【SS注意】”卒業おめでとう”が嫌いなグラスワンダー

1◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:25:25

「教え子の卒業式で泣かないっていうのは、薄情な人間なのかな？」

　そんなことを言うあなたに、私はじっとりとした視線を送ったつもりだったんですよ？
　けれど、あなたはそれに気づいてくれませんでしたね。
　あなたは新人のトレーナーさんで、私はあなたの初めての愛バ。初めて送り出す卒業生を、あなたの瞳はどのように映していたのでしょうか？

「実感が、わかないなぁ」

　なんて、そんなひどい言葉を私の目の前で言ってしまうあなたはやっぱり、薄情な人間なのでしょうね。
　忍び寄る卒業式の足音に脅えながら布団にくるまっていた私を。カレンダーに赤いバッテンが増えるたびにぎゅうぎゅうと締め付けられた私の心を。
　あなたはきっと、知らないのでしょう。知らないから、そんなひどいことが言えたのでしょう。

「……ありがとう、ございました」

　だから、卒業式で教職員席に座っているあなたが涙を流していなくとも、私はへっちゃらでした。
　前後左右の友人は、目を真っ赤にしながら泣いています。彼女たちは、ぼろぼろとこぼれる涙の止め方を知らないようでした。
　震えてガタガタになっている口は、”ありがとうございました”というたった11字すらまともに発することができていませんでした。
　
　私は、いつも通りでしたよ？
　式の途中で込み上げてくるものがなかったかと言えば噓になりますが、それが零れることはありませんでした。
　隣の友人が言えなかった”ありがとうございました”も、私は言うことができました。

　だから私は、少し寂しくて、少し羨ましかったんですよ？
　薄情なあなたはきっと、その理由なんて分からないのでしょうけれど。

2◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:26:04

　こんこんこん、という優しげなノック音が聞こえると同時に、

「入るよ、グラス」

　というくぐもった声が聞こえました。

「どうぞ」

　と返すと、どこかよそよそしいあなたが入ってきました。だから私はつい、笑いそうになってしまったんです。
　だって、このトレーナー室の主であるあなたはまるでこれから面接を受ける学生みたいに緊張していて、いつもは”失礼します”と言う私が”どうぞ”なんていう偉そうな言葉であなたを迎えたのですから。

「……卒業、おめでとう。グラス」

「ありがとうございます、トレーナーさん」

　何故だか少し腫れぼったい目をしたあなたは、逡巡したのちに今日何度目か分からない言葉をくれました。
　”卒業おめでとう”
　特別な、お祝いの言葉。聞き飽きるほどこの学び舎に溢れている、ありきたりな言葉。

「卒業……か。卒業、してしまうんだよね……。卒業…………おめでとう、グラス」

「……ありがとうございます、トレーナーさん」

3◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:26:54

　”卒業おめでとう”
　こんなひどい言葉が、この世にあるのですね。
　だってそれは、”おめでとう”とは名ばかりの、”さようなら”。
　体のいい、別れの言葉。
　
　ひどい。
　ああ、ひどい。
　偽善という二文字を体現したかのような、祝言。

「ここまで一緒に歩んでくれて、ありがとう。思えば――

　あなたが何か言っているけれど、私はなんだか上の空。
　きっと、素敵なことを話しているのでしょう。あなたの言葉はさぞ美しく、麗しく、きちんと聞けば思わず感動して、涙すら流してしまうのでしょう。

　でも、なんだか聞く気になれない。
　そんな私もあなたとおんなじ、ひどい人間なのかもしれません。薄情な人間なのかもしれません。
　
　飾り立てられた言葉たちは私とあなたの輪郭をぼんやりとさせて、仮初の感動をもたらします。
　それはとてもふわふわとしていて、心地よくて、身を委ねればきっと楽なのでしょう。

「あっ……？」

　けれど、ちがうんです。
　それでは、いけない。いけないのです。

　だって今のあなたの目や、表情や、言葉は、あなたのものではない。
　借り物。
　誰かから借りてきた、偽物のあなた。

　だから、このままではいけないのです。私の卒業を祝うあなたには、本物のあなたでいてほしいから。

4二次元好きの匿名さん25/03/17(月) 22:27:08

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>>14

5◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:28:15

　だからこの麗しき虚構を、他ならぬ私が討たなければいけないのです。

「トレーナーさん」

　あなたは驚いて、私を見つめました。
　当然です。あなたの言葉をさえぎって、私がぴしゃりとあなたを呼んだのですから。

「え、と。どうしたの？グラス？」

　わかりません。
　わからない、わからない。
　何と言えばよいのか。何と言えば正解なのか。けれど、このままではいけないことは、分かります。このままではいずれ後悔することだけは、分かるんです。

「グラス……？」

「……」

　お願いです、私の心よ！
　どうか気持ちを、絞り出してください！
　お願いです、私の口よ！
　彼への想いを、どうか紡いでください！

「え……と？」

「……」

　そんな願いもむなしく、私は話すことができません。
　だって、浮かぶ言葉はどれも陳腐で、私の本当の気持ちではない気がするんですから。
　こんな下らないことを言うために、あなたの邪魔をしたわけじゃ、ないのに。

6◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:28:39

「トレーナーさん」

　だけど、伝えなくては。
　私とあなたが、私とあなたであるために。

「……いままで、ありがとうございました」

　……やっぱり、伝えなければ、良かったでしょうか？
　こんなにありふれた、いつも伝えている言葉しか伝えることができない。
　なんと、口惜しいことか……

7◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:29:04

「……」

「……」

「……」

「……？」

　あなたからの反応がないなんて、珍しいですね。
　……もしかして、絶句しているのでしょうか？あまりにも下らなくて、言葉を失っているのでしょうか？
　それも、致し方なし――

「え？」

　改めて見つめたあなたの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、数十分前私の隣にいた友人たちのようでした。

　ああ。
　あなたは、私を無視していたわけではなかったのですね？
　彼女たちと同じで、言葉を紡げなかっただけなのですね？

　そのことに気づくと同時に、急にあなたの輪郭がはっきりとした気がしました。ありふれた言葉でも……私の言葉でも、あなたを取り戻すことができたのですね。

「……っ！」

　けれど、鮮明なあなたも束の間。
　いつの間にか、私の目に映るあなたはまた、ぼやけてしまっていました。

「ごめ”ん”ね”、ごべん”ね”ぇ”……」

　もう、なぜ謝るのですか？

8二次元好きの匿名さん25/03/17(月) 22:29:21

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>>11 >>14

9◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:29:58

「本当は、笑って送りたかった……！」

　私だって、笑って送られたかったですよ？

「泣い”ぢゃって、ごめんね……！今日は君が主役なのに、僕が泣いてごめん……！！」

　……
　…………

「ずるい、ですよ……！」

　ずるい。

「トレーナーさんばっかり、ずるいですよ！！」

　ずるい！　
　ずるい！ずるい！！

「私だって、我慢していたのに……！泣いちゃダメだって……！笑って卒業しようって……！」

　なのに。
　なのに。

「もう……トレーナーさんの、せいですよ？私、泣くつもりなんてなかったんですよ……？」
　
「ごめんね、ごめんね……！」

「っ！謝らないで、ください……！」

　一度決壊してしまった防波堤は、何度も襲い来る涙を止めることなんてできなくって。どんなに堪えても、どんなに拭っても、涙はいくらでも溢れてきて。

10◆gLu80WxKDuQo25/03/17(月) 22:30:20

「あ”り”がどう”！ぐらす、ありがとうっ！僕と出会ってくれて、ありがとう！」

「っ！？とれっ！な、さん……！こちらこそ、ありがとう、ございました！ありがとうございました！」

　恥ずかしながらそのとき、やっと気づいたんです。
　あなたの言葉で、やっと気づけたんです。
　”卒業おめでとう”という言葉は、”さようなら”だけではないことに。
　”ありがとう”
　”私と出会ってくれて、ありがとう”
　”私と歩んでくれて、ありがとう”
　そんな思いが、気持ちが隠れていたことに、やっと気が付いたんです。

　……
　…………
　………………

　その後もう、ぐだぐだでしたね。
　あなたも私も、ぼろぼろ泣いて。

　ぎゅうっと、固く抱きしめ合って。
　声を震わせて、ありがとう、ありがとうって言い合って。
　互いの涙でぐちゃぐちゃになってしまって。

　だけど、そんな卒業の日は私の宝物になりました。
　あなたと出会い、歩み、笑い、泣き、そして、別れる。
　そんな当たり前で、残酷で、儚い今日が。

「卒業おめでとう」

　あなたのおかげで、この言葉を少し、好きになれた日になったから。