(SS注意)上着

  • 1二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:00:40

    「ん……っ」

     水底から浮き上がるように、意識が覚醒していった。
     ゆっくりと開いた瞼から差し込む光、頭の中で少しずつ晴れていくもや。
     軽く目の下を擦りながら、突っ伏した姿勢から身を起こして周囲を見回す。
     慣れ親しんだトレーナー室、窓から見える空は日が沈みかけていて、目の前のテーブルには教科書とノートがあった。
     ぼーっと浮ついた頭を何とか動かして記憶を辿り────刹那、さあっと血の気が引く感覚。

    「やだ、私ったら、居眠りだなんて……!」

     授業のことでトレーナーさんに聞きたいことがあって、帰る前にトレーナー室へと立ち寄った。
     教科書やノートを広げたついでに宿題を片してしまおう、そう考えたところまでは覚えている。
     ……とはいえ考えるまでもない、宿題をやっている最中に居眠りをしてしまったのだろう。
     昨夜、お食事会のコーディネイトを考えていて睡眠時間が不足したことが原因。
     自分を叱りたくなるほど大失態に、気が重くなってしまう。

    「そっ、そうだわ、トレーナーさんは……?」

     慌てて部屋の中を見回すけれど、部屋の主はどこにもいない。
     ふと視線を落とすと、テーブルに覚えのない小さな一枚のメモ。
     そこには見慣れた文字で『飲み物を買ってきます、ゆっくりしててね』とだけ書かれていた。

    「はあ」

     大きな、ため息が出る。
     トレーナーさんのデスクの上は、普段と違いすっかり片付いていた。
     多分、彼自身の仕事は終わっていて、眠っている私のことを見守ってくれていたのだろう。
     すなわち、私の寝顔も、見られてしまったということ。

  • 2二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:01:08

    「……っ!」

     申し訳なさと恥ずかしさ、そして情けなさ。
     入り混じった感情は頬を熱くさせ、胸の内を激しくかき乱していく。
     ……格好悪いところ、見せたくなかったんだけどな。
     
    「……とりあえず、帰り支度をしましょう」

     思考が纏まらない時は、まずは目の前の小さなタスクから。
     私は自分に言い聞かせるように、そう言葉を紡ぐながら立ち上がる。
     その瞬間────肩から何かがするりと滑り落ちる感触がして、反射的にそれを押さえた。

    「これ、は?」

     今の今まで気づいてなかったけれど、私はジャケットを肩から羽織っていた。
     自分のものではないのに、どこか見覚えのある紺色のテーラードジャケット。
     そしてすぐに、それがトレーナーさんが普段着ているものであることに気づく。

    「あの人が、かけてくれたのね」

     季節の変わり目で、日によって気温が大きく変動していく時期。
     今日は特に気温が低かった日で、寒くはないか気を遣ってくれたのだろう。
     そして私は、何となく、トレーナーさんのジャケットの前を閉じてみた。

  • 3二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:01:26

    「……暖かい」

     腕を通していないというのに私の身体をすっぽり覆い隠してしまう、大きなジャケット。
     それに包まれると、妙にぽかぽかとして、落ち着いた気持ちになった。
     造り自体はしっかりしているけれど、生地などはそれなりで、比較的安価な品だとは思う。
     でも、何故か穏やかな心地になれて、ほっと安堵することが出来た。
     まるで、トレーナーさんが傍にいてくれているみたい。

    「…………んっ」

     気が付いたら、私はラベルに鼻先を近づけていた。
     ふわりと感じる、清涼感のある華やいだ匂い。
     それは、私が以前トレーナーさんにプレゼントしたボディミストの香りだった。
     使ってくれていることが嬉しいという反面────今、感じたい匂いは、これでなかった。

    「すぅ、んん……っ」

     すんすんと、何度も、奥深く、匂いを探っていく。
     複雑に交わりあったフレグランスの中、私はついに、目的の匂いに辿り着いた。
     清潔感があって、ふんわりと優しくて、吹き抜ける風のように爽やか。

    「ふふ……♪」

     それは、トレーナーさんの匂いだった。
     彼の残り香を見つけた瞬間、ジャケットから得られる感覚が意味合いを変えていく。
     傍にいてくれているみたい、ではなくて、ぎゅっと抱き締められているみたい。
     心臓の音がトクントクンと早くなり、血液が巡り体温が上がって、呼吸が乱れて息苦しくなる。
     でも、それでも決して、鼻先をジャケットから離す気にはなれなかった。
     だって、もっともっと、感じたいんだもの。

  • 4二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:01:44

    「ふぁ……んん…………すう……は、あ…………っ」

     更に深い世界へと、私がトリップしていく、その瞬間。

     がちゃりと、無機質な音が部屋の中へと響き渡った。

     背徳的な幸福の中から、意識が一瞬にして現実へと引き戻される。
     けれど、それはあまりにも遅すぎた。
     蕩けかけていた私の頭や身体が反応する前に、無慈悲に部屋の扉は開いていく。

    「ただいま……あっ、ヴィルシーナ、起きてたん────」

     トレーナーさんが柔らかく微笑みながら部屋へと入って、ぴしりと固まった。
     彼の視界の中には、執拗に顔を自らのジャケットに擦りつけている、一人の女。
     とても信じがたく、認めたくないことだけれど、それはヴィルシーナというウマ娘の姿だった。
     尻尾と耳がピン逆立って、再び血の気が引いていく。

    「あっ、えっ、その、あの、こっ、これは違うんですっ!」

     何が、違うというのだろう。
     トレーナーさんのジャケットの匂いに夢中だったことは、見たままの事実だというのに。
     苦し紛れの言い訳を並べる私を見て、彼は真剣な表情を浮かべていた。
     そして無言のまま、つかつかと歩み寄って来る。

    「……っ」

     いつもの優しくて穏やかな雰囲気とは違う、張り付けた空気。
     たまにした見せてくれない鋭い目つきに晒されて、私の心臓はドクンと跳ね上がってしまう。
     言葉に詰まって、固まってしまっている間に、彼はあっという間に眼前にやってきた。
     そして私の両肩に、ごつごつとした大きな手を置いて、少しだけ頭を下げて視線を真っ直ぐに合わせて来る。

  • 5二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:01:57

    「トレーナー、さん?」

     怒っている、ようには見えない。
     ただただ、私のことを、私のことだけを、じっと見つめているだけ。
     それだけなのに、心音はどんどん大きく早くなっていき、頬には熱がこもっていく。
     何をするつもりなんだろう、何をされてしまうのだろう、何をして欲しいのだろう。

     困惑と疑問がぐるぐると頭の中で渦を巻き続ける中、彼の顔が、ゆっくりと近づいて来た。

     ダメ、これはダメ。
     頭の中で冷静な私がそう言っているのに、身体はぴくりとも動かない。
     それどころか目を伏せて、差し出すように唇を尖らせて、抵抗を放り出していた。
     ちくたくと時計の音を鼓膜を揺らしていき────ぴたりと、何が額に触れる。
     恐る恐る目を開けると、そこには心配そうなトレーナーさんの顔。

    「……?」
    「うーん、少しだけ熱っぽいような気もするな」
    「えっ?」
    「包まるようにそれを着込んでたから、寒いのかなって思ったんだけど」
    「はい?」
    「やっぱり風邪なのかもしれないな、気分は大丈夫?」
    「…………今、少しだけ悪くなりました」

  • 6二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:02:22

     すっかりと夜の帳が落ちた帰り道。
     寮までのそう長くはない道のりを、私はトレーナーさんと並んで歩いていた。

    「……あの、寮まで送って下さらなくても大丈夫ですよ?」
    「いや、念のためね」
    「もう、体調には問題ないと、先ほどご自身で確かめてくださったじゃないですか」
    「そうなんどさ」

     困ったように苦笑いを浮かべるトレーナーさん。
     あの後、しばらくしてから熱などを測ってみたみたところ、全く問題はなかった。
     それはそうだろう────文字通り、私が勝手に熱を上げていただけなのだから。
     再び顔が赤くなりそうなのを、プライドで無理矢理抑える。
     これ以上、彼へ醜態を見せたくはなかった。
     そうこうしていると、言いづらそうな表情で、トレーナーさんは口を開く。

    「……ほら、結局ジャケットも着たままだから、寒いのかなって」
    「……えっ?」

     言われて、自身の姿に視線を落とすと、私は紺色のジャケットに身を包んでいた。
     私物、では当然ない。
     それは、トレーナー室でかけてもらったトレーナーさんのジャケット。
     着込んで以来、妙に馴染んでしまってそのままになっていたのだ。

  • 7二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:03:18

    「あっ……すっ、すいません、返すのを忘れて、そのままで……っ!」
    「いいよいいよ、寮に着いたら返してくれれば」
    「……はい」

     慌ててジャケットを脱ごうとする私を、トレーナーさんは制止する。
     そして、私はあっさりとその言葉に甘えてしまった。
     別に寒くはないしすぐに返すべきなのだけれど、とても、名残惜しい。
     ジャケットから感じられる彼の温もりが、匂いが、気配が、名残惜しいのだった。
     
    「……」

     ちらりと、トレーナーさんの様子を窺う。
     私の数々の奇行を、全くもって気にしていないような表情。
     そのことに安堵して────少しだけ、悔しい。
     もうちょっと、気にしてくれても良いのではないか。
     私だけが一人でドキドキしているのは、なんだかズルいのではないか。
     そんな八つ当たりのような身勝手な衝動が、心の中で暴れ回っていく。
     ああ、こんなものは寮には持ち込めない。
     タルマエさんにも、ヴィブロスにもシュヴァルにも、見せることは出来ない。
     だから、責任もってトレーナーさんに消化してもらうことにした。

    「…………やっぱり、ちょっと寒いので、少しだけ失礼しますね」

     そう言って私は、トレーナーさんの腕に抱き着くように身を寄せた。
     長くて、太くて、大きな、彼の腕。
     それに身体を押し付けるようにしながら、ぎゅっと包み込む。

  • 8二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:03:33

    「えっ、えっと、ヴィルシーナ?」

     トレーナーさんの視線が少しだけ揺らぎ、表情に余裕の色が消えていく。
     どうやら彼は、身体的な接触の方が効くようだった。
     有益な情報に思わず、にやりと口角が吊り上がってしまう。
     続けて私は、尻尾を大きく揺れ動かした。
     トレーナーさんの背中を撫でるように、ジャケットの背中を撫でるように、私の匂いを擦りつけるように。
     ぱたぱたふぁさふぁさと、広く大きく激しく、じっくりと念を入れて。
     願いを、恨みを、込めながら。

     ────私の匂いで、貴方もドキドキしてしまえば良いのに。

  • 9二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:04:49

    お わ り
    匂いを嗅ぐ女の子はいつだっていい

  • 10二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:07:43

    良かったです

    お姉ちゃんはもっと攻めてもいいと思う。

  • 11二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 21:14:03

    いいっスね

  • 12二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 22:21:38

    はーかわいい
    寝る前に良い物見れたぜ

  • 13二次元好きの匿名さん25/05/15(木) 22:38:27

    ヴヴヴ三姉妹長女だからね
    分かってたことだよ
    トレセン学園は婚活会場

  • 14二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 01:11:52

    エエヤン

  • 15二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 01:28:51

    ク〜〜〜ックックック!
    帰ってきたジャケットを羽織ってシーナの匂いにドキドキするトレーナーもいいだろう…!?
    十中八九クソボケてしないんだろうがな…

  • 16125/05/16(金) 09:34:28

    >>10

    もっと強気に出て欲しいですよね

    >>11

    そう言ってもらえると幸いです

    >>12

    お姉ちゃん可愛いよね・・・

    >>13

    あの妹二人の長姉だからこうならないはずがない

    >>14

    お姉ちゃんいいよね・・・

    >>15

    なんかいい匂いする くらいで済ませそう

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