(SS注意)寝不足

  • 1二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:08:37

    「ふぁ……んん……っ!」

     不意に漏れてしまった欠伸。
     慌てて口を塞いでから、ちらりと目の前を覗く。
     そこでは、私のトレーナーがきょとんとした顔で、こちらを見つめていた。

     ────気の抜けた顔を、彼に、見られた。

     かあっと、熱くなる頬。
     顔を手で覆って悲鳴を上げたくなる衝動を抑えて、私は誤魔化すように笑顔を作る。

    「あっ、あはは、唔好意思、恥ずかしいところを見せちゃったわね」
    「いや、俺の方こそじっと見てしまってデリカシーがなかった…………ところで、まだ続いてるのか?」
    「……うん、早めに布団には入るようにしているのだけど、どうも寝付けなくて」

     心配そうに問いかけて来るトレーナーに対して、私は苦笑いで頷く。
     最近はどうにも寝つきが悪く、結果として夜更かしの形となり、十分な睡眠時間が取れていなかった。
     いわゆる、寝不足の状態。
     今現在はまだ欠伸程度で済んではいるけれど、このまま継続すれば更なる悪影響を及ぼすことが明白だった。
     トレーナーは私の話を聞いて、腕を組んで困ったように考え込む。

    「やっぱり、この間の徹夜作業が原因かな」
    「…………我都係噉諗、ごめんなさい、ただでさえ貴方にも迷惑をかけたというのに」

     ────先日、父の仕事の手伝いってポカをやらかしてしまった。
     トレーナーまでも巻き込んで夜通し作業をしたことで何とか事なきを得たものの、私自身はご覧の有様。
     申し訳なさと情けなさで、胸の奥が塗りつぶされてしまいそうになる。
     だけどそんな私に対して、トレーナーは柔らかな微笑みを浮かべて、言ってくれた。

  • 2二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:09:39

    「迷惑だなんて思わないよ、パートナーとして、ちゃんと手伝わせてくれて嬉しかったくらいだ」
    「……っ」
    「だから今回も、俺に出来ることだったら何でもするから、色々試してみようよ」
    「…………うん」

     トレーナーの言葉に、私はこくりと、素直に頷いた。
     ああ、何とも、まあ、単純なことだろう。
     あれだけ沈んでいたはずの気持ちが、もう、ちょっとだけ浮き上がってきていた。
     彼の言葉が嬉しいと、甘えてしまいたいと思っている、自分がいる。

    「こほん」

     そんな想いを振り払うように、咳払いをしながらスマホを取り出した。

    「この際だから色々と調べて、試してみましょう、良い睡眠は今後のためにもなるものね」
    「そうだね……ちなみに、今まではどんなことを試してみたの?」
    「嗯、枕を変えてみたり、リラックスティーを試してみたり、睡眠導入用のBGMなんかも試してみたわ」
    「なるほど、それじゃあ他のアプローチを────」

     そう言いながら、トレーナーは何か資料を取り出して、読み始めた。
     真新しいファイルに入った、かなり分厚い内容。
     …………もしかして、私のために用意してくれたのだろうか。
     そんなことを思いながら、私はスマホを起動させる。
     まず目に入るのは、たくさんの通知。
     メッセージなどに紛れて、睡眠の質を上げる食べ物や体操などの情報を並んでいた。
     恐らくは、最近睡眠不足について色々と調べていた影響だろう。
     その中のある文字列に────私は目を惹かれてしまった。

    「……心音、ASMR?」

  • 3二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:10:41

     ASMR。
     聴覚の刺激によって感じる、心地良い反応のこと。
     私は全くもって、これぽっちも詳しくないし興味もないのだけれど、聞いたことくらいはある。
     ただ、心音というのは、思考の虚を突かれたような気分だった。
     私の中でASMRといえば、言葉という印象。
     イヤホンから耳の中に響き渡るような囁き声は、まるですぐ傍に彼がいるような錯覚を覚えるほど。
     他にもちょっとした生活音なども定番なのは知っているが、心臓の音、というのは頭になかった。
     少しコメント欄を覗いでみれば、落ち着いた、良く眠れた、良かった、など絶賛の嵐、なのだが。

    「……真係?」

     どうにも、疑いの気持ちが出てきてしまう。
     知らない他人の心臓の音など、良いものなのだろうか。
     とてもじゃないけれど、そんな風に感じられるとは思えない。
     せめて、身近にいて、良く知っている人の心臓の音だったら話は別かもしれないけれど。

    「……クラウン?」

     気が付いたら、私はトレーナーの顔をじっと見つめていた。
     きょとんとした顔の彼の声が耳の中に入り込んで、鼓膜を優しく揺らし、頭の中をぞわぞわと刺激する。
     公私ともに支えてくれている、私のパートナー。
     いつも身近にいてくれて、お互いのことを良く知っていて、信頼できる相手。
     そんな彼の心臓の音だったら、どうだろうか。

  • 4二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:11:46

     知りたい、聞きたい、感じたい────胸の奥で、好奇心が疼き始めてしまう。

    「…………トレーナー」
    「ああ、なんか思いついた?」
    「一つ、試してみたいことが、あって、協力を、して欲しいのよ」
    「わかった、俺は何をすればいい?」

     真面目な表情で、聞き返して来るトレーナー。
     その純粋な瞳に見つめられて、出そうとしていた言葉は思わず引っ込んでしまいそうになる。
     けれど、心の底からの欲求を、私は抑えることが出来なかった。
     乾いた喉から絞り出すように、私はその要望を口にする、口にしてしまう。

    「…………貴方の、心臓の音を、私に聞かせて?」

  • 5二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:12:49

     どうして、こうなった。
     私は一人、頭の中で自問自答を繰り返していた。

    「これで、聞けるかな?」
    「……」
    「……クラウン?」
    「えっ、なっ、あっ、無問題! こっ、これならばっちり聞けるはずよ!」
    「そっか、それなら後は、キミのタイミングで」
    「…………ええ、そうね、麻煩你啦」

     トレーナーは、私のお願いを、快く受け入れてくれた。
     少し心配になるくらいの即決だったが、そのことは良かったと思う。
     そのこと自体は、良かったと思う。
     
     問題は、聞くための体勢にあった。

     心臓の音を聞く、という目的のためには、私の耳を彼の胸に近づけなければいけない。
     そして、そもそもは睡眠不足解消のためなのだから、リラックス出来る姿勢が良いだろう。
     なんなら、そのまま眠ってしまえるような状態がベスト。
     それらの条件を勘案して、全てを満たすことが出来ると判断した体勢が、今の状況だった。

    「……」

     トレーナー室の簡易ベッドの上。
     横になって、密着した状態で並び、お互いの身体。
     私は彼のお腹の辺りに顔を寄せるような形で、そっと身を寄せている。

  • 6二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:13:56

     客観的に言ってしまえば────トレーナーに、添い寝をしてもらっている状態だった。

     どうして、こうなった。
     何度、問いかけてみても、その答えが返ってくることはない。
     あるのは、目の前のトレーナーの温もりと、微かに香る匂いだけ。
     私は頬に熱を篭らせながらも、ちらりと、彼の様子を窺う。

    「……?」

     トレーナーは優しげな表情を浮かべたまま、首を傾げている。
     聞かないのか、そう言わんばかりに。
     なんと滑稽なことだろうか。
     そもそも私が望んだ状況なのに、この期に及んで私だけが尻込みしている。
     大きく、深呼吸。
     私は意を決して、彼の服をきゅっと掴んで、ぽふんとお腹へと顔を埋めた。

    「……ん、んんっ」

     瞬間、彼の匂いが、鼻腔から脳へと突き抜ける。
     柑橘系の爽やかな香水の匂い、清潔感のある石鹸の匂い、そして微かに香る汗の匂い。
     それぞれが、混ざり合った複雑な匂いだけれど、何だか、すごく、いい匂い。
     すりすりと探るように鼻先を擦れば、匂いは更に奥深く、濃厚になっていく。
     もっともっと嗅ぎたい、ずっとずっと嗅いでいたい、そんな風に思わせる魅惑の芳香。
     太好了……私、これ、かなり、好き、かも。

  • 7二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:15:00

    「えっと、クラウン?」
    「……はっ!?」

     トレーナーの困惑気味の声に、我に返る。
     いけない、トリップしかけて、本来の目的を見失ってしまうところだった。
     私は顔を彼のお腹に埋めたまま、ぴたりぴたりと耳を聴診器のように胸元にくっつけて、心臓を探る。
     そうしていると、匂いだけではなく、温もりや感触までもが私の理性を融かそうとしてきた。
     ぽかぽかとした暖かさ、引き締まって少しだけ硬い身体の触感。
     まるで彼の中に沈み込んでいるような心地を覚えながらも、私は必死に、目的のものを求めていく。
     呼吸が乱れて、身体が汗ばみ、神経が甘く痺れそうになりながらも、私は見つけ出した。
     彼の、心臓を。

    「……っ」

     とくん、とくん。
     規則正しく、ゆっくりと、静かに、その音は耳元で響いている。
     それはなんの変哲もない、肉体の生理的運動。
     音そのものは、トレーナーであれ、私であれ、赤の他人であれ、大差ないのだろう。

     だけど、妙に心地良い。
     
     とくんとくん。
     聞こえてくるのは、生命の証明。
     私の大切な人が生きて、血を循環させているのだという、確かな実感。
     当然のことのはずなのに、そのことが、すごく安心する。

  • 8二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:16:42

     それと同時に、私は少しばかり、不満を抱いていた。

     どくんどくんどくんどくん。
     耳元で響く鼓動よりも、騒がしく早鐘を鳴らす心臓の音。
     それは、私の胸の奥から鳴り響く音だった。
     トレーナーに添い寝してもらってることにより、ドキドキし続けている、私の心臓の音だった。
     私はこんなにも、緊張しているというのに────何で、彼の心臓はこんなにも穏やかなのだろうか。

     とくんとくん、どくんどくん。
     響き続ける不協和音。
     そのことが何だか悔しくて、私はついつい、子ども染みた対抗心を燃やしてしまう。
     まずは、彼の背中に手を回した。
     そして、ぎゅーっと、抱き着くようにしながら身体ごと密着させる。
     更には脚を絡めて、尻尾をしゅるりと巻き付けて、私の匂いや温もり、感触までも伝えるように。

    「クッ、クラウン……?」

     トレーナーの言葉が、少しだけ淀む。それを見計らって、私は再び耳を澄ませた。

    「……ふふっ♪」

     どくんどくんどくんどくん。
     私の胸からではなく、トレーナーの胸から鳴り響く、大きくて早い心音。
     それは彼が、私にドキドキしてくれているという、紛れもない証左だった。
     お互いの心臓の音が、一致しているような錯覚。
     そんなことが妙に嬉しくて、心地良くて、気持ち良くて、とっても幸せで。

    「好……好好…………♪」

     私は目を閉じて、そんな風に呟いてしまうのだった。

  • 9二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:17:52

    「…………ん」

     ぱちりと、目が開いた。
     意識はまだぼんやりとしているけれど、頭は妙にすっきりとしている。
     身体は毛布に包まれていて、頭にはいつの間にか枕が置かれていた。
     トレーナーの姿は、傍にはない。
     それを少し寂しく思いながらも、服からスマホを取り出して、時間を確認する。
     もう夜になってしまったのだろうか、それにしては窓から見える空は明るい気が────。

    「って朝ぁ!?」
    「あっ、おはようクラウン」

     慌てて起き上がると、デスクにいたトレーナーが暢気に挨拶をしてくる。

    「早晨……じゃ、じゃなくて! トレーナー! これはどういうイリュージョンなの!?」
    「ただの時間経過だけど……すごい気持ち良さそうに寝てたから、起こすのも悪いなと思って」
    「搞錯呀……? つまり、私、半日も寝てたの……?」
    「それだけ寝不足がひどかったんだろうね、でも効果があって何よりじゃないか」
    「それは、そうかもしれないけど」
    「外泊届とか寮への連絡はしておいたから安心してくれ……あっ、丁度珈琲淹れたところなんだけど飲む?」
    「……ブラックでお願い」

     私の言葉に、トレーナーは笑顔で頷く。
     しばらくしてからマグカップを二つ持って、私の隣へと腰掛けた。
     昇り立つ湯気からは、特有の芳醇な香り。
     彼から珈琲を受け取って、すっきりとした苦みとコク深い味わいで口の中を満たす。
     そうして落ち着きを取り戻した私は、ふと浮かんできた疑問を口にした。

  • 10二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:18:54

    「……私が寝ている間、貴方はどうしていたの?」
    「…………ちゃんと家に帰ってたよ?」
    「嘘ね」
    「うっ」
    「目の下に隈が出来てるし、昨日よりも匂いも濃くなってるわよ」

     ────第一、貴方が私を置いて帰るわけがないじゃない。
     そんなことは、さすがに口にはしなかったけれど。
     トレーナーは観念したように、苦笑を浮かべた。
     ここにあるまともな寝具は、私が使っていた簡易ベッドのみ。
     つまり、彼は椅子か何かで睡眠を取っていたか、あるいは殆ど眠っていないか。
     私は大きくため息をつきながら、ジトっと彼を見つめる。

    「私の寝不足が解消できても、貴方が寝不足になったら本末転倒じゃない」
    「あはは、そうだね……ふあ…………んん、失礼」
    「……もう」

     欠伸を噛み殺すトレーナーの顔には、後悔の色はない。
     私の役に立てて良かった、そんな想いをひしひしと感じる表情だった。
     しかしながら、この様子だと私の予想は後者だったよう。
     これは、彼をすぐに寝かしてあげなくてはいけない。
     ────どくんと、私の心臓が高鳴った。

  • 11二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:19:59

    「……トレーナー、ぐっすりと眠る方法があるのだけど、試してみない?」
    「それは気になるけど、そんな方法があるなら自分で試せば良か────」

     トレーナーが言葉を詰まらせる。
     その方法は、彼も良く知っている方法だから。
     そして、その効果のほどは、ばっちり実証済みなのだから。

    「交俾我啦……私がしっかりと、貴方を寝かしつけてあげるから」

     両手を伸ばして、トレーナーの後頭部にそっと触れた。
     息を詰まらせ、目を大きく見開いた彼の顔を正面から見据えながら、私は微笑みを浮かべる。
     そしてゆっくりと彼の頭を胸元へと寄せながら、耳元で囁くように言葉を紡いだ。

    「────I'm confident♪」

  • 12二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:21:42

    お わ り
    クラちゃんのASMRください

  • 13二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 02:23:56

    こんな時間に良作をお出しするな
    埋もれるやろ

  • 14125/06/30(月) 08:19:51

    >>13

    クラちゃんの魅力が埋もれることはないからよ…

  • 15二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 08:23:09

    Cygamesはクラトレ心音ASMRを発売しなさい
    快啲!

  • 16二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 12:21:59

    クラちゃんのASMR初心者アピール草

  • 17二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 12:55:16

    >>16

    これが前日譚かもしれないだろ!

    ここからトレASMRにハマってくのはアリだと思います

  • 18二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 13:19:48

    クラちゃんがトレーナーASMRにハマるなんて酷い風評被害だな

  • 19二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 14:06:37

    はー素晴らしい
    永久保存ですわこれは

  • 20二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 15:14:36

    すっげ…すっげ…
    これ過去スレにしたらダメだよ…どっかに残して…

  • 21二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 15:19:41

    >>20

    この人渋にも上げてるからそっち見るといいんじゃない?

  • 22二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 15:54:35

    これ、忙しくて睡眠不足になるたびについついお願いしちゃう(たまにのことだしクラウンの体調が第一だからトレーナーも受け入れちゃう)パターンじゃないなかな。

    そういえば、クラウンがトレーナーの匂いを感じられるということは、自身の匂いも嗅がれてしまう可能性もあるということなのだけれど、クラウンがそれに気づくのはいつになるのだろうか。

  • 23二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 16:46:30

    >>17

    ASMRに興味は無いのにASMRといえば言葉で

    すぐ傍に彼がいるような錯覚?妙だな…

スレッドは7/1 02:46頃に落ちます

オススメ

レス投稿

1.アンカーはレス番号をクリックで自動入力できます。
2.誹謗中傷・暴言・煽り・スレッドと無関係な投稿は削除・規制対象です。
 他サイト・特定個人への中傷・暴言は禁止です。
※規約違反は各レスの『報告』からお知らせください。削除依頼は『お問い合わせ』からお願いします。
3.二次創作画像は、作者本人でない場合は必ずURLで貼ってください。サムネとリンク先が表示されます。
4.巻き添え規制を受けている方や荒らしを反省した方はお問い合わせから連絡をください。