【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part5

  • 1125/05/29(木) 21:44:52

    一年生のヒマリたちがミレニアムの謎に迫る話。


    ミレニアムEXPO開催中。

    スレ画はPart4の188様に書いて頂いたもの。相も変わらず美しい。


    ※独自設定&独自解釈多数、端役でオリキャラも出てくるため要注意。前回までのPartは>>2にて。

  • 2125/05/29(木) 21:45:04

    ■前回のあらすじ

    囚われたネルを救うべく奔走する一行は、辛うじて『勝利』のセフィラであるネツァクの確保に成功する。

    ネツァクと接続したマルクトは新たに拡張された機能を用いて人間と見紛う身体を手に入れた。


    そうして始まったミレニアムEXPOにて、エンジニア部の一行はひょんなことからセミナー会長の命令によりセフィラの機能をふんだんに使った展示物を作ることに。


    その展示物の名は『クラフトチェンバー』。

    そう名付けろという会長の言葉の意味も背後に渦巻く陰謀も未だ見えぬ中、エンジニア部たちを待ち構えるものは一体……。


    ▼Part4

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part4|あにまん掲示板ミレニアムの天才たちが10あるセフィラを攻略していく話。現在3体目、ネツァク戦開幕。スレ画はPart3の176様に書いて頂いたもの。励みになります本当に。※独自設定&独自解釈多数、端役でオリキャラも出…bbs.animanch.com

    ▼全話まとめ

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」まとめ | Writening■前日譚:White-rabbit from Wandering Ways  コユキが2年前のミレニアムサイエンススクールにタイムスリップする話 【SS】コユキ「にはは! 未来を変えちゃいますよー!」 https://bbs.animanch.com/board…writening.net
  • 3二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 21:47:35

    5スレ目だぁ!!
    楽しみぃ!!

  • 4二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 21:57:31

    ついにpart5、めでたいですね
    スレ画の文字無し版です、現在のマルクトの姿についてはまた後ほど

  • 5二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 21:59:08

    かんしゃあ

  • 6125/05/29(木) 22:01:22

    ※埋めがてらの小話17
    現在ティファレト編もとい『第四章:カイツール -醜悪-』ですが、主軸の謎の提示はこの章が最後なので気が逸らないようかなりセーブしながら書いてます。

    まぁ謎の提示とは言っても別に謎解きでは無いので推理できるかどうかは気にせず変に捻らず大プロット通りに運行するだけなのですが……。

    展開予想の感想は見てて楽しいものです。
    ここで「逆張りだぁ!!」とかやると派手に捻挫して命を落とすのはTRPGあるある。終盤で「やっぱりかー」と言われたらむしろ読んでいただいている方々が分かるように書けたことを誇りにします。ほんとに、無理に捻って「なんだったんだ……?」は誰も幸せになれないから……

  • 7125/05/29(木) 22:07:30

    ※埋めがてらの小話18
    やろうと思ってた伏線を張り忘れたり伏線がポエムになり過ぎて翌朝読んだ自分が「なに言ってんだこいつ?」ってなったり、本当によくあります。

    最近は「の」と「を」と「も」がぐちゃぐちゃになったりしてて驚きました。
    書き直したりするとよく発生しますね誤字脱字。wordで書けばある程度校正してくれますが、txtに慣れ過ぎてもう駄目です。

    千年紀行……完走はするつもりですが笛に上がるのは一体いつになるのやら……

  • 8125/05/29(木) 22:17:16

    >>4

    かんしゃあ!!

    そうです! 私の書きたいマルクトはこの絵のようなマルクトなんです。


    でも何故か最近脳内に「アリスです!」が無限増殖しているので「ゲーム部へ帰ってくれ!」と頑張って追い払ってます。ゲーム部が見えない明日へ希望を抱く話なら、弊エンジニア部は未知の冷たい暗闇へ飛び込むような雪山登山みたいな話を……もし千年紀行が完結したら次はギャグシナリオ書きます。なんか登場人物全員のIQがサボテンみたいなの。

  • 9125/05/29(木) 22:23:24

    うめ

  • 10二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 22:27:05

    このSSすき 小洒落たこと何も言えないけど応援してる

  • 11二次元好きの匿名さん25/05/29(木) 22:30:12

    >>8

    ありがとうございます

    ちなみに答え忘れていたのですがpart4のスレ画の元ネタはスレ主様の推察通りミケランジェロの「アダムの創造」です

    マイナーなものは今回のスレ画のように自己申告させていただきますが、その他は是非これまで通り推察してくだされば幸いです

  • 12125/05/30(金) 02:48:19

    >>11

    うめ。そしてそう言われたら頑張るほかありませんねぇ……!!

    雷帝の時に宗教画の浅い部分はさらったとて本当に付け焼き刃なので「多分これかな……!?」を過ごす日々。

    間違っていたらごめんなさい。あってたら一人無言で鼻を鳴らしましょう!!

  • 13二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 09:27:37

    保守

  • 14125/05/30(金) 13:04:45

    念のため保守。続きは今晩!

  • 15二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 20:53:08

    SS待機保守

  • 16125/05/30(金) 22:09:11

     二十階で爆発騒ぎが起こっていた頃、三階でも不満を爆発――とまでは行かずとも溜め込んでいた者がいた。

    「お、お帰りなさいませお嬢様……。メイド喫茶『おーたむ☆もーん』へようこそ」

     ロボ市民の客の前には一人のメイド。眉間に皺を寄せながらメニュー表を両手で抱えて、内股で軽く屈んでいる。どう見ても空手におけるサンチンの構え。油断すればアッパーカットが飛んできそうである。

     そんなメイドの臨戦態勢を前にした客は僅かにたじろぎながら、恐る恐る声をかけた。

    「あ、あの……『おーたむ』はともかく『もーん』って何ですか……?」
    「知らないよ――じゃなかった。わ、分かんないにゃぁ?」
    「ひっ――」

     零れる悲鳴。背中を見せればやられる――
     客は、じり、とメイドを刺激しないよう目を合わせたままゆっくりと一歩後ろへ後ずさる。
     その様子が気に食わなかったのか、メイドは前傾姿勢を深くして眉間の皺を濃くしていく。アッパーカット、いや、ジャブからのストレートを幻視させるほどのファイティングポーズ。遂に客は悲鳴を上げた。

    「こ、殺されるぅぅううう!!」
    「え、あの、なんで……?」

     脱兎の如く逃げ出す客に困惑するメイドはぽかんとひとり残されて、そこに店の中から声が掛けられた。

    「駄目だなぁチヒロちゃんはぁ~? あれじゃあどこからどう見ても『今から拳でお前をぶち抜く』って感じだよぉ~?」
    「知りませんよ……。あと満足したんだったら私の眼鏡返してください」

     ケラケラと笑う会長がメイド――もといチヒロへ眼鏡を手渡すと、チヒロは溜め息を吐きながら眼鏡をかけ直した。

  • 17125/05/30(金) 22:39:21

    「これ、一週間もやるんですか?」
    「まぁまぁ、今ぐらいしかサボれる時間ないんだよ。流石にEXPO中はバタつくしさ。今ぐらいオモチャになってくれてもいいと思わない?」
    「思いません。あと仕事があるなら戻ったらどうです?」
    「酷いなぁ~? それでもメイドかい? ほら、ヒマリちゃんを見なよ。もうあんなに馴染んでるってのにさぁ~?」

     そう言って会長が喫茶スペースの奥へと視線を向けると、そこには同じくメイド服を身に纏ったヒマリの姿があった。

    「フルーツパフェ、オムライス、アイスコーヒーをお持ちしました。ああ、ちょっと失礼。ここに置きますね」

     席に着く二人組のトリニティ生の前に置かれていく注文。それからヒマリは手を打って、二人の視線を集めた。

    「それでは、美味しくなる魔法をかけていきますよ。私が『おいしくな~れ』と言ったら続けてお嬢様方も『おいしくな~れ』と続いてください」
    「私たちもやるのですか?」
    「はい。それがメイド喫茶のルールですから」
    「なるほど……。少々恥ずかしいですが、分かりました。ほら、ツルギもやりますよ」
    「食べるのはハスミひとりなのだから私は別に良くないか……?」
    「ツルギにも一口あげますから! ほら、一緒に!」

     ハスミと呼ばれた少女に押し切られて、ツルギと呼ばれた少女が溜め息を吐いてヒマリの方へと目を向ける。準備は整ったようだ。

    「ではいきますよ。『おいしくな~れ』」
    「おいしくなーれ」
    「『おいしくな~れ』」
    「おいしくなーれ」
    「『もえ』」
    「もえ」
    「『もえ』」
    「もえ」
    「『きゅーーん』」
    「きゅーーっひ、光始めましたよパフェが!?」

  • 18125/05/31(土) 00:05:38

     ハスミが驚いて声を上げ、ツルギはヒマリの袖口を見ていた。
     セミナー主催メイド喫茶『おーたむ☆もーん』特別メニューの光るパフェである。

     といっても仕掛けは単純で、パフェグラス全体をスイッチで光らせてまるでパフェそのものが光っているように見せかけているだけである。客の視線がグラスに集まった瞬間を見計らってヒマリが手早くリモコンのスイッチを入れているのだが、相も変わらず慣れるまでが本当に早い。

    「ほら、あれぐらいは出来るようになってもらわないとさぁ?」
    「だったらせめて練習時間くださいよ……。あとオムライスに相対性理論の数式書き始めてますけどそれはいいんですか?」
    「いいんじゃない? ミレニアムだし」
    「便利過ぎませんかその免罪符……」

     チヒロが呆れていると、ちょうどそのとき会長の携帯が鳴った。
     通話に出た会長は「ああ、うん。いま行くねー」と返事をして電話を切る。

    「なんか上でトラブルが起きたっぽい。はぁ、嫌だねぇ生徒会長っていうのもさ。こういう時ぐらいはのんびりしたいのにさぁ~」
    「散々職権乱用しておきながらよく言えますね……。さっさと行ってください」
    「冷たいなぁチヒロちゃんは~」

     会長はどことなく恍惚とした笑みを浮かべながらふらふらと喫茶スペースから出ていき、それを見送ったチヒロは力を抜くようにぐったりと肩を落とした。

    「やっと解放された……。本当になんなのまったく……」

  • 19二次元好きの匿名さん25/05/31(土) 00:05:58

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  • 20125/05/31(土) 00:07:05

     からかうためだけにメイド指導を受けさせられ続けてすっかり疲れ切ってしまったが、もうすぐ今日のシフトが終わる時間。リオの手伝いに行くかマルクトとEXPOを回るか考えていると、ちょうど新たな客の影が見えて仕事モードに切り替えた。

    「いらっしゃいませ。二名――」
    「チヒロ先輩……?」
    「……………………え、ハレ? なんでここに?」

     客の声に今度こそチヒロは頬を引きつらせた。
     望まぬメイド服を着てちょっと友達やヒマリたちに笑われるぐらいなら良い。

     だがそれが来るだなんて思ってすらいない後輩だったらどうか。

     件の後輩は困惑したようにチヒロを眺める。

    「なんで、メイド……?」
    「――お客様。奥へ、なるべく奥の方の席へご案内しますね」

     チヒロはがっしりとハレと、その隣にいた少女の腕を掴むと喫茶スペースの方へ有無を言わせず引きずり込んだ。
     捕まった二人はただ屠殺される瞬間を待つ家畜のように項垂れながら、抵抗することなくついて行く。

    「ハレ先輩……私たち、殺される……?」
    「……そうかも」

     そうして一番出口から遠い席へと座らされたハレとヒビキは、かたかたと震えながらじっとテーブルに視線を落としていると、テーブルに、どん、とメニューが突き立てられた。

    「ご注文はパフェ二つとアイスコーヒー二つでよろしいですね? 今なら無料です」
    「あの、チヒロ先輩。私、言わないよ。絶対誰にも言わないよ?」
    「ご注文はパフェ二つとアイスコーヒー二つでよろしいですね? 今なら無料です」
    「壊れちゃった……」

     仕方なくコクコクと頷いて口止め料を受け取ることにすると、すぐさまチヒロは注文を持ってきて、そのままハレたちの席へと座った。

  • 21二次元好きの匿名さん25/05/31(土) 04:36:23

    保守

  • 22二次元好きの匿名さん25/05/31(土) 09:23:38

    きっと運ばれてきた物に何か入ってるんだ…

  • 23125/05/31(土) 13:46:20

    「はい。これでもう言っちゃ駄目だからね。……はぁ、あんたが来るなんて考えてもみなかった」
    「迷惑だった?」
    「まさか。いますっごく恥ずかしいだけ」

     目を押さえて天を仰いでいると、そこに「チーちゃんともあろうものがサボリですか?」とヒマリがやって来て、チヒロは「うげ」と声を漏らす。

    「もう少し接客に時間がかかると思ったのに……。あれやったの? くまくま……」
    「『くまくまじかる☆』ですね。まぁまぁ好評でしたよ」
    「『くまくまじかる☆』?」

     聞き慣れぬ単語にヒビキが首を傾げると、ヒマリは微笑んで両手で握り拳を作る。

    「パフェを頼まれたときにやるのですよ。こう……『それでは魔法をかけましょう。くま、くま、まじかる~』」

     ヒマリが腰を捻りながら握った拳を開いて閉じてを繰り返す。
     恐らくは愛嬌を振りまくように行うのが正しいのだろうが、ヒマリの動きがあまりにキレの良いせいで一周回って珍妙な振り付けになってしまっている。

     その動きにハレは半分笑い、半分困惑といった表情を浮かべていたが、ヒビキの目はキレの良い振り付けよりもメイド服の方を追っていた。

    「それ、触ってもいい?」
    「いいですよ。どうぞ」

     許可を貰ったヒビキは早速と言わんばかりにメイド服のフリルやスカートに手を伸ばす。
     生地の素材や繋ぎを確かめるよう丁寧に触れて見て、「すごい」と声を漏らしてそのまま続けた。

    「このメイド服、継ぎ目がほとんどない。隠してあるっていうより最初から無い。どうやって作ったんだろう……」
    「これ、そんなに凄いものだったんだ……」

     チヒロも自分が来ているメイド服を摘まみながら、それでも大して興味もなさそうに呟く。

  • 24125/05/31(土) 14:47:37

     その辺りでヒマリが口を開いた。

    「そろそろ自己紹介でもしましょうか。チーちゃんの中学校時代の話とか聞きたいですし!」

     それからヒマリが前略で片付けられる仰々しい自己紹介を行うと、ハレたちもそれに続いた。

    「それではハレ。チーちゃんの武勇伝とかありませんか? ウタハとはその頃も一緒にいたんですよね?」
    「うん、そうだよ。チヒロ先輩とウタハ先輩、大体一緒にいたし、その……武勇伝というか……」
    「何かあるんですね!?」
    「やめてよもう……」

     ヒマリの食いつきようを横から見ていたチヒロが観念したように溜め息を吐く。
     無理に止めても確実にバラされるのなら、せめて訂正できるよう自分の目の前で話してもらった方がマシである。

     ハレはチヒロをちらちらと伺いながら、そっと口を開いた。

    「『ミレニアム三区中等部のブラッディフライデー事件』って言うのがあったよ」
    「え、何それ知らない」

     どうやら当人らしいチヒロ自身ですら聞き覚えのない単語に困惑するも、ハレは噂話を話すように続けた。

    「二年前、私が中等部に入学した頃の話なんだけどね。当時二年生だったチヒロ先輩は三年生から嫌がらせを受けてたんだって」
    「そうなのですか?」
    「あー、うん。そういえばあったねそういうことも……」

     チヒロが遠い目で苦々しい表情を浮かべる。
     要は天才ふたり、上級生に嫉妬されていたらしい。それで工具を隠されたり作ったものを壊されたりと様々な妨害があったとのことだ。

  • 25125/05/31(土) 14:47:50

    「まぁ別にどうでも良かったんだけどね。対処できてたし、盗まれたのなら盗めないようにするとか色々やりようもあったし」

     結果、「またか」ぐらいの感覚であしらっていたとのことだが、それでも怒りが湧かなかったというわけではない。ただ爆発するほどでもなかったというだけのこと。問題はそのあとだった、とハレが話を再開する。

    「それでしばらく経ったある日にね。嫌がらせをしていた先輩がチヒロ先輩に言ったんだって。『千年難題なんて子供騙し、そもそもあるわけないじゃん』って」
    「確かに中等部だと千年難題の具体的な内容までは分かりませんからね。それで、どうなったんです?」
    「次の日、昇降口が血に染まったんだって」
    「待って待って! そこまでやってない!! ねぇ何がどう捻じ曲がったらそんな話になるの!?」

     チヒロがすかさず声を上げたが、明らかに何かやったことだけは分かった。
     ヒマリはハレへ視線を向けて続きを促すと、ハレは頷いて口を開いた。

    「千年難題を否定された二人はそのあとすぐに近所の農家から修理のボランティアって名目で凶器のトラクターを調達したんだって」
    「違う違う! たまたま農家のところに行ったら調子の悪いトラクターがあったら申し出ただけで……」
    「チーちゃん。探しに行かないと農家のところまでいきませんよね? たまたまトラクターだっただけでしょう?」
    「うぐっ――」

     どう考えても計画的犯行である。まさに正しく『事件』だった。

    「それで次の日の朝、みんなが登校する中で突然トラクターが走って来てね。嫌がらせをしていた先輩が轢かれたんだよ。5、6メートルは吹き飛ばされたんだって」
    「チーちゃん?」
    「お、おいしくな~れ、おいしくな~れ」
    「いや無理ですよ? 挽回できませんよ?」

     チヒロが頬を引くつかせながら可愛らしく両手でハートを作り始める――が、既にトラクターで轢かれている生徒が居る以上可愛らしくなりようもない。

  • 26125/05/31(土) 14:48:06

    「それが二年前の『ブラッディフライデー事件』の全容ですか?」
    「ううん。先輩を轢いたトラクターは……ほら、トラクターって後ろに畑を耕すための刃が沢山ついてるでしょ?」
    「まさか……」
    「そ、それでは魔法をかけましょう……」
    「うん。そのまま歯を下ろして挟んだまま、その歯を……」
    「くま、くま、まじかる~」
    「悪魔じゃないですか……」

     挟み込まれてガリガリと切り刻まれ続けた生徒の姿を思い浮かべて、流石のヒマリもチヒロに引いた。

    「それで昇降口は血に染まって、高笑いしながら『私たちの夢の邪魔するヤツはこうなるぜぇ!』って……」
    「言ってない言ってない! というかもう誰それ!? それに血塗れにはなってないから!」
    「血塗れ『には』?」
    「ちょ、ちょっとだけ血も出てた気がするけど、夕方には塞がってたから……。かすり傷、みたいな? っていうか、そもそもフライデーとか言ってるけど確かあれ水曜とか週中だったはずだし、ブラッディでもフライデーでも無いから!」
    「でも、撥ねてガリガリしたんですよね?」
    「……も、黙秘権を行使させて」
    「ではハレ、他にも話を聞かせてください」
    「うん。他にも『アルテミス打ち上げ事件』とか色々あるよ」
    「ああもう――っ! あんたが来るなんて本当に思ってなかったんだからこっちは!!」
    「迷惑だった?」
    「今となってはね!!」

     チヒロは「うあぁぁ」と呻きながら顔を覆った。
     怒っているというより暴れ回った過去を暴かれて気恥ずかしいといった様子だろうか。

     指を間から目を覗かせて恨みがましい口調で言うのはこんな言葉である。

    「てっきりまたドローンで覗こうとして失敗するって思ってたのに」
    「ドローンで覗けないのですか?」
    「なんであんたが知らないのよ……」

  • 27125/05/31(土) 15:02:23

     ミレニアムEXPOは、ミレニアムの警備が最も薄くなる期間でもある。
     そしてミレニアムの研究はキヴォトスの最先端を行くもの。訪れる全てが観光に来る生徒や企業人というわけもなく、中には研究を盗もうとする組織だって存在する。

     故に、外部から飛んで来るドローンの類いは問答無用で全て撃ち落とされる。
     保安部は普段以上の緊迫感を以て警備にあたり、ミレニアムを管理するセミナーは全員業務に追われている。

    「特に今年はセミナー原理主義なんてテロリストもいることだし、少しの異常も見落とせないぐらいにはピリついてるはずなんだけどね」

     チヒロがそう言うと、ヒビキは「あ」と声を上げ、ハレもまた「じゃあやっぱり」と顔を見合わせた。

    「どうしたの二人とも」
    「あ、うん。さっきヒビキと一緒に二十階の展示場を見ていたんだけどね。展示物が爆発して騒ぎになってたよ」
    「そうなの?」

     ハレが言うにはミレニアムで作られた家庭調理機の展示ブースで爆破騒ぎがあったらしい。
     怪我人は片手で数えられる程度。みな軽傷で、簡単な応急処置をされたとのことだった。

    「皆かすり傷ぐらいだったけど、保安部の人が沢山来てたよ。なんか爆弾を仕掛けられてたみたいで……」
    「あんたたちに怪我はない?」
    「ちょっと転んだぐらい」
    「そう……。まぁ、せっかく来てくれたのにそれじゃあ安心して回れないよね」
    「チヒロ先輩……?」
    「うちの子に怪我させたんなら『ケジメ』ぐらいはとって貰わないと、ね?」

     チヒロは少なくともカタギではない壮絶な笑みを浮かべた。
     よく考えなくともヒマリは分かる。会長への鬱憤を晴らす八つ当たりも確実にそこへ含まれていると。

  • 28125/05/31(土) 15:56:03

     ハレが「やっぱりチヒロ先輩だ」と遠い目をして、ヒビキが「これがチヒロ先輩なんだ」と目を逸らし、ヒマリが「とりあえず犯人でも捜してみますか」とノリ気になったところで、メイド喫茶へやってきた集団があった。

     ミレニアム保安部。その先頭に立つ書記はチヒロたちのいるテーブルまでやってきて、チヒロも書記へと目を向ける。

    「数刻ぶりですね。エンジニア部へのお気遣い、ありがとうございました。おかげで上手く回ってます」
    「そうですか。それは良かったです」

     ある種形式ばった書記とチヒロの応答。しかしエンジニア部へ気を回してもらったのは確かで、それに対するチヒロの感謝は本物である。

     だが、書記の様子が少々妙であった。
     どことなく冷たい視線を向けながら、淡々と言葉を続ける。

    「しかし驚きました。ガンクを狙ってこんなところにいたのですか?」
    「ガンク?」
    「ガンクというのはジャングラーが……いえ、説明は省きましょう各務チヒロさん。いえ、『セミナー原理主義』の各務チヒロさん?」
    「…………はい?」

     書記の言葉の意味が一瞬理解できず、チヒロは思わず呆けた表情を浮かべる。
     そんなチヒロを置き去りにして、書記はチヒロにかけられた嫌疑を読み上げた。

  • 29125/05/31(土) 15:56:13

    「ミレニアムEXPOが原理主義者に狙われることは会長からも警戒するよう指示されてました。そこで起こった爆発事件。そこで何が爆発したのか……ご存じですよね?」
    「え……確か家庭調理機――」

     そう言いかけて、それと自身がどう繋がるかに思考を回した瞬間、チヒロの顔がさっと青ざめた。

    「分子……調理機……?」
    「あなたには爆発物を作成しEXPO内へ運び込まれるよう手引きした嫌疑がかけられてます」
    「ま、待ってよ! あれは化学調理部に頼まれたから作っただけで――!」
    「セミナー原理主義と言えば『千年難題に執着しているテロリスト』です。その上で会長の権威を落とすEXPO内での爆破騒動……。会長に恨みを持つあなたが疑われるのは当然では?」
    「それは――っ」

     チヒロの作った『分子調理機』が爆発して、加えて千年難題への執着も会長へ良からぬ感情を抱いているのも否定のしようもなく、そう考えればあまりに自然な嫌疑である。

     するとヒマリが横から口を挟むように叫んだ。

    「待ってください! 確かにチーちゃんは悪辣な手段にも手を染めることだってありますが、そんな回りくどいことはしません! やるなら会長に直接ミサイルを叩き込みます!」
    「しないよ!?」
    「入学直後にセミナーへロケットを打ち込まれてましたが?」
    「してたよ私――ってあれ私じゃなくてウタハだって!!」
    「先輩……?」
    「そんな目で見ないでハレ――!!」

  • 30125/05/31(土) 15:56:23

     挽回しようもないほどに状況が悪化していく。
     書記は背後に並ぶ保安部のひとりから巨大な銃――アンチマテリアルライフルを受け取りながらガシャリと銃弾を装填して振り返る。

    「抵抗するならばセミナー書記ではなく『保安部部長』としてあなたを制圧します。抵抗は、なされますか? むしろしてみませんか?」
    「しないから!! ――ヒマリ。とりあえず捕まっておくから犯人見つけ出して。あとボコボコしておいて」
    「ボコボコは美しくないのですが……チーちゃんの冤罪は晴らしますので分かりました」

     そうして連行されていくメイド姿のチヒロの背中を眺めながら、ヒマリはぽつりと呟いた。

    「セミナー原理主義……。いったん片付ける必要がありそうですね」

     これまでのセフィラ探索を振り返るに、出現は大体月に二回。
     確保から一週間の間は出てこなかったことから、一週間以内に解決しておかなければ次のティファレト戦に影響が生じるのは確か。

    「セフィラと比べれば人間の相手なんて大したことありませんとも。パパっと解決してしまいましょう」

     そう意気込むヒマリであったが――後に思い知ることになる。
     未知の脅威たるセフィラを攻略して来た者こそが『人間』であったということを。

    -----

  • 31二次元好きの匿名さん25/05/31(土) 16:14:24

    耕す(物理)

  • 32125/05/31(土) 17:02:17

     同時刻。ミレニアムタワー五階、エンジニア部ブース。
     受付席に座るリオの耳にも噂として聞こえてきたのは『二十階爆破騒動』のことである。

     巡回する保安部の異様な気配を察してか、来場者たちもタワーから離れつつあり地上の展覧物へと向かったようであり、つまるところ『クラフトチェンバー』への長蛇の列は殆ど無くなっていた。

    (私たちはともかく、他の部活には結構な損失ではないかしら……)

     ミレニアムEXPOに『賭けている』部活は少なくない。
     エンジニア部としては別にネツァクの『物質変性』がある以上、以前と比べてそれほど材料の工面に困っているわけではない。

     リオは押す度に嫌味が飛んで来るボタンを押しながら来場者を捌き続け、周囲の物々しさと比例するように減っていく来場者たちを眺めながらようやく全ての待機列が無くなった、その時だった。

    「ちょっといい?」

     声を掛けられて顔を上げると、いつの間にかそこにはひとりの生徒が立っていた。

    「『クラフトチェンバー』って、誰が設計したの?」
    「セミナーよ。正しくは会長だけれど」
    「そっか。マルクトとはもう会ってるの?」
    「ええ」
    「そうなんだ。そっか……いるんだ」

     リオの前にはひとりの生徒が立っている。ただ『それだけ』である。
     その生徒は「ありがとね」と言って去っていき、その頃にはリオの意識も別の方へと向かっていた。

    「『爆破騒動』……嫌な予感がするわ」

  • 33二次元好きの匿名さん25/05/31(土) 17:02:27

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  • 34125/05/31(土) 17:09:00

     例えば冤罪。エンジニア部はあまりに色々とやっている自覚はリオにもあった。
     もしくは『できる』という自負か……ともかく。悪意を持つ誰かが罪を擦り付けようとするのであればそれ自体は容易である。

     今までそれが為されなかったのは単にエンジニア部の過激な活動があってのことであり、敵対者の意思があればその計画をヒマリが察知しチヒロが潰して、それでも暴走するものがいればリオが削ってウタハが大鑑巨砲の如き火力を浴びせかける――。

     いつしか敵対者は居なくなっていたが、それでもなおは李下の冠。煙は昇る。
     念のため何があっても隠れられるように、リオはネツァクが繋いだ擬装ケーブルへと触れておく。

     イェソドを通じてネツァクの触れるもの――即ちリオを飛ばせるように。
     もしくはホドによる視覚擬装で姿を眩ませられるよう、一応の警戒態勢を取った。

     すると、隣の古代史研究会のブースから叫び声が上がった。

    『テロ!? 私たちが!? そんなわけ――弁護士は! 弁護士はいないのかぁ!!』
    『ないよ、そんなの』

     そんな声が聞こえた瞬間、リオはホドを通じてネツァクに指示して『休憩中。お問い合わせはセミナーまで』と書かれた看板を生成。即座に受付席へと立てかけイェソドへ叫んだ。

    「第三倉庫へ飛んでちょうだい! ホドは私たちの姿を消して!」

     よく分からない時はとりあえず姿を隠す。それが臆病者の鉄則であり、最後まで生き残るものの共通項。ここで避けるは『捕まった』という事実のみ。何が起こっているかは分からずとも、一度捕まれば解決まで捕まっている『フリ』をするためにリソースを削る必要がある。

     脱出だけならセフィラがいれば充分。
     しかして捕まりその後に逃げればセミナーそのものに追われ続けるのだから、社会に属する以上やれる好き勝手には限度がある。

     かくして、イェソドの『瞬間移動』とホドの『波動制御』による視覚操作をネツァクが繋いだところでリオの姿はその場から掻き消えた。



     その様子を、通信機越しに知る者がミレニアムの何処かに居た。

  • 35125/05/31(土) 17:25:33

    「リオさんは逃しましたか……。まぁセフィラを使えば当然でしょう」

     数多のラジオが積まれたセーフハウスの中で、音瀬コタマが囁いた。
     聞こえるラジオのひとつから流れるのはセミナー原理主義の一部隊の声である。

    「各務チヒロは捕らえられたそうだ。他は?」
    「『気にせずに』。連絡が来るまで潜伏を」

     コタマはセフィラの情報を伏せたまま待機を指示した。
     別にテロリストたちは捕まっても良い。手駒は減るが、捕まってくれた方が逃げ出す上ではむしろ助かる。

     まったく分からない未知のセフィラが相手ではない。既に『特異現象捜査部』が解体した『未知』は既に『既知』であり、ともすればコタマにとって対策可能な事項に過ぎない。

     それが『情報』を持つということの力。

     収集能力においてはヒマリもトップクラスではあるが、無作為絶対な捜査能力を持つヒマリと違ってコタマはミレニアムに限定したうえでリアルタイムで追い続けている。いまこの瞬間この一点において、コタマの情報収集能力を凌駕する者はいないのだ。

    「将を射るなら馬より将を射ればいいんですよ」

     マルクトによる感知能力も直接会って魂と自分の照合さえ行わなければ、ミレニアム全域で『魂の感知』が行われたとてどれが自分で自らが何処にいるのかまでは特定できない。

    「エンジニア部を排除して、そうしたら私は――マルクトの駆動音を聞きます!」

     机上の空論たる第一種永久機関が流す音とはどんなものなのか。
     ただそれを知る為に、ついでに会長の執務室の音声を手に入れるためにコタマはその我欲を求め続けた。

    「待っててください私のマルクト! もうじき会いにいきますよ!」

     特異現象捜査部vsセミナー原理主義、その戦いの火蓋が今、切って落とされた。
    -----

  • 36二次元好きの匿名さん25/05/31(土) 19:29:41

    >>32

    クラフトチェンバーもマルクトも知ってるって何者?

    怖い…

  • 37125/06/01(日) 00:55:11

     保安部に連行されたチヒロが入れられたのは、ミレニアムタワー内部に存在する収容施設である。
     白い廊下の左右にはガラス張りの小部屋が並んでおり、既にいくつかの部屋へ生徒が閉じ込められていた。

     閉じ込めれた生徒たちは保安部の姿を見るや否や悪態を吐いていたが、ガラス越しにくぐもって聞こえる言葉から彼女たちが捕らえられたセミナー原理主義の生徒であることは間違いない。

    「入れ」
    「ねぇ、せめてメイド服から着替えたいんだけど……」
    「駄目だ。エンジニア部は何をしでかすか分からないからな」
    「はぁ……。分かったよ」

     チヒロは渋々頷いて独房のひとつに入っていくと、扉が締められ部屋の明かりが点く。
     中は簡素なベッドと便器が置いてあるぐらいで、それ以外には何もない。幸いにも空調は効いているようで不快感もなく、部屋自体も綺麗に整えられていた。

     さしずめビジネスホテルの一室。ガラス張りなのは頂けないが、それでも何日も勾留されてていいわけもない。
     いざとなったらマルクトに連絡してイェソドに出してもらうしかないが、その手段は本当の本当に最終手段だろう。

     ベッドに腰かけて一息つき、それから今回の事件について考えを巡らせてみることにした。
     書いたコードを口に出して確かめるように、チヒロは自らの想像を声に出し始める。

    「セミナー原理主義……その名前が出て来たのはマルクトと会ってからイェソドが出現する少し前、だったかな」

     イェソド戦の後にリオがネルの勧誘に向かった時のことを思い出す。
     そのとき聞いたネルの状況は、イェソド出現前後のタイミングでセミナー原理主義を名乗るコミュニティがミレニアム内の部活に襲撃をかけていたという話だったはずである。

     つまり、結成されたのは恐らくもう少し前だろう。
     チヒロたち視点なら、大体マルクトと出会ってからマルクトの機体を調査していた頃とも言える。

  • 38125/06/01(日) 00:55:27

    「実はもっと前から存在していていざ動き出したって可能性は……」

     口に出しては見たものの、それは無いと考えた。
     水面下で計画を練るような慎重さはあまり感じられない。ただ散発的に襲撃を行っている程度で、その在り方は秘密結社というよりも一介の不良生徒の集まり、烏合の衆程度のものにしか感じられない。

     つまり、表層で観測されているセミナー原理主義者はあくまで駒のひとつ。チェスで言うところのポーン以下でしかないのだろう。本当に考えるべきはそれを操るプレイヤーの存在だ。

    「分子調理機の製作を依頼してきたのは化学調理部の部長で、部活が間引かれてる気がするって言っていた」

     ミレニアム内で頻発し始めた襲撃や戦闘で派閥が出来上がり、統合や廃部が加速しているという話で、これも発生時期はマルクトを見つけた八月辺りからと化学調理部の部長はチヒロに語って見せたのだ。

    「じゃあ、化学調理部の中に……ううん。もっと言えば部長がセミナー原理主義のメンバーって可能性は?」

     否定できない。納品された分子調理機に爆弾を仕込むことも可能であり、実際化学調理部はセミナー原理主義から大した被害は受けていないのだ。
     これはネルが居たからというのもあるが、例えばわざとネルの目の前で襲われてみせることで内に引き込み、誰にも疑われず安全な場所を確保することは決して不可能でも何でもない。

     その場合、あの「間引かれている気がする」という発言はセミナーへの不信感を掻き立てるためとも言えるが、そうなると今度は『何のために』の部分でおかしな部分が出てくる。

    「本当に不信感を与える為なら、私たちとセミナーが敵対することが目的になる。でも、布石としてならともかくそれだけで私たちが敵対するなんて考えられない」

     匂わせと呼ぶにはあまりに細やか過ぎるのだ。チヒロだから「調べてもいいかも」ぐらいまで考えたが、そうでなければまず動かない。やらせるならその後に追加で勧誘や捻じ曲げた情報をエンジニア部へ流布するぐらいしないといけないはずで、そんなことは無かったのだからやはりおかしい。

  • 39125/06/01(日) 00:55:40

     加えて、今回エンジニア部……というよりチヒロはその分子調理機が原因で保安部に連行されてしまっている。

     考えられる絵図として上がるのは、『エンジニア部が捕まったチヒロを助けるためにセミナーと敵対する』という流れであるが、この場合同時に『エンジニア部がセミナー原理主義と敵対する』というプロンプトも同時に組み込むようなものだ。自分で言うのもなんだが、抱えるリスクとしては許容できるものでは無いだろう。

    「……千年難題に拘ってる感じもなかったしなぁ。化学調理部」

     それでも何故真っ先に化学調理部のことを考えたのか。廃部というのに分子調理機の製作を依頼したことだけではない。納品したときも妙なことを言っていたからだ。

    『気を付けてね。そろそろ強い部活も巻き込まれるよ』

     明らかに何か知っているようなあの口振り。確実に無関係では無いだろう。

    「そもそも今この状況でのステークホルダーは誰と誰なの……?」

     『エンジニア部』の各務チヒロが『セミナー』に捕らえられており、その原因は『セミナー原理主義』と疑われているからである。そのため、『エンジニア部』は身の潔白を証明するために『セミナー原理主義』を捕まえたい。

     『セミナー』は『セミナー原理主義』から一定の被害を受けており、会長もその収拾に動いている。結果、『エンジニア部』を捕らえることになった。

     『セミナー原理主義』は『セミナー』も含めたミレニアムの各部活へ被害を与えている。ただしこれまで『エンジニア部』への襲撃はなく、爆破騒動で初めて『エンジニア部』へ被害を出したとも言えるだろう。

    「化学調理部の部長が分子調理機を依頼したのは多分『誰か』に言われたから、って考えるのが自然かな。悪意なく見るなら、今回の展示に使うために化学調理部を通してエンジニア部に依頼しただけとも言える。じゃあ、誰が化学調理部に『依頼』した? 誰がそこに爆弾を仕込んだ?」

     化学調理部自体が既に廃部になっている以上、今回のミレニアムEXPOに展示物を置くことは出来ない。
     にも関わらず分子調理機が展示物として置かれていたのは誰かが捻じ込んだということを意味する。

     捻じ込めるのは誰か……ひとつしかない。『セミナー』だ。

  • 40125/06/01(日) 00:56:29

    「セミナー内部にセミナー原理主義が潜伏している……?」

     会長じゃない? そう思って首を振る。
     というか何でもかんでも首魁に結び付けられるぐらいには色々やってるのだ。妙なバイアスがかかるのは仕方ないが、それに引きずられて結論を急ぐことだけはしたくない。

    「化学調理部を通して私たちに依頼して、例えばその時かその後にエンジニア部襲撃を匂わせるか漏らすかして、それを化学調理部の部長が警告として私に言った……。そういうことをするような人物がセミナーの中にいる……」

     会長じゃね? そう思って顔を覆う。
     やるかやらないかで言ったらやりそうではある。というか、意味もなく回りくどいことぐらいはしてきそうだと思った。

     そもそも、チヒロが捕まっていること自体が既におかしいのだ。
     会長ならばその疑いが間違っていることぐらい指摘できそうだと考えて……それから舌打ちをした。

    (会長……あえて指摘しなかったのか)

     やるとしたらこっちに違いないとチヒロは顔を歪ませる。
     よくよく考えたら会長の『嫌がらせ』はその場その場で行われるもので、わざわざ遠回りしてまで罠にかけるほどの手間はかけないし、何よりやる理由も無い。何故なら会長は『イェソド』を見ている。『瞬間移動』が行える存在を知っているのだから当然こちらが『逃げようと思えば逃げられる』ということも想定しているはずだ。

     そこまで考えて、ふと思いついたものがあった。

    「もしかしてこれ……というか私が捕まってる状況って、本当に『偶然』なんじゃ……」

     偶然、もしくは誰かの『暴走』。
     展示されていた『分子調理機』がどういう展示のされ方をしていたのか分からないが、仮に目立つように展示されていたのなら『爆破騒動を起こす』という目的ではターゲットに充分なり得る。

     結果として出力されたのはエンジニア部の『各務チヒロのみ』の拘束。本当にエンジニア部を無力化したいのなら同時に行い、脱出までの空白期間を生み出す時間稼ぎを目的にしなくてはならない。にも拘らず、現実は自分ひとりが捕まっているという状況。こんなもの『解決してくれ』と言わんばかりの愚策だろう。

  • 41125/06/01(日) 00:56:41

     もしこれがセミナー原理主義を組織した『プレイヤー』の意図から外れたものならばどうか。
     それによって発生しかけた『各務チヒロ拘束』というイベントに対して、会長がわざと止めずに『エンジニア部の参入』というイベントへと繋げたと考えればどうか。

    「……飛躍した発想だってのは自覚してるけど、正直一番有り得そうなのが本当に嫌だな」

     安楽椅子探偵ならぬ独房探偵ような気分に浸りながらも、とりあえず調べなくてはいけないことが絞れてきた。

     ひとつ、分子調理機の展示状況。
     ふたつ、元化学調理部の部長への聞き込み。
     ついでにみっつ。可能であればセミナー原理主義の構成員に接触して尋問し、内部の状況を調べること。

     チヒロは宙に向かって呼び掛けた。

    「マルクト、聞こえる?」

     ――と言っては見たものの、返ってくるのは静寂のみでマルクトの『精神感応』による言葉が聞こえて来るわけではなかった。

     やっぱり駄目かとチヒロはベッドに横たわる。
     『精神感応』による言葉のやり取りはマルクトと接続されている今において不可能では無いはずだが、いまいち使いこなせていない。思い浮かべるたり声に出したりするだけでは上手く届けられず、マルクトから話しかけられて初めて声が届きやすくなるのだ。この辺りの違いというか、コツというか、それを掴むまでは話しかけられ待ちになってしまう。

    「とりあえず、待ってようかな。誰かしら無事の確認ぐらいはしてくるでしょ」

     少なくともヒマリは知っているのだから、今はとりあえず待つ。
     セフィラ戦と違って命の危機はないのだから――

    -----

  • 42二次元好きの匿名さん25/06/01(日) 05:33:45

    保守

  • 43二次元好きの匿名さん25/06/01(日) 12:46:26

    待ちましょう

  • 44125/06/01(日) 13:44:07

    「ああ、分かった。ヒマリも気を付けて」

     チヒロが捕まった直後、通話を切ったウタハは隣を歩くマルクトへと視線を向けると、今しがたヒマリから伝えられた内容をマルクトにも共有する。

    「悪いけど、散策はちょっと中断。急いでラボに戻るよ」
    「ラボに?」

     ウタハは頷く。本当だったら今晩辺りにでも作ろうと思っていたネルのサブマシンガンだが、今すぐ作っておく必要が出て来たからだ。

     そのことについて「何故」と問われると、ウタハはこの後の展開における予測を話した。

    「チヒロが捕まったということは、会長にとって私たちは捕まってても捕まってなくてもいいってことなんだよ。別に全員捕まっても会長はいつでも私たちを外に出せるし、多分私たちの今後に響くこともないんだろうね」
    「だったら別に急ぐ必要もないのではないでしょうか?」

     マルクトの言葉にウタハは足早に駆けながら首を振った。

    「だからさ。いまこの状況において私たちは会長の遊び道具ぐらいでしかないんだよ。全員捕まったら私たちの負けで、逃げ出そうにも見逃してもらおうにも何かしら要求される。あの人はそういうこと普通にするからね」

  • 45125/06/01(日) 13:44:19

     つまりは会長のゲームに巻き込まれたのだとウタハはまとめた。
     セミナー保安部に全員が捕まる前に爆破騒動を指示した犯人を見つけ出し、エンジニア部にかけられた嫌疑を晴らす。

     無論ゲームであるならば保安部が今すぐ大挙して押し寄せて来ることもないだろうとも考えていた。
     油断せず全力で取り組めば解決できるような時間はくれているのかも知れない。むしろそうでない方が明らかな異常とも言えるのだが……。

    「ひとまずリオに『精神感応』で連絡して貰えるかい? 状況の共有と、後でネツァクをラボに回して欲しいって伝えて。ネルの銃の設計データだけは先に作っておくって」
    「分かりました。チヒロはどうしますか? イェソドが居ればすぐに逃げ出せますが」
    「いや、そうしたら『どうやって逃げたのか』を会長じゃなくてセミナーに説明する必要が出て来るから今はまだ早いかな。流石にイェソドを使って逃げたなんて言えないからね」

     疑いが晴れる前に脱走するなら必ず会長に『逃げられた理由』について協力を仰ぐ必要が出てくる。
     セフィラの情報は会長にもみ消して貰わないといけない以上、ゲームセットになるか本当の緊急事態が発生するまでは使えない。

  • 46125/06/01(日) 15:27:24

     ウタハはラボに着くなり設計図の作成に取り掛かる。
     『とびっきり頑丈でカッコいい』というオーダーだけは完遂しておきたい。

     しかしチヒロが捕まったことを今この段階でネルに伝えるのは流石に迷った。
     言ってしまえばこれはセミナーとエンジニア部との『遊び』みたいなもので、そこにネルを巻き込むかどうかというのはネツァク戦の影響を未だ残すネルを頼るのは忍びなく感じる。

     もし仮に保安部がネルの病室を訪れたとして、保安部が丁寧に同行を依頼すればきっとネルは面倒くさがりながらも普通に受け入れるだろう。よほど相手が横柄な態度を取らなければ基本的に常識人なのだ。

     加えて、ウタハは自分たちがネルに協力を仰いでセミナーと対立しなけない状況を伝えれば必ず力になってくれるとも分かっていた。だからこそ、安易に頼るのは後回しにしたい。

    「銃を渡すときでいいかな。事情の説明は」

     そうしてウタハが設計を進めていく一方、リオは『こんなこともあろうかと』で用意しておいたセーフハウスのひとつへと身を隠していた。

    「状況が掴めない今、無策で出歩くのは得策とは言えないわね……」

     そう言って室内を見渡すと、三体のセフィラがリオの方を見ていることに気が付いてリオは今の状況を伝えた。特に事件を解決しないと会長がラボを占拠しかねないという点について話すと、セフィラたちは互いに顔を見合わせて、それから頷いた。どうやら全面的に協力してくれるらしい。

    「ひとまず潜伏し続け――『マルクトはどうするの?』」

     自分の喉から溢れた異言にリオは反射的に喉を押さえた。
     ホドの『波動制御』により聴覚をいじられたらしい。人間の言葉が使えないセフィラたちからの問いかけにリオは首を振ってホドに答える。

    「私たちにはイェソドがいるわ。何かあってもすぐに迎えに行ける。それにマルクトならどこにいても私たちに話しかけられるのだから、今はウタハたちと行動してもらう方が合理的よ」

  • 47125/06/01(日) 15:27:36

     それに今はまだヒマリが動いているはずである。
     何か分かればマルクトをハブに情報が共有されるはず……そう思い、リオが潜伏し続けることを選択した。



     それから数時間が経過したときのことである。
     独房にて、チヒロは自分を呼ぶ『声』に気が付いて身体を起こした。『精神感応』ではない。人の呼ぶ声だ。

    「うん……? もしかしてウタハ?」
    『ああ、良かった。ようやく起きてくれたか。大丈夫かい?』
    「まだ何もされてないしね。それで、脱走の手引きにでも来てくれたの? というか何処から話しかけてるの? なんかくぐもって聞こえ辛いんだけど」

     独房の壁は妙な材質でもしているのか、音は聞こえるが酷く分散してぼんやりと『周囲から聞こえる』ぐらいしか分からない。
     そのための問いであったが、ウタハは苦笑したように笑ってこう言った。

    『実は、隣の独房なんだ』
    「捕まってるじゃん!! え、その、マルクトは?」
    『マルクトも一緒にいるよ。残ってるのはヒマリとリオだけさ』
    「……もしかして、思った以上に危ない状況だったりする?」

     エンジニア部が、という意味では無い。このミレニアムが、という意味だ。
     すると答えは意外なところから返って来た。

    『そうだよぉ~。結構ガチなやつ』

  • 48125/06/01(日) 16:01:08

     はっとして廊下と独房を区切るガラスへ目を向けると、そこにはニタニタ笑う邪悪が居た。

    「会長!?」
    『ちょぉっと僕の手の届く人数に絞らせてもらうねぇ~? なんか色々事故っちゃってさぁ~。藪を突いて遊んでたらヒグマが出た、みたいな?』
    「ヒグマ……? というか、会長はセミナー原理主義についてどこまで知ってるんですか?」
    『ほぼ全部さ』

     あっさりと口にする会長にチヒロは目を見開くが、会長は困ったように顔を顰めて見せていた。

    『首魁が狙っているのは僕の席だし、誰が首魁で何のためにそんなことをしているのかも知ってるよ。問題なのは『暴走してる誰か』が分からないってことかな』
    「待ってください。会長の席が目的なんですよね? その言い方じゃまるで……」
    『そう、僕を会長から引きずり下ろすのは目的を果たすための手段でしかないんだよ。本当に困った子だけど、まぁそんなことはいいんだ。その子の駒が暴走してるってこともまぁ、それだけだったら君たちと競争で終わってたんだけどねぇ~』

     会長はいつもの口調だったが、チヒロはそこに僅かな焦りが滲み出ているように思えた。
     それ故に不穏極まりない。だからこそ聞いてしまう。

    「何が、ミレニアムに出たんですか?」
    『悪の敵かな。要は僕の敵かも知れない何か。だから本当はもっと後で言うつもりだったけどちゃんと口にしておくね。君たちの活動状況を僕は全部知っている』
    「…………有り得なくはないと思っていましたが、どうやってなんて聞いても教えてくれないんですよね?」
    『当然。自分たちで考えなよ。あと、マルクトの『精神感応』だっけ? それ、僕が許可するまで一旦禁止ね。理由は言わない。これは絶対に守って』

     どうしてさえ言わせない絶対的な命令を出されてしまえば頷かざるを得ない。
     それほどまでに今の会長の言動はこれまでと一線を画していた。

  • 49125/06/01(日) 16:01:29

     その辺りで会長は『来た来た』と廊下の方へ視線を戻すと、ガラス越しに現れたのはヒマリと保安部の姿である。
     チヒロの独房が開けられてヒマリが入ってくると、ヒマリは「捕まってしまいました……」と若干不満そうに口を尖らせていた。

    『よし、これで人数は絞れたねぇ。リオちゃんとネルちゃんに協力を仰ぎに行くんだけど、伝言はある?』
    『会長、だったらリオに銃の設計図を用意したから作るように言って欲しい』
    『分かった。二人は?』

     チヒロは少々迷って、それから先ほどまで考えていた調査項目を三点あげた。
     即ち、分子調理機の展示方法、元化学調理部部長への接触、その他構成員に対する尋問を。

    『いいね。目の付け所は悪くない。明日護送するから今日は狭いだろうけど泊って行ってねぇ~』

     それじゃあ、と言い残して会長は保安部員にチヒロたちを直接見張らせながらその場を去った。
     監視カメラと目視による二重監視。凄腕のハッカーですら欺けない厳重警戒だ。

     しかし残されたチヒロの耳に残っていたのは会長の言い残した言葉である。

    「ヒマリ。さっき会長『護送』って言った? 私たち、何に襲われるの?」
    「少なくとも、『精神感応』を禁止するような何かではないでしょうか?」

     思わず黙り込む二人。
     ミレニアムEXPOに『何か』が紛れ込んでいることだけは確かであった。

    -----

  • 50二次元好きの匿名さん25/06/01(日) 21:33:40

    このレスは削除されています

  • 51二次元好きの匿名さん25/06/02(月) 00:28:19

    保守

  • 52125/06/02(月) 01:42:47

     病室、ネルの脇には一度解かれて組み直された知恵の輪や本などの暇つぶしの道具が置かれていた。
     若干ふらつくながらもほとんど快復しており、今日一日のんびりすれば明日にはもう全快だろうと言ったところで、今は手遊びにルービックキューブで遊んでいた。

    「お、四面できた。あと二面か……」

     このルービックキューブは珍しいことに会長からの差し入れであった。

     薬液で水責めのような治療を受け続け、定期的にお礼参りにやってくる生徒を倒して、他に何か無いのかと文句を言ったら持って来たのだが、目の前でタイムアタックでもしているのかと言わんばかりに六面揃えて「やってごらん?」なんて挑発された結果、今日一日はずっとかちゃかちゃと六面揃えることにムキになっていたのだ。

    「っつーかこんなに暇なの、もしかして初めてかあたし」

     思えば今まで大きな怪我なんてして来なかった。
     風邪もあまり引かず、引いてもすぐに治るのだから安静なんて長くて三日程度。それが今回は一週間近くベッドの上である。

     これも毒というどう鍛えればいいのか分からないものを受けてしまったからだろう。
     肺活量が増えれば息を止めてる間に何とかできるか? なんて若干無謀な鍛え方を何となく頭の中で過ぎらせながら手元を動かし続けて――瞬間、部屋の中に現れた気配を察してアサルトライフルを構えた。すると――

    「ちょ、ちょっと待ってちょうだい!」
    「んだよリオか」

     声に顔を上げて「おや?」と思った。リオの傍らにはイェソドが居たのだ。
     よくよく見ればリオも相当焦っているようで、ぜいぜいと息を吐きながらリオは叫んだ。

    「今すぐ着替えて! 私たち以外捕まった! セーフハウスへ飛ぶから!」
    「分かった」

  • 53125/06/02(月) 01:43:03

     ネルはすぐさまベッドから飛び降りて患者衣を脱ぎ捨てる。
     そのまま荷物から自分の制服に着替え直しながら一言だけ言った。

    「大丈夫か?」
    「て、転移酔いよ。もう行ける?」
    「ああ、とりあえず飛ばせ」

     よく分からないながらに身支度を整えたネルはイェソドに触れる。
     すると景色が五度変わって、気付けばそこは知らない部屋――というよりもやや広めのトランクルームと言った場所で、ネツァクもホドもそこに居た。

     リオが「うぷ」と口を押さえながら血の気の引いた顔で蹲っていたが、よろよろと立ち上がってその辺に置かれた資材の上へと座る。ネルもまた、壁に寄りかかってリオの息が整うまで待ち続けた。

    「と、とりあえず一番最初の状況から説明するわ……」

     ネルが「おう」と返すと、そこから語られたのはエンジニア部メンバー内で共有されていた事項。チヒロの捕縛から始まる『セミナーvsセミナー原理主義』の抗争に巻き込まれたという旨。恐らく偶発的に巻き込まれて、それに会長が乗っかってエンジニア部を介入させようとしたというところまでだ。

    「それだけ聞くと別にいつものって気もするけどよ、違うんだな?」
    「ええ。会長の遊びじゃ済まなくなったみたい……」

     それは遡ること十数分前。リオがこのセーフハウスで潜伏していたときのことである。
     全ての電子機器が存在しない、如何なるネットワークからも隔絶したこのセーフハウスはリオにとっての最後のシェルターのようなもので、勝手に地下部屋を作ったがために自分以外は絶対に知らず、また知りようもない場所であった。

     にも関わらず、突然セフィラたちが怯えだしたのだ。
     その直後、こっそりと仕掛けたたった一台の監視カメラが捉えたのは冬用のコートを纏って帽子を被った小柄な人物。
     何故この場所に辿り着ける者がいるのかはさておき、イェソドで逃げるか迷ったところで監視カメラへ向かって突き付けられたのはタブレットの画面で、そこには『ウタハちゃんから伝言』と書かれており目を見開いた。

     続けて帽子のツバを上げられて覗いた顔が会長のものとなれば腰を抜かすほど驚くのも当然である。

     そこまで聞いたネルが声を上げた。

  • 54125/06/02(月) 01:43:35

    「なんだって会長はそんな変装までして来たんだよ。堂々とくりゃいいじゃねぇか」
    「それが、いまセミナーの中に原理主義のスパイが潜伏しているらしいのよ。『セミナーの中のスパイ』と『保安部』と『会長』の三勢力がいるって考えれば良いらしいわ」
    「めんどくせぇ話だな……」

     あの時、慌ててセーフハウスへ迎えた会長の言葉を聞いて、確かにリオもややこしいことになっていると思ったものだった。

    「それで、『会長』は『会長』でやることがあるから、代わりに私とネルにいま構成員を指揮している『セミナー原理主義』の指揮官を探して捕まえて欲しいのだそうよ」
    「それこそ珍しいな。まぁ自分でやれねぇから頼るってのは分かるけどよ、あの『会長』がか?」
    「そこは『それが一番手早く合理的だから』だそうよ。私たちの手を借りた方が『安全』に早く事が済むそうよ」
    「安全だぁ……?」

     妙な言い回しにネルが眉を顰めると、リオもまた困惑したような顔を浮かべながら話を続けた。

    「会長が言うには、『いまのミレニアムには人間のような何かが入り込んでいる』らしいわ」
    「急にホラー展開だな。具体的には?」
    「……『分からない』らしいわ」
    「はぁ?」

     素っ頓狂な声を上げるネル。それからじわりと嫌な感覚が背筋を登った。

    「会長が言うには、『僕にとっての未知』らしいのだけれど……そちらの対処は会長がやるみたい。その代わり私たちに犯人を見つけて貰って……でも『精神感応』は使ってはいけないとのことよ」
    「おい、そりゃあもしかして……」

     『未知』、そして禁止された『精神感応』――思い当たるのはひとつだけである。

  • 55125/06/02(月) 01:43:47

    「明言はされなかったけれど、私は『セフィラが人間のフリをして紛れ込んでいる』と思っているわ」
    「マルクトみたいに、ってわけか……。でもおかしくねぇか? 次のティファレトはまだマルクトが見つけてねぇんだろ?」
    「そうなのよ……。だから私の想像でしかないのだけれど……」
    「ちっ、気味悪ぃな……。つーかなんで会長は詳しく言わねぇんだよ。知らなきゃこっちだって対処のしようがねぇだろ」
    「それが、知ったところで今の私たちでは対処できない上にリスクが増えるから、だそうよ」
    「舐めやがって……」

     憤懣やるせないと中空を睨みつけるが、『あの』会長がそう言うということは相当な事態になっていることだけは確かなのだろうと無理やり自分を納得させる。

    「んでよ、なんであたしたちなんだ? ヒマリたちはどうした?」
    「今は保安部の独房の中。会長がいざという時の為に護衛を付けて守らせているそうよ。その上で自由に動いても守り切れる人数が二人……私とネルということらしいわ」
    「ま、お眼鏡に適ったってんならいいか。探し方はあれか? 保安部に見つかんのはマズいのか?」

     ネルの言葉にリオは頷いた。
     保安部はいま、正当な理由があればエンジニア部を捕まえられる状況にあり、件のスパイはエンジニア部を捕らえる方向で動いているらしい。
     その上で会長はあえて泳がせたい事情もあるらしく、『エンジニア部を捕まえない』という方向での協力は出来る限り避ける方針でいるそうだ。

     つまるところ、多少のリスクを負ってでも二兎を追うのが会長の行動指針であり、この機会に不穏分子を一掃する構えを見せている。

    「作戦は一週間以内に完了せよというのが会長からのオーダーよ」
    「一週間以内にセミナー原理主義をぶっ潰せばいいんだな? 何の情報もねぇ。こっちは二人。訳の分かんねぇ『未知』ってのが徘徊しているこのミレニアムでか」
    「そうよ。報酬は期待していいらしいわ」
    「はっ――上等」

  • 56125/06/02(月) 01:44:04

     ネルが笑みを浮かべると、リオは積まれた荷物の中からナップサックを引っ張り出してネルへと寄越す。
     受け取って中と覗いたネルは嬉々としてその中身を勢いよく取り出す。

     出て来たのは黒を基調とした二挺のサブマシンガンだった。
     グリップと銃底は黄色のカラーリングが施されており、それはさしずめ自然界における『危険色』。
     銃の側面には黄金の龍の紋様が刻まれており、二挺を繋ぐチェーンは三メートルほどの長さを誇る。

     軽く構えて身を翻すと遠心力で振り回される鎖がまるで意志を持ったかのようにネルの周りを囲み上げる。
     宙に浮かんだ鎖を掴んで引き戻し、演舞の振り回す。にも関わらず、鎖は床も壁も天井も傷つけることなくネルの周囲を飛び交って、その上一切絡まることなくネルの足元へと再び落ちる。

     まさしくネルにしか使いこなせない銃。リオは解説を行うように口を開いた。

    「銘は『ツインドラゴン』。モデルは『MPX』、射撃精度と軽さを重視したサブマシンガンよ。使用弾薬は9x19mmパラベラム弾。チェーンにはアルミニウム合金を使っているからきっと今までの鎖より軽いかも知れないけれど、あなたの俊敏性を最大限殺さずに重さを付加する形で仕上げたと言っていたわ。それに、頑丈さなら確実に前よりも勝っていると」
    「――最高じゃねぇか。特にこの龍は良いな! カッケぇ。負ける気がしねぇ」
    「礼ならウタハとネツァクに言ってちょうだい。それとウタハから。要望があれば必ず改善して見せるとも言っていたわ」
    「ああ、そうだな。――ネツァク」

     ネルの声にびくりと身を震わすネツァク。だが、ネルは視線だけを向けてニッと笑った。

    「ありがとな、最高だ。……って、ネツァクに伝えてくれよホド」

     そう言うなりホドがネツァクに首を向けて、それからネツァクがネルを見ていたが、そこにどんな会話があったかまでは人間であるネルには計り知れないことである。

  • 57125/06/02(月) 01:44:16

    「じゃあリオ、気分が上がるついでに作戦名でも教えてくれよ。つーかあんのか?」
    「もちろんあるわ」

     そう言ってリオは自分が考えた作戦名を言おうとして、会長に止められたことを思いだした。

    『リオちゃんのその、独特なネーミングは否定しないけど……ちょっと語感というか気が抜けるから僕が付けるね』

     珍しくも全力で人を気遣ったような会長の苦笑いをリオは気が付かなかったが、それでも続いた作戦名は悪くないと思ったのも確かであった。

    『『安全』を確保しながらセミナー原理主義を『一掃』する。だったら――』

     リオの記憶の残る会長は指をひとつ立てて言葉を紡ぐ。
     それをなぞるようにリオもまた、指を立てて口を開いた。

    「クリーニング・アンド・クリアリング――『オペレーション:C&C』の発令をここに宣言するわ」

     リオとネル。二人から始まるテロリスト掃討作戦がついに始まる。

    -----

  • 58二次元好きの匿名さん25/06/02(月) 07:52:13

    C&C…

  • 59125/06/02(月) 13:32:39

     ミレニアムEXPO一日目、夜間。
     普段は日の沈んだ夜であっても活動している生徒は多いが、日中フルで稼働するEXPO開催中ともなれば話は違う。疲れ切った生徒たちは皆、寮や自宅に戻って月末まで続くEXPOに向けて休んでいることが大抵だ。

     展示ブースの中も照明が落とされて立ち入り禁止。その他警備上の理由により普段に増して生徒ですら入れない場所は増えている。

     そんなところで動く影があるとすれば、それは警備用のドローンか、もしくは招かれざる客か……。

     保安部、保管倉庫。
     EXPO開催にあたり危険と判断された展示物や事件が起こった際の証拠となる物品をひとまとめに保管してある倉庫の一角にて、その物陰にトラ型のドロイドとひとりの生徒が『出現』した。

    「ありがとうイェソド。……と言っても分からないと思うけれど」

     リオがそう呟くと、手順通りイェソドの姿が消えて、代わりにホドの姿が出現した。

     目的は保安部に回収された分子調理機の調査である。

     リオが使える手札は三体のセフィラによる特異現象であるが、三体同時に呼び出すとどうしても場所を取ってしまうため、一体ずつ随行させることで作戦の遂行を進めることにしたのだ。

     ホドを中継基地とした人間とセフィラの合同作戦。
     ネツァクによってラボや部室など、作戦行動中にセフィラが隠れられて且つ通信が解析されても問題ないいくつかの地点に通信機が配置してある。

     これらとリオの携帯を介してホドが各セフィラに指示を届けることが出来るのだ。

  • 60125/06/02(月) 13:32:52

    「それではホド、頼むわ」

     リオの言葉にホドが『波動制御』を発動させる。
     この瞬間、この空間内においてリオとホドの姿を見ることが出来る者は存在しない。無論、音も体温も観測できないある種の亡霊と化した。

     加えて、リオの視界は暗闇だというのに昼間と変わらず見えている。
     セフィラを使った暗視機能だ。赤外線感知も併用しており、既存の技術では不可能な『昼間のように明るく、しかし赤外線センサーの類いも見える』という奇怪な視界が保たれている。

    「それじゃあ、行くわ」

     リオは慎重に通路の真ん中を中腰で歩き始めた。

     これは体重が消えるわけでも実体が消えるわけでもないため、何かにぶつかって倒したりでもすればホドの視界操作が間に合ってもホドが居なくなった瞬間監視カメラの映像欺瞞が停止して、突然倒れた後の映像が映ってしまう。ポルターガイスト、特異現象の出来上がりである。

    (慎重に、慎重に……)

     何度か頭上を警備ドローンが通る度に肝の冷える思いをしながらも何とか探し続けていると、奥の方に広げられた布と、それから爆発した分子調理機の残骸を見つけた。

     原型は四割ほどしか残っておらず、そこそこ大きな爆発だったことが見て分かる。
     破損が酷いのは調理台の下部の方。チヒロが付け加えた3Dフードプリンター部分が木っ端みじんになっているため、恐らくはここに爆弾が設置されたのだろう。

    (時限式……臭いから何か分かるかしら……)

     普段から基礎研究を行っているリオだからこそ、ある程度のものならば五感を駆使すれば推測は付く。
     付着した煤の付き方や破裂した痕跡を確認しながら、考え込むように顎に手をやる。

    (爆弾の仕掛け方自体はあまり手の込んだものでは無いわ。それに展示前に一度点検されるのだから運び込まれるときに仕掛けられていたらそこで見つかってしまう。なら、展示中に仕掛けられたのは間違いなさそうね)

  • 61二次元好きの匿名さん25/06/02(月) 13:33:05

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  • 62125/06/02(月) 16:44:47

     ひとまずの目標を達成し、そこでふと疑問が浮かぶ。
     展示中に爆弾を仕掛けられたのであれば、その瞬間を監視カメラで捉えているはず。

     逆に捉えられていなかったのであれば、それが人が多かったのか死角を作られていたのかで大まかな時間が特定できるはずだ、と。

    (次は監視カメラの映像ね)

     そう考えてホドのところへ戻ろうとして……不意にリオは動きを止めた。
     果たして、自分は本当に何の痕跡も残さずにここまで来られたのかと。

     もし気付かぬうちに何かにぶつかっていて何かを動かしてしまっていたら、この場から立ち去った瞬間映像に残ってしまうだろう。
     もし自分であれば、妙な動きがあった時点で警戒度を引き上げる。重要なものが保管されていれば保管場所を変えるなりするかもしれない。

     けれど今なら。今だけなら完全な状態でこの場所を調べられるのだ。

    (いざとなったらイェソドで脱出ができる。ならリスクは変わらないわ……)

     少しでも多くのリターンを得るべくリオは保管倉庫の調査を継続した。
     そして見つかったのは捕まった原理主義者たちの使っていた銃器などであったが、特にこれと言った特徴もなく収穫としては薄い。

     だが、ひとつ。壊れたヘッドセットを見つけた時は違った。

  • 63125/06/02(月) 22:46:40

    (これは……ヴァルキューレで使われている無線機だわ)

     最近のタイプのインカムで、耐久性と通信性に長けたモデルだとチヒロが言っていたことを思いだす。
     SRTの発足によりヴァルキューレの装備も一新された結果、その型落ち品がブラックマーケットの市場にいくつか流れたとニュースになったらしい。

     他にも探してみると、銃器はそうでもないのに通信周りだけはやけに充実していることが分かった。

     ならば作戦行動中の原理主義者たちの居場所を見つけてレシーバーを設置すれば通信の傍受が出来るかも知れない。通信に用いられるような暗号解析ならチヒロやヒマリに任せたいところだが、この辺りに関しては傍受したデータさえ取得できれば会長に頼んで届けてもらうことは出来るだろう。

     めぼしいものはこれで全部だった。早くホドの元へと戻ってイェソドに送り届けてもらおう。

     そう思い立ち上がった次の瞬間、リオの頭がちょうど頭上を飛んでいた警備用ドローンを下から突き上げた。

    「痛っ!?」

     リオにぶつかったドローンはバランスを崩して棚に激突。ぐらりと僅かに傾いだそれを押さえるべく慌てて駆け寄って手を伸ばし――咄嗟の動きが苦手である――リオは揺れる棚にトドメを刺す形で転倒。

     棚にぶつかったドローンは悲鳴を上げるように緊急信号を発信し、棚は倒れて甲高い音を倉庫の中に響かせた。

    「まずいわ!!」

     実際まずいのはリオの身体能力だろうか。
     倒れた棚から起き上がるや否や警報が作動し、慌ててホドの元へと駆け寄った。

    「逃げましょう! イェソドを呼んでちょうだ――いたっ! ごめんなさい! 痛いわ!」

     ホドは怒りを表明するように嘴でリオの髪の毛を数本引き抜く。
     恐らく相当にキレていると流石のリオでも理解した。

  • 64125/06/02(月) 23:52:11

     それから瞬時に現れるイェソドに触れて全ての視界が引き抜かれるように奥へと伸びる。
     景色が三回変わってラボの中。隠れていたネツァクと合流して今度は五回、セーフハウスの中へと転がり込んでリオは息を荒く吐いた。

    「おう、帰ったかリオ」

     中で出迎えてくれたのは今しがた調査を終えて帰投したネルである。
     被害にあった展示ブース以外の場所を探って、今時点で不審人物や不審な物が無いか調べていたのだ。

    「こっちの方は特に問題無かったぞ。保安部が歩き回ってんのがちっとばかし面倒だったけどな。分子調理機が置かれていたのも分かりやすく通路に面した場所だったから適当に狙ってもまぁ標的になるだろって感じだ。……で」

     ネルが呆れたようにリオと、リオを足蹴にするホドを見た。

    「なんでそんなにキレてんだホドのヤツ。何したんだよ」
    「いたっ! た、棚が揺れたから押さえようとしたら倒してしまって……いたっ、痛い!」
    「本当にそれだけか?」
    「あとドローンに頭突きしたわ」
    「なんでだよ!?」

     リオはしばらくホドに蹴られ続け、そうして一日目の夜も更けていった。

    -----

  • 65二次元好きの匿名さん25/06/03(火) 05:38:06

    リオ…将来的にボディスーツで戦うことになるから鍛えようね……

  • 66125/06/03(火) 12:02:26

    「ジュースジャッキング」
    『ぐ……ぐ……軍馬』
    「バニラアイス」
    「スピアフィッシング」
    『また『ぐ』!? もうやめてそれ!』

     ミレニアムEXPO二日目、昼。

     独房でサンドイッチを食べながら、ヒマリとチヒロは隣の独房の生徒としりとりで遊んでいた。
     チヒロによる苛烈な『ぐ』責めに悲鳴を上げる生徒。彼女はセミナー原理主義として現行犯逮捕された生徒でもある。

     最初は何か聞き出そうとして声を掛けたのだが、得られた情報は『指示通りに動けば報酬が出る』という何とも普通の動機で、その指示を出している人物も誰なのかは一切不明。徹底した隠蔽で、分かったのは指示役のコードネームが『シギンター』ということだけ。

     それからはこうして普通に接するようになり、何ならつい先ほどまで監視役の保安部員とも石拾いゲームで遊んでいたぐらいである。

    『ヒマリ、ヒマリ』
    「おや、どうしましたかマルクト」
    『170時間後です』

     短くまとめられた言葉の意味を汲んで、ヒマリは「分かりました」と返す。
     ティファレトが現れるまで残り1週間。明確なタイムリミットが区切られた。

    「チーちゃん、リオたちが間に合わなかったら後は会長に任せて脱出しましょうか」
    「まぁ、そうだね……。流石にセフィラが優先だし」

     『廃墟』に出現するセフィラは早期確保が原則である。
     それに放っておけば『廃墟』から出て来てミレニアム自治区で被害を出しかねず、これまでのセフィラを顧みるにその被害は相当なものになるだろう。

    「それにしても今日護送するとか言ってたけど、いったいいつになったらここから出られるのやら……」

  • 67二次元好きの匿名さん25/06/03(火) 18:52:04

    一週間…

  • 68125/06/04(水) 00:31:27

     チヒロが溜め息混じりにそう呟くと、まるでタイミングを見計らったようにガラスを叩く音。
     見れば会長がニタニタと笑みを浮かべて立っていた。

    『やぁやぁ、昨日はよく眠れたかな?』
    「ベッドがもうひとつあったらぐっすり眠れたんですけどね」
    「ちょっとチーちゃん! それではまるで私と一緒ではよく眠れないと言ってるようなものではありませんか!」
    「いや普通に狭いでしょ二人じゃ……というか早く私の服返してくださいよ!」

     メイド服の裾を握りしめながらチヒロは会長を睨みつけるも、会長は『元気だなぁ~』とふざけた呟きをかましながらガラスの扉を開いた。

    「はぁ~い場所移すよ~。あ、古代史研究部は一年二年を全員釈放。部長ちゃんはエンジニア部と一緒に移動ねぇ~」
    「なんで私だけ!?」
    「君はほら、研究部唯一の三年だからちょっとね~」
    「はぁ……分かりました!」

     不貞腐れたように悪態を吐いて出て来たのは一言で例えるならガラの悪い委員長、とでも呼ぶに相応しい生徒であった。
     黒縁眼鏡をかけており、二本のおさげを肩越しに前へと垂らしている。細められた三白眼には傍若無人な会長への諦めに似た色を宿していた。

    「で、私のバズーカはいつになったら返してくれるの?」
    「あー、次の移送先に荷物は全部置いてあるから。もうちょっとだけ我慢してよ。そこまではしっかり警護するからさ」
    「ならいいけど……」

     そう言ったところで、古代史研究部の部長は通路に出て来たチヒロ、ヒマリ、ウタハ、マルクト以上エンジニア部四名へと目を向けて、これまでの悪態が嘘だったみたいに笑いかけた。

    「ごめんなさいね。あなたたちも会長の無茶に付き合わされてるクチでしょう?」

     二重人格かと思うほどの豹変ぶりに一瞬狼狽えるチヒロ。
     その合間を縫ってウタハが前へ出て挨拶をした。

  • 69125/06/04(水) 00:57:47

    「会長には『色んな意味で』世話になってるよ。エンジニア部部長、白石ウタハだ」
    「古代史研究部部長、神手(かみで)フジノよ。困ったらセミナーの書記を頼りなさい。会長を叩きのめすには慣れているから」
    「そして僕は叩きのめされ慣れているのさ!」
    「そんなものに慣れないで下さい」

     古代史研究部の部長とチヒロの声が重なって、お互い目が合い肩を竦めた。
     ヒマリたちも続けて名乗り、それから会長は「それじゃあ行こうか」と言って保安部たちを引き連れて皆を先導し始める。

     エレベーターを使って向かうのはミレニアムタワーの中層、部室階のひとつである。

    「ちょうど使ってない元部室があってさぁ~。電波暗室になってるから外と完全に遮断されるけど、そこそこ大きいし設備も整ってるから何泊かするにはちょうどいいと思うんだよねぇ~」
    「あの、会長」

     チヒロは我慢できずに声を上げた。

    「私たち、何かに狙われているんですか?」
    「ん~、正確には狙われる可能性があるっていうか、巻き添えで大変なことになるかも知れないっていうか?」
    「言わなくてもいいよ……。どうせ知ったら危ないんでしょ?」
    「そうとも。流石は三年。僕のことをよく知ってるねぇ~」
    「嫌でもね」

     部長の放つ溜め息には歳月を重ねた重みがあった。
     それにはヒマリが尋ねかけると、部長は意識を切り替えるように一息つく。

    「昔にも同じようなことがあったのよ。理由は言わないけれど従えってね。それで後から分かったのが、その時の会長は犯罪組織の取引の情報がっつり握っちゃってて、しかもそのことが相手にもバレている状況だったのよ。そういう『聞いた時点で終わるまで逃げられなくなる』ようなこと掴んでるのがこの会長。下手に深入りすると共犯者にされてロクな目に遭わないわ」
    「ご忠告、ありがとうございます」

     ヒマリがにこやかに部長へ返すが、その後ろを歩くチヒロたちは顔を見合わせて小声で話す。

  • 70125/06/04(水) 02:30:40

    (これ、私たちもう手遅れなんじゃ……)
    (セフィラ絡みでどっぷり関わっているからね……)
    (我々はもう逃げられないのですか……?)

     そもそも自分たちを狙うかも知れないものが『たとえ知っても対処できない存在』だなんて言われた後である。正直、チヒロたちにとって対処できない存在なんていうのは普通であればそう多くはない。全員集まれば盤外戦術をいくらでも捻り出せるのだ。

     それでもあるとすれば、それはもう連邦生徒会直下のSRTや各学園そのもの。個人を始めとする後ろ盾のない者ならば『なんとか出来てしまう』のがエンジニア部だ。加えて今はネルもいる。

     にも関わらず会長が『エンジニア部には対処不可能』と断じた時点で異常である。
     セフィラを三体も確保して、そのことを知った上で断じているのだから尋常ではない。

     しばらく歩いて、会長はひとつの部屋の前で立ち止まるとチヒロたちに振り返った。

    「さぁ、ここが君たちの新しい独房だよ。君たちの荷物は全てここに置いてある。チーちゃんの制服以外」
    「なんで!?」
    「え、面白そうだからだけど?」
    「殺す――」

     チヒロが牙を剥くと会長は「ニヒヒッ」と笑って保安部の後ろへと隠れた。
     隠れられた保安部の困惑した顔には同情するほかない。

    「ああ、そうそう。その部屋のロックは君たち全員が入ったら10秒後に閉じられるよ。そして僕たちは君たちが入るまでは監視するけどそこから先は見ないから分からないかなぁ~?」
    「なるほど」

     ヒマリが頷いて笑顔を向ける。

    「分かりまし――」
    「ちょっと待った。そこのエンジニア部の……ヒマリ、だっけ? それ罠だから」

  • 71125/06/04(水) 02:30:54

     止められたヒマリが部長に視線を向けると、代わりに会長が『嗤った』。

    「僕は事実を言っただけだよぉ~? 君たちが入った後はもう分からない。僕は悪を自称するけど、それに抗う君たちの善を担保するわけでもない。まぁそもそも『善』とか『悪』とかはゲヘナの領分で、『正義』と『不正義』はトリニティの領分だろうけど、ここは『ミレニアム』だから。『進む』のか『立ち止まる』のかは全て自分で選べばいいだろう?」
    「そう言って立ち止まれるような生徒が少ないって分かって言ってるじゃない。いい加減要らないところで悪びれるの辞めたらどうなの?」
    「ニヒヒッ! 僕が正しかったら僕の正論まで肯定されなきゃならない空気が生まれるじゃないか! 三年生はともかく二年以下にとっての僕は『ミレニアムの生徒会長』だよ? だったら率先して好き放題しなきゃ委縮させちゃうかも知れないじゃないか、ねぇ~?」
    「うるさぁい!!」

     フジノ部長が会長に掴みかかり、見事なヘッドロックを会長にかけた。
     「ぐえ」と呻く会長。保安部は「何も見ていない」と言わんばかりに電波暗室の扉を開けた。

    「どうぞ、中へ。……あの、全員が入った後に見て見ぬ振りをするのは約束します。というより、しないと会長がうるさいので……」
    「あ、分かりました」

     ヒマリが軽く頭を下げて返事を返すと、他の面々も渋々ながら部屋の中へと入っていく。
     酸欠寸前でぐったりしている会長を抱きかかえた部長もまた、溜め息を吐きながら会長をその辺の保安部へ預けて中へ。

     ひとり残ったヒマリも部屋へ入ろうとして、その背中に会長が声をかけた。

    「君たちエンジニア部は全員一年生の部活だからね。君たちの専門外を履修している『先輩』へ存分に甘えるといいさ。特に、古代史研究部の部長は学位持ちだから存分に学ぶといい」
    「会長……」

     会長は保安部に背負われながらいつものニタニタ笑いではなく、静かに笑った。

    「ミレニアムの三年生が一年生から見てどうなのか。僕じゃ参考にならないだろうけど彼女なら参考になる。進むだけでは道に迷い、立ち止まればどこにも進めない。今の判断が合っているかは未来の自分だけが知っている――君には不要だったかな?」
    「金言ですね」

     ヒマリはそう言って、それから、『らしくない』であろう一石を投じて見たくなった。

  • 72125/06/04(水) 02:31:22

     だから言った。芯を穿ってしまいかねないその言葉を。

    「まるで、自分の言葉だけでも残したいようにも聞こえますが」
    「――――っ」

     ヒマリはそのとき初めて見た。
     会長が笑みを浮かべず、困惑もせず、ただ驚いたように目を見開く姿を。

    「――はは。そうか、そうなのか。……驚いた」

     会長はどことなく嬉しそうに目を細めながら、そうして続けた。

    「『真理は言葉では語れない。けれども言葉でしか真理は語れない』――忘れてはいけないよ明星ヒマリ。それがきっと、君が求める問いの答えに繋がる」
    「会長?」
    「まずは部屋に入るんだ。ここまでが強制。そこから先は自分で考えろ。いいね?」

     数多の含みを抱いたその声に、ヒマリは思考を巡らせながらもこくりと首を縦に振った。

    「出るときは、よく考えて自力で開けます」
    「……期待してるよ。これだけは本当さ」

     ヒマリが部屋の中へと入っていく。自らを守る殻の中へと。
     扉が閉まる。10秒経って扉にロックがかかるまで、出る者は誰一人としていなかった。

    -----

  • 73二次元好きの匿名さん25/06/04(水) 08:50:59

    待機

  • 74二次元好きの匿名さん25/06/04(水) 16:08:26

    どうなるかな…

  • 75125/06/04(水) 22:43:16

     電波暗室であるその空き部屋は、数人が過ごせるような生活空間と化していた。
     パーテーションで仕切られた空間には寝袋がいくつか置いてあり、部屋の中央には会議室で見るような広いテーブルと椅子が六脚。自立式スクリーンとプロジェクタ。ホワイトボードも持ち込まれている。

     また、部屋の隅にはカーテンで区切られた場所があり、そこには実験排水口に接続されたバスタブとシャワーが置かれている。だが、肝心のトイレが汲み取り式の仮設トイレなのは如何なものか。ヒマリは深く考えないようにして早く慣れることを祈った。

     そして、肝心の荷物はというと……。

    「うん、私の銃も工具もあるね。チヒロの方は?」
    「私も全部ある……。というか、グローブもあるんだけど……」

     『SPTF』の刻印が為されたグローブは『クォンタムデバイス』の子機である。それがきちんの人数分。対セフィラ戦において無くてはならない装備をわざわざ会長が持ち込んでいるという事実が返って気を重くさせる。

     それに、グローブの各種機能はマルクトの『精神感応』を使ったものであり、会長に禁止されている今となっては見たままのグローブでしかないのだが――

    「恐らくですが、ここから出るという禁止事項を破るなら全て破ってしまえというメッセージでは無いでしょうか?」
    「代わりに身の保障も出来なくなる、か……」

     ウタハが微かに笑みを浮かべる。わざわざ一線を引いてくれる辺り、会長は「好きにやる」と言いながらだいぶ気を遣ってくれているのかも知れない。少なくとも、知らない間に一線を越えてしまうような事態からは遠ざけてくれるらしい。

     一方、チヒロはというとマルクトと一緒に古代史研究部の部長と話していた。

    「あの、先輩からしたら色々と妙なことを口走るかも知れませんが……」
    「いいわ。卒業まで半年切ってる今になって下手に首を突っ込む気も無いから」
    「ありがとうございます、フジノ」

     マルクトにそう言われて口角を上げながら、部長はおさげの先を手遊びに弄ぶ。

  • 76125/06/04(水) 22:43:29

    「で、あなたたちエンジニア部はとりあえずここに残ることのしたのね。そもそもわざわざあの会長が私をあなたたちと一緒に隔離したってことは…………とりあえず盗聴器が仕掛けられてないか探そっか」
    「盗聴器?」

     チヒロが首を傾げる。

    「わざわざ電波暗室を独房に選んだってことは大っぴらに出来ない話をするためなんじゃない? だから一応念のため。会長、昔から本当に訳の分からない情報網持ってるから……」
    「ああ……分かりました」

     チヒロが呼び掛けて部屋の探索を始めると、本当に盗聴器が見つかった。しかも三つ。
     いずれもレコーダー式で設置と回収の手間が発生するものの、電波が遮断された場所でも使うならこれしかない。

     回収を終えたウタハが言った。

    「壊さないで回収しておこうか。いつ頃に仕掛けられたものか分かるだろうし」
    「っていうかこの部屋、多分セミナーの密談用だよね……。あの会長のことだし下手な記録が取れてるとは思わないけど……後で調べよっか」

     チヒロがちらりと自分の荷物に目を向ける。
     PDAやPC、タブレットが入った自分のフル装備。解析だったらいつでも出来る。

     しかも部屋の扉にしてもそうだ。
     暗号化されたセキュリティでロックされているが、ヒマリ、チヒロ、ウタハの三人がいて、しかも道具もあるとなれば脱出は容易。ますます以て閉じ込める気の無いセキュリティである。

    「ひとまず、古代史の碩学がいらっしゃるのですから甘えてみましょうか。ねぇ、先輩?」
    「うん? 私?」

     ヒマリに水を向けられた古代史研究部の部長が顔を上げた。

    「どうせ暇だし『そういう理由』であなたたちと同じ空間に放り込んだんでしょうね。講義のひとつでもしましょうか?」
    「では、昔の会長がどんな方だったのかを」
    「古代史は!?」

  • 77125/06/04(水) 23:22:25

     部長が叫んで、息を吐いて、それから語った。
     一年生のときの会長の様子を。



    「二年前の会長でしょ? そりゃもう悪童の一言に尽きるんじゃない? 芋煮ゾンビ事件の時なんか矯正局で一週間ぐらい拘禁されてたし」
    「芋煮ゾン……え、矯正局? 何したんですかあの会長は」

     チヒロが聞いて語られたのはある種ミレニアムらしい事件であった。
     二年前のEXPOでは一万人分の芋煮を作るという企画が催され、そこで会長が『もっと美味しくなる薬』を投入したところ、依存性の高い芋煮が爆誕したとのことである。
     被害者がミレニアム生だけだったため学校間の問題にはならなかったものの、当然ながら会長はそのまま拘禁。矯正局まで連行され、一週間ほど保護観察対象になっていたらしい。

    「なにやってるんですか本当に……」

     捕まったのもそうだが罪も軽すぎる。最低でも一か月は捕まるような罪状だった。
     頭を抱えるチヒロに、部長は「まぁでも」と続けた。

    「仕方ないのかもね。そもそも病弱だったし」
    「病弱? 会長が?」

     チヒロの言葉に部長は「あ」と声を漏らして、慌てて取り繕う。

    「ま、まぁどうせ嘘だよ。私の想像ってことでね?」

     話を打ち切ろうとする部長に、ウタハがぽつりと呟いた。

    「それは、重度の不眠症と何か関係があるのかな?」
    「それは……………………」

     部長は、二年前の会長を知るその人は少し黙って、それから意を決したように顔を上げた。

  • 78125/06/04(水) 23:48:27

    「あまり長くないって聞いているわ。実際ミレニアムに入学したのも八月の終わりぐらいだったし、それまで病院で過ごしていたんだって」
    「そう……なんだ」
    「でも、普段からめちゃくちゃだし、私たちも忘れがちではあるんだけどね。今でも嘘だと思ってるし、そう――」

     そう思いたい。
     部長は一抹の寂しさと苦みを宿しながら無理やり笑みを浮かべる。

    「あんな図太いの、ずっと元気でいそうだけどね。でも憐れんじゃ駄目よ。そういう人たち、片っ端から使い潰されたから」
    「……会長らしいですね」

     チヒロの脳内を過ぎるのは、しおらしく笑う会長が「力を貸してくれないかな?」などと言う姿である。
     そして思い浮かぶのは、そうした『情に訴えかけられた者』が居なくなるまでそれを繰り返したのだろうという想像。確かに悪だ。自他ともに認める悪に相応しい所業であろう。

  • 79125/06/04(水) 23:48:42

    「昔からずっとそう。って言っても私は二年に上がって部長になってからの付き合いだけど、それでもずっと『ミレニアムの会長』で在り続けてる」

     横暴で、傍若無人で、向けられた善意の全てを使い尽くす『悪』の権化。ミレニアム最上位の権力者。

    「会長について知ってることはそのぐらい。……あぁ、でも。実は一度だけ一年生の時に会ってるんだよね。今にして思えば驚いても良かったかも」
    「何にです?」
    「泣いてた」
    「え?」

     古代史研究部の『現』部長は言った。

    「泣きながら出て来たんだよ。古代史研究部から」

     部長は、それが知っている全てを言わんばかりに言葉を切って視線を逸らした。

    「ともかく……せっかく暇だし、今日は古代史の勉強でもしよっか」

     エンジニア部の天才たちの専門外。古代史の授業は夜通し続いたという。

    -----

  • 80125/06/05(木) 00:21:17

     その日の夕暮れ、その生徒は今日の閉会を間近に迫ったミレニアムの中を歩いていた。
     ひとりひとりに目を向けて、それでも違うを首を振って、ただ、ひとりで。

    「やぁ」

     不意に立ちはだかる影がひとつ。小さな影だ。
     視線を向けると、その人物は『邪悪』に笑った。

    「思った以上に来るのが早かったね。一週間ぐらいは様子見しててくれると思ったけれど、まさか初日から来るだなんて――もしかして、僕が思っている以上に暇なのかな?」

     それには苦笑いするしかなかった。
     たまたま『動ける時間』が一致しただけのこと。決して意図したわけではなく、勘に従って来たまでだった。

     そのことを読み取ったのか、小柄な生徒は眉を顰める。

    「偶然? まぁいいけど、重要なのは僕が君に会えたってことさ」

     きっと、その小柄な影を知る人物であれば驚いたであろう。
     これ以上ないほどの侮蔑と憤怒。嘲りを伴うその笑みは、今まで絶対に誰にも見せない顔であったはずだから。

    「やっぱり、こうして直接会ったって僕には君が何なのかまるで『分からない』。人の皮を被った『何か』なんだろうけど、君が『生徒』である以上のことが僕にはさっぱりだ」

     小柄な影は笑みを浮かべたまま、その両目を細めた。獲物を見つけた猟犬のように。

  • 81二次元好きの匿名さん25/06/05(木) 00:21:30

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  • 82125/06/05(木) 00:23:08

    「生憎、そんな存在に思い当たる節は現状ひとつしかないから準備が出来たらそっちに行くよ。だからひとつ言っておく」

     それは静かな殺気であった。
     命を賭しても殺すと言う、確信的な怒りの相貌。

    「ミレニアムは僕の『世界』だ。誰にも手を出させない。横やりを挟もうって言うんなら他の『世界』ひとつ道連れにしたって構わない。だから――邪魔をするな」

     小柄な影が誰なのかは分からない。
     けれども『それが可能』ということだけは分かって、それから素直に背を向ける。

     もうミレニアムに来ることは不可能だろう。完全に目を付けられてしまったのだから。
     『生徒』はそのまま在るべき場所へと帰ると、ひとり残された『会長』は呟いた。

    「……巡回はもう少し続けないとね。くぁぁあああ……」

     ミレニアムの生徒会長は大きく欠伸をひとつして、再び巡回へと戻っていく。

     ミレニアムEXPO、二日目の出来事であった。

    -----

  • 83二次元好きの匿名さん25/06/05(木) 08:18:28

    2日目終了か

  • 84二次元好きの匿名さん25/06/05(木) 14:46:23

    ステンバーイ…

  • 85125/06/05(木) 21:38:55

     ミレニアムEXPO、三日目。
     屋台から見上げた空は青く、雲一つ無い晴天だった。

     他校の生徒が楽しそうにしている様子を見るだけでずきりと心が痛む。
     保安部が頑張っているのか、初日の騒ぎからミレニアムの中で騒動が起きている気配もなく、ただゆるやかに時間だけが流れていく。

     クレープを焼いて、トッピングを乗せて、渡す。
     受け取った生徒が嬉しそうに食べるのを見ても心が躍ることなんてない。ずっと胸の中にあるのは罪悪感だ。知っているのに何もしない。止めることも出来ずにただ知らなかったフリだけを続けて、こうしてクレープを焼き続けている。

    (知らなければ良かったなぁ……)

     そうであればどれだけ心が楽だったことか。
     無責任に何も知らないことを望む、それ自体にすら自己嫌悪が湧いてくる。
     焦がし過ぎた砂糖のような、べたつく異臭が頭の中にこびりついている。

     注文を受けて、笑顔で応対して、クレープを焼いて、トッピングを乗せて、渡す。

     何度もそれを繰り返す。空の青さを恨みがましく思いながら、何度も――

  • 86125/06/05(木) 21:40:56

    「よぉ、ちょっと良いか」
    「あ……」

     顔を向けるとそこには小さな影があった。
     不機嫌そうなミレニアム生。『私』が少しの間、料理を教えていたとっても強い一年生。

    「ツラ貸せよ。てめぇに聞きたいことがある」

     聞きたいことなんて聞かなくても分かった。

     だから頷く。

    「……ちょっと待っててー。いま店番変わってもらうからー」

     エプロンを脱いで代わってもらい、向かう先は人目の付かない建物の陰。
     そこがきっと、私にとっての取調室になるのだろうから。



     化学調理部の部長を陰へと連れ込んだネルは、壁に背を預けながら軽く部長を睨みつける。
     尋問なんて胸糞の悪いことをする羽目になったことも含めて、色々と言いたいことがあったからだ。

  • 87125/06/05(木) 23:26:40

     元化学調理部、部長。仁近(にこん)エリ。
     彼女が『とある』セミナー部員と親交のあることについてはリオが調べを付けていた。

     だから、ここから始まるのはただの『確認』でしかない。

    「最初に聞いておくぞ。あんたは加害者か? それともただの被害者か?」
    「私は……」

     エリ部長は足元へと視線を落とす。それからいつものように柔らかく笑って、影のある笑いを浮かべてこう言った。

    「被害者……じゃないことは、確かだねー」

     ネルは深く息を吐いた。

     これでも料理を教えてもらったぐらいの恩は感じている。ただ騙されて利用された間抜けな被害者でいてくれた方が気が楽だったのは確かだ。それならぶっ飛ばして締め上げて、それで終わるからである。

     でも終わらなかった。だから聞くほか無い。

    「じゃあ、あたしが何を聞きに来たのかも分かってるってわけだ」
    「うん。でも言わな――」

     ぱん、と部長の足元の地面が爆ぜた。
     銃ではない。銃声は響かせたくない。だから打ったのはサブマシンガンに繋げられたチェーンだった。

     エリ部長は遅れて気付いてぎょっとして、僅かに後ずさる。

    「分かるだろ、なぁ? あたしはそういう面倒な駆け引きだとかそういうの、いちいちやってられるほど気が長くねぇんだ」
    「…………」
    「最初からか? それとも後から知ったのか? なぁ頼むよ。頼んでいるんだよ『あたし』が。教えてくれよ、なぁ部長? 『誰に』、『何を』頼まれて、そんでエンジニア部を嵌めようってしたんだ? なぁ?」

  • 88125/06/06(金) 00:28:43

     一歩、部長へ踏み出すと彼女は咄嗟にハンドガンが納められたホルスターへと手を伸ばそうとして――それをチェーンで打ちはたく。部長は小さく悲鳴を上げて弾き落とされた手を押さえた。

    「痛いだろ? 手だけでも。なに、傷はつかねぇよ。ただ痛いだけだ。あんたが言わなきゃあたしはそれをやらなきゃいけない。まずは顔だな。鼻っ柱に叩き込んで――何メートルか吹っ飛ぶかも知れねぇけど痕はつかねぇ。ただ、ただ、痛いだけだ。それを何度も繰り返さなきゃいけない。なぁ、分かるだろ?」

     ネルが一歩、再び踏み出す。
     部長も一歩、後ずさる。眼前から響く冷たい炎のような声に膝が震えていた。

     ネルなら本当にやる。やれる。勝ち目はない。逃げ場も無い。全てを話す以外は許されてすらいないことを、部長は正しく理解していた。

    「でも」

     部長は震えながらも、二歳も年下の後輩へと目を合わせる。
     暴力の化身を。保安部すらも単独で撃破しかねない小さな暴君をまっすぐに見つめた。

    「友達は売れない」
    「じゃあ、潰れろ」

     ひゅん、と風を切る音が聞こえた。
     僅かに見えたのは白銀の鞭。打擲の刑罰が眼前に迫る中、瞳だけは閉じず、そして――破裂音が耳朶を打った。

    「……………………、あれ?」
    「全力で脅したつもりだったんだけどな……」

     ネルは舌打ちをして再び壁へと背中を預ける。
     これで確定したからだ。誰が主犯なのかを。

  • 89125/06/06(金) 00:29:00

    「金とか何とかっつー、ただの利害関係ならここまで粘らねぇよ。っつーことは、てめぇに依頼したのはてめぇの『大事な友達』で、しかもその動機だか何だかもある程度の理解を示してるってわけだ」
    「なんで……」
    「はっ、理解も共感もできねぇけど友達ってだけで受け入れるなら、大体ここで全部しゃべって『あの子を止めて!』だとか抜かすもんなんだよ。特に、あんたのような悪だくみに慣れてねぇヤツならな」

     目を細めたネルの表情は肉食獣のそれに近い。
     正確には獲物を狙う目では無く、襲う必要のない下位を眺めるような、最低限の警戒のみを示すような冷たい眼差し。

     ネルは敢えて間を端折って話した。

    「監視カメラの映像な。あれ、『完璧すぎた』んだよ。どっからどう見たって展示中に爆弾を仕掛けられた瞬間は無かった。でもな、それじゃあおかしいんだ。だって展示前に爆弾は仕掛けられてなかったんだから。じゃあおかしいのは映像だ。誰かがハッキングして映像を差し替えた。それが出来るのはひとりしかいねぇ。分かるだろ?」
    「セミナーの部員だったら誰でも出来たと思うよ?」
    「いいや無理だ。何てったってセミナーには電子戦のプロがいる。セミナー会計っつー『あの会長』が直々に選んだ最強のハッカーだ。去年会長が『ミレニアム生徒会長』に就任してから『例外を除いて』ただの一度も破られなかった最硬のセキュリティ。それを唯一破ったのが『エンジニア部』なら、そりゃまぁ警戒はするよな?」

     それこそがエンジニア部が狙われた最たる理由である。
     会長の子飼いであるミレニアム最強の戦力――『特異現象捜査部』。

     罠に嵌めて行動不能に陥れなければならない存在。
     本当であれば全員一度に拿捕して解体するべきだった部活。

    「もうミスってんだよ、チヒロの奴がたったひとりで捕まった時点でな。こっから先はムカつくけどよ、順当に会長が『勝って』終わりだ。この土俵に立ってんのはあたしらじゃねぇ。てめぇら『原理主義』と『セミナー』の殴り合いで、あたしらは会長の武器で舞台装置ってなわけでな。ああ……そんなに『会長』の椅子が欲しかったのかよその『黒幕』さんは」
    「違う――!!」

     部長が叫んだ。苦々しく、苦しそうに顔を歪めながら。

  • 90125/06/06(金) 00:43:18

    「あの子は会長になりたかったわけじゃない! でもならないといけなくて――」
    「クーデターの言い訳にしちゃ上等っぽいな? けど、会長はそういうの望んじゃいないみたいだな?」
    「だって! ……だって、言ったんだよ。会長、このままだと『死んじゃう』って――」
    「――そりゃあ……」

     一瞬、ネルは言葉を区切った。

    「会長と、ちゃんと話したのか? ……本当に?」
    「話したって言ってた。でも駄目だって、それでもって……だから私は手伝った。手伝ったんだよ……」
    「それが……久留野(くるの)メトに協力した理由なんだな」

     名前を出した。『セミナー会計』のその名前を。
     すると部長はびくりと肩を震わせて、それからネルへと視線を向けた。

    「正しいものなんて分からないよ……。だかっ、だから、全部投げたんだー私。ひ、卑怯でしょ?」
    「いや、弱いだけだろ。卑怯じゃねぇ。『あたし』より弱ぇだけだ」
    「――――」

     ネルの言葉に項垂れる部長。
     そうして語ったのは何て事の無い、『セミナー会計』の指示で結果的にエンジニア部を罠に嵌めようとしたという事実であった。



    「結局、『ここまでは』予想通りだったな」
    【そうね。ほとんど推察だったけれど、証拠は手に入れたわ】

  • 91125/06/06(金) 00:59:02

     ネルは胸元からレコーダーを抜いて、そのスイッチを切る。
     実際の所、化学調理部の部長とセミナー会計の繋がりについては本当に薄いものだった。

     『多分そうだろう』から始まる憶測。物的証拠の無い想像。
     だからこそネルが仕掛けたのはカマかけ以外の何物でもない。

     だから確定させに行ったのだ。セミナー会計こそが原理主義の首魁であると。

    【セミナーは千年難題を解き明かすために作られたミレニアム原初の組織。なら、その部員こそセミナー原理主義に染まっているべきはずよね】
    「問題はそこじゃねぇだろ? それで動かされた『誰か』が上の命令から外れて暴走してるってんだから、黒幕確定は別に大金星でもねぇだろうよ」
    【そう。ここから必要なのは『誰に』頼んだのか、よ】
    「じゃあ、ここから先はあいつらの出番か?」

     ネルの言葉にリオは頷いた。

    【ええ、ヒマリとチヒロに頼みましょう。今晩会長と連絡が取れればの話だけれど】
    「わぁーったよ」

     会計に詰めても良いが、結局のところそれはあくまで中間地点。
     セミナー原理主義を乗っ取った下手人を探すのであれば、必要なのはエンジニア部全員の力ということである。

    「タイミングは……まぁチヒロなり居るから問題ねぇか」

     そう言ってネルは頭を振った。
     どの道に今日中にはレシーバーが受信した音声の発生源もリオが突き止める。
     決戦のときは直ぐ近くであるのだから。

    -----

  • 92二次元好きの匿名さん25/06/06(金) 06:19:11

    おおう…

  • 93125/06/06(金) 13:02:48

    「なんでぇ……なんでこんなことにぃ……」

     D.U.シラトリ区の一角、どこにでもあるようなカフェテリアで頭を抱えているのはセミナーの会計である。
     手元の端末からブラックマーケットで雇った『エキストラ』に連絡をして『シギンター』へ指示を飛ばす。内容は『今すぐ美甘ネルと調月リオの位置を割り出して』というものである。

     電子戦のプロ、最強のハッカー、そう言った肩書きは勝手につけられたもので、そもそも去年までセキュリティの『セの字』も知らないほどの素人だったのだ。

     一年生のときはずっと微生物の観察と模写ばかりをやって来た人見知り。
     親友が何の気も無しに言った「君さ、プログラムとかそっちの方にも手ぇ出してみない?」なんて言葉でちょっと興味を持って、ちょっと調べて、そしたら出来ただけでしかない。

     それで調子に乗ってしまったのも自覚している。
     ちょっとした火遊びみたいなスリルから来る快感に酔っていた。厳重に守られたセキュリティを突破して、中の物を少しだけ覗き見る。悪いことだけど誰も傷つかない遊び――

     だから思い知った。好奇心は猫を殺す。閉じられた箱の中身を見てはいけない。
     見てしまえば全てが確定するような思考実験の猫とは違うが、少なくとも『自分の運命』が確定したのは確かであった。

    『なんで、知っちゃうかなぁ……。僕の思っていた以上に君は才能が有り過ぎたんだね』

     一年生の頃から一緒だったはずの親友が、まるで豹変したように笑みを消した『あの日』を思い出して首を振る。

     それだけ擬態は完璧だったのだ。二年生を迎える頃まで誰からも好かれ、愛され、最高の頭脳を持っていた天才――その全ては猫を被っていただけで、会長に上がった瞬間その一切を取っ払った。

     それでも親友だからと一緒に居続け、そこまでして生徒会長になりたがった理由を知りたくなってしまったのだ。『友達の為』と言い訳しながら。

  • 94125/06/06(金) 13:03:01

     ――見つけたのは目的の為に『生徒会長』という権力を欲していたということ。
     ――その目的は『復讐』で、『生徒会長』にならないと見つけられない誰かを探して殺すこと。
     ――例え刺し違えてでもという、深い憎悪だった。

     絶対に止める。そう決意したとき、意外なことに『会長』になってしまった『親友』から呼び出されたのだ。

    『君は僕を止めたい。僕は止められたくない。でもね、僕が僕であるためには誰のエゴも否定しないって決めてるんだ』

     チャンスをあげよう。会長はそう言って自分を会計の座に付けた。

    『その場所からなら僕を止められるチャンスだってあるだろう? 上手くやりなよ。失敗したらペナルティだ。当たり前だけど命は取らないよ? でも自由は奪わせてもらう』

     そうして三年生になり『会計』となってから計画を練り続けた。
     ヴァルキューレにハッキングを仕掛け、過去に起こった組織犯罪の手口を勉強した。
     『なんでもやる』と公言する『親友』の手口も勉強した。

    「絶対に表に出ないようにする。いつでも切り捨てられる第三者を中継して組織を複雑化させる。全員を利害で縛る……」

     これまで悪事のひとつだってやったことのない小市民にとって、罪悪感で胸が痛む大きな壁がいくつもあった。
     けれども『目的を阻止する』という自分のエゴに従って全てを隠しきり、会計の仕事を行いながらセミナーで過ごす。

  • 95125/06/06(金) 13:03:24

     いつしか卑屈な笑みが張り付いていた。
     もう駄目だというときは殆ど衝動的に泣きながら保健室へ逃げ出してしまった。
     けれども何度もセミナーに戻った。一年生のとき、あの『親友』は復讐のためだけに『完璧』を演じて見せたのだ。それと比べれば何てことはないと、自分だってやれるのだとそう信じ込むようにしてここまで来た。

     ミレニアムEXPOは会長と書記兼保安部部長が完全に忙殺される時期。
     会計の仕事は始まる前と終わった後に山ほど来るが、開催中は自由に動ける唯一の時期。

     軽傷でいい。なるべく多くの来場者を巻き込む形で事件が起きれば、会長とはいえ他校からの追求は免れず、テロの原因が会長にあると疑われたのなら連邦生徒会が仲介しての捜査が始まる。

     そこで会長が行った不正の証拠が山ほど出てくればどうだろうか?
     証拠ならいくらでも『作れる』。ハッキング技術を悪用すれば見知らぬ他人にだって見知らぬ罪を増やすことも出来る。

     しかし、会長には『エンジニア部』がいる。そのうえ戦闘能力においてはミレニアム随一とされる美甘ネルも最近一緒にいるらしく、この部活を排除することが計画を実行するに当たって最優先事項だった。

    「一日目の爆発で保安部に警戒させてセミナー内部から目を逸らさせる。二日目の爆発でエンジニア部が向くようにして拘束、その隙にエンジニア部がテロの一味だと偽造。三日目が本番。会長に全ての責任が向くように情報を入れ替え続ければ……」

     きっとこの計画が実行されれば自分には何も残らないだろう。

     結局のところ、捜査の手が入ればきっとバレる。どれだけ隠そうとしても全てを隠しきれているとは思っていない。だがバレても良いのだ。自分が捕まっても会長は責任を問われて辞任することになる。

     少なくとも権力はもぎ取れる。復讐は果たされず、その怒りは自分に向けられるだろう。
     それでもいい。会長が、親友が一線を越えなければそれでいい。それが『私』のエゴだった。

  • 96125/06/06(金) 13:03:57

     ――そのはずだった。
     そして現実はそうはならなかった。

     立派なのは計画だけで、その中身はあまりに杜撰過ぎたのだ。
     自分にはハッキングの才能はあっても、黒幕の才能は絶望的なほどないことが明らかになった。

     組織を複雑化させた結果、酷い伝言ゲームが始まってしまい指示がちゃんと伝わらない。
     人間とプログラムは違うなんて当たり前のことをまず見落とした。

     ポーカーフェイスのひとつもまるで出来ず、意味も無く不穏さを撒き散らし、ただ展示してもらうだけだった分子調理機作成の依頼を悪事のひとつだと誤解され、慌てて取り繕っても結局駄目で、仕方なく計画に組み込んだはいいものの、友人という切り捨てられないパーツを抱えてしまったうえにどう悪事に使えばいいのかすら分からない展示物が誕生してしまい、頭を抱えた。

     そうして迎えた初日で起こった騒動で、あの分子調理機が狙われたのだ。

     エンジニア部の、各務チヒロが個人で作成した『あの』調理機が。

     結果的に『エンジニア部全員拘束』という最優先事項が真っ先に崩れ落ちた。
     ひとりだけ捕まるなんて絶対にあってはいけないことだった。そうなればエンジニア部は自動的に事件を調査し始める。その時点で全てが破綻する。

     にも関わらず、何故か会長もエンジニア部の拘束を目的に動き始めた。もう意味が分からない。
     しかし既に計画は進行してしまっている。この機を逃せば会長を止められる機会なんて二度と来ない。

     もはや破れかぶれになってでも完遂するしかない状況だった。
     傍から見ればどれだけ間抜けに見えるだろうかと今にも吐きそうである。

    「どうしてぇ……どうしてぇ……」

     そんな、喜劇なのか悲劇なのかすら分からないほど単なる迷惑なピエロと化した黒幕の絶望的な泣き声が聞こえるカフェテリア。

     セミナー会計がエンジニア部に捕まる前日――ミレニアムEXPO三日目のことであった。
    -----

  • 97二次元好きの匿名さん25/06/06(金) 18:38:59

    捕まるんだ…

  • 98二次元好きの匿名さん25/06/07(土) 01:05:39

    理系人間の悲しき対人能力…

  • 99125/06/07(土) 02:33:11

     ミレニアムEXPO四日目、朝を迎えた電波暗室では古代史研究部のフジノ部長の声が響いていた。

    「ほら、もう朝よ! いつまで寝ているの!」

     時刻はきっかり午前八時。二台の卓上コンロには味噌汁の入った鍋とウィンナーや卵焼きが焼かれているフライパンが乗っている。
     調理を行う部長の隣には、それを手伝うチヒロの姿。味噌汁を器に入れてテーブルへと運んでいく。マルクトはテーブルを拭いて椅子を綺麗に並び直していた。

    「もう朝ですか……」
    「まだ寝てても良くないかい……?」
    「いけません。体内時間が狂うとフジノも言っていましたよ」

     寝袋にくるまったまま唸る二人の元へとマルクトが歩み寄って揺さ振ると、二人は「うあぁぁぁ……」とゾンビのような呻き声を上げながら渋々と寝袋から出てくる。

    「ヒマリ、ウタハ。タオルを温めておきましたので顔を拭いてください」

     二人は顔を拭いて身体を伸ばす。一度起きれば早いのが二人の利点だ。
     立ちあがってテーブルに着くと、既に今日の朝食は並んでいる。

     全員が席に着いて、それからフジノ部長は両手を合わせた。

    「それじゃあ今日も、いただきます」
    「「いただきます」」

     ヒマリが味噌汁を一口飲んで、「ほぅ」と息を吐く。そして――

    「これもうただの合宿ですよね!?」

     だん、と器を置いてヒマリは叫んだ。
     暗室に閉じ込められてから早三日目。エンジニア部は古代史研究部部長が統制する中、極めて健康的な生活を過ごしていた。

  • 100125/06/07(土) 03:58:08

     思い返すのは二日前、この部屋に閉じ込められた後のことである。

    「それじゃあ講義を始めるけど、古代史とか現代社会学の基礎学習は済ませてる?」

     フジノ部長の言葉に首を振る四名。
     マルクトはネツァク戦後に身体が出来上がるまでにネット上に上がっていた論文を流し読みしていたものの基礎学習は済んでいない。ウタハもチヒロも、特に興味が無かったため一切触れていなかった。

     ヒマリは基礎学習こそ済ませていたものの、リオと成績を競った適性試験のために学んだ程度。しっかり身についているわけではなく、ある程度は分かるかも知れないが振られても答えられるか怪しかったため流石に「出来る」とは言わなかった。

     そんな一同の様子を見て、部長は眼鏡を上げ直す。

    「だったら紹介に留めておくわ。興味を持ってくれるように話すから、気になったらすぐに質問していいわよ」

     ホワイトボードの前に立つ部長はそれから振り返り、おさげが揺れた。

    「そういえば、エンジニア部は千年難題を本気で解こうとしているのよね。だったらここから話した方がいいかしら」

     部長がマーカーを持ってホワイトボードに何かを書き込んで、ばん、とボードを叩いた。

     そこにはこう書いてあった。

     ――テクスチャ論とオントロジー的転回について。

    「第一の問い……」

     チヒロが呟いたのは千年難題の一問目。
     即ち『社会学/問1:テクスチャ修正によるオントロジーの転回』である。

     その反応を見て、古代史研究部部長、神手フジノは満足そうに笑った。

  • 101125/06/07(土) 03:58:28

    「それでは授業を始めます。まずはオントロジーの解説から」

     これ以上無いほどの『掴み』に瞠目する一同。
     最初の出だしはこんなものであった。

    「まず、オントロジーって聞いて何を思い浮かべる? じゃあ各務チヒロさんから」
    「情報科学におけるオントロジーです。動作の抽象度を下げることで正しくプログラムを実行させるデータマネジメント分野の研究です」

     突然指名されたチヒロは動じることなく即答した。
     例えるなら『ドロイドが銃を撃つ』という行為に対して『銃を撃つ』とは『引き金を引く』ことであり、『引き金を引く』とは『トリガーに指をかけて引き下げる行為』と言ったように、より具体的にどのような動作をさせるのかという用語である。

     フジノ部長は「そうね」と頷いた。

    「つまりは『物事の本質とは何か』とも言えるわね。哲学的にはこれを存在論と呼ぶわ」

     『オントロジー=存在論』とボードに書き加えられて、続けて『認識論』の文字が書き足される。

    「存在論は『本質とは何か』である。でも『本質』なんて言われてもピンと来ないよね。じゃあ何で本質がどうだの言われたのかを知った方が理解しやすいと思う。そこで知るべきなのが『認識論』」

     例えばそうね、と続けて部長はウタハに視線を向けた。

    「あなたから見て、私とあなたの関係性は?」
    「……そうだね。ミレニアムの三年生で私たちの先輩。一年生の時の会長を知ってる人で、古代史研究部の部長かな?」
    「でもそれって、あくまで『あなたという主観から見た私』よね? 例えば私がエンジニア部を知らなかったら『私はあなたたちの先輩』だとは思わない。知らない何処かの生徒だって思う」
    「つまり……」

     ヒマリが呟いた。

    「『認識論』とは観測者の主観で認識したものを是とする考え方で、その主観が正しいとは言えないという反証に『存在論』がある、と?」
    「そう、『認識』から始まってそれこそ180度『転回』して『存在』を学ぼうとした。これが存在論。オントロジーと呼ばれるもの」

  • 102二次元好きの匿名さん25/06/07(土) 06:52:10

    保守

  • 103二次元好きの匿名さん25/06/07(土) 11:05:22

    少し私事で忙しくなってきてしまったので、申し訳ありませんが取り急ぎ次スレ用の表紙だけ置かせていただきます
    今回は前生徒会長一人を題材に、誰も抱かぬ孤高のピエタを

  • 104125/06/07(土) 17:46:52

    >>103

    新作だヤッター!!

    前生徒会長に限らずオリキャラを出すときは最初に設定を組み立てはするものの、いつでも投げ捨ててフェードアウトできるよう第二案も組んでいたりします。オリキャラをどこまで主役の近くに置くかで割と悩みがち……。


    だったのですが、以前書いて頂いて「フェードアウトさせるには惜しいか……?」と考え直した結果、第二案を丸めて捨てて、最初の設定のまま走ることに決めました。あなたのおかげです。感謝を。


    前生徒会長が失ったものとは何か。

    大事なものはいつでも手の届くところに。

  • 105125/06/07(土) 17:52:55

     かつて火や雷に神性を見出していた時代をいま振り返るのなら、それは無知から来る畏怖であると主観は捉える。しかし、それは技術的優位という驕りが生み出した、極めて支配的思考とも言えるのでは無いだろうか。

     妖精は居ない。精霊も居ない。神も、神性も、科学的に存在しない。
     存在したとされるそれらをただの『無知から来る信仰』と捉えるのは傲岸不遜極まりなく、そうした『未知』と共に人類は『同居していた』のだという『主観を排した本質』を探る考え方。フジノ部長が語ったのはそういう話であった。

    「私たちから見た昔の人はね、人の手に負えない火や雷に神秘と恐怖を抱いていたの。こんな話もあるわ。『神が人に与えた火によって神は罰せられた。ならば、人が見出した雷は誰を罰するのか』……科学技術と文明の進化に必要不可欠だった『火』と『雷』は、古くから神聖視されていたのよ」

     現代から見れば『ツール』であり『現象』に過ぎないかの神性も、あくまでそれは『現代という主観が導き出した認識による解釈』に他ならない。

     ならば、主観に因らない『本質』とは何か。
     学位を持ち講義を行うフジノ部長は笑って言った。

    「『本質』なんて『未知』と密接に関わるのが私たち。正確には観測できない『過去』を追求し、調査して、研究を重ねる。それが古代史研究部よ」

     そうして始まった講義はヒマリたちにとって確かに有意義なものだった。
     アメリカーノなどキヴォトスの外で生まれたとされる文化がキヴォトスにも持ち込まれていることから始まり、文化や技術を追っていくにつれて出てくる『異常』の数々。

     何百年も昔の地層から発見された土器の更に下から超技術で作られた高性能な電子機器が発掘されるなど、キヴォトスに積み上げられた地層はおよそ順当な進化を遂げていないというものだ。

     フジノ部長はそれを『文明の急激な退化と進化』と称した。
     現代で銃火器に使われる火薬が発見されたとほぼ同時期に誕生する熱感知追尾ミサイルなど、技術の転換までのスパンが異様に速いのだと言う。

    「もはや誰かが意図的に作ったんじゃないかと思うぐらい歪に狂った時代の地層、それを私たちは『テクスチャ』って呼んでるわ。そして、この『テクスチャ』のせいでキヴォトスの始まりは未だ誰も突き止められていない。私たち人類がいつ誕生したのかさえ分からないままなのよ」

  • 106125/06/07(土) 18:37:00

     槍で大型動物を追い立てる狩猟時代の遺物が見つかっても、その更に下の地層から見つかるのは宇宙開拓でもしていたのではないかというまた別のオーパーツ群。
     『今』が『いつ』なのか、過去が観測できない以上、それを知る者もまた、誰も居ない。

     その辺りで、ヒマリはふと考え込むように頬へ手を当てる。

    「そう考えると、過去も未来も『今』という瞬間から見れば大した違いはないのかも知れませんね。100年後の世界がどうなっているのかは想像するしか無いように、100年前の世界も限られた情報から想像するしかない不確定な『未知』……」

     ヒマリの言葉で、ウタハは思いついたようにフジノ部長へと尋ねる。

    「ひとつ聞きたいんだけど、『廃墟』の探索をしたことは?」
    「もちろんあるわ。表層の都市群は損耗具合からして50年前後の建造物のはずなんだけど、その地下に広がっているのは別の地域で1000年前に見つかったオーパーツ。『テクスチャ』の乖離率がミレニアム自治区の中で最も高いのよ」
    「調査できたの!? あんなロボット兵だらけの『廃墟』を!?」

     チヒロが驚いたように声を上げて、それから大声を出したことを恥じるように席に座り直した。
     部長はそんな様子を微笑ましく眺めながら頷いた。

    「ロボット兵も二年前は全然いなかったわ。古代史研究部に入って、ちょうどその時に『廃墟』のフィールドワークがあって参加して……それで……」

     不意に言葉が途切れた。
     フジノ部長は何かを思い出すように視線を彷徨わせ、それから「あぁ」と声を漏らした。

    「そう、『声』よ。いえ『言葉』かしら。突然聞こえて来て、それで探索は中止。慌てて逃げかえったのよ。あれ、何だったのかしら……」
    「それなら恐らく我ですね」
    「え?」

     首を傾げるフジノ部長。あまりにさらりと言われたせいで誰もマルクトの爆弾発言を止められず、頭を抱える一同。チヒロが遠い目をした。

  • 107125/06/07(土) 18:37:19

    「マルクト……。それ、今度から言わないようにね。あまり知られても良いこと無いと思うから……」
    「分かりましたチヒロ。次からそのようにします」
    「いや、あの、ちょっと待って。え、あの声はあなた…………」

     フジノ部長は眼鏡を外して眉間を押さえた後、それからすっと顔を上げてホワイトボードに向き直る。

    「そ、それじゃあフィールドワークの話をするわね」

     どうやら聞かなかったことにしたらしい。知り過ぎることで負う代償を知る者特有の賢明な判断であった。

     そこからフィールドワークの話に移り、キャンプ設営の苦労話や料理当番で揉めた話。そしてこの一切陽の光が届かない電波暗室の話になり、部長は溜め息を吐いた。

    「時計でしか時間が分からないのは厄介ね。せっかくだからキャンプをするわよ」
    「はい?」

     ヒマリの声には答えずに、部長は電波暗室の扉まで歩き出し扉を拳で叩き始めると、なんと扉が開いた。待ち構えていたのは保安部員である。

    「どうされましたか?」
    「会長に申請よ。キャンプ用具一式、フィールドワークにおけるキャンピングの実習をするから用意してちょうだい」
    「は、はぁ……。分かりました」

     保安部員は再び扉を閉める。その様子を見ていたチヒロが信じられないと言った様子で声を上げた。

    「あの、それで用意してくれるものなんですか? というかどうして保安部員が外に……」
    「最初の質問については、会長は道理さえ用意すれば基本的に手を貸してくれるから。道理がなかったら全力で付け込んで来るけどね。二つ目の質問は、そもそも私たちを守るためにここへ閉じ込めているんでしょ? セミナー直下の監視カメラをどうにか出来るハッカーが何故か何人かいるんだから目視で対策するのは当然」

     意味ありげにヒマリとチヒロへ視線を向けると、二人はそっと視線を外した。
     恒久的には無理でも、時間があれば侵入経路の監視カメラぐらい造作も無い。

  • 108125/06/08(日) 01:11:42

     そして部長の言った通り、1時間もしないうちに簡易調理機を始めとしたキャンプ用品が電波暗室に持ち込まれて保安部員の手によって速やかに設置された。
     食材はひとまず三日分。三日後……即ちEXPO四日目が終わり次第追加で支給されるとのことだ。

     なお、途中でヒマリたちが逃げ出した場合は代わりに保安部員が補充に閉じ込められるとのことで、そのことを語った保安部員は「どうか大人しくしていてください……」と懇願する始末である。

     そうして迎えたのが今。即ち閉じ込められて三日目の朝。ミレニアムEXPO四日目である。

    「でもさヒマリ。なんだかんだ楽しいじゃないか」
    「それは……そうですけど……。いえ、不満があるわけではないのですが、何かこう……閉じ込められている感じがあまりしないというか……」
    「実際出られるからね。扉叩けば開けてくれるし。あの様子じゃ出る分には止めたりされなさそうだ」

     会長が保安部を掌握し直したのかは分からないが、少なくとも会長派の部員で守られていることは確かである。それを踏まえた上で、チヒロが口を尖らせた。

    「ねぇ、だったら早く戻って着替えたいんだけど……。なんで下着とかは差し入れてくれる癖に服だけは頑なに差し入れてくれないの?」
    「チヒロはメイド服に不満があるのですか?」
    「そりゃそうでしょ……。着心地は悪くないけどせめていつもの制服には着替えたいって……」

     マルクトの疑問に答えながらも溜め息を吐く。
     充実した合宿ではあったが、今も外でセミナー原理主義を追っているリオたちにもそろそろ合流したいところ。

     するとヒマリもそれには同意を示した。

    「二日もあって、しかもネルもセフィラもついているのですよ? 何なら解決するぐらいしてくれなければ!」
    「僕もそう思うさ!」
    「うわ出た」

     バン、と扉を開け放ちながら現れた会長にチヒロが嫌な顔をした。

  • 109125/06/08(日) 01:11:59

    「というか聞こえていたんですか? どうやって? ここ、外と遮断されてるんですよね?」
    「まぁまぁ気にしないでよチヒロちゃん。それに部長ちゃんもお疲れ様」
    「別にいいわ。それなりに楽しかったからね。それで、トラブルは解決したの?」
    「いいや? 今日はリオちゃんたちからチヒロちゃんたちへプレゼントがあってね」

     会長は丁寧にラッピングされた小包を取り出す。
     一目見て分かるのはこんな意味の無いラッピングをするのは会長しか居ないであろうこと。

     チヒロが半目になって会長を見ると、何故か妙に誇らしげに胸を張っていた。

    「…………まぁ、受け取りますけど」

     受け取って小包の封を切ると、中に入っていたのは小さなリムーブバルディスクがひとつ。
     すぐさま端末に繋いでデータを確認すれば、そこにはいくつかの音声ファイルとテキストファイルがひとつ。どうやら調査報告らしく、ざっと目を通した限りでは『セミナー会計が黒幕』ということと『現在の指示役との通信を傍受したデータ』が入っているらしい。

    「暗号化は問題なかったみたいだけど、位置の割り出しが出来なかったみたい」
    「まぁ……リオは隠れる側だからね……」

     ウタハが苦笑しながらヒマリを見ると、ヒマリは穏やかに笑いながら静かに口を開いた。

    「ならば私の出番ですね。本気で隠れたリオを見つけるよりかは楽でしょう」

     その言葉に頷くチヒロとウタハ。

     常に最悪を想定して動く臆病者の隠れ方は尋常では無く、街角で聞き込みをしようが衛星で調べようが本当に見つからないのだ。張り込みをしてもそれすら掻い潜るリオの逃亡は、初動で押さえられなければ唯一見つけ出せるヒマリですら四日はかかる。それも大体逃げ出すことになった原因が収まりつつあって油断して初めてなのだが……。

    「あの、会長」
    「うん? なんだいチヒロちゃん」
    「黒幕は分かってるってこの前仰ってましたけど、『指示役』も本当は分かってるんじゃないんですか?」

  • 110125/06/08(日) 01:12:18

     無駄な遊びに付き合わされ続けているのではないかということを想像してのカマかけであったが、意外にも会長は呆れたように肩を竦めた。

    「分かっていたら『こんなこと』に付き合わせてないって……。僕のこと過大評価し過ぎじゃない? 本当だったら君たちには君たちの研究や開発を進めて貰って欲しかったんだけどねぇ~。偶然だろうけど、僕の情報網から隠れる最適解を選び続けているんだよ。その指示役……」

     珍しく本気で困っているようで、それが少々意外だった。

    「あぁそうそう。君たちの保護だけどさ、とりあえず一番の大物は何とか出来たっぽいからみんな出て来てもいいよぉ~。部長ちゃんはどうする?」
    「私? だったらセミナー部員内で募集かけてよ。暗室に入ってくれる子。期限は四日で報酬は私の講義」
    「いいね。探してみるよ」

     部長と会長が妙な取引をしていたためウタハが理由を尋ねると、フジノ部長は頭を掻きながら答えてくれた。

    「閉鎖環境内における共同生活の運営方法のレポートを作りたいのよ。あくまで叩きだからまだ雑でいいんだけど」
    「それは……古代史研究の為かい?」
    「当然でしょ? キヴォトスには一日じゃ回り切れないぐらい広大な遺跡があるんだから。特にトリニティのカタコンベ跡地なんて迷宮もいいところ。マッピングにトラップへの対処とか、とにかく高ストレス環境なんだから少しでも調査が出来るように調査団の運営方法を模索するのは研究者として当然」

     その姿はまさに、根っからの学者であり求道者であった。
     ウタハは問いかける。自分たちの未来を重ねるように。

    「フジノ部長は、卒業後はどうするんだい?」
    「キヴォトスの外の古代史を学ぶわ。そしてキヴォトス内外を比較して研究する。キヴォトスが異常なのか、それとも世界全体の条理であるならそれはそれでいつかキヴォトスに帰ってもう一度研究する。それが私の存在意義だから」
    「存在意義……」

     マルクトが声を漏らした。

    「それがフジノの存在意義なのですね」

     その問いは自分にも向けられているようで、何度も反芻するように視線を落とし、それから顔を上げた。

  • 111125/06/08(日) 01:12:46

    「神手フジノ……。『あなたは誰ですか』?」

     それは『本質』への問いかけ。フジノ部長は目を瞬いて、それから笑ってこう言った。

    「『現在』を知るために『歴史』を学んで私たちの立つ『地点』を探す……かな。一言で言うんだったら」

     古代史研究部部長、『ロケーター』神手フジノ。
     その言葉に頷いたマルクトは、ヒマリたちへと呼び掛けた。

    「この事件を解決しましょう。『指示役』の居場所を見つけ出し、私たちは私たちの旅路へと戻らなくてはいけません」
    「そうですね。パパっと解決してセフィラ探索へと戻りましょう。EXPO八日目にはティファレトが来るのですから」
    「何も聞いてない。何も聞いてないよ私はー」

     フジノ部長がわざとらしく両手で耳を押さえた。
     どこを切り取っても厄ネタへ繋がりかねない数々に耐え切れなくなっているようで、エンジニア部の一行は軽く笑って互いに目を合わす。

    「では、本格的に調査へ加わりましょうか?」
    「会長、ここから出た瞬間にまた保安部に捕まるとか無いですよね?」
    「てっきり厳戒態勢中に私たちが抜け出すなんてのもあると思っていたんだけどね」

     ヒマリ、チヒロ、ウタハと続く声に会長は笑った。

    「早期解決して君たちを自由にする方が『合理的』だろう? 頼んだよ『特異現象捜査部』。特異現象でも何でも無い『普通の事件』だけど、『僕』がやるより『君たち』の方が『効率』が良い」

  • 112125/06/08(日) 01:12:56

     感情を無視した合理の悪魔が笑みを浮かべた。
     許容できる被害と許容できない被害を明確に区別した上で許容できるものは無視して押し通す『悪』が嗤って暗室の出口へ手を伸ばす。

    「進路はこっちだ。早く解いて『順路』に戻れ特異現象捜査部。今日で捉えて明日には捕まえてくれ。君たちなら『出来る』と僕は『知っている』――」
    「分かりました」

     ヒマリが答えた。寄り道を正すように、正しき『順路』へと導くように。

    「この事件は『私たち』が解き明かします」

     ミレニアムEXPOで起こったテロ事件。その解決へと導かれる朝が終わる。
     続いて聞こえたのは解析を終えたヒマリたちの声。それらを通信機越しに聞いた少女が笑う。

    「分かった。まずは会計からとっちめるぞ」
    「準備は出来てるわ」

     美甘ネル、および調月リオ。二人が頷いて行動を開始する。
     向かうはシラトリ、セミナー会計が潜伏するビジネスホテルのひとつであった。

    -----

  • 113二次元好きの匿名さん25/06/08(日) 09:48:43

    保守

  • 114125/06/08(日) 13:24:54

    「うぅ……お腹空いたなぁ……」

     くぅ、と鳴った腹を擦って肩を落とす。
     セミナー会計、久留野メトはビジネスホテルの一室に潜伏していた。

     傭兵を雇ったり仲介役の『エキストラ』を雇ったりで、小学生の頃からこつこつと貯めていたお小遣いを使い切ってしまったのだ。
     これほどの出費、自分が覚えている限りではデジタル顕微鏡を買って以来である。

     このビジネスホテルも朝食サービスが無料で宅配サービスを使っても専用の受け取り口があるという理由から。誰とも顔を合わさずに居られる場所。普段から業務中に逃亡していたせいか、ミレニアムにいなくとも多少であれば疑われることすらない。

     それはそれでどうかと思いはするものの、一周回って都合の良い方向に向かっているため善しとする。

    「トースト二枚に目玉焼き……。お昼にも出たらいいのに……」

     バッグから四分の一も残っていないチョコバーの包みを開けてぱきりと割る。
     チョコの欠片を口に放り込むと、甘味から来る熱が小さな舌へと広がった。

    「学校、行かなきゃ……」

     のそりと立ち上がって扉へ向かうと、ノブに手を掛ける直前にこんこんとノックをされてびくりと肩を竦ませた。

    『お客様、お手紙をお持ちしました』
    「手紙……?」

     おや、と思った。
     朝食サービスだってドローンで届けられるもので、フロントに併設された食堂のバイキングを使わなければ受付以外で誰とも会わないホテルだというのに、手紙をわざわざ届けに来るなんて思っていなかったからだ。

     だから、それほど急ぎの手紙なのかと思った。

  • 115125/06/08(日) 14:09:27

    「い、いま開けます……」

     鍵を開けてノブを引く。次の瞬間だった。

    「きゃっ……!」

     扉が蹴り開けられ尻もちをつく。その鼻先に向けられたのがサブマシンガンの銃口と理解して、「ひぁぁぁぁ」とか細い悲鳴を上げた。

    「よぉ、会計」
    「みっ、美甘ネル――!?」

     眼前に立つ小さな子が絶対に会っちゃいけない人物No.1の美甘ネルだと気付き、その背後に立つ子が調月リオであるとも気付いて絶望的な表情を浮かべる。

    「ど、どど、どうしてここが……!?」
    「痕跡を追っただけよ。正確には私ではなくヒマリが、だけれど」
    「痕跡……って、そんなの残っているはずが……」
    「ええ、あなたが映っている映像は何処にもなかったわ。けれど、消した痕跡は残るものよ。特に、あなたのようなやり方では」

     ヒマリがミレニアム自治区に設置された監視カメラの管理サーバーへとハッキングを仕掛け、全ての映像を確認したとき、確かに会計の姿は何処にもなかった。そう、本当に何処にも無かったのだ。本来作るべきアリバイすらも消し切ってしまっており、その時点で管理サーバーから映像を改変していることは明らかになってしまった。

     ではどうやって映像から姿のみを消したのか。
     その答えはとんでもない力業であった。

    「あなたは管理サーバーから回収した映像を加工ソフトで全て自分の姿のみを消して上書きした。普通だったらそんなこと出来ないし誰もやらない。けど、あなたは出来てしまった。いえ、出来たと思い込んだのよ」
    「じゃ、じゃあどうやってここに……」
    「監視カメラに映っていたからよ。道を歩いているのはあなただけでは無いということ」

     会計の姿が映像に残っていなくても、会計の姿を見ていた人は確かに居たのだ。
     例えば虚空へ視線を向ける通行人。例えば道行く人の目に映った会計の姿。消したと思ってもそこに残り続ける人の目があった。

  • 116125/06/08(日) 16:16:35

    「隠れるというのなら偽の姿を残して攪乱するべきだったのよ。それに宅配も使うのもひとつの拠点を使い続けるのも避けた方が良いわ。痕跡を消すのではなく、見つけられた時にすぐ察知できるようするべきだった」
    「ぷ、プロの方……?」
    「プロ?」

     リオが首を傾げたが、それにはネルも苦笑した。

    「っつーか、そんなヒマリから逃げ切るリオも相当おかしいけどな。今回はヒマリの手に負える程度で助かったけどよ」
    「ええ、会計の要領が悪くて助かったわ」
    「うぅ……ひどい言われようだぁ……」

     べそべそと泣きながら呟く会計に黒幕としての風格は無い。
     それ以前にとてもじゃないが悪事ができるような性格ですら無いようで、今回のクーデター計画という凶行も会長を助けるためなのは恐らく確かであると理解した。

    「ともかくだ。あんたには聞きたいことが山ほどある。セミナーには連れて行くが、いくつか答えてもらうぞ。逆らうなら――」
    「ささ、逆らわないってぇ……! もうチェックメイトだよこれぇ……」
    「あー、うん。話が早くて助かるな」

     ビジネスホテルの扉が閉まる。
     室内に押し入ると、コントラバスが入りそうなほど大きなケースが置いてあって思わずネルが叫んだ。

    「いやお前よくこれで監視カメラの映像消して安心できたなぁ!?」
    「ひぃぃぃ……」

     全てにおいて視野が狭く要領が悪すぎる。
     だが、リオが思い出すのはセミナーの管理システムである。

     中継サーバーを排するなんて不合理極まる奇怪な構築方法。属人化の最たる例。要領の悪さを力量で圧倒してしまっているだけで、本人自体は警戒に値しない。その性質はもしかするとコユキに近しいものがあるのかも知れなかった。

  • 117125/06/08(日) 16:17:48

    「んじゃ、まず始めに聞かせてもらうけどよ。会長が死ぬってなんだ? 化学調理部の部長からその辺りは聞いてんだが、具体的なことは分かってねぇんだ」
    「それは……言えない」
    「あぁ!?」

     凄んで見せるネルだったが、それだけはと会計は首を振る。

    「会長のことだから、私の勝手じゃ話せないよ……。会長に聞いて……」
    「そりゃあ……まぁそうだな。じゃあそれはいい」

     どうせ会長本人に聞いたところで答えてくれそうに無いが、会長のことは別に今すぐ知らなくてはいけない情報ではない。ネルは次の質問へと移った。

    「あんたが依頼した人間、全員教えろ」
    「じゃ、じゃあデータがあるから……」
    「残しているのね……いえ、助かるけれども」

     リオが溜め息を吐くと、会計は巨大なケースからタブレットPCを取り出して操作を始める。
     傭兵を呼ばれることについての警戒は不要だった。来たところでネルならば制圧は片手で行える。そもそもそんなことすら思いついていないようなのは置いておくとして。

    「はい、これ……」
    「受け取るわ」

     リオが中を確認すると、ブラックマーケットの傭兵や『エキストラ』と呼ばれる劇団などを雇っていた。

  • 118125/06/08(日) 16:18:49

    「この『エキストラ』もブラックマーケットの?」
    「うん。サクラのグループみたいなもので、直接犯罪はしないんだけど日雇いで人を雇えるの」
    「この『シギンター』というのは?」
    「そっちは掲示板で見つけたの。IDから使用回線割り出して端末割り出したからメールでお願いして……」
    「怖ぇよ……」
    「で、でも、計画を伝えたら協力してくれるって……」
    「それはそれでめちゃくちゃ怪しい……くはないか。ブラックマーケットの連中とかそんなんばっかだもんな……」

     ネルは舌打ちをした。

    「じゃあ、結局『シギンター』の正体は自力で割り出さねぇといけねぇってことか」
    「あの、調べようか……?」
    「ああ?」

     殊勝な態度もそうだが、調べるというのはどういうことか。
     取っ掛かりすらない状況ではリオやヒマリでも調べられない。

     すると会計は寂しそうに笑った。
     どこか、重荷を下ろしたような表情だった。

    「私、もう『負けちゃった』から……。これぐらいは……」

     そう言って会計は巨大なケースから機材を組み始める。
     十二枚のモニターにバーチャルキーボードが会計の周囲に投影される。
     デスクトップ型のハード四台をコンセントに差して、一斉に稼働させた。

  • 119二次元好きの匿名さん25/06/08(日) 16:19:50

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  • 120二次元好きの匿名さん25/06/08(日) 16:20:52

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  • 121125/06/08(日) 16:32:53

    「昔ね、シオンちゃんが『出来るんじゃないかな?』って言ってくれたから試してみたら出来ちゃって……」
    「シオンちゃん?」
    「あ、会長。会長だよ。でね、ちょっと『調べる』から待ってて……」

     リオとネルが会計の様子を伺っていると、会計は「ふぅ……」と一息吐いて、起動ボタンを押した。
     十二枚のモニターに映るデータ群。会計は口を半開きにしたままその全てへと視線を向けて、バーチャルキーボードをすさまじい勢いで操作し始めた。

    「あなた……何をやってるの……?」
    「ミレニアムの『全部』にハッキングを仕掛けてるの。音声、映像、登校から下校、みんなが使ってる携帯の中身と電話の内容……。あ、でもEXPO開催期間で絞ってるからそうでもないよ……」

     そう言いながらも十二枚のモニターは忙しなく画面を切り替え続けて何かを同時に処理し続けている。
     マルチタスクなんて言葉では言い表せない異様な才能にネルが呟いた。

    「マジかよ……。これ『調べる』で括れんのか?」
    「虱潰し……どうかしてるわ……」

     それは調査ではない。彼女はハッカーでは決してない。
     虱潰しに全てを圧倒して圧し潰す現代の怪物。ただ善性故に悪用され切れていないだけの『機能』。

     リヴァイアサン:オーバーウェルマー。

     他者のプライバシーを完膚なきまでに破壊し続けることで果たされる最悪のローラー作戦はいともたやすく完遂される。

  • 122125/06/08(日) 16:33:56

    「見つけた……。ミレニアムサイエンススクール一年、音瀬コタマ。この子が『シギンター』だよ……。拠点は多分ここ……」
    「はは……」

     ネルは乾いた笑いを浮かべた。
     会長はなんて才能を発掘してしまったのかというある種の畏怖。そしてそれを手元に置き続けて管理し続けたことへの敬意。異常な才能を『異能』と呼ぶなら、その資格は十二分に会計は備えていた。

    「ヒマリへ連絡したわ。私たちもミレニアムへ戻りましょう」
    「お前……これがヤバイことだって思わないのかよ」
    「思うけれども最も合理的解決だわ。ならば使うべきよ」
    「リオ、多分お前が一番会長に近いぞ。良くも悪くもな」

     ネルがリオの背中を叩くと、呻き声を上げて恨みがましい目を向けて、ネルは笑った。

    「んじゃ、戻るか。全部終わらせるぞ」

    -----

  • 123二次元好きの匿名さん25/06/08(日) 23:18:27

    Big Sister Algorithm…!完成していたのですか…!

  • 124125/06/09(月) 00:37:35

     ミレニアムに戻ったネルとリオは、帰りがけにセミナーへ立ち寄ってメト会計を会長に預けに向かった。

     すっかり元気の無くしてしまったメト会計を前にした会長は、いつものようなニタニタ笑いを浮かべながら会計の肩をぽんと叩いた。

    「いやぁ~、残念だったねぇ会計ちゃん」
    「会長……」
    「君の負けだよ。処分についてはリオちゃんたちが君の後始末を付けた後にしようか」
    「うん……」

     その『処分』が何を指すのかは分からないが、なんであれ会長に任せておいて良いだろう。
     ネルたちはその足で自分たちの『部室』――第二倉庫へ戻ると、共有スペースにはヒマリ、ウタハ、チヒロ、マルクトの四人が待っており、ネルは片手を上げた。

    「よぉ。なんか久しぶりな気もするな!」
    「ふふ、そうですね。この朝露に濡れる一輪の花のように美しい清楚系美少女の姿を見られないとなれば一日千秋に思うことも無理はありません」
    「いやそこまで長くは感じてねぇよ……」

     呆れてげんなりと肩を落とすネルに他の面々が笑ったところで、いつものようにリオが流れをぶった切りながら本題へと戻す。

    「シギンター、音瀬コタマの捕獲に向かいましょう。準備は出来ているかしら?」
    「出来ているとも。ゼウスの調整も完了した。いつでも実戦投入可能だよ」
    「私も今回の事件で三日間もメイド服のまま過ごす羽目になったからね……。ただじゃおかない……」

     まぁまぁキレていたチヒロが眼鏡を押し上げる。士気は充分。全力で叩くつもり満々だった。
     そしてマルクトもまた皆のやる気に感化されたのか、ぐっと拳を握って頷いた。

    「セフィラたちにも協力を要請しておきました。見つけ次第イェソドで全部隊を投入します」
    「良いですね。より万全を期すために発信源から推定される逃走経路も算出しておきました。私がオペレーターを務めるので確実に叩きましょう。マルクトも手伝ってくれますか?」
    「分かりました、ヒマリ」

  • 125125/06/09(月) 00:52:37

     マルクトの『魂の感知』を使えばミレニアムの何処に人がいるのか判別できる。
     その上で音瀬コタマ捕獲作戦を決行したときに妙な動きをする存在がいれば、それこそがコタマであると同定することも可能だ。

     以上をもってチヒロが口を開いた。

    「それじゃあ、これより『シギンター捕獲作戦』を始めるよ。私とネルでA班。ウタハでB班。イェソド、ホド、ネツァク、リオでC班。ヒマリ、マルクトでD班とする。A班で発信源に突入。B班で逃走経路を封鎖。C班で全体のバックアップ。D班はオペレーターとして全員のサポートをお願い。確実に叩き潰すよ!」

     全員が頷いて始まる総力戦。時刻は15時を過ぎたところ。
     奇しくも会長の情報網から逃れきった『指示役』を捕まえるべく、一行は第二倉庫から出撃した。



     一方その頃、音瀬コタマは相も変わらず『実働部隊』へ指示を飛ばしていた。

    「えー、クライアントから依頼です。『引き続き爆破を敢行。なるべく捕まらないように頑張ってください』」

     もう何度目になるかと分からない指示にコタマはうんざりし始めていた。

     各務チヒロが捕まってエンジニア部が動き出したというのに、クライアントはひたすらに『爆破しろ』としか指示を出してこない。
     やる気があるのかと疑うほどに雑な指示。かと言って下手に自分が指示を改変すれば言い逃れも出来なくなる。

     あくまで上意下達。トップダウンで下される命令を下へと流すだけである。

  • 126125/06/09(月) 01:13:19

    「そもそも、なんでテロなんて行うのでしょうか……」

     実のところ『ミスター』が何処の誰かすら分かっていない。
     セミナーの内情にやたら詳しかったことからセミナー内部の人物であることは理解したものの、ボイスチェンジャーを暴いて見れば男性のもので、独特のノイズから『ミスター』の種族がロボット市民であることも分かっていた。

     つまり、『ミスター』の更に上に『黒幕』がいる。
     そう考えれば『ミスター』も自分と同じ中間管理のサガを負った悲しき存在なのだということで若干の同族意識は湧いたりするが、それはそれ。これはこれ。

     最悪全ての罪を『ミスター』に擦り付けたいところだが、自分にできることは『侵入』、『潜伏』、『盗聴』の三つだけだ。それ以外の調査技術があるわけでもなく、『ミスター』の正体も『黒幕』の正体も未だ掴めていない。

    「まぁ……何とかなるでしょう」

     独り言ちてから再びトランシーバーへと手を伸ばし、指示を飛ばした。

    「第三班、二十四階で騒ぎを起こしてください。保安部が手薄です。時限爆弾でも仕掛けて見つけさせればそれで良いと思います」
    【了解! 報酬に期待してるから!】
    「あー、クライアントに伝えておきます。捕まったらどうしようもないので頑張ってください」

     その声を傍受していた者がいた。明星ヒマリである。

  • 127125/06/09(月) 02:07:15

    「発信源は変わらず。まだ『シギンター』はそこにいます。A班、あとどのぐらいで着きますか?」
    【あと五分! 改めてだけど駅が遠い!】

     チヒロの声にヒマリが微笑む。
     『指示役』の発信源はミレニアムを走るモノレールの『中央区北駅』の地下であった。
     一体いつの間に用意したのか、調べればかつて存在した地上鉄道の旧公舎の跡地が残っており、そこを拠点としているようだった

    「案外埋もれずにいるものなのですね。余程ミレニアムの構造に詳しいと伺えます。……マルクト、動きは?」
    「ありません。星がひとつ、その地点で輝いています」
    「B班もC班もいらなかったかも知れませんね」

     ヒマリが笑うその向こう、指示を終えたコタマは再びスピーカーに耳を澄ませた。

    「おや、エンジニア部が向かってますね」

     ミレニアム全ての音が一点に収束する中で、コタマは今の状況に気が付いた。

    「四班に分かれているんですね。セフィラ対策は行ったものの……ネツァクだけはどうしようもないんですよね……」

     全ての物質を変性させる『勝利』のセフィラ。あれだけはどうしようもない。
     けれども絶対なる観測機能を持つ『栄光』と物理法則を無視した瞬間移動を行う『基礎』については対策済みである。

     そして当然、『魂の感知』なる無茶を通してくる『マルクト』も――。

    「妙な動きをしなければ見つからないんですよね? では妙な動きをしなければいいだけです」

     多くのラジオが積み重ねられたその部屋でコタマが笑みを浮かべた。
     正直捕まってもいい。目的が果たせるならば。裏を返せば目的を果たすまでは捕まるわけには行かないということ。

    「『未知』は『未知』だから強いんですよ。一度解体されれば脅威ではありません」

  • 128125/06/09(月) 02:08:50

     マルクトを『聴く』。そのためならばこの際なんだって良いという狂奔。
     そこに迫るのはチヒロとネルから成るA班であった。

    「見つけた……!」

     暗証番号でロックされた扉の前について、チヒロはPDAからコードを伸ばし、入力機器へと張り付けた。

    「開けたら全部制圧して。出来るよね?」
    「はっ――誰に物言ってやがる。見えた全員叩き潰してやるよ!」

     ネルが凄惨に笑って答える。
     稀代のハッカー、各務チヒロが解きほぐすのは暗号化された最新の結界。

    「開けるよ――今だ!」
    「おらぁ! 話は全員潰してからだ!!」

     ネルが叫んで乗り込んだ。目につく全てを撃ち薙ぎった。
     『それを』別の場所で『聴いていた』コタマが眼鏡をかけ直した。

    「やはり……私は裏切られたみたいですね」
    【なっ――】

     スピーカーから聞こえるのは美甘ネルの声。
     ネルが見たのはコタマの姿ではない。『受信機』と『送信機』のマイクを合わせる傭兵の姿だった。

    「ダミーだ!!」

     チヒロが叫ぶ。

    「『シギンター』はここに居ない! 発信源はここじゃ――」

  • 129125/06/09(月) 02:09:52

     直後、爆発する部屋にチヒロもネルも飲み込まれる。
     解体された『未知』の何たる脆いものか。コタマは正しく全てに対処していた。

    「エンジニア部の弱点は『自分たちは天才である』という自己認識そのものです。だから聞かれているなんて思ってすらいない。実際、第二倉庫のセキュリティはとんでもなく高いものでしたが……」

     音瀬コタマに出来ることは『侵入』、『潜伏』、『盗聴』の三つだけ。
     ただしその三つに関してはまず負けない。連邦生徒会だって『盗聴』できるという自負があった。

     ジャイアントキリングに長けた少女の在り方は、恐らくリオに近しいものがあるだろう。
     故に、強い。ここは既に自分の領分であるからこそ。

    「あとは、アスナさんがちゃんと働いてくれたらいいのですが……。一体どこに行ったのでしょうか……?」

     コタマの独白を『聴く者』はおらず、悲鳴の上がった通信を前に目を見開くヒマリが通信機に叫んだ。

    「リオ! 現場の『調査』を! 仕掛けを解体してくださ――」
    「こんにちわー」

     暗証番号でロックされたはずの扉を越えて、軽い声が聞こえた。
     咄嗟にヒマリが振り返る。第二倉庫、その入り口に居たのは碧眼の少女。

    「ボスは居ないよね? でも、あなたを倒せばボスが来てくれるんでしょ?」

     あどけなく笑う姿にヒマリが感ずるは異様な圧力。
     それはどことなくネルにも似ていて、そして自分では決して勝てないということもヒマリは理解した。

    「あ、あなたは……」
    「私? 私は一之瀬アスナ! とりあえず……倒すね?」

  • 130125/06/09(月) 02:11:52

     ヒマリとて弱い方ではない。火力は足りずとも銃弾は届く。
     即座にホルスターから銃を引き抜いて発砲するが、まるで未来でも見えているかのように避けて放たれる数多の凶弾。

     ネルに似ている――そう思ったヒマリの直感は悲しいほどに正しかった。

    「あはは! やっぱりそんなに強くないんだね!」

     全てを躱し切り放たれるアサルトライフルは狙い違わずヒマリへ的中する。
     痛みに呻いてよろめいて、その隙すらも撃たれ続ける一斉掃射。そこから逃れる術は無し。

    「くっ――あぁぁぁ!!」

     全身に浴びせかけられる銃弾。飛びかける意識を繋ぎ合わせながらも声を上げて抵抗するが意味も無く、鉄の嵐はヒマリの意識を弾き飛ばしてアスナが笑う。

    「ええーと、じゃあ……マルクトちゃん、だっけ? 一緒に来てくれる?」
    「それは命令ですか?」
    「うーーーん。命令、かなぁ……」
    「『分かりました』」

     マルクトは頷いて、それから第二倉庫から出ると、そこには一台の車両が止まっていた。

  • 131125/06/09(月) 02:13:05

    「乗って貰っていいかな? 悪いようにはしないって!」
    「『はい』」

     マルクトが頷いて車両へ乗り込む。
     マルクトはただ頷くばかりであった。それはまるで人間の命令には従うと言わんばかりの機械的な行動。

     かくして、マルクトは拿捕される。
     全ては『シギンター』の手の内のままに。この時この一瞬においては誰よりも圧倒している存在が故に。

    「始めましょうか。マルクトの『音』を聞くために、私は私の全てを投げだしましょう――!」

     数多の音域、数多の領域を聴き従える存在が眼鏡をかけ直す。

    「捕まってでも、私は聞きたい『音』を聴くだけです」

     それが、音瀬コタマの犯行声明であった。

    -----

  • 132二次元好きの匿名さん25/06/09(月) 09:46:22

    保守

  • 133二次元好きの匿名さん25/06/09(月) 16:57:55

    保守を追う者

  • 134二次元好きの匿名さん25/06/09(月) 17:25:11

    このレスは削除されています

  • 135二次元好きの匿名さん25/06/09(月) 23:10:34

    正直、コタマがエンジニア部相手にここまでやれるとはちょっと予想外だった…
    でも、なんか最終的に「ミスター」って男(自分の予想だと正体はゲマトリア[より厳密に言うとフランシス])に利用されるだけ利用されてどん底に突き落とされそうな気もする(あまりにもここまでコタマに取って都合が良い展開過ぎるし)

  • 136125/06/09(月) 23:22:28

     マルクトが誘拐された。
     そのことに気が付いたのはヒマリへ連絡をしようとして返答がないことに違和感を抱いたリオであり、誘拐から五分後のことだった。

     トラップにかかったチヒロについては、咄嗟にネルが庇ったため擦り傷程度。ネルも辛うじて爆風の直撃だけは避けられたため軽傷。気絶させられたヒマリについてはすぐに目を覚ましたが、全治2時間の怪我を負っている状態だ。

    「大丈夫かいヒマリ」
    「ありがとうございます……」

     ウタハが差し出した軟膏を塗りながら、ヒマリは肩を落とした。

    「まさか部室のセキュリティを突破してくるなんて思ってもみませんでした……」
    「私も。完全に油断していたよ」

     油断。セフィラと比べればたかが生徒と慢心したが故の手痛い教訓である。
     最初に保安部に捕らえられたときからして、もしセフィラが同じように誰かを捕らえたのであればなりふり構わず全力で助けに行っていたであろう。

     それが出来なかった。否、しなかったのは『学校』という組織に属しているからこそ生まれるリスクを避けるためだった。

     とどのつまりルールがまるで違うのだ。
     セフィラ戦は部活動対抗戦の延長であり『目標を達成するため』であれば死力を尽くせるが、今回の事件のような『社会』の上で発生する戦いは政治や治政を意識した動きが必要となる。

     また、エンジニア部は自他ともに認める『ミレニアム最強の部活』でもある。

     新素材開発部から何かを巻き上げるときやそのリベンジを受けて戦うぐらいで、それ以外では攻めて来る部活なんて今となってはもう居ない。むしろ虎の尾を踏むことを恐れて避けるぐらいだ。

     天才たちが組んだ最高峰のセキュリティ。誰にも破られていないそれに過信し過ぎた。
     未来の後輩、黒崎コユキのようなイレギュラーが他に居ないとも限らないのに。

  • 137125/06/09(月) 23:24:19

     ヒマリが溜め息を吐くと、倉庫の周りを調べていたリオが何らかの機械を大量に抱えながら共有スペースへと戻って来た。

    「あったわ。盗聴器はこれで全部よ」
    「うわぁ……なんですかその量……」

     どさりとソファに置かれたそれらは見本市でも開かんばかりに設置された多種多様な機能を持った機械の数々である。

    「コンクリートマイクにレーザー盗聴器。無線受信のレシーバーにとにかく色々……。ホドに頼んで止めて貰っているけれど、正直ここまでやるのは極めて特殊な性癖を持っているとしか思えないわ」

     リオの言葉にウタハは神妙な顔で「特異性癖……?」などと呟いた気がしたがヒマリは聞かなかったフリをした。

    「それにしてもすごい量ですね……。いつから聴かれていたのかが問題ですが、マルクトを誘拐した辺りマルクトのことを知っているのは間違いなさそうですね」
    「最初から狙いはマルクトだった、ってわけかな?」
    「そうとは言い切れませんが、人質を取るリスクを知らないわけでも無いでしょう」

     ヒマリはそう言いながらサーバールームへと目を向ける。
     ミレニアムの監視カメラを辿ってみたらマルクトを乗せた車が自治区から出てしまったため、チヒロが他学区の監視カメラの管理サーバーへとハッキングを仕掛けているところである。

     シラトリD.U.の管理サーバーはヴァルキューレ管轄だったことから、ちょうど、何故か、都合よくバックドアを仕込んでいたチヒロが対応しているのだが、何故そんなものを仕込んでいたのかについては特に誰も触れなかった。

     そうしているとサーバールームから出て来たのはネルである。
     襲撃時、この部室に仕掛けた監視カメラから襲撃者を確認してもらっていたのだ。

    「あなたなら勝てるような方でしたか?」

     ヒマリがそう聞くと、ネルは面倒そうに頭を掻いた。

    「正面からカチ込めば普通に勝てるけどよぉ……。ちっ、アスナはなぁ……」
    「お知り合いですか?」
    「昔、ちょっとな。マジモンの戦闘狂で、一番でけぇ大型犬みたいなやつだ。んでもって妙に鼻が利く」

  • 138125/06/09(月) 23:25:34

    「昔、ちょっとな。マジモンの戦闘狂で、一番でけぇ大型犬みたいなやつだ。んでもって妙に鼻が利く」
    「というと?」

     その言葉にネルは深く溜め息を吐いた。

    「いつもわけわかんねぇ動き方してて、何でか一番嫌なタイミングで現れるようなヤツなんだよ。それにあたしほどじゃねぇけどまぁまぁ強ぇ。そんなのがじゃれつくように襲撃をかましてくるってんで、要するにクソめんどくせぇヤツだ」

     曰く、移り気な性格のため行動が読めない。
     そしてどうしてか、行動を起こすと大抵何でも上手く行く。

     自覚無きままに正解を選び続ける奇妙な存在。それ故にあらゆる合理は突破される。

    「ま、割と単純だから大まかな行動指針さえ掴めれば手綱は握れそうだけどよ。野放しになってんなら面倒くせぇな……」

     恐らく一之瀬アスナに与えられた指令は『マルクトを捕まえろ』だというのは分かっているが、その後にそもそも指示が飛ばされるのかが重要だった。

     神出鬼没。指向性を持たなければもはやそれは万人に与えられる事故のようなもの。
     とりあえず、とネルは続けた。

    「コタマが見つかったらあたしはベースに残る。最悪、セフィラの隙を突いてくるかも知れねぇからな」

  • 139125/06/09(月) 23:26:37

     ネルであればアスナに勝てる。それは歴とした事実であるらしく、ネルがそう言うのであれば疑う余地なくそうなのだろうとヒマリは納得した。

    「あとはチーちゃん次第なのですが……」

     ヒマリが呟いた丁度その時、サーバールームから苛立ったような声が聞こえた。

    『ああもう! いったいどれだけ学区を跨ぐつもり!? 今度はトリニティ!?』
    「……私たちも手伝ましょうか。リオ」
    「そうね」

     ヒマリとリオが顔を見合わせて頷いた。
     次こそは逃がさないと、軽んじないと、最大の警戒心を持ったそのうえで。

    -----

  • 140125/06/10(火) 01:18:10

     時は少々遡り、マルクトを連れた一台のバンが走り続ける。
     助手席に座るアスナとブラックマーケットの傭兵たちが後部座席に三人。ハンドルを握る一人も加えれば合計五人の旅行である。

    「あっさりだったねー」

     アスナの言葉に運転手がげっそりとした表情を浮かべた。

    「何言ってんの……。『あの』エンジニア部が追ってくるんでしょ? 生きた心地がしない……」
    「追って来てくれた方が楽しいじゃん? またボスと戦える!」
    「ボスって……美甘ネルでしょ? なんだってあんな怪物と……」
    「だってすっごく楽しかったんだよ! 私より強い人、初めて見たんだもん!」

     それは去年あったヘルメット団とスケバンたちの抗争のときだった。
     『なんか争ってて楽しそう』という理由でその抗争に混ざったアスナはまさに一騎当千であった。

     敵味方なんてない単独の第三勢力として散々暴れまわり、はしゃぎまわり、色んなものを吹っ飛ばしながら遊んでいたら――現れたのだ。『本物』が。

     普段であれば自分が本気を出す前にみんな倒れる。少しだけ楽しめる人も居なくはなかったが、それでも全力には到底及ばない。皆が伏せた地にただひとり。歩き方すら分からなくなってへたり込む日も少なくはない。

     けれども、あの時は違った。美甘ネルと戦ったあの日は。

    『ははっ! ちったぁ手ごたえのあるヤツもいるじゃねぇか!!』

     撃ったはずの弾が当たらない。避けれたはずの銃弾が避けられない。
     これまで半自動的に行ってきた戦術は一切役に立たず、初めてまともに『読み合いの為』に頭を働かせた。

     手を伸ばせば勝手に掴めたはずの『正解』が遠ざかるあの感覚。
     自ら何度も手繰らなければ掴めない『勝利』――それに届くことはなく、碧眼に灼け付いたのは燦然たるヴァーミリオンの笑う影。

    「あはは――っ。次は勝てるかなぁ? わくわくするよね! 『本気でも勝てない』戦いって!」

  • 141125/06/10(火) 01:19:23

     高鳴る胸を押さえながらアスナは笑う。

     今度こそ勝ってみたい。だから『修行』なんてことを始めて見たのだ。我慢した分だけ次は楽しくなれる。わくわくはどんどん増えてって、その次が一番最高の戦いになるのだと『教えてもらった』から。

    『マルクトを捕まえたら、後は『好きに』していいとのことです』

     電話の人の言葉を思い出してぎゅっと銃を抱きしめた。
     『好きにしていい』。そう言われたのに思い浮かべるのは『いつ戦おうか』ということだけ。何をやろうか思い浮かばずに『止まってしまう』こともない。

     そんな時だった。ふと外を眺めていたら外に出たくなった。

    「ねぇねぇ。ちょっと止めて。私、ここで降りるね?」
    「へ? なんだって急に」
    「いいからいいから!」

     運転手は溜め息を吐いて、幅寄せして車を止めた。
     アスナは「ばいばーい」と無邪気に手を振って車から降りて行った。

    「はぁ……やっと降りてくれた……」

     立ち去るアスナの後ろ姿を眺めながら、運転手は安心したように溜め息を吐く。

     一之瀬アスナ。彼女と一緒に居れば安全ではあるが危険でもあると知っているからだ。
     逃走を望めば正しき逃げ道を、しかし闘争を望めば否が応にも巻き込まれる。結果、苛烈な闘争を望む戦闘狂と一緒にいるのは正直命がいくつあっても足りない。

     それは後部座席の三人も同じで、ようやく呼吸が出来たと言わんばかりに気が抜けて、それからマルクトへとようやく目を向けた。

  • 142125/06/10(火) 01:21:28

    「それにしても……随分綺麗な子じゃねぇか……」
    「ありがとうございます」
    「へっへっへ……ちょっとあたしにも撫でさせろよ」
    「どうぞ」

     淡々と答えるマルクトに笑みを浮かべた傭兵たちは、マルクトの頭を撫で繰り回した。
     さらりと指の間を抜ける髪質。艶やを帯びたホワイトブロンドの髪に傭兵たちは感嘆の声を上げた。

    「うわすっごい……全然絡まない……」
    「ほっぺもすべすべ……化粧水何使ってんの?」
    「我はそのようなものを使っていません」
    「マジで? うわぁ……」

     ふにふにさわさわと撫でられ続けるマルクトは普段と同じく無表情のまま。
     そしてマルクトを堪能した傭兵たちも満足したのか、好き放題してそれからようやく手を離す。

    「それにしても、誘導組は大変だよなぁ。今頃ミレニアムで騒動を起こしてるんだろ? 保安部に捕まるよなぁ」
    「でも報酬はあっちの方がいいじゃん」
    「捕まったらもらえないんだぞ? じゃあこっちの方がやっぱりいいでしょ」

     傭兵たちが囁き合って、そのうち一人がマルクトへと目を向ける。

    「お腹空いてない?」
    「我がですか?」

     マルクトの体内にはいま、有機物焼却用の焼却器官が備わっていた。
     古代史研究部部長によるキャンプ実習もとい『合宿』の際に作り出したものだったが、別に空腹感を抱くことはない。取り込んだ有機物をエネルギーに変えたところで、普段稼働させている永久機関からの供給と比べれば雀の涙ほどに補填できるぐらいである。食事だけではリソースの8割も稼働させられず、効率性においては遥かに劣る。

  • 143125/06/10(火) 01:22:37

     故にマルクトは首を振った。

    「不要です。しかしその心遣いは受け取ります」
    「心遣い?」
    「あなたは我を連れ出したという罪悪感と我が食事を摂れていないのではないだろうかという気遣いからそのような申し出をしたのだと理解しています。何故ならあなたからは悪意や作意を感じ取れませんので」
    「そ、そう……?」
    「はい。あなたは、いえ、ここに居るあなた方は優しい人です。悪しき者特有の悪意が感じ取れませんので」
    「ふ、ふーん? へぇ? そ、そう?」

     どことなく気恥ずかしい空気が車内に漂う。
     そんなとき、運転手が声を上げた。

    「おっ、もう自治区の端だ。ミレニアムから出るよー」
    「はーい」

     遠足のような雰囲気の中、傭兵たちが声を上げる。
     そしてミレニアムを出た――その時だった。

     ぐぅ、と音が鳴った。

     マルクトは音の発信源を探って、それが自分の腹部からだと気が付いた時、『空腹』というものを理解した。

    「……あの」
    「食べる?」
    「……はい」

     差し出されたおにぎりを口に含んで咀嚼すると、今までデータとして感じて来ていた『味覚』に感情が伴った。

  • 144125/06/10(火) 01:23:44

    「……美味しい」
    「あ、鮭好き?」
    「好き……かも知れません」

     もぐもぐと食べて、初めて知るのは『喉に詰まりかける』という状態。すぐさま差し出されたお茶を飲んで流し込み、ほっと息を吐いた。

    「喉に詰まる……これは初めての体験です」
    「初めてって――そんなロボじゃないんだから……」
    「我は機械です」
    「はいはい。そういうこと言うの、割といるから」
    「あの、我は本当に……」
    「ミレニアムだしねー」

     マルクトの意思とは無関係に頷く傭兵たち。
     そうした会話を聞いているうちに、身体の重量が増したように感じた。
     全身に巡る『重み』。それを『疲れ』だと知った時、続けてマルクトが感じたのは意識の遠のく感覚――即ち『眠気』と呼ばれるものである。

     同時に気付いたのは『魂の感知』が行えなくなっていること。
     輝く星々が暗闇に閉ざされる。見えていたはずの『空』が見えない。

    「ちょっと、大丈夫?」

     かけられた声にマルクトは首を振る。

    「いえ、その。初めての感覚が沢山で……その、少々眠ります」
    「いいよ。ゆっくり眠ってて。着いたら起こしてあげるから」

     その声に、何故だろうか。マルクトは既視感を覚えた。
     声色も口調も覚えはないはずなのに、聞いた事のあるような声に聞こえて、それからマルクトは眠りに落ちた。
    -----

  • 145二次元好きの匿名さん25/06/10(火) 09:29:13

    保守

  • 146二次元好きの匿名さん25/06/10(火) 17:25:55

    大気

  • 147二次元好きの匿名さん25/06/10(火) 22:35:14

    保守

  • 148125/06/10(火) 22:45:47

     波乱と陰謀渦巻くミレニアムEXPOでのテロ事件も、もうじき決着の時が近づいている。

     四日目、深夜。
     眠るマルクトを乗せた車両が辿り着いたのは、なんとミレニアム自治区の中であった。
     駐車場には一人乗りの小型自動車がぽつんと置いてあり、指示によるとそこにマルクトを乗せれば良いらしい。

    「おーい、着いたぞー」
    「駄目だこりゃ。全然起きない」
    「とりあえず……乗せてみる?」

     ひとりの提案に皆が頷き、マルクトを一人乗りの小型自動車へと乗せると、ハンドルに埋め込まれたパネルから声が聞こえた。

    【おつかれさまでした皆さん。追加報酬は振り込んでおきますのでそのままドアを閉めて立ち去ってください】
    「なぁ、この車。どこに行くんだ?」

     数時間だけとはいえ、素直で綺麗なマルクトに傭兵たちは情が湧き始めていた。
     何か酷い目に遭うのではないかと少々不安に思いながら些細な疑問をぶつけてみると、帰って来たのは淡々とした声である。

    【それを知った瞬間、私はあなたを保安部に売りますよ】
    「分かった分かった! 聞かないに知ろうともしないよ! その、酷いことはしないんだよな?」
    【しませんよ……私を何だと思っているんですか……】

     テロの指示役では?
     そんな言葉が思わず口をついて出かけたが、それを言ったらこの場の全員テロの実行役である。

     慌てて口を噤んで、それから傭兵たちは駐車場から出て行った。
     残されたマルクトを乗せた車両もゆっくりと動き出し、人気のない深夜のミレニアムを走っていく。

  • 149125/06/11(水) 01:12:40

     不夜城である学校とは違い、自治区の夜は静寂に満ちていた。
     もう少し学園側に向かえば24時間空いているコンビニや深夜営業の食事処もあるだろうが、ひとたび外れれば他の自治区と大差ない。

     街灯の数が少しずつ減って来たところで、車両は壊れかけた円筒のような外観をした建物へと入っていく。

     中は直径10メートルほどの小さな空間。車両が入ると扉が閉まり、がたんと音を立てて僅かに床面が沈み込む。
     そのまま床はマルクトを乗せた車両ごと下へ下へと降りていく。知る者がほとんどいない、ミレニアムの地下空間へとマルクトは運ばれていく。

     ――その様子を、円筒内の監視カメラが捉えていた。

    「ビンゴ!! やっと見つけた!!」

     エンジニア部、部室。サーバールームの中でチヒロが喝采の声を上げると、ヒマリが「ふふっ」と笑みを浮かべた。

    「今の『ビンゴ!』というのはこう、ハッカーっぽくていいですね」
    「ちょ、やめてよ――というかハッカーで合ってるでしょ!? 私も、ヒマリも!」
    「では私は『チェックメイト』と言いましょうか。ウタハも何かありませんか?」
    「あー、私も『いい子だ』ぐらいは言ってるかも」
    「そういやリオもあるよな。『ちょっと待ってちょうだい』って」
    「あれはちょっと待って欲しいときに言ってるだけよ……」
    「うるさい! 全員黙って!!」

     チヒロの怒声に全員が笑う。

     マルクトを連れ去った車両が自治区を跨ぐたびに各自治区の管理サーバーへとシラトリD.U.のメイン・ウェブストリームを抜けてひとつずつハッキングを仕掛けていたのだ。
     おかげでだいぶ時間が掛かってしまった。いま捉えた映像も9分前のもの。そこから先に追える『眼』は無く、直接下へ行く以外に道は無い。

     未知の坑道、とでも呼ぶべきか。チヒロは真剣な表情で呟いた。

  • 150125/06/11(水) 01:17:53

    「それにしても地下ね……。接続されているカメラも無し。何なのここ……」

     通常であれば、安全保障の観念から地下道などの閉所環境に監視カメラを設置する義務がミレニアムの法である。好奇心旺盛かつ技術に特化した学校だからなのか、それが他学区においても普通なのかをチヒロは知らない。

     にも関わらずマルクトが運ばれていった地下道はそう言った機器がまるで存在しなかった。
     隠された通路、もしくは『人間』が点検整備を行うことを想定していないものなのか。

     その推測に対する答えは、ヒマリが持っていた。

    「この地下道は『ハブ』の整備路ですね」
    「『ハブ』? なんだいそれは」

     ウタハの問いにヒマリが頷く。

    「ミレニアムの生徒会長しか動かせないケーブル補修装置です。ミレニアム自治区全土を走る通信網を補修し続ける巨大な自走ドローン。元は都市開発ユニットらしいのですが、会長が言うには『廃墟』ですらすぐさま解体して居住区に建て替えることが出来るのだとか」
    「そんなのどうやって見つけたんだよ……」

     ネルが面倒そうに半目でぼやく。
     ただ、何となくだがこの場の全員には分かっていた。恐らく見つけたのではなく『偶然』見つかったのだと。

     執拗に、念入りに盗聴器を仕込み続けるような人物だ。何かの拍子に聞いたか何かしたのか、それとも本当に『たまたま』見つけてしまったのか。

     少なくとも、この場にいる全員は『敵』の力量を過少にも過大にも評価はしなかった。

     セフィラ戦と同じような緊張感の中、チヒロが指揮するように全員に向かって口を開く。

  • 151二次元好きの匿名さん25/06/11(水) 01:30:43

    このレスは削除されています

  • 152二次元好きの匿名さん25/06/11(水) 09:28:53

    ステンバーイ

  • 153125/06/11(水) 10:27:23

    「盗聴器が仕掛けられていたことから敵は私たちのセフィラ探索を知っていると思う。じゃあどうしてマルクト『だけ』を誘拐したのか」

     ヒマリが答えた。

    「マルクトに関心があったからではないでしょうか。マルクトの『機能』ではなくマルクト『自体』に」
    「うん、犯罪に使うならイェソド、ホド、ネツァク、その誰かが適してる。でもわざわざマルクトを狙うのが目的だったみたいだからね」
    「だったら残ったセフィラたちへの対策も練られていると思うわ」

     口を開いたリオは言葉を続けた。

    「イェソドは『動く地面』の上だと『機能』が発揮されない。ネツァクは変性に物理的距離が大きく影響する。観測と遮断、改変においてはホドが優位だけれども、ホドも空間指定で距離を離されれば干渉範囲から脱出される。つまり――」
    「地下道内に『動く小部屋』があったらセフィラのメタは張れる、ということだね」

     最後にウタハが締めくくると、全員がそれに頷いた。
     続いて声を上げたのはネル。戦闘専門の最強である。

    「アスナが突然部室を襲撃するってのは避けてぇな。さっきも言ったけどあたしはここに待機する。……で、だ。ウタハの『ゼウス』も正味あたしが見たところアスナには勝てねぇ。時間稼ぎが精々だろうよ。対抗すんならイェソドとネツァクは必須だろうな」
    「だったら私が先遣隊ね」

     リオの言葉を受けて一同は視線をリオへと向ける。
     皆の言葉を代弁するようにリオが言った。

    「『瞬間移動』にもリソースは使われる。それならホドを観測範囲内に置いてイェソドとネツァクで突入。私がそこにいれば『人間の目線』での情報収集が出来る。トラップであれ何であれ、後続を考えたらこれが一番合理的よ」
    「だったら、イェソドで乗り込んだらそこから先は死闘ってわけか」

     相手がどのぐらい強いのかも分からない。けれど、ネルを始めとした戦闘職並みの強さは無いはずだとはリオは考えていた。

  • 154125/06/11(水) 14:35:05

     撃ち合いが強いのなら隠れる必要が無い。
     そして隠れる必要が無い者は隠れる技術が発達しない。しようがない。

     それがリオの分析。戦闘になればいの一番で排斥される弱者の思考。
     故にリオは直接対決を避ける。実際はリオが自身を過小評価気味だとしても、比較対象が自分の周囲であるからこそこの手の分析には一日の長があると思っていた。

    「トレーラーにも盗聴器が仕掛けられている可能性もあるけれど、それはホドに無効化してもらいましょう。恐らく相手もトレーラーか何かの移動拠点を持っているはず。もし地下に降りてそれなりに広かったらイェソドに頼んでトレーラーごと地下へ飛ばしてもらうわ」
    「では、私は並行して整備路の地図を探しましょう。セミナーにハッキングを仕掛ければ地図データのひとつやふたつは見つかると思います」
    「いや会長に直接聞けばいいだろ?」

     ネルの指摘に「あ」と声を上げるヒマリ。
     今までは公にならないようこっそり動いていたが、別に今回はテロリスト捕獲という大義名分もある。別に隠れて行う必要なんて何処にも無かった。

     そもそも『会長と協力して何かをする』なんて想像すら出来ていなかったと言えばその通りなのだが……。

    「時間は無駄に出来ませんね。私とネルが残りますので皆さんはすぐに向かってください」

     ヒマリが最後にそう締めくくってチヒロたちが頷いた。
     オペレーション:C&C、最後の作戦が動き出す。

    -----

  • 155二次元好きの匿名さん25/06/11(水) 22:26:53

    ほむ…

  • 156125/06/11(水) 23:19:52

     音瀬コタマがミレニアムの地下を走る正体不明の空間を見つけたのは、確かに偶然の出来事であった。

     盗聴する上で重要なのは如何にしてターゲットに仕掛けるか……。その一点において試行錯誤の限りを尽くしてきたコタマにとって、試したことのないアプローチを思いつけばすぐに実行し、実用できるかの検証を行ってきた。

     その中のひとつにあったのが、音響波を用いた音響トモグラフィ探査による地下施設のマッピングであった。
     本来であれば専門の機材を投じて行うそれも、コタマにとっては発した音響波を微細に調整できるスピーカーさえあれば容易いことである。

     『音を聞き取り聞き分ける』という聴力に関する卓越した才能。
     聞こえさえすれば『視える』。世界に広がる全ての音はコタマにしか見えないもうひとつの世界。

     春のそよ風。夏の風鈴。秋の虫の音。冬の雪に吸われたあの静寂。

     世界はきっと美しい。
     だから数えきれないぐらい盗聴してきた。とてもたのしかった。故に盗聴の手段を増やすことは当たり前のことだった。

     そうして音響トモグラフィ探査の実験を繰り返すべく、時には地表からどこまで聞き取れるのか、時には地下施設に忍び込んでその壁の向こうを探り、地下室の床からどこまで聞き分けられるのかの限界を試してみたりもした。

     そんな日々を過ごしたある日のことである。
     反響する音のデータを収集し、解析を重ねていくうちに分かったのは、『ミレニアムの地下に何かがある』ということ。

     調べてみるしかない、と調査を始め、そして見つけたのが地下空洞の入口である円筒型の古びた建造物。入って見れば制御用のコンピューターがあるだけで、まずこれを起動させるのに時間が掛かった。

     電力も無い。発電機を手に入れて何とか動かせば今度は何かの随分と古いネットワークからアクセスが禁止されており、これを解析し解除するのに数週間。何とか復元して分かったのが、『この円筒型の建造物は何かが地上へ上がるためのエレベーター』ということである。

     何らかの理由で遺棄されてロックを掛けられていたのだろうが、『何かある』という確信が無ければ確かにわざわざ解除なんてしない。こんな程度のセキュリティ、ミレニアムじゃ珍しくもないからだ。

  • 157125/06/11(水) 23:36:12

     ――だからこそ、きっとここに何かある。

     確信を持ってエレベーターを降りてみれば、その先に広がっていたのはミレニアムのハイウェイと同じぐらいの道幅を持った広大な地下通路。自走式スピーカーを何台も走らせてエコーロケーションによるマッピングを一週間で終わらせると、この地下通路は『巨大な何か』が通る連絡通路だということが分かった。そしてこの地下には人間が監視できるような機器がひとつも仕掛けられていないことを。

    (だったら、ここに拠点を作れば誰にもバレないのでは……?)

     コタマの予感は的中した。
     ここなら誰にもバレはしない。

     一か月かけて周辺のカメラを雇った傭兵に壊してもらい、トレーラーを買って地下へと配備した。
     地下を走る『巨大な何か』にさえ遭遇しなければ問題は無い。誰にも見つからない秘密の場所――

    『音瀬キングダムの完成です! 私による、私のための、私だけの秘密基地!! 最高のセーフハウスですよこれは!』

     出入口はひとつしかない。爆薬は大量に仕掛けて、いざとなったら侵入者をこの迷宮じみた大空洞に閉じ込めることだって出来る。その上で最も別の地下室に近い天井を破壊できるよう爆破掘削できるようなエスケープポイントを作っておけば、自分だけが逃げられるという寸法だ。

     とにかく時間だけは掛けた。もちろんセミナーには近づかないようにした。近付かれないように、とも。

     セミナーは魔境である。想像の埒外を行くような怪物たちの巣窟であることはミレニアム全ての噂を拾い続けたコタマだからこそ全力の警戒を持っていた。

     例えば書記。戦団を動かす戦略の天才。チェスのトッププレイヤー。『組織』同士で戦えば確実に勝つ、美甘ネル以前の『最強』。

     例えば会計。並行ではなく並列思考の怪物。情報処理速度において比類することなき異様な存在。全てを暴く無垢たる『最強』。

     そして、会長。独自の情報網を持った正体不明。いつも死にかけみたいな心音を鳴らしながら中身と外見が一致しない不気味そのもの。少なくとも、あの情報網はハッキングなどでは決してない。卓越した洞察力? それとも別の何かか。ひとつ言えることは、あの『嘘吐き』な会長には『仲間』が沢山いるということだろうか。

  • 158125/06/11(水) 23:48:15

     ――会長が歩くとき、たまに『二人分』の足音が聞こえる。

     最初は幽霊でもいるのかと思ったが、エンジニア部から始まった『セフィラ探索』を聞き届けて思ったのはひとつ。会長は常識では測れない『何か』の手段を持っている。『何か』が近くにずっと居る――

     故に、コタマは全力で会長を警戒し続けていた。何がきっかけであの秘密基地が暴かれるか分からないからだ。

     未知とは恐怖である。理解不能の事象は想定不可能な未来が襲ってくるというのと同じなのだ。
     想定できない未来は正に『一方的に蹂躙される』という事実そのもの。だから人は『未知』を避ける。

    『きっと、そんな『未知』に挑み続けるのが『エンジニア部』なんでしょうね。ああいえ、『特異現象捜査部』、でしょうか』

     恐らく――いや、ほぼ確実に自分は捕まるだろう。
     魔境であるセミナー、その全てを統べる『真の悪』が要するミレニアム『最悪』の部活――人外魔境すらも超え得る『天才たち』。集団であるが故に弱みを補い合い強みを押し付ける真の最強。

     きっと自分は逃げ切れない。どれだけ策を弄しても。
     セミナーの『魔人』ひとり上回れない『凡人の自分』では、きっと――

    「……マルクトって眠らないんですよね? どうして眠っているんですか?」

     時は今に戻っていく。
     目の前には眠ったマルクト。『盗聴』してからはただの一度も眠らなかった『機械』が眠っている。

    「とりあえず……『聴き』ますか」

  • 159二次元好きの匿名さん25/06/12(木) 07:42:51

    保守

  • 160二次元好きの匿名さん25/06/12(木) 17:01:02

    保守

  • 161125/06/12(木) 22:58:48

     コタマは聴診器に似た機械を取り出し、マルクトの上衣を剥いで腹部から胸へと検診を始めた。

    (呼吸音……? いえ、それらしき何かですね……)

     息を吸って吐くという『人間のような』動きをしているが、あくまで似せた何かである。
     胸の中心からは空気が流れ込み出ていく音が聞こえるのみで、もちろん心音やその他臓器の音は聞こえない。内蔵されているはずの無限供給器官も別に駆動音を発してはいなかった。

    (電池が切れている状態……? ということはまさか死んで――)

     ぎょっとしかけたその時、聴診器が音を拾った。

     コタマは『耳』を疑った。
     どんな音でも一度聞けばそれが何の音なのか分かる自分ですら皆目見当のつかない音。
     材質も何もが不明。何がどのように稼働してそうなっているのかまるで想像すら付かず、驚きと興奮が湧き上がってくるのを感じる。

     改めて耳を澄ませて何とか類似するような音を探すと、それは鈴の音の鳴り始めだけを無限に引き延ばしたような軽やかな音だというところまでは例えることが出来た。

     ただ、時折ぷつぷつとノイズのような切れ目が聞こえるのが気になる。
     破損、破傷――何でもいいが、接触の悪い機械のような音で、もしかするとマルクトの永久機関はどこか調子が悪いのかも知れない。

    「あの」
    「……っ!?」

     突然かけられた声に驚いて顔を上げると、横になったままこちらを見るマルクトと目があった。
     マルクトは首だけを動かして自身の状態を確認すると、困惑したように声を上げる。

    「何故我は半裸で聴診器を当てられているのですか?」
    「永久機関の音を聴くためです」
    「そうでしたか」

  • 162125/06/12(木) 23:02:30

     そう答えてマルクトは再び首を下ろし、されるがままに天井へと視線を向ける。

     制服のボタンは外され大きく露わになった『人を模した上体』は、極めて精巧なマネキンのようにも見えなくはない。違うとすれば触れば柔らかく滑らかであるということぐらいか。

     そんな見た目も相まってか、傍から見れば医者の研修か何かにしか見えない。
     が、状況的に鑑みればどう見ても変態の起こした事件そのものなのは間違いなく、実際はそちらが正しかった。

    「他の器官も確認しますよ」
    「どうぞ」

     それからしばらくされるがままのマルクトと、やりたい放題のコタマ。
     聴診器も胸部から背面部に回るころにはすっかり服を脱がされて床をごろごろと転がされたりと、扱いは完全に人形のそれである。

     音の収録を完了したコタマは一仕事したと言わんばかりに額を拭いながら聴診器を外してマルクトへと声をかけた。

    「もういいですよ。録り終えました」
    「分かりました」

     マルクトはむくりと起き上がって脱がされた上衣を着始める。
     シャツを着て、ボタンを閉めて上着を羽織ったところでようやくと言わんばかりにコタマへ視線を向けた。

    「あなたは誰ですか?」

     今更である。もっと早く聞くべきことだが、マルクトは目の前の人物から敵意などを感じなかったためにだいぶ後回しにし続けていた。

     その問いにコタマは答える。

    「音瀬コタマです。あなた達のことは知ってます。ケテルへ至るためにセフィラを集めていることも、ネツァクを集めたことも、次がティファレトであることも。全て盗聴していたので」
    「そうでしたか。では隠し事をする必要も無いですね」
    「はい」

  • 163125/06/12(木) 23:08:09

     人付き合いに慣れていないコタマと人ではないマルクト。
     そんな二人の会話はどこかチャットbotじみていて独特の雰囲気があったが、コタマが緊張したり身構えたりしない相手としてマルクトが奇しくも最適だったのは何と言うべきか。

    「ここは何処ですか?」
    「ミレニアムの地下です。何のための地下なのかは知りませんし興味も無いですが……」
    「なるほど。理解しました」

     もはや定型文で縛られたゲームチャットか何かの会話である。
     ここにリオも混じったらいったいどうなってしまうのか、それを想像できてしまう者がこの場に居ないことだけが救いなのかも知れない。

     そんな凄惨な会話をしていたコタマはコタマで上手く話せていると思っている始末。
     いつもに増して調子の上がって来たついでにマルクトへこんな質問を投げかけた。

    「マルクトの永久機関についてですが、こう、調子が悪かったりしませんか? 妙なノイズが聞こえたので」
    「調子、ですか……? 少々お待ちください」

     マルクトはホドと接続したときに得た『観測域』を体外から体内へと向けて自身の身体を調査した。
     全ての機能は意識をしなければ使えない。唯一の例外はサイメトリクス――『魂の感知』だけであり、加えて『精神感応』を除けば使用にはリソースを消耗する。

     そうして自身の体内を確認したマルクトは「これは……」と呟いた。

    「有機物の割合が一割から四割へと増えてます。いつの間に……」
    「無意識に変性したんじゃないですか?」
    「有り得ません。が、実際に起こってしまってますね……。エラーでしょうか?」
    「専門外なんで分かりませんけど……」

     マルクトはすぐさま自分の身体を器物寄りへと置き換え直し始めた。
     有機物割合が増えれば人間に近付く。それは根底の意識が機械であるマルクトにとっては不都合極まりない状態だからだ。

  • 164125/06/12(木) 23:50:59

     人間の身体は空腹を覚え、眠気に襲われ、疲れを感じる。
     有機体であるということはそう言った生物の欲求に縛られることでもあり、機械である意識の下ではバグや故障と同義であった。

     機械の身体は空腹を覚えず供給が底を尽きるその時まで稼働できる。
     機械の身体は眠気を知らず限界に達するまでは無限に動き続けられる。
     機械の身体は疲れを感じず破損や損耗するまで動き続けることができる。

     それが機械と人間を隔てる『価値観の違い』である。
     目的を持って生み出された機械は自らの作られた『意味』を果たすことが至上の終わりであり大団円。果たせなければ例え形として存在し続けていても『意味』がない。

     『意味』の消失とは機械にとっての激烈たる恐怖。作られた目的を果たせないというのは、人間が厭い恐れる『死』と同等の恐怖であった。

    「最適化完了。割合を元の比重に戻しました」
    「じゃあ服を脱いでください。差異を確認するので」
    「分かりました」

     再び聴診器をかけるコタマに頷いて、マルクトは上衣を脱ぎ始めた。
     機械的に行われる聴診。最初の時と同じぐらいの時間をかけて行われたそれは、コタマの不思議そうな表情と共に終わりを迎えた。

    「全体的に音は静かになりましたが……永久機関のノイズだけは変わってないですね……」
    「変わっていない……?」

     マルクトは怪訝そうに眉のみを僅かに顰めた。
     最適化したはずなのに残っているdumpファイルと言うべきか、何処か居心地が悪そうにマルクトはシャツのボタンを閉じていく。

    「我は……自らのことを何も知りません」

     不意に吐露されたその言葉にコタマは「ふぇ?」と言葉にならない疑問を呈する。
     マルクトはそれを聞いてか聞かずかはともかく、言葉を続けた。

  • 165125/06/12(木) 23:53:33

    「我を構成している根幹の『機能』が何なのかも知りません。セフィラはセフィラとして製造されたと『知っていた』はずなのに、ネツァクが言うにはそうではなく、セフィラとは結果論的産物だったのです」
    「結果論的産物?」
    「そうです。セフィラの『機能』とは『目的』であり、セフィラを模るのは『目的』のために消耗された『意識群』――決して『セフィラを作るために実験を行った』ということではありません」
    「……………………うぅん?」

     発言の意図を掴めるような掴めないような、そんな分かりづらい話を出されてコタマは混乱した。
     卵が先かの例なのかというところで思考がパンクし、それから半ば投げやりに言い放つ。

    「よく分かりませんけど……『自分はそれを本当に好きか』みたいな話ならどうでもいいかと」
    「どうでもいい……?」
    「そうです!」

     コタマは握り拳を奮いながら立ち上がった。

    「『好きかどうか』を疑う時点でもうそれは『大好き』なんです! しかしそれを『好き』と公言するには怖い――ということはつまり他の人の『好き』も見るほど『大好き』ということ――!」
    「な、なるほど……?」
    「つまり――」

     コタマは一区切りつけるように息を吐いて、それから自然に笑った。

    「旅の途中だから見えず分からずであるならば、別にそれ、考えなくてもいいんじゃないですか?」

  • 166二次元好きの匿名さん25/06/13(金) 07:16:24

    保守

  • 167二次元好きの匿名さん25/06/13(金) 16:39:04

    保守

  • 168125/06/13(金) 23:28:17

    帰宅……ホスト規制に間に合うか不安なので一旦保守

  • 169125/06/14(土) 01:19:52

    保守

  • 170125/06/14(土) 08:57:41

     その言葉にどうにも釈然としないマルクトであったが、いまこの状況で考えたところでどうにもならないのは確かであり、ひとまずの棚上げとした。

     するとコタマは自分が興奮していたことを少々恥じるように「済みません。私としたことが」と言いながらもじもじと指を動かす。

    「それで、その……ひとつ訊きたいのですが、あなたは機械へ乗り移れるんですよね?」
    「はい。流石に部品単位では不可能ですが、稼働可能な機械であれば乗り移れます」
    「ということはつまり、私が作成した自走式の盗聴器を動かすことも?」
    「可能です」
    「ぜひお願いします!」

     コタマは大きな声を上げながらトレーラー内の小型ロッカーを開けると、そこからハエトリグモのような機械を取り出した。

     直径2センチ四方に収まる程度の小さな機械。それはまるで盗聴器に六本の足が付いているようなフォルムである。

    「これは?」
    「私が作った自走式の盗聴器です。動ける機構はあるのですが、小さくし過ぎてリモコン操作が出来なくなってしまって……」
    「随分と小さいですね」
    「頑張りました」

     胸を張るコタマ。しかしこれには本人の認識と異なる点がある。
     史上ここまで盗聴器を小さくできた技術者はいなかったのだ。

     もっと言えば「盗聴器という機能をここまで簡略化しようと思った者がいなかった」とも言えるのだが、少なくともこれだけで特許を取れるレベルである。

     それに加えて自走機能。即ち『足を動かして前へ進む』、『向きを変える』という機構まで組み込んである。マイクロメートル単位で作られた精巧極まるひとつの芸術。貯蓄のほとんどを叩いて名工に作ってもらった一品ではあるが、肝心の設計図を作る際に遠隔操作機能をつけ忘れたのだ。

     結果、とんでもなく高額な指先に乗るゴミが生まれてしまい、しかして値段が故に捨てるに捨てれず残ってしまった後悔の残滓がこれである。

  • 171125/06/14(土) 08:59:06

    「マルクトならこれが動かせると信じてます! すごい高かったんです! どうにか、どうにかこの子を動かしたい……。そうすればもうどこだって聞き放題――!」

     この小ささならきっと誰にも気付かれずにどんな部屋だって入ることが出来る。
     録音が出来て、持ち帰ることが出来ればもはや聞けない音は無い。

    「あなたが動かせるのなら私の可能性が更に広がります! あなたもどうですか? めくるめくモニタリングライフを!」
    「いえ、特に興味はありませんが……」
    「……人間を『理解』するには最も『合理的』ですよ? 完全に客観の風景が聞こえますし」
    「確かに」

     マルクトは納得した。してしまった。

     『私』という存在はそこに在るだけで周囲に影響を及ぼす。
     しかし『盗聴』――即ち『私』が居ない世界を知るには誰にも認知されない『観測方法』があればいい。

     周囲に影響を与えることなく観測するという手法。マルクトの脳裏にひとつのセフィラが過ぎった。

    「ホド……」
    「はい?」
    「現代では観測するためには何かに干渉を行い、そこから返って来た反応でしか観測できません。しかしホドは違います。何者にも干渉せず、あるがままを観測するという手段。コタマの『観測』はホドのそれと近いと感じます」

     コタマという異分子を、『他者』を以てマルクトはひとつの『理解』を得た。

     ヒマリのハッキングは誰かの残した『過去』を探る者――探索者。
     リオの観察力は目の前にある物から『未来』を識る者――研究者。

     そしてコタマは、『現在』を聴き『現在』を観測する『観測者』であるように、チヒロは悪意を防ぐ『防衛者』、ウタハは万物を生み出す『製作者』。皆には皆の役割があった。

  • 172125/06/14(土) 09:00:11

     ならば自分は。自分は何なのか。

    「我は『先導者』でしょうか……。『旅の終わり』へ向かうために前へ進み続ける者。我は――」
    「あの、そういうのはよく分からないのでとにかく乗り移ってくれますか?」
    「あっはい」

     ふんすふんすと両の手の拳を握るコタマを前にマルクトは怯んだ。
     そうして意識を蜘蛛型の盗聴器へと移すと、確かにそれはマルクトの思うがままに動いた。

    「おお……! まさに、まさに私の理想です!」

     横へ、前へ、時には飛んでコタマの衣服に張り付く、自在に歩く盗聴器。
     コタマは歓喜の声を上げるが、この盗聴器には発声機能が存在しない。
     マルクトは元の機体へと戻ってコタマに返事を返す。

    「問題なく動けます。盗聴器の仕組みも知ることが出来ました」
    「それは、ホドから得た機能を自身に使ったということですか?」
    「はい」

     マルクトは頷き、それから乗り移る制限の話を始めた。

    「イェソドに接続したときから使えるようになった『機能』ですが、乗り移るとそれだけでリソースを消耗するのです」
    「ええと、つまり……?」
    「本体から子機Aへの移動に際して使えなくなるのは『魂の感知』。子機Aから子機Bへの移動に際して失うのは『精神感応』、『波動制御』、『物質変性』のひとつとなります。続く移動もそうですね」
    「ということは……接続するセフィラが増えれば移動も更に増やせるんですか?」
    「法則に乗るのならば」

     進めば進むほど、セフィラを集めれば集めるほど飛べる先が増えていく、
     ただ不思議なのは『リソースを使わないはず』の機能が使えなくなることである。

  • 173125/06/14(土) 09:02:37

     マルクトはそこで初めて自身の機能に疑問を覚えた。

    (失われるのは『機体依存』であるから……? 少なくとも『魂の感知』が失われることだけは確定です)

     意識せずとも使え続ける『魂の感知』のみが確定で失われる。

     乗り移るのに必要な『瞬間移動』はともかく、『波動制御』、『物質変性』――これらは消耗リソースに限らず選択することで削られる。

    (ならば例外は『魂の感知』……? だったらこの機能は――)

     マルクトは試すように小型の『蜘蛛型盗聴器』へ乗り移り、そこからトレーラーの運転部へと飛び移る。落としたのは『物質変性』。カーナビゲーションからマルクトの声が車内に響く。

    【やはり『魂の感知』は消えますが、それ以外に使えなくなる機能は選べますね】
    「え、いま何処にいるんです?」
    「運転部に乗り移りました。この車両は我が制圧したも同然です」
    「では走り出すことも?」
    「可能です」

     その言葉と共にコタマのトレーラーが牽引されて走り始める。
     広い地下坑道である。ハイウェイならば四車線以上はあると言わんばかりの。

     そんな地下道を適当にクラクションでも鳴らしながらゆったりと走らせてみるマルクト。
     『物質変性』を消しているため何も変えられないが、『波動制御』が残っているためトレーラーを中心とした周囲の様子はトレーラーそのものにカメラや何かが無くとも確認できる。

     今度は乗り換える順番を変えてみる。
     本体、トレーラー運転部、盗聴器、再びトレーラー運転部。直前まで乗り移っていた場所に戻ってもリソースは削られるようで、『戻る』と『進む』に明確な違いがあるようだった。

  • 174125/06/14(土) 09:10:04

    【コタマ、壊れても良い機械はありますか? 現在稼働できる機械の中で】
    「え、ではこれで……って見えてます?」
    【見えませんね……カメラ機能が付いたものも要求します】

     盗聴器まで戻ってホドの『波動制御』を戻す。
     続いてコタマが追加で出したハンディカメラへ乗り移り、カメラのレンズに映るように安物のマイクへと移った。

    【コタマ、このマイクを破壊してください】
    「いいんで――」
    【今の我は移動も出来ず何も観測できない状態です。しかし子機が破壊されれば本体へ戻ります。その際、直接本体へ戻るのか直前の機械に戻るのか確かめたいのでご協力を】
    「あー、なるほど。分かりました」

     コタマはピストルを取り出してマイクに向かって撃ち放つ。
     発砲音が極限まで落とされたモデルだ。ぱす、ぱす、とうっかりすれば聞き逃しそうな音を立てながら弾丸が発射。マイクが破壊される。

     その時、マルクトの意識は後ろに引っ張られるような感覚を覚えて、気付けばハンディカメラへと移っていた。

     壊されればひとつ前へ戻る。
     これが『乗り移り』のルールであるようだ。

     本体まで『戻って』、マルクトは頷くように声を漏らした。

    「我はもっと自らの機能を試すべきなのかもしれません。セフィラたちがそうしたように、自身が何を出来るのか、これからはもっと確かめていく必要がありますね」

     これにはコタマも同意した。
     コタマ自身も盗聴を行うために様々な手法を試し続けて来たが故に、その話には共感を覚える。

    「少なくともマルクトのおかげで『スパイダーS1』が実用できる未来が見えました。早速ですが地上に上がったら会長の執務室に……」

     そう言いかけて、はっと思いだしたのはエンジニア部のことである。

  • 175125/06/14(土) 09:16:07

     マルクトを攫った以上本気で追いかけてきているはず。もしかすればこの地下道すら割られているかも知れないという想像。反射的に壁へ積まれたラジオに向かおうとして一歩踏み出し、振り返り、マルクトへ視線を投げかけた。

    「エンジニア部の皆さんは今どこにいますか!?」
    「すぐ後ろまで来ているようです。時速120キロメートル。我々と合流するまで残り三分」
    「めちゃくちゃ近くまで来てますねぇ!? い、急いで逃げなくては……!!」
    「では我がやりましょう」

     その言葉と共にマルクトの身体がくたりと倒れた。
     走り出すトレーラー。『瞬間移動』による乗り移り。コタマが戸惑ったように声を上げた。

    「わ、私に協力してくれるんですか? 一応攫った側ですけど……」
    【捕まるまでの時間が数分伸びるだけですので我々の旅路には影響しないかと】
    「捕まる未来は変わらないんですね!?」

     コタマが叫ぶその後方、同じくトレーラーで警戒に地下道を吹っ飛ばし続けるウタハはハンドルを握りながら車内通信で皆に声を掛けた。

    【ホド、不審なトレーラーまであと何秒?】
    【残り……480秒……】

     何処にも接続されていないスピーカーからホドの『音』が流れた。
     ホドが言葉を発せられるよう意図的にノイズだけを出し続けるスピーカー。それを聞いて車内のチヒロが頷く。

    「油断してるのか、それとも罠か」
    「恐らく前者よ。罠ならもっと引き付けてもいいもの。きっといま気が付いて、慌てて逃げ出したというところじゃないかしら」
    「ま、地下道内に逃走用の爆弾ぐらいは仕掛けられてそうだけど……。ホド、周囲の地形データを更新し続けて。信号を発している何かを見つけたら教えて」

  • 176125/06/14(土) 09:17:45

     チヒロの指示に仕方なく、といった様子で首を動かすホドが観測対象を切り替えて走査を行う。
     前方にリモート操作可能な対象を確認し、素早くイェソドへと伝達する。イェソドもまた、やれやれと言わんばかりの様子でトレーラーの後方、開けっ放しの開口部へ向かって車外へと飛び降りた。

     その前足が地面に接地するや否や消え去るイェソド。
     『瞬間移動』――小刻みに三回。その身体が消失と出現を繰り返してウタハの手繰るトレーラーの先へと向かう。

     観測された信号源の直下へ辿り着くと同時に向けられる尾の先端。
     雷撃と熱線が主な攻撃方法だが、三つ目の光学兵器――冷視がある。即座に爆発物を凍らせて無力化し、自身へ向かってくるトレーラーを待ち構えて『瞬間移動』。再びトレーラー内へと帰還した。

     そんな様子を見て、リオが思わず呟いた。

    「やはり便利ね」
    【女王の……為である……】

     即座にホドから訂正が入ってチヒロは肩を竦めた。

    「そうだね。本当だったらこんな風に便利使いされていいような『機械』じゃないよねセフィラって。『人間』の都合で好き勝手に使われるなんて低俗であっていけないんだけど……ごめんね」
    【分かっているなら……良い……】

     チヒロの認識において、セフィラとはマルクトの臣下か側近である。決して自分たちの仲間ではない。
     会社で言えばあくまで自分たちは『特異現象捜査課』であり『セフィラ課』ではなく、異なる命令系統からイレギュラーな指示を受けるという不満で考えれば分からなくもない。

     少なくとも、フリーランスとして活動しているチヒロが見て来た取引先ではそう言ったことが原因で揉めている企業も存在していた。

     セフィラに強要は出来ない。あくまでお願い事であり、見返りが無ければ破綻する。

  • 177125/06/14(土) 11:50:46

    「このまま一気にマルクト奪還へ行くよみんな!」
    【ネツァクより報告……対象のトレーラーに女王の存在は感知されず……】
    「え?」

     チヒロが疑問の声を上げると、ホドはノイズからたどたどしく説明を始めた。

     本来、セフィラはセフィラ同士での相打ちを避けるべく攻勢的アプローチが禁じられている。
     イェソドの『瞬間移動』を用いた体当たりやホドの『波動制御』を用いた観測域の遮断がこれに当たるのだが、ネツァクの『物質変性』は全てが『攻勢的アプローチ』の判定を受けるらしく、故に目標にセフィラが存在するかの判定が真っ先に行えるのだと言う。

     しかし、いまこの瞬間においてはネツァクの機能が使用可能。
     つまり前方を走っているトレーラーにセフィラは居ないという判定を受けているらしいが、先ほどから判定が出現したり消えたりしているとのことだった。

     その報告に対してリオが言った。

    「何かに乗り移っているのかしら……。ということはつまり乗り移ればセフィラの判定は消えて、戻ればセフィラとして認識される……。『自らが本体に戻っている』という認識が肝要……?」
    【肯定……イェソドより報告。アストラルはエーテルを引き、エーテルは自我を宿す】
    「ごめん、分からないから研究会は後にして」

     チヒロが答えてホドは沈黙する。

     アストラルだのエーテルだのは現状分からないが、少なくとも『マルクトが何かに乗り移るとセフィラとして見なされない』ということは肯定された。

     つまり乗り移っている間であれば『多少』強引な手段を使えるということ。今はそれだけで充分だった。

    「だったら今のうち! ウタハ! スピードをもっと上げて!」
    【了解。ネツァク、トレーラーに追加ブースターの設計をお願いする。設計データはあるだろう?】

     ウタハの言葉を聞き取ったホドがネツァクに伝えて行われる『物質変性』、トレーラーが更に加速し、リオがトレーラー車内に転がる。時速200キロメートル。テーブルにしがみ付いて耐えたチヒロが叫んだ。

  • 178125/06/14(土) 12:26:53

    「一気に前進! 状況は!?」
    【見えた。前方にトレーラーを発見。ネツァクの準備をよろしく】
    「オーケー分かった――ネツァク!!」

     ぐんぐんと加速していくチヒロたちのトレーラーがコタマのトレーラーに追いつき並走する。
     瞬間、ネツァクの『物質変性』によりチヒロたちの車内にあったモニター類を溶かして車両外側、アンカーのように茨をコタマのトレーラーに射出する。

     がきん、と金属音。
     撃ち込まれた茨からコタマのトレーラーに侵食を始めた。

     一方コタマはその状況を感知して狂乱の声を上げた。

    「と、とと止められます! 何とか出来ないんですか!?」
    【無理ですね。諦めてください】
    「そんな――!!」

     コタマが絶望的な声を上げる――その時だった。

    「攻撃を感知――これより迎撃モードへ移行します」

     マルクトの『本体』がむくりと身体を上げ起こした。発せられた声は機械的な合成音声。
     もぬけの殻であるはずのマルクトの本体。マルクトの意識はいまトレーラーの運転部にある。

     ――ならば、いま起き上がったのは『誰』なのか。

  • 179125/06/14(土) 12:31:33

    【コタマ!】

     マルクトは叫んだ。

    【いますぐ我の身体を止めてください!】
    「え、えぇぇぇぇ!?」

     伽藍の身体が勝手に動き出す状況にマルクトは混乱していた。

     何故、どうして――

     乗り移った後の身体に『自我』は残っていないはず。にも拘らず動き出す自身の『本体』。
     完全に立ちあがったマルクトの『本体』が言葉を紡いだ。

    「これより、迎撃を始めます」

     ぐにゃりと曲がって『変性』されるコタマのトレーラー。
     壁面に穴をあけて現れたのは巨大な大砲。それを見たチヒロが目を見開いた。

    「反撃――!?」
    「伏せて!!」

     リオに押し倒されて倒れた直後、チヒロの頭上を掠めて砲弾が飛んだ。
     破砕と爆撃。トレーラーの壁が破壊されて見えるのは対岸のトレーラー。感情の宿らぬ瞳でこちらを見据えるマルクトのようなもの。

    「第一射、命中せず。第二射、装填開始――」

  • 180125/06/14(土) 12:33:25

     全てを従えるように右手を真横へ伸ばすマルクト。それに従うように『変性』されて生み出される現代武器の数々。ちらりと見えたコタマが叫んだ。

    「マルクト! いますぐ止めてください!」
    【も、戻れません! 恐らく迎撃モードが稼働しているせいか、『本体』に戻ろうとしても弾かれます!】
    「そんな――」

     嘆くコタマはすぐさま勝手に動く『本体』を羽交い絞めにするかのように拘束を始めた。

    「とと、止まってくださいマルクトだか何か知らない『何か』! 私も捕まるとは思っていましたが徹底抗戦するつもりはありませんしこれ以上罪が重くなったらどうするんですかっ!!」

     あくまでコタマは何でか巻き込まれたテロ事件に乗じてマルクトの駆動音を聞きたがっていただけの変態である。

     確かに依頼が来た時にテロだとか何だとか文面にあった気はするが、正直強めの思想に全く興味はなく、ただ聞ければいい。色んなもの全て投げ打ってでも聞けたら良し。その程度の気持ちしかない。

     故に、捕まるなら捕まるでなるべく罪は軽くしてすぐに出て盗聴ライフを始めたいのも必然。逃げられないなら大人しく捕まっておきたいぐらいであった。

     しかし、羽交い絞めにされながらもマルクトと思しき『何か』が止まることなく、視線をコタマへと向けた。

  • 181二次元好きの匿名さん25/06/14(土) 14:09:10

    ここに来てまたも急展開…素晴らしいですね

    >>103の絵のバランスを微修正しましたのでスレ画はこちらの方をお使いください

  • 182125/06/14(土) 20:23:37

    >>181

    綺麗になってる!ありがとうございます!

    もうすぐ次スレですがティファレト編も2/3を過ぎたところだと思います(ティファレト出て来てないけど)

    この第四章が全体の折り返し地点なので、この長い旅路にもうしばらくお付き合いくださいますと幸いです。

  • 183125/06/14(土) 22:20:05

    「迎撃遂行の妨害を感知。無力化します」
    「はい? って、ちょおぉぉぉ!?」

     コタマの服がワイヤーへと変質し、その身体を縛り上げる。
     同時にラジオを溶かしながら背後にせり上がる鋼鉄の柱にそのまま括りつけられて磔刑に処された。

     コタマの受難はそれだけでは終わらなかった。
     ゆっくりと仰向くように倒れて乗せられたのは急ごしらえのカタパルト。ぎりりと弦が柱にかけられる。

    「う、嘘ですよね……? マルクト? マルクトぉぉぉ!?」
    【コタマ、チヒロたちに伝えてください。我のいる運転部を破壊すれば我の意識は強制的に身体へ戻ります】
    「私が射出される前提じゃないですか!? ちょ、止めっ――」

     続く声は悲鳴に変わる。チヒロたちのいるトレーラーに向けて放たれたコタマ付きの鋼鉄の柱がトレーラーの外装をぶち抜いて車内へと叩き込まれる。

     運悪く柱に直撃したイェソドが吹っ飛んで、そのまま車外へと転がり出される。リオが悲鳴をこらえて声を上げた。

    「ね、ネツァク! 壁の補修を!」
    「ねぇ、もしかしてこいつが……」

     チヒロの視線の先には車内に突き刺さった柱に縛り付けられた下着姿の生徒。
     ぐったりとしているが意識はあるようで、とりあえず銃を向けた。

    「あんたがコタマだね。マルクトに何が起きてるのか説明してもらうよ」
    「は、話しますから撃たないで下さいぃ……」

     コタマは洗いざらい話した。自分のトレーラーの運転部に乗り移ったタイミングでもぬけの殻であるはずの機体が動き出したこと。マルクトの意識が宿る運転部を破壊すれば強制的に機体に戻されるため、今の暴走も止められるということ。

  • 184125/06/14(土) 23:14:48

    「というか、なんで運転部にいるはずのマルクトは車を走らせ続けているんですかね……」
    「それには推測が立つわ。暴走した機体が車両部分に自走機能を付け加えたのよ。運転部でブレーキをかけていないのは私たちが乗り込みやすくするためね」
    「まぁ……それはありがたいけど……」

     ちらりとネツァクを見るチヒロ。

     ネツァクは現在進行形で浴びせかけられる弾丸から車両を守るために外装の修復と強化を行い続けている。おかげで車内の備品が次々と茨に変えられ壁へと殺到していた。

     デジタルデータはあらかじめ部室にバックアップを取っているため特に問題は無く、変質させられた備品も設計データは残しているため後で復元は可能であるため、いつぞやのイェソド戦後のような悲惨さは無い。

     しかし、あちら側は違う。
     車両をリソースに変換してこちら側に射出し続けているのだからこのまま耐え続けていれば決着は付く。加えて、いくら同士討ち防止の機能が暴走機体とセフィラ間で働いていないとはいえ、セフィラたちは『マルクト』という存在に攻撃を仕掛けることにかなりの抵抗があるようだった。

     それは子機と化した運転部も含まれる。
     そんな中でわざわざ危険を冒して壊しに行くというのも気が進まない。

    「乗り込んできてもネツァクとマルクトの『物質変性』ならネツァクの方が上でしょ? だったら――」
    「危ない!」

     リオに捕まれ再び地面に引き倒されるチヒロ。直後に車内で爆発が起きた。

    「くっ――何!?」
    「手榴弾を投げ込まれたのよ! 『瞬間移動』で!」
    「移動中は出来ないんじゃなかったの!?」
    【いいや、出来るさ】

     車内のスピーカーからウタハの声が流れ出す。

  • 185125/06/14(土) 23:23:20

     車内のスピーカーからウタハの声が流れ出す。

    【空中で止めれば良いのさ。進む速さと同じ速度で後方に射出すれば空中で停止する。そこでホドの『波動制御』による絶対的な観測技術を合わせれば座標の把握は出来るんだ】

     一点特化のセフィラと比べれば確かにマルクトの方が劣る。
     しかし組み合わせて扱うことによりいくつかの制限を突破できるというのがウタハの考えだった。

    「ホド、トレーラー周囲の領域を遮断してちょうだい」

     リオの指示によって観測を封殺。手榴弾が投げ込まれることはなくなったが、放っておけば次に何をするか分からない以上すぐにでも止める必要が出て来た。

    「どうするリオ? 流石にマルクトを相手にする準備なんてしてきてないのに……」
    「そうね。イェソドも追っては来てくれているけど攻撃に参加させられないわ」
    【だったら私に任せてくれないか?】
    「ウタハ?」

     チヒロたちの車両の運転部でウタハが笑った。
     助手席に座るキツネ型の黒い機体、ウタハの作ったゼウスを撫でて、ヘッドマウントディスプレイを自分の頭に装着する。

     スイッチを押すことでゼウスの視界がディスプレイに映ったことを確認すると、ウタハは信号弾の入ったピストルを手に取る。

    「さ、試験運用と行こうか」

     窓から手を出し、隣を走るトレーラーの前方上空へと信号弾を撃ち出す。
     次の瞬間、信号弾とゼウスの位置が『入れ替わった』。

     マルクトの宿る運転部の車上部分に着地したゼウスが口を開くと、内蔵されたガトリング砲が運転部へと向けられ――がなり立てるように連続で銃撃が敢行される。

     これぞまさしく天才、白石ウタハが作成した最高傑作である。

  • 186125/06/14(土) 23:24:20

     ホドがいればどんな素材もデータとしては取得できる。
     ネツァクがいれば設計データがあればどんなものでも作り出せる。

     現代技術と互換性の無いセフィラの機能であるならば、ゼウスの機体を古代の機械由来のものに作り変えてしまえばいい。

     ウタハが作り出したのはセフィラを模倣する兵器。
     そこに組み込まれたのはイェソドの扱う『瞬間移動』の再現。

     セフィラたちと比べれば遥かに単純で意思も持たないゼウスだからこそ、信号弾との『入れ替え』に限定すれば可能であった。

     ガトリングで次々と破られていく車両の天板。その視界を共有するウタハの笑みはネルに似た凄惨なものへと変わっていく。

    「さぁ……あと少し! このままガソリンタンクを破壊するんだ!」

     その時だった。ゼウスの機体に衝撃が走り、危うく車両から落ちかける。
     慌ててしがみついて耐えると、ゼウスを通したウタハの視界に映ったのは車上に上がって来た暴走機体の姿。周囲にせり上がるのは車両を変性させて生み出された射出機の数々。その全てに鋼鉄の柱が装填されている。

    「排除します」
    「まずい――!」

     ウタハも流石に焦った。大抵の銃撃では壊れないぐらいにはゼウスも頑丈ではあるが、柱は無理だ。
     穴だらけで脆くなった運転部の天板を前足に仕込んだパイルバンカーでぶち破った瞬間、鋼鉄の柱が飛んで来る。

     ゼウスの肩が削り飛ばされ、そのまま穴の開いた運転部に上体が転がり込んだ。
     視界を同期しているウタハの目が回り、思わずヘッドマウントディスプレイのスイッチを切って窓から目視で状況を確認。暴走機体は射角を下げて、運転部にいるゼウスに照準を合わせていた。

    「くっ――間に合うか!?」

     信号弾を取り出して装填。スイッチを入れて視界を同期すると既に柱が何本かフロントガラスを突き破るように撃ち込まれていた。その際にガソリンタンクを掠めたのか、跡を残すようにガソリンが漏れ出している。

  • 187125/06/14(土) 23:40:06

     そのことを確認したウタハは狙いも定めずに信号弾を撃って『入れ替える』と、下腿に大きく穴が空いたゼウスが車外に出現。そのまま後方の地面を転がっていって、それから叫んだ。

    「ホド! イェソドに連絡! ガソリンを熱線で焼くんだ! 総員対ショック体勢!!」

     その声を聞いたリオたちは身を屈めて頭を押さえる。
     車両から零れるガソリンの跡を導火線の如く火炎が走る。走る車両よりも遥かに早いスピードで辿られたそれがマルクトのいる運転部に届いた瞬間、地下空洞内で大爆発が起こった。

     ウタハの運転するトレーラーが吹き飛ばされて横転。
     転がるホド。ネツァクは自分の身を守ることよりも車両に打ち込んでいた茨を伝って暴走機体を保護するために全てのリソースを費やしていた。

     暴走機体は半球の殻によって爆破そのものからは守られたものの、衝撃そのものは完全に打ち消すことは出来なかったようで、後方へとその身体が投げ出される。

     マルクトが自分の身体を取り戻したのはそんな空中の最中。一瞬自分がどこにいるのか見失い目を回すと、身体の真下にイェソドが出現。イェソドはマルクトを背中に乗せるとそのまま地面に着地――『瞬間移動』。ホドのアシストにより全ての座標と衝撃を殺し切るのに最適なルートが導き出される。

     その甲斐あってか、マルクトはこの爆発の中でも全くの無傷だった。

    「あ、ありがとうございます。助かりましたイェソド」

     感謝を伝えるとイェソドは「礼は不要だ」と言わんばかりに頭を振った。
     再び『瞬間移動』を行って横転したチヒロたちのトレーラーの方へ向かうと、燻る火の手がわずかに上がる立派な事故現場であった。

  • 188125/06/14(土) 23:43:27

    「ひとまず、全員車外で連れ出してくれますか?」
    《了解した女王。人間の搬出には協力を頼む》

     マルクトは頷いて接続されたイェソドとの同期を深めると、イェソドの消失とほぼ同時にセフィラ二体がマルクトの前に出現し、それから少し遅れてリオ、ウタハ、チヒロ、コタマの四名も出現。

     ついでに半壊したゼウスも回収されて、イェソドが帰ってくる。

     全員の無事を確認したマルクトは口を開いた。

    「皆さん、本当にお疲れさまでした。それでは早速ミレニアムに戻りましょうか」
    「ちょ……ちょっと、待ってちょうだい……」

     リオが呻きながら手を伸ばす。

    「や、休ませて……」

     ぱたりと力尽きたようにリオの手が地に落ちる。
     その言葉に、マルクトはこくりと頷いた。

    「分かりました。本当に、大変賑やかな一日になりましたね」

     ミレニアムEXPO、五日目未明。
     朝日も昇らぬ夜の中にて、テロ事件の幕はようやく下りたのであった。

    -----

  • 189二次元好きの匿名さん25/06/14(土) 23:46:54

    >>188

    ひとまず、今回の事件はこれで一件落着か……

    しかし、会長の謎、正体不明の男「ミスター」の存在、ティファレト……

    まだまだここからって感じだな……

    そして、忘れられるコタマ……

  • 190二次元好きの匿名さん25/06/14(土) 23:56:28

    次スレですかね…

  • 191125/06/15(日) 00:12:13

    ※次スレに移るので少々お待ちください

  • 192125/06/15(日) 00:23:01
  • 193二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 00:28:29

    >>192

    たておつです

  • 194二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 00:57:11

    うめ

  • 195二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 01:27:27

    うめ

  • 196二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 07:45:46

    うめうめ

  • 197二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 09:07:46

    うめ

  • 198二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 09:36:12

    うめ

  • 199二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 19:05:03

    移動しましょう

  • 200二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 19:14:43

    次スレへ

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