(SS トレウマ)よき指導者であるために

  • 1◆9bwZyxubrSKF25/05/30(金) 01:05:21

     トレセンから車で数時間。
     郊外のあるレンタル会議室で、指導者向けのセミナーが行われていた。

     シーザリオは将来をジュニアクラブの指導者と定めている。
     競技者として研鑽を積みながらも努力を続ける彼女に生涯を賭して力になると約束した身、ただ走りを磨く以上の助力が必要だった。

     そうして見つけたのが、スポーツトレーナー向けのセミナーだった。
     

    「──はい。トゥインクルシリーズを走りきった後は、トレーナーと共に指導者の進路を希望しています」

     スーツ姿の大人たちが集まる中、菫色の制服姿、それもトゥインクルシリーズで現役で活躍している選手でもあるのだから、シーザリオはたいそう目立っていた。

     幸い、講義中に騒ぎ立てる者はおらず、驚きや興味深げな視線が時折向けられる程度でセミナーは終了した。

     会議室から出たところで、シーザリオからの目配せを受け、彼女の望むようにと促した。
     声をかけていいものかと逡巡する人々に彼女から声をかけ、ちょっとしたファンサービスの場となっていた。

    「私の学びと経験を、後に続く者に残していきたい──未来の礎になることが、私の夢です」

     慣れない長時間の講義の後だからか、やや緊張の抜けない様子でファンたちに対応するシーザリオ。
     真摯に応援の言葉を受け止め、固く握手を交わし、恭しい礼で帰路につくファンを見送った彼女が振り返り、こちらを見つけた。

    「トレーナーっ♪」

     柊の様な質実な空気は途端に和らぎ、目尻を下げたシーザリオが春風を纏って駆け寄る。

     先ほど見送られたファンの1人が信じ難いものを見る目で振り返った姿勢のまま固まっていた。

     オフの姿は見慣れないのだろうか?最近はファンサービスの時や同期と合同のインタビューなどでは緊張を解いた姿も見せていたのだけれど。

  • 2◆9bwZyxubrSKF25/05/30(金) 01:05:46

    「お疲れ様、シーザリオ。学園に戻る?それともどこかへ寄って行こうか?」
    「うーん……私は大丈夫ですけど……いえ、どこかで一息入れましょう、トレーナー」

    「……やっぱり疲れちゃった?」

     セミナーは150分ぶっ通し。トレセンの授業に慣れた彼女には大変だっただろう。
     もし自分が同じ年頃に来ていたら途中で舟を漕いでいたに違いない。

     そこに追加のファンサービスだ。緊張を切ることができなくなる心配をしていたが、柔らかなオフの振る舞いに一安心する。
     最初は面食らったが、この切り替えの速さこそが、彼女にとってむしろ正常なのだ。

    「いえ。ただ……トレーナーにはこれからまた、数時間の運転をお任せしなくてはなりませんから。
    ですから、ね?少しゆっくりしましょう?」

     ……そう言われては敵わない。

     ラインクラフト達へのお土産も見てみよう、なんて年長者らしいことを添えて帰路の道中で見つけた喫茶店で小休憩を取ることとなった。

  • 3◆9bwZyxubrSKF25/05/30(金) 01:06:07

    🕒

    「……でも、少し意外でした。『よい指導者とは、いなくても良い指導者である』だなんて」
    「ジュニアクラブの講師と専属トレーナーでは業態が全然違うからなぁ」

     セミナーで挙げられた良い指導者の姿というのが、その「いなくてもいい」指導者だった。

     それは専属契約を結び、多くの時間を共有して礎に至る道を進んできた俺たちとは真逆の在り方。

     ……実際、講師はこちらを見てちょっと複雑そうにしていた。

    「教え子に会うのはクラブ活動を行う週に数回で、必ず発生する『会わない日』を意識しなきゃいけない。
    それに1人に割ける時間も人数が多い程減っていく……ここは、チームを持つ上でも大事だな」

     コーヒーとケーキを傍らに、ノートを突き合わせてフィードバックの時間。

     不意に自分のケーキを一口切り分け差し出してくる彼女に心を乱されたり、仕返しを試みたり。

    「私たちの子らの前にいない時間にも、指導の効果を発揮しなければならない……『いなくてもいい』は、その究極形ですね」
    「子どもの年齢によってはご両親への説得や指導も問われるだろうなぁ」

     彼女のご両親との電話での面談も最初はひどく緊張してしまったが、これを複数人となればスケジューリングだけでも一苦労だ。

     チームを率いている先輩方に一度話を伺ってみよう、などと次の話も考えていた。

    「あ、そうだトレーナー。両親が『ぜひまたいらっしゃって下さい』って♪」
    「……緊張するなぁ」

  • 4◆9bwZyxubrSKF25/05/30(金) 01:06:29

    🕓


     帰路の車内、赤信号の隙に不意にシーザリオに問うてみた。

    「シーザリオにも、指導者の目が無い方がいい時ってあるの?」
    「え?」

     俺たちのやり方が間違っていたとは思わない。

     仮に、シーザリオと別の関わり方を選んでいて。
     それでアメリカンオークスに憂いなく挑み、無事帰って来られたとしても、今の俺たちの在り方が間違いにはならないのだ。


     ただ、ウマ娘の本能として思い切り走りたいという欲求は存在する訳で。
     彼女の様に賢い子ほど、トレーナーの視線の先ではその欲求を抑え込んでしまうだろうとも思うのだ。

     指導者は有能であって欲しいが、その上で自由にさせて欲しい、というのは誰だって同じだろうから。

    「なんだったかな。鬼の居ぬ間に洗濯、のような」
    「『亭主元気で留守がいい』、でしょうか?」
    「…………かなぁ?」

  • 5◆9bwZyxubrSKF25/05/30(金) 01:06:51

     青信号に切り替わり、車を走らせる。
     なんとなく合致しそうな諺や格言をああでもない、こうでもないと挙げ合っていたが、学園が遠目に見えて来たあたりで逸れた話が戻ってきた。

    「……そうですね。後先何も顧みず全力疾走、というものへの欲求はウマ娘なら誰もが少なからずあります」

     シーザリオの視線は、遠くに広がる芝のコースに定められている。

     勝利の栄光。
     憧れ、追い続ける夢。
     ライバルとの死力を尽くした激闘。

     それは競技者にしか見えない境地。
     トレーナーが入り込む余地のない、彼女たちだけの世界だ。

     夕陽に照らされ、心をターフの上に置いた彼女は、美しかった。

    「……しかし、トレセンはただ走るだけでは足りない者が集まります。
     栄光。夢。ライバルとの死力を尽くした激闘……」

     
    「私もそうです。何も顧みない全力疾走でも得られないものを求めて、ここに来て。
    そして──貴方と契約したのです、トレーナー」
    「……そっか」

     横目に盗み見た、西陽の中でこちらを見つめるシーザリオは、やはり美しかった。

  • 6◆9bwZyxubrSKF25/05/30(金) 01:07:10

     学園に到着し、車を停める。
     長い1日を終えて、2人で軽いため息をついた。

     シーザリオが先んじて車を降りると、早足に眼前を通過して運転席の扉を外から開ける。

    「お疲れ様でした。運転ありがとうございます、トレーナー」

     執事めいた所作と労いに、未だ慣れず照れが入ってしまう。
     
    「あ、そうだトレーナー」

     やっぱりこういうの好きなんだろうなぁ、と苦笑していると、俺の手を彼女のひんやりした手が包んだ。

    「私は旦那さまには元気で、留守よりお家にいてくれる方が嬉しいな、なんて♪」

  • 7◆9bwZyxubrSKF25/05/30(金) 01:08:00
  • 8二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 01:15:45

    前のルビーSSも今回のもよかったですわ

  • 9二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 02:48:38

    真面目な話してるなーと思ったら隙間隙間で割とイチャついてやがるな…?

  • 10二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 06:32:07

    去って行った者から受け継いだものは前に進めなくてはいけないからね

  • 11二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 07:24:28

    良いテーマで書くねえ
    ザリオとイチャイチャ描写もありながらトレーナー業の本質に切り込んでいて、なかなか面白かった

  • 12二次元好きの匿名さん25/05/30(金) 13:33:54

    こういう世界観深掘りしてるSSすき
    嫁ザリオ引けるといいね

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