ソリテールと学ぶ日本生まれの洋食

  • 1二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:17:38

    皆さんのお久しぶり。みんなのアイドル、ソリテールよ
    私も登場するだろうアニメ2期が決まった記念にスレを立ててみたわ

    今日は日本で生まれた洋食を紹介していくわね。短いけどお付き合いよろしく

  • 2二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:20:49

    久しぶりに見たなソリテール…

  • 3二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:27:41

    まず最初に紹介するのは王道中の王道、スパゲッティナポリタンよ

    TV番組とかYouTubeで「イタリア人にナポリタンを食べさせてみた」っていうのがよくあるけど、

    実はこのパスタって元々は外国人向けに作られたものなの


    原型となるものを作ったのは横浜に今もあるホテルニューグランドの初代総料理長だった

    スイス人シェフのサリー・ワイルよ


    彼は近代フランス料理を完成させた偉人オーギュスト・エスコフィエの料理に傾倒していて、

    彼の料理に学びながらヨーロッパのあちこちで修行をして郷土料理に通じていたシェフなの

    このワイルが作ったとされるのが「スパゲチ ナポリテーイン」、裏ごししたトマトとチーズのソースを掛けたパスタだっと言われているわ

    後にホテルニューオークラの総料理長として「日本のフランス料理の父」と名を馳せる小野正吉シェフはワイルの弟子なんだけど、

    「ナポリタンの作ったのはワイルさんだ」と証言しているの


    けど、そのナポリタンを更に現代の形にしていったとされるのがワイルの後任で

    ワイルの後任で二代目の総料理長だった入江茂忠シェフだと言われているわ

    戦後、ホテルニューグランドはGHQに接収されてマッカーサーが泊まっていたことでも知られるのだけど、

    進駐軍が具なしのケチャップパスタを食べているのを見た入江シェフがケチャップだけでは味気ないと考えて、

    現在のような具沢山の炒めナポリタンを考案したと言われているわ


    つまり、ナポリタンの原型を作ったのはスイス人シェフで、完成形を食べたのは進駐軍と実は外国人向けパスタだったのよね

  • 4二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:37:18

    ナポリタンは有名だけど原型作ったのって日本人じゃなかったのか

  • 5二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:41:06

    久々のうんちくソリテールちゃんスレ楽しみ
    保守します

  • 6二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:44:48

    次に紹介するのはドライカレーよ

    ドライカレーは一般的に炒飯系と挽き肉系があると思うけどここで紹介するのは挽き肉系ね


    このタイプのドライカレーを考案したのは、名前は伝わってないのだけど日本郵船が運行していた

    欧州航路船「三島丸」で船付きのコックしていた調理人だったと言われているわ

    この調理人は長期の船旅で食欲を無くした客のために煮詰めて汁気のなくなったカレーを作ったと言われていて、それがドライカレーの始まりね

    ちなみに日本では定番というか当たり前になってる「カレーに福神漬を添えること」を始めたのも三島丸なのよ


    三島丸は関東大震災の際には横浜港に停泊していて、波止場まで逃れてきた多くの避難民を救助した船でもあるのよ

    救助した被災者の数は3000人を超え、船医は1000人以上の患者を診たと言われているの


    そして震災後、横浜の新たなシンボルとなる「外人ホテル」を建設しようと計画されてできたのが>>2のホテルニューグランドで

    その初代料理長として招聘されたのがサリー・ワイルってわけ

  • 7二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:44:51

    祝!]復活のソリテールのうんちくスレ!

  • 8二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 21:45:13

    そういや前にも料理や菓子について色々教えてくれるソリテールいたな

  • 9二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:04:14

    お次はみんな大好きポークカツレツよ♪

    カツレツフランス料理のコートレットを元にしていて、この料理は薄切りにスライスした仔牛肉に

    パン粉を付けて炒め焼きするものなの

    このコートレットを「吉列 Cutlet コットレト」と紹介したのが最近1万円じゃなくなった福沢諭吉で、

    吉列は広東語で「カッリッ」と読むことから、次第に変化してカツレツになった、と言われているわ


    コートレットは前述のように仔牛肉を使うのだけど日本は現在においても仔牛肉を食べる文化がないでしょ?

    西洋料理が入ってきた明治・大正時代なんて牛肉食自体がまだ未発達だったから、

    当然仔牛肉なんてなかなか手に入るものじゃない。輸入しようにも当時の冷凍技術はイマイチだった

    そこで手近な鶏肉や普通の牛肉なんかを代用していたのだけど、次第に手に入りやすい豚肉で代用されるようになって

    「ポークカツレツ」として完成させたのが今も銀座にある老舗の洋食屋「煉瓦亭」だとされているわ

    この煉瓦亭のポークカツレツが発展したのが日本のとんかつであるとされるんだけど、

    発祥に関してはこれまた今もお店が現存する「ポンチ軒」や「王ろじ」とか色々な説があって特定は難しいの


    ところでポークカツレツ登場後もビーフカツレツは廃れたわけじゃなくて、主に軍隊や外国人向けのレストランや

    公使館なんかでは牛肉のカツレツも振る舞われたとされているわ

    軍隊調理法にも記載があって陸軍の兵食として人気だったそうよ

    天皇の料理番として知られる秋山徳蔵も陸軍連隊の将校集会所で食べたビーフカツレツの味に衝撃を受けて

    西洋料理の料理人を志したとされていて、これはドラマ化もされたから有名よね


    また、関西ではとんかつじゃなくてビフカツが主流だけど、関西では農耕用の牛がたくさんいたので牛肉が手に入りやすかったこと、

    現在でもそうであるように神戸牛とか松阪牛とか牛の産地が関西には多いでしょ?

    その影響もあって関西はビフカツの方が定番になったらしいわ

  • 10二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:06:29

    ほしゅ

  • 11二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:20:01

    お腹が減るスレ

  • 12二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:20:38

    昨日今日と凄い冷えるわよね?

    そんなときに食べたいのがアツアツのドリアだと思わない?


    このドリアを考案したのも>>2に登場したホテルニューグランドの初代料理長サリー・ワイルで、

    ワイルがあるとき体調が優れないニューグランドの宿泊客から「なにか喉越しの良いものを」と頼まれて作った即興料理なの

    体調が悪い客にドリア? おかゆじゃなくて? と思ったそこのあなた、それって日本人的な考えよ

    欧米人はむしろ体調が悪いときにこそしっかり食べて栄養と体力を付けようって感じなの


    こんな話があるわ。日本でいちばん有名なフレンチの三國シェフがフランス修行時代の最後の年、

    当時、フランス料理界の「モーツァルト」と呼ばれた天才シェフ アラン・シャペルにいたときのことよ

    その日は夏の暑い時期で、賄い当番だった三國シェフはあまりの暑さにこれでは食が進まないだろうとさっぱり目のまかないを作ったの

    けれど、その賄いを食べた他のシェフやスタッフたちは不満そうにクリームやバターを入れた。それはもうドバドバと!

    折角みんなのことを考えて作ったのにと三國シェフは文句を言ったら、みんな不思議そうにこう返したというの

    「こう暑い日にこんな薄味じゃ力が出ないだろ。うちの母ちゃんやばあちゃんの料理もこれぐらいいれるよ」

    その答えに衝撃を受けて、三國シェフは日本への帰国を決意したというわ

    自分は暑い日は素麺や刺し身を食いたいし、どうあってもフランス人になれないことを痛感した、というわけね

  • 13二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:44:24

    たまに食べたくなるよなドリアって

  • 14二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:46:50

    こってりした料理が続いたから甘いものでもいかが?

    日本人が海外に行って驚くことの一つに「ショートケーキ」がないことってのがあるわ

    ケーキなんて西洋文化・お菓子の王道なのに実は生まれも育ちも日本なの


    考案したのは今から100年と少し前、1910年に横浜の元町に林右衛門という人が「FUJIYA」という洋菓子店を創業したの

    そう、これが今も存在するぺこちゃんでお馴染みの不二家なのよ


    林右衛門は外人シェフが多かった横浜の街で彼らの頼み込んでケーキ作りを教わり、

    日本で始めて「クリスマスケーキ」を売り出したのも不二家が元相ではないかとされているの

    大正時代になるとクリスマスケーキはもう大売れで、実はクリスマスにはケーキを食べるって日本だと100年以上前からある習慣なのよね


    さて、ショートケーキの話に戻すけど林右衛門は1912年に渡米してアメリカの菓子店で「ショートケーキ」を目にするの

    それはサクサクしたビスケット生地に生クリーム、イチゴを重ねたもので

    日本人が堅いものよりも柔らかいものを好むことを知っていた林右衛門はこの土台をビスケットからカステラ風の柔らかい生地に変更して、

    ショートケーキとして1922年売り出した。これが日本のショートケーキの先駆けなのよ


    やがて、1924年はフランスで本格的な菓子作りを門倉國輝が帰国してコロンバンを創業

    日本人好みの洋菓子が必要であると考えた門倉は、やはり当時日本人に広く受け入れられていた南蛮菓子のカステラを元に

    ショートケーキを考案したと言われているわ


    洋菓子の代名詞みたいな存在なのに日本生まれの日本育ちなんて、なんだか不思議だと思わない?

  • 15二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:54:09

    今まさにショートケーキ食べてたわ
    こいつにそんな歴史があったとは

  • 16二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 22:54:29

    普通に面白い話だな

  • 17二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 23:09:48

    (腹が減ってきたな)

  • 18二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 23:15:45

    久しぶりでもう眠くなってきたから、本日最後に紹介するのはプリン・ア・ラ・モードよ

    甘いものが連続するなんて早くネタ切れかよとか思ったそこのあなた、

    私のデザートにされたくなかったら口を慎みなさい?


    コホン、パーラーとかちょっとお高めの洋食屋さんなんかで見かけるこのデザートだけど

    実はこれも横浜のホテルニューグランドで考案されたものなの


    ホテルニューグランドがGHQに接収された話は既にしたと思うけど、そこに住んでた将校の奥様方、

    つまりは御婦人向けに作られたものなのよね

    ア・ラ・モードは「洗礼された」「流行の」を意味するフランス語で、将校夫人が命名したと言われているわ

    ちなみにニューグランドではテイクアウト用に可愛らしいサイズのプリン・ア・ラ・モードも売ってるのよ


    ところで当時のプリン・ア・ラ・モードのりんごは矢羽根を模した「アローカット」で切られていたそうなのだけど、

    この繊細な技術に感動して命名したってわけね

    只、このアローカットがどんな切り方なのかは検索しても出てこないから謎のなのよね……知ってる人がいたら教えてほしいわ

    ちなみに現在のホテルニューグランドのプリン・ア・ラ・モードのりんごは画像みたいにうさぎさんよ

  • 19二次元好きの匿名さん25/03/05(水) 23:42:33

    お疲れソリちゃん
    今後に備えてなんかうまいもん用意して待機するわ

  • 20二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 09:20:52

    面白い!
    次はなにかな?

  • 21二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 10:39:27

    おはよう。スレが落ちるのが今は12時間後じゃないとしってちょっと焦ったソリテールよ。

    本日紹介するのは美味しいけどなかなか食べる機会がないエビフライ

    これも洋食と言えばな料理だと思うけど実は日本生まれなのね


    今、エビフライといえば名古屋めしだから名古屋が発祥の地に違いない、と思った人いるでしょ?

    残念だけどエビフライってそもそも名古屋の名物でもなんでもないのよ

    遡ること40年ぐらい前、当時大人気だったお笑いタレントのタモリが自身のラジオでこんなことを言ってたの

    「名古屋弁では(エビフライを)エビフリャーと言う!」


    これは名古屋人を揶揄する謂わば「ネタ」だったんだけど、タモリのラジオにはとても影響力があったから

    リスナーどころか一般人までエビフライは名古屋めしの一種なんだ! と勘違いしたってわけ

    このネタに便乗してエビフライを出すようになったお店も出てきて、今では専門店もあるぐらいよ

    元々、三河湾は日本有数の車海老の産地だったし、名古屋めしには海老天をおにぎりにした天むすがあるでしょ?

    だから、エビを食べたり揚げたりする文化自体は当たり前にあったってことね


    面白いで……あ! エビフライがどこで生まれたかを書いてなかったわね

    エビフライの誕生も諸説あるけど有力なのは>>9のポークカツレツでも登場した銀座の煉瓦亭よ

    ポークカツレツが好評だったことから色々なものに衣をつけて揚げてみたんだけど、

    その中で人気が出たのがエビフライだったってわけ

    横浜のニューグランドもそうだけど、洋食の発祥地って大体同じところが源流だったりするのよね

  • 22二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 12:05:04

    そういえば最近美味しいエビフライ食べてないな…

  • 23二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 12:24:07
  • 24二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 13:25:23

    >>18

    アローカットってこれですかね?

    https://images.app.goo.gl/tBWBJTKJaEmExsDK9

  • 25二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 13:31:27

    横浜多いな

  • 26二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 13:36:19

    >>24

    それはリーフカット

  • 27二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 14:16:18

    相変わらず面白い
    今日はエビフライ食べよっかな

  • 28二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 15:43:55

    >>9

    俗説すぎ


    明治5年の西洋料理指南という本にすでに子牛の油煮にならんで羊と豚が上げられてる(レシピはうどん粉と卵とパン粉で衣をつけて油で煮る、つまり揚げてる)

    今の所の肉のパン粉揚げ(カツレツ)の初出なので、煉瓦亭はお呼びじゃない

    ついでに言うと、明治21年発行の軽便西洋料理指南では牛肉カツレツ、鶏肉カツレツ、豚肉カツレツが「カツレツ」の名前ですでに載っている

    ちなみに煉瓦亭の創業は明治28年ね

    ここは色々な起源を主張してるけど信用できないよ

  • 29二次元好きの匿名さん25/03/06(木) 16:29:09

    >>28

    一応、ソリテールとして答えるわね。ポークカツレツの煉瓦亭発祥説はWikipediaを始め広く伝わってる話だけど、

    より学術的な根拠がほしいのであればキッコーマン国際食文化研究センターがオススメね

    ここはお醤油でおなじみのキッコーマンが作った研究機関なんだけど、HPに過去の館内展示を紹介するページに

    カツレツについての記載があってポークカツレツの知恵者が煉瓦亭の二代目主・木田元次郎さんであることが記されているわ

    洋食 欧米食と和食との融合 コロッケからカツレツそしてトンカツまで|キッコーマン株式会社www.kikkoman.com


    そして、>>28の言う西洋料理指南についてもキッコーマン国際食文化研究センターに記載があって、

    この本の成り立ちについて触れられているわ

    でも、ここには「しかし当時これを見て西洋料理を作ろうとする人はいなかった。こういった一連の本は西洋の文化の香りを楽しむためのエッセンスだった」と書かれていて、

    実際にこの本を元に西洋料理が作られてはいなかった、というのが研究結果らしいわね

    洋食 欧米食と和食との融合 『西洋料理通』と『西洋料理指南』を読む|キッコーマン株式会社www.kikkoman.com


    煉瓦亭の主張にどの程度の理や根拠があるかは分からないけど、しっかりとした研究機関も肯定していることだし、

    その研究成果に関しては尊重しても良いのかな、って私は思うわ

    でも、あなたが胡散臭いと思う気持ちを否定はしないし、このスレがお気に召さなかったら回れ右してくれていいのよ

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