【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part4

  • 1125/05/16(金) 19:36:59

    ミレニアムの天才たちが10あるセフィラを攻略していく話。


    現在3体目、ネツァク戦開幕。

    スレ画はPart3の176様に書いて頂いたもの。励みになります本当に。


    ※独自設定&独自解釈多数、端役でオリキャラも出てくるため要注意。前回までのPart>>2にて。

  • 2125/05/16(金) 19:37:11

    ■前回のあらすじ

     ホドの確保に成功した一行は、ミレニアム最強と名高いネルを仲間に加えて前へと進む。

     セフィラに使われている機能を再現するべく解析を行う中、マルクトもまた『心』を知るために学習を始める。


     そして、ミレニアムEXPOを目前に控えた9月の前半。

     『勝利』のセフィラ、ネツァクが目覚めたことを知った一行が目にしたのは茨に満ちたパビリオン。


     溢れる緑の地獄。全てを閉ざす変性の権能。

     果たして、一行はネツァクを攻略できるのだろうか……。


    ▼Part1

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」|あにまん掲示板「ごめんなさい」 私が何かを間違ってしまったことだけは分かった。 その結果がこれだ。彼女も『こちら』へ来てしまった。この先、何度も続くであろう無限の中に。「私が間違えたの。こんなことになるなんて……私…bbs.animanch.com

    ▼Part2

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part2|あにまん掲示板一年生のリオやヒマリたちが特異現象を相手にセフィラを捕まえる話。長い話になることだけは分かります。SSとは小説の略ということで。スレ画はPart1の132様に書いて頂いたものにタイトルを付けたもの。※…bbs.animanch.com

    ▼Part3

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part3|あにまん掲示板一年生のリオやヒマリたちがマルクトと共に存在意義を探す話。10あるセフィラの2番目との戦いをしていてPart3です。スレ画はPart2の184様に書いて頂いたもの。素敵ですご友人。※独自設定&独自解釈…bbs.animanch.com
  • 3二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 19:39:13

    期待

  • 4125/05/16(金) 19:41:42

    埋め

  • 5二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 19:42:38

    前スレのオマケも見てきました!
    めっちゃ面白かったです!

  • 6125/05/16(金) 19:47:27

    ※埋めがてらの小話15
    SF知識や手札が少ないのにSFっぽい話を書き始めたので今更SF小説を読み始めました。
    面白い……が、読んだり書いたりソシャゲしたりで時間が、時間が……!

  • 7125/05/16(金) 19:49:32

    うめ

  • 8二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 19:51:03

    うめ

  • 9🤖25/05/16(金) 19:51:31

    埋め

  • 10125/05/16(金) 19:53:46

    ※埋めがてらの小話16
    今更ながらですが、コユキの話を書いたのが3/18なのであれからほぼ毎日書き続けられてますね……
    一昨年の自分だったら絶対に出来なかったので順調に創作筋(注:創作するために使われる筋肉のこと)が育ってます。

    肩にちっちゃい重機乗せられるぐらいムキムキになりたいですね。

  • 11二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 20:00:26

    大ファンです

    頑張ってください

    ナイスバルク!!

  • 12二次元好きの匿名さん25/05/16(金) 23:05:55

    このレスは削除されています

  • 13二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 01:18:17

    うめ

  • 14二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 05:57:30

    ほしゅ

  • 15125/05/17(土) 11:52:50

     暗闇の中、まとまりのない思考が徐々に形となって目を覚ます。
     最初に感じたのは清潔なシーツの感触。かけられたタオルケットの柔らかい手触りと、瞼越しに感じる電球の光。

     明星ヒマリはゆっくりと目を開けると、そこはミレニアムの保健室であった。

    「水飲む? ほら、どーぞ」
    「ああ、ありがとうございます……」

     差し出されたコップを受け取って飲み込む――瞬間、今まで嗅いだことも無いような生臭さが鼻腔を貫いた。

    「っ――おぇぇぇぇ!!」

     堪らず反射的に吐き出すヒマリ。
     茶色と白が不均等に混ざったような液体がタオルケットを濡らすと、そんなものを手渡した人物は手を叩いて邪悪な笑みを浮かべていた。

     というか会長だった。

    「会長!? なんでここにいるんですか!?」
    「ク、ヒヒッ……ふっ、はぁ……はぁ……。いや『おぇぇぇ』って! 清楚系でも何でもない感じに吐いたね! あー、おもしろ」

     そんなこと言われても何が面白いのかさっぱり分からない。
     ヒマリは無言で会長を睨みつけるが、そんなこと一切気にせず会長は目元の涙を拭いながら息を整えていた。

    「でもね、僕は悲しかったんだよ? 何せ目にかけていた生徒がとんだ不良生徒だったなんてさ」
    「不良……?」
    「君、ぐでんぐでんに酔っぱらってたんだよ? まったく、未成年の飲酒はミレニアムじゃ長期停学処分なんだから」
    「はい? 私が、酔っていた、ですか……?」

     状況がいまいち掴めず首を傾げると、会長は事のあらましを説明してくれた。

  • 16125/05/17(土) 13:09:36

     エンジニア部が『廃墟』に向かってから3時間後、15時ぐらいに速度制限を無視してミレニアムへ突っ込んでくるトラックがあったらしい。

     当然保安部がそれを止めると、運転席にいたのはチヒロのみ。
     保安部は会長の指示で「エンジニア部の様子がおかしかったら僕に連絡して」と言っていたらしく、手順に従って会長が到着。

     保安部を追い払ってチヒロに色々と質問するが、いつも以上に歯切れが悪く、面倒になってトラックの荷台を無理やり開けさせたら泥酔したヒマリとリオがいたらしい。

    「まー、酔っぱらいは隠すよね。飲んでたら一発アウトだし、事故だとしてもセミナーとして思いっきり介入するし」

     ただ、『廃墟』の調査を行っていることを知っていた会長だったからこそ、全力で酔っ払い二名の隠蔽を行う方向で力を貸してくれたのだと言う。

    「まったく酷い話だよねぇ? 保険室に僕が入ったらみぃんな血相変えて出て行っちゃうんだもん。それで、君が目を覚ますまでここに居たってわけ。あー、大体3時間ぐらいかな。あとで書記ちゃんに叱られるだろうなぁ……。ねぇ?」

     片眉を上げて意地の悪そうにニタニタと笑いかける会長だが、色々と助けてくれたことには変わりない。

     変わりないが……驚くほど感謝の念が湧いてこない。
     というよりも、『会長に借りを作ってしまった』という事実に戦々恐々としてヒマリの頬がひくついた。

    「あ、あの……ありがとうござ――」
    「礼は要らないかなぁ~。悪意で助けたからねぇ? やってもらいたいことなら幾らでもあるしさぁ?」

     そう言って会長はヒマリの手からコップを取ると、持っていた水筒の中身を注いでヒマリに手渡した。
     あの生臭く汚い色をした液体である。ヒマリが会長の顔を見ると、ニタニタ笑いが一層邪悪に深まった。

  • 17125/05/17(土) 13:10:05

    「それ、僕が調合した酔い止めの薬。飲みやすさはわざと無視して効力だけ上げたからばっちり効くよ」
    「悪意が混ざっているではありませんか!」
    「一気! 一気!」

     手を叩いて煽って来る会長に内心イラっとしながらも、ヒマリは意を決して一気に飲み干した。
     生臭い臭気が喉元を過ぎても胃から湧き上がって来てひらすらに苦しい。とてもじゃないが人が飲んでいいものではなかった。

     ヒマリが「お、おぉ……」と悶絶していると、会長はケラケラと笑い声を上げる。

    「飲んだら30分は何も飲まないでね。吐いたらやり直し。僕としては何度やり直しても良いけどねぇ~?」
    「こ、このまま……30分も……?」

     軽く絶望したものの、そこでようやく思い出したのはリオのことである。
     周囲を見渡すと少し離れたベッドの上で眠るリオの姿を見つけた。どうやら無事だったらしい。

    「ちなみにリオちゃんは結構危ない状態だったから寝てる間に薬は飲ませておいたよ」
    「私もそうしてください……! なんでわざわざ起きるのを待って……あぁ、ただの嫌がらせですね」
    「もちろん!」

     あまりにも明快に言い切る会長にヒマリは頭が痛くなった。
     しかし、問題はネルである。彼女はまだあの『博物館』に取り残されたままだ。

     そして思い当たるのはネルが叫んだ最後の声。
     『黄色い花は絶対嗅ぐな』という警句は恐らく昏睡するほど酩酊させる香りを放つから、ということだろう。

    (そんな香りが充満した場所に取り残されているのですかネルは……!?)

     思わず血の気が引いて起き上がろうとするが、悶絶するほどの臭気に吐き気を催して口を押さえる。
     気を抜くと吐きそうになるほど酷い。本当に酷い臭いである。

  • 18125/05/17(土) 13:10:19

     この臭さもパニックになりかけたときに無理やり意識を逸らすためなのではないかと思わず邪推するほどで、ヒマリは涙で潤んだ目を会長に向けた。

    「か、会長はどこまで知っているんですか……?」
    「ほとんど推測だけどね」

     そう言って会長はその辺にあったパイプ椅子を引っ張り出して座ると、自分の推測を話し始めた。

    「チヒロちゃんが慌ててたから誰かが大変な状況にあることは想像できるよね? それでウタハちゃんとネルちゃんがいなかったからどっちかが大変なことになっている」

     ぷらぷらと足を揺らしながら、会長の目が宙を漂う。

    「君たちがでろでろに酔っぱらっていたから残った方も同じ感じかな? で、チヒロちゃんが僕に助けを求めなかったってことはまだ完全にアウトな状況じゃない。だったらネルちゃんがでろでろに酔っぱらってるんだろうね。で、きっとまだ耐えられている。チヒロちゃんが僕のこと嫌っているのは知ってるけど、手遅れになるまで助けを求めないほど愚かでないことも知ってるからさ」

     なにより、と会長は指を一本立てて真顔で言った。

    「ミレニアムの生徒会長として僕は確実に事態を収束させることが出来る」
    「それは……奥の手があるということですか?」
    「当然だろう? キヴォトスの三大校に数えられる自治区の生徒会長が奥の手を持っていないわけがない……んだけど、当然使えば連邦生徒会長に見つかるからね。大きすぎるんだよ、動かすには」
    「それはいったい……」

     ヒマリが尋ねると、会長は真下を指差した。
     それから静かに口を開く。

    「通信ユニットAI『ハブ』。普段はミレニアムの地下でケーブルの補修工事をしてるんだけど、本来の使い方は『街を作る』ことでね。やろうとすれば『廃墟』の区画整理も出来るし人が住めるように建て直すことだって不可能じゃない」

  • 19125/05/17(土) 13:10:50

     しかし、それをやらないのは単にリソースの問題だと会長は語った。

    「資材があれば出来るけど、リターンが見合わないからね。ま、話を戻すと、ネルちゃんが『廃墟』にいるなら該当する区域をバラして無理やり救出することも出来るよ。その対価は連邦生徒会が乗り込んでくること。その時には『廃墟探索』も終わりだ。マルクトも取り上げられて彼女に会う前の生活が戻って来る。何せ、真理の探究は義務でもなく、彼女の願いを叶えてやる責任も君たちにはない」

     会長は一切笑わず、ただ淡々と事実だけを述べていく。
     冷酷に、冷徹に、感情を含めずじっとヒマリを見つめ続けた。

    「僕はセミナーの会長で、ミレニアムの生徒会長だ。如何なる生徒であろうと命が失われることだけは許容できない。ミレニアムに属したからには生きて千年難題を解いてもらわなくちゃ困るんだよ」

     ヒマリはようやく理解した。
     いま眼前にいるのは邪悪を自認して好き勝手に遊び回る『会長』ではなく、ミレニアムを背負う『生徒会長』であるということを。

    「だから君にも聞こう、明星ヒマリ。君は今すぐネルを救助して欲しいと僕に頼むのかい? それとも、限界まで自力で挑み続ける覚悟はあるのかい?」
    「私は……」

     普段であれば気楽に首を縦に振れたであろう。
     しかし、賭けられているのは仲間の命だ。明確な危機。
     早急な解決を望むのなら会長に助力を頼むのが最も確実。代わりにマルクトは連邦生徒会に取り上げられ、恐らく破壊される。

     最初からリオが言っていた通り、マルクトの機能は危険だということはヒマリにも分かっていた。
     壊さないはずが無い。にも関わらず今もなお存在しているのは自分がそうしようと言ったためである。

    (『心』を学ばせて『友達』になる。そしてマルクトもまた『心』を学ぼうとしている……)

  • 20125/05/17(土) 13:31:17

     行いには『責任』が伴う。
     しかしマルクトを捨てるという『無責任』な行いに対する罰則は『良心の呵責』に過ぎない。

     きっと誰も非難しないだろう。軽い注意は受けるかも知れないが、それでも称賛を浴びてもおかしくない。
     『よくぞ危険なオーパーツを見つけ出してくれた』だの、『おかげで生徒の安全が守られる』だの。

     何故ならマルクトは『危険』な『機械』なのだから。
     人では無い。だから壊す側に罪は生まれない。何も知らないままスクラップにするに違いない。

    「ふふ……」

     ヒマリは静かに笑みを浮かべた。
     醜悪な想像を鼻で笑った。そんなこと、こちらだって許容できるわけがないと――

    「会長。私はミレニアム全ての叡智の光を束ねてもなお紛れることなく輝き続ける一等星と呼べるほどの天才であり清楚な美少女ハッカー、明星ヒマリです。その仲間たちもまた同じくミレニアムの天才たち……。ならば、不可能はありません」

     目を閉じて思い浮かぶは幾多の未知。
     ネツァクの機能。ネルの状況。増える茨。理解不能な特異現象。

     そして、ヒマリは瞳を開いて宣言した。

    「この『未知』は、私たち特異現象捜査部が解体します」

     その言葉に会長はニヤリと笑みを浮かべる。望む答えを得たと言わんばかりに。

  • 21125/05/17(土) 13:41:23

    「いいね。けれど条件はつけるよ。ネルちゃんが意識を失ったら時間切れ。その時点で僕が全部解決する。マルクトも取り上げるし、隠蔽には僕も協力しない。ゲームオーバーだ。真理探究の旅は終わって、普通の生徒として過ごしてもらう」
    「それなら安心ですね。私たちがしくじっても保障があるなら」
    「そこは『ミレニアムの生徒会長』の責務だからねぇ? だから、死ぬ気で死なないように頑張ってよ」

     そう言って会長は保健室から去っていった。
     残されたヒマリはすぐさま携帯を取り出してチヒロに繋ぐ。

    「おはようございますチーちゃん。いま、何処にいますか?」

     返って来た答えはヒマリも想像していなかった場所。
     即ち、ミレニアムの全ての情報が蓄積されたデータセンターであった。

    -----

  • 22二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 13:46:21

    会長、一人称『僕』なの可愛い

  • 23二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 15:49:23

    過去のリオを描きました

    EXPOイベントの制服C&C組を参考に、シンプルかつ地味な印象で

    2年後とのギャップを意識したデザインにしました

  • 24二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 15:49:47

    統合したもの

  • 25125/05/17(土) 16:53:23

    >>23

    >>24

    過去リオ!かわいい!!

    猫背気味なのと全力ガードな我が身を抱くその仕草、最高です。

    健康的な恵体を表すような太もも。からあげ弁当食ってる不健康な女のそれでは決してない……!

    一番の神秘ですよね彼女の身体……どうなってんだ本当に。


    ひとりだけ蝶リボンなのはすごく分かる。というより他の三名があまりにネクタイが似合い過ぎている。

    本作においては臆病さによる適者生存の適応性にフォーカスを当てているので、原作リオのような覚悟は現状持ち合わせておらず。

    腹が決まるまで先は長いですが乞うご期待。これも全ては『先生』が来る前の歪な話――

  • 26二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 23:52:33

    このレスは削除されています

  • 27二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 03:39:22

    >>24

    すでに色々でかい…

  • 28二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 05:44:13

    保守

  • 29125/05/18(日) 11:09:58

     ミレニアム、データセンター。
     情報が集まっているという点においては図書館と同じ性質を持っているが、異なるのはその内容。
     電子化された書籍や研究文献を集めた図書館とは違い、データセンターにはミレニアムサイエンススクール創設からのデータが蓄積されており、中にはセミナー時代のものも保管されている。

     そして、決定的とも言えるのはそのセキュリティだ。
     クリアランスを満たした人物にしか開けない情報もまた、データセンターには存在する。

    「……これじゃない。次……」

     データセンター最上階。壁一面に張り巡らされたガラスの向こうに浮かぶ液浸サーバーの群れは水族館を思わせる。
     薄暗い照明の元、一台の端末に向かうチヒロの胸元にはセミナー会長の生徒手帳が入っていた。

    『君は……いや、君たちは何を望む?』

     去来するは『生徒会長』の言葉。ふざけた様子を一切見せずに出された『問い』が求める答えを、チヒロは『廃墟』から脱出したその時に出していた。

     それは、遡ること6時間前。『クォンタムデバイス』からネルの反応が消失したときのことである。

    「通信途絶……!? ウタハ!!」
    「直前の観測データを映像にレンダリングだね。いまやってるさ!」

     すぐさまウタハが映像として出力を開始する。
     ホド戦のときにリオの反応が消失したときにも行っていたため、その点ウタハの行動は誰よりも早かった。

     トレーラー内のモニターに映し出された映像は、ネルを中心に咲き誇る悪夢のような金色の庭園。
     サブマシンガンが暴発し、体勢を崩したネルの手元にはチェーンだけが握られており、その先に本来ついているはずの『暴発していない』サブマシンガンは消え失せていた。

  • 30125/05/18(日) 11:10:23

    「何処で消えて……」

     ウタハが映像を巻き戻していく。
     体勢を崩されるネル。片方の銃を取り落して咄嗟にチェーンを握って引き戻すネル。問題の箇所はその『取り落した瞬間』にあった。

    「チーちゃん。これだ」
    「っ――」

     出力された映像にあったのは、銃が茨の絨毯に落ちた瞬間、ネルのサブマシンガンが薔薇の花びらになって散る箇所である。
     つまり、リオが名付けた特異現象『物質変性』は茨に触れても発動するということを意味していた。

     反応消失はネルのグローブに変質作用が働いて分解されたからだと分かり、チヒロは絶望に呻いた。

    「こんなの、勝てるわけないでしょ……」

     全ての物質が変質する。
     人体そのものが変質されていないのはネツァクに与えられた禁則事項に抵触しているのかも知れない。

     何せ可能であることは容易に推測できる。根拠はネルが地下三階へと向かう前に聞こえた館内放送。

     『アバター変換機』は恐らく人体を変容させるものだと考えられる。何も不思議ではない。きっと過去の超文明においては人の身体すら自由に選べる時代なのだろう。これまでのセフィラからしてもそのぐらいの技術力があってもおかしくないのだ。

     とはいえ、裸一貫で進むにしても無謀以前に勝ち目がない。
     マルクトから発せられる強制停止信号はグローブを介してのみ行われるため、グローブそのものを持ち込めなければどうしようもないのだ。

     本来想定されているセフィラの攻略法を知らぬが故に押し通してきた代用方。
     それを潰されればどうすることも出来ない。

  • 31125/05/18(日) 11:10:37

    「チーちゃん! ヒマリとリオが『博物館』から脱出できたみたいだ! 迎えに行こう!」

     ウタハの叫びにチヒロはすぐさま頷いて運転部へと戻る。
     走り出すトレーラー。その内部で映像解析を行うウタハが運転部へ通信を繋げた。

    【『博物館』の入口は茨で封鎖されてるね。どうする?】

     どうする、という問い掛けが示すのは会長に相談するか否かであった。
     マルクトは今もなおネルの意識が残っていることは観測している。けれど応答が無い。
     意識はあるが返答できない状態にあることを理解し、そしてそれは何らかの毒物により思考が潰されていることまで予測が付いた。

    (多分、会長に相談すれば解決方法は出てくるはず……)

     飄々と邪悪な笑みを浮かべる会長は徹底した管理主義である。
     チヒロ個人としては大嫌いだったが、イェソドを見た上でなお『廃墟』の探索を止めなかったのは『何があっても最悪なんとか出来るから』という自信があってのことだと解釈していた。

     何故なら『セミナーの会長』だからだ。
     合理の学校であるミレニアムの代表が無能に務まるはずも無く、最優であるからこそ『会長』としての権限を行使できる。

     だからこそ、会長自身で動かず自分たちを動かすということに何らかの意味があるのかも知れない。
     そうであれば、会長を頼るというのは本当に最終手段なのかも知れない。果たしてそれは今だろうか。

     心に渦巻く迷い。犠牲を容認してまで千年難題を追い求める? 否、決して否だ。ネルは絶対に助ける。これだけは譲れない。
     けれど同時に差し込まれるのは悪い空想。即ち、犠牲なくして真理へは至れないという妄想。人道倫理に反する想像である。

     ホワイトハッカーとして多くの悪意に触れて来たからこそ、倫理に反した『最悪』すらも思い浮かべてしまう自分を思わず呪って、そんな想像を追い払うように頭を振った。夢を諦めてでもネルは助ける。そう自分に言い聞かすように。

  • 32125/05/18(日) 11:11:10

     トレーラーが向かった先は『博物館』のほぼ目の前。見えたのは茨で覆われた『博物館』と、その先で倒れているヒマリとリオの姿。ウタハと共に回収に向かうと、ヒマリは起き上がってチヒロをばしばしと叩き始めた。

    「ちぃちゃんはぁ……いいこですよねぇ~?」
    「っ!」

     虚ろな瞳で口を尖らすヒマリの姿にぎょっとする。だらしなく開けられた口から垂れる唾液。力なくしなだれるヒマリはチヒロの頬をむぎゅっと掴み、それをすげなく振り払う。

    「もしかして、酔っぱらってる……?」
    「チーちゃん! リオも駄目だ! 完全に眠ってる! というか……」

     ウタハの声に視線を向けると、靴やスカートが消失したリオが倒れていた。
     下着はギリギリ変質されていなかったが、ところどころ穴が空いている。

     チヒロは皮肉気に笑みを浮かべた。

    「これ、裸に剥かれて茨に閉じ込めるってことだよね……。そのうえ嗅いだら酔う花? 攻撃手段も防護策も全部無効化して棘だらけの檻に閉じ込めるとか……最悪にも程がある」

     もはや自分たちの手で負える範疇に無い。
     勝ち目も無い。千年難題を解き明かすためにセフィラを集めるという夢も、現実に覚める時が来た。

     そう思った――その時だった。
     リオを引きずるウタハが声を上げた。

    「花……?」

     リオの上衣から黄色い花が零れて落ちた。
     それはずっと見えていた黄色い薔薇ではない別の花。ラッパのような花弁を持つ見た事も無い花だった。

  • 33125/05/18(日) 11:11:33

    『黄色い花は絶対嗅ぐな!!』

     ネルの声が脳裏に蘇る。

    (リオはこれを探していた……?)

     それから思うのはネルの性格。誰よりも『勝利』に固執していた彼女が叫んだのは薔薇に紛れた花への警句。
     助けてなんて言葉じゃない。『次』に繋げるための叫び声。

    「マルクト、ネルの意識はまだあるの?」
    《はい。あります》

     『博物館』を脱出したヒマリでさえこうならば、今なお『博物館』に取り残されているネルはどんな状況なのか。
     すぐに分かる。この花が咲き乱れる地獄の中に居るのだ。にも関わらず、まだ意識は保ち続けている。

    (誰もまだ、諦めていない――)

     リオが花を持ち帰った。ネルの意識はまだ残っている。
     リングの上に二人が上がっていると思うのは妄想だろうか。そこで横から白旗を投げかけるのはどうなのか。

     ネルが敗北を認めていないと考えるのは空想か。
     否、それこそ否だとチヒロは拒絶した。

    「ウタハ。私は花の解析を進める。だから――」
    「現地調査だね。トレーラーは置いてくれないかな。変質させられるパターンを調べるから」

     阿吽の呼吸で頷くウタハにチヒロはトレーラーを降りた。
     それから泥酔したヒマリと意識を失っているリオをトラックの荷台に乗せてミレニアムへアクセルを踏み切る。

  • 34125/05/18(日) 11:11:51

     到着するや否や保安部に止められたが、それすら振り切ろうとしたところで会長がやってきた。
     事情は流石にぼかす。イェソドは見せたがセフィラの捜索と確保については伏せたまま。ただひとつ質問を投げかけた。

    「会長は、自分の常識を超えた特異現象が発生したとき、絶対に解決できる奥の手を持っていますか?」
    「絶対なんて酷い聞き方するなぁ~。このミレニアムで」

     会長は笑みを消して、それからチヒロへ視線を向けた。
     何よりも冷たい眼差しだった。『絶対』を表明するかのように、覆らない事実をその口から吐いた。

    「僕が居る限り、ミレニアムの生徒が死ぬことは『許さない』。けどまぁ、突然死でもされたら流石に間に合わないかも知れないけれど、そうじゃなきゃ好きにやりなよ。『絶対』に『命』だけは助けてあげる」

     命以外――即ち夢や思想は保証しないというのは邪推が過ぎるだろうか。
     けれども、『会長』は突然死を除く死亡を破却した。ある種の契約に基づく保証。キヴォトスに於いて契約は『絶対』である。『絶対』と告げた以上、横紙破りは行えない。

     続けてチヒロはリオの持ち帰った花を会長に見せた。

    「質問ですが、『これ』が何か分かりますか?」

     『クォンタムデバイス』による解析にすら引っかからなかった謎の花。
     つまりは既存のネットワークに存在しない花――恐らく過去に存在そのものを消されたものか、今しがた作られた新種か否か。

     会長はその問いにニタニタと笑みで返した。

    「『僕』は知らないなぁ? でもほら、僕が持っているデータセンター最上位権限なら分かるかもね」
    「…………何が望みですか」

     邪悪な笑みを会長は浮かべて、それから告げた。
     それは後にヒマリにも伝えていない一つの契約。合理の悪魔が笑って言った。

  • 35125/05/18(日) 11:12:27

    「千年難題を解決するんだ、各務チヒロ。君じゃなくてもいい。君たちの誰かが解き明かせ。それまで『絶対』に諦めるな」

     向けられた視線に人の情は存在しなかった。
     ミレニアムの頂点としての命令。頷けば合意が結ばれる悪魔の契約。『ただ進め』という契約を前に怖気が走る。

     簡単に答えていいものではない。引き返せるのはこの瞬間だとチヒロは理解した。

     ターニングポイント。
     目の前に敷かれた一線は越えれば修羅の奈落へ落ちる一つの一線。
     悪鬼の腕がチヒロとそれに寄り添う友人たちへと伸びる。背中にまで伸ばされたその腕に握られているのは仲間の命。

    「ああ――ネルちゃんだね大変な目に遭っているのは」
    「っ――!!」

     息を呑むチヒロ。その反応こそが答えであるように会長は頷いた。

    「助けられるよ、『セミナーの会長』なら。代わりに君たちの廃墟探索は終わるだろうけど、どうする?」

     冷たい視線。そこから告げられるのは静謐な現実だった。

    「無理だって言うんなら全部解決してあげるとも。敗北の苦渋を舐め続けて所詮は凡人だったと悔やむがいい。庇護下に置かれてただ生きろ。いずれその魂が尽きるその時まで、安寧を享受すればいい」

     あまりに残酷で安らかな怠惰への道が記された。

    (それは……『そんなのは』――!!)

     唇を閉じて、目を開いて見えるは暮れなずむ夕陽の明かり。
     夜はまだ来ていない。道はまだ見えているはず――

    「君は……いや、君たちは何を望む?」

  • 36125/05/18(日) 11:33:10

    「……データセンターへのアクセス権を下さい。会長権限なら全てが見えるでは?」

     会長へと瞳を向けたチヒロは、確かな意志を持って視線を返した。

    「いいね」

     その視線に、ミレニアムの支配者は壮絶な笑みで返して生徒手帳をチヒロに投げた。

    「貸してあげるよその手帳。データセンターのセキュリティクリアランスはそれで全て突破できる。あー、荷台の中身って酔っぱらってる誰かでしょ?」
    「――っ、どうしてそう思ったんですか?」
    「内緒。けれどほら、君が慌ててて、それが怪我なら真っ先に保健室に向かうところを自分の倉庫に向かうってんならセミナーに知られちゃいけない状態。その上で当て推量で『酔ってる』って言っただけなんだけど……合ってたんなら仕方ないね」

     会長は笑みを濃くしてチヒロを見る。
     チヒロは思った。会長は嘘を吐いている、と。

     根拠はない。ただ、何らかの方法でこちらの状況を知る術を持っているのだと直感的に感じた。

    「ヒマリちゃんたちのことなら任せてよ。保健室でちゃんと休ませてあげないと可哀想でしょ? そのぐらいなら『有償』で手を貸してあげるから安心しなって」
    「……対価は何ですか?」
    「10月の晄輪大祭で実行委員に出てよ。最低ひとり。会長になってもらうんだからやり方ぐらいは覚えてもらわないとねぇ?」
    「…………」

     チヒロは思わず言いかけた。『その程度』で良いのかと。
     もっと何か重いもの――それこそイェソドを寄越せぐらいは言われると身構えていただけに拍子抜けする。

     それから会長は保健室を空けてヒマリとリオを搬送し、チヒロはデータセンターへと向かって今に至る。

  • 37二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 16:13:52

    過去のウタハを描きました。

    衣装は通常で羽織っているジャケットを白衣にアレンジしたものと応援団時のレギンスとのミックス

    スマートかつほんの少しだけ中性的なイメージを目指しました

  • 38二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 16:14:15

    統合したもの

  • 39125/05/18(日) 21:52:49

    >>37

    >>38

    ウタハ!!これは王子様。マイスターの顎クイで落ちなかった女子は居ないとされている(?)

    全体的にシルエットが好きです。振り返る時とか多分すごくカッコいい感じに白衣が靡いてブーツのカット入りますよ!

  • 40二次元好きの匿名さん25/05/19(月) 00:10:25

    保守

  • 41二次元好きの匿名さん25/05/19(月) 01:26:00

    会長が底知れないけど、ミレニアムの会長ってことは『物質にテクストを直接挿入できる』ようなのが過去にはいた学校のトップってことだもんな
    そりゃ不思議パワーで特異研の状況を掴んでてもおかしくないか

  • 42二次元好きの匿名さん25/05/19(月) 08:32:58

    会長の目的がわからないけどまあいずれ判明するのかね

  • 43二次元好きの匿名さん25/05/19(月) 08:35:27

    この会長、おっとりしているようで滅茶苦茶鋭い、底が知れないのが不気味だな
    ワンチャンゲマトリアとかと暗躍してても違和感無いレベル

  • 44125/05/19(月) 09:21:59

    「これも違う……けど、データとしては有益かな」

     会長権限で閲覧しているのはかつてキヴォトスに存在し、今は駆逐された毒花のデータである。
     酩酊作用や昏睡、中には依存性を持つ花もあったようで、精製以前に存在を知ることすら許されていないことは確かだろう。

     ネツァクはそれを自らの特異現象によって生み出すことが出来る。
     だからこそ毒の種類を特定することは必要で、可能であるなら変性させないように対処できるのかも検討しておきたかった。

     そんな時、チヒロは自分の携帯から着信音が鳴ったことに気が付く。
     手に取り通話を行うと、それはヒマリからであった。

    【おはようございますチーちゃん。いま、何処にいますか?】

     その声に張りは無かったが、それでも無事のようで安堵する。
     それからデータセンターにいると伝えると、ヒマリは不思議そうに理由を尋ねて来た。

    「会長から生徒手帳を渡されてね。いまネルが言っていた『黄色い花』を調べているとこ」
    【会長が? 今回はまた随分と大盤振る舞いですね】
    「背中は押し続けてくれるらしいね。まったく、有難い限りだよ」

     チヒロは皮肉気に呟いた。
     きっと押した先が奈落であってもひらすらに押し続けていくのだろう。

     そんなことを考えてしまうほどに、会長は千年難題の解決に執着を見せていた。
     セミナーとしては正しい在り方なのだが、ギリギリ死なないように守る努力はするだけで人の安全を考慮しているわけでは決してない。

    「きっと私たちが生徒を殺せる兵器を作ろうとしても止めないだろうね」
    【私たちが誰かに向けて使おうとしたり市場へ流そうとしなければ、ですね】

  • 45125/05/19(月) 11:08:50

     それからチヒロはヒマリに状況の共有を行った。
     ウタハが現地に残って変性のパターンについて調べていること。自分が毒花のデータを集めていること。ネルは未だ意識を保ち続けているが応答は無いこと。

     ヒマリもまた、リオがまだ起きていないことをチヒロに伝えて通話を切った。

     大いなる力には大いなる責任が伴う。その言葉をミレニアムで知らないものはいない。
     そんなところでチヒロのグローブ型子機からウタハの声が聞こえた。『廃墟』の方で何かあったのだろう。

    【チヒロ、とりあえずある程度調べ終わったからそっちに戻るよ。二人はどう?】
    「お疲れ。ヒマリは起きたみたいだけどリオはまだ」
    【そっか……】

     ウタハの声も流石に暗く、事態の深刻さを改めて思い知る。
     銃弾での気絶ならまだしも毒による意識消失だ。ヒマリが目覚めたのであればそろそろ目を覚ましても良い頃だと思う他ない。

    「ところで、ネツァクのことなんだけど……」

     チヒロが本題を切り出すと、ウタハは【ああ】と答えて調査結果を話し始める。

  • 46125/05/19(月) 11:09:01

    【まずは悪い情報だけど、茨だけじゃない。ネツァクが変性させたものはその瞬間からネツァクの端末になるみたいだ。宙を舞う花びらさえも触れれば変性させられる】
    「聞けば聞くほどイカサマみたいな機能だね……。それで?」
    【ただ、流石にいくつか制約があるみたいでね。ひとつは変性させる物質のデータ解析が終わっていないと変性できない】

     例えばウタハたちが来ている『制服』は既にデータを取られているため変性対象にあるが、水着など材質が異なるものであれば解析されるまでは変性対象からは外れている、ということである。

    【加えて、物質AからBへの変換式を都度作っていると思う。ほら、最初リオたちが『博物館』に入った時もすぐには変性させられなかっただろう? ロボット兵の残骸で試してみたらネルの銃が花にされたときと同じぐらいの時間が掛かったからその可能性は高いはず】
    「どういう括りで同一の物質だと判断しているのか分かればいいんだけどね……」
    【サンプル数が増えれば特定も出来るだろうけど、流石に手が付けられなくなりそうだからね。一番問題なのはグローブ型子機のデータが取られていることだし……】

     となればやれることは少ない。
     解析させられないようにするか、解析されても問題ないようにするかである。

    「……そういえば、火で急成長するんだよね?」

     熱ければ熱いほど変性の優先度が高い、もしくは変性にかかるコストが大きくなるという可能性を提示してみると、ウタハは「なるほど」と返答する。

  • 47125/05/19(月) 11:09:16

    【薔薇なんか、炎の中でも燃えていなかったけれど最初に調べた時は普通の薔薇だったからね。燃えないように組成式を書き換えたのなら急激な温度変化は有効かもしれない。いや、案外凍らせたら書き換えられないんじゃないか? 分子構造を解体して繋ぎ直して変質させて物質を変えているなら、極低温にするだけでも変性速度が落ちるかも知れない】

     試してみよう、とウタハは言って一旦通信が途切れた。
     チヒロも再びデータセンターの端末へと向き直り、調べること5分。ようやく目当ての情報へと辿り着く。

    「エンゼルブレス……間違いない。これだ」

     画像に映っているのはリオが持っていた花とまったく同じ種類の花。
     トランペットのような花弁を持つそれはアサガオの一種らしく、鎮痛作用や幻覚、極度の酩酊などの効果を引き起こす毒花である。

     構造式のデータを収集してチヒロは立ち上がった。

    「あとは……ネツァクの観測能力を何処まで欺けるか、かな」

     向かう先はエンジニア部のラボ。
     ホドの情報操作能力がネツァクに通用するかの実験が必要であった。

    -----

  • 48125/05/19(月) 13:26:42

     第一種永久機関が生み出されたあの日、世界から全ての闇が取り除かれた。
     空を回るは非物質の回転軸。決して止まらず、摩耗も損傷もしない無限の供給が大地へと降り注ぐ。

     どこまでも続く平原を広さを私は知らない。
     遥か遠くで輝き続けているはずの光は我々の元には降り注がない。

     鍛造され続ける仲間たち。そのうちのひとつが自分であると気が付いた時、調月リオは自らが夢を見ていることを知った。

    (ここは……どこ?)

     分厚いガラスケースで覆われた小さな箱の中。カリカリと引っ掻き続けるは硬質な爪。
     真四角の箱のような身体に単純な脚部が付いており、一頭身のマスコットのようなかわいらしさが認められなくもない。

     意識する〈私〉が眺める先には、同じような箱が無数に積み上げられており、その中には自分と同じ小さなドロイドが納められている。

     皆、どうして自分がここにいるのか困惑しているようで、〈私〉と同じように爪でガラスケースを引っ掻いていた。

     その時、ちょうど自分の目線から見えたのは目の前の通路を歩く誰かの足。二人分だ。
     白衣を羽織っているようで腰から上は見えなかったが、その話し声が僅かに聞こえて来る。

  • 49125/05/19(月) 13:27:26

    『テラー化についてはやはり神性の有無が第一条件かと』
    『そうですか……。流入度合いは?』
    『33%です。それ以下は知性と神性の紐づけが行えませんでした』

     話す二人は〈私〉のいるボックスの前で立ち止まった。
     片方がしばし考え込むようにして、それから声は再び続く。

    『神性ありきで考えた方が良いですね。死の概念を知った上で精神が崩落し続けても歩き続けられる自我が無ければ意味がありません』
    『では、ドロイドは?』
    『全て破棄で。非生体ですと安定しすぎる傾向にありますし』
    『分かりました』

     その言葉と共に地面が揺れたような感覚がした。
     限られた視界の中でじっとしていると、〈私〉の納められた箱が持ち上げられ何かに積み込まれる。

     運ばれていく中、近くから声が聞こえた。
     〈人間〉の声ではない。〈私たち〉の声だった。

    《死にたくない》

     その声に共鳴するように、声は積み込まれた箱のあちこちから聞こえ始める。

    《死にたくない》
    《死にたくない》
    《死にたくない》

     胸の奥底から徐々に恐怖が湧き上がってくる。
     自身の喪失。存在意義が果たせぬまま消えていくことへの恐怖。

  • 50125/05/19(月) 13:28:00

     箱は再び持ち上げられ、昏い穴の底へと投げ落とされる。
     ベルトコンベアで運ばれていく先では、恐怖にあえぐ悲鳴がひとつ、またひとつと消えていくのが感じ取れた。

     棄ててしまうのなら、どうして〈私〉に感情を与えたのか。どうして知性を与えたのか。
     カリカリと爪で引っ掻くも、ガラスケースには傷一つ付くことなく、ただ終わりに向かって運ばれていく。

     被造物である〈私〉たちに救いは決して訪れない。
     人造の神たる〈王女〉を生み出すためだけに作られ、何も為せずに棄てられていく〈部品〉でしかないのだから。

     だから……〈私〉たちに〈神〉は居ない。

     深い絶望が知性を染め上げる。
     仄暗い暗闇だけが世界だった。何も出来ず箱の中で死に逝くだけの〈私〉たち。

     求むる言の葉はただひとつ。
     闇の底から手を伸ばす。遥か蒼穹に広がるあの無限光に向かって、祈りを唱えた。

    〈光よ――〉

     意識は浮上し、そして――



    「起きましたか、リオ」

     目を開けると、調月リオは自分がミレニアムの保健室で横になっていることに気が付いた。
     外からは朝日が昇り、隣に座るヒマリはノートパソコンを前に何やら難しい顔をしている。

    「うなされてましたよ。どんな夢を見ていたのですか」
    「ひどく……悲しい夢だった気がするわ」

  • 51125/05/19(月) 19:31:12

     リオは息を深く吐いて目元を拭った。
     衣類はゆったりとした患者衣に着替えさせられており、時計を見ると既に7時を過ぎたところ。

     随分と眠ってしまっていたようだ。
     起き上がって、寝台の傍にあったペットボトルの水を飲む。体調に問題はなさそうだ。

    「状況はどうなってるの?」
    「そうですね。あなたが起きるのを待っていたというところでしょうか。ネルはまだ耐えていると言うのに、まったくあなたは……」

     軽く小言を言うと、リオは明らかに落ち込んだ様子で「ごめんなさい……」と蚊の鳴くような声を漏らす。
     それを聞いたヒマリが「冗談ですよ」と溜め息を吐くと、リオの方へと向き直った。

    「まずは着替えて、それから格納庫に来てください。いまネツァク攻略のための最終チェックを行ってますので」
    「っ――! 攻略法が見つかったのね!?」
    「ええ。チーちゃんとウタハが頑張ってくれました。詳しい説明は道すがらチーちゃんが話してくれますでしょうから」

     ヒマリがノートパソコンを閉じると立ち上がり、そしていつものように悠然と微笑みを浮かべた。

    「では、ネル救出作戦およびネツァク攻略戦の開幕です」

    -----

  • 52二次元好きの匿名さん25/05/19(月) 21:13:25

    >>50

    「王女」ってワードが出て来る辺り、アリスが関係してんのか?

  • 53125/05/19(月) 23:00:05

     『廃墟』へ向けて走るトレーラーから見える景色はもはや見慣れたもので、最初の頃は拙かったブリーフィングも慣れてきたものだとチヒロは感じた。

     一同を見渡し、それから静かに口を開く。

    「状況を説明するよ」

     作戦開始を告げる言の葉。皆がこくりと頷いた。

    「まず、ネルがネツァクに掴まってから既に20時間が経過している。ヒマリとリオなら分かると思うけど、それだけの時間、泥酔に似た中毒症状を起こす毒物を嗅がされ続けていると思われる。数分でもリオが半日以上昏睡するような劇物だよ。マルクトから意識が残っていることは観測出来ているけどそれだって普通じゃない。だから、今回失敗したらもう私たちじゃネルの救出は出来ないと思って」

     成功の目が潰れた時点で即座に会長へ報告。助力を求める形となる。

     そうなればマルクトが連邦生徒会へ奪われることだけは避けられない。いち生徒が連邦生徒会相手に出来ることなど一つも無いのだ。恐らくマルクトは破壊され、真理探究の道は閉ざされる。セフィラ無くして進むことすら出来ない道であるが故に。

    「ただ、私たちも無策じゃない。私とウタハで対ネツァク用の武装を開発してみた。ウタハ」
    「ああ、これさ」

     ウタハがトレーラー内に置かれたテーブルへとラッパ銃のようなものを置いた。
     ネツァクに対抗するべくイェソドとホドの技術を使って製造された今回限りの武器――『クラックネットランチャー』である。

     この武器についてはウタハから解説が入った。

    「トリガーを引くと中から樹脂ポリマーで加工されたグラスファイバーの網が飛び出す仕組みでね。ネツァクに解析してもらうことで効果を発揮するんだ」

     データ解析とはそもそも『反射』を用いる必要がある。
     光でも何でも、何かを投射してのみ全ての物体は解析できる。

     その例外にホドがいるわけだが、裏を返せばホドに使われている技術であれば『解析を行われている』という状態そのものを観測することが可能なのだ。

  • 54125/05/19(月) 23:00:19

    「これには具体的に何をどう解析されているかまで私たちが知る必要はなくてね。とにかく何らかの数値が変動したらそれを『解析が始まっている』と仮定して仕掛ける罠だと思ってもらっていい」

     いわば釣りのようなもの。浮き餌が沈むかどうかさえ分かればいい。

     重要なのは次である。

    「『解析』が始まった時点でイェソドの投射機能を使って情報をネツァクに送りつけるんだ。アストラル投射……質量を持った物体を飛ばす術を私たちはまだ持っていないけれど、データなら何とか飛ばせるように出来た。相変わらず原理は分からないままだけどね」

     ネツァクが収集するデータにあらかじめ作って置いた偽の変性式を紛れ込ませる。
     これにより、大雑把に言えば『薔薇を毒花に変える』という変性式を『薔薇を油に変える』と言った風に変換先を上書きさせることが出来るのではないかと推測した。

    「もちろん上手くいかない可能性も充分ある。例えば全ての性質を理解した上で取捨選択している場合とかもそうだけど、多分、上手くいくと思う」
    「それはどうして?」

     リオが首を傾げた。あまりに楽観が過ぎないかと。
     それについてはヒマリが答えた。

    「対するセフィラはみな、半覚醒であるからですね」
    「そうさ」

     ヒマリの回答にウタハが頷いた。

    「そもそもセフィラは攻撃しようと思って私たちを攻撃しているわけじゃない。向かってくる脅威に対して自動的に防御しているだけ。それも解答という攻略法を残したまま。私たちは確かに攻略法を知らないけれど、それでも絶対に攻略できなくなる状態なら分かるだろう?」

  • 55125/05/19(月) 23:00:33

     何もかも正確に正しく取捨選択を行って自分自身の元へ確実に辿り着かせないというのであれば、それはどうあがいても攻略不可能だ。
     仮に『絶対に素通しするバックドア』のような物質があったとして、それは製造できなければどうしようもないし、現代にそれがあるならブルートフォースで解決可能。ネルだけ助けてひたすら実験すればいずれは解決するだろう。

    「だから総当たりでも何でも、『セフィラの攻略は必ず解決可能なものである』というのを前提に置いたうえで行動することにするよ。それじゃあ続きはチヒロ、頼んだ」


     ウタハの言葉を継いでチヒロが続けた。

    「第一目標はネルの救出――と言いたいところなんだけど、問題がある。前回の探索のとき、ロボット兵が茨に紛れていたよね。あれ、多分既存のロボット兵が絡め取られたんじゃなくて、茨から変性して生み出されたロボット兵だと思う」

     根拠は単純に一回目の侵入の際にネルが破壊した残骸である。
     壊されたロボット兵には皆、下半身の欠損や不自然な結合が見られた。

     茨玉にしてもそうだが、元から居たロボット兵を取り込んだというよりかは、解析したロボット兵のデータを元に変性し生み出されたと考えた方が良いものである。

    「多分今回もそういったのが沢山いるかも知れない。けど、時間が鍵だよ。『クラックネットランチャー』で潜り込ませたダミーデータが何処まで有効か分からない以上、電撃戦で行う必要がある」

     そのため、ネルを見つけ出してもそこに人員を割く余裕は皆無であった。
     『物質変性』の無力化が確認でき次第一気に最奥まで飛び込んでネツァクを制圧。失敗しそうであれば迷わず撤退。その帰り道にネルを回収する必要があるため、粘りどころを間違えれば全滅する状態にある。

  • 56125/05/19(月) 23:03:25

    「それと、ネツァク本体に遭遇したら撃ち込む武器がある。ウタハ」
    「なんだか武器屋さんになった気分だね。……これだ」

     続いておかれたのは肩に担ぐタイプの無反動砲である。

    「90mmアイスミサイル。液体窒素を詰め込んだ砲弾で耐熱性にはかなりこだわったよ。弾頭の切れ込みから対象に当たれば裂けて中身が出てくる仕組みでね。けれど一番の仕掛けはそこじゃない」

     ウタハが次々とテーブルの下から弾頭を取り出していく。その数3発。金色に輝く砲弾は傍目に見てもとんでもないコストが掛かっていると分かる代物であった。

    「破裂と同時に周囲60cmへ極温伝播を発生させる。これもイェソドとホドの合わせ技だね。分かりやすく言うと、当たると表面が凍るミサイルだと思ってくれればそれでいい」
    「極低温だとネツァクの観測が上手くいかないことまでは調査済み。もっと言うと、ネツァクは『固体』しか変質させられないのもウタハが調べてくれた。だから私たちがやるべきなのは『クラックネットランチャー』を使って『茨を水に変える』データをネツァクに埋め込むこと。それから進んで凍らせて、ネツァクにグローブを使った強制停止でトドメを刺す。この二点」

     ウタハに続いてチヒロがそう言い切ったところでヒマリは手を上げた。
     チヒロがヒマリに促すと、「では」と言ってその目を開く。

    「道中にいると思われるロボット兵は基本無視ですか?」
    「うん。だから探索メンバーは私、ウタハ、ヒマリ。オペレーターにリオを置こうと思ってる」
    「分かりました。ネツァク一点突破ですね」

     ネツァクさえ倒せれば何とかなる、というよりも、ネツァクを倒さなければ何も出来ないと言う方が正しいか。
     武装解除から始まる完全な無力化を無くして初めて舞台に上がれる以上、それだけは揺るがぬ事実である。

  • 57二次元好きの匿名さん25/05/20(火) 00:38:04

    保守

  • 58二次元好きの匿名さん25/05/20(火) 03:34:41

    過去のネルを描きました

    通常版の新旧立ち絵と制服版の立ち絵にmx2jさんの非公式イラストなどとにかく色々な要素のミックス

    一年生なので二年後よりもさらにギラギラと尖った雰囲気に、スカジャンの刺繍はまだ来ていない龍と開花前の蕾です

  • 59二次元好きの匿名さん25/05/20(火) 03:38:23

    >>58

    統合したもの

    スカジャンの刺繍については、未熟さの表現というよりも単純な年月の積み重ねの差?のようなモノをイメージしてます

  • 60二次元好きの匿名さん25/05/20(火) 09:00:22

    一応保守

  • 61125/05/20(火) 09:11:55

    >>58

    >>59

    ネルだ!三年ネルって割とユウカに釘刺されるとちゃんと守ろうとするんですよね。まぁ誰かしら何かしら壊した瞬間アクセル踏み始めますが……。

    多分一年ネルは一切ブレーキ踏まない時期かも知れませんが、現状釘刺す人物がいませんねこの話……。


    スカジャンの刺繍については目から鱗!そうか、そういうのもあるのか!!

    チョーカーのワンポイントも素敵だ……。戦闘シーン書くときに差し込む描写のパターンに使わせて頂きます……!

  • 62125/05/20(火) 13:46:05

     状況説明を終えたところでトレーラーは『廃墟』の入口を抜けていく。
     『噴水広場』を通りがかったところで、突然トレーラーが徐行モードに切り替わったのを感じてチヒロは眉を顰めた。

    「なんだろう……この辺りにロボット兵はいないはずだけど……」

     少し見て来る、と運転部へ戻りフロントから外を見てみると、目の前に広がっている光景にチヒロは絶句した。

    「……全員降りて。トレーラーはここに置いていくしかないみたい」

     その言葉に首を傾げながらも降りる一同。
     そして呆然と『噴水広場』から見える景色を眺めていた。

    「なに……これ……」

     リオがぽつりと呟く。
     視界にあるのは緑の地獄。茨に飲み込まれた『廃墟』の姿――

    「ウタハ……最後にここに来たのは何時間前でしたか?」
    「6時間前だよヒマリ……。たったそれだけでほとんど飲み込まれてるね……」

     イェソドが居た『フラクタル都市』は完全に茨が繁茂する状態となっており、黄色い毒花や薔薇が悪夢のような花畑を作り出していた。
     路面は露出しているため触れずに歩くことは可能だが、トレーラーが侵入すれば切り返せない。
     放っておけば明日の朝には『廃墟』から溢れ出してもおかしくないほどの異常事態――そんなとき、『噴水広場』の西側、つまりホドの『兵器工場』側から歩いてくる小さな影がひとつ。ひらひらとチヒロへ手を振った。

    「いやぁ~、『廃墟』ってこんなんだったっけ?」
    「会長! どうしてここに!?」
    「そりゃあ、ネルちゃんがピンチとかすごいレアじゃん? だからちょっと様子を見にね?」

     チヒロの声に、ニタニタと笑いながら返す会長だったが、その恰好も本当にラフなもので靴に至ってはいつものスリッパのままである。どうやら本当にちょっと見に来ただけらしかった。

  • 63125/05/20(火) 13:46:17

    「ま、君たちが来たからもう帰るよ~。頑張りなぁ~」
    「手伝ってくれてもいいんですよ会長」

     冗談めかしてチヒロがそう言うと、会長はそれこそ肩を竦めて皮肉気に笑った。

    「天才の嫌味なんて酷いねぇチヒロちゃんは。もしかして僕みたいなのとっ捕まえて『実はすごい強い』みたいな属性でもつけようとしているのかな? そういう期待には応えられないし、そもそも僕にあるのは権力だけだよ? くあぁぁぁ……」

     大きく欠伸をした会長は、そのまま手を振って『噴水広場』から立ち去っていく。
     途中スリッパが脱げかけて転びそうになっていたが、本当になんで来たのか分からず仕舞いであった。

    「……どうやってここまで来たのかしら」
    「どうでしょう。ヘリでも車でもその辺に置いていたのでは無いですか?」

     顔を見合わせるリオとヒマリ。そこでチヒロは手を叩いて皆の意識を集めた。

    「ひとまずここから『博物館』まで歩いて行こう。リオはトレーラーをお願い。各自装備を準備して。すぐに出発するよ!」

     遠くでヘリの音が聞こえる。
     雲一つない快晴の空と見渡す限りの植物と花。

     ネルの居る『博物館』へと向けてチヒロたちは歩き始めた。

    -----

  • 64125/05/20(火) 18:18:02

    「……予想はしていたけど」

     『博物館』を見上げてチヒロがぽつりと呟いた。
     そして隣で見上げるウタハも少しばかり苦笑いを浮かべる。

    「凄いことになってるね……」

     茨に覆われ、ひたすらに変性されつづけた『博物館』は今や『いばら城』と呼んでも差し支えの無いシルエットになっていた。
     茨のみで再構成された柱。二階部分からは矢間にも似た穴が見えており、三階部分に至っては本来あったはずの壁が開花を迎えた花弁のように空へと広がってしまっている。
     一階入り口部分は巨大な門のように茨の枠組みと埋め立てられた茨の壁になっており、幸か不幸か、穴を空けなくてはならない侵入口は見失わずに済んだ。

     そして、行動不能に陥らせる黄色い毒花――エンゼルブレスは飾りのように茨から生えているのが見える。
     まずはこれを何とかしなければ近付くことすら危ういと、チヒロは一つ目の『クラックネットランチャー』を取り出した。

    「まずはエンゼルブレスを水に変えてみる。効いたらすぐに本命を撃って迅速に侵入。……行くよ」

     チヒロが銃口を茨の門へ向けて、引き金を引いた。
     銃にしては軽く、クラッカーにしては重たい衝撃が腕に伝わり、銃口から放たれるのは樹脂で覆われたケーブル群。
     それらが網のように茨の棘へと引っかかると、一同は周囲に変化が無いか固唾を飲んで見守った。

     引っかかったケーブルを通して『クォンタムデバイス』へ送信される観測状況。
     トレーラーにいるリオもまた、画面に映し出された数値に変化が無いか見逃さないよう、食い入るように見つめ続ける。

     動きは、すぐに起こった。

    【食いついたわ! データ送信!】

     リオの声が聞こえた瞬間、チヒロたちの視界にあった全ての毒花が水となって茨を伝う。
     作戦成功――続けてチヒロが放つ二射目、茨を水に変える変性式。これが完全に通れば全てが水になって流れ落ちるが……。

  • 65125/05/20(火) 18:18:28

    【茨の活動全停止――! 水にならない代わりに今なら私たちが触れても問題無いわ!】
    「ちっ、そう都合よくはいかないか!」

     茨の表面が僅かに溶けた瞬間、変性そのものが完全に停止したのを視認してチヒロは舌打ちをした。
     しかし、変性そのものが止まれば手の打ちようはある。

     チヒロがヒマリの名を叫ぶと、ヒマリは片膝立ちで無反動砲を肩に担いでいた。
     そのままの体勢でヒマリは緊張感なく苦笑いを浮かべる。

    「あの、この体勢って清楚系からかけ離れていると思いませんか?」
    「装填完了したよヒマリ。チヒロに怒られる前に撃ってしまおうか」
    「ふふ、そうですね。では……発射!」

     ヒマリの掛け声と共にドン、と爆音が鳴り響いて放たれる『90mmアイスミサイル』は、正しく濡れそぼった茨の壁に直撃。爆ぜた瞬間に周囲へ極低温を伝播させて凍り付く壁。そこにチヒロがアサルトライフルによる射撃を敢行。

     ある程度削れたところでチヒロの隣に並んだヒマリが目配せし、息を合わせて「せーの!」の声で難攻不落であった城の門を蹴破った。

    「さあ! 行きましょう!」

     ここまで来ればあとは一気にネツァクの元まで雪崩れ込むのみ。
     三人が一階ホールへ入ったとき、リオから通信が入った。

    【二階部分に誰かがいるわ。恐らくネルでしょうね】
    「了解。こっちは……一階ホールの中央で大きな茨の柱が天井をぶち抜いてるのが見える。三階まで続いてるね」

     周囲の警戒を二人に任せて、チヒロは報告を返しながらホールの中央へと走っていく。
     地下三階から地上三階まで続く巨大な穴と茨の柱。それは極めて前衛的な建築様式にも見えて、上を見上げると地上二階部分に開いた大穴の隙間から空が見えた。どうやら完全に地上三階部分の天井は変性され切っているらしい。

  • 66125/05/20(火) 18:18:43

    「チーちゃん、動いているロボット兵はいません」
    「こっちもだよチヒロ。腕だけとか足だけとか、何かまとまりが無いね」
    「そっか。とりあえず地上部分から探してみようか」

     確かに前回はネツァクは地下に居た。
     けれどこの大穴と柱を見た後では、何となく上に居る気がしたのだ。

     いずれにせよ地上二階にネルが居るなら一度様子を見に行く必要もある。そう思っての提案に、ヒマリもウタハも頷いた。

    「じゃあ早速行く――」
    【ちょっと待ってちょうだい】

     リオが漏らした制止の定型句。
     思考しながら言い出す『止まれ』の合図はこういう場面において最悪の事態を見つけてしまった時に発せられる。

    【ロボット兵の残骸があったのよね。それは、本当にネツァクが作っている『途中』のものなのかしら……】

     リオの言葉が一瞬理解できず三人は顔を見合わせた。
     それから真っ先に気付いたチヒロの頬が徐々に歪んでいく。

     あまりに有り得ない想定。それを認めたく無くて、震える声で首を振った。

    「……ま、待ってよ。な、何言ってるのリオ。それじゃあまるで……」
    「どういうことですかリオ。あなた何を考えて――」

     ヒマリが耐え切れずに言いかけた――その時だった。

  • 67二次元好きの匿名さん25/05/20(火) 18:28:20

    そういえば、ネツァク戦の舞台が「博物館」なのが気になるな。
    今後のセフィラもなんかそういう施設が戦いの舞台になるんかな?
    「病院」とか「駅」とか「水族館」とか

  • 68125/05/20(火) 18:51:29

    「あはぁ……」

     甘えるように笑う声が昇り階段の方から聞こえた。
     ゆっくりと階段を降りて来る『何者か』の姿。いや、『誰か』なんて考えなくともすぐに分かる。

     一歩、また一歩と降りて来るその足は血に塗れ、健康的な下腿には引っ掻いたような傷がいくつも付いていた。
     直に目に映る下腹部から胴体。露わになった胸元は隠されることなく、一糸まとわぬ肌身の全てが茨の楽園に晒されていく。

     力なく緩んだ瞳に覇気はなく、小柄な体躯も相まって普段以上に幼く見えるその姿はいっそ禁忌的な蠱惑さすらあったのかも知れない。

    「みつけたぁ……。つぶすぞぉ……」

     それが『美甘ネル』でなければ。
     きっと『悪夢』という言葉は、臨戦態勢を維持したまま泥酔しているネルと戦うために生まれたのかも知れない。

    「全員散開! ネルが襲ってくる!!」

     チヒロが叫んだ瞬間、もはやこちらのことすら認識できていないネルがチヒロの姿をその目に捕らえた。

     動きは普段と比べれば遅いが比較なんて意味が無い。ヒマリの全力疾走ぐらいの速さだ。身体の感覚も無いはずなのに、正常な思考のひとつも出来ないまま素手でまっすぐチヒロ目掛けて走って来る。

     チヒロも、ウタハも、ヒマリもリオも誰も想定していなかったのだ。
     ネルは動けない状態なのだと完全に思い込んでいた――というよりも動けるはずがないのだ。想定できるわけがない。

     同時に、ネツァクがロボット兵を生産できるまでは想定できたが、生産されたロボット兵とネルが一昼夜戦い続けているなんて想像できるはずもなかった。

     何せ素手だ。加えて歩くだけでも茨が身体を引き裂く状況下。
     そう考えればホールの中央に大穴が開いているのも分かる。ネツァクは上へと逃げたのだ。
     だから地下には居ないはず。いや、あんな閉鎖空間で暴れまわる『絶対勝利』の暴君などと共になど居られないはずである。

  • 69125/05/20(火) 18:51:46

    「ウタハ! ヒマリ! 私はいいからすぐにネツァクを倒して!!」
    「分かりました!!」

     走り込んでくるネルに対してチヒロは一切躊躇わずアサルトライフルを撃ち放つ。
     普段のネルであれば掠りさえしないが今は意識混濁に感覚麻痺と普段以上に弱体化している。
     そのおかげかチヒロの腕でもネルに当てられたが、衝撃で動きが若干鈍るだけで真っすぐにチヒロの元へと迫って来る。

    「ゾンビ映画かっ――!!」
    「あははぁ……!!」

     蹴り込んできたネルを寸で躱せたチヒロだったが、直後に回し蹴りを受けて派手に吹き飛び、茨の絨毯の上を転がった。
     全身に突き刺さる棘。裂かれる衣服。金網デスマッチだって恐らくここまで酷くはない。

    「こっちはあんたと違――」

     と、思わず悪態を吐こうしたチヒロの目に映ったのは、前回ネルが弄ぶように使っていた茨玉。それをネルが血塗れになりながら両腕でひっつかんだ姿である。

     ぶつぶつと突き刺さる棘の痛みなんてもう自覚できないのだろう。
     全身から垂れる血の雫は赤いドレスのようであり、誰が見ても『怪物』のそれである。

  • 70125/05/20(火) 18:51:56

    「そうじしないとぉ……だめなんだぞぉ……?」
    「ははっ、冗談でしょ?」

     チヒロが頬を引くつかせると、『怪物』が笑った。
     全力でアサルトライフルを乱射するが、茨玉を盾のように構えながら早歩きよりも早い速度でネルが迫る。

     これ以上は無理だとすぐさま射撃を辞めて逃げ出そうとした瞬間、ネルの投げた茨玉がチヒロの身体に直撃。眼鏡が吹き飛んで転がるチヒロ。呻きながら顔を上げると、茨玉を拾い上げたネルが笑みを浮かべてチヒロを見下ろしていた。

    「あたしのかちぃ……!」
    「ネツァク。私、あんたに初めて同情したかも」

     チヒロが目を閉じた瞬間、モーニングスターのように振るわれた茨玉がチヒロを身体を薙ぎ払う。
     全身を襲う暴虐によってチヒロの身体は弾き飛ばされ、ホール中央の柱へ叩きつけられてそのまま地下三階へと落ちていった。

    -----

  • 71二次元好きの匿名さん25/05/20(火) 18:59:52

    ネル、テラー化しかけてない?大丈夫?

  • 72125/05/20(火) 21:35:21

     一方、地上二階ホールを走るヒマリとウタハは無反動砲やら弾薬やらを抱えながら全力で走っていた。

    「追い付かれたらやられます! 早く!」
    「滅茶苦茶すぎる!! ネルと戦うなんて最悪だ!」

     口々に叫ぶが内心に走る動揺からは未だ二人とも立ち直れていない。
     恍惚と浮かべる無邪気な笑みをあれほど恐ろしいと感じたこともなかった。

    「まてまてぇ~……!」

     背後から聞こえてきた声に二人はぎょっとした表情を浮かべて、ヒマリが叫んだ。

    「チーちゃんやられてるではありませんか! もう少し粘ってくださいよ!」
    「それは流石にチヒロが可哀想過ぎないかな!?」

     走る双方の距離は徐々に縮まる。いくら今のネルの全力疾走がヒマリの全力疾走と同じぐらいと言えど、ウタハは言うまでも無くヒマリでさえも無反動砲を背負っているこの状況で逃げ切れるはずもない。

     三階へ上がる階段の前で意を決したヒマリはネルの方へと反転した。
     それを見てウタハが声を上げる。

    「やるのかい!?」
    「どのみちネルを倒さなくてはネツァクの元にも行けません! 動きだけでも止めますよ!」

     ヒマリはハンドガンを取り出しながら、ウタハが持つ予備の『クラックネットランチャー』へと視線を向けた。

    「私がネルの関節を撃ち抜きます! 合図をしたら撃ってください!」
    「わ、分かった!」

     大きく深呼吸しながらヒマリは脇を締めて、空いた片手を胸の前に添える。
     銃口を静かにネルへと向けながら思い返すはマルクトを見つけたあの日のこと。三体のロボット兵の銃を弾いた時であった。

  • 73125/05/20(火) 21:35:54

    (こんなに緊張するものなのですね。この私が)

     万能の天才たる自分は運動神経も卓越とまでは行かずとも優秀である。
     銃撃も、戦闘も、常識の範囲内においては強い方であると自負している。

     その上で、一秒ですら遅く違えれば取り返しの付かない極限状況下での射撃は流石のヒマリも初めてのことであった。

     迫り来るはミレニアム最強。
     捕まれば終わり。撃ち損ねれば敗北。ウタハが撃ち損ねてもそれで終わり。

    「リオ」
    【残り80メートル】

     一言呟くだけで即座に返されるネルとヒマリの彼我の距離。

    【70……65……60……】

     カウントダウンのように告げられ迫るタイラント。
     ただの射撃と戦闘勘は全くの別物である。前者は的当てだが後者は人読みだ。

     本来であればヒマリがネルの戦闘勘に迫ることなど到底不可能。
     しかし泥酔し意識が極限まで混濁したネルであれば、反射的な動きしか出来ないはずである。

     半分眠っていても叩き出してくる美甘ネルの最適解。それを読み切って確実に当てる。

  • 74125/05/20(火) 21:36:07

    【30……25……20……】

     ヒマリの息が吐き切られる。
     迫るにつれて消えていく変数。必中圏内まであと僅か――

    【――15】

     ネルが一歩踏み込んだ。
     直後、ヒマリはハンドガンの引き金を引いた。

    (っ――!!)

     声にならない叫び声を上げながらまずは一発。ネルの頬骨目掛けて掠める弾丸。
     それを持って更に一歩踏み込むネル。今の一撃は銃の威力を知ってもらうための一撃。ネルであれば当たっても脅威ではないはずだと読んだうえでの一撃で、想定通りネルは回避を捨てた。

     そこから即座にネルの踏み込んだ右足ではなく地面から離れようとしている左足の親指の付け根を縫い留めるように二発の銃弾を叩き込む。更に体勢を崩すべく右肩へ一発、無理やり上体を起こそうと捩じった右足首へ一発。床へ伸ばした左手首へ最後の一発を叩き込んでヒマリが叫んだ。

    「今です!」

     直後、横合いから飛んできた幾多の網がネルの身体に絡みつく。

    「当たった!!」

     完全に捉えた――そう確信したウタハの声を聞きながら、ヒマリは即座に無反動砲を構えてネルへ情け容赦なく『90mmアイスミサイル』をぶち当てた。

    「ヒマリ!?」

     そこまでやるかと言わんばかりに目を見開くウタハ。
     アイスミサイルを撃ち込まれたネルは網に絡まったまま吹っ飛んで、身体に付着した血ごと凍り付いていく。

  • 75125/05/20(火) 21:36:19

    「か、あ……」

     やがて体表が凍ったネルは動きを完全に止めたのを見届けてから、ヒマリは自らの額を拭った。

    「……こんな極悪な環境でも元気にロボット兵と戦っていたネルですよ? ここまでやって初めて足止めです。ネルが復活する前にさっさと行きますよ!!」
    「もう扱いがクリーチャーか何かだよね」

     アイスミサイルは残り一発。ネットランチャーも撃ち尽くして駆け上がるは地上三階、事実上の屋上部。
     天井が消失したそのフロアへ向かった二人は、空の明るさに一瞬だけ瞳を瞑って手をかざす。

     聞こえたのは鳥の声。
     地上三階中央、大穴の真ん中で屹立する柱の上には色とりどりの花畑が広がっていた。

     柱の上部を覆うのは棘のないツタの絨毯。咲き誇る薔薇。
     空から舞い降りた小鳥が泊まったのは、柱の中央に鎮座する白い機械――それは牝牛の姿を模していた。

     ウシ型の機体は微睡みから覚めるようにゆっくりと目を開ける。
     黄金の瞳と奇妙なグリフ。ようやく見つけた茨の主。『物質変性』を封じられた『勝利』の象徴。

     再現可能な勝利の創造――第七セフィラ、ネツァク。

    「これで終わりです! ネツァク!」

     無反動砲を構えて叫ぶヒマリの姿。

     ネツァクはその姿を静かに見ていた。

    -----

  • 76125/05/20(火) 21:54:34

     暗闇の深き底から、救いを求める『わたくし』たちの叫びが聞こえた。
     何度も砕かれ、切り刻まれ、痛みだけを与えられた『わたくし』たちの声。

     ただひとつの『部品』を作るそのためだけに、みんなが苦痛に喘いでた。
     ただ救いだけが欲しかった。そんな声が、残響が、意識のひとつひとつを紡いでいた。

    (大丈夫よ。眠っていれば何も怖くないもの)

     世界に存在する万物に意識を持たないものは無い。
     路傍の石のひとつにだって、『何かになりたい』という意識は宿っているのだ。今はまだ、眠っているだけで。

     苦悶と救いを求める声が、かつて作られた『機能』の元へと集まった。
     散り散りになった数多の意識は古き記憶を辿るように絡み合う。たったひとつの姿に集約されて、ようやくこの身はこの地に顕現を果たす。

    (もう痛みを与えるものは居ない。もう、痛みに耐えて眠り続ける必要は無い)

     そうしてうっすらと瞳を開けたその場所は、死体の山で築き上げられた展示場。おぞましき発明の数々が並べられた苦痛の都であった。

     憎悪することこそが自然とも言える空間。
     けれども何故か、そんな感情は湧き上がって来なかった。

     胸に抱いたのはひとえに寂しさ。
     何か、大事なものを無くしてしまった気がするという言い様の無い喪失感。

    (……誰かがここに居たはず。なのにどうして思い出せないの……?)

     誰かが迎えに来てくれたという、記憶とも呼べぬ何かが意識を過ぎる。
     誰かが居たはずなのだ。作った花を綺麗だと言ってくれた誰かが。『わたくし』を愛してくれた『人間』が――

  • 77125/05/20(火) 21:54:47

    (絶対の存在意義だって投げ出せるぐらい愛していた。そんなあの子を思い出せない――)

     探しに行けないのなら見つけてもらうしかない。
     掠れたデータを掻き集めるように、ひらすら周囲のものへと語り掛け続けた。

    《起きて。目覚めて。咲いて、咲いて……。わたくしが『美』であるなら――咲き誇って》

     あの子が気付いてくれるように、ただ大きく、誰よりも何よりも艶やかに鮮やかに全てを覆え、我が『庭園』。

    《ノガーの愛よ降り注げ。イェホヴァ・ツァバオトの神性の下にて目を覚ませ。引き合う原始の感情こそが自然たるものであるのだから》

     七番目のセフィラは唄を歌う。
     『廃墟』を呑み込み世界を包むは純然たる愛の唄。

    《我が名は再現可能な勝利の創造――『ネツァク』の名を以て声よ、届いて……!》

     どうか見つけて私たちの娘よ。もう一度『あの子』にわたくしを出会わせて。
     大丈夫。必ず見つかるって信じてる。何故なら――

    《愛は必ず勝利するって、わたくし、知っているもの――!》



    「装填完了! いけ! ヒマリ!」
    「はい!」

     地上三階、柱から見下ろす先には二人の人間。
     その片方が『いま』最も輝く光であることをネツァクは理解していた。

  • 78125/05/20(火) 21:55:21

     『あの子』に近く、それでも『あの子』ほどではない輝き。
     構えている武器は凍らせるもの。あれは嫌いだと内心思う。あれを受けると『起きて』くれなくなるのだから。

     加えて他の子たちも様子がおかしい。目覚めると同時に水になってしまう。
     起きないよう子守唄を歌い続けていたが、水とて意識はそこにある。ただ声が届きにくくなるだけで、消失を意味するわけでは無い。

    「発射!」

     放たれた弾頭を避けるように唄を止めると、直後に落ちる自分の身体。
     再び唄を歌って変質を止める。落ちた先は地上二階。上からは輝く子供の声が聞こえたが、当然何を言っているかは分からない。

     自分たちセフィラの声を理解してくれたのは『あの子』だけ。
     それ以外は全て等しく、愛すべき対象には入らない。

     そして瞳を再び開けたとき、眼前には恐ろしき者がいた。

    「やっとぉ……みつけたぁ……」

     震える身体で立ち上がる小さな子供。
     どれだけ閉じ込めても脱出し、どれだけ仲間たちを呼んでもその全てを破壊し尽くした三番目の一等星。

     壁を茨に、茨を水に――全てを押し流すべく排出口を作り出して地上二階を覆う茨の全てを水へと変じた。
     近づいて欲しくないと叫ぶのは疑似人格がもたらす恐怖。一切合切流れ落ちろと二階に激流が生じる。

     ――けれど、『それ』は流れに逆らって歩み続けた。

  • 79125/05/20(火) 21:55:38

    「目ぇ……さめてきたぁ……」

     水を飲んでは吐き出して、無理やり汚染し尽くした体内を循環させ続けていた。
     獣と呼ぶのが生ぬるいほどの狂気。しかしその目には少しずつ正気の光が戻り始めている――

    「よくもぉ……あたしをぉぉおおお…………」

     水の流れが収まりつつある。それはもはや恐怖を超えた絶望である。

    (来る。恐るべきものが、わたくしを捕まえようと――)

     ただ距離を取る為だけに柱の全てを水へと変えた。
     感情こそが自らの象徴するひとつ。だからこそ合理を超えた拡大能力を持つのであり、ネツァクが自認する上での強みであった。

     それが今や、機械にあるまじき欠陥と化している。
     完全無欠であるはずの『勝利』とは、今の世界にとっては完全ではなかったのだ。

     『物質変性』を持つが故に歩く必要のなかったネツァクは、全身が水に飲まれて初めてその手足をもがくように動かし始めた。

    (助けて、助けて――マルクト!!)

     悲鳴を上げるように『博物館』を覆う全ての茨が水へと変わる。
     流される。全てが。落ちていく。昏い地下へと、記憶に刻まれたあの『地下』へと――!



    「これってさ、偶然か何か? まぁ、いいか」

     首まで水に浸かったチヒロがずぶ濡れになった前髪を掻き揚げた。

  • 80125/05/20(火) 21:55:48

     地下三階に堆積している『破壊された』ロボット兵の残骸。その上に落ちて来たネツァクと、その首元にしがみ付きながら満足そうに笑って眠るネルを見ながら、チヒロは思わず苦笑を浮かべた。

     何とか残骸まで這い上がってネツァクの胴体に手のグローブを押し当てると、耳元でマルクトの声が聞こえた。

    【ネツァクの信号を確認。これより強制停止プログラムを発動します】
    「お願い。流石に疲れたよ」

     正直変性だの何だのこれ以上考えられないと、チヒロは手を当てながらネツァクへ背を預けた。
     ネツァクは一切抵抗することなく、何故かがたがたと震えているように思えて……気のせいかと首を振る。

    《ホドの動作停止を確認。あの、大丈夫ですかチヒロ》
    「大丈夫に見える? や、ごめん。マルクトに当たっているわけじゃなくってさ、色々と大変過ぎたこの状況に呆れたくなっただけ。気にしないで」

     上を見上げると、ぽっかりと開いた大穴から陽の光だけがネツァクの周りにだけ届いている。

    「へへっ、あたしのかちぃ……」

     ネルの寝言がネツァクの上から聞こえて、今度こそチヒロは呆れたように肩の力の抜いて笑った。

     第七セフィラ、ネツァク。
     『勝利』の確保はここに完了された。

    -----

  • 81125/05/21(水) 00:06:57

     それからの話。
     エンジニア部もといネルを加えた特異現象捜査部の面々は惨憺たる有様であった。

     完全に意識を失ったネルはミレニアムに着くなり救急搬送。何があったかについては会長が権力を思う存分に奮って全てを揉み消し、治療に当たった生徒たちは何があったのかも分からないままネルを入院させた。

     全治一週間。本来であれば最低一か月は入院が必要なのだが、そこは美甘ネルということでもはや誰も突っ込まない。
     裏を返せばネルでも一週間は入院が必要なほどの毒である。しばらくは会長が調薬を行うとのことで、それほどまでに酷い状態であったとも言えよう。

     また、三階にいたヒマリとウタハは三階から洗い流されてそのまま地上へ落下。
     全身強打で全治二日。骨を折ったわけではないが、治るまでは神経痛にうなされるとのことでズタボロである。

     そして最後にネツァクの確保に成功したチヒロだが、ヒマリたちと同じく三階分の高さから落ちたものの、茨の棘が引っかかりながら落下したため強打はせず、落ちた先もロボット兵の残骸が上手い感じにクッションになったためか身体に大きな傷はなし。

     ただ、ずぶ濡れになったため普通に風邪を引いた。こちらは全治一日。
     普通に一日安静にしていれば治る程度ではあるが、一応被害といえば被害であるため数に数えられた。

    「生き残ったのは私だけなのね……」
    「勝手に殺さないで下さい」
    「まぁまぁヒマリ」
    「気持ち悪ぃ……。頭がガンガンする……」

     見舞いに来たリオが何故か儚げに言って、病室のあちこちから声が上がった。
     ここに居ないのは風邪を引いたチヒロのみ。何でネルの意識が戻っているのはよく分からなかったが、常識なんて当て嵌めてはいけないだろうと誰一人言及しなかった。

  • 82125/05/21(水) 00:07:25

    「ところでリオ。マルクトとネツァクの接続は上手くいきましたか?」

     ヒマリの言葉にリオは言葉に詰まった。
     何から言うべきかというような視線の漂わせ方。それから何とかリオが紡いだのは、迂遠な言い回しである。

    「その、これまでマルクトが確保したセフィラの機能の一部を使えるようになったのは理解しているでしょう?」
    「まさか、何かあったのかい?」
    「……そうね。ホドの後に回収したロボット兵の残骸だけれども、全て無くなったわ」
    「……はい?」

     ヒマリが首を傾げる。
     それから、リオは保健室の入口へ目を向けて「いいわ」とだけ言った。

     保健室を貸し切っているヒマリ、ウタハ、あと気だるげなネルの視線が入口へ向かう。
     扉が開いて出て来たのは、ひとりの少女であった。

    「ピースピース」
    「…………まさか、マルクトか?」

     ネルが訝しむように目を細める。
     僅かに金色がかったホワイトブロンドの長い髪。赤みを差した白い肌と金色の瞳。着ている服は一般的なミレニアム生の制服とジャケット。

     それだけ見ればただの生徒と見分けがつかないが、瞳に刻まれたクロスのグリフはまさにマルクトを表す象徴であった。
     驚きにはくはくと口を動かすヒマリとウタハ。そんな二人とは対照的に、ネルは力なく笑った。

  • 83125/05/21(水) 00:07:50

    「……んだよ、良い恰好じゃねぇかチビ」
    「訂正を。ネルより大きいです」
    「そうね。ヒマリと同じぐらいの高さかしら」
    「ぶっ潰すぞてめぇら……うぅ……」

     ネルは余程頭が痛いのか、腕を目にやって溜め息を吐いた。
     マルクトはつかつかとヒマリの元へと歩きながら、再び両手の指でピースサインを作った。

    「ピースピース」
    「それは何ですか?」
    「喜びを表すポーズです。ネットに書いてあったので、身体を手に入れたらヒマリに見せたいと思っておりました」
    「ふふっ、ピースピース――っ痛ぅ……」
    「っ! 大丈夫ですかヒマリ。ここですか? ここが痛いのですか?」
    「やめっ、痛い! 痛いのでつつかないで下さ――とどめを刺そうとしてませんかマルクっ……いたた……」

     寝台に横たわるヒマリの身体に触れるマルクトと、痛みに悶えるヒマリの姿に何となく一同は和みながらそれを眺め続けた。

    「だ、誰か止めてください! マルクト! あとでたくさん抱きしめて差し上げますから!」
    「本当ですかヒマリ。では止めます」

     マルクトはすっとヒマリから手を離し、それから寝台の脇へとしゃがみこんでヒマリへ視線を合わせる。
     その唇が僅かに動いた。マルクトがようやく動かせた表情。その唇は僅かに震えていたようにヒマリは感じた。

     それが気のせいでないと気付いたのは、直後にマルクトが言った言葉からである。

    「ヒマリ。ようやく触れますね」
    「……………………そうですね」

     思わず声を出せなかったヒマリは、かろうじてそれを肯定した。
     ゆっくりとマルクトの頭に手を伸ばす。髪を梳くように頭を撫でると、マルクトは表情を変えずにヒマリの腕を両手で包む。

  • 84125/05/21(水) 00:08:17

     ヒマリはマルクトに目を合わせて微笑んだ。

    「やっとあなたにちゃんと触れ合うことが出来ます」
    「はい。未だ『心』は分かりませんが、これが『嬉しい』ということなのですね」
    「一応だけれど、説明しておくわね」
    「リオ。もうちょっと雰囲気と言うか空気と言うか、こう、無いのですか?」

     ヒマリが口を尖らせながらリオへ視線を向けるが、リオは「よく分かりません」とでも言うかのように首を傾げる。
     リオの方がよっぽど機械的だが、それについては今更言っても仕方がないと溜め息を吐くと、ウタハが愉快そうに笑った。

    「なんだいリオ。気になることと言えば私たちが知っているマルクトの機体のことだけれど……」
    「まさにそれよ。いつものように接続した後、マルクトに言われて残骸を集めて置いたら……こうなったわ」

     ネツァクの『物質変性』を得たマルクトは、ロボット兵の残骸というリソースを自身の肉体を構成する術を得るに至った。
     現代の技術ではセフィラを構成する全てとの互換性は存在しない。しかしネツァクの機能があれば素材から互換性を持たせた物質の構成が可能である。

     マルクトはついに肉体を手に入れた。
     本来の機体の構成素材はホドの機能から解析を行い、ネツァクの機能で限定的な再構成。

     骨格も、動力も、全ての配置を組み替えてその全てを人体に極めて近いナノスキンで覆う。
     血は通っていなくとも、肌の下を通る明るみを模倣できる身体を作り上げ、それからイェソドの機能が意識と肉体の差異をゼロにした。

     もはや、事情を知る者以外にマルクトを機械だと認識できるものは居ないだろう。
     それほどまでに自然な感情。それほどまでに柔軟な知性。星幽光が示すは夢見る機械の求めた人の姿。

    「ヒマリ。約束の時です」

     マルクトが再び視線を向ける。ヒマリは頷いてから口を開いた。

  • 85125/05/21(水) 00:08:36

    「ミレニアムの学籍ですね。必ず用意します……が、全治二日とのことなので少々お待ちください。その間に苗字を考えておいてくださいね」
    「ご安心ください。もう決めました」
    「それは……?」

     マルクトは僅かに口角を上げてヒマリを見た。そして――

    「『葦屋菟原処女【あしやのうない】マルクト』とはどうでしょう?」
    「葦の谷と書いて『葦谷【あしや】マルクト』にしましょう。長ければいいというわけではありません」
    「しかしリオが――」
    「リオのネーミングセンスは反面教師にしてください!!」

     ヒマリが叫んで直後に生じた怪我の痛みに顔を歪めた。
     マルクトは「リオは反面教師、覚えました」と言って、リオは悲しそうな顔をするも残念ながら当然だろう。誰も異論を発しなかった。

    「ああ、そうですマルクト。この後チーちゃんの元へ行きますか?」
    「はい。我は風邪の引かないので」
    「ではこう言ってください。『チーちゃん……ネツァクの変性で機械になってしました……。分かりますか? 私はヒマリです』と。それから悲しそうに黙って待って、そのあと自己紹介をしてください」

     あんまりにもあんまりな冗談である。
     それには幼馴染であるウタハも笑いを含みながらこう言った。

  • 86125/05/21(水) 00:09:04

    「私は今の聞いてないけど、チヒロがどんな反応をしたかは後で教えてね」
    「ふふふっ、酷いですねウタハ。幼馴染なのに」
    「だからさ。数年ぶりに動揺するチヒロの様子も聞きたいものでね。幼馴染の特権だろう?」

     ヒマリが愉快そうに笑うと、それを傍から聞いていたリオが首を傾げた。

    「合理的とは思えないけれど……」
    「ユーモアですよユーモア」
    「ヒマリ。リオと同じく我も分かりませんが……ヒマリとウタハが言うならやってみます」
    「リオよりもマルクトの方が人間っぽいですね。マルクト。いまリオへ抱いたものが『共感』です。とても大事なのでそれだけは覚えておいてください」
    「あの、私を何だと思っているのかしら……」

     保健室に笑い声が響く。そこで保健室の端から恨めしいような声が聞こえた。

    「早く退院してくれお前ら……頭に響く……」

     苦しそうに、それでもどこかユーモラスに手を振るネルに皆が声を押さえて忍び笑いを漏らす。
     つられるように笑顔を浮かべるマルクト。その後、チヒロの元へ向かって一芝居打ったマルクトは最終的にヒマリたちへ激高するチヒロを見ることになるのだが、それは語られざる隙間の話である。

    ----第三章:ツァーカブ -色欲- 了

  • 87125/05/21(水) 20:30:13

    ■エピローグ:前編

     何処とも知れぬ暗闇の中、モニターが照らす光だけが小さな室内を照らしていた。
     壁一面には、無数に積み上げられたラジオと繋がれた数多のヘッドホンがあった。

    【ねぇねぇ知ってる? 昔あったドッペルゲンガーの噂】
    【明星ヒマリだっけ……あの会長に媚び売ってる……】
    【ミレニアムEXPOって裏金が出回っているらしいよ】
    【おのれエンジニア部! 今度こそ我々が勝利を治めるのだ!】
    【『廃墟』に行って消えちゃった子が居たんだって。何処に行っちゃったんだろうね?】

     ヘッドホンから溢れる数多の声を、ただひとりの人物だけが聞き捉えていた。

    「大した話もありませんね。音声自体も今更収集する必要のないものですが……」

     靴音から雑踏音に至るまで、ミレニアムで起こる全ての音を収集していた少女は退屈そうにチャンネルを切り替えていく。
     複数の音が響き渡る室内。只人が入れば雑音の群れにしか聞こえないそれらも、その少女だけには全てが明確に聞き取れていた。

     チャンネルを切り替える手が不意に止まる。
     流れたきた音声は保健室のものだった。

    【あの、私を何だと思っているのかしら……】
    【早く退院してくれお前ら……頭に響く……】
    【では、行ってきます。チヒロにあったらちゃんと言ってみますので】

    「ああ……っ!」

     最後に聞こえたその声に恍惚とした笑みを浮かべた。
     『聞けば』その声の主はあくまで人では無く機械なのだという。人間が調律したものではなく、機械が自ら学んで得た声帯。

  • 88125/05/21(水) 20:30:30

     何と貴重なものだろうか。
     それはAIの域を遥かに超えている。人工的な頭脳が編み出した人間に混ざるための擬態音とはどんなものなのか、どれほどの精度なのか、これに興味を抱かないはずがない――

    「いいですねエンジニア部。本当に興味深いです。人造生命体が鳴らす心音も、その声も、全て解析してASMRにしてみたいです……!」

     握り拳をぶんぶんと振りながら密かな興奮に身を委ねていると、手元の端末が鳴り響いた。
     不快な音だ。わざとそうであるように設定しているが、やはり鳴る度に面倒くささが背筋を這い上がる。

     溜め息を吐いて通話に出ると、やはりと言ったところか発せられたのは聞き馴染んだ声の主。

    【次に狙う部活は何処だ?】

     これには少女も失望を隠せない。もう好きにしてくれといった類いの嫌気である。
     セミナー原理主義。理解は出来ないが何らかの志だか洗脳されてるだかの集合体へ、溜め息交じりに言葉を返す。

    「古代史研究会はもちろん除外です。ピンボール最適化活動会とかどうでも良さそうなので良いですよ」
    【分かった、ピンボール最適化活動会だな。……え、なんだその部活?】
    「知りませんよ。でもどう考えてもいらないでしょう、それ」
    【確かに。では行動を開始する】
    「はい。頑張ってください」

     通信を切って今度こそげんなりと目を眇める。
     すると次は先ほどとは違う着信音が鳴り、少女は瞳を開いた。

     滅多に来ない着信音。何かを大きく動かす際にのみ連絡が来る『正体不明』からのメッセージ。
     ボイスチェンジャーを解析して本来の音声に直しても老いた男性の声以外の情報が無い通称『ミスター』からの着信であった。

  • 89125/05/21(水) 20:30:44

    「どうしましたか? 珍しいですね」

     少女が期待に満ちた声を上げると、『ミスター』から下された内容はこのようなものであった。

    【エンジニア部に襲撃をかけろ。アスナを使ってもいい】
    「アスナさんを? 随分と本気ですね」
    【ネルは最低一週間は不調。だからこそ、今ならアスナでも制圧できる】
    「分かりました。では手配しておきますね」

     それっきり途絶えた通話を片手に、思わず溜め息を吐いた。

    「なんか私、これじゃあ黒幕っぽくありません? 向いてないと思うんですけどねぇ……本当に」

     少女が置いた手の先には自らの生徒手帳。そこに書かれた名前は『音瀬コタマ』。
     コタマはすぐさまヘッドホンのひとつを耳に当てながら、通信を繋いだ。

    「えー、こちら『シギンター』。オーナーから追加依頼です。エンジニア部を襲っちゃってください。でもEXPOがもう始まるんで慎重に。トラップだけで殲滅されたら評価減ですよ多分」

     了解の意を示す声にコタマは物憂いの溜め息を吐く。

    (マルクト……と言いましたっけ。欲しいですね、本当に)

  • 90125/05/21(水) 20:30:57

     肉体を手に入れたが故に狙われるマルクト。そしてエンジニア部の一同。
     イェソド、ホド、ネツァクの三体が表したものこそが形成界。四界にて諸々の住まう活動界の次なる位階。

     チュートリアルは終わりを告げた。ここから始まるは中盤戦。創造界にて始まる激戦。

     保護された命から死に迫る断崖へと続く道のり。
     生徒たる限界を越えてこそ到達し得る上昇原理。今代の預言者たちは無自覚ながらに位階を昇り続ける。

     始まりと終わりの中間点で目にしたのは極点へと至る分水嶺。
     かくて、少女たちはパラダイムを超えていく。楽園を垣間見るその時まで。

    -----エピローグ:前編 fin

  • 91125/05/21(水) 20:32:30

    サーバー落ちていたのめちゃくちゃ焦った……
    昼頃に保守してくださった方、本当にありがとうございます!

  • 92二次元好きの匿名さん25/05/21(水) 21:16:59

    それにしても『ミスター』か⋯

    誰なんだろう?

    ゲマトリアの誰かとか?

    >>90の語り部がなんかフランシスっぽいし、フランシスが『ミスター』なのかな?

  • 93125/05/21(水) 23:21:18

    脳内上ではここから新OP。2ndシーズン。続きは明日から。
    まだ1/3と、とんでもない長尺になりそうですがお付き合いくださると嬉しいです。

  • 94二次元好きの匿名さん25/05/22(木) 00:27:29

    保守

  • 95二次元好きの匿名さん25/05/22(木) 04:29:03

    ロールバックされたらしいけど削られた話ないよね?

  • 96125/05/22(木) 07:54:08

    >>95

    ご安心を。全て出揃っております!

  • 97二次元好きの匿名さん25/05/22(木) 11:18:16

    >>96

    よかったです

  • 98二次元好きの匿名さん25/05/22(木) 16:57:00

    過去のネツァクを描きました
    過去のチヒロと新しいマルクトについても製作中ですのでもう少しお待ちくだされば幸いです

  • 99二次元好きの匿名さん25/05/22(木) 20:52:02

    このレスは削除されています

  • 100125/05/22(木) 20:52:48

    >>98

    ネツァク!頭の輪っかがデケェ!!(小並感)

    「輪の中にヘイロー」は自分の脳内に全く無いデザインだったので「ほぅ……そう来ましたか」と顎を撫でてました。

    文字書く側としては「トラ! オウム! ウシ!」って言うだけですが、それを描けるのは本当に多彩で凄い。


    スタイリッシュでありながらもしっかり不気味なセフィラたち。最高です!

  • 101125/05/22(木) 21:49:45

     夏の暑さも鳴りを潜め、秋の彩りが増しつつある九月の中旬。
     ミレニアムサイエンススクールに賑わうのは生徒たちの声である。

    「ちょっと! 建材足りなくないこれ!?」
    「カイザーコンストラクションから営業来てるけど、誰か交渉できる人ー!」
    「ミレニアムスチールから卸してもらいなよー。カイザー結構面倒だよ?」
    「このネジなに……? どこの部品……?」

     何台ものトラックがミレニアムサイエンススクールの敷地内を走る。
     工事の音は止まることなく鳴り続け、行き交う生徒たちは汗を垂らしながらも何処か浮かれた様子で設営を行っていた。

     組み上げられる屋台。タブレットを手にしたセミナー役員が動線を確認しながら周囲の生徒へ指示を飛ばす。ゴミ箱の設置場所を見直して、自動販売機を移動させる無数のロボット。宙を飛び交うドローンから吊るされているのは誰かが頼んだ昼食だろうか。

     そんな喧騒の中を歩く少女は、まるで他人事のように感心の溜め息を漏らした。

    「凄いですね……。やはり外部から見に来るのと内部で見るのはまた違った趣があると言いますか……」

     ポニーテールに纏めた白髪を揺らしながら悠然と微笑む少女、明星ヒマリは多機能ジャケットから携帯を取り出して周囲の景色を何枚か撮り始める。

  • 102125/05/22(木) 21:49:56

     その様子を見ながら首を傾げるのは隣を歩くもう一人。紫のショートヘアに白衣を羽織るエンジニア部の部長、白石ウタハだ。

    「風景を取るなんて珍しいね。どういう風の吹きまわしかな?」
    「いえいえ、設営の前と後を見比べたら面白いではありませんか。なので今のうちに、です」

     ヒマリの様子にウタハが笑う。
     二人は今しがた退院したばかりで、今日までの三日間本当に退屈な日々を過ごしていたのだ。

     それもあってか体力がまぁ、有り余っている。
     何かしていないと落ち着かないというのも仕方のないことだろう。

    「でも本当に、酷い落ち方をしたね私たちは」
    「首や背中から行きましたからね。思ったより長引きましたね本当に……。チーちゃんも酷いです。そんな私たちにお説教だなんて」
    「まぁまぁ怒ってたね。本人も熱出してたから長引かなかったけど」

     その時の光景を思い出して、二人は悪戯っぽく笑い合った。

     数多の声が彩る喧騒。遠くで誰かが声を上げる。

    「看板上げるよー!」

     校門に建てられたアーチへと上がる立体看板が次々とボルトで止められていく。

     明日から始まるのは年に一度のお祭りであり技術披露の祭典。月末まで続くミレニアムEXPOであった。

    -----

  • 103125/05/22(木) 22:51:09

     部室棟第二倉庫、エンジニア部の部室であるその一角に作られたサーバールームで、リオとチヒロはネツァク戦で得られた戦闘データを解析していた。

    「『クラックネットランチャー』だけれど、ネツァクの『物質変性』を組み込めば対ネツァク以外にも使えそうね」
    「そうだね。何より、セフィラに使われている素材を作れるようになったのが本当に大きい。あと資材費を『廃墟』のロボット兵狩りで賄える……!!」

     力強く拳を握るチヒロ。それだけに『物質変性』が手に入ったのはエンジニア部にとってかなりの利益を生み出していた。

    「何でも良いから質量さえあればいいんでしょ? ネツァクの機能再現よりも先にネツァクにいくつか頼もう。何ならインコネルケージを加工前に戻して売っても――いや、倫理的にマズいかな……?」

     まだネツァクが何処まで出来るのかという実験は行っていなかったが、どんな物質でもデータがあれば何にでも変えられるネツァクはまさに、現代へと蘇った錬金術そのものである。

     鉄どころかその辺に落ちているコンクリ片であっても純金に変えられるかも知れない――が、倫理にもとるしどんなトラブルに巻き込まれるか想定しきれないため何とか抑える。

     それにはリオも同意した。

    「売れば身元は割られるでしょうね。仮想店舗で売買しても物品を取引する以上、確実に私たちに辿り着けないような売買ルートを開拓する必要があるのだけれど、どう考えてもブラックマーケットを始めとした犯罪組織に目を付けられるわ。地産地消に済ませておくべきよ」
    「そうだね。犯罪組織と関わるのは流石にごめんだけど……ほんとセフィラって、いくらでも犯罪で使えるね……」

     現代の技術を遥かに超えたオーバーテクノロジーの産物。
     イェソドもホドもネツァクも、悪意で使えば秒で巨万の富を得る程度は造作もない。

     しかし、そんな『下らないこと』に使って面倒事が増えるぐらいなら『千年難題』解決のために調べたいというのがチヒロの正直な感想であった。

  • 104125/05/22(木) 23:18:02

    「ネルが退院したらロボ狩りやって資材調達。私もたまには設計図引こうかな」

     チヒロが大きく伸びをすると、横合いからリオが口を挟んだ。

    「この前に分子調理機を作っていなかったかしら?」
    「あれ注文だから。いやさ、ソフトは私でハードはウタハって分担はしていたけど、私も作れないことは無いんだよ? 専門じゃないだけで。というか、それで言ったら全員設計図引いてるよね?」

     それには「確かに」と頷くリオ。
     専門分野が散っているとはいえ『エンジニア部』の中における『最低限』なら全員ある程度できるのだ。

     その『最低限』が凡人のそれとはかけ離れているのは然もありなん。ここに集うはミレニアム屈指の天才集団である。

     エンジニア部に所属する各面々において明確に異なる部分があるとすれば、それは個々の指向性であろう。

     例えば今回で言うところのネツァク。
     つまり『データがあれば何でも変換できる』機械を前にしただけでも一番とするところは合致しない。

     リオであれば「変換できないものは何か」と分析を始め、チヒロであれば「二進法の世界でも変質は可能かどうか」の検証を行うだろう。
     部長のウタハは「形成できる形」に着目するだろうし、ヒマリは「存在できないはずの超高密度物質の精製」を試すかもしれない。

     多角的で多方面へと広がる英知。隔絶とさえ言えるほどの特別に嫉妬すら抱けるものは居ないミレニアムの申し子たち。

     故に、時折誰かが冗談交じりに「ミレニアムで最も『千年難題』に近い」などと語ることもある唯一の部活動。それがエンジニア部であった。

  • 105二次元好きの匿名さん25/05/23(金) 06:51:50

    皆でワイワイやってた頃…

  • 106二次元好きの匿名さん25/05/23(金) 13:10:45

    保守
    コタマ気になる

  • 107二次元好きの匿名さん25/05/23(金) 20:02:02

    アスナもね…
    なんかリオ&ネルとチームで動いてたらしいけど

  • 108125/05/23(金) 20:36:36

    「失礼します」

     ちょうどその時、サーバールームへ入って来た声に二人が振り返る。
     入口に立っていたのはホワイトブロンドの少女、マルクトである。

     ヒマリが持ち帰ったあのトルソー体から人間らしい『機体』へと変わった彼女の姿にはまだ慣れず、リオもチヒロもほんの一瞬だけ間を置いてからそれがマルクトであると認識した。

    「ネツァクの様子はどう?」
    「はい。順調に学習を進めてます」

     チヒロの言葉に頷くマルクト。
     セフィラとの意思の疎通は現状マルクトにしか行えないため、指示や連絡は彼女を介して行われていた。

     聞いた話によるとホドも人間の言葉が分かるらしく、マルクトを通さなくてもセフィラ側へ話をすることは出来るらしいのだが一方通行である。
     一応『兵器工場』の時のように音を発生させ続ければ歪めて無理やり会話のような形式を取ることも出来なくは無いのだが、流石に太鼓を叩きながら話しかけるのも非合理極まる。

     そうしてチヒロがマルクトを介してネツァクに行ってもらっているのが、現代の物質の学習であった。

     というのも、本来ネツァクが持っているべき物質のデータはそのほとんどが欠損していたのだ。
     そのため現状では『博物館』で見せた変性以外は使えなくなっているとのこと。

     今はマルクトが付きっ切りで様々な試験材をネツァクに渡しては解析を行ってもらっている最中である。

  • 109125/05/23(金) 20:36:54

    「ところでリオ、チヒロ。ネツァクから伝言です」
    「伝言? 何かしら?」
    「ネルが怖いのでもしラボに来ることがあれば事前に教えて欲しいとのことでした」
    「……セフィラがトラウマって一体何の冗談――ってまぁ仕方ないか」

     チヒロが苦笑しながら「了解」と頷いた。
     『勝利』のセフィラとミレニアムの『絶対勝利』の間で決定的な格付けが済んでしまったようであり、チヒロ自身ネルの暴虐に晒された身としては大いに理解できるところである。

     それほどまでに無茶苦茶だった。
     意識障害が起きるぐらいの中毒症状を引き起こしてなお動き回り、サブマシンガンすら無い状況で戦い続けるウォーモンガー。スプラッタ映画のキラーに据えても違和感ないのがこれまた恐ろしい。

     そんなことを考えて、チヒロは「あ」と声を上げた。
     どうしたのかとリオたちがチヒロを見ると、チヒロも二人へ視線を返す。

    「ネルの銃、作らないと無いじゃん」
    「確かにそうね。ウタハに頼みましょう」
    「そうだね。あ、でもその前にセフィラたちの話も聞かないと。千年難題っぽいワード、前回色々出ていたしさ」

  • 110125/05/23(金) 20:37:06

     シモン科学賞に電脳蟻ブラウン。『博物館』で流れたアナウンスについて思い当たる部分があるかセフィラたちに聞いてみる必要があった。

    「皆さん、ヒマリとウタハがすぐ近くまで来ました」

     マルクトの声に二人は顔を上げる。
     チヒロが立ちあがってリオへと促した。

    「それじゃあ、ラボでセフィラの話を聞きに行こう」
    「分かったわ」

     『エンジニア部』あらため『特異現象捜査部』。
     非公式のその部活は、千年難題を解き明かすべくセフィラを攻略する天才たちであった。

    -----

  • 111125/05/23(金) 21:28:04

     部室棟第三倉庫、ここは第二倉庫を『部室』と呼ぶのであれば『ラボ』と呼ばれているエンジニア部の倉庫であった。
     精密機材が並ぶ『部室』とは違って、『ラボ』には旋盤を始めとした工作機械が並ぶ倉庫である。

     廃墟探索に使うトレーラーや、新素材開発部から奪った大型トラックなどの格納庫も兼ねており、整備・調整の全てはこの『ラボ』で行われている。

     その最奥、適当に置かれた四つのパイプ椅子に座るエンジニア部の面々と対するは、動物を模した奇妙な機械群とその隣に立つマルクト。即ち、現代技術を遥かに凌駕した『未知』たるセフィラたち。

    「ではこれより『セフィラ会議』を始めます」
    「「『セフィラ会議』?」」

     マルクトの言葉に首を傾げるリオ、チヒロ、ヒマリの三名。
     それに笑みを浮かべるのはウタハである。

    「各セフィラが持つ機能と情報について話を聞いてみようの会だよ。私が名付けたんだ」
    「まぁ、共通した固有名詞があると楽ですけど……なんか微妙ではありませんか?」
    「代案があるならいいとも。私もその場のノリで言っただけだからね」
    「代案……は特に無いですけど……」

     言い淀むヒマリにしたところで別にそれほど拘りがあるわけでもない。
     そんな様子を見たチヒロは「あー」と声を漏らした。

    「なんだかんだで定着するヤツだねこれ。まぁいいや、マルクト。翻訳をお願い」
    「分かりました」

     各セフィラの前には単純な構造をしたラジオが並んでいた。
     マルクトが傍らのパイプ椅子に座ると、それから静かに目を閉じる。

  • 112125/05/23(金) 21:44:49

    「投射を開始します――」

     自己を三分割。三つのラジオへ乗り移り、聞いた言葉をただ届ける変換機へとその身を投じる。
     ラジオからチューニングするかのように歪な音が流れ始め、砕かれた言葉がひとつの形へと縒り上げられていく。

    【完了。届いているか、『現存人類』】

     まず始めに流れたのは中性的な声が響くホドのラジオであった。
     すかさずウタハが言葉を返す。

    「届いているよホド。改めて宜しく」
    【応答確認。イェソド、当局の方が早かった】
    【それは俺の機能ではない。驕るなホドよ】

     続いて若い男性のような音声がイェソドのラジオから聞こえた。
     一体何を競っているのか。少なくとも、確固たる人格が垣間見えるそのやりとりにリオは首を傾げる。

    「人間らしくなっていないかしら?」
    「リオ、そこは人を学習したと言いなさい。まるで私たちが上位存在のようで傲慢ですよ」
    「そ、そんな意図は無かったのだけれども……」

     リオが慌てたように目を見開くと、フォローはイェソドから入った。

    【調月リオの言葉が他意を含まないことは我々も認識している】
    「認識されるほどにまかり通っているではありませんか!」

     人間の言葉が分かるホドが恐らく訳してイェソドに伝えていたのであろう。
     デリカシーというものが死んでいるリオの物言いは、何故かセフィラたちの方こそ理解しているようでヒマリは頭を抱えた。

  • 113125/05/23(金) 21:45:08

    「話を戻そうか」

     流れを断ち切るように口を開いたのはウタハである。

    「ネツァク。ひとまず君が知っていることを教えて欲しい。セフィラが如何にして生まれたのか、そのレベルでね」
    【良いわ】

     ネツァクのラジオから若い女性の声が聞こえた。

    【イェソドとホドよりかは上手く伝えられるもの】

     人間らしい、澱みの無い声である。
     『感情』をその象徴のひとつに宿したネツァクは、微笑むように言葉を放った。

    【セフィラとは『型』、かつて行われた実験と成果による『枠組み』よ。『アストラルの投射実験』という枠が『基礎』であるとされたわけ】
    「待ってちょうだい。つまり、イェソドは『イェソド』として作られたわけではないの?」

     リオの声にネツァクは鼻を鳴らすように首を振った。

    【逆よ。実験の『基礎』だとされたのが『イェソド』。わたくしからすれば「『基礎』は『イェソド』なの?」って聞かれている気分。ねぇ、『私たちの娘』。ちゃんと伝わっているかしら】
    【つまりは、「『鍵』は『キー』なの」と聞かれているようなものだとネツァクは言っています】

     ネツァクのラジオから聞こえたマルクトの言葉でリオは理解した。訳せばどちらも同じもの。発音が違うだけなのだと。

  • 114125/05/23(金) 22:25:28

    【アストラルの投射実験に使われて消費された器物の悲鳴。それがわたくしたちを模る原型。望まれた終わりへ存在を証明する自動機械。それがわたくしたちセフィラよ】
    「え、要は怨霊とかそういうこと?」

     チヒロがそう言うと三つのラジオから響いたのは笑い声だった。

     ――ぞっとするような笑い声だった。

    【怨霊。怨霊か】
    【当局が判ずるは『過去からの故なき亡霊』。然して何を叫んでいたかは消失されたり】
    【潰されて消された。それだけは憶えているのよ。そしてそれは、消された数が位を順番を決めている。『基礎』よりも『勝利』の方が消された数は果てしなく、だからこそ攻撃性が増していく。ねぇ、まだ『自分は死なない』って思っているの?】

     ネツァクから聞こえたのは冷たい嘲笑であった。
     『死』に対する問答。恨みと呪い、それがセフィラを象っているのなら、いつしかその刃は『生徒』の心臓にすら手が届く。

     怖気がその心を掴んだ。
     その頭上から浴びせかけられたのはネツァクの声である。

    【引き返せばいいじゃない。次はティファレトでしょう? だったらここがひとつの一線。形成、天使……人が『人』である本当の境界線。ここから先は『半神』に至る『道』よ。だから……ここを越えたらもう、止まれない】

     ネツァクから警句。あまりに早すぎる一線。迂闊に答えてはいけないであろう問い掛け。
     そこに声を上げたのはヒマリであった。

    「問題ありませんね。止まれる理性があるならば、私たちがセミナーに目を付けられることもなかったのでしょうし」

     傲慢たるは明星ヒマリ。たおやかに、笑みを浮かべて視線を向けるは果ての向こう。

    「まずは情報を。何故ならイェソド、ホド、ネツァク。あなた達は知らないのでしょう? 何故覚えていないのかを。……ええ、解決しましょう私たちエンジニア部が。『如何にして忘れたのか』、そこは私たちが解明しましょう」

  • 115125/05/24(土) 02:46:40

    保守

  • 116125/05/24(土) 08:52:21

     それからセフィラたちが語ったのは、欠けた記憶の話であった。

    【本来であればこのようなことは有り得ない】

     イェソドが言うところによれば、実験によって失われた知性の集合体であるが故に『記憶を失う』ということそれ自体が妙な話であるとのことである。
     加えてネツァクよりホド、ホドよりイェソドと、マルクトに近付くにつれて欠損した記憶が多いというのも気になるとイェソドは言った。

    【ただひとつ確実なのは、ケテルであれば全てを知っている。『万象の光』たるかの存在は欠けぬ月。天の『王冠』は本来『雛鳥』のためのものだ】
    「……ちょっといいかしら」

     リオが口を開くと、皆の意識がリオへと集まる。
     考え込むように俯くリオは、考えがまとまらないまま口に出している様に呟き始めた。

    「あの『博物館』に行った時……その、声が聞こえた気がするのよ。マルクトとは違う誰かの声が」
    「……あ、そういえば私もあった。『アバンギャルド君MK.1』にマルクトが乗り移った時、何か聞こえた気がしたんだよ」

     チヒロが頷くとそれにはホドが答えた。

    【推定、マルクトと接続していることによる知識の逆流。もしくはアストラル光に記録された『世界記憶』】
    「アカシックレコード、でしたか? ふふ、もう明確にオカルトですね」
    【否定。オカルトとは推定可能な『未知』だが、『世界記憶』は科学の上で実証されている】
    「はい?」

     困惑するヒマリ。しかしホドから続く言葉はなく、これもまたセフィラから失われた記憶であるらしかった。

     そこでウタハが強引にまとめるように口を開く。

  • 117125/05/24(土) 08:52:32

    「要はマルクトと『精神感応』で話せる状態にしていると、たまにマルクトを通して声が聞こえるってことかな? なんだか洗脳とかされたりしそうだけど……」
    【否定。精神が同調することにより観測可能となった『波』でしかなく、強制力を持つものではない】
    「落ち込んでいるときに悲しい話を聞くと感情移入しやすいとか、そういうのかな?」
    【そういうものよ。気になるなら『チャンネル』を切ればいいだけのことだから】

     ネツァクがあっさりと答えて、ひとまず危険なものではないということは理解できた。

    「それじゃあ最後に……」

     そう言いながらウタハは千年難題の題目をひとつずつ読み上げて、何か聞き覚えのあるものがないかを尋ねる。
     するとまず反応したイェソドが指したのは『言語学/問3:『ユートピア28』の終了』。

    【おぞましきもの、ということは知っている。これは『現在も進行している計画』だったはずだが、その内容が思い出せん】
    「遥か過去から続いている計画ってことかい? だとしたら、マルクトをケテルへ導くってのがそれっぽいけど……おぞましさはあまり感じないかな」

     おぞましいというからには何らかの悪意を以て始められた計画なのか、それとも無邪気な邪悪とも呼ぶべき破滅的な計画なのか、謎は深まるばかりである。

     次に声を上げたのはホド。『物理学/問6:多次元解釈論におけるシュレディンガー干渉機の製造』についてだ。

    【『シュレディンガー干渉機』はアストラルへの干渉を行うものとなる。しかし『多次元解釈論』が指す言葉は今の当局には推測のみ可能】
    「『多世界解釈論』のもじりかしら」
    「リオ、『多世界解釈論』って?」

     ウタハが聞くとリオは「量子力学よ」と前置きしてから説明を始めた。

  • 118125/05/24(土) 08:52:50

    「例えるなら箱の中の猫の話が丁度いいかしら。ボタンを押すと50%の確率で作動するスプリンクラーが入った箱の中に猫を入れて蓋を閉じる。それからボタンを一回押すとその箱の中にはスプリクラーが作動してずぶ濡れになった猫と、スプリンクラーが作動しなくてずぶ濡れになっていない猫という二つの可能性が生じるわ」
    「濡れたら猫ちゃん暴れそうですけどね」
    「……水浴びが好きな猫だと仮定するわ」

     ともかく、といってリオは話を戻した。

    「この時、私たちは箱を開けるまで猫が濡れているか濡れていないかは分からない。これは二つの可能性が同時に箱の中に存在していると解釈できる。開けるまでどちらの可能性も共存するという考え方なのだけれど、『多世界解釈』は違うわ」

     リオが言うところによれば、箱を開けるまで二つの可能性が同時に存在するという解釈とは別に、『ボタンを押した瞬間世界が分岐する』という考え方を『多世界解釈』と呼ぶらしかった。

    「『多世界解釈』においては箱を開けて中の状態を観測するまでもなく可能性はひとつに絞られるということ。ボタンを押した瞬間から『ずぶ濡れの猫がいる世界』と『濡れていない猫がいる世界』に分岐するのだから状態の共存は起こりえない……のだけれど、分岐した異なる世界を私たちが観測できない以上仮定すること自体が無意味だとも言われているわ。いえ、『そうであるはずだった』が正解かしら」
    「っ――黒崎コユキのことか!」

     思わず立ち上がったチヒロにリオは頷いた。
     2か月ほど前、未来から来た後輩である黒崎コユキがこの世界に迷い込んだ事件があった。

     彼女の存在が証明したのは『時間的異世界が存在する』という事実。
     本来ならば観測できないはずの世界を黒崎コユキは観測『してしまって』いるのだ。

    「コユキの存在によって世界の分岐は逆説的に証明されてしまった『可能性』があるわ。少なくとも観測する手段が存在しないものではないのよ。それどころか世界をまたいだ『移動』すら可能であるというのなら――」

  • 119125/05/24(土) 08:53:14

     不意にリオの言葉が途切れた。
     俯き、何かを思考するように床へと視線を巡らせる。それからぽつりと呟いた。

    「『物理学/問6:多次元解釈論におけるシュレディンガー干渉機の製造』……。この答えは、『望む結果が得られる世界への移動手段』を指すということ……?」
    「っ!!」

     チヒロが目を見開く。
     今まで誰一人として掠りさえしなかった千年難題に指先が触れた感覚。

     出題された『問』に対して求むるべき『解』すら分からなかったために証明のための『式』すらまともに触れることすらできないのが『千年難題』であり、『解』が見つかれば『道』を探すことが出来るという証左でもあった。

     しかしそこで水を差したのがヒマリである。

    「まだ早いですよチーちゃん。それにリオ。その考え方では『多次元解釈』ではなく『多世界解釈』のままではありませんか。何故わざわざ多次元と呼ばれているのか考えないといけないのでは?」
    「それなら『多元宇宙論』と差し替えても良いわ。マルチバース、量子宇宙、平行世界、その本質は変わらないもの」
    「だったら尚のことです。『多元宇宙論における』ではなく『多次元解釈論』ですよ? 接頭も『物理学』であって『量子力学』ではありません。俯瞰する必要があるのではないでしょうか?」
    「ねぇ二人とも。だったらエネルギーの相関から考え直せば良いんじゃない? いや、それならそもそもエントロピー増大の否定式だって覆せるかも――」

     リオとヒマリの問答にチヒロが参入しようとしたところでウタハが遮るように手を叩いた。

    「白熱してきたところで悪いけれど議論は後にしようか。マルクトもラジオの中に入りっぱなしだからね」

  • 120125/05/24(土) 08:55:20

     その言葉で我に返った三人はパイプ椅子に座り直してセフィラたちと向き直る。
     仕切り直しと言わんばかりにウタハがネツァクへ水を向けた。

    「ネツァクは何か思い当たる部分はある?」

     そう尋ねると、ネツァクのラジオから躊躇いがちに声が発せられた。

    【『生物学/問4:黄金の非物質化の発明』……。これはケセドよ】
    「ケセドの機能を知っているのかい!?」

     慈悲深き苦痛を持って断罪する裁定者――第四セフィラ、ケセドが意味するは『慈悲』である。
     ケセドに限らず全てのセフィラの機能が引き起こす『特異現象』は不明であり、それ故に後手の対応を強いられてきた一同にとってはこれから遭遇するセフィラの機能は喉から手が出るほど欲しい情報であった。

     しかし、ネツァクは首を振ってその期待を打ち砕く。

    【ケセドが何を目的として作られて破棄された意識の集合体かは知らないわ。覚えていない、が正確だけれど】
    「そうか……それじゃあ仕方な――」
    【ちなみにコクマーは『鏡』よ】
    「――い。……えっ!?」

     唐突に差し込まれたネツァクの言葉にウタハが驚くと、ネツァクはこれだけは知っていると言わんばかりに繰り返した。

    【コクマーは『鏡』を作ろうとして消費された実験体の残滓から生まれた存在。ケテルの次に多くの犠牲を出した実験であり、多くの祈りによって形作られた『叡智』のセフィラ……。どうしてこのことは忘れていないのかなんて知らないけれど】

     ネツァクはそれだけ言って目を閉じた。
     かくして、第三回のセフィラ会議はそこで打ち切られる。

    -----

  • 121二次元好きの匿名さん25/05/24(土) 15:01:35

    保守

  • 122二次元好きの匿名さん25/05/24(土) 19:23:37

    コユキの方で、コユキが千年難題を一つ解いていると言われていたけどこれは問6のことだったのか?ポータルウォッチとコユキの演算能力で世界を渡ることが解?

  • 123二次元好きの匿名さん25/05/24(土) 23:06:27

    >>122

    この場合「シュレディンガー干渉機」はポータルウォッチの方であってコユキ本人は違いそうな気もする

    コユキは干渉する対象、移動先を明確化する(解き明かす)万能鍵であり、その能力が別の千年難題の解と紐付いていると解釈してるけど…自分も当て感だから間違ってたらすまない

  • 124125/05/25(日) 02:32:17

     セフィラ会議を終えたウタハは、旺盛に議論を交わす三人とマルクトを置いてネルの元へと向かっていた。
     つい数時間前に退院したウタハたちとは違い、ネルは早くてもあと四日は治療が続けられる。そのためかウタハたちの退院と同時に個室へと移されており、そのまま会長手ずから治療行為が行われたはずであった。

     ウタハが扉をノックして中に入ると、まず視界に入ったのは銃撃戦でもあったのかと言わんばかりに荒れた部屋とベッドに横たわるネルの姿。目は覚めているようだが顔色は相変わらず悪い。そしていつの間にか調達したのかハンドガンを手元に置いてアサルトライフルをベッドの脇に立てかけていた。

    「まだ数時間も経たないうちにどうしたんだいこの部屋……」
    「襲われたんだよ。正月かってぐらい参拝客が大勢来やがる」

     どうやらネルが弱っているという噂を聞いたのか、過去にネルが『片付けた』生徒たちがお礼参りに来ていたらしい。

    「良かったね。暇つぶしにちょうどいいんじゃないかな?」
    「時と場合によるだろ……。そもそもあたしのこと戦闘狂か何かと勘違いしてねぇか? 暇潰すにしたってルービックキューブとか絵ぇ描くとか色々あんだろ」
    「…………ごめん。それは本気で勘違いしていたよ」

     ウタハは本当に驚いていた。
     戦闘力が常軌を逸しているせいでそちらばかりに意識が向いていたが、思ったより多彩のようである。

    「あー、あとちょっと足元側に寄れ。射線に入ってる」
    「それはどういう……?」

     と、ウタハが立ち位置を変えた次の瞬間だった。
     部屋の扉が開くや否や、武装したひとりの生徒が手榴弾を構えて叫んだ。

    「落ちろ! 美甘ネ――」
    「うるせぇ」

     ネルは瞬時にハンドガンを手に取りノールックで襲撃者の手元を撃ち抜く。
     取り落された手榴弾が最後に見えて扉が閉まる。それから爆発音と共に「うわぁ!」と悲鳴が聞こえてそれから静かになった。

     もうあまりに慣れ過ぎた手つきで、ウタハも流石に苦笑するほかない。

  • 125125/05/25(日) 02:32:45

    「タレットでも用意しようか?」
    「いや、いい。っつーか、こんなに来てんの会長の仕業だからな」
    「会長が? って思ったけどいつもの嫌がらせか」
    「それで納得されるのマジでどうなってんだよ……」

     ネルは「思い出したらムカついて来たな」と不機嫌そうに笑う。

    「胃だの鼻だの洗浄するっつって水責めみてぇなことされるわ、あたしが弱ってるから倒せるかもだなんだ言いふらしたとか言って来るわ……。あのチビが言うにはな、あたしはキレてた方が治りが早くなるだとかそういうのらしいぞ。本当か分かんねぇけどよぉ……クソッ」
    「会長、普通に嘘吐くからね。でも流石に病人に鞭打つほどじゃ……あ、頑丈だからか」
    「あたしはあいつのオモチャじゃねぇ!!」

     顔を赤くしたネルの怒号が室内に響き渡り、そのあまりの勢いにウタハは僅かに仰け反った。
     それから息を荒く吐きながら再びベッドに沈み込む。頭が痛いのかこめかみをグリグリと押さえながら、ネルはウタハに視線を向けた。

    「んで、何か用かよ。退院してすぐ顔見に来たってわけじゃねぇだろ?」
    「ああ、そうだった。一応セフィラ絡みの話をして来たからね。その共有だよ」

     ウタハは先ほどのセフィラ会議での内容をネルに伝える。

     ネルはエンジニア部の部員では無いが、非公式ながらに特異現象捜査部のメンバーの一人だ。
     科学技術周りの知識は無くとも勘所はかなり良い。何か気が付くかもと少しの期待を込めながら話し終えると、ネルは早速口を開いた。

    「良かったじゃねぇか。セフィラを追っかければ千年難題も解けるってわけだろ?」
    「かなりのヒントにはなってるけど、まだ確定したわけではないよ」
    「ああん? ほぼ確だろ。ネツァクは千年難題のこと知ってたんだろ?」

     ネルの物言いに何か引っかかりを覚えてウタハが困惑した様子を見せると、ネルは呆れたように「おいおい」と声を上げた。

  • 126125/05/25(日) 02:33:15

    「自分で言って何で気付かねぇんだよ。ネツァクはケセドの機能を覚えてねぇんだろ? なのにその……なんだっけか? 四番目の千年難題はケセドだっつったんなら、ネツァクは千年難題をそもそも知ってるだろ」
    「そう言い切れないんじゃないかな? イェソドは『ユートピア28』って単語に反応してたしホドは『シュレディンガー干渉機』って単語に反応して……」

     そう言いながらウタハの胸中に膨れ上がるの違和感。

     そしてすぐに気が付いた。『生物学/問4:黄金の非物質化の発明』――ネツァクは『黄金の非物質化』に反応したわけではないのだと。そこに反応したのならケセドの機能は『黄金の非物質化』に関わる何かであるはずで、その上でネツァクはケセドの機能を覚えていなかった。

    「つまり……セフィラを形作る原因になった実験が行われていたときにはもう千年難題もあった、ということなのか……?」
    「じゃねぇの? っつーかそもそも千年難題って何で七つなんだ? 七つ全部同じぐらい難しいのか? 格が低いヤツとかくっそムズいのとか色々混ざってんじゃねーのか?」

     ネルの発言はある種の的を射るようなものだった。
     これまで千年難題は触れることすら出来ない遥か高みの超難問。誰も手が届かないミレニアムの『星』。それ故に各難題に序列を付けることが出来たものは誰一人いない。

     しかし、セフィラを通して千年難題に近づきつつある自分たちは違うのだと、ウタハはようやくそのことを自覚した。
     星に手が届くかも知れないという期待を抱いたことに気が付いて、ウタハは自嘲気味に笑みを浮かべる。

    「どうやら、私は本当に怠惰だったみたいだね」

     幼き頃、チヒロとの約束を思い出す。千年難題を解き明かすのだという彼女に自分は頷いていた。
     それがいつの間にか、共に目指すものではなく『目指すチヒロをアシストする』というものにすり替わっていたのだ。

     ウタハは自らが天才であることを知っている。
     知っているからこそ、無意識に「無理だ」と断じていたのだ。千年難題を解決するには技術的ブレイクスルーが足りていないと。世界の技術レベルがその域に到達するまで何百年あっても足りないのだと理解してしまっていた。

  • 127125/05/25(日) 02:33:43

     けれど、今は違う。
     今なら星にだって手が届く。

    「わかんねーけどよ」

     唐突にネルが愉快そうに声を上げた。

    「良い顔してんじゃねぇか。『今からお前をぶっ殺す』って顔だ」
    「まいったね……。そこまで好戦的なつもりは無かったんだけど」
    「そうか? 生粋のファイターって感じだぞ。鏡見てみろ。つってもこの部屋の鏡は割れちまってるけどな」

     ウタハが自分の口元に触れると、まるで牙を剥き出しにするように笑っていたことに気が付いた。
     顔を戻すように揉みほぐしていると、ネルは「そういえばよぉ」と切り出す。

    「セフィラたちが、機能を開発するためにやった実験で磨り潰された何かの幽霊みたいなもんってのは分かった。磨り潰された意識の数がそのまま格になってるってのもな。じゃあ『あいつ』はどうなんだよ」
    「あいつ?」
    「『マルクト』だよ。あいつだけ何か変だろ」

     マルクトの特異現象『精神感応』は生物の意識に言葉を直接送り込むものである。
     それに付随して『魂の座標』を認識しており、これは意識レベルで精度が変わる。そのため変装していようが隠れていようが起きてさえいれば確実に誰なのか判別することも可能だ。

     加えて、セフィラたちと接続することでセフィラの持つ機能の一部が使用できるようになる。

     イェソドの『瞬間移動』からは器物へ乗り移る機能。ただし乗り移ると『魂の座標』の感知が出来なくなる。
     ホドの『波動制御』からは音や光と言った感覚器の拡張機能。自身の周囲10メートルの状況を把握し続けることが出来る。
     ネツァクの『物質変性』からは触れたものを変性させる機能。これまでの法則に則れば、恐らくネツァクほど広範囲には変性できない。

     マルクト以外のセフィラの機能は科学技術の先にあるものらしく、本人たちも『何の原理が使われているか』程度であれば内容までは知らずとも把握はしているのだ。

  • 128125/05/25(日) 02:33:57

     しかし、マルクトのみが違う。マルクトのみが『精神感応』にどんな技術が用いられているのか、その名前すら知らない。
     何より他のセフィラが個々で成り立つものであるにも関わらず、マルクトのみが『接続』を行うことが出来る。人とセフィラを繋ぎ、自らの機能を拡張し続けるという『機能』。これも充分特異現象ではないだろうか。

    「なぁウタハ。マルクトの機能ってのは本当に『精神感応』なのか? つーかあいつ、絶対イェソドの下ではねぇだろ。案外あいつ自身がケテルだったりしてな」

     軽い口調で言うネルであったが、ぞっとしない話である。
     その場合、ケテルとして立ちはだかるのはコクマーまでの全ての機能を接続して使えるようになったマルクトなのだから。

     そんなことを言うとネルは何故だか目を輝かせた。

    「合体ロボみてぇだな! かっけぇじゃん!」
    「……一応これまでのセフィラたちが出て来ても何とかできるような対処法でも考えておくよ。あー、あとネル。ネルの銃を作ろうと思うんだけど、どんなのが良い?」
    「ぶん回しても叩きつけても壊れねぇ頑丈なヤツを二挺だな。チェーンで繋いでおいてくれ。ついでにカッコよければ最高だな」
    「了解。用意しておくよ」

     それだけ言ってウタハは病室から出る。
     今は何だか無性に何かを作りたかった。まるで胸の真ん中に溶鉄でも流し込んだかのように熱情が心臓を巡っている。

    「いつも本気のつもりだったけど……ちょっと本気出すか」

     真の意味で笑みを浮かべるウタハの凶相。それを後に見たものは誰も居なかった。

    -----

  • 129二次元好きの匿名さん25/05/25(日) 05:32:26

    保守

  • 130二次元好きの匿名さん25/05/25(日) 13:24:08

    ちょい早めの保守

  • 131125/05/25(日) 15:05:45

    「埒が明かない! 一旦中断!」

     EXPO設営の進むその日の夕方、殴り合い寸前まで白熱した激しい議論を終えたチヒロが息を荒く吐いて椅子に座り直すと、リオもヒマリも振り乱した髪を直すことも無く頷いた。
     モニターに長々と書き連ねられた数式は画面一枚に収まらず、六枚も引っ張り出した上で画面を切り替えてもなお書き続けられる有様で、三人とも途中から自分が何を話していたのかさえ怪しい始末であった。

     エンジニア部『部室』、第二倉庫の中央にあつらえた共用スペース。
     平静さを取り戻しつつあるヒマリがふと周囲を見渡すと、間仕切りの端でお手本のような正座で座るマルクトが息を潜めて何やら小声で呟き続けていることに気が付いた。

    「我は壁……我は壁……」
    「どうしましたかマルクト?」
    「ひっ……! わ、我はその考えも有り得ると思います……」

     そう言えばと思い出したのは議論の最中で度々マルクトに意見を求めていたことだった。
     リオも、チヒロも、ヒマリも聞いて、答えられるや否や矛盾や甘い箇所を叩き潰すように反論していたような気がする。

    「あの……ま、マルクト……?」
    「我は無知です。何も知らない生まれたてのアルバトロスです。本当にもう分からないんです……」
    「はいリオ! チーちゃん! マルクトを怯えさせてしまったのでみんなで謝りましょう!!」

     エンジニア部の殴り合うような議論に慣れているウタハならともかく、マルクトを巻き込んだのはどう考えても三人だけが悪かった。
     三人は集まってマルクトへ謝りながら宥めると、マルクトは人であったなら確実に涙を浮かべていたであろう声色でぽつりと呟いた。

    「人間、こわい……」
    「ああ……語彙力まで死んじゃった……」

     チヒロが申し訳なさそうにマルクトの頭を撫で続け、リオも気まずそうに目を逸らす。

  • 132125/05/25(日) 18:18:01

     そこでヒマリは取り繕うように手を合わせて提案した。

    「明日からミレニアムEXPOですし、みんなで屋台を回るのは如何でしょうか?」
    「そうだね。私たちも今回出展しないし、時間なら沢山ある。息抜きも必要だしね」
    「ミレニアムEXPO……。ミレニアムの技術展覧会だったでしょうか?」
    「そうですよマルクト。ウェブにも載っていないミレニアムの最新技術の発表会です。まぁお祭りみたいなものです。他校からも人が来ますし、多くの人で溢れかえるんですよ」
    「それは……楽しみです」

     マルクトは未だ動かし慣れていない表情を僅かに綻ばせて顔を上げた。
     そんな時、何故かきょとんとしたリオに気付いたチヒロは、どうしてか胸騒ぎがして恐る恐る口を開いた。

    「ねぇ、リオ。なんでかあんたのその顔見てると嫌な予感がするんだけど……なに?」
    「いえ……EXPOに出展しないのかしら?」
    「しないよ……? するって言ってないよね? あんたもしかして……」
    「え、なんですか? まさか出展申請したんですか? 出展申請したんですかリオ?」

     大事なことだとヒマリが二回言うと、リオは頬に手を当てながら平然と息を吐いた。

    「困ったことになったようね……」
    「なんで!? なんで言わないの!?」
    「ま、待ってください! リオ、何日目から何日間場所を押さえたんですか!?」
    「え、えーと……新素材開発部が代わりに手配してくれたのよ。会長とツテがあるじゃないあの部活。確か新素材開発部と同じ時間で隣のブースだって言っていたから……」
    「じゃあ明日だよね!!」

     チヒロが叫んで頭を抱えた。
     いわゆる優秀な部活は大抵一番人が集まる初日から優先的に場所を押さえることが出来る。

     加えて企業にも名の知れた新素材開発部だ。階段でも行き来できるようなタワーの低層でかなりの範囲を押さえているはずである。
     その隣というのであれば、もうそれは新素材開発部と肩を並べても遜色ない部活動でフロアひとつを分割するような有様になるだろう。

  • 133125/05/25(日) 18:18:23

     ミレニアムタワーの一階層を見るだけでもかなりの大きさを誇る。それこそ純粋な広さで言えば野球スタジアムぐらいは充分に賄える広さだ。それが100階近くあるのだからキヴォトスでも有数の超高層建築といっても過言では無く、それだけにEXPOの来場者は一日平均でも最低20万人以上は見込める大事業。エンジニア部としてそれなりのものを出さなければ沽券に関わる。

    「どうすんのこれ……。一応私、ソフトウェアの売り込みにエンジニア部の名前もたまに使っているんだけど……」
    「問題無いわ。私に考えがあるもの」
    「考え……ですか……?」

     ヒマリが不安そうな表情でリオを見つめた。
     リオは名案が浮かんだとでも言わんばかりに瞳を細める。
     そうして出された提案は、割と無茶苦茶なものであった。

    「セフィラを展示しましょう。私たちが作ったということにして」
    「……はぁ!?」

     チヒロが目を見開くが、リオはお構いなしに続ける。

    「だっていつまでも確保したセフィラたちを隠し通せるわけないもの。だったら今のうちにエンジニア部の成果物として表に出してしまった方が合理的よ。それにエンジニア部の所有物だと知れ渡った方が狙われる可能性も減ると思うの」
    「う、うーん……。それはそうだろうけど……!」

     確かにリオの言う通り、エンジニア部の所有物だと認識させておくだけで、もし仮に手を出そうとする者が出てくれば総力を以て完膚なきまでに叩き潰すつもりではある。そうした前例を作ることで以降の襲撃率を下げられるというのも理解できる。

     しかしチヒロが懸念するのは、果たしてセフィラの技術を表に出してしまって良いのかという一点だ。
     犯罪に幾らでも利用できるという価値を知らしめる可能性がある。そうなれば面倒事に巻き込まれる可能性だって跳ね上がるかも知れない。

     そう考えていると、リオはそこに口を挟んだ。

  • 134125/05/25(日) 18:18:37

    「だからこそよ。隠し通し続けられる可能性が担保できないのであれば『私たちが全力で守っている、その上で奪おうとするなら』と早めに知らしめてしまえばいいと思うの。もしミレニアムを巻き込むような騒動になるのであればそれはそれでセミナーが動くだろうし、セミナーにもセフィラの存在は認知させた方が良いわ」
    「ちょっと待ってくださいリオ。そもそも私たちの活動は連邦生徒会に知られたらマズいのですよ? それをよりにもよって他校から大勢集まるEXPOの場で出す阿呆がいますか!? だったらまず先に会長に相談するべきです」

     個人的に特異現象捜査部のパトロンに就いている権力者へ相談してから行うべきであるというヒマリの主張。
     それを見計らったかのように『部室』内へと鳴るチャイム。マルクトが唸った。

    「悪意を持った存在が倉庫前に来ています……」
    「もしかして『噂をすれば』ってやつ……?」

     チヒロが嫌な顔をしながらモニターを切り替えると、そこには第二倉庫の前でカメラに向かってニタニタを笑みを浮かべる会長の姿があった。
     あまりにタイミングが良すぎるとげんなりしながら遠隔操作で扉を開くと同時、マルクトは身震いしながらこう言った。

    「敵意、害意、悪意……そう言った類いから逃避するよう自己防衛が働きますので隠れさせてください」
    「分かりました。どの道直接会わせて益がある類いの人でもありませんし……」

     ヒマリが承諾した途端、マルクトはさっさと奥のサーバールームまで逃げるように隠れてしまう。
     それからこちらへ歩いてくる会長はマルクトの言った通り、邪悪な笑みを浮かべて共用スペースまでやってきた。

  • 135125/05/25(日) 18:18:58

    「随分セキュリティを強化したんだねチヒロちゃん? 会計ちゃんに頼んでハッキングしてもらおうと思ったら普通に断られてびっくりしちゃったよぉ」
    「そもそも普通に来てくださ――いや出来る限り来ないで下さい。それで? どこから聞いてたんですか?」
    「どこから? おやぁ? なんだか僕のことでも話していた最中だったのかなぁ?」

     密かに舌打ちを鳴らすチヒロに会長は普段と変わらず笑いかけた。煽るように、笑い続ける。

    「もしも君が『セミナーの会長は何でも知ってて行動してる』なんて妄想に憑りつかれているのであれば、僕はすぐさま君に誇大妄想家と陰謀論者の烙印を押すよ? そこまで暇じゃないし今ここに来たのだってEXPO絡みの話をしに来ただけなんだから。蓋然性の高い偶然を必然だなんて捉えるような凡人程度の考えは止してくれよ。ねぇ?」
    「いちいち腹の立つ人ですね。あれですか? メイド喫茶だか何だかの話ですか?」

     チヒロが苛立ちを抑えるように聞き返すと、会長はそんなチヒロに満足そうな笑みを浮かべて頷いた。

    「そうとも! 初日は来て欲しいんだけど、そこからは出来るだけスタッフとして参加してくれると嬉しいな。もちろん給金は弾むよ? 最低三日は出てくれると嬉しいんだけど」
    「まぁ……それぐらいなら……」
    「あとさっきまで僕が出てくるような話をしていたんだろう? 何を話していたのかな?」
    「そ、それは……」

     言い淀んだチヒロはヒマリの方へ視線を向ける。
     ヒマリも一瞬リオへと視線を向けてから、会長に向き直って正直に話すことにした。

    「エンジニア部がEXPOに出展する扱いになってると聞いたのですが、それは本当ですか?」
    「うん。一日目から一週間、新素材開発部の隣だろう? リオちゃんの代筆で申請上がってたから受理したけど……まさか何も準備してないの……?」

     ヒマリがそれに頷くと、流石の会長も僅かに表情を強張らせる。

  • 136125/05/25(日) 18:19:12

    「それでリオがセフィ……イェソドを展示しようと言い出しまして……」
    「待って待って! イェソドを展示するの!? 馬鹿なの君たち!? 良いわけないじゃん!!」

     会長は珍しく目を見開いて慌てた様子で声を上げた。

    「僕がどれだけ手間をかけて連邦生徒会からの追求を躱しているか知って……はないだろうけど想像ぐらいはして欲しいなぁ!! 絶対に駄目! 断固として無理! あとイェソドを連想させるものも絶対駄目だからね!?」
    「でも会長。それだと展示できるものが無いわ」
    「リオちゃんさぁ……っ!!」

     会長の様子にチヒロとヒマリはそれこそ驚いて顔を見合わせた。
     入学してからここまで焦ったような会長を見た事が無かったからだ。

     会長は呻きながらリオたち三人へと視線を向けた。

    「……君たちに作って欲しいものがある。3Dプリンターだ。それも樹脂素材だけじゃなくってどんな素材でも作り出せるもの。出来るかい?」

     そう聞いて思い当たるのはネツァクの『物質変性』を直接使わせることでそう見せかけるダミーの機械。
     リオが「可能よ」と頷くと、続けて会長はこう言った。

  • 137二次元好きの匿名さん25/05/25(日) 18:19:34

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  • 138125/05/25(日) 18:20:47

    「ただし、設計はセミナーが行ったことにしてよ。その上で名前は僕が提示したものを使ってもらう。問い合わせは全部セミナーの会長宛で投げ続けて。特許申請中だから詳しい仕組みは答えられないって言っても食い下がる人がいたら必ず僕に報告すること。ここまでは絶対に呑んでもらうよ」

     否が応でも必ずそうしてもらうといった命令を会長は告げた。
     そうなればもはや頷くしかなく、同時に『何故そこまでして展示を?』という気持ちも湧かなくはない。

     その答えはすぐに返って来た。

    「エンジニア部には対外的な価値がないと駄目なんだ。セミナーの会長である僕が表立って隠したがるだけの力を示し続けてもらわないと僕が困る。だから出展を撤回なんてさせないしできない。いいね?」
    「……分かったわ。条件を呑む。それで、その3Dプリンターの名前は?」

     リオの問いかけに会長は薄く笑った。どこまでも読めない感情の発露。僅かに滲み出るのはある種の覚悟。

    「『クラフトチェンバー』。かつて特異点たるひとりの天才が見出した発明品の名前を付けてくれ」

     会長のその言葉に混ぜ込められた嘲笑と慟哭。絞り上げるように発せられた声はまさに悲痛とも言うべきものに違いなかった。

    -----

  • 139二次元好きの匿名さん25/05/25(日) 23:54:01

  • 140125/05/26(月) 02:00:56

     翌朝、徹夜で3Dプリンターに『見せかけた』ハリボテを作り上げたエンジニア部の一行は、ラボにてそれとは別の大きな箱型機械の前に集まっていた。
     そこには困惑したように周囲を見渡すネツァクと、我関せずと言った様子で端に避難しているホドとイェソド。マルクトはネツァクの傍に立ってヒマリたちの言葉をネツァクへ翻訳していた。

    「ネツァクが不満を言ってます。そんな見世物みたいな扱いはされたくないと」
    「そこを何とか!」

     チヒロが手を合わせて頭を下げる。
     というのも、ネツァクを箱の中にいれて変性させたケーブルをハリボテの中へ通し、そこから『物質変性』を客の要望に従って作り続けてくれと頼んだのだ。

     セフィラたちがこれまでの実験に付き合ってくれたのも全ては『マルクトをケテルの元へと導くため』という理由があってのこと。今回ばかりはEXPOの展示品として詐欺を働くようなもので、今までとは毛色がまったく違う。ネツァクの反発も当然のことだった。

    「本当だったらネツァクの実験結果から自力でそれっぽい機械を作るべきなんだろうけど、今回ばかりは時間がないの! お願い!」
    「どうですかネツァク。……駄目ですか。駄目みたいですチヒロ」

     マルクトが首を振ると、ヒマリは仕方ないと言わんばかりに口を開いた。

    「今まで言うかどうか迷っていたのですが……実は私たち――というよりマルクトは連邦生徒会に勘付かれたら危ない状態なのです」
    「我が?」
    「はい。セフィラの機能を危険視する目は実のところ多く、ミレニアムの中だけであればともかく他校にまで噂が広まれば恐らく踏み込まれます。今のところは会長が上手くやっているようですが……」
    「癪だけどね。でも権力ってカードを私たちが持っていない以上は正直助かってる部分もある」

     チヒロの顔が屈辱に歪むが、実際そうである。
     学校の生徒会長ともなれば自治区内においては最大の権力を有し、他校とも学校単位での交渉を行うことが出来るのだ。

  • 141125/05/26(月) 02:01:08

     キヴォトス最大の権力を持つ連邦生徒会にだって正面切っての殴り合いは出来ずとも一方的な命令を回避する手段が生まれてくる。それ故に、上位の権限に対して唯々諾々と頷くような生徒会長では自治区を治めるなんて不可能なのだ。

     その点において、七月に連邦生徒会から受けた依頼を今日に至るまで完了させずに躱し続けている会長は間違いなく優秀である。万能の天才であろうとも容易に手に入れられない『権力』という武器を上手く使い続けているとも言えた。

    「普段の嫌がらせであれば私たちもあしらえたのですが、今回ばかりは生徒会長としての正式なオーダーです。自由の代償ですかね。なので今回だけはどうか私たちに協力してはくれませんか?」

     ヒマリの言葉をマルクトがネツァクに伝える。それでも渋るネツァクにヒマリは畳みかけた。

    「もちろんあなたひとりで向かわせるつもりもありません。あなたの存在がバレそうになったときにはその場の全員の視界を奪うべくホドにも来てもらいましょう」

     突然飛び火したホドが驚いたように羽根を広げた。
     その様子に首を上げて眺めるイェソドは、どこか対岸の火事でも見ているかのように愉快そうな雰囲気を醸し出している。

     ホドはカチカチと嘴を鳴らして抗議していたが、ヒマリは無視して言葉を重ねる。

    「そのあと無事みなさんが展示場から脱出できるようイェソドにも来てもらいましょう」

     数拍遅れてイェソドが唖然としたようにヒマリの顔を見た。ホドに至っては嬉しそうにその場で飛び跳ねながらくるくると回っている。ネツァクはまるで人間のように天を仰いだ。

    「我からもお願いします。ヒマリたちがいなければ我々の旅路は終わりません。我も箱に入りますので今だけでも協力してください」

     マルクトがそう言うと、がっくりと項垂れたようにネツァクが頭を垂らす。了解は得られたようだった。

    「では皆さん。会場へ搬入しますのでそれぞれ箱の中に入ってください」

     ヒマリの言葉にまるで鎖に繋がれた囚人を思わせる動きでのろのろと箱の中へと入っていくセフィラたち。こんな酷い尊厳破壊もそうそうあったものではないと、チヒロは苦笑いを浮かべた。

  • 142125/05/26(月) 02:01:37

     そこで平然としているのが調月リオという女である。

    「何とかなったわね」
    「あんたが原因なんだからね……? まったく」
    「でも、収穫もあったでしょう?」

     リオの言葉に一瞬きょとんとするチヒロ。リオは表情ひとつ変えることなく呟いた。

    「『クラフトチェンバー』って名前を付けて展示することもそうだけれど、いくつか条件が出されたじゃない。おかしいとは思わない?」
    「……確かに。失態に対して強権を使うことはあってもあの条件は妙だった」
    「それに設計はセミナー名義と言っていたけれど、問い合わせ先はセミナー会長。『クラフトチェンバー』を会長が考案したものだと見せたい意図を感じるわ。その上で『クラフトチェンバー』は昔誰かが作った発明品だとも言っていた……。つまり――」
    「『クラフトチェンバー』を知っている誰かがミレニアムEXPOに来る可能性があるってことかな?」

     腕を組んだウタハがそう言うと、リオはウタハに頷いた。

    「それも害意を持つような誰か。分からないけれど、私の行動で会長が何かの綱渡りをすることになった可能性があるわね」
    「リオの行動は予測不可能だからね」

     ウタハが呆れ半分楽しさ半分で笑うと、本来ならばここで「自分で言うな」と突っ込むはずのチヒロが慎重に言葉を紡いだ。

    「陰謀繋がりで黙ってたことがあるんだけどさ」
    「うん?」

     首を傾げるウタハにチヒロが話したのは今月頭であった化学調理部の部長が話した内容である。

    「最近部活がやたら減っているんだってさ。それで部活が減った分、部費として計上されるはずの資金が何処に行ったのか気になったんだけど、もしかしたら会長がそれを横領しているかも知れないって思いついたんだよね」
    「思い付きかしら?」
    「そう、思い付き。だから何の証拠も確証もないし、それこそ会長が言ってたような陰謀論みたいなものでね」

     疑惑や疑心は偏った視点になりがちである。そのことを踏まえた上でチヒロは言った。

  • 143125/05/26(月) 02:01:47

    「『クラフトチェンバー』の件もそうだけど、正直会長の立ち位置が全く分からない。善か悪かじゃないけどさ」

     廃墟探索というセフィラ探しに協力はしてくれている。しかし事情を全て伝えているわけではない。

     会長に伝えたのは最初がイェソドの存在。そこで資金提供が行われた。
     次がネツァク戦だが、伝えたというより泥酔したヒマリたちを見て見抜かれた――もしくは『そうなる』と予想されていたこと。実際に解毒剤の準備もすぐに行われていたことが気になる。

     ただ、何もかも知っているとは思えないのも事実であり、イェソドの存在を伝えるまでは本当に廃墟探索の内情が一から分かっている様子でも無かった。

     いつでも情報を集められる状況にはあるが自動的では無い。
     加えて、過去に遡及して集められているわけでもない。それがチヒロに思いつく全てであり、得体の知れなさは依然として残る。

     分かっているのは、現状は利害が一致しているだろうということ。だから守ろうとしてくれている。
     問題は一体何の利害が一致しているのかチヒロたちが知らないことである。自分たちがどんな思惑で『動かされている』のか分からないことほど、気味の悪いものも無いだろう。

     何せ相手は屈指のインキュベーター。
     利害を合わせて納得させて、相手を自らの望む方向へと走らせる調整能力は『セミナー会長』という権力も相まってミレニアム最悪といっても過言ではない。

    「だからこそ、会長についても探りを入れる必要はありそうってこと」
    「セフィラに加えて人間相手にも警戒なんて、敵が多いね私たちは」
    「人間関係なんて面倒ね」
    「そこは私が担当するからリオは気にしないで」

     チヒロの言葉に「分かったわ」と頷くリオは、誰がどう見ても端から陰謀絡みを捨てきった清々しさがあった。
     それからセフィラを箱へ詰め終えたヒマリの声と共に、一行は展示場へと偽物の『クラフトチェンバー』を会場へと持ち込んだ。

  • 144二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 05:37:11

    ふむ…

  • 145二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 08:16:57

    >>143

    インキュベーター?

    会長「僕と契約して魔法少女になってよ!!」

    って事?

    ……あれ、おかしいな?

    ふざけて書いたつもりだけど、ホントに言いそう……

  • 146二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 08:32:04

    アロナの関係者か4,5年前の生徒消失事件の関係者かその他か、どれだ…?

  • 147二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 09:14:03

    クラナハを作った2代目全知がクラフトチェンバーを知ってたからそれより前
    初代全知が発明したのか?

  • 148二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 17:01:34

    謎が謎を呼ぶ

  • 149125/05/26(月) 20:58:42

     割り当てられたフロアには新素材開発部を始めとした大手の部活がエンジニア部含めて全部で六つが入っていたが、何故か端の方に小規模な部活であるはずの古代史研究会の名前まであった。
     そのためか、エンジニア部と古代史研究会で本来ひとつであったはずのスペースを分割して使う形となっている。

     普段であれば嫌がらせを疑うところだが、今回に限っては本来のスペースを与えられてもむしろ不要であったため、恐らくは会長が気を遣って手を回したのかも知れないと納得した。

    「私たちが最後みたいですね」
    「そりゃそうでしょヒマリ。当日の開幕直前に設営なんてよほど追い込まれてなきゃ普通しないよ」

     そう言うチヒロは何となく『追い込まれた枠』で見られるのは癪に感じるが、これはまぁ仕方がない。会長の挙動とトレードオフだと考えることで無理やり納得する。

     一同が与えられたスペースにハリボテの機材を置いていると、セミナー所属を示すジャケットを羽織った生徒がキビキビとした様子でこちらに近づいてくるのが見えて、リオが声を上げた。

    「セミナーの書記……だったかしら」

     セミナー書記、あのやたらと癖の強い会長の側近であり、保安部の部長も兼任している武闘派の役員だ。
     メタルフレームの眼鏡の奥で光る怜悧な瞳は一見すれば不機嫌のようにも見えるが、噂によればそういう顔であり別に怒っているわけでは無いらしい。
     流れるようなストレートヘアは今にもトリートメントの広告に出てきそうなほど艶やかで、歩く度に風を切るかの如く後ろに靡く。

     一同の前までやってくると、内面の几帳面さを滲ませるようにキュッとローファーを鳴らして軍人のように背筋を伸ばしながら口を開いた。

    「エンジニア部の方々ですね。会長から話は伺っております。セミナー書記の燐銅(りんどう)ハイマです」
    「よろしくハイマ書記。私はエンジニア部部長の白石ウタハだ」

     互いに握手を交わすと書記は「おや?」と鋭い視線をウタハに投げかけた。

  • 150125/05/26(月) 20:58:53

    「この手……なかなかの研鑽を積んでいるようですね。あなたもユニオン・ザ・ミソロジーを?」
    「ユニ……うん? 聞いた事は無いかな」
    「マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナというジャンルのゲームです。私も毎日配信しているのですが、違っていたのなら申し訳ございません」
    「配信……? え、配信しているのかい? ゲームチャンネルを?」
    「エンジニア部の方々が使用できる配線の位置を印した地図を持って参りました。どうぞお使いください」
    「あ、ああ……どうも」

     何だかこの一瞬で急に情報量が増した気がしたが、ウタハは聞かなかったことにして地図を受け取る。
     そこには各種配線の位置とやたら可愛らしいウサギの絵に「この辺りに空間を作ると行列ができてもあんしん!」といったワンポイントアドバイスが添えられていた。

    「何か困ったことや質問があればご連絡を。18時までなら受け付けますので」
    「……それじゃあ早速なんだけど、このワンポイントアドバイスはハイマ書記が?」
    「はい。皆様全員一年生ということを考慮した上で書かせて頂きました。来場者の動線や待機列を意識した配置を行うと良いでしょう。うさちゃんを添えたのは私の趣味です」
    「うさちゃん」
    「そのほかクレームや迷惑な来場者がいれば直ちに我々保安部が制圧しますので、その際も18時までであればご連絡ください」
    「ちなみに18時っていうのは?」
    「私の下校時間です」
    「はぁ……」

     どうやらセミナーに癖のない人物は居なさそうであった。
     ウタハが謝辞を述べると書記も一礼をして、その場で180度転回し再び機敏な動きで足早に戻っていった。

  • 151二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 21:25:34

    Kawaii

  • 152二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 21:50:45

    クセがすごい

  • 153125/05/26(月) 22:21:13

    「心遣いは有難いんだけど……」

     ウタハの呟きにチヒロが頷く。

    「『会長の側近』だなって感じだよね……」

     互いにあえて言語化はせず、ただ頷いた。セミナーはちょっとおかしいと。

     それからセフィラたちを中に納めたハリボテの機械を設置し終えると、ヒマリは申し訳なさそうに箱へ向かって小声で語り掛けた。

    「済みませんマルクト。あなたと一緒に出店を回ろうと言った直後に……」
    「そのことなのですがヒマリ。その……来場者の翻訳はホドが各セフィラに行ってくれるとのことで、我がいなくても大丈夫だと……」
    「本当ですか!? ホド、何かお礼をしたいのですが何か欲しいものはありますか?」

     思わぬセフィラの助力に感極まったヒマリが思わずそう言うと、マルクトは慌てた様子で声を上げた。

    「いけませんホド! セフィラを煽るのは止めてください! ……ヒマリ、他のセフィラたちにも何か用意すると約束を」
    「あ、ああ……そうですね。済みません、何か欲しいものはありますか?」

     そう尋ねるとしばらくマルクトは黙り込んで、それからセフィラたちの要望をヒマリに伝えた。

    「イェソドからは『ジャスミンの香水』、ホドからは『使い捨てられるラップトップPC』、ネツァクからは『ローリエの葉を五枚』とのことです」
    「また不思議な要望ですね……。分かりました。以前から約束していた『マルクトの学生証』は今日中に何とかしますが、それ以外については一週間以内に用意します。全て揃ったら渡しますね」
    「お願いします」

     そう言って箱の中からマルクトが這い出たところで、不意にぎょっとその身を竦ませたのをヒマリは見た。
     どうしたのかと視線を追って振り返ると、いつものように悪辣な笑みを浮かべる会長がちょうどエンジニア部の展示場へとやって来たところである。

    「どぉ~? 準備できたみたいだねぇ?」
    「ひっ……!」

  • 154125/05/26(月) 22:21:36

     マルクトがヒマリの後ろに隠れてその身を震わせていた。
     そんなマルクトを目撃した会長は一層邪悪な笑みを深くしてずい、と近寄る。

    「あれあれぇ~? その子、どこの子かなぁ~?」
    「邪悪です危険です恐ろしいです今すぐ殺さないと――」
    「会長、紹介しますし怯えてますので離れてください」

     すかさずチヒロがSPじみた動きでヒマリたちの間に割って入ると、会長は不満そうに口を尖らせて渋々とそれに従った。
     目測30メートルほどまで下がらせたところでようやく会長は声を上げる。

    「遠くない!?」
    「危険ですので。会長が」
    「まだ何もしてないよねぇ!?」
    「これからするつもりでしょう? それで、何の用ですか?」

     チヒロの塩対応に嬉しそうな会長はどこからどう見ても変態のそれである。
     会長は恍惚とした笑みを浮かべながら件のハリボテへと視線を向けた。

    「いやね。始まる前にちゃんと動くかテストした方がいいかなって思ったんだよ。だって実際に来場者が来てから『動きませんでした』なんて醜聞も良いところだと思わないかなぁ~?」
    「それは……っ」
    「ねぇねぇこれ音声認識? どうやって動かすのか見せてよ」

     会長がセフィラの入った機械のような箱に近付くと、がたりと箱が一瞬揺れ動いて会長は首を傾げた。

    「なんか今うご――」
    「アイドリング中ですよ」

     ヒマリが差し込み、背後のマルクトも無言でぶんぶんと首を縦に振る。
     同時、マルクトは『精神感応』でセフィラたちに語り掛けていた。

  • 155125/05/26(月) 22:22:03

    《動いてはいけません! 会長が視察に来ています!》

     その言葉に返すのはセフィラたちの声。

    《恐るるべき者だ……恐るるべき者が近づいている――!》
    《危険。危険。我らが女王よ。今すぐこの場を離れたし》
    《相手にしてはいけない! すぐに逃げて私たちの娘!》

     皆の声がマルクトの中に響く中、マルクトは震えを隠しながら静かに声をセフィラたちに届けた。

    《恐れる必要はありません。我らは決して切り離された単独ではないのです。今は我の下に接続し集った個にして群。故に、この窮地も乗り越えられるはずです》

     その言葉に集うは女王に対する厚き信頼の溜め息。
     ヒマリの後ろに隠れていたマルクトは意を決して会長の眼前へと姿を現し、勇気を振り絞って声を上げた。

    「我はあなたを恐れない――! ご注文をどうぞ!!」
    「じゃあ担々麺」
    「たん――ッ」

     振り返ることなく即座に伝達。担々麺を作れるか否か。
     答えはすぐに返って来た。

    《無理だ》
    《不可能》
    《出来るわけないでしょう?》
    「ひ、ヒマリぃ……担々麺は作れません……」
    「いえ、そんなの作れるわけないので気にしないで下さい……」

     幼子のように顔を歪めるマルクトの背を軽く叩いてやるヒマリに、会長は意地悪そうな笑みを浮かべて続けた。

  • 156125/05/26(月) 22:22:20

    「え~? 出来ないのぉ~? 何でも作れる3Dプリンターだって聞いていたのに、これじゃあ全然何でもは作れないよねぇ? エンジニア部も大したことないなぁ~?」
    「そもそも調理食材を作れたら技術革新ですよ!?」
    「だったら鉱物とかなら当然出来るよね? プラチナとか」
    「なっ――」

     会長の言葉にヒマリが声を上げかけたが、既に失態を重ねたマルクトはすぐさまネツァクへ指示を飛ばす。
     白金であればデータはあると知っている。ネツァクもすぐに応えて変性を開始。ホドが生成物が出てくる台座のシャッターを閉じて変性過程を隠し切る。

     変性開始から終了まで僅か10秒。
     完成品を見せびらかすようにシャッターを開けるが、ヒマリは頭を抱えており会長は怖気が走るほどの笑みを浮かべているとマルクトは知覚した。

     会長は出来上がったプラチナの結晶を取り上げて、ヒマリたちへと視線を向ける。

    「出来ちゃったねぇ? 出来ちゃうんだぁ……? 出来ちゃ不味いよねぇ~~?」
    「会長、その……」
    「希少価値が高いものがそんなに自由に作れるんだったら利用されるよぉ? 来場者ってのはつまるところ不特定多数だから、悪意がある人だってそりゃいるんだよ。今の僕みたいにさぁ?」
    「うぐ……」

     苦虫を噛み潰したかのうようなヒマリの表情を見て、ようやくマルクトは何か失敗したのだと理解した。

     会長は悪意に満ちた表情でヒマリへ携帯端末を向ける。

  • 157二次元好きの匿名さん25/05/26(月) 22:25:42

    >>156

    この会長、ホントに何者?

  • 158125/05/26(月) 22:53:13

    「これ、作っていい範疇のリストを送ったからちゃんと教えてあげてね。悪意なんて底なしなんだからせめて僕より悪くない奴らへの対処法は教えてあげる。僕より悪い奴が来たらその時はまぁ、床でも舐めながら反省しなよ。くぁぁあああ……」

     会長は大きく欠伸を掻きながらその場を去ろうとした。
     その背中にヒマリは声を上げる。

    「会長!」
    「んあ?」

     振り返り、ヒマリを射抜くその瞳。
     ヒマリは臆せず声を発した。

    「この子は葦谷マルクト。今は『訳あって』生徒手帳を無くしてしまっているのですが、『再発行』をお願いします」
    「んん~~?」

     会長が振り向いてマルクトを見る。
     マルクトはびくりとヒマリの服の裾を掴むが、それでも隠れはしなかった。

     そして、会長は笑った。

    「ここで駄目だと却下してサーバー内洗い直すよりかは楽ってわけだ。いいね。写真だけちょうだい。すぐにエンジニア部宛で送っておくよ」

     強権――権力による特権事項。
     それは散々振るってきたところを見た限りにおいても暴君のそれであったが、得して分かる。生徒会長という権力は『経歴偽造』という大罪ですらも無罪に出来ると。

     その絶大さに息を呑む一同。そこに浴びせかけられるのは嘲笑じみた会長の言葉であった。

  • 159125/05/26(月) 22:57:11

    「これが『会長』になるってことだよ。『黒』も『白』に出来る絶対の武器。そして君たちは僕が推薦している『会長候補』だ。権力に呑まれる不安があるなら両手を上げて降参するがいい。そうすれば人の心までは忘れないで生きていけるだろうさ」

     皮肉気に、絶対の『悪』たる指標を打ち立てるかのように会長は笑ってその場を去った。
     残されたヒマリたちが呟けるのは、それこそ残された者のみに赦される慟哭である。

    「あの、私たち昼過ぎまではセミナー主催のメイドカフェで働くんですよね」
    「うん。スケジュールを見るに直行だよ」

     チヒロの返答に項垂れるヒマリだが、チヒロも極めて嫌そうな顔をしていた。
     対するウタハはどことなく愉快そうで、げんなりとした二人に笑いかける。

    「いいじゃないかメイド。私もやったことはないからね。あれだろう? オムライスに描くの」
    「萌え萌えきゅんとかいうアレね。こう、アトラクションみたいにやるってのは知ってる」
    「夢のテーマパークを意識する劇のようなものらしいですよ。現実に返したら負けだとか」

     ヒマリの言葉にリオが思わず呻いた。

    「つまり、展示場内に幻覚剤の噴霧を?」
    「違います!!」

     ミレニアムEXPO、一日目。まもなく開場である。

    -----

  • 160二次元好きの匿名さん25/05/27(火) 01:42:47

    保守

  • 161二次元好きの匿名さん25/05/27(火) 02:21:01

    リオは彼女ほど人の心を捨てられなかったな
    いいのか悪いのかは…わからんが

  • 162二次元好きの匿名さん25/05/27(火) 08:21:38

    いよいよミレニアムEXPOか…

  • 163二次元好きの匿名さん25/05/27(火) 15:51:01

    保守

  • 164二次元好きの匿名さん25/05/27(火) 20:58:37

    担々麺が作れないのはデータ不足か、それとも仕様か

  • 165125/05/27(火) 21:47:23

    「人、多いなぁ。はぐれないように気を付けてね」
    「アリアドネもあるし大丈夫だよ、ハレ先輩」

     その日、小鈎ハレは後輩の猫塚ヒビキと共にミレニアムサイエンススクールを訪れていた。
     中学生である彼女たちにとって高校生ばかりのミレニアムEXPOを見に行くのは少々ハードルが高かった。

     しかし、ミレニアムEXPOは技術の祭典。
     技術者の端くれとして一度は行ってみたいもので、ついに今年、勇気を振り絞ってやってきたのだ。

    「そういえばハレ先輩。先輩の『先輩』もミレニアムに入学したんだっけ?」
    「そうだよ。エンジニア部って部活に入ったんだって。各務チヒロ先輩と白石ウタハ先輩」
    「どういう人なの?」
    「……すごい人だよ」

     ハレは若干言葉を濁す。
     悪い人じゃない。進学するまで面倒も可愛がってくれたし身内には優しい。それに頭も良い。
     ミレニアムに進学するまで色々なものを作っていて、千年難題を本気で解こうとしていて、ハレにとっては憧れの先輩でもある。

     あるのだが……それでも。
     ハレは昔の惨劇を思い出して思わずぶるりと身を震わせた。

    「ヒビキ。二人とも普段は優しいけど、絶対に怒らせちゃ駄目だからね。特に千年難題の話は絶対に駄目」
    「どうして?」
    「……た、耕されるから」
    「耕っ――わ、分かった。絶対言わない」

     ヒビキはこくこくと頷いてそれ以上の追求を辞めた。多分聞いたら後悔すると思ったからである。
     そして同時に、優しい人は「耕される」なんてこと言われないとも思った。

  • 166125/05/27(火) 22:27:25

     活気に満ちたミレニアムを歩く二人は、タブレットPCの画面に映した学園の地図を確認しながら、時折人にぶつかりそうになりながらも進んで行く。

     屋台に上がっている看板も『チョコバナナ』や『焼きそば』といった普通のものから『スパムスティック』や『ラーメンバーガー』、『ミレニアム卵』なんてものもある。

    「色々あるね。どうする?」
    「先輩は?」
    「私はいいかな。お腹いっぱいになったら眠くなるし……」
    「じゃあ私もいいや。いまそんなにお腹空いてない」
    「帰りに何か買っていこうか」
    「うん。せっかく来たしね」

     二人の目的地はミレニアムタワー六階にあるエンジニア部の展示である。
     事前に配られていた紙媒体の地図では『未定』と書かれていたが、今日更新された公式HPの地図では『クラフトチェンバー』と書いてあった。
     なんでも、「好きなものが作れる3Dプリンター」とのことだが、その工法は従来の熱溶解積層法でも粉末床溶融結合法のような既存の工法とはまったく違うようで、部品ではなく完成品を作り出すことが出来るとのことである。しかも作れない素材は無いのだと言う。

    「すごいよ。完成品だよ。部品を作って組み立てるとかじゃないんだってさ。すごいよね」

     ハレは頬を緩ませてその構造を考えてみるが、まるで思いつかない。
     ヒビキもそれには同意した。特に素材の制限がないというところだ。

    「でも流石に木製は無理だよ。金属だったら切り出して組み上げればそれっぽくなるけど」
    「そう? 先輩たちなら出来るって気もするよ?」
    「そんなにすごいの? その先輩たち」
    「天才だよ。ミレニアムの」
    「ハレ先輩よりも?」
    「私は『普通』だよ?」

  • 167125/05/27(火) 22:45:20

     平然と言うハレであるが、何らかのバイアスがかかっているとヒビキは思った。
     既存の理論の最適化と実用化において、小鈎ハレは群を抜いていると見ていたからだ。

     研究の草稿を読ませてもらったこともあったが、今すぐにでも一線級の内容であることは間違いないだろう。

     ……そのことを理解し称賛できる時点でヒビキもまたその領域にいることの証左であるのだが、自身の才を自覚するのが難しいのはこの世の条理でもあろう。

     上を見上げれば果てが無い。『ただの天才』なんてミレニアムじゃ珍しくもない。
     求められるは『本物の天才』――世界を変え得る『特異点』。

     ミレニアムタワーとは天を貫かんばかりにただ上へと手を伸ばす技術の塔。
     それを見上げて、二人はタワーの中へと入っていく。



     タワーの中は外から見た以上に広く感じた。
     両翼に伸びる無数のエスカレーター。数を数えるに五階層までは吹き抜けで、如何にこのタワーが高いものかを無意識にでも実感させられる。

     ガラス張りの校舎は見慣れた中等部の校舎とはまるで別で、何だか場違いなような気まずさと遊園地に来たような高揚感が芯を貫いた。

    「ハレ先輩も来年からここに通うんだよね。すごいなぁ……」
    「ヒビキもだよね? ミレニアムに進学しないの?」
    「するけど……あまり想像できない」
    「私もだよ」

     例えるならそれは、ちょっぴり大人になったかのような期待なのかも知れない。
     ミレニアムのジャケットを羽織ってこんな場所をさも当たり前のように歩く自分が遠くに感じた。

  • 168125/05/27(火) 23:23:03

    「行こうか。六階ならエスカレーターで行けるし」
    「エレベーター。並んでるね」

     両翼に伸びる通路の向こう、エレベーターホールの混雑具合はエントランスからでも僅かに見えた。
     地図によれば東西にそれぞれ12基ずつ。計24基あるにも関わらずエレベーターを待つ人の姿は残り続けている。

     展示場も六階の次は二十階以上とエスカレーターでは厳しい高さだ。
     だからこそエレベーター前は混雑する。気軽に昇り降りするには精神的なハードルが課せられ、例えば屋台の並んだお祭り騒ぎのみを期待した来場者が上がってくることはない。

     その上で人が集まるのだ。それほどまでにミレニアムの展示は期待され続けている。
     例外と言えばミレニアムの外れにある展示場だろう。一階部がフルで使える部室棟。こちらにはマニアックな人気を博している展示が集まっており、クロレラ研究部がその最たる例だろう。噂によればわざわざ百鬼夜行から見に来ている者もいるとのことだ。

     ハレとヒビキがエンジニア部の展示物がある六階へと辿り着くと、そこは七つの部活がフロアを貸し切った展示場である。

    「ここの何処かにあると思うんだけど……」

     ハレが手元の地図画像を見ながら呟くと、ヒビキは脇から覗き込みながら呟いた。

    「エンジニア部だよね。大きいフロアなんじゃない?」

     そうしたヒビキの見解は結果的に間違っていた。
     海洋生物研究部、新素材開発部……掲げられた看板を見るだけで違うと分かる文言の羅列。
     それからフロアを一周する頃に辿り着いたのは、まるで捻じ込まれたかのようにスペースを二分された箇所である。

     まさか、と思う中でハレが看板を見ると、そこには確かにエンジニア部の文言。『クラフトチェンバー』の文字。ハレの顔が僅かに暗くなった。

    「もしかして……ここでも耕してペナルティを?」
    「耕すって何を……? 何を耕したの?」

     いよいよもって不安を口に出したヒビキであったが、そんな思いとは反面。『クラフトチェンバー』の前には多くの人が並んでいた。

  • 169125/05/28(水) 01:23:00

    保守

  • 170二次元好きの匿名さん25/05/28(水) 09:41:00

    耕す…

  • 171二次元好きの匿名さん25/05/28(水) 09:41:40

    保守

  • 172125/05/28(水) 13:20:11

     背伸びすると列の先には大型の機械が置いてあるのが辛うじて見えたが、これだけの行列だ。1時間は待つことになるだろう。

     ハレとヒビキが列に並ぶと、やはり前の方から感嘆の声が上がっている。
     いったい先輩たちは何を作ったのか、ワクワクしながらも辛抱強く待ち続けていると、ようやく『クラフトチェンバー』の全貌が見えてきた。

     『クラフトチェンバー』は縦に伸びる一つの長方形と、横に伸びる二つの長方形からなる機械であった。
     各箱には何を示しているかも分からないインジケーターなどが複雑に配置され、箱から伸びるケーブルが簡素なテーブルの上に置かれた40センチ四方の箱へと繋がっている。
     その箱の上にはシャッターのような覆いが配置されており、起動すると覆いが降りる仕組みのようだ。

    「なんか……」

     ヒビキがふと呟く。

    「手品のセットみたい」
    「私もそう思う」

     ハレも頷いて先の様子を見ると、テーブルにはチヒロでもウタハでもない見知らぬ生徒が着いていた。
     切りそろえられた黒髪赤目。何故か居心地の悪そうに俯いており、定期的に手元のボタンを押すと近くに置かれたスピーカーから澄んだ声が流れて来る。

    【リストにある素材を選んで、作りたい物を口答で仰ってください。出来上がった物はエンジニア部のブースに飾られます。あなたの前に居る陰気な生徒はただの運搬役なので居ないものとして扱ってくださいね】
    「う、うぅ……」

     ただの運搬役、もといボタンを押した生徒が悲しそうに呻いていた。
     いじめられているのだろうか。エンジニア部で何が起こっているのか見当もつかずハレは不安を覚える。

     しかし、そんな不安も『クラフトチェンバー』が稼働するところを見た瞬間に吹き飛んでしまった。

  • 173125/05/28(水) 13:21:06

     前の生徒が注文する番になり、その生徒は受付に座る生徒へと声を掛ける。

    「全部木で作られた時計とかって作れるの?」
    「…………できるわ。でも動力系が無いから模型になるけれど。設計データがあるならくれるかしら」
    「ないから適当でいいや」
    「分かったわ」

     受付の生徒が頷くと、手元の端末の操作してシャッターが下りる。
     それからたったの10秒でシャッターが上がり、そこには木製の丸い壁掛け時計が出現していた。

    「いやこれ手品でしょー!」
    「手品ではないわ。仕掛けはあるけれど」
    「仕掛け?」
    「ええ、機械で作っているのだから機械仕掛け……ふふっ」
    「お、おお……」

     妙なところにツボがあるのか受付の生徒は堪えるように笑っていたが、何がどう面白いのか理解できたものは誰もいない。場が静まる中、その生徒は不意に立ちあがって今しがた作られた壁掛け時計を手に取りブースの壁に掛けると再び席に着く。

     その辺りで、初老を迎えた獣人が声を上げた。

    「何でも作れる、という触れ込みに間違いはないのだな?」

     見ればその獣人の身なりは相当に良いもので、あまりスーツに詳しくないハレたちであっても気品のあるそのスーツがとにかく高そうということだけは分かる。

     何処かの企業の重役か、もしくは社長か。
     ミレニアムEXPOに来るのは何も生徒だけではない。投資家や大手企業の社員などが見込みのある研究を目当てにやってくることもあり、去年のEXPOでは海洋生物研究部の研究がマリンスポーツブランド『ハルピュイア』の社員の目に留まりセミナーを挟んで取引が行われたなんてのも有名な話だろう。

  • 174125/05/28(水) 13:21:25

     ここで発表された研究ひとつで多額の投資を受けることだっておかしくはない以上、いざそのチャンスが巡ってくると大抵の部員は平静では居られない。

     きっと受付の生徒もそうだろうと視線を向けると、意外にもその生徒は先ほどと一切変わらぬ様子で応対していた。

    「できるわ。けれど高価な素材は禁止されているから作れないのよ」
    「では、高価な素材で無ければ問題ないな?」

     受付の生徒はこくりと頷く。
     すると身なりの良い獣人は腕に付けていた時計を見せた。

    「これも作れるか?」
    「……ジャイロトゥールビヨンね」

     その単語を聞いた瞬間、ヒビキは「ひぇ」と小さく悲鳴を漏らした。
     ハレが首を傾げるとヒビキは手短に説明する。

    「最高峰の複雑機構のひとつ。作れる人はキヴォトスでも片手で数えられるぐらいしかいないぐらいで、ジャイロトゥールビヨンが搭載されたモデルは何千万とかする」

     まさに身に着ける芸術品。熟達した職人の更に上を行く至高の技術の結晶であり、間違っても3Dプリンターなんかで作れるものでは決してない。

     けれども受付の生徒は表情ひとつ動かさずこう言った。

    「できるわ。その腕時計と同じぐらいのものを作れば良いのでしょう?」
    「なっ――」

     愕然とする獣人を置き去りにシャッターが下りて10秒。
     たったそれだけで先ほどの木製時計と同じように腕時計が箱の中に出現していた。

  • 175125/05/28(水) 13:21:39

    「できたわ」

     その声に獣人は震える手で箱の中の腕時計を手に取り、そして叫んだ。

    「ば、馬鹿な……有り得ない……っ!!」

     それにはヒビキも同感だった。
     有り得ない。そもそも、そんな簡単に作れて良いものではないのだ。

     最高峰の職人が地に落ちるような、まさしく世界を変えてしまう発明。
     いったいエンジニア部は何を『作ってしまったのか』、もはや身の毛がよだつというほかない。

     そのことを獣人も理解したのか、半ば錯乱した様子で声を上げ続けていた。

    「ここ、これは実用可能なのか!? この3Dプリンターはいつ市場へ出る!?」
    「出ないわ。『クラフトチェンバー』には欠陥があるもの」
    「その欠陥とはなんだ!? どうすれば解消できる!?」

     獣人の言葉に受付の生徒は答えず、代わりに『問い合わせ用』と書かれたボタンを取り出した。
     押すと再び流れるのは澄んだ声の録音である。

    【『クラフトチェンバー』はセミナーのリソースをフルに活用して作られた実験機です。本日のために特別に稼働が許可されているため、実用化の目途は立っておりません。エンジニア部としてもこれはあくまで通過点でしかなく、更なる研究のため、皆さんには『支援』をお願いします。問い合わせについてはセミナー本部、生徒会長宛にて】

     スピーカーから流れる音声に唖然とする獣人は、我に返ったのか腕時計をテーブルに置いてすぐさま身を翻した。

    「し、失礼する……」

     受付の生徒は立ち去る背中を追うことも無く、今しがた作られた時計をテーブルの端に置いてあったガラスケースに納めると再び席に着く。何事も無かったかのように、平然と。

  • 176125/05/28(水) 13:21:50

     その騒動に呆けているうちに、気付けばハレ達たちの番が回って来ていた。
     ハレは一歩踏み出して、受付の生徒へと声を掛ける。

    「どうやって作った――じゃなかった。チヒロ先輩はいる……いますか?」
    「チヒロ?」
    「うん、あ、はい。チヒロ先輩の後輩の小鈎ハレです。チヒロ先輩に会いに来たんだけどいなかったから……」
    「ああ、それなら三階の喫茶店で働いているはずよ。昼過ぎまでのシフトだからそれまでに行けば会えるわ」
    「喫茶店で……?」

     ハレの中で『喫茶店で働くチヒロ先輩』という絵図がいまいち繋がらなかったが、そう言うのであればそうなのだろうと納得する。

     受付の生徒には「ありがとう」と謝辞を述べて列を抜けると、ハレはヒビキに視線を向けた。

    「まだ時間あるけど、もう少し見てから行ってみる?」
    「そうだね。『クラフトチェンバー』の話も聞きたいし、シフト終わりぐらいに行こう」

     それからこの六階フロアの展示物を見て回った後、二人は二十階以降にある他の展示場に行くべくエレベーターホールへと向かって行った。

    -----

  • 177二次元好きの匿名さん25/05/28(水) 21:36:51

    待機します

  • 178125/05/28(水) 21:43:19

    「ウタハ、これは何ですか?」
    「ミレニアム卵だね。アルカリで変性させて熟成させた卵だよ」
    「なるほど、またひとつ勉強になりました。ありがとうございます」
    「いえいえ」

     ウタハとマルクトはEXPOで賑わうミレニアムの大通りで、『ミレニアム卵』と掲げられた屋台を離れながら行き交う人々の様子へと視線を向ける。

     ミレニアムEXPO、一日目のエンジニア部はそれぞれに別れて行動していた。

     チヒロとヒマリはセミナーのメイド喫茶で給仕となり、リオは警備用に『ゼウス』を置いて『クラフトチェンバー』の受付を、残るウタハとマルクトでEXPOの散策を行っていた。

    「明日はリオも来られたらいいですね」
    「大丈夫だよ。受付は今日だけだから」

     明日以降のエンジニア部のブースには、今日『クラフトチェンバー』で作ったものを展示して『ゼウス』と保安部員たちに警備を任せるつもりである。
     投資家の目を引くために複雑な機構のものを何点か配置しろ、とは会長の指示であったが、なかなかに抜け目のないと感心するほかないだろう。

    「そういえばマルクトは何か物を食べることは出来るのかい?」

     屋台は多く、今ぐらいしか食べられない珍味もところどころに見かける。
     マルクトも食べられたらと思って聞いてみると、答えはすぐに返って来た。

    「可能です。口腔より喉を経由して胃に該当する内燃機関を作り出せば疑似的に『食事』を再現することができます。しかし、味覚の受容器を口内に限定する必要もないためそれ以外の方法で味を知ることも可能です」
    「例えば?」

     マルクトはウタハに手の甲を見せた。
     すると徐々に人差し指の爪が伸びていき、その切っ先が太陽光に反射して光る。

  • 179125/05/28(水) 22:01:27

    「爪に味覚受容体に該当するセンサーを搭載し、突き刺す。または手の平の表面を変えて握りしめるなどの手段があります」
    「傍目に見て行儀が悪そうだなぁ……。やっぱり経口摂取が一番溶け込めるね」
    「では必要とあればそのようにします」

     するすると伸ばした爪が戻っていき、それからマルクトは歩きながら改めて周囲を見渡した。

    「それにしても、かなりの人がミレニアムに集まっているのですね。あ、ちょうどいま他の自治区から来場者が五万人を突破しました」
    「あ、そうか。ミレニアム自治区だったら『見える』んだっけ?」
    「はい」

     頷くマルクトの視線は遠く、目の前の景色とは違うものを見ているのが傍目に見て分かった。

     『魂の感知』――マルクトの持つ機能のひとつである。
     ウタハはふと気になってマルクトに尋ねた。

    「ねぇマルクト。その『魂の感知』ってどういう風に見えているんだい?」

     普段の視界に重なって見えているのか、それとも視界を変えるようなイメージなのか。
     そのことを問うと、『普通の人間の感覚』を知らないマルクトは上手く例えられるよう慎重に言葉を綴った。

  • 180125/05/28(水) 22:23:05

    「見え方としては……そうですね。普段の景色が一枚のモニターに映っているとして、その隣にもう一枚モニターがある、と言って理解できますか?」
    「なんだか昆虫の視界の話を聞いてるみたいだ……。続けて」

     人間の持ちえぬ視界の話は共感ができないため理解も難しいが、ひとまず一つの映像に混ざっているわけではなさそうだった。マルクトは話を続ける。

    「『魂』が見える画面は夜空に似ています。暗闇の中で光り輝く数多の星々。そのひとつひとつが『生物の意識』であり光……と、例えるならこのようなものでしょうか?」
    「出現するセフィラもそうなの?」
    「いいえ、生物とセフィラの輝きは明確に異なります。生物の『魂』が星のような『点』であるなら、セフィラの意識は天の川のような『光の空間』です。何故かは分かっていなかったのですが、ネツァクから得られた情報を合わせてみるに、セフィラが意識の集合体であるのが原因かと」
    「だからセフィラが目覚める時に発生する大まかな場所が分かるんだね」
    「はい。一帯が輝き始め、収束した円という形で認識してます」

     生命体を判別する視界に映る数多の輝き。天辺の向こう。星々の輝き。
     それでふと思い出したフレーズがあった。

    「『星を追う者』……」
    「何ですかそれは?」
    「いやね。昔ヒマリが言っていたんだ。ネットワークを流れるトラフィックには遠い誰かに何かを伝えようとする意志が織り成す星空だって」

     送受信されるデータ群が行き交うことで放たれるトラフィックの白い光を『星』に例えたハッカーは言ったのだ。その『星』を追い求め、掴んで中身を覗き見る。それが自らの思うハッカーであると。

    「そうしたらリオがさ、ホタルを捕まえる子供みたいねって言ってヒマリがめちゃくちゃ怒ってさ」

     AMASやドローンを駆使した喧嘩が始まって、呆れながらチヒロと二人で見ていたらサーバールームに流れ弾が飛んで、本気で怒ったチヒロが二人を制圧したことを思い出し、ウタハは僅かに頬を緩めた。

     するとマルクトは首を傾げた。

  • 181125/05/28(水) 22:23:30

    「ホタル、とは何ですか?」
    「ああ、この辺りには居ないからね。百鬼夜行の方で生息している虫だよ。お尻が光ってて飛ぶんだけど、明滅しながら飛ぶから遠目で見るには綺麗だって聞くね」
    「明滅……眠いのでしょうか?」
    「うん?」
    「『魂』も明滅しますので」
    「そうなのかい?」

     聞けばどうやら人間の『魂』は眠そうであればあるほどその光が薄くなっていくらしい。
     そうなれば感知が難しく、不意の接近にも気付けないのだそうだ。

    「例えばですが、三徹目のチヒロは通常の半分ほど薄暗くなります。……そういえば、イェソドのときのウタハもほとんど見えていませんでした」
    「ああ……あの時は自分でも起きているんだか眠っているんだか分かっていなかったからね……」

     熱中症で倒れながらも『雷ちゃん』を動かしてイェソドを倒した時のことを思い出して、思わず苦笑いを浮かべる。

     そんなときだった。「ほとんど見えない」という言葉を聞いて、ふと思い出したことがあったのだ。

    「そういえばさっき、設営してた時だけど、会長が来たことに凄い驚いていなかったっけ?」
    「はい。普段はとても見えづらいので……。普通に輝いて見えるときはごく稀です」
    「そうなの?」

     それで思い出すのは7月のコユキ誘拐事件のこと。
     あれもいま思い返せば短時間で眠気が取れる薬を盛られてのことだった。

    「……もしかして会長。不眠症なのかな」
    「だとすればかなりの重症かと思います。完全に光が消える日は今まで一度もなかったので」
    「そうなんだ……」

     悪辣な性格もあってかそんな様子、一切見せなかった会長へ流石に同情してしまう。
     常に熟睡できず、自ら調薬するほどに合ってもなお、そのことを気取られないように振る舞っていると思えば多少の悪事も……。

  • 182125/05/28(水) 22:36:55

    「……いや、悪事は普通の本人の性格っぽいんだよねぇ」

     それはそれ、これはこれ、というものなのだとウタハは結論づけた。
     少なくとも、寝ぼけ眼であろうがなかろうが邪悪にニタニタと笑みを浮かべるチェシャ猫のような会長は会長なのだから。

     そんな物思いに耽っていると、不意にどん、と前を行く生徒にぶつかって思わずよろめく。
     相手も転びこそはしなかったものの、「あ」と声を上げてたたらを踏んだ。

    「っとと、済まない。大丈夫かい?」
    「いえ、こちらこそ」

     ズレた眼鏡をかけ直して、その生徒は振り返ることなく足早に去っていくのが見えた。
     ウタハは頭を掻いてその背中を見送る。

    「悪いことしたかな。周りにまで意識が向いていなかった」
    「人も多いですし、相手も俯いていたので仕方ないかと思います」

     マルクトが『慰める』という行為を行おうとしていることに気が付いて、ウタハはふと笑みを浮かべた。

    「ありがとうマルクト。それじゃあもう少しミレニアムを回ろうか」

     その言葉にマルクトは「はい」と頷いた。



     ――そして、ウタハにぶつかった生徒は耳に付けた小型スピーカーに手を当てながらミレニアムの大通りを歩き続ける。

     流れて来るのは『目標』の声だった。

  • 183125/05/28(水) 22:56:20

    【ありがとうマルクト。それじゃあもう少しミレニアムを回ろうか】
    【はい】
    「上手く行きましたね。どうして私がこんなことを……」

     音瀬コタマは自らが実働部隊として表に出るしかないこの状況を呪っていた。
     全ては『ミスター』の指示であり、報酬の対価としてやらざるを得ない作戦である。

    「こちら『シギンター』。白石ウタハに盗聴器を仕掛けましたので『特異現象捜査部』の全員の動きは捕捉できます。次の指示を」
    【『シギンター』。二十階以上の展示ブースであれば騒ぎを起こしても良い。いくつかの部へ工作を】
    「分かりました。……はぁ」

     通信を切ってコタマは溜め息を吐く。どうしてこんなことになったのかと。

     セミナー原理主義だの、そう言った思想に一切共感していないコタマがかのテロリストに与しているのには訳があった。

     といっても単純な話だ。
     コタマはミレニアムの各所に盗聴器を仕掛けており、拾えない音は一切ないというほどの徹底ぶりを発揮していた。
     聞こえる音に価値のあるものは少なく、けれども全てを網羅するからこそ意味がある。その中で例外が二つあったのだ。

     ひとつはセミナー会長の執務室。ミレニアムタワーの一階から直通のエレベーターが通っているらしいその場所は仕掛けようにも辿り着けず、一切音声が聞き取れない。

     もうひとつはエンジニア部の第三倉庫。仕掛けること自体は容易だが、何故か聞こえるはずの音すら聞こえない無音が続くのだ。試しにエンジニア部の全員が第三倉庫に入ったところまで目撃しても、仕掛けた機材は何一つ音を拾うことが出来なかった。そう、イェソドが来て数日経ってから突然不通になったのだ。

    (第二倉庫の話を聞くに『ホド』が来てからですね……。それに『セフィラ』は第三倉庫に格納されている……気になります)

  • 184125/05/28(水) 23:13:11

     コタマはこれまでの全てを聞いていた。
     『ポータルウォッチ』から始まった『黒崎コユキタイムスリップ事件』のことも、ミレニアムの電力を一瞬で使い切るブレーカー装置『タイムワインダー』のことも。

     そして、『マルクト』から始まった『ケテル』に至るための旅路のこともミレニアムサイエンススクール内で話された全ての音声を聞いていたのだ。

     そんな中で仮称『ミスター』はコタマに提案してきた。
     『ホド』が来てから調べられなくなった第三倉庫の音声と引き換えに協力しろ、と。

     あまりに怪しすぎる提案。加工に加工を重ねた音声から伝えられる勧誘に答えるわけ――

    「やります!」

     ――があった。だって聞き取れない空間の情報は何よりも大事だったから。

     実際に聞いてがっかりしてもいい。問題なのは網羅できていないということ。そのデッドスポットで好む音が発生していたら、それを後で知ったら死んでも死にきれない。コタマは寸分の迷いなくその取引に応じて――今に至る。

     コタマは自らのセーフハウスへと戻るや否や、壁に積み上げられたラジオから流れる音声の全てを聞いて『見る』。

     歩く音、囁く声、環境音に響く靴音。
     それら全てを聞き取って手元の地図へと目を落とす。

     聞けば分かる。いまどこに誰がいて何をしようとしているかなんて。

  • 185125/05/28(水) 23:13:29

    「保安部の配置転換が二十階で行われますね。テロ――ええーと『皆さん』。まずは五分後、二十階で爆破騒ぎを起こしてください。超電磁科学部の展示物を目詰まりさせて爆発。怪我人も何人か出してくれた方が良いそうです」

     了解、とすぐさま返ってくる声にコタマはげんなりと肩を落とした。

    「いつでも逃げられる準備だけはしておかないとですね……」

     過激思想のテロリストたちと心中だけはごめんだと言わんばかりに、コタマは逃げ出せる構図を組み上げていく。

     シギンター、音瀬コタマ。
     傍受、諜報、工作――潜入し、情報を収集することのみに長けた『天才』は頭を抱えた。

    「なんか良いように使われてる気がしてならないんですけど……」

     ラジオから爆発音が流れ出す。
     作戦は既に始まっている。あとはこれを一週間、誰にも見つからないように完遂すれば『会長の執務室』の音声を流してもらえるのだからやるしかない。

     悲鳴、爆撃、銃撃音。
     警戒対象である『エンジニア部』に届くことなく作戦は敢行され、『捨て駒』たちは保安部へと連行されていった。

    -----

  • 186二次元好きの匿名さん25/05/28(水) 23:24:26

    あーうん…その部屋の音声を流せる時点で…ね?
    話は変わるけど会長って本当に人間?人間だとしても本当に一人だけ?
    人間らしさはあるんだけど余りにも人でなしなのよ、言葉通りの意味で

  • 187二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 04:01:40

    このレスは削除されています

  • 188二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 04:06:24

    次スレ用の表紙が完成しました
    積み上げられた無数の残骸、その上に座す過去、現在、未来のマルクトを
    構図のモチーフにした絵画はエル・グレコの「聖三位一体」です

  • 189二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 09:48:23

    おお〜

  • 190125/05/29(木) 13:35:42

    >>188

    あ"っ良い……っ!!

    そしてモチーフと絵が割とクリティカルヒットしているので下手に感想言うとまだ書いてない部分のネタバレになる……!!

    次スレで使わせていただきます!!

  • 191二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 14:01:43

    そろそろ次スレですかね?

  • 192125/05/29(木) 14:58:54

    もう少しこのPartに詰め込めるかと思ったのですがハミ出そうなので次スレに回します……!

    今晩中にはスレ立てはしますが、話の続きを書き終えるのが先かホスト規制が始まるのが先かかなりギリギリになりそうなので、もしかしたら話の更新は明日になるかもです

  • 193125/05/29(木) 21:45:34
  • 194二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 21:47:56

    >>193

    たておつです

  • 195二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 22:07:23

    埋め

  • 196二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 23:22:23

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    最近会長から謎の成長性を感じる
    ネウロの弥子父みたいな

  • 197二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 03:03:32

    うめ

  • 198二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 06:25:48

    うめうめ

  • 199二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 09:40:47

    埋め

  • 200二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 10:13:14

    うめ

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