【SS】地下生活者「くるしい……くるしい……」

  • 1125/02/26(水) 23:27:04

     ぽたり、と冷や汗が頬を伝う。

    「くるしい……」

     いったい何度繰り返されたであろう男の呟きを聞く者は何処にもおらず、自分しか居ないこの暗闇の中へと滲んで消えるばかりである。血走った瞳に映るのは彼の居る地下室ではない、別の空間だ。

     そこは夕暮れの砂漠であった。
     砂の混じった風が時折吹くだけのその場所を、男は地下室に居ながら尋常ならざる力で以て眺め続ける。
     もちろん風景を楽しんでいるわけでは決してない。男が監視していたのは砂漠のただ中で物々し気な兵器を担いで笑うアビドス自治区の不良たちである。

    【いや~良いもん拾ったな~】

     フルフェイスヘルメットを被った少女が快活に笑う。後ろに続く数名の少女たちも釣られて笑う。
     それだけならば何ら不思議でもない日常だ。そしてそれだけならば、男がわざわざ監視する必要もなかった。そしてそうではなかったから男の精神は誰よりも追い詰められていた。

    【これだけの大物だったら、あのアビドスにだって負けないな!】
    【ああそうさ! こいつをアビドスの校舎に叩き込んでやればあいつらだって流石に逃げ出すだろ!】

     物騒極まりない発言が飛び交う。男はその光景を前に、何度も喉から出かけた言葉を呑み込み続けた。でなければ頭がおかしくなりそうだったからだ。
     だが、そんな男の抵抗を吹き飛ばすように、監視されていることなぞ露と知れない少女が言った。

    【まさか、砂漠にショレフ155mm自走榴弾砲が埋まってるなんてな~!】
    「いや!! なんで埋まっているんだそんなものが!!」

  • 2125/02/26(水) 23:27:17

     もしあの自走砲から放たれた榴弾がアビドスの校舎を破壊したら、なんて思うと恐ろしくてたまらない。
     それだけではない。もしうっかりあのヘルメット団たちがアビドスに通う生徒を傷付け、そして重傷なんて負ったりしたらと考えるだけでも息が止まりそうになる。

    「なっ、何か攻略法があるはずだっ!! アビドスが無傷で済む何かが!!」

     『RULE BOOK』をひっくり返して今なおアビドスへと迫るヘルメット団付近で起こり得る"可能性"を探し続ける。
     アビドスに傷が付くなどあってはならない。何せあのアビドスは男にとっては地雷原そのものである。もし傷が付き、そしてそれが『死の神』の逆鱗に触れたのなら――

    (殺される……! 小生の仕業だと誤認されて小生が殺される……!!)

     男はかつて、列車砲にまつわる事件においてアビドスの生徒たちを絶望の淵まで追い詰めた大罪人である。
     そして先生たちに敗北し、異なるキヴォトスより到来した死の神にその命を握られた哀れな存在である。

     その名を、地下生活者という。

    -----

  • 3125/02/26(水) 23:27:30

     始まりは、一連の事件の幕が下った直後。『死の神』に「二度はない」と忠告され、少しばかりの冷静さを取り戻した後、ひとつの疑問を覚えたときである。

    「次はない……と言ってましたが、その次を『死の神』は認識できるのでしょうか……?」

     もちろん叛意なんてあるわけがない。そこまでの気骨があるのであれば、最初から地下に封じられることもなかっただろう。故に感じたのは純粋な疑問である。

    「起こる事象に対して彼女たちが私の関与を認識できたのはシッテムの箱あってのこと……。それ以外の手段を用いて小生の関与を知る術など彼女たちは持ち合わせていないはず……」

     ふと、嫌な予感がした。

    「ならば、小生が関与していなくても、誤認し、『死の神』が再び乗り込んでくることがあるのでは……」

     いやいやと想像を追い出すように首を振る。そんなわけがない。そんな理不尽なことがあってはならないのだ。
     だが――地下生活者は知っている。先生の持つ『大人のカード』のように、理不尽とはいつだって一方的にやってくる。最悪の想像を遥かに上回る形で訪れる。そのことを身を以て体験した直後なのだ。

     だから彼は覗いた。アビドスの中を。
     アビドスの生徒たちにあの戦闘の何らかの後遺症が発覚し、怒り狂った『死の神』が「今日のところは見逃すっていったけど、あれは嘘」などと言って殺しに来ても何らおかしくはない。
     全員無事で、自分の身もまた無事であるのだという確証を求めて、地下生活者はうっかり手を伸ばしてしまったのだ。

     伸ばした手が掴んだのは、穏やかな対策委員会室の風景だった。
     小鳥遊ホシノを始めとした対策委員会のメンバーが揃い、これからのことを話しているように見える。
     立ちあがって説明を行うのは奥空アヤネという生徒だ。どうやらアビドスの復興状況を共有しているようである。

    【ハイランダーの投資を聞きつけた人々がアビドスに帰ってきているようですよ】
    【この調子でいけば復興なんてすぐに出来ちゃうわよ!】
    【そんな簡単な話じゃないと思うけどな~】
    【でも一歩は進めました。初めての快挙ですね~♧】
    【ビラ配りなら、まかせて】

     和気藹々と話す彼女たちを見て、地下生活者は胸を撫で下ろした。これならどう見たって問題ない。ならばこれ以上覗き続けるリスクを負う必要もない。そっと視線を外そうとした、その時だった。

  • 4125/02/26(水) 23:28:07

    【違うよみんな。おじさんが気にしているのはそこじゃないんだよね~】
    【と、言いますと?】

     小鳥遊ホシノの言葉に首を傾げる奥空アヤネ。何か妙な雰囲気が流れ始めた。

    【確かに、ハイランダーも手を貸してくれてるしアビドス中央線も稼働するよ? 交通網はこれからも広がっていくだろうし、そうなれば砂漠化自体は無理でも街中の清掃のための機材だって買えるかも知れない。きっとこれから色んなことが上手くいくと思うんだ】

     どこか含みを持った言い回し。黒見セリカは少しばかり苛立ったような視線を向けた。

    【はっきり言いなさいよ! 何が不安なの!?】
    【あぁ……そういうことですかぁ~】
    【ノノミ?】

     砂狼シロコも小鳥遊ホシノの危惧するところが分からない様子で、しかし十六夜ノノミは納得したと言わんばかりに薄く笑った。

    【上手くいく。上手くいかないわけがない。そんな時ほど足元を掬われる。……掬われたばかりじゃないですか、私も、皆さんも】
    【……まさか】

     奥空アヤネが唾を呑み込み、こう続けた。

    【また、地下生活者の妨害が起こり得る……?】

    「……………………なに?」

     地下生活者は一瞬、その言葉が理解できなかった。

  • 5125/02/26(水) 23:28:18

    (小生が、なんだって?)

     そんなことはあり得ないのだ。わざわざ『死の神』の恐怖を味わうような“もの好き”は何処にもいるはずがない。そして自分もまた、虎の尾を踏むような真似をするつもりは毛頭ない。
     にも関わらず何故、どうして小鳥遊ホシノは静かに皆を見渡しているのだろうか? 何故否定しない。そんな荒唐無稽な発想を。何故――

    【あいつは確かに先生が倒した。けど、知ってる? 黒服だってまだキヴォトスにいるし、また何かしてくるか全然分からないんだよ。だから……地下生活者だってきっとまた何かしてくるはず――】
    「馬鹿な!? そんなわけがないだろう!?」
    【債券市場の見通しだって思いっきり外れたでしょ? でもあれだって地下生活者が手を回してたからそうなったの、皆は覚えているよね?】
    「それは――そうだがぁっ!?」

     地下生活者の叫びも虚しく、小鳥遊ホシノの言葉に頷く一同。
     頭を抱える地下生活者を置き去りに、奥空アヤネが言葉を紡いだ。

  • 6125/02/26(水) 23:29:26

    【もし商店街の誘致計画が妙な横やりで頓挫したら……】

     小鳥遊ホシノが頷く。

    【地下生活者の仕業、かもね】
    「ぐっ――そ、そんなわけ……ないだろう……!!」

     地下生活者もなまじ覚えがあるため呻く。
     砂狼シロコがぽつりと呟く。

    【もし自転車のブレーキが突然利かなくなったら……】

     小鳥遊ホシノが頷く。

    【地下生活者の仕業、だね】
    「そ、それは……っ」

     いや、まだ、分からなくもない。しかしメンテナンス不足の可能性も視野に入れて欲しい。

  • 7125/02/26(水) 23:29:48

     十六夜ノノミが"はっ"とした顔で口を開く。

    【もしネフティス・グループがネフティスとしてアビドスへの投資を拒絶したら……】

     小鳥遊ホシノが頷く。

    【地下生活者だね】
    「家庭の問題に小生を巻き込むなぁ!!」

     地下生活者は叫んだ。むしろハイランダーを挟んでの事業再開だって奇跡だというのにこれ以上何を望むのだと頭を抱えた。
     黒見セリカが震える声で言葉を発する。

    【じゃ、じゃあ……私が詐欺によく遭うのも……】

     小鳥遊ホシノが渋々頷く。

    【…………そう、地下生活者】
    「絶対違うと分かっているよなぁ!?」

     個人の資質まで負わされて溜まるものかと憤慨したとて、アビドスの生徒たちに囁こうものなら流石に勘付かれる恐れがある。何せ彼女たちは知っているのだ。囁きという手段を自分が持っていることを。

  • 8125/02/26(水) 23:30:22

    (それはそれとして何なのだこいつらは!?)

     あらぬ罪さえ押し付けられそうな状況に汗が頬を伝う。
     一歩彼女らが疑念を抱けば自動的に自分の死刑が決定されるのだ。それも客観ではなく主観でのみ決まる罪状。聞いてしまったからこそ、もう安心できる逃げ場がない。いったい何がきっかけで『死の神』がやって来るか分からないことを知ってしまったからだ。

    【ともかく、調子が良い時こそ油断はしないように。美味しい話にはむやみに飛びついちゃ駄目だからね?】

     そう小鳥遊ホシノが締めくくり、ぱん、と手を打った。

    【それじゃあ、今日もがんばろっか!】
    【おー!!】

    「いや散るな!! 固まって動け!!」

     それ以降、地下生活者は死の恐怖に突き動かされるようにアビドスおよびその生徒たちの監視を始めた。
     気の休まらない日々が続いて幾星霜。もう何日眠っていないかすら数えられなくなった頃に起こる自走砲発掘事件。

     フォーカスを当てたのはアビドスの後方支援担当、奥空アヤネであった。

    -----

  • 9二次元好きの匿名さん25/02/26(水) 23:31:36

    俺がハゲてるのも地下生活者の仕業だったのか…

  • 10二次元好きの匿名さん25/02/26(水) 23:35:20

    地下生活者は俺なんだ
    あまりいじめないでやってくれ

  • 11二次元好きの匿名さん25/02/26(水) 23:38:42

    このレスは削除されています

  • 12二次元好きの匿名さん25/02/26(水) 23:43:19

    仮に干渉を見抜けた場合、アビドスメンバーを覗いてるのを干渉と誤認される可能性

  • 13二次元好きの匿名さん25/02/26(水) 23:57:51

    このレスは削除されています

  • 14二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 09:00:05

    流石に地下生活者相手でもクロコは話せば分かってくれ……るかなぁ……?

  • 15二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 09:06:09

    なるほど2天井したのもお前の仕業だったのか

  • 16125/02/27(木) 09:23:57

     自走砲を走らせるヘルメット団が砂漠を出ようとする一方、奥空アヤネは都市部と砂漠の境界近くにて商談を行っていた。

    【鉄鋼の品質については皆さんも知っての通り、埋もれた本校舎の中にも保管されている可能性が極めて高いと思われます】
    【それで、探検隊ってわけか】
    【ま、まぁお掃除部隊って言い方の方が正しい気もしますが……】

     商談相手は零細商店の大人たちやバイト目的の少女たちであった。
     そして「お掃除部隊」という言葉に微妙な反応を浮かべている者の多くもまた少女たちの方である。

    【でも、砂漠を掘り起こすんでしょ? だったら探検隊とか冒険者とかの方がよくない? 古代のお宝が見つかるかもだし!】
    【そいつはねぇんじゃないかな? 嬢ちゃん】

     差し出口を挟んだのは肩を竦める大人たちの方だ。
     というのも、大人の多くは知っている。都市部に隣接した砂漠はあくまでここ数年で埋もれてしまった街でしかなく、掘り返したところでせいぜい2、3年前の居住区跡地が出てくるに過ぎないと。

    【ってなもんで、到底古代のお宝なんて見つかるはずもない、ってわけだ】
    【ええ……】

     ロマンの欠片もないわけではあるが、さもありなん。それがアビドスの現実でもある。
     たとえ半分埋まった建造物を掘り起こしたとしても、家財一式が残っているはずもない。だがそれは、裏を返せば"建物はある"のだ。奥空アヤネは声を上げた。

    【掃除を終えた建物は自由にお貸しします! 申請いただければトラブルにならないようアビドス生徒会が権利を保護いたしますので!】

     つまるところ、テナント契約や住居申請の優先権の確保がここに集まった彼らの主な目的である。
     更に言えば、まだ鉄鉱が埋まっているとされる砂漠の中心部への足掛かりとなる拠点の選定でもあり、本校舎を回収するための地道で重要な仕事である。

    【掘り起こす作業についてはアビドス生徒会から報酬をお渡しいたします。また、各種契約と費用については先日説明した通りとなります。問題無ければこれから作業に入りますが、準備はよろしいですか?】

     その言葉に「おおー!」と快哉の声が上がり、それぞれが道具を手に動き出す。
     ……今なおここに迫り来る自走砲の存在に気付くことも無く。

  • 17二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 09:24:53

    こないだの無料100連+チケット2枚で星3がアズサのみだったのも……?

  • 18二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 09:36:52

    なんでもそいつのせいにされる現象、既視感を感じると思ったら月島さんか

  • 19二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 09:39:32

    これは頑張ってアビドスへの危機を退けていく内に愛着が湧いて光落ちしてクロコと仲良くなる地下生活者のスレなんだろ!?そうなんだろ!?

  • 20二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 09:42:22

    地下生活者のSSで笑う日が来るとはなぁ

  • 21二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 10:05:43

    お久しぶりですで合ってますか?

  • 22二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 10:08:26

    もしかして雷帝の人か?

  • 23125/02/27(木) 10:09:59

    「いやこのままでは奥空アヤネの計画が潰されるではありませんか!!」

     それこそが差し迫った問題である。
     考えても見て欲しい。アビドス再興に際し、零細とは言え初めて一般企業と共同で行う商談なのだ。
     埋もれているとはいえ、埋まった建造物および土地そのものの有益性を示す第一歩である。

     加えて、アビドス自治区の土地の権利は現在のアビドス校を除いてカイザーコーポレーションが買収済み。本来ならば掘り起こすことすら許可が必要なのだが、今だけは誤魔化せる。何せ先の一件で大打撃を受けたカイザーコーポレーションは自社の統制を取るのにリソースを使い切っている。今だけなのだ。既成事実を作り上げて民意の圧で居住権や商業権を認めさせられる余地があるのは。
     何なら住民の反発をきっかけにアビドス生徒会がカイザーに対し交渉の余地が生まれる。橋渡し役として奥空アヤネほど適した人材もそう多くは無い。

     つまり、絶対に頓挫してはいけないのだ。この計画は。
     特に最初となればその重要性を分からぬ者も居ないだろう。

     それが、たまたま砂漠へお宝探しに行ったヘルメット団がいて、たまたまそのヘルメット団がショレフ155mm自走榴弾砲を掘り起こし、たまたま砂漠へ向かおうとしていた奥空アヤネたちと遭遇して重要な商談を妨害する――地下生活者が何らかの干渉を行っていると勘繰られてもおかしくない状況である。

     もしそうなれば、奥空アヤネはきっとこう言うはずだ。「おのれ地下生活者め、ぶっ殺してやる」と。
     それを聞いた『死の神』が「OKわかったぶっ殺してくる」とスキップしながら自分の元へとやってくる姿がありありと想像できる。

    「冗談じゃない!!」

     本当に勘弁してほしい、と地下生活者は砂漠近郊に存在する武力を必死で探していた。
     何とかあの自走砲を止められる誰かが必要だった。アビドス校と何ら関係のない、誰かが――

    「――居たぁ!! 居ました! なんて丁度良いところに!!」

     地下生活者が目を付けたのはマーケットガードを引き連れたブラックマーケットの住人たちである。

  • 24二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 10:12:20

    クロコ、ノリノリで草

  • 25125/02/27(木) 10:28:19

    【アビドス校が気付く前に早く運び出すのです!】

     どうやら彼らは隠していた密輸品を運び出している最中のようであった。
     何せアビドス砂漠は都市部から通える距離だけでも広大で、監視の目のひとつだってない。
     小鳥遊ホシノのパトロールだって所詮はひとり、全てをカバーできるわけもなく、そうした理由から遺棄された居住施設はブラックマーケットの商人にとって都合の良い保管場所に成り得た。

     その聖域が、再開発事業の先触れによって遂に崩れそうになっている。
     事態を知った商人たちは大慌てで商品の回収を行っていたのだ。

    【おのれアビドス校! どうしてこんな急に砂漠へ進出してくるのです!】

     商人たちがそう叫ぶのも仕方のないぐらい、奥空アヤネの動きはあまりに急であった。それこそ、商人たちの保管場所を知っているとしか思えないほどに。

    【……まさか、まさか知られている? 我々の隠し金庫が】

     そんなわけがないことは全ての状況を見知っている地下生活者には分かっている。
     そもそも奥空アヤネ率いる"お掃除部隊"の進む道も彼ら商人のいる位置とは微妙に違うし擦れ違うことすら無い。

     だが、疑念は渦を巻く。一度宿った感情は胸の中で燻り続ける。だからこそ、"囁く"余地が生まれるのだ。
     地下生活者は商人へと意識を向ける。俯瞰する視界がぐっと狭まり、商人の間近まで迫っていく。
     そしてその耳にそっと"囁いた"。

  • 26125/02/27(木) 10:28:31

    (いや、我々だけではなく他の商人の隠し金庫の位置すら掴んでいるのではありませんか?)

    【そうだ。アビドスはブラックマーケットの隠し財産を回収しようとしているのでは……?】

    (ならば、いまアビドスの向かう先にあるのは、恐らく……)

    【他の商人たちが隠している隠し財産というわけですか!!】

    (今なら我々が横取りしたところでアビドスに責任を押し付けられます)

    【そ、そうだ! 今しか無い! アビドスに見つかる前にすぐ動かなければ!!】

     商人はマーケットガードを二班に分けた。自分の商品を回収する方と、他人の商品を回収する方の二班だ。

    【さあ行きますよ皆さん! 私の商品をアビドスより早く回収しに行くのです!】

     と、既に商人の中では他所の商品も自分のものといつの間にか思い込んでいるようであった。
     流石にそこまで言った覚えは無いが、少なくとも戦力は手に入れた。後は相打ちになってでも自走砲にぶつけて排除。奥空アヤネが気が付く前に撤収させる。

    「これが小生の小生による奥空アヤネへの攻略法――!!」

     時間だけが敵である。
     この瞬間だけはそう思っていた。

     そしてすぐに気が付くことになる。この時の自分は疲労もあってかいつも以上に、視野狭窄に陥っていたのだと。

    -----

  • 27二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 11:07:12

    がんばれ地下ピ

  • 28二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 11:08:37

    地下くん死なないで

  • 29二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 11:14:17

    チカちゃん頑張ってね

  • 30二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 11:17:16

    >>3

    >>23

    苦労人地下生活者は新しいな……

  • 31二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 11:26:08

    草生えたわ

  • 32125/02/27(木) 11:35:01

     商人にはざっくりとした方角のみを伝えて視点を俯瞰に戻す。自走砲を倒す手段を手に入れたのだから、次に行うのは自走砲を手繰るヘルメット団たちの足止めだ。
     ヘルメット団のリーダー格に視点を合わせて静かに落とす。次に囁くのはこんな言葉だ。

    (しかし、もう少しばかりお宝を見つけたいものですね)

    【アビドスを倒すにも、自走砲ひとつじゃ足りないかもなぁ】
    【急にどうしたの?】
    【いや、あいつらすっごい強いじゃん? もっと探せば他にもあるかな~って】
    【まっさか~! 自走砲を見つけたのだって奇跡みたいなものだよ?】

    「小生にとっては悪夢ですがね!?」

     こればかりは突っ込まざるを得なかった。なんだそのクソみたいな奇跡。自分にとってはガソリンスタンドに向かって突っ込む車と大差ない――などとぼやいたところで意味もなく。
     そんなことよりも重要なのは、どうにかしてやがてここに訪れるマーケットガードたちと戦う動機を作り出すことである。改めて視点を落した。

    (ツキが巡っている今ならば、他にも何か見つかるやも知れません)

    【そうだよ! だからこそ今ならもっと良いもんが見つかるかも知れない!】
    【たし……かに……?】

    (アビドスの校舎は逃げますか? 奇襲を仕掛けるなら夕暮れよりも……?)

    【夜だ! 夜にアビドスの校舎に襲撃を仕掛ける!】
    【よ、夜……?】

     少しばかり怯んだ様子を見せるが、それも当然かもしれない。
     何せ夜襲はヘルメット団とは言えどそうそうやらない。というより、一度夜襲を仕掛ければやり返される。流石に誰だって夜は寝たいのだ。いつ襲撃されるか怯えながら過ごすのは、学籍の無い生徒の方が辛く堪える。だから誰もやりたがらない。

  • 33125/02/27(木) 11:35:29

     そのことを指摘されたリーダー格も流石に正気に戻っていた。

    【た、確かに……夜は辞めよう。朝だ。朝が良いな。明日の朝に襲撃しよう!】
    【じゃあ今日は?】
    【お宝さがしだー!】

     そう言ってヘルメット団たちは進軍を止め、お宝さがしへと戻っていく。
     これで足止めは完了した。後は奥空アヤネたちがヘルメット団のいるこの場所に辿り着いてしまうその前に倒す。それで終わりだ。
     視点を上げてアビドスを俯瞰する。マーケットガードを引き連れた商人の位置を確認しようとして、何故だかすぐに見つからない。更に視点を上げて空から探し、ようやく見つけた彼らは見当違いの方角へ向けて歩いていた。

    「んん? いったい何処を歩いているのです彼らは」

     視点を落して聞こえて来た商人の言葉に、地下生活者は唖然とした。

    【さぁ行くのです! 方角は多分こっちです!】

    「全然違う!! 90度ぐらい間違っているぞ!?」

     商人は極度の方向音痴であった。「いや何故だ!?」と叫びたいが、叫んだところでどうなるわけもなく、慌てて視点を更に落として囁き始める。

    (その道を……右ぃ……ですかね)

    【いや、左の気もする。左か? 左ですな!】

    「違う!! 何故自信満々に間違える!? いやその自信を捨てられても困るが!?」

     それが囁きの限界である。
     囁いた言葉は囁かれた本人の思考として認識される。故に、思考の指向性を逸らすことは出来ても何かを強制させることは出来ない。

     だが、これには例外がある。ハイリスクな手段が、ひとつだけ――

  • 34125/02/27(木) 11:56:48

    (聞こえますか……。いま、あなたの脳内に語り掛けています)

    【ッ!? な、なんだ!!】

     商人が振り返る。もちろんそこにいるのは感情を押し殺す傭兵に徹するマーケットガードが居るだけだ。語り掛けてくるものなんて何処にも居ない。

    (聞こえますか……。しょ……わ、私は……そう、ブラックマーケット。ブラックマーケットの妖精です……)

    【ブラックマーケットの妖精ですと!?】

     商人が叫んだ。自分だって叫びたい。なんだ、ブラックマーケットの妖精って。

     しかしそれこそがハイリスクな最終手段であった。思考に割り込む囁きを人ならざる者として送り込むのだ。
     思考の誘導では無く信じてもらう。その代償は、何者かによる干渉の事実。下手をすれば『死の神』にバレて殺されかねない綱渡りだが、今殺されるか明日殺されるかを選べと言われれば今を選ぶ理由もない。

     クソみたいなゲームだ。運で生死が決まるなんてクソ過ぎる。絶対に勝てる攻略法が存在しないゲームなんて認められない。

    (私はあなたたちが砂漠に忘れてしまった荷物へと導く存在……。そしてあなたの向かう道は全てが間違ってます……)

    【な、なんと……! で、では、私たちはいったい何処へ向かえばよろしいので!?】

    (後ろを向いて、歩き続けるのです……。そして次の交差点を左です……)

    【分かりました! マーケットガードたちよ、行きますよ!】
    【はっ!】

    「……何故だ。何故こいつらはブラックマーケットの妖精などという胡乱な存在を信じる……! あと何故小生がカーナビの真似事をしなければならないのです!!」

     レミングスか何かと思わなければやってられないほどの屈辱だったが、命には代えられない。

  • 35125/02/27(木) 12:23:46

    (180m先、右折です……)

    【180m先、右折ですな!!】

     商人の挙動にマーケットガードたちが明らかに困惑していた。
     それもそうだろう。誰がどう見たって何かに操られている。こんなところが『死の神』に見つかれば現行犯で死刑だろう。第一なんなのだ現行犯で死刑って。酷い冗談にもほどがある。奥空アヤネを助けるためという弁明が有効なのか、いや弁明する余地があるのか、時間があるのか。弁護士は何処だ。文化レベルが君主制で止まっている。

     なんて、うんざりしながらも一旦視点を上へと戻す。
     それが命運を分けたなど、いったい誰が思うだろうか。

    「んなぁ!? な、なな――何故ここに!?」

     先ほど商人に指示した180m先、右折した向こう側に居てはならない存在が居た。
     目を疑った。自分の正気を疑った。というか意味が分からなかった。

     何故ならそこに居たのは、フルフェイスのヘルメットを被りママチャリで爆走する『死の神』だったのだから。

    「いやどういう――はぁっ!? はぁぁぁ!?」

     意味が分からない。なんでそんな姿で『死の神』がアビドスを徘徊しているのかが分からない。
     そして何故よりにもよってこんな時にニアミスするのかすら理解不能で、慌てて視点を商人に落とす。

  • 36125/02/27(木) 12:23:58

    (よっ、邪なる存在が近づいてます……! 急ぎ左折を! 危機が迫っております!)

    【き、危機ですか!?】

    (そうです……!)

     主に自分の。商人ではなく自分の命がたいへんあぶない。

    (隠れるのです……!! 大いなる災い、その先触れが迫っております!)

    【分かりました!!】

     彼らは実によく従ってくれた。扱いやすい駒で本当に良かったと心からそう思う。
     キヴォトスには指示を素直に従ってくれる駒がそう多くは無い。特に一見した限りにおいてはゲヘナなんて最悪だ。プレイヤーの思惑に従う確率が二割を切っている。逆にトリニティは従う確率こそ高いものの相互監視が悪さして差し込む隙がほとんどない。
     試行回数が多い代わりに成功率が低いゲヘナも、成功率が高い代わりに試行回数が低いトリニティもピーキー過ぎて扱いづらい中、アビドスは全てにおいて高水準。代わりに即死のワンダリングトラップが存在する。

    「キヴォトス……何なのですキヴォトスとは……!!」

     ここに存在しないはずの胃が痛む。どうして、こんな……!!
     そうして何とか商人たちを導いた先に居たのは、お宝探しに邁進するヘルメット団。
     軌道はどうにか修正された。あとはもう、勝手に争え――

    -----

  • 37二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 19:00:56

    ほしゅ

  • 38二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 19:10:54

    ブラックマーケットの妖精がんばれ

  • 39二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 19:36:20

    恐縮ですが
    他作品があるのなら紹介させていただけないでしょうか?

  • 40二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 22:55:52

    ほしゅ

  • 41二次元好きの匿名さん25/02/27(木) 22:59:47

    覚えのある文体だ…!続きに期待

  • 42二次元好きの匿名さん25/02/28(金) 00:18:45

    保守

  • 43125/02/28(金) 09:56:54

    >>21

    >>22

    お久しぶりで合っております。

    週明けからはちょっとペース上がるはずなのでそれまではのろのろ書いてるかも知れません。


    スレが落ちるまで時間もしかして早くなってる……!?

  • 44二次元好きの匿名さん25/02/28(金) 09:58:24

    >>43

    そうですね。

    12時間から10時間になりましたので……

  • 45125/02/28(金) 10:41:49

    >>44

    おのれ地下生活者めぇ……

  • 46125/02/28(金) 12:25:31

    【お宝は私たちのものだ!】
    【何がお宝ですか!! 我々の商品を横取りしようなどと、全くもって許せませんよぉ!?】

     日が沈み切る直前の黄昏時に、醜い争いが砂漠で勃発する。
     戦いの結果がどうであれ、榴弾の爆発音がこれだけ派手に響き渡れば奥空アヤネも気が付くだろう。そして賢明な彼女であれば小鳥遊ホシノに連絡でもしてくれるに違いない。

     これでひとまず奥空アヤネは片付いた……が、あくまでこれは本命ではない。"ついで"に発見した事象にしか過ぎないのだ。

     視点を上げてアビドス砂漠の一点へと視界を戻す。
     吹き荒れる砂漠の中にぽつんと浮かぶ三人の人影。それは砂漠の遭難者であり、アビドスの鉄道が動いてしまったが故の弊害――

     そう、観光客の遭難と、その対応にあたる小鳥遊ホシノの姿であった。

    【みんな落ち着いて~。このぐらいの砂嵐ならすぐに止むからさ~】
    【は、はい……】

     砂嵐を遺棄された廃屋の陰でやり過ごす彼女たちだが、今のところは問題ないようにも思える。
     問題なのは観光客の遭難がそれなりの割合で発生し続けるという環境そのものだ。
     もちろん砂漠を嫌というほど歩きなれている小鳥遊ホシノであれば救助も簡単なことのように済ませてしまう。
     しかし、何度も言うようにそれは小鳥遊ホシノの話であって彼女の身体はひとつしかないのだ。電波もまともに届かないほど砂嵐が酷くなれば彼女だって気付けない。誰にも気付かれず砂漠で枯死する事象を誰よりも恐れる彼女は、それこそ砂漠のパトロールを延々と続ける。するとどうなるか。

    「小生が眠れないではありませんか……!!」

     ビーコンを設置するなり地下を走る通信網を復旧させるなりすれば改善されるかも知れないが、それを行うにはやはり金銭的な問題が立ちはだかる。
     そもそも砂漠を歩き慣れていない観光客が勝手に砂漠へ行かなければ良いだけの話ではあるのだが、悲しいかな、歩き慣れていないからこそ砂漠の脅威を実感として知らないのだ。故に軽んじて、遭難する。いま小鳥遊ホシノと共に居る二人もそうした手合いの観光客である。

  • 47125/02/28(金) 12:25:51

    【ん、アヤネちゃんからだ……】

     と、そんなとき。小鳥遊ホシノの元に連絡が入った。
     先ほどの自走砲を引き連れたヘルメット団とマーケットガードを引き連れた商人の戦闘に奥空アヤネが気付いたのだろう。小鳥遊ホシノは盾を背負い直すと、不安そうに見つめる観光客の方へと向き直った。

    【ちょっと30分ぐらいここで待っててもらえる? 他にも砂漠でトラブルが起きてるみたいでさ】
    【ほ、本当に大丈夫なんですか……? だいぶ風も強いですけど……】
    【そ、そうですよ! あなたまで遭難したら誰が私たちを助けてくれるんですか!?】

     観光客の片割れが憤慨したように小鳥遊ホシノを睨みつける。
     それに対して「困ったな~」などと笑いながら肩を竦める小鳥遊ホシノではあったが、観光客たちは気付くのが少しばかり遅かったようだ。先ほどから笑みを浮かべてはいるが、その目が全く笑っていないことに。

    【あのね】

     屈みこんで観光客に目線を合わせた。

    【確かに遭難して不安だよね? 追い詰められて、いつもより怒りっぽくなっちゃうのは分かるよ? でもさ、立ち入り禁止の看板の無視して勝手に砂漠を歩いて迷って……たまたま私が見つけたから良かったものの、もし誰も気が付かなかったらどうなってた……分かるよね?】
    【そ、それは……】

    「そうだそうだもっと言ってやりなさい小鳥遊ホシノ!! 暴力に訴えてでも二度とそのような蛮行を許してはなりませんよ!!」

     人に迷惑をかけておいて被害者面などと全くもって甚だしい。しかし相手も相手だ。まだ小鳥遊ホシノに向かって噛み付いていた。

    【そ、そもそも、ちゃんと救助できるよう整備しておくべきなんじゃないのか!? なんだってこんな危ない場所を看板ひとつ立てただけで放置しているんだ!】

    「なんなのですこいつは!? それが助けてもらった側の言い分ですか!? こんな奴がいるから小鳥遊ホシノが夜中にうろうろ砂漠を歩いているんですよ!?」

     この理不尽な怒り! まるで子供同然! 許せるわけがない!
     そう憤慨していると、小鳥遊ホシノは一転その表情に陰りが見えた。

  • 48125/02/28(金) 12:26:03

    【本当だったらそうしたい。二度と砂漠で遭難する人が出ないよう、もっと設備を整えたい。整えたかった。でも、お金が足りないからすぐには出来ないんだよ】
    【あ…………】

     呟く言葉に何かを察したのか、観光客は押し黙ってしまう。だがすぐに小鳥遊ホシノは顔を上げて立ち上がった。

    【30分、待ってて。必ず二人を助けるからさ!】

     そうして出ていく彼女の姿を追う二人にはもう、不安の影が消えていた。
     その姿を見て、地下生活者も思わず安堵する。

    「良かった……。大抵この後パニックになって勝手に出ていこうとしますからね……」

     人は愚かだ。だが素直に従う限りはそう愚かでも無い。突然訳の分からない行動をされる愚か者と比べれば幾分マシである。

    「さて、ここは問題なさそうですし、黒見セリカの方でも見に行きますかね」

     そうして視点を上げた瞬間、ふと砂漠の奥で何かが見えた。
     「あれは……」とフォーカスを当てていくと、そこには10名からなるスケバンの集団が砂漠の奥に向かってぐんぐん突き進んでいる。

    【何が立ち入り禁止だ! そんなんじゃあたしらを止めることは出来ないぜ!】

    「愚か者がぁぁぁあああ!!」

  • 49125/02/28(金) 12:26:19

     慌ててスケバンたちの進行方向を見る。
     このまま進めば一面砂漠。目印のひとつも存在しない。即ち遭難必須。しかも更に先からは砂嵐がスケバンたちに向かって――

    「い、いや……違う……。あれは――!!」

     それは砂漠を走る白き巨躯。神名十文字に集いし三番目の預言者。

    「何故!? 何故いまこのタイミングで来るのですか!!」

     地下生活者が叫ぶ先にあるのは悪夢のような光景。
     スケバンたちのいる方角へ向けて砂の海を泳ぎ続ける『違いを痛感する静観の理解者』ビナーの姿がそこにはあった。

    -----

  • 50二次元好きの匿名さん25/02/28(金) 16:15:19

    このレスは削除されています

  • 51二次元好きの匿名さん25/02/28(金) 21:51:20

    地下ピがあまりにも不運すぎて笑ったわ

  • 52二次元好きの匿名さん25/02/28(金) 23:51:27

    保守

  • 53二次元好きの匿名さん25/03/01(土) 03:33:37

    うーんLUCK値振って出直して来い地下ピ

  • 54二次元好きの匿名さん25/03/01(土) 03:42:22

    見始めたらセリカの下りで笑っちまった

  • 55125/03/01(土) 08:01:17

     砂漠の空に星が見え始めた。
     少女たちはあの夜空に向かって駆け出していく。はしゃいで、笑って、転びながらもその足跡を砂漠に残す。

     あの向こうには何があるんだろう?

     少女は言った。

    【明日さ!】

     小生は叫んだ。

    「ビナーです!! 早く戻れぇぇぇえええ!!」



     状況を整理しよう。
     いまスケバンたちは「立ち入り禁止」の看板を乗り越えて砂漠へ向かって青春暴走状態である。
     そして向かう先にはビナーが徘徊。探知範囲内に入った対象を追い掛け回す不可思議な存在だ。
     スケバンたちを止められそうな小鳥遊ホシノは現在奥空アヤネに呼ばれてヘルメット団とマーケットガードの交戦地域へ向かっている。

     ここから想定されるのは、ビナーと遭遇したスケバンたちが逃げ出すことで発生するビナー襲来イベント。
     更に言えばスケバンたちがもし最短距離であの時越えた看板の元へと走り出せば、その近くにあるアビドス中央線はビナーによって破壊されるだろう。

     これは言い換えればこうなる。
     小鳥遊ホシノが別件で呼び出された直後、たまたまスケバンたちが砂漠に意味もなく吶喊し、たまたまその近くをビナーが徘徊していて、たまたまスケバンたちを追う形でアビドス中央線を破壊する。それもこんな宵時に!

     もしそうなれば、小鳥遊ホシノはきっとこう言うはずだ。「もう殺すしかなくなっちゃったよ」と。
     それを聞いた『死の神』が「コンクリ詰めでいきやすかい?」とドラム缶片手に乗り込んでくる姿がありありと想像できる。

  • 56125/03/01(土) 08:01:49

    「詰みではありませんか!? この盤面からいったいどうしろと!?」

     あのスケバンたちを転身させ得る"可能性"が今この状況においては何処にも無いのだ。
     何せ周りに人がいない。浮かれた十代の熱を醒ませるようなものはビナーを除いて他になく、先ほど行った天啓もどきだってスケバンたちに今すぐ引き返させることは出来ないだろう。

     こんなの、頭を抱える以外どうしろというのだ。

    「か、考えるのです……! 何か、何かこの状況を打開できる方法がきっとあるはず……!!」

     ゲームにおいて必要なことは勝利条件と敗北条件を冷静に見極めることである。
     そしてどうしようもないときは――つまり勝利条件が全く見いだせない時は敗北条件を満たさないように立ち回るのがセオリーなのだ。敗北さえしなければ次があるのだから。

     自分に課せられた敗北条件は二つ。

     一つ、自分の干渉が『死の神』に露見する。
     これはアビドス校の生徒全員に対して囁いたりでもすれば一発で終わる。更に言えば、アビドス校の生徒に近しい人物を誘導する際も派手に指向性を逸らせば終わりの現状だ。縛りプレイにも程がある。

     二つ、アビドスに対する異様な損害。
     先に挙げた通り、露見すれば終わるのみに限らず、何かあれば自分のせいにされかねない現状が続いている。何を以て「地下生活者が干渉を行っている」と見做されるか分からないため、損害の類いは潰せるだけ潰すほか選択肢が存在しない。

     裏を返せば、アビドスの生徒たちが妙な勘繰りをしないような環境を維持し続けさえすれば敗北しないとも言えよう。

     ならば、いまこの現状に対して敗北条件に抵触するのは何か。ビナーが中央線を破壊することである。
     その要因は何か。逃亡するスケバンたちを追ってビナーが都市部に接近することである。

    「ん? んん? つまり、これは……そうか! そういうことですか!!」

     地下生活者の脳裏に電流が走った。
     コペルニクス的転回とも言えるひらめきに背筋が震えた。

  • 57125/03/01(土) 08:02:20

    「問題なのはスケバンたちが逃げ出すことなのです! 裏を返せば逃げ出さず、砂漠で力尽きるまでビナーと戦えばよろしいではありませんか!!」

     スケバンたちには倒れてもらい、後から誰かに囁いて彼女たちを回収させる。そうすれば立ち入り禁止区域に突っ込んだヤンチャなスケが痛い目を見たという形で解釈される。やり直しが利く範囲においてこのキヴォトスは寛容だ。だからこそ、これなら通る――!

     まず行うのは布石を打つこと。中央線アビドス、駅のホームで電車を待つ者に視点を落す。

    (いま遠くで誰かがいたような……)

     囁かれた人物の焦点が砂漠へ向かう。

    【……立ち入り禁止の看板越えてますね完全に】

    (あれはスケバンでしょうか?)

    【ほむ……、なるほど……】

     と、今はまだ何となくでも認識さえしてくれれば良い。それは後で囁く布石の成り得るのだから。

     続けて視点を先頭を走るスケバンへと近寄らせ、そっとその耳に囁いた。

    (立ち入り禁止? そんなもの、いったい何の意味がありましょう)

    【あたしたちを止められるヤツは何処にもいねーよなぁ!!】
    【そうだぜ! 日和ってるヤツいる? いねーよなぁ!!】
    【いくぜ!】
    【行くのか、そうか行くのか!!】
    【うぉぉぉおおお!!】

  • 58125/03/01(土) 08:02:35

    (例え目の前に怪物が現れたとしても、それが止まる理由にはなりません)

    【そういやさぁ! 砂漠にはなんかやべーのいるんだっけか?】
    【関係ねぇぜ! 今の私たちは誰にも止められねぇ!】
    【いくぜいくぜ!】
    【行くんだな! いま、この先へ!!】
    【うぉぉぉおおお!!】

    「何だか少々怖くなってきましたね……」

     溢れんばかりのエネルギーをいったいどれだけ持て余しているのか。
     五歳児か? 幼児なのか? 今を生き過ぎてはいないだろうか? ともかく、発破は最後まで掛けなくてはならない。

     息を吸って、最後の一押し。

    (一狩りいきましょう……!)

    【一狩り行こうぜ!!】

     その言葉にスケバンたちが勇ましく声を上げた。

  • 59二次元好きの匿名さん25/03/01(土) 10:13:42

    駅のホームにいるのニヤニヤ教授か?

  • 60二次元好きの匿名さん25/03/01(土) 18:10:00

    保守

  • 61二次元好きの匿名さん25/03/01(土) 18:35:02

    というかよく考えたらなにかあった時に前科者が疑われるのは当然のことなので、別に理不尽でもないような

  • 62二次元好きの匿名さん25/03/01(土) 18:53:32

    >>57

    >>【ほむ……、なるほど……】


    なんでこいつここにいるんだよ

  • 63二次元好きの匿名さん25/03/01(土) 22:25:44

    >>62

    休暇中なんでしょ

    でもよりにもよって超知能持ちに囁いちゃったかあ……少なくとも教授には露見しそう

  • 64二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 00:06:05

    保守

  • 65二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 07:22:44

    ちょっとでもミスったら即処刑なピタゴラスイッチとは、たまげたなぁ

  • 66125/03/02(日) 12:25:53

    夜まで完全に動けなくなるので一旦保守

  • 67二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 12:35:59

    めっちゃ面白いの見つけた、期待

    小生苦労してるんだな…ノリノリで処刑しにくるシロコ好き

  • 68二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 20:52:30

    保守

  • 69125/03/02(日) 22:11:18

    保守

  • 70二次元好きの匿名さん25/03/03(月) 03:50:25

    保守

  • 71二次元好きの匿名さん25/03/03(月) 10:14:23

    保守

  • 72125/03/03(月) 11:37:47

     各々が得物を担いで進む姿は英雄そのもの。砂の丘を越えた瞬間、スケバンたちは大地が鳴動していること気が付く。

    【……来るぞ!!】

     直後、彼女たちの眼前に砂を巻き上げながら現れたのはアビドス砂漠を徘徊する怪物、ビナーだ。
     普段であればスケバンたちはその時点で逃げ出したであろう。しかし今は違う。狩る。倒す。それが目的にすり替わっている今だけは交戦の意志を示した。即ち、銃をビナーに向けるという行為によって。

     その敵対行為を以て、移動するだけで多大な損害を引き起こす白き怪物がスケバンたちを認識する。
     たとえ眼前に存在するスケバンたちの脅威度がどれだけ低かろうとも、銃を向けられたのなら黙ってはいない。

     かくして、勝ち目のない戦いに挑むスケバンたちとビナーの戦闘が始まったのだが、ここはある意味において地下生活者の腕前が試される場面でもあった。

    「がんばれ!! 逃げるな! そしてこの場で負けるのです!!」

     スケバンたちを誰も逃がさず倒され切らせるために必要なのはスケバンたちの勇気である。
     故に地下生活者は叱咤激励をこの10人に対して行わなければならなかった。

  • 73125/03/03(月) 11:38:02

    【くっ……全然効いてないぞ!!】

    (けれども、このまま続ければいつかは!)

    【や、やっぱり無茶なんじゃ……】

    (そんな無茶を通すのがスケバンというもの!)

    【も、もう駄目だ……! 私は逃げるよ!】

    (でも仲間がまだ戦っている!)

     ビナーが口内の熱学兵器でスケバンたちを焼くたびにひとつ、またひとつと銃声が減っていく。
     囁く度に回る視界。スケバンたちが弱気にならないよう、ただひたすらに戦う理由を与え続ける。

     もちろん地下生活者の負担は大きい。完全に逃げると決められてしまったら取り逃してしまうのだから必死も必死だ。それでも、誰が残っている限りはまだ安定させられる。
     問題は最後のひとりになったときだ。残ったひとりが倒れた仲間の仇討ちに勝ち目のない戦いへ赴けるような者であれば苦労はない。しかし――

    【う、うわぁぁぁ! ぜ、全滅だ~~!!】

     眼前に倒れ伏す仲間たちの姿に情けない悲鳴を上げたのは、こっそり隠れていた最後のひとり。
     臆病だから生き残るその典型で、もう既に逃げ出しにかかっている。このままではアビドス中央線までビナーを連れてしまうことは火を見るよりも明らかだ。

    【みんな! ごめん!!】

     そう言って薄情にも逃げ出したスケバンへ焦点を当てる。囁く言葉はこれしかない。

  • 74125/03/03(月) 11:38:15

    (そちらの方角で、本当に合っているのでしょうか?)

    【っ――!】

     夜の砂漠は寒々しい。
     微かに見える遠方の光は中央線沿いの駅を照らす光に違いない。

     けれども――

    (これだけ人が倒れていれば、いずれ誰かが気が付く)

    (けれども、もし、進む道を間違えて、砂漠の奥へと行ってしまったら……)

     スケバンの足が思わず止まる。
     誰にも見つからず、ビナーに追いつかれて倒れる自分を一体誰が見つけられるだろうか。

    【……あ】

     一歩だって踏み出せるはずがない。嫌な想像を振り払うことを、地下生活者は許さない。
     砂漠の真ん中で呆然と立ち尽くす最後の臆病者は、背後に迫るビナーに向き直ることすらできず、手にした銃を取り落す。

    「これで、おしまいです」

     砂を含んだ風が吹き荒び、ビナーも、倒れたスケバンも、最後のひとりの姿も覆い隠す。
     それで終わる――はずだった。

  • 75二次元好きの匿名さん25/03/03(月) 19:09:28

    頑張れ地下生活者

  • 76125/03/03(月) 22:44:28

    「な、なんです!?」

     突如起こった爆風が砂で覆われたはずの空間で爆ぜた。
     一瞬遅れて、その爆風がロケットランチャーによる一撃なのだと理解して、地下生活者は唖然とする。

     わずかに傾いだビナーの巨体。頭部に受けた一撃は、いったい誰に依るものか。

     答えは、目の前に"居た"。

    【あらあら、子猫ちゃんたちを連れ戻すだけのはずでしたのに。なんだか大変なことに巻き込まれているようですわね】

     身長2mを超える巨体と筋肉。その背に担ぐ武装は重機関銃と4連装ロケットランチャー。
     真っ赤な特攻服を風になびかせる姿を見て、地下生活者は叫んだ。

    「だ、誰だこいつは!?」

     『RULE BOOK』を慌てて広げた地下生活者が目にしたのは、伝説のスケバンの記録。
     栗浜アケミ。七囚人のひとり。アビドスでの交戦記録は無し。ビナーとは初遭遇。

     想定外のイレギュラーに地下生活者が舌打ちをする中、涙目のスケバンが栗浜アケミの元へと駆け寄っていく。

    【ね、姐様ぁ!!】
    【よしよし、もう大丈夫ですわよ】

     スケバンの頭を撫でる栗浜アケミ。だが、状況は何も変わっていない。ビナーは未だ健在で、たかが生徒がひとり増えただけ。むしろ状況が悪化したのは地下生活者の方である。
     『RULE BOOK』からの情報収集を行うには視点を自身のいる地下にまで戻す必要があるからだ。その間、キヴォトスの今を見続けることは出来ない。

  • 77125/03/03(月) 22:44:45

     栗浜アケミというイレギュラーの存在は恐らく地下生活者の組んだフローを壊す可能性がある存在。なればこそ情報を整理して未来予測を立て直して行動を開始したいのだが、流石に時間が無さすぎる。目を離せば次に戻したときに詰みの状況に変わっていてもおかしくないのだ。

    「くっっっそぉぉぉおお!! 何故小生の思い通りにならないのです!!」

     届かぬ叫びを上げる中、ビナーは標的を栗浜アケミへと完全に移したようであった。
     高みより睥睨するビナーの瞳が栗浜アケミとスケバンを射抜き、スケバンは小さく悲鳴を漏らす。

    【向こうに行けば線路沿いまで戻れますわ。ニヤニヤ教授が待っておりますので、皆さんの救援要請をお願い致します】
    【ね、姐様は……?】
    【私はなるべく遠くまであいつを引き付けますわ】
    【一人でなんて無茶です!】
    【いいえ……】

     そう言うと栗浜アケミは静かに呼吸を整え始めた。瞑想するかのように瞳を閉じる。
     そのタイミングを見計らってか、ビナーが猛然と栗浜アケミへと迫る。振り上げた頭部を叩きつけるだけの、空から落ちるようなビナーの攻撃。迎え撃つ栗浜アケミは腰溜めに拳を構える。スケバンは今度こそ喉から絶叫した。

     そして――

    【ふんっっっ!!】

    「馬鹿な!?」

     ビナーの顎に炸裂したのは、下から掬い上げるようなアッパーカット。
     戦車砲の砲声にも似た重い音。鬼神と見紛うほどの一撃により、ビナーの攻撃は相殺される。
     腰を抜かしたスケバンが見たのは、新たな伝説の1ページに違いない。

    【……倒すのは無理ですが、時間稼ぎぐらいなら余裕ですわね】

     ゆるいウェーブの掛かった髪を手で掬いながら、伝説のスケバンは軽やかに笑う。

  • 78125/03/03(月) 22:45:01

    【さ、お立ちになって。皆さんを助けるために、手伝ってくださいますわね?】
    【は、はい!!】

     そうして駆け出していくスケバンを見送り、栗浜アケミは重火器を担いで反対方向――即ち砂漠の奥へと向かって走り出す。

    【さ、私を追いかけてご覧なさい! 可愛い後輩たちをいじめてくれた恩、きっちり丸ごと返させて頂きますわ!】

     蝶のように舞う栗浜アケミを追うように、ビナーもまた砂漠の奥へと消えていく。
     動くものが誰も居なくなった砂漠の中点を眺める地下生活者は、ぼそりと呟いた。

    「これは……何とかなった、ということですかな……?」

     そう一息吐いてぐったりと床に倒れ……それから「そんな場合ではありません!」と慌てて身体を起こした。
     砂漠に時間を掛け過ぎたのだ。きっともうバイトを終わらせてまた何か別のトラブルに巻き込まれているかも知れない。
     急いで視点をアビドス全域に戻し、それからファミレスの店内へと視点を落す。そこには――

    【配信事業はこれから多いに盛り上がります! そしてアビドスの看板娘とも言えるあなたなら、きっと大きな利益を生むことが出来るはずです!】
    【わ、私が……? ほんとに!?】
    【そうです! 短い時間で効率的にがっつり稼げて顔出しも不要。今なら機材、サーバー代といった初期費用をお支払い頂ければニヤニヤカンパニーが全面的にあなたのプロデュースいたします!】
    【じゃ、じゃあ……】

    「また騙されているじゃありませんか!! 黒見セリカぁぁぁあああ!!」

     騙されているとも露知れず少々乗り気になってしまっているこの少女は黒見セリカ。
     バイト中と就寝中以外は目を離せない、地下生活者の頭痛の種である。

    -----

  • 79二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 01:18:35

    このレスは削除されています

  • 80二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 01:19:47

    セリカも根は……根は、真面目なんだけどなぁ
    騙されやすいのが玉にキズ
    そして「騙される→地下生活者のせい!!」の方程式が崩れない限り地下生活者の受難は続く……

  • 81二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 01:26:02

    いくら相手が地下生活者でも誤解で殺っちまったとわかったら(多分)申し訳なさで曇っちゃうからここは頑張ってほしい所

  • 82二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 01:50:43

    可哀想な地下生活者、ひとえに己の自業自得だが…

  • 83二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 09:41:25

    地下生活者が悪いよ地下生活者がー

  • 84二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 11:27:20

    とりま頑張りたまえ

  • 85二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 12:09:26

    言うてセリカが詐欺を見破ったりなんかしたら逆に干渉が疑われそうだし難しいところ

  • 86二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 12:16:10

    このレスは削除されています

  • 87125/03/04(火) 12:18:50

     これはひとつの例え話、ないし現実の話である。
     各校自治区の住民に対して「あなたの住んでいる自治区を治める学校の生徒について、どんな印象がありますか?」などと聞けば、聞かれた側が思い浮かべるのはそれこそ「生徒」という括りであるからして特定の「個人」を思い浮かべることはない。

     それは三年前のアビドスにとっても同じであった。
     二年前のアビドスであれば「大きい子と小さい子がビラを配っていた」程度の認識になり、一年前のアビドスであれば「まだ学校が残っているんだってね」まで影が薄まる。住民の印象なんてそんなものだ。

     では今のアビドスではどうか。
     生徒数五人とはいえ、住民たちは五人の生徒を等しく思い浮かべるだろうか?

     否。
     答えは否である。

     アビドス自治区の住民に聞いてみるといい。もう少し具体的な「生徒」の特長を上げれば皆が誰を思い浮かべているのか嫌でも分かるはずだ。

    『毎日一所懸命に頑張ってバイトをしている子』
    『明るくて優しいお姉ちゃん』
    『落とし物を届けてくれた良い子』

     彼女は小鳥遊ホシノや砂狼シロコといった一線級のバトルセンスは持ち合わせていないだろう。
     十六夜ノノミのようにアビドスを取り巻く環境と背景への理解も無ければ、奥空アヤネのような卓越した知性も持ち合わせていない。

     しかし、本人の自覚があろうがなかろうが現実の話として存在するものがある。
     類まれなる正義感と愚直なまでの正直さを持ち、アビドス高校とアビドス自治区を繋ぐ唯一の架け橋たり得るのは彼女にしか出来ないひとつの偉業なのだ。

     アビドス自治区において最もその姿を見られ、"住民にとっての"アビドス生のイメージを一身に担うのはただひとり。

     アビドス高校一年。黒見セリカ。
     あまりに目立つが故に、そしてあまりに知られ過ぎているが故に狙われやすい、アビドス自治区のお姫様である。

    -----

  • 88二次元好きの匿名さん25/03/04(火) 19:53:20

    保守

  • 89125/03/05(水) 00:54:19

     地下生活者は頭を抱えていた。
     正確には頭を抱えない日は無いし、冷や汗を拭うようにガリガリと顔を掻くのも毎日のことで、つまりはいつも通り、この通り、追い詰められている。

    「まずいまずいまずいまずい……!」

     黒見セリカがすぐ美味い話に飛びつくのは以前からだとは地下生活者も知るところではあるが、ここ最近はアビドスの外から来る者が増えたのもあって『アビドスの生徒を対象とした悪意ある者』の流入も増えているのである。そしてアビドスの生徒としてまず名が挙がるのが黒見セリカ。加えて人前への露出が多いせいで情報なんて簡単に集まる。

     これが他のメンバーであればそうはいかないだろう。

     小鳥遊ホシノであれば、そもそもアビドスの生徒会長として外部に認知されているかすら怪しく、またその手の警戒心はキヴォトスでも屈指の高さを誇る。人質など搦め手を使う以外に彼女を好きに出来る術はなく、そのことを本人も自覚しているからこその難攻不落。一年生の時であればともかく、今となっては外部の存在が彼女の情報を集めることすら困難だ。

     では砂狼シロコであれば? そもそもバックボーンが抹消されている。何処から来たのかも分からない上に一端の賞金稼ぎである彼女に対して"美味い話"だとかそう言った詐術が何の意味も為さないのは自明の理。

     十六夜ノノミについてもそうだ。身内ならばともかく、外部に対して異様なほどに警戒心を抱いている。彼女の笑顔は喜びを意味しない。ただの防衛機制。何より、本人が反抗期を迎えていようが何であろうがネフティスがバックに付いている。気楽に手を出していい相手ではない。

     奥空アヤネについては語る必要も無かろう。知性もそうだが、何より慎重過ぎる。餌をぶら下げたところで例え時間切れになってでも検討を行うような性格だ。アビドスに即断即決のサバイバリストが揃う中においては、彼女ほど隙の無い者も多くはないだろう。

     だから黒見セリカが標的にされる。
     「そもそもなんだ、ニヤニヤカンパニーとは」と吐き捨てたくなるほどに、その会社は"書面上の企業"であり過ぎた。黒見セリカが詐欺の対象に選ばれたのも偶然はない。明らかに今この瞬間のためだけに作られたペーパーカンパニーである。

  • 90125/03/05(水) 00:54:53

     外からやってくる悪人共は皆一様に、「まずは黒見セリカから」とアビドスの牙城を崩そうと試みる。
     それに対して一体どれだけ労力を費やしたかは地下生活者本人ですら覚えてはいない。

     けれども。けれども、だ。
     半ば強迫観念じみた意識の中で繰り返されるは「黒見セリカが騙され、巨額の損失を受けたことを理由に『死の神』が殺しに来る」という最悪の未来予想図。

     地下生活者は分かっている。
     自らの居場所が既に『死の神』に割れていて、尚且つ自らを追跡できる術を持っていることを。
     そして幸いにして最悪なのが、『死の神』は『名もなき神』とは違い理性を持つということ。自身のルールには従うが、引き金にかかる指は決して重いものでは無いということ。要は本人が納得できる理由がその主観において存在するのなら、地下生活者という潜在的脅威が存在することを決して許容するわけではないということとも言える。

     そんな状況の中で、いま、黒見セリカは明らかに怪しい支払い契約に判を押そうとバッグの中をまさぐり始めた。

    「契約印の持ち出しが何故管理されていないのです……!?」

     何故保護者がいないのかと叫びたい。だが叫んでいる暇があるなら考えなくてはならない。
     この状況を何とかして「黒見セリカが判を押さない」という現実を作り出さなければならない。

     そうでなければ…………なんだ?

    「黒見セリカはきっとこう言うでしょう。また騙された、と」

     それを聞いたアビドスの生徒たちはどう思うか。「まぁ……うん」では……?

    「じゃあ、放置で良くないではありませんか……?」

     疲れ切った脳髄が出した答えは逃避の一手。騙される方が悪いのではないかというある種の極論。
     そう、疲れているのだ。本当に疲れ切っている。何も考えずに瞳を閉じてしまいたい。ただそれだけが欲しいのだ。

  • 91125/03/05(水) 00:55:18

    「まぁ、その……今回は運が悪かったということで……」

     そう言って地に伏す地下生活者。
     だが、その寸前に湧いた疑念がそれを許さなかった。

    「ニヤニヤカンパニー、と言いましたか……。ニヤニヤ――」

     思い出すのは砂漠に現れた謎の女傑、栗浜アケミの言葉であった。

    【ニヤニヤ教授が待っておりますので……】

    「首魁ではありませんか――ッ!?」

     飛び起きて、再びフォーカスを当てて、状況を伺い知る。
     そこでは丁度一枚目の契約書に黒見セリカが判を押したところ。続く契約書は残り三枚。全てを書き切られれば黒見セリカの個人情報が完全に相手の手に渡る。

    「これは、あれですか!? 小生が栗浜アケミ周りの情報を握っていれば何とか回避できた案件だとでも!?」

     問題はいつだってそうだ。
     地下生活者という存在が干渉していると思われたらアウト。にも拘らず、関わった相手の一親等辺りに属する存在がアビドスを害する行為に及ぶのであればとてもではないが無視できない。

     推定無罪なんて適用されない今だからこそ、放っておいて良いわけがないのだ。

    「く、黒見セリカがひとつでも契約したという状況を何とかしなければ!!」

     だからこそ言わせて頂きたい。
     今だけは、首が処刑執行台にかかった今だからこそ言いたい。

    「アビドスのお姫様に何するのです!?」
    -----

  • 92二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 08:25:12

    大変そうw

  • 93二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 09:08:10

    負けるな地下生活者

  • 94二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 18:28:34

    保守

  • 95二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 18:39:48

    過労死するwww

  • 96二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 00:42:21

    もう素直に先生に助け呼べばなんとかなりそう

  • 97125/03/06(木) 01:25:53

     まずは騒ぎを起こして契約書へのサインを妨害しなくてはいけない。
     最も単純な方法はファミレスの厨房が爆発する"可能性"を引き当てること。少なくともシャーレよりメンテナンスが甘いであろうここの厨房であればシャーレよりかは引き当てる確率も高い。
     とはいえ却下だ。試行回数を増やせるだけの時間が無いため、やはり周囲の人間を使うしかない。

     ならば問題の詐欺師に何かを囁く?
     当然却下だ。というより契約が順調に進んでいるこの状態から手を引くような言葉を地下生活者は持ち合わせていない。

     ならば黒見セリカに直接?
     断じて有り得ない。今この場で彼女に囁いて詐欺に気付かせることは簡単だが、そうなれば確実に翌日黒見セリカは皆の前で自慢げに話すだろう。翌日でなくても、ふとした拍子に話して、そして囁かれたときの状況を克明に語るだろう。その時に「あれ、なんであの時わかったんだろう?」などと黒見セリカ自身に首を傾げられたらもう終わりだ。
     仮にそこで地下生活者の干渉に黒見セリカが気付いて「あいつもしかして悪い奴じゃないかも?」なんて続けばもうおしまいである。絆されかけた後輩を悪事の手駒にされないよう機先を制して『死の神』がやってくるに違いない。

     必要なのは全く関係のない第三者が起こす騒動。それにファミレスを、もっと言えば自分が何にサインしているかも分かっていない愚かな娘を巻き込んで時間を稼ぐ必要がある。

    「ファミレス内で暴れそうな客は――くそっ! 全員お行儀よく座っているではありま……おや?」

     黒見セリカのいる席から離れた席に座る四人組がふと目に付いた。

    【お腹空いたぁ……。今度こそ私、ちゃんと食べられるよね……?】
    【大丈夫ですよジュンコさん。アビドスのファミレスですし突然店が爆発したりなんてしませんよ★】
    【ハルナ! ここはタバスコかけご飯がおススメだよ!】
    【ふふっ、イズミさん。今回は葱ときのこのピザにほうれん草のソテーを乗せるのが美味しいらしいので、そちらにいたしますわ】

    「あ、あれは確か――美食研究会!! 何と都合の良い!!」

  • 98二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 01:26:27

    このレスは削除されています

  • 99125/03/06(木) 01:27:24

     そこに居たのはゲヘナ学園所属、美食研究会。
     聞けば気に食わない飲食店を爆破するテロリストだと言う。だったら簡単だ。彼女たちに囁けばこんな店、手軽に手堅く簡単に爆破できるだろう。
     契約書も一緒に燃えてしまえば万々歳だ。詐欺だのなんだの、全部なかったことに出来る。

    「あの赤いのなら丁度空腹でしょうし、その引き金もさぞ軽いことでしょう」

     視点を落してその耳にそっと囁く。その脳裏に、不満を。

    (もう何分も待っているのにまだ来ないだなんて、本当に腹が立ちますねぇ?)

    【……まぁでも、まだ1時間経ってないし】

    「1時間!?」

     普段どれだけ待たされているんだこの娘は!? それはもう呪いか何かでは!?

     正直この娘がいま現在において何分待っているのかなど知りはしないが、まだそう経っていないことはその余裕差から伺い知れる。つまり駄目だ。こいつは使えない。

    「くっ……よ、四人もいるのです! ひとりが何ですか!!」

     気を取り直してその前に座るひとりにフォーカスを当てる。飲食店において致命的な状況を錯覚させられればいいのだと、すぐさまその脳内に囁きかけた。

  • 100125/03/06(木) 01:29:11

    (いま、通路に黒くて速くて飛んで来るアレがいたような……)

    【……ねぇねぇアカリ。虫っておいしいのかなぁ?】
    【や、やめてくださいイズミさん……。私は絶対嫌ですよ……。食べるなら私の居ないところでやってください】
    【うーん、残念】

     会話の内容が理解できず、一瞬思考が止まった。
     囁いた内容からかけ離れていると思いかけて……。

     いや、待て。いま食べようとした? アレを? アレを!?

    「貴様ら美食研究会なのだろう!? 汚食が混じっているではないか! よっぽど事件だろこんなの!!」

     そう叫んで、それからすぐに気が付いた。
     そうだ、このゲテモノ食らいの娘はともかく、テーブル挟んだ先にいるあの娘は嫌悪感を示していた。
     ならばあの娘だ。あの娘に同じことを囁いた。すると――

    【…………】
    【どうしたのアカリ? じっと見て……。あ、やっぱりコーヒーとオレンジジュースを混ぜると美味しいって気が付い……】
    【い、いえ……なんでもありません……】

    「黙っちゃった!! 言えよ!! 言うのです衛生環境に不備ありと!!」

    【……その、私の注文したメニュー食べます? 食欲が無くなってしまって……】
    【食欲が無くなる……!? あのアカリが!? 本当に大丈夫!?】
    【大丈夫ですジュンコさん……。イズミがアレを食べる姿を想像してしまっただけで……】
    【アレ?】
    【いえ……なんでも……】

  • 101125/03/06(木) 01:29:46

     「しまった」そして「そうか」と納得する。つまりゲテモノ食いが虫に興味を持ったら食べかねないということで、そのことから意識を向けさせないために黙ってしまうのか、と。

    「では駄目ではありませんか!!」

     虫だの衛生環境だのでは駄目だ。そう悟ったところで丁度料理が運ばれて来た。

    【私のはぁ?】
    【まだかかりそうですね。覚める前に頂いてしまいましょう】
    【ジュンコさん、私の食べます?】
    【うーん、いいや。どうせすぐ来るだろうし。イズミ食べる?】
    【食べる~!】

     そうして食事に手を付け始める一同。だが、当然ここはあくまで普通のファミレス。こんな店にあのお嬢様然とした彼女が満足できるだろうか。「まさか!」と声を上げてやる。『美食研究会』なのだ。他はともかく、舌が肥えていて然るべき。

     こうなったらもう味がマズいとか、そういった不快感を囁き続けて店を爆破してもらう他に手はない。

     ゲテモノ食いの隣に座る少女に向けて声を飛ばす。食事を行う彼女に向けて、言葉を送る。
     味覚という、いわゆるその時の気分で左右されるような曖昧なもの。感情が先行して味覚が、味の好みが決まる。そうであるなら――

  • 102125/03/06(木) 01:30:29

    (この料理、あまり美味しくないで……)

    【誰です?】

    「な――」

     ひゅ、と喉が鳴った。
     囁いた彼女は周囲を伺うように視線を凝らした。周囲を、天井を、その先にいる自分を探すように。

     理解が、出来なかった。

    【私、皆さんとの楽しい食事を邪魔されるのは嫌いなんですの】

    「なんだ――こいつ……」

     尋常ではない事態が起こっていることは分かった。
     いわば『踏んだ地雷が作動しかける分水嶺』に今いる――そう思わざるを得ないほどの嫌な直感。あるいは突然現れた『地雷原注意』の立て看板。このまま進んだらマズい。指先が震えた。

     そんな緊張感を払うように、ジュンコと呼ばれた少女が恐る恐る声を上げた。

    【きゅ、急に何……?】

     すると、今しがた囁かれた少女の表情が何でも無かったかのように微笑みへと変じた。

    【いいえ、何でもありません。ただ少々、私らしからぬ思考が過ぎったもので】
    【へ……? なにそれ?】
    【お気になさらず。さぁ、食事の時間ですよ】
    【ま、私はまだ来てないけどね……】

     ただそれだけだった。それだけで"囁き"という干渉技能が完全に無力化された。あの小鳥遊ホシノにも通用したはずの精神干渉が――!

  • 103二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 01:30:51

    このレスは削除されています

  • 104125/03/06(木) 01:33:03

     囁かれた言葉が通らないパターンはおおまかに分けて二つ。
     ひとつは囁いた言葉が本人の思考からあまりに外れているパターン。
     もうひとつは精神干渉という事象を理解し警戒しているパターン。

     そのいずれかに抵触したというのは分かるが、真っ先に外部からの干渉を疑うのは狂人にも程がある。

    「これだからゲヘナ学園の生徒は――」

    【書き終わったわよ! これでいい?】

    「んなぁ!?」

     などと時間を費やしてしまったところで聞こえたのは黒見セリカの声である。
     「契約完遂!? 時間切れ!?」と叫びたくとも叫べない。まだ詐欺師はファミレスの中にいる。

    「だ、誰か――!!」

     視点を上げて周囲を探す。
     騒動を起こせる誰かを探すため。契約書を台無しに出来るような誰かを探すために、誰か、誰か――

    「誰か居ないのか――!!」

  • 105二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 09:46:36

    ほしゅ

  • 106二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 10:18:28

    自分の信念を誰よりも理解してる狂人がゲヘナには多いからな…

  • 107二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:54:00

    理不尽なタスクを強制される地下生活者に悲しき過去

  • 108二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:23:50

    (これもしかしてゲヘナ3年ネームドは概ね天敵?)

  • 109二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 23:40:33

    ほしゅの

  • 110二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 06:47:22

    ほしゅ

  • 111125/03/07(金) 09:52:01

     ――きっと、キヴォトスの外なる神がいるのなら、地下生活者の行いを見ていたのかも知れない。
     そして、神とはいつだって行いに報いを与えるものだ。悪しき行いには災いを、善き行いには奇跡を。

     起こり得るものは"起こり得る"のだ。それが地下生活者の本質。蓋然的な事象は必然たり得る。
     なればこそ、そこに出る目が致命的失敗だろうが奇跡的成功だろうがいずれも等価。"たまたまそうなった"だけなのである。

     かくして賽は投げられた。

    【いやぁ、ブラックマーケットの精霊ねぇ!】
    【何でもいいよ。あたしらは飯が食えればな!】
    【本当に奢ってくれるの?】
    【もちろんですとも! いやはや、話してみれば何と話の分かる者たちなのか。共にアビドスを打ち倒しましょう!】

    「こっ、これは――!」

     その時、ちょうど都合よくファミレスに入って来たのはヘルメットを被った集団。それから続くのはブラックマーケットの商人。

     そこから起こったことは、その全てが自動的だった。

    【ん、あれ……まさか、黒見セリカ……?】
    【アビドスの生徒の!?】
    【これもブラックマーケットの精霊のお導きですよォ皆さん!!】

     まずヘルメット団員たちが気付いた。自走砲を掘り出した件のヘルメット団だ。
     続いて気付いて、喝采を上げたのはブラックマーケットの商人。マーケットガードとは別れたのだろう。今は引き連れていない。

    【な、何よあんたたち!!】

     黒見セリカは見知らぬ彼女たちに困惑しながらも叫んだ。
     威嚇するように睨みつけ、すぐさま銃を手に取り向ける。戦闘慣れというのはこういった所作に出るものだと分かる者は分かるだろう。

  • 112125/03/07(金) 09:52:31

    【おっと、私はこの辺りで……】

     不穏な空気を感じて逃げようとする詐欺師。だが、それがいまこの状況においては悪目立ちするだけの悪手であったに違いない。

    【待ちな! あんた、黒見セリカと一体何の話をしていたんだ?】
    【わ、私はただ少々商談を……】
    【商談んん? っつーことは、美味い話があるってことだよなぁ? いやぁ、精霊様に感謝ってわけだ!】

     ヘルメット団員は詐欺師が大事そうに抱える鞄に目を向けた。大事な書類が入った鞄だ。奪われるわけには行かない。
     緊張感が走る――その時だった。奥の、四人掛けの席からひとりが立ちあがったのは。

    【……あの、そこの方。少々よろしいでしょうか?】

     ゲヘナの生徒である。ぶらりと下げた手にはスナイパーライフル。ゆっくりと頭を動かして、静かに瞳を彼女たちに向けた。静かな怒りに満ちた――悪魔の瞳だ。
     しかし、それに気付かないヘルメット団員が不躾な声を上げる。

    【ああ?】
    【先ほどから食事の邪魔をされる方が多いようでして……そろそろ堪忍袋の緒も切れそうということなのです】

     そこでようやく黒見セリカも後ろを振り向いた。
     「美食研究会――ッ!」と言いかけた言葉は喉を出ることは無かった。黒見セリカにとって既視感のある怒りの様相。十六夜ノノミが本気で怒ったような、そんな押し込めた迫力を前に何も言えなかった。

     そんな怒りの主、ゲヘナ学園三年、美食研究会所属の黒舘ハルナは静かに息を吐いた。

    【朝から晩まで追われたり事故が起こったりでまともに食べることすら出来ずにもう夜。先日だって丸一日愚物の店を渡り歩く結果となった今日、この時に、私が、この私が! 冒険を辞めてひと時の休息に浸ろうという我慢に我慢を重ねた先で日常に有り触れているという最高の美食を味わおうとするこの時に、邪魔を、すると……?】
    【ね、ねぇ会長……? 私まだ一口も食べて――というかまだ何も来てないんだけど……?】

     赤司ジュンコが怯えたように声を上げる。お腹も鳴る。その視線を代弁するならこうである。
     「やるの? 戦うの? 戦うってことは食べられないってことだよ?」と。

  • 113125/03/07(金) 09:53:14

     黒舘ハルナは頷いた。

    【徹底抗戦ですわ!】
    【あぁ……!!】

     赤司ジュンコが悲鳴を上げる。

    【よく分かんないけど分かった!】

     獅子堂イズミは機関銃を手に取った。

    【分っかりました~★】

     鰐渕アカリは既に配置についている。黒見セリカの後方、アカリは眼前の彼女に語り掛けた。

    【というわけで、この場は勝手に協力させてもらいますね。セリカさん】
    【箱船以来ね美食研究会! 一応だけど、誤射なんてしたら許さないんだから!】
    【ふふっ、保証は出来ないのでちゃんと避けてくださいね?】

  • 114125/03/07(金) 09:53:25

     笑みを笑みで返す黒見セリカと黒舘ハルナ。ニッ、と笑う合うその姿は、まるでもなにも青春の一ページ。
     地下生活者にとっては茶番にしか感じられない何某かが行われる。なんなんだこれ……。
     そして止しておけばいいのにヘルメット団たちが答えるように銃を構えた。

    【たっ、ただ人数差で勝ったからって言って何だっていうんだ! 囲め囲め! 客を人質にしろ!】

    「それフラグですよね負けフラグ!!」

     などと、最初に上げた通りに起こったことはあまりに自動的であった。
     名乗りを上げる。フラグを立てる。そしてそれから敗北して逃走するまでの約束されたストーリーテリング。
     ナラティブもクソもない、どこまでもシステマチックなイベント戦での攻防戦。

    「お、おぉ……!!」

     もはや自分が何をするまでもなく解決するタスクに、一体どれだけの感動があっただろうか。
     ひとつひとつ手間暇かけて辻褄合わせて何とかどうしてやりくりしてきた自分としては、勝手に始まるのが平時だとしても勝手に終わりそうなのはこれまで一度も決して無かった。思わず涙が出そうになった。

  • 115二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 09:59:48

    なんか凄いことになってるww

  • 116二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 19:02:23

    ほしゅ

  • 117125/03/07(金) 22:49:54

    念のため保守

  • 118二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 22:54:33

    えらいことになったな

  • 119二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 01:05:29

    一応ほ

  • 120125/03/08(土) 04:13:42

    【くそっ! 覚えてろよ!】

     引き上げていくヘルメット団たち。地下生活者は周囲に潜在的脅威が存在しないか確認するが、やはり無い。

    「いや、まだです! まだぬか喜びというもの……こういう時ほど何処かで誰かが拉致されていたりするのですよ!」

     そうだ、と思い出す。本当にいま全員無事なのか、と。
     以前だって同じようなことはあった。勝手に解決したと喜んだ時に限って黒見セリカが攫われたりする。あの時の絶望を味わえば誰だって臆病になる。地下生活者は他のアビドスメンバーへと視点を移していった。

     小鳥遊ホシノ、砂漠の遭難者を連れて都市部へ帰還。問題なし。
     十六夜ノノミ、コインランドリーで洗濯中。周囲にヘルメット団員などの影も無い。問題なし。
     砂狼シロコ、配達のバイトを終えて自転車で帰宅中。問題なし。
     奥空アヤネ、視察を終えて帰宅中。問題なし。

     そして、黒見セリカもちょうど美食研究会と今後の検討の祈り合いながら別れたところだ。何も問題はない。

    「……ま、まだです! まだ彼女たちは眠っておりません。特に小鳥遊ホシノはこのあと大抵仮眠を取って、夜間にまたパトロールへ向かうではありませんか」

     そして十六夜ノノミはパトロールとか関係なく深夜徘徊を時折行ったりもする、とんだ不良娘だ。最寄りのコンビニへ向かうため片道30分の夜歩きをする度にどれだけ肝を冷やすか。別に何か悪さをしているわけでは無いのだが、何か悪さしている連中と二秒でエンカウントしかねないのが警察組織の存在しないアビドス自治区の現状だ。

     実際、砂狼シロコは大人しいもので夜歩きはあまりせず暗くなったらちゃんと自宅で過ごしている。日中の言動こそ危ういが、きちんと躾はされているようである。

     黒見セリカも大人しいが、たまにバイトで遅くなると途端に危険度が跳ね上がる。だが今日のバイトはこれで終わりのはずだ。従って何もないはず……だが、前に一度、夜中に掛かって来た詐欺電話に引っかかって外に飛び出したことがあるため安心はできない。

  • 121125/03/08(土) 04:14:19

    「それと比べて奥空アヤネの何と大人しいことか……!!」

     問題が起こったら必ず誰かに報告する。自分が出来ることと出来ないことを線引きしており、無茶なことは決してしない。その上で無茶をしなくてはいけなくなったら全リソースを惜しまず費やせる割り切りの良さ。もしも彼女を秘書に置けたらどれだけ楽だろうか。案外黒見セリカを生徒会長に据えて副会長に就任、というのも上手く回りそうではある。

     実際、地下生活者にとって奥空アヤネへの評価は悪くない。
     それはそうだろう。大人にとって手の掛からない子はそれだけで評価が上がる。周囲が問題児だらけであるのならなおのこと。

    「そうです。眠るまでは気を抜いては行けません。アビドスでは何があってもおかしくないのですから……」

     一時間、二時間と時間だけが過ぎていく。
     その間、地下生活者は定点カメラのように各生徒の部屋を移し続けた。
     夕食を摂る者、勉強を行う者、シャワーを浴びる者、生徒会の仕事を行う者……いずれも何処にも問題はなく、ベッドに潜り込んで携帯をいじり始める頃には皆の就寝時間が訪れようとしていた。

     何事もない夜。
     それこそが異常事態であった。だからこそ地下生活者は信じられない。こんな穏やかな時間があるものか。
     そう思ってヘルメット団たちやスケバンたちを始めとした武力集団を軽く眺めていくが、いずれも動きは見られない。警戒の必要すら無いほどに。

    「な、なにも、何もないのか……? 本当に何も……?」

     信じられなかった。
     それでも、と信じたくなるのは、縋りつきたくなるのはただひとえに休みたいから。
     もう何日もまともに休めていない。キヴォトスに来てから一度として考えたことのなかった死因たる過労死を直視せざるを得ないぐらいにはあまりに過密なタイムテーブルだった。

     移した視点の先で、十六夜ノノミが携帯を落して寝落ちしたのが見えた。
     奥空アヤネは既に寝ている。砂狼シロコも。

  • 122125/03/08(土) 04:15:03

    「く、黒見セリカと小鳥遊ホシノがおります。そうです。どうせこの後、黒見セリカが何か思い至って神社へ百度参りを始めたりするに違いませ――!!」

    【くあぁぁあ……】

     机に向かっていた黒見セリカが大きく欠伸を掻いた。

    【……寝よ】

    「なんと!?」

     驚き、思わず自らの口を塞ぐ地下生活者。
     「もしやツキが巡って来ているのでは……!?」と叫びたい。喝采を上げたい。だがそれはフラグに成り得る。いやでもここまで来たら本当に、奇跡的に何も無い穏やかな夜が訪れるのではないかと思ってしまうほどに何も無いのだ。

     就寝を確認してから、急いで小鳥遊ホシノへと視点を移す。
     彼女はベッドに腰かけたままぼんやりと視線を宙へと漂わせていた。

    【うん、まぁ……】

     小鳥遊ホシノがぽつりと呟く。

    【今日ぐらい良いかな。最近頑張ったし。一日ぐらい放っておいても死んだりしないのは分かってるし、あんまりやるとアヤネちゃんに怒られちゃうしね】

     と、そう言って寝間着姿に着替えてベッドへと潜り込んだ――ベッドへと潜り込んだ!!

    「オ、オオオオオ!」

     声が漏れた。歓喜の声が。

    「オオオオオオオオオ――!」

  • 123125/03/08(土) 04:15:17

     いま、眠る? 小鳥遊ホシノが? 誰もが眠ったこの時間に合わせて、あの小鳥遊ホシノが?
     こんなことは――全員の就寝時間が正しく合うだなんてことは今まで一度たりとて無かった。

    「今度はあなたが!」

     一体これまで何度叫んだだろう。「子供が夜更けに出歩くなァ!」と。
     一体どれだけ何度願っただろう。「一度で良いから休ませてくれ」と。

    「う――ウゥゥゥウウウ!!」

     この身に流れる涙は無くとも、安堵に浸る思考はある。
     たとえ臓器が意味を為さなくとも、偽りの肺腑から漏れ出た吐息は本物だった。

    「寝ても良いのですね? 今なら寝ても良いのですね小生が! この小生が!!」

     天井を仰いで床へと倒れ伏す。
     熱で火照った脳髄も、体温も、冷たい床へと吸い込まれていくようで心地が良い。
     こんな地下室で心地良いと思えるほどには追い詰められ続けていた。それがいま、一瞬だけ気を抜けるというなら今までがどれだけ地獄だったのか。

     そして、地下生活者の意識は消失した。
     気絶したように眠るではなく、正しくこの場で気絶した。

     この一瞬の安寧が、嵐の前触れだとも知らずに――

    -----

  • 124二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 11:04:52

    飯が美味いなー

  • 125二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 11:24:08

    (自分のこと棚に上げまくってるとはいえ)成長してるな地下ピ

  • 126二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 15:20:25

    哀れ。もっと哀れになれ。
    そしてアビドス復興の礎になれ。

  • 127二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 18:06:58

    まるで学校の先生みたいな地下生活者

  • 128125/03/08(土) 19:11:56

     地下生活者はアビドス自治区の誰も居ない街並みを走っていた。
     無論現実ではない。夢だ。それも荒唐無稽な恐怖を具現化させたような夢であった。

    【ヒィッ……! ヒィィィィッ!】

     追いかけて来るのはアビドスの生徒五人。皆が地下生活者を追い掛け回していた。

    【ウヘーヘヘヘヘ!! ミンチにしてやるぜぇ地下生活者ぁ……!】
    【く、来るなァ!】

     小鳥遊ホシノが舌なめずりをしながら四足歩行で飛び跳ねてくるのを屈んで避けると、十六夜ノノミが両腕の筋肉を肥大化させて電柱を引っこ抜き、地下生活者の頭をかち割ろうと迫ってくる。

    【ネフティスの力を思い知れですゥゥゥ!】
    『ウワァァアアア!!】

     転がるように前へと避けると、目の前にはモーターバイクに跨った砂狼シロコがエンジンを吹かせる。
     いつの間にか自分の足に縄が括りつけられていることに気付くや否や、縄の先端を持った砂狼シロコはフルスロットルでアクセルを踏んだ。

    【ンンンン! 市中を引き回される人間の悲鳴はとてもたのしい!】
    【グワァァァアア!!】

     猛スピードで地面を引きずり回される地下生活者。それに並走する黒見セリカが手を叩いて嘲笑している。

    【ゲヒャヒャ! ゲヒャーヒャヒャヒャ!!】
    【笑うな――!!】

  • 129125/03/08(土) 19:12:28

     どうして、どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか。
     ただちょっと古則の証明をしたかっただけでどうしてこんな目に遭わされるのか理解が出来なかった。

     確かにその過程でアビドスが滅びかけたが、セトの憤怒と暁のホルスの戦いという神話の再現を行えるという気付きはこのキヴォトスを失くしてでも得難い知見ではないかと叫びたい。

     その時、突然バイクが急停止した。
     引きずり回される地下生活者は慣性に従って前へと投げ出され、「ふべらっ!?」と転がり倒れ伏す。

     頭上から聞こえてきたのはヘリの駆動音。そこから奥空アヤネの声が聞こえた。

    【大丈夫ですか?】
    【大丈夫なわけがないでしょう!? さっさと小生を助けるのです! それかあの問題児たちをどうにかしろ!!】

     思わず怒鳴り声を上げると、意外にもあっさりと「分かりました」なんて声が返って来た。

     ヘリの扉が開いてラペリング用のロープが垂れ下がってくる。
     そしてヘリから懸垂下降して来たのは――

    【しっ――『死の神』……!】
    【地下生活者、あれだけ警告したのにもう忘れたんだ。二度と戻って来ないでって言ったのに】
    【ちっ、違うのです! 小生は決してアビドスに危害を加えようとは……!】
    【違わないよ】

     眼前に降り立った『死の神』が向ける目はあまりにも冷徹で無慈悲だった。

    【お前は約束を違えた。アビドスに危害を加えたのだから】
    【や……やめ……】
    【さようなら、地下生活者】

     向けられた銃口。引き金に指が掛けられる。そして――

  • 130125/03/08(土) 19:13:05

    「やめてくれぇぇぇええ!!」

     荒い呼吸と共に飛び起きたその目に映るのはいつもの地下室。早鐘を打つ胸を押さえるが穴は空いていない。

    「ゆ、夢……でしたか……」

     そう呟くも、夢を見ることなんて今までなかった。
     それがどうにも不吉な気がして、改めて生徒たちを確認する。そろそろ生徒たちが起き出して登校をするような時間であった。

    「黒見セリカも今日の朝はバイトで出かけていることもないはず……。小鳥遊ホシノはまだ寝ている時間ですし……」

     ひとりずつ見ていくがやはり何も異常は無い。朝は大体そんなものだ。
     と、そんなところで支度を終えた十六夜ノノミが家から出て来た。彼女の後ろから一台のバンが走ってくる。
     バンを見ると誘拐を警戒してしまうのはアビドスの治安に毒されている証拠ではあるが、念のためそちらもチェックを……と言った、その瞬間だった。

     急に速度を上げたバンが十六夜ノノミを追い抜いて道を塞ぐ。
     開いた扉から現れたのは、先日砂漠に現れた栗浜アケミだった。

    【十六夜ノノミさん、ですわね?】
    【あ、あなたは……?】

     当然困惑する十六夜ノノミであったが、それは地下生活者にとっても同様である。
     だが、次に栗浜アケミの吐いた言葉は想定すら出来ないものであった。

  • 131125/03/08(土) 19:13:23

    【理由は分かりませんがあなたを攫いに来ましたわ。そうしなくてはいけないと、"声"が聞こえるのです】

    「なっ――ハァ!?」

    【"声"……ってまさか!!】

     直後、栗浜アケミが十六夜ノノミを一瞬で締め落し、抱き上げてバンの中へと戻って優しく寝かせた。
     車が走り去り、何事も無かったかのように後には何も残っていない。視点を向けて追いかけるべきだったにも関わらず、地下生活者は未だ衝撃から立ち直れていなかった。

    「"声"が聞こえた……だと……?」

     ありえない。
     自分はそんなことをしていない。

     更に最悪なのは、"声"と聞いて十六夜ノノミが何を思い出したかなんてことは考える間でも無く分かり切っているという事実である。

     いや、そんなことよりも何故栗浜アケミがそんなことを言いだしたのかも分からない。
     まさかバレた? いや何故バレる? ブラックマーケットの精霊云々から勘付かれた?
     そんなわけがない。ブラックマーケットには胡乱な噂で溢れかえっている。それがピンポイントで"声"と指定した上でアビドスの生徒を攫うという状況そのものが有り得ないのだ。

     もはや、ただ十六夜ノノミを救助するだけでは終わらない事件が起こってしまった。

    「何が……あったと言うのです……。この、アビドスで――ッ!!」

  • 132125/03/08(土) 19:14:49

     ……このキヴォトスで起こる出来事に、地下生活者の意図も意識も関係ない。
     十六夜ノノミ誘拐事件にしても地下生活者にとってのみ大事件たり得るもので、そこまでのものだと意識している者なぞ何処にも居ない。

     要は視点の違いでしかないのである。
     そして地下生活者は今この時点を以て、カメラ役としては適切足り得ない。

     最後の事件に限り、新たな主役を迎えよう。
     セーフハウスから通話を行う、"彼女"の視点でお送りしよう。

    「十六夜ノノミは……そうですね。ヘルメット団に監視をさせてあなたは戻ってきてください」

     通話を切って一息。
     それから優雅にコーヒーカップに口をつけて視線を中空へと揺らし始めた。

    「さて、暴き出してみますか。件の亡霊を」

     彼女は、ニヤニヤ教授と名乗っていた。

    -----

  • 133二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 23:12:04

    ニヤニヤ教授は地下生活者に濡れ衣を着せようとしてるのか…?

  • 134二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 00:34:02

    保守

  • 135二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 00:40:05

    ここで動くかニヤニヤ教授!
    でも大丈夫?暁のホルスの本気なめてない???

  • 136二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 10:11:54

    大丈夫大丈夫、声のせいだと言えば無罪無罪

    >>135

  • 137125/03/09(日) 10:12:09

     時は数日前まで遡る。
     その日も、ニヤニヤ教授は各地に点在するセーフハウスにて集めた情報の精査を行っていた。

     違和感に気が付いたのはそんなある日のことである。

    「……アビドスの様子が何だかおかしい気がしますね」

     アビドス自治区。
     アビドス高等学校の土地だった場所で、現在はカイザーコーポレーションに担保として事実上の所有権を奪われている状態であることはニヤニヤ教授も知っていた。

     生徒もたったの五人と、何故未だ廃校になっていないのかが不思議な学校である。

     しかし最近、あんな不毛の地であるにも関わらず、ハイランダー鉄道学園を通してネフティスの支援を受けられたと聞き、一体どんな政治的取引があったのかとニヤニヤ教授が勘繰るのは当然のことであった。

     資料を一枚めくりながら、ニヤニヤ教授はぽつりと呟いた。

    「随分と減った人口の異常な回復……。誘致なども行っているようですが、これだけ短期間に住民の受け入れなんて行ったら治安の悪化は目に見えているはず……」

     なのに、治安は回復傾向を示している。
     異常である。治安維持組織が存在しないアビドスに観光客や移民、新たな産業などを興そうと人がこれだけ集まって、どうして治安が回復するのか。

    「有志の自警団、なんてものもいませんし……。それに……」

     と、ニヤニヤ教授は手にしていた資料を腰かけていた寝台の上へと放り投げた。
     ばさり、と紙の束が散らかる様を眺めながら考え込むように頬へ手をやる。

    「ほむ。やはりアビドスに関する情報だけが不思議なほど"集まって"ますね……」

  • 138二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 10:12:25

    >>136

    地下ピの事をなんだと思って……

  • 139125/03/09(日) 13:40:28

     情報収集に雇ったのはその道に慣れたプロだけではなく素人も何人か使っていた。
     理由としては単に「探りを入れているぞ」と言うことを暗に示唆してカイザーの動きを見ようとしただけだったのだが、その素人から上がって来た情報があまりに精度が"高かった"のだ。それこそ本職と同じぐらいには細部に至るまでしっかりと調査が為されている。

    「つまり、情報を集めて来たのではなく意図的に渡されている可能性がある……」

     それも情報収集を行う本人たちが気付かないレベルで、誰かが。

    「こちらの探りがバレたというわけでも無さそうですし、となるとアビドスの裏社会全域で何らかのカバーストーリーが作成されている……?」

     そんなまさかと言いたくなるような突飛な想像も、ニヤニヤ教授は頭から否定しない。
     むしろ湧いたのは興味であった。どうやって、何のために、これまでそんな兆候ひとつもなかったのに、だ。

    「分けるとすれば、ネフティスの投資を受ける前と受けた後。となると『誰』についてはネフティスの関係者でしょうか。……では、どうやって」

     アビドスのブラックマーケットは事実上カイザーの支配下にあるが、現在カイザーのCEOは前代未聞の砂漠進行を行った失態の後に病院へ引きこもってしまっている。ブラックマーケットへの影響力の低下は当然のことで、異なる支配者――もといネフティスの工作員がいると仮定を行うとして、一体何が出来るだろうか。

    「噂を積極的にばら撒く? いいえ、それでは情報の精度が上がるわけではない。素人である彼女たちが言っていたではありませんか。『思ったより簡単なんだな』と」

     彼女たちは情報を渡されていたことにすら気付いていない様子だった。
     有り得ないことが起こっている。そうであるなら、有り得ないことも織り込んだ思考スキームに切り替える必要がある。

  • 140125/03/09(日) 13:40:55

    「例えば……そうですね。サブリミナルなどによる集団催眠が掛けられている、とか」
    「随分と考え込んでおられますわね」
    「おや?」

     顔を上げるとそこには栗浜アケミの姿。どうやら没頭し過ぎて彼女の来訪に気が付かなかったようだった。

    「いつからそこに?」
    「カバーストーリーがどうとか仰っておりましたわね。でも結局分からないのでしょう? それなら行ってみた方が早いのではありませんこと?」

     百聞は一見に如かずとも言いますし、と栗浜アケミが締めくくる。
     ニヤニヤ教授は頷いた。

    「……そうですね。念のため護衛として雇われてください。前金を振り込んでおきますから」
    「助かりますわ。ちょうど私もお小遣いが欲しかったところでしたの」

     それがニヤニヤ教授のアビドス入りが決定された瞬間である。
     翌日、すぐさま行動を開始した二人はアビドス行きの電車に乗り、調査を開始し、そして何の成果も得られなかったところまでが地下生活者視点における『昨日』の話。

     ニヤニヤ教授はあの時帰ろうとしていたのだ。アビドスの裏社会については一旦保留と結論付けて。

     没頭する思考。その中に差し込まれた地下生活者の声。

    (いま遠くで誰かがいたような……)

     有り得ない。考え事に耽っている自分がそんな遠くに誰かがいたなんて気が付くはずがない。
     だからこそニヤニヤ教授が気が付いた。集団催眠なんて突飛な誇大妄想にも近しい可能性を検討していたからこそ、彼女は気付いてしまった。図らずも彼方の存在、地下生活者に。

    「……立ち入り禁止の看板越えてますね完全に」

  • 141125/03/09(日) 13:41:10

    (あれはスケバンでしょうか?)

     声に出した瞬間に返ってくる『自分の想像』。
     脳内を読まれているわけではなく、音を聞いているということへの証左。脳内が読めるのであれば自分が彼方の存在Xに気が付いたというのに思考の差し込みを行うはずがない。そうニヤニヤ教授は考えた。

    「ほむ……、なるほど……」

     わざわざ自分にスケバンたちの暴走を伝えてきた意図は、恐らく救助要請。それも自発的なものを期待されてのこと。存在Xは自分の存在が露呈することを避けていることが分かる。
     何故自分に? 簡単なことだ。伝説のスケバン、栗浜アケミを擁立する自分だからこそ、同じスケバンである彼女たちの保護を依頼してきたに違いない。

     更に言えば、この時点で自分の情報も動向も丸ごと知られているとも言える。
     でなければこんな都合の良すぎるタイミングで声を送れるはずがない。

     ではどうやって。
     周囲を見渡しても誰も居ないが、そこに関しては光学迷彩処理などで姿を隠していることが予想される。実際ミレニアムではそういった新素材が開発されたのだから、手段がないわけではない。
     同様に、人の脳内へ言葉や単語を送るような研究が為されている可能性もあるのではないかと考えた。

     ニヤニヤ教授はあくまで犯罪のコンサルタント。科学技術のことは分からないが故に、その可能性を否定はしなかった。

     故に欲した。その思考への差し込みを行う装置を。その秘密を。
     もしもそれを手に入れることが出来れば、自らの芸術的な策略を妨害されてもカウンターを入れることが出来るのかも知れないと、ニヤニヤ教授はそれが存在するという前提で動き始めた。

     まずは栗浜アケミへと連絡をして"あの声の通り"救助へと向かわせる。

     空を見るがドローンなどの影はなく、ならば駅構内の何処かに隠しカメラが仕掛けられているのだろうと考えられる。何せここはネフティスがハイランダー鉄道学園に作らせた駅なのだ。声の正体がネフティスの誰かであるという推理を補強するに充分な事実である。

     ではどうしてこのようなことを行っているか。
     これもネフティスであれば理由は簡単に推察できる。アビドス高校にはネフティスの令嬢である十六夜ノノミがいるからだ。

  • 142125/03/09(日) 13:41:30

    「つまり……」

     と口に出しかけて慌てて両手で口を覆った。
     声は存在Xに聞かれている。姿もまた見られている。そして"彼ら"は自分の動向を完全に追い切れるほどの卓越した情報収集能力を持っている。

     平静を装いながら改めて脳内にてアビドスで起こっている事象をまとめ上げる。

     存在Xの正体はネフティスの情報工作犯。
     手段は科学技術によって作成されたであろう思考誘導装置を使った治安維持。
     理由は十六夜ノノミに気付かれないように彼女を支援するため。

     十六夜ノノミとネフティスグループの関係が悪いものであるという情報は元々掴んでいたものだった。
     なにせネフティスの意向を無視してアビドスへ入学したばかりに勘当されているのだ。
     にも関わらず、それでも生活費としてブラックカードを渡されるぐらいには見捨てられているわけでも無い。

     ならば今回の投資はカイザーコーポレーションという企業に対する牽制、という名目をネフティスが手に入れたから行われたものだろう。
     CEOが病院で雲隠れしているのは明らかに公安局からの追求を避けるため。きっと見つかったのだ。ブラックマーケットで散々犯した悪事の証拠を、ヴァルキューレに。

     ネフティスがカイザーを出し抜いてブラックマーケットに介入できるチャンスは今しか無い。
     裏から表へ向けてアビドスの不穏分子を浄化しようと考えているのであればなんら不思議ではないのだ。

  • 143125/03/09(日) 13:41:41

    「実に面白い……」

     それが十六夜ノノミ誘拐事件の全てである。
     さらに翌日、地下生活者が目撃した通りに十六夜ノノミは栗浜アケミによって捕縛に成功。
     その際に栗浜アケミに言わせた"声"というフレーズにもしっかりと十六夜ノノミは反応していた。

     つまり、十六夜ノノミはその装置を知っている、もしくは耳にしたことがある、ということ。

    「ちゃんと出て来てくださいねネフティスの皆さん。大事なご令嬢が攫われてしまいましたよ?」

     そう言って、ニヤニヤ教授はセーフハウスから誘拐した先の交渉現場へと通信を繋ぎ始めた。

    -----

  • 144二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 13:57:53

    地下生活者が無法すぎるから仕方ないんだけどニヤニヤ教授がドヤ顔ですんげー的外れな推理してるのが愛おしくて仕方ない。しかもそれが回り回って地下生活者を意図せず追い詰めてるんだから笑えるわ!

  • 145二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 15:02:02

    ほんとここまで物語作れるスレ主尊敬します。ニヤニヤ教授の推理とか凄いもん。

  • 146二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 22:28:05

    ほしゅの

  • 147二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 01:33:56

    保守

  • 148125/03/10(月) 09:40:43

    「ん、んん……」

     手足を縛られた十六夜ノノミが目を覚ました。

     彼女が運び込まれたのは、カイザーコンストラクションのビルの一室であった。
     現在はカイザーの規模縮小の煽りを受けてアビドスからは撤退しており、残っているのはカイザーのものであったビルの跡。雨風を凌ぐのに丁度良いと不良生徒たちが不法占拠している建物のひとつである。

     十六夜ノノミの周囲にはニヤニヤ教授の雇った傭兵たちが十数名。
     そこに栗浜アケミの姿はなかったが、武器を取り上げられて拘束されている十六夜ノノミにとっては充分な脅威であることは間違いない。
     しかし、状況を理解した彼女がその顔に浮かべたのは困惑でも恐怖でも無い。ただ、なんてことのないように笑った。

    【皆さん、私に何か用ですか~?】

     強がっている、というわけでもない余裕の表情。その顔をモニター越しに眺めながら、ニヤニヤ教授は「ほむ……」と納得したように頷く。

    「自分は絶対助けられると確信したような顔ですね。まぁ、その余裕そうな態度も少しは歪めばネフティスだって姿を現すしか無いでしょう」

     ニヤニヤ教授はそのための準備を行っていた。

     彼女を囲むヘルメット団を始めとした傭兵たちには決して自分の意志で行動しないよう厳守させてある。相互監視させることで不用意に動いた者は撃っていいとまで許可している。もちろんそのために報酬はいつも以上に上げる必要があったが、それだって必要経費と考えれば痛くも痒くもない。

     その上で自分はアビドス外のセーフハウスへ待機。ここならばネフティスの息がかからない場所ではあるし、その上で万が一に備えて栗浜アケミを手元に戻してある。もし仮に自分に対して思考誘導を行う侵入者が居れば、即座に制圧することも容易だろう。

     万全の体勢にほくそ笑みながらマイクを繋げようとした、その時。
     十六夜ノノミは不敵に笑いながら口を開いた。

  • 149125/03/10(月) 09:41:03

    【分かってますよ~♣ ……また、あなたの仕業なんですよね、地下生活者】

    「ほむぅ!? 誰が地下生活者ですか!!」

     全てのセーフハウスが地下にあるだなんて偏見も甚だしいと憤慨した。

    「そもそも私は別に地下で生活しているわけでは……とと、いけません。私は極めて冷静です」

     呼吸を整え直して無理やりにでも笑みを浮かべる。
     交渉事とは冷静さを保った方に軍配が上がると言うもの。呼吸を整えてマイクのスイッチをONにした。

    「聞こえていますよ十六夜ノノミさん。地下生活者の仕業……ですか」

     音声を乗せた途端に感じる警戒心。そうです、とニヤニヤ教授はほくそ笑む。
     これこそが、悪の花道たる白刃のやり取りであると認識する。

    「その言葉……そうですね、遠からずも近からず、しかしてある種穿った解答とも言えましょう」
    【あなたは……】
    「初めまして十六夜ノノミさん。私のことはニヤニヤ教授とお呼びください」

     そう語り掛けると十六夜ノノミもまた薄く笑った。

    【一体何のためにこんなことを? 私を攫ってどうするつもりなんですか?】
    「ふふっ、あなたの役割は餌ですよ。あなたの仲間をおびき出すための、ですね」
    【私の……仲間を……?】
    「ええ、……聞こえているのでしょう? それとも見ているんじゃありませんか? 十六夜ノノミがピンチですよ?」

     静かに、けれども壮絶に笑うニヤニヤ教授。
     だが、その言葉に反応する者はおらず、ただ室内には静寂のみが流れ続けるのみである。

  • 150125/03/10(月) 09:41:30

     一方、十六夜ノノミは困惑を深めることとなった。
     あんな手際よく攫っておいて、自分の仲間――即ちアビドスの皆が気付くはずないんじゃないかと。
     というより、そもそも皆をおびき出してどうするつもりなのかが分からない。

    【……ニヤニヤ教授、と言いましたか。アビドスにはとっても怖い先輩がいるんですよ?】

     ともかく、と十六夜ノノミは「どんな要求をしてもホシノ先輩が応じるはずがない」ということを暗に伝える。
     するとニヤニヤ教授からは困ったような薄っぺらい声が返される。

    「確かにそれは困りますね。小鳥遊ホシノ、砂狼シロコ、黒見セリカ、奥空アヤネ……いずれも魔境アビドスを生き抜いてきた強者たち……。彼女たちには会いたくないですね」

     それで全員では?
     十六夜ノノミは訝しんだ。

    【えっ、じゃ、じゃあ一体誰をおびき出したいんですか……?】

     そしてそうとは知らないニヤニヤ教授は不敵に笑った。

    「あなたが知っているかどうかは分かりませんが、ただあなたを知っているアビドスの守護者です」
    【あっ、ま、まさか……】
    「おや、知っていましたか。そうです、そのまさかです」

     そう、確かにもうひとりいた。
     アビドスにはもうひとりだけ、六人目の生徒がいる。
     それは異なる世界、異なる破滅を迎えた別世界からの来訪者。
     アビドスを陰ながら守ってくれている、もうひとりの砂狼シロコである。

    「私では見つけられなかったのです。何処でどうしているのかも掴めません。しかし、あなたが攫われたのであればきっと来てくれるのではないかと期待しているのですよ」
    【ど、どうでしょう……。私たちもたまにしか見かけないので気付けるかどうか……】
    「……ほむ、なるほど」

  • 151125/03/10(月) 09:41:40

     たまにしか見かけない。ニヤニヤ教授が引っかかったのはそのフレーズだった。
     つまりネフティスと十六夜ノノミに間接的か直接的かの接触自体はあったのだ。そうであるなら呼び出す手段が完全に無いというわけでもないのではないかと推察し、それを口に出す。

     返ってきたのは奇妙な提案だった。

    【あの、それじゃあ攫われたというのは一旦伏せてホシノ先輩に探してもらうというのはどうでしょう?】
    「ほむ?」

     首を傾げるニヤニヤ教授。
     しかし十六夜ノノミにとっても、もうひとりの砂狼シロコと連絡できる手段は欲しかったのだ。

     モモトークの交換だってしていないまま何処かに行ってしまった彼女にちゃんと会いたい。
     その理由として「攫われることもありますから念のため」なんて付ければ案外頷いてくれるんじゃないかと考えたのだ。

     根本的な部分を間違えたまま一致する利害。
     もちろん通話をさせることで小鳥遊ホシノに助けを求められるのが普通ではあるが、いずれにしたって十六夜ノノミ自身がどこに囚われているかなんてことは彼女自身知らない。
     騒ぎになれば真っ先に来てくれるかもしれない。それならそれでネフティスの工作班を捕獲できるかもしれない。

     ニヤニヤ教授はその提案に頷いた。

    「……良いでしょう。小鳥遊ホシノへ携帯を繋いであげてください」

  • 152125/03/10(月) 09:42:00

     一方、そんなやりとりを眺めているものが他にもいた。
     もちろん哀れなあの男、地下生活者である。

    「十六夜ノノミ……それにニヤニヤ教授と言いましたか……。い、一体何を呼ぶ気なのですか!!」

     先ほどからあちらこちらへ"囁き"続けて盤面を整えていた彼がようやく視点を戻すと、何かとんでもないことをやろうとしている光景が目に映った。
     十六夜ノノミの前に差し出された携帯が通話画面に切り替わり、聞こえてきたのは小鳥遊ホシノの声である。

    【おはよ~ノノミちゃん。起きてるよ~】
    【おはようございますホシノ先輩。ちょっと大事な話がありまして……】
    【大事な話……? 結構緊急?】
    【はい……と言いますか、本当はホシノ先輩に探して欲しい人がいるんです】
    【んん? おじさんに? 誰を?】

     ものすごく不穏である。
     地下生活者の握る拳がじっとりと不快な汗に濡れた。

     そして十六夜ノノミは口を開いた。

    【……もう一人のシロコちゃんです】
    【もう一人のシロコちゃんを?】

    「『死の神』を!? なんで!?」

    【緊急で大事な話があるんです。でも私だと何処にいるか分からなくって……】
    【……先生も呼んだ方が良いやつ?】

    「先生も!?」

  • 153125/03/10(月) 09:42:26

     地下生活者は悲鳴を上げたが、十六夜ノノミは周囲のヘルメット団たちを見渡した。
     呼んでよいのか確認しようとしているのだ。首魁のニヤニヤ教授に。

    「絶対に呼ぶな絶対に呼ぶな絶対に呼ぶ――」

    【いいでしょう。先生に来てもらっても】

    「なにを言っているんだお前ぇぇえええ!!」

     もうまずいなんてものではなかった。
     このままでは『死の神』と先生がセットで地下までデリバリーされる。代金はお前の命だと言って殺される。

     誰に何を囁けばいいのか分からない。
     というよりニヤニヤ教授が十六夜ノノミと共に居ないせいで探す手間が発生している。
     探して囁いて解決するかも分からない。ただあの拉致現場を見ていても何も解決しないことだけが確かなのだ。

    「う、ウオオオオオオ!!」

     視界を切る。探すべきものを探す。囁くべき言葉を探す。
     この詰み切ったようにしか見えない盤面に活路を求めて、雄叫びを上げていた。

  • 154二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 10:27:34

    もうなんか……先生とクロコに事情説明して協力してもらえ
    多分わかってくれるから……

  • 155125/03/10(月) 12:01:25

     そんなことになっているとは露知れず、ニヤニヤ教授もまた考え込んでいた。

     『もう一人のシロコ』というのが何かの符牒であることは間違いない。
     同一人物がいるかのような物言いだからこそ分かる。有り得ない、存在し得ない、そういった存在を表す言葉であるのだろうと気が付いた。

     そして先生が来てくれるのならそれはそれで問題ない。
     思考誘導装置なんて危険な物、シャーレの権限で根本から抑えられるのであれば悪くはない話なのだから。

    「計画は順調に進んでますね……」

     何一つ順調に進んでいない。何なら"声"に気付いたこと以外は全部が間違っている。

    「さて、十六夜ノノミさん。あなたは何処でそれを知ったのはネフティスで合ってますね?」
    【それはそうですが……】

     確かにネフティス"絡み"の事件だったな、と十六夜ノノミは頷きつつも、訝しむ目が強くなった。

    【ニヤニヤ教授、あなたが何故それを知っているんです……?】
    「何故、ですか……」

     どう答えるべきか。
     直接使われたから? いや、それは流石に直接的過ぎるかもしれない。

    「どう答えたものか悩みますね……」

     だったらカイザーを調べたから分かった、というのはどうだろうか。
     カイザーCEOのことを調べていくうちに"声"の存在に勘付いた、というのは悪くないのかも知れない。

  • 156125/03/10(月) 12:01:54

    「そうですね。カイザーCEO、彼の不在によって抑制されている裏社会……是非とも"お礼"を言いたいのですよ」
    【だから、もう一人のシロコちゃんを狙っている、と?】
    「ええ、『もう一人のシロコ』ちゃん、と言いましたか。私は彼ら、もしくは彼女らが持っている物が欲しいのですよ」
    【物、ですか……?】

     何か持ってたかな、と考えても覆面とかママチャリぐらいしか思いつかない。
     そんなことよりも気になるフレーズがあった。

    【なんかもう一人のシロコちゃんがいっぱい居るような言い方ですね……?】
    「……ほむ? 何人もいるわけでは無いのですか?」
    【いるわけないじゃないですか!? そんなにたくさんシロコちゃんがいたら悲しすぎますって!!】
    「てっきり48人ぐらいいるものかと……」
    【そんな地獄みたいなアイドルユニット嫌すぎですよ!? ひとりで充分です!】
    「ひとりで充分なんですか!? アビドスのブラックマーケットを掌握するのに!?」
    【え、もう一人のシロコちゃんブラックマーケットを掌握しているんですか!?】

     十六夜ノノミとの会話がどうにも噛み合ってないような……。

    「……そうですね、何かおかしい。少し話を整理させてください」
    【……お願いします】

     ニヤニヤ教授は一呼吸してマイクに向き直った。

  • 157125/03/10(月) 12:02:15

    「ではまず……カイザー不在の隙を突いてネフティスがブラックマーケットを掌握しようとしていることは?」

     十六夜ノノミは目を剥いた。
     寝耳に水もほどがある。一体なにをどうすればそのような勘違いをするのかが理解できずに叫んだ。

    【そんなわけないじゃないですか! そもそもネフティスにそんな余力も動機もありません!】
    「あなたがアビドスにいるのに?」
    【そっ――その話はやめてください!】
    「ほむ……では思考誘導装置については?」
    【思考……え、何ですかそれ? というより、地下生活者はどこに行ったんです?】
    「え、地下生活者って私のことを指していたのでは……」
    【え……?】
    「え……?」

     ニヤニヤ教授の思考は完全に停止する。
     この場に流れる沈黙が痛いほどに感じられる。

     これ……もしかして私の勘違いってことですかね……?

    「ほむ」

     顔に手を当て、頷いた。

    「計画通り……ですね」

     そんなわけなかった。
     いや、ニヤニヤ教授本人も分かっている。これ完全に間違えていたなと理解する――が、そんなことは言わない。何故なら彼女は犯罪コンサルタント。優れたマスター。頬に少しばかり赤みが差したがそんなところを見る者なんて何処にもいなかった。

     ニヤニヤ教授は一旦落ち着くために通信を落す。

  • 158125/03/10(月) 12:03:02

     声が聞こえたと思ったことこそが自分の思い込みだった……?

    「い、いやでも、ブラックマーケットの調査が一致していたんですよ!? 情報屋と素人が!」

     ではそれがもし、情報屋がその素人とやらに自分の調査結果を写させていたとしたら……?
     評価の偽造。仕事のコネクション結びの一環としてそういった不正を働いていた可能性は本当になかったのか……。

     ある。否定しきれない。

    「え、じゃあなんですか? 本当に私の勘違いだったということですか!? 自分のコンサルタントを名乗る私が妄想に振り回されていたと!?」

     ニヤニヤ教授は顔を覆った。
     しかしそのまま「勘違いでした」と返すわけにも行かない。なにせ雇ったヘルメット団がそこにいるのだ。このまま返せば沽券に関わる。

     十六夜ノノミの電話が鳴ったのはちょうどそんなときだった。
     相手は小鳥遊ホシノ。マイクを入れて電話に出るよう指示する。

    【ごめんノノミちゃん、緊急の連絡!】

     聞こえてきたのは切羽詰まったような声であった。
     十六夜ノノミに緊張感が宿り始めた。

    【ど、どうしたんですか?】
    【ビナーが都市部に向かってる! 使われていない地区に誘導するから手伝っ――うわぁ誰!?】
    【大いなる災いとはこのことだったのですね精霊よ! さぁ皆さん、行きますよォ!!】
    【おおー!!】
    【あの、ホシノ先輩? なんか後ろが騒がしいようなんですけど……】
    【な、なんかマーケットガードたちがビナーに突っ込んでいったみたい……】

  • 159125/03/10(月) 12:03:27

     混線する会話にニヤニヤ教授も思わず固まった。
     何か起きているらしいことは分かる。アビドスにとって大変な事件が発生していることだけは。

     乗っかるなら今しかありません――!

    「ふふ、もう見つけましたか。優秀ですねアビドスの皆さんは……」

    【に、ニヤニヤ教授……?】

    「そうです。私の本当の目的はビナーを呼び込んでアビドスを攻撃すること。被害が出れば私が付け入る隙も増えるというもの……さぁ、計画を最終段階へと移行しましょう」

     と言ったものの、正直ビナーとは何なのかすら分かっていない。
     とりあえずそれっぽく言って後から辻褄を合わせていくしかない。

    「ヘルメット団の皆さん、時間稼ぎは充分です。十六夜ノノミを解放し、今すぐそこから離れてください。報酬は振り込んでおきます」

     そう言って通信を切断し、ニヤニヤ教授は寝台へと飛び込んだ。

    「どうして私がこんな辱めを……」

     誰にも聞こえないような、蚊の無くような声が口から漏れた。
     しかし、そんな声も遠くで覗き続ける者の元にだけは届いてしまう。

     その人物は疲れ切ったように呟いた。
     「ま、間に合いました……」と。

     地下生活者はやり遂げた。
     あの詰みも同然だった盤面をひっくり返したのだ。
     ここからは、喝采の声を上げることもなく床へと倒れ伏すその健闘を、少しばかりダイジェストでお届けしよう。
    -----

  • 160二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 12:14:40

    もうなんというか盛大にワロスwwwww

  • 161125/03/10(月) 13:06:01

     十六夜ノノミが攫われた直後、我に返った地下生活者が真っ先に行ったのは"声"という事実に対する処理であった。

    「過去は変えられない――だからこそ、起こった"過去"とすり替えるのです!」

     ニヤニヤ教授に囁いたのは昨日のこと。しかし「昨日囁かれた」という既成事実を有耶無耶にするために必要だったのは、まず『声の主』という存在を肯定することだった。

    「カイザーCEOが小生に囁かれて妙な行動を取っていたという事実はアビドスの生徒たちも知ってのこと――」

     つまりは裏社会に噂を流したのだ。
     カイザーCEOは現在心神喪失状態で、うわ言のように「聞こえた声に従っただけなんだ」と言い続けている、と。

    【しんしんそーしつ? ってやつだと捕まらないんだってさ!】
    【だからカイザーCEO捕まっていないのかー】

     脛に傷持つ不良生徒たちが面白がって広めるそれを、地下生活者は更に捻じ曲げた。

    【精霊の声とか言ってるやつもいたなー】
    【精霊って! 流石に無茶苦茶だなそれ!】

     荒唐無稽な噂を流した後は一旦状況確認のために十六夜ノノミが拉致されている場所へと視点を移す。
     ちょうどそこでは、十六夜ノノミが何かを探そうと拉致犯に提案をしている場面であった。

    【あの、それじゃあ攫われたというのは一旦伏せてホシノ先輩に探してもらうというのはどうでしょう?】
    【ほむ?】

    「おお?」

     なんだか分からないが攫われたことを伏せる、ということだけは有難い話だった。
     そして眼前で行われるおぞましき『死の神』召喚の儀。十六夜ノノミと『死の神』が話せる状況が出来上がってしまったら一貫の終わりである。

  • 162125/03/10(月) 13:06:20

     突然発生した『死の神』と小鳥遊ホシノの動きを止めるというあまりに無謀なミッション。

     そこで目を付けたのがビナーであった。

    「ビナーは栗浜アケミの干渉によって奥空アヤネが率いていた『お掃除部隊』とやらの活動範囲に近い……。ならば誘導も可能なはず……!」

     『死の神』を探す小鳥遊ホシノがうろつく地区で、今度はビナーの目撃情報とも思えるような噂を流す。
     それからビナーの誘導を行い、続けて精霊がどうとか言っていた商人をビナー撃退に向かわせる。

    「最悪バレるかも知れませんが、命乞いのための既成事実だけは作っておかなければ……!」

     そうして今度はニヤニヤ教授の潜伏先を探して見つけた地下生活者は、こんな事態を招いた元凶――即ち"声"に気が付いたという事実を思い込みに変えるべく囁き続けた。

    (直接使われたから? いや、それは流石に直接的過ぎるかもしれない)
    (だったらカイザーを調べたから分かった、というのはどうだろうか)
    (カイザーCEOのことを調べていくうちに"声"の存在に勘付いた、というのは悪くないのかも知れない)

     声を聞いたということから目を逸らさせ、十六夜ノノミに聞こえるようカイザーという名前を使わせた。

    (十六夜ノノミとの会話がどうにも噛み合ってないような……)

     噛み合っていない会話だと露呈させるためにもう一手。

    (これ……もしかして私の勘違いってことですかね……?)

     全ては自分の勘違いだという結論に持って行かせるために、ひたすら傍で囁き続けた。

  • 163125/03/10(月) 13:06:34

    (声が聞こえたと思ったことこそが自分の思い込みだった……?)
    (ではそれがもし、情報屋がその素人とやらに自分の調査結果を写させていたとしたら……?)
    (評価の偽造。仕事のコネクション結びの一環としてそういった不正を働いていた可能性は本当になかったのか……)
    (ある。否定しきれない)

     そしてビナーの急接近の首謀者とは誰なのか。その罪は誰が背負うべきなのか。

    (乗っかるなら今しかありません――!)

     そうして突き崩した既成事実から行うのは、ニヤニヤ教授が一体何故そんな勘違いをしたのかという噂の作成である。
     とはいえ、これに関してはニヤニヤ教授が十六夜ノノミに言ったことを分割してばら撒くだけだ。

     ネフティスがブラックマーケットの撲滅に乗り出したらしい。
     ブラックマーケットには妙な発明品が流れ着いているらしい。
     地下生活者とは犯罪者を表すスラングのひとつである。

    「何故キヴォトスでの自分の名を自分で貶めなくてはならないのでしょうか……」

     泣きたくなるが仕方がなかった。
     それでもやるべきことはやった。後は過去の事件から派生した噂話を信じった愚か者の仕業だと思ってくれれば問題は無い。

  • 164125/03/10(月) 13:06:52

     ほどなくして、ビナーはアビドス高校の五人と『死の神』によって撃退された。
     十六夜ノノミもわざわざビナー戦という大決戦を終えた後にわざわざ奇妙な誘拐をされたなんて言わないだろうし、そもそも忘れてくれたのかも知れない。

    「ひとまずこれで無事に切り抜けられたはず……。念のため見ておきますかね」

     そうして視点を砂狼シロコの方へと移した。
     自分たちの住む地区への帰り道。真昼の路上には人が多く、その只中でふと彼女は立ち止まる。

     じっと、通りの向こうの建物を眺めて……それからぽつりと呟いた。

    【……やっぱりそう。この時間帯は車も多い】

    「うん? どうかしたのですかなこの娘は」

     砂狼シロコはじっと建物から目を放さない。それは狩りを行う直前の狼にも見えて、何故か背筋に怖気が走った。

    【15分もすれば最高のロケーション……警察もすぐには来られない】

    「……待て、待ちなさい。何をするつもりなのですこの娘は?」

  • 165125/03/10(月) 13:07:05

    【……今日は銀行強盗日和、だね】

    「んなぁ!?」

     地下生活者は目を剥いた。そんな日があってたまるかと顎が外れそうになった。

    【でも……ホシノ先輩に怒られ――あ、聞こえる……】

    「何が!?」

    【え、銀行強盗をしよう……? ん、わかった】

    「それは小生ではなく貴様の声だぁぁあ!!」

     じゃきりと銃を構える砂狼シロコ。それを止めなくてはならない地下生活者。
     そんな構図は変わることなく、今日も今日とて地下生活者は「くるしい……」と漏らすのであった。

    -----

  • 166二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 13:15:52

    このレスは削除されています

  • 167125/03/10(月) 13:16:32

     ――如何だっただろうか。此度の物語は。
     つまるところ哀れな男の惨めな後日談とも言うべき話でしか無いのだが、これらは是非とも語って見せたいと思っていたのだ。

     地下生活者と来たら、せっかくの私の好意を無下にしたばかりかキヴォトスを壊しかけ、結局最期は主人公に相手にもされないという醜態をさらしたのだ。

     まさしく舞台装置以下。ただそこに居ただけの愚物であった。

     これは私から地下生活者へのささやかなる報復である。
     物語を締めくくる『おしまい』の後に世界はなく、この悲劇の終わりは観測すらされずに回り続ける。

     とはいえ、誰かが紡げば地下生活者の受難も終わりを迎えるかも知れないが……さもありなん。私はこの辺りで退場しよう。

     以上、語り部はフランシスがお届けした。それでは。

    --完--

  • 168二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 13:21:15

    このレスは削除されています

  • 169二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 14:35:46

    面白かったー!ありがとー!お疲れ様でした!

  • 170二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 15:13:26

    これにて幕引き 良い物語をご馳走様でした

  • 171二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 15:22:55

    相変わらずのお手前で感嘆の極みでした…

  • 172二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 15:24:01

    最高でした。
    作品集をまとめて欲しいレベル

  • 173二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 16:02:52

    さいこー!

  • 174二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 18:05:27

    おつ
    面白かった

  • 175二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 18:09:36

    地下生活者を免罪符に銀行強盗しようとするシロコ流石に面白すぎる

  • 176125/03/10(月) 19:47:28

    以上、地下ピがアビドスで頑張らざるを得なくなる話ですお疲れさまでしたァ!!

    どれもこれもみんな地下生活者ってヤツのせいなんだ! って言いたいがために書き始めましたが、思ったよりアビドスで起こるトラブルが思いつかなくて苦しかった……。

    三人称視点で書く練習も兼ねていたのですが、慣れないせいで一人称視点に戻りかけたりとガタつきましたね……。
    最初はオチを何とか付けようと考えていたのですが、はい。無理です。何も思いつかなかったので銀行強盗エンドです。

    次回はトリニティの話かミレニアムの話を書こうと思っておりまして、また近々お会いするかもしれません。
    もし「なんかスレ立ってんな」と思ったらちょっと覗いて保守してくれると嬉しいです。10時間は短いよぉ……。
    今回の話は清書もササっと済ませてpixivに上げる予定ですので、スレが残っていたら報告だけしに来るかも知れません。

    それでは、またどこかでお会いしましょう!

  • 177二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 00:09:32

    乙でした!
    地下生活者の苦難はこれからも続きそうですねぇ

  • 178二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 08:13:43

    乙でした!
    今回も面白かったです!

  • 179二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 17:16:23

    お疲れ!
    面白かったわ

  • 180二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 01:25:46


    すごく笑えた

  • 181二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 10:40:40

    「存在X」・・・・懐しい響きだな・・・・

  • 182二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 20:40:16

    カスミの過去話みたいなコミカル描写もいけるんか

オススメ

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