(SS トレウマ)「「これよりイチャイチャあまらぶ自宅デートを実施いたします」

  • 1◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:36:50

    「これよりイチャイチャあまらぶ自宅デートを実施いたします」

     「輝」としたためられた掛軸を背にしたダイイチルビーが、泰然と宣言した。

     ──冬の寒さも過ぎ去り、華麗なる一族本邸の奥。
     水底の苔が透けて見える池を岩々が囲い、それらを若竹が壮麗に飾った庭園を臨む和室にて。

     井草の芳しさに微かに風雅な香りが混じるこの部屋は、決して心安らぐ憩いの場ではない。
     ここは一族の者が華道・茶道を修めるための修練の場なのだ。
     
     この場に相応しく、和装の令嬢は正座一つを以てしても一分の隙もない。
     

     一方、一族から贈られたオーダーメイドスーツに袖を通した青年──ダイイチルビーのトレーナーは、鋼鉄の様に竦めていた身を俄かに脱力させた。

     
     不意に獅子脅しが鏡岩を叩き、乾いた音を上げた。
     竹筒から流れた清水が池に注がれ、その水面の波立ちすら聞こえてくるほど、閑まりきっている。

     縁側にひとつ、障子にふたつ、畳にみっつ──反響する音を3つ数えて、声を零した。


    「なんて?」


    「これよりイチャイチャあまらぶ自宅デートを実施いたします」
    「あっはい」


     ダイイチルビーのトレーナーはまるでこれっぽっちも事態を把握できていなかった。

  • 2◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:37:08

     ──「イチャイチャあまらぶ自宅デート」。
     とてもではないが、ダイイチルビーの口から発される類の語句ではない。
     かといってケイエスミラクル、ミスターシービー、ファインモーション。彼女と関わりのある生徒たちもあまり使わない表現のように思える。

     と、なると。
    (ヘリオス、ルビーになんか吹き込んだりした?)
    (濡れ衣でアパレル開けるやつー!)

     あらぬ疑いだったことを内心で詫び、改めてルビーに向き直る。
     目標、お手本として一種の憧れである美しい佇まいの彼女は、ほんの僅かに眉をひそめた。

    「本日は楽な格好でお越しくださいます様、お伝えしました」
    「そう聞いたよ」

     ルビーはてっきりトレーナーさんは私服でいらっしゃるでしょうと思い、お気に入りの和服を選んだ。
     藤色の着物に、控えめな白の桜散らし柄。淡い桜色の帯には金糸の藤の刺繍。
     勝負服を淡くした色合いの出立ちのルビーは、普段より軽やかで柔和な姿を見せている。

     一方トレーナーは「楽な格好、自由な格好で来い」とは「スーツで来い」と同義だと認識していた。

     まして一族の屋敷に、一族から贈られた正装で来ない訳にはいかなかった。
     実際、今年の正月にも屋敷に呼ばれ、ルビーの父にこの装いが板について来たとの言葉を受け取っている。

     彼が身に纏うスーツは、今年の高松宮記念を終えた春、ルビーの婚約者候補の1人に数えられたことを伝えると同時に贈られたもの。 

     婚約者候補といっても、再三に渡るトレーナーへの逆スカウト(当然、本人の手腕ではなく華麗なる一族へのパイプとして)から保護する為である。
     ……という名目を、当時彼だけが真正直に信じていた。
     トレーナーは、指名されたからにはこの正装に相応しい立ち居振る舞いを身につけなければ……と、袖を通す度に重圧と決意で背筋を伸び立たせていた。

     一方ルビーは今の彼に相応しいものを贈れたと内心満足げにしていた。

  • 3◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:37:38

    「それで……このイチャイチャ自宅デートなんだけど」
    「『イチャイチャあまらぶ自宅デート』です」
    「あっはい、イチャイチャあまらぶ自宅デートです。
    ……俺は何をすればいい?」
    「………………なにも」

     事前の説明は一切なかったのだ。屋敷への招待も、彼女にしては珍しくやや性急なものだった。
     当然の問いかけに、ルビーが僅かに逡巡して答えた。

    「本日、私たちに果たすべき課題はありません。
    ……ひととき、共に休息をとるべき、と」

     ぱし、と。
     ルビーが意を決して己の膝を軽く叩いた直後。


    「……つまり、今日は稽古じゃなくてプライベートなんだよな?」
    「はい」
    「じゃあ今だけ……脚、崩さない? 正座って、あまり膝によくないから」

     
     ルビーはほんの少し目を見開いた。

  • 4◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:38:20

     曰く。
     もとより正座というものが立ち上がりにくい姿勢をあえて取ることで攻撃の意思がない事を示す為のもの。
     限界まで膝を曲げ、さらに体重を乗せる坐法は美しく見えたとして、決して健康的なものではない。

     正座した腿の上に重石を乗せる拷問すらあるのだから、その負荷は推して知るべし。
     
     ルビーの在り方を尊重して普段は口出しはせず、脚のケアに専念しているが──

    「今は、俺しか見てないから」
    「……そう、ですね。それが正しいのでしょう。
    ……貴方は、トレーナーなのですから」


     彼はそれがルビーにとって最もよい提案だと思っていたし、ルビーもそれを良しとした。


    「……お茶を淹れて参ります」

     だが僅かに、ほんの少し──彼女がどこか残念そうにしていると、そう彼は読み取った。

    「ルビー、待って」

     まして彼はダイイチルビーのトレーナー。
     休息を得られるのは、ルビーより後と定めているのだから。

     彼女の背を追う視線の先、茶道具を納める襖を見定めて。

    「座布団、並べてみよう」
    「……?」

  • 5◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:39:05

     トレーナーは4つ、ルビーは3つ。
     それぞれ座布団を並べて、その上に身体を横たえた。

     座布団の幅ひとつ分。手を伸ばしても相手の元へは届かない、添い寝とも言い難い距離で、ルビーが戸惑いがちに身体を丸めた。

    「落ち着かない?」
    「静謐を求められる茶室でこれ程姿勢を崩したことはありません」
    「だろうなぁ……俺もこっ酷く怒られた」

     
     彼が思い返して語るのは、父の実家でのこと。
     台所から追い払われた父が、仏間を物珍しげにしていた彼と共にこうしたのだと。

    「厳しいお婆さまだったのですね」
    「いや、厳しいのは父にばっかり。俺と母にはだいぶ甘かった」

     子に厳しい親ほど、孫には甘くなる。
     自分がそうした様に、子は孫をよく躾ると信じるから遠慮なく甘やかすのだとかで、どこのご家庭でもだいたい似たようなものらしい。

    「俺が祖母のやたら味の濃い赤味噌の味噌汁を美味しいと言ってから、帰省の度に大量に作ったり──薄味派の両親は内心困ってただろうなぁ」

    「……そうですか。赤味噌の、濃い味の」

  • 6◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:39:31

     彼が家族の話をすると、意外なほどルビーは食いついていた。
     当然、専属契約前に彼の身辺調査は行われていたが──人となりに関しては、ルビーはあえて聞くことはしなかった。
     それは単に彼女なりの頑なな誠意によるものであったが、今は知るならば直接会うか、彼から聞くようにしたかった。

    「……私も、孫には甘くなるのでしょうか」
    「どうかなぁ……」

     なんとなく、彼女は孫に対しても毅然としていそうに思える。
     ……もしくは、けっこう甘いけどそれが相手に伝わってない、なんて事もあるかもしれない。


    「というか、子どもには厳しくする予定なんだ?」

     孫の話もそうだが、これはこれで気が早い話。
     ……もっとも、ルビーが尊敬する彼女の母を見ていればなんとなく想像できる未来だ。

     どこか茶化す様に笑う彼の投げ出された手のひらに、ルビーの華奢な手がおずおずと重ねられた。

    「そうなるでしょう。──貴方はきっと、子どもに厳しくしきれないでしょうから」


     まだ漠然とした、しかし決して遠くない未来の話。
     彼はひどくゆっくりと、ルビーの手を包んで親指同士を触れ合わせた。

    「俺は……君が望んだようにするんだろうな」
    「……今回のように、ですか」

    「今回の……いちゃらぶお家デート」
    「『イチャイチャあまらぶ自宅デート』です」
    「イチャイチャあまらぶ自宅デート、急に決まった訳じゃないんじゃない?」

  • 7◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:40:03

     今回の一件は彼女にしては珍しく、なんの事前連絡もなかった。

     トゥインクルシリーズでの激闘を経て、一族の使命と自身に思う不足から少し自由になったルビーは周りの影響を受け入れ始めていた。
     しかし、今日のルビーは何かにつけ、彼女らしくない。トレーナーの内心は驚きよりも心配が勝っていた。


    「……ミラクルさんは非常に明瞭な寝言を発されることがございます」
    「……変わった特技だなぁ」

     あの清涼で儚い雰囲気のケイエスミラクルと芸人めいた特技とが頭の中でイマイチ一致しないトレーナーは首を捻るしかなかった。

     
    「『ルビーはもっと、トレーナーさんに甘えていいんだよ』 、と」

     ルームメイトからの後押しがあった、ということなのだろう。

    「本当に寝言だったのかな?」
    「きっと……いえ。詮索は不要かと。
    たとえ普段の寝言には意味を成すものが無かったとしても」
    「……そんなに?」

     トレーナーは頭の中でゴールドシップの支離滅裂な放言をケイエスミラクルの声で再生するよう試みたが、やはり噛み合わない。


    「先日は縄文土器とアラスカ条約との痴情のもつれに割って入っておられました」


     ……思ったより凄いのが来て、トレーナーの思考は一時宇宙を漂った。

  • 8◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:40:27

     しかし、ルビーが友人の寝言を聞いて、やりたい事を求めるとして。
     それを事前に言わないということがあるだろうか?
     
     ルビーの行動には目的と意図が伴うはず。
     つまり、ルビーの意図は──


    「それで、いっそ無茶振りしてみた?」
    「……無粋ですよ」


     聞いたことのない、拗ねた様な呟きだった。
     叱るように、掌を軽く抓られる。

     手の中で拗ねる細い指を撫ぜて宥め。
     身を預けてきた手の甲を転がして揶揄い。
     軽く爪を立てられて叱られて。

     座布団一枚ぶん隔てた畳の上で、秘密の戯れ合いが続いた。

  • 9◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:40:46

     ルビーの頬が西陽に染まる頃。
     2人の時間の終わりを知り、どちらともなく立ち上がる。
     

     手は、まだ離れない。
     もう少しだけ。この部屋を出るまで。
     ──あるいは、学園に戻る車内にいるまでは。


    「次回はトレーナーさんのご自宅で実施をお願いしたいのですが」
    「もちろん。いつでも……いや、やっぱ事前の連絡は欲しい」

     日によって──特にレース前後はトレーナー室だけでなく寮の部屋も戦場と化す。
     ルビーを迎える準備が必要だった。彼にとっては心の準備が本題であるが。


    「構いません。私も次回に向けて幾ばくかの練習が必要ですから」
    「練習?」

    「はい、練習です。……濃い、赤味噌のお味噌汁の」

  • 10◆M9XV8EWG5cFC25/04/27(日) 23:41:46

    ……以上になります(小声)

    ルビーの交友関係って割と自由人多くない?と思いましたので対戦よろしくお願いします。

  • 11二次元好きの匿名さん25/04/27(日) 23:48:56

    いちゃらぶ自宅デート、いいじゃない
    手を重ね合わせるとこ好きよ

  • 12二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 00:03:21

    へぇ〜…ルビーの子孫の話してるのにトレーナーが厳しく出来るかの話になるんだ…
    トレーナーは疑問にも思わず納得するんだもんな…
    はよくっつけ…

  • 13二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 00:08:06

    よくもまぁ自分から脚を崩す提案とか取り留めもない身の上話をし出すとかできるようになってくれたもんだ…立派になったなルビトレ…俺は嬉しいよ

  • 14二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 08:19:11

    毎回「イチャイチャあまらぶ自宅デート」の訂正入るのすき

  • 15二次元好きの匿名さん25/04/28(月) 13:08:11

    >>13

    なお気を利かせた結果お嬢の膝枕は逃す模様

    まだ現役だから仕方ないね

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