- 1二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 00:59:12
「トレーナーさん! 私は、私は……認めません!」
学園外。背後から掛けられる声は啜り泣くような嗚咽混じりのものだった。弱々しい力で俺の腕を掴む彼女——トップロードはその体を震わせている。
「私の道にはあなたが……トレーナーさんが必要なんです! なのに、なのに……! どうして!」
俺は彼女の方を振り向くことが出来なかった。その顔を見れば罪悪感で心が潰れそうだったからだ。
「……すまない」
「ッ! 違う、違う違う! 私が欲しいのはそんな謝罪なんかじゃなくて……!」
一層声を張り上げる彼女。その先の言葉を制止するように掴まれた腕を強引に振りほどく。
「分かってくれ、これが君のためなんだ。俺は君には相応しく無いんだよ」
「そんなこと……! 私にはトレーナーさんがいたからここまで来ることが出来たのに! まだあなたに何も返せていないのに!」
なお食い下がってくる彼女の声はまた一段と怒気を含んだものとなり、空気を裂くように空に響く。
「それは俺の方だよ。俺は貰ってばかりで、何一つ君にしてやれたことなんて無い。だから……これでいいんだ」
「やめてください! トレーナーさん、私は……!」
「……ごめん」
言葉を待たずに俺は駆け出した。その先を聞いてしまうと、未練が残り決意が緩んでしまいそうだった。彼女のトレーナーを辞める決意が。彼女の才能は本物だ。だからこそ俺は、俺の能力で彼女を頂点へと導けないことが怖いんだ。もっと上手くやれる人間が……相応しいトレーナーがいるはずなんだ。だからこれで……これでいい。
「トレーナーさん。私は、諦めませんからね……」
最後に聞こえたその言葉は怒りか憎悪か、それともそれ以外の何かを含んだものだったのかは分からなかった。ただ、それでも俺はその場から逃げることしか出来なかった。 - 2二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:00:13
🔶🔶🔶
「……ッ! 夢、か……」
何度目だろうか、俺がトップロードのトレーナーを辞めたあの日の夢を見るのは。
(後悔なんてしていないはずなのに)
——彼女と有馬記念を獲った日からずっと考えていた。このまま俺が彼女と共に行くのが正解なのか。何度も何度も。そして出した結論は『俺はトップロードに相応しいトレーナーじゃない』というものだった。最も手腕の優れたトレーナーに任せるべきだと。だから俺は彼女の元から離れた。それは間違いじゃなかったはずなんだ。なのに——俺は未だに彼女と共に走った日々を夢に見続けている。
「……やめよう」
頭を横にブンブンと振って思考を振り払う。時計に目をやると時刻は6:00を指していた。
「準備するか……」
あの日から2年の月日が経ち、俺は今地方のトレセンで、教師とトレーナーを兼任して働いている。本来であれば彼女の元から一方的に離れた俺にトレーナーを続ける資格などないのかもしれない。それでも……俺は何故だかソレを辞めることが出来なかった。未練がましく過去の幻影に囚われて続けているだけなのかもしれないが、手放す事ができなかったのだ。 - 3二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:01:23
🔶🔶🔶
「……さ、トレーニングはここまでだ。今日もお疲れさま」
「はい、先生! 今日もありがとうございました!」
「ありがとうございました〜!」
教え子たちの声が校庭に響く。地方のトレセンはトレーナーが不足している所も多く、1人で数人の教え子を持つことも少なくない。経験者の俺は有り難いことに1年目から複数人のウマ娘を受け持つトレーナーとして働いていた。彼女たちの帰りを見送ると辺りは既に茜色を映し出し始めていた。荷物を取り、俺も帰路へ着く為に駅に向かう。
ガヤガヤ、ザワザワ
駅に着くと人だかりができていた。いつもであればここまで人が固まっていることなどないはずだが何かあったのだろうか。
「あれ本物か!?」
「絶対本物だって! 私、サイン貰って来ようかな?」
「俺も……!」
……有名人でもいるのだろうか? こんな地方に来るとは珍しいと思いながら暫く見ていると、俺に気づいて声を掛けてくる人影があった。俺の担当しているウマ娘の一人だ。
「あっ、先生!」
「おお。この人だかり、誰か有名人でもいるのか?」
「ふふふ……その通りです! 誰だと思いますか?」
何故かドヤ顔で鼻を擦っている。勿体ぶっている彼女を観ながら暫し思案し適当に答えてみることにした。
「有名なアイドルとか?」
「ブー、違います!」
「アーティスト?」
「それも違います!」
「ん〜……有名なウマ娘とかか?」 - 4二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:02:26
そう言うと彼女はサムズアップのポーズを取った。
「ピンポーン! 正解です!」
「誰だ?」
「まあそれは見てみれば分かります! 先生も一緒に見ましょうよ!」
だったら最初からあのクイズは要らなかったのでは……とそんな野暮なことを思ったが、グッと飲み込んで彼女に着いていき見てみることにした。
「んー、人が多いですね……」
「ここまで人気なウマ娘となると限られそうだけど……」
「先生も絶対知ってます! だってあのトッ……っとと!」
慌てて口を押さえる彼女。おそらく名前を言いかけてしまったのだろう。俺からしたら早く教えてもらっても構わないのだが。そう思いながらも少し背伸びしてみると、その姿が少しずつ見えてくる。髪色はブロンドだろうか。人影を避けるように視線を少しずつ移動させていく。そうすると、ハッキリと顔が見えた。
そう、ハッキリと見えてしまった。そして気の所為だとは思うが、その瞬間に目が合ったような……そんな気がした。
「見えました!?」
「……」
「先生も勿論知ってますよね! あのトプロさんですよ! トプロさん!」
「……」
「……? 先生、なんだか顔色が悪いですよ?」
額から汗が噴き出し、目眩がした。鼓動がドクドクと速度を速めていくのが分かる。ナリタトップロード……知らないわけがない。だって、彼女は……
「……ごめんな、ちょっと学校に忘れ物をしちゃったんだ。気をつけて帰るんだぞ」
「あっ、先生!?」
俺はそれだけ言い残すとその場から逃げ出した。なぜ彼女がこんな所にいるのかは分からない。たまたまか、何かの用事で来たのか……自惚れかもしれないが、もしかすると俺に会いに来たのか。いずれにせよ今の俺に彼女と対面することなどできるわけがない。そんな勇気など無いし、何より俺に彼女に会う資格などあるはずもない。何処へ行くでもなく足を動かし続け、とにかく遠くへと走り続けることしか今の俺には出来なかった。 - 5二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:03:29
🔶🔶🔶
「ハァッ……ハァッ……!」
どれだけ走ったのだろうか。辺りは薄暗くなり、ポツポツと街灯が灯り始めていた。湿ったコンクリートの匂いが鼻をつく路地裏で、俺は人目がないのを確認してビルの壁にもたれかかり、膝に手を置いた。
「なんで……」
ポツリと呟く。頭の中はぐちゃぐちゃで、思考がまとまらない。ナリタトップロード——彼女を見ることはもうないと思っていた。いや、違う。見たくなかったんだ。あの日の笑顔、あのレースの熱、彼女の涙……全てが蘇るのが怖かったから。彼女が有馬記念を制した後も、俺は意図的に彼女のニュースを避け続けた。なのに、なぜ今。
「自惚れか……」
冷静に考える。彼女がこんな地方にいるのは偶然だ。仕事か、旅行か、何かの予定があっただけだろう。俺に会いに来る理由なんてない。中央の頃の知人とは連絡を絶ち、俺がここにいることなど知るはずがない。
「いつまでもここにいるわけにもいかないよな……」
腕時計を見ると、20:00を回っている。随分走ったものだ。過去から逃げる自分を滑稽に思い、苦笑する。駅に戻ればまた彼女と鉢合わせるかもしれない。幸い近くにタクシー乗り場がある。今日はそれで帰ろう。息を整え、路地裏の出口へ目を移すと——そこに、人影があった。
「ト…………ップ……ロード……?」
「ふふ、トレーナーさん。こんな所で何してるんですか?」
目の前に、ナリタトップロードがいた。幻でも夢でもない、確かに本物の彼女が。街灯の淡い光に照らされたブロンドの髪は、まるで月光を纏うように輝いている。遠くで車のクラクションが鳴る中、彼女の存在感だけが異様に際立っていた。
「あ……」
言葉が詰まる。彼女が一歩近づくたび、足が竦んで動けない。まるで金縛りにあったように。 - 6二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:04:31
「どうしたんですか? そんな怯えた顔しないでください」
彼女は柔らかく微笑むが、その笑顔の裏に、どこか見覚えのない影がちらついた。変わらないはずの顔立ち、声、仕草——なのに、何かが違う。
「なんで……ここに?」
頭が真っ白で、素朴な疑問しか出てこない。彼女は軽く首を傾け、まるで当たり前のことを言うように答えた。
「トレーナーさんに会いたかったからですよ。ずっとずっとずっとずっと探してました」
「俺は……君の前から消えたんだぞ」
「あ、そうでしたね」
彼女はくすりと笑い、俺の両手をそっと握る。その手は妙に冷たく、凍えるような感覚が全身に広がった。彼女の涙に背を向けた瞬間がフラッシュバックする。俺が彼女を置いて逃げたあの日——才能を潰してしまう恐怖に耐えきれず、最高のトレーナーに彼女を託すべきだと自分に言い聞かせて。
「でも、こうしてまた会えました」
彼女の声は穏やかだが、瞳に宿る光はどこか妖しい。まるで深い闇に引きずり込むような色を帯びている。
「俺は……君の隣にいる資格がない。だから離れたんだ。なのに、なんで……」
そこまで言うと、彼女の笑顔が一瞬で曇り、悲しげな表情に変わる。握る手に力がこもった。
「トレーナーさんしか、私にはいないんです。私の道には、ずっと……ずっと、トレーナさんがいないと駄目なんです」
「トップロード、やめてくれ、俺は——!」
手を振り払おうとするが、彼女の力は予想以上に強く、指がわずかに震えるだけだった。
「また逃げるんですか?」
彼女の瞳が一層深く、昏い闇に染まる。心臓がドクンと跳ねる。 - 7二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:05:33
「あの日、私を置いてどこかへ消えた時……本当に、悲しくて。消えたかったんです。」
「っ……!」
「でも、トレーナさんにまた会うのを諦めたくなかった。だから、こうやってここまで来たんです。なのに……また、私の前からいなくなろうとするんですか?」
彼女の目から涙が溢れ、あの日の嗚咽混じりの声が重なる。俺の胸を締め付ける。
「トップロード……」
「トレーナさんのこと、ずっと……大好きだった。なのになんで……勝手に消えちゃったんですか!」
彼女は泣きながら俺を抱きしめる。その力は強く、逃げる隙を与えない。俺はただ、黙ってそれを受け入れるしかなかった。どんな言い訳も、彼女をさらに傷つけるだけだとわかっていたから。
「約束して……もう二度と離れないって。ずっと私のそばにいるって」
「……ああ、約束する。もう二度と離れない」
彼女を抱き返すと、尻尾がピクリと動き、俺の足に絡みつく。ブロンドの髪を撫でると、耳がペタリと動いて指をくすぐった。その瞬間、過去から逃げるのをやめた気がした——いや、逃げられなくなったのかもしれない。
「嘘ついたら、駄目ですからね? またいなくなったら、私……」
彼女は涙に濡れた顔を上げ、笑みを浮かべる。俺は黙ってその手を握り返した。
「何処へ行くんだ?」
「トレーナさんが……もう二度と私から離れないように。ずっと、残る証が欲しいんです。」
彼女の言葉は曖昧で、どこかミステリアスだった。空を見上げると、満月が静かに輝いている。人気のない街に二人の影が落ち、夢に誘われるように溶けていった。 - 8二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:06:35
終わりです。
読んでくれてありがとうございます。 - 9二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:12:39
良いものを見た
- 10二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:13:26
お疲れ様です。凄く凄かったです。