- 1二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:15:45
- 2二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:18:15
前にここの掲示板で見て気になってウイポで買った
けっこう使いやすい馬だった - 3二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:19:41
まずこの馬のすごいところは、JRAの平地競走で20勝挙げてることなのだ
これは顕彰馬のハクチカラと並んで史上最多タイ記録なのだ - 4二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:25:42
次に、彼は74年11月に東京であった芝1800mの平場オープン戦で同期の最強馬であるハイセイコー&タケホープと初めて対戦して、なんと勝ってしまったのだ
長距離馬のタケホープはともかく、それまで1800m以下で無敗だったハイセイコーを破ったのは大変なニュースになったのだ
また両馬は同年暮の有馬で引退したので、これが最初で最後の対決になったのだ - 5二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:31:13
また、ヤマブキオーは「1800mの王者」と呼ばれたのだ
前述のハイセイコーを破ったレースが1800mだったように、彼はその距離で滅法強かったのだ
74年1月〜76年10月にかけては1800m戦で7戦7勝だったのだ
通算で1800m戦では(ダート戦も含め)実に11勝も挙げたのだ - 6二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:33:42
あと1600mでも強かったのだ
6戦して3勝2着3回と連対は一度も外してないのだ
ただ同距離の重賞には出てないのであまり目立たないのだが - 7二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:41:04
ヤマブキオーの魅力は記録だけでなく脚質もあるのだ
得意の戦法が後方からの大外ぶん回しで前の馬をぶち抜いていくという豪快そのもののなのだ
YouTubeの「76年中央競馬年鑑」という動画に彼のレースが多く残されているので観てみるとよく分かるのだ
特に76年金鯱賞での大外一気は見ものなのだ - 8二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:50:16
また、手綱をとった騎手も面白いのだ
これほどの馬ならどれだけの名騎手が鞍上だったのかと想像するのだが、ヤマブキオーの鞍上は厩舎所属の騎手しか乗せなかったこともあり、手綱をとったのは蓑田早人、徳吉一己、小林常泰、小宮敬三の4騎手なのだ
この4人は蓑田早人が朝日杯勝ちの実績があるぐらいで、八大競走&G1級競走勝ちはない面子なのだ
20勝馬の鞍上にしては渋過ぎると思うのだ
ちなみにヤマブキオーはこの4人全員にしっかり勝利をプレゼントしてるのだ - 9二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 21:54:15
ヤマブキオーは20勝挙げてるけど、残念ながら八大競走勝ちはないのだ
それは彼が2000m以下が適性の中距離馬だったのが理由で、当時大競走が全て長距離だったことは彼にとって厳しい条件だったのだ
その為彼は八大競走では3着以内に入ることも出来なかったのだ - 10二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 22:03:46
前述の理由で大競走ではあまり活躍出来なかったけど、その代わり中距離ではかなりの活躍を残したのだ
その結果、2000m〜1800mの重賞で通算6勝を挙げたのだ(中山記念・金鯱賞・函館記念・ダービー卿CT・中京記念・京王杯OH)
またこれは全て古馬重賞なのだ
大競走勝ちがないとはいえ、70年代で古馬重賞を6勝以上した馬は彼とトウメイだけなのだ - 11二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 22:08:50
20勝馬だけど、ヤマブキオーはキャリア前半は故障が多くてあまりレースには出れなかったのだ
初勝利は2歳で挙げてるけど、3歳時は故障の為秋まで丸々棒に振ったのだ
その為クラシックには参戦出来なかったのだ
3歳秋に復帰した後は条件戦でコツコツ成績を残し、4歳初めにオープン入りすると3月の中京記念で初重賞制覇を果たしたのだ
だけどその後宝塚記念を目指す中でまた故障してしまい、また秋まで休養を余儀なくされたのだ - 12二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 22:19:56
4歳秋の復帰戦は前述のハイセイコーを破ったレースだったのだ
一躍注目を浴びることになったヤマブキオーだけど、次の秋天では13着と大敗してしまうのだ
その後5歳になってからは連敗続きで、春には脚部不安でまた休養してしまうのだ
秋になって復帰すると復帰2戦目のダービー卿CTで重賞2勝目を挙げ、暮の有馬でも5着と力走して復調の気配を見せたのだ。
でも6歳になると重賞で相次いで惨敗してしまったのだ
特に1月末のAJCCでは距離が長かったとはいえ最下位に惨敗してしまい、衰えも囁かれるようになったのだ
この6歳1月時点での通算成績は23戦8勝。当時としてはキャリアに比してかなり少ない出走数で、重賞2勝してるけど特に目立つ実績を挙げてはいなかったのだ。 - 13二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 22:31:27
6歳になって衰えが指摘され始めたヤマブキオーだけど、実は彼の全盛期はここからだったのだ
1月のAJCCで最下位に敗れた後、条件戦で久々の勝利を収めると、続く中山記念で優勝し重賞3勝目を挙げたのだ(ちなみにこの時2着だったのが、今後ライバル関係となる一歳下のアイフルだったのだ)
更に続く京王杯OHでもアイフルを下して優勝、重賞4勝目を挙げて充実ぶりを示したのだ
その後アルゼンチン共和国杯ではアイフルの3着、高松宮杯では当時古馬最強のフジノパーシアの2着に惜敗したけど、7月の金鯱賞では60.5キロのトップハンデを背負いながら優勝して重賞5勝目を挙げるのだ
ちなみにこの年勝った重賞3勝は全て1800m戦で、この頃から明確に「1800mの王者」と呼ばれるようになったのだ - 14二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 22:43:08
6歳秋には前哨戦のオープンを2戦して1勝した後、2年ぶりに秋天に出たのだ
しかしやっぱり距離が長かったのか、直線で全く伸びずに8着に惨敗してしまったのだ
ちなみに勝ったのはアイフルだったのだ
年末には有馬に出たのだ
ここでは秋天と違い直線でかなり追い込むことが出来て、4着と大競走で最高の成績を残せたのだ
ちなみに勝ち馬はあのトウショウボーイ、2着がテンポイント、3着がアイフルだったのだ
エリモジョージやフジノパーシアといった大競走勝ち馬には先着出来たのだ
この年は12戦して重賞3勝を含む5勝を挙げ、6歳にして最も活躍した年となったのだ - 15二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 22:56:59
実績からして6歳を最後に引退するのも考えられたけど、ヤマブキオーは7歳以降も現役続行することになったのだ
7歳初戦は前年最下位に負けたAJCCだったのだ
おまけにアイフル、グリーングラス、クライムカイザーといった長距離大競走勝ち馬が相手にいたのだ
でもヤマブキオーは頑張ったのだ
ヘトヘトになりながらも直線で頑張って、レコード勝ちしたグリーングラスに次ぐ2着に奮戦したのだ
グリーングラスには2馬身半差つけられたとはいえ彼よりも3キロ重い斤量を背負いながら頑張ったのだ
同斤量のアイフルやクライムカイザーには先着したのも凄いのだ
負けたけど讃えられるに値するレースだったのだ
(ちなみにこのAJCCのレコードは東京2400mのコースレコードとして4年後のJCまで破られなかったのだ)
- 16二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 22:57:47
ハイセイコーのライバル枠と言われているがどっちかというとアイフルの方が
- 17二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:07:03
この時のグリーングラスはベストレースってぐらいマジで強かったからハンデ負いながら2着に食らいついたヤマブキオーはすごい
- 18二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:07:50
AJCC2着の後、ヤマブキオーはオープンでアイフルらを破って久々の勝利を収め、そして連覇をかけて中山記念に挑んだのだ
相手には宿敵アイフルの他にイシノアラシ、コクサイプリンス、カシュウチカラなど前後の八大競走勝ち馬が多くいたけど、その面子相手でもヤマブキオーは1番人気に支持されたのだ
ところが、ヤマブキオーはまさかの5着に敗れてしまうのだ
これで1800m戦の連勝も7で止まってしまうのだ
またこのレースを勝ったのはアイフルで、彼との対決もこれが最後になったのだ - 19二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:09:26
20勝ってすげぇよな
- 20二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:19:49
中山記念でまさかの惨敗を喫した後、ヤマブキオーはダートの1800mのオープンを走ったのだ
60キロの斤量背負ったけどここではあっさり勝って、続いてまた連覇をかけて京王杯SHに挑んだのだ
しかしこのレースでは、後輩のニッポーキングに1番人気を取られてしまうのだ
おまけにレース本番でも、62.5キロの斤量が堪えたのか直線で全く伸びずにまた5着に惨敗してしまうのだ。
優勝したのはニッポーキングで、ヤマブキオーには彼に1秒以上差をつけられた上、格下の馬にも先着を許したのだ
さすがに衰えがはっきりしてきたと思われ、陣営は引退を考えだしたのだ - 21二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:30:21
八大競争未勝利でも引退式やったあたり人気はあったんだよな
- 22二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:33:22
得意距離での相次ぐ惨敗に引退を考えた陣営だけど、敗因を斤量と考えた陣営はすぐには決断を下さずに、6月に開催されるOP競走の地方競馬招待(中山芝1800m)に出走させることにしたのだ
このレースにはハンデがなかったので、ヤマブキオーが衰えたのか否かをはっきりさせることが出来ると考えたのだ
相手には前走敗れたニッポーキングやカシュウチカラといった強豪がいて、ヤマブキオーはまたニッポーキングに次ぐ2番人気になったのだ
ただレースは不良馬場での開催となり、悪馬場をそこまで苦にしないヤマブキオーには有利な条件になっていたのだ
そしてレースは不良馬場だけど割と早いペースで進み、追い込みのヤマブキオーにとっては恵まれた展開となったのだ
その結果、直線に入るとヤマブキオーは直線で前の馬をごぼう抜きし、最後は独走状態になってゴールしたのだ
馬場や展開に恵まれたとはいえ、後続のニッポーキングらに8馬身以上の差をつける圧勝劇だったのだ
この勝利でヤマブキオーはまだやれることを証明し、現役を続けることになったのだ
(ちなみにこの地方競馬招待は格はOP競走とはいえ並の重賞よりも賞金が高かったので実質重賞レベルといえる競走だったのだ) - 23二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:42:09
地方競馬招待での復活勝利後、7月からヤマブキオーは北海道に遠征したのだ
話は少し逸れるけど、実はこの夏、北海道はある話題で盛り上がっていたのだ
それは、トウショウボーイとマルゼンスキーの対決がこの北海道で見れるかもしれないという話題だったにだ
当時既に空前の怪物として連戦連勝を続けていたマルゼンスキーは、この年北海道に来ていたのだ
その理由は、現役最強馬のトウショウボーイも北海道に遠征するという話を聞いて、彼と対決する為だったのだ
トウショウボーイVSマルゼンスキーの対決が見れるとなると、それは盛り上がるのも当然なのだ。
その両雄の対決が行われるという北海道シリーズの初戦の札幌での短距離Sに、ヤマブキオーも参戦することにしたのだ - 24二次元好きの匿名さん25/04/12(土) 23:52:57
札幌での短距離S(ダート1200m)の当日、その出走馬の中にはマルゼンスキーもヤマブキオーも名を連ねていた
ただ、トウショウボーイの名はなかったのだ
残念ながら、トウショウボーイは北海道シリーズには参戦しなかったのだ
参戦しなかった理由についてはマルゼンスキーから逃げたとかそもそも北海道に参戦する予定すらなかったとか言われたけど、明確なことは不明なのだ
結果、短距離Sはマルゼンスキー1強の状態で開催され、結果もその通りになってしまったのだ
かつて彼に最も迫ったヒシスピード、そしてヤマブキオーも全く相手にせず、マルゼンスキーは10馬身差の圧勝(しかもコースレコード)で圧勝してしまったのだ
流石のヤマブキオーも距離が短かったとはいえ全く相手にならなかったのだ
ちなみにこのレースの数日後にマルゼンスキーは故障を発症し、その後復帰せず引退した為これがラストランになったのだ
- 25二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 07:35:24
トウショウボーイの未参戦、マルゼンスキーの故障離脱で寂しくなってしまった北海道シリーズだけど、ヤマブキオーは当初の予定通り函館に移動して、巴賞(芝1800m)に出走したのだ。
この巴賞には重賞馬も多く出てたけど、その中でも実績が最も高いヤマブキオーには62キロという重いハンデが課せられたのだ
ただこの酷量にも関わらず、ヤマブキオーは1番人気に支持されたのだ
そして結果も、後続に1馬身差つけてなんと勝ってしまったのだ
陣営は勝利に喜ぶと同時に、本番の函館記念では更なる酷量を背負わされることが確実になってしまったことに頭を抱えてしまったのだ - 26二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 07:55:23
巴賞の二週間後、函館記念(芝2000m)迎えたのだ
相手は全てヤマブキオーより後輩で、後に第一線で活躍するトウフクセダンやカネミカサをはじめ重賞馬も10頭近くいたのだ
その面子を相手にヤマブキオーは巴賞より重い63.5キロの斤量を背負うことになったのだ
ヤマブキオーの次に軽いハンデの馬とも5キロ以上の斤量差があり、10キロ以上の斤量差がある馬も多かったのだ
さすがに厳しいと思われたのか、このレースではヤマブキオーは2番人気だったのだ
ところが驚くことに、ヤマブキオーはその酷量をものともせず直線で鋭く伸びて勝ってしまったのだ
クビ差の2着だったアランフェスとは9.5キロの斤量差があったのだ(この馬も重賞勝ち馬)
この優勝でヤマブキオーは重賞6勝目となったのだ
またスピードシンボリと並ぶ古馬重賞4年連続優勝の記録も打ち立てたのだ
(レース映像がないのが残念なのだ) - 27二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 08:05:09
函館記念を激勝したヤマブキオーだけど、代償としてその疲労は大きく、以降はしばらく休養を余儀なくされたのだ
疲労だけでなく年齢も顧みて、年末の有馬に出走して引退することも充分考えられたのだ
だけど陣営は現役続行を決断して有馬を回避したのだ
現役続行した理由は、ヤマブキオーの勝利数が20勝まであと2勝に迫っていたからなのだ
ハクチカラ以来21年ぶりの20勝馬を目指して現役続行を決めたのだ
ちなみに回避した有馬は最後のTT対決で語り継がれる名勝負になったのだ - 28二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 08:20:03
函館記念から約4ヶ月後の8歳1月、ヤマブキオーは復帰したのだ
復帰戦は東京の平場オープンのダート1400m戦だったのだ
ここには4つ後輩で当時既に短距離女王として名を馳せていたメイワキミコがいたのだ
条件が相手に有利な上、ヤマブキオーにはまた61キロというハンデが課せられたのだ(メイワキミコは54キロ)
流石に1番人気はメイワキミコで、ヤマブキオーは離された2番人気だったのだ
しかし、ヤマブキオーは直線でのマッチレースの末にメイワキミコをアタマ差で破り勝ったのだ
これで通算19勝目になり、20勝に王手をかけたのだ - 29二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 08:29:05
20勝に王手をかけたヤマブキオーは、3月に中山記念に挑んだのだ
相変わらず斤量は62キロもあり相手にもニッポーキングを始め実力ある重賞馬が多かったけど、ヤマブキオーは1番人気に支持されたのだ
ちなみに8歳馬が平地重賞で1番人気に支持されたのは史上初だったのだ
だけどレースの結果は、ヤマブキオーは3着に敗れてしまったのだ
優勝したのは最下位人気だったカネミカサで、彼はこのレースをきっかけに中長距離の強豪として台頭していくのだ
中山記念で20勝目はならなかったヤマブキオーだけど、次は中一週で中山の平場オープン(芝1600m)に出走することになったのだ - 30二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 08:43:06
再び20勝目をかけて挑んだ平場オープンの相手には、マイルでも好成績を残していたメイワキミコ、安田記念の優勝馬ニシキエース、マイル重賞勝ちのあるペロナスポートなど小頭数ながらもそれなりの面子が集まったのだ
だけどヤマブキオーにとって好条件だったのは、このレースにはハンデが課せられなかったのだ
それもあり、ヤマブキオーは圧倒的な1番人気に支持されたのだ
そして結果は、メイワキミコにもニシキエースも2馬身半差つける完勝だったのだ
それも1600m戦自己最速タイムだったのだ
これでヤマブキオーはハクチカラ以来21年ぶり史上2頭目となるJRA平地20勝の偉業を達成したのだ - 31二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 09:03:26
20勝目を達成したヤマブキオーはその後長い休養に入り、年内での引退を決めたのだ
そして秋に平場オープンで一戦叩いた(同日にはハイセイコーの産駒カツラノハイセイコが初勝利を挙げていたのだ)後、引退レースの有馬記念に向かったのだ
迎えた引退レースの有馬記念ではカネミノブやインターグロリアやサクラショウリといった遥か歳下の後輩達が激戦を繰り広げるのを見届け、最下位ながらも無事に走り終えたのだ
翌年1月には大競走未勝利馬としては異例の引退式が東京で行われ、ヤマブキオーは多くのファンに見送られて競走生活を終えたのだ
通算成績は47戦20勝だったのだ - 32二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 09:18:53
ヤマブキオーは大競走では勝てなかったけど、重賞6勝を含む20勝を挙げたので獲得賞金も相当なものになっていたのだ
通算獲得賞金2億9476円は同世代の中では1位で、2位のハイセイコー(2億1953万)にも大きく差をつけているのだ
引退時点では平地馬としてはテンポイントに次ぐ歴代2番目の賞金を稼いでいたのだ
大競走での獲得賞金が1110万くらいだったのを考えると驚きなのだ - 33二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 09:25:21
引退後、ヤマブキオーは種牡馬になったのだ
けれど活躍馬は輩出出来ず、14歳の時に心臓麻痺で急逝してしまったのだ…
引退後穏やかな余生を送れなかったことは残念なのだ - 34二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 09:54:22
- 35二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 09:56:18
長く現役にいたことで多くの名馬と対戦してるのだ
代表的な馬でもハイセイコー、タケホープ、キタノカチドキ、フジノパーシア、エリモジョージ、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス、マルゼンスキー、カネミノブ、サクラショウリと錚々たる名馬ばかりなのだ - 36二次元好きの匿名さん25/04/13(日) 10:06:36
対戦した名馬の中で宿敵と言える相手は1歳下の天皇賞馬アイフルだったのだ
全盛期が被っていたこともあり、76年1月の初対戦〜77年3月の最後の対戦まで実に11戦も対戦したのだ
対戦成績もアイフル6勝、ヤマブキオー5勝とほぼ互角だったのだ
詳細は以下なのだ
76年金杯(東) アイフル1着 ヤマブキオー5着
76年中山記念 ヤマブキオー1着 アイフル2着
76年京王杯SH ヤマブキオー1着 アイフル3着
76年アルゼンチン共和国杯 アイフル1着 ヤマブキオー3着
76年10月平場オープン ヤマブキオー1着 アイフル2着
76年11月平場オープン アイフル1着 ヤマブキオー2着
76年秋天 アイフル1着 ヤマブキオー8着
76年有馬 アイフル3着 ヤマブキオー4着
77年AJCC ヤマブキオー2着 アイフル3着
77年2月平場オープン ヤマブキオー1着 アイフル3着
77年中山記念 アイフル1着 ヤマブキオー5着