カノッサの屈辱俺っ♡「破門解いてっ♡許して~っ♡」(金玉振り振り懇願ダンスで懇願っ♡(ゆらゆらほかほか金玉詫び媚びぷりぃ~んっ♡

  • 11♡antiromanov25/02/19(水) 08:52:50

    幼少期は親父が諸侯に服従を強いたり大諸侯に喧嘩を売った結果苦労……♡
    皇帝になってからも諸侯や聖職者の支持獲得に奔走したりとやることばかり……♡

    だけどザクセンの反乱を終わらせるために教皇を使った結果最終的に破門……♡
    カノッサの屈辱によってとりあえず赦しは得たものの対立皇帝だの二度目の破門だの滅茶苦茶……♡

    一応対立皇帝は破り皇帝として地位を築きはしたが最終的に息子に帝位を譲るよう言われ譲る羽目に……
    息子を非難こそするもそのまま死去……♡

    どうする?♡

  • 21♡antiromanov25/02/19(水) 08:53:04

    ということで今回は結構前に本家からリクエストのあった、神聖ローマ皇帝ハインリヒ四世について解説していく。

    ハインリヒ四世、神聖ローマ皇帝にしてローマ王、ブルグント王、イタリア王、バイエルン大公はザーリアー朝神聖ローマ帝国の三代目として1050年に産まれた。母はアキテーヌ公の娘アグネスである。
    父ハインリヒ三世は皇帝権力の強化に腐心した男であり、そのため息子であるハインリヒ四世は三歳からローマ王の称号を与えられる等、名実共に「後継者」とされていた。

    だが、彼が神聖ローマ帝国の皇太子として認められてから三年後の1056年、父ハインリヒ三世が急死する。(鹿俺♡金玉振り振りしてたら寄生虫がむっわぁ……♡勿論寄生虫は神聖ローマ皇帝だろうが関係なく襲いかかる♡)
    これによりハインリヒ四世は6歳にして神聖ローマ皇帝となり、母のアグネスが摂政として統治を行うことになる。

    とかやってたら幼君なのをいいことに教皇側が教皇選挙の改革(当時は枢機卿による会議ではなく、世俗貴族や神聖ローマ皇帝の意向もある程度通るものであった)を行うわ、ケルン大司教と(摂政アグネスにバイエルン大公の地位を与えられた)オットー・フォン・ノルトハイムが組んでハインリヒ四世を浚い摂政権力を奪取するわと滅茶苦茶が始まる。
    何を言っているのかわからないと思うが、皇帝を誘拐して権力を手に入れるのが許される。これが成功したクーデターというものである。

    そうして、新たに摂政となったケルン大司教はブレーメン大司教らと組みながら帝国を統治……したものの1065年。
    遂にハインリヒ四世が成人すると、ハインリヒ四世は即座にケルン大司教を自身の側から追い出して親政を開始する。

    ただ、ハインリヒ四世はその後ケルン大司教と和解、マインツ大司教も味方に引き入れる代わりにブレーメン大司教を失脚させるのだが……

    因みにだがハインリヒ四世がここまで割とすんなり親政を行えたのには理由がある。当時は神聖ローマ皇帝がキリスト教世界においては「地上における神の代理人」(因みに私はこの言葉を見ると著しく殺意が高まる)として扱われており、「皇帝の権力に干渉する諸侯や聖職者」という構図になっていたからである。

  • 31♡antiromanov25/02/19(水) 08:53:56

    故にハインリヒ四世はそういう方面から支持を受けていたわけだが、これだけでは足りなかった他、ハインリヒ四世の摂政統治時代に皇帝の土地は随分失われていた。
    特にザクセン地方に集中していたこれらをハインリヒ四世は回収しようとした。

    ザクセン人の大半は屈したものの、一部は当時の公爵の後継者マグヌスを担いで反乱を起こした。
    またオットー・フォン・ノルトハイム(ハインリヒ四世を拉致した人)に皇帝暗殺計画の嫌疑が出た結果オットーはザクセン地方に逃亡。1070年、ハインリヒ四世は普通にザクセン地方に踏み込んだ。
    尚、オットーとマグヌスは普通に諸侯の支持がなく一度は屈するしかなかった。

    だが、ハインリヒ四世はザクセン地方に対して非現地人の代官を置くなどしてザクセン地方への支配を強めた結果反乱は続くこととなり、農民達は普通に暴れていた。

    1073年、新たに教皇となったグレゴリウス七世に対してハインリヒ四世は懺悔の手紙を送って教皇の求める改革(聖職売買と聖職者の妻帯禁止)を支援する構えを見せた。
    これによって教皇の支持を得たハインリヒ四世は諸侯や聖職者との結束を強めた。

    1074年、一旦は農民反乱に妥協する構えを見せたハインリヒ四世だが、よりによって農民側がハインリヒ四世の親族の墓を侮辱したため叩き潰されることになる。
    1075年秋までには、反乱首謀者の大半が処断されていた。

    ということで1075年、邪魔なザクセンの反乱を鎮圧したハインリヒ四世は教皇の影響力をある程度無視できるようになったため、グレゴリウス七世と敵対する行動を取り始めた。
    具体的にはグレゴリウス七世の決めた司教ではなく己の選んだ司教にするなど……

    と、ここで一旦叙任権闘争について軽く説明を始める。

  • 41♡antiromanov25/02/19(水) 08:54:10

    まず、叙任権とは「司教や大司教を任命する権利」であり、当時の神聖ローマ帝国では世俗側が握っていたものである。
    それを教会改革や清浄化のために教皇が取り戻そうとした……というのが単純化された構図である。

    だが叙任権闘争の根幹はその実「カール大帝以来の、帝国統治円滑化のための聖職者との提携」の果てである。

    オットー大帝のアレコレも有名であるが、フランク王国と神聖ローマ帝国において聖職者とは「官僚組織」であった。
    故に「帝国の官僚組織たる聖職者は皇帝に従うべき」であり、「国内の聖職者は当然領地貴族や皇帝が管理すべき」となってくる。
    そして神聖ローマ皇帝は「カール大帝が復活させた西ローマ帝国の尊厳者(アウグストゥス)」である。

    他方、教皇は「神聖ローマ皇帝の権威はカール大帝時代から我々が付与してきたものであり、ローマを支配する者」である。

    ……なんとなくわかってきただろうが、「カール大帝とその座を受け継ぎ無数の領主を従える皇帝が偉いのか。或いはその皇帝に権威を与える教皇が偉いのか」という構図である。
    そこに神聖ローマ帝国の統治問題が絡んできた。
    「司教を封建的領主として任命する皇帝か、或いは司教を司教たらしめる教皇のどちらが偉いのか」
    「皇帝が徴税権を与えたのか、教皇を上とする協会組織だから徴税が可能なのか」
    といったものだ。

    更に「皇帝が司教を任命できる以上、誰を司教にするか選べる皇帝の権威は増大する」というものも出てきた。つまり、叙任権を握っておくことで皇帝には政治的駆け引きのためのカードが増えるのである。
    だからまあ、こんなもの当然対立する。誰だってそうなる。

    これが叙任権闘争とその裏側のアレコレである。

  • 51♡antiromanov25/02/19(水) 08:54:42

    さて、話を戻そう。
    教皇と対立することを選んだハインリヒ四世は、ミラノ司教を己の選んだものにしようとした。(2レス前参照)
    ということでグレゴリウス七世は「皇帝ネカピンは金玉に触る資格なし♡主たるたつとろは世界と金玉教会を産み出した♡故に皇帝より教皇が偉い♡叙任権?教皇のもの♡」(流石にここまで酷くはないが言ってることは割と近い)とブチギレ、ハインリヒ四世が引かねば破門すると宣言した。

    ということでハインリヒ四世は1076年1月、逆にドイツ国内の司教を召集して新たな教皇を選出しようとした。
    案の定グレゴリウス七世にキレられた。破門された。
    ということで破門された結果ハインリヒ四世の求心力は消し飛び、司教達は一瞬で教皇側に寝返り、ザクセンの反乱はまた起き、諸侯の反乱も起きた。案の定である。
    そのうえ、このまま行くとハインリヒ四世は廃位されかねない状況になったので、12月から1月にかけてえっちらおっちらイタリアに向かうことにした。

    そして、グレゴリウス七世はハインリヒ四世がイタリア半島にやってきたという報告を聞いて「金玉をもがれる……?」とガチビビリ、ローマからトスカーナ地方のカノッサ城まで逃げ出した。
    因みに当時のトスカーナ地方は女伯マティルダが統治しており、この女伯マティルダとグレゴリウス七世は愛人関係にあったのではないか……という疑惑が当時存在していた。そう考えるとビビった教皇が武力のある女の下に逃げ込むというのはなかなか味わい深い。
    また、グレゴリウス七世はそもそも本来教皇になれない地位から異例の教皇就任を果たした男でもあった。ハインリヒ四世はそこを突いてグレゴリウス七世を引きずり下ろしたかったのだろうが……現実は破門されて謝りに出向くしかないというのはなんとも言えない話である。

  • 61♡antiromanov25/02/19(水) 08:55:18

    ということで年明けの1077年1月25日、キンタッマ……ではなくカノッサ城にハインリヒ四世一行は到着。3日間かけて教皇の赦しを乞う。これがかのカノッサの屈辱である。

    因みに英語版Wikipediaなどでも「雪中で3日間裸足で~」と書かれているが真偽は不明である。

    ただ、我々たつとろエミュにとっての主たる本家たつとろが「やった」と言ったのでやったのである。いいね?


    【歴史】キンタッマの屈辱俺っ♡「破門いやぁ~っ♡」(全裸土下座でお尻を向けているっ♡(尻間からむちち金玉詫び媚びぷりぃ~ん…っ♡|あにまん掲示板金玉には「よしよしして……♡」と入れ墨されているっ♡どうする?♡bbs.animanch.com

    疑問に思う者は本家のこのスレタイと本文を音読すること。嫌だよなんで音読しなきゃならんのだこんな文を書いてる俺も読み上げようとしたお前らも正気か?


    そして偉大なるローマ皇帝たる神聖ローマ皇帝が軍を率いずに単身現れるわけもなく、カノッサ城にいた面々は教皇を説得。これによってハインリヒ四世は破門を解除された。因みに彼は後にもう一度破門される。


    カノッサの屈辱後の1077年3月、ハインリヒ四世の反対派は対立皇帝シュヴァーベン大公ルドルフを選出する。この皇帝は教皇グレゴリウス七世が派遣した特使も承認していた。舌の根も乾かぬうちになんとやらである。


    ということで、ハインリヒ四世はこの対立皇帝との戦いをすることになる。

    まずハインリヒ四世は当時三歳の次男コンラートを共同統治者に選出。

    続いて各地を巡って己の権勢と統治が及んでいることをアピール。

    そうして対立皇帝軍と遭遇……したが、劣勢なので決戦を避けた。時としてそういうことを選ぶのも優れた指揮官の才覚なのである。

  • 7二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 08:55:26

    ああそうか、この時間帯に現れるんだったな…

  • 8二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 08:55:28

    歴とろ!?
    生だ!

  • 91♡antiromanov25/02/19(水) 08:56:02

    とかやってたら1077年12月、教皇特使が勝手に破門を宣言。
    だが、流れがアレなので1078年のイースター(ぷりいっ♡むちいっ♡金玉探しのイースター俺♡ふっくらツヤツヤの金玉を探してみて……♡)に教皇庁は破門を撤回した。何なんだ。

    そこからハインリヒ四世は1080年までに頑張って優勢に持っていった。
    そして教皇グレゴリウス七世に対立皇帝の破門を求め、もし断るなら対立教皇を立てると宣言した。
    教皇はハインリヒ四世を破門した。二度目の破門である。誤破門含めて三回目の破門である。
    何を言ってるかわからないと思うが、また破門されたのである。

    因みにというか当然というか、流石にこれにはドイツの司教達はドン引き。ハインリヒ四世と一緒に対立教皇を担ぎ上げた。これがクレメンス3世である。金玉はいらねぇ。

    1080年10月、対立皇帝ルドルフを遂にぶっ殺すことに成功。これによりハインリヒ四世はようやく地盤がためを終えた。
    続いて1081年、二度も破門しやがったグレゴリウス七世を教皇位から引きずり下ろすためにローマに軍を率いて向かった。グレゴリウス七世は南に逃げたが、ハインリヒ四世側もグレゴリウス七世を捕まえることが出来ないまま帰還することになる。
    尚、道中にあったトスカーナ女伯マティルダの領地は滅茶苦茶になった。そこにあるのと教皇の女なのが悪い。あるのがいけない。金玉はないけど。

  • 101♡antiromanov25/02/19(水) 08:56:28

    因みに教皇グレゴリウス七世は一度ローマに戻れたものの再度逃亡。サレルノで1085年に亡くなった。つまり、ハインリヒ四世は不
    倶戴天の敵をローマではない場所で死なせたのである。ある意味復讐を完遂している。

    ただ、ハインリヒ四世側も苦労し続けた。
    1086年からザクセンの反乱がまた起こり、反乱者達が跳梁跋扈し続けた。
    そのため、ハインリヒ四世はこれらの鎮圧のために転戦を続けた。

    とかやってたら1093年、トスカーナ女伯マティルダがコンラートを離反させてきた。敵しかいないなこの皇帝。
    コンラートは逃亡。
    (なんかグレゴリウス七世との間に一人いるが)現教皇ウルバヌス二世もコンラートに味方し、しかもハインリヒ四世の後妻(コンラートも後に出てくるハインリヒ五世も先妻との子供)でさえ裏切った。

    ということでハインリヒ四世は1096年にコンラートを廃位、代わって三男のハインリヒを後継者とした。
    とかやってたら、数年後にはその息子のハインリヒも裏切った。しかも諸侯の支持は息子に向いていた。
    1104年、成長した息子ハインリヒは父と教皇グレゴリウス七世との関係性を掘り返し、反乱を起こした。
    ありとあらゆる勢力がハインリヒ四世を見捨てた。
    1105年12月、ハインリヒ四世は退位。新たに息子のハインリヒがハインリヒ五世として1106年に即位した。
    同1106年8月、ハインリヒ四世は失意のうちに病死した。人生の大半を戦いに費やした皇帝の死はあっけないものであった。

  • 11二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 08:59:41

    時々正気を取り戻してて草

  • 121♡antiromanov25/02/19(水) 09:00:03

    因みにこれは余談であるが、叙任権闘争はハインリヒ五世が名を捨てて実を取る形で教皇に譲歩したことによって終結した。

    ハインリヒ四世は教皇をローマから追い出す屈辱を味合わせたが、逆に息子によってその戦いを否定されたのである。

  • 131♡antiromanov25/02/19(水) 09:01:50

    はい。
    ということで本家たつとろのスレが消されたので、途中まで書いていたハインリヒ四世の解説を急遽仕上げた形となります。
    また、その都合上カノッサの屈辱以降の部分がやや薄くなっているので、興味がある方は別途様々な形で調べてみるのも良いと思います。

    本家とろが消されたという事実に何故か心が痛くなりましたが。いやなんで痛くなるんだよおかしいだろ俺は正気なのか?いや正気なら歴とろやらんだろ
    何はともあれ、これからも不定期ながら続けていきたいと考えています。

    以上。ここまで読んでいただいた皆様に最大限の感謝を。

  • 14二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 09:02:57

    ここ分量あるのに薄いの!?

  • 151♡antiromanov25/02/19(水) 09:05:15

    >>14

    恥ずかしながら専門分野は近代史であり、ハインリヒ四世とかザーリアー朝については無知なので……


    そのため本来ならもう少し加筆できるカノッサの屈辱後が薄くなったという形です

    次はグレゴリウス七世側をやるか、それとも趣味に走るか……

  • 16二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 09:05:47

    昨日の数とろといい本家が消えた分を取り戻すかのように派生とろが文章量多いな…

  • 17二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 09:12:02

    歴とろの時々正気に戻りつつ自らに突っ込み入れるスタイル好き
    てかハインリヒ4世破門されるプロすぎて草

  • 18二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 09:16:58

    歴とろに初遭遇の喜び

    読みやすくちょこちょこ玉を脳に擦り込むような

    サブリミナル的金玉文章…

    >主たるたつとろ

    おい

  • 19二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 09:27:49

    >>17

    破門回数二回に破門未遂一回だからプロだなって

  • 20二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 09:33:40

    えっ本家たつとろが消えたのか…?あんなに平和なスレなのに…

  • 21二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 09:35:39

    >>20

    本家のスレが(リアル猿の金玉貼られたせいか)爆破されて一昨日から騒ぎになってる


    不定期と言う名の休眠してた歴とろの活性化も本家が消されたことに呼応してだし

  • 22二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 11:25:29

    >「地上における神の代理人」(因みに私はこの言葉を見ると著しく殺意が高まる)

    ここロマノフ朝アンチの魂を感じる

  • 23二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 13:16:06

    >>21

    リアル猿の貼ったのか…知らんかった


    貼り奴磔刑にしてとろろ塗りたくりたくなっちゃったよ…

    いや駄目だ聖人になっちゃうわ

    金玉ひしぎ十字固め位が良いかな?

    エミュとろ活性化は門下生による穏やかな仇討ちに見えてきた

  • 24二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 13:58:11

    >>23

    でも歴とろはたつとろをキリスト教における神に例えてるし……

  • 25二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 23:02:19

    カノッサの屈辱って濃いのに教科書では少しの記述で終わるからちょっともったいないよな

  • 26二次元好きの匿名さん25/02/19(水) 23:03:51

    教皇ってすぐ破門する気がする
    新手のスタンド使いかよ

  • 27二次元好きの匿名さん25/02/20(木) 01:49:18

    >疑問に思う者は本家のこのスレタイと本文を音読すること。嫌だよなんで音読しなきゃならんのだこんな文を書いてる俺も読み上げようとしたお前らも正気か?


    ここ好き


    カノッサの屈辱はチューザレって漫画で再生されるからちくしょう!

  • 28二次元好きの匿名さん25/02/20(木) 02:50:03
  • 29二次元好きの匿名さん25/02/20(木) 02:53:32

    >>23

    猿の青金玉貼ったのが原因と決まったわけじゃないんだ

    むしろあの画像は学術的な意味で勉強になる画像だったんだほんと

  • 30二次元好きの匿名さん25/02/20(木) 09:49:25

    >>29

    早まってしまった申し訳ない(技かけ中止)

    >>28が貼ってくれたスレ内で

    画像貼った人が謝罪とスレ復活嘆願出してるね


    猿のも検索して確認したらめちゃくちゃ綺麗なブルーな不思議玉だった

    いやこれ…駄目かなあ??卑猥度低いしちょっと分からん…

    原因は管理人ちゃんしか分からんかも

  • 31二次元好きの匿名さん25/02/20(木) 10:44:52

    教皇側が皇帝に勝ったけど長い目で見たら教皇側の権威が弱まるきっかけだっけ?

  • 32二次元好きの匿名さん25/02/20(木) 12:02:52

    >>31

    あってる


    超短期というかハインリヒ四世とグレゴリウス七世という形で見たら最終的にはハインリヒ四世の勝ち

    短期的に見たら叙任権を形だけでも確保できた教皇達の勝ち

オススメ

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています