- 1二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:20:47
「うーん」
昼過ぎのトレーナー室。椅子の背もたれに体を預けながら最近の悩みの種について考えていた。
注がれた珈琲を一口啜り目を落とすと、手に持ったマグカップには可愛らしいリンゴのデザインが施されている。
成人を超えた男が持つソレとしては少々……いや、かなり不釣り合いではないだろうか?
それに、壁に掛けられた時計もだ。
赤を基調としたデザインで、盤面にはリンゴを模したキャラクターが描かれている。
なんとも気の抜けるような表情をしているが、どうやらなにかのマスコットキャラらしい。当然こちらも自分のイメージに沿うものではないだろう。
それだけではない。ペンも、メモも、ハンカチも。日常生活で使うあらゆるものがそういうデザインになってしまっていた。
なぜそんなものを使っているのかというと、これらは全て担当であるシオンが渡してきたものだからだ。
曰く「トレーナーさんにはあたしと一緒の物を使って欲しいっす! あたしたち、一心同体っすから!」とのことだった。
これまで二人三脚で歩み、信頼を深めてきたという実感が湧いて嬉しかった。――はじめの頃は。
だが最近は手袋や帽子などの衣類や、ティッシュや歯ブラシといった消耗品までも彼女と同じものを渡してくる。
正直言って過剰だとは思うのだが―― - 2二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:21:53
「でもなぁ……」
受け取るのを渋ると「迷惑だったっすよね……」と悲しそうな顔をするし。
貰ったものを使っていないと「使ってくれないんすね……」と、これまた悲しそうな顔をするし。
担当にそんな顔をされて断れるトレーナーが果たして存在するのだろうか。
そうやって頭を悩ませていると部屋のドアがノックされた。そのまま勢いよく開かれると、元気な声がトレーナー室に響いた。
「トレーナーさん、おはようございます!」
「おはよう、シオン」
シオンの手にはバンダナに包まれた弁当箱が2つ握られていた。ここの所毎日俺の分まで弁当を作り、こうやってトレーナー室まで持ってきてくれる。
もちろん自分から頼んだ訳ではないのだが、毎日カップ麺や惣菜といった質素な食事を続けているのをシオンに注意されてしまい、それ以降ズルズルと食事を彼女に管理されてしまっているのが現状だ。
「今日もお弁当作ってきたっす!」
「いつもありがとう。でも……毎日大変じゃない? 俺の分まで作ってくれなくてもいいんだよ?」
「いえ、あたしがやりたくてやってる事っすから。それに、トレーナーさんにはあたしの作ったものを食べて欲しくて……」
耳をピコピコさせながら恥ずかしそうに笑う彼女を見ていると、なんだかこちらまで照れくさくなってしまう。
それを誤魔化すように包みを開け、並べられたおかずを一つずつ口の中へ運んでいく。
ウインナー、卵焼き、マカロニサラダ……いつも通りどれも凄く美味しい。いや、それどころか日に日に腕が上達しているのが舌で分かる。
「うん。また一段と美味しくなってる、流石シオンだね」
「え、えへへ。そう言われるとなんだか恥ずかしいっすけど……ありがとうございます、嬉しいっす!」
そう言うと彼女も自分の分を食べ始め、談笑を交わしながら箸を進めていく。いつもと変わらない風景。
が……気になることが一点。 - 3二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:22:55
「スンスン……」
シオンが先程から鼻を動かし、何かの匂いを嗅いでいるようだった。時折難しい顔を浮かべているように見える。もしかして、ちょっと汗臭かっただろうか?
「スンスン……」
「あの、シオン?」
「なんっすか?」
「いや、汗臭いのかと思ってさ……ゴメンね」
「ち、違うっす! そうじゃなくて、その……」
彼女はなんだか不安げで、疑心を抱いたような表情を浮かべる。そうして一つ息を飲むと、意を決したように口を開いた。
「なんだか今日のトレーナーさん、いつもと違う匂いがするなーって……」
「違う匂い?」
「はい、なんていうか……甘酸っぱいというか、柑橘系の香水みたいな……とにかくいつもと違うんすよ」
自分の体を嗅いでみるがいつもと違うかは正直分からない。というかシオンは嗅ぎ分けられているのか?それはそれでなんだか気恥ずかしいのだが……
「気のせいじゃない? 特に何もしてないはずだけど」
「……ううん、絶対違うっす。なんか隠してるっすか?」
……口をへの字に曲げてこちらを睨むシオン。何故だか疑われてしまっているようなので目を閉じてもう一度今日の行動を思い返してみると、一つだけ心当たりがあった。 - 4二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:23:55
「あー……そういえば、今日トレーニングの依頼があって見てあげた中等部の娘がいたけど……」
「……そうなんすね。どのくらい見てあげたんすか?」
「2時間くらいかな。まだ契約も決まってない娘だったから付きっきり見てあげたよ」
「へぇ……」
と、思い当たる節を話してみたものの……なんか、ちょっと怒ってないか?思い違いでなければ、耳を思い切り絞っているように見えるんだが……
「……体に触ったりしたっすか?」
「えっ?」
「だって、一緒にいただけじゃそんなに匂いは付かないはずっす」
「あ、えーっと……それは……」
「ふふ、あたしたちに隠し事はなしっすよね?」
シオンは手に持った弁当箱を歪ませながら、笑顔をこちらに向けてくる。目の奥は全く笑っていないが。
「その。なんというか、抱きつかれた覚えは……ある」
「………………は?」
白状した瞬間に空気が震えるのが分かった。彼女の怒気を含んだオーラが体中を刺激する。
「どういうことっすか、トレーナーさん。意味が分からないっすけど」
「違うんだシオン。これには理由があって……」
「理由?言い訳の間違いっすか?抱きしめられたんすよね?は?あたしだってしたことないのに」
シオンは両目をこちらに向けたまま、息継ぎもせず淡々と言葉を吐き出し続けている。 - 5二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:24:56
「ちょっと待って、聞いてく」
「なんで?なんで?なんでっすか?あたしのトレーナーさんっすよね?なのにどうしてそんなことするっすか?」
「シオ」
「おかしいっす。不敬罪っす。ふざけてんのか?」
オルフェーヴルにすら見せたことのないほどの怒りに満ちた今の姿。完全にこちらの言葉に聞く耳を持ってくれそうにない。
「絶対に許せない」
そう言うと彼女は突如立ち上がり、俺を押し倒すような姿勢で抱きついてきた。
「し、シオン……!頼む、落ち着いてくれ」
服越しのはずなのに、爪が皮膚を深く刺してくるのが分かる。
「落ち着いてられるわけないだろ。ふざけてんのか。クソッ!クソッ!クソッ!中等部のガキがトレーナーさんに色目使ってんじゃねえぞ!」
見たこともない顔の彼女に怯えることしかできない自分が情けないが、余計なことを言うと逆効果になってしまう可能性があるので尚更口を開けない。 - 6二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:25:59
「トレーナーさんの主役はあたしなんだ!あたしの主役はトレーナーさんなんだ!奪おうとしやがって!クソガキッ!」
手の力を強め続ける彼女。胸に当たるソレが、ドクドクと高まり続ける彼女の鼓動をリアルタイムで伝えてくる。
「あたしの匂いで上書きしてあげるっす。トレーナーさんは大人しくしてればいいっす。全部あたしと一緒にしてあげるっすから!全部、全部、全部!トレーナーさんとは全部一緒がいいっすからッ!」
彼女は息を荒くし、そう囁いてくる。その姿は恐ろしいと同時にやけに妖艶なものでもあった。
「住所も、戸籍も、苗字も。全部一緒にするっすから。あたしから逃げられると思うなよ」
彼女が目を光らせながら首筋に口を近づけようとする。刹那、無意識に口から言葉が零れ落ちた。
「ま、待ってくれ!俺の好きなシオンは……主役は!こんなんじゃない!」
冷気に当てられたかのように彼女の動きが止まった。
「……」
「シ、シオン?」
「トレーナーさん……ご、ごめんな……ごめんなさい……あたし……あたしっ……!」
その後、泣き出す彼女を無言で宥めながら落ち着くのを待った。手に巻きつけられた尻尾を緩めて貰うのに時間は掛かったが。 - 7二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:27:00
▲▽▲
「あ、あたしのファン……?」
「そう。トレーニングが終わった後に俺がシオンのトレーナーって気づいたみたいでさ……感激されて一瞬抱きつかれたかと思ったら、数十分くらいシオンの魅力を講釈されたよ。聞いたらシオンに憧れてこの学園に入った娘だったみたい」
「そ、そうだったんすか……」
彼女は耳を垂らしながら、ようやく俺の弁明を聞いてくれた。まぁ、俺も彼女にシオンの魅力を語り尽くしたが恥ずかしいのでそれは言わないでおこう。
「その、本当にごめんなさいっす……!」
「いや、俺も悪かったよ。先に言っておくべきだったし、過度なスキンシップだったと思うから」
彼女は気まずそうにしながら、小さく頷く。
「……っす。今度からは、他の人とそういうスキンシップとかやめて欲しいっす。トレーナーさんは、あたしのトレーナーさんっす、から……」
恥ずかしそうにしながら言葉を吐き出す彼女に、俺も頷くことしかできない。
無言でゴソゴソと鞄に手を入れると、彼女は掌ほどのボトルを取り出しこちらに渡してきた。 - 8二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:28:16
「これは?」
「あたしが使ってる香水っす。トレーナーさんにも、その、使って欲しくて……」
「ああ、分かった。ありがとうシオン」
彼女は満足そうに笑って立ち上がる。その顔はいつも通りのものだった。午後の始業を知らせるチャイムが鳴ると彼女は立ち上がり、また後でと簡単な挨拶を済ませてドアの前へ立つと、深呼吸をしてまたこちらへ向き直してきた。
「その、トレーナーさん」
「どうしたの?」
「さっき……全部一緒にするって言ったの……あれ、本気っすから!」
「……うん」
「えへへ……じゃあまた後で!トレーナーさん!」
手を振る彼女の姿は、なんだかいつもよりも煌めいて見えた。
その姿を見送ってから、もらった香水を首筋に振りかける。――ああ、確かにこれはシオンと同じ匂いだ。
つい先ほどまで考えていた悩みの種はすっかり頭の中から抜け落ちて、俺はまたデスクへと向き直した。 - 9二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 21:29:42
終わりです。
読んでくれてありがとうございます。 - 10二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 23:22:10
寝る前に上げときます
- 11二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 23:23:50
このレスは削除されています
- 12二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 23:25:14
激重ヤンデレ気味シオンもイイね!
- 13二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 23:27:53
このレスは削除されています
- 14二次元好きの匿名さん25/06/30(月) 23:32:45
このレスは削除されています
- 15二次元好きの匿名さん25/07/01(火) 00:03:21
病んだ病んだ病んだ病んだ地雷ドッカーン!
したシオンで眠気吹き飛んじゃったよ… - 16二次元好きの匿名さん25/07/01(火) 05:52:27
- 17二次元好きの匿名さん25/07/01(火) 09:23:24
これはもう逃げられそうにないですね…