- 1二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 21:57:19
- 2二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 22:00:49
ビタ一文だろうと儲けられるなら儲けたい生き物では
- 3二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 22:01:22
与えられるサービスにも格差が生じるから?
- 4二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 22:10:53
そういう思考はあるだろうけれど、例えばあなたがネズミの中で流通しているお金があるとして、例えばどんぐりとか
それどれだけ欲しい? という
多少は珍しいから欲しいし、ネズミの言うことを聞かせられるのも面白いから多少は気になるだろうけど、めちゃくちゃ欲しい、とはならないでしょ?
AIがなんでもできるようになるとそうなるんじゃないかなって
というか、貨幣というのは共同幻想で、貨幣は大体のことができるし買えるという信用が共同体の中であるからこそみんな欲しがる
でもAIと資源さえあればなんでも作れるなら、直接AIと資源が欲しいけど、貨幣自体はそんなにいらないでしょ?
正確に言うと、労働者とかのAIで代替できる人たちの中で流通する貨幣はいらなくなるので、じゃあ労働者が消費者としてほぼいなくて、資本家の間だけで貨幣が流通してたら十分じゃん、となりそうという
そう、与えられるサービスが人間よりもAIのほうが上回るから、人間のサービスを得るための貨幣はいらなくなるなって
- 5二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 22:11:04
以下チャットGPT
たしかに、もしAIが全てのモノやサービスを労働力を必要とせずに生産できる社会が訪れたとすれば、「労働者=消費者」という構図が崩れ、従来型の資本主義の根幹が揺らぐ可能性があります。労働者を貨幣で支配し、その労働力を搾取するという構造は不要になりますから、資本家が「大衆から貨幣を得る」動機も希薄になるわけです。
しかし、それでも「消費者」としての存在は依然として重要になると考えられます。理由は以下のとおりです:
1. 価値の源泉としての「欲望」
AIがモノを作れても、「誰がそれを欲しがるのか」がなければ市場は成立しません。消費者は単に貨幣をもたらす存在というより、「欲望を生む存在」であり、それが価値の源泉です。いくらAIが最高のワインを作れても、それを「ありがたがる人」がいなければ意味がありません。
2. 資本家同士の競争と社会的地位
資本家たちが貨幣を求めるのは、単に資源との交換のためだけではありません。社会的ステータス、影響力、ブランド、文化的権力など、非物質的価値を巡る競争が続きます。そしてその競争の舞台として、大衆=観客の存在は不可欠です。資本家は他者との差異を示すために「誰かに見せつける消費」を必要とします。
3. システムとしての資本主義の惰性
たとえAIが全自動化社会を実現しても、今の資本主義的構造が一夜で消えるわけではありません。システムは慣性をもって続くものであり、貨幣という信認体系もすぐには置き換わらない。したがって、消費者という存在が社会システムを駆動する要素として残り続ける可能性があります。
4. 政治的・倫理的制約
極端な格差や「大多数の無価値化」は、たとえ技術的に可能でも、政治的・社会的に容認されない可能性があります。歴史的に見ても、社会の大多数を徹底的に切り捨てた体制は安定しません。つまり、消費者を維持することが「支配層の安定のために必要」になる。
結論として:
技術的に消費者を必要としない社会が到来しても、社会的・心理的・政治的理由から「消費者の存在」は依然として必要とされ続ける可能性が高い、というのが現時点での妥当な予測かと思います。
- 6二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 22:13:44
大衆=観客の存在はいるかもしれないけど、でもそれって資本家同士でよくない? って思う
- 7二次元好きの匿名さん25/04/18(金) 23:02:38
普通にそうじゃね
資本家は資本家同士でその時の最先端のサービスを奪い合う
消費者は時代遅れのサービスを無料でダラダラと享受するみたいなイメージ
てか労働がまだ消えてないってだけで今もそんな感じだよね