ソリテールと学ぶ日本生まれの洋食

  • 1二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:17:38

    皆さんのお久しぶり。みんなのアイドル、ソリテールよ
    私も登場するだろうアニメ2期が決まった記念にスレを立ててみたわ

    今日は日本で生まれた洋食を紹介していくわね。短いけどお付き合いよろしく

  • 2二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:20:49

    久しぶりに見たなソリテール…

  • 3二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:27:41

    まず最初に紹介するのは王道中の王道、スパゲッティナポリタンよ

    TV番組とかYouTubeで「イタリア人にナポリタンを食べさせてみた」っていうのがよくあるけど、

    実はこのパスタって元々は外国人向けに作られたものなの


    原型となるものを作ったのは横浜に今もあるホテルニューグランドの初代総料理長だった

    スイス人シェフのサリー・ワイルよ


    彼は近代フランス料理を完成させた偉人オーギュスト・エスコフィエの料理に傾倒していて、

    彼の料理に学びながらヨーロッパのあちこちで修行をして郷土料理に通じていたシェフなの

    このワイルが作ったとされるのが「スパゲチ ナポリテーイン」、裏ごししたトマトとチーズのソースを掛けたパスタだっと言われているわ

    後にホテルニューオークラの総料理長として「日本のフランス料理の父」と名を馳せる小野正吉シェフはワイルの弟子なんだけど、

    「ナポリタンの作ったのはワイルさんだ」と証言しているの


    けど、そのナポリタンを更に現代の形にしていったとされるのがワイルの後任で

    ワイルの後任で二代目の総料理長だった入江茂忠シェフだと言われているわ

    戦後、ホテルニューグランドはGHQに接収されてマッカーサーが泊まっていたことでも知られるのだけど、

    進駐軍が具なしのケチャップパスタを食べているのを見た入江シェフがケチャップだけでは味気ないと考えて、

    現在のような具沢山の炒めナポリタンを考案したと言われているわ


    つまり、ナポリタンの原型を作ったのはスイス人シェフで、完成形を食べたのは進駐軍と実は外国人向けパスタだったのよね

  • 4二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:37:18

    ナポリタンは有名だけど原型作ったのって日本人じゃなかったのか

  • 5二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:41:06

    久々のうんちくソリテールちゃんスレ楽しみ
    保守します

  • 6二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:44:48

    次に紹介するのはドライカレーよ

    ドライカレーは一般的に炒飯系と挽き肉系があると思うけどここで紹介するのは挽き肉系ね


    このタイプのドライカレーを考案したのは、名前は伝わってないのだけど日本郵船が運行していた

    欧州航路船「三島丸」で船付きのコックしていた調理人だったと言われているわ

    この調理人は長期の船旅で食欲を無くした客のために煮詰めて汁気のなくなったカレーを作ったと言われていて、それがドライカレーの始まりね

    ちなみに日本では定番というか当たり前になってる「カレーに福神漬を添えること」を始めたのも三島丸なのよ


    三島丸は関東大震災の際には横浜港に停泊していて、波止場まで逃れてきた多くの避難民を救助した船でもあるのよ

    救助した被災者の数は3000人を超え、船医は1000人以上の患者を診たと言われているの


    そして震災後、横浜の新たなシンボルとなる「外人ホテル」を建設しようと計画されてできたのが>>2のホテルニューグランドで

    その初代料理長として招聘されたのがサリー・ワイルってわけ

  • 7二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:44:51

    祝!]復活のソリテールのうんちくスレ!

  • 8二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:45:13

    そういや前にも料理や菓子について色々教えてくれるソリテールいたな

  • 9二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:04:14

    お次はみんな大好きポークカツレツよ♪

    カツレツフランス料理のコートレットを元にしていて、この料理は薄切りにスライスした仔牛肉に

    パン粉を付けて炒め焼きするものなの

    このコートレットを「吉列 Cutlet コットレト」と紹介したのが最近1万円じゃなくなった福沢諭吉で、

    吉列は広東語で「カッリッ」と読むことから、次第に変化してカツレツになった、と言われているわ


    コートレットは前述のように仔牛肉を使うのだけど日本は現在においても仔牛肉を食べる文化がないでしょ?

    西洋料理が入ってきた明治・大正時代なんて牛肉食自体がまだ未発達だったから、

    当然仔牛肉なんてなかなか手に入るものじゃない。輸入しようにも当時の冷凍技術はイマイチだった

    そこで手近な鶏肉や普通の牛肉なんかを代用していたのだけど、次第に手に入りやすい豚肉で代用されるようになって

    「ポークカツレツ」として完成させたのが今も銀座にある老舗の洋食屋「煉瓦亭」だとされているわ

    この煉瓦亭のポークカツレツが発展したのが日本のとんかつであるとされるんだけど、

    発祥に関してはこれまた今もお店が現存する「ポンチ軒」や「王ろじ」とか色々な説があって特定は難しいの


    ところでポークカツレツ登場後もビーフカツレツは廃れたわけじゃなくて、主に軍隊や外国人向けのレストランや

    公使館なんかでは牛肉のカツレツも振る舞われたとされているわ

    軍隊調理法にも記載があって陸軍の兵食として人気だったそうよ

    天皇の料理番として知られる秋山徳蔵も陸軍連隊の将校集会所で食べたビーフカツレツの味に衝撃を受けて

    西洋料理の料理人を志したとされていて、これはドラマ化もされたから有名よね


    また、関西ではとんかつじゃなくてビフカツが主流だけど、関西では農耕用の牛がたくさんいたので牛肉が手に入りやすかったこと、

    現在でもそうであるように神戸牛とか松阪牛とか牛の産地が関西には多いでしょ?

    その影響もあって関西はビフカツの方が定番になったらしいわ

  • 10二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:06:29

    ほしゅ

  • 11二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:20:01

    お腹が減るスレ

  • 12二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:20:38

    昨日今日と凄い冷えるわよね?

    そんなときに食べたいのがアツアツのドリアだと思わない?


    このドリアを考案したのも>>2に登場したホテルニューグランドの初代料理長サリー・ワイルで、

    ワイルがあるとき体調が優れないニューグランドの宿泊客から「なにか喉越しの良いものを」と頼まれて作った即興料理なの

    体調が悪い客にドリア? おかゆじゃなくて? と思ったそこのあなた、それって日本人的な考えよ

    欧米人はむしろ体調が悪いときにこそしっかり食べて栄養と体力を付けようって感じなの


    こんな話があるわ。日本でいちばん有名なフレンチの三國シェフがフランス修行時代の最後の年、

    当時、フランス料理界の「モーツァルト」と呼ばれた天才シェフ アラン・シャペルにいたときのことよ

    その日は夏の暑い時期で、賄い当番だった三國シェフはあまりの暑さにこれでは食が進まないだろうとさっぱり目のまかないを作ったの

    けれど、その賄いを食べた他のシェフやスタッフたちは不満そうにクリームやバターを入れた。それはもうドバドバと!

    折角みんなのことを考えて作ったのにと三國シェフは文句を言ったら、みんな不思議そうにこう返したというの

    「こう暑い日にこんな薄味じゃ力が出ないだろ。うちの母ちゃんやばあちゃんの料理もこれぐらいいれるよ」

    その答えに衝撃を受けて、三國シェフは日本への帰国を決意したというわ

    自分は暑い日は素麺や刺し身を食いたいし、どうあってもフランス人になれないことを痛感した、というわけね

  • 13二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:44:24

    たまに食べたくなるよなドリアって

  • 14二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:46:50

    こってりした料理が続いたから甘いものでもいかが?

    日本人が海外に行って驚くことの一つに「ショートケーキ」がないことってのがあるわ

    ケーキなんて西洋文化・お菓子の王道なのに実は生まれも育ちも日本なの


    考案したのは今から100年と少し前、1910年に横浜の元町に林右衛門という人が「FUJIYA」という洋菓子店を創業したの

    そう、これが今も存在するぺこちゃんでお馴染みの不二家なのよ


    林右衛門は外人シェフが多かった横浜の街で彼らの頼み込んでケーキ作りを教わり、

    日本で始めて「クリスマスケーキ」を売り出したのも不二家が元相ではないかとされているの

    大正時代になるとクリスマスケーキはもう大売れで、実はクリスマスにはケーキを食べるって日本だと100年以上前からある習慣なのよね


    さて、ショートケーキの話に戻すけど林右衛門は1912年に渡米してアメリカの菓子店で「ショートケーキ」を目にするの

    それはサクサクしたビスケット生地に生クリーム、イチゴを重ねたもので

    日本人が堅いものよりも柔らかいものを好むことを知っていた林右衛門はこの土台をビスケットからカステラ風の柔らかい生地に変更して、

    ショートケーキとして1922年売り出した。これが日本のショートケーキの先駆けなのよ


    やがて、1924年はフランスで本格的な菓子作りを門倉國輝が帰国してコロンバンを創業

    日本人好みの洋菓子が必要であると考えた門倉は、やはり当時日本人に広く受け入れられていた南蛮菓子のカステラを元に

    ショートケーキを考案したと言われているわ


    洋菓子の代名詞みたいな存在なのに日本生まれの日本育ちなんて、なんだか不思議だと思わない?

  • 15二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:54:09

    今まさにショートケーキ食べてたわ
    こいつにそんな歴史があったとは

  • 16二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:54:29

    普通に面白い話だな

  • 17二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 23:09:48

    (腹が減ってきたな)

  • 18二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 23:15:45

    久しぶりでもう眠くなってきたから、本日最後に紹介するのはプリン・ア・ラ・モードよ

    甘いものが連続するなんて早くネタ切れかよとか思ったそこのあなた、

    私のデザートにされたくなかったら口を慎みなさい?


    コホン、パーラーとかちょっとお高めの洋食屋さんなんかで見かけるこのデザートだけど

    実はこれも横浜のホテルニューグランドで考案されたものなの


    ホテルニューグランドがGHQに接収された話は既にしたと思うけど、そこに住んでた将校の奥様方、

    つまりは御婦人向けに作られたものなのよね

    ア・ラ・モードは「洗礼された」「流行の」を意味するフランス語で、将校夫人が命名したと言われているわ

    ちなみにニューグランドではテイクアウト用に可愛らしいサイズのプリン・ア・ラ・モードも売ってるのよ


    ところで当時のプリン・ア・ラ・モードのりんごは矢羽根を模した「アローカット」で切られていたそうなのだけど、

    この繊細な技術に感動して命名したってわけね

    只、このアローカットがどんな切り方なのかは検索しても出てこないから謎のなのよね……知ってる人がいたら教えてほしいわ

    ちなみに現在のホテルニューグランドのプリン・ア・ラ・モードのりんごは画像みたいにうさぎさんよ

  • 19二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 23:42:33

    お疲れソリちゃん
    今後に備えてなんかうまいもん用意して待機するわ

  • 20二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 09:20:52

    面白い!
    次はなにかな?

  • 21二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 10:39:27

    おはよう。スレが落ちるのが今は12時間後じゃないとしってちょっと焦ったソリテールよ。

    本日紹介するのは美味しいけどなかなか食べる機会がないエビフライ

    これも洋食と言えばな料理だと思うけど実は日本生まれなのね


    今、エビフライといえば名古屋めしだから名古屋が発祥の地に違いない、と思った人いるでしょ?

    残念だけどエビフライってそもそも名古屋の名物でもなんでもないのよ

    遡ること40年ぐらい前、当時大人気だったお笑いタレントのタモリが自身のラジオでこんなことを言ってたの

    「名古屋弁では(エビフライを)エビフリャーと言う!」


    これは名古屋人を揶揄する謂わば「ネタ」だったんだけど、タモリのラジオにはとても影響力があったから

    リスナーどころか一般人までエビフライは名古屋めしの一種なんだ! と勘違いしたってわけ

    このネタに便乗してエビフライを出すようになったお店も出てきて、今では専門店もあるぐらいよ

    元々、三河湾は日本有数の車海老の産地だったし、名古屋めしには海老天をおにぎりにした天むすがあるでしょ?

    だから、エビを食べたり揚げたりする文化自体は当たり前にあったってことね


    面白いで……あ! エビフライがどこで生まれたかを書いてなかったわね

    エビフライの誕生も諸説あるけど有力なのは>>9のポークカツレツでも登場した銀座の煉瓦亭よ

    ポークカツレツが好評だったことから色々なものに衣をつけて揚げてみたんだけど、

    その中で人気が出たのがエビフライだったってわけ

    横浜のニューグランドもそうだけど、洋食の発祥地って大体同じところが源流だったりするのよね

  • 22二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 12:05:04

    そういえば最近美味しいエビフライ食べてないな…

  • 23二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 12:24:07
  • 24二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 13:25:23

    >>18

    アローカットってこれですかね?

    https://images.app.goo.gl/tBWBJTKJaEmExsDK9

  • 25二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 13:31:27

    横浜多いな

  • 26二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 13:36:19

    >>24

    それはリーフカット

  • 27二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 14:16:18

    相変わらず面白い
    今日はエビフライ食べよっかな

  • 28二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 15:43:55

    >>9

    俗説すぎ


    明治5年の西洋料理指南という本にすでに子牛の油煮にならんで羊と豚が上げられてる(レシピはうどん粉と卵とパン粉で衣をつけて油で煮る、つまり揚げてる)

    今の所の肉のパン粉揚げ(カツレツ)の初出なので、煉瓦亭はお呼びじゃない

    ついでに言うと、明治21年発行の軽便西洋料理指南では牛肉カツレツ、鶏肉カツレツ、豚肉カツレツが「カツレツ」の名前ですでに載っている

    ちなみに煉瓦亭の創業は明治28年ね

    ここは色々な起源を主張してるけど信用できないよ

  • 29二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 16:29:09

    >>28

    一応、ソリテールとして答えるわね。ポークカツレツの煉瓦亭発祥説はWikipediaを始め広く伝わってる話だけど、

    より学術的な根拠がほしいのであればキッコーマン国際食文化研究センターがオススメね

    ここはお醤油でおなじみのキッコーマンが作った研究機関なんだけど、HPに過去の館内展示を紹介するページに

    カツレツについての記載があってポークカツレツの知恵者が煉瓦亭の二代目主・木田元次郎さんであることが記されているわ

    洋食 欧米食と和食との融合 コロッケからカツレツそしてトンカツまで|キッコーマン株式会社www.kikkoman.com


    そして、>>28の言う西洋料理指南についてもキッコーマン国際食文化研究センターに記載があって、

    この本の成り立ちについて触れられているわ

    でも、ここには「しかし当時これを見て西洋料理を作ろうとする人はいなかった。こういった一連の本は西洋の文化の香りを楽しむためのエッセンスだった」と書かれていて、

    実際にこの本を元に西洋料理が作られてはいなかった、というのが研究結果らしいわね

    洋食 欧米食と和食との融合 『西洋料理通』と『西洋料理指南』を読む|キッコーマン株式会社www.kikkoman.com


    煉瓦亭の主張にどの程度の理や根拠があるかは分からないけど、しっかりとした研究機関も肯定していることだし、

    その研究成果に関しては尊重しても良いのかな、って私は思うわ

    でも、あなたが胡散臭いと思う気持ちを否定はしないし、このスレがお気に召さなかったら回れ右してくれていいのよ

  • 30二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 16:33:54

    ピラフも紹介してほしい

  • 31二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 16:35:44

    このレスは削除されています

  • 32二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 16:39:09

    >>29

    研究機関のサイトとかどっから探してくるんだそんなソース・・・さすがソリテール

  • 33二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:08:41

    >>30

    残念だけどピラフは日本発祥の料理じゃないのよ……

    でも、せっかく頂いたリクエストだからちょっとうんちくを披露してみるわね

    みんな、ピラフって聞くと画像みたいに炒飯っぽい炒めたご飯を想像すると思うけど本来のピラフが

    水ら炊き込んだ、炊き込みご飯に近いものってのも最近では有名よね?

    この料理の原典はインド、そしてペルシャ(今のイランよ)にあるっていうのが専らの説で中東料理に分類されるの


    じゃあ、そんなピラフが日本でいつから食べられていたのかって言うと……いい? これきっとびっくりするわよ

    なんと、奈良時代には日本でもピラフが食べれていたの!


    これは植物油セミナーの講演「日本の食文化と植物油」で詳しく解説されているのだけど、

    古くは奈良時代に「油飯(あぶらいい)」という料理が存在していたの

    第29号www.oil.or.jp

    更に平安時代の辞書『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に、この「油飯」についての解説があって、

    「ごま油にて飯を炊く」と言ったようなことが書かれているそうよ

    日本は室町時代に至るまで油炒めや揚げ物といった調理文化がなかったから当然これは炒め飯ではないわよね

    ということは、おそらくご飯を炊くときに水と一緒にごま油を入れて炊いたものだろうと推測されるの


    講座を担当した伝承料理研究家の奥村彪生先生は、ややロマンめいた話だけどこの料理がペルシャから伝わったものだと考えていて、

    現在のペルシャでもご飯を炊くときは良くごま油で炒めていることに想像の翼を広げているわ

    奈良時代にはもうピラフと同じようなものが食べられていたって、なんだか素敵じゃない? だってフリーレンが生まれるよりも前の話なのよ

  • 34二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:14:55

    このレスは削除されています

  • 35二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:15:10

    このレスは削除されています

  • 36二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:36:55

    見てるだけでお腹すいてきた

  • 37二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:41:34

    >>35

    反論があるかないかと言われたらレシピとして紹介されたのはそうである、というぐらいかしら

    近代食文化研究会によれば「軽便西洋料理指南」は当時の待場の洋食屋のレシピを載せていて、

    口述したフランス人のマダーム・ブランなる人物は存在しない嘘っぱちの本ってことになるらしいけど

    フランス人からの口述っていう嘘で書かれた本だけにカツレツをどこのお店で出していたのかは載っていないんじゃないかしら?

    残念ながら私自身は未検証なので何とも言えないっていうのが本音になるわね。不勉強でごめんなさい


    一方で、たとえばPlenus米食文化研究所なんかは公式サイトの洋食ルーツヒストリーで

    >明治32年(1899)に千切りの生キャベツを添え、ご飯と食べるスタイルを開発した銀座煉瓦亭の「ポークカツレツ」

    って記載があるから今日のとんかつに繋がるスタイルの開発者、という見方もできるわね

    洋食のルーツ 西洋料理の民間への広がり | 洋食ルーツストーリー | Plenus 米食文化研究所www.plenus.co.jp


    只、所謂とんかつの研究というのはその大部分が「とんかつの誕生: 明治洋食事始め」って本が根拠になっている部分も多くて、

    それに対する異議を唱える論文が日本国際情報学会誌『国際情報研究』16 巻 に掲載されてるの

    www.jstage.jst.go.jp

    あなたは詳しそうだからこういう話も知ってるかしら?


    けど、この論文でも「煉瓦亭は日本洋食のとんかつの成立に関係し、普及に大きな役割を果たしたことは間違いない」とは書かれているから、

    私は俗説とまでは思わないというのが結論かしらね

  • 38二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:44:53

    素人なんですがなんで国際情報研究にとんかつの論文が載るの???

  • 39二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 17:49:58

    あにまんって飯ガチ勢多いとはいうけど原作戦闘シーンみたいな静かな殴り合いだわこれ

  • 40二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:03:28

    このレスは削除されています

  • 41二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:04:16

    ちなみにこれは後で解説するつもりだったけど煉瓦亭が元祖を主張している料理は他にも幾つかあって
    現在まで営業しているが故の利点とも取れるわ
    実際、2017年以降は煉瓦亭発祥説に異を唱える
    みたいな論文が複数出てきたけど、古い話だけに諸説あるって状態で
    定説は揺らいだけど明確な検証結果としてはまだ足りないってのが私の考えね

    当時を知る人はもうお亡くなりになっているけど、2017年になって定説が揺らいだように後の人々が
    もっと確かな説を発表してくれるかも知れないわ。私はそれを待っても良いのかなって思うの

    まあ、いずれにせよスレの趣旨とは少しズレちゃうからこの話はここまでにしておきましょうか

  • 42二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:06:40

    チキンカツはたまに食べるけどトンカツは最後に食べたのいつだったか思い出せん…
    この時間に食べ物の話はお腹が空くわ

  • 43二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:30:04

    ステーキ食べてお腹いっぱいにしてきたから心置きなくこのスレ開ける

    あかん、今度はとんかつ食いたい

  • 44二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:39:31

    私はちょっとクールダウンする必要があるので、次のお料理はこの人に紹介してもらうわね

    オックスフォード大学の教授(を目指す)平賀=キートン・太一先生よ



    みなさん、こんにちは。平賀=キートン・太一です

    さて、皆さんは民話や童話の類似性というのをご存知でしょうか?

    たとえば、童話「シンデレラ」には著名なシャルル・ペロー版やグリム童話版以外にも、

    17世紀に南イタリアで書かれたものや、古代ローマにまで類似の作品があると言われています

    それと同じように食文化でも全く違う土地で同じような料理が出されている、ということが多々あります


    私が今日紹介するのは「トルコライス」と「エスカロップ」の例です

    トルコライスの方が有名なので知っている人も多いかと思いますが、ピラフ、スパゲッティ、トンカツをワンプレートに盛り付けた

    長崎県の郷土料理、所謂ご当地グルメというやつですね



    「トルコ」ライスという名称ではありますが、こうした料理はトルコでは見られません

    皆さんも御存知でしょうがトルコはそもそもイスラム国家の一つですから、豚肉食はイスラム教の禁忌です

    宗教上食べることはできませんし、豚という生き物そのものが忌避されているとも言われています

    では、なぜトルコという名前なのか? 命名にはこの料理の発祥含めて諸説ありますが、いずれも確証は得られていません


    明確なのは戦後に長崎で開発された、ということだけですが、

    戦後の川崎・横浜ではケチャップライスの中にカツを入れたものを提供していたという事実があり、

    更に横浜のミツワグリルでは「ケチャップライスの中では分かりづらい」としてカツを上に載せたものをトルコライスとして提供しています



    これが偶然同じメニュー名となったのかは定かではありませんが、このような現象は日本各地で見られます

  • 45二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:43:32

    >>42

    いいかしら学生さん?トンカツをね、トンカツをいつでも食えるくらいになりなさい

    それが人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなのよ

  • 46二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 18:54:04

    >>45

    ソリテール様がとんかつを求めてお口あーんしてるように見える……

  • 47二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 19:02:17

    さて、次に紹介するのは北海道は根室の郷土料理エスカロップです


    この料理は簡単に説明すると、ケチャップライス又はバターライスにポークカツレツを載せて

    その上からドミグラスソースをかけた料理であるとされていて、長崎のトルコライスと非常に酷似していることが分かります

    ケチャップライスを使用したものを赤エスカ、バターライスを使用したものを白エスカとも呼び、

    元々は体力を使う漁師たちのために考案された漁師めしの一つだったと言われています


    ちなみにトルコライスとの違いはスパゲッティナポリタンの有無ですが、

    エスカロップも当初のレシピではスパゲッティナポリタンの上に牛カツを載せていたとされており、

    群馬県高崎市の老舗料理店シャンゴが提供しているシャンゴ風パスタなどを思い出した人もいると思います

    しかし、この料理も又、釧路ではソウルフードのスパカツとして親しまれており、ここにも食の類似点があるんです


    そして福井県で展開するチェーンのヨーロッパ軒では「スカロップ」という名前でスパゲッティナポリタンの上にデミカツを載せたものが提供されていますが、根室のエスカロップとの関連は不明です

    同じ人間が考えること、と言ってしまえばそれまでですが、その土地の郷土料理、ご当地グルメと思われているものも様々な場所で似たメニューが提供されていることは多々あり、

    ここに食文化の面白さがあるのではないかと私は思います


    最後にトルコライスとエスカロップを食べてみたい方に、首都圏にお住まいであれば秋葉原に「長崎トルコライス食堂」というお店があったり、

    都内を中心にチェーン展開している「神田グリル」のメニューにも存在します

    一方ですかエスカロップですが数年前から大手スーパーのマルエツなどでエスカロップのお弁当が発売されており、気軽に楽しめるようになっていますので是非食べてみてください

  • 48二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 19:07:21

    米と揚げ物とソース
    麺と揚げ物とソース
    やつらは隙あらば男子の胃袋に満ちようとしてくる……

  • 49二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 19:15:43

    松山千春に北海道に呼ばれたさだまさしが、エスカロップとトルコライスの類似に驚いたとか
    1952年生まれのさだまさしの幼少期にあったのは確実なのよね
    GHQの将校夫人は長崎のグラバー邸周辺の洋館に駐在して「マダムバタフライハウス」と喜んだとか

  • 50二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 19:18:02

    トルコライスは快活クラブに置かれてから知名度上がったイメージだな
    やっぱり全国展開してるネットカフェは強い
    エスカロップは洋食屋行くしか無さそうだけど

  • 51二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 20:22:52

    >>45

    トンカツ大王懐かしいな

    あれも美味そうだった…

  • 52二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 23:12:37

    洋食雑学スレ助かる
    料理全般詳しそうなソリテールだな…

  • 53二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 00:25:54

    キートン先生ありがとう。

    揚げ物の話題ばっかりが続いてみんな口直しをしたいんじゃないかしら?

    今夜最後に紹介するのは「生チョコレート」よ


    固形のチョコレートそのものを開発したのはイギリス人で、

    ミルクチョコレートを開発したのはネスレ社の創業者であるアンリ・ネスレと友人の菓子職人のダニエル・ペーターとも、

    ダニエル・ペーター個人だったとも言われているけど、

    それはともかく生チョコレートを作ったのは日本の洋菓子店シルスマリアのオーナーシェフだった小林正和さんなのよ


    シルスマリアはスイス菓子の専門店として1982年に創業して当時の売り物はトリュフチョコレートだったのだけど、

    小林シェフは「トリュフの中身だけを食べさせる」ことを思いついて、苦心の末に生チョコレートを考案したの


    こうしてシルスマリアは生チョコレート発祥の店になったものの、小林シェフは生チョコが広まってほしいという思いからレシピの特許を取らず、レシピを公開してしまったの

    その行為自体は立派だったけど後にシルスマリアが人手に渡ったことを考えると、人生の分岐点だったかも知れないわね……

  • 54二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 00:27:08

    レシピが広く公開されたことで日本の菓子店では生チョコレートが盛んに作られるようになって、

    有名どころでは北海道のロイズなんかがあると思うけど反面、海外には全くといっていいほど普及しなかったわ

    ガナッシュが近いと言えば近いけど、生チョコレートとして売り出されているものは殆どないの

    日本人の中には生チョコレートをフランスやスイスで生まれた高級品ってイメージを持っている人も少なくないから、

    チョコの本場とかに行って生チョコがないことに驚いたりもするそうよ


    ちなみにシルスマリアはまだ横浜に店舗があって、桜木町駅に直結しているのとか馬車道総本店があるけど

    如何にも「お菓子屋さん」って外観をしているのはやっぱり平塚店かしらね?


    一方、シルスマリアを離れた小林シェフは故郷の長野県に「奥信濃BUNZO」って店をオープンして、未だにチョコレートを作ってるわ。最初の画像がBUNZOの生チョコね

    なんでも令和の虎って番組に出たらしいんだけど、私は見たことないから詳しくないの。ごめんなさい


    みんなも甘いものを食べたあとは、歯をしっかり磨いてねましょうね♪

  • 55二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 00:55:14

    ちなみにこれは本当に余談というか、うんちくを語りたいだけなんだけど

    ミルクチョコレートを作る上で最も難しかったのはミルク、つまり牛乳の水分を如何に抜くかだったの

    だって水分が残ったままだとカビてしまうでしょ?


    ここで登場するのが先程のアンリ・ネスレで、彼はミルクチョコレートそのものを生み出したかは定かじゃないのだけど

    「粉乳」、つまりは粉ミルクを開発したと言われている人で、ミルクチョコレートは粉乳をいれることによって完成したわけ

    これが欧州におけるミルクチョコレートの始まり、1876年のことだったとされているわ


    けど、その1876年に一人の菓子職人見習いがアメリカで店を構えるの

    男の名前はミルトン・ハーシー。後にアメリカの象徴となるチョコレートを売り出すハーシー社の創始者よ

    ハーシーは76年に独立して幾つかの店を開いては潰しを繰り返していたのだけど、新鮮なミルクをふんだんに使った

    ミルクキャラメルの製造と販売で大成功を収めたあと、次なる野心を抱いて挑戦を始めるの

    それは当時不可能と言われた「生乳」を使ったミルクチョコレート作りだった

  • 56二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 00:55:24

    このレスは削除されています

  • 57二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 00:57:12

    ハーシーはミルクキャラメルで築いた財産のすべてを投じてペンシルベニア州の広大な土地を買って

    まだレシピも完成していないチョコレートのための大規模工場と、

    そこに務める従業員たちが暮らす「街」を作り始めたの。完成さえすれば大ヒットする、という革新があったのね


    彼が最初、菓子職人ではなく何人もの化学者を雇って生乳のミルクチョコレート開発をさせたのは、

    あるいはネスレが薬剤師だったことを意識していたのかも知れないけど、学者たちの答えはノー。化学的・技術的に不可能だって言うの

    街も工場も既に建設しているのに今更あとには引けないハーシーはキャラメル会社時代の従業員だった菓子職人を呼び出す

    キャンディー職人のジョン・シュマルバックはハーシーの指示通りに生乳からミルクチョコレートを作り、

    完璧まであと一歩まで進んだ


    ハーシーは聞いたわ。あと何が足りないと

    ジョンは答えた。舌触りは良いがまだ僅かに酸味があります、と


    けれど、ハーシーはそのミルクチョコレートに残った独特の酸味を気に入ってレシピをそれ以上弄ることを許さず、

    そのまま商品として売り出すことを決めたの

    ちなみにジョンが貰った報酬は当時の額で100ドルだったとも言われているけど、後の大成功を思えば微々たる額よね

    種明かしをすると、発売当初のハーシーバーに存在した酸味の正体は生乳が凝縮する際に起こった酸敗で、

    ミルクが酸化して酸味を帯びてしまっていたのよ

    ハーシーはそれに気付かず売り出したし、アメリカ人はそれを知らずに食べていた。欧州のミルクチョコとは全く違うその味を


    でも、アメリカ人はハーシーのチョコが大好きだし、あの味に慣れているのね

    反面、欧州や日本ではハーシーのチョコってあまり人気がなくてそれはやっぱりあの独特な酸味が原因と言われているから、

    アメリカ最大のチョコレート会社は、世界最大のチョコレート会社ではないってわけ

    流石に今は酸敗なんてしてないけど、ハーシーは企業努力によってあの酸味を守り続けていると言われているわ

  • 58二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 08:55:45

    保守っとく

  • 59二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 08:59:27
  • 60二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 09:16:36

    昼飯にチョコ食いたくなってきちゃった……

  • 61二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 11:23:55

    チョコの話を聞いたせいでもうすぐホワイトデーだということを思い出した

  • 62二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 11:26:12

    このレスは削除されています

  • 63二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 11:27:06

    11時を過ぎるとそろそろ今日のランチを意識し始めちゃうソリテールよ

    ここまで色々紹介してきて日本生まれの洋食や洋菓子って案外沢山あると思ったでしょうけど、

    実はこんな料理も「半分だけ」日本発祥って言われてるの

    そう、ジャーマンポテトね


    ソリテール、それは流石に嘘だよ。ジャーマンポテトは誰がどう見たってドイツ料理だ



    あら、フリーレンじゃないの。あなたがこのスレに出てくるなんて珍しいわね

    確かにジャーマンポテトは名前からしてドイツっぽい料理だけど、ドイツ料理には「ジャーマンポテト」って名称のものはないのよ

    ドイツにはじゃがいもとベーコンを合わせた「Speckkartoffeln(シュペックカルトッフェルン)」とか、「Bratkartoffeln(ブラートカルトッフェルン)」があるけど、これはあくまで類似の料理



    ……フェルン?



    だって、フェルンはドイツ語ですもの

    とにかく、こうした類似のドイツ料理に対して日本のジャーマンポテトは味付けにお醤油を入れたり、マヨネーズをかけることもあるでしょう?

    このスタイルは戦後の日本で洋食が流行ったときに、和風の食材や味付けと西洋風のアイデアをミックスして生まれたものなの

    所謂、和洋折衷ってやつね

    だから日本生まれの洋食っての半分正解で、正確には「ドイツ料理を日本風にアレンジした」のがジャーマンポテトなのよ

  • 64二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 11:33:08

    こういうスレはワクワクするよなぁ

  • 65二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 13:35:53

    「面白いでしょ?」

    ホントに面白いですありがとうございます

  • 66二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 14:01:05

    じゃがいもはいいぞ
    油と塩との組み合わせは神だ

  • 67二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 18:33:06

    ここまでおかずだったり、お菓子だったりが続いたけど

    たまには主食的なもので日本発祥のメニューも紹介してみようかしら

    カツサンド……と言いたいところだけど、カツは散々紹介したからフルーツサンドなんていかが?



    食パンに新鮮なフルーツとクリームをサンドした主食というよりはデザートよりかも知れないこのサンドは、

    意外にも日本発祥のサンドイッチなのよ

    欧米からの訪日外国人が驚くものの一つにフルーツサンドがあるほどで、それぐらい海外では見かけない食べ物なの

    どこのお店が開発したのかはイマイチ分からなくて、日本初のパーラーと言われる千疋屋じゃないかって説もあるのだけど

    確証を得るまでには至っていないのが現状ね

    尤も、広まるきっかけとなったのは千匹屋が暖簾分けしたのが大きいって言われているから、全く無関係でもないのよ



    勿論、自分で作ることもできるけど最近は果物も生クリームもお高いし、

    材料を揃えるだけで一苦労だからそういうときは最初の画像にあるメルヘンみたいな専門店でサッと買うのが良いわよね

    最も私は果物よりもお肉が好きなんだけど、ね

  • 68二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 18:58:18

    こういうフルーツとクリームのサンドイッチをきれいにカットできる包丁ってめちゃくちゃ鋭いんやろな
    家でやろうとするとぶにゅってなるしクリームがフルーツの切断面についてしまう

  • 69二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 19:23:21

    そろそろ冬も終わって春になりつつあるけど、みんな冬の味覚はちゃんと食べた?

    今夜はそんな冬の味覚で日本発祥のものを一つ、ソムリエの沢木さんに紹介してもらうわね



    皆さん、こんばんは。ソムリエの沢木公平です

    私が皆さんに紹介したいのは冬の洋食屋、あるいはとんかつ屋さんの定番メニュー、カキフライです

    この料理の歴史は古く、明治26年に発行された日刊新聞『時事新報』の家庭向け料理の一つとして紹介されており、

    メリケン粉、卵、パン粉を使った今と変わらないレシピがそのまま掲載されています

    又、このスレでも度々名前が上がる煉瓦亭のメニューにも掲載されており、当時からポピュラーな揚げ物だったことが分かります


    海外だと牡蠣は生食が基本であり、加熱することはあまりありません

    そういった意味ではバター焼きなども日本発祥ということになりますが、登場はカキフライのほうが早かったのでは推察されます

  • 70二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 19:23:57

    私はソムリエなのでカキフライに合うワインも紹介したいと思いますが、

    牡蠣に合わせるワインと言えば、皆さんシャブリを思い浮かべるんじゃないでしょうか?

    確かにシャブリは牡蠣との相性もよく合わせやすいワインではあるんですが、牡蠣は実に様々な調理法が用いられる食材で

    料理ごとに合うワインというのも微妙に違ってくるんです


    カキフライに関して言えば、食べ方で異なるワインを飲むこともできます

    たとえばレモンをサッと絞ったときは白ワイン、ご家庭にあるような中濃ソースで食べるときは赤ワイン、そんな選択もできますね

    とはいえ、幾つものワインを用意したり注文したりする、というのも私のようにワイン好きならともかく

    普通の方はなかなか難しいですよね

    そういう場合は、比較的どんな牡蠣料理とも合わせやすいロゼワインというのも一つの手です

    特に画像のような色合いの淡い、フランスはプロヴァンス産のロゼワインはオススメです

    ボトルもチャーミングで色鮮やか。女性への贈り物にすると喜ばれますよ


    そうそう、実は来月の4月4日の金曜日に私が出演している劇場版名探偵コナン「名探偵コナン 14番目の標的」が金曜ロードショーで放送されるんです

    今度こそ辻を殺しに行けるよう頑張りますので、皆さん、是非こちらもご覧になってください

  • 71二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 20:10:58

    再放送ごとにリトライしてんの!?

  • 72二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 20:15:08

    カキフライが家庭料理!?家だとなかなか作りづらい料理だと思ってたわ
    あと海外だと生牡蠣主体なのも意外だった 魚介の生食=日本ってイメージだったから……

  • 73二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 21:02:44

    >>72

    生で食べないなら「Rの付かない月に牡蠣食うな」なんて格言は出来ないと思うんですけど…… (迷推理)

  • 74二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 21:20:11

    キートンって別にグルメ漫画じゃないけどこういうの似合うよね
    食べ物の味というより歴史を語る系だからかな?

  • 75二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 21:35:27

    >>72

    牡蠣フライやコロッケはお惣菜に分類されて、家庭で作られたりスーパーで気軽に購入できるもの、

    という位置づけのイメージが強いのよ

    実際、カキフライなんてお惣菜だって自信をなくしたシェフの話が美味しんぼなんかにもあるの

    まあ、衣つけて揚げるだけだからご家庭の主婦ならお手の物ってわけね



    一方で、フライ系をイコールでお惣菜扱いされることに反発している人もいて、

    秋葉原にある有名なとんかつ店「丸五」のご主人はとんかつとは元来ご馳走であって最近のお惣菜扱いは

    もどかしい、と言ったような発言をされているのよ

    >>45の名台詞でおなじみの美味しんぼの「とんかつ慕情」でも、登場人物の里井さんはとんかつが何よりのご馳走だったと言ってるし、

    ドラマ「孤独のグルメ」のとんかつ回でも、原作者は「とんかつはやっぱりご馳走ですね」と言っていたから、

    同じ揚げ物でもやっぱりとんかつだけは別格と見るべきなんでしょうね



    スレに余裕があったらとんかつの名店や派閥について解説するのも面白そうだけど、

    あんまり揚げ物の話題ばっかりだとみんな胸焼けを起こすだろうから気が向いたらにしとくわ

  • 76二次元好きの匿名さん25/03/07(金) 22:08:40

    子供の頃は外食でカツ丼を食べるのが楽しみだったことを思い出した…

  • 77二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 00:12:15

    食に歴史あり

  • 78二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 01:21:13

    >>45

    とんかつ慕情、豚肉の輸入自由化(1971年)以来粗悪な外国産が入ってきた、国産でないとダメ!って話なので「いつでもとんかつが食えるようになれるのがちょうどいい」は国産の高級豚をいつでも食えるようになれるくらいがちょうどいいってことなんだよなあ…

  • 79二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 01:25:38

    >>78

    そんな話だったか? アニメしか観てないが

    豚肉の質が落ちて年々味のある豚肉が手に入りづらく~みたいな台詞はあったけど

    外国産がどうのとかそんなのなかったと思うが

  • 80二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 04:45:10

    >>46

    あつあつのトンカツをお口にねじ込んでさしあげたい

  • 81二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 11:03:53

    そろそろオムライスとかいかがでしょうか?

  • 82二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 11:11:19

    みんな、おはよう。沢木さんが辻って人を殺せるように目薬の調合をしているソリテールよ


    >>63で和洋折衷について取り上げたけど、日本料理の中には明らかに洋食なのに少し手を加えただけで

    あれ? 和食? と勘違いしてしまうようなものがあるの

    たとえば、これから紹介する「ローストビーフ丼」なんかはいい例よね



    ローストビーフがイギリス生まれのバリバリの洋食であることは誰も異論がないと思うし、

    こんな画像を見て「いや、これは和食だ!」なんて主張する人はいないでしょ?

    でも、そのローストビーフを温かい丼飯の上に乗せて、醤油ベースのタレを掛けてお箸で食べる……

    途端に和食な気がしてこない?

    日本にはこんな風に元々は洋食なんだけど独自のアレンジを加えて和食文化に取り込んでしまったものが結構あるの

    それはカツレツからのとんかつ、カツ丼だってそうだし、ローストビーフ丼と似たところではステーキ丼もそうよね

    日本人はなんでも飯のおかずにしてしまうとはよく言ったもので、

    そもそも洋食にパンではなく「皿盛りライス」を合わせるスタイルを開発したのも煉瓦亭だって言われているけど、

    断定しちゃうとまた苦情が来ちゃうかしら?


    ところでこれは私が知り合いの洋食屋さんに聞いた話なんだけど、ランチをやってるカジュアルな洋食店、

    フレンチやイタリアン含むで客層を「女性向け」にしたい場合はライスを出すのをやめれば途端に女性客だらけになるそうよ

    逆に男性客も呼び込みたい場合は大盛り可のライスを置くことが重要なんですって

    それぐらい日本人、特に男性はお米の有無が肝心なのね

  • 83二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 11:13:08

    >>81

    オムライスはちょっと長くなりそうなのでラストにする予定なの

    その前にスレが落ちちゃったらごめんなさい

  • 84二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 11:31:54

    まあ男の場合は「腹を満たしたい」が食事の最優先事項だものな

  • 85二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 13:27:44

    >>82では洋食を和食にアレンジしたケースを紹介したけど、

    今度は逆に和の食材や中華を洋風にしたものをみんなに教えてあげるわね



    >>12のドリアを解説するときに小話で登場したフレンチの三國シェフは日本に帰国後、

    それまで本格フレンチにはまず使われることがなかった味噌とかお米、醤油なんかを積極的に取り入れた第一人者なの

    特に故郷である北海道産の大豆を使用した八丁味噌を愛用していて、八丁味噌が持つ芳醇な香りや旨味は

    フォン・ド・ヴォーのそれに負けないと評しているわ

    当時のフランス料理界は保守的な側面が強くて、たとえば>>3のサリー・ワイルが崇拝したオーギュスト・エスコフィエの料理本、

    「エスコフィエフランス料理 LE GUIDE CULINAIRE」というのがあるのだけど、

    当然ながらそのレシピには味噌やお米、醤油を使ったものは存在しないの



    一方で1966年に銀座でオープンした「マキシム・ド・パリ」はル・エポックの華と言われたパリに本店を構えていた

    フレンチの名店なのだけど、このお店ではかの有名なトロワグロ兄弟の弟、故ピエール・トロワグロが

    フランスから呼ばれてシェフをやっていたこともあったりして、歴代幾人かのフランス人シェフがいたのね

    他にもフランス料理界の偉人ポール・ボキューズや、近年で言えばアラン・デュカスなんかもそうなんだけど、

    彼らが日本で仕事をしたり、日本を訪れた際に「懐石料理」に触れたことで現代フランス料理には日本のエッセンスが加わったも言われているのよ

  • 86二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 13:37:17

    話を三國シェフに戻すと、伝統的なフランス料理に和のテイストを加えた彼の料理は、

    保守的だった当時の日本のフランス料理界からは大変なバッシングを受けたのだけど、反骨精神旺盛な三國シェフは

    批判をはねのけて自分の道を邁進していた

    そうしてできた料理の一つに「タルトオニオン」があって、これはフランスのキッシュに日本の茶碗蒸しの技法を取り入れたミクニ定番のアミューズで

    大変な反響と人気を呼んだミクニシェフの傑作料理のひとつなの

    ほんのりと温かく滑らかな舌触り。程よい酸味と香りの良さは思わずホールで食べたくなるほど絶品だったわ



    三國シェフがフランス料理界の「モザー」と言われたアラン・シャペルに師事していたことは書いたと思うけど、

    彼はあまり弟子と話す方ではなくて修行中に三國シェフが言われた言葉はただ一つ、

    「洗練されていない」だったそうよ

    三國シェフはその評価にもショックを受けたそうだけど、四谷でオテル・ドゥ・ミクニを開業後、

    急に予約もなしにアラン・シャペルがわざわざフランスから訪れたの

    彼はかつて洗練されていないと評した三國シェフの料理を堪能したあと、ゲスト帳にこう書き残した


    「ジャポニゼ」(日本風)


    フランス人シェフによるフランス料理を見事、ジャポニゼにしてみせたと高く評価したのだけど、

    アラン・シャペルはこの出来事から2ヶ月後、フランスで急逝してしまったの

    人間は魔族やエルフに比べると短命ではあるけど、アランはまだ52歳の若さだったわ……

  • 87二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 13:48:11

    少し湿っぽい話になってしまったけど、次はもっとカジュアルに「洋風化」されたお料理を紹介してあげるわ

    今日は特に寒い一日でこんな日はラーメンとか食べたいって思うじゃない?

    実は関東や関西で新規オープンが続いている「フレンチラーメン」というのがあって、

    日本の国民食であるラーメンをフレンチ風の麺料理として提供しているお店があるの



    その一つが東京は神楽坂にあるサーモンラーメン専門店「サーモンnoodle3.0」ね

    このお店はサーモンを使ったフレンチ風ラーメンを提供しているのだけど、一見するとラーメンにはまず見えない見た目でしょう?

    でも、実際に食べてみるとサーモンを軸とした濃厚な魚介系スープの旨味が口いっぱいに広がって、

    人参エスプーマの自然な甘味やポルチーニエスブーマの芳醇な味わいが素晴らしいマリアージュとなっているのよね

    食べ終わってみると確かにこれはこれでラーメンになっていると思うし、見掛け倒しではないっていうのが分かるわ



    ラーメン屋さんではよくミニチャーシュー丼が置いてあったりするけど、このお店では「サーモンめし」がそれを担っていて、結構美味しいのよ?

    ちなみにこのお店は渋谷や京都にも支店があるから気になった人は支店に行ってみるのも良いかもね

    フレンチという付加価値があるから1000円の壁は突破してるけど、私はそれだけの味わいはあると思っているわ

  • 88二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 13:55:41

    写真がまた美味しそうで困る

  • 89二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 18:00:04

    >>79

    今原作を確認したら79の言う通りだったな、すまない

  • 90二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 18:31:17

    >>87

    行ったことある!たまたま歩いてたら目について物珍しかったから入ったな


    高級感店内は落ち着いてるし、フリットとかラーメンとしては変わった具材が入ってたり美味しく興味深い味だった

  • 91二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 18:46:02

    >>89

    ちなみにこれまた余談なのだけど美味しんぼの影響もあって日本では一時期、

    本当に美味しいとんかつは「黒豚+ラード」で揚げたものっていうイメージが多かったのだけど

    必ずしもそれだけがとんかつの魅力というか作り方ではないのよ


    折角だから>>75で先延ばしにしたとんかつの話にちょっと触れるけど、

    今現在の日本ってそれはもう様々な銘柄豚肉が存在していて必ずしも黒豚であるとは限らないの

    たとえば、多くのとんかつ店で採用されている岩手県産の「岩中豚・岩中ポーク」は東京食肉市場だと

    最高値で取引されている銘柄肉の一つだけどこれは別に黒豚じゃないわ


    次にラードだけど、勿論今でも純正ラードを売りにしているお店はあるわ

    所謂「蒲田系とんかつ」の一つで最近どんどんお店を増やしているとんかつ檍はその代表格


    一方で、>>75で触れたとんかつ丸五のご主人は、元々水道橋にある老舗「かつ吉」の出身なの

    かつ吉はとんかつの名店として知られており、丸五の他にも前橋のかつ久 無庵だったり

    松本のかつ玄といった多くの職人が独立して店を構えたとんかつ界の一大派閥ね

    このかつ吉ではラードを使っておらず、コーン油とごま油をブレンドした100%植物油で揚げているから

    ラードよりも揚がった際の衣は軽やかだし、ほんのり香るごま油はいい匂いなのよ



    あと、身も蓋もないことを言うとどれほど良い豚や油を使ったところで、結局は職人の腕次第なところもあるの

    これはここだけの話だけど、私が知っている名店と呼ばれたとんかつ屋さんは長年勤めていた揚げ場の主任さんが引退して別の人に変わった途端にぐっと味が落ちたわ

    美味しんぼの天ぷら回みたいにそうと知ったうえでの錯覚なら良かったんだけど、

    揚げ場は店の奥にあって常連でさえ主任の引退を知らなかったから、残念ながら腕の差が客の舌に見破られたのね

  • 92二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 19:16:14

    このソリテール割と頻繁に美味いもん食ってるなw

  • 93二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 19:55:29

    マジで面白いことを紹介してくれるソリテールちゃんだ…

  • 94二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 22:18:17

    もし良ければ三大魔改造の一つの中華で、実は日本発祥なメニュー語ってほしい

  • 95二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 22:22:53

    前の料理人がいなくなって明らかに味が変わってるのは嫌ねぇ

    営業中は常にその料理人が揚げて弟子にはやらせてなかったから技術が受け継がれなかったり、同じ料理人でも試行錯誤の結果が自分の舌に合わなかったり、材料高騰で違う物を仕入れて味が変わるとか色々あるんだろうが

  • 96二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 23:02:42

    >>94

    そうねぇ、中華料理の場合は有名な話し過ぎてわざわざ語るまでもないと思ったけど、

    たとえば「エビチリ」と「エビマヨ」はそれぞれ日本発祥の料理と言えなくもないわ


    まずエビチリなんだけど、元々四川料理には「乾焼蝦仁」っていうエビチリっぽい料理があったのね

    でも、当時の……昭和の日本人には本格四川料理の豆板醤主体の辛味が口に合わなくて、

    慣れない味から人気がなかったのよ

    そこで登場するのが陳建民ってシェフで、この人は「日本の中華料理の父」と呼ばれた偉人で、

    先頃亡くなった料理の鉄人・陳建一シェフの実父なの


    陳建民の偉大なところは本格的な中華料理のシェフでありながらも、「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」と

    乾焼蝦仁の豆板醤の辛味を収めにして、トマトケチャップや卵黄を加えると言ったエビチリを完成させるなど

    日本人向けのアレンジを厭わなかった

    それに当時の中華料理の世界で、多くのシェフ見習いが徒弟制の中で味を盗んで覚えるといった修行をしていた中、

    陳建民はレシピの公開もやぶさかでないどころか、NHKの「きょうの料理」の名物講師として出演し、

    エビチリ、回鍋肉、担々麺に和風麻婆豆腐といったメニューを考案しては披露していった

    日本で中華料理が家庭料理としてより身近なものになったは、間違いなく陳建民の功績が大きいとされているわ


    勿論、全てのメニューが陳建民の発祥・考案であるかは諸説あるけど

    たとえば、回鍋肉ってキャベツが沢山入って物によっては「なんだよ、これキャベツばっかりじゃないか!」って

    不満を感じたことがある人もこのスレにはきっといるわよね

    実は本場の回鍋肉で使われているのはキャベツではなく葉ニンニクだったんだけど日本では一般的でないし

    入手も困難だったことからキャベツを使ったとされているわ

  • 97二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 23:03:03

    そして次に紹介するのがエビマヨ

    これも今では中華料理店の鉄板メニューだし、選ぶ際にエビチリと迷う人もいるんじゃないかしら?



    この料理を考案したのは90年代に活躍した炎の料理人・周富徳

    四川飯店の陳建民や陳建一と違って、広東料理を得意とした中華のシェフ。この人も、もう亡くなっているわね

    彼は中華街出身で実家も中華料理屋をやっていたのだけど次男だったことから家は継がず、

    新宿の京王プラザホテルに始まり、中華街の聘珍樓や赤坂璃宮といった名店の総料理長を歴任した人物で

    数々のTVに出演したことから同級生でやはり先頃亡くなった赤坂璃宮のオーナーシェフ・譚彦彬や、

    金萬福といった人たちともに中華料理ブームを作ったの

    料理の鉄人にも出演して親友の道場六三郎と戦いを繰り広げたり、まあ、時代のスターシェフだったわけね


    そんな周富徳がエビマヨを考案したわけなんだけど、

    曰く、彼が聘珍樓の総料理長をしていたときアメリカに行く機会があってロサンゼルスかサンフランシスコか、

    場所は諸説あるんだけど、とにかくそこでエビ料理を食べたの

    それはエビのフリッターにオーロラソースを掛けたもので、これがまあ「クソまずかった」らしいのね

    周富徳はあまりの不味さに腹を立てて、俺だったらもっと美味い海老料理が作れるって

    広東料理の技法と味付けを用いてエビマヨを完成させたの


    尤も、周富徳はTVに出まくっていた人なのでこの逸話がどこまで本当かは分からないし、

    あるいは彼以前にエビとマヨネーズを用いた中華料理を考案していた人がいないとも限らないけど、

    少なくともエビマヨという料理を夜に広めたのは間違いなく周富徳だと思うわ

  • 98二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 23:27:14

    ソリテール人類の研究しすぎだろ

  • 99二次元好きの匿名さん25/03/08(土) 23:39:58

    異種族の食文化の変遷は長命種にとっては実際面白そう

  • 100二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 00:16:17

    中華料理からの流れで今夜最後に紹介するのは北海道から産まれた洋菓子チーズオムレットよ

    北海道物産展なんかに行くと置いてある定番のスイーツよね


    この洋菓子は函館のスナッフルスが函館を代表する洋菓子を作りたいという思いから20年ほど前に開発したもので、

    今では立派に函館名物になっているの

    そもそもスフレチーズケーキの発祥そのものが日本であると言われていて、あ、このタイプのケーキで有名なのは

    大阪のりくろーおじさん。よくTVとかでも紹介されるからみんな知ってるわよね?

    スフレケーキは海外だと「ジャパニーズチーズケーキ」と呼ばれていて、そのふわっとした感触としゅわっとした

    食感からふわしゅるケーキなんて呼び方をする人もいるけど、

    チーズオムレットはスフレチーズケーキを参考にしつつも北海道から全国に配送できることも特徴の一つだから、

    敢えて「ふわっと」感は控えめに、ぎゅっと濃厚な固さをしつつも食べたときのしゅわっと感が残るように作られているの


    ちなみに通販以外だと北海道物産展とかの催事でしか手に入らないと思われがちだけど、

    東京は有楽町にある交通会館に小さいながらも有楽町店が存在していてそこで普通にオムレットも買えるのよ

    あと、陳建一の後を継いで日本中国料理協会の会長に就任した脇屋友詞って人がいて、

    この人は上海料理にフランス料理を取り入れた「ヌーベルシノワ」の先駆者として知られ、「料理の歴史を10年早めた」とされる傑物なんだけど

    脇屋シェフの代名詞でもあるヌーベルシノワとチーズオムレットをコラボさせた「ココシノワ」ってオムレットが

    公式サイトの通販ページで売ってるから興味ある人はそちらも試してみてね


    ま、見た目は普通のチーズオムレットと「全く変わらない」のだけど

  • 101二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 04:05:26

    美味しいものを食べながらこのスレを開くの至福

  • 102二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 10:13:00

    流石はソリテール
    もう人間より美味しいもの見付けただろ
    あとはそれを魔族の間に広めてくれればいい

  • 103二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 12:01:16

    >>102

    あら、知識欲と食欲は別よ、別。人間だってケーキは別腹っていうでしょ?



    それはそうとみんなのお陰でスレも折り返しを迎えたし、ちょっと豪勢なメニューを紹介しようかしら

    帝国ホテルが生んだ伝統メニュー「シャリアピンステーキ」よ

    何年か前に週刊少年ジャンプの「食戟のソーマ」って漫画でも取り上げられた料理だから知ってる人も多いと思うけど、

    このメニューは1936年に当時の帝国ホテルの数あったレストランの一つ、「ニューグリル」の総料理長だった筒井福夫シェフによって考案されたの

    帝国ホテルには様々な外国の要人が泊まっていたけど、オペラ歌手のフョードル・シャリアピンという人が

    歯痛に悩まされていたことから堅いものを食べることができず、「柔らかいステーキが食べたい」と要望したことが始まりね


    牛肉をこれでもかってぐらい叩いて薄くした後、みじん切りの玉葱に漬け込んで柔らかくして焼いたら

    最後に玉葱のソースを塗りつける、といった感じよ

    実は今現在も帝国ホテルでは提供されていて、現料理長の杉本雄シェフがYouTubeで披露しているぐらいなの

    【伝統の味】帝国ホテル料理長直伝‼︎手頃なステーキ肉でも高級肉のような柔らかさにする方法|クラシル #シェフのレシピ帖【帝国ホテル東京 料理長 杉本雄】

    全くいい時代になったものね


    ちなみに、この料理を考案したのは前述の通り筒井福夫シェフなんだけど世に広めたのは

    帝国ホテル第11代総料理長として知られる村上信夫シェフで、

    この人はホテルニューオークラの小野シェフと並んで「日本のフランス料理の神」と呼ばれた人なんだけど

    お料理の本を出したり、「きょうの料理」に名物講師として登場したりして、

    ご家庭にフランス料理や洋食を広めた一人なの

    ちなみに「きょうの料理」の収録をやっていたのがグリルなんだけど、そこではスレで何度か紹介してる若き日の三國シェフが皿洗いのパートをしていたの

    彼はそこで村上ムッシュの知遇を得るため、率先して収録の手伝いをしたそうよ

  • 104二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 12:06:51

    ソリテール、食戟のソーマは数年前どころか12年前の漫画だよ

    シャリアピンステーキステーキは2巻に収録されているけどそれでも11年前だね



    嘘よ、フリーレン。せいぜい、4~5年前じゃない?



    人間はエルフと魔族とは別の時間に生きてるんだよ

    ちなみにソーマとほぼ同期の漫画は「ハイキュー!!」や「暗殺教室」で、これも既に連載終了してるね

  • 105二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 12:58:28

    すっごい詳しくてどれも面白い、おなかへってきた
    まさか太一先生が出てくるとは思わなかったが、沢木さんといいちゃんと小学館カテゴリの中からキャラ選んでるんだね

  • 106二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 13:50:47

    こういうのってどこから学んでくるのか教えてほしい
    私もそこ行きたい

  • 107二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 13:55:55

    スレも折り返したことだし、日本生まれの洋食を語る上で避けては通れない料理をそろそろ紹介しておきましょうか

    正直、この料理は発祥が諸説ありすぎて様々な起源が主張されては醜い争いが繰り広げられているのだけど、

    それはそれとして最近じゃ余り食べる人も少なくなった、そんな料理

    そう、ハヤシライスのことよ



    ハヤシライスってカレーライスと違ってご家庭で食べる機会はうんと少ないけど、じゃあ、洋食屋さんでわざわざ頼むのか? って言わると、

    別にそんなこともない微妙な立ち位置なのだけど、この料理の歴史や発祥って本当にややこしいの

    まず、ハヤシライスの「ハヤシ」ってなに? ってことなんだけど、まずここからして色々な説があって

    明治時代に使われていた古語で「細かく切る」を意味する「はやす」が訛って、はやし肉といった言葉に変化したのでは、というのがあるわ

    この説の根拠として、1908年発行の「海軍割烹術参考書」にドライハヤシって名前でハッシュドポテトの調理法が掲載されているの


    次の説は「ハッシュドビーフ」が元になったのではないか、という説ね

    この料理は19世紀のアメリカやイギリスの料理の本に登場していて、日本でも>>28の「軽便西洋料理法指南」に

    ハヤシビフという名前で紹介知れているわ

    只、当時の料理本を色々紐解くと似たような名前の、たとえば「ビーフハッシュ」っていう料理が

    牛肉とじゃがいもを細かく切って炒めたハッシュドポテトのレシピ名として紹介されていたり、類似する料理名が

    混在してかなり混乱していた時期でもあるの

    だから、ハヤシビーフがそのままハヤシライスになった、という根拠も正直薄いっちゃ薄いわね

  • 108二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 13:57:57

    このレスは削除されています

  • 109二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 14:02:21

    このレスは削除されています

  • 110二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 14:03:05

    そして、こちらは世に多く広まっている「人名がもととなっている」説ね

    有名なのは本屋チェーンの丸善が主張しているもので、

    丸善の創業者である早矢仕有的(はやしゆうてき)が考案した肉と野菜のごった煮にご飯を添えたものが有名となって、

    いつしかハヤシライスと称されるようになった、という伝説めいた逸話よ

    丸善はこれをハヤシライスの発祥であると主張して、「丸善百年史」という社史にも掲載しているぐらいなんだけど、

    これだって丸善が言ってるだけで確たる証拠はないの

    早矢仕有的という人は元々お医者さんで、横浜での勤務医時代に作った病人食だとか、丸善で丁稚奉公する小僧向けに作った夜食だとか、

    成り立ちからしてあやふやなのだけど、そもそも早矢仕有的は神田の三河屋っていう洋食屋の常連で、

    そこは明治20年ぐらいにハッシュ・ビーフが流行っていたから、ぶっちゃけそれが元ネタじゃね? なんて言われたりもするのよ


    で、次に登場するのがこのスレでも散々出ている洋食の起源を片っ端から主張することでお馴染みの銀座の煉瓦亭ね

    煉瓦亭の3代目の木田明利はハヤシライスの元祖が丸善であることを認めつつも、

    あれはチャプスイに近いものでドミグラスソースのハヤシライスはうちこそが元祖だと言い張っているの

    チャプスイってのはアメリカ式中華料理の一つで、日本だと八宝菜に近いかしら?


    戦後の日本ではアメリカ人向けのメニューとしてホテルなんかで出されてたらしいけど最近じゃ見かけないわね

    とにかく、煉瓦亭としては肉と野菜のごった煮なんてチャプスイみたいなもんで、

    今現在のハヤシライスとは言い難いっていってるわけ。まあ、その主張自体は分からないでもないわ

    それに言うだけあって、煉瓦亭のハヤシライスって相当なレベルで美味しいのよ……

    漆黒の見た目もそれはそれは美しいと思う。お値段はすっごく高いけど

  • 111二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 14:21:56

    ちなみに上野精養軒に「林」ってシェフがいてそのシェフが賄いで食べていたとか、

    天皇の料理番である秋山徳蔵が考案してそれを上野精養軒の林シェフに教えたなんて説もあるけど

    そもそも上野精養軒にそんな名前のシェフがいたって証拠はないし、秋山徳蔵のキャリア的にも矛盾が生じるので

    これはまあ珍説と思ったほうが良いわね



    只、キートン先生も>>44>>47で仰っていたけど、結局人間の考えることだから

    同時期に同じようなメニューが別の場所で産まれていたってそれほど珍しい話でもないのよ

    特に明治、大正期は洋食ブームだったし色々な人が様々なレシピを考案していたと思うわ

    重要なのはそれを「誰が発表したか」で、それが結局は起源や発祥になっていくのかも知れない


    たとえば、「偉大なる腐敗の賢老」クヴァールはゾルトラークをはじめとした数々の魔法を編み出したけど、

    もしかするとクヴァールよりも先に貫通魔法を研究していた魔族自体はいたかも知れないでしょ?

    でもそれを発表というか、人類に向かって最初に使用したのがクヴァールだった以上、

    私達はゾルトラークの開発者はクヴァールであると思うし、世に広く登場した瞬間ってのはやっぱり大事だと思うわ

  • 112二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 17:55:46

    ここまでスレを続けてきて日本発祥の洋食や洋菓子を幾つか紹介してきたけど、

    日本人は早い段階から洋食を「ご飯で食べる」ことをしてきたのが分かったんじゃないかしら?

    じゃあ、逆にパン食文化はどうだったのか?

    ここでは厳密に言うと料理ではないけど日本における「フランスパン」の普及について解説してみるわね



    元々、フランスパンが日本に入ってきたのは明治初頭のことで洋食文化が花開いた頃とほぼ同じだったの

    築地精養軒ホテルの初代料理長として招かれたスイス人シェフのカール・ヘスは独立後にフランスパンの店を開くのだけど、

    これは外国人居留地の中にあって日本人向けとは言えなかった

    1888年にはカトリック関口教会の前身にあたる聖母仏語学校で製パン部が作られて、ジャン・ピエール・レイ司祭は

    教会が運営する孤児院の子供たちが身に着ける、所謂「手に職」としてフランスパン作りがピッタリと考えてフランスパン作り推奨したの

    これが今も存在する「関口フランスパン」の成り立ちなのだけど、前述の通り日本人は既に洋食をパンではなくお米で食べる食文化を形成しつつあったから、

    フランスパンはこの時点でそこまで普及しなかった、というのが正直なところね



    フランスパンが本格的に普及し始めるのは戦後になってから、1965年に一人のパン職人がフランスから来日したのが大きなきっかけになるの

    男の名前はフィリップ・ビゴ。20世紀における「フランスパン業界の権威」として知られたレイモン・カルヴェルの弟子で、

    当時はまだ20代の若者だった(画像は勿論お年を召してからのものよ)

    彼がフランスから来日したのは東京で開かれる東京国際見本市でパンを焼く職人募集に応募したから

    これは師であるカルヴェルの推薦も勿論あったのだけど、このときのビゴは最愛の母親を亡くしたばかりで

    その喪失感を埋めるために母国を離れて日本行きを選んだと言われているわ


    後に、母親が生きていれば当然に日本行きを反対しただろうとビゴは語っていてまさしく運命の分かれ目という奴ね

  • 113二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 17:57:23

    東京国際見本市でパン製造を担当していたのはドンクという会社で、今も存在する大手のパン屋チェーンの一つよ

    ビゴはここの実演担当者としてフランスパンを焼くことになったのだけど、見本市終了後も日本に残り、

    技術顧問としてドンクに就職することになるの

    そしてドンクが北青山に店を開くとそこの専属スタッフとなって、本物のフランス人パン職人がパンを焼いてくれるというスタイルが評判を呼んで、

    お店はそれはもう大繁盛をして1960年代中頃から一大的なフランスパンブームが巻き起こったの


    それまでの日本でフランスパンと言えば「塩味が強く、固いコッペパン」みたいな扱いだったのだけど、

    ビゴの焼くフランスパンは「皮は薄くぱりっとしていて香ばしい」、「薄いクリーム色の中身はしっとりやわらかい」と大絶賛されて、

    ビゴは若いながらも優秀なパン職人として認知されたのよ

    ドンクが全国的なチェーン、フランチャイズ展開を始めたのもこの成功があったからに他ならないわ

    ビゴはそうして全国展開を始めたドンクの店を回りながらフランパン作りを指導していったけど、日本人の女性と結婚したこともあって

    独立を考えるようになっていった


    そうしてビゴが独立してできたのが「ビゴの店」、神戸は芦屋に本店を持つベーカリーよ

    最初、ビゴはドンクが出店していなかった鎌倉に店を構えようと思ったのだけど、ドンクの社長だった藤井幸男は

    ビゴの長年の功績・功労を認めてドンク芦屋店をビゴに譲渡して居抜きで開業できるようにしてあげたの

    芦屋には今後、ドンクを出店しないという保証まで付けてね

    若い頃に日本を訪れたビゴにとって独立したときも年齢的にはまだまだ若かったし、職人としても脂が乗っていた時期だったから

    ビゴの店は美味しいフランスパンの店と評判を呼んで、どんどん店舗数を増やした


    そしてバブル期にもなるとさらなる拡大路線に突き進んで母国パリにまで出店するのだけどフランスパンブームが落ち着いたり、

    バブルが弾けたりした影響で次第に経営は苦しくなっていくの

  • 114二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 18:06:57

    ビゴはとある企業からの買収案に乗って店を手放すことを考え始めたんだけど、従業員の猛反発にあって断念せざるを得なくて

    さてどうしようと思ったそのとき、あの阪神・淡路大震災が神戸の街を襲った。今から30年前の話ね

    ビゴの店も当然壊滅的な打撃を受けのだけど、これによってスムーズに店舗と人員を削減することができて、

    しかも被災という名目で銀行から無利子で融資を受けられることになって危機的だった経営状態が改善してしまったの

    こうしてビゴは店を手放さずに済んだのだけど、

    ビゴ自身はこのときの経験について、「皮肉なものだ」と自虐していたそうよ


    その後、ビゴは晩年に至るまでパン職人としての生涯を全うした

    日本におけるフランスパンの普及に大貢献したことから、母国より国家功労賞シュヴァリエ章、

    農事功労章シュヴァリエ章、農事功労章オフィシエ章、レジオンドヌール勲章を賜るという栄誉を受けて、

    更に死去する一年前には外国人としては初の「現代の名工」にも選ばれたの

    今現在、ビゴの店は息子さんのビゴ・ジャンポール・太郎が二代目店主として父から受け継いだ店を守っているわ

    関東だと東京ドームシティに店舗があるけど、他にも全国にはビゴの弟子たちが開いたお店が沢山あるし、

    そうした店を訪れてフランスパンを食べてみるのも楽しいかもしれないわね

  • 115二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 18:11:42

    アニメでソリテールさんが出てきたらお食事雑学先生のイメージが拭えなくて笑ってしまいそうだわ

  • 116二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 19:06:35

    この流れだとパンを日本人好みに魔改造した話とかもあるのかな?

  • 117二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 19:35:18

    空気中のフランスパン濃度が高まってきたな……

  • 118二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 19:39:48

    俺はハヤシライス今でもガンガン食べてるぜ
    まぁ正確に言うとハヤシメシなんだけど・・

  • 119二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 20:54:58

    ソリちゃんのCV決まったら今までのうんちくスレ
    全部その人の声で読み直したい

  • 120二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 21:01:41

    >>116

    総菜系のパンは大体魔改造の産物じゃなかったっけ

  • 121二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 21:38:28

    これといって解説するほどでもないけど所謂「菓子パン」を開発したのは日本ね

    まず、明治7年に木村屋……現在の木村屋總本店があんパンを作ったのが日本の菓子パンの夜明けと言われてて、

    あんパンは菓子パンにおける元祖なの


    それからしばらく経った明治33年、やはり木村屋からジャムパンが発売されたわ

    今でこそジャムパン=いちごジャムってイメージが強いけど、木村屋が最初に用いたジャムは杏だったそうよ

    それが証拠に木村屋では杏ジャムのジャムパンをオリジナルとして未だに販売しているの


    続く明治37年、シュークリームの美味しさに感銘を受けた中村屋の創業者である相馬愛蔵という人が、

    この美味しさをパンで再現できないかと思いクリームパンを作った

    折しも体力向上が叫ばれていた時代にあって栄養価が高かったクリームパンは大ヒット、次第に全国へと広がっていったわ

    甘くて美味しい食べ物ではなく栄養価に注目された辺り、戦後の揚げパンに似ているわね


    これら3つのパンが日本の菓子パンの「御三家」よ。メロンパンやカレーパンと違って起源がハッキリしてるから説明しやすいわね



    そういえば、さっき紹介したフランスパンの惣菜系で明太フランスっていうのがあるじゃない?

    このパンのブームの火付け役は辛子明太子が名物の福岡県にあるパン屋「フルフル」で、発祥もここではないかって言われているの

    でも、フィリップ・ビゴについて書かれた本があって、この本は2000年に刊行されたんだけど、

    嘘か真かビゴの店では2000年以前に明太フランスを売っていた、という記載があるのよ

    考案したのはビゴの弟子らしいんだけど、やっぱり同じ人間が考えることだけに偶然被ることもあるのかしらね?

  • 122二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 23:13:09

    クリームパン旨いよね

  • 123二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 23:33:01

    メロンパンやカレーパンは起源が曖昧なのか

  • 124二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 23:36:44

    本日最後に登場するのはちょっと危険な料理、「レアハンバーグ」よ……

    日本人は昔から生食が大好きで牛刺、鳥刺し、馬刺しとお肉のお刺身とかもう規制されたけど

    生肉ユッケなんかがあって、ステーキなんかも「レア」や「ミディアムレア」が大好きとされているわ


    レアハンバーグの起源や発祥のお店はイマイチ分からないものの、草分け的存在として知られるのが

    東京都内に3店舗ほどお店を構える「シャーロックホームズ」よ

    このお店はハンバーグをお客さんの前で切り分けてお好みの焼き加減で焼く、というのを最初にやったお店らしいんだけど

    私は残念ながら食べたことがないのよね



    一番有名なお店は、やっぱり静岡のさわやかと北関東のフライングガーデンかしら?

    さわやかはレアハンバーグで食中毒事件が起こるたびにコメントを求められて辟易としてるらしいけど、

    有名チェーンだけに正しい有名税よね

    さわやかは静岡県を中心に展開しているファミレスチェーンで、名物のげんこつハンバーグは今やレアハンバーグの代名詞として知られているわ

    品質管理も徹底されていて、静岡県外に進出しないのは肉の鮮度が保てないからってのも理由の一つらしいわね


    フライングガーデンは北関東一円に展開するホスピタリティレストラン(自称)で、

    名物の爆弾ハンバーグはさわやかのげんこつハンバーグにそっくりなの

    味はまあ好みもあると思うけど、個人的にはさわやかの方が美味しかったかしら?

    まあ、比較的店舗数が多くて「並ばずに食べられるフライングガーデン」と、「並んでまで食べるさわやか」を比較すると、

    さわやかの方が付加価値や情報量が多いからその分有利かも知れないわね

  • 125二次元好きの匿名さん25/03/09(日) 23:47:46

    他にも有名な店舗を上げると横浜の老舗レストランチェーン「ハングリータイガー」も

    昔はレアハンバーグを提供していたんだけど、食中毒が頻発したことで最近はしっかり焼いて提供してるわね



    あとは全国チェーンだとビッグボーイの大俵ハンバーグとかもやっばいぐらいのレアだし

    ブロンコビリーのがんこハンバーグも食べたら魔族だって腹壊すわよこんなの、みたいな真っ赤っ赤だけど

    基本的には卓上コンロが別途用意されていて、各自お好みの焼き加減で食べる、というのはこの手のハンバーグの推奨される食べ方ね

    只、基本的に食中毒のリスクは高いし、食べるからにはお店のせいにはせず自己責任のほうが私は良いと思ってるわ



    ちなみにレアハンバーグで食中毒が起こるなら、レアステーキやローストビーフではどうして食中毒が起こらないの?

    って疑問を持った人もいると思うけど、基本的に牛肉の場合、食中毒の原因菌は表面にしかついてないのよ

    勿論、例外がないわけではないものの、表面さえしっかり焼いて加熱してしまえば食中毒の心配はないってわけ

    反面、ハンバーグはミンチ、つまり挽き肉でしょ? さわやかなんかはしっかりトリミングしてるとは思うけど、

    それでもまとめてミンチにする以上は多少のリスクは残ってしまうし、それで食中毒のリスクがステーキとは段違いなのね

  • 126二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 00:13:08

    フルフルは明太フランスもいいがガーリックフランスも絶品なんだ
    焼き立て目当てに通ってた時期があったわ

  • 127二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 05:40:33

    ユッケ好きだったが例の事件のせいで消えちゃったんだよね…

  • 128二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 11:45:57

    おはよう、みんな。160を過ぎた辺りから締めのオムライスを始めようと思っているけど

    そこまでスレが伸びるか不安なソリテールよ

    まあ、それはそれとして本日最初に紹介するのはこちら

    ホットケーキの登場よ



    待ってください。パンケーキはどうしたって海外発祥のはずです

    デマカセを教えたバツとしてタワーパンケーキを奢ってください


    あら、可愛らしいお嬢さんね

    そうは言うけど海外にあるのはパンケーキで、日本にあるのはホットケーキ。これって大きな違いだと思わない?



    ……魔族お得意のヘリクツです



    歴史をきちんと紐解いていけば分かることよ

    そもそもパンケーキっていうのはイギリスやアメリカで食べられていたものだけど、

    イギリスのものが膨張剤を使わないクレープのような薄焼きだったものに対して、アメリカのはベーキングパウダーとか

    そういうのを使った厚めの生地が特徴だったの

    明治時代に日本へ入ってきた当初、この料理は確かに「パンケーキ」として紹介されていたわ

    でも、それから40年ぐらい経ったとき東京のデパート……今の三越百貨店の食堂で「ハットケーキ」って

    名前で出されたことから一般に広まったそうよ

    三越は後にお子様ランチを世に出した発祥でもあるのだけど、当時の子供にとってデパートの食堂は大変な憧れだったのね

  • 129二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 11:47:25

    そして1931年になるとホーム食品から家庭用「ホットケーキの素」(無糖)が発売されて、

    これが所謂ホットケーキミックスの元祖になるの

    更に時代は進んで1957年、森永製菓が発売した「森永ホットケーキの素」は業界に激震が走るほどの商品だったわ



    森永の製品は「加糖」だったのよね。予めミックスに糖分を混ぜることで生地を焼くだけである程度の甘みがあったの

    この甘みを帯びた商品は注目を集めて60年代にもなると各社が参入して日本は一大ホットケーキブームとなって、

    パンケーキという名称は完全にホットケーキという名前に取って代わられることになるの

    百貨店の食堂は勿論、ホテルのレストランや喫茶店、パーラーで提供される日本のスイーツとしてホットケーキは確立されていくのよ



    一方でイマイチどういう違いがあるのか分からなくなった「パンケーキ」が復権するのは2000年代も後半に入ってからね

    オーストラリア初のレストラン「bills」が日本に出店してリコッタパンケーキを提供し始めたり、



    ハワイから「Eggs’n Things」が上陸して生クリーム山盛りのパンケーキを売り出したことで映えを意識する日本人や

    マスコミから注目を集めてパンケーキブームが巻き起こったのよ

    タワーパンケーキが出たのもこの頃よね

  • 130二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 11:48:33

    このレスは削除されています

  • 131二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 11:49:53

    ところで、「ホットケーキ」と「パンケーキ」の違いって結局なんなの? って思った人もいると思うけど、

    大山の老舗喫茶店「ピノキオ」のご主人はその違いにおいて、こう定義しているわ

    「昔ながらの銅板で焼くのがホットケーキであり、そこがパンケーキとの違いである」と


    型も何も使わず分厚く焼き上げるピノキオのホットケーキは芸術というか伝統工芸とすら言っていいけど、

    この定義をすべてのホットケーキに当てはめてしまうと「ご家庭で作ってるフライパンのホットケーキは?」とか、

    「銅板じゃなくて鉄板で作ってるお店もあるよ」って話にもなってくるので、

    あくまで一つの意見、主張として受け止める必要があるわね


    まあ、それはそれとしてピノキオのホットケーキって素朴な美味しさで私は好きよ

  • 132二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 11:57:59

    ホットケーキという名前が広がりすぎて一般家庭の子供のおやつという印象が強くなったから、名前を変えて適当に盛り付け工夫して別ものということにして情報を食ってるようになったのがパンケーキ、みたいなイメージだったわ…

  • 133二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 16:50:54

    このレスは削除されています

  • 134二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 16:54:03

    そうそう、ホットケーキのうんちくで一つ大事なことを忘れてたので

    折角だからゲストに来てもらったわ。ドラちゃんよ


    ぼくドラえもんです! ぼくが好きなのはどら焼きであってホットケーキじゃないんだけど?


    ところがどっこい、現代のどら焼きってそもそもが欧米のパンケーキ文化の影響が強くて、

    昭和の中頃ぐらいまでどら焼きとホットケーキは混同されていたのよ

    詳しい出典が明らかになってないけど漫画サザエさんにも「どら焼きを焼く」といってホットケーキを焼く話があったとかなかったとか……

    実際、昔ながらのどら焼きも銅版を使って焼くし、これをそのままホットケーキですって言われて出されたら割と騙せそうじゃない?


    うわぁ、美味しそうだなぁ……!


    (このタヌキ、聞いちゃいないわね……)


    只、この「そっくり」を逆手に取ってどら焼きの皮だけをまるでホットケーキのように提供しているお店は実際に存在するのよ

    たとえば、上野にある老舗和菓子屋のうさぎやは東京三大どら焼きと言われる名店なのだけど

    ここがはじめた「うさぎやCAFE」では、開店直後の時間帯限定で工場直送の焼き立てのどら焼きの皮を

    「うさパンケーキ」として提供しているの


    同じく、老舗の横濱文明堂が本店併設でやってる喫茶室「ル・カフェ」では、

    横濱文明堂のどら焼きである「三笠山」の皮を使った「パステル」ってメニューをやはりパンケーキのように提供しているわ


    このようにパンケーキ文化を吸収して発展したどら焼きが、時代を経てパンケーキ文化に回帰する現象なんてのも世の中では起こっているの

    只、どちらも決して「ホットケーキ」と名乗ってないのはちょっとしたポイントかしらね

  • 135二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 17:14:56

    ホットケーキは家庭のおやつでパンケーキはお店のメニューって線引かな
    写真がどれも美味しそうでいいなあ…

  • 136二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 17:35:50

    このスレでもマハトは終始無言でソリテールの隣にいるのだろうか

  • 137二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 18:35:55

    さて、次のメニューだけどここで再びキートン先生に登壇してもらうわ



    皆さん、こんばんは

    前回は「トルコライス」と「エスカロップ」の比較を行ったわけですが、

    今回紹介するのは洋食の歴史の中に埋もれてしまった古の料理「ハムライス」について紹介したいと思います

    今も古い洋食屋さんや、あるいは中華屋さんのメニューにぽつんと存在することもあるこの料理ですが、

    どんなものであるかパッと思い浮かぶ人は少ないんじゃないでしょうか?


    ハムライスを紹介する前に、こちらは皆さんにも馴染み深いと思いますが「チキンライス」の説明をせねばなりません

    チキンライスは明治時代に日本で発祥した洋食の一つですが、考案された当初はあの赤い見た目をしておらず、

    バターや胡椒を使ったピラフのような料理だったと言われています

    カラメルやドミグラスソースを使った味付けもあったようですが、トマトが使用され始めるのは大正時代になってからと

    普及にまで時間がかかっており、ケチャップが使われ始めるのはもっと後になってからです

    これにはケチャップというものの歴史も密接に関わってくるわけですが、長くなりますし、オムライスの解説に譲りましょう


    さて、塩コショウで味付けしたバターライスとして世に出たチキンライスですが、本題である「ハムライス」も比較的同時期に開発されています

    元々は高価な食材だったハムの端材を有効活用しようとして始まった料理だったそうですが、

    大正13年に神田の須田食堂でトマトソース味のハムライスが提供され始めるようになるとその新しい味覚はたちまち人気を呼び、

    他店にも普及して「ハムライスブーム」が起こったそうです

    当時の日本ではまだハムやソーセージなどと言った、所謂「加工肉」が珍しかったこともあり、

    それが人気に輪をかけたことも否定はできないでしょう

  • 138二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 18:38:15

    そうした中で今も現存するハムメーカーの「鎌倉ハム」が、缶詰の「ハムライスの素」を販売しました

    これはとろ火で煎りつけながら米と混合せるだけでトマト味のハムライスができるという、今で言うレトルト食品の先駆けでもあり、

    高級食材として明治屋や百貨店の三越、白木屋などで大ヒットを呼びました

    続いて鎌倉ハムは「チキンライスの素」を発売し、明治屋も独自商品としてハムライス、チキンライスの素を出しました


    このように、まず優先されたのがハムライスであり、チキンライスはおまけというか次点の扱いだったことが分かります

    しかし、次第に人気は逆転し昭和に入る頃にはチキンライスの素がハムライスの素の人気を上回るようになります

    戦後において鎌倉ハムはどちらの素も再販することはありませんでしたが、

    既に一般家庭や洋食店で人気メニューとして定着していたチキンライスに対して、ハムライスはいつしか忘れられた存在となってしまったのです



    キートン先生、ありがとう♪

    ハムライスは煉瓦亭とか一部の洋食屋で未だに食べられる場所もあるけど、バターライス系かケチャップライス系かはお店によってまちまちで

    ハッキリ言って統一感はないの。正直、物珍しさで頼む以外、選択肢に上がることはまずないと思うけど、

    これはこれで味があって如何にも古の洋食って気がして良いんじゃないかしら?

  • 139二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 19:25:30

    ハムライスは初めて聞いたな

  • 140二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 19:30:23

    相変わらずグルメライター・ソリテールのスレは中身が濃くて面白い
    今後の外食の参考にさせてもらいます

  • 141二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 20:32:15

    ハムとチキンではそりゃチキンに軍配が上がるよなあ…
    某きのことたけのこみたいに競り合えればよかったのにな

  • 142二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 21:54:55

    >>134

    どら焼きの皮だけって確かに美味しそうなイメージある

    子供の頃は餡子があんまり好きじゃなかったから余計にそう感じてたな

    あのしっとりした皮だけを食べ続けてみたかった

  • 143二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 22:40:59

    そうそう、日本のホットケーキ文化をもう一つ忘れちゃいけないものがあったわね

    今夜はこれを最後にお開きにしましょうか?

    そんなわけで、「アメリカンドッグ」を紹介するわ



    待ちなよ、ソリテール。いくらなんでも名前に「アメリカン」と付いてる食べ物はアメリカ発祥のはずだ



    フリーレン……ダメね、エルフもおばあちゃんになると細かいことばっかり気にしちゃって

    確かにアメリカンドッグの原型はアメリカでよく食べられている軽食「コーン・ドッグ」だけど、

    これは名前の通りコーンミールを衣にして揚げる食べ物なのよ

    それに日本のアメリカンドッグがポークソーセージ一択なのに対して、アメリカ本国ではビーフソーセージ、

    つまり牛肉のソーセージを使ったものも少なくないの

    日本のアメリカンドッグとの最大の違いは衣で、先程も言ったようにアメリカはコーンミールだけど日本の場合はケーキミックス、

    そう、ホットケーキミックスとほぼ同じほんのりと甘い生地ってわけ

    どうして日本とアメリカで生地が違うのかは分からないけど、コーンミールが日本人の味覚に合わなかった、

    というよりはトウモロコシ大国のアメリカと違って日本ではコーンミールが手に入りづらかったんでしょうね



    日本では戦後、1950年代のアメリカ文化が押し寄せてきた時期に上陸した食べ物と言われていて、

    最初はお祭りの屋台だとかそういう場所で売られている食べ物だったわ

    そこから波及して全国に広がっただけに、明確にここが発祥の店っていうのは特定しづらいの

  • 144二次元好きの匿名さん25/03/10(月) 22:42:59

    けど、日本で始めてアメリカンドッグを「メニューに載せた」とされる店は分かっていて、

    横須賀にあるハニービーっていうアメリカンダイナーじゃないかって言われているの

    ここの初代店主・直井陽樹氏は1940年代にアメリカ駐留軍の兵員食堂で働いていた経験があって、

    それを活かして横須賀基地の目の前に駐留軍向けのダイナーを開いたのね

    尤も、ハニービーではアメリカンドッグじゃなくて「スティックドッグ」って名前だけど、おそらくここが元祖じゃないかしら



    けどまあ、日本人にとって日常的な「ホットスナック」になったのは何と言ってもコンビニの影響が大きいわよね

    おそらく80年代後半、各社がホットスナックを展開する中でセブンイレブンかどこかが

    最初にラインナップに加えたんじゃないかって言われているけど、正直なところ調査不足。よく分からないのよ

    我こそはコンビニ史に通じている、みたいな人がいたら、是非、解説よろしくね!

  • 145二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 01:19:20

    このレスは削除されています

  • 146二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 02:24:31

    無くては生きていけない食べ物ばっかりだわ
    食の魔改造職人に心から感謝しなきゃ

  • 147二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 11:07:02

    アメリカンドッグって最後に食べたの10年以上前だわ
    それでも味をすぐ思い出せるのはホットケーキに似てるからなのかもしれん

  • 148二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 15:47:59

    みんな、3時のおやつは何を食べてる?

    そろそろオムライスの準備に入ろうと思うけど、本当にクソ長くなりそうなので何回かに分けての投稿を考えてるソリテールよ

    さて、今日紹介するのは日本発祥ではないのだけど日本のほうが多く食べられていて、

    何なら本国では作り方が消失してしまったお菓子、バームクーヘンを取り上げようと思うわ



    日本だと昔から結婚式の引出物として定番で、それ以外にもお中元やお歳暮、ちょっとしたお茶菓子として専門店もあるほど

    お土産としてメジャーだけどこれが本来ドイツのお菓子ってのはみんななんとなく知っているわよね?

    でも、実は肝心のドイツ本国ではあまり食べられることがないお菓子でハッキリ言うとマイナーに近いの

    たとえば、インドカレーのナンは日本人の勘違いから「インドで日常的に食べられているパン」として広まった、という有名な逸話があるけど、

    バームクーヘンに関して言えばそれはとはちょっと違ってまずこのお菓子がどのようにして日本へ広まったかを解説していくわね



    1909年、当時ドイツの租借地だった膠州湾租借地の青島市でドイツ人菓子職人のカール・ユーハイムという男性が

    自らの名前を冠した『ユーハイム』という喫茶店をやっていたの

    彼は菓子店協会の会長に進められて大陸で一旗揚げようとやってきた職人だったのだけど、

    1914年に第一次世界大戦で日本がドイツに宣戦布告、膠州湾租借地が日本軍の攻撃を受けて陥落したことで非戦闘員だったにも関わらず捕虜にされ、身重の奥さんを残して日本に強制連行されてしまった

    やがて日本で捕虜生活を送っていたユーハイムは広島県物産陳列館、現在の原爆ドームね

    ここで開催された「ドイツ作品展示会」においてドイツ菓子を焼く機会があって日本人好みの味に改良したものが評判を呼んだの

    彼は青島市でもバームクーヘンを作っていたけど、意外にもこれが日本人に受けたことで本格的に日本での生活を考え始めるのね

  • 149二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 15:48:46

    やがて第一次世界大戦は終戦し、日本にいたドイツ人捕虜は解放されて本国へ帰国したのだけど帰国を選ばなかった者もいた

    その中には日本でハムやソーセージの会社「ローマイヤー」を興すことになるアウグスト・ローマイヤーなんかもいて、

    ああ、ちなみにこの人は「ロースハム」を作った人で、実はロースハムって日本生まれなのよ


    そうした中でユーハイムもまた選択を迫れるの。彼は当初、妻子のいる青島市に戻ろうとしたのだけど現地で疫病が流行っているという話を聞きつけると、

    逆に妻子を日本に呼び寄せて日本での生活を始めた

    ユーハイムは菓子職人の腕を活かして高級食材店だった明治屋が銀座で開いた「カフェー・ユーロップ」に青果部主任の肩書で採用されて、住み込みで働き始めた

    彼の作るドイツ菓子は評判を呼んで特にバームクーヘンやプラムケーキは外務大臣賞を取るほどのものだったそうよ


    やがて「カフェー・ユーロップ」との契約が終わったユーハイムが身の振り方を考えていると、

    今度は横浜の山下町でロシア人が経営していたレストランが売りに出ている、という話が舞い込んできたの

    ユーハイム夫妻は客入りの悪い店の購入に難色を示すのだけど、妻のエリーゼが急に心変わりをして購入を決意

    「E・ユーハイム」というドイツ菓子に加えてドイツ風の軽食も出すお店としてリニューアルして、お店は大繁盛をするのだけど……

    ここからがユーハイム一家の災難で、お店は関東大震災で焼失してしまったのよ

  • 150二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 15:49:58

    このレスは削除されています

  • 151二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 15:54:39

    失意のユーハイム一家は横浜での商売を諦めて神戸に住む知人宅に身を寄せるのだけど、
    ここで彼は知人の勧めで当時三宮にあった洋館の3階を借りて「JUCHHEIM'S」という喫茶店を始めたの
    神戸は横浜と同じく港が開けている割には外国人向けのお店が少なくて、その需要を突いたユーハイムの店は横浜のときを上回る大繁盛
    他の店舗も「JUCHHEIM'S」の店から菓子を仕入れて売り出したり、中に模倣品まで現れるのだけど、
    今現在神戸が「洋菓子の街」として知られているのにはユーハイムの存在も大きかったと思うわ


    この後、ユーハイムは開戦した第二次世界大戦の影響をモロに受けて、商売は上手く行かなくなったり、
    精神に不調をきたしたり、軍にとられた息子が戦死したりと悲劇の道を歩むことになるのだけど、
    その死顔はとても安からかだった、と、妻のエリーゼは述懐しているの
    戦後すぐ、エリーゼや戦死したカールの妻子は国外追放の憂き目に合うのだけど、
    かつて「JUCHHEIM'S」に勤務していた日本人たちが師であるユーハイムに受けた恩を忘れず、
    店の復興を目指して尽力、会社としてのユーハイムを設立して1953年にはエリーゼをドイツから呼び寄せることに成功するの
    エリーゼはこれに感動して、夫カールが死去した地でもある日本に永住することを望んで、
    1971年に神戸市で息を引き取った

    まったく、同じ神戸でも恩知らずのモロゾフ(会社の方よ)のクソ野郎どもとはえらい違いよね!

    ちなみに話を最初に戻して、なんでドイツ本国でバームクーヘンが食べられていないか、だけど
    理由は至極単純で第二次世界大戦の影響で国がめちゃくちゃになったり東西分裂したりして、
    バームクーヘンというお菓子を技術継承する人もできる人もいなくなって作り手が途絶えてしまったの
    ドイツにはコトブスっていうバームクーヘンの本場が一応あることにはあるだけど
    伝統的な作り方が再現できなくて、わざわざ日本のユーハイムから職人を呼び寄せて教えを請うたぐらいなのよ

  • 152二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 16:11:22

    うーむ、相変わらず面白い

  • 153二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 16:20:50

    モロゾフって何かしたのか?

  • 154二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 16:41:15

    このレスは削除されています

  • 155二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 16:43:37

    >>153

    今あるモロゾフって会社は元々白系ロシア人のフョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ一家が

    神戸で経営していたチョコレート店が起源なのだけど、出資者で経営に関わっていた日本人がモロゾフ親子には

    会社の会計帳簿を一切見せないなど明らかに不正を働いている兆候があったの


    モロゾフ親子はそれに不信感を持って裁判にまで発展したのだけど敗訴したどころか、

    自分で起業したモロゾフ製菓を追い出されて、「モロゾフ」や類似した商号を使用して菓子販売をすることを禁じられ、

    同様の事業をすることさえも禁じられてしまった

    モロゾフは日本語が不自由だったこともあって裁判が上手くいかなかったし、この厳しい条件を飲まなければ

    帝政が崩壊し共産国家となった「ソビエト連邦」に強制送還すると日本側から脅されて調停を飲むしかなかったのよ


    こうしてモロゾフは日本人に自身の店や会社を乗っ取られるどころか、名前さえも奪われてしまったってわけ

    日本側はあくまで「大日本帝国に住めるだけありがたいと思え」って姿勢を崩さず、白系ロシア人のソ連での立場を引き合いに出して

    とことんモロゾフ親子に対して強気に出たの

    この調停を引き受けた人物は神戸商工会議所理事だったけど、モロゾフに出資していた日本人とは縁戚関係にあったから

    要するに最初からグルだったわけよ


    フョードルは60歳を過ぎた頃に回想録を書いたけど、周囲の勧めもあって出版したそこには

    常に裏切られる危険のある他人よりも家族・親戚を重視すること、海外で教育を受けることの重要性、

    商取引における誠実さと謙虚などが説かれていたそうよ


    私はこのクソみたいな逸話が大嫌いでどんなに美味しくても現モロゾフが出してるお菓子はあまり好きじゃないのよね

    でもそれはあくまで私個人の考え方であって、モロゾフのプリンやチーズケーキを美味しいと思う人のことは否定しないし、

    何だったらあにまんソリテールの戯言なので原作とは一切関係ないことはしっかり断っておこうかしら

  • 156二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 17:09:27

    >>155

    本当にクソみたいな逸話で草

    いや、草じゃ済まされないレベルか…

  • 157二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 18:37:55

    ちなみにカール・ユーハイムが弟子たちから慕われた理由の一つにこんな逸話があるわ
    彼は菓子職人は清潔感が大事だと言って日本人の弟子たちに衛生面において厳しい指導をしたの
    やれ、風呂には毎日入れとか爪は3日に1度は切るだとか、これぐらいだったら細かい小言でみんなうんざりしたかも知れないけど、
    汚れのついた作業着を毎日洗濯できるようにとか、従業員が毎日お風呂に入れるようにって
    給料とは別に洗濯代やお風呂代を別途支給したのよ

    こうした太っ腹なエピソードもあってカールから「職人として一人前にしてもらった」と感じた弟子が数多くいて、
    これが戦後におけるユーハイム再建へと繋がっていったのでしょうね

  • 158二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 18:47:10

    >>157

    こういう親方だったらみんなついていくよなあ

    国を離れた後も慕われるのも納得

  • 159二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 20:11:05

    推しキャラの語りでこんな良質なグルメ雑学をタダで読める贅沢よ
    オムライス注文お願いします!

  • 160二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 20:36:48

    (ユーハイムとモロゾフの逸話ごっちゃにしてた……)
    (いつ裏切られるのかドキドキしてた……)

  • 161二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 20:40:08

    ユーハイムの方はええ話や…

  • 162二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 21:06:22

    いよいよ、このスレの最後を飾る料理の登場よ

    日本生まれの洋食、その代名詞でもある「オムライス」の歴史を深堀りしていきましょうか

    私一人ではとてもじゃないけど語りきれないから、ゲスト講師としてまたキートン先生をお呼びしたわ

    キートン先生、よろしくね


    よろしくお願いします

    私が>>137で「ハムライス」と「チキンライス」を説明した際、ケチャップについて僅かに触れましたが、

    皆さんはケチャップと言われて何を想像しますか?


    何って……こういうのでしょ?


    はい、それはたしかにケチャップですが正式名称を言うならどうでしょうか?


    正式名称? ……トマトケチャップ、かな


    正解です。実はケチャップというのは野菜や果実、キノコ、魚介類などを原料にした調味料のことを指し、

    トマトケチャップというのはその中の一種流涙に過ぎないんです

    バナナ大国のフィリピンではバナナを用いて作ったバナナケチャップがポピュラーなソースとしてあるほど自由度が高い調味料になります

    しかし、日本国内は勿論、世界的にもケチャップと言えばイコールでトマトケチャップを指すことが非常に多い

    これは何故かと言うと、一人のアメリカ人起業家が1876年に売り出した商品が大きな影響を与えました

    ソリテールさんは勿論、知っていますよね?

  • 163二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 21:09:12

    ええ、勿論。男の名前はヘンリー・J・ハインツ

    彼は元々ホースラディッシュ(山わさび)を販売する会社を営んでいたのだけど、経営破綻を起こして別の事業を考えたの

    当時のアメリカではケチャップと言えばイギリスから輸入されるキノコを使ったものか、

    酸味が強すぎて食用に適さないトマトを使ったものが一部で作られていたのだけど、ハインツはこのトマトケチャップを新会社の目玉商品にしようとしたの

    でも、ただトマトケチャップを売り出すだけじゃインパクトがない

    そんな中でハインツは考えた。自社のトマトケチャップを「透明な瓶」に入れて販売することを



    透明な瓶? それがどうかしたの?



    当時、アメリカという国の食品市場は今だと考えられないほど不衛生なものでした

    腐った肉や野菜を売ったり、キノコのケチャップにおが屑を混ぜたり、傷んだ牛乳に白いインクを入れて誤魔化していた、なんて不正が平然と行われ、

    庶民は「健康的で衛生的な食べ物」がなかなか手に入りづらい時代だったと言えます

    ハインツはそこに目をつけて自社の製品を透明な瓶詰めにすることで、「我が社のケチャップは見ての通り新鮮なトマトのみを使用しています」と宣伝したわけです

    この試みは成功し、ハインツ社のトマトケチャップは瞬く間に全米シェアNo.1となりました

    更にハインツは政治家へのロビー活動を積極的に行い、市場に出回っている酒が危険な工業エタノールなど有害物質を混ぜた危険なものの場合があるなど、

    アメリカ国民の食品衛生事情について強い訴えを起こします

    政治家はこの提言を聞き入れ、食品市場を抜本的に改革する法律が幾つも制定されました

    このことから、ハインツはアメリカの食品衛生事情を近代化させ「食の安全」という概念をアメリカにもたらした

    偉人としても知られているのです

  • 164二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 21:12:02

    このレスは削除されています

  • 165二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 21:12:22

    ハインツの努力もあってアメリカではケチャップそのものがトマトケチャップで固定化されるとともに、

    その影響は日本にも波及したの。何故なら日本がケチャップを初めて輸入したとき、

    それはハインツの製品だったと言われているの

    つまり、日本では国内に入ってきたときからケチャップはトマトケチャップだったのね

    但しそれは1909年、つまり大正時代に入ってからのことだったから、日本で洋食文化が花開いた明治時代には

    ケチャップライスなんてものは存在しなかった、というか作れなかったし、

    最初はバターライスで、その次がトマトソースをベースにしたものだった、というわけなのよ


    これは最初期のオムライスがどんな料理だったかにも関わってくるのだけど……

    長くなったから今日はこのくらいにしておきましょうか? 続きは又明日のお昼か夜にするわね

  • 166二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 21:24:18

    トマトソースのことをケチャップと呼ぶんじゃなかったのか…

  • 167二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 22:18:58

    >腐った肉や野菜を売ったり、キノコのケチャップにおが屑を混ぜたり、傷んだ牛乳に白いインクを入れて誤魔化していた、なんて不正が平然と行われ、


    ダンボール肉まんや下水油も真っ青やないかい!

    アメリカにもそんな時代があったとは知らなんだわ……

  • 168二次元好きの匿名さん25/03/11(火) 23:39:33

    まずはケチャップとケチャップライスから始まるんか
    本当に長くなりそうだなオムライスの歴史

  • 169二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 00:09:27

    ケチャップって色んな種類が有るのか

  • 170二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 01:15:10

    ケチャップってトマトケチャップのみを指す言葉ではなかったのか
    思い込みが覆されてしまった

  • 171二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 02:08:21

    薄焼き卵のオムライスとフワとろ卵のオムライスの変遷も気になるところ

  • 172二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 09:05:01

    >>167

    これは昔のヨーロッパの話だけど、肉屋に5年ずっとここのソーセージを食べてるんだから

    ちょっとおまけしてくれよって客が言ったら

    5年もウチのソーセージを食べてまだ生きてるんですか、と主人が返したというエピソードが有ったとか

    昔は食の安全管理なんて概念すら無かっただろうし、恐ろしい話ですわ

  • 173二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 12:29:19

    さて、昨日はトマトケチャップの世界的な普及と日本への伝来について語ったわけだけど、

    オムライスという料理自体はケチャップが上陸する前から存在するの

    ここからはいよいよ、オムライスという料理の起源や発祥について触れていくわね



    まずは「またお前か!」ってスレ民も言いたくなるだろう煉瓦亭発祥説よ

    煉瓦亭は現在もお店で元祖オムライスってメニューを出しているけど、これは元々店の賄い料理として誕生したもので

    卵と米飯をみじん切りにした具材と調味料を混ぜ込んで焼いたという、今現在のオムライスとは随分とスタイルが違うものなの

    言うなれば包むのではなく「混ぜるオムライス」ってことね

    忙しい厨房でもスプーン一つあれば食べられる賄いとして考案されたそうだけど、あるときお客さんからそれを食べてみたいと要望され、

    明治34年……1901年にはお店のメニューにライスオムレツとして掲載するに至ったわけ

    これは煉瓦亭がでっち上げているわけじゃなくて、当時の小説家・村井弦斎という人が新聞で掲載していた『食道楽』という小説には

    「米のオムレツ」として煉瓦亭のライスオムレツによく似た料理が載ってたそうだから、

    煉瓦亭でそういったメニューが提供されていたのは間違いないわね

    ちなみに現在の煉瓦亭のオムライスは画像みたいにケチャップが掛かってるけど、これは当時だと存在しないことは昨日書いた通りだからまさしく後付ってやつよ


    一方でもう一つ有名な説は大阪心斎橋の「北極星」というお店で、

    ここが前進となる大衆洋食店「パンヤの食堂」という名前だった頃に主人・北橋茂男が、いつも米飯とオムレツを頼んでいた胃の弱い常連客に

    同じものばかりでは可哀想だと同情して、ケチャップライスを薄焼き卵で包んだものを提供

    これを「オムライス」と名付けた……という伝説めいた話よ

    大阪らしい人情噺で、時期も1925年、つまり大正14年のことだからケチャップも日本に上陸はしているのだけど……

    ちょっと出来すぎな話って気もするのよね。キートン先生はどう思う?

  • 174二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 12:29:55

    私も正直、北極星の逸話はお話としては美しいですが発祥や起源というには今ひとつ不足している気がします

    というのも、北極星がオムライスを作ったときより5年も前の1920年に、

    築地精養軒の料理長だった鈴本敏雄氏が『仏蘭西料理献立書及調理法解説』という本を著しているのですが、

    その中で既に味附米飯を詰めて調製し、赤茄子ソース……トマトソースのことですね、

    これを添えたオムレツが「Omelette Mireille」として紹介されているんです

    更に1926年に出版された『手軽においしく誰にも出来る支那料理と西洋料理』にも、トマトソースで調味したチャーハンを

    薄焼き卵で包むレシピが「オム、ライス(卵と肉の飯)」として紹介されており、

    大阪の大衆洋食店で誕生したはずのメニューが、僅か1年で本にまで載るものなのか? という疑問もあります


    又、明治生まれの作家サトウハチローが浅草の馴染の屋台でオムライスを食べたという記述を大正14年に刊行された雑誌『改造』にて書いていますが、

    当時の東京都内にはこうした洋食を出す屋台が多数存在し、特に浅草にはその手の屋台が多かったと言われています

    大正14年は北極星がオムライスを作ったとされる年と同じですが、全く同じ年に東京の屋台でもオムライスなる料理は食べられていたことになるんです

    そう考えると、北極星が発祥であるという話も少し疑問が浮かんできますよね?

    そして、これはやや信憑性に欠ける話ですが今も存在する日比谷松本楼の料理長がオムライスはチャブ屋から生まれた、という証言をしたという話もあり、

    この場合のチャブ屋とはおそらく浅草などにあった屋台ではないかと推測されますが、

    とにかく日本のよう食文化はそうした屋台料理から生まれたものも数多くあると言われています



    尚、松本楼にもオムライスはメニューとして存在しますが、

    松本楼はオムライスの起源や発祥こそ主張していないものの、オムライスに初めて「ドミグラスソース」を掛けて提供したお店ではないか、という説も存在します

    実際に松本楼のオムライスには今もドミグラスソースが掛かっており、各店でその味を堪能することができますよ

  • 175二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 12:30:28

    このレスは削除されています

  • 176二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 12:31:15

    このようにオムライスという食べ物はどこが発祥の店である、というよりは日本の洋食文化が育っていく中で、
    徐々に生まれていった洋食だと言えるんじゃないかしら?
    まあ、煉瓦亭をはじめとした当時の洋食屋がメニュー研究を兼ねた交流会を開いて作ったなんて説もあるけど、
    それも明確な証拠があるわけじゃないし、当の煉瓦亭がうちこそ元祖って言い張ってるから、本当のところはどうだかね

    オムライスの発祥自体はこんな感じだけど、夜はフィナーレとしてオムライスのバリエーションや、
    私がオススメするオムライスの名店を紹介しようと思うからお楽しみに!

  • 177二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 14:28:57

    食材の切れ端をごはんと炒めて賄いにするってのも
    それを客に出したら人気出たってのも、どこででもありそうな話だもんね
    ただ、そのままだとオムライスというより洋食風焼き飯って感じになるけど
    どこから卵をかぶせるスタイルが一般的になったんだろうな

  • 178二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 17:06:04

    ごめんなさい、一点だけ訂正箇所があるの

    >>165のハインツのケチャップが入ってきた時期だけど、勘違いしてて大正じゃなくて明治時代だったわ

    そもそも1909年からしてまだ明治時代だものね

    より正確な話をすると明治時代のよう食文化とともにアメリカからトマトケチャップ自体は来ていたのだけど、

    それが一般庶民向けに明治屋が輸入販売され始めたのが1908年(明治41年)なのね


    但し、これに先立つ1903年(明治36年)には国産のケチャップを横浜の清水屋というところが製造を開始して、

    1908年にはトマト王の異名を持つ蟹江一太郎がトマトケチャップの製造販売を開始

    彼は積極的は宣伝戦略を用いてハインツや他の国内製品の追随を許さず、日本国内の全国シェアを確立

    これが今日における「カゴメトマトケチャップ」ってわけ


    世界最大のシェアを持つハインツのケチャップが日本だといまいち知名度も売上も低いのは、

    日本が早期における国産商品の製造と販売に成功したからで、カゴメと、それを追いかけるデルモンテのシェアを

    崩せないっていうのが実情ね

  • 179二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 20:22:26

    遠い昔、何回かオムライス専門店に行ったことあったなぁ懐かしい

  • 180二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:07:24

    みんな、ここまでお付き合いありがとう

    最後はオムライスのバリエーションとオススメのお店を紹介するわけだけど、

    みんなが想像しやすいのはオーソドックスな包むタイプと、オムレツをチキンライスの上でパカッと切るタイプかしらね

    けど、私に言わせれば単純に「包む」オムライスにだってお店によっての違いはあるのよ?



    例えば最初に紹介するのは資生堂パーラーのオムライス

    このパーラーは明治時代に開いた「資生堂ソーダファウンテン」という喫茶店が起源の洋食屋チェーンだけど、

    特筆すべきはそのチキンライスを包む卵のスベスベ感!

    まるで人間の赤ちゃんの肌みたいに可愛くて、気泡の少ない見た目は芸術的な仕上がりよ

    特筆すべきはこれが「チェーンのオムライス」ということで資生堂パーラーに行けばこのタイプのオムライスが

    必ず食べられるってことなの。これって凄いことだと思わない?



    ちなみにこの資生堂パーラーに43年勤めて、息子夫婦と独立して御徒町に店を構えたのが

    Delizioso 0141の太田シェフよ

    私は開店した当初に偶然……でもないわね、ちょっとした理由で食べに行ったことがあるのだけど、

    正直このときは若いシェフ(息子さんね)がメインで給仕してたお父さんの太田シェフは

    定年のバイトのおじいちゃんぐらいにしか思ってなかったの

    それがテレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?」って番組に太田シェフが出演されて、

    実はバイトのおじいちゃんじゃなくてシェフだった、ってことを知ったのね


    このお店でも資生堂パーラーそのままのオムライスが食べられるのだけど、名物は「白いオムライス」よ

    黄身まで白い特別な卵を使っていて、濃厚なチーズソースがそれはもう素晴らしい世界にあなたを導いてくれるわ

  • 181二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:09:59

    バニラアイスみたいだな…

  • 182二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:12:35

    次に紹介するのはやはり包むタイプのオムライスで、東京は港区西麻布にある麻布食堂ね



    もうハッキリ言ってしまうけど私が一番好きな「王道中の王道」、これぞオムライスってやつよ

    さっき紹介した資生堂パーラーのオムライスはちょっとでっぷりとした太っちょだったけど、

    麻布食堂のオムライスはスリムだと思わない?

    チキンライスの具材は鶏肉に玉ねぎとシンプルで、味付けもケチャップと中濃ソースっていうありふれたものなのに

    これがどこか懐かしいような、それでいてプロの洋食屋の味を感じさせる絶品なの!



    店主の原田シェフはカルト的な人気を誇る料理番組「イシバシ・レシピ」にも登場したことがある人で、

    当時はまだ珍しかった「フライパンの柄をトントンやって卵を巻き込む技」を披露して司会の石橋貴明と視聴者の度肝を抜いたのよ

    お店ではケチャップ味とホワイトソース味があって、昔はデミグラスソースもあったんだけど今はやってないみたい

    物価高騰でそれなりに値段は上がってしまったけど、ランチであればまだ1500円未満で食べられると思うし、

    オムライス好きの人には是非おすすめしたい名店ね

  • 183二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:28:04

    そして、日本のオムライスで1、2を争うほど有名な店と言えば日本橋たいめいけんよ

    正直、このお店の「普通のオムライス」を画像で見るとお世辞にもきれいなルックスじゃないし

    「え、これが日本一有名なオムライスなの?」って思う人もいるかも知れない



    でも、たいめいけんの凄いところはさっき書いたこのタイプのオムライスを作ったことにあるの

    そう、たんぽぽオムライスよ

    これは映画監督の伊丹十三が1985年の映画「タンポポ」の中で考案して、日本橋たいめいけんが調理して世に出たものなの



    伊丹十三は映画監督として著名だけどエッセイストとしても活躍した人で、

    その中には料理に関する記述も結構あるのね

    中でも『日本世間話大系』というエッセイの中にある『プレーン・オムレツ』という話は

    伊丹十三が洋食屋のオヤジさんにオムレツの作り方を尋ねる話なんだけど、その巧みな文章で臨場感溢れるものになってて、

    文章だけなのにオムレツを調理する様がありありと思い浮かぶの

    きっとこのときの体験含めた伊丹十三の洋食屋さんとの付き合いが後のたんぽぽオムライスへと繋がったんじゃないかと思うけど、

    チキンライスの上でオムレツをカットして卵を広げる、という手法は大変オシャレで、

    どこか子供っぽい食べ物と思われがちだったオムライスを一気に高級洋食へと押し上げた大発明だった……


    のだけど、これには異説もあってチキンライスの上でオムレツを開くタイプのオムライスは

    既に閉店してしまった洋食レストラン吾妻で戦前から作られていた、という話もあってぶっちゃけ伊丹十三は

    これをパクっただけなんじゃね? っていう話もあるのよ

    ちなみに吾妻は>>171が気にしていたふわとろオムライス発祥の店だと言われているけど、

    オムライス通たちの間ではふわとろオムライスそれ自体がブームになったのは2000年頃かららしいわね

  • 184二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:29:14

    ちなみにたいめいけんでは現在もたんぽぽオムライスが名物料理になっているけど、

    色黒で有名な三代目の茂出木浩司シェフがテレビやYouTubeなんかで披露することもあるから

    割と知ってる人も多いんじゃないかしら?

    ちなみにこれは全くの余談なんだけど、茂出木シェフって地黒じゃなくて自宅に日焼けサロンもびっくりな

    マシーンがあってそれで焼いてるらしいわよ。ソースは賛否両論の笠原シェフね

  • 185二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:37:17

    このレスは削除されています

  • 186二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:38:36

    次は街場の洋食屋さんでも開くタイプのオムライスを出しているところがあって、

    それが日本で1、2を争うオムライスの有名店……と思ったけど違うわね

    ぶっちゃけ、このお店こそが「世界で一番」オムライスで有名な、いえ、オムライスを世界で有名にしたといっても過言ではない、

    京都の名店中の名店、ザ・洋食屋キチキチね



    ここのマスターである幸村元吉さんはオムライス作りのパフォーマンスをよくしているのだけど、

    関西人らしい陽気なキャラクターが受けてYouTubeとかで数百、数千万再生された動画が沢山あるっていう

    オムライス界のハイパーインフルエンサーなの

    Greatest Omurice Artist,Omelet Rice - Kyoto Japan

    その動画の数々は主に海外で大バズして、インバウンドの訪日観光客向けのサイトやガイドブックには

    日本の、それも京都に行ったなら絶対に行くべきお店として掲載されているほどの人気っぷり

    一時期は予約が殺到して日本人客は全く入れないほどだったわ


    そういう事情もあって私も興味はあったんだけど縁遠いお店だなって思ってたら、

    例のコロナ禍で海外の観光客がぱったり途絶えたじゃない? あんなに人気だったキチキチも例外じゃなくて、

    それで運良く食べに行ける機会が何度かあったのよ


    元吉シェフってパフォーマーな部分ばっかりが注目されて、料理は大したことなのでは思われがちだけど、

    実際に会ってみると料理人としての拘りやプライドがめっちゃ高くて、凄いシビアな人だったわ

    動画で見せる陽気なキャラクターとは別に結構な理論派で料理に対する真摯さはプロ根性の塊だと私は思った

    こっちがちょっと隙のあるコメントした日にはガン詰めしてくることもあるからもうドキドキよ


    でも、「オムライスで世界をハッピーに」って信条は本物だし、世界中の国々でオムライスの実演をしたり、

    誰でも簡単にオムレツ式のオムライスが作れるようにって専用のフライパンやターナーまでプロデュースするぐらいだから、そのオムライス愛は間違いなく世界一だと思うわ

  • 187二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:45:03

    あとは……最近流行りのドレスオムライスとか?

    オムライスの卵をお姫様のドレスみたいに巻いて載せるタイプのオムライスよ



    ここまで熱く語ってきたのにいきなり冷めたこと言うと、私、これは見た目だけって感じがして

    あんまり好みじゃないのよね。まだ美味しいお店に出会ってないからかも知れないけど、

    これ食べるんだったら中華屋のオムライスのほうがいいかなって



    いいですね、中華屋さんのオムライス。大きくて味が濃くて私は好きですよ



    町中華でオムライスが提供されるようになった経緯は定かじゃないけど、

    具材的には炒飯と似たようなもんだから提供がしやすかったというのも大きいでしょうね

    洋食屋のそれと違って繊細さとは無縁の世界で卵なんて香ばしいぐらい焼き目の付いたものばかり

    でも、これはこれで美味しいって思えるから不思議よね



    あと、マレーシアでは「ナシゴレン・パタヤ」ってメニューがあって、

    これはタイ風エビチャーハンとも言われるナシゴレンを卵で包んだものなの。見た目はオムライスと変わらないでしょう?

    これが日本のオムライスに着想を得た料理なのかは定かじゃないけど、卵で包み込むという発想自体は海外にも存在するってのは興味深いわね

  • 188二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:49:52

    最後に、これもちょっと変わり種だけど地味に好きなオムライスを紹介するわね

    神保町にあるスペイン料理屋「オーレ・オーレ」のオムライスよ

    見た目はでっかいオムレツにしか見えないでしょうけど、この大きなオムレツに比較的少量のご飯が入ってて、

    酸味のあるケチャップ系ソースにマヨネーズが掛かって、どことなくお好み焼きソースにも似た味わいよ

    ここまで散々洋食屋さんを紹介してきたのに、スペイン料理屋のオムライスが美味しんだなんて、ちょっと笑っちゃうわよね



    まあ、お店の数だけ色々なオムライスがあって、全部を食べることなんて魔族やエルフほどの寿命がないと難しいでしょうけど、

    それでも自分のお気に入りを見つけることはできると思うから、みんなも探してみるのがいいんじゃないかしら?



    さて、このスレもこれでお終いなわけだけど、今回はちょっと誤字脱字が多かったり

    思い違いもあったりであにまんソリテール的には「あちゃー」ってところも多かったわ

    でも、久々に目一杯うんちくが語れて楽しかったし、

    レスをくれたりスレに参加してくれたみんなも本当にありがとう


    それじゃあ、また次のスレでお会いしましょうね!

  • 189二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 21:57:41

    乙ー面白かったよ

  • 190二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 22:00:17

    中華屋のオムライスは男の料理って感じで好きだわ
    大事なのは見た目より味と量だろって言わんばかりの無骨さが好き

  • 191二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 22:40:54

    ほんとに面白かった!
    ありがとう、ソリちゃん

  • 192二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 22:44:37

    白いオムライスは一度食べてみたいんだよなあ
    しかし夜に見ると腹が減るなw

  • 193二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 22:59:12

    明日はオムライスにしよう

  • 194二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 23:16:37

    あ、これはついでに書いておくんだけど>>178で解説した日本最古にして最初の国産トマトケチャップ、

    清水屋ケチャップは2010年前後に当時のケチャップを復刻したの

    近所のスーパーにはおいてないかも知れないけどAmazonとかネット通販でも購入可能よ

    https://www.simizuya-andcraft.store/

    文献漁ったり、当時の証言をかき集めたりして作り上げた本当に当時を再現した(とされる)味になっているわ


    ちなみにこの清水屋、仙川で飲食店もやってるんだけどパスタ屋さんでオムライスはないのよね

  • 195二次元好きの匿名さん25/03/12(水) 23:45:44

    おつかれー
    うんちくソリちゃん大好き

  • 196二次元好きの匿名さん25/03/13(木) 03:54:52

    いつも面白くてためになるスレをありがとうソリちゃん
    アニメで動くの楽しみに待ってるね

  • 197二次元好きの匿名さん25/03/13(木) 11:15:19

    >>183

    たんぽぽのブルーレイ持ってるが

    あのオムライスのシーンはたまらんよね初見のインパクト凄かった

    つくってる役者さんは「できるかな」のノッポさんてのも最近知った

  • 198二次元好きの匿名さん25/03/13(木) 12:24:41

    >>188

    ソースのかかり方とかもお好み焼きの親戚っぽいなw

  • 199二次元好きの匿名さん25/03/13(木) 20:32:22

    オムライス食べてきた
    美味しかった

  • 200二次元好きの匿名さん25/03/13(木) 20:35:13

    >>155

    モロゾフのプリン大好物な俺涙目w

    いやこれからも食べるけどぉ……許せソリテールちゃん

オススメ

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