- 1テルテルボウズ25/07/05(土) 10:18:27
SSスレです。
前回書かせていただいてから一週間くらい間が空いてしまいましたので、おそらく皆さま初めましてだと思います。
稚拙かもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
一応、以前はこんなものを書かせていただいてます。
【SS】だからこの場所を【月村手毬】|あにまん掲示板SSスレです。スレ1つ立てるくらいに書くのはこれが初めてのため、不出来なところもあるかと思いますがご容赦ください。稚拙かもしれませんが、どうぞ最後までお付き合いいただければ幸いです。bbs.animanch.com【SS】想いを言葉にして【紫雲清夏】|あにまん掲示板SSスレです。過去に一作だけ書かせていただきましたがまだまだ経験浅いので、拙い文ですがご容赦ください。一応こちらが過去作です。これで貼れるんですかね。https://bbs.animanch.com/…bbs.animanch.com【SS】信じてくれる人が【藤田ことね】|あにまん掲示板SSスレです。一日ぶりになります。いつものように拙い文ですが最後までお付き合いいただければ幸いです。今回は、自分の勝手な解釈やクサめの展開が含まれると思います。そういうのが苦手な方おられましたら、ご注…bbs.animanch.com自分の都合ですが今回はゆっくりめに投下させていただくので、長くなるかもしれませんがのんびりお付き合いいただければと思います。
- 2テルテルボウズ25/07/05(土) 10:19:43
「美鈴。隣、いい?」
自身の優勝で幕を閉じたNIAから暫くたったその日は、とても良い天気で、日差しは適度に暖かく、それでいて程よく風が吹くものだから日陰にいればそれが暑さに切り替わることもない日で。
とどのつまり秦谷美鈴にとって、その日はこれ以上ないほどの「お昼寝日和」であった。
初星学園の中にいくつも見つけてあるお昼寝スポットの中でも、特に今日のような日に向いているのが中庭のベンチで、だから当たり前のように、その声がするまで彼女は微睡んでいたのだ。
「ええ、もちろん。ですが……ここでのお昼寝仲間としては、ちょっと珍しいですね。篠澤さん」
目を開けるのと、腰かけていたベンチにとても軽い揺れが一度あるのは同時で、美鈴は答えながら視線を横に向ける。
隣に腰かけていた友人は、記憶間違いでないのなら今日、千奈や佑芽と一緒にダンスレッスンだったはずだ。
実はそこに自分も含まれていたのだが、そこは当たり前のようにサボるつもりでいたので特に美鈴自身は気にも留めない。
何せ今日は晴れなのだから。自身のプロデューサーとの「約束」を考えれば別に悪びれることもない。美鈴的には筋の通った理屈のつもりだ。他の誰に通じるかはともかく。
「わたしはちゃんと参加した、よ。ただ、今日はレッスン前に歩き回っちゃったから」
「……? ああ、体力が尽きてしまったんですね」
「そう。トレーナーから、美鈴を探すついでに少し休んで来いって、言われちゃった。だからわたしはサボりじゃない、合法」
「まあ、酷い。まるで人を無法者みたいに」 - 3テルテルボウズ25/07/05(土) 10:24:49
微笑みながら言う広をよく見てみれば着ているのはレッスン着だし、確かに少し顔色が悪くて髪も少し乱れている。そういうことならどうぞ、と美鈴が自身の膝を差し出すと、特にためらいもなく広はそこに頭をのせて横たわった。
もともとこういう時に躊躇うタイプでもないのはそうだが、倒れこむようなその勢いを見るに口調の印象以上に体は疲れ切っているのだろう。
絹糸のような、という言葉がこれほど似合う事も無いだろう、細く柔らかな髪をそっと撫でながら、ふと妙だなと思う。
「……それにしても今日は、随分と疲れているんですね」
篠澤広の体力がどうしようもなく低いのは今も変わらないが、それにしたって最近はかなり改善されてきている。
ままならなさを楽しむ彼女は少しだけ物足りなさげだが、少なくとも少し歩き回った程度でダンスレッスンにストップがかかるほどかと言われれば、さすがにもう違うはずだ。
そう思い尋ねると、やはり広も小さく頷いた。
「少し、気がかりな事があって、確かめたかった」
「気がかりなこと、ですか」
「うん。気付いたのが昨日の夜で、けれどなんの確証も無かった。レッスンまでにちゃんと確認しておきたかったし、美鈴がどう思ってるかも確かめたかったから……歩き回ったというのは実は正確じゃない。ちょっと走った」 - 4二次元好きの匿名さん25/07/05(土) 10:30:01
おお、あなたか!
髪の毛を長くして待ってたよ! - 5テルテルボウズ25/07/05(土) 10:30:54
まあ、と言いながら眉間に少し皺が寄る。
広が走り回った、というのもまあ驚きではあるのだが。美鈴がどう思っているか、というその言い回しはなんだろうか。
「まるで、わたしに関わる何かで、篠澤さんが走り回る羽目になったように聞こえるのですが」
「…………。ごめん、失言だった。美鈴のせいにしたり、逆に何かの恩を着せたいわけじゃない」
「そんな風には思っていませんよ。ただ……何があったのかなと、思っただけです」
うららかな日差しと、それを過剰には浴びずに済む日陰と、頬を撫でる風と。箱庭のような楽園のような居心地のよいお昼寝スポットにいながら、まるでもうすぐ嵐が来るかのように胸がざわつく。
それが嫌で、できることならこの予兆を取り除いてしまいたくて、だから問いかけたのに、返ってきたのは沈黙と、トパーズのような瞳が少しだけ陰るような、困惑の揺れだった。
何かを、迷って、そうして。
「多分、わたしの取り越し苦労。美鈴が元気そうならそれでいい」
「え、あの、篠澤さん?」
言うなりゆっくりと起き上がった広がそう告げて、歩き去ろうとするのを美鈴は慌てて呼び止めた。
立ち上がって、三歩。困惑のまま立ち上がらずにいる美鈴の手では届かないところで足を止めた広は背を向けたまま、
「一応、美鈴はわたしと似たタイプだと思うから、心配だった。もしわたしの言うことが気になるなら、美鈴のプロデューサーのこと、少しだけ労わってあげて」
そう告げた。そうして、どういう意味だろうと考える美鈴を待つことなく、広は足早に立ち去ったのだった。 - 6テルテルボウズ25/07/05(土) 10:39:04
***
そんな広の言葉から三日経った日の夕方、美鈴は天川市の少し大きな公園で開かれるトークイベントに来ていた。
もちろん出演者として、である。
なにせほんの少し前にNIAで優勝したことはそれを知る人々の記憶に新しく、話題として人の目を集めやすいものだから、こういったイベントに今の美鈴は引っ張りだこなのだ。
NIA期間中であればむしろ有名なアイドルにインタビューをする側として、美鈴自身の考えとしてはともかく世間の認識としては「相手の胸を借りる立場」だったものだが、今は完全に逆の役割であった。
その日のイベントも、同じ初星学園に所属していて、最近プロデューサーがついたばかりというアイドル科の生徒が美鈴に色々とインタビューをする、という流れになっていた。
大体どんな話題を投げられるのか、登場からイベント終了までの段取りはどうなっているのか、といった辺りをいつものように美鈴のプロデューサーが準備してくれている、はずだったのだが。
「お疲れ様です、秦谷さん……すみません、トラブルだらけになってしまい」
「あれくらいなら、問題ありませんよ。ユニットを組んでいた頃に比べれば可愛いものですし、プロデューサーさんが謝ることでは」
イベントが終わって特設ステージの裏に戻ってくるなり謝るプロデューサーに、美鈴は穏やかに微笑んで、けれど少し首を傾げるようにして見上げながら答えた。 - 7二次元好きの匿名さん25/07/05(土) 10:39:47
新作うれしい😊
- 8テルテルボウズ25/07/05(土) 10:45:22
確かに、プロデューサーが謝りたくなるのも仕方がないと言えるような結果だった。
最初に渡されていたマイクは故障していて音が出ない、直前までは確かに無かったはずの汚れが衣装の目立つところにあって予備の衣装探しに奔走する、事前に打ち合わせでプロデューサーから伝えられていた質問内容と実際のものが全く違うなどの、致命的でもないが無視もできないといった塩梅のトラブルが美鈴の数えただけで四つ。
美鈴自身のアドリブで上手く誤魔化せていたが、トーク中もステージ裏がざわつく気配があったので、美鈴の意識していないところでもいくつかあったのだろう。
何とか上手くいったものの、これはスタッフか、もしかすると向こうのプロデューサーやアイドルが不慣れだったせいだろうか、などと思っていた美鈴だったのだが、プロデューサーはその考えに対して首を横に振った。
「あとから資料を確認しなおしたところ、俺の持っていたものが古かったようです。質問の件は確実に俺の落ち度だ。マイクも、あれを渡したのは俺ですし……」
「プロデューサー、落ち着いてください。終わり良ければ……という言葉もあります。少なくとも、ファンの方々にトラブルはほとんど伝わっていなかったように思いますよ」
「ですが」
「どうしても気になるというのであれば、今度一緒にお昼寝しましょう。きっと、疲れているんです。特に最近は忙しいですし」
なおもなにか言いたそうだったプロデューサーだが、美鈴の笑顔に少しだけ圧があるのを感じとったのだろう。結局少し迷って、頷いてくれた。 - 9テルテルボウズ25/07/05(土) 10:48:50
よし、と美鈴はむしろ内心で大満足である。この機会に、疲れているのだから休んで欲しいとかなにか理由をつけて徹底的にお世話をしてあげなくては。
そう思いつつ、共演したアイドルやスタッフにも挨拶してくることを告げてプロデューサーと離れて。
何人かのスタッフには「機転が効いて助かった」などと感謝され、共演したアイドルには「お互い大変でしたね」などと苦笑いされ――その時の相手の目になんだか少し、気に入らないものを感じつつ、プロデューサーのところへ戻ろうとして。
「よう、やっぱり噂の通りなんだな、秦谷美鈴ん所のプロデューサー。いや、ナマケモノ野郎って言った方が正しいか?」
そんな、耳を疑うような言葉を聞いた。
――今のは、さっき挨拶したアイドルの担当プロデューサーさんでは?
イベント前の顔合わせて声を聞いていたので、その事がすぐにわかって、美鈴は足を止める。
距離は近いが、ちょうど今の位置なら音響機材などが壁になって、お互いの姿は見えていない。後片付けのざわめきの中でも、耳を済ませれば、話の盗み聞きはできそうだった。
どういう意味でしょうか、と問い返すプロデューサーの声が、自分に向けられるどんな時の言葉よりも硬く冷たい氷のようで、聞いているだけで反射的に美鈴は身震いする。
「どうもこうもないだろ。なんだ今日の体たらくは。衣装もマイクも段取りも、全部お前の確認不足。未熟さが原因じゃないか。担当アイドルが優秀だといいよな、お前自身が未熟でも勝手にカバーして成果も出してくれるんだから」
「……ああ、それでナマケモノ呼ばわりですか。俺が、優秀な担当アイドルの存在に胡座をかいているとでも?」 - 10テルテルボウズ25/07/05(土) 10:53:40
「少なくとも俺にはそれ以上に酷く見えるな。担当アイドルのことを全然躾られててないだろお前」
躾、ですか。吐き捨てるような自身のプロデューサーと同じように、美鈴も物陰で少し目つきを鋭くする。
まるでサーカスの動物を指すみたいなその言い回しは、それだけで相手を気に入らないと感じるに足る理由だと、聴きながら美鈴は思った。
「今プロデューサー科の間じゃ有名だぞ。なまじ才能だけはある問題児のおかげで、自分は何もしてないくせにNIA優勝アイドルを担当してるからって分不相応な評価を貰ってるってな」
「……秦谷さんが飛び抜けて優秀なアイドルだと言うのは否定しませんよ、事実です」
「お前みたいなやつが手に余らせてると、その優秀なアイドルの才能を腐らせることになるぞって、俺は忠告してやってるんだよ。授業もレッスンも真面目にやらない担当アイドルを叱る事もできない、突っ立ってるだけの無能め」
人は頭に一気に血が上る時、ごうごうと嵐が吹き荒れているような音を耳元で聞くのだと、この時美鈴は初めて知った。
何かを考える余裕もなく、ぐっと両手を握りしめて、止めていた足を前に踏み出そうとして、
「すみません、秦谷さんのプロデューサーさん。さっきのマイクの件と、機材についてちょっと相談がありまして」
物陰の向こうから三人目の声が聞こえて、はっと我に返る。動き出すほんの一瞬前に踏みとどまり、声を聞いているとそれはどうやらイベントのスタッフらしかった。 - 11テルテルボウズ25/07/05(土) 11:05:14
***
「――で、今日は珍しく曇りでもないのに真面目にレッスンに来たなと思ったら……秦谷、お前レッスンはついでで、目的はこっちだな?」
ダンスレッスンが終わった直後のことだった。レッスンが終わるなり美鈴は汗をふくでも髪を整えるでもなく、聞きたいことがありますとトレーナーを呼び止めていた。
窓の外をちらりと見れば、窓を叩く大粒の雨が滝のように降り注ぐ。今日は朝からずっとこの天気だ。
晴れの日と雨の日はお昼寝をして、曇りの日ならまあレッスンをしてもいい――というのがプロデュース契約を結ぶ際に交わした美鈴とプロデューサーとの約束だったので、トレーナーが驚くのも、彼女の普段を知っているものなら皆納得の事であった。
「ふふ……すみません、トレーナー」
「上辺だけでも否定しておくとこだぞ、ここは……まあ構わんがな。随分切羽詰まっているようだし、そもそもお前の聞きたいことは何となくわかる。お前のとこのプロデューサーの話だろ」
さらりと言い当てられて、そのことに驚かなかったといえば嘘になる。それと同時に、それほど話が顕在化していたのだということを改めて思い知った。
思えば少し前に、広が何やら引っかかる事を言っていたのも同じことなのだろう。そう考えて、柄にもない、かつて組んでいたユニットのリーダーのような舌打ちをしそうになる。
一日の休みの間に、少しだけと思って時間を作り、自分なりに調べた。広が「少し走った」と言っていたのと同じように、あちこちを駆け回り、そうして「なんで今まで気にもしなかったのか」という自分への苛立ちと共に確信に至ったことがある。 - 12二次元好きの匿名さん25/07/05(土) 11:23:04
「正直もう少し早く来るか、あるいは逆に最後まで気付かないままかとも思っていたがな。多分お前の思っている通りだ、秦谷」
そこでトレーナーは言葉を区切り、他に誰も居なくなったレッスン室から、扉の向こうをちらりと見る。
他に誰も見ていないか、聞き耳を立てていないか。
「もう大学生のやつにこの言い回しが適切なのかは私も自信が無いけどな。少なくとも傍から見ていて表現するなら、だが……秦谷、お前のプロデューサーはな」
おそらくイジメをうけている。
その答えは、美鈴が確信したのと同じものだった。
「悪評、仕事や講義の妨害、他にも色々……さすがに直接的な暴力なんかはないようだが、まあ全部把握出来てるわけじゃない。言っているのは同じプロデューサー科のごく一部のはずだが、こういう話は広まると便乗する奴がいるからな……」
「何か、原因は」
「ああいうのに原因とか、正当性のつきそうなもんがあるわけないだろ」
「では言葉を変えればよろしいですか? トレーナーさん。わたしのプロデューサーはどうして目をつけられたんですか。付け入る隙はどこにあったんですか」
問いかけながら、けれど美鈴はなんとなく答えがわかるような気がしていた。先日の、トークイベントで美鈴のプロデューサーを詰っていたあの男。その言葉のいくつかが、その予感のヒントだ。
――お前みたいなやつが手に余らせて。
――担当アイドルを叱る事もできない。
本当に知らないだけならいい。嘘をついて、もしはぐらかすのなら、それが美鈴の予想に対する答え合わせだ。 - 13テルテルボウズ25/07/05(土) 11:41:59
「……まったく、何も教えなかったら何しでかすかわからんから教えるべきは教えてやったが、私らだってそこまで把握してるわけじゃないんだよ。あさり先生も動いてるし、職員の間でももうこの件は問題視されてる。近いうちに学園のほうでちゃんと解決しておくからこれ以上気にするな。今日みたいに毎日レッスンに出てお行儀よくしていればそれでいいんだ、お前は」
嘘をついた。顔色で、声音で、それが間違いないとわかる。おまけに駄目押しで口を滑らせた。毎日レッスンに出てお行儀よくしていれば、解決する問題なんだと。
「わたし、なんですね?」
「……何を言い出すんだお前は」
「トレーナーさん。お願いします。今これ以上嘘を、吐かないでください」
しばらくの沈黙。誤魔化すのも無駄だと諦めたようで、間を開けてからトレーナーは舌打ちを一つした。
聞く覚悟があるんなら言ってやろうか、という前置きで、やっぱりと確信して頷く。
予想通りなのだとしても――否、予想通りなのだからこそ、美鈴にはこれを聞く義務がある。
「秦谷。確かにお前のペースで成果は出ている。だがレッスンや授業に対する素行は改善されず、プロデューサーが付いたことで少しはいい方向に変わるかと思えばそこについては何の変化もなしと来た。秦谷自身がもともと優れているから成果が出ているのであって、その素行を改善させられないプロデューサーはただその才能にぶら下がっているだけ……なんて陰口は少し前からあったんだよ。NIA優勝で注目度が跳ね上がって、その陰口が増えたのが今。それだけのことだ。……これ以上は本当に何も教えようがないんだ」
これで納得したか、と問われて、美鈴は俯いたまま小さく、はいと返す。
はい以外に返せる言葉は思いつかなかった。 - 14テルテルボウズ25/07/05(土) 12:14:43
「だからさっきの話だ。教員側がなるべく藪蛇にならんよう沈静化させようと動いてるのは本当で、この状況でお前ができることは本当に何もない。お前とお前のプロデューサーの経歴に嫉妬してるやつ相手に文句言う口実を与えるんじゃない」
「けれど、わたしが原因なら、わたしにしかできない事も何かあるのでは……」
「お前が直接何かすれば逆効果だ、と言ってるんだ。どうしても何かしたいなら、形だけでもいいからレッスンに出ろ。プロデューサーの影響で少しは優等生になったって体裁が作れたら、それだけで陰口の根拠が減るんだからな」
――そうですね。そう、させてもらいます。
やっとのことでそう声を出し、レッスン室から出る。
くれぐれも早まったことをするな、と再三釘を刺したトレーナーに背を向けて、扉を閉めて、普段なら考えられないほどの早足で美鈴はその場を立ち去った。
窓の外をちらりと見れば、窓を叩く大粒の雨はなおも健在。
けれどその雨音はもう、美鈴の耳には届いていなかった。 - 15二次元好きの匿名さん25/07/05(土) 13:05:57
このレスは削除されています
- 16テルテルボウズ25/07/05(土) 13:07:12
***
「美鈴。ねえ、ちょっと美鈴?」
「…………あら?」
何度か名前を呼ばれて、肩まで軽くゆらされて、それでようやく我に返る。
目の前に、美鈴の顔を不安そうに覗き込む、大切な幼なじみである月村手毬の大きな瞳があった。
今何をしていたのだっけ。彼女は何を話していたのだっけ。何とか記憶を辿れないかと直前のことを思い出そうとするが、どうにも判然としない。
思考もぼんやりとしていて、自分自身とそれ以外の世界を隔てるように、夜霧にぐるりと包まれてしまったような感覚は、これまでに生きてきた中で初めての経験だった、
「……すみません、少し、うとうとしてしまって。どうしました、まりちゃん?」
「うとうと……って、本当に大丈夫? 最近お昼寝してる姿、急に見かけなくなったけど」
「まあ。お昼寝ばかりしていたら拗ねるのはまりちゃんのくせに。大丈夫ですよ、さっきはほんの少しだけ気が緩んでしまっただけですから」
「……なんか、あんまり大丈夫そうじゃないけど……話戻すけど、明日の予定、何かあったかな、って」
おかしい。話しながらその違和感にすぐ気づいた。いや、手毬がどこか妙という訳ではなく。
少し口ごもっていても満面の笑みでも拗ねたような顔でも、手毬の表情を見て言葉を交わしていれば普段はそれだけで体中の疲れが溶けてなくなるように癒されていたはずなのに、今日は何故かそれがない。
疲れは相変わらず疲れとして美鈴の体にまとわりついて、まぶたがいつもより少し重たいままだった。
「確か……明日は、ボーカルレッスンと、ダンスレッスンがあって……」
「あのね、美鈴。今から私、すごく私らしくない事言うよ。…………そのレッスン、休もう?」 - 17テルテルボウズ25/07/05(土) 14:03:22
疲れは変わらないものの、さすがに少し、意識にかかっていたモヤが晴れる。それくらい驚くような、それは一度「頑張る」と決めると倒れるまで足を止めないはずの手毬らしからぬ言葉だった。
「そういうわけにも行きませんよ。レッスンは、毎日の積み重ねが大切でしょう?」
言いながら少し自分でおかしく感じる。自分も到底自分らしくないことを言っていて、これではいつもと立場が逆だ。
ようやく落ち着いて周りが見えるようになってきて、ああそうだ、と思い出す。ここは自分とプロデューサーの事務所兼、元ユニットメンバーが勝手にたまり場にすると決めた場所で、今は夕方で。他で用事を片付けるからと告げて出ていったプロデューサーはここにおらず、たまり場にすると言っておきながら顔を出す頻度の低い元ユニットリーダーも今は不在で。
「美鈴……最近、ちょっと様子おかしいよ。そりゃ、真面目にレッスンするようになったのはすごくいい事のはずだけど……でも、無理してるせいで最近、アイドルとしての活動が全然上手くいってない。違う?」
「まさか。そんなことはありませんよ? 昨日はたまたま、上手くいかなかっただけで」
嘘だ。その自覚はある。
昨日のサイン会ではそ心ここに在らずといった対応を何度かしてしまい、ファンに心配されてしまった。
その少し前は定期公演のオーディションで、以前圧勝したはずの他アイドル達に敗北。
さらに前、必死のレッスンを重ねて挑んだライブは途中で立ちくらみを起こして危うく中止になりかけた。
ここ最近、態度や素行に気をつけて、それ以来ずっとそんな調子なのだ。 - 18テルテルボウズ25/07/05(土) 14:55:55
やっぱり扱いきれていない、あのプロデューサーが足を引っ張っているに違いない、無理やりレッスンに連れ出してるからモチベーションが低いんだ、などの言葉は最近嫌でも耳に届いてしまう。
そうして焦り、何とかしなければと考え、結局やれることは「真面目にレッスンをしたうえで成果を出して、周囲を黙らせる」しかなくて、そしてそれが上手くいかずにまた評価が下がる。
どうしても抜けられない蟻地獄の中に放り込まれたような気分を目の前の幼なじみに悟られまいとするのが、今の彼女にできる精一杯だった。
悟られまいと、せめて手毬の前では普段通りに微笑んで、
「美鈴。もしかして美鈴のとこのプロデューサーに、何か言われたの?」
それすらひび割れる音を、美鈴は確かにこの時聞いた。
「……どういう、意味ですか?」
「美鈴がレッスンに出ろってただ普通に言われたからって聞くわけないし、そうなるとプロデューサーに何を言われたのかなって。そのせいで無理してるなら、私がプロデューサーに一言ガツンと――」
「やめてください!」
自分にこんな叫びが出せたのか、と美鈴自身が驚くような声が部屋に響いて、言葉をさえぎられた手毬の肩がびくりと震える。 - 19テルテルボウズ25/07/05(土) 15:47:31
「わたしは……プロデューサーが何か言ったから無理してるんじゃないです。あの人はむしろ今のまりちゃんのように、休めって、無理はしないでくださいって言うんです」
最近お昼寝できていますか?
いつもの秦谷さんらしいペースに一度戻しませんか?
案じてくるその顔つきが、どうしても以前と比べて疲れきった色になっていて。
それをわかっていながら、その原因が自分だと知りながらのんびりなんて。
しばらく前、まだプロデューサーに何が起きているのかを知りもしなかったときに、広に言われた言葉を思い出す。美鈴は自分と似たタイプだと思うから、という言葉だ。運動会の時のことを思い出せば、あれがどういう意味か今はよくわかる。
自分のしたいこと、望んでいることのために、他の人が嫌な思いをするのなら、ままならなさを楽しむよりもクラスが勝つことを優先すると言って、美鈴に本気を出すようにと求めてきた広。
のんびりと、自分のペースで歩いて行こうとして、それがなまじ上手くいったばかりに大切なプロデューサーが理不尽に叩かれると知って、それでも今まで通りのペースで歩くなんて。
「そんなことできるわけないじゃないですか! わたしのせいなのに……わたし……わたしが……! なのに、そんな風にプロデューサーさんを追い詰めたり、しないで……!」
――いつか、いちばん高い所で一緒にあくびを。こんな有様でできるんでしょうか。
急に立ち上がって、叫んで、元々調子も良くなくて。
美鈴、と叫ぶ手毬の声が不自然なくらいにくぐもって遠くなるのと、意識が急激に暗闇の中に落ちていくのとを感じながら、これまでの人生で一度もなかったくらいの弱気のまま、美鈴は意識を手放した。 - 20テルテルボウズ25/07/05(土) 17:53:33
***
目を次に開けると、白い天井が見えた。今日はなんだか意識がよく途切れるな、と思って、けれどそれは今日に限らないなと考え直す。
ここ最近、ほとんどレッスンも授業もサボらずお昼寝もしなくなってからは、油断していると時折似たようなことがある。それでも、目を開けたらベッドの上に寝かされていて、周りを見渡すとそれが保健室だった、などというのはこれが初めての事だった。
「目が覚めましたか、秦谷さん」
視界の外側からそう声をかけられて、心臓が途端に豆粒のように縮み上がる。恐怖などではもちろんなく、後ろめたさだ。
意識が途切れる前、自分が何をしていたのかは思い出せる。手毬に向かって何を叫んだのかも。
それを覚えているうえで、できれば今一番顔を合わせたくない相手だ。
「……もう、少し大げさだと思います。わたし、少し立ち眩みをしただけなのに、保健室だなんて」
「ただの立ち眩みで一時間も気を失っていたのなら、保健室送りになるには十分な理由だと思いますよ。……あの、こっちを向いていただけませんか」
嫌です、と即座に返す。声はちょうど美鈴の背中側から聞こえていて、けれど言葉のわりに無理やりこちらの向きを変えさせようとか、ベッドの反対側に回り込んで来ようとか、そういうことはしないところにいつも通りの優しさを感じる。
安堵して、気が緩んで。聞こえる息遣いがどうやら背後には一人分しかないというのもわかって。その優しさはこのまま理不尽に晒されていてほしくないという気持ちが、ふらついていた胸の奥にすとんと落ち着いた。
「プロデューサー。お願いがあります」
「はい」
「わたしとの契約を、解除してください」
目頭が熱くなるのを、声が震えそうになるのをこらえて、言う。なるべくいつも通りの口調で、また自分勝手に振り回すような言い回しで。そうしないとこの人は察して、素直に話を聞いてくれない。