- 1二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:38:24
【――きっと来てくれると信じています】
投函されていた手紙。そこには、俺に会いたいという短い言葉が綴られていた。
指定された日付は1週間後、場所は――トレセン学園の校舎前。俺にとって数え切れない程の記憶が詰まった場所だった。そしておそらく手紙の差出人にとっても。
手紙には見覚えのある丁寧な文字でマンハッタンカフェと、忘れられるはずもない名前が記されていた。俺はそこから目を離すことができず、彼女の名を何度も何度も指でなぞる。そうすれば、あの日々の中へと戻れるような気がして。
5年……いや、もう6年ほど前になるだろうか。俺はトレーナーとしてマンハッタンカフェを担当していた。彼女はレースの才能に溢れ、繊細な心を持ったウマ娘だった。
『トレーナーさん……私はアナタの事が好きです……』
彼女の告白は、震える声と涙に濡れた瞳とともに俺に届けられた。彼女と過ごした日々が認められた気がして嬉しかった。
だが、俺はその想いに応えられなかった。トレーナーと生徒という立場、彼女の未来を縛りたくないという思い、そして何より自分が彼女に相応しい人間だと思えなかったからだ。
その日から俺たちの関係は変わった。俺を心配させないように、自分の想いを押し殺すように明るく振る舞い、陰のかかったような笑顔を浮かべる彼女の姿に胸を締め付けられる思いだった。
『トレーナーを辞める……?』
このまま傍にいると彼女は俺に囚われてしまうかもしれない。
そのせいで走りや精神に影響が出てしまうとしたら、ここにいるべきなのは俺じゃないと思った。
そして彼女の必死の説得も聞かず、俺はトレーナーを辞めた。本音はあの悲しそうな顔を見たくないだけだったのに、彼女のためだと自分に言い聞かせて目の前から逃げたんだ。――だというのに。
「カフェ。いまさら俺に会ってどうするんだ」
零れ落ちた言葉が空を切る。当然その問いに答えが返って来るはずもない。
俺たちはきっと会わない方が良いとそう思うのに、俺はなぜかその誘いを断る気になれなかった。これが彼女に会えるチャンスだとしたら。あの過去を清算できる可能性があるとしたなら。俺は――
(自分から手放したはずなのに)
逃げ出した癖に往生際悪く過去に縋ろうとする自分が滑稽で情けなかった。それでも、俺は彼女に会いに行かなければならない気がした。 - 2二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:39:31
▲▽▲
「あっつ……」
6月の正午、夏のような陽射しがアスファルトを焦がす。汗でベッタリと張り付いた衣服を煽る。
所々舗装されてはいるがほぼ全てがあの頃のままの道を歩くだけで、様々な記憶が蘇ってくる。
空になったペットボトルをゴミ箱に投げ入れ、学園に向かいまた歩き出す。暫くすると視界の端から立派な校舎が覗いてきた。時計を見ると、約束の時間まで40分ほど。校舎裏のベンチで時間を潰そうと近づくと先客が――そこにカフェが座っていた。
「……カフェ」
「あっ……お久しぶりです……トレーナーさん……」
その声は穏やかだったが、瞳の奥に宿る光はどこか冷たく、焦点が合っていないように見えた。
「……早いな」
「ふふ……トレーナーさんも……今は、名前で呼んだほうがいいでしょうか?」
「好きにしてくれ」
「それじゃあ……やっぱりトレーナーさんで……」
そう言って笑う彼女の姿はあの頃より大人びていて、少しだけ短くなった髪が風で揺れる。
だが、その笑みの端にどこか硬い影がちらついた。
「今日は……どうしたんだ?」
なんて言えばいいか分からなくて、そんな言葉が口をつく。そんな俺の手を取ると彼女はまたニコリと笑う。
「アナタと一緒に歩きたかったんです……昔みたいに、この街を。といってもアテはないんですが……」
「そうか」
俺は曖昧に頷くしかなかった。彼女に引かれ、街の雑踏へと踏み出した。 - 3二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:40:31
水族館、ゲームセンター、遊園地――かつて彼女と過ごした場所を巡る。
水族館の薄暗い通路で、彼女は水槽を眺めながら呟いた。「昔、ここで手をつないで歩いたこと……覚えてますか?」そう言って笑う顔が苦しかった。
観覧車では、彼女が静かに尋ねた。「トレーナーさんといると、落ち着くんです。トレーナーさんは……どうですか?」言葉の続きを待つように、彼女の視線が俺を捉える。だが、俺は答えられなかった。
どの場所も、甘い匂いと懐かしさが過去を呼び起こし、同時に心を締め付けた。
――全てあの頃のままなのに、どこか違和感が漂う。彼女と目が合うたびに、後ろめたさが胸に刺さった。
「次は……トレーナーさん、どうかしましたか? 顔色が……少し……」
「い、いや……はは! ごめん、何でもないんだ……ただ、なんだか懐かしくてさ。君とこうして過ごしているのが」
「……私もです」
彼女は照れくさそうな顔をして、前髪を撫でる。その仕草すら俺の記憶を呼び起こすのに十分で、あの頃の姿が重なって見えた。
「……トレーナーさん。これから、私の家に……来てくれませんか?」
「えっ……」
「ダメ……ですか……?」
その言葉に思わず動揺してしまう。彼女は心配そうな、不安そうな顔を俺に向けてジッと返答を待っているようだった。
空には既に夕日が浮かび、紅い光が体に当たって、俺の心情を表すように影が揺らめいていた。
「ご迷惑……ですか?」
「い、いや……そういうわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「……いいのか?」
彼女は微笑み、俺の両手を握る。その手はまるで俺を縛る鎖のようだった。口元に浮かべた笑みが、言葉がもう必要ないことを示していた。 - 4二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:41:33
▲▽▲
「どうぞ……」
彼女の部屋は、几帳面な性格を映すように整然としていた。
棚には珈琲豆のキャニスターが並び、その中のものをいくつか取って淹れられた珈琲から芳醇な香りが漂う。
「……いただきます」
優しい酸味と苦みが口に広がり、後に残るチョコの様な甘み――ああ、よく覚えている。これは彼女がよく飲ませてくれた、あの味だった。
「美味しいな……やっぱり、君の淹れる珈琲は格別だ」
「ふふ……嬉しいです」
「昔、よく飲ませてくれていたものだよね、コレ」
「はい……でも、ちょっとだけ配合比率を変えて――」
ゆったりと時間が流れていく。
彼女の淹れてくれた珈琲を飲み、他愛ない会話をしていると、昨日のことのように数年前の日々を思い出す。
ふと、机の上に目を移すとぱかプチが目に入る。カフェの姿をした人形が、かわいらしく座らされていた。
「これ……昔、俺が取ったやつだな。君の分もどうしても欲しくて苦労したっけ」
「ふふ……私はいいって言ったんですが、トレーナーさんがどうしても私の分も取りたいと……」
彼女の笑顔は温かいが、どこか遠いように感じた。
それでも、こうしているとなんだか――
「なんだか……昔に戻ったみたいだ」
「えっ……?」 - 5二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:42:45
思わず口から滑り落ちた言葉を聞いて、彼女は体を少しだけ震わせて窓辺へ視線を移す。
「カフェ?」
「……そうですね。私も、できるなら昔に戻りたい。トレーナーさんといた、あの日々に……」
心なしか空気が冷える。ヒヤリとした冷気が頬を撫でた気がして、思わず息を飲んでしまう。彼女は視線を戻すと今度は俺の傍へと身を寄せ、小さく呟いた。
「トレーナーさん……私、大人になったんです。アナタと別れてからレースで勝っても心が満たされなかった。トレーナーさんがいないと、全部空っぽだった」
「……そうか」
「もし……私がまだアナタを想っているとしたら、受け入れてくれますか?」
俺の手を握る彼女の手の熱はやけに冷えていて、それが全身を蝕んでくるような感覚に襲われる。
「……」
「答えは……聞かせてくれないんですか」
「……すまない。ダメなんだ、どうしても……俺は、君の隣にいて良いと思えないんだ。今でもずっと……」
「どうして、ですか?」
立ち上がり、彼女を拒絶するように距離を取る。外を見るともう月が出て、闇を照らしていた。
「俺は……逃げた人間だから。君の悲しい顔が見たくなくて、消えてしまった人間だからだよ。そんな俺は君の想いに応える資格がないんだ」
「そう……ですか……残念です……」
彼女がそう言い終えると同時。視界が目まぐるしく回りだす。
何度も何度も回転して、大きくなっては小さくなって。溶けるように世界が混ざっていく。
「あ……れ……?」
「お…すみ……ト……ナー…ん」
意識を手放してしまう直前、目に映った彼女の姿は闇を纏っているように見えた。深い深い、どこまでも深い闇を。 - 6二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:43:50
▲▽▲
頭がガンガンと痛む。重い瞼を開くと真っ暗闇が視界に飛び込んでくる。
「ここは……」
暫くすると慣れてくる。どうやら俺はベッドの上に寝かされており、あたり一面には出入口らしきドア以外に何もない。
ベッドから立ち上がりドアノブに手を掛けるが、外から鍵がかかっているのか開くことができない。
(……カフェの家、なのか?)
頭の中を辿ってみても、先ほどのカフェとの会話を最後に記憶が途切れてしまっている。
俺は彼女に何かされて、この部屋に運び込まれてしまったのだろうか。
ぴしゃりと頬を叩き、もう一度部屋を見渡してみる。そうすると、奥の壁紙が少しだけ剥がれているのが見えた。
彼女の几帳面さでは見逃さないはずの小さな歪み。なぜか、それが気になって仕方なかった。
「剥がして……みるか?」
直感でしかなかったが、ここには何かがある。根拠などないのに、俺はそう確信した。
意を決して右手で剥がれた部分の壁紙を思いきり引っ張ると壁紙が勢いよく剥がれ、その中をむき出しにする。
そこにあったものは自分の目を疑ってしまうようなものだった。
「これ……は……」
そこに現れたのは――無数の俺の写真だった。
トレーナー時代のカフェとの写真だけでなく、俺がトレセンを去った後に撮られたものまで。
街角、喫茶店、彼女の知らないはずの俺の姿が壁を埋め尽くしていた。 - 7二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:44:58
(カフェが……?)
激しい動機を抑えながら無我夢中で部屋中の壁紙を剥がす。その全ての場所に俺を捉えた写真が何枚も貼られていた。
「はぁっ……はっ……」
目の前の光景が信じられなくて、嗚咽をこらえながら肩で息をする。抵抗するが、足から力が抜けてしまい床に座り込んでしまう。
(なんで……こんな……)
カフェが……これをしたとでもいうのだろうか。こんな狂気的なことを。俺には到底信じられない。
だが、目の前に並ぶ異様な光景が残酷なまでにソレを裏付けていた。
「カフェは……どこだ?」
力なく呟くと、遠くから足音が聞こえてくる。それはどんどん近づいて、扉がギィと重い音を鳴らして開かれた。
「トレーナーさん……おはようございます」
「カ、フェ……」
「見ちゃったんですね」
言葉とは裏腹に、彼女は何でもないような顔でクスリと笑った。だがその顔は、俺が知っているものとはかけ離れている酷く歪なものだった。
「これ、は……?」
「見ての通りです。私はアナタへの想いを捨てきれませんでした……アナタの知らない姿も、全部欲しかったんです」
「だからって、こんなことを……」
「こんなこと……?」
彼女は笑顔を一変させ、真顔でジッと俺の目を見据えてくる。 - 8二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:45:58
「私にとっては大事なことです。それに……アナタが悪いんです。私の傍からいなくなってしまうから。私を裏切ってしまうから」
「それは……」
「それに今日、私の誘いを受けなければ、もう二度とアナタと会おうとなんてしなかった。なのにまた私の前に現れて、あの頃と同じ顔を向けてきた……! どうしてですか! どうしてアナタは……!」
そこまで言うと、彼女は俺の横へと座り、俺の肩に顔を預けてくる。
「……アナタの事が好きなんですよ。もう……自分でもどうしようもないくらい」
俺は何も言うことができなかった。言えるはずがなかった。
「……ごめんなさい。私……おかしいんです……トレーナーさん。これが最後のチャンスです」
彼女がそういうと扉がまた重い音を立ててひとりでに開く。
「私を拒絶するのであればここから出て行ってください。もう二度と私はアナタに近づきません」
「――そうか」
重い足を動かし立ち上がる。ドアの前に立つと出口へ誘う様に黒い靄が揺れている。
ここから出れば俺たちは二度と関わることもないだろう。彼女は嘘を言わない。俺は、それをよく知っている。
ドアノブに手を掛けゆっくりと扉を閉めると、静寂がその場を包んだ。
「トレーナー……さん……」
彼女の声は、涙が混ざったようなものだった。
「カフェ、俺は――」
そして、ピリオドを打つように鍵がかかる音が闇に響いた。 - 9二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 01:47:02
終わりです。
読んでくれてありがとうございます。 - 10二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 06:09:24
年月が経っても変わらない両方片思いの丁寧な描写のほろ苦ストーリーかと思いきや、愛が重すぎるカフェのホラーテイストのトッピングだと…!?
良いぞもっと飲みたくなる! - 11二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 09:56:07
- 12二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 09:59:15
これあれだな。
原案カフェソウルマシマシな感じで良き・・・。 - 13二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 14:05:34
原案カフェっぽいかなとは書いててちょっと思いました
- 14二次元好きの匿名さん25/06/29(日) 23:53:21
この彼は心霊現象に悩まされているんだろうか