カーネーションに、継ぐ【SS注意】

  • 1◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:40:26
  • 2◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:41:13

    パチン、と静かな音がして、薄く裂けたゴムが風に流されていく。

    小さな指先は呆然と空を見上げたまま動かない。

    「…あ、割れちゃった」

    彼女の声は泣くでも笑うでもなく、ただ、事実だけをなぞっていた。

    その様子を少し離れたベンチから見ていた私は、ため息をついて立ち上がる。

    「大丈夫。大人になったらね、風船は割れるものだって自然とわかるようになるんだよ」

    「ふうん。じゃあ、お母さんも風船割っちゃったの?」

    「うん、たくさんね」

    「それって、ぜんぶ悲しかった?」

    少しだけ、空を見るふりをした。

    風船の中に閉じ込めていたのは、言葉にできなかった願いだった。

    膨らませるほど、割れる音がこわくなって。

    手放せば空へ、握れば壊れてしまうそれを、私は、どちらにもできなかった。

  • 3◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:41:44

    「悲しいときもあったよ。でも、そうじゃない時もあった」

    「そっか……じゃあ、わたしももっと割っていいの?」

    「いいよ。でも、ちゃんと見ててね。割れたあとに、なにが残るかを」

    「んー。ちょっとだけ、こわい」

    小さな手が私の手をぎゅっと握る。

    その柔らかい感触に、どこか懐かしさを覚える私がいた。

    昔、私も誰かの手をこうして握っていたような気がしたのだ。

    なにかを信じたくて、なにかを許したくて、指を絡めたあの日々の、確かさを。

    「こわいのは、欲しいものが見えないからなんだよ」

    私の言葉に、彼女は首を傾げた。

    彼女にはまだわからないだろう。

    「欲しいもの……」

    その言葉を、彼女はそっと反芻するように繰り返した。

  • 4◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:42:46

    いつか、彼女が大人になったら。

    きっと知ることになる。

    風船を割ることの恐怖も、罪悪感も、醜さも、幸福も。

    それが全部一緒くたになって、手のひらに落ちてくることも。

    見つめ合ったまま、彼女のまなざしに、昔の私を見た。

    「……そろそろ行こっか。お父さん、迎えに行くんでしょ?」

    「ねえ、お母さん」

    「うん?」

    「お花屋さん、行きたい」

    「お花? どうして?」

    「お父さんに渡すの。父の日だから。わたしが、プレゼントするの」

    優しい子だ、と思う。

    でも、そう思った瞬間に、心の底から湧きあがる罪悪感が喉元を焦がす。

    「…そっか。どんなお花がいいかな?」

    「うーん……すっごく、やさしいやつ。お父さん、みたいな」

  • 5◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:43:16

    その眼差しがあまりにも彼に似ていて、思わず笑ってしまった。

    「なんで笑うの?」

    「ううん、なんでもないよ、ごめんね。……あの人には、似合うかもね。」

    花屋は角を曲がってすぐのところにあった。

    小さな花屋だった。

    ガラスの向こうでは、温室育ちの花々が、夕陽を背にしてまどろんでいる。

    ドアを押すと、小さな鈴が鳴った。

    中には彼がいた。

    左手に花束。

    カーネーションが4本──赤、ピンク、そしてオレンジ。

    彼と目が合い、お互いに、少しだけ困ったように笑った。

    「……先、越されたかな」

    「それはこっちの台詞」

    娘がぱっと駆け寄って、花束を受け取る。

  • 6◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:44:11

    「これ、とってもきれい!なんてお花なの?」

    「これはね、カーネーション、って言うんだよ」

    私じゃなくて、きっと彼女が似合う花。

    まっすぐで、素直で、まだひとつも割れていない風船の色。

    娘は花を一輪ずつ見て、名前をつけるように振り分ける。

    「これがね、わたしでしょ。いちばん元気だから、いちばん赤いの!お父さんは青だよ!」

    胸元に一輪、差し込まれた花に彼は笑顔を見せた。

    「ありがとう。お母さんのはどの花?」

    「お母さんはこれ!やさしくて、ちょっと怒りんぼだから、ピンクと白のまんなか」

    「ははは、あんまりお母さんを困らせちゃダメだよ。……じゃあ、オレンジのは?」

    彼がそう聞くと、娘は照れくさそうに視線を落とした。

    「これは、まだ会ったことない子」

    それは娘の言葉を借りた、問いかけだった。

    風の音が、ふと止まったような気がした。

  • 7◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:45:09

    私は娘の後ろ姿を見つめながら、問いの根を思い出す。

    彼女にそう言わせたのは、私だった。

    何度も口にしかけては飲み込み、今では自分の声で言う勇気もなくなっていた。

    だから私は、彼女に託した。

    わがままで、不誠実で、でもいちばん私らしいやり方で。

    帰り道は、静かだった。

    胸元の花束が、夕日に照らされて金の香りをさらけ出す。

    娘は眠っていた。

    彼の胸に額を押しつけて、時おりぴくりと小さく笑っていた。

    「……さっきの聞こえてた?」

    「うん。聞こえてた」

    「……どうする?」

    「どう、しよっか」

    通りの角で、風がひゅっと鳴いた。

    夕陽が建物の隙間を縫って、私たちの影をのばしていく。

  • 8◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:45:37

    正しさなんて、花瓶に刺した水みたいに、日に日に濁っていくものだ。

    誰かが換えなければ、透明なままではいられない。

    けれど、私たちは今日も水を継ぎ足している。
    「無理は、しないでいいよ。いまのままでも、私は」

    「いや、たぶん──俺も、ほしいんだと思う。もう一人」

    「そっか。」

    指と指が触れて、迷いながら絡まる。

    ごつり、とした感触は昔と変わらなかった。

    「……もう一回くらい、風船、割ってもいいのかな」

    卑怯な言葉だった。

    かつて罪を分け合った共犯者に、もう一度罪を重ねてくれないかと、私が投げた風船だった。

    「うん。いいよ。俺もパーマーとその音聴きたい」

    私は、ふっと息を吐いて、よかった、と笑った。

    過去よりも、未来のほうがすこしだけ軽く感じられた。

  • 9◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:46:01

    ビールの泡が消えて、夏が終わって、冬の気配がするころ。

    少女の描いた落書きが、壁紙にうっすらと残っている。

    部屋の隅に片隅に花瓶が置かれていて。

    カーネーションが四つ、揺れている。

    赤と青が新しい名前を探している。

    ピンクは窓辺で鼻歌を歌っている。

    そしてもうひとつの色は──まだ、眠っている。

    小さな花びらが、音のしない言葉をささやく。

    もう逃げなくてもいいのだと。

    かつて抱きしめられなかったものに、

    いま、触れてもいいのだと。

    私は、うん、と言って、

    そっと水を継ぎ足した

  • 10◆GfmocIZ7xY25/05/17(土) 22:50:00
  • 11二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 23:08:52

    おもいねぇ
    しかしこれが本当のハッピーエンドなんだろうな

  • 12二次元好きの匿名さん25/05/17(土) 23:46:08

    何かあった世界線ってやつだ
    2人とも今の生活に満足はしつつも、時折ふと本当にこれでよかったのかという問いに苛まれて生きていくんだろうな

  • 13二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 02:45:54

    すげぇ質量のSSだ
    これハッピーエンドかビターエンドかはだいぶ意見分かれそうなやつだな
    トレーナーもパーマーのこと愛しちゃいるんだろうがこれからも二人には過去が重くのしかかるんだろうな…
    どうか子供には幸せな人生が待っていて欲しいが

  • 14二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 07:06:06

    B'zの【きみとなら】がEDに流れてそう

    憐れみとか強がりも要らない
    僕らはきっと離れられないんだろ
    悲しみ怒り後ろめたさ そっと隠してるつもりでも
    清々しいほどバレてしまう 心地よき降伏

    きみとならこの世界の果て
    のたうち回りながら fly away
    きみとなら 眠らなくてもいい
    時に自由にそして不自由に
    恋愛感情も超えていく不思議なソウルメイト

  • 15二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 07:56:50

    結果としては「二人は幸せな家庭を築いた」ことになるんだろうけど結局最初から最後まで二人はすれ違っているってのがなんだかなぁ

  • 16二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 10:36:39

    このレスは削除されています

  • 17◆GfmocIZ7xY25/05/18(日) 10:37:05

    感想ありがとうございます!

    >>11

    そうですね…耽溺の中で見つけ出した答えとしては一番良かったハッピーエンドなのかもしれませんね

    >>12

    始まりが歪んでいるからこそ常にこの家族の形に不安を抱かざるを得ないんですかね…

    ですがきっとそういうものなのかもしれないです

    >>13

    本当に子供には幸せになって欲しいですね

    トレーナーも良いお父さんできているので大丈夫そうな気はしますが

    >>14

    めっちゃ良い曲ですね…

    悲しみ怒り後ろめたさ そっと隠してるつもりでも

    清々しいほどバレてしまう 心地よき降伏

    という部分がすごく刺さります

    >>15

    「完璧な家族」というのは存在しませんからね…

    それでも互いにすれ違い続けたなりに頑張った結果なのかもしれません

  • 18二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 16:14:49

    ベストエンドではないタイプのハッピー側のエンドだ…

  • 19二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 20:19:20

    青のカーネーションの花言葉は「永遠の幸福」か...

    >>14を見ると永遠の降伏にも見えてしまうな...

    幸も不幸も紙一重で表裏一体ってか?

  • 20二次元好きの匿名さん25/05/18(日) 20:30:45

    パーマーはもうパマトレに一緒に共犯者になってもらうことでしか愛を確かめることができない、みたいな解釈にも思えてきたな…
    第二子を作ることを誘う言葉の裏でずっと一緒だよね?って暗に問い直すパーマー重スギィ!

  • 21◆GfmocIZ7xY25/05/18(日) 21:22:37

    感想ありがとうございます!

    >>18

    ベストエンドに至るためには犯した過ちが多すぎましたかね…

    >>19

    真の幸福へたどり着くことへの諦め、降伏という解釈は目から鱗ですね…

    幸も不幸も携えて共に永遠の道を歩む、というのもそれは美しいのかもしれませんね

    >>20

    前作で少しパーマーの表情が見えにくいな、と思ったので今作を書いてみたのですが確かに改めて見ると重いですね

  • 22二次元好きの匿名さん25/05/19(月) 02:45:21

    黄色のカーネーションがなくてよかった…

  • 23二次元好きの匿名さん25/05/19(月) 08:03:16

    選ばなかった選択肢は戻る事はないから“今”を最適解にしていくしかない 二人の道が三人の、そして四人のものになる未来は狭くともきっと幸せ

  • 24◆GfmocIZ7xY25/05/19(月) 12:53:23

    感想ありがとうございます!

    >>22

    黄色のカーネーションの花言葉って『軽蔑』『嫉妬』の意味があることを初めて知りました…

    >>23

    本当にそうですね…

    後悔も不安もあるけれどそれでも進み続けた先にきっと希望があると願いたいですね

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