- 1二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 21:58:07
- 2二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 22:14:20
全然詳しくないし割と偏見なんだけどこういう地方の反乱って明確に中央への反乱ってよりかは近所の豪族、領主との喧嘩が中央に反乱と見做される、みたいなケースが多いイメージなんだよな 秀郷も近所の気に食わないやつボコってただけなんじゃねえかなって
- 3二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 22:27:44
反抗であって反乱している訳ではないからじゃない?
例えると源為朝みたいな乱暴狼藉のイメージ
源義家も陸奥守在任中に朝廷の許可を得ないで戦いを始めるわ、官物を納めないわで
あれも広い意味では反抗と朝廷に受け取られなくもないかも - 4二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 22:28:53
後世の伝承だけど、藤原秀郷が平将門と共に乱を起こそうと企んで密会したところ将門が恭しくおもてなししてきた為「こいつダメだわ…」と見限って朝廷側に着いたとかなんとか
- 5二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 22:30:30
将門討伐の恩賞目当てが一番わかりやすいが一緒に朝廷に叛逆しても勝てないと思ったのかな
- 6二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 23:35:28
そもそも将門も最初から朝廷への反乱を意図していたというよりは政治的敗者に肩入れしていたら成り行きで行くところまで行ってしまった形なのではという見方もあるし、反・朝廷の確固たるシンパシーがあったわけでもない、というのが関の山のような気がする
しっかり関八州全土に飛び火しているとはいえそもそもが対岸の火事なんだから肩入れする理由もなかったのではという