- 1二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 06:08:17
乱打する剣の群。
盾は衛宮士郎自身だ。
七枚羽の盾がひび割れ、砕かれるたびに体が欠けていく。
~中略~
血が逆流する。
盾は、もう所々虫食いだらけだ。
今までヤツの宝具が届かなかったにせよ、その時点で衛宮士郎の体は欠けている。
(『Fate/stay night』凛ルート十六日・2月15日 決着₋アンリミテッドブレイドワークス)
士郎の魔術って「己の心をカタチにする」ことが根底にあるから、投影によって作り出されるものは武器であると同時に、衛宮士郎自身であると捉えた方が士郎の魔術の本質を近いんだな。
衛宮士郎が武器を作り出すのではなく、衛宮士郎が衛宮士郎自身を作り出す。
故に、衛宮士郎によって作り出される剣や盾は、彼の体そのものに他ならないと。
と、ここまで読み解いて事件簿と冒険、それぞれの1巻でのルヴィアと凛に対するII世の個人講義がまさしくそれなんだと気づいた。魔術において、己や己の魔術の本質に寄り添ったイメージを持つことは、それだけで魔術の精度や効率に直結する。
加えて、II世は「魔術の理論の再解釈と系統分類」に適性があるので、普段の講義では神秘そのものだけでなく、その背景にある歴史も交えた内容となる。この点は事件簿八巻で実際に講義を聞いた橙子さんが触れてたりする。
II世の教師としての能力はこの両輪から成り立っているんだね。
魔術よりも魔術師の在り方に着目する観察眼と歴史を交えた講義。
これを受けているエルメロイ教室の生徒たちは、「自分の家の魔術がどのような歴史を辿って自身に辿り着いたか」という視点を自然と意識するようになるし、そこに魔術師個人の適性を見極めるII世の指導も相まって、自身の扱う魔術の歴史、理念、動機を自らの礎に取り込んで自分だけの境地に到達する足掛かりになると。
ある意味で、過去を学び、現代に残し伝える、という魔術という学問の在り方、魔術協会の理念そのものと言えるような向き合い方ともいえるんだな。そりゃ、ジズや士郎に時計塔の化身とも呼ばれるわ。
一方でII世自身に「神秘そのものを扱う才能」は微塵もないので、その魔術系統そのものを進化・深化させるような真似はできないと。 - 2二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 06:10:47
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- 3二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:29:17
- 4二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:32:26
成程。こう言う文章かけて言語化できる人好き
- 5二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:33:41
- 6二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:34:25
お前この程度でソレとか型月テキスト大体読めないだろ
- 7二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:37:17
とはいえ、まあ他の講師は「無駄なことを」となる理由もまあ分かる。
II世の教えてる内容って、これ基礎の部分なんだよね。基礎故に怠りがちになる部分とも言う - 8二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:37:43
- 9二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:39:42
- 10二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 07:43:24
簡単に言うと効率的な経験値稼ぎの仕方とスキルポイントの割り振り方を教えてくれるのがII世の講義。
レベルアップの為に必要な土台を作ってくれるのがII世の教育ともいえる。なんで才能のある生徒のレベルは凄い勢いで上がる - 11二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 08:30:59
- 12二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 10:05:01
あくまでも元々持ってる才能の効率的な引き出し方を教えてるのであって才能の限界を突破させてるわけじゃないんだよな
分かりやすい例がカウレスで、もっと適性のある電気系統魔術への乗り換えでポテンシャルを発揮できるようにしてるけど、裏を返せばフォルヴェッジ家本来の魔術系統のまま伸ばすことは二世にもできてない
そもそもそんな手法があったら二世が自身でそれ実践してもっと腕のいい魔術師になってるわけだが
- 13二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 10:20:01
時計塔の化身っていう表現はなるほどそういう意味合いだったか
ブリシサンやゼルレッチが時計塔を開いた当初の考えに近いのがⅡ世ってことなんだな - 14二次元好きの匿名さん25/04/25(金) 11:48:56
時計塔という組織の代表者という意味じゃない。
魔術の徒として優れている訳でもない。
だが魔術を学び、伝える者としての在り方だけなら、それは魔術という学問の在り方そのものと言えると。
ならば、魔術を教える学院である時計塔の化身と呼ばれるのは、当然の帰結ですよね、と。
- 15スレ主25/04/25(金) 17:49:33
もっと言ってしまうと、そういう魔術の理念は特別じゃないんだよな。
自分の人生で精一杯一つのものを積み上げて、それを後継に託す、というのは、なんてことはない人間の営みの一つ。
魔術という学問の根底にあるのは、そういうありふれたもの。
だから魔術は特別じゃない。当たり前の人間の営みに過ぎない。
そういうのを話したのが、アニメUBWエピローグのグラストンベリーでの士郎と凛の会話なんだよね。
だからまあ、士郎も凛も、これまで幾つかの作品で語られる“魔術師の弱さ(魔術という特別に縋る)”には該当しないんじゃないかと。
そもそも魔術を特別じゃない、ありふれた、されど輝かしい人間の営みに過ぎないと捉えてるので。