- 1二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:22:42
今年の全日程が終わりを告げ、全てのウマ娘も、トレーナーも、学園も、少しだけの冬休みに入る。
いくつもの塊になって歩いていく同僚達を掻い潜り、歩いていく。
靴が向かう先は、ポツポツと明かりのついた商店街だ。
静かだ。
この静けさこそが、年の瀬だと思った。
ある路地へと足を踏み入れる。
暖かな光と、少しの喧騒が漏れ出てくる居酒屋だ。
「ごめんください」
威勢良く挨拶してくれる大将は、すっかり顔馴染みだ。
ポツポツと見える空席と、喧しい中にも何だか見える静けさ。
喧しく、若々しく楽しむ事だって嫌いではない。
だけど、今日だけはこれが好きだ。これでなければいけない。
「空いてるよ」と、女将さんが、いつもの座敷に案内してくれた。
少し囲いの付いた、個室のような席だった。 - 2二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:23:33
お通しを食べていると、間髪入れずに一杯目が来た。ビールだ。
正直、あまり好みではないけど……「とりあえず生」の妙味は、何度目かで分かってきたような気がした。
ちびちびと飲み進めながら、思考の海に潜っていく。
今年の成績はどうだったとか、すぐそこにある来年からの展望だとか。
色んなものが、解決したり、或いは解決されなかったりしながら、消えていった。
最後に残ったのは、「トレーナー足り得ているか」だった。
「彼女」に死に物狂いで喰らい付いて、味わい難く、貴重な経験を幾つもさせてもらった。
幾年も経って、彼女の後ろ姿は見えなくなって、いつの間にか、自身の横に慕ってくれる子達が集まり始めた。
今度は、彼女達の背中を押す手助けをした。
上手くいった日も、そうでない日もあった。
これを始めたのも、「彼女」が巣立っていったのも、もう随分と前のことになってしまった。
いつの間にか二杯目のハイボールを半分飲み干していた。何だか情けなさを感じた。 - 3二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:24:01
アルコールのお陰か、僅かではあるが、思考が朧げになって見えづらい。
今年も、そんな風で終わるのかと、そう思っていた。
その、矢先の出来事だった。
「いいかな」
「相席」
「彼女」は、突如として姿を現した。
突拍子も無く、夢でも見ているのかと思った。でも、想定外ではなかった。
「久しぶりだね」
そう言うと、「彼女」は温かみのある微笑みのまま「ただいま」と言ってくれた。
「彼女」の一杯目は、ビールだった。
「ぅえ」
「よく分かんないね」
今はそれでいいんだよ、と返して、焼き鳥を勧めた。口直しに、パクパクと頬張っていた。 - 4二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:24:34
ミスターシービー。
時の三冠ウマ娘だ。
未熟だった自分に、楽しさも、厳しさも、全て教えてくれた娘だ。指導者として恥ずべき事ではあるが。
そんな彼女が、自分の目の前でお酒を飲んでいる。時という物は、気付かない間にこんなにも早く過ぎていくのだ。
「よく、ここが分かったね」
「学園まで行ったんだよ」
無駄足を踏ませてしまった。申し訳ない。
「いっつも、キミはこっちに来てるって言ってたよ」
そう、改めて言われると…なんだか少し恥ずかしかった。
「邪魔しちゃったかな」
ふと、彼女が口にした。
そんな事はない、と、それだけは言葉を尽くして伝えた。 - 5二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:25:14
いざ、対面に彼女が居ると、何だか慣れない感じになった。
結局、これまではお一人様だったから。
「良いところだね」
「あったかいし」
そう、彼女が言ってくれると、報われた気がした。
五……実際には何杯目かは分からないお酒を飲みながら、彼女の話をゆっくりと聞いていた。
他愛もない話だったり、彼女の友人の話だったり。
それらが、溢れるみたいに彼女の口から語られた。
まるで、何かを隠すみたいだった。背後に隠した彼女から見え隠れしそうなそれを、敢えて見過ごした。
それでいい、と思ったからだった。 - 6二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:25:47
たぶん、7杯目かな。
それをようやく飲み干したと思ったら、机に突っ伏しちゃった。
弱くなったのか、元々なのかは分かんないけど、珍しい、って思った。
「…できてる、かな」
トレーナー……元トレーナーか。
すっかり酔っ払った言葉が聞こえてきた。
「シービーみたいに、できてるかな…」
……出来てるよ、とは言えなかった。
その答えが、アタシの中には無かったから。
何も言えないまま、そっと頭を撫でてあげた。
それを、お店のお母さんが、微笑みながら覗いてた。
お勘定のサインだけ出して、眠っているトレーナーを、じっと見つめていた。 - 7二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:26:21
個室を出ると、すっかり静かになってた。
店仕舞いしてた男の人が、ニコニコ笑いながら伝票を書いて、
「ツケといてやる」
と、トレーナーのポケットにそれを仕舞い込んだ。
夜は更けていて、新年を迎える準備をしているみたい。
背中に背負ったトレーナーは、何故か少し、重たく感じた。
「……いいのに」
「背負わなくたって、さ」
独り言ちた声が、夜の暗闇に溶けて消えていった。
決して、しんどい訳じゃない。
けど、この重さだけは消えずにずっと残っていた。 - 8二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:26:52
寮の扉を開ける。
まだ帰っていなかったり、ガヤガヤとした声が漏れ出ていたり、色々だった。
トレーナーの部屋は、昔見た、そのまんまだった。
資料とかは、流石に違ってたけど。
あの時、見たまんまだった。
「落ち着くな…」
布団に寝かせて、辺りを少し見渡した。
思い出が、そのままの形で残ってる。
賞だったり、ノートだったり………写真だったり。
レース後の一枚っぽい。
たぶん、菊花賞の後だろうな。
キミが、すっごく泣いてるから。
あの時、アタシはよく分かんなかったけど、今は……何となく、心が震えて、安心とか、泣きたいとか、色んな気持ちを感じた。
枕元に座る。
寝てるか、起きてるかは分かんないけど、目は開いてた。
「……アタシらしくないかな」
そう呟いた。肝心な事も言わずに。 - 9二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:27:26
「らしくなくたって、いいんだよ」
静かだけど、しっかりしてる言葉で、そう言ってくれた。
「いいの、かな」
「こんなでも」
逃げてるんじゃないかな、って時々、割とたくさん思ってる。
いじけて、アタシらしくない。
「それが、君の選択なんだから……間違ってるだなんて、思わない」
「けど………忘れないでほしい」
「君が帰って来られる場所は、いつだってあるから」
何も言えなくて、ずっとキミの顔を見てた。
言おうとしたら、何だか泣いちゃいそうだったから。 - 10二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:27:54
普段なら、大目玉の時間に目が覚めた。
起きた時には、彼女は居なかった。
彼女が居たという、思い出だけが残っていた。
彼女の訪れと共に、自分の考えも、ある程度の余裕が持てたと思う。
続けた甲斐があったというものだ。
少しくしゃっと潰れた紙に、彼女の…おそらく、連絡先と「いってきます」の文字があった。
良かった、と思うと同時に、その裏に書かれたツケに、二日酔いの頭を抱えずにはいられなかった。 - 11二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:31:18
「次」はトレーナーから「おかえり」って言ってくれたら
私性合 - 12二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 20:42:41
欲を言うならシービーと屋台で年越し蕎麦を啜るシーンが見たかった
しかし良いSSだった - 13二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 21:25:21
👍👍👍
- 14二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 22:05:00
シービーの宿り木になりたい
- 15二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 23:20:15
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- 16二次元好きの匿名さん25/06/20(金) 08:30:31
とても良い
根無し草のCBが"帰って来られる場所"と言うのが少し可笑しいね。トレーナーにとってトレーナー室は家では無く戦場なのだから、寧ろ昔を知る者こそが安息の場所となり得るのだろう - 17二次元好きの匿名さん25/06/20(金) 17:41:34
大人になったシービーはきっとバッチバチの美人になってる