大王の大ファン

    父親はスウェーデン王になれず叔母ウルリカがスウェーデン王につきましたけどそのウルリカは最初、フリードリヒ大王のあの強烈な父親との縁談の話もありましたの

    もし、この話がうまくいっていればフリードリヒ大王は生まれず、ピョートル3世の父親がスウェーデン王になり結果、ピョートル3世も生まれず女帝エカチェリーナも生まれなかったかもしれませんわね


    ちなみにエカチェリーナ2世の母親の兄、つまり伯父がウルリカ→その次に王になった夫の後にスウェーデン王につきまして(ご先祖様にスウェーデン王がおりましたの)その妻がフリードリヒ大王の妹ですの

    欧州の王族の縁は面白いですわ

  • 111二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 04:40:34

    >>107

    血筋的には王位継承権がありますけれど王になりたくてなったわけでない方が血筋的に王位継承権はないですけれど野心ある方と結婚なさると不幸が生まれるのも多いですわよね

  • 112二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 04:44:30

    >>99

    あれだけ泥沼壮絶な骨肉の争いをすれば良い考えだと思いますわ

    でもその後の後宮の争いもまた複雑化しましたわね

  • 113二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 04:50:05

    中華史や日本史見た後に欧州の王族を調べていますと欧州の王族って意外と兄弟仲よろしいですわよね
    兄弟や姉弟とか特に仲の良いエピソードでてきますわ
    もちろん中華史や日本史にも仲良し兄弟はおりますけどこちらは継承権争いのインパクトが強いの多いですわ

  • 114二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 09:40:52

    >>113

    宋の創設者の趙匡胤と趙匡義は仲の良い兄弟だったようですわね

    趙匡義が病になった時はお兄さんの趙匡胤が自ら薬を煎じて飲ませた逸話も伝わっておりますの!



    ……千載不決の議についてはノーコメントですわー

  • 115二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 10:33:04

    >>107

    ジェームズ・フレイザーの金枝篇にそんな感じの事が記述されてましたわね

  • 116二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 14:42:29

    >>114

    そこの兄弟好きですわ!


    私は病気と思うのですけれど疑わしいのもわかりますわ

  • 117二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 14:44:22

    わたくし跡継ぎではないので履修したことがありませんが
    帝王学って具体的にどんな事を学んでるのかどなたかご存知でして?
    お兄様に聞いても君には必要のない一点張りですわ

  • 118二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 14:46:18

    >>113

    欧州は王位継承権の条件がガチガチに決まっているのもあるからな気もしますわ

  • 119二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 14:48:19

    >>117

    同じ国でもガチガチに学んでいる方もいればなぜか学んでいなくても才能ある方もおりますわよね

    あなた様は後者な気がしますわ

  • 120二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 16:26:52

    >>118

    イギリスの場合慣例で王子が継いでいたから、第一子の王女の血を引く自分が直系だと戦争になったり

    争いがフランスやドイツに比べると多いですわね

    フランスの王朝交代は本家が絶えて傍系に移ったものばかりですけどイギリスは血なまぐさいですわ

  • 121二次元好きの匿名さん25/02/08(土) 20:21:45

    >>102

    王様ではありませんがローマ教皇が40年近く並立した教会大分裂という時期がありますわね

  • 122二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 00:26:43

    帝王学もそうですけれど後継者の育成というのはどこの国でも力を入れていましたわ
    ですがあまりにも厳し過ぎて逆に勉強嫌いになる王子の方々もいらっしゃったようで……
    中国のある皇帝などは父親の棺に向かって「死ぬのが遅いのですわよ」と冷たく言い放ったそうですわ

  • 123二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 03:24:26

    このレスは削除されています

  • 124二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 03:26:52

    帝王学の内容といいますと具体的なものはそういえば私もよく知りませんわね
    ある少女漫画でスコットランド女王のメアリ様はとても美しく頭も良くイタリア語、スペイン語、フランス語、ラテン語学と語学も完璧、詩、歌、刺繍、乗馬、狩り、ダンス等も完璧でしたけれど肝心の「王者の責任」が無い方でなぜ学者たちはそこをちゃんと教えなかったとメアリ様の息子の従者が怒っていたのは見ましたわ
    帝王学というのはその辺にあたるのかしら
    生まれながらにきちんと教育を受けた女王様より実践で磨かれた女王様の方がなぜかその辺の意識は強い気がしますわね

  • 125二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 03:41:31

    深夜ですのでわりと下世話な話になりますけど帝王学のなかに子作りというのもあるかと思いましたら欧州ですと時代や国や宗教のせいかなかには学んでいなくて子供が生まれない→子作りのやり方を知らなかったので家臣が実践を見せてくれたという話もあり結婚前に教えとけとなることもありますわ
    あと古今東西、王様の機能不全や子供が生まれないのを王妃のせいにするのは酷いですわ~

  • 126二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 04:01:19

    フランスの尊厳王フィリップ2世ですけれどその二つ名の通り名君といえば名君ですけれど前妻が出産で亡くなりデンマークから嫁いで来た金髪の美しい王妃の扱いが酷すぎて王妃の尊厳壊したから尊厳王じゃありませんこととなりましたわ

    餓死寸前まで追い詰めてデンマークの海軍必要だ!(元ヴァイキング国家なので海軍強い)となったとたん王妃を救いだして「生きてて良かった」したのも鬼畜度高いですわ

    そのあとは王妃を大事にしたらしいですけど良く許しましたわ

    インゲボルグ (フランス王妃) - Wikipediaja.m.wikipedia.org
  • 127二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 07:49:15

    >>125

    王のせいってことにすると王権そのものの軽重を問うことになってしまうので仕方ありませんわ

    だいたい正統性の源泉が完全無欠の神なので王様も完全性が求められますの

  • 128二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 08:59:22

    王様も大変ですわね

  • 129二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 10:06:32

    「それでもわたくしは一旦は貴方たちの皇帝だったのですのよ!?」

    ――とあるローマ皇帝がゲモニアの階段から突き落とされる前に言った最期の言葉

  • 130二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 11:33:10

    北魏の皇后さまや側室の方たちは自分の子供が皇太子にならないように祈ってたそうですわ!


    なぜなら皇太子の母親は専横を防ぐために処刑されたからなんですわ!

  • 131二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 12:00:42

    >>130

    男の子生んだもん勝ちの後宮ですけれどこれは辛いですわね

    明の時代も大概だと思いましたけれどこちらは子供がいない側室とかだけ殉死でしたからまだマシでしたのね……

  • 132二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 12:04:22

    王妃様と言えば古代メソポタミアのウル第三王朝という国では王様が亡くなったら王妃様も一緒にお墓に埋められたそうですわ
    もちろん生きていても強制的にお墓に埋められましたわー!

  • 133二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 12:11:57

    >>132

    さらに酷いのきましたわ~!

    王の妃やるのも命がけですわね

  • 134二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 12:28:25

    >>132

    余談ですけれどウル第三王朝の王妃の中で唯一夫と共に殉死しなかったアビシムティという王妃様がいらっしゃいましたの


    彼女はなんと夫を裏切ってその兄弟のシュ・シン王の簒奪をお手伝いしましたわ!

    簒奪したシュ・シン王の治世下で彼女はその功績により権勢を誇ったと推測されておりますわ!

    ウル第三王朝唯一の太后様ですわ!


    ……そしてシュ・シン王が亡くなった時に彼の王妃と一緒にお墓に埋められましたわー

    結局ウル第三王朝の伝統から逃げ切ることはできませんでしたの……

  • 135二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 12:57:55

    >>134

    結局は埋められるのですね……

    でもまあ少しは長生き出来たのは良かったのかしら…

  • 136二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 13:43:44

    前漢の王政君という皇后は一族の王莽が漢を簒奪するのに強く反対していましたわ

    王莽の使者が漢に代々伝わる玉璽を奪いに来た時などは
    「犬や豚でも(漢への恩を仇で返そうする)貴方たちの食べ残しを食べたりはしませんわ!」「新しい国を興すなら新しく玉璽を作ればいいではありませんか! なぜ亡国の玉璽を欲しがるのですの!」「わたくしは(王一族ではなく)漢の老いた寡婦でありもうすぐ死ぬ身ですの! そして(王莽に渡すくらいなら)この玉璽と共に葬られたいのですわ!」と頑強に抵抗しましたの
    それでも脅迫を断り切れなくなった時には「年老いてもうすぐ死ぬ身のわたくしでも貴方方が破滅するのは分かりますわ!」と叫んで玉璽を床に叩きつけそうですわ
    憤怒の様子が見えますわね……

    そして漢が滅んで新が建国された後に皇帝となった王莽から宴会に誘われましたの
    宮殿に到着した王政君はそこで破壊された夫(元帝)の廟を目撃し……「これは漢王家の廟ですわよ! なぜ破壊などしたのですか!?」と泣きながら叫んだそうですの……
    王政君は84歳で亡くなるまで新の暦ではなく漢の暦通りの生活を続けたという話も伝わり、彼女が最後まで漢王家の妻という認識だったことが分かりますわ

    ですが死後に一緒に葬られた元帝の陵墓では王莽の命令によって夫と王政君の墓室の間は溝を掘られてしまい……
    更に王政君の廟では一緒に祀られた夫の神座は王政君の廟の床下に置かれたそうですわ……
    王莽が徹底的に王政君のことを漢の一員ではなく自分たち王一族として扱っていたことが分かりますわね……

  • 137二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 16:58:06

    日本の貴族の代名詞の藤原氏
    その始祖である中臣鎌足の息子の藤原不比等は功臣の息子として順調に出世していった……わけではありませんでしたわ!

    なにせ不比等が成人した時には
    ・父親の鎌足は死去済み
    ・中臣氏(藤原氏は元々は父の一代のみの称号でしたの)の家督は別の親族が継承済み
    ・お兄さんも亡くなっていて母親の親族も有力でない
    ・父が忠誠を誓っていた天智天皇も崩御済み
    ・それどころか天智天皇の息子の大友皇子も滅亡済み
    ・その際に政権中枢部にいた中臣氏の有力者も粛清済み
    ・むしろ天下は大友皇子を滅ぼした天武天皇一家に移っている
    という後ろ盾ゼロの逆風の中でのスタートだったのですわ!

    ですので不比等は貴族どころか下級役人からスタートすることになったのですの
    でもこんな状況から出世して不比等は最終的に右大臣まで登り詰めて藤原氏の名前を一代で盤石にしたのですわ
    流石ですわよねぇ……

  • 138二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 17:00:09

    >>137

    藤原氏がここから立ち上がれたのは、不比等さまが蘇我氏の血を引いていたからと考えられてもいますわ

  • 139二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 17:00:56

    >>138

    蘇我氏からお嫁さんを迎えられたのも大きかったみたいですわね

  • 140二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 19:08:04

    ここから>>35になるのは凄いですわ

    でも自分が当時の下級貴族だったら辛いですわ

    下級から出世したいですわ

  • 141二次元好きの匿名さん25/02/09(日) 22:50:06

    奈良時代から江戸時代までの1000年近く日本の臣下トップを(後半は武家のせいで名目上でも)守り続けてたのは驚愕ですわね

  • 142二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 03:41:37

    >>125

    昔、読んだ本ですと日本では乳母がやり方を実地で教えたという話がありましたわ

    今はこれは俗説になっておりますわね

    正式な結婚前に添い寝役とか側室とかである意味練習になっていたのかもしれませんわね

  • 143二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 03:45:26

    >>140

    下級でも庶民から見ればかなりの上位身分者で庶民よりは天上人に近づけるチャンスがありますわよ

    美貌のお嬢様がいるのならチャンスもありましてよ

    古今東西そんな話はありまくりですわよ!

  • 144二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 08:31:11

    下級貴族のお嬢様がその美貌を見初められて王様の妃になる話は古今東西よくありますわ!
    最後まで幸せな人生を送れるかは脇に置いておきますわー!

  • 145二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 11:21:53

    >>138

    >>139

    なんだかんだで血筋と姻戚は大事なのですわね

  • 146二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 11:46:47

    >>144

    下級貴族出身の許平君が皇族とはいえ無実の謀反疑惑で一族処刑されただ1人生き残った男と結婚して地味に暮らしていましたら夫は皇帝に自身は皇后になった話もありますわね

    ちなみに前漢の宣帝のことで別スレも立ってて人気ありますわね

  • 147二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 12:06:04

    そういえば古代オリエント世界の王様が王位に就いて最初にする仕事は反乱祭りの鎮圧だったそうですわ
    なんでも王が亡くなる度に「俺達が仕えたのはあの人であってあの人の息子じゃねぇ!従わせたいなら力を示せ!」感覚で反乱が起きてたそうですわ、物騒ですわね〜〜……

  • 148二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 12:15:50

    >>146

    三国志の火蓋を切る幕開けになりました何皇后も卑賤の身から立身しておりますわね

    演技で言われるほど下級階層ではなくある程度の富豪層だったとされておりますけれど、どちらにしろ食肉の卸業をしていたので上級階層の生まれではなかったみたいですの

    そこから賄賂を使って後宮に入って激しい女と政治の争いを征して最後は自分は皇后になって息子は皇帝になったのですから大したものですわ

    ……息子が即位して四ヶ月ほどで廃位されるのと同時に毒を飲んで生涯を終えることになりましたけれど

  • 149二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 14:21:52

    >>147

    古代オリエントの中でも特に反乱が相次いだのはこのスレでも何回か話題になっているアッシリア帝国が挙げられますわね

    なにせバビロンが毎回のように反乱を起こしてましたしエジプトも征服→反乱→独立→再征服→再独立を繰り返していましたわ

    なによりも後期のアッシリアは王位継承争いが激しかったので王が変わる度に程度の差はあれ内乱状態になっておりましたの

    ……そんな状態なのに末期になるまでは各地の反乱を叩き潰して征服活動を続けていたのがこの国のおかしいところなのですけれどね!

  • 150二次元好きの匿名さん25/02/10(月) 22:30:37

    >>140

    まだ不比等の時代は本人の才覚次第で成り上がれる可能性がありますので諦めてはいけませんわ!

    平安時代以降のお生まれ? 

    ……地方で弓馬の道を極めるのもも悪くありませんわよ!

  • 151二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 02:28:37

    もしかして「一番強えやつが後継者だ!」って遺言したアレクサンダー様はオリエント流でいらっしゃる?

  • 152二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 08:12:07

    アレクサンドロス大王の息子のアレクサンドロス4世は0歳児で即位されましたわ
    大王が亡くなられた時にはお腹の中にいたので生まれたらすぐに後を継いだ形になりますわね

    余談ですけれどサーサーン朝ペルシア帝国のシャープール2世は産まれる前どころか胎児の段階で便宜上即位しておりますの
    貴族たちが母親のお腹の上に王冠を載せたそうですわ

  • 153二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 08:53:55

    このレスは削除されています

  • 154二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 08:56:11

    >>152アレクサンダー様の例の遺言は祝宴中に倒れて十日間高熱に魘された今際の際の言葉なので何処まで正確かは……


    アラビア遠征計画してた辺りからまだまだ死ぬとは思っていませんでしたでしょうし……遺言状等残される方にも思えませんので…

  • 155二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 09:17:57

    後継者といえば、東ローマ帝国の帝位継承には「親の在位中の出生」であることが重要だったらしく即位前に産まれた兄たちよりも優先されたらしいですわ

  • 156二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 13:59:48

    >>147

    日本のお侍さんも平安時代までは個人に忠誠を誓ってたそうですわ

    段々と個人ではなく家系に従うようになって江戸時代に「主家」という概念が成立したそうですわね

  • 157二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 17:50:34

    >>155

    珍しい継承条件ですわね

    他にこういう条件の国や王家はあったのでしょうか?

  • 158二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 18:02:57

    >>1


    オルレアン=ブルボン家は、

    8世紀から貴賤結婚不可の男系男子継承を現在まで

    続けておりますわ!

    新旧君主家系と婚姻+男子のみ当主継承は現代でも難しすぎますわ!

  • 159二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 18:20:39

    >>152

    母親のお腹の上に王冠は可愛らしいですわ

    遺腹王はけっこうおりますけれど生前即位した方は初めて知りましたわ!

    凄いですね

  • 160二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 21:12:21

    >>158

    現在まで?と思い調べたら、カトリックのドイツ系旧王族やブラジル皇室、しかも直系の方ばかりでしたわ

    カトリック縛りなし、貴賤結婚を廃止したハプスブルク家とはえらい違いですわ

  • 161二次元好きの匿名さん25/02/11(火) 23:54:58

    血の繋がりがそんなに関係ない古代ローマ皇帝は珍しいのかしら
    もちろん血の繋がりがある時代もありましたわ

  • 162二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 00:10:17

    一番上のお兄様やお姉様が跡を継ぐのが基本の農耕民族と違い
    遊牧民族の方々は一番下の弟や妹が跡を継ぐ末子相続を取ることが多いですわ
    これは農耕の場合は大きくなったお兄様方がお父様のお手伝いを先にする形で田畑(=財産)を受け継ぐのとは違って
    遊牧民の方々はお兄様方は先に馬や羊(=財産)を分けられて独立して最後まで親元に残った弟が残った財産を受け継ぐことが多かったからですわ
    就学や就職を機に家を出て独立して弟や妹が残った親の面倒を見る――と考えると現在の日本の方々でもイメージしやすいかもしれませんわね


    ……ちなみに遊牧民族に末子相続が多いのにはもう一つ理由がありますの
    それは遊牧民では略奪婚やレビレート婚(亡くなったお父様やお兄様のお嫁さんと結婚すること)が多かったからですわ
    最初に産まれた子供が本当に自分の子供か確証が持てない――だから確実に自分の子供である末子に相続させるということですわね

  • 163二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 00:18:28

    >>162

    余談ですけどかの有名なモンゴル帝国を築いたチンギス・ハン

    彼の両親もすでに別の男性と結婚していた母親をチンギス・ハンの父親が無理やり奪って結ばれておりますの

    ――ちなみにチンギス・ハンはその二人から生まれた長男なんですわ


    そしてチンギス・ハンの長男は敵に誘拐されていた奥さんをチンギス・ハンが救出したその帰りに産まれたそうですわ

    産まれた子供の名前はジョチ――モンゴル語で「旅人」や「客人」を意味しておりますの



    ……特に深い意味はないですわよ?

  • 164二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 07:26:00

    >>158

    現代でその縛りは厳し過ぎませんこと…?

  • 165二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 09:09:49

    >>160

    近代でも新興貴族と結婚で貴賤結婚扱いなんて無理ゲーすぎますわ!

  • 166二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 12:44:03

    白馬に乗ったお偉い方が向かいに来るという妄想はいつ頃からあるのか知りたいですわ

  • 167二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 13:17:59

    >>96

    かの平安京への遷都で有名な御方も第1子でしたが母君が正妻でなかったのもあって宮腹の異母弟が先に皇太子におなりになっていますわね

    皇太子になった異母弟は母后と一緒に父君らへの呪詛の疑いで幽閉されて同日に薨去されたそうですわ

    そして即位後に皇太弟となった同母弟も長岡京造営の責任者である藤原種継暗殺事件への関与を疑われて配流途中で薨去していますの

    どちらも死後に祟りを恐れられて祀られていますわ

  • 168二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 18:15:18

    >>167

    平安時代初期までの皇位争いは熾烈ですわね

    それ以降も保元の乱や南北朝時代がある?

    ……いつの時代も皇位争いは激しいものですわね

  • 169二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 21:38:29

    >>163

    お待ちなさって!どのモンゴル帝国の史料でもイェスゲイバートルはメルキト族がオンギラト氏族の一派オルクヌウト氏族から娶りに来るのを見つけたから兄弟を引き連れて襲撃して奪ったのでまだホエルンは誰とも結婚していない未婚だったはずですわ!!

    それにこれは略奪婚が目的と言うよりもメルキト族とオンギラト族の婚姻関係にする事を阻止するのが最大の目的ですわよ



    それとジョチの出世に関してもあくまでスキャンダルの域を出ませんわ

    本当に自分の子じゃないのなら1人を除いてボルテとの間の子供以外に財産を相続させなかったチンギスハンはジョチに国を与えなかったと思いますの


    それとジョチの名前の件も産まれた時の出来事を名前にするモンゴルの文化ですし

    旅人と言う意味の言葉は牧草地と水を求めて各地を移動する当時の遊牧民なら名付けやすい名前ですわ

    もしかしてチンギスハンの弟のジョチ・カサルも妻が略奪されて奪い返した帰りに産まれたと思っていて?

  • 170二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 22:29:02

    >>169お姉様の言う通り>>163はあくまで余談の与太話にすぎませんわ

    ただ史実でもジョチ次弟のチャガタイと仲が悪くてその理由の中にジョチの出生疑惑が絡んでいた…と言われることもありますわね

    もっとも>>169お姉様のおっしゃられる通り父チンギス・ハンは実子と認めていたので事実無根の噂に過ぎないのでしょうけれど



    他にもこういう出生疑惑のある王様や貴族は数多いですわ

    有名どころだと秦の始皇帝やフランスの太陽王ルイ14世などかしら?


    有名人にはこういう悪い噂も絶えなかったのでしょうね

  • 171二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 01:46:11

    >>155

    緋産室の生まれ(ポルフュロゲネトス)ですわね

    でも、正直に言いますと、ポルフュロゲネトスが特別視されるようになった10世紀以降でも

    ポルフュロゲネトスの弟がポルフュロゲネトスではない兄を差し置いて帝位に就いた事例はほとんどありませんわ


    強いてあげればマヌエル・コムネノスが兄イサキオスを差し置いて帝位に就いた事例が該当しますが

    これも、元々後継者であった長兄アレクシオス(ポルフュロゲネトスではない)が早世してしまった結果

    父帝ヨハネスが死の床でマヌエルを次の皇帝に指名したという経緯であり、この死の床での皇帝指名自体がマヌエルの捏造という疑惑もあって、ポルフュロゲネトスだから優先されたかどうかは怪しいと思われますの

    逆にポルフュロゲネトスではない兄がポルフュロゲネトスである弟を差し置いて帝位に就いた事例はいっぱいありますわ


    ポルフュロゲネトスは帝位に対する特別な請求権があるとされましたが、結局のところ、「ローマ人の皇帝」の地位は実力主義で、ものを言うのは帝位をもぎ取るだけの実力とそれを培うための年齢だったというのが本当のところですの

  • 172二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 08:10:14

    >>2

    中東の場合ですとアケメネス朝ペルシアの君主が使った「シャーハン・シャー(=諸王の王)」が皇帝と翻訳されますわ

    この称号はアケメネス朝が滅亡してからもサーサーン朝などを筆頭にイラン系の国々で使用され続けましたわ

    特にサーサーン朝の支配者は各地に臣下を封建して「シャー(王)」を名乗らせてましたから名実ともに「諸王の王」と君臨していたのですわ


    余談ですけれどこの「シャーハン・シャー」の称号が輸入された結果「バシレウス・バシレオーン(諸王の王=皇帝)」というギリシア語の称号が東ローマで生まれることになりましたの

  • 173二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 11:45:57

    王様といえどもいつもいつも仕事(政治や戦争)のことばかりを考えていたわけではありませんわ
    たまには趣味に没頭しないと倒れてしまいますものね
    有名な王様の趣味といえばルイ16世の錠前作りや後白河天皇の今様などがありますわ

    珍しいものだと考古学を趣味にしてた新バビロニアの最後の王ナボニドゥスがいらっしゃいましたわ
    彼は遺跡の発掘調査や修繕をしたり発掘した遺物を民に見せたりしてたそうですわ

  • 174二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 19:52:26

    今から全く新しい王朝を名乗って認められるかしら?

  • 175二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 20:15:24

    難しいですわね
    この科学の発達した今、王朝に神がかり的な権威を持たせるのは難しい
    大昔の王朝の神話や伝説を建前では皆信じてるから権威が生じるけど現代では至難の業ですわ

  • 176二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 21:14:19

    金王ちょ……なんでもありませんわ

  • 177二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 22:07:15

    どこまで本当か知らないのですけどローマ人の皇帝は元老院・軍隊・市民の歓呼を受けないとだめよっていうマナーがあったので東ローマには「市民」っていう役職があったそうですわ

  • 178二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 00:15:12

    >>173

    ナボニドゥスは「世界初の考古学者」とも呼ばれておりますわね

    彼は発掘した遺跡の年代測定までしていたそうですわ

  • 179二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 08:04:14

    貴族よくわからないですわ 皆様はどうやって詳しくなられたのか知りたいですわ

  • 180二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 08:31:21

    >>179

    歴史上の好きな人物を見つけますわ

    →その人に関する本を読みあさりますわ

    →その人をより深く知るためにその前後の歴史も読みますわ。その国の貴族制度についても知りますわ

    →その前後の歴史をより深く知るためにその前後の歴史や周辺の国の歴史も読みまくりますわ

    →その過程でほかにも好きな人を見つけますわ。その国の歴史も読みますわ

    →エンドレスですわ

  • 181二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 09:22:33

    このレスは削除されています

  • 182二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 10:11:51

    お開きの時間までもう少し語らせてもらいますわ
    ピラミッドを作っていた時代、エジプトの王(ファラオ)はとても強い力を持っていましたわ
    なぜならファラオは死後に復活できて、更にその力を他の人にも与えることができると信じられていたからですわ

    ファラオのために働き、ファラオのために死ぬ、そうすれば死後の永遠が約束される……

    だからこそ人々は復活を約束してくれるファラオのために必死になって働いたのですわ
    現代の技術を使っても十年以上の歳月がかかるあの巨大なピラミッドを今から4000年以上前に作ることができた理由の一つですわね

  • 183二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 10:33:57

    >>179

    私はオタクお嬢様らしく少女漫画にでてきた英国貴族からですわ

    一時、ヴィクトリア朝時代ブームで史実貴族とメイドさん関係の書籍も出ておりそれも見たりもしましたわ

    あと漫画や映画や小説などで知った歴史人物たちの本や歴史番組や今ですとwikiとか必ず「複数」で調べますわ

    歴史番組は面白いしためになりますけれどセンセーショナルなところだけ抜き出してあれな所は伏せていたり、wikiやネットは情報量も多く手軽で便利ですけれど単純に間違えている(年代とか打ち間違えみたいなのも多いですわ)こともあったり、本は情報が古かったり、新しくてもその作者の思想や解釈で偏っていたりもありますので一つだけ見て断定でなく諸説ありの心構えで趣味で歴史を学んでいますわ

    学生時代はテストと新説とで分けて考えていましたけれど今はそれが無いので気楽で楽しいですわ

  • 184二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 11:02:32

    >>179

    好きなスポーツ選手が海外選手でヘタリアも好きでしたのでそれに合わせて学んだりもしましたわ

    欧州の歴史連動してて複雑ですけれど面白いですわ

  • 185二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 14:10:59

    >>182

    さて、そんなエジプトですけれどピラミッドの時代から数百年後には内乱の時代に突入しましたわ

    各地でファラオが乱立して戦乱が続いた結果……ファラオによる死後の保障に疑問符が付くようになりましたの

    そこで人々はファラオの代わりに死後の復活を司る存在として、冥界神オシリスに傾倒するようになりましわ


    オシリスを信仰してミイラ化などの正しい手順を踏めば誰でも死後に復活できるようになる

    ――そこにファラオの存在は一切ありませんでしたわ



    またピラミッドの頃はファラオは神であり、ファラオの行いこそが正義や秩序であり、民はその秩序を守るためにファラオに従う義務がありましたわ

    ですけれど前述の通り内乱の中で秩序が崩れたため人々はこう思うようになりましたわ


    「神は正義であり、ファラオはその〝神の正義”を実行する代官ですわ」

    「ファラオには地上の秩序を維持する〝義務”がありますわ」

    「もしもファラオが〝神の正義”を実行せず秩序を維持できなければ、わたくし共もそれに異議を唱える〝権利”がありますわ!」


    ――以降のエジプトでもファラオは神の化身であり、尊い存在であるということには変わりありませんでしたわ

    ですが古代のように、ファラオは神そのものであり、ファラオの考えが正義や秩序である……というような絶対性はなくなってしまいましたの

  • 186二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 18:19:59

    王様や貴族は豪華な食事を食べるものですわ!
    当然日本の天皇もそう――ではありましたけれど毒見の関係で2~3時間は食べれませんでしたの……
    毎日出来上がってから3時間も立って冷えた料理を食べられていたそうですわ……お労しや陛下……

    他の地域の王様もそうだったのでしょうか?
    教えて下さるお姉さまがいらっしゃれば嬉しいのですけれど

  • 187二次元好きの匿名さん25/02/14(金) 19:21:37

    戦国時代辺りの皇室や貴族は困窮して過ぎててヤバかったそうですわ
    例えば内裏にはネズミがウロチョロしてたので猫の絵を飾ったり天皇自ら本を書いて売ってたそうですわね
    貴族の方々も京にいても食べれないから戦国大名に和歌や蹴鞠を教えるアルバイトをしていたそうですの
    そっちの方が儲かったと言うのですから世知辛い話ですわねぇ……

  • 188二次元好きの匿名さん25/02/15(土) 04:18:52

    運がいいのか悪いのか棚ぼたで王様になった方ってけっこうおりますわ
    このお話もその一つですわ(かなりはしょりますので注意ですわ)

    その昔、地中海のキプロス島は東ローマ帝国領で位置的にも十字軍の遠征の前線基地にはもってこいの島でしたわ
    その頃、ビザンツ帝国の皇族イサキオスという方が反乱をおこし帝国から自立してキプロス島を支配していましたの
    けれど、たまたま十字軍の遠征で来た英国のリチャード1世の艦隊の一部が漂流し島に流れ着き、なんだかんだあってイサキオスのこれまでの悪行とサラディンとの密約の噂でこれはいかん!と島を占領、支配下におきましたわ

    一方、話は少し戻りますけれどフランスの騎士で十字軍としてエルサレムに兄と一緒に赴いたギー・ド・リュジニャンという方がおりましたの
    イケメン兄弟だったのか兄エメリーはエルサレム王国の王女シビーユの母親(王と離婚させられバツイチ)の愛人に、ギーはなんだかんだあって王女シビーユ(子持ち未亡人)の再婚相手に選ばれ結婚しましたわ
    その後シビーユがエルサレム女王に即位したため、その共同統治者となり棚ぼたでギーはエルサレム王になりましたわ
    ところが、イスラムの英雄サラディーンにハッティンの戦いで敗れ、ギーは捕虜に
    解放された時にはエルサレムは陥落、エルサレムを奪われましたわ
    元々、統治能力も疑われていましたので妻が亡くなると、エルサレム貴族たちは妻の異母妹イザベルを女王にしますがギーは王位の放棄しませんでしたわ

    そしてその頃、冒頭のリチャード1世らがエルサレム王国救援のために第3回十字軍として派遣されてきましたわ
    これがなんとギーの旧主
    なんだかんだあってギーは冒頭のキプロスを押し付け……いえ、キプロスを受け取り、エルサレム王位を放棄、キプロス王となりましたわ

    そして、ギーが亡くなった後は兄のエメリーがキプロス王となり以降リュジニャン王家によるキプロス王国が続くことになりましたわ

    真の棚ぼたは兄エメリーだったというお話ですわ

  • 189二次元好きの匿名さん25/02/15(土) 09:37:41

    平安時代の皇族に高岳親王という方がいらっしゃいましたの
    彼は皇太甥として次期天皇とされておりましたけれど政変で実父が失脚したため天皇を継ぐことはありませんでしたわ

    その後の彼はあの空海の弟子となり奈良の大仏の修復作業を指揮するなどお坊さんとして活躍しましたわ!
    そして唐に渡って天竺を目指すものの――そのまま行方不明になってしまいましたわ……

    天皇にも三蔵法師にもなれませんでしたの……

  • 190二次元好きの匿名さん25/02/15(土) 10:04:29

    >>81

    >>82

    ヴィルヘルム2世は労働者に融和的でしたわ、それに対してビスマルクはヴィルヘルム2世に「労働者に優しくしたら他国に負けますわ!」と言いましたの、それを受け入れたヴィルヘルム2世は二月勅令で労働者保護国際会議の呼びかけをしますわ

    けれどビスマルクはその開催を妨害しましたわ、こういう労働者に対する政策の違いで対立してたのもありますの

  • 191二次元好きの匿名さん25/02/15(土) 15:04:12

    >>177

    役職として「市民」があるのが歪ですわね…

    ちなみに「市民」という役職はどういうお仕事をなされていましたの?

  • 192二次元好きの匿名さん25/02/15(土) 22:27:47

    >>167

    桓武天皇以降は廃太子が殺されてしまうこともなくなったのですよね

    もっとも院政の時代は皇太子自体が立てられなくなったそうですけど

  • 193二次元好きの匿名さん25/02/15(土) 22:29:48

    まあなんでしょうこの素晴らしきサロンは
    今し方きたのが悔やまれますわ

  • 194二次元好きの匿名さん25/02/16(日) 06:31:42

    >>188

    余談ですけれど、兄エメリーはキプロス王に即位した後、夫と死別したばかりのエルサレム女王イザベルと再婚しエルサレム王にもなりましたわ

    エメリーは法律に関する深い知識を持っていて王としても有能だったそうですわ

    エメリー亡き後、妻イザベルも4日後に亡くなり、キプロス王には前妻の息子が、エルサレム王にはイザベルの前々夫との娘が継ぎ、キプロス王位とエルサレム王位は再び別々に継承されることとなりましたわ


    ただの棚ぼたで終わらず王として評価されていたのは凄いですわ

  • 195二次元好きの匿名さん25/02/16(日) 09:58:10

    日本の天皇や貴族が運営していた政権のことを朝廷とお呼びしますがコレは朝早くから政務を行っていたことに由来しますわ(諸説有り)
    ただ平安時代になると昼間は宴会をして夜になってから会議を行っていたそうですわ
    当然みんな眠いので会議中にうたた寝してる貴族の方もいればそもそも会議をサボる方も珍しくなかったそうですわ
    当時貴族のトップだった道長様も頭を痛めてたそうですの

  • 196二次元好きの匿名さん25/02/16(日) 19:34:06

    >>193

    ご自分でもスレを建てるのおすすめしますわ お嬢様言葉だと穏やかにスレが進んで素晴らしいですわ

  • 197二次元好きの匿名さん25/02/17(月) 00:31:36

    もうすぐお開きですわね
    このスレで色々と学べて楽しかったですわ

  • 198二次元好きの匿名さん25/02/17(月) 02:16:15
  • 199二次元好きの匿名さん25/02/17(月) 08:22:19

    わたくしも王族や貴族の血をひいてたり前世で王族のような設定が欲しかったですわ

  • 200二次元好きの匿名さん25/02/17(月) 08:30:26

    とうとうスレも終わりですのね
    私もとても楽しかったですわ
    それでは皆様またお会いできるの楽しみにしていますわ
    ごきげんよう

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています