- 1◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:06:51
- 2◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:07:08
冷たい風が吹いています、立春を迎えたばかりでまだ温くなり始める前の風。空は建物でできた稜線から強く黄色が滲んでいて、空は西に傾いているようです。
スマートフォンで時間を確認してみると、この時間にしてはいやに明るい。冬至も過ぎて久しいのだから当然ではあるものの、毎年同じような心境になるのは喉元過ぎれば熱さ忘れる、ということでしょうか。
とても足取りが重い、ひどく疲れた気がします。季節が変わり始めたせいだろうかと思いましたが、身を刺すような寒さは健在で、体調を脅かすような気温差は依然としてない、ならば精神的な要因が強く作用しているのかもしれない、そう思いなおしました。
少し足を休めようと座る所を探していると、葉が落ちてすっかり寂しくなった木立が目に入り、近くに公園があったことを思い出しました。幸いベンチも空いているようでしたのでそちらに向かいゆっくりと腰を下ろしますが、身体が落ち着いたせいか意識しないようにしていた方に気持ちが向き始めました。
隣を歩くべき人が今日はいない、今までもそういうことはいくらでもありましたが、この時だけは何よりも辛い。
(ずっと……、一緒に歩んでいくものだと思っていたのに……)
甘い考えだった。数年間連れ添ってきたあの人、しかし彼我の関係性を考えてみればこうなったのは必然だったのかもしれません。もう2か月もしない内に私とあの人は引き離されてしまう。縋りつくように伸ばした手も振り払われてしまったようです。
―――そう、今日私グラスワンダーは失恋してしまったのです。 - 3◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:07:29
手元を見ればその証拠たるたんぽぽの花束。持ち主の機嫌などお構いなし、暢気な様子で風に身を任せ、黄色い頭を揺らしています。経緯をたどれば数日前のバレンタイン、卒業することで離れ離れになってしまう、そんな不安に後押しされたのでしょう、贈り物と共に告白をしました。
『卒業しても……、ずっと一緒にいてくれますか……?』
あの時の胸の鼓動ははっきりと思い出せます。部屋中に響いているのではないかと疑ってしまうような大きなものでした。
それに尻切れトンボならまだいい方で、蚊の鳴くような声だったと言われても納得してしまいそうな歯切れの悪さ。あの状況を思い浮かべるたびに顔から火が出そうな気がしてきます。
そんなか細い問いかけに対して、あの人は少し考え込んだ後『今月中には答えを出す』と、保留する答えが返ってきました。残るは半月、そう考えると途方もなく長いように思えて気が気ではありませんでしたが、その時は案外早くやってきました。
私の誕生日である今日、2月18日、そのプレゼントとして借り衣装で写真を撮って頂くことになっていて、その時に祝いと共に答えとして渡されたのがこのたんぽぽの花束でした。
小さな花に対して少し仰々しい包装で、柄が付いた紙の包みに、花を固定する以外にも形を整えるためでしょうか、ビニールの緩衝材が多めに入っていて、まるで産着を着せられた赤子のようです。
たんぽぽは一説によればこの日の誕生花で、確かその花言葉は綿毛を抜いて恋占いに使うことから神託、他には真心の愛、……そして別離、そういった意味があります。
誕生日プレゼントは卒業記念を兼ねて贈られたもので、その趣旨から察するに、別離が正しいのでしょう。というよりも他の意味に繋げることができませんでした。
神託とすると、答えとしては余りにも受け身で、真心の愛というのも、あの問いかけに愛で返すのも少しおかしな話だとも思います。
別の解釈をどうにかひねり出そうと再考を重ねるも、同じ答えにしかたどり着きません。堂々巡りに入ってしまったようで、思考を打ち切っていつの間にか垂れていたらしい頭を上げます。 - 4◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:07:48
空の色が目に入ります。黄に少し赤が混じり始めた色合い、『夕されば』、出会った時にそう言ったことが脳裏に浮かびました。あの日から一緒に何度も見てきたこの光景、あの人と二人でこの景色を見て、語らうことができる日は一体どれほど残っているのか……。
これも詫び寂び、もののあはれ、しかしこの身に起きたそれをすぐに受け止められるほど、私の器は成熟していなかったようです。
ふと目に熱がこもりはじめました。その上には何かがゆらゆらと揺れ動いています。よくない兆候です、このままにしておくとみっともない姿を晒してしまうことになる。
堪えるために上を向き、そういえばこういう時のことを歌った曲があったなどと思考をできるだけ空回りさせて、意識をずらそうと努力を続けます。
「っ……」
ひきつったような息遣いが混じり始めます。必死に押しとどめていますが、不定期ながらもその間隔はどんどんと短くなっていきます。
何度かそれが続くと、遂には目に溜まっていた何かが零れ落ち、熱いものが頬を通り過ぎていきます。こうなるともう誤魔化すことはできません、……零れ落ちたのは涙です。
堰は切れていない、止めようとする意志は消えてない。ただ水位がそれよりも高くなっただけ、その高くなった分だけ少しづつ感情が溢れ出していきます。
熱が目を中心に顔中へ伝播していき、耳の方にまで昇っていく。反面涙は顔を伝って下っていき、雫として膝の上に落ちていきます。
頑張って耐えていた嗚咽も既に止められなくなって、ひっくひっくと声として漏れてしまっています。
既に視界も、音も、ぼやけて意味をなしていない。周りの情報が入ってこない。それが自分の感情を鮮烈に浮かび上がらせて来る。
顔もすっかり下を向いていて、身体は小さくなるように前かがみになっていきます。体を強張らせて情動を抑え込もうとしているのでしょう。
しかし所詮は手で蓋をするようなもの、塞ぎきれない隙間から漏れ出して、洪水を引き起こしている。
そんな時です。頭上から声が聞こえてきました。 - 5◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:08:09
「……貴女、大丈夫?」
女性の声です。私の様子を見て心配してくれたのでしょう、はしたない所を見せてしまったようです。手で涙を拭って顔を上げると、そこには眉毛をハの字にした和装の女性がしゃがみ込んでこちらをうかがっていました。
白髪と顔に刻まれた皺の量を見るとそれなりにお年を召しているようでしたが、品の良い所作と調和がとれていて、一種の理想像を見たような気すらしてきます。感心して少し呆けた後、慌てて取り繕います。
「あ……、いえ、だ、大丈夫です」
「……まあ、そんなにドロドロにして……」
女性が懐からハンカチを取り出して顔と手を拭ってくれました。驚いたのと……、それと彼女の振る舞いを見たおかげでしょうか、大分落ち着いてきたようで、今度は恥ずかしがる余裕が出てきました。公共の場で涙を流して、その上子供のように顔や手を拭かれているのだから、情けないにもほどがあります。
「その……、すみません、はしたない所を……」
「それだけ辛いことがあったんでしょう?」
女性は特に気にしていないと伝えるように素っ気ない仕草でハンカチを仕舞うと、視線を下の方に向けました。釣られて足元を見ると、貰った花束が地面に落ちています。泣いている間に落としてしまったようです。
「あら、落ちちゃってるわ、贈り物でしょう?大事にしなきゃ」
女性がそれを拾い上げ砂を払っています。どうやら中の方にまで砂が入ってしまっているようで、逆さにしてはたきます。
落とし終えたか確認しようと、女性が花束の包みの中を覗き込むと何かを見つけたらしく、「あら」といってこちらに目配せをしました。 - 6◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:08:32
差し出された包みを受け取って、中を見てみたものの、いまいちわかりません。眉が寄っていたのでしょう、女性が包みからビニールを抜き出すような仕草をします。
その通りに指で引いてみると、小枝が一つ転がり出てきました。枝には何かが括りつけられていて、触ってみるとどうやら紙のようです。
「まあ、古風ねぇ」
女性が感心したかのように言いました。私も知識としては知っていましたが、実際に見るのは初めてです。平安時代の方式、枕草子にも書かれていた手紙の贈り方で、枝に手紙を結んで贈るという文化があったそうです。枝を検分して見れば、特徴的な細長い葉っぱがついていて、それを見る限り松の枝のようです。
「ふふ、私はもうお邪魔かしら?」
「いえ、そんなことは……」
集中し始めた私を見て女性が冗談めいた調子で言いました。色々世話を焼いて頂いたのに自分の都合でいきなり蚊帳の外というのは少し不義理ではないかという情と、こんな身内の事情を見せるのは恥ではないかという体面がせめぎ合って半端な反応を返してしまいました。
そんな事情を察して、というよりも最初からそこまで深入りするつもりもなかったのでしょう、それ以上の返答を待たずに立ち上がりました。
「松、だし早く読んであげた方がいいんじゃないかしら、頑張ってね、さようなら」
そういって矢継ぎ早に言葉を繋げて強引に話を切って去っていきます。こちらも急いで挨拶を返して見送ります。女性が歩いていく方向を見るとスーツ姿で中折れ帽をかぶった老紳士がいました。老紳士と目が合うと、帽子を脱いで軽く会釈を返してきます。こちらも軽く会釈を返す内に彼女たちは合流し、そして連れ立って去っていきました。その姿が見えなくなるまで見送った後、両手で頬をぱちんと叩いて気合を入れなおしました。
(しっかりしなさいグラスワンダー……!一世一代よ!) - 7◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:08:52
手紙に向き直り、手紙の意味を解釈していきます。『松』というのは和歌などの世界では『待つ』という言葉が掛けられることが多い、女性が早く読んだ方がいいと言った理由です。この手紙に書かれている内容によっては大遅刻です。
急いた手を必死に制御して紙を解こうと格闘しますが思いのほか固く結ばれていて、なかなかうまくいきません。隠すためか随分と小ぶりな枝に結び付けたものだからさもありなんです。
「むぅ」だとか「もぅっ」などという声が漏らしながら、やっとのことで枝から手紙を取り外すことがができました。
ようやく取れた手紙を開いてみると、中に書かれていたのは『四月一日』の一語のみ。さかさまにしても裏返しても何もない、本当に『四月一日』ただ一つです。
素直に読み取るならば、卒業するまで待ってくれということになるのでしょうか。まだ他の意味が隠されているような気もしますが、まあこれは確実でしょう。松ということで予感していましたが、振られたわけではなかったのです。他の意味を探索する前に、ただひたすら押し寄せる安堵に押しつぶされます。
(~~~~……っ!、よかった~~~~~~~~)
体中から力が抜けて、ただ少しだけ残った力を使って肺から空気を抜いていくと、代わりに安心感が充填されて、胸を満たしていきます。先程まで強く緊張していたせいか身体に力が入らず、前に倒れていた上半身を持ち上げられません。腰が抜けたようです。再び力が入るまで、頭の中で愚痴を並べ立てます。
(もうっ!分かりませんよ!こんな風に隠されたら!もう少し目立つように入れてくれたてもよくないですかっ!?)
あの人のことだから、隠すような入れ方になったのも、多分落ちてしまわないようにしっかりと包もうとしてこうなったのだろうと想像がつきます。割と抜けているところは愛嬌ですが、今回ばかりは私に牙を剝いたようです。
そもそも別々に渡せばいいのではとも思いましたが、多分そこは一緒でなければならない理由があったのでしょう。ただそれはまだ解き明かせていません。
ようやく力が入るようになってきたお腹を起点に体を起こしていきます。 - 8◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:09:17
ここに座ってからそれなりの時間が経ってしまっているようで、周囲を見渡せば日なたと陰がくっきりとわかれています。夕暮れ時です、もう少しすれば明かりなしに文字を読むのが難しくなってくる。
まださっきまでの熱が残っていますが、身体を打つ心地よい風がすぐに冷やしていくことでしょう。それに日が沈めば寒さは今の比ではありません。
出走予定のレースは残っていないとはいえ、体調の事を考えると早くあの手紙を全て解き明かして寮に戻らなければ。それにこの後の予定もあります。
(早く戻らないとスペちゃんやエル達にも悪いわ……)
帰った後に誕生日会を開いてくれるという話になっています。談話室でという話でしたので、多分いつもの4人では収まらないでしょう。
頭も冷えてきて少しは回りがよくなった気がする。今なら解読できる気がします。何より私には出題者たるあの人には色々と勧めてきた自負がありました。
もう一度枝を見つめます。わざわざたんぽぽと枝を一緒に渡したということは、それらを紐付けて欲しいということです。ならば松とたんぽぽには関係があるはず。
(花言葉かしら……?)
松の方は不老長寿と永遠の若さ、あまり場にそぐわない気がします。となると松は待つとかけられていると思っていいでしょう。
ではたんぽぽは、待つという意味と合いそうなものは神託、それも状況を考えると少し微妙な気がします。一応4月になったらもう一度言って欲しいという意味が通りますが、『一日』が消えてしまう。
(……もしかすると手紙の方?)
手紙を再度見つめます。やはり『四月一日』としか書かれていません。真っ先に思い浮かぶのはエイプリルフールですが、まずそれはないでしょう。他に4月1日にあること、何らかの記念日かと思って記憶を探っても思いつかない。もう一度手紙に目を移すとあることに気付きます。 - 9◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:09:41
(……わざわざ漢数字?)
算用数字ではないことに違和感を持って……、そこで遂に気づきました。
(ああ、なるほど、そういうことですか~♪)
この考え方が正しいのであればたんぽぽにこの枝を添えたことにも十分納得がいきます。導き出した答えもあの人の立場を考えれば理解できるし、この答えを出していいのか苦悩したであろうことは想像に難くない。隠すように仕込むことになったのもよくわかります。
読み解けば、自分の望みは叶っていた、ただ今はまだその時ではないというだけでした。この花束を受け取った時に見せた戸惑いも、ここまで悲嘆に暮れながら歩いてきたことも、先程泣いてしまったことも、全く以て道化のようで穴があったら入りたい気分です。
この鬱憤をどう晴らしてくれようか、そう考えているとある悪戯を考え付きました。
(ふふ、事情はわかりますが、あの人には泣かされてしまいましたし~、……これくらいは構いませんよね?)
立ち上がって手と尻尾でスカートを払っていきながら、荷物を持ち上げます。座る前よりも疲れている気がするのに、その前よりも遥かに軽く感じました。
つい耳がピンと跳ねます。自分がこんなに可愛らしい理由で一喜一憂しているのがくすぐったかったのです。 - 10◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:10:01
気分を切り替えるために大きく伸びをしてから歩き始めます。善は急げ、あの人の困っている顔を思い描くと、ついつい顔が綻んでしまいます。
歩を進めながら周囲を見ると辺りはすっかり暗くなり、空には紺碧の帳が降り始めていました。逢魔が時、目の前の人ですら誰なのか判がつかない、そんな時間。
『夕されば』、それよりも更に心細いはずなのに足つきは軽やかです。
不意にあの人はこの空を見ているのだろうかなどと思い、写真を撮ります。映りはよくない、レンズ越しの映像はこの情感を残さない。明日の光景に思いを巡らせる。きっと私はこの写真を見せて説明をする、そしてあの人はよくわからないから薄笑いを浮かべている。
それでよかった、それだけで弾むような気持ちになり。歩調が速くなる。
道は仄かな月明りに照らされていて、その先には私を導く灯が輝いている。だから大丈夫。
一歩一歩、暗がりへと足を踏み出していく。ためらうことなく、しっかりと。 - 11◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 15:10:23
いったん終了
- 12二次元好きの匿名さん22/03/27(日) 16:30:42
しゅごい……
- 13◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 19:40:59
月の輝く夜空の下、それよりも明るく煌めく建物の群がある。中央トレセン学園と呼ばれる学校施設である。その内の1棟、更にその中の一室、一人で使うにはいささか広いこの部屋に、男が腕を頭の後ろにまわして座っている。
この寒い時期に窓を開け放ち、腕をまくっている。中々奇怪な有様である。このような奇矯な真似をしているのには理由があった。といってもなんということはない極めて一般的な理由からだ、ただ部屋を片付けていただけ、力仕事で暑くなり、埃が立ったから窓を開けた。それだけである。
ただ実際にこんな時間まで仕事場に残って掃除する必要は全くない、ということを考えれば結局奇妙である。彼には彼なりの事情があった。周りからの理解は得られないだろうが、こうせずにはいられなかった。
男は手元のスマートフォンを見る。待ち受けには古い日付が表示されている。彼の相方の影響である。当の相方はそれなりに理由を見つけてこまめに変えている様ではあるが、男は不精が祟ってそのままになっている。これを見られると相方に叱られるだろうから、変えようとは思っているようではあるが、未だに踏ん切りがついていない。
突如スマートフォンが音をたてる。思考が逸れている隙に新たなメッセージが届いたようである。見てみると短い文章に画像が添えられている。画像はどこかの部屋の扉を背景に、手に持たれた杉の枝が映っている。
どうやら男の渡した手紙はちゃんと見つけられたようである。恐らく意味は『すぎのとを』、ということであろう。文章は「明日カラオケに付き合ってください」という簡潔なものだったが、この送り主の人となりを知っているものならば、有無を言わせぬ気迫を感じたことだろう。
……無論、この男もその一人である。 - 14◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 19:41:28
そして男にはその気迫を受ける心当たりが大いにあった。これこそがこんな時間まで残っている理由である。時間をさかのぼれば、午後も7時になろうとしたころ、雪崩のようなメッセージが届いたのだ。
やれ「去勢」だの「投げっぱなしジャーマン」だの「太公望」だの「ド三流」だの言いたい放題である。状況の把握が追いついていないが、以前3度ほど似たようなことがあったし、その時は男は言う側だったのでおおよその見当はついたようだ。
話によれば誕生日会で相方が泣かされたと証言したらしい。本当に深刻な事態であればこうはなっていないがいささか気まずいのが実情である。男は原因が今日渡した花であることは予想がついていた。まさか誕生日に渡すのだからそうは取らないだろうと甘く考えていたのだ。
自分の認識の甘さを不甲斐なく思うのと、申し訳なさから家に帰って安穏と過ごす気にもなれず、こうして仕事場ですることを探していたのだ。しかし向こうからこうしたメッセージが届いたことは男にとって救いになった。それだけ元気があれば大丈夫だろうと安堵に胸を撫でおろしていた。
そうしている内に追撃が来た。今度は「どう思いますか?」という文章と共に月の画像が送られてきたのだ。恐らく興が乗ったのだろう。期待している答えは明らかだが、それを今言う訳にはいかない、全部分かった上での問いかけである。
男は何か上手い返し方はないかと考えこみ、そして顔を上げた。窓の方に近づいて空を見上げると月が見える。写真とはあまり似ていないが、自らのスマートフォンで撮影してみて、確信を得たようである。
写真の出来栄えに不満があったのか、「う~ん、撮り直そうか……」と呟きながら思案して、結局「こう思う」と文言を添えてそのまま写真を送信した。得意満面な顔をしているが、自分が墓穴を掘ったことに気付いていない。 - 15◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 19:41:59
すぐに返信がきた。
『なるほどそう思いましたか~。わかりました、ありがとうございます。』
男は白地手形を与えたことに今更気づいた。向こうに解釈を任せる軽率な文面である。それをどう利用されるかは相手に委ねられている。素直に綺麗だとするか、はたまた何か別の何かに転用するか、そもそも使わずに取っておくのか、全ては彼女の胸先一つである。
男が手で顔を覆って後悔していると、もう一度送られてきた。
『ふりさけ見れば、ですね。同じ空を見ているようで安心しました、おやすみなさい。』
男も同じように挨拶を返す。どうやら向こうは完全に立ち直っているようである。
ただ男はその『ふりさけ見れば』の詠み人に対して思うところがあった。彼は異国に旅立ち、望郷の念に苛まれ、不本意にも帰ることなく亡くなったのだ。もしかすると彼女は同じ空の下にいるのだからと離れていくつもりなのかもしれない。思えば『すぎのとを』というのも、言う通りに卒業して巣立ってやるということかもしれない。
男はただ苦笑している、これはあちらなりの意趣返しであると受け取ったのだろう。だが憑き物は落ちたようで、どこか晴れ晴れとした顔つきをしている。
男はゆっくりと立ち上がって帰る準備を始める。掃除は既に終わらせているから後は窓を閉めて着込むだけ、さして時間はかからなかった。電気を消し、戸締りをして部屋を後にする。その足取りにはためらいはなく、しっかりとしたものだ。
後には明かりが一つ消えた校舎が残された。トレセン学園は今日も眩く煌めいている。
……余談ではあるが、後日カラオケで失恋ソングばかりを歌われて男は大層参ったようである。 - 16◆GHSF5cw5yo22/03/27(日) 19:42:41
終わり、4月1日まで残ってたら後日談投げる
- 17二次元好きの匿名さん22/03/27(日) 20:01:25
雰囲気伝わるいいSSだった
- 18二次元好きの匿名さん22/03/27(日) 21:12:31
お安い御用だ
4月1日まで全力を挙げて保守する - 19二次元好きの匿名さん22/03/28(月) 06:27:22
保守
- 20二次元好きの匿名さん22/03/28(月) 12:16:20
保守
- 21二次元好きの匿名さん22/03/28(月) 21:26:00
保守
- 22二次元好きの匿名さん22/03/29(火) 05:53:27
保守
- 23二次元好きの匿名さん22/03/29(火) 16:11:21
保守
- 24二次元好きの匿名さん22/03/30(水) 00:03:12
保守をします
- 25二次元好きの匿名さん22/03/30(水) 07:19:16
ほしゅほしゅ
- 26二次元好きの匿名さん22/03/30(水) 15:29:29
ほしゅ
- 27◆GHSF5cw5yo22/03/31(木) 00:48:01
ほ
間に合うか……、上手くいかなーい - 28二次元好きの匿名さん22/03/31(木) 06:27:12
保守
がんばれ〜 - 29二次元好きの匿名さん22/03/31(木) 17:32:57
保守
- 30◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 00:39:28
多分今日の21時ごろだと思う
- 31二次元好きの匿名さん22/04/01(金) 05:27:22
ワクワク期待
- 32二次元好きの匿名さん22/04/01(金) 14:59:52
保守なんだ
- 33◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 20:58:13
風が吹きました。葉が擦り合い、木々がざわめき立ちます。そんなざわめきとは対照的に押し黙っている人が二人。私とトレーナーさんです。
トレーナーさんはぼんやりと空を見つめていて、私は手に持った湯呑をこれまたぼんやりとみつめています。はたからみればのんびりと心静かに過ごしているように見えるかもしれません。
しかし周囲には春の日差しのようにじんわりとした緊張感が漂っています。湯呑を持つ手に力を入れたかと思えば緩める、そんな手慰みを先程からずっと続けていて、トレーナーさんの方もお尻に敷いた毛氈をずっと手で弄っています。
お互いにタイミングを探ってそわそわとしている、それが実情でした。
目を湯呑から離して、足元の荷物に向けます。その中にはトレーナーさんへの贈り物が入っています。誕生日に贈られたたんぽぽの返礼品です。これをいつ取り出そうか、よい潮合を探っている内にこの奇妙な均衡状態が生み出されてしまいました。
小さなため息をついて荷物から正面へと視線を移します。いつかみた風景、URA-Fの後、いつもの5人とトレーナーさんで訪れた山の眺めです。空は街で見るよりも心なしか青く澄んでいて、山は日に照らされて、春らしい緑で着飾っています。
頭上には後ろからせり出した枝が差していて、風で揺れるたびに、地面の木陰がつられて動きます。時折つま先を光がさっと撫でては引いていき、ついつい気を惹かれます。
靴を脱いで、日なたに足を差し出すと、春日がほんのりと温かい。その柔らかな陽光に、ある春について詠んだ詩を思い出しました。 - 34◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 20:59:07
(久方の 光のどけき……ですね~)
のどかな春の情調と、舞い散る桜を対比した短歌です。この柔らかな陽光はまさにこの歌に相応しい風情を備えているように思えます。
心の中で残りの「春の日に しづ心なく 花の散るらむ」と続けると、少し可笑しくなってしまいました。
(しづ心なく、今の私達みたい……)
こんな穏やかな春の日和に、浮ついている私達と重なって見えてしまう。春の風情を詠んだ詩が、まるで恋の詩のよう。誂えたような巡りあわせ、そんな偶然を弾みとします。
(花を散らさずして、結ぶ実のあるものか……)
自分に発破をかけて、深呼吸。深く、大きく、隣にも聞こえるように。それを合図に二人の間の緊張が一層強くなりました。……声をかけます。
「……トレーナーさん」
呼びかけると、トレーナーさんは「うん?」と返事をして顔だけでこちらをうかがいました、それを尻目に鞄へ手を入れます。取り出したのは細長い桐箱です。 - 35◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 20:59:50
「……誕生日の手紙、……これが私の答えです」
「……それは、……予想してなかったな」
言葉で返ってくると思っていたようで、呆けた顔をしています。この箱の中には以前頂いたたんぽぽに対する返答が入っています。
桐箱を毛氈の上に置いて、向こうの方へと差し出すと、トレーナーさんは恭しく受け取り、そのまま丁重に持ち上げて、封をしていた紐を解き、蓋を開きます。
中から姿を現したのは、綿毛を一本だけ残した一輪のたんぽぽです。
誕生日の手紙、『四月一日』とだけ書かれていたあの手紙です。『四月一日』、この文字には慣用的な読み方があります。はるか昔の習慣で、陰暦のこの日に、防寒のために服に詰めていた綿を抜くので、『四月一日』と書いて『わたぬき』と読むようになったそうです。
そして一緒に贈られたたんぽぽには、綿毛を抜いて行う占いがありました。そして手紙を結び付けていた松、全て合わせて考えると恐らく、「4月1日になったら、もう一度(占って)自分の気持ちを確かめて欲しい、その時を待っている」、そう言っていたのだと思います。
その確かめた結果があの箱の中身です。予定調和、トレーナーさんも石から生まれたわけではありません。私の答えは何であるかはわかっているはず。ならばあとはその答えまでの道筋をたてるだけ。
トレーナーさんは一度目を白黒させた後、たんぽぽに手を触れて瞑目します。もう片方の手は顎を支えていて、いままさにその答えまでの道筋を探しているのでしょう。
時間にして数分、私にとっては気が遠くなるほどの長い長い数分が経ち、トレーナーさんが目を開きました。 - 36◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 21:00:55
「グラス……、花占いって知ってるか?」
知らずにここまでたんぽぽを弄ぶ人間はいません。しかしこんな問いかけを投げかけてきたということは即ち乗って欲しいということでしょう。
「……いえ、知らないですね~、教えて頂いてもよろしいでしょうか~」
途方もなく白々しい問答、トレーナーさんは苦笑して、私の方も口角が吊り上がっていきます。
「たんぽぽの場合だと、花びらか綿毛を一本ずつ抜いていって、その度に選択肢を唱えていくんだ」
「ほほう、なるほど~、例えばどのように?」
トレーナーさんが足元に生えている草を引き抜いて、葉をむしりながら説明します。
「そうだな、……じゃあ今日の晩御飯を占うとして、カレーライス、肉じゃが、焼き魚、カレーライスっていう感じかな」
「は~、そんなうらないがあったんですね~」
あまりにもあんまりな棒読みにトレーナーさんはこらえきれなかったのか、鼻から笑いが漏れています。咳払いで誤魔化しますが、もう緩み切った空気は元に戻りません。それでも言葉だけは取り繕って先に続けます。 - 37◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 21:01:48
「ま、まあそんな占いがあるわけだけど、メジャーなのはやっぱり恋に関する占いだな」
「恋ですか~」
「そう、好き、嫌い、好きと占っていく」
そこまで言ってトレーナーさんが近くに置いていたたんぽぽに目を移します。
「……丁度ここにたんぽぽがある」
「偶然ですね~♪」
「……ああ、そして今から俺の恋について占おうと思う」
「……応援してますよ」
トレーナーさんが一息つき、つかの間の沈黙。お互いの呼吸の音が聞こえてしまいそうな、痛いくらいの静寂です。トレーナーさんの胸が二、三度上下して、最後にひときわ大きく動きます。
トレーナーさんはおもむろに1本だけ残った綿毛を指でつまみ、引き抜きました。そしてこちらに差し出します。
「……グラス、君のことが好きだ、これからずっと一緒にいて欲しい」
綿毛を受け取り、応えようとして、……言葉が出ない。知っていた、身構えていたのに胸が詰まって言葉が出せません。言葉の代わりに胸から何か熱いものがこみ上げてきて、呼気となって出ていきます。
また目が熱くなってきて、すぐに熱は目から伝い、頬を通って地面に吸い込まれていきます。涙です。
(また泣かされてしまいましたね) - 38◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 21:02:20
私も有馬と、トレーナーさんは涙ぐんだだけと否定していますが、契約更新の時にも泣かせているので、これでイーブン、これで対等です。これから一緒に歩いていくためには丁度よかったのかもしれません。
しかしこのまま黙っていては困らせてしまう、声を嗚咽交じりではありますが、どうにかこうにかひねり出します。
「……ふふっ、この嬉しさはやはり、どうにも言い表せませんね」
「……有馬の時も誕生日の時もそうだったな」
頭に手が置かれて、左右に揺れています。時折耳を押し倒しされるのがくすぐったくて心地いい。昂る胸中とは裏腹に、呼吸は少し落ち着いてきました。
手に持った綿毛を見つめます。しっかりと役目を果たした今日の功労者です。彼か彼女かはわかりませんが、恩人は風に揺られて、飛んで行きたそうにゆらゆらとしています。
「……トレーナーさん、この子は芽を出せるでしょうか」
「……じゃあ、そうだな、『出る』」
そう言ってトレーナーさんは私の手から綿毛を抜き取り、ふっ、と息を吹きかけて綿毛を飛ばすと、舞い上がり、風に乗って、あっという間に見えなくなりました。
自らを占って飛んで行った綿毛を、感謝の気持ちを持って見送りながら心の中である短歌を詠みます。 - 39◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 21:02:49
(……綿被り しのぶ心を つつみ草 舞って祝えよ 春と思えば)
あのたんぽぽでの返答を考えた時に作った歌、学園に居た頃は伝えることが許されなかった気持ち、さっきは胸がいっぱいで言えませんでしたが、今なら言えるはず。心をつつむ綿毛は全て飛び去ったのだから。
トレーナーさんの方へ向き直り、息を整えて、精いっぱいの笑顔を作って伝えます。数年間の思いの丈を、私の心を!
「私もトレーナーさん、いえ……」
「あなたが好き……」
「……大好きですっ♪」 - 40◆GHSF5cw5yo22/04/01(金) 21:02:58
終わり
- 41二次元好きの匿名さん22/04/01(金) 21:29:21
あぁ…なんてこった
とっておきの春がここにはあったんだ
ありがとう…それしか言葉が見つからない - 42二次元好きの匿名さん22/04/01(金) 21:42:56
心じゃよ
- 43二次元好きの匿名さん22/04/02(土) 06:48:53
春が来た
- 44二次元好きの匿名さん22/04/02(土) 18:47:13
最高ですね…