止まり木

  • 1二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:47:30

    灰はかつて炎があった証である。
    そのひどく灰色な固まりに敬意を払いなさい。
    しばらくここに留まり、
    そしてこの世を去った生き物のために。

    ──Emily Elizabeth Dickinson

  • 2二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:47:49

    「またこんなに遅くまでお仕事ですか?」

     私の言葉に〝先生〟はハッとした様子で顔を上げた。
     時刻は既に零時を回り、寝静まった街が静謐な星明かりを携えて妙に世界を包んでいる。
     蛍光灯にシャットアウトされた夜の灯火は窓を境に切り離され、人工の太陽だけが部屋の白さを際立たせていた。

    「セリナ? こんな時間に……」

     どうして? という先生の言葉は続かない。
     私を見て、私の手元を見て、あっという間に全てを察して口を噤む。

  • 3二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:48:33

    「せめて少しだけご休憩されませんか?」

    「……そうだね」

     私はあえて先生が座っていた仕事机から離れた場所にあるソファの前へお盆を置いた。
     一合ばかりで炊かれた白米のおにぎりが二つ。海苔が湿気て張り付いてしまわぬように別添えで。味は塩のみシンプルに。

     茹でられたウインナーは身姿そのままに三つだけ。黄色の大地に地層のような焼き目の筋が混じった卵焼きは一口大が二つきり。

     簡素な、しかし夜更けの腹の虫を
    治めるにはこれほどないご馳走様だった。

  • 4二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:49:11

    「これはセリナが?」
    「はい」
    「ありがとう」

     先生はソファに座った私の隣に腰を下ろし、お盆に載せられた夜食を眺めて微笑んだ。

     きっと心の内では、自分の生徒にこんな事をさせるまでに心配を積もらせてしまったのだと考えているに違いない。

     先生の躊躇いがちな笑顔の陰には、いつもいつも自責の念が漏れ出ている。

     みんなわかっていて……触れない。

     散々話して、話して、話して。

     先生がどうしようもなく大人なんだと理解して、触れなくなった。

  • 5二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:49:48

    「申し訳ないと思うなら、もっとちゃんと休んでください」
    「う……ごめんね」

     ぷい、とそっぽを向いて見せた私に先生が頬を掻く。

     横目でそれを捉えた私は小さく小さくため息をついた。

     大人の先生から時折垣間見えるあどけなさには純粋さを超えた、無垢とでも言うべき『素直さ』がある。

     この態度で向き合われた生徒の誰一人として、先生に向かってそれ以上の口を挟めるものがいない。

     つい、許してしまうから。

     つくづくずるい大人だなと思う。

  • 6二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:50:29

    「いただきます」
    「はい、めしあがれ」

     律儀に手を合わせて食事に向かい合った先生は、真っ先にウインナーに手をつけた。

     挟んだ箸を跳ね除けんばかりの弾力、今にも肉汁の弾けだしそうな身がカリュ、と音を立てる。

    「ん〜〜!」

     続けざまに塩おにぎりそのままを鷲掴みにして頬張り、またもやウインナーに回帰してゆく。

     歓喜に色めき立つ至福の唸り声。

     これでもかというほど嬉しそうに夜食を口にする先生の横顔を、私は子どもみたいだなと思いながら観察していた。

  • 7二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:51:09

     染める間も無いのか頭髪の合間にわずかに見え隠れする白髪。遠目には分からずとも近づけばはっきりと映る目の下の隈。

     この人は常に忙しい。

     常に忙しくして、先生をしている。

     誰の目にも疲れが見えるほど、絶え間なく。

    「やっぱり卵焼きは甘いほうが好きだなぁ」

     気づけば、最後に残されていた卵焼きが先生の口の中へ消えていた。

     最初に取り残されていた海苔の姿も無い。

     五分足らずの完食だった。

    「お口に合いましたか?」
    「とても美味しゅうございました」

     どこか芝居がかった口調で頭を下げる先生を無意識に抱いていたのは私自身も驚いた。

  • 8二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:52:02

    「せ、セリナ!?」

     下げてきた頭を両手で胸の中に抱え込み、私はバサバサとした頭髪の反感を手のひらに感じながら目を瞑る。

    「先生……いつもありがとうございます」
    「……セリナ……?」
    「私たちの……生徒のために、先生はいつも頑張ってます。疲れても……眠たくても……大変でも……辛くても……子どものために」

     私を含め、キヴォトスでは先生に直接の関わりが有る無しに関係なく救われた生徒は多い。

     彼曰く、『大人の責任を果たしている』だけらしいが、キヴォトス中を見たってこんな大人は他に居なかった。

    「……心配をさせてごめんね」

     私の腕から抜け出した先生は、手の甲で優しく私の羽を撫でた。

     硬い指先が頬を掠め、私はその手を捕まえて頭を預ける。

     大きな乾いた手のひらは、少しだけインクの匂いがした。

  • 9二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:52:41

    「私こそ……急にごめんなさい」

     結局甘えてしまっているのは私の方だ。

     『生徒が心配している』のを盾にして、大人の弱みに漬け込んで。

     臆病な恋心に溺れている。

    「あ」

     それはどちらの声だったか。

     眼前から離れていく桜色。先生が手にした私の羽。
     自然に抜け落ちた唯一の証に、先生は目を見開いていた。

     生え変わると知っていても、他の人と比べればほんの一本しかない私の頼りない羽が抜けた事に驚いている様子だった。

  • 10二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:53:26

    「せ、セリナ、これ……!」
    「ふふ……自分の羽を渡すのは、親愛の証明なんですよ」

     そんなのは嘘っぱち、デタラメだ。

     梟が求愛するかのように羽を渡す文化など、キヴォトスには存在しない。

     誰かを愛する証明に自分の一部を捧げたいというのは私自身の欲だ。体のいい言い訳だ。

    「大事にして下さいね」

     勢い任せに先生の懐に体を投げた。

     大きな大きな先生はビクともしない。大きな人だから。大人だから。

    「…………ありがとう、セリナ」

     先生の両の腕が私の体躯をそっと包む。

     ガラス細工でも手に取るかのような繊細な抱擁は、寂しいけれど温かかった。身も心も、全てが溶けだしてしまうと錯覚するほどに。
     
    「先生──愛しています」

     私は先生の、重荷になりたかった。

  • 11二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:53:40

  • 12二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 16:55:55

    お疲れさん、いい領域展開だったよ

  • 13二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 17:00:51

    尊すぎて

  • 14二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 17:21:07

    あまりにもしっとりしてる……

  • 15二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 18:32:03

    甘くてほろ苦い…

  • 16二次元好きの匿名さん25/02/22(土) 19:54:07

    セリナはわかってるなぁ

オススメ

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