- 1二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 11:44:33
明日も雨が降るらしい。
朝から降り続く雨は止むことを知らず、少女は物憂げに窓の外へと視線を向けた。
明日の夜までは雨だと、淡々と、どこかのニュースキャスターが告げたのが記憶に新しかった。
もうじき師走も終わる。
随分と先のように感じていたというのに、まるで日毎に急ぎ足になったかと思うほどに新たな年が近づいていた。
世間の、新年への浮き足立つ思いはこの学園も例外ではなく、いつもなら賑やかな寮もこの時期ばかりはその身を潜めていた。
残るのは、その雰囲気に流されぬ、レースに生きる強き者。
残るのは、その雰囲気に馴染めぬ──尤も、彼らにしてみれば、だが──レースに縋る弱き者。
今日のウインバリアシオンは、紛れもない後者であった。
宝塚記念、金鯱賞、有馬記念。
続く連敗に、ついに少女は膝を着いた。
ただ何よりも少女を打ちのめしたのは、他の誰でもない少女自身であった。
呼吸を乱し、上手く焦点の定まらない中、目の前の、数多の背中に思ってしまったのだ。
暴君は、もういないのに。と。
それに気づいた途端、少女はひどく狼狽えた。
あれほどに憎み、あれほどに焦がれ。
いつの日か、その身に纏う金色を薄汚れた泥色で塗抹せんとひた走ったあの日々が、音を立てて崩れ去る感覚に見舞われた。
暴君より与えられる黒星を、心のどこかでは仕方がないと受け入れていたのか。
そう思うと、みるみるうちに自分の姿は薄気味悪く、みすぼらしく、おぞましいものへと変貌していった。
そんな自分を、どうして受け入れることができようか。
そんな自分を、どうして自らのトレーナーへと見せることができようか。 - 2二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 11:44:56
彼の元へと戻った少女は、努めて明るく振舞った。
彼は、どこまでも優しかった。
これほどまでに支えてくれているのに、これほどまでに信じてくれているのに。
その日々を心のどこかで無駄だと思う自分がいたのかと思えば、皮肉なことに彼の優しさは少女を押し潰していった。
そのくせ──ありえないことだが──もし彼がつっけんどんな態度をとれば少女はきっともっと潰れていただろうから、傍から見ればそれはたちが悪く、それ故に年端もいかぬ少女がレースの世界に飛び込むことの厳しさを物語っていた。
自室に一人、備え付けの椅子の上で膝を抱き、少女は顔を埋めた。
意味もなく着替えた制服の、頬を撫でるほんの少しばかりのざらついた感触でさえ今の少女には痛かった。
雨音だけが響く室内に、一瞬だけ、スマートフォンの振動音が加わった。
項垂れた耳がピンと立ち、相変わらずの面持ちで少女はスマートフォンを拾い上げて、そして、置いた。
トレーナーとのやり取りは昨日で一区切りがついたというのに少女はただ彼からのメッセージを待っているのである。
僅かな期待は裏切られ、少女はまた頬を痛めた。
「なに……してるんだろう」
トレーナーに、自分に。少女の呟きを雨音が攫う。
いつの間にか強まった雨脚に感化されたわけではないだろう。けれど、降り続く雨は間違いなく少女のセンチメンタルな部分を刺激した。
ずっと考えないようにしていたのに、先ほどの呟きを皮切りに嫌な想像が膨らんでいくのを少女は感じていた。
せめてもの抵抗として、ぎゅ、と少女は更に膝を抱き込んだが、それが何かの意味を成すわけではない。
自らは、あくまで少女に言わせてみれば、彼を裏切るに似た感情を抱いたというのに、失望でも、怒りでも、呆れでも、何だってよかったが、少女は彼から裏切られるということには耐えることができないと知っていた。
ひょっとして、もう自分はお払い箱なのではないか。
ひょっとして、もうあの瞳に自分は映っていやしないのではないか。
一度そう思ってしまったら、体は恐怖と不安に支配され、それ以外など考えることができなくなると知っていた。 - 3二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 11:45:15
だから必死に目をそれしていたというのに、それを嘲るように少女の体は強張っていくのである。
理由は、一つではないだろう。
大敗も、雨も、不安も、頬の微かな痛みでさえ、少女の精神を恐ろしいほどに削っていたのである。
最早、少女は正常な思考も、判断もできなくなっていた。
ただ、不安に任せて。少女は徐に立ち上がった。
・
冷たい雨に打たれても、熱いシャワーを浴びても、依然として少女を突き動かすのは執着にも似た不安だった。
傘を差すという選択肢がまるで備わっていないかのように、少女は何一つ疑問を持たずに寮を出た。
向かうはトレーナーの自宅。インターホンを鳴らしたときの彼の狼狽は少女を冷静にすることはなく、寧ろ彼女に幸福感すら与えた。
自分だけのことを考えている、自分だけを見ている。
動機が何であれ、その事実に安心感を覚えたのだ。
そしてシャワーを浴びるよう自宅へと迎え入れられたこと、それもまた少女の安堵を裏付けていた。
髪から漂うシトラスの香りが黒色のドライヤーに飛ばされて、少女は甚くそれに満足した。
決して短くはない時間雨に打たれた肌着が使い物にならないことを知ると、少女はその身に一つ、男が用意したTシャツを纏い脱衣所を後にする。
無論ズボンも用意はされていたのだが、ウエストや丈が合わないことなどは火を見るよりも明らかであった。
少女がリビングの扉を開いたとき、男は何かを言いたげな顔をして、それから飲み込んで、マグカップを差し出した。
「ホットミルク。よかったら飲んで」
少女はただ頷いて、彼からマグカップを受け取った。
隣に腰を掛け、一口。
「あったかい……」 - 4二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 11:45:33
師走の雨に打たれ、芯まで冷え切った体が内側からほぐされる。
口いっぱいに広がる優しい甘さが、それを通して伝わる彼の優しさが、強張った少女の心にそっと触れた。
それによってだろうか、はたまた、最初から持ち合わせていたのだろうか。
とにかく少女の中のちっぽけな理性が、今ならまだ踏みとどまれると小さく囁いた。
冷たい雨でもなく、熱いシャワーでもなく、男の優しさが少女に冷静さを取り戻させたのである。
マグカップが、小さな音を立ててテーブルに置かれた。
男は、何も言わなかった。
それから、まるでそうなることがわかっていたかのように、寄りかかる少女を肩で受け止めた。
少女は、どこまでも冷静だった。冷静に、自らの意思で、理性を捨てることを選んだのだ。
「トレーナー……さん……」
小さな両腕が、するりと男の腕に巻きついた。
それに続いて、小さな両手がその先の一回りほど大きな手を包み込んだ。
それから、少女らはいくつか言葉を交わしたように見えた。
いや。もしかしたら、二人の間に言葉はなかったのかもしれない。
けれど不思議なことに、それでも、二人が通じあったということだけは確かに感じ取れるのである。
不意に、巻きついた小さな両腕が彼から離れていった。
その代わりに少女は身を乗り出して、正面から跨るように、全身で彼に巻きついた。
一瞬男は身を強張らせたが、すぐに少女を受け入れるかのように力を抜いて、力強く抱き締め返すことにした。
それは、底知れぬ優しさからだろうか。
それとも、男もまた、目の前の少女と"同じ"であったのだろうか。
それを考えることなど、蛇足であるだろう。
今重要なのは、ただお互いに、お互いだけを感じていることなのだから。 - 5二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 11:45:50
ずぶりずぶりと、彼の中へと沈みゆく意識の中、少女は呼吸と、心音と、それから窓を打つ雨音を聞いた。
凍てつく暗闇の中、今や混ざりあった体温だけが、少女を少女たらしめていた。
明日も雨が降るらしい。
おわり。
支部にも上げたやつです。一回こっちでも投稿してみたかった。
スレ立て自体初めてなので、ミスとかあれば何でも教えてください。 - 6二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 12:26:36
これ好き
こっそりいいねしてた - 7二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 12:32:52
エエヤン
- 8二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 12:41:12
なんかしっとりしてて好き
- 9二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 12:41:30
こういうのもありだよな
- 10二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 12:41:48
良き・・・
- 11二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 13:20:02
一歩間違えば本当にどこまでも落ちていきそうな2人いいよね…
そうなったら駆け落ちとかしてほしい… - 12二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 16:56:53
何も解決してないのに安心だけ得られるのいい…
- 13二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 22:24:52
実装すぐの頃もあったけどやっぱシオンが再起できないとバリトレも覚醒できないから二人揃ってダメになっちゃうんだろうね
【一応閲注】トレバリは両者が折れても再起したから良かったものを|あにまん掲示板シオンがあのまま闇堕ちしてたらバリトレ共々病み爛れの関係になってそうじゃないですかそう考えると下品なんですが……フフ やっぱ下品なのでやめときますねbbs.animanch.com - 14二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 07:57:26
- 15二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 17:25:21
こういう退廃的なのも美しさがある…