【SS】旅を春する

  • 1二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:37:03

    SS書いていきます!
    とりあえず10レス分は書き溜めてきました!
    対戦よろしくお願いします!

  • 2二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:38:38

     6時26分着。

     朝の早いスポーツ部の部員たちとは逆の方向の電車に乗り、トリニティ郊外の駅に向かっている。向かいの車窓から朝陽が目を刺すので、つば広のフェルトハットを目深にし、あたりを見渡してから、小さく。
     なるべく小さく、あくびをする。
     
     下りの車両に人は少ない。
     同じ車両には1人。俯いて、どこをどう見ても深く眠っているトリニティの制服を来た学生。どの派閥かも、どんな部活かも、こんな朝早くからどこへ向かうのかも知らない生徒と、二人きり。

  • 3二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:39:15

     かたんことん。
     かたんことん。

     電車のリズムが眠気を誘う。
     

  • 4二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:40:06

     
     ストロートートに刺していた水筒から紅茶を注ぐと、湯気が立つ。ふわりと匂い立つベルガモット。寝起きの頭で淹れたアールグレイは、水筒の中で閉じ込められていた薫りを苛立ったみたいに私に投げかけてくる。

     湯気が立つということは、それなりに気温が低いはずなのだけど。窓を透過してくる太陽のお陰でむしろちょっと暑いぐらいにも感じた。

     日中は気温が上がるらしい。

  • 5二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:40:38

     かたんことん。
     かたんことん。

  • 6二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:41:01

     それならば、アイスティーにすればよかったなとちょっとだけ、後悔した。

     電車は学校を離れていく。

     日常も、かたんことんと離れていく。

  • 7二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:43:49

     ――……。

     6時47分着。

     電車がぷしゅう、ぷしゅうと音を立てていた。

     着いた駅は郊外も郊外。私が電車から出るのを待ってくれた大人たちは、ゆらりゆらりと吸い込まれるみたいに、入れ違いに電車に乗り込んだ。一緒に乗っていた女生徒は目を覚まさなかった。目的地はここではないのだろうか。それは、わからないけど。

     乗り込んで行く大人たちのだれもかれも、ここが日常の人たちなんだろう。
     
     中央駅の景色となにもかも違う。空が見えるぐらいの住宅街。二階建て、平屋。デザインはどれも違うのに、どこか画一されたように同じに見える住宅街の駅。電線が使っていない物置にかかった古い蜘蛛の巣のように垂れ下がっていて。ときおり車が駅前のロータリーに停まって、静かに、人を下ろしていく。店前に段ボールの特売品が積まれた、駐車場の広いドラッグストアの軒先で、のそのそと店員さんが掃き掃除をしていた。

     
     非日常。
     私からすれば。

     きょろきょろと、あたりを見渡して見つけた、ドットが欠けた電光案内板。快速列車が停まるホームはここの向かい。エレベーターはないようで、少し憂鬱な気持ちになりながら、がらごろとスーツケーツを転がした。肩に提げたストロートートを勢いですこし、跳ね上げる。

     階段を下りるためにスーツケースを両手で持ち上げたところで、今下りた電車が日常を連れ、ホームを離れて行った。

  • 8二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:45:57

     息を上げながら快速のホームへと階段を上り、眺むれば……数人。椅子もあるけれど、そこにはすでに先客が居て。日常を過ごす人たちは、非日常から来た先客のせいで、まるで弾き飛ばされたかのように、遠くに散らばっていた。

     大人の中で、明らかに浮いている、学生の年頃の2人。
     がらごろとスーツケースを転がし。
     散らばった人たちとは反対に、吸い寄せられるみたいにして椅子に座って眠そうに目をこすっていた日常に、声を掛ける。

    「おはようございます。セイアさん、ミカさん」

    「おはーナギちゃーん。――ふわぁ。朝からキメキメだね。わたしもセイアちゃんもノーメイクなのにさー」

    「私は、下地をつくって来ているよ。一緒にしないで欲しいね。おはよう、ナギサ。随分大荷物じゃないか。たかが一泊二日だというのに」

     非日常の中の日常。
     日常の中の非日常。

     フィリウス・パテル・サンクトゥス。こんな郊外だとしても、この場所を。自治区を統べるトリニティの三大派閥。ティーパーティに身を置く親友たちが、あくびとともに私を迎えた。

  • 9二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:47:47

     ――……。
     
     7時08分着。

     到着前にわずかに増えた人たちと、快速電車に乗り込んだ。

     ホームと電車の段差に引っかかったスーツケースに慌てた私に「非力だなあ」なんて笑って、ひょいと片手で、車内まで運んでくれた。ミカさんは力が強い。腕の細さも、足の太さも私と変わらないくせに。どこからあんな力が湧いてくるのだろう。

     一番人がすくない車両を選んでボックスシートを確保。一番大きなスーツケースを持って来た私は一人席。セイアさんとミカさんは二人並んで座り。頭上の棚に荷物を入れたり、ブラインドを調節したりなどしていると。

     がたん、と動き出す電車に、私たちの体が揺れる。

     かたんことん。
     かたんことん。

     音は段々と高くなり。
     ここに来るまでに乗っていた各駅停車の電車とは明らかに違う走行音に変わっていくのが、ハンドバッグを漁るミカさんのガチャガチャ騒々しい音と一緒に、耳にゆったり入り込んでくる。

  • 10二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:49:06

     
     ……それにしても。

    「なんだい、きみのその恰好は」

     私が口を開こうとしたその瞬間。セイアさんが不満げに聞こえるような、眠たげな声色で、私に言った。

    「なん……どういうことでしょう?」

    「私たちはあらかじめ『集合場所へは変装して来るように』と決めたはずだろう? 変装というのは姿身分を偽らなければ意味がないと言うに、その恰好ではせいぜいイメージチェンジ……お洒落じゃないか。遠目から見てもきみがきみだとわかってしまうのは、変装とは言わない」

    「これでも、あまり着ないブランドの服を選んだつもりですよ。見てください、髪だって……」

     そう。いつもはパンツスタイルなどしない。それにグレードも2ランクほど下げた上、髪だって巻いてきた。どこからどう見てもいつもの「桐藤ナギサ」ではない。ないはずだ。鏡を見て、満足する出来栄えになったと自信があったのに。

  • 11二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 01:58:25

     
     とはいえ、セイアさんを見れば。彼女がどれほど”変装”に力を入れたのか伺い知れるというもの。
     普段の清楚な格好とは程遠い。キャップから飛び出た大きなお耳とポニーテール。体のラインが浮き出るTシャツに、ゆったりとしたカーディガン。黒いタイツとショートパンツ。スポーティで絆創膏が似合うような恰好は、病弱なセイアさんのイメージとは真反対。

     ……というか、頬っぺたに実際に張られた絆創膏が、なんというか。コスプレ然としている。

    「自分が持たれている印象から遠く離れたものを身に着けてこその変装じゃないか。ミカを見てみろ。――くふっ。か、完璧な変装だろ。けほっ。けほっ」

    「……セイアちゃん、私を絶対見てくれなかったんだよ。ひどくない?」

    「……くくっ」

     意識してしまうとダメだ。
     私も、お腹の底から、笑いがこみあげてくる。
     さらに、ブラインドを透過する朝陽が見事にスポットライトのように働いたおかげで、私はもう、限界を迎えた。

    「あっははは。み、ミカさんはっ。確かに、これを見せられたら……くふ、くふふふっ。私の負けです」

    「セイアちゃんだって言ったじゃん! 変装でしょ!? 私が一番”変装”やってると思うんだけどなあ!」

    「やめろナギサ……ふふっ、くっくっく……つられてしまう……けほっげほっ。うぅ、くくっ」

    「もー!」
     

  • 12二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 02:01:20

     ぷい、と顔を背けてしまうミカさんの顔を、姿を、私は真正面から見なければならないのが本当に辛い。セイアさんは隣だから、意識しなければ視界に入らない。でも、私はどうしても視界に入ってしまう。
     
     タイダイ染めのサイケデリックなハートの下に書かれた『I LOVE TRINITY』という大きな筆文字。サイズが合ってるのかわからない、中途半端な太さのジーンズ。挙句に足元はサンダル……。まさしく”つっかけ”とでも言えそうなものを、裸足で履き。さらに髪の毛は位置高めのツインテール。
     
     幼馴染とはいえ、そこまではっちゃけた髪型にしたミカさんを見たことがないし、それがなんだか妙にマッチしているものだから、もうおかしくて仕方ない。

    「ど、どこに売ってたんですか、そんなTシャツっ。うくくっ。だ、だめです、上着かなにか羽織ってくださいっ」

    「中央駅に売ってるよ、知らないのナギちゃん! 890円! お土産コーナーとかちゃんと見ないと!」

    「あっはははは! 890円! だ、だめ、お腹が……ひひひっ」

    「ナ、ナギサ、釣られるから……げほっ、ごほっごほっ。ひ――ひゅう、ひゅっ」

  • 13二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 02:06:12

     
     洒落にならない咳をし始めたセイアさんの背中をさすり、吸入器を口に当てたミカさんは「なんでよ。裏切ものどもめー」なんて言いながら、慣れた手つきでカシュっと薬を噴出させる。ただ、体の向きが変わったばかりに『I LOVE TRINITY』を直視してしまったセイアさんは、薬を噴き出していた。

    「あー! ちゃんと吸わなきゃだめじゃん!」

    「はっはっは――げほ、ぐふっ。む、無茶を言う……ひゅっ。ごほっごほっ!」

    「ふんだ! ナギちゃんよろしく! わたし着替えて来るから!」

     わたしの手に吸入器を握らせ、ぷりぷりとツインテールを揺らしながら、車両に設えられた化粧室に向かうミカさん。私たちは笑い声と咳で見送る。ああそうだ。変装と言うなら、まさしくミカさんが優勝。この距離で、今まで話していたのに。とてもじゃないけどあの後ろ姿はミカさんに見えない。
     
     背中を向けられたせいで、ポップな文字で書かれている「LET'S GO TEA PARTY!」の文字をモロに見てしまった私は、もう足をばたばた踏み鳴らして、大きな声が出ないように耐えるのが限界。きっと顔が真っ赤になっていることだろう。延々とむせ続けているセイアさんの背中をさすりながら、カシュっと。吸入器を作動させた。

    「――ひゅう、ひゅう……けほっ。ふう。ありがとう、ナギサ。楽になったよ」

    「いえいえ……。セイアさんはよく耐えられましたね。私よりも早く、ミカさんと合流されたのでしょう?」

  • 14二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 02:13:45

    「視えていたんだ。だからなるべくミカの方を見ないように過ごしていたんだけどね。具体的に言えば、左隣の姦しいミカの声を聞きながら、電線に留まる小鳥の数を数えたりして。ただ人の笑いには釣られてしまう。想像というエネルギーが溜まっていた分、発散される力も高まってしまったのかもね。――くふ。いや、だめだ、忘れよう」

    「それはそれは、すみませんでした……。よろしければお紅茶を淹れてきましたが、お喉の調子を調えるためにいかがです?」

    「いただくよ、ありがとう。……水筒に、とは。鉄臭い代物になるだろうに、紅茶を愛するナギサにしては珍しいね」

    「ふふ。これは魔法瓶タイプでありながら、内容物が触れる部分に陶器を使用させた特殊な機構なのです。アルミの臭みは感じません」

     ストロートートから水筒と紙コップを取り出し、ふわりと車両にベルガモットの香りが立ちのぼる。

  • 15二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 02:16:02

     快速の電車はあっという間に、辛うじて残っていた都市部の景色を、置き去りにしていた。

     車窓の向こうはすでに広大な麦畑。出穂をむかえ緑の強い茎を、ピンとまっすぐ、天に伸ばしている。初夏のころには麦秋となり、辺り一面は黄金色の海が出来上がることだろう。点在する小屋やサイレージ。起伏なだらかな丘にすら植えられている麦は、すくすくと。電車の音を聞きながら、季節をむさぼっていた。
     
    「アールグレイだね。ありがとう。――うん。おいしい。持ち運びができ、保存も効かせながらこの味を楽しめるというのなら、素晴らしい代物じゃないか。その水筒は」

    「ええ。とてもよい買い物をしました。さすがに、沸かしたてのお湯で淹れるものには敵いませんけれど」

     こぽこぽと、水筒にかぶせていた付属のコップではなく。私も紙コップに紅茶を淹れて、香りを楽しんだ。

     ……しかしやはり、紙コップだと紙の匂いが鼻に付く。純粋な紅茶の香りでないことに少し不満を覚えたが、それでもやはり。今この場では、皆さんと合わせるのが一番。

     一人だけ、違うものを使うというのはよくない。なんだか、仲間外れになってしまった気がするから。

  • 16二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 02:19:12

     サンクトゥスの聖女。奇跡の才女。預言者。

     セイアさんは一年生の頃から学園各派の話題をさらっていた。
     顔を合わせたのは、はじめてティーパーティーの務めに出たとき。先代のサンクトゥス派リーダーがそばに侍らせ、どこか自慢げに紹介されていたのが、セイアさんだった。
     
     私もミカさんも、まだ小間使にすらなっていなかったときの話。入学早々からすでに派閥の中枢に立っていたセイアさんは、どこか違う世界の人に見えたものだ。未来視という、未来を識る事ができるなどという人外じみた力を持っていると聞いたとき「ああ、この人はすでに、派閥のトップへの道が約束されているんだ」と、他人事のように思ったことを憶えている。

  • 17二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 02:20:21

     ずっぺた。
     ずっぺた。

     聞き慣れない履物の音。かかとを引き摺るみたいな、ヒールを履くことが多い私にはまさに聞き慣れない足音と共に、着替えを終えたミカさんが戻ってくる。
     
    「ねえねえナギちゃん、ちょっと髪やってくれない? あとが付いちゃって……」

     ショートのテーラージャケットに合わせられたフレアスカート。淡い緑に統一されているのはセットアップだからかもしれない。ただし、足元はつっかけのまま。

     わたしに背中を向けて座り込んだミカさんの髪を編んでいく。大きめの三つ編みに。昔から甘え上手で、自分勝手で、優しい子。

     今日だって、全部ミカさんが計画したものだ。

    「うわあ! すごい、一面真っ平ら! ナギちゃんちゃんみたいっていたたたたたっ!? 髪引っ張んないでよお!」

    「だれが麦畑みたいな身体ですか、ええ? ミカさん」

    「痛い痛い、あ! ねえいまブチってゆったよ!?」

    「君たちは本当に仲がいいね。どれ、ナギサ。そっちは私が編もう。きみはもう片方を編んでくれ」

     するりと編みかけの髪を私の手から受け取ったセイアさんは、手際よく。緩みなく。ぴっちりとミカさんの髪を編んでいく。

     無駄に女性らしい体つきを手に入れた幼馴染の失言に、いつものようにお菓子を詰め込んでやりたくとも。あいにく今日はロールケーキの持ち合わせがない。

     春を旅する。

     2年生となった私たちはミカさんの発案で。
     学校をズル休みして、旅に出た。

  • 18二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 02:21:25

    (とりあえず書き溜め分は終わりです)

  • 19二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 03:16:28

    やったぜ

  • 20二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 11:17:45

    (トリ3人はいいぞ……)

  • 21二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 11:28:08

    二年生のティーパーティーか…良いね…

  • 22二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 14:40:33

    期待age

  • 23二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 14:43:42

    意図してたらアレだけど旅を春するって逆じゃね?

  • 24二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 16:01:04

    まあ疑問は伏せとこうぜ
    この文章力でそんなヘマしないだろ

  • 25二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 16:27:46

     10時39分着。
     
     環状線が通る百鬼夜行の中央駅から鈍行電車に乗り換えて、さらに20分。にぎにぎしいお祭りの雰囲気も少しは和らいだ、観光地というより、生活圏の雰囲気が漂い始める駅。
     やおら支度を整え電車を降りると、車窓に見えていた絵画のような景色に参加できる喜びを、ミカさんは隠すことなく発散する。

    「う、わぁ。すごいね。すごいね!!」

     ずっぺたずっぺた。

     つっかけをひきずりながら、ミカさんがホームの際の、ぎりぎりまで。薄桃色に色づいた枝に少しでも近づくみたいに、身を乗り出した。

    「ミカ、危ない。改札を出ればいくらでも見られるのだから落ち着きたまえよ」

     大きい黒のホーボーバッグを前掛けにしたセイアさんは、それこそ少年然としたたたずまいで、放っておけば線路を下りてしまいそうなミカさんのリュックを掴んで引きずった。引きずられている間もミカさんは「すごい」「綺麗」と、他にはなにも目に入っていないみたいに、線路際に植えられたサクラの花に目を奪われている。
     
     自治区の境界から中央駅に近づくにつれ、ずらりと並ぶようになるその木は。確かにトリニティ内でも見ることが出来るものであったとしても、都市部の公園に”そのように”植えられているものとは違って見えた。

     花の匂い。目の前に見えるのはたった2本のサクラ。この時期の百鬼夜行には、春の薫りが満ちている。

  • 26二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 16:31:20

    (保守替わりにちょっとだけ投稿……と思ったら大丈夫そうだった、ありがとね)


    >>23

    >>24

    (いいよいいよ……わちゃわちゃお話しながら読んでおくれ。誤字脱字祭りかもしれないけど補完してくれるとうれしいな)

  • 27二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 01:18:57

     
     改札を駆け出て行く三つ編みおさげを輪っかに結んだミカさんと。

     ポニーテールをぴょこぴょこ揺らすセイアさん。

     ティーパーティ所属の三人が、非公式に、事前通告もなく、他自治区の土を踏む。緊張状態にある勢力ではないとはいえ、礼節を重んじるトリニティの文化からすれば、あまりにも不躾な、恥ずべき行為。

     これがゲヘナだとするならば、問答無用で戦争の火種になってもおかしくない。なぜなら”雷帝”と呼ばれる非常に過激な生徒会長が、奇妙な兵器をいくつも開発し、各自治区に対する示威行為を行っている真っ最中なのだから。私たちと同い年の、ゲヘナの二年生がある程度抑えを効かせているらしいとはいえ、もしあの思想と軍事的行動が続くのならば、トリニティは動かざるを得ないだろう。愛と正義のために、銃を取り、旗を靡かせねばならなくなる。

     とはいえ、ここ百鬼夜行はそういった中央のいざこざとは一線を置いている。どちらかと言えばトリニティと親睦の深い自治区だから、そう構えることもないのだとわかってはいるのだけど。

  • 28二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 01:22:44

     改札に切符を通す。身分を明かすことになってしまうから、生徒証のクレジット機能は使えない。

     二人の軽装を見て、身長の半分もあり、体重の半分ほどになったスーツケースにトートバッグまで提げて来た自分が恨めしい。というか、二人とも荷物が少なすぎやしないだろうか?
     
     着替えと予備の着替え、羽の手入れ道具にドライヤー、洗顔機、ヘアアイロン。寒さ対策のコートと充電器、モバイルバッテリー。弾薬、爆薬一式。一応、ずぼらなミカさんのために、彼女の分の弾薬も少し。カメラ、アフタヌンティーセット、リラックス用のポータブルミュージックプレイヤーと折りたたみ椅子が三人分。セイアさんのお薬の予備に、清潔なタオル。タブレットに、いざと言う時の身分証明書が三人分。化粧品、シャンプー、コンディショナー。

     必要な品を詰めればおおよそこのぐらいになると思うのだけど。

     がらごろがらごろ。
     ごろごろ。
     
     涼しくも暖かい陽気に昼寝しているハイランダーの生徒を横目に駅舎を出ると、舗装すらされていない土の道。正面には小川が流れていて、清けし音が聞こえた。堤防際にもサクラが植えられていて……というより、生えていて。そのサクラは、ホームから見えた二本のサクラよりも小さく、色が濃く、かつ、満開。

     駅舎の横には一台の車が停まっていた。思わず、トートバッグで隠した脇のホルスターに手が伸びる。

  • 29二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 01:30:23

     運転席に座っていた人と目が合うと、彼女は朗らかに笑って、ゆっくりと車から降りた。百鬼夜行の伝統的な服装の鳥人は、私に深々と頭を下げ、はつらつとした声で、こう尋ねる。
     
    「藤園セミナさまご一行さまでいらっしゃいますか?」

    「――くっ!」

     あまりに雑過ぎる偽名に噴き出してしまい、怪訝な顔をする鳥人の女性に、堤防に生えた木をまじまじと見つめていたミカさんが答えた。
     
    「そうでーす!」

    「やあやあ、遠いところどうもお疲れ様でございました。本日、皆様をお世話させていただきます宿で、女将をしているものでございます。お荷物はトランクに積ませていただきますので、どうぞ車の中へ。あ、お持ちの得物は身に着けたままでかまいませんよ。ほほほ」

    「ああ、ありがとう。ありがたく休ませていただくよ」

     促されるままに車に乗り込んで行くセイアさんに呆れる。もうすこし、トリニティ内において重要人物であるということを理解していただきたいものだ。

  • 30二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 01:38:07

     
     辺りを見渡し、刺客や不埒者が潜んでいないかを、そうとはわからないように観察する。しかし、唯一手荷物以上のものを持っている私に、女将と自称した人が近づき。「さあさ、お荷物を」と、勝手に手を掛けた。

    「大丈夫ですよ。とても重いので、自分でトランクに積ませていただきます」

     と、やんわりとお断りをした。車に爆発物が取り付けられていないとも、追いはぎとも限らない。なにかものを落としたフリをして、車の下を――。

    「ナギサ」

     車の中で深く腰掛け、キャップのつばをつまんで上げながら、セイアさんが私を呼ぶ。

    「”おもてなし”というやつだ。人の好意は無下にすべきではないよ」

    「……」

    「ナギサ」

    「……そうですね。失礼しました。とても重いですが、お任せしてもよろしいでしょうか」

     荷物から手を離して微笑みかけると、差し伸べた手を気まずそうに彷徨わせていた女将さんは「ええ、もちろんですとも。このぐらいなんてことありません!」と意気込み、勢いを付け、あっという間にトランクに投げ入れた。車に乗っていたセイアさんの体が軽く浮かび「一体何を持って来たんだそんなに!」と一人、耳を怒らせた。

  • 31二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 01:45:36

     
    「ねえねえ、こっちのもあれと同じお花? なんだかちょっと違うような気がするんだけど」

     片やミカさんといえばのんきに川辺の小さなサクラの木に執心していて、香りを楽しむのに枝を引っ張り、背伸びなどをしていた。

    「それは”河津桜”というんですよ。あちらで八分に笑っているのは”染井吉野”という品種でして――」

     話に興じているミカさんと、接待する女将さんの声に小さく息を吐いて、私が乗るスペースを空けてくれたセイアさんの隣に体を潜らせる。車の中は少しだけ饐えた匂いがした。エアコンのフィルターまでは掃除が行き届いていないのかもしれない。シートも革ではなく布張りで。窓の内側に指紋がついていたり、床には砂が少し散らばっていたり。

     まったく、トリニティであるならば、客人のもてなしには瑕疵なく最高級のものを用いると言うのに。百鬼夜行は礼儀はなっているが、細かいところがなっていないようだ。地方であるから仕方ないとはいえ。

    「キミはいちいちそういうところを気にするクセを直した方が良い」

     いつの間に手なづけたのか、一匹の雀を指に乗せたセイアさんがとても小さな声で言った。
     
    「疑うことを是とする政治の道を選んだ我々ではあるけどね。それでも、人のやさしさを拒絶するような人間にはなりたくはないだろう。愛を教えるトリニティ総合学園のトップを目指すのならば、愛を拒絶してはならない」

    「……その通りではありますが、セイアさん。いま、私たちは全くの無防備。ミカさんがいるとはいえ、猪突猛進かつ直情的な性格ですから、いざと言う時取り返しのつかないことをしでかすかもしれません。ならば、そうならないよう事前に、こちらが警戒をしておかないと」

  • 32二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 02:19:43

     
    「だからそういうところだよ。大丈夫だ。少なくともこの旅は、平穏無事に終わる」

    「視たのですか?」

    「ああ」

     ミカさんの服装で一緒に笑っていたセイアさんは、まったくの無表情に。窓の外の、トリニティでは決して見ることが出来ない非日常の景色すら見ることなく。細く華奢な指の上で羽を手入れする雀をぼんやりと、ただぼんやりと眺めながら、生返事をした。

     自分では制御することのできない未来視の力。サンクトゥスの聖女と呼ばれた彼女の無聊。

     あの電車内の笑いすら、ミカさんを見たからではなくて……。

     ”釣られてしまう”と、セイアさんは言ったから。

  • 33二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 02:23:50

    2年だからか外交とかの場馴れが足りないのか
    まあこれは遊びできてるんだろうけどね

  • 34二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 02:53:21

     
    「近ごろは、よりはっきりとものが視えるようになったんだ。この旅もまるで二度目かのよう。色も、空気も、匂いも、会話すら。よりにもよって今日を視なくてもいいとは思わな――いやまあ、このようなことを託つのはまったく詮の無いことだとはわかっているんだけどね。……さて」

     そう言ってセイアさんは、おしり半分ぐらい、奥に進んだ。私が首を傾げようとすると、首がもげそうなぐらいの勢いで、ミカさんが車に飛び乗って来た。

    「ねえ、知ってた!? 百鬼夜行ではお花が咲くことを”お花が笑う”って言うんだって! おっしゃれだよねえ、かわいいよねえ! あ、それでね、今晩のお夕食は宿の庭にもサクラがあるからその下で是非って! それからそれから――」

     私に体当たりをかまして自分のスペースを無理矢理作り、挙句そのバカ力で肩を掴み、ぐるんぐるん揺らしてくれたおかげでイヤリングが一つ吹っ飛んだ。セイアさんの指でくつろいでいた雀は車の中を飛び回り、ため息を吐きながら開いたドアから勢いよく飛び出して行く。
     
     ああ、ロールケーキかマカロンを持ってくればよかった。
     持ってきていれば、この姦しい幼馴染の口をふさぐことが出来たのに。

  • 35二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 02:56:14

     
    「ドアを閉めさせていただきますね。お気を付けください」

    「あ、はーい!」と耳がきんきんするぐらいの声で返事をしたミカさんは、それ以上詰める必要があるのかと言うぐらい詰められ。まさにセイアさんが奥に移動した分ほど、私の体が押し込められる。「でね、今年はあんまり気温が高くないから、まだあんまりお花が”笑って”ないらしくて」私の太ももをバンバン叩きながら、留まることを知らないマシンガントークが車内を満たす。

     でも、眩しいばかりの笑顔で話し続ける幼馴染に、正反対ともいえる性格のセイアさんは、たしかにその大きなお耳をこちらに向けていて。心なしか楽しんでいるように見えた。
     
     再上映された映画の気付けなかった部分を楽しむみたいに。ノリと勢いで押し切ってくるミカさんはきっと、セイアさんの無聊を慰める、一つの希望なのかもしれない。
     
     ……ならば、私は。私だって。と意気込んで空回りしたところで、きっとそれはただの再上映。無理に無理をすることは、ない。私の分野は、そっちではないのだから。

  • 36二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 03:01:33

     運転席の扉が開き、ピーピーと、車が鳴った。
     
    「うふふ。皆様大変仲がよろしいんですね。では、出発いたしますのでシートベルトをお願します。今代の百花繚乱紛争調停委員会は素晴らしい方々ですが、かと言って輩がいないというわけではありません。いざとなれば車を飛ばして振り切りますので!」

    「まっかせて! 私これでも結構強いんだよ!」

    「あらあら、それはとても頼もしいですね。ですがお客さまに火薬の匂いをまとわせてしまったら、私の恥でございます。というわけで。狭い車ではありますが、到着までしばし御辛抱を」

     キッキッキッキとセルが回り、エンジンが掛かる。

     タイヤが土を踏みしめる音がする。

     窓の外のサクラがゆっくり過ぎ去るのを眺めていたセイアさんは、けたたましく話し続けるミカさんにお耳を向けながら、パワーウィンドウを半分だけ開ける。

     ふわりと。

     冷たい風が、車内の――いや。ミカさんの熱気を、少しだけ、拡散させていく。
     

  • 37二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 03:14:53

    (今回分は以上です)

    >>33

    (ティーパーティ(生徒会)の一員になって数か月程度、ぐらいの感覚です。セイアは入学当初からティーパーティ入り、ミカとナギサは一般的な参入の仕方をしてるみたいな。ミカはともかく、政治的成績で上り詰めていくナギサは各方面に警戒心MAXだった……とか。この旅行ではおっしゃる通り、ただの遊びなので、だからこそ誰も助けてくれないからめっちゃ気を張って悪いとこ出ちゃってる、余裕のないナギサさま)

  • 38二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 06:22:19

    やっぱ文が上手いな…
    癒し

  • 39二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 07:06:09

    この文章力は歴戦の猛者としか考えられん
    以前どこかで書いてらっしゃったり…?

  • 40二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 14:07:59

    >>38

    (癒やし! ありがとう! そんな感じの、ほわほわしたお話にしたいんだ)

    >>39

    (みんなめっちゃ文章褒めてくれる……。直近だと古関ウイがチキンナゲット作るSS書きました!(す自語))

  • 41二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 21:12:11

  • 42二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 23:31:36

    このレスは削除されています

  • 43二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 23:32:29

     ――……。
     
     11時15分着。
     
     幸い、襲撃に遭うこともなく。

     私たちは民家のような宿に到着した。車から降りると、飼われているのだろう毛質の硬そうな犬が二匹駆け寄ってきて、人懐っこく鼻や頭をこすり付けてくる。ミカさんは服が毛だらけになるのもかまわずわしゃわしゃと撫でまわし、セイアさんはご自分のしっぽにじゃれつこうとする犬を、見事にいなす。
     
     道中、やたらカーブが多いなとは思った。

     遠慮を知らないミカさんと丁寧でありながら豪胆な女将さんの会話が飛び交う車内で得た知見。

     それは、トリニティとはまた違う、世界の考え方。

     調和。

  • 44二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 23:34:04

     
     道のために環境を整えるのではなく、環境に合わせて道を作っていく。
     
     百鬼夜行の人たちにとって、潜在的な精神的文化を育んできた木々や自然を中心にインフラが整えられていくから、道は決して平坦ではない。まっすぐでもない。木の根が道にはみだしていることすらあるし、コの字を書くような奇妙なカーブだってあった。

     遠回りもするし、不便だったりもする。
     
     中央駅周辺の盛り場はともかくとして、そこから離れた土地では便利な道が計画されたとしても。たとえばその地区で大切にされてきた木石一つあれば、計画自体がとん挫することも、あるという。

     道端の苔むした石人形にも。一体いつからあるのか誰も知らないのに、いまだに花や食べ物が供えられる。

     万物のすべてに神が宿るという原始的なアニミズム。知識の上では知っていはいたが、実際を目の当たりにすれば、トリニティの自治区に生きるものとしては複雑な気分だ。

     完璧たる一神を敬うトリニティとはまた違う、深い時間を熟成して来た文化。

     決して相容れないものだとしても。否定をするだけの材料もまた、持ち合わせていない。 
      

  • 45二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 23:39:02

     
     もちろん道だけではなく、到着した民宿すら。歴史がたっぷり塗布されていて。

     私たちはさっそく、案内された部屋で身支度を整える。色褪せた畳の上に荷物を拡げ、私たちは変装した旅人から、トリニティの淑女に戻るために。服装や髪型だけではなく、動画を見ながらいつもと違うメイクだってしたのに、お二人はまったく気づいてくれなかった。心の中で愚痴を溢しながらクレンジングシートで顔を拭い、使い慣れた、いつもの化粧品で顔を整えていく。

     イグサの匂い。少しかび臭い薄暗い部屋。格子状の、煤がついたような色合いの天井と、飴色の重厚な座テーブル。

     百鬼夜行のインテリアは総じて背が低い。椅子に座る文化ではなく床に座る文化というのが、私にはあまり合わないのかもしれない。今はパンツスタイルだから良いとしても、丈の短いスカートなんかでは正座でもしない限り、下着が丸見えになってしまうことだろう。
     
     まさに今。私の横であぐらをかきながら鏡とにらめっこしている幼馴染がそのいい例だ。

     足首まであるフレアスカートだからいいとして、足をガン開きするはしたない座り方で、脇を大きく開き、まつ毛をぐいぐい上げようと苦労しているミカさんの姿は、淑女というにはほど遠い。私とセイアさんでさまざまなお作法を洗脳よろしく叩き込んだおかげで、公式な場ではそれなりに映えるようになったとはいえ。油断させるとすぐ、こうなる。

  • 46二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 23:42:13

     
     葉鳴り。
     鳥のさえずり。
     外の犬の鈴の音。
     ポーチから取り出された化粧品。
     静かな息遣い。

     音が絶えないのに、静か。
     
     小虫が入り込んだ蛍光灯。
     褪せて劣化し、白く濁ったガラス窓から差し込む陽の光。

     お化粧のために前髪をまとめていたピンを外し、床の間電気ポットの温度を見やると……きっかり100℃。百鬼夜行で良く飲まれるグリーンティーは低温で淹れなければ、甘みが出る前に渋みが立ってしまうというのに。今時保温ポットというのも古い。せめて電気ケトルで、沸かしたてのお湯を作れるようにしておいて欲しいものだ。

     ミカさんの発案なのだからとすべての手配をお任せしたのは失敗だったろうか。お宿の雰囲気は確かに、非日常や新しい知見をこれでもかというほど授けてくれるとはいえ。サービスやアメニティについては、少々不満を覚える。

     そんな私の表情から何かを汲み取ったのか。それとも識っていたのか。キャップによってあとがついた髪をくしけずりながらセイアさんが言う。

    「経験は時に知識を上回る。机上にかじりついて頭でっかちになった人間は、床を這いずる鼠に我が家の綻びを学べない」

  • 47二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 23:46:36

     
    「胸もおっきくなればよかったのにねナギちゃん」

     お化粧のためにテーブルの隅に寄せていた、お茶菓子の包装をぺりぺりと剥いて、すっすっと畳を滑るように、ミカさんの隣へ。

    「ミカさんミカさん」

    「ちょっとまって今アイライ――ぐぶぅ!」

    「よくやったナギサ。わたしの分も突っ込んでおいてくれ」

    「承りました。ミカさんミカさん」

    「もごっ――んごっ!」

  • 48二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 23:54:39

     頭を掴んで首を捻り、決して逃げられないようにしてから突っ込まれるおまんじゅうの味はいかがですか。あらあら、お口からはみ出していますね。はしたない。押し込んで差し上げなきゃ。無意識につぶやくあなたの侮辱は、セイアさんにも当てはまるっていうことを、いい加減学習したらどうでしょう。

     肩をぺしっと叩いて、わざとらしく倒れ込んだミカさんはほっといて。

     湯呑みと急須を茶櫃から取り出したところで、私はすこし、感心した。
     
     どうせ量販された陶磁の安物だろうと踏んでいた茶器はしかし、明らかに職人による窯焼きの一品。手に持った感じから低温で焼かれた、柔らかく欠けやすいもの。朱と金の釉薬が派手とはならない。色合いはどこかくすんでいて、決していやらしくなく、しかしきちんと存在感がある。謙遜と同調を美徳とする百鬼夜行の文化が好く表れている。

     用意されていた空のティーバッグに茶葉を入れ、100℃のお湯を注ぐ。ほわっと薫る、グリーンティー。
     スマホで準備したタイマーは、気持ち短めに。

    「よい焼き物です。なんというものでしょうか。買って帰りたいですね……」

    「もぐもごもごご」

    「なんだ? きみも文明人であるのならば、鳴き声ではなく言語を話したまえ」

    「んぐぐっ。もっももごっ! んー! ん”ー!!」

  • 49二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 00:57:03

     自分の手で顎と頭を挟み込んで、動かない口を必死にかみ合わせ。ミカさんはなんとか咀嚼しようとしている。
     
     せっかく巻いたのに”それは変装ではない”と言われてしまった髪を、バレッタでハーフアップにまとめたところで。
     
     とんとん。

     ふすまがノックされた。

    「失礼いたします。お茶を淹れに参りましたが、お召替えはお済になりましたでしょうか」

     なんだ、お茶を淹れてもらえるのだったか。わざわざ私たちの着替えの時間を待っていてくれたんだ。それなら余計なことをしてしまったかもしれない。と同時に、お茶のサービスについて助言を授けるいいチャンスだ。

     ミカさんのアイラインがとんでもないところに引かれてる以外の問題はないので、どうぞ、とふすまの向こうに声をかける。

     すっと音もなく10cmほど開けられた隙間から、先に指が部屋に入ってくる。取っ手とは違うところから開け放たれたふすま。

     三つ指をついて深々と頭を下げたのち、座ったまま器用に入室した女将さんは「あらあらあらあら。見違えるようにお綺麗になりまして!」と分かりやすいお世辞を述べた。ミカさんをチラとみて「あらあらあらあら……」と言葉を詰まらせたのが、私の笑いのツボをくすぐる。

  • 50二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 00:59:34

     
     「その、申し訳ありません。勝手にお茶を淹れてしまいまして」

     ちょうどスマホにセットしていたタイマーが鳴った。

     「そうでしたか。トリニティの学生さんだと伺っていましたから、緑茶はお口に合うかなあとは心配していたんですよ」

    「私たちもグリーンティーとして、百鬼夜行産のお茶も楽しみますよ。ただ……もう少し、温度に気を遣いますけれど」
     
     はぁ。
     セイアさんがため息を吐く。

     いいえ、一介のお茶好きとしては譲れません。それに、ここで助言をしたほうが、お宿のためにもなる話。

    「カフェインの少ない発酵茶葉と同じ淹れ方をしては、渋みが出てしまいましょう? もし、茶櫃にグリーンティーを入れるのであれば、温度は90℃ほどで設定された方がよろしいかと。あと、出来れば電気ケトルがあればそれこそこちらで調節ができますし、沸かしたてのお湯も使えて、味も良くなります」

    「ふふふ……”そのまま”淹れるのがトリニティ流なのですね。失礼いたしました。覚えておきましょう」

     どこか、奥歯にものが挟まったような言い方をされる。

  • 51二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 01:02:07

     
    「そのまま、とは。私はそれなりにお茶には知見がある方なのですが……」

    「もちろん、初めから温度を設定すればいい話。しかし、熱い煎茶を楽しみたいこともございましょう? 特にお年を召した方はそういった傾向が強いのです」

     流暢に話し始めた女将さんに、耳に釘を打たれた気分になる。

     私の見込み違いだ。この方は、お茶を知らないわけではない。

    「急須に入れるお湯は、一度湯呑みをくぐらせるのです。そうすればお湯は無駄にならずきっかり杯数分取れますし、温度も調節できます。湯呑みも温まり、急須から注いだ際の温度差も少なくなる……。まあ、お嬢さまのおっしゃる通り、電気ケトルを入れるのが一番ではありますけどね。定宿にしてくださっている方は、最新機器の使い方がわからない老人が多いのです。ほほほ」

    「なるほど、一度湯呑を……」

    「高温で、かつ湯の勢いで茶葉を攪拌する紅茶ではあまりしませんでしょう? カップウォーマーを使うトリニティ式ももちろん存じておりますが、それに比べると見た目もよくありません。うふふ。百鬼夜行の庶民のお茶の淹れ方もよろしければ。お嬢さまの知識の肥やしにしてやってくださいませ。ともあれ気が回らず、ご不便をかけたことをお詫びいたします」

  • 52二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 01:23:38

     
     指先に至るまで流れるような所作で頭を下げた女将さんに、私は自分を強く恥じ。
     女将さんの真似をして、三つ指をつき、深々と頭を下げた。日に焼けた淡いベージュの、畳の匂い。慣れない礼の仕方はぎこちなく、なによりこの足を畳む座り方は、痛い。

    「あらあらっ」

    「出過ぎた真似をいたしました。同じく茶を愛するものとして非常に失礼な物言いだったと深く反省をいたします。どうか、私にそのお茶の淹れ方を伝授していただけないでしょうか」

    「お顔を上げてくださいませっ。偉そうなことを言いましたが、こんなの淹れ方でもなんでもなく、ものぐさの作法のようなものですから」

    「いい、いい。気にしないでくれ。彼女はいわゆるお茶オタクなんだ。自分の知らないお茶の知識があったことが、自分で許せないだけなんだよ。良ければ彼女に、今言った淹れ方を実演してみせてくれないか。それで納まる」

     お茶のオタク。
     そうですか。セイアさんは私をそのように見ていましたか。

    「んぐっ……んくっ。口の中があまーい! 美味しいけどー! ねえ早くお茶!」

     私とセイアさんの恨みを飲み込んだミカさんが、自由になった口でさっそくさえずる。
     長く口に留まる甘味はやはり、ロールケーキのように、物量で攻めるしかないようだ。

  • 53二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 01:25:43

    「ではでは……。今入っているお茶を注ぎ終わりましたら、新しい急須と湯呑を持って参ります。お時間よろしいですか?」

    「ええ。特に予定もなく、こちらにお邪魔させていますから。それからできれば、この焼き物についても教えていただきたく」

    「おや、お目が高い。この茶器はですね、この辺りの――」

    「鬼砂焼きって言うんだって! この辺り、焼き物で有名ってネットに書いてあってさあ。2人ともこういうの好きかなーって! 
     ねえ、お茶入ったならちょうだいよお」

     話を遮る。大声を出す。短時間に二度も催促する。
     心の中のミカさん淑女計画の保有ポイントをしっかりマイナス。
     けれどその心遣いはとても嬉しいから、お説教は免除です。

    「よくご存じですねえ。もしご予定がなければ、知り合いの窯元に連絡しておくので、焼き物の体験などにお出かけなさってはいかがでしょう。車も出しますし――」

     今日は平日。
     わざわざ学校を休んでまで旅に出たのは、人混みを避けたから。
     花見客で賑わうはずの百鬼夜行も、平日ならば。他自治区からの観光客も少ない。

     急須をくるくる回しながらお茶を淹れていく女将さんの手をじっと見ながら、培ってきた知識の外の経験を。
     ひとつひとつ、心に刻んでいく。
     

  • 54二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 01:26:40

    (今回分は終わりです)
    (毎回こんなにいっぱい投稿できないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします)

  • 55二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 04:05:45

    日本人の俺でも普通に勉強になるお茶の話だ

  • 56二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 13:17:24

    (いい天気ですね)

  • 57二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 21:59:36

    ミカ、事前に調べてたんかな……
    偉くない?

  • 58二次元好きの匿名さん25/04/14(月) 23:00:26

    >>55

    (お茶って自分で淹れないと、温度の話忘れるよね……)

    >>57

    (えらいだろうかわいいだろう? 政治のナギちゃん、人望(と戦闘力)のミカ、セクシーのセイアの印象でトップに上り詰めたイメージで書いてたりします)

  • 59二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 07:34:05

    >>58

    すげーやしっかりそんな感じする

  • 60二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 10:25:02
  • 61二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 15:06:04

     13時31分着。
     
    「んん~……。おいしかったね、うなぎ! 私、うなぎがこんなにおいしいって知らなかった!」

     店屋物の昼食を宿でいただいたあと、女将さんの知り合いだという焼き物の工房まで、車を出してもらった。

     屋外の良く陽の当たる所に段々になった板切れには素焼きなのか乾燥中なのか、色のついていないものがずらりと並び。ガラス戸の向こうには、商売っ気のない陳列方法で、茶櫃に入っていたような、赤と金の釉薬が美しい焼き物が、雑然と並べられている。
     
    「甘辛いタレというのがまたお米を……。しかし少々味が濃すぎて、うなぎ本来の風味が消えてしまっていましたね。山椒もぴりりとおいしくいただけましたが、香りが強く……」

    「……あのさあ、美味しいものは美味しいって素直に言おうよ。素材の味が出てればいいってもんじゃないでしょ? そんなこと言ったらナギちゃん、うなぎのゼリー寄せ好きなの?」

    「……」

    「ほらー」

     ひょこひょこと私の回りを歩き回り、顔を覗き込むミカさんのおでこをぴしりと指を弾いた。

  • 62二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 15:08:44

     しばらくわちゃわちゃと騒いでいると、猫人の方が、工房の中から身体を傾がせて私たちを呼ぶ。

    「あんたらが宿のお客さんかえ!」

    「そうでーす!」

     ぴょこりと片手を挙げて返事をしたミカさんは、年配の猫人さんに「焼き物体験しにきましたー!」と言葉を繋いだ。

    「おお、おお。こんな辺鄙な土地によくもまあ来たなあ! この辺り、なんもねえってのによ!」

     職人さんはまさに職人然とした、汚れた作務衣と汚れたお顔で、がははと豪快に笑った。
     優雅さとは程遠いとはいえ。職人には敬意を払うべきだ。私たちは、彼らが作り上げたものを享受するだけの存在。
     そして、彼らが作り上げたものの価値を高めるために、私たちは常に優雅でなければならない。
     
    「トリニティから来たんだって? きったねえ工場だけどよ、まあこれもお勉強だと思って辛抱してくんな! ほれ、こっちゃこ!」

    「えへへ、お邪魔しまーす」

    「お邪魔いたします」

     一体いつ建てられた建物なのかまったくわからない。
     ただ、相当な年月が経っているのは、浮いたサビや歪んだ窓枠から察することが出来る。

     陽の光がほとんど入らない、倉のような空間。土がむき出しの床。梁や壁にかけられたさまざまな、最後にいつ使ったのかもわからない道具類。空いた容器があちこちに散らばり、それらが全て、なにかしらの物入れにされている。
     
     これが、この方の日常。

  • 63二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 15:10:01

    「あんだこんなべっぴんさんらーが土いじりしてえなんてなあ。おー、かーちゃんやい! なんか洒落た茶の一つでも持ってこぉよ!」

     職人さんが声を張ると。
     どんどんどんどん。
     工房から小上がりにつながる、まるで素人が付けたようなドアが開いて。おそらくこの職人さんの奥様であろう方がばがんと現れた。

    「トリニティのお嬢さまがたが満足するようなものがうちにあるわけないでしょうがこのバカタレ。すいませんねぇ、ウチの宿六がうるさくて。さあ、こちらの椅子にお掛けになってくださいな。麦茶しかないですが、よければどうぞ」

    「ありがとうございます。お宿で見掛けた茶器に目を奪われてしまいまして。鬼砂焼き……。百鬼夜行の文化を好く表したこちらの焼き物は、トリニティでは見掛けたことがございません。ですので無理を言い、是非お土産にと思いましてお伺いさせていただいたのです」

     どうやら工房は母屋とつながっているらしい。
     
     ドアの向こうには生活感があふれる光景が広がっており、見てはいけないものなのではないかと、少し目を伏せる。挨拶のついでだ。心情が悟られることはないはず。

    「嬉しいねえ! けど、そっちに出せるほど数が作れねえんだよ。欠けやすいし、百鬼夜行内で手一杯だし、跡継ぎがいなくて廃業するって家も増えてきたしな。……そういや、電話じゃあ三人って聞いてたけど。もう一人はどうした?」

     粘土がこびりついたままの手で、鬼砂焼きの湯呑からずず、と音をさせて茶をすする職人さんは、私たちの前で素肌が見えるのもかまわず、足を広げ、片足を組む。せっかくご自宅から逸らしたのに、私の目線は一体どこに置くのが正解なのだろう。

     その懸念も、ミカさんの一言で、すぐに解決するのだけど。
     

  • 64二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 15:12:00

    「もう一人の子はちょっと体が弱くってさ。ていうかおじさん、見たくないものが見えちゃってるんだけどー」

    「お、おお! がはは! すまねえすまねえ! あら、いやーんってか!」

    「気色悪いこといってんじゃないよ! このバカが!」

     木盆で思い切り顔を正面から叩かれた職人さんは、派手に椅子から転げ落ちた。丸見えだ。しっぽまで。
     
     銃声も聞こえない、のどかな田舎。一応、得物は持ってきてはいるけれど、これなら作業中は外しても問題ないかもしれない。
     現にミカさんはすでに、ガンラックに立てかけている。

    「一緒に作りたかったなー……」

     ぽそりと呟かれたミカさんの言葉。
     目の前の光景に苦笑いしながらとはいえ、主語がないとはいえ。

     しかしそれは、仕方のないこと。
     
     未来視という大きな力に代償を払う、払わされるセイアさんは、この旅行すら、かなりの無茶に違いないのだから。

     同学年の救護騎士団の方に無理を言い、アリバイを作るのにも協力してもらわなければならないほど、セイアさんは誰かに頼らなければならないお体。

  • 65二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 15:12:25

     だからこそ。

    「職人さんにお願いして、セイアさんの分も作らせていただきましょう」

     小さな声でミカさんに言う。
     笑顔と、サムズアップが返って来た。

    「あだだ……。ほいじゃま、やってくか。とはいえ焼き物はすぐにゃできねえから、完成したのはあとで送るって形でいいよな。捏ねんのと、あとは乾燥まで終わらしたやつから好きなの選んでもらって……釉掛けもするか。土捏ねたのは素焼きのままと、こっちで釉薬掛けたの、どっちがいい?」

    「素焼きのままー!」

    「普段使いしたいので、ぜひ釉薬をお願いいたします」

    「あいよ。したら印なり名前なりつけといてくれな! んじゃほれこっちこっち。まずはこの辺りで採れる、この粘土をだな……」

     台の上にどでんと乗った大きな土くれを、もぎゅもぎゅと揉んでいく職人さん。

     人前で肌を出すのははしたないとはいえ、今、ここに政治的な要素は何一つなく。私はただのトリニティ生。体験学習をする、一人の学生。

     かなかう袖をめくり上げ、ミカさんからヘアゴムを借りて。手早く髪の毛をお団子にまとめた。
      

  • 66二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 16:10:11

    すっごいなまってるなぁ…
    それはそれとしてセイアはやっぱしゃーないかぁ…

  • 67二次元好きの匿名さん25/04/15(火) 22:25:44

    なんか旅行したくなってくるなあ

  • 68二次元好きの匿名さん25/04/16(水) 05:28:53

     敷かれた布団の上。

     すこしカビの匂いのする固い枕。だが不快なほどではない。カバーやシーツ自体は清潔そのものに思える。そば殻というものだろう。化繊や綿が詰められたものより寝心地は悪いが、ひんやりとして通気性も良く、蒸れないところは評価すべき点だ。

     うつ伏せになって足をぱたぱたさせながら、ぽちぽちと、救護騎士団のミネにメッセージを送る。体温と、血圧と、それから、飲んだ薬の量と種類を。

     ――食事内容も寄越せと来たもので、一言「ミミズ」とだけ返し、畳の上にスマホを転がした。振動がうるさい。

     ……。

     のそのそと再びスマホを持ちあげ、サイレントモードにした。

     私の体を気遣ってくれるのはありがたい。とてもありがたい。けれど、さすがに食事内容にまで口を出されるのは少々気が滅入る。少閑ぐらい好きにさせてくれ。ただでさえ、普段はキミたちが付きっ切りなのだから。

  • 69二次元好きの匿名さん25/04/16(水) 05:33:02

    (おはようございます&保守代わりにちょっとだけ)

    >>66

    (まだ体が弱い時期だからね……)

    >>67

    (ほんと? 嬉しいですね! 旅行に行ってる雰囲気を頑張って出したいと思う今日この頃。非日常を感じてるなぁと感じていただければ幸い!(ややこしい))

  • 70二次元好きの匿名さん25/04/16(水) 13:40:08

    めんどくなって誰のかって指定されてないからシマエナガの食事内容送ったのかな

  • 71二次元好きの匿名さん25/04/16(水) 16:12:26

     ……。

     鈴の音が二つ。外の犬っころ。睦まじく、はしゃぎまわる音がする。

     開け放たれた窓。薫るのは春の匂い。窓の桟では遊びに来た雀たちが、食事後のくちばしをこすり付け、身だしなみを整えている。

     ……。

     食事は好きじゃない。

     夜も好きじゃない。

     眠るのが好きじゃない。

    「……っしょっと」

     体を起こして、広縁の椅子に腰かける。ひじ掛けが擦れて変色した藤の椅子は、深く座ると体全体を包んでくれた。

  • 72二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 01:10:45

    つらそうだねぇ…セイアちゃん……

  • 73二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 01:32:03

     
     彩度の高い午后の春。指を差しだせばぴょんと飛び乗る雀の足は、じんわり暖かくなり、足をたたんで午睡の誘いに堕ちていく。

     昼食はプランの範囲外だったが、店屋物をわざわざ取ってくれた女将さんのおかげで、飢えずに済んだ。コンビニに寄る、だとか。駅そばを食べる、だとか。そういったことを想像だにもしなかったのは、まことに恥ずべきことだ。

     うなぎは、いいものだったんだね。てっきり労働者たちの食べ物だと思い込んでいた。ところ変われば、事情も変わるのだ。まさか高級な食品だとは。

     ……。

     ナギサは、どうやら気付いていないようだ。今日の旅行が計画された、その理由を。

     まったく。

     きみが血眼で政敵の粗を探さずとも、目の下の隈を化粧で隠さずとも。心無い陋劣な陰口に華奢な拳を振るわさずとも。きみとミカと私は、首長になれるとも。

     ただ、それを教えるのは、わたしの無聊を押し付けることになる。人が人でなくなる。

     人は、未来がわかると努力を怠る。気が抜ける。緊張の糸が切れる。

  • 74二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 01:47:08

    このレスは削除されています

  • 75二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 01:48:05

     今の先輩方……現生徒会長たちは、まさにそうだ。ゲヘナの雷帝が好き放題している中、私が共有した情報から『自分たちの在籍中にゲヘナは手を出してこない』と理解してしまったからこそ、上辺ばかりの対処しかしなくなった。あれやこれと、時間と金を無駄にして。暗中模索に口角泡を飛ばしていた先輩方は、心から尊敬できたと言うのに。

     だからこそ若干二年に進級したばかりのきみたちでも、一派閥を作ることができた。

     焦る気持ちはわかる。

     人の心に寄り添うことが得意なミカには、異次元の求心力で自然と周りに人が集まるのを、尻目に見ていたのだから。

     ナギサ。きみは正々堂々、馬鹿正直に政治の道を歩んでしまった。

     矢面に立つことに慣れていないからこその労苦に心身ともに削られていく君を見て、ミカが心を痛めていたことを、きっときみは知らないだろう。隠れて嘔げていたことを幼馴染に知られたなど、知りもしないだろう。あのお転婆が私に泣きついて来たことなど、夢にすら思わないだろう。

     だからこそ、きっときみは気付かない。

     今日の旅は、きみのために計画されたことなのだということに。

  • 76二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 01:52:29

     ティーパーティの中枢への道のため、私に近づいたことなど。そんなこと、とっくに気付いていたさ。

     ただ、私は知っている。だからこそ無為で退屈で空虚である、未来へと向けた関係を構築しようと思えた。古の書物に未知を尋ねることにしか意義を見出せなかった私に、たとえ打たれた点の行間の世界であるとしても、友であることの意義を見せてくれたんだよ。そうだとも。私は、羨ましかった。錆色の毎日を送り、友などというものを斜に見ていた私が、睦まじく、気の置けないやりとりをしている二人に、光を見てしまった。

     私が視た未来で、私は、その中にいた。それがどれだけうれしかったことか。きみたちは知ることはないだろう。

     ――秘匿すべき未来。

     ……。
     ……。
     ……。

     我々は、いずれ、崩壊する。

     築いたものが崩壊するならば、親交を深めることなど――。

     いや。

     ならば。

     ならば。

     ……。

  • 77二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 01:57:21

     すべてが崩壊するならば。

     まだ、首に手が掛かっていない、今だから。
     
     せめて、睦まじいきみたちに。どうか朗色の記憶があるように。

     死の行路に、光の中の思い出が、多々ありますように。

     中身が残ったままの急須から、茶を注ぐ。

     ……ひどく渋い。

  • 78二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 02:01:57

    (今日は終わりです)


    >>70

    (地味にやりそう。ミネは頭抱えてそう)

    >>72

    (体調が悪いっていうより疲れちゃった的な。この時期本の虫かなーって)

  • 79二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 11:59:10

     ――……。

     17時45分着。

     宿の玄関口でワンちゃんのお腹を撫でまわし、仰向けにひっくり返していたセイアさんにたっぷりとお土産話を投げつけるより先に。19時の夕食に間に合うよう、お風呂をどうぞと言われた私たちは、泥と毛に塗れた服をお互いにからかいつつ。室内風呂へと向かった。

     24時間開放の露天もあるようなのだが、短夜に足を踏み入れた時期。空がまだ薄明のうちに、野外で無防備に肌を晒すのは、躊躇われた。「学生のみなさんは飛び込んで行かれますけどねぇ。さすがトリニティのお嬢さま方だ」と感心するような女将さんに苦笑いを返す。一人、やりそうなのが隣に一人。横目で見ると「い、いや、さすがにやらないよ。そんな子供じゃないし」と恨めしそうに睨むミカさん。

     そして、硫黄が混じった、独特な匂いのする脱衣所で私は、私は。
     最後の抵抗を見せる。

    「だからいいです! 自分で脱ぎます! 服が伸びます! やめてくだ……やめなさい!」

    「そんなこと言ってもう15分経つんだけどー? 別にいいじゃん、幼馴染だし。いい加減寒いよナギちゃん」

    「だから先に入っててくださいと何度も言ってるではありませんか!」

    「ごはんの時間に間に合わなくなるってー! いいから脱げほら!」

    「きゃあああああっ!」

    「やめてよ事件性ある声だすのさあ!!」

  • 80二次元好きの匿名さん25/04/17(木) 16:28:45

    (よるまでほ)

  • 81二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 00:30:19

    心配して来ちゃうでしょうが!

  • 82二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 03:23:43

    このレスは削除されています

  • 83二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 03:24:58

     ――……。

     髪を濡らさないままに、さっと体の汚れだけを落として、あらかじめ用意されていた浴衣に着替えた。布一枚を紐一本で留めるというなんとも心許ない服装に難儀して、しかも歩けば合わせが緩むとごねるミカさんに、困りつつ。それでも有翼・有尾タイプのものも用意されているのは、ありがたい心遣いだ。厚手の茶羽織も裾に切れ込みがあり、羽に干渉せず、快適に過ごせる。

     少しだけ肌寒い春の宵。
     不均一な感覚で置かれた灯篭が照らす庭園への道筋。玉砂利の中に敷かれた踏み石を辿って歩く。秘密の抜け道みたいな低木と木々の中を、ミカさんの持った手提げ提灯がゆらゆらと進む。

     木の匂い。焼けた、木の匂い。

     窮屈で薄ら怖くも感じた道の先の開けた視界。おとぎ話の光景。
     
     かがり火と提灯によってライトアップされた、一本のサクラの木。
     
    「……わお」

    「これは――すごいね」

    「……」

     息を飲む、という表現を実行させられるほど。演出されたものだと理解していても。

    「二日。いや、この陽気であれば、明日には満開になるでしょう。この方は毎年、他の桜よりもせっかちなんです」

     不規則な火の灯り。またたき揺れる、紐に吊るされたたくさんの提灯。

     紙を透過した、電気ともランタンとも違う幻想的な明るさの中で、女将さんがサクラを見返っている。

  • 84二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 03:28:12

    「これで満開じゃないの……?」

    「桜は、満開と同時に散り始めます。散り際にこそもっとも美しく笑うのです。学者さんに言わせたら『それは違う』と言われてしまうのでしょうけれど――。私は、そう思って生きて参りました」

    「……儚げだね。とても」 

     セイアさんの目。反射か、それとも。

     桜の真下のログテーブルにはクロスが敷かれ、座面も真っ赤な布で飾り付けられていて。

     提灯。かがり火。桜。テーブル。

    「本来は一組さま限定でご案内させていただいているのですが、ご予約されていた方から急用が出来てしまったと今朝がた、連絡があったんです。ですので、まことに勝手ながらプランをグレードアップさせていただきました。ささ、どうぞどうぞ。お掛けくださいな」
     
     固い木の椅子には、あくまでお尻が痛くない程度の、薄い座布団が置かれていた。足元には火鉢。かき混ぜてくれて立った炭が、浴衣の足元に、じんわりと暖をくれる。

     テーブルの上にはすでに冷めても味を損なわないであろう料理が並べられていた。色とりどりの小鉢に、色とりどりの料理。百鬼夜行の料理は目で味わうというのは本当らしい。

     明りに慣れた目に夜陰は色濃く。星のまたたきすらをも塗りつぶす。ぽっかりと、この場所だけが。経典の中の楽園のように、空虚の中に、浮かんでいる。

  • 85二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 03:29:33

     有名な戯曲の一場面。夜夜中の森で茶会を開く、妖精たちの、一場面。

     ……さすがに驕りすぎですね。自らを妖精などと。

    「こちらの牡丹鍋は先に火を付けさせていただきますね。ふつふつと、蓋を超えて煮立ってきましたら、お召し上がりいただけます。ご飯はよそってしまっても?」 

     燃焼材にマッチで火がつけられる。私とミカさんは女将さんに応えたが、セイアさんは体を斜にして、じいっとサクラを見つめていた。

    「セイアさん?」私が声を掛けると、呆けたように、ああ、と生返事。

     セイアさんの正面に座り。ミカさんには背を向けるように座っていたセイアさんのお顔を見ることができたのは、私だけ。

     一条の涙痕が見えたのは、きっと揺らめく火の影で。見間違えたに違いない。

  • 86二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 03:32:09

    このレスは削除されています

  • 87二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 03:35:10

     お茶碗に盛られた真っ白なお米が湯気を立てる。甘い香り。お鍋の味噌の焦げる香り。わずかに残った、お風呂の香り。

    「焼き物は頃合いを見てお持ちします。お飲み物はあちらの台にご用意しておりますので。――ではどうぞごゆるりとおくつろぎください」

    「ナギちゃんなに飲む? セイアちゃん、なに飲むー? あ、紅茶あるよナギちゃん! 私はオレンジジュース! なんか今すっごいジュースが飲みたい気分!」

     肌で感じないほどの穏やかな風に木々が葉を鳴らす。提灯を、かがり火を揺らす。

     さっそく立ち上がったミカさんが飲み物が置かれたテーブルに駆け寄った。履きなれない草履にぎこちない動きで。

     結局セイアさんはその後もぼんやりとしていたが、乾杯のためにミカさんが勝手に持って来たノニジュースをほぼ無反応で飲んだ後。同じものをオレンジジュースに混ぜ込んでしっかり復讐は遂げていた。

     この桜は気が早い。

     二人のじゃれ合いに心が溶けるような心地を覚えつつ。ふとサクラを見やったその時に。

     ひらひらと一枚の花びらがテーブルに落ちて来た。

  • 88二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 12:13:36

    続き楽しみ

  • 89二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 16:22:22

    (よるまでほ)

  • 90二次元好きの匿名さん25/04/19(土) 00:32:51

    お前が儚さについて語るな!?

  • 91二次元好きの匿名さん25/04/19(土) 01:36:28

    (すみません。デカグラマトン編を読み始めてしまったので、本日更新できません。ぴーすぴーす)

  • 92二次元好きの匿名さん25/04/19(土) 08:14:09

    (夕方までほ)

  • 93二次元好きの匿名さん25/04/19(土) 16:42:33

     21時26分。

     二度目ともなれば裸体を晒すことに抵抗は薄れ、汗や汚れを流すだけだった室内風呂ではなく。夜風を感じながらの露天のお風呂は「ティーパーティの設備として設えようか」なんて話が出るほどだった。広々とした岩風呂の周りは、お夕食を頂いた庭園のように整えられていて。ぐるりと周りを竹垣で囲われていても圧迫感がない。

     トラベル用のミニボトルに入れたシャンプーやボディソープ。備え付けのものもあるけれど、髪質が変わってしまう可能性はいただけない。トリートメントの待ち時間には豊かなミカさんの髪を洗うのを手伝いつつ、時折、体が冷えないように湯桶で二人の体にお湯をかけて差し上げる。
     
     セイアさんは尻尾を丁寧に丁寧に泡立て、櫛に挟まったたっぷりの毛を、持参したビニール袋にぺっぺと廃棄していく。申し訳程度の衝立から身体を傾がせて「へぇ、大変なんだねぇ」と、尻尾よりも毛量が多いミカさんが言った。

    「私は違うけどね。自分の抜け毛でアレルギーを起こす人も、この世にはいるらしいよ。キミたちのその羽だって、左右にある分。手入れが大変だろう」

    「んー……。とはいえ、お風呂の時は特になにもしないから。よく見ると思うけど、水でこうやって濡らしても濡れないようにしてるからね。綿毛はともかくとして、そういうふうにわっさり抜けちゃうわけじゃないし。ね、ナギちゃん」

     雨でも、入浴でも。オイルを丁寧に塗り込んでいる翼はとにかく水を弾く。それこそ、撥水性を謳う手入れ用品が、ドラッグストアの棚の一面を覆うぐらい充実しているのだ。

     シャワーを当てた羽をばさりと一振りすると、辺りに水滴が撒き散らされた。もちろん、ミカさんの羽には水に濡れた跡などみじんも残っていない。

    「……人前で濡れた羽を羽ばたかせてはいけないと言いましたよね」
     
    「いっ。今のはデモンストレーションじゃん」

     たっぷり時間をかけて各々、日々の手入れを済ませたところで、すこし熱めの湯に足を入れる。ぞくぞくと全身に鳥肌が立つ。

     ゆっくり、ゆっくり。

     全身を、ゆっくりと湯に慣らし、沈めていく。

     浴場の底に足を伸ばして座ると顔の半分まで温泉に浸かってしまうセイアさん。ミカさんは「あ”あああ~」とみっともない声を出して天を仰ぐ。

     ……体中の毛穴からじぐじぐと、毒素が抜けていくような感覚。

  • 94二次元好きの匿名さん25/04/19(土) 16:49:08

    セイアちっこいもんな‥

  • 95二次元好きの匿名さん25/04/20(日) 00:44:24

    ほしゅ
    時間出来たら一気読みする予定…楽しみにしてる

  • 96二次元好きの匿名さん25/04/20(日) 00:51:46

    (今ようやくPCの前に座れました。ほしゅありがとうございます)


    >>94

    (不満げにお湯に沈んでぶくぶくしてるセイアが頭に浮かんでしまいまして……)

    >>95

    (おあ、ありがとうございます。それまでに完結させられてることを夢に描いております)

  • 97二次元好きの匿名さん25/04/20(日) 08:08:37

    (夕方までほ)

  • 98二次元好きの匿名さん25/04/20(日) 15:08:09

    ほしゅ!

  • 99二次元好きの匿名さん25/04/20(日) 17:15:08

    (ほしゅありがとうございます!)
    (今日の夜あたり更新できるとおもいます~)

  • 100二次元好きの匿名さん25/04/20(日) 23:40:52

    お待ちしてます!

  • 101二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:48:28

     ――……。

     部屋に戻る頃には、みな顔はほんのり……を通り越して、しっかりほっこり、頬を朱く染めていた。

     広縁の窓を開け、そよそよと吹き込んでくる風にほてった体を冷ましながら、自販機で買った水を喉を鳴らして飲む。

     みんな頭にタオルを巻いて、ドライヤーの前にスキンケア。セイアさんは尻尾にもタオルを巻き、膝の上に乗せて片手でぽんぽんと、水気を吸わせている。

     みんな水道のカルキ臭ではなく。温泉の匂いをまといながら。

     暗黙の了解。お互いに話しかけようとしない。声を出さ――いや。オールインワンのパックをしたまま電話をするミカさんを除いて。

    「うん。うん。あー、そうなんだ……。え? うん! こっちの視察ももうほとんど終わり! え? いやいや、一人だよ。うん。ちょっと見てくるだけだったし……え? ああ、そうなんだ。ナギちゃんもお休みしてるんだ? へえ、体調悪いのかなー? 食べすぎたんじゃない?」 

     は?
     
     広縁の、私の正面の椅子に座るセイアさんも、いつもの退屈そうな顔をしながら、文字を打っている。サンクトゥム分派の人にか、今日を手伝ってくれたミネさんにか。誰かしらと連絡を取り合っていることは、わかる。

  • 102二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:49:51

     ……。

     見るべきだ。返すべきだ。スマホを。連絡を。

     料理の写真を撮った時、ロック画面から通知がたくさん入っていたのは知っている。あの時から。頭の片隅には、このくつろぎの非日常ではない――日常が、鎌首をもたげてとぐろを巻いている。

     こくり。水を一口。

     意を決して、溜まった通知の一つ。フィリウス分派の、その中に作られた派閥のグループチャットを開いた。

     ……。

     ――。

     ぽちぽち。
     
     ――。

     ――。

     ぽちぽちぽち。

     ――。

  • 103二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:50:13

     ――。

     ポチポチ。

     ……。

     ポチポチポチポチ。

     ……!

     ポチポチポチポチポチポチポチポチ。

     ……――。

     ポチポチポチ――……。

  • 104二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:51:32

     ポチポチポチポチポチポチポチポチ。
     ポチポチポチポチポチポチポチポチ。
     ポチポチポチポチポチポチポチポチ。
     ポチポチポチポチポチポチポチポチ。
     ポチポチポチポチポチポチポチポチ。

  • 105二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:52:15

     ――……。
     
    「――ギちゃん? ナーギーちゃん」

    「……はい?」

     頭の前側。額のあたりがじんじんする。あれこれと思いを巡らせるときにたまにある。これが過ぎると頭痛に変わるのだけど、今日は、そこまで思考が落ちなかった。せっかく。せっかく、毒が出て行く心地よさを感じたばかりなのに。

     目の前には、ドライヤーを片手に持ち。パックをしたまま……したまま……。

    「ぶっ」

    「うわっ! つば飛んだ!! あ”ー!!」

    「す、すみません失礼しましたっ」 
     
    「なにをしてるんだきみたちは……」

     元々はきっとかわいらしいものなのだろう。白と黒の、ハチワレ猫がプリントされたフェイスパックを着けていたのはもちろん見ていたし、気にも留めなかった。ただ、間近で見るのは話が別。ぱっちりと留められた前髪。猫の口がミカさんの口で。猫の目がミカさんの目。しかも、絶妙に位置がずれている。

     だから、こうなるから。人に見られたら、確実に笑われるから。プリント物のパックは私はしない。

    「うぇ~。まあパックの上からだからいいけどさあ。ねえナギちゃーん」

  • 106二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:54:41

    「はいはい……。そっちに行きますよ」

     ミカさんがこういう甘い声を出すときは何かをしてほしいとき。手に持ったものと状況から、考えるまでもない。

    「ん」と雑に渡されたドライヤー。早速浴衣の合わせをはだけさせ、露出させた足にマッサージクリームを塗りたくっていくミカさんの自由さにため息を吐いてから、タオルを解いた。ばさりと広がった長い髪に温風を当てる。

     時々。

     中学生の頃も、トリニティへ入学したての頃も。寮から抜け出し、お泊り会をして、よくこの豊かな髪にドライヤーを当てさせられたものだ。さらさらで細く。よく絡んでしまうからブラッシングは欠かせない。使うシャンプーの量も、トリートメントも。コンディショナーだって。お金の問題ではなく、時間の問題。めんどくさいめんどくさいとぼやきながらも、手入れを欠かしていないことがよくわかる、ふわふわな髪。

    『すこし短くすればいいんじゃないですか?』

     昔、そんな会話をしたなあと。ふと思い出した。

    「そういえば最近さー」

     ドライヤーの音に負けないよう、声を張りながら、ミカさんが言った。

    「あ、まだ別になにかしてるってわけじゃないんだけど。ほら、カタコンベあるじゃん」

  • 107二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:55:35

    「”まだ”……? こほん。入ったことはないですけどね。あそこはシスターフッドの管轄ですし、揉め事になりかねません」 
     
    「あそこに入れる新しい道見つけたんだよねー」

    「……」

     ぬりぬり。
     
     ぬりぬり。

     チューブからクリームを出して、右足、左足に塗りたくり、よくマッサージをしながらミカさんが言う。今日はよく歩いたから、私もあとで借りよう。むくまないように。

    「その入口がサンクトゥ――セイアちゃんとこの本部の近くなんだけど。ふっふっふ……。ねえ、今度探検してみない?」

    「行きません」

    「ええ!? なんでよー! なんかさ、友だちの子がね? シスターフッドはきっとあそこで夜な夜な、秘密のなにかをしているんだーって怖がっててさ。だったら見てきてあげるって約束しちゃったんだよ」

     またぞろ余計なことを。

  • 108二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 04:56:41

     その友だちはきっと。きっと。

     ミカさんの政敵から唆され火種をこさえようと近づいたのではありませんか。人の良さに付け込み、困っている人を見捨てないミカさんの性格を利用して悪事を企んでいるのではありませんか。パテル派の内情は詳しくありませんが、私のところと同じならば、そういったことをする人は普通に――。

     ……。 

    「あまり、うちの近くで変なことをしてほしくないんだけどね」

     セイアさんが言った。もうスマホは見ていない。ぽふぽふと水気を取っていたタオルを窓の外でばさりばさりと振る。あれほどくしけずった尻尾から無限に生み出される抜け毛に、どこかげんなりしているようにも見えた。

     上から順番に。毛先に降りていくように、ドライヤーを下ろしていく。濡れ束になっていた毛がほぐれていく。

    「大丈夫、絶対バレないようにするから!」

    「そういう問題ではないよ」

    「うー。でも約束しちゃったからさあ。あ、セイアちゃんも、体調良いときなら――」

    「わたしは、行かない」

     ばさり、とタオルをひときわ大きく振って、冷たく。突き放すような、はっきりした声色だった。

     ミカさんもそれ以上。いや、縋るようなあの甘えた声で「ナギちゃん」と言ってきたが、私もそれに応えるわけにはいかない。今は大事な時期なのだ。余計なことはせず、着実に、一歩一歩階段を登らなければならない。火遊びをするのは――これが最後。

     幼馴染の甘えた声に絆されてしまうのも、これが。

  • 109二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:00:06

    「ですから、私も行きません。ミカさんももっと落ち着いて行動してください」

    「丸くなったねえ、ナギちゃん……」

     ……。

     ぺしっとミカさんの肩をはたいた。

    「そしたらあの子誘ってみようかなー。知ってる? ほら、一年生のさ。えっとー……なんだっけー……」

    「一年生? 後輩ですか?」

     思い当たるのが一人いるけれど、まさか。

     そして、まるで会話の流れなどまったく気にせずに。自分の何かを吐き出すように。ぼやくように、セイアさんが言った。
     
    「それこそ、知っているかい?」

     ばさり、ともう一度タオルを振って。

     呟くような声は、ドライヤーを当てられているミカさんには、聞こえなかったようだ。

    「えー? なにー?」

  • 110二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:01:21

     でも、私には聞こえた。

     この音はね。『人の首を切り落した音』と同じなんだそうだよ、と。セイアさんは確かにそう言った。

     ……難解で、迂遠で、なぞかけのような物言いは、セイアさんの悪い癖なのだと思う。

     ただ、いつもと少し違う感じがしたのは。

     きっと、その声が、深い深い苛立ちを孕んでいるように思えたからかもしれない。

    「ぜんぜんきこえないー。ナギちゃん、あの子誰だっけ。ほら、私と同じ髪色の」

     同じ髪色のと聞いたことで、その人物が誰を指していたのか、確定した。

    「――浦和ハナコさんですか?」

    「そうそう! なんかね、先輩たちがあの子をパテル派にって言ってたからさ。いい機会だし、ちょっとお話してみよっかな! 連絡先知ってる?」

    「そうですか。パテル分派もあの子を……」

     フィリウス分派も目を付けている逸材。一年生の浦和ハナコさん。入試において、ほぼすべて。テストも、礼儀作法も、宗教検定も。すべて満点に近い成績で入学してきた、トリニティ史でも指折りの人材。

     あの子が派閥に入ってくれればと望む声は、そうか。どうやらパテル分派も同じらしい。

  • 111二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:02:15

     となれば、サンクトゥス分派ももちろん目を付けていないはずもなく。

    「入学してまだひと月経っていないのに、いきなティーパーティ所属の”先輩”から、カタコンベに忍び込もうと誘われる身にもなりたまえ。馬鹿かきみは」

    「今バカって言わなかった!? うっすら聞こえたんだけど!」

    「……それは、けん制ですか? セイアさん」

     駆け引きを知らないミカさんはこのように平然と、分派の内情を話す。話してしまう。

     ティーパーティとして手を取り合っている三大派閥はしかし、水面下ではお互いの弱体化を虎視眈々と狙うのは、常。

  • 112二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:08:47

     そんなことを”くだらない”と唾棄するには、時期尚早で。

     だから。

     私たちは、”生徒会長”にならなければならない。そのために。そのためには。今は。頑張らなければならないのだ。多少の犠牲を払ったとしても。学生の意識を捨ててまでも。私たちと、トリニティ総合学園のためには。

     争っているより、手を取り合った方が。だからこそのトリニティ総合学園なのではないか。

     だから、私たちの世代では。世代になるまでは。

     ”現トリニティにふさわしい人物”を演じなければならない。

    「違うよ」

     ばさり、とタオルが振られた。

     があがあとドライヤーが鳴っている。

     ミカさんの髪は濡れ髪からしっとり程度には乾いていた。私は手を動かしながらセイアさんを見る。

     けれど、セイアさんは私を見ない。空虚な目で。この世のどことも視線が合わないように。目を開けているのに、目を閉じているかのように。

    「にしても先輩かー。ふふふっ。先輩だってよナギちゃん!」

     ぐりんと向き直って、ミカさんはハチワレ猫のパックを剥がした。

  • 113二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:11:23

     つやつやともテカテカとも言える顔はまだわずかに上気している。 

    「楽しみだね、二年生!」

    「……そう、ですね」

     波乱の幕開け。

     次期生徒会長を狙う各派閥が形を成し、先輩からの寵愛を受けるべく。醜く、壮絶な政治戦争が巻き起こることは間違いない。特に、当代にホストを引き受けているフィリウス分派は、いま一番勢いがある。

    「ん、もうだいぶ乾いたね。ありがと! はいじゃあナギちゃん後ろ向いて―。今度は私が乾かしてあげる!」

    「ふふ。では、お願いしましょうか」

     だから。私の親友が、たとえいつもの思いつきであろうとも。計画してくれたこの旅行で最後の羽を伸ばし。

     来年のために。未来のために。
     
     三分派が互いに腕を組み、笑えるような。

     ――それどころか、もしかすると。

     ヨハネ派や、シスターフッドまでもが同じ卓に着き。お菓子を食べ、紅茶を楽しみ、雑談が出来るような、そんな時代の始まりになれるよう。

     があがあとドライヤーが鳴る。「次セイアちゃんだからねー」と声を張りながら、膝立ちになって、わしゃわしゃと私の髪をかき分けるミカさんの指。

  • 114二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:12:36

    「楽しみですね、二年生」

    「だーかーらー。聞こえないからもっと大きな声で話してー! わー!!」

    「うるさいです」

     明日から修羅の道を歩もう。
     
     ”いつか”の後輩たちのために、”かつて”の先輩がどれほど心を擦り切らせたかなど、歴史に残らずとも。

  • 115二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:12:52

     ……。

     ここに来る途中、車の中で見掛けた道端の苔むした石人形。”オジゾウさん”と呼ばれる、なぜあるのかも、だれが置いたのかもわからない、何かの証。

     なるほど。

     ――なるほど。
     
     何かの証。
     
     百鬼夜行でのこの一日は私の人生において。

     三人で旅をした、この春の日は。

     私の人生においてきっと忘れ得ぬ一日になるのだろう。

  • 116二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 05:15:04

    (まだ夜ですね。夜ですよね。夜です)
    (数日前デカグラマトン編読み終えたと思ったらいいタイミングで3章きた。やったぜ)

  • 117二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 11:34:57

    ウゴゴ……
    仕方のないことだが…重いな……

  • 118二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 14:19:08

    (夜までほ)

  • 119二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 15:34:42

    このレスは削除されています

  • 120二次元好きの匿名さん25/04/21(月) 23:51:53

    語り口がすっごい好み

  • 121二次元好きの匿名さん25/04/22(火) 00:32:59

    (今日は更新できるかわからないからほ……と思いました。ありがとうございます)

  • 122二次元好きの匿名さん25/04/22(火) 07:48:30

    (夕方までほ)

  • 123二次元好きの匿名さん25/04/22(火) 15:22:40

    (よるまでほ)
    (ちなみに今日も更新はできませぬ。すみませぬ)

  • 124二次元好きの匿名さん25/04/22(火) 23:16:36

    寝る前に保守させていただきます!!
    今を楽しめ三人!!

  • 125二次元好きの匿名さん25/04/23(水) 06:29:21

    (更新遅くてすみませぬ。ハイランダーイベが悪いんだよ。まだやれてないけど)
    (夕方までほ)

  • 126二次元好きの匿名さん25/04/23(水) 15:17:01

    >>125

    了解!

  • 127二次元好きの匿名さん25/04/23(水) 16:23:39

    ――……。

    「お忘れ物はございませんか?」

     重いスーツケースをばすんと車のトランクに積み込んだ女将さんが問いかける。

     持って来た荷物は結局。半分はパッキングを解かずに、そのまま入れっぱなし。
     
     すこしかび臭くも清潔感を感じた、ひんやりと冷感ある敷布団で並んで横になって。オレンジ色のマメ球のうっすらした灯りの中。ひとりかしましく話題を提供し続けていたミカさんの声がだんだんとゆっくり、落ち着いていき……寝息に変わり。それを聞いているうちに私も、いつのまにか意識を手放していた。

     セイアさんも「そう時間を置かずに眠ったとも」と言っていたけれど。テーブルの上に置いてあった湯呑を見るに、あれからきっと、寝付けなかったのかもしれない。現に、いや。わかりづらいものだが、眠たげな目をしているような、気が……する?

     すっかり懐いた犬が二匹。セイアさんにじゃれつこうとするけれど、またしても。見事に尻尾を使い往なしている。短く固い体毛を持つ犬の体には、綿のようなでっぱりがぽつぽつ。引っ張ればわっさりと抜けるそれは、この子たちも、換毛期の印。

    「ええと、”セミナ”。部屋に充電器が挿しっぱなしだったけど回収したのかい? ……改めて、でたらめな名前をしているねきみは」

    「あー! 早く言ってよ! お忘れ物ございます、ございます!」

     まったく。最後までどたばたどたばたと。

     昨日と同じTシャツを着て帰ろうとしたミカさんをなんとか説得し。持ってきていた私の予備の服。デニムのロングスカートから足を出し、大股に玄関正面の階段を駆け上っていく。はしたない。ああ、はしたない。思わず額に手をやってしまう。

  • 128二次元好きの匿名さん25/04/23(水) 23:10:12

    そそっかしいところもかわいいね

  • 129二次元好きの匿名さん25/04/24(木) 07:31:13

    (夕方までほ)

  • 130二次元好きの匿名さん25/04/24(木) 14:38:51

    (夜までほ)

  • 131二次元好きの匿名さん25/04/24(木) 16:37:26

    このレスは削除されています

  • 132二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 00:00:28

    鏡見て…自分を労ってあげて…

  • 133二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 00:38:07

     ……。

     旅は終わった。短い短い旅が。春の陽気の中、私たちはこのまま帰路に着く。

     来るのと逆の道を辿り。非日常から日常へ。

     百鬼夜行連合学院自治区からトリニティ総合学園自治区へ。

     ――青春から政争世界へ。

     頭の中に叩き込んだ相関図。常日頃刻々と変化する勢力図と利害関係の渦潮に飲み込まれず、間隙を泳ぐような。今日に同じティーポットからお茶を飲んだ友が、明日、私を裏切り弾劾してくるような、綱渡りの日々を。

    「あまり気負うものじゃないよ」

     来た時と同じようなスポーティな服装で、ミカさんが慌ただしく部屋に戻った玄関口を見つめながら、セイアさんが言った。

    「……気負うとは?」

    「せめて、だ。この旅を終えるまでそんな顔をしないで欲しい。これは私の願いだ。あの子のためでもある」

    「どのような顔でしょうか」

    「ひどい顔だよ」

     そう言って。

     私と目を合わさずさっさと車に乗り込んでしまった。私にひどい顔と言ったセイアさんの顔もまた。――私には、ひどい顔に見えたのだけど。

  • 134二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 00:39:49

    (百鬼夜行連合学”院”ですね。ややこしいんじゃい! 修正&ほんのちょっと加筆させていただきました)

  • 135二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:33:36

     
     目の辺りをハの字のようにしていたワンちゃんたちは、しばらくじいっとセイアさんを見ていた。ふりふりとセイアさんが手を振ると、まるで意思の疎通が取れているように、ちりんちりんと首輪の鈴を鳴らして。宿から駅へ向かう道の方へ、ちゃかちゃかと歩いて行った。

    「ずいぶんと懐きましたねえ。だいたいのお客様とは、ここでお別れなんですよ」

    「ああ。帰りは見送りを頼むと約束したからね」
      
    「あらあら」

     思えばトリニティでも、いつもセイアさんのまわりには警戒心の強いはずの小鳥たちが、羽を休めている。ここでも同じ。向こうではシマエナガ。こちらでは雀と。犬とも仲良くなれるのだとしたら。もしかするとトラやライオンでも仲良くなれるのだろうか。

     がたん、と音がした。

     その方を見やると私たちが宿泊していた部屋の窓が開き。二つのおさげを風になびかせたミカさんが顔を出している。

    「充電器はありましたか?」

     そう大きな声を出す必要はない。葉鳴りと小鳥のさえずりと。耳を澄ませばかすかに、戦車とは違う作業車の重低音が聞こえるだけ。

     私の声に気付いたミカさんは「あったよー。ごめん、すぐ戻るね!」と、ぶんぶん手を振り。少しだけ、ほんの少しだけ。窓からの景色を目に焼き付けるように、動きを止めて。

     そして、窓を閉めた。

  • 136二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 16:19:20

    セイア動物に懐かれやすそうだよな、ホンマに

  • 137二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 16:28:53

    「すみません。帰り際まで落ち着きがなくて」

     隣でサブマシンガンの点検をしていた女将さんに頭を下げた。客人である私たちに火薬の匂いをさせては恥、と言った女将さんはその通り。滞在中、私たちに一度も銃のコッキングすらさせていない。

     田舎だからかもしれない。人がいないからかもしれない。
     
     ……そうではない。そういうことではないんだ。これは女将さんのもてなし。まったく、おかげで非日常に身を置けた。

    「いえいえ、いいんですよ。この頃は学生の方々は盛り場の方へ宿を取られます。ここに来るのは年寄りばかりで……」

    「でしたらさぞ騒がしかったでしょう」

    「ええ。ほんと賑々しくしていただいて!」

    「あはは……。申し訳ありません」

    「いいんです。いいんです。おかげで宿が若返った気がします」

     どたばたどたばたと階段を駆け下りる音。サンダルは荷物の中に放り込ませ、これもわたしが持って来たブーツに足を通したミカさんは、最後に宿を振り返った。

     ちょっぴり寂しそうな顔をするミカさんに私は。

     彼女を腕を取って、言った。

    「帰りましょうか」

    「……うん!」

  • 138二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 16:30:23

     今度は逆にミカさんに手を引かれて車に入る。また私が真ん中で、左にセイアさん。ミカさんは相変わらず、こちらに詰めて座る。一番大きな銃を持っているから仕方ないとはいえ。今日の陽気にぴたりとくっつかれると、暑くてかなわない。「ドアを閉めさせていただきますね。お気を付けください」。まるで昨日の焼きまわしのような言葉を聞き、扉が閉まった。

     蛇行した坂道を下り、田植えの準備に土をかき回すトラクター。道の途中には、散歩ついでに見送ってやる、と言わんばかりにお座りしたワンちゃんたち。

     セイアさんが窓を開けて「またね」と声を掛けると「ワン」と、返事をするように吠えた。逆側にいたミカさんも私の太ももに膝を乗せ「ばいばい!」と手を振る。踏みつけられた太ももがくすぐったくて、悲鳴を上げさせられたおかげで。私はお別れをしそびれた。目の前の良く絞られたお腹をくすぐってやれば、力が抜けたミカさんの体が私とセイアさんにのしかかる。

     水田。里山。木立。オジゾウさん。

     水路から小川へ。小川はやがて、自治区を分断する大河へとつながるらしい。

     生々流転。

     移り変わるものは消滅せず形を変えて残るのだという、トリニティの教えとはまた違う思想。その景色を車窓の向こうに眺むるセイアさんは一言も発さず。

     駅に着くまでの道は同じ道。けれど、辿る道は逆の道。来たときと、心持ちも違う。見える景色もどこか違う。

  • 139二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 16:31:54

     駅舎前の二本の桜の木は、未だつぼみとはいえ。昨日よりも少し、ほころんでいるように見える。

     どすん、とわたしの荷物が地面に下ろされた。取っ手を引き出し、がらごろと自分の脇に持ってくる。誰だ。こんなに大きく重厚な荷物を準備したのは。せいぜい身支度を整える程度の荷物で十分。少なくとも、次。同じ場所に宿泊する限りは。

    「では。どうもお世話になりました」

     手に持っていたフェルトハットを被り、スカートの裾をすこしつまんでお辞儀をした。セイアさんはトリニティ式ではなく「いろいろ学びを得られた。あなたと、百鬼夜行の文化に最大の敬意を表する」と仰々しい物言いを用い、カーテシーではなくて手をぴっちり体の脇に付ける礼をしたのはきっと、女将さんを真似てのことなのだろう。あれだけの歓待をしてくれた女将さんが、私たちにしてくれた礼を、その形で返す。なるほど。自分たちの文化の中ではなく、相手の文化を用いることもまた、礼儀なのかもしれない。

    「またいらしてください。あの子たちや、あの方も。もちろん私も。お嬢さま方のお帰りを、首を長くしてお待ちしています」

    「お帰りとは。まあ、言われて見れば、我が家のようにくつろがせていただいた。心なしか体調も良くなった気がする。なあ”セミナ”」

    「なんで私に振るかなー。お風呂上り、下着一丁で扇風機の前に陣取ってたくせに。家でもやんないよあんなの」

     表情を消し、ふいとキャップのつばで顔を隠したセイアさんに、女将さんは「ほほほ」と笑う。

    「お風呂上りの過ごし方としては大正解です。私も夏場はよくやってしまいますとも」

    「……こほん。お騒がせしたお詫びと言ってはなんですが。今度、茶葉をお送りいたします。トリニティでもなかなか手に入らない逸品を是非お楽しみください」

    「こちらも楽しませていただいたのですからお詫びなど。でしたらこちらも。実は、来月頃には一番茶が出回るのです。百鬼夜行特産の一等茶葉をお送りいたしますね。ふふ。同じお茶好き同士の、交換といたしましょう」

    「ありがたいお心遣いです。……でしたら、次回は5月乃至6月あたりにお邪魔させていただくのもいいですね。流石に、今年は難しいですが。お茶畑の見学をしてみたいです」

  • 140二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 16:33:17

    「私はまたサクラが見たいなあ。うー。来月かあ。そう頻繁には難しい……。いやでも、エクストリーム登校という手段を使えば週末にでも……!」

    「無茶を言うな。私を殺す気かい? どうしてもと言うなら、ふたりで行きたまえ」

    「えー、だめだめ! 学校サボった悪い子同盟じゃん。私たち三人でじゃないと!」

    「平日に予約とは、と思っていましたけれど。トリニティのお転婆さんたちでしたか」

    「こ、こほん」私はだだを捏ねるモードに入りかけた幼馴染に、やんわりとブレーキをかける。「あまり無理を言うものではありませんよ」

    「季節季節の楽しみがあるということさ。たまに来るからこそ、頭が痺れる感動を得られるということもある。……その悪い子同盟というものからは、脱退を表明するけどね」

    「とくにこの辺りは田舎でございますから……。夏はお茶や新緑。秋は紅葉。冬は雪化粧と。長年住んでも、一年に四度も大きく変わる景色に寄せる想いは変わりませんよ。――お嬢さまがたの長い旅路の幕間に、当宿にお寛ぎに帰ってきてくださいませ」

     名残が惜しい。
     そんなの、朝目が覚めてからずっと感じているけども。たった一泊二日の短い旅。

     だがここは非日常。
     日常ではないからこその、非日常。

     私たちが駅舎前で話し込んでいると、ハイランダーの生徒が眠そうに。だるそうに。私たちに声を掛ける。

    「おーい。次の電車乗るなら早くホームに上がりなよー? これ逃したら一時間は待ちぼうけだからねー」

  • 141二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 16:34:55

    「そろそろお時間です。それでは、また」

    「ありがとう。あの犬たちにもよろしく言っておいてくれ」

    「また来ます!」

     切符を買い、ホームに入ったとほぼ同時に入線してくる列車に乗り込み。

     荷物を整理するよりも真っ先に、車窓を開ける。

     私たちの。
     私の。

     私の人生に忘れ得ぬ日を与えてくれた土地の空気を胸いっぱいに吸いこんで。フェンスの向こうで手を振る女将さんに。

     ありがとうございました!

     私たちは最後の挨拶をする。

     ぷるるるる、と味気ない発車ベルが鳴る。
     がたん、と体が揺れる。

     女将さんの姿はすぐに見えなくなり。

     かたんことん。
     かたんことん。

     吹き込む風に前髪をめくり上げ。

     春の旅が、かたんことんと、終わっていく。

  • 142二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 00:13:53

    待機

  • 143二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 00:22:16

    この世界線の三人には、また何時かいって欲しいね、本当に

  • 144二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 08:13:56

    このレスは削除されています

  • 145二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 08:16:42

    15時12分着。

    「気を付けてね」

    「うん! ――じゃあ、また! お洋服はあとで洗って返すね~」

     ふりふりと手を振り、リュックをひょいと担ぎ直し。ミカさんは階段を上っていく。

     ここはもうトリニティの自治区。

     朝早くに快速列車に乗ったときはほとんど人がいなかったのに、人よっては放課後となるこの時間には、中学や高校問わず、いろんな制服を着た生徒たちが何人も居た。ミカさんは一度も振り返ることなく。まるでアルバイトへ赴く生徒のように人混みに溶け込んだ。

     つい数時間前まで百鬼夜行にいたなど忘れてしまうほど。昨日の早朝、非日常の世界はこの駅から始まっていたというのに……。たった二回。乗り換えのために通り過ぎるだけだったこの駅も、いつしか日常の片隅に居座っている。

     足早にトリニティの制服を着た生徒が、私たちに見向きもせずに通り過ぎる。ティーパーティと言えどその中枢にいない限り、せいぜい制服と、正義実現委員会と対になる帽子でしか、所属は判断されない。とはいえ、知り合いがこの駅を利用しないとも限らない。いくら見た目を偽ったところで顔を見られてしまえば正体などあっさり見破られる。ミカさんは視察と言ったからまだいいものの、私とセイアさんは病欠と言って出て来たのだから、それは少々、立場を悪くする。

     いや。セイアさんは大丈夫か。

  • 146二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 16:32:01

    「私たちもどこかカフェに入ろう。次の電車まではどのくらいあるんだい?」

    「10分ほどなのでカフェと言うには少し時間が足りませんね。……ずらすこともできますが」

    「……そうか。なら、いい。きみにもきみの予定があるだろうからね。ここでお別れとしよう」

    「お心遣いありがとうございます。セイアさんはどうやってお帰りになるんですか?」

    「ミネが車を回してくれるそうだ。まあ、私が救護騎士団の車から降りることになんら不自然はない。一緒に乗っていくかい?」

    「そうですね……」

     すこし、考える。

     ミネさんは協力者。とくに、セイアさんと懇意にしているのは知っているから、警戒する必要はないように思える。

     でも。

  • 147二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 16:32:10

    待機

  • 148二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 16:33:24

     
    「大丈夫です。私がセイアさんと一緒に帰ってしまったら、ミカさんになんと言われるか」

     寂しがりの幼馴染のことだ。そんなことが発覚すれば「ずるいずるい」とへそを曲げ、向こう二週間は私たちに恨みがましい目を向けることになるに違いない。

     私の言葉に「ははっ。視ずとも解るね。では、ここでお別れだ」と、セイアさんはキャップを目深にして笑った。

    「どうぞお気をつけて」

    「私は待っているだけさ。……ああ。ずっと。私は待つだけだから」

    「……?」

    「ナギサ」

    「はい?」

     何か言うことがあるのだろうか。キャップのつばはセイアさんの表情を隠している。背が小さいセイアさんの表情は、下から覗きこまない限り、わからない。

     少しの間、言葉を待ったのだけど。

    「――きみも、気を付けて帰ってくれたまえ」

    「はあ……?」

    「じゃあね。楽しかったよ。とても」

     そう言ってセイアさんは改札を出て行った。最後に一度だけ、足を止めずに見返り。小さく手を振って。ポニーテールをひょこひょこ揺らしながら、人混みに紛れていく。

  • 149二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 16:36:30

     なんとも歯切れの悪い別れ際。やはりこれはセイアさんの悪い癖。言葉を濁し、煙に巻くのは。

     私は「それをやめろ」とは言えない。凡夫たる私の理解の及ばない事象で心を削られている、セイアさんなりの自衛なのかもしれないから。

     大荷物を息を切らせて持ち上げ、階段を上り。がらごろとスーツケースを転がし、空いている列に並ぶ。

     百鬼夜行の景色となにもかも違う。申し訳程度の街路樹と住宅街。二階建て、平屋。デザインはどれも違うのに、どこか画一されたように同じに見える住宅街の駅。タクシーを襲撃しようとした不良たちを正義実現委員会が追いかけまわす。駐車場の広いドラッグストアには3台の戦車が停まっていて、その上で生徒が談笑し、アフタヌーンティーを楽しんでいる。店員さんが遠巻きにそれを眺め、腰に手を当てて迷惑そうにしている。

     トリニティ中央駅行きの電車がやってくるメロディがホームに響く。

     電車の中にはすでに人がたくさん乗っていた。大人や学生を問わず。私はフェルトハットを深く被り、マスクをして。セイアさんに編んで貰った一本の三つ編みおさげの揺れを、肩甲骨のあたりに感じながら。

     15時29分発。

     座れずに、ドア脇の壁に寄りかかり。やがて私の生活圏の景色が見えるまで。

     車窓の景色を。ただ、眺めていた。

  • 150二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 16:37:57

    やっぱさ…つれぇわ…….

  • 151二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 16:43:50

     ――……。

     その晩。

     自室で荷ほどきをしていると、一枚の白いTシャツが、丁寧に折りたたまれて入れられていたことに気付く。

     ……。

     私はすぐに、メッセージを打つ。

      桐藤ナギサ:ミカさん
      
     返事はすぐに返って来た。

      聖園ミカ:あ! おつかれ~。今ちょうどシャワー浴び終わったとこだよー!

      桐藤ナギサ:’画像を送信しました’

      桐藤ナギサ:これ、ミカさんが来てたTシャツですよね。いらないので明日お返しします。

      聖園ミカ:プレゼント! おやすみ!

      桐藤ナギサ:いりません
     
      桐藤ナギサ:ミカさん?

      桐藤ナギサ:……ミカさん?

  • 152二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 16:44:11

     ……。
     
     本当にいらない。
     
     『I LOVE TRINITY』と書かれた、素材の悪い、ぺらっぺらのTシャツは。

     それから1年以上、私のクローゼットの片隅で、肥やしになっていた。
     

  • 153二次元好きの匿名さん25/04/26(土) 23:49:30

    たいき

  • 154二次元好きの匿名さん25/04/27(日) 06:53:09

    (一応夕方までほ)

  • 155二次元好きの匿名さん25/04/27(日) 07:10:57

    I LOVE TRINITY、Tシャツとか何時着たら良いんだよ……()

  • 156二次元好きの匿名さん25/04/27(日) 15:10:40

    >>155

    真昼間のゲヘナの人通りの多い往来で着ればいいんじゃない?

  • 157二次元好きの匿名さん25/04/27(日) 16:44:50

     ――……。

     ――……。

     ――……。

     それから。
     
     勢力を把握し、地盤を固め。
     
     政敵相手に権謀術数を弄した夏。

     首長選挙へ向けた票集めに奔走した秋を経て。
     
     制服が夏服から冬服に変わり、マフラーを巻く生徒がちらほら出て来た頃。

     私たちはこっそり集まり、ささやかなパーティを開いた。

     体調を崩される日が増えたセイアさんの部屋でお菓子を広げ、紅茶を淹れて。手作りのものや取り寄せたもの。色とりどり、甘い香りが立ち込める、深夜のお茶会。

     ぶじ、次期ティーパーティの生徒会長に選出された”悪い子同盟”。派閥内政争で忙しかった間はほとんど語らうこともできなかったけれど。その夜はたっぷりと言葉を交わした。私の展望を滔々と述べ、ミカさんがだるそうに聞き流し、セイアさんが寂しそうに微笑んだ夜。正式な就任の前にもう一度旅行に行きましょうか、なんて言葉だって、つい口を衝いて出た。

  • 158二次元好きの匿名さん25/04/27(日) 20:49:51

    いい思い出だもんな

  • 159二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:39:23

     ――……。

     年が明けて。

     先輩方から政務の引継ぎを受け、ミカさんが旅行だ旅行だと騒ぎ始めたころ、彼女が来た。

     彼女が。

     ……。

     連邦生徒会の次期会長が。

     政変に揺れているゲヘナとの和解をと、提案を引っ提げて、トリニティを訪ねてきた。

     私は、情で動いてしまったことを否めない。あるいは、それも策略か。
     
     トリニティにとってのブレイクスルーを目指した私の展望。三派閥を超え、今までいがみ合ってきた各派閥が雑談を交わせるような、そんな時代を拓く展望に。次期連邦生徒会長は手を叩いて賛同してくれた。同じことだと。私のしていることも、あなたの考えと同じなんだと。そう言った。

     とはいえ、私はよく吟味し。不満げなミカさんはともかく。セイアさんを説得し。

     一応は、三派閥で合意が成り。

     そして――。

     セイアさんが襲撃された。

  • 160二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:42:08

     ふたりで、三年生になった。

     セイアさんは見つからない。襲撃したあの場から姿が見つからず。内々に――死亡、とした。ただ混乱を避けるため。”エデン条約”が締結されるまではあくまで体調不良による入院とし。ただこれも、ゲヘナの諜報部相手にどこまでごまかせるのかは、わからなかったが。

     ……。
      
     次期生徒会長であるわたし達の決定に逆らうものは、すなわち裏切り者に他ならない。セイアさんを殺したテロリストは必ず見つけ出し、追放する。私は人殺しなど野蛮なことなどするものか。このキヴォトスで、学籍をはく奪されたものの末路は悲惨なものだというのは、よく知っている。知っているからこそ。追放する。トリニティ自治区内では生きて行かれないような、真綿で首を絞めるような措置をとってやる。

     変えねばならない。今でなくてはだめだ。今がその時期なんだ。こんなこと。こんなこと! 二度と! あってはならない!!
      
     ”これまで”を変えた時代があったんだと。”私たちの時代”があったんだと。

     ……いや。

     ”いつか”の方々がティーカップを並べ。お菓子を楽しみ。季節の移ろいを語らうだけのことが出来る時代のために。”ミカ”も”セイア”も”ナギサ”の名も語られずとも良い。それを成したのがわたし達三人の時代であれば。『昔は違ったらしいんだけど』と、笑って話せる時代になれば。いつしかそうなっていたという、結果だけが残れば。
     
     残せれば。

     ならせめて。

     せめて、裏切り者からミカさんへの目を逸らさせるよう、私が陣頭に立って事を進めよう。今まで首長であることにさほど興味を見せなかったミカさんも、近ごろはずいぶんと自主的に動いてくれている。それがセイアさんの事件の後というのはあまりにも遅いけれど、それでもだ。よかった。私はこれで心置きなく。

     ――いえ。怖い気持ちは、もちろんありますけれど。

     だから、あとは頼みますよ。

     ミカ。
      
     ――……。

  • 161二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:43:00

     ――……。
     
     どうして、私のヘイローを破壊しようとしたんですか。

     ――……。

     ――……。
     
     ――……。

  • 162二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:43:59

      
     ――――
     ――
     ―
     
     かたんことん。
     かたんことん。

  • 163二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:45:00

     ――……。
     
     始発電車が朝焼けの中を行く。向かいの車窓から朝陽が目を刺すので、夏の奉仕作業のお供にと買った麦わら帽子を目深にし、あたりを見渡してから、小さく。
     なるべく小さく、あくびをする。

     下りの車両に人はいない。誰も。

     そりゃそうだ。なんせ始発なんだから。いや、別の車両に乗り込んで行く大人はいたけれど。ふらふらしてていまにも倒れそうな。先生もあんな感じなのかな。徹夜明けとか。

     かたんことん。
     かたんことん。

     誰もいない。
     近くに人がいないってこんなに静かだったんだ。
     
     直接悪口を言われた方が気が楽だったりする。私も女だから気持ちはわかるけど。わかるけどね。

     ……陰口が一番辛い。聞こえない悪意ほど耳を貫き、心を引き裂くものはない。されてみてよく分かった。

  • 164二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:45:41

     
     いつかナギちゃんがお手洗いで吐いちゃってた時もこんな気分だったんだろうな。

     ま、その子たちは閑職に追いやったけどね。

     懐かしいなあ。

     かたんことん。
     かたんことん。

  • 165二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:46:07

     
     快速に乗り換え、自販機で買ったジュースを一口だけ飲む。甘ったるい人工的な甘み。ナギちゃんが作るロールケーキよりも、セイアちゃんが取り寄せてくれるお菓子よりもよっぽど甘いのに、何も残らない。虚しいだけ。うん。

     たまたま乗り込んだ車両、座ったボックス席は、セイアちゃんといっしょに座っていたベンチの真正面だった。誰も座っていないベンチ。鳩が我が物顔に、朝焼けのホームを歩き回っている。

     懐かしい。

     私が着てたTシャツを二人とも笑ってくれちゃってさあ。まさか本気で私のセンスとか思われてたりしたら心外なんだけど。恥ずかしかったからね、普通に。まあでも、旅の一発目に笑いが取れたのはよかったかな。ナギちゃん真面目すぎるんだもん。あれぐらい非日常をぶつけてやんなきゃ、セイアちゃん相手に”お友だちごっこ”続けちゃいそうだったしね。あの時は。

     ちょっとだけセンチメンタルに沈んでから、ブラインドを閉めた。

     ここから先の長い道のりにひと眠りでもしようかなと、新品のリュックサックから塊になったイヤホンを取り出す。ああ、安いのはだめだなあ。すぐこんがらがっちゃう。

     一生懸命に解いていると、ぷるるるる、とベルが鳴った。

     動き出す電車に体が揺れる。

     かたんことん。
     かたんことん。

  • 166二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:46:20

     
     音は段々と高くなり。
     走行音が変わっていくのを聞きながら解いたコードはくにゃくにゃ折れ曲がってしまっていた。それでも、聴くのには支障がないから、そのままジャックにプラグを挿し、耳にイヤホンをねじ込む。適当な音楽を流して。

     目を瞑る。

     ……眠れなかった。

  • 167二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:46:57

     ――……。

     1週間前。

     聴聞会の審糺が落ち着き、あてがわれた部屋の蒸し暑さに参っていたところに届いた、ティーパーティからの公文書。

     蚊が入ってくるから窓も開けられない部屋で開けた封筒には、紙が一枚。

     【命令書】

     そっけない印刷物の見出しには、そうあった。

     封筒で顔を仰ぎながら書類を読んでみると、早い話が品物の受け渡しがあるから百鬼夜行に行ってこい、という内容だった。場所は、住所を見てもピンとこなかったけど、屋号を見たらすぐにわかった。去年いっしょに泊まった宿だ。頑張れば日帰りできるのに、書面には規定日から1週間以内に、とある。

     あは。ナギちゃんだな、この命令書を発行したのは。 

     この命令書はつまり、どっかに行ってろ、ということだ。今わたしがトリニティに居ると過激派の子たちが元気になっちゃうし、部屋に石を投げに来る子たちをいちいち取り締まらなきゃいけない正義実現委員会の仕事も減る。ティーパーティに対するデモだって。だから元凶を一度トリニティから遠ざけて、内部が落ち着いているあいだに、今回の事件に起因する外部とのやりとりをひと段落させてしまおうといったところか。

     やらなきゃいけないこと、たくさん作っちゃったもんね。

     ……ありがと。
     

  • 168二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:47:50

     
     そっけない印刷の文字を指でなぞる。
     
     きっとこれ一枚の書類を作るのだって大変だったはず。犯罪者を一人でどこかに行かせるなんて――いや。もしかすると、拷問室にでも送られたことにするのかな? いや、ないか。ふふ。ナギちゃんはきっとそんなこと思いつかないだろうし。あ、セイアちゃんなら思いつきそうかな。どうだろう。サクラコちゃんはそういうの苦手そうだし……。意外とミネ団長かも?
     
     はあ。

     ……みんなと仲良くって、難しいんだなー。私なりにいろいろ考えて動いたつもりだったんだけど。ナギちゃんはやっぱすごいや。そうだよね。バカだったよ。だって私が一番わかってるじゃん。みんなと仲良くなんてできないってことを。

     それでも手を伸ばし続けるナギちゃんなら。ぶつぶつうるさいなんでも知ってるセイアちゃんなら。もっと上手にやったんだろうけどね。犯罪者になんか身をやつさなくてもさ。

     結局、なにも上手くいかないで一人でわたわたしちゃって。後始末を全部人に押し付けて。

     ……。

  • 169二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:49:02

     

     ――……。

     はあ。

     ため息が止まらなくて笑っちゃうよ。

     情けない。

     久々の静かな時間だーって思ったけど。いろいろ思い返しちゃうぶん。

     あんまりよくないかも。

     眠れないけど目を閉じる。流れる音楽は何一つ入ってこない。

     途中で外した。うるさいだけだった。

  • 170二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:49:58

    「お久しぶりでございます!」

    「……ご無沙汰してます」

     ナギちゃんに叩き込まれたカーテシーでご挨拶。

     去年とおんなじ車で迎えに来てくれた女将さんは、少し太ったように見える。元気だなあ。

     1週間分の荷物をトランクに積み込んでもらい、ちょっとかび臭い車に乗り込むと、女将さんはゆっくりと車を出した。全力全開の冷房がボオボオと送風口から冷たい風を吐き出している。ちょっと肌寒いぐらいだ。

     サクラの時期とは違って、どの木もたっぷり葉をたくわえていて、道端の雑草もぴんぴんとふさふさ。コントラストが強い。これが夏の百鬼夜行。ちょっと目に痛い。

    「クロノスのニュースでお見かけしましたが、まさか生徒会長さんにご就任されていたとは。今回の事件はさぞ大変だったでしょう」

     雑談のつもりだろうか。バックミラーで私と目線を合わせ、運転しながら話しかけられる。

     ……正直、今はあまりそういう話からは遠ざかりたいかなって思った。まあ、先生とかナギちゃんが圧力をかけてくれて、私がしでかしたということはメディアには伏せられてるから、詳細を知らないのは当たり前。

    「あはは」

     いやだな。女将さんに愛想笑いしなくちゃいけないの。

  • 171二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:50:21

     
    「しかも三人とも生徒会長さんになられただなんて! ふふ、これはうちの看板に『ティーパーティ生徒会長御用達』をつけちゃっても――」

    「やめた方がいいですよぉ。特に今は。それですみません。ちょっと疲れてるので……」

    「あらすみません。では宿に着きましたら先にお風呂へどうぞ。お荷物はお部屋に運んでおきますし、お布団もご用意しておきますので。お夕食までゆっくりお休みください」

    「お心遣いありがとうございます。是非そうさせていただきますね」 

     がたん、と道の凹凸に車が跳ねる。

     冷房が効いているというのはわかっているけど、さすがにちょっと寒く感じて、窓を開けさせてもらった。

     むあっとした空気が車内に入って来た。 
      

  • 172二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:51:39

     夏の暑い昼日中、熱い温泉に浸かって、冷房の効いたお部屋のさらさらのお布団でひと眠り。心地よ過ぎる。天の御国はきっと、こういうところに違いない。

     耳をびりびりさせるぐらいの蝉の鳴き声を聞きながら眠ったはずだけど、目が覚めたときに聞こえて来たのはころころと虫の声。ざあざあと葉なりの音。絶えることのない蛙の合唱。

     外はすっかり夜で。ぱちりと電気を点ける。乾かしもしなかったぼさぼさの髪の毛をざっとひとくくりにして、ぽちぽちとスマホを見る。うわ、晩御飯の時間、もうすぐじゃん。片付けなきゃ。着替えとか出しっぱなしだし。

     汗でしっとりしたシャツだの下着だのを、トランクにとりあえず詰めておく。あとで洗濯機とか借りられるかな。さすがにこのまま入れておくのは匂いが気になる。 

     こん。ばん。ばたばた。

     外は暗く、部屋は明るい。そうなれば、当然のことが起きる。
     音のする方。窓を見やると。

     窓にぶつかってくるでかい虫。手のひらぐらいありそうな蛾! ぎゃあ!

  • 173二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:52:22

     
    「女将さん女将さんっ! 蛾! 蛾!」

     厨房まで駆け下りて、私の部屋の窓に蛾がいる旨を伝える。「お部屋に入ってきちゃいましたか?」とエプロンで手を拭きながら一緒に部屋に来てもらい、窓にへばりついている蛾を見ると、私に笑いながら言った。

    「諦めてください。夏はねえ、しょうがないんですよ」

    「ええ!? やだ、キモイって!」

    「ほら、障子閉めちゃえば見えませんから。ちっちゃい子なんかはわざとライトを外に向けて、カブトムシとか採るんです」

     すたんっ。

     すべりの良い桟に紙の窓。確かに見えなくなるけど……いなくなったわけじゃないんだよなあ!
     
     うー。絶対障子開けないようにしよ。ふるふる羽を震わせてるのほんと気持ち悪かった。あ、いや、私も羽持ちだから気持ちはわかるけど。

     ……。

  • 174二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:53:19

     ――……。
     
     ちょっとだけ無理を言って、夕食は女将さんと一緒に食べた。私が泊まるお部屋じゃなくて、一階の広間みたいなお部屋で。虫がいるからというのもあるけれど、なんだか一人でご飯を食べてると、寂しくなるから。恐縮していた女将さんだけど、ここはホテルでも旅館でもなく、民宿。女将さんが一人で切り盛りする、いわばちょっと広い一軒家のようなもの。ゲストハウス。

     だから、女将さんはここで生活しているわけで。2人でご飯を食べながら、テレビを見ていた。いろいろ世話を焼いてくれるのは変わらずに。けれど、生活シーンに入り込んだからか、女将さんは”女将さん”をほんのちょっとだけ引っ込ませているように見えた。

    「あ、そうだそうだ。”セミナ”さん。これ取りに来たんでしょ?」

     テレビの横に四つん這いで這って行き、小さい紙箱をテーブルの上に置いた。

    「ごめんなさいね。すぐに気づけばよかったんだけど」

    「ほ、ほんとに渡されるものあったんだ。なになに?」

     てっきり方便と思っていたから、本当になにかを渡されるとは思っていなかった。というか、それなら私に連絡が来るはずだけど――。

     ……そういえばナギちゃんとお茶の交換するとか言ってたな。そっちで連絡してたってことか。

  • 175二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:54:09

    「ええ。去年みな様がお帰りになったあと車の中を掃除してたら、イヤリングみたいなものが一つ出てきて。たしかお嬢さま方の誰かが着けてたなあってナギサちゃんに連絡して見たら『私のです』って」 

    「え、ナギサちゃんって」

    「うふふ。ご予約いただいたときにちゃんとしたお名前を教えてくれましたよ、”ミカ”さん」

    「あぅ。ごめんなさい……」

     いつの間に「ナギサちゃん」なんて呼ばれる仲になったのナギちゃん。いや、うん、べつにいいんだけどさ……。

     ニュースで私たちの素性が流れた以上、隠す意味はない。ただ、これで私たちの動向を捕捉しようと思えばできるようになったってだけ。今回は一応公務として来てるから、百鬼夜行連合学院には申告している。だから私がここに居るのは百鬼夜行は知っているし、たぶん、もうお忍びでは、この宿を使えない。

     非日常が、日常の延長になっちゃった気分。

     ご飯を食べ終わったあと、昼寝をしちゃったせいで眠れない私は、ナギちゃんにメッセージを入れておいた。受け取ったイヤリングの写真も一緒に送って。

     連絡が返って来たのは、翌朝だった。

  • 176二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:54:59

     MXSTREAMで動画を見ながら、ああ、外が明るくなってきたなあと。障子の向こうに虫の影が映っていないことに安堵したのと同時。

      桐藤ナギサ:ありがとうございます

     ……そっけない。

     徹夜続きに違いない。私のせいで。だって、もうほんと、ティーパーティどころか学校が壊れちゃうんじゃないかってぐらいのことしたし。アリウスなんて面倒ごとまで持ってきちゃったし。先生が来てくれなかったら、きっと私も――ここに居られなかったし。

     返事をしようかどうか。ちょっと迷ってるうちに。

     もう一件、メッセージが送られてきた。

      桐藤ナギサ:焼き物の職人さんにもご挨拶をおねがいします。

     ……。
     
     鬼砂焼きのティーカップ。我ながら上手に出来た、みんなでおそろいのものは。もちろん、割られちゃった。

     これはしょうがない。おそろいのはもう作れないけど。自分用に一個、また作らせてもらおうかな。お金かかるかな。そういえば去年はその辺なにも考えずに作らせてもらっちゃったけど、もしかして失礼だった? いやでも、ナギちゃんみんなに配る用にってたくさんお土産に買ってったからセーフ?

     返信の文字を打って、消して、また打って。

     ……めんどくさい女って思われるのは承知で。

  • 177二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:55:48

       聖園ミカ:かしこまりました、ナギサ様。

     送信。
     
     ま、実際、私はもうパテル派首長の立場は危うい。現に権利は全部はく奪されちゃってるしね。そうなればもちろん、生徒会長からも下ろされる。

     こんな言い方したらナギちゃん怒るってわかってるけど、ま、なんというか。

     そういう気分なんだよね。そういう気分にさせられるんだよ。

     夏の朝っていうのはさ。

     障子を開ける。小虫もおらず、あるのは真っ赤な朝焼けと、真っ黒い山と、飛び回る鳥。

     窓を開けた。

     湿気を孕んだ涼しい風。人工的な涼しさではなく、空気の粒子がわかるぐらいに土と緑の匂いを多分に含んだ、味のする風。

     広縁の椅子に座ってしばらく外を眺めていた。

     既読は点いたけど返事は返って来ないスマホを握りしめながら。
     

  • 178二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:55:59

     ――……。

     ――……。

     ――……。

  • 179二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:56:31

     
     ”お互いに色々と話す時間をとったほうがいいね。”
     
     先生に言われたその言葉に耳を打たれた。

     そうだ。その通り。まさしく、それだけが私たちに欠けていた。

     ミカさんがなぜ政治に意欲的になったのか。セイアさんが私に話そうとしたことはなんだったのか。

     それらすべて。私は私のことで手一杯で、話し合うことをしなかった。話し合うことを軽視した。問い詰めることを怠った。感情の赴くままに。政治的でなく、私は友であることを怠った。

     首長になった理由はなんだったのか。なぜ目指そうと思ったのか。トリニティを変えたかったから? ブレイクスルーを作りたかったから?

     本当に?

     ……。

  • 180二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:57:07

     
     ほんとのほんと。奥の奥。

     私はそんな立派な人間か、と自分に問えばそんなことはないと自分が答える。

     ほんとは。ただミカさんと。新しくできたセイアさんというお友だちと。

     あの旅行のように。髪を結い、結われ。裸を見せ、見て。からいかい、からかわれ。ドライヤーを当て、当てられ。

     話し、笑い合えるような。

     そんな関係を続けたかっただけ。気兼ねなくそんな関係で居られる環境が欲しかっただけ。
     
     これがほんと。

     立派な立場に就くことはできても、立場に振り回されていて……人間が出来ていない。わたしはミカさんにお小言を言える立場なんかじゃない。

    「それは私も同じだよ」

     ぐぐっと背筋を伸ばしてセイアさんが言う。

    「私はあの時にすでに視ていたんだ。私がきみたち幼馴染と親交を深め、その間に入っている夢を。……あの時の夢はまさしく、ああ、同じだった。”避けられない未来”だった。ふふ。あれほど嬉しかったことはなかったね。未来を認知してうれしかったことなど、後にも先にもあの時だけさ。照れ恥ずかしくて口にするのを憚っていたけど」
      
     水筒からアイスティーを注ぎ、セイアさんに渡す。

  • 181二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:57:42

      
     私も一杯。氷がカラカラと水筒の中で鳴る。中央駅よりは自然の多い駅には、夏服の胸元をぱたぱたと仰ぐ大人が数人。ネクタイもせずにクールビズだろうか。

    「あの子は間違ったことをした。けれど、間違ってはいなかった」

    「どういう意味ですか?」

    「根本的なところは私たちと――きみと同じ。”仲良くしたい”。青くて、むせかえるような若い思い。ちょうどこの時期の草木のように、目に痛いほどのコントラスト。あの春の淡さではない。もっと力強く、生命力に溢れた、暴走しがちな力強さがあったというだけ。桜の花が散り、葉桜になっても、桜は桜で変わらない」

     相変わらず迂遠で難解で謎かけのような癖は直っていないセイアさんの肩を小突く。体調のほうはどんどん良くなっていき、バイタリティに溢れていくセイアさんではあるけれど、そのせいで性格がちょっと意地悪になったかもしれない。元々だったのかも。

     けど今は、拗ねた顔を見せられるし、小突いたりも出来る。「別にこの会話に意味はないさ」と小突かれた肩をさすりながら、セイアさんが笑った。

     座ったベンチの周り。私たちの足元に鳩が一匹寄ってくる。

     さすがのセイアさんも、ハトほどの大きさの鳥を指に乗せることはしないようで。ぽんぽんと隣の空いたベンチを叩くと、わずかに羽を羽ばたかせてそこに乗り。

    「きみも撫でてみるかい?」と、おとなしく頭を撫でられる鳩を私に示した。

     野生動物を触るなど、という気持ちは微塵も起こらず。セイアさんの体の前に乗り出し、おずおずと、手を伸ばしてみる。

     ……。
      
     大きな羽音を立てて飛びだってしまった鳩の残り香は、ちょっと、その、臭い。

  • 182二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:58:13

    「怯えてはいけないんだ」

     なにも惜しくないというようにセイアさんは紙コップのアイスティーに口をつけた。

    「友と同じように接すればいい。変に遠慮せず、邪推せず、ただ、撫でたいんだという気持ちを持てば、それで」

    「含蓄ある言葉ですね」

    「ふふっ。だろう? 身をもって勉強させてもらったところだからね」

     私も一口。
     
     良く冷えたアールグレイ。濃いめに煮出したから、溶ける氷に負けないような強い味わい。

     スマホを見ると、ちょうどホームに入線してくる電車があることを知らせるベルが鳴った。

     ぷるるるる。

     被っていたキャップをきゅっと被り直し、飛び出たポニーテールの位置を調整したセイアさんは「さて」と勢いを付け、立ち上がった。

  • 183二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:59:12

     
    「シャーレには大きな借りができました」

    「なに。その程度、私たちの代ですべて返してやるとも」

    「この忙しい時期に、1週間もトリニティに掛かり切りになっていただくのは。政治的に大きな傾きをもたらすかもしれません」

    「先生が『今じゃなきゃだめだから』と私たちを送り出したんだ。ほぼ無理矢理ね。――つべこべ言うな、ということさ。なに。先生ならきっとうまくやってくれる。現状、ゲヘナに一番顔が利くのは先生なのだから」

     去年にはついてなかったホームドア。エレベータも付けられていて、非力であるわたしも、セイアさんも。6日分の大荷物を苦にすることなく、ホームに上がって来れた。非日常が、帰途には日常の延長となり。そして、一年が経って、景色が少し変わった。

    「そういえばあの子はもう一度桜が見たいと言っていたね」

     薄いTシャツ。うなじにうっすら光る汗。さしものセイアさんも、夏には汗を掻くのだ。

    「……なんだい?」

    「い、いえ、すみません」

     つい、ほんの少しだけ濡れ束が出来たうなじに見惚れてしまっていた。

     大きなため息を吐き、ハンカチで首筋を拭ぐわれた。しっとりとした、白く、陶器のような肌。わずかに赤みを帯びて。

  • 184二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 05:59:50

    「いっつも花より団子だったミカさんですけれど。あのお夕食時のサクラは、お転婆のミカさんをも魅了する、魔性の景色でしたから。私ももう一度見たいです」

    「来年は観に行こう。私たちはあの子にたくさんのものを貰った。それこそ、一生をかけても返せないほどのものを。この恩を返さないのは、私の沽券にかかわる」

    「……来年と言わずとも」

    「? サクラが咲くのは年一度。春だけだよ。今年はもう咲かない……」

    「サクラは咲かずとも、です」

     ミカさんは、サクラが好きなのではなく。

     ”みんなでサクラを見ることが好きだった”。

     ――十年来の幼馴染なのだ。たくさん間違えてしまったけれど、それぐらい。

     それぐらいはわかる。

  • 185二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:00:28

     
     ごっとんごとん。

     ぷしゅう。

     百鬼夜行行き・快速電車。

     扉が。ホームドアが開く。冷気が漏れ出し、降りて来た一人の大人はあまりの気温差に「うおっ」と体をのけぞらせた。

    「春の旅でなくともいいんです。私たちの旅こそを春にすればいいのですから」

    「……ははっ。面白いアナグラムだね」

    「お好きでしょう? セイアさんは、こういうの」

     片足はホーム。
     片足は電車の上。

     よいしょ、と力を込めて、重い大きなスーツケースを車内にひっぱり込む。……ここもぜひ、改善してほしい。

     同じように全身を使って荷物を引っ張り込み、と同時に、ホームドアが閉まる。

    「ああ、嫌いではないね。春を旅するのではなく、旅を春する。言葉として崩壊しているが、崩壊しているぐらいが、私たちにはお似合いか」

  • 186二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:01:46

     
     がたん、体が傾ぐ。荷物と吊皮に掴まり、よろけたセイアさんの体を支える。

    「座りましょうか」

    「ああ。……にしても冷房が効きすぎていて寒い」

    「パーカーやカーディガンなどは?」

    「あるよ」

     車両には私たちの他に一人だけ。船を漕ぐどころか沈没してしまっているように、腕を組んで眠っている大人が一人。

     一緒にトリニティを出ることはさすがに叶わなかったけれど、それでも、先生が”粉骨砕身頑張るから”と言ってくれたおかげで時間を置かずに。傷口が新鮮なうちに、消毒を行える機会を与えてくれた。寂しがり屋の幼馴染はきっと、休養が出来ても、心を休められない。ぐるぐると思いを巡らし。勝手に暴走し。今朝送り返したモモトークの返事を見るにまた一人で、勝手にぐちゃぐちゃになっている。

     ――ほんと困った子です。

     ボックス席に座り、備え付けられたミニテーブルに紙コップを置く。
     これほど冷房が効いている車内でアイスティーはお腹が冷えてしまう。こんなことならホットで淹れてくるべきだった。

     オーバーサイズのパーカーを羽織り、髪の毛を外に出したセイアさんはちょっと背伸びをして、前に座っていた人が下したであろうブラインドを開けた。

     わたしもカーディガンを取り出す。ミカさんに会ったら投げつけてやるつもりの、一年以上クローゼットを肥やしてくれたものが、ぽろりと転び出て落ちた。

  • 187二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:02:42

     畳み直すのに広げると、きょとんとした顔でセイアさんが言う。
     
    「あれ。このTシャツ、ミカの分は買ってないのかい?」

     セイアさんはご自身が着ているTシャツの胸元を引っ張る。

     サイケデリックなハート。その下には『I LOVE TRINITY』の文字。

     確か890円とミカさんが言っていたTシャツは、一年で200円も値上がりしていた。中央駅のお土産コーナーに売っているお土産Tシャツ。一緒に着ていこうと提案したのはセイアさん。買いに行ったのは私。

    「去年はこれを知らなかったことを煽られましたから。新作が出ていたことをミカさんに教えて差し上げようと思って」

    「……なんというか。根に持つタイプだね、ナギサは」

    「されたことは決して忘れませんとも」

     良いことも悪いことも。

     やられたことはきちんとお返しする。それは、政争で学んだ処世術。

     カーディガンに袖を通した。前に垂らした二本のおさげを整え、変装のために掛けていた眼鏡とミニテーブルの紙コップを交換する。

  • 188二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:04:38

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  • 189二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:05:17

    このレスは削除されています

  • 190二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:25:47

    このレスは削除されています

  • 191二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:35:08

    「ミカのものは『LETS' GO TEA PARTY!』。なつかしいね――ふふっ。あははっ、だめだ。意識すると笑ってしまう」

    「”旧作”の方ですね。そして私たちが――くふっ」

    「くっくっく……。『WE ARE THE TEA PARTY!』。まったく。私はコレクター気質ではないが、毎年新作が出るならば、つい集めてしまいそうだ」

    「こんなものを? ふふっ……セイアさんって」

    「なんだい?」

    「……やっぱり言わないでおきます」

    「……言いたまえ。私たちは話し合いが足りないと、そう結論付けたばかりだろうに!」

    「言いません。傷つけてしまいそうなので」

    「どういう意味だい!?」

     んん”っ!

     咳払いが聞こえた。

     どうやら、沈没した船を浮上させてしまったらしい。

     私たちは顔を見合わせて忍び笑いをした。

  • 192二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:35:22

     電車の音はかたんことんゆっくりと。やがて徐々に高くなり。
     
     春に向かって進んでいく。

     ~Fin~

  • 193二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 06:36:17

    ぎりぎりでした。スレも季節も。

    長々としたお話になってしまいましたが、読んでくださった方。どうもありがとうございました。

    感想とか質問とか……あればありがたく頂戴いたします。最後の最後にミスってあと6レスしかないから質問たくさんあったら感想スレ立てます……大丈夫だとは思うけど。


    ------------------------


    >>117 >>150 ほんわか重くなっちゃった。しょうがない。ここからエデン条約の人間関係不全につなげなきゃいけなかったから……。

    >>120ほんとですか! あざます! あんまり文学的なこと意識してないんで邪道も邪道の書き方だとは思いますが、そう言って頂けると救われます。

    >>124ほんとだよ。楽しめよ今を。楽しいよ。これから先はね。

    >>128コンセントに挿したものって忘れがち(n敗)

    >>132エデン条約編のあの疑心暗鬼っぷりは2年のころ鬼修羅と化していたに違いない

    >>136公式のどこかで見た記憶が……。鳥とかに好かれやすいって。うる憶え

    >>143行きました。ラストシーンで。多分、毎年かならず一回はこういう旅行をするようになったらいいな。ええやんね。

    >>155普段着に作って欲しい

    >>156たぶん襲われるっていうより指さされて笑われてSNSで拡散されて特定されていたずらに手りゅう弾とか投げられそう

    >>158まあこの時にはほぼ詰んでたんですけど……。連邦生徒会長が生徒会長になっちゃったことで世界のいろいろが壊れていくっていうジレンマ。この世界は”正解”の世界。


    ------------------------


    他、保守していただいた方もありがとうございました。

    たぶんそのうちまた、調理倶楽部スレ立てると思いますん。

    重ねて、「旅を春する」をお読みいただき、どうもありがとうございました。

    ではでは~。

  • 194二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 07:26:36

    目茶苦茶面白かった、大人になってもおばあちゃんになっても、こうやって三人で仲良くしてて欲しいね、
    ブルアカの生徒にそういうのがあるのかは知らないけれども。
    そして少し涙がうるんだよ……

    調理倶楽部も貴方だったんですか……
    通りで心をつかむ話を書くのがお上手な訳だ

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