- 1◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 22:57:07
────自分の叫び声で目が覚めた。
起きて真っ先に目に入ったのは、どよめきを上げる大多数の観客────違う、見知った自分のトレーナー室。腕の中にいるのは血まみれのアグ────違う。
……腕の中にあるのは、ただのライバルウマ娘たちのデータが記された資料だった。
業務の終了が目の前まで来ている夕方の時刻。トレーナーは作業の途中で、いつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。
だが、そんなことは彼にはどうでも良かった。
額を伝う汗を乱雑に拭い、息も荒いままトレーナー室を出る。居ても立ってもいられず、確かめたいことがあった。
汗の染みた体が切り裂く大気で冷やされていくのを感じながら三分ほど。過去最速で、トレーナーは目的地である旧理科準備室へとたどり着いていた。
ノックをするのも、この部屋の主の片割れであるマンハッタンカフェがいるかを確認するのも惜しく、すぐに扉を開ける。
ただそこに目的の人物がいてくれているのかを確かめたかった。
旧理科準備室の室内が露になるまで、彼は呼吸を止めていた。
「────おやおや、どうしたんだい。そんなに慌てて」
あるはずのないウマ耳が、ピンと立った気がした。 - 2◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 22:58:47
聞こえた声。その声でようやくトレーナーの呼吸は元に戻る。
「まるで悪い夢でも見ていたような顔じゃないか、トレーナー君。脈拍も随分と乱れているように見えるねぇ」
アグネスタキオン。
彼の担当ウマ娘であるアグネスタキオンが。いつものように、制服の上から白衣を着て、飄々とした態度で。狂った目を興味深そうに細めてこちらを見ていた。
実験の途中だったのか、その片手には大きなフラスコが握られている。紫色の液体をゆらゆらと揺らしながら、彼女は唇の端を上げた。
「どれ、せっかくの機会だ。どんな夢を見ていたのか詳しく聞かせてもらうのも良いかもしれないねぇ。今データを取る準備をするから……」
どうでも良かった。
タキオンの言葉を全て無視して、トレーナーは後ろ手に乱雑に扉を閉めながら室内を進んでいき────アグネスタキオンを、強く抱き締めた。
「おや。トレーナー君?」
急速に近くなった二人の距離。少しだけ目を丸くしながら、タキオンは首を傾げる。
だがそれすらも意に介さず。トレーナーはタキオンを抱き締め続けていた。
その白衣にシワが寄るのも。彼女の細い首がほんの少しだけ絞まるのも厭わず。
そして、
「……良かった」
ただ一言。
それだけ言って、彼はまたタキオンを抱き締める。まるで、空に飛ばされる風船を必死に繋ぎ止めようとしているようだった。 - 3◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 23:01:16
「……まさか、本当に怖い夢でも見ていたのかい」
呆れと心配を混ぜ合わせたような声で。小さく呟くと、タキオンは彼の背中を握り拳で軽く叩いた。
それが『離してほしい』という合図であることは、長い付き合いであるトレーナーにはわかった。
だけど────
「大丈夫だから。良いから、一旦離してくれたまえよ」
『離したくない』というトレーナーの思考を読んだとしか思えないタイミングで、タキオンが言う。
素っ気ない口調だが、しかしその声音は生徒に優しく言い聞かせる教師のようだった。
おそるおそるトレーナーが腕を離すと、拘束から解放されたタキオンは持っていたフラスコを近くのテーブルに丁寧に置く。そして、
「ん」
再び白衣に覆われた腕を広げ、トレーナーを迎える体勢を取った。
またトレーナーが抱きつくと、今度はタキオンも彼の背中に腕を回し、泣く子をあやすように────この状況では本当にそうかもしれない────広げた手の平で彼の背を優しく叩いた。
一定のリズムで、十回ほど背中を叩いたあたりで、ようやくタキオンは口を開いた。
「……それで、どんな夢を見ていたんだい?言いたくないなら、無理強いはしないよ」
トレーナーは迷った。話すべきか否か。
……迷った末に、彼は吐き出すことを選んだ。 - 4◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 23:03:32
夢の中で、彼は……彼とタキオンは、とあるレースに出場していた。白衣を風になびかせて全力で走るタキオンを、客席から力の限り応援していたトレーナー。
そうして理想的な動きのまま第四コーナーに入り、理想的なタイミングでタキオンが最終加速。そのまま彼女は後続を一気に突き放す最高速度を出して、そして────
「───脚を、か」
トレーナーが言い淀んだ部分をタキオンが引き継いだ。その時のタキオンがどんな顔をしていたのか、彼女の肩に頭を乗せているトレーナーからはわからない。
そのまま数十秒ほど、背中を叩かれるトントンという音だけが響いて。
やがて出し抜けにタキオンが口を開いた。
「一つだけ聞いても良いかな?モルモット君」
「……うん」
「その夢の中での私は……『果て』へとたどり着けていたのかい?」
……この質問には慎重に答える必要がある。考えるまでもなく、トレーナーはそう確信していた。
たっぷりと時間を空けてから、彼は答えた。
「……うん。これまでのタキオンと比べても、明らかに速かった。きっとあのタキオンは『果て』にたどり着けていたと……思う」
「そうか。ふぅン……『果て』にたどり着いたと同時に……か」 - 5◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 23:05:41
背中を叩いていたタキオンの手が、止まった。そして、ふぅと一つ息を吐いたような声がしてから。
「なればモルモット君。きっとその夢の中での私は、本望だっただろうね」
「え?」
「だってそうだろう?私というモルモットを消費し尽くして、その末としてウマ娘の限界点へと至ることが出来、そしてそれを君も目撃できたんだ。狂気の行き着く先としては自然ですらある。悪夢だなんてとんでもない。むしろ吉夢というものさ」
「…………」
「自らの興味目的を満たすためならどんなことだってする。どんな代償も惜しくない。それが私たちだ。違うかい?」
……確かに、その通りだった。
あの日……タキオンが渡してきた試験管を飲み干した時から。
それがトレーナーとタキオンの間にある共通事項……一種の絆であり……彼がタキオンに惹かれ、そしてタキオンが彼に惹かれた理由。
つまり、夢でのあの結果に異議を唱えるということは、トレーナーとタキオンの関係に異議を唱えることに等しい。
今だってタキオンの脚の危機が消えたわけではない。むしろ要求される能力値が高くなるにつれて、更に繊細な注意を払っている。
『覚悟』だって、ずっとしている。 - 6◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 23:07:48
そんなことはわかっている。
わかっているのに。
あの夢の中での、『果て』にたどり着いたタキオンが、笑みを浮かべて。
そのままタキオンが、倒れた瞬間。
彼の鼓動は、確かに────
「……ないよ」
「うん?」
「『覚悟を持っていること』と……『いざそれに直面しても平気でいること』は、イコールじゃないよ」
────結局トレーナーが吐き出せたのは、そんな言い訳染みた台詞だけだった。
あまりに情けない。
自分の決意はこんなものだったのかと、トレーナーは自分を殴りたくなった。
だが、その言葉を聞いたタキオンは……しばらく何かを考えるような間の後……また彼の背を叩く手を再開させた。
「……やれやれ」
呟きながら、ほんの少しだけ抱擁を解くタキオン。汗をかいたトレーナーと長時間くっついていたためか、いつの間にか彼女の服も僅かに濡れていた。
そのまま彼女はトレーナーの方を見ながら、
「……やはり『悪夢』だったかもしれないね。その夢は。……私にとっても」
珍しく、困ったような表情を浮かべたのだった。 - 7◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 23:11:41
終わりです。
タキモルもしくはモルタキを書くときはタキオンよりもモルモットの描写の方が難しい気がします。違和感があれば申し訳ないです。
モルモット君もタキオンに危機が迫ったりすると普通の人間みたいに情けなく泣いたりするのかなと思ったり。
ここまで読んでくださった方がいればありがとうございました。 - 8◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 23:12:59
- 9二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 23:22:20
意外と包容力のあるタキオン……いいね
- 10◆gN9JzqkG6.25/02/12(水) 23:56:06
ありがとうです!ちょうどそういうところを書けていたらと思ってたので良かったです
- 11二次元好きの匿名さん25/02/12(水) 23:58:40
ママン味を感じさせるタキオンはいいぞ
- 12◆gN9JzqkG6.25/02/13(木) 00:26:16
感想ありがとうです!タキオンは意外とママン味もある……
- 13二次元好きの匿名さん25/02/13(木) 02:13:58
乙やで そりゃそんな夢見たらモルモットも抱き締めに行くわな…