- 1◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:28:27
- 2◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:29:14
グラスワンダーが薄暗い部屋の中に入っても、部屋の主である男は反応を示さなかった。
時刻は既に十七時を回っている。春が近づけどこの時間は既に日が傾いていて、明かりをつけなければ気が滅入ってしまいそうだ。そんな部屋の中で男は無言のまま、手元のタブレット端末を見つめている。彼の顔は画面から漏れる光でぼうっと照らされていて、お化け屋敷もかくやといった具合である。
「トレーナーさん?」
「……」
少女は無視されたのかと思ったが、なるほど。薄暗くてよく見えなかったが、どうやらワイヤレスイヤホンをしているらしい。男が先日購入したばかりのそれはグラスワンダーとお揃いだ。
余談だが、ウマ娘の耳の構造上有線のイヤホンはどうしても使いづらい。少女が新調するというので男も一緒にワイヤレスにしてみたところ思ったよりも使い勝手がよかったらしく、彼はかなり満足している。少女もたいそう満足気であり、これ見よがしに使っている様子が学園内で散見されているところだ。
「……♪」
ならばと、少女は男に気づかれないよう抜き足差し足で背後に回り込んだ。覗き見をすることになる罪悪感もあったが、愛バそっちのけでタブレットに現を抜かす男をちょっぴり驚かせてやりたいという悪戯心が、それを上回ったらしい。 - 3◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:30:02
「……なにをしてらっしゃるんですか~?……え?」
男に気づかれないようぽしょぽしょと囁く少女は、画面を見るや驚きの声を上げてしまった。
「ん?……わぁっ!?ぐ、グラス、来ていたの!?」
それによって男は遂にグラスワンダーの存在に気が付き、浮気現場を押さえられたのかというくらいに慌てふためいている。画面――再生中の動画が流れ続けている――を申し訳程度に腕で隠し、あたふたとイヤホンを外している。
「ご、ごめんよ。動画に集中していて、気づかなかったみたい」
「いいえ、大丈夫ですよ~私の方こそ、驚かせてしまって申し訳ありません」
受け答えのどさくさに紛れてタブレットのカバーが閉じられる。ぱたりという音は、「この話題はもうお終い!」という男の心の叫びを代弁しているかのようだった。
けれど、厳しいレースの世界を生きるウマ娘にそんな生ぬるい手が通じるはずもない。
「あの、トレーナーさん。見間違いでなければ、音楽を聞いていらっしゃったようですが」
「え、ああ、うん。まあ、そうだね」
何とも歯切れが悪い!別に如何わしい動画を見ていたわけではないし、勤務時間だって過ぎている。それにこのタブレットは男の私物であるから、疚しいことは何一つないのである。けれど男は明らかに挙動不審で、職務質問をされた不審者みたくなっている。
「……それに、私が歌う動画をご覧になっていたようで……見間違いでなければ、ですが」
「……そうです、ハイ……グラスの歌を聞いてました……」 - 4◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:30:58
すべてを見られていたと悟った男は観念したように、閉じたばかりのタブレットを開いた。
輝きを取り戻した画面の上半分にはグラスワンダーがいてこちらに向かってウィンクをしており、下半分はこの動画を見た人々のコメントで溢れている。華々しい主役と、名もなき観衆たち。さながら現実のライブ会場のようで、少し面白い。
コメント欄をスワイプして流し見する男の顔は僅かに赤みを帯びていて、恥ずかしさを誤魔化そうとしているようにしか見えない。
「ふふっ♪もう、なんでそんなに小さくなるのですか~?何も悪いことなんてされていないのに」
「いや、本人を前にするとなんだかね……」
男はぽりぽりと頬をかきながら照れくさそうにしている。というのも、彼が聞いていたのはレース後に行われるライブで披露された歌ではないからだ。
学園に所属する有力なウマ娘の中には、持ち歌がある者もいる。グラスワンダーもその一人だった。彼女の優しい歌声でしっとりと歌い上げられるバラード調のそれは人気で、有名アーティストと遜色ないほどの再生回数を誇っている。男も、そのうちの一回に貢献している人間に他ならなかった。
「私は嬉しいですよ~ありがとうございます♪」
「僕の方こそ、いつも君の歌から元気をもらっているよ。ありがとう」
いつも。そう、いつも。男の不意打ちに、今度は少女が顔を赤くする番。
「……いつも、聞いてくださっているのですね~♪」
「え?あっ!いや、それは言葉の綾というか……いや、違くはないんだけど……!」
彼女もそれを誤魔化すための隠れ蓑として言葉を紡いだのだが、いやいやごにょごにょと弁明に忙しい男はそれに気づかない。あまりにも勿体ないが、少女にとってはラッキーだった。
「ふふっ♪それに、コメント欄までご覧になって……トレーナーさんも、何かコメントしたのですか?」
男よりも早く平常心を取り戻した少女はそそくさと話題を変えて、自分の優位を保つ。さすがG1バといったお手並みである。
「あ~、いや。僕がコメントしたんじゃなくてね……う~ん、なんていうか、その……」
「?」 - 5◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:31:19
うじうじとしているのは変わらないが、先ほどとは少し様子が違う。
それにしても、今日の彼は嫌に歯切れが悪い。どうしたのだろうか?
そんな疑問に答えるかのように慣れた手つきでコメント欄をスクロールした男はとあるコメントを見つけると動きを止め、眉を八の字にして苦笑を浮かべた。男の隣から覗き込んだ少女が画面の中のコメントを捉える。
@187tha5t94・1か月前
今も聞いている人いる?
👍2 👎 💬
1件の返信>
@654gatic8634・3週間前
この手のコメント嫌い。
失礼だと思う。
👍1 👎 💬
「何というか、ままならないものだなぁと思ってさ」
「……なるほど」
得心したのか、少女はそう一言返すだけだった。学生とはいえ彼女は一廉の競技者であり、著名人。こういったことに関しては、そんじょそこらの大人よりも造詣が深い。
「ごめんね、こんなものをわざわざグラスに見せて」
「いえいえ、別に気にしていませんよ~」
実際、彼女は気にしていない。なぜなら、どちらのコメントにも共感する部分があったからだ。うまく言葉には表現できない。けれど、これらを白と黒、善と悪の二元論で断じることは間違いであるような気がしてならないのである。
- 6◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:32:03
「……トレーナーさんは、どう思います?」
ふと、そんなことが気になった。男は、このことについてどう考えているのだろうか、と。自分がうまく表現できないこれを、彼はどう表現してくれるのだろうか、と。
自分と同じだったら嬉しいな、と思いながら尋ねる少女の姿には、年相応の子供らしさがあった。
「……正直、どっちの言いたいことも分かるんだよねぇ」
「ふふっ、私もです~」
「ほんと?じゃ、お揃いだ」
「お揃いですね~♪」
少女の質問には理想的な回答が返され、少女は耳をぴこりとさせて答える。
貴方と私は違うからこそ、同じことを思っていたらとめどなく嬉しい。動画共有サイトのコメント欄とはそれを確認する場のように思われるが、一歩間違うとこの画面の二人のようにいがみ合ってしまう。それは仕方のない茶飯事かもしれないが、やはり物悲しい。
「どう思うか……うまく表現できないんだけれど、一つ確かなことがあるとは思うんだ」
「それは、どのようなことでしょう?」
上機嫌な少女は男の隣にぴったりとくっついているが、もはやそのことを意識していないくらい自然な様子だった。男の方も彼女とのやり取りに夢中で、己の左半分に触れている少女の柔らかな肢体に気付かないでいる。 - 7◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:32:38
「この動画に集う人はみ~んなグラスのことが大好きで、それは確かなことだと思うのさ」
「……なる、ほど」
その発言がどんなことを意味するか、先ほどまで動画を見ていたこの男は気付いているのだろうか?
至近距離からの一撃に、少女は身じろぎする。思わず飛びのいてしまいそうになるが、そんなことをしてしまっては彼に気づかれてしまう。それはもったいないし、嫌。男がこの状況に気づいて恥ずかしがるならよいが、自分がそれをしてしまうとなんだか負けたみたいで、嫌。
「そして、コメントをしている人はさ。グラスのことを語りたくて語りたくて仕方ない人ばかりだと思うんだよ」
「……」
だから残念なんだよね、同好の士なのにさ、と呟く男は、隣の少女が黙ってしまっていることに気が付かない。
さもありなん。だから先ほど少女が赤面したことにも気付かないし、いつまでも彼女の掌の上で転がされているのだ。
けれど、少女の方も男が知らないうちに彼の掌の上でじたばたのたうち回っていることがあるから、お互い様なのである。
「……では、トレーナーさんも」
「ん?」
やはり少女は、いつの間にか落ち着きを取り戻している。告白まがいのことをされたとて、一呼吸つく間に顔の火照りすら残さない。 - 8◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:33:15
「トレーナーさんも何か、コメントをしてください」
そんなことを眉一つ動かさずに宣う少女はやはり、男と同類だ。いや、彼の発言告白を紐解き、それを利用している分彼女の方が強かなのかもしれない。
「……いいけど、見られているとやっぱり恥ずかしいなぁ」
「では、私は向こうに行きますね~」
男の発言は、少女にとって渡りに船と言えた。これ以上彼の隣にいたら何を言われるか分かったものではない。
少女は彼のデスクから離れ、いつも二人で作戦会議をするソファへ席を移した。
「え、と……っしょ」
男の方はというとほんの少しだけ悩んだようだったが、すぐにぽちぽちとコメントを入力してあっという間に投稿したらしい。タブレットを閉じて、少女の隣へやって来た。
「どんなコメントをされたのですか?」
「それは、内緒かな~」
男がそう答えることを、少女は何となく予想していた。くすりと笑った彼女は満足気で、もうすっかりいつものグラスワンダーだった。
「それは残念です~」
「まあ、この言葉はいつか、正々堂々自分の口から伝えたいからね」
「まあ~♪それでは、その時をいつまでも、お待ちしていますね~」
「うん。もうしばらく、待っていてほしいな」
ユーザーネームは、互いに知らず。ただ一つ言えるのは。新しいコメントとそれに対する返信がそれぞれ一つずつ、投稿されたということだけ。 - 9◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 21:34:25
以上です。
いつもたくさんの人が読んでくださったり感想をくださったりしてとても嬉しいです! - 10二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 21:37:50
読み終えてからタイトルを見直したけど
オシャレ過ぎません???
めっちゃ良い……そしてSSを書く際の勉強になります…… - 11二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 21:37:53
乙!グラスの人!
憂鬱な日曜の夜に狙ったように逸品を調達してくれたねえ…
おかげで3月のスタートはバクアゲで行けそうだぜ
>>どちらのコメントにも共感する部分があったからだ。
わかるんだよねえ~…投稿者じゃなくても、今でも聞いてくれる人がいる嬉しさを共有したい気持ちも、それに「なんだかなぁ」という気持ちを持つ二律背反…
グラトレとグラスの甘い仲はもちろん、こういう他者同士の気持ちの落としどころをうまく纏めてくれるってのは読後感が実にすっきりするねえ。
- 12二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 21:40:00
- 13◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 22:00:34
- 14◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 22:03:27
いつもありがとうございます!バクアゲの方……でいいでしょうか?
私も貴方の感想でいつも元気を頂いているので、本当に頭が上がりません。
文章についても、ありがとうございます!
『投稿者じゃなくても、今でも聞いてくれる人がいる嬉しさを共有したい気持ちも、それに「なんだかなぁ」という気持ちを持つ二律背反…』まさにそういうことが言いたかったので、伝わってうれしいです!
- 15◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 22:04:21
- 16二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 22:56:39
乙ぽん
グラスってよぉぉぉぉ~~~~…刺さる人には心臓貫くくらい行くんだわなこれが
いちゃつきが「公開設定」になったらそりゃぁもうだれにも止められないんじゃないかこれ - 17◆gLu80WxKDuQo25/03/02(日) 23:07:41
- 18二次元好きの匿名さん25/03/02(日) 23:12:31
グラスはもうオナカ一杯…胸はおっ杯、なので
リクエストでアストンマーチャンを - 19◆gLu80WxKDuQo25/03/03(月) 07:03:08
- 20二次元好きの匿名さん25/03/03(月) 16:18:20
いい話でした
タイトルで完成する感じ好き